思索の森と空の群青

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2008年 08月 14日

「言葉にしたい」を「言葉にする」

晴れ のち くもり、のち 今日は本当に雨


このウェブログをはじめてから1年が経った。

お盆明けに書きはじめたと思っていたら、8月7日に「はじまり」があった。

そのあいだに、このウェブログはわたしにとって一種の(言葉を選ばずに言ってしまえば)吐き出し口になっていた。言葉を選んで言えば、思考を開示する場所、表現する場所。「研究」という営みを続けていると、研究テーマはもちろん、それ以外のことについてもいろいろと考えてしまう。研究テーマについては論文に書けばよいが、それ以外のことはどうするか。

ウェブログ以前は、そうして考えた研究テーマ以外のことを、記録せずにわたしのなかに留めておくことが多かった。しかし、それはあまり健康的なことではなかったといまは思う。何より自分が苦しい。いま思うことは、というより感じることは、考えたことをわたしのなかに溜めずに開いてゆくことがわたしにとってはとても大切だということである。

それならノートでもよいではないか、ノートに書いて自分だけで確認すればよいのではないか。

だが、それだと開いたことにはならない。

だから、ノートではなくウェブログに書く。

考えたことを言葉にする、ここまではノートでもできる。しかし、言葉にしたあとそれを投げかけることはノートでは限界がある。「言葉にする」ということは、他者(それは自分のなかにもいるのだが)に向かって「伝える」ことが意図されている。もちろん、言葉にしたからといって「伝わる」かどうかはわからない。しかし、わからないながらも「投げかける」ことはすくなくともできる。とりあえず投げてみる、それはできる。

言葉を投げれば、誰かがそれを受け取ってくれるかもしれない、その言葉の軌道を遠くからでも見ていてくれるかもしれない。投げられるのは、ボールではなく言葉であるから、投げられたその瞬間を見逃しても、あとからゆっくりと認めることができる。


書いておくことが、書きのこしておくことが大切なのだと最近とみに思うのだ。そう思うのは、言いたいこと、伝えたいこと、表現したいことが出てきたからである。言いたいことも伝えたいことも表現したいこともなければ、書いておきたいとは思わないはずだ。最近はその「言葉にしたい」という欲求のようなものが増してきている。

「言葉にしたい」を「言葉にする」へ……そのメディアに、このウェブログはなっている。


@福島
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by no828 | 2008-08-14 23:09 | 日日 | Comments(0)


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