思索の森と空の群青

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2017年 05月 23日

非定性の漂泊民として賎視されていた人びとが、気やすく出入りすることができたのは、やはり被差別部落だった——沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』

 沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』文藝春秋(文春文庫)、2004年。48(1046)

 おきうら・かずてる(1927-2015)
 単行本は2001年に同春秋|http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167679262

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 日本列島に(かつて)存在した定住と所有(私有)をその生活のあり方としない人びと=サンカに迫る民俗学。定住と所有によって人びとは個体として把握されやすくなります。堺利彦(→『パンとペン』)が1916年に『山窩の夢』という小論を発表し、サンカを好意的に論じていたことも肯けます。大文字の権力からの自由。

17)本当の実体がよく分からぬままに、事実と異なった噂だけがひとり歩きしており、今日ではもはやその姿も見えなくなった」——そういう意味を込めて「幻の……」としたのである。

22) なぜ部落の古老たちが、サンカについての思い出を今も記憶の中にとどめているのか。サンカだけではなく、うらぶれた姿の遊行者や遊芸者など、非定性の漂泊民として賎視されていた人びとが、気やすく出入りすることができたのは、やはり被差別部落だった。
 近世初頭の頃には惣村〔=自治組織〕として成立していた古い村々では、土地持ちの高持ち百姓を中心に共同体的結束が強く、見知らぬ余所者や正体のよく分からぬ「さすらい人」に対する警戒心が強かった。村境には、「乞食・遊芸民の類は立入るべからず」——そういった趣旨の制札が掲げられていたのである。
 だが、日ごろから差別されて「平民とは筋が違う」とされてきた部落では、苦労がしのばれる渡世姿の諸国を流れ歩く漂泊民が集落に入ってきても、同じ人間としてのまなざしで接する人たちがいたのである。

120) 朝廷や幕府が編纂した正史だけではなく、民間の伝承を綴った稗史にも、「サンカ」の名は見えない。〔略〕
 特定の集団の歴史を調べる場合に、最も重要な手掛りになるのは、その集団の内部で書き残された記録であり、それを補う口碑と伝承である。
 サンカは、無文字社会で生きていたから記録を残さなかったとしても、長い歴史がある集団ならば、口から口へと伝えられた口碑を残したはずだ。ところが、それもない。かつてあった物が、なにかの事情で失われたわけではない。はじめから内部資料は全く残されていないのだ。

138-9) 学界では注目されていなかった〈山人〉の歴史を解明しようと、柳田〔國男〕は南方熊楠や喜田貞吉などの碩学の意見を求め、自らも当時の人類学や民族〔ママ〕学の著作にも広く目を通していた。
 稲作農耕文化を携えてやってきた後来の民族によって征服された先住民は、彼らが築いた支配文化に同化することなく、「その一部分は我慢をして深山の底に踏み止まり野獣に近い生活を続けて、今日迄も生続してきた」のではないか、「山中を漂泊して採取を以て生を営んできた」のではないか——そのように考えていたのだった。
 このような仮説がもし成立するとするならば、〈山人〉の系譜に連なるサンカ集団は、一〇〇〇年以上の歴史があることになる。平地民の多数を占める常民の共同体から排除されながら生活を続けてきたとするならば、なんらかの仲間組織と、それを維持していくための掟があったに違いない。
 柳田は、「普通人」(=常民)がたまたま零落して流人になり、それが今日のサンカ集団の起源になったとは考えていなかった。

165) 後藤〔興善〕がサンカに接する姿勢も、上から浮浪民を憐憫の目で見下す姿勢ではなく、同じ人間として愛情をもって聞き取りをしている。その中には、サンカと呼ばれた人たちが、世に捨てられた癩者たちをやさしく仲間に迎え入れたという貴重な聞き取りも含まれている。

170-1) 二〇世紀前半に輩出した数多くの研究者の中から、近代日本を代表する人文系の学者を選ぶとなると、私は吉田東伍(一八六四〜一九一八)、南方熊楠(一八六七〜一九四一)、鳥居龍蔵(一八七〇〜一九五三)、喜田貞吉(一八七一〜一九三九)、柳田國男(一八七五〜一九六二)、折口信夫(一八八七〜一九五三)の六人を挙げる。
 この六人は、いずれもそれぞれの専門分野で学術研究のトップリーダーとなった。だがそれにとどまらず、関連領域の諸学問にも通じていて、ともすればタコツボ型になりがちな日本の学界にあって、学際的研究においても開拓者的労作を残した碩学だった。独創的な構想力と強い意志力の持主だったところも共通している。
 南方・喜田・柳田・折口の四人は、研究資料に恵まれた大学で学ぶことができた。
 だが、吉田は全く学校教育を受けず、鳥居は小学校を中途退学した。にもかかわらず、それぞれ歴史地理学と人類学において開拓者的役割を果たし、近代学問史上でも不滅の業績を残した。この二人は、独学で専門領域の頂点を究めたという点でも際立った存在である。
 特に注目されるのは、この六人の碩学は、日本の文化や産業技術の地下水脈とも呼ぶべき底辺の民衆の歴史に深い関心を寄せていたことである。

173)〔鳥居龍蔵は〕先住民として差別されていたアイヌに、「偉大なる汝の祖先」と献辞を呈したのである。
 それ以来精力的に多くの論稿を発表して、日本民族は単一民族ではなく、アジアの各地からやってきた六系統から成る複合民族であることを明らかにした。
 あまり知られていないが、鳥居は実際に被差別部落に入って調査をおこなった最初の学者だった

183) 第三は、サンカの発生はもっと新しく、幕末の危機の時代であるとする説である。有史以前からの〈山人〉の末裔説はもちろんのこと、中世や近世初頭からそのような漂泊民が全国的に散在していたという仮説は成り立たないと考える。これは今までになかった新説であるが、私はこの説である。

256-7) 私の結論を言えば、近世の後期に相次いでやってきた社会的危機の時代に、農村山民の一部が、定住生活に見切りをつけて漂泊生活に入ったとみるほかはない。もちろん、中世からの名主層や近世で村方三役を務めていた地主クラスの有力者ではなく、貧困層や賎民層の一部が、激しい社会変動の中で生活基盤を失って、余儀なく家を捨てて流浪生活に入ったのである。〔略〕一口で言えば、それは幕末期の数十年間である。

259-60) ここに出てくる帳外れの「出家」「山伏」「無宿」、すなわち、各地を「さまよいありく徒」の中から、山野河川に伏して瀬降り生活を営むサンカが生まれたのではないか——それが本稿で一貫して主張してきた私の説である。

350-1) サンカ人の生活様式を端的に表わす言葉に『一所不住、一畝不耕』なるものがある。言いかえれば「非定住、非所有」という思想である。国家の支配・締めつけを拒否し、搾取と収奪から自由になるということは、同時に被差別者としての烙印を身に受けることである。その烙印を焼きつけられてなお、所詮権力がつくったシバリに過ぎぬと歯牙にもかけず、それより価値あるもの・守り通すものとして、「自然とともに生きる漂泊人・自由人」の道を選んだ。その核となる思想が「無」なのである。ものの無いことに苦しむのではない。むしろなにも持とうとしない無なのだ。この「無」に対しては、支配・束縛の入り込む余地はない。ゆえにすべての呪縛からの解放がある。そしてただ自然とともに在る。 ※作田清

385-6) 著者のサンカ論の第一の貢献は、サンカと呼ばれた人々は、遠い古代から連綿と続く異民族ではなく、近い時代に生み出された難民だったという説明の提出にある。「難民」というカテゴリーはやや踏み込んだ私の読み込みであるが、そうパラフレーズしたとしても、著者の論旨はまったく歪まないと思う。今日の国際社会での難民のように戦乱によるものというよりは、近世の飢饉に起因する点で、むしろ「ホームレス」につながっていく要素をもつ。このような難民的存在は、定住する社会からみると同情すべき「弱者」であると同時に、差別的に取り扱われがちな存在であることはいうまでもない。
 しかしサンカは家族を生活単位としている点で、現代の都市の単身者ホームレスと大きく違う。 ※佐藤健二「解説——難民の世紀に」

392) 著者が明らかにしてくれたように、サンカとして生きることは、一つの家族全体が、家も土地も捨てざるをえない状況下においてとられた生存戦略であった。彼ら難民の生存を受容する「社会」を、われわれはどのように作りうるのか。まだ明確な解答はみえていない。戦争と国民の世紀として始まった二〇世紀が暮れ、時代は不幸にもテロリズムと難民の世紀として幕を開けた。著者が取り組んだ主題の行方は、歴史にとってだけでなく、今日の社会にとって切実な課題なのである。 佐藤健二「解説——難民の世紀に」

@研究室

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by no828 | 2017-05-23 17:50 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 05月 07日

かつて井上毅が(あるいは井上ですら)守ろうとした原則をつらぬくなら、教育の理念にかかわる条文をすべて削るか、あるいは——苅部直『鏡のなかの薄明』

 苅部直『鏡のなかの薄明』幻戯書房、2010年。47(1045)

 


