人気ブログランキング | 話題のタグを見る

思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
ブログトップ
2008年 09月 22日

「トンカツ?」「カレー?」「カツカレー!」が頭から離れないのでタイトルを考えることができない

 くもり

 金曜は、あれからビールを買って帰り、シャワーを浴びてから呑んだ。しかし、350ml缶1本で胃が受け付けなくなった。

 土日は意識的にゆっくり過ごした(土曜は17時―21時で研究会があったが)。

 土曜日は通り雨が降り、日曜日は夕方土砂降りになった。


「トンカツ?」「カレー?」「カツカレー!」が頭から離れないのでタイトルを考えることができない_c0131823_1474327.jpg49(99)泉流星『僕の妻はエイリアン——「高機能自閉症」との不思議な結婚生活』新潮社(新潮文庫)、2008年。

版元 → 

読了日:2008年8月24日


 引用はとくになし。

 「障害」はグラデーション。「健常」「障害」の線引きは意図的なものである。

 予定が狂うことを嫌うなどの「自閉症」の症状はわたしにも認められる。たとえば、わたしは電話が好きではないが、それはわたしの物事を進める歩調(=予定)を狂わせるからである。もちろん、何時頃電話するからね、ということで電話が来るのであればまったく問題ない。翻って電子メールはわたしの予定に合わせて応答できるからよい。



「トンカツ?」「カレー?」「カツカレー!」が頭から離れないのでタイトルを考えることができない_c0131823_14103466.jpg50(100)高野秀行『アヘン王国潜入記』集英社(集英社文庫)、2007年。

版元 → 

読了日:2008年9月5日


 本書カバーの説明。
「ミャンマー北部、反政府ゲリラの支配区・ワ州。1995年、アヘンを持つ者が力を握る無法地帯ともいわれるその地に単身7ヶ月、播種から収穫までケシ栽培に従事した著者が見た麻薬生産。それは農業なのか犯罪なのか。小さな村の暖かい人間模様、経済、教育。実際のアヘン中毒とはどういうことか。〔……〕」

「ビルマの少数民族は多かれ少なかれビルマ人が好きではない。『ずるい』『平気で人を騙す』『差別する』と彼らは言う。また、外国のビルマ・ウォッチャーはジャーナリストにしても、アムネスティ・インターナショナルのようなNGO団体にしても、大半がラングーン中心主義〔*〕である。民主化の問題さえ論じれば事足りると信じている人びとも多く、少数民族の独立や自治については、アウン・サン・スー・チーらビルマ民主化勢力も、軍事政権と同じくらい否定的であるという事実を無視しており、少数民族側からビルマを見ている私はしばしば反発を覚える。つまり、ビルマの国のなかでも外でも少数民族差別もしくは軽視が改まる様子はないのだ」(pp. 237-238)。

〔*〕「ラングーン」は、ビルマの旧首都。ヤンゴン。2006年に「ネピドー」に遷都。著者の言う「ラングーン中心主義」は首都のことしか考えないことを意味する。

「作家であれ、ライターであれ、ジャーナリストであれ、およそ物書きであるなら誰にでもその人の『背骨』と呼ぶべき仕事があると思う。
 単行本でもいいし、雑誌に書いた1本の記事でもいい。世間で評価されまいが、売れまいが関係がない。とにかく、『自分はあれを書いたのだ』と心の支えになるような仕事だ。
 私の場合、それが本書である。
 『誰にも行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろく書く』というのが最初の本を出して以来、約20年変わらない私のスタンスであるが、そのスタンスを最もハードに貫いたのがこの本だった。
 しかし、背骨であるがゆえにこの本はなかなか評価されなかった。
 人間だってそうだろう。背骨がしっかりしているから、背骨がしゃんとして結果的に全体がかっこいいというのはあるだろうが、『あの人、背骨がかっこいいね』なんてダイレクトに褒められることはない」(「文庫版あとがき」、p. 371)。


「トンカツ?」「カレー?」「カツカレー!」が頭から離れないのでタイトルを考えることができない_c0131823_14121272.jpg51(101)多田富雄・柳澤桂子『往復書簡 いのちへの対話——露の身ながら』集英社(集英社文庫)、2008年。

版元 → 

読了日:2008年9月11日



 文庫カバーの説明。
「突然の脳梗塞で、声を失い右半身不随となった免疫学者・多田富雄と、原因不明の難病の末、安楽死を考えた遺伝子学者・柳澤桂子。2人の生命科学者が闘病の中、科学の枠を越えて語り合う珠玉の書簡集」。

「自殺を考えたこともしばしばでした。死ぬ用意もしました。死のうと思えば、手段は色々あるものです。でも懸命に看護している妻や娘を思えば、死ぬわけにはいかない。自分の命は自分だけのものではないことを、こんなに実感したことはありません。生・死はひとりだけの所有物ではない。愛する者と共有し、いつも共鳴しているものであることを強く感じたのです」(多田富雄、pp. 27-28)。

「私は、地球上に生物として生まれてくることは、残酷なような気がしてなりません。
 人間も例外ではありません。生まれたいかどうかも聞いてもらえず、生まれてしまうのです。そして、どんな状況でも生きなければなりません。内戦などの続いている国はもちろんのこと、先進国といわれる国でも生きていくことはたいへん苦しいことだと思います」(柳澤桂子、pp. 43-44)。

「町に障害者の姿を見かけないのは、障害者が少ないのではなく、福祉の眼が行き届いていないからです」(多田富雄、p. 159)。


@自室

by no828 | 2008-09-22 23:19 | 人+本=体


<< 山本大幹事(仮)      送信ボタンを押したあとの心はい... >>