思索の森と空の群青

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カテゴリ:人+本=体( 981 )


2017年 09月 15日

反応は、すべて、そんなふうに静かなかたちできた——小田実『何でも見てやろう』

 小田実『何でも見てやろう』講談社(講談社文庫)、1979年。1(1068)

 単行本は1961年に河出書房新社

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 今年読んだ本の記録(まだ)1冊目。通算1068冊目。

 有名な本でいつかは読もうとずっと思っていた。立ち寄った古書店でたまたま目に入ったので購入。学類生のときに読んでいたら、“外へ出よう”という気持ちがもっと強まっていたかもしれない。いまは、本書におけるものの見方の素朴さというものを感じてしまう。その素朴さには勢いがある。

20)パリで、アメリカの女の子がしみじみと語ったことがある。私は小さいときから食卓にヒジをつけて食べないようにと、そればかりしつけられてきた。それが今こうやってヒジをつけて食べていると(私と彼女はレストランで話しているのだった)、私たちがどんなにアホらしいことに精いっぱいになっていたか、どんなに田舎者であったかが判る。彼女はそんなふうに言うのであった。

55) アメリカで私が感じたのは、これからあとでくり返し述べることだが、決して西洋文化の圧力ではなかった。私が感じたのは、すくなくとも重圧として身に受けとめたのは、それは、文明、われわれの二十世紀文明というものの重みだった。二十世紀文明が行きついた、あるいはもっと率直に言って、袋小路にまで行きついて出口を探している一つの極限のかたち、私は、アメリカでそれを何よりも感じた。

113-4)その夕の聴衆は、私がこれから原爆の詩を読むと宣言したとき、そのときまで小声でささやき合ったりしていたのが、ピタリと静まり、それとともに異様な緊張感が一座にみなぎって行った。私は原民喜氏の碑銘になっている有名な四行詩を始めとして、峠三吉氏などの作品を、はじめ日本語で読み、ついで私の英訳(らしきもの)をつけた。みんなは、ただ黙って聴いているのみであった。
 読み終わっても誰も発言する者はなかった。司会者が事務的に例を言い、みんなは立ち上がった。
 私はいささか拍子ぬけした感で室を出ようとしたら、ドアのところで、ひとりの詩人が私を呼びとめた。「私はこれらの詩の発表に尽力したい」彼はそういう意味のことをひかえめな口調で語り、一言、最後につけ加えた。「アメリカのひとびとは、もっと知る必要があるのだ
 独身寮の入口のところで、それまでそこで私を待っていたらしい作曲家に会った。彼はそこで自分の戦争体験について語った。それまで知らなかったが、彼はオキナワ生き残りの勇士だったのである。彼がいかにして日本また日本人を憎悪するに至ったか、またどんなふうにしてその憎悪を清算したかを、芝居げのない口調で語った。
 夜、一人の画家が私の室のドアをノックし、自分は個人的にヒロシマについて謝罪したいと、ただそれだけをつぶやくように言った。
 反応は、すべて、そんなふうに静かなかたちできた。

131) いや、もう一つあった。私はこれこそは本心からいばることができたのだが、東と西、また中立陣営をとわず、世界の文明国じゅうで、徴兵制というような野蛮な制度がない唯一の国で、わが日本国はあるのではないか。私はこのことをもっと誇ってよいと思う。 ▶︎ 米軍基地は?

236)もちろん、日本もヨーロッパ諸国も「文明国」ではある。が、やはりアメリカに比べると、「文明国」であるよりはまだまだ「文化国」だという気がしてならないのである。

389)あるホテルの前で腰を下ろしたとたん、ホテルの掃除夫からじゃけんに追い立てをくったのである。掃除夫といえば、おそらく例の不可触賎民か、よくてせいぜいカーストの最下層にとどまるであろう。私は追い立てをくったことに怒り、そうした連中に追い立てをくったことでより一層怒っている自分(私は人種的差別や階級的差別、ましてこのばかげたカースト制度などに強く反対してきたはずであった)に、また腹をたてた。

399)そんなふうに単純に、自分がインドの政治(「未来」といってもよい)について何ごとかをなしとげ得ると確信することができる彼が羨ましかったのだ

415) 日本を訪れる外国人が誰しも驚くのは、日本人の忙しさであり、勤勉さであり、それを総括する異常なエネルギーであろう。〔略〕
 ただ、惜しいことに、これは誰もが言うことだが、そのエネルギーに方向がないのだ。そして、ラッシュ・アワーの電車のなかでのように、異常なエネルギーが、どれほど無目的に、無駄に消費されてしまっていることか。

421)おそらく、それらのむくわれざる死者をして安らかに眠らしめるただ一つの道は、判りきったことだが、ふたたび、このような死者を出さないこと、それ以外にはないのだ。すくなくとも、もし私の涙が結びつくものがあるとすれば、それはそこにおいてしかない

427) Tはあいかわらずの政治ぎらいだった。政治的なもの一切を嘲笑する。私がベトナム反戦運動をしているのを知ると、いつにない真面目な表情で言った。「きみはいい、きみはまだ政治を信じることができる」私は答えた。「信じることができないから、自分で運動をすることにしたんだ
「なるほど」
 と彼は言った。

428) 「おれはアメリカがよくなるとは思わないな」
 彼は言った。
「おれだって日本がよくなるとは思わないな」
 私が言った。
世界はどっちみち変わらない
 彼が言った。
そうかも知れんな
 私が言った。
きみのやっていることを無駄だと思わないか
 彼は訊ね、私が答えた。
ときどき思うね。……しかし、やって行くよりほかにないな


 113-4ページの引用部分が本書においてもっとも印象深かった。反応は、本当の反応というのは、あるいはいわゆるコミュニケーションというものは、そのように静かなもので、そのように時差を伴うものなのかもしれない。

@研究室

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by no828 | 2017-09-15 19:38 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 08月 04日

院生というのは「ずっと前からここにいて、いつまでたってもここにいる」人のことだ——松原始『カラスと京都』

 松原始『カラスと京都』旅するミシン店、2016年。69(1067)


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 動物行動学者・カラス研究者の学部・大学院時代=京都時代(1992〜1997年)の物語と、京都を離れて東京へ引っ越すとき(2007年)の断片。フィールドノートを振り返りながら、当時の様子を再構成した本です。著者の思い出を支えたのがフィールドノートです。本来フィールドノートは研究に関する事柄を書き留めるものですが、著者はそこに生活に関わるさまざまな事柄(洗濯を何回したとか)も書いていたようで、そのフィールドノートが本書の土台を提供しています。

 研究者(を目指してしまった人)がどうやって生き延びてきたのか、という話はやはりおもしろいです。

4) とは言っても、当時の自分を振り返って深イイ話をするなんて柄じゃない(ああいうのは功成り名を遂げた偉い先生が引退する頃にやるものだ)。だが、それでも語ってみたくなるくらい、大学は魅力的なところでもあったのだ

59) いやまあ、四浪して京大を受け続けていれば伝説にもなる、かもしれんけども。
 別に京都大学という名前に憧れたわけではない。高校の進路指導で「動物学がやりたいです」と言ったら、先生があれこれ調べて「動物学で出てくるのは京大くらいやなあ……」と言われたのである。まあ、これは単なる検索ワードの問題で、「動物学教室」と名乗っているのが京都大学理学部にしかなかった、というだけのことだ。内容として動物学を扱っているところは、日本中にたくさんある。
 もっと言えば大学はさっさと入れるところに入り、大学院から転入という手もある事を、大学院に入る頃を知った。実際に研究と呼べることを行うのはどうせ大学院なので、これでも十分と言えば十分なのだ。むしろ、通う大学に関係なく、研究者や大学院生と仲良くなって「押しかけ助っ人」になってしまえば、学部の時から専門の研究の手伝いをしつつ、学ぶことだってできる。だが、その辺の内情の理解まで、進路指導の先生に要求するのはちょっと酷ではあろう

63)いやまあ、生物学にしたって認識の方法の一つに過ぎないのだが、その基本的なスタンスは「自然は実際にそこにある」ということだ。人間がそれをどう解釈しようと、変わるのは解釈や認識であって、自然の方ではない。

133)院生というのは「ずっと前からここにいて、いつまでたってもここにいる」人のことだ。 ▶︎ 深く突き刺さる定義です。

152-3) 木村〔資生〕の説くところによれば(そして実際そうなのだが)、遺伝子に発生する変化の大半は中立か有害で、有利な変異は滅多に起こらない。〔略〕中立説はダーウィニズムと対立しない。木村資生は自然淘汰をもちろん認めており、それが適応的な進化に重要だと書いている。〔略〕中立説が否定したのは「自然淘汰だけが進化の原動力であり、どんな進化にも必ず有利・不利がある」という自然淘汰万能論だ。〔略〕それまで考えていなかったような、淘汰に関係ない進化もありますよ、そして、これが常々起こっていますよ、というのが中立説のキモだ

191-3) 「ほな、レポートの課題、出すな〔略〕最初にプリント配ったやろ。セトロジーいうの。あれに『クジラは魚や』て書いてあったけど、ここまでこの講義聞いて、それでも魚やと思うか、やっぱり哺乳類やと思うか、それ書いてもらおか」〔略〕
 川那部先生はいつもの着物姿で、両手をブラブラ前後に振りながら続けた。
せやけどねえ、教科書通りに哺乳類の特徴はコレコレって挙げてね、クジラは哺乳類やって書いたら、落とすよ〔略〕そらね、クジラは哺乳類なんよ。メルヴィルかてそんなことわかってて洒落で書いてんねん。せやけど、ボク、面白いもん読みたいねん。せやから、できたらクジラは魚やって書いてほしいな。もちろんどっかで破綻するねんで。どこまでうまいこと、面白い嘘つけるか。クジラは魚や言うて、どんだけホラ吹けるか。クジラは魚や! そんなん読みたいなあ
 面白い。非常に面白い。 ▶︎ そんなレポート課題、試験問題を作りたいなあ、とわたしもつねづね思っています。多くの学生にとっては迷惑千万かもしれませんが、一部の学生はこの著者のようにおもしろがってくれるはずだと信じています。