 政治思想史家による書評・時評集。共感するところが多かったです。

131-2) しかし、前者〔=教育勅語〕は天皇が個人として表明した文書にすぎないが、後者〔新教育基本法〕は国家権力を通じて強制される、と指摘したら、どう感じるだろうか。とっぴな見解ととられるかもしれないが、教育勅語の起草にあたった法制官僚、井上毅の意図はそうしたものであった。
 どんなに立派な内容であっても、何らかの徳目や規範を法律で指定し、教育機関を通じて広めようとするのは、国家が人々の内面に干渉することにほかならない。それが近代の立憲主義の原則に反すると見ぬいていたがために、井上は、これを法律ではなく、個人としての君主が発する勅語として公布させたのである。〔略〕
 教育学者の市川昭午(『教育基本法を考える』教育開発研究所)や、佐藤学(『教育学年報』十号、世織書房)も指摘するように、旧基本法がすでに、道徳規範を法律で定めるという大きな問題を実は含んでいた。教育の組織だけでなく、その理念をも述べる特異な法律であり、それが戦後改革を精神面で支えたこともたしかだが、生き方の選択を個人の信条にゆだねる原則に適するかどうか、よく考えると疑わしい。〔略〕かつて井上毅が(あるいは井上ですら)守ろうとした原則をつらぬくなら、教育の理念にかかわる条文をすべて削るか、あるいは基本法そのものを廃止するのが、まっとうな改正のしかたではなかったか。

14)厚みをもった現実に鋏を入れ、この職業が多い地域、という範型へと刈り込むのは、社会科学の分析手続として当然のことではあろう。しかしこの整理を施された側は、そうして展開される議論に接すると、心のどこかが軋んでくる。 ※一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

15) 全体を貫く主張は、一九六〇年代後半に若者たちが、大学や街頭で過激な運動をくりひろげたのは、その深層においては一定の理念に基づく政治運動ではなく、「現代的不幸」の意識から発する「表現行為」〔略〕であったというものである。〔略〕心に空虚を抱え、「自分探し」〔略〕に焦る傾向が、すでにこの時期、広がっていたというのである。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

17)閉ざされたセクトとはおよそ反対の、自由参加と自由討議に基づく組織のあり方が、その大きな理由だろうが、同時にまた、吉川勇一や鶴見良行などの年長者が、成熟した政治感覚をもって若者の暴走を食い止めていたという指摘がおもしろい〔略〕。異なる世代の間での交流を保つことで、社会運動が健全に進められる。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

18)社会の大義に自分を合わせるのではなく、「今」の「私」の願いに率直であれと説いた、ウーマン・リブの主張が、そのまま「大衆消費社会の肯定」につながったとする評価〔略〕にも、同じリゴリズムの気配を感じるのである。「私は 私は わけもわからなく みじめな 私だけに 執着したい」〔略〕という言葉に残されているような「私」の意識は、流行商品を手に入れようとする欲望にのみ、収斂するものではないように思える。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

18-9)残念なのは、第二刷から「あとがき」に変更が加えられていることである。第一刷では、この本を書きあげたあとの疲労感が末尾で語られていたのに、中国とインドに言及する別の内容に変わっている。これだけ大部の資料群にとりくむのは、余人にはなかなかできない仕事である。むしろ、当事者たちが残した言葉の渦にまきこまれ、困惑する繊細さを持っているからこそ、多くの「生の声」に耳を傾けながら歴史を書くことができた。その姿を示すことも、読者と、あとに続く研究者のためには大事だったのではないだろうか。 一九六八年について私が知っている二、三の事柄——小熊英二『1968』

23-4)「自分が社会の役に立っている感覚」を人々が抱いていることが社会の安定には欠かせない、といった考察は、いまの社会状況とも、深く響きあうものをもっている。 ※エリック・ホッファー『安息日の前に』

39)国旗掲揚や国歌斉唱に、どうしてここまでこだわるのか、賛成・反対の両派に関して、その点がどうも解せない。国を愛する気持ちを学校教育を通じて養おうとすることは、一般論として結構と思うのだが、たかだか入学式と卒業式の年二回、日の丸を前にして君が代を歌うことで、その心情が格段に高まることなど、期待できそうにない

40) 戦前の小学校の儀式で、教育勅語の奉読が行なわれたのは、その徳目の教化というより、厳粛な空気を演出することで、教師には逆らえないという雰囲気をつくるものだった。山本七平の自伝『昭和東京ものがたり』〔略〕は、そう指摘している。いま、国旗と国歌を学校に奨励する人々が期待しているのも、事実上は、そうした権威づけの効果なのではないか。

54)道にはずれた邪悪なふるまいをした(と見なした)者に出会うと、彼らの心を改めさせるために、あるいは悪影響を断ち切るために、修行させたり改宗させたり、追放したり火あぶりにしてりしてきた。
 このような、道徳や秩序を保つかなめを、心のもち方に求めるやり方を、きびしく拒否するところから、いわゆる近代は始まったはずなのである。そもそも他人の心などというものは理解しがたいし、あぶなげなものに違いない。しかし、そのあやうさを性急に消し去ろうとして、唯一まっとうな心へと世の中を染めあげようとする試みが、いかに悲惨な暴力を、世に生んできたか。異なる信条を抱えた人間どうしが、生きるか死ぬかの対立にまで至らないあり方で共存できるしくみを、さまざまに考察し、守ってゆくこと。本来はそうした論理の上に、いまの政治と社会はなりたっている。

55) 祭祀場への公然たる訪問を、自分自身の「心の問題」と言い切った、某国首相の発言にも、そうした効果への期待が透けて見える。「心」は人によりさまざまなのだから寛容に扱ってくれ。参拝の是非を云々する以前に、その言葉は、むしろ被治者が統治者にむかって発するせりふではないか。秩序の運営に務める公人の言動には、一般人とは異なって強い制約がかかるはずであるし、そもそも、首相に純真な「心」など、だれも期待していないのに。

66)あらゆるものを共存させる倫理。その可能性にむけた賭け

72)天皇の退位を禁ずる規定は、窮極の人権とも言うべき「脱出の権利」を、天皇個人に認めていない点で、日本国憲法に違反すると著者〔=奥平康弘〕は説いている。

83)「ふつう不寛容がもっとも悪意に満ちたものとなるのは、文化・エスニシティ・人種の差異が階級の差異と一致する場合——マイノリティ集団が経済的にも従属させられる場合——である」という、ウォルツァーの洞察

84)この「非政治」の領域は、「友情」という規範を支えとして、かつてはそれ自体、政治とは異なる「人間の共同性の理念」を備えていたのである。しかし、十九世紀以降、そうした「友情」の理想はやせ衰え、「公的原理としての非政治」は衰弱する。いまや、政治を動かす権力機構の巨大さを批判し、「非政治」の姿勢をとろうとする者にとっては、ただ私生活のうちに閉じこもるか、他者との連帯の理想を空疎に言い立てるぐらいしか、選択肢がなくなっている。

86) 平和主義の理想論は、みずからの手を汚すことを避ける結果、暴力の横行を容認してしまう。そのように逃げることなく、人類の悲劇を防がねばならない、ぎりぎりの場面では、必要悪としての軍事力を用いる。罪の意識との葛藤に耐えながらそれを選択する強靭な倫理を、この本〔=ウォルツァー『戦争を論ずる』〕は政治家と市民とに、きびしく求める

101-2)他者とのこのような出あい〔思いがけない他者からの訴えや呻きにふれることで、自分がいったい何者であるか、自分はどういう集団に属しているのかが、改めて明らかになる@大庭健『「責任」ってなに?』〕を通じて「動揺」を覚え、自分自身についての理解を更新してゆく運動に、〔齋藤純一『自由』は〕「自由」の核心を見る。

137) 中村真一郎は、かつて著書『文学の擁護』(一九六二年)で、現実をフィクションとしてとらえ、またフィクションにのっとって行動することが、ヨーロッパの市民社会を支えており、それが近代小説の基盤になったと説いていた。
 個人が実感によって把握できる世界をこえて、広い範囲の人々と直接・間接の交流をもつようになれば、社会に生きる「市民」とは、おたがいに対してこうふるまうものだ、というフィクションを、みなが共有していないかぎり、安定した関係を続けることができない。もしその枠を無視して、実感や本音のおもむくままにふるまっていれば、円滑な相互理解はむしろ難しくなり、やがては混乱に至る。それを防ぐために、「市民」というフィクションの実践を通じておたがいを理解するのが、秩序を保つ要諦なのである。

140) しかし、投票に行くことが、ほんとうに唯一の政治への関心を表わす手段なのだろうか。たとえば、迷惑な近隣住民について何とかしようと頭を悩ませることや、育児サークルへの助成を申請するための書類を作ることも、人と人とが何らかの秩序を支えてゆく営みとしては、小規模とはいえ立派な「政治」である。〔略〕投票率があがらないのは、そうした関心に応えてくれる候補者が見あたらないせいもあるだろう。裏返して言えば、政治家には期待しないという趣旨をこめた、政治への関心の表明である。〔略〕いっそのこと、だれも投票に行かないという運動を堂々と展開すれば、政治家の目も覚めるのではないか。

143)むだな道路工事などやめて、既設の道から舗装をはがし、土の路面にもどす公共事業を起こしてはどうか。自動車の交通量の少ない場所だけでよい。それでもそうとうな範囲で、真夏に熱がこもるのを防げるし、雨水が地中に円滑にしみこむから、環境対策にもなるだろう。

242) 平野〔啓一郎〕が京都大学時代から親炙する政治思想史家、小野紀明が『二十世紀の政治思想』(岩波書店、一九九六年)で述べるところによれば、そう見える「現われ」と、本当にそうある「存在」との関係は、西洋思想史の伝統を貫く大きな主題にほかならない。その出発点である古代ギリシアのポリスは、本来、この「現われ」と「存在」とが、ぴったり一致する幸福な空間であった。人は、雄弁をふるい、あるいは戦功を挙げることを通じて立派な市民の役割を演じきり、ほかの市民から喝采をうける。そうした名誉の瞬間にこそ、本当の自分自身が輝きだすと信じられていたのである。
 しかし、いくつもの悲劇が上演され、ソフィストが活躍する時代になると、「現われ」をはかなく不確実なものと見なし、そこから離れた目に見えない場所に、真実の「存在」を見いだす思考が、優勢になってくる。そうした「現われ」と「存在」との乖離が、プラトンにはじまる、西洋の形而上学の伝統を支えることになった。

