思索の森と空の群青

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2014年 10月 25日 ( 1 )


2014年 10月 25日

空はどこまでも高かった——見沢知廉『囚人狂時代』

c0131823_2153643.jpg見沢知廉『囚人狂時代』新潮社(新潮文庫)、1998年。25(848)


版元 → なし
単行本は1996年にザ・マサダ


 獄中記。ただし、暗くなく、むしろ愉しそうでさえある獄中記。著者は「新右翼」、スパイ粛清事件の実行犯として逮捕され、懲役12年。服役中、さまざまな人(事件を起こした人)と出会います。精神医療に関する言及もあります。

 著者が獄中からお母上宛てに発信した手紙が掲載されています。ものすごく細かい字で書かれています。「1ヵ月7枚までと制限されているので、小説を書くためA4の便箋1枚に3000~4000字を詰め込んだ」(264)とあります。

 また、「参考資料」として、冊子「受刑者の生活心得」(千葉刑務所)、冊子「守らなければならないきまり」(千葉刑務所)、「ノート使用許可条件書」、「願箋」、「情願却下通告」が附属します。ちなみに「情願却下通告」は法務大臣名で出されますが、当時(1990年12月27日付け)の法務大臣は梶山静六であったことがわかります。


 あさまさん〔と呼ばれる、あさま山荘事件の実行犯〕の父親は財閥系企業のエリート重役だったが、事件で退職。母親も教養のある人で、あさま山荘では呼びかけをやらされていた。
 兄さんがいるが、精神の発達に遅れがあって、施設に入っている。それで、あさまさんは福祉に強い関心があるという。将来は、そういう障害者の世話をする仕事に就きたいと言っていた。
 あさまさんが〔野球をしたときの2件の骨折事件により〕野球禁止になったあと、俺たちはもっぱらグラウンドの隅のベンチに坐り、新聞などを読みながら話を交わした。
僕もスパイを殺ったんですが……あれ(あさま山荘)は、皆仲間殺しだったんですか?
いや、スパイはいました。公安のね。それは報道されない。ただ仲間殺しとだけ糾弾される。悔しいですね……
「あさまで警部と警視撃ち殺したの、吉野さんか板東さんか謎がありますが、どっちです?」
「……いやあ、ははは、まあ、いいじゃない」
「ライフルやらは、猟銃店で奪ったんですよ」
「やりましたね。若かったからなあ」
……革命は、もうする気ありませんか?
福祉とかは興味あるし、そういう市民運動はいいと思うけど……はは、党派の革命はちょっとねえ
新右翼に来ません? 反共や天皇万歳の右翼じゃないですからね。僕たちは北一輝三島由紀夫の純粋な夢を受け継ぎたいというのでね」
「もう年だしなあ……無期なんで二十年はここにいるしねえ」
「植垣さんも遊びに来ますよ」
「僕も、遊びにならね」
 秋。透き通った日射しがベンチの上に、あさまさんと俺の影をくっきりと映し出していた。彼のおだやかな声が耳に心地よい。空はどこまでも高かった。
(111-2)


@研究室
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by no828 | 2014-10-25 21:12 | 人+本=体 | Comments(0)