274) 同級生にはインドを放浪して来た奴もいるし、ワーキングホリデーでオーストラリアに一夏いた奴もいる。そういうことは全然やらなかったな。大きなテーブルの反対側の端では、コーヒーを横に論文を読んでいる、院生らしき人。留学生と英語で話し込む学生。何を話しているのかはわからない。文献を積み上げてルーズリーフに何やら書き込んでいるお姉さんは文系か。世に言う「女子大生」っぽい感じが理学部や農学部ではない。
 何の経験もない自分はここで何をしているのか。無為に一夜を過ごし、今こうしてコーヒーを飲み、今日もまた漫然と過ぎて行く。単位は足りるのか。研究は、進路は。悔しいが自分より有能な人々と伍して、自分は研究者になんか、なれるのか。
 セロトニンの払底した二日酔いの朝は、ただでさえ悲観的になるものだ。リーアム・デヴリンの言う「全てが終ってしまったように感じる、午前3時の気分」というやつだ。二日酔いで寝不足で空腹な朝なんて、ロクなもんじゃない。

301-2) 帰宅してデータをパソコンに打ち込み、それを解析に加えて結果を考え、夜中のハイテンションの中で「俺は天才だ!」と思いながらノートをまとめ、翌日読み返してあまりの杜撰さに「俺は馬鹿だ」と落ち込む。修士課程の終わり頃には、そんな夜をどれだけ過ごしたかわからない。唯一の友は延々とリピートしながら聞くB’zの「Survive」だった。
 だが、今になってわかる。それがどれほど幸せな日々だったことか! 日が昇っている間は思うさまカラスを追い回し、日が沈んだらアハハと笑って安酒を飲む。誰にも、何にも邪魔されない。自分の時間は全部、自分とカラスだけのものだ。金と仕事と業績と将来の展望と明日の保証がないかわりに、大いなる自由がある。今なら金を払ってでも手にしたい。
 いや、当時はその金と仕事と業績と将来の展望と明日の保証が欲しかったのだから、言っても詮無いことだ。
第一、「お前は今でもテキトーじゃねえかよ」という意見もあるかもしれない。ウム、言われてみればその通りだ。

302-3) 全ての授業が、直接に役立つとは限らない。「クシクラゲは有櫛動物に分類される動物である」と知っていても、実生活には役立たない(博物館での展示には大いに役立ったが、これは特殊な例だ)。だが、自分の知らない深淵を覗き込むくらいのことはできる。そこで知った様々な生物学の断片、院生や級友や他大学の人達、そして何よりも、大学でよく見かけた学者という生き物の姿が、大学で得た一番大きな経験だと思うのだ。

 本書をもって、昨年読んだ研究に直接関係しない本の記録が終了(ようやく)。69冊、やはりペースが落ちています。読むべし。自分を更新すべし。ブログも更新すべし。

@研究室

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by no828 | 2017-08-04 17:46 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 08月 03日

祈りは、自分以外の誰かのためでなくてはならない——加賀乙彦『海霧』

 加賀乙彦『海霧』新潮社(新潮文庫)、1992年。68(1066)

 版元サイトなし|単行本は1990年に潮出版社

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 心理療法士の牧子が北海道に渡り、開放的な精神病院に勤め、堂福院長の考え方に触れ、漁師の青年・洋々に恋をするものの……という物語。

 個人、共同体、社会。島国根性=全体主義?

18) 「百人も二百人もの患者を一箇所に集める病院というのは、患者の集団管理を容易にするために発想された施設だが、精神障害者のように各自が微妙な悩みをもつ患者に対しては、適当とは思えないんです。だから、ぼくは普通の人々が生活するのに近い環境を用意した。一軒に、多くて二十人、できれば数人が家族のように暮すのが理想でね」

23)死こそは私自身に属する慰めだと思った。

38-9) 堂福院長の考え方を私も段々理解してきたが、その中心となるのは、精神病者を社会に連れ戻そうという思想だった。〔略〕精神病者は社会を乱す危険な存在だから、精神病院に隔離収容せねばならぬというのが、どこの近代国家も考えたことだった。〔略〕病院の規模が大きくなれば、どうしても患者の治療は大ざっぱとなり、画一的となる。そして、そもそも大病院設立の目的が隔離・島流しにあったのだから、患者の入院期間は増大する傾向が生じる。〔略〕
 そうではなく、精神病者は治療し、軽快した患者はすみやかに社会に復帰させるべきだというのが、近来のまっとうな考え方である。大病院のかわりに小病院を、集中病棟のかわりに分散病棟を、監禁のかわりに開放を、隔離のかわりに社会復帰をというのが堂福院長の考えなので、堂福病院はその方針にしたがって建てられたのだ。
 しかし、精神病者を社会に連れ戻そうとする彼のやり方は、地元の人々とさまざまな衝突を引きおこした。

50)イトウという、このあたりの湿原に住む怪魚だ。ひどく敏感で獰猛で素早く、釣人の足音を遠くから聞き分けて逃げてしまうので、釣るのは至難のわざだ、しかしそれだけに釣人が追いもとめて釣るので、今では本当に数が少なくなったという。
「わたしね、イトウを見たことがある」
「へえ、どこで」と洋々は驚いた。
「水族館で。池袋にサンシャイン60という高層ビルがあって、水族館がある。珍しい魚が集められていてね、アマゾンのピラニアもいたわ。イトウも数匹いるの」
東京って何でも集めるところだなあ

68-9) 「さっきの松浦さんの症状もそうですけど、精神の病というのは、その人の置かれた状況を極端に示していますね。松浦さんが被害妄想の穴の底に落ちてしまうのも、出海さんがすごく攻撃的な躁状態へと飛びあがるのも、わたしには分るような気がするんです。この町の人は多かれ少なかれ松浦さんや出海さんのような状況に置かれています。すると……そこがわたしの疑問なんですけど、病気を治すより先に、社会を治さねばならないんじゃないかと思えるんです。はっきり言って、病気なんか治す必要はないと……
「おいおい」と堂福院長は手で制した。「そこまで行ってしまうと危険だよ。医療というのは仏典にある毒矢の比喩みたいなものだ」

79) 「面白い小説ってのは、どこか恐い所があるよ。毒があるだべさ。つまらねえ小説ってのは、なあも恐い所がねえで。人間が人間の善意を信ずるなんてえ甘いもんだな。この区別は、純文学だろうが推理小説だろうが変らねえ」

97-8) 長い長い旅のすえ、やっと故郷に帰ってきた鮭たちを待っていたのが、この棍棒による処刑である。長靴にゴムズボン、ゴム手袋の男たちの腕前はたしかで、いとも簡単に鮭は撲殺される。夢中でもがく魚が一瞬のうちに死体と変るさまは、明るい美しい日の光のなかで、何か場違いな殺戮として迫ってきた。〔略〕雌も雄も、このとき生を終えて、愛の成就をことほぎながら死をむかえる。自分の生命と活力と生涯の帰結を、ただ授精の刹那の快楽にささげる。しかし、実際には愛ははばまれ、雌雄の仲は割かれ、人間の手による授精のみがおこなわれる。人間たちはやがて稚魚を川に放ち、稚魚たちは故郷を目指す長い長い旅に出るのだ。それは、ただただ人間によって捕獲され撲殺されるための旅立ちである。

122-3) 「馬というのは子馬の時〔ママ〕から、はっきり性格も能力もきまっていて、将来使いものになるかどうか見分けられるんです。人間も同じでしょうな」
 横山医師が肯定した。
「五歳の子供の心理テストを、十歳、十五歳のそれと比較した研究があるんですが、人間の性格も知的能力も、すでに五歳のとき〔ママ〕に定まっているという結果です。むろん、その折おりの教育や訓練の成果で性格や能力はぶれていくが、持って生れた素質を本質的には変えられんのです〔略〕好き嫌いが定まるのは三歳ぐらいまでだと、フロイトが言っています。ぼくは二、三歳のとき親父におぶさって北アルプスを縦走したんだそうで、山登りの趣味はそのときに植えつけられたらしいんです」

152-3) 「事実というものは、ややこしく、こんがらがっていて、単純に二つの派の“対立”という具合に単純化できない。それを勇猛果敢に単純化したのが、出海さんや松浦さんの精神の病さ。あらゆる精神の病は現実の極端な単純化の上に成り立っている。だから激しく鋭く、おのれを亡ぼし、他人を亡ぼす。精神の病だけじゃない。戦争だって革命だって、またわれわれの喧嘩だってそうだろう。ただ、正常だと自認する人々はそういう極端化を心中では思っても、あからさまに口には出さず、内に認めている。つまり彼らは狡猾なのさ。ところが精神を病む人々は、本音を隠すことができず外に出してしまう。彼らは正直なのさ
 ▶︎ 単純化しないと動けない、単純化しないから動けない