@研究室

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by no828 | 2017-05-07 14:33 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 05月 06日

もしね、もしイエス・キリストが執行のその場にいたとしたら、キリストは何て言うと思いますか——森達也『死刑』

 森達也『死刑——人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』朝日出版社、2008年。46(1044)


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 死刑をめぐる森達也の自問自答の記録。副題逆接以後が森の結論です。でも僕は、人を救いたいとも思う。

118)ところが捜査や法廷、そしてメディアは、この揺れや矛盾を視界の外に置き、とりあえずの一貫性や整合性を無理にでも構築しようとする。端数は切り上げる。あるいは切り捨てる。つまり四捨五入して整数にしようとする。

019)でも僕は悩む。うじうじと。吐息を洩らす。存置を主張するつもりはないけれど、明確な廃止を叫ぶことにもためらいがある。要するにどっちつかず。

036) 確定死刑囚は家族と弁護士以外とは面会を許されない。外部との手紙のやりとりも原則的には禁じられる。だからもしも家族がいなければ、死刑確定後は誰にも会えなくなる。友人にも恋人にも会えない。手紙のやりとりもできない。つまり存在が不可視となる。その理由を法務省は、死刑囚の心情の安定を保つためと説明する。
 バカじゃないかと思う。世の中には硬直した規制や取り決めはいくらでもあるけれど、これほどに硬直した規制は他にはちょっと思いつかない。人と会話をさせないこと、コミュニケーションを取らせないことが、心情の安定に結びつくと法務省は本気で思っているのだろうか。

039)しかし本当に悪い人間ほど先に許すことで救われる者もいるのではないかと考えますよ。 ※岡崎一明

043) 確定してから死刑囚が拘置所で過ごす期間は平均約七年と十一ヵ月(法務省調べ。一九九七〜二〇〇六年の平均)。十年以上の人も多い。それだけの長期にわたって日光を浴びず、どこにも行けず、誰にも会えない。そんな生活をあなたは想像できるだろうか。僕はできない。確定囚には基本的に会えないから、その実感を聞くこともできない。

049) 「〔『モリのアサガオ』〕連載開始前に一カ月ぐらい思い悩んだのですが、結局(存置か廃止かの)答えが出なかった。ならばわからないまま始めて、新人刑務官の及川というフィルターを通して、描き進めながら考えていこうと思いました」
「及川は迷いながらも死刑制度に大きな疑問を持っています。郷田さん自身の今の心情を敢えて言えば……」
敢えて言うのなら、……死刑は必要だと考えています
 メモを取るノートから僕は顔を上げた。聞き間違いじゃないし郷田の言い間違いでもない。 ※郷田マモラ


053)多くの被害者遺族の感情を最大限に優先するのなら、存置論者の多くがよく口にする「死刑は国家による仇討ちの代行である」とのレトリックが成立する。ならば死刑が確定した段階で、国家は遺族に処刑の方法を聞くべきだ。自ら執行を望む遺族には自分でやらせるべきだし、死刑までは望まないという遺族がもしいれば、じゃあやめましょうかとの対応が理想のはずだ。つまり現行のシステムを変えねばならない。少なくとも執行への遺族の立会いくらいは認めるべきだ。でもそれはできない。〔略〕死刑の意味を「国家が代行する報復」とだけ規定するならば、その瞬間に罪刑法定主義は崩壊し、この国は近代法治国家の看板を外さなくてはならなくなる。

069) 人には蛮性がある。郷田へのインタビューの際に、僕はそんなことを口走った。獣性という人もいるけれど、でも実際の獣のほとんどは、自分が食べる以上の命は殺めない。同族を殺戮することもほとんどない。
 人は人を殺す。戦争で。虐殺で。嫉妬で。憎悪で。利害で。独占欲で。かっとして。錯乱して。報復で。快楽で。宗教で。理念で。イデオロギーで。善意で。思いやりで。正義で。愛情で。
 蛮性があり、そして善性がある。彼にも。彼女にも。あなたにも。そして僕にも。だから時おりは優しい。時おりは残虐になる。時には誰かを傷つけ、時には誰かに傷つけられ、やがて年老いる。そして死刑囚はかつて誰かを殺し、その報いとして自分も殺される。

076) 〔米国ノースカロライナ州では〕執行は通常、金曜日の午前二時に行われる。その週の火曜日に死刑囚は執行室隣の監房(death watch)に移される。区画内は自由に出入りできるし、外部に電話も自由にできる。処刑の日時は死刑囚の家族にも連絡され、最後の面会が行われる。
 車輪付きベッドにベルトで縛り付けられて執行室に運ばれた死刑囚は、まずは睡眠薬を注射され、次に呼吸障害を起こす薬物を注射される。処刑の際の立会い人は十六人。内訳は刑務所長と弁護士や警察官など公的な立会い人四名に加え、被害者遺族や死刑囚の親族の立会いも可能であり、さらにはメディア関係者五人の枠もある。特にノースカロライナだけが情報公開が進んでいるわけではない。フロリダでもインディアナでもニュージャージーでも、死刑制度を存置する州のほとんどは、情報公開に前向きに取り組んでいる。〔略〕
 アメリカの少年死刑囚の肖像を撮り続けているトシ・カザマは、撮影と並行しながら死刑廃止のメッセージを強く打ち出しているカメラマンだ。その彼にすら、アメリカの司法当局は撮影を容認する。徹底した情報公開。ならば日本はどうか。

088) その後も永山〔則夫〕は独房で執筆活動を続け、一九八三年の新日本文学賞を小説『木橋』で受賞する。一九九〇年には秋山駿加賀乙彦の推薦を受けて日本文芸家協会へ入会を申し込むが、一部の理事が殺人事件の刑事被告人を入会させてはならないと反対して入会は却下される。これに抗議した中上健次筒井康隆柄谷行人らが文芸家協会を脱会したことは、当時は大きな話題となった。

103) ただし、だからどうしたと思う気持ちも僕にはある。たとえ世界中が死刑廃止をしたとしても、確固とした存置への理念と哲学がこの国にあるのなら、他国に迎合する必要などない。胸を張って執行すればよい。しかし今のところ、そんな理念や哲学は見つからない。

103) 「仇討ち的な発想では連鎖します。だからこそ国家の刑罰権は、仇討ちの連鎖を制御するためにつくられてきた。それが近代法治国家じゃないかと思うのだけど……」 ※保坂展人

106)つまり民意。政治家はこれには逆らえない。メディアもこれには逆らえない。でも同時に、民意に大きな影響を与えるものは政治であり、メディアなのだ。救いのない堂々巡り。そう言えば郷田マモラも、堂々巡りと何度も口にしていた。
 ただしこれは死刑制度の本質ではない。野球の本質はテレビの視聴率や観客動員数にはない。滲んではいるけれど、そこだけの視点では言い足りていない。本質はきっとどこかにある。

121) 「……精神医学用語のひとつで注察妄想という症状があるのですが、彼〔=宅間守〕は明らかにその傾向がありました。ずっと誰かに見張られている。嫌な目で見られているとか、悪く思われているとかいうことですね。それを自分はずっと我慢してきた。だから報復する権利が自分にはあるとの理屈です。〔略〕なにもいいことがない。この世は生きるに値しない。自分なんか生きていく価値はない。死ぬならばこれをやってから死にたい。それで決行してしまった」
「ということは、もしも死刑制度というものがなければ、彼はあんな犯行は起こさなかったということも考えられますね
「かもしれません。彼は本当に、望んで、死刑になりたいと言っていた」 ※戸谷茂樹

199-200) 「父〔=古川泰龍〕は死刑という言葉がおかしいとよく言っていました。死は誰かの手によって与えたり与えられたりするものではない。つまり刑と言うならば死刑ではなく、殺刑とか殺人刑と言うべきです」 ※古川龍樹

221) でもここで僕は思う。苦痛を軽減するという発想は本当に正しいのだろうか。もしも死刑が個人の応報感情の国家による代行なら、なぶり殺しだってあってよいはずだ。イスラム社会では今も石打ちなどの残虐な刑罰が残されている地域がある。死刑の機能に犯罪抑止効果を認めるのなら、より残虐な刑罰のほうが、つまり死刑囚を苦しめたほうがその効果を増大させることになるとの考えも成り立つ。
 安楽に殺すこと、長引かせないことが人道的? 僕にはわからない。そこまで人権や苦痛に配慮しながら殺すことの意味が。

222)死刑は残虐だ。それは議論の余地はない。だって人が人を殺すのだから。でもその残虐なことを先にやったのは死刑囚のほうだ。だから重要なことは、社会が主体となるこの後発の残虐さに、正当性があるかどうかなのだ。

225) 「話すことは身の上話とか?」
「そうですね。たとえば連続殺人事件の犯人として死刑囚となったN。彼は幼いときに両親に捨てられて親戚に引き取られたのだけど、その親戚のおやじさんがヤクザ者だった。学校で同級生の女の子のペンがなくなったとき、彼は教師からみんなの前で『泥棒だ』って言われたらしい。彼は盗んでいない。そして真犯人も知っていた。でもそのとき彼は、みんなの目の前で『俺がやった』って言ったそうです
 しばらく間が空いた。 ※教誨師T

