思索の森と空の群青

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2010年 10月 25日 ( 1 )


2010年 10月 25日

本は、なぜ増えるのか。買うからである。処分しないからである——草森紳一『随筆 本が崩れる』

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 版元

 76(309)草森紳一『随筆 本が崩れる』文藝春秋(文春新書)、2005年。

 偶然書名を知ることになって惹かれたので古本で購入。

 本に埋もれた生活。書棚に収まりきらない本は床に積み上げる。それに触れると本のタワーが揺れる。揺れて終わるときもあれば、揺れて崩れるときもある。崩れるともうそれは本の山。本の尾根が広がる。

 そんな写真付きの新書です。

 ひとつ疑問は、どうしてこの本が「新書」というスタイルで出版されたのか。「文庫」でないのはなぜなのか。わたしはとくに“新書とはかくあるべし、文庫とはかくあるべし”という考えを持っていないが、これは「文庫」寄りのような気がする。その「気がする」理由がうまく書けないのだが。うーん、わたしの中で「新書」は知的鍛錬(とくに“新たな知の獲得”と“幅広い知への接触”と“基礎的知の再確認”のため)の一環で読むもの、「文庫」は知的訓練の外で読むもの、という区分けができているから、といったところか。もちろん「文庫」には、岩波文庫や講談社学術文庫などがあり、それらは知的鍛錬を積むために読むが、それ以外の「文庫」は“趣味”に近いところで読む。この『本が崩れる』もその文庫的要素が強かったため、“これが新書で出版されたのはどうしてかな”と思ったのである。


 本は、なぜ増えるのか。買うからである。処分しないからである。したがって、置き場所がなくなる。あとで後悔すると知りつつ、それでも雑誌は棄てる。大半は役に立たぬと知りつつ、単行本を残してしまう。役に立たぬという保証はないからだ。仕事をするかぎり、この未練はついてまわり、ひたすら本は増えていく。
□(29)

 御意。


 しばしば原稿を書いている時、タバコが切れる。原稿とタバコの関係は、「味う」〔ママ〕喜びからはるかに遠く、がさつなものである。この場合のタバコは、言ってみれば、「石炭」である。原稿を書き進めるための燃料である。山を登る蒸気機関車における「石炭」に比してよい。喫煙は、進行を速めるために「くべる」燃料である。この時の私は、けっして愛煙家とはいえない。
〔略〕すこし疲れて一服するつもりなら、タバコもよいが、コーヒーのほうがよい。
 できるだけ自分で湯を沸かすため、机のそばから立ちあがり、台所へ行って自らコーヒーをいれて飲むのがよい。頭脳の転換になる。〔略〕
 疲労困憊している時は、砂糖をいくらいれても味がしない。からだは、正直である。ふつう角砂糖を三個いれるのだが、疲れていると、まったく甘くないのである。甘くない砂糖でも出現したのかとあわてるほどだが、七個か八個いれると、ようやく甘くなってきて、ほっとする。頭に糖分が欠如しているのだと、ようやくわかる。
 タバコもコーヒーも、麻薬の一種である。妄想を促進し、その集中力をたかめる。それは、錯覚だと、せせら笑う人がいる。多分、彼のいう通りだ。錯覚かもしれぬが、それはそれでよい。今のところ、その錯覚が、役に立っている。肺ガンになってもしかたがないという覚悟もついている。

□(300-1)

 わたしはタバコを吸わないのだが、タバコを吸いながら本を読むとか書くとかしている人を見て羨ましいと思ったことはある。“様になる”っていうのもあるけれど、著者が言うように読む・書くを促進してくれるような気がしたからだ。匂いがないとか、あってもすぐ消えるとか、それ以上に身体の毒にならないとか、そういうタバコであれば吸ってみたいと思う。ちなみに、目下のわたしはもっぱらコーヒーであるが、砂糖は入れない。


@研究室
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by no828 | 2010-10-25 12:59 | 人+本=体 | Comments(6)