157) 「狂ってる世の中では、狂っている人が正常なのに、あえて狂いを治す——つまり正常者という名の異常者を作り出さねばならない

182)「そうだ、あの町にもキリスト教の教会がある。カトリックでね、外人の牧師がいる」
カトリックなら神父というのよ。町に教会があるなんて知らなかったわ
「おれみたいな地元の人間でも知らなかったんだ。この前、牧子さんが聖書を読むと分っているから、注意して見たら、わが町にもちゃんと教会があった。なんと、町の入り口でね、しょっ中その前を通ってたんだ。無関心てのは、何も見ないってことだ

189)精神の病という、心に巣くった癌のようなものを、温かい人間の感情で解きほぐし、消失させていく作業だ。外科医がメスで切断するのに対し、心理療法士は、辛抱強い話し掛けと付き合いでそれを取り除こうとする。

201)魚をとるなら心をきれいにして魚をとれ。きれいな漁師になれ。だけど、そうするのは疲れることだ。

235-7) 「真面目ってどういう意味です
「あなたは意味を知りたがるね。物事をいい加減にすませないっていう意味だ。悩むときは、とことん悩むし、一度行動をおこせばとことん突き進む〔略〕そのため不必要な周囲と軋轢をおこす〔→ 不必要な軋轢を周囲とおこす〕。大体世の中は、不真面目な人たちで成り立っている。他人には本音を言わない。それが処世の術だ。ところが、洋々青年は、まっしぐらに本音で進む。〔略〕」
でも、あの人は無口です
嘘が言えないから無口なんだ。嘘、お世辞、おべっか、へつらい、おだて、そういう詐術ができないので黙っている。ぺらぺら喋りまくる世馴れた人間てのは、そういう詐術にたけてるだけだ」〔略〕
「さっきの真面目の意味だがね。キリストも真面目な人だったね
「……そう言えますね」
この世から弾き出された余所者だ。しかしこの世を動かすのは、結局は余所者なんだよ
「余所者ですか」私はぎくりとして、院長の淋しげな表情を見た。

278-9)焦ってはいけないと自分に言い聞かせ、自分の祈りを反省してみた。自分のためにのみ祈ったのでは神は応答してこない。祈りは、自分以外の誰かのためでなくてはならない。ところで、洋々のために祈るというのは、幾分かは自分のためでもある。むしろ、彼を手に入れたいために祈っていたのではないか。私は祭壇を見上げた。

@研究室

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by no828 | 2017-08-03 17:55 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 08月 02日

ドアがちゃんと開いていて「ここに一列に並んでください」って看板があるところに並ぶだけが、就活じゃない——スプツニ子!『はみだす力』

 スプツニ子!『はみだす力』宝島社、2013年。67(1065)


 
 学校を含め“あたりまえ”に居心地の悪さを感じるすべての人(とくに若者)へ。自分から動かないと何も変わらない、ということを強く意識させられる本です。そして、意識しただけではダメだよ、動けよ、とも本書からは言われるでしょう。

25) 「正しいこと」を先生から教えてもらう日本の学校と、「何が正しいか」を考えるアメリカンスクール

26) あんまり私がいじめられるので、ある日、先生はホームルームでこう言った。
彼女をいじめるのはやめましょう。彼女は日本人なんですから!
 それを聞いた七歳の私は、耳をうたがった。日本人だからいじめちゃいけないってことは、私がもし外国人だったら、いじめていいってことなのか!?

41)自分が今やっていることが本当の充実か、それを続けることで将来自分が後悔することにならないかをちゃんと考えて、毎日を過ごしたほうがいいんじゃないかと思う。〔略〕たとえまわりに「変なやつ!」と思われても、自分なりの楽しみ方を見つければ、どんな環境もそれなりにサバイバルできたりするのだ! ※強調省略

47) 「私、なんでこんなに学校とうまくいかないんだろう……。遅刻しちゃうし、宿題もできないし、怒られてばっかりだし、苦しい」
 悩む私に、ユリはさらっとこう言った。
でも、学校だけが世界じゃないよね
 驚いた。
 あたりまえのことなのに、私はそれに気づいていなかった。 ※強調省略

59-60) 「私たちが今勉強しているのは、大人になった時に、新しいことを発見できるようになる準備だと思います
 これは両親の教えだった。父や母は、こう言っていた。
人類には、みんなで作り上げる学問という山がある。一人の力では、いくら新しいことを見つけても、山の高さには積み上がらない。これまでの歴史で新しいことを見つけてくれた人たちがいるから、その山はあるんだよ
 新しいことを見つけて、人類みんなで作る学問の山がもっと高くなるように、少しでも貢献することが父や母の望みであり、存在する意義だと教えてくれたのだ。

68-9) 特にバイオテクノロジーは生殖や生命にかかわる分野なのに、そもそもサイエンスにたずさわる女性が少ないことに危機感を抱いていた。
 治らない病気が治るようになっている時代に、女性が生理なんて野蛮なものにまだ悩まされているのも、理系女性が足りないせいかもしれない。一カ月に一回、おなかが痛くて血が出ることに、耐えるしかないなんて!〔略〕
 サイエンスにかかわる分野に女性が少ないと、女性の問題がうまく解決されないこともあるんじゃないかと考えるようになった。

71) 大学一年が終わる夏休み、私もやってみることにした。その時に思ったのが、インターンやアルバイトスタッフを募集していない会社にこそ応募しようということ。
 向こうのニーズがあるところより、何もないところに自分から声をかけたほうが、チャンスはあるんじゃないか。募集しているとライバルがいるけれど、募集がなければ競争相手はゼロ。会社側にとっても思いがけないアプローチだから、「あれ? この子いいじゃん、とってみようか!」とおもしろがってくれるかも、と考えたのだ。
 最近いろんな大学生に就活の相談をされるけど、この話をすると「え、募集してないのに応募するんですか!」とびっくりされる。私はその反応に、逆にびっくりしてしまう!(笑)
 ドアがちゃんと開いていて「ここに一列に並んでください」って看板があるところに並ぶだけが、就活じゃないと思う。気になる仕事や会社があれば、募集してなくても書類を送り、自分からドアをノックしたっていんじゃないだろうか?〔略〕自分が本当に興味があり、きっとその会社の役に立てると思うなら、遠慮することはない。断られたら別のドアをまたノックするだけ。失うものは何もない。 ※強調省略

92) 「観測されないものは存在しないも同じ」という、量子力学の3値論理の考え方がある。この論理は、仕事とか恋愛とか、結構いろんな場面で応用できると思う。

112-3) やがて私はDVDに収録した作品を、YouTubeに投稿しはじめた。
無料でウェブにあげたりしたら、よけいに売れなくなるよ!」とまわりの人たちに反対されたけど、私の考えは逆だった。
どうせ売れないなら、無料だって人に見られたほうがいい!
 だって観察されないものは、存在しないも同じだから。

@研究室

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by no828 | 2017-08-02 17:16 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 31日

日時が経つにしたがって、自分というものと犯罪とが切り離されて感じられてくるんだよ。判決を下したら、すぐさま刑の執行をすべきなんだよ——加賀乙彦『死刑囚の記録』

 加賀乙彦『死刑囚の記録』中央公論社(中公新書)、1980年。66(1064)


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 著者は、東京拘置所の精神科医務官として勤務し、死刑囚と面接してきた経験があります。本書は、小説『宣告』は事実に即しすぎた、との評価への応答である——と「あとがき」にあります。『フランドルの冬』の内容とも接するところがあります。

44)無期受刑者として無反則で一所懸命つとめれば、十年後には仮釈放の申請ができる、十年先の希望にむかって全力をつくすというのが彼が明るい口調で、きっぱりと述べたことだった。死刑と無期刑との差が、いかにへだたっているかを私は実感した。

50) 死刑囚においては、無罪を主張することが、私よりまぬがれる唯一の方法であり、この点彼らが、日頃の願望として、もし無罪であればと念じていることは確かである。その願望の上に、無罪妄想から完全な虚言まで、さまざまな主張がおこなわれると見られる。
 この場合、ゼロ番囚や死刑確定者が、おしなべて独居房に拘禁されていることに注目したい。他人より隔離され、毎日一人で壁と鉄格子を眺めて暮すうちに、個人の思惟は同じところをぐるぐると回り、一つの方向への思いが肥大してくるのである。一般の囚人でも拘禁反応をおこす者は独居房に多いので、独居房は妄想の培養基といえる。

95-7) 「つまり、判決を受けた瞬間はよ、犯行のことが頭にあるだろう。判決を受ける覚悟もして出ていくんだし、お前の犯罪はこうだと判決理由でながながと言われりゃ、おれはひどいことをしたんだ、申し訳ないという気持になるだよね。ところがさ、日時が経つにしたがって、自分というものと犯罪とが切り離されて感じられてくるんだよ。つまり、犯行は、だんだん遠い昔のことになってしまい、果して自分がやったものなのかどうか、実感をともなってこなくなるだね。そうすると、判決の結果だけ、自分が死刑囚であるという重っ苦しい現実だけがよ、自分にのしかかって来るだろう。自分はあれだけのことをやったんだから、こうなるのが当然なんだと、いくら考えても納得がいかなくなる。犯罪がぼんやりしているうえに、自分は殺されるためにだけに、オマンマ食って生かされてるのが、不思議な感じがしてくるだよ
「なるほど。きみ、率直に聞くけど、死ぬのは恐い」〔略〕
「恐いね。死ぬのは、殺されるのは、本当に恐いよ。おれは人を殺した経験があるから、人が死ぬのは、どんなに痛くて苦しいもんか知っているからね。絞首台にしゃっ首をつるされるとき、痛かないなんて言うけどね、誰も生きかえった者がいねえんだから真相はわかりゃしねえさ。痛いのは、いやだね、恐いね」〔略〕
先生、死刑の判決を下したら、すぐさま刑の執行をすべきなんだよ。それが一番人道的なんだよ。ところが、日本じゃ、死刑確定者を、だらだら生かしといて、ある日、法務大臣の命令で突然処刑するとくるんだろう。法務大臣はどんなにえらいか知らねえが人間じゃないか。たった一人の人間の決定で、ひとりの人間が殺されるのはおかしい。残虐じゃないか。とくによ、殺される者が犯罪のことなんか忘れた頃に、バタンコをやる。まるで理由のない殺人じゃねえか」 ※傍点省略