226) 「……もうすぐ処刑される人を目の前にして、Tさんはどんな心境になりましたか」
 僕のこの質問に、Tはたっぷり二分間は沈黙した。二分は長い。 ※教誨師T

228-31) 「精進落としのその場には検察官もいましたか」
「検察官はいません。立会って書類にハンコを押してから、彼らはすぐに帰ってしまった。酔ったひとりの刑務官が私のそばに来て、『先生はあいつを抱きしめてくれた。我々にはそれはできない。でもここにいる全員が、できることならそうしたいと思っていました』って言ってくれました」〔略〕
「処刑の直前って、みんな取り乱したりしないんですか」
「しない、みんな落ち着いていた」
「……なぜでしょう。僕には想像できない」
「たぶん何年も、何度も何度もシミュレーションしているんだよね」
「それは宗教の力ですか」
「……わからない」
「そんな気持ちになった人を、吊るす必要があるのですか」〔略〕
「でも人を三人も殺している。それも事実です」
「人は変わります。Kさんも犯行時とは顔立ちまでまったく変わっています」
「でも、KやIの場合は、死刑になるからこそ人の心を取り戻せたと考えることはできないですか」
 再び長い間。Tはゆっくり息を吐き出した。
「………………あるかもしれない。人によると思います」〔略〕
「僕はキリスト教について門外漢です。だから失礼なことを言ってしまうかもしれないけれど、もしね、もしイエス・キリストが執行のその場にいたとしたら、キリストは何て言うと思いますか」 ※教誨師T

233)……でも、僕はやっぱり、外的要因が強いと思っているんです。死刑囚の話を聞いているとわかるんだけれど、家族の愛情に恵まれた人はほとんどいない。ほぼ共通しています。もちろん家庭が恵まれなくても立派に生きている人はいくらでもいます。でももしも僕が彼らと同じような育ち方をしていたら、そうならない保証はない。紙一重だと思う」
〔略〕社会責任論だ。データとしては確かに否定できない。事実なのだろう。でもこれを突き詰めれば個が消える。人格形成において後天的な要素は大きい。〔略〕もしも後天的な要素や偶然性を理由に死刑を否定するのなら、それは死刑制度のみではなく、罪と罰の体系が崩壊することを意味することになる。つまり人は人を裁けなくなる。 ※教誨師T

237) 四、生命を絶たれるという与件の下では、人は反省機能を失い、自己の観念的世界に逃げ込む可能性が高い。生命を保障され、いつか社会に復帰できる可能性があるという状況で、人は初めて自らの犯した罪と真摯に向き合うことができる。 ※佐藤優の死刑廃止論の根拠のひとつ

272-3)この社会の本質は当事者性ではなく、他者性によって成り立っている。大多数の人にとって当事者性はフィクションなのだ。ただしフィクションではあるけれどとても大切なこと。〔略〕でも同時に思うこと。人は当事者にはなれない。大多数の人が他者であり第三者だからこそ、この世界は壊れない。当事者の感覚を想像することは大切だ。でも自分は他者であり第三者であることの自覚も重要だ。だって当事者ではないのだから。

286-7) 「相手が生きているかぎり許せないんです。被害者みんなそうだと思います。死刑廃止派の人はよく『人権を尊重しろ』と言われるけれど、じゃあ死んだ人の人権はどうなるのか。人権を踏みにじった人間が生きていていいのか。そういう人は生かしておいちゃいけない。死んでもらわなければいけない。死刑は残虐だというけれど、あの死に方(絞首刑)は楽なんです。たとえば丸太で叩かれて顔がつぶれて誰だかわからなくなって殺された人だっていっぱいいるわけです。だから死刑を廃止するならば、応報権をぜんぶ私たちに返しなさいということです」 ※松村恒夫

291) 「松村さんがもし、山田みつ子の死刑執行のボタンを押してくれと言われたら?」
「やりますよ。それぐらい孫は可愛かったです。孫の未来をぜんぶ奪ったことは絶対に許せません。彼女が本当に更生して、ものすごく良い人間になったとして、やっぱり許せないですね。だって更生してくれなんて誰も願ってないわけですよ。更生させるのは国の仕事であって、被害者遺族としては更生しようがしまいが関係ない」 ※松村恒夫

296-7)春奈を返してくださいということです
 僕は答えられない。松村はじっと僕を見つめている。
……それと、もしも死刑を廃止するならば、私に殺させてくださいということですよ。仇討ちになってしまうかもしれないけれど、本来ならば一緒の空気を吸いたくないということです」
「加害者が更生しようが……」
「関係ない。全然関係ない。よく生きて償うっていうじゃないですか。何するのよ。どうやって償えるの。償うっていうことは殺した人を生き返らせることなんだよね。それができるなら初めて生きて償うって言えると思う。それ以外、生きて償うということはありえないと思いますよ」 松村恒夫

300) 多くの人に触れることで、揺れ動く自分の情緒を見つめようと僕は考えた。その帰結として僕は何を得るのだろう。何を知ることができるのだろう。
 そして何よりも、「僕にとっての死刑」に、この作業は輪郭を与えてくれるのだろうか。逆に混迷し始めている。当たり前だ。多くの情緒に触れるということは、多くの述語に触れるということだ。主語が揺らぐ。揺らいでほしかったのは述語のほうなのに。

309)目の前にいる人がもしも死にかけているのなら、人はその人を救いたいと思う。あるいは思う前に身体が動くはずだ。その気持ちが湧いてこない理由は、今は目の前にいないからだ。知らないからだ。でも知れば、話せば、誰だってそうなる。それは本能であり摂理でもある。

313-4) 死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「なぜ、国民を死刑を支持せざるをえないのか」です。
「犯罪被害者が声高に死刑を求めている」からではなく、「社会全体が漠然と不安である」から、死刑は廃止できないものだと思います。 ※本村洋

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by no828 | 2017-05-06 16:23 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 27日

スポーツにおける着地とは「現実」との接点なのである——奥田英朗『延長戦に入りました』

 奥田英朗『延長戦に入りました』幻冬舎、2003年。45(1043)

 http://www.gentosha.co.jp/book/b3073.html|単行本は2002年に同舎


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 エッセイ集。なるほど、と思わせる視点と着眼点。わたしも忘我の境地に浸ることがなかなかできません。別のところに視線をちらっと注いでしまっていることが多いです。何となく、タイトルと表紙写真が合っている気がします。


14-5)たいていの場合、人は自らのエゴにすら気づいていない。自分の感情が何よりも優先するものだと信じている。〔略〕
 私はその昔、イベントの仕事で客の整理を数多くこなしてきたから実感できる。
「このロープから出て歩かないでくださーい」〔略〕
「あっ、そこのあなた。順番ですから、ロープの中に並んでください」〔略〕
「ちょっとそこのボク、入っちゃダメだって」〔略〕
「てめーら入るなっつーのがわからんのか!」
 とまあ、このように疲れてしまうのが集団エゴとの戦いなのである。こういうとき、私は金日成主席の気持ちが理解できる気がする。人民に自由を与えるとロクなことはないと全体思想に走ってしまいそうになる。 ※「客席の集団エゴと案内嬢のひとりごと」


26-7) ところで、こうしたところに目が行ってしまうのは、きっと私の覚醒した性格によるものだと思う。たとえディスコの喧騒の中でも、私は忘我の境地に浸ることができない。我を忘れて熱狂するということができない。頭の底は常に冷めているから「おろ? あそこに変わった人が」と妙なことに気づいてしまう。〔略〕
 もちろん、だからといってスポーツや音楽を楽しんでいないわけではないので誤解しないように。興奮も感動もする。ただ、みんなが100パーセントの意識を傾ける中でも、私はそれを90パーセントくらいにしておくから、残りの10パーセントで人とは別のものを見てしまうのである。 ※「日常の真実と私の目の行きどころ」


28) どうして延長戦まで死力を尽くして戦った両チームが、あんな単純なジャンケンのような方法〔=サッカーのPK戦〕で勝者と敗者を決めるのか、彼らには不思議でしょうがないのである。ここまでやったなら、あと30分でも1時間でもケリがつくまでゲームを続ければいいではないか、というのがアメリカ人の素朴な感想なのだ。
 言われてみればそうだ。たとえばベースボールにおいて、「延長12回を戦ったけど決着がつかなかったのでこれからホームラン競争をして勝敗を決めまーす」などということになったら、観客は黙ってはいないだろう。オールスター・ゲームの余興じゃあるまいし、なぁにがホームラン競争だ、ふざけるな、である。 ※「あいまいな日本と優勢勝ち」


38) つまり、図式としては「主張」→「逆らう者なし」→「そうか自分は正しい」→「信念」。 ※「格闘家の信念と小心者の世渡り」


172-4) さらにはバーを越えればいいという刹那的考え方も私の美学は受け入れることができない。背面跳びが生まれた背景には、はっきりと着地用クッションの存在がある。あれがなければ背中から着地しようなどと思いつく奴はいなかったはずである。〔略〕
 あの跳び方を見よ。着地のことなどまるで考えていないではないか。バーを越えたらこっちのもの。あとはクッションさんお願いね、という甘えた根性が滲み出ている。実用性ゼロ、なのだ。
 たとえばここに高さ2メートルの柵があったとしよう。その鉄線には高圧電流が流れている。触れたら一瞬のうちに死んでしまう。その柵の中に何人かが閉じ込められている。誰かこの柵を飛び越えて、助けを求めに行かなくてはならない。その中に二人のハイジャンプの選手がいた。一人は背面跳びで2メートル40の記録をもつ世界的アスリートで、もう一人はベリーロールで2メートル05の記録しかない平凡な選手である。柵の中に閉じ込められた人々がこの幸運に喜んだことは言うまでもない。2メートル40も跳べる人がいる。2メートルの柵など楽勝ではないか。さっそく飛び越えて助けを呼んでくれないか。ところが背面跳びの世界的アスリートは断るのである。
下はコンクリートじゃないですか。クッションがなければ跳べませんよ
 こんなひ弱な野郎が表彰台に並んでいいわけがない、と思いませんか?〔略〕スポーツにおける着地とは「現実」との接点なのである。どこまで凄いことをして無事に生還できるか、それが着地の意味するところなのである。つまり、トリプル・ルッツを決めて、なおかつ着地するからフィギュアの伊藤みどりはエライのである。ブブカはたいして役に立たない奴なのである。 ※「ハイジャンプと着地という現実」


