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思索の森と空の群青

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2008年 09月 02日

みき、誕生日おめでとう

晴れ

昨日に引き続き、暑い。

午前中は「福田首相辞任」の文字が躍る新聞を読んだあと、「研究とは何か、どうあればよいか、研究者とは一体何者なのか、何者であればよいのか」という先便に書いたことを考えていた。それから某専攻長のところに学会発表のレジュメと京都土産の阿闍梨餅を持って挨拶に行く(* 専攻長とはいえ、差し上げる阿闍梨餅は1個)。加えて、某募集の選考結果をインフォーマルに訊く。

某募集は、大学院生が学内の授業を(部分的に)担当する制度がはじまるにあたってかけられたもので、わたしも教えてみたかったので応募しておいた。結果は、通っていた。ただ、採用通知書も送られてきていないので、よくわからない。今日の午後から授業があるのにな……。

5限から某G棟でその授業。場所がわからず事務に訊く。

しかし、授業は基本的には先生が進めるようなので、わたしは論文を読むことにする。ただ、予定では基本的にわたしが授業することになっていたのであり、わたしはシラバスまで作ったのであるが、どうやらそれは変更されるようである。

いいけどさ。

授業中にKSKから携帯電話にメール。亀婚(亀山の結婚式)の2次会の出欠メール。

幹事、ありがとう、お疲れさま > KSK。

というメールをKSKに返信(ついでにこのウェブログのことを知らせる。たぶん、言ってなかったはず……ほかにも言っていない人がいる気がする。積極的に知らせているわけではないから、仕方がないといえば仕方がないのだが)。

続けて、みきに誕生日おめでとうメール。

18歳の頃から知っていて、以来誕生日のときにはメールを送り合う関係性というのは、年を重ねるにつれて感慨深くなってくる。うまく言えないけれど、相手に対して、存在してくれてありがとう、そういう感覚。メールしながら、不覚にもちょっとぐっときた(最近友だちの誕生日にメールするたびにぐっとくる。年をとったということかもしれない)。

でも、こういう感覚ってわたしのなかではすごく大事なことで、理論的にもきちんと掬ってゆかねばならないことだと思う。最近は「承認」と言ったりするけれど、その根底にはきっと「その人がいてくれるだけでうれしい」という思いがあるのではないかと思う。

もちろん理論的には、「その人がいてくれるだけでうれしい」と感じるのはなぜか、というように問いを重ね、それに答えてゆく必要があるけれど(たぶん答えは「共有された温かな記憶」だと思うけれど)、それには追々取り組むとして、いまは単純に「おめでとう」とわたしは言いたい。

みき、おめでとう。


@研究室

by no828 | 2008-09-02 19:23 | 友人


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