149)問題は、このような嘘を、嘘をついた本人がいつのまにか本当のことと信じてしまうことである。嘘か真かの区別が、本人にも曖昧になってしまうような現象を精神医学では空想虚言(Pseudologia phantastica)とか空話症(mythomania)とよぶ。空想虚言者または空話症者は、人をだます詐欺師であるとともに、自分もだまされる空想家であって、彼の行為には金銭を欺しとる詐欺犯罪と他愛のないいたずらとが混合している。

217) 無期囚たちがおちいっていたのは、長いあいだ刑務所にいた人に、おしなべてみられる“刑務所ぼけ”(prisonization)といわれる状態であった。刑務所ぼけは、感情の麻痺と退行の二つにわけて考察しうる。囚人たちは、厳格で単調な刑務所での生活になれきり、人間としての自由な精神の動きを失ってしまう。この外部と隔絶した施設内では、いつも同じ人間、同じ場所、同じ規則の反復にかこまれているから、囚人たちの感情の起伏はせまく、何ごとに対しても無感動になる。ふつうの人間であったら耐えられぬような単調な生活に彼らが飽きないのは、実はこの感情麻痺があるからだといえる。

221) 未来につらなる刑務所の生活は、来る日も来る日も寸分たがわぬ、単調なくりかえしにすぎない。そこでは一切の自由は失われた灰色の時間が、ゆっくりと流れるだけである。人間らしい自由を望んだり、自発性をもって行動すること、まして創造的な生活をおくることは許されない。もっとも楽なのは、刑務所のうすめられた時間を受けいれ、それに飽きないように自分自身を変えていくことである。彼らがおちいっている刑務所ぼけの状態こそ、うすめられた時間への適応を示すものである。 ▶︎ 適応的(順応的)選好形成

223-4)二種類の時間恐怖ノイローゼ〔略〕ひとつは時間の喪失をおそれる恐怖症患者である。日々の仕事があまりにも多すぎ、過去も未来も現在に迫りかかっているように感じられ、閉ざされた時間に追いまわされている人である。これは、せまい空間に閉じこめられるのをおそれている閉所恐怖に似ていて、“時間の閉所恐怖”である。この反対に、無意味に続く時間や、暇な時をおそれ、いつも時間がすきすきでいるように感じられ、何とかそこから逃げだしたいと思っている人がいる。怠惰に日々を送りながら、ちょっとした気晴しで、急に生きいきとしたり、退屈のあまり何かに熱中しようとしたりする。これは“時間の広場恐怖”とも言うべき状態である。死刑囚と無期囚の時間が、これら二種類の時間恐怖に似ていることは明らかである。

229) 死刑囚を描いた小説『宣告』(新潮社刊、一九七九年)を書きおえてから、あのような仮構の形ではなくて、現在の日本で、死刑囚がどのような生活をおくっているかという事実を報告しておく義務をおぼえた。私が見たありのままの死刑囚たちをドキュメントとして報告し、人びとに知ってもらうことは、死刑の問題を考える資料としても役立つだろうと思った。さらに『宣告』に対して事実に密着しすぎ、実在の人物をなぞったという評価が一部にあったことへの反論として、あえて私の経験した事実とはこのようなものであったと示したくも思った。 ※「7版あとがき」

230-1)私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は廃止すべきだということである。〔略〕
 死刑が残虐な刑罰ではないという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。〔略〕
 しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。

232) 死刑存置論者のもう一つの大きな主張は、死刑のもつ威嚇力を重くみることになる。死刑の廃止は、殺人犯への威嚇力をなくして、殺人が野放図におきるようになるだろうという。しかし、この論旨は、どれだけ実際の殺人犯の調査にもとづいておこなわれているのだろうか。私は百四十五名の殺人犯について、犯行前あるいは犯行中に、自分の殺人が死刑となると考えたかどうかを質問してみた。犯行前に死刑を念頭に浮べた者はただの一人もいなかった。犯行中に四名が、死刑のことを思った。殺人行為による興奮がさめたあとでは二十九名が、自分の犯罪が死刑になると思った。つまり、死刑には威嚇力がほとんどなく、逃走を助長しただけだったのである。殺人の防止には、刑罰を重くするだけでは駄目なことは、私が多くの殺人犯に会ってみた結果、知りえた事実である。

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by no828 | 2017-07-31 17:42 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 26日

危険なのはあくまで軽率な思いこみや先入見なのであって、意見そのものではない——森本哲郎『「私」のいる文章』

 森本哲郎『「私」のいる文章』新潮社(新潮文庫)、1988年。65(1063)

 版元ウェブサイトなし|単行本は1979年にダイヤモンド社

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 27年間、新聞記者として「私」のいない——「私」を抑制した——客観的文章を書き続けた著者は、それに我慢できなくなりました。しかし、「私」を全面展開できる文章を書こうとした途端、その難しさに直面します。

 引用にもある「思ったとおりに書け」という作文指導は何も指導していないに等しいでしょう。わたしもそうした指導を受けました。困惑したことを記憶しています。

16)ぼくのいう「私」のいる文章というのは、〔略〕「私は……と思う」という形の文章、すなわち「私」が考えたり、感じたりしたことをつづった文章のことであって、その考えや感情がどれほど自分にとって明晰であり、どれほどそれを明晰に叙述しえたと思っても、あいまいさを拭い去ることはできないのだ。

17) 文章を書くという作業は、何かについて書くことである。「私」のいる文章とは、「私」について書くことだ。そこでぼくは、新聞記者の習性によって、まず「私」を取材しようと思った。自分を取材して書けばいいと思った。ところが自分自身を取材するのは、たとえば殺人事件について、あるいは火事について、あるいはだれか自分以外の人物について取材することよりも、はるかにむずかしいということに気がついたのだ。

18-9) ぼくは小学生のころ、作文の時間に先生に教わった。「思ったとおりに書け」と。なるほど、作文とは、「思ったことを書く」ことである。けれど、この教え方には問題がある。自分が何を思っているのか、それがだいたい、はっきりしていないからである。自分の思っていることが、つねに自分にはっきりしているなら世話はない。だから、「私」のいる文章を書くためにいちばんかんじんなことは、何を、いつ、どこで、どのように思うのか、ということなのである。いや、それだけでは足りない。さらに、なぜ、そう思うのか、を加えねばなるまい。 ※傍点省略

27)人間は生きるために環境に適応しなければならないのだが、ひとたび環境に適応してしまうと、こんどは環境にすっかり慣れてしまったということが、逆に生きるという実感を失わせてしまう。〔略〕都会というのは、人間を自然から守る装置が幾重にも張りめぐらされている場所のことである。〔略〕自然に対する抵抗感、すなわち適応への努力〔略〕がなくなれば、人間は何かべつのものをそれに代えなければならない。そうしないと、〔略〕〈退屈のあまり〉病気になったり、以上な行動をはじめたりして、あげくの果て、死んでしまいかねないからだ。都会の刺激というのは、その代替物なのである。〔略〕文化とか、人間がつくり出すさまざまな情報といったものは、人間が生きるため、抵抗するための擬似自然なのである。 ※傍点省略

41) 「取材」とは、この世の出来事を自分なりに知ろうとすることである。 ※傍点省略

54)ぼくらはこうした〔価値判断をめぐる〕議論によって、ふだん自分が抱いている価値観の根拠をあらためて反省させられる、そういう意味を持っているのである。相手に向かって自分の価値判断を説くときには、その根拠を明示しなければ相手は納得しない。「彼女はすてきだ」という場合には、そのすてきな理由を挙げなければなるまい。こうして、一見、無意味に思える第三の議論は、ぼくらに価値判断の根拠を反省させるという収穫をもたらす。そして同時に、相手の価値観についての新たな発見と認識を与えてくれる。

79) 取材とは、既成のイメージがべつの新しいイメージに生まれかわる、その道行きのことなのである。

80-1) アメリカのジャーナリスト、ジョン・ガンサー『アフリカの内幕』を書いたのち、アフリカを再訪したときのことだ。彼はアフリカのある国の青年にこう詰問された。
あなたは私たちの国にたった三日間滞在しただけで、よくまあ、われわれの国について報告が書けるものですね
 すると、ガンサーはこう答えた。
そうです。それだから書けるのです。もし私があなたの国に三日ではなく、三年間滞在していたら、私は絶対に記事は書けなかったでしょう」〔略〕
 なぜなのか?
 端的にいうと、ものを書くということは、あきらめるということだからだ。何をあきらめるのか? それ以上知ろうとすることをあきらめるのである。何かについて知ろうとすれば、きりがない。〔略〕だから、どこかであきらめなければならぬ。あきらめて、その時点で、自分なりの結論を下さなければならない。それが、ものを書く、ということなのである。 ※傍点省略

105)ガンサーは後進のジャーナリストに対して、ただひとこと、「書きとめておけ」と説いている。〔略〕その場合、どんな紙を使うにしろ、けっして紙の裏表にメモを取ってはならない、ともいっている。なぜなら、そのメモをあとで整理する場合、どうしようもなくなるからだ。そうしたメモ、数千枚の小さな紙切れを、彼はあとでテーブルの上にひろげて入念に分類する。それを一冊、また一冊とノートに貼ってゆく。