196) 私は、今のプロレスは誰もが了解済みのフィクションの世界にはまり過ぎているのではないかと思う。あのミもフタもない明るさ、会場の温かさ、「お約束」の数々、あまりに予定調和で私はその輪に加わることができない。私が見た1966年の試合は、たとえ嘘でもノンフィクションと信じるに足る切迫感があった。 ※「ジャイアント馬場が本当に強かった1960年代」


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by no828 | 2017-04-27 14:38 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 26日

共同体に帰属することで、思考や他者に対しての想像力を停止してしまうことです。その危険さを僕は描いたつもりです——森達也『「A」』

 森達也『「A」——マスコミが報道しなかったオウムの素顔』角川書店(角川文庫)、2002年。44(1042)

 2000年に現代書館から刊行された『「A」撮影日記』に大幅な加筆修正

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 ドキュメンタリー映画「A」ができるまで。オウム真理教広報部長の荒木浩を追っていますが、それを介して森達也自身とこの共同体が、そしてこの共同体に安住する人びとが問い返されています。

 フィールドワークをしながら経験科学を主としていたときには、本書でドキュメンタリーのそれとして繰り返し言及されている「客観性」についてよく考えました。また、そのあと理論に軸足が移ったあとは、即断しない、というか、重要な事柄ほど即断できないのではないか、ということに気づくようになりました。考えるためには、そして考えさせるためには、ペースを乱すことは有効かもしれない、と思っています。

55) ……ずっと考えていた。撮影対象であるオウムについてではない。自分についてだ。「オウムとは何か?」という命題を抱えて撮影を始めた僕が、いつのまにか、「おまえは何だ?」「ここで何をしている?」「なぜここにいる?」と自分に問いかけ続けている。

78)昨日も地元のテレビ局の記者が、施設を管理する管財人の了解をもらったから取材を始めると撮影クルーを帯同してやってきて、これを阻止する荒木浩としばらく施設前でもめた。管財人が了解したのだからオウム側にこれを拒否する権利はないと主張し続けた記者の論旨は、譬えて言えば大家の了解をとったから店子の生活を無断で撮影できると主張しているに等しく、冷静に考えるまでもなく論理としては破綻している。ずっとガムを噛みながら荒木浩と話していたこの記者にだって、いくらなんでもその程度の常識は通常ならあるはずだ。また会話のときにはガムを吐き出すくらいの礼節は知っているはずだ。しかしオウムという単語が方程式に代入された瞬間、おそらくは彼の思考が停止した。

87)「僕にとってドキュメンタリーを作ることは、絶対的に主観的な行為です

89-90) ドキュメンタリーの仕事は、客観的な真実を事象から切り取ることではなく、主観的な真実を事象から抽出することだ。一頭の母ライオンがカモシカの子供を狩る場面を撮ったとする。出産直後の母ライオンの子育てにドキュメントの主軸を置くのなら、観る側は彼女の牙がカモシカの頚動脈に食い込んだ瞬間に快哉をさけぶだろう。カモシカの母と子の主軸を置くのなら、彼らが逃げ切った瞬間に安堵の溜息をもらすだろう。そういうものだ。映像で捉えられる真実とは、常に相対的だし座標軸の位置によって猫の目のように変わる。
 カメラが日常に介在するということは、対象に干渉することを意味する。微粒子は観測する行為そのもので大きな影響を受け、粒子としての本来の姿を決して現さないとする量子力学の基本原理と同じだ。自然なドキュメンタリーなど存在しない。撮る行為によって撮られる側は、時には触発されるし、時には規定される。そしてまた撮られる側の反応が、撮る行為に大きな影響を与える。
 その意味では撮影における客観性など存在しない。映像を作るという作業はすべて主観の産物のはずだ。雨乞いの儀式を仕込んだかどうかは表層的な問題でしかない。その状況で、自分が如何に自分の主観的な真実を信じることができるかどうかが問われなくてはならないのだ。もちろん自分と対象との相関的な座標を正確に表出することは必要だ。しかしその位置さえ明確に呈示すれば、後は観る側が判断するだけのことなのだ。バランスをとるのは表現する側ではない。観る側だ。

90)視聴率という大衆の剥きだしの嗜好に追随する現実を、公共性というレトリックに置換するために、「客観的な公正さ」という幻想を常に求められ、また同時にそれを自らの存在価値として、テレビは勘違いを続けてきた。僕も今まで勘違いを続けてきた。

112-3) 道を歩いていてふとレンタルビデオ屋を覗こうという気になるように、彼らはその人生のある瞬間、ふとオウムに足が向いたのだ。テレビの司会者は、「なぜ彼らがオウムに惹かれたのか、その理由は今もどうしてもわかりません」と眉間に皺を寄せるが、そんな理由は信者によって様々だし、解明する意味はない。〔略〕
 しかし、残された信者、逮捕された信者が、今もオウムにこだわり続ける理由は解かなくてはならない。理由はきっとあるはずだ。その思いは僕にこのドキュメンタリーを発想させた動機の一つだ。そして今、理由はおぼろげながら見え始めている。彼らが今もオウムに留まり続ける理由、そのメカニズムは、オウムの内ではなく、オウムの外、すなわち僕らの社会の中にある。

129-31)「……映像を貸してもらえない理由は何ですか?」
 形勢有利とばかり畳み込んだ僕の言葉に、数秒の沈黙の後、荒木浩はぽつりと言う。答えようとして、僕は一瞬言葉に詰まる。制作途中の映像素材を第三者に見せたり貸したりすることはできない。確かにこれは大原則だ。しかしその大原則の根拠を、今この瞬間明確に説明することができない自分に気がついた。
「……僕は、この作品でオウムの便宜を図る気もありませんし、警察に協力するつもりもありません。あくまでも中立な立場でこの作品を作るつもりです」
「それは充分にわかっています。味方をして欲しいと言ってるつもりはありません。事実を証明してくれと言ってるだけです。それは森さんたちの中立性を損なうことになりますか?」
「……きっと今、荒木さんたちに映像をお渡ししたら、この作品の生命はそこで間違いなく断たれると思うんですよ」
 絶句した僕に代わり、カメラを胸元に構えたまま、安岡がゆっくりと話しだす。普段は教鞭をとる彼の口調は、こんなときには実に説得力を発揮する。
「それでなくともこの作品は、社会から無条件に受け入れられる作品ではありません。たぶん発表のときには、僕らのスタンスは厳しく問われる事態になると思います。その制作過程で、理由はどうあれ、素材をオウム側に提出したという事実は、まさしく命取りになります。つまり、作品としての価値はそこでゼロになるということです。それがわかっていながら、今映像をお渡しすることは僕らには不可能です」〔略〕
 苦し紛れに「中立でありたい」と僕は荒木浩に口走った。公正中立に事実を客観視するなどという慣用句は、不祥事を起こしたマスメディアが無自覚に口走る陳腐なスローガンにすぎないと知りながら、だ。
 公正中立でものは作れない。
 断言できる。主観の選択が結実したものがドキュメンタリーなのだ。事実だけを描いた公正中立な映像作品など存在しない。
そもそも中間に立とうにも、オウムの座標がわからない限りは、両端から等距離の位置など測定できるはずがない。その覚悟はしていたつもりが、追いつめられると苦し紛れに、こんなにもあっさりと馬脚を顕していた。

172-3)「何かさあ、自分の言葉でものを考えられないメディアの構造って、オウムの構造に似ているよな
「メディアだけじゃなくて、社会全般じゃない? 本質的には変わらないよ」
「でも社会は人を殺してないぜ」
「いや、見方を変えれば同じだよ」
「私もそう思う。エイズに発症することを知ってて血友病の薬剤を認可していた厚生省と、地下鉄にサリンを撒いたオウムの信者たちと、その意識構造に本質的な差違はないと思う」
「極端すぎるぜ、それは」
「いや確かに本質は近いよ」

185)「質問というのは、答えを聞きたいからするものですよね。皆さんの質問が、本当に答えを求めているとは私には思えないんです

196)メディアは僕たち社会の剥きだしの欲望や衝動に、余計なことはあまり考えずに忠実に従属しているだけだ。

199) 結論だ。オウムはわからない。「信じる」行為を「信じない」人間に解析などできない。この一線を超えるためには自身も「信じる」行為に埋没するしかない。しかしその瞬間、僕は間違いなく「表現」を失うだろう。選択肢はない。オウムは既成の言語に頼る限り、どこまでいっても「わからない」存在なのだ。

200-1)公開に際して僕が決めた作品タイトルは「A」。オウムの頭文字のAでもあるし、麻原のAでもあるし、何よりも荒木浩のAでもある。しかし真意はそんな語呂合わせではない。要するに何だってよいのだという意思表示をしたかった。タイトルが内容を凝縮するものだという前提がもしあるのなら、そんな言語化はこの作品について言えば、無意味な作業なのだということを、そのタイトルで現したかった。無自覚な凝縮や象徴が如何に危険なことであり、この作品はその試みを徹底的に拒絶するということを宣言したかった。

216) 改めて言う。編集は事実を加工する作業なのだ。そもそもの素材は事実でも、カメラが任意のフレームで切り取ることで撮影者の主観の産物となった現実は、更に編集作業を経て、新たな作為を二重三重に刻印される。それがドキュメンタリーであり、映像表現の宿命でもある。

248-9)「これは本当にドキュメンタリーかい?〔略〕オウムの信者はもちろん、この作品に登場するメディアも、警察も、一般の市民も皆、リアルな存在にはどうしても見えない。まるであらかじめ台本を手渡されてロールプレイングをやっているとしか私には思えない。これが本当に実在する人たちなら、日本という国はそうとうに奇妙だと思う。要するにフェイクな国だ」〔略〕
「この作品に登場するオウムにも警察にもマスメディアにも、とにかくほとんどの日本人に共通するメンタリティがあります。共同体に帰属することで、思考や他者に対しての想像力を停止してしまうことです。その危険さを僕は描いたつもりです。組織への帰属意識や従属度は日本人に突出して強い傾向だと思うし、傍から見ればもしかしたらフェイクにしか見えないのかもしれないけれど、ドイツ人にはそんなメンタリティはないと本当に言いきれるのでしょうか?」

256-7) 「体験」を意味づけることを社会システム理論で「体験加工」という。体験加工の機能は、日常生活を支えるセマンティクス(意味論)への回収だ。その作業は通常、意識せずに行われる。その場合、体験と体験加工は分離できない。
 問題は、日常を支えるセマンティクスにうまく塡らない体験をしたときだ。体験をどう解釈するのかという行為が問題になる。体験と行為の違いは「訪れるもの」か「選ぶもの」かという違いである。 ※宮台真司「私たちが自滅しないための戦略」

258) 体験加工の保留は「A」にも見出される。オウムは敵だ・社会は味方だと体験加工(意味づけ)する前に、オウムも社会も、様々な方向からじっくり体験(見る・聞く)してみる。〔略〕
 森監督とお会いするたびに、一水会の元代表・鈴木邦男氏のことを思い出す。共通して脱力した人だ。世間では、パッパパッパと体験加工していける、即断即決型の人間が聡いと思われている。そうした視線からは、二人とも驚くほどスローに見える。
 だが鈴木邦男の著書『がんばれ! 新左翼3』の解説で詳述した通り、近代ではこうした「遅れ」こそが批評性の要になる。なぜなら「遅れ」のなさこそが、近代を構成する様々なフレームの尤もらしさを各所で支えるからだ。 ※宮台真司「私たちが自滅しないための戦略」

260) 体験(見える・聞こえる)を拙速に体験加工(意味づけ)するとき、私たちは既存のフレームに拘束され、思考停止した駒になる。かつてなら許されたこうした振舞いは、今や近代社会の存続可能性を脅かすものとなった。
 しかし、思考停止した駒になるのをやめようと体験加工を遅らせるならば、今までのマスコミ組織や社会の中で「使えない奴」との烙印を押される。逆にいえば従来の物差しでは「使えない奴」こそが、存続に関わる危機から社会を救う可能性があるのだ。 ※宮台真司「私たちが自滅しないための戦略」

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by no828 | 2017-04-26 19:46 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 25日

落語てえものを一ときも忘れたこたァない。ひとつことを一生懸命つとめていりゃァ、人間いつかは花ァ咲くもんだ——古今亭志ん生『びんぼう自慢』

 古今亭志ん生『びんぼう自慢』筑摩書房(ちくま文庫)、2005年。43(1041)

 1969年立風書房 → 1977年同書房「志ん生文庫」第6巻

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 著者は5代目古今亭志ん生(1890-1973)。関東大震災や敗戦にも触れられていました。

 院生時代、非常勤講師時代を思い出しながら読みました。あの頃は本当にお金がありませんでした。お金がないのに「道楽三昧」する感覚はよく理解できませんが、そう書いていて、研究もまた「道楽」と捉えることもできるかもしれない、と思い、やっぱり理解できるかも、と思い直しました。最初の引用文がとくに胸に沁みました。わたしもそう思い込むようにして、そう信じて、やってきました。2番目の引用にある表現がすっと入ってきます。

 とはいえ、苦労すればよい、という考え方にも馴染めないところがあります。

8)「オレだって、少しはマシなとこだってあるんだよ。いくら道楽三昧したり、底ぬけの貧乏したって、落語てえものを一ときも忘れたこたァない。ひとつことを一生懸命つとめていりゃァ、人間いつかは花ァ咲くもんだ

10)強情一筋の暮らし方

36) はじめに師匠が、
「お前は、メシ好きかい?」ときくから、
「めしィ食わなきゃ死んじまいます」と答えるてえと、
メシを食おうなんて了見じゃァ、とてもだめだぞ
 といわれた。その時分はよくわからなかったが、はなし家でノウノウと暮らせるなんぞと思ったら大間違いだ、食うことなんざあと回しにして、芸の苦労をしなくっちゃ、とてもいい芸人にゃァなれねえよ、てえことを教えてくれたんでしょうねえ。あとになってこの言葉ァ随分と身に滲みました。

257) 森繁君は、寄席には入らなかったが、映画やテレビであんなに売れたてえことは、やっぱりあたしの目に狂いはなかったんだなァと、ひそかに自慢に思ってますよ。あれだけの体(地位)になったって別に肩で風ェ切って歩くなんてえことをしないのは、やっぱり満州時代のあの下積み時代の苦労のたまものでしょうね。人間てえものは、いろいろと苦労した者〔もん〕のほうが、そうでないもの〔ママ〕よりなんたって味がありますよ。

279) 若いころの苦労てえなァ、やっぱりやるもんですよ。もっとも、あたしの場合は、苦労をひとより苦労にやりすぎちゃいましたけど……。

276) かかァのつくってくれた着物ォ着て、少しばかりのこっている髪の毛ェ、横になぜつけて、まだ満州のあかが、いくらかのこってる黒い顔で、高座から、
えー、只今、帰って参りました……
 と、しゃべったら、お客さんが手ェ叩いてくれました。あァ、生きていてよかったなあと、しみじみ思いましたねえ、あのときは……。

@研究室

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by no828 | 2017-04-25 16:44 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 22日

アジア諸国の経済成長が、日本の行く末にとっても看過できないものになりつつあった時代の入り口だったからこそ——速水健朗『1995年』

 速水健朗『1995年』筑摩書房(ちくま新書)、2013年。41(1039)


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 1995年はわたしも気になっています。はじめの引用には宇野常寛が挙がっています。速水が参照していた『ゼロ年代の想像力』はわたしも読みました。「エヴァンゲリオン」の倫理(とされるもの)にわたしの思考もかつてたどり着いたことがありますが、“社会にコミットしないという社会へのコミット”というものが今度は出てくるわけで、さて、どうするかとまた考えはじめたところがあります。

136) 評論家の宇野常寛は、〔『ゼロ年代の想像力』で〕〔略〕こう述べる。「寄る辺なき若者たちの「間違った父親」として機能したオウム真理教が信者たちをテロに牽引した」のと同じように「何かを選択すれば(社会的にコミットすれば)必ず誰かを傷つける」のが現代社会である。であれば、「何も選択しないで(社会にコミットしないで)引きこもる」ほかないというのが、この物語〔=「エヴァンゲリオン」〕の倫理であると。

22-3) この年の総選挙における敗北は、厳密には自民党の敗北ではなく、自民党の分裂による票の分断という色が強かった。武村正義や鳩山由紀夫といった、当時の若手自民党員たちが離党してつくった新党さきがけ、さらに羽田孜、小沢一郎らが結成した新生党、そして参議院議員から熊本県知事を経て衆議院議員に当選した細川護煕の日本新党といった新しい勢力が登場し、世間では新党ブームという言葉が生まれていた。
 これらの党が訴えていたのは、これまでの自民党とは違った政治信条などではなかった。政治の腐敗や古い体質を批判する、いわゆる「浄化」を訴えて彼らは登場してきた。こうした彼らの主張は、強い政治不信とともに「現状を変えたい」という当時の国民から支持を得ていった。
 興味深いのは、ここでの主導権争いの中心人物が小沢一郎だったことである。小沢は2012年に、小沢グループを率いて民主党を離党して新党を結成。その後の総選挙における「民主党から自民党への政権交代」という局面を生む重要な役割を果たした。18年前の政局でも、2012年の政局でも、同じく小沢一郎がキーマンとなったのだ。
 小沢らが自民党を飛び出したのは、自民党内の最大派閥であった竹下派の会長の座を巡る争いに敗れたからだ。1993年の新党ブームは、自民党の中の派閥争いの延長でしかなかった。その意味においては、55年体制は終わらなかったともいえる。ただし、この当時の下野以降、いまに到るまで自民党は単独で政権を担えなくなったのである。

26-7) 55年体制の社会党の政治目標とは、政権を担うことではなく、自民党の議席数を国会議員総数の3分の2に届かせないことだった。自民党の党結成以来の目標は「憲法改正」にあったが、その政敵である社会党の理念は「憲法9条の維持」である。つまり、憲法改正の発議のために必要な議席=3分の2の阻止が、そのまま社会党の政治目標だったのだ。

29)中選挙区制の中で3番目、4番目という枠を勝ち取ることで存在してきた社会党の居場所は、ひとつの選挙区から1人しか当選しない小選挙区制の中にはなかった

54) これは、戦後50年という節目に、日本の歴史認識を明確化する必要をもって発表されたものとされている。また、右派からは、左派議員だけで議決した弱腰の声明という批判も受けている。だがこの時点で「村山談話」を発表しなくてはならなかった理由を、経済の側面から考えてみることもできるだろう
 ↓
55) 日本の貿易は、1990年代を通してアメリカからアジア諸国へと比重を移しているのは疑いようのない事実である。戦後、政治的にも経済的にもアメリカだけを見てきた日本は、ここにきて転換を迫られた。アジア諸国の経済成長が、日本の行く末にとっても看過できないものになりつつあった時代の入り口だったからこそ、村山談話は存在意義が発生したのだ。