142-3)ジャーナリズムは、まさにそのような「べき」から自由であってこそ、ジャーナリズムたりうるのであり、ジャーナリストは、「ねばならぬ」から離れているからこそ、ジャーナリストたりうるのだと思う。それが言論の自由の本来の意味なのではなかろうか。〔略〕一元的な「べき」のジャーナリズムしか存在しないところに、真のジャーナリズムは成立しない、と私は考える。

146-7) 私は、ジャーナリズムとは、「偏向」の異名だと思っている。偏向していないジャーナリズムなど、ありえない。いや、偏向するからこそ、ジャーナリズムは成立するのである。理由はきわめてかんたんなことで、言論の世界に「絶対的基準」なぞ存在しえないからである。〔略〕事実は無数にある。その無数の事実のなかから、どのような事実を事実としてとり出すか、という段階で、客観的という言葉は意味を失ってしまうのである。なぜなら、その選択はすでに客観的ではありえないからだ。

161)意見というものが、事実の報道をいかにゆがめるものであるか、その例はたくさんあるだろう。だが、危険なのはあくまで軽率な思いこみや先入見なのであって、意見そのものではない。ところが、新聞人は誤った意見を避けようとするあまり、しまいには意見そのものまでを回避するような習慣を身につけてしまったように思う。

165)ジャーナリストの本質とは、たとえ彼がどのように狭い専門領域を受け持つにせよ、つねに批判者であるということである。批判者であることによって、彼は特殊な専門分野を、一般の言論の広場へと解放する。批判者であることによって、彼は取材を担当する個別の分野に普遍の問題を発見する。現代における新聞記者は、現代への質問者なのだ。 ※傍点省略

189)新聞が世論を導くような、また、人びとが新聞の社説をよりどころとするような、さらにいうなら、人びとが新聞にあまりに多くを期待し、そして、新聞がやたらに権威や力を持つような、そういう社会は、まだまだ未成熟な社会だと、ぼくは思う。 ※傍点省略

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by no828 | 2017-07-26 14:46 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 24日

教育も防衛も、憲法、外交の問題も、すべては「子どものため」に進められている。そんな押しつけがましさを感じないか——鈴木邦男『失敗の愛国心』

 鈴木邦男『失敗の愛国心』理論社、2008年。64(1062)

 版元サイトなし|著者ウェブサイト
 

 右翼活動家であった著者の来歴。三島由紀夫とともに自決した森田必勝への疚しさ、というのが著者の再起の原点のようです。著者のご尊父の主張には共感するところがありました。自分の欲求や勝手な使命感を充たすための行為は、自腹を切って、手弁当でやれ、ということなのだと思います。研究もまた、社会的な必要などさまざまに作文することはできますが、そのそもそもの発端というのはそうした行為に含まれるでしょう。

 闘いは言論で、というのが著者の姿勢です。

22) 社会とのつながりがないのだから、自分が住んでいるところ以外の子どもたちのことは何も知らない。ほかの地方では猛勉強してる子どもがいたかもしれない。事故で死んだ子ども、自殺した子どももいたかもしれない。しかし、知らなかった。「情報」がないのだ。情報がないというのは、「事実」がないのと同じだ。「社会」や「日本全体」の問題からは隔離されていたのだ。
 だからといって不満には感じなかった。それが当然だと思っていた。「くらべるもの」がない。「情報」がないのだから、ほかをうらやんだりすることもなかった。

23)「日本の将来はきみたちにかかっている」などと言う。極端な話、教育も防衛も、憲法、外交の問題も、すべては「子どものため」に進められている。そんな押しつけがましさを感じないか。〔略〕「子どもたちのために強い安全な日本にしなくては」。「そのためには強い軍隊を持ち、核武装をすべきだ」と言う人もいる。子どもはダシに使われている。

38) 敗戦直後は、共産党はアメリカ占領軍を「解放軍」と呼んだと言ったけれども、しかし、アメリカは、彼らの指導による「民主化」の行き過ぎを心配した。社共が大きくなり、革命をやられては大変だからだ。さらに日本のこの社共は中国・ソ連と地理的にも、考え方としても近いことを不安に思った。日本が「ソ連圏」に入ったら、アメリカの大きな脅威になる、と考えたわけだ。それで、社共を弾圧し始めた。必然的に、社共は「反米」になる。

78-80) 十七歳〔=山口二矢〕の殺人に共感はしていない。ショックとともに嫌悪感をおぼえた。ただ、「なぜ?」と思った。なぜ同じ年の人間がそこまで考えられるのか。そして、自分の生命を捨てられるのか。確信を持って殺人ができるのか。
 また、こうも思った。国を愛するということは、最後は殺人に結びつくのか……と。「愛」がどうして、憎しみを持った「殺人」にストレートに結びつくのだろう。〔略〕不思議だった。

86)「〔君が代を〕歌わせるべきだと言ってる大人は、自分は歌ってない。そんなことを主張する新聞社、雑誌社でまずやるべきなのに、やってない。大人はやらないくせに、子どもにだけ強制しているのだ。おかしな話だ。

96) 僕にとっての疑問は「宗教と暴力」だったし、「愛国心と死」だった。愛や平和を説くはずの宗教が暴力を認める。国を愛するが故に人を殺す。国を愛するが故に自殺する。死ぬことが愛することなのか。

126)右翼、左翼という前に僕は「大学生」だった。いまと違い、大学に行く人は二割から三割だったろう。恵まれている。だからこそ、恵まれていることに「やましさ」を持ち、運動に入ったのかもしれない。〔略〕
 だから、学生の時だけの右翼、左翼だった。卒業したら九割以上の者が運動をやめる。

136-8)声をかけた「先輩」の僕らは運動の世界から足を洗い、企業に勤めている。声をかけられた「後輩」の森田氏〔=森田必勝。三島由紀夫とともに自決〕はずっと運動を続けていた。そして彼が考えるところの「国」のために死んだ。申しわけない、と思った。うしろめたさを感じた。その気持ちがふたたび僕を運動に戻らせることになった。
「やましさ」を持つ人間たちが集まるようになった。〔略〕といって、仕事を捨てて、すぐ運動に戻ろうとは思わない。ましてや三島、森田氏のあとに続いて「決起」しようとか、「自決」しようとも思わない。悶々としていた。ただ酒を飲むだけでなく、集まりを少しは実のあるものにしようと誰かが言った。〔略〕仮に「マスコミ研究会」という名にして、定期的に集まって、時局的な話をした。学生時代の情熱が少しずつ戻ってきた。
「毎月第一水曜日に集まるようにしよう」と阿部勉氏(「楯の会」一期生)が言い出し、「一水会」と名づけた。楯の会、全国学協、日学同などの出身者の混成部隊だった。かつての葛藤や対立はとうに超えていた。

151) しかも〔重信房子の〕父親〔戦前の右翼活動家。血盟団事件のメンバー〕は、「娘は右翼ですよ」と言っていた。日本赤軍は左翼、それも極左だと思われている。それなのに父親は「右翼」と言っていた。これは、ほめ言葉なんだろう。戦前の右翼は社会悪に対して闘い、この日本を正そうとして命をかけた。正義の闘いだ。そう思っていた。同じことを娘たちがやっている。それで「右翼」だと言ったのだ。

180-2) 「正義は不遜だ
 右翼も左翼も、そして宗教もそうだろうが、「運動」をする人たちは、自分たちが「正義」だと思っている。この世の中をよくする「解決策」を発見し、自分たちだけがそれを持っていると思っている。だから、多くの人にそれを知らせなくてはならないと思う。この運動はその人たちのためにやっている。それなのにみなは気づかない。だから、少々荒っぽい手段を使っても、気づかせようとする。
 考えてみたら奇妙な話だ。二十歳前後の学生が、これこそ究極の真理だ、正義だ、これさえあれば世界を救えると思う。そんな正義を知ったから多くの人にすすめなくてはと思う。不遜な話だろう。でも当時はそうは思わなかった。
 正義を知った。自分は正義だ。その「正義の原液」を持っている。それを多くの人々に分けてやる。そうしたら世界はよくなる。すばらしい世界になる。そう信じて疑わなかったんだ。

183) 「生長の家」の熱心な信者だった母は〔筆者が「生長の家」本部に入ることに〕賛成した。しかし父は反対した。父は「生長の家」の信者ではなかったが、理解はあった。好意を持った傍観者だったと思う。珍しく父が宗教論をした。ほかの人々のために運動をすることを「愛行」と呼ぶが、「愛行は自分の金でやるべきだ」と言う。自分で働いて、そのお金でやるべきだ。職員になって本部からお金をもらい、あるいは他人から寄付をもらってやるべきじゃない、と。

191)「人生の受け身」を教えたらいい。失敗した時、どうするか。死のうと思い絶望した時、どうするか。どう「受け身」をとるかだ。また、「謝り方」も教えたらいい。人間はみな、間違うのだ。その時、素直に謝れるかどうか。「ごめんなさい」と「ありがとうございます」。この二つさえキチンと言えれば、人生は渡れる。極端かもしれないが、そう思う。〔略〕人生の「受け身」については、〔略〕自分を別の角度から見ることだ。客観的に、突き放して見る。これしかない。そして、「そのうち笑い話になるさ」「そのうち『失敗してよかった』と思えるさ」と信じることだ。「そのうち」よくなる。「そのうち」を信じる力だ。