@研究室

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by no828 | 2017-04-22 15:39 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 21日

本を読むことをやめる。部屋を暗くして、一日、ただ音楽を聴く。ライブ映像を見る。ビデオクリップを見る。誰にも会わない。聴く。聴く。聴く。観る。観る。世界を探す。まだ遠い——『桜庭一樹読書日記』

 桜庭一樹『桜庭一樹読書日記——少年になり、本を買うのだ。』東京創元社、2007年。40(1038)


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 文字どおり、読書日記。桜庭一樹がどのようにして物語を立ち上げていくのか——その習慣というか儀式というかがとても興味深かったです。

 ホストクラブ——わたしだとキャバクラ?——へ行かない理由には深く共感します。

104)六月某日
——世界をさがす。
 気持ちを切り替え、ねじり鉢巻で、再来月から某誌で一年間連載することになる、新作の“世界作り”に取りかかる。
 とっかかりに、音楽を選ぶことにする。この人たちだ、というロックバンドを選んで、〈新宿タカシマヤ〉の《HMV》でアルバムとDVDをばか買いする。七万円かかる(真顔でレジにいったが、ほんとうは気絶しそうだった)。ポイントカードが一回の買い物で満点になり、ポンッと二千五百円のキャッシュバックとなる。
 本を読むことをやめる。部屋を暗くして、一日、ただ音楽を聴く。ライブ映像を見る。ビデオクリップを見る。誰にも会わない。聴く。聴く。聴く。観る。観る。世界を探す。まだ遠い。どこか、に……ある……ガンダーラ……ぐらい遠い。不安だ。部屋でおとなしく音楽を聴く。

六月某日
 一日、音楽を聴いている。読書熱が、もともとなかったもののように、部屋から完全に消える。ふらりと外に出かけても、書店に寄らないようになる。
 みつけようとしているのはどうしようもない世界なので、どうしようもないことを一日、考えている。なにかとっかかりになることが浮かんだら、なんのことだかわからないながらも、メモを取ってみる。

126-7)七月某日
「もうひとつ約束してくれないか……他人から大事にされるようにすること、自分を粗末にさせたり搾取させたりしないこと。他人から搾取する権利なんて誰にもないんだから。繰り返しになってすまないけれど、前に言ったとき、あんたがいやがったものだから」
「……」
モリーナ、約束してくれ、他人にばかにされないようにすると」(プイグ『蜘蛛女のキス』)

228-9) 担当氏「桜庭さんってホストクラブ行かないんですか
 わたし「行かないですよ?
 担当氏「どうして
 わたし「初対面だから
と、担当氏がなぜか椅子から転げ落ちんばかりに驚いて、無言で両腕を振り回す。眼鏡もずれた。な、なんだ、とわたしも驚く。
 わたし「いったい、どうしたのさ?」
 担当氏「い、いや、なんでもないです。ただ、あまりに意外な変化球だったんで、びっくりしすぎただけです。大丈夫です」
 わたし「あぁ……。でも、ホストクラブで会う人って、初対面じゃないですか。わざわざ出かけていって、お金を払って、初対面の人とあたりさわりのない話題をする苦労の意味が、正直、一欠片もわかりません
 担当氏「確かに多くの場合、ホストは初対面の人です。キャバクラも同様だ。いや、言ってることはよくわかるんだけど、あんまり予想外だったんで……」

243)十二月某日
 重たい原稿は、書いたことでもっと重たくなって、それは、誰かに読まれることでようやく作家から離れる気がする。もしかしてわたしが今日も元気でいるのは、たとえば『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』とかを、今日も誰かがどこかで読んでくれているからかもしれない、と、ちょっとだけ思う。担当編集者は、最初の読者でもあって、作家にとってはマラソンのペースメーカーとか、命綱を握っている人とも似ている。この人を信じていないと、怖いところまで潜水できないように思う。……こういう仕事の仕方、編集者への頼り方はもしかしたら独特なのかもしれない。ほかの作家さんたちと話したことないけど……。文藝春秋には担当氏が三人いるので、三人で力いっぱい引き上げてくれる幻影を頼りに、よろよろとだが起き上がる。
 受話器を片手に、床にあぐらをかいて座る。具体的にどこをどう直す、といった打ち合わせを始めたら、ようやく重たさが取れてきた。誰かがあれを読んだ、という事実が自分を急速に救う。
しかし、作家から受け取っちゃったのか、担当氏の声が若干、暗いかもしれない。

@研究室

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by no828 | 2017-04-21 17:40 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 20日

実感と、それを全部はずしたところと、その両方から攻めていかないと駄目だと思います——吉本隆明・大塚英志『だいたいで、いいじゃない。』

 吉本隆明・大塚英志『だいたいで、いいじゃない。』文藝春秋、2000年。40(1037)


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 吉本隆明と大塚英志の対談集。倫理をどう作りあげていくか、というところに少なくともひとつの焦点が当たっていたように思います。

(134)大塚 そういう弱いから殺しにかかってくる相手に対して、弱さを絶えず根拠にするっていうのが、すごく難しいわけです。ガンジーの無抵抗主義じゃないけど、つまり戦車の前に座ったときに、向こうにそこで戦車を進めるためらいがあればいいんだけれども、でもガンジーが座ってても、全然ためらわないで戦車でひき殺せちゃう。そういうディスコミュニケーションが、今あるんじゃないかと思います。逆に言えば、そこまでしないと強弱をはっきりさせられないぐらいに、強い側の言葉が追い詰められてるみたいなところがひとつある。

(136)大塚 弱い者の言葉っていうか、強者の言葉に対峙できるような弱者の側の新しいディスコースっていうか、そういうのを上手く作り出さないと駄目だと思うんです。

(22)大塚 彼らが〔『エヴァンゲリオン』で〕傷ついていくのは、もっぱら彼らの内面的な葛藤においてなんですね。つまり幼い頃に母親と複雑な関係があったり、父親との屈折した関係があって、そういうことで傷ついていくんであって、「戦争」をめぐって傷ついていくわけない。〔略〕あくまでも傷ついているのは敵との戦いにおいてではなくて、内面的なものでいわば自滅していくように傷ついていく。そういう意味で「敵」は不必要なんです。

(36-7)吉本 神戸の少年Aの首切り事件でもそうで、これを病的に犯罪として見るのも間違いだし、少年をカウンセリングと薬で治していくとか、医療少年院に入れるなんて考え方はまったく間違いじゃないか。こういうのは人間の子供の持っている本来的な性質、性格の中に全部入ってるんだというところで包括したいというのが、僕の願望の中にあるんです。
 僕らの年代でも、僕の昔の仲間で一九九二年に亡くなった作家の井上光晴なんて、戦争中は僕と同じで勤皇少年なんです。天皇は神聖にしてとか、天皇は生き神様だっていうのがいちばんの絶対感情とすれば、それは命と取り替えやすいというのが僕ら勤皇少年の特徴でね。それで敗戦となったら、すぐに共産党に転換できたんですよ。どうしてできたかっていうと、両方ともベースを言えば、農本的なんですよね。農村の貧農の層の困っているところを見て、見かねて俺はやるんだというのが戦争中までの右翼の性質なんです。農本的心性からいくと、そういう勤皇少年が翌日から日本共産党の主張に同化できたっていう根拠はたしかにあるんです。僕らはそこを理解することはできる。実感があるんです。

(49)吉本 僕がいちばん固執するのは、じゃあたとえば子供を殺された親が「もう俺は我慢がならねえから、殺したほうの子供を殺しちゃう」って言って、親がどっかで待ち伏せして、刺しちゃったとか、僕はそれについては肯定的なんですよ。

(74)大塚 自己啓発セミナーじゃだめなんですよ。自己啓発セミナーでいいというのは、物作る人間にとっては判断停止と同じだもの。

(98)吉本 消費っていうのは時間と空間をずらした生産なんだという概念をつくるわけです。

(223)大塚 さっきの大江〔健三郎〕さんのことで言えば、大江さんの言説に対しては正論で論破できる。でも正論で論破しきれない部分がいまの吉本さんにはある。佐川一政を糸口に、彼を差別する云々ではなく、正直なところ人を殺して食べちゃった人間が側にいたら嫌だなという実感、それはどんなにモラリストでも人権主義者でも持ってしまう。その上でなお、人を殺した人間といかに関わりうるか、あるいは関わりえないか、という倫理なり人権意識を作らなくてはいけない、ということですよね。
吉本 はい。
大塚 すごく大事なことを言っていただいたと思います。

(228)大塚 日常の実感からもう一度思想とか言葉を組み立て直す。そういうところにおられるような気がします。
吉本 そこらがすごく気になっているんでしょうね。実感をはずすと、元来人間には出来ないことを人に要求してしまうことがあるんじゃないか。実感と、それを全部はずしたところと、その両方から攻めていかないと駄目だと思います。
 文学書に凝った若い時代に親父から、最近のお前は覇気がなくなったなと言われたことがあって、確かにそうだなと思った経験があるんです。今度は、お前の言うことは段々曖昧になってきた、と言われると(笑)、そうかもしれないなという気がするんです。〔略〕
 だから、これは自分の場所、それもあり得る極端な場所というのを二つ選んでよく考えないと間違えることになるぞ、と思っています。

(239)吉本 頭でやっていると、人の本を読んでも多少の違いはあれ、結局は同じようなことを言っているなと思ってしまう。だけど僕らは、同じ事を言うためにだって違う表現は無限にあるんだと思っているわけです。だから僕らのほうがもつんです。

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(15)吉本 『エヴァンゲリオン』の場合ですと、戦闘あるいは戦争ということはもう昔の話、つまり古典的な話であって、倫理も肯定もへちまもない、大っぴらに描いている感じがするんですね。主人公たちのためらいとか弱さとかの中には、戦争、戦闘行為、あるいは殺し合いに対するいろんな思いがよく出ているんだけど、戦闘場面自体を持ってくるとそうじゃなくて、たいへん大っぴらに肯定的に描かれている。そこのところは『ガンダム』とちょっと違うのかなと思います。

(17)大塚 戦争をしないという価値観を選択した国が、でもエンターテインメントとして戦争を描いていくという矛盾が、たとえば映画の『ゴジラ』(一九五四年、本多猪四郎監督)でも、アニメの『宇宙戦艦ヤマト』(一九七七年よりシリーズ化、松本零士・舛田利雄ほか監督)の中にでも、分裂としてあらわれてくる。

(21)大塚 戦争への想像力が、是非という倫理的な方向にではなく、有事を前提にしてその細部を埋めていく方向に向かうというのは、この国の現時点での戦争観とおたく的想像力が妙に一致する点です。じゃあなんでそんなことになっちゃうのかというと、戦争への想像力が実は内側の方に一方的に作用しているんじゃないかという気がします。

(53)大塚 無倫理を肯定するのではなく無倫理を包括するような倫理を探すんだ、というところにきちんと視線を向けるんだということをはっきりさせておかないと、何故、人を殺しちゃいけないんだという若い子の問いを全面的に許容することになってしまいます。

(56)大塚 大日本産婆会というのが戦後GHQに解体させられて、病院で産みなさいということになって、それが実際に普及したのは昭和三十年代で、僕たちの母親っていうのは、育児書とかを読んで育児をした最初の母親たちなんですね。そういう意味で、宮崎勤も、僕も、宮台〔真司〕も、いわばそういう母親たちに育てられたんです。
 もう一方で宮崎勤がすごく興味深いのは、要するにあきる野市五日市の彼が生まれた地区に残っていた一種のフォークロアなんですけど、その地区は主に農業と林業をやっていた。夫婦共々働かなきゃいけないんで、子供の面倒を見るのには、子守に出すんです。そのときに、これは非常にデリケートな言い方になるんだけども、身体が不自由だったりとか、年をとってきたりとか、そういう人たちに子供の育児を任せるケースというのが多かったんですよ。実際宮崎勤は、そういう形態で育てられた最後の世代なんです。具体的に言えば、宮崎勤を幼児期に面倒見てた人というのは、情緒障害で、かつ身体が不自由な男性、宮崎家とは全然姻戚関係はないんだけどもそういう人を宮崎家は一時期居候させて、その人が宮崎勤のいわば母親代わりになっていた。

(57)大塚 宮崎勤を考えるうえで母親というモチーフは非常に重要で、たまに彼も、公判の中で生の言葉を語った感じがするときもあるんですけど、その一つは、たとえば女の子たちを殺す過程で、甘い感じがしたというんですね。これは芹沢俊介さんが非常にこだわっておられるところですけど、甘い感じがして、子供の頃に帰った気がしたんだけども、そのとき女の子が、たとえばあんたなんか嫌いとか、おそらくまあ宮崎がなにかの性的な振る舞いに出たのか、その理由を彼は語らないんだけれども、あるいはたんに機嫌が悪くなったのか、とにかく女の子がぐずり出すわけです。そうしたときに、彼は非常に拒まれた感じがして、その拒まれた感じが、彼の殺意に転化する、と。このプロセスは比較的彼は正直に語ったんじゃないのかなと思っているわけです。つまり母親から切断されたところで出てくる怒りみたいなことですよね。

(151)吉本 人間の脳よりも先に自然の歴史はあったんだというのを認めるのが「唯物論」だと、こう〔レーニンは〕言ってるわけですよね。

@研究室

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by no828 | 2017-04-20 18:21 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 18日

人が語ろうとするのは、伝えたい何かがあるからであるよりも、言葉では伝えきれないことが、胸にあるのを感じているからだろう——若松英輔『悲しみの秘義』

 若松英輔『悲しみの秘義』ナナロク社、2015年。39(1036)


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 エッセイ集。その人のために悲しいと感じるそのときに、その悲しさをその人の優しさで上書きされる経験——そうした経験がもたらす優しさというものがあるとするなら、それはたぶんこの本のことなのだと思います。

 ちなみに、このなかの一節をその冒頭に引用することで書きはじめた論文があります。2番目の引用にはかつて感じていたことが重なり、その頃を思い出しました。

(26「底知れぬ「無知」」) 彼に徳に関する実感がないのではない。徳は存在すると彼も信じている。ある人物によってそれが体現されている光景にも接したことがある。だが、彼は、それが何であるかを決して断言しないのである。この著作だけではない。ソクラテスは生涯を通じて何ら結論を言い残さなかった。

(26「底知れぬ「無知」」)愛するとは、それが何であるかを断定しないまま、しかし、そこに語りえない意味を感じ続ける営みだとはいえないだろうか。誰かを愛し続けているとき、私たちはその人と生きることの、尽きることない意味を日々、発見しているのではないか。この人を愛している。でも、この人がどんな人か一言でいうことはできない、そう感じるのではないだろうか。
 同質のことは、仕事にもいえる。自分の仕事を愛する人は、その仕事にめぐり会えた幸福を語る一方で、自分がそれを極めることはないだろうことを予感している。仕事は解き明かすことのできない、人生からの意味深い問いかけに映っている。

(39「勇気とは何か」) 現代人は、情報を手に入れると安心する。分かったと思い込む。だが、情報に心を領された者は考えることを止めてしまう。考えるとは、情報の奥にあることを見極めようとする営みでもあるからだ。〔略〕
 考えるとは、安易な答えに甘んじることなく、揺れ動く心で、問いを生きてみることだ。真に考えるために人は、勇気を必要とする。考えることを奪われた人間はしばしば、内なる勇気を見失う。私たちは今、武力を誇示するような勇ましさとはまったく異なる、内に秘めた叡知の働きを呼び覚まさなくてはならない。

(65「別離ではない」) 苦難のなかで生き、語ることを奪われたまま死に、歴史の世界の住人となった人たちがいる。歴史家とは、そうした人々の沈黙の声に新たな生命の息吹を吹き込む役割を担う者の呼び名だと、彼〔=上原専禄〕は感じるようになった。

(86「信頼のまなざし」) 心を開くとは、他者に迎合することではない。そうしてしまうと相手だけでなく、自己からもどんどん遠ざかってしまう。むしろ、心を開くとは、自らの非力を受け入れ、露呈しつつ、しかし変貌を切望することではないだろうか。

(91-2「君ぞかなしき」)彼女は、遠く離れた夫にむかって、あなたの声を聞くことができずに逝こうとしている私よりも、私が逝ったあと、夜、独り寝るあなたの悲しみの方がよほど耐え難いだろう、というのである。

(94「模写などできない」重引)すぐに模写を始める前に、やることがあるでしょう。まずこの絵を見て、涙を流して、とても模写などできない、というのでなければ、芸術家とはいえない

(143「あとがき」) 想いを書くのではない。むしろ人は、書くことで自分が何を想っているのかを発見するのではないか。書くとは、単に自らの想いを文字に移し替える行為であるよりも、書かなければ知り得ない人生の意味に出会うことなのではないだろうか。そう感じるようになった。

(150「あとがき」)文章を書くことで、出会うべき言葉と遭遇する。

(4-5「はじめに」) 祈ることと、願うことは違う。願うとは、自らが欲することを何者かに訴えることだが、祈るとは、むしろ、その何者かの声を聞くことのように思われる。

(6「はじめに」) 人が語ろうとするのは、伝えたい何かがあるからであるよりも、言葉では伝えきれないことが、胸にあるのを感じているからだろう。

(32「眠れない夜の対話」) だが、詩は扉であって、真に向き合うべき相手は別にいる。それは自分だ。人は、さまざまなことに忙殺され、自らと向き合うのを忘れて日常を生きていることが少なくないからである。

(80-1「花の供養に」) 石牟礼は、きよ子を知らない。きよ子の両親にしか会っていない。石牟礼にとって書くとは、きよ子のような言葉を奪われた人々の口に、あるいは手になることだった。そうして生まれたのが『苦海浄土』だった。
 私たちには『苦海浄土』を書くことなど到底できない。しかし、読むことはできる。私たちは、この作品を読むことを通じてでも、きよ子と彼女の母親の悲願に応えることができる。
 読むことには、書くこととはまったく異なる意味がある。書かれた言葉はいつも、読まれることによってのみ、この世に生を受けるからだ。比喩ではない。読むことは言葉を生みだすことなのである。

(131「彼女」重引)愛し、そして喪ったということは、いちども愛したことがないよりも、よいことなのだ。(神谷美恵子訳)

(137「文学の経験」)多く読まれるということは必ずしも深く読まれることとは限らない。

(140「文学の経験」) 読者とは、書き手から押し付けられた言葉を受け止める存在ではない。書き手すら感じ得なかった真意を個々の言葉に、また物語の深層に発見していく存在である。こうした固有の役割が、読み手に託されていることを私たちは、書物を開くたびに、何度となく想い返してよい。

(143「あとがき」) 書物には、複数の生みの親がいる。書き手もその一人だが、編集、校正、営業、あるいは書店で働く人も、さらには読者もそこに名を連ねる。言葉は、書かれたときに完成するのではなく、読まれることによって、命を帯びるからである。

@研究室

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by no828 | 2017-04-18 18:23 | 人+本=体 | Comments(0)