201) さらに江戸時代は、国家としての軍備はなかったのだ。藩には兵隊がいたが、国家を守る軍隊はない。ずっと、「非武装中立」の国だったのだ。

228-9) 「だから、ほかの出版社に鈴木さんをとられる前に、と思ってお願いに来たのです」〔略〕
 いくつになっても、人に「認められる」ことは嬉しい。そういう言葉をかけることのできる人は文句なしに偉い。すばらしい。僕なんてまったくできなかった。日本を救うため、人々を救うためにと思い、愛国運動を四十年間もやってきた。しかし、実際には一人の人も救ってない。一人の人も励ましていない。それどころか、まわりの人に迷惑をかけ続けてきた。 ※おわりに

233)「何がいちばんいやですか?」
 本を読んでる時に邪魔されること。電車の中、喫茶店、駅のベンチ、公園……。静かに本を読みたいのに、みな、僕の邪魔をする。日本中、「私語禁止」にしてほしい。せめて喫茶店、食堂、電車だけでも、静かに読書できる「国立喫茶」をつくるべきだ。国がやらないのなら、「よりみちパン!セ」でつくってほしい。

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by no828 | 2017-07-24 17:27 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 05日

英国のレフトというのは、そもそも金がなくともそれなりに幸福になれる社会を作ろうとした人々だった筈だ——ブレイディみかこ『ザ・レフト』

 ブレイディみかこ『ザ・レフト——UK左翼セレブ列伝』Pヴァイン、2014年。63(1061)


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 英国の映画監督や俳優や歌手たちの「左翼」的な考え方・姿勢を解説しています。つまりは何を大事にするか、ということなのだと思います。著者は、右翼や左翼というのは「物を考えるときの姿勢」とも言っています。日本には本書に示されたようにして思想を訴える著名人——という括り方もどうかと思いつつ——はいるのか、いないならそれはなぜなのか。言葉を受け取る側の姿勢も問われているように思います。

 ケン・ローチの映画を観てみます。

15) 「社会には下層の人間を引き上げるシステムが必要だ」という思想に彼〔ケン・ローチ〕が拘り続けているのは、彼自身が、今よりも階級間の流動性がなかった筈の時代に、オックスフォードまで進むことができたワーキング・クラス・ボーイだったからだろう。チャンスをくれた制度があったから、それを利用して彼はチャンスを掴んだ。が、しかし、そうしたチャンスが、現代の貧しい子供たちや若者には与えられているだろうか。という疑問が彼の映画の中では繰り返し問われる。 ※ケン・ローチ

17-8) 「ポリティクスと映画は切り離せない。どんなストーリーを選んだのか、というチョイスの裏側には必ず作り手の思想やスタンスがあるからだ。ポリティカルな理念やその衝突、そしてリアルな人々の暮らしをリプレゼントすること。それは映像ドラマの重要な役割だ。多くの人々に伝達できる媒体を用いながらそうした問題に取り組まないのは、僕にはどこか無責任に思える」 ※ケン・ローチ

21) 「犯罪とは、若者たちを貧困や疎外された状況に追い込む政治を支持することだ」 ※ケン・ローチ

26) 「この国を見渡して欲しい。大都市から田舎まで、無数の運動や組織が存在している。国立病院を守るため、ホームレスを支援しシェルターを提供するため、難民を支援するため、避難場所を必要とする女性たちを助けるため、障碍者をサポートするための運動が国中に増殖している。これらのすべてが、現在の制度が機能していないことを認識した人々によって運営されているものだ。そのエネルギーを活かし、全ての人々が一緒に働ける方法が存在すれば、『共有』のスピリットに基づく新たな社会のヴィジョンを作ることができる」 ※ケン・ローチ

50)彼〔ローワン・アトキンソン〕は、1986年公共秩序法(Public Order Act 1986)セクション5の施行を強化するどころか、法自体を改正しろと訴えた。同法の「言葉による脅迫や暴行、侮辱」から「侮辱」を取り除くべきだと主張し
僕たちは互いに侮辱し合うことを許されるべきだ
と宣言した。アトキンソンは、
「侮辱を非合法にすることの明確な問題点は、あまりにも多くのことを侮辱と解釈することが可能だということだ。批判、茶化すこと、風刺、オーソドックスな考え方とは違う見解を示すこと、その全てが侮辱として解釈されかねない」
と言った。 ※ローワン・アトキンソン

51) 「人種によって人間を批判するのは非理性的だし、ばかげている。だが、彼らの宗教を批判することは正しい。それは自由だ。例えそれがある人々によって本気で信じられていることであろうと、ある理念を批判するのは、それがどんな理念であろうと自由であり、それが自由社会の基本である」 ※ローワン・アトキンソン

60) 『裸の王様』にしろ、素っ裸で歩いている王様に追従してパレードしている家来たちや、「王様、素敵ねえ」などと言いながら見ている民衆はフランス国民議会的に言えば右側の人たちで、「王様は裸だ」と素朴な感想を述べた子供は左側の人である。しかし、その声をきっかけに民衆が「王様は裸! 王様は裸!」と騒ぎ始めてだーっとパレードにカウンターをかけ始めると、「ちょっと待てよ」とひとり群衆から離れてあの太い眉を吊り上げ、丸い目をぐるぐるさせて次の対抗言論を考えている。ローワン・アトキンソンにはそういうところがある。 ※ローワン・アトキンソン

70) 「これは俺たちの子供や孫の将来に関わる話だ。ある日、孫から『お爺ちゃん、なんであの時に何もしなかったの?』と尋ねられることを想像して欲しい。俺は何もしないわけにはいかなかった」 ※ベズ

70) 「フリー・フード、フリー・ウォーター、フリー・エネルギー、フリー・トランスポート。国民が生きるにあたって最低限必要なものは全て無料にすべきだ」※ベズ

75)サッチャー自身が、党派の枠を超えて「一番出来のいい私の息子」と呼んだブレアである。彼が、「エデュケーション、エデュケーション、エデュケーション」と叫んで英国の底辺層の子供たち(&大人たち)の教育の重要性を訴えた時、彼の頭にあったのは「アンダークラスを抜け出し、キャピタリズムに参加できる子供」を製造することだった。
 が、英国のレフトというのは、そもそも金がなくともそれなりに幸福になれる社会を作ろうとした人々だった筈だ。
 ※ベズ

87) 「核兵器(反対の立場)、宗教(無宗教の立場)、死刑(反対の立場)、AIDS(資金集め)に関して、僕がこれと言った運動を行っていないのは、のべつ幕無しに叫び回って自分にとって最も切実な問題を訴える時にインパクトが弱くなったら困ると思うからだ。そしてその問題とは、世界中の同性愛者たちの法的および社会的な権利の擁護だ」 ※イアン・マッケラン

129-30) 実際、当時のジャズ界で黒人が成功するためには、見ている者を息苦しくさせるほどの意気込みが必要だったのかもしれない。トラッド・ジャズの時代から、英国のジャズ界は「黒人音楽を演奏することを自らの左翼的政治スタンスの表現とする」リベラルな白人たちの世界だった。そしてこのリベラルな世界には、皮肉なことに「本物の黒人」の居場所がなかったのである。 ※コートニー・パイン

131-2)コートニー・パインという人が真にブリリアントであったのは、白人以上に上手い黒人ジャズマンとして世に受け入れられ、一世を風靡するようになっても、決してブラックとしての自分のルーツや、コミュニティ・スピリットを忘れなかったことだ。コートニーの目標は「自分がスターになる」というような限定的なことではなく、UKのジャズ界に黒人を進出させるという広がりを持っていた。だから華やかな営業用の顔の裏で、自分が住んでいるロンドンのコミュニティーでの草の根のジャズ普及活動も同時に行っていたのである。 ※コートニー・パイン

***) わたしもコートニー・パインのように、ローカル・コミュニティーの人々に熱心に何かを教えている人を知っている。その人は、様々な事情で学校に通えなかったり、学校は卒業したんだけど一貫して教師たちに見捨てられていた大人たちを対象に、足し算や引き算、定規の目盛りの読み方などを無償で教えている大学の先生だ。「左翼」というのは、反戦、反核、反格差などのデモに参加して叫ぶ人たちのことだけではない。「左」が社会的公正を求める人々であるならば、彼らはしぜん下方に落ちている人々を引き上げたくなるだろう。「左」が個人の資産を軽んじ、冨〔ママ〕の再分配を重んずる人々であるなら、彼らは自分が所有する知識を個人の資産とせず、それを持たない他者と分け合うだろう。英国にはそうしたことを地べたでやっている「左」さんたちがけっこういることをわたしは知っている。彼らは大声で自分の主義主張を叫ぶことはしないが、地方のコミュニティーの中で自分ができることを黙々とやっている。彼らはサッチャー以降のキャピタリズムの大行進にも飲み込まれなかった奇特な人たちなのかもしれないし、サッチャー以降の時代があったからこそ生まれた反骨の人たちなのかもしれない。 ※コートニー・パイン

138) 「若い頃には、ジャズは最高の音楽だから、演奏する時にはリスペクトの気持ちを込めてスーツを着ていた。だが、今はそう思わない。最高の音楽だからこそ、毎日自分が着ている服を着て演奏する」 ※コートニー・パイン

146-7) 左翼。という言葉は「なんでもかんでも平等にしたい奴ら」とか「ドリーマーの思想」とか言われがちだ。確かに「Nothing is fair in this world」という英語圏の人々がよく口にする言葉の通り世の中はフェアではないし、リアリスティックに言えば人間は平等にはなり得ない。しかし、なぜにそういう蜃気楼のようなコンセプトを人が追うのかと言えば、それは人が金や飯と言った目に見えるものだけのために生き始めるとろくなことにならないからだ。たとえ無理でもメタフィジカルなものを志向する姿勢だけは取っていかないと、人間は狂う。
 キャピタリズムを形而下の事象(金、数字)に拘泥する思想だとすれば、人の平等や弱者救済を提唱する思想(弱肉強食を否定する考え方)は、形而上の事象を重んじる世界とも言える。
政治というのはどうしても商人の世界に傾きがちだ。それもその筈で、政府というのは正しい投資分野を決断して国を効率的に回すという、まさに究極のビジネス運営というか、国という企業の運営だからである。
 しかし、景気だの経済だのといった利益ばかりを追及する国家運営には限界がある。なぜなら、国というのは生身の人間の集まりであり、人間は形而下の事柄だけでは生きられないからだ。物質的なものを超えたところで、何がしかの大義や行動の理由づけがなければ不安になるし、やる気もでない。 ※ダニー・ボイル

151) 五輪の翌年、英国のタモリや明石家さんまのような存在であるジョナサン・ロスの番組に出演したダニー・ボイルは開会式のことに言及され、「あなたは社会主義者ですか?」と単刀直入に聞かれたが、ボイルは「そうは思わない。僕のような(経済的に成功した)立場にある人間が、そうだとは言えない」と答えている。 ※ダニー・ボイル

152-3) Less is more.
 という言葉があるが、ダニー・ボイルを見るとき、その言葉が浮かぶ。ベラベラと主義主張をメディアでディベートするだけがポリティカルな著名人のすることではない。論客。とかにならない人だからこそ、人々は彼の作品を学び、そこに織り込まれたものを解読しようとする。そしてある思想のもとに練り込まれた「作品」は、売り言葉に買い言葉の「ディベート言葉」よりもディープなインパクトを人々の心に残すことがある。彼はけっして寡黙な人ではない。映画や芸術の話になるとひたすら喋りまくっている。だが、ことポリティカルな信条となるとなぜか沈黙する。それは、ビジネス上の影響を考えてのことかもしれないが、ひょっとすると、そのことが彼にとって一番大事なことだからなのかもしれない。 ※ダニー・ボイル

169-70) 「何度も言うが社会主義にもいろいろある。俺が信じている考え方では、社会で最も重要とされるべき側面は、俺たちはインディヴィジュアルだということである。しかしながら、進歩的な税金制度を資金として社会という集団が個人に最低限必要なものを提供しなければ、個人はそれぞれのポテンシャルをフルに発揮することはできないだろう。無料の医療制度や無料の教育、手頃な適当な住宅、しっかりとした年金制度がなければ、インディヴィジュアリティーを発揮できるのはリッチでパワフルな人間だけになって、残りは彼らから搾取されることになる」 ※ビリー・ブラッグ

195) 「新しい王立劇場とか、政府主催のアート・プロジェクトとか、新たな才能発掘コンテストとか、そういったことに国の金を使うな。そんな金があったら、一つでも多く公営住宅や病院を建てるべきだ。低賃金で毎日働いている労働者がちゃんと暮らせる世の中になってからアートのことは考えろ」 ※ジュリー・バーチル

217) レフトとライトというのは、特定の考え方や理念ではなくて、物を考えるときの姿勢のことではないかな。そしてひいては、人としてどういう風に生きたいか。ということなんじゃないかなと。
 ポリティクスでこの問題を持ち出すと「アホか」と言われる時代になって久しい。「国としてどう行きたいか」や「組織としてどう儲けたいか」はちっとも「アホか」にはならないのに、「人としてどう生きたいか」だけが長いあいだアホにされてきた。個人主義というわりには、そっちのほうの個人的命題はずっとなおざりにされてきたから、ガタガタといろいろなことが世界中で起きているのかなと思ったりしている2014年の秋だ。 ※あとがき


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by no828 | 2017-07-05 20:15 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 04日

何かを断定するのには覚悟が必要で、その覚悟を持たないで軽々しく物事を決めつけている人が多いんじゃないかな——伊坂幸太郎『3652』

 伊坂幸太郎『3652——伊坂幸太郎エッセイ集』新潮社、2010年。62(1060)

 ※タイトルの「3652」は「さん・ろく・ご・に」|http://www.shinchosha.co.jp/book/459605/

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 2000年から2010年までに著者が書いたエッセイをまとめたもの。エッセイが得意ではない、小説家は小説を書くのが仕事だし、自分の日常は平凡で書き留めるべき事柄にあふれているわけではないし——と、「あとがき」に書かれています。

31) 『A2』(森達也・安岡卓治著・現代書館)を読み終える。オウム信者を追ったドユメンタリー映画「A」の続編「A2」。その撮影内容やエピソードが書かれている。とても面白い。オウム信者と住民との対立がクローズアップされていて、もちろんそれはそれで興味深いのだけど、もっと普遍的なことを教えてもらった気分になる。正義感や、押しつけがましい問題提起とは無関係だ。「何かを断定するのには覚悟が必要で、その覚悟を持たないで軽々しく物事を決めつけている人が多いんじゃないかな」そう言われている気持ちになった。

35) 専門用語というものが苦手だ、という人がいます。僕がそうです。自分の知らない言葉を、平然と使われてしまうと、爪弾きにあったような気分になりますし、理由もなく劣等感すら覚えてしまうのです。みんなが知っている言葉を使ってくれればいいのに、と思ったりするのですが、よく考えてみると、この「みんな」が曲者なのかもしれません。

42)「狩猟民の世界では動物と人間の関係は食うか食われるかであり、それが農耕文化になると、人間は動物を殺して食ってもいいが、動物は人間を殺してはいけないという関係を作り出した」 ※重引

117) 結局、「魔王」も「呼吸」も政治に関係するお話になりました。
 社会や政治に関心を持たず、距離を置き、自分の周辺だけが愉快であればそれでいい、という人々や、そういった感覚の小説に違和感を覚える僕としては(僕自身の作風が、そうだと認識されているのは覚悟した上で)、政治に接続したお話を書いたことは納得できる作業でした。

122) 正直なところ僕は、「少年には未来があるから、罰を与えることよりも、矯正を考えるべきなのだ」という考え方にはどうも違和感があって、むしろ、「少年だって大人と一緒に厳しく罰しないと駄目なんじゃないの」と考えるタイプなのですが、ただ、家裁の調査官の本を読んだり、M君の話を聞いていると、「正解なんて、ないのかもしれないなあ」と感じるところもあり、「答えが出ないものは、小説にするべきなんだ」と常々、思っている僕としては、そこで、調査官の話を書くことに決めたのでした。

124) 表面的な事実だけを見て、「理解できない」物には蓋をしてしまい、「若者は異常になってきている」と決め付けるのは、このカミュの時代から現在まで、変わっていないということかもしれません。

186) 「そうです、ネズミの話です。船が沈みそうなとき、ネズミは事前にそれを察知して、逃げ出すというじゃないですか。作家はそれと同じで、事前に世の中の危険を察知して、警鐘を鳴らす役割なんですよ
作家は逃げ足が速い、という話ですか
「違います」と記者は即座に言った。「作家はネズミのように危険を察知して、しかも、船からは逃げず踏ん張るべきなんです

@研究室

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by no828 | 2017-07-04 18:31 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 02日

無自覚な悪が跋扈するこの世界に、善であろう、正しくあろうとする者が生きてゆく意味はあるか——宮部みゆき『ソロモンの偽証』

 宮部みゆき『ソロモンの偽証』新潮社(新潮文庫)、2014年。61(1059) 

 単行本は2012年に同社

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 ひとりの生徒の死の真相を生徒たち自身で明らかにするために学校内裁判を開く、という物語。個々の生徒がどういう生徒なのかということに加え、学校のなかの友人関係の機微や生徒の家庭環境の複雑さの描写が物語に厚みをもたらしています。自分の中学時代を対比させながら、教師の立場を想像しながら、学校とは何なのかを考えながら、読みました。

 ※引用冒頭の数字は「巻・ページ数)」

1・38)本人が勉強したいってんならいざ知らず、学校なんざ行かなくてもこいつらには生計の道があるんだから、嫌がるもんを無理に机に縛りつけることはねえ、そうだろ、先生?
 実はこの考え方は、自営業者や町工場の多いこの下町では、それほど珍妙なものではない。倅や娘が家業を継いでくれることを望む親は、よほど飛び抜けた能力があるならばともかく、ごく普通のデキである自分の子供が、東大に行って官僚になろうかというような子供と同じだけの学力と勉強の量を要求される今の学校システムに、ほとんど本能的な嫌悪感を抱いている。

1・41) 健一にはいろいろな可能性があると、向坂の小母さんは言った。だけど本当にそうだろうか? 自分には可能性なんかあるんだろうか? ただ家業がない、親から引き継ぐ店や職業がないだけではなくて、可能性もないのじゃないのか。

1・92) 涼子の目は乾いていた。級友の死にショックは受けたけれど、涙は出なかった。泣かないあたしは心が冷たいのだろうかと、心の隅で考えた。そもそも、柏木卓也の死を悼むよりも、そんな自分の心の動きの方を気にしてしまうというのは、冷血人間の印だろうか。

1・97) 人が死ぬということへの不満?
 それは、とても抽象的なもの。
 柏木卓也とは、その程度の距離感だった。そして涼子は、多感な年頃らしい一時的な強い感傷に浸るよりも、その感傷の生まれ出る原因を冷静に見極める理性の方を優先する少女に育っているのだった

1・123) “死”には衝撃を受けた。それが身近で、ましてや学校内で起こったことには。でも、それは、柏木卓也という級友が死んだからじゃない。だいたい“級友”って何だろう? ただクラスが同じだったというだけでは、友達とは呼べないんじゃないのか。

1・361-2) 「非行少年たちって、何かとても大きな事件を起こしてしまったり、関わってしまったときに、大人のようには、それを隠しておけないことが多いんです。罪の意識に苛まれて、という場合もありますし、その逆で、自分のやったことを吹聴したいという誘惑に勝てない、ということもあります。あるいは、自分のやったことを正当化して、それを誰かに追認してもらいたいという気持ちもあるみたいに思えるんです。一人で抱えていられないんですね。心の容量が、大人より少ないと言えばいいでしょうか。だから、どんな関わり方であれ、彼らが柏木君の死にタッチするところがあったなら、どうやったってそれが表情や態度に出てきたと思うんです。繰り返しますが、それで心を傷めているのではなく、それを“手柄”に——俺って凄いことやっちゃったぜ、と思っている場合だとしても、ですよ」

1・429-30) 幼さは、若さは、すべて同じ弱点を持っている。待てないという弱点を。事を起こせば、すぐに結果を見たがる。人生とは要するに待つことの連続なのだという教訓は、平均寿命の半分以上を生きてみなければ体感できないものなのだ。そして、うんざりすることではあるけれど、その教訓は真実なのだと悟るには、たぶん、残りの人生すべてを費やすまでかかるのだ。 ※傍点省略

2・16) 自己中心的だということは共通しているが、この年頃の子供はみんなそうだ。そうでなかったらかえっておかしいくらいだ。十代前半から半ばまでの年頃は、徹底して自己チュウであって、自己チュウであることを隠すだけの用心深さと狡さを持ってはいない。だからこそ、手痛い経験を積んで自己チュウの限界を知り、社会と折り合いをつける方法を学んでゆくことのできる時期なのである。
 ただ問題は、世界の中心にいる自分自身の、そのまた中心にあるものが何か、ということだろうと、礼子は思う。

2・344) 誰か一人の言うこと、やることに振り回されてはいけない。一度学んだはずのそのことを、松子はすっかり忘れていた。どうしてなのか自分でも不思議だ。樹理のやろうとしていることは正しいのだから、疑う余地なんかないと思い込んでしまっていたのか。
 本当に正しいのかどうか、問い返してみることを忘れていた。

2・350) 彼には——そう、「知性」があった。中学生にはまだ分不相応かもしれないその言葉でしか表現できない。それが柏木卓也の芯にはあった。

2・439) 章子はあははと笑い、顔から暗い陰りが消えた。「涼ちゃんは大丈夫よ。とりあえず、今の成績で行けるかぎりのいい学校へ行きなよ。いいところへ行っておけば、大学の選択肢も増えるんだもの
「いい加減だよねぇ」

3・221) 「誰々がそう思ってるとか、推測してるとか、そのように思うのが妥当だとか、それは“事実”じゃないだろ? おまえは“知ってる”んじゃない。“そう思ってる”だけだ。たとえそう推測してるのが先生たちだって、推測はあくまで推測だよな?」

3・223) 「それで負けるんなら、いいんじゃねえの。こっちが負けることで真実にたどりつくってのも、アリでしょ
 藤野涼子は、佐々木吾郎を小さく見積もりすぎていた。吾郎はただ如才ない、付き合いがいいだけの男子じゃなかった。
 負けることで真実にたどりつくこともできる。そうだ、吾郎の言うとおりだ。あたしが求めているのは真実なのだ。勝ち負けじゃない。

3・322-3) 「死んでからわかったって」
「え?」
「浅井さんていう女子が、いい子だったってこと。今、そう言ったよね」
 何となく気圧されて、健一は返事ができなかった。
死んじゃってから、まわりの人間が何をわかったって、意味ないよ。そう思わない?
 答えを求められている。黙ってやり過ごすことはできなさそうだった。
わからないよりは、わかった方がいいと思うけど……
まわりの自己満足のためにはね

4・79) 一美はワープロのタイピングが正確で、早い。文章のまとめも上手だ。いわゆる作文上手ではないが、聞き書きをまとめるという機能的な作業に優れている。これも普通の国語の授業では見えにくい能力だろう。 ※「早い」は「速い」?

4・288) 〈笑み〉の反対語は何だろうと、健一は考えていた。愛の反対語が憎しみではないのと同じように、これもまた〈悲しみ〉ではないような気がした。〈怒り〉でもない。健一にはわからなかった。わからないその感情が表情になって、柏木則之の顔の上に浮いている。

5・24-5) そして恵子は、能動的であれ受動的であれ大出俊次という暗い惑星から自由になったことで、自分の生活を見直し、建て直すことができるほどの自己コントロール能力を備えた少女ではない。時代が女の子たちの早熟を促し、早く大人びることに高い価値があると唆すことの大きな弊害は、人生の早い段階から異性に依存せずには自我を保つことができない女性たちが増えることだ。恵子はその典型だった。だから俊次と離れても素行不良はそのままで、ただ単に〈群れる不良〉から〈つまはじきの不良〉に変わっただけの感がある。

5・169) 「ほかにも、卓也君は学校に対する不満を述べましたか?」
「申しました。生徒の個性や個々の能力差を考えず、一律に同じことをさせ、同じ結果を求めるとか
 証人はまた法廷の雰囲気を気にしたが、そこで吹っ切ったように言葉を続けた。
先生方は頼りないとも申しました。優しい先生は、ただ人が好いだけで無能だ。一方で、教育者としての自覚も才覚もなく、自己顕示欲や他人に対する支配欲を満足させるためだけに教職に就いたような人もいる。暴力志向の強い先生もいる。学校内では生徒は弱者で、先生は圧倒的な権力者だけれども、その権力を正しく理解して、正しく使おうとしていない。自分の気分で生徒をふりまわすような先生に、どうして従わなければならないのかわからない
 一気にそれだけ言って、さらに足した。
学校という体制は社会の“必要悪”なのに、城東三中の先生方には、それがわからない。学校は神聖な場所だぐらいに思っている。単に、権力者である自分たちにとって都合のいい、住み心地のいい場所であるだけなのに、と

5・255) 「親も、どうしても上の子に我慢させて、下の子の方に甘くなっちゃうからねえ」
 我が家でもそうかなと、藤野は思う。三人姉妹の長女である涼子は、妹たちのために我慢することが多い。藤野も妻も、それを当然だと思っている。お姉ちゃんなんだから、と。
男の子は難しいわよ。女の子は口が達者だし、髪の毛引っ張り合って喧嘩するから、まだわかりやすいの
男の子は胸に溜め込むからね

5・378-9) 「現行の評価システムには反対なんです。美術史や音楽史なら、常識的な範囲で教えて、テストして評価の対象にしてもいいでしょう。でも実作となると話は別です。芸術的センスは、たとえ教育者といえども軽々に計っていいものではありません」〔略〕
成長期の子供の場合、美術や音楽に対するセンスをけなされたり、教室という公の場でマイナスの評価をされたりすることは、大きな打撃になります。そこで恥ずかしい思いをして、クサって興味を失くしてしまえば、もしかしたらその後の彼や彼女の人生を明るく彩ってくれるかもしれないものを、早い段階で切り捨ててしまうことにつながりかねないからです
 なるほど、と弁護人は合いの手を入れた。
「ですから義務教育の現場では、生徒たちに創作という行動に触れる機会を与え、自分のなかに眠っているセンスや個性を発見するきっかけを作れば、それでいいと思います。芸術とは、多くの人びとにとっては人生を豊かに楽しくするものであって、厳しい評価や教育を必要とするのは、そこから先へ進もうとするごく限られた人びと——それを生涯の仕事にしようと決心した人びとだけです

5・390-2) 「柏木君が大出君たちにあんな問いを投げたのは、言ってみれば、魔女だ異端者だと責められ迫害される者が、迫害する者たちに向かって、“何故そんなことをするのか”と問いかけたのと同じです。“それが悪であることを、あなた方は認識しているのか”と。もっと言うならば、その問いは、このように無自覚な悪が跋扈するこの世界に、善であろう、正しくあろうとする者が生きてゆく意味はあるか、生きる意義を見出せるのかという問いにも繋がります」
 井上判事は、語る証人を凝視している。
「彼はそういうことを、この学校、現代社会と教育体制のなかで、ずっと考えていたのでしょう。教師からは管理教育というひとつの物差しで測られ、選別され、生徒同士のあいだでは、容姿や身体的能力や人付き合いの上手下手でまた選り分けられ、排除されたり攻撃されたりする。そこには確かに“悪”がありますが、誰もそれを“悪”と名指ししない。誰も敢えて、“何故そんなことをするのか”と反問しない。そのことに柏木君は、いわば愛想が尽きたのです」
 もちろん、生真面目に過ぎます——と、証人は続けた。
「でも、十三、四歳でそこまで考え詰めてしまう幼い哲学者のような少年や少女は、稀にではありますが、いるのです。柏木君はその一人でした。彼の父上のおっしゃるとおりです。だから僕は、柏木君は、少なくともこの学校という世界には、彼が生きてゆく意味、存在してゆく意義は見出せないと判断して、不登校になったのだと思いました。大出君たちとの衝突は、最後の駄目押しみたいなものです」

6・317) 「僕の両親は不幸な人生の終わり方をしましたけど、いつも不幸だったわけじゃありません。父も素面のときは真面目で優しい人で、母とも仲がよかった。弱い人だったけど、悪い人ではなかったと思うんです

@F沢

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by no828 | 2017-07-02 12:15 | 人+本=体 | Comments(0)