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カテゴリ:思索( 120 )


2014年 02月 13日

存在の分化と自己内関係の発生

 前回のエントリから2週間ほど空いてしまいました。そのエントリの内容を書き終えて、新たに考えるところもあり、翌日に書こうと思ったのですが、それが果たせずにいまに至ります。今回はそれを書きます。頭のなかにずっとありました。

 「実務家」と「研究者」との分離についてです。

 わたしの専門分野——教育や哲学ではないほうの。わたしは教育-開発-哲学の三幅のなかにいます——では、研究者=実務経験者、研究者=元実務家、といった相貌が色濃くあります。わたしはその位相からは抜け落ちます。わたしはいわば研究者=研究者です。そのため、肩身が狭く、分野の共通理解(=多数派理解)に乗り切れていないところがあります。しかし、そうした研究者=研究者という位置も重要なのではないかと思うわけです。が、それは単に、研究者=研究者である自分を正当化したい、自己正当化したいだけなのかもしれない、という疑いもないではありません。自己正当化は正当化の名に値しないと思います。

 その疑いから展開したのが、わたしは本当に“研究者=研究者”なのか、という問いです。

 開発においては、わたしは実務の経験はありません。しかし、教育においては違います。現に、大学や短大や専門学校の教壇に立っています。教育の実務に携わっています。教育の研究をしながら、教育の教育をしています。(逸脱しますが、“教育の教育”は自己再帰性の高い・強い営みであります。「このような教師は“よい教師”なのでしょうか」と言いながら頭をよぎるのは「果たしてわたしはそのような教師なのであろうか」です。“教育の教育”は内省という点で自己鍛錬になります。話を戻します。)教育の研究をするわたしは教育の研究者です。そのわたしはまた、教育の教育もします。その意味で教育の実務家でもあります。もちろん、教育の研究者と教育の実務家とを同時遂行することは困難ですから、教育の研究者であるときと教育の実務家であるときとは異なります。“教育の教育”という自己再帰的な行為にならざるをえないにしても、わたしの教育の研究主題は、教育の内容や方法に直結するものではありませんから、自己再帰性の性質も間接的なものに留まるとも言えます。研究したことを教育に直訳的に活用することもなかなかありません。とはいえ、だからわたしは純粋な教育研究者である、と言いきることもできないように思います。

 つまりはわたしも実務家ではないか、ということにいまさらながら気付いたわけです。開発において、ではないにしても、です。実務家であり研究者でもある、という位置を実はわたしも共有している、してしまっているのではないか、その位置からしか話を進めることができないのではないか。

 ひとりの人間はさまざまな行為をします。役割を負います。その行為には「研究」も「教育」も含まれ、役割には「研究者」も「教育者」も含まれます。「研究者」と「実務家」とを峻別するのは事実上は無理なのではないか。ここから、だから「研究者」と「実務家」とを分けて議論することも無理なのだ、とするのか、だからこそ「研究者」と「実務家」とを規範上は分けるべきなのだ、分けられないからこそ分けるべきなのだ、とするのか、分かれると思います。後者のほうへ行きたいですが、なぜ後者なのかと問われると、よくわかりません。また、自己のなかで複数の役割を使いこなす感覚もまだよくわかっていません。しかし、建前上、便宜上、理論上、個人内部で「実務家」的側面と「研究者」的側面とを分けるのであれば、わたしの分野の研究者と実務家との乗り入れ状況も別に批判的に言及される事柄ではない、個々人が内部で役割を担い分けていればよい、ということにもなります。しかしそれは行儀のよい、さらに言えば浅薄な意見であるようにも思えて、完全には乗れないところもあります。分けられないものを分けているのだからそこには無理があるはずで、その分離を合理化しきることはできないと考えるからです。が、ひとまずは分けるほうへ(なぜか)行きたい。では、分けたときのそれぞれの役割とは何か。「実務家的」と「研究者的」とは、一体どこがどう違うのか。「実務家だから」と「研究者だから」、「実務家として」と「研究者として」とのあいだで決定的に違うのは何か。そういうことも考えなければなりませんが、その前にもまだ考えなければならないことがありそうな気がしています。たとえば、「実務家として」と「研究者として」という区分がそもそも漠然としすぎているのではないか、「研究者」と括ってもそこには多様な姿勢、多様な立場があるのではないか、別の区分を持ち込んで議論しないといけないのではないか、など。おそらくはこういった点が詰められていないがゆえに、立論が錯綜しています。まとめてみます。

1 研究者であるから研究者として発言する(研究者でしかないから研究者として発言せざるをえない)のがよい。
2 しかし、「研究者でしかない」という立場を純粋に採用することはできない。それはわたしもまた実務家としての側面を有しているからである。
3 ゆえに、採用しうる立場は「研究者であり実務家でもある」でしかなく、「研究者であり実務家でもあるがここは研究者として発言する」という姿勢でしかない。
4「研究者として発言する」という点において、1も3も変わりがない(たぶん)。つまり、この点においてわたしとわたしの専門分野の人びととのあいだに違いはない、あるいは薄い。結局は「研究者として発言する」のであれば、両者は同じである。
5 前回のエントリの「研究者」と「実務家」という単純な2分法は失効する。

 そして

6 わたしの「わたしは研究者でしかない」という単純なアイデンティティも崩壊する。

 わたしは研究者である、わたしは研究者でしかない、というように、わたしは研究者であることに自分の存在根拠のほとんどすべてを賭けてきました、というより、賭けることができてきました。そこに「として」はありません。それ以外にないからです。実務家というあり方もすぐ近くに存在しましたが、それを選びたいとか選ばざるをえないとか、そういう状況にも(厳密にはある時期から)ありませんでしたから、「研究者」は選択する対象ではありませんでした。そこに教育者=実務家という役割、「教育者」として振る舞わなければならない側面が加わりました。わたしは、その新たな役割・側面とこれまでの自己認識との関係をうまく処置できていないようです。つまりそれは、生活と仕事との関係、“生きること”と“生きるためのこと”との関係が発生したことへの自覚と戸惑いです。講義をすることが嫌なわけではまったくないのですが、わたしはここでハンナ・アレントを思い出しています。

 人は「として」生きる以外にないのかもしれませんが、わたしはそれに虚しさを感じます。

 といった内容を前回のエントリの翌日に考えたような気もしますが、これで全部なのか一部なのか判断が付きません。内容がまだ整理しきれていないようにも思います。思い立ったら、というか、考え立ったらすぐに書くことの重要性を再認識するとともに、頭に残っていないのならその程度のことではないか、とも思ったりも(少し)しています。

@研究室
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by no828 | 2014-02-13 19:46 | 思索 | Comments(0)
2014年 01月 30日

Aが不足しているからAを充足させる以外にない、こともない

 昨日は、都内某本部で勉強会でした。実務家と研究者とをつなぐという趣旨の勉強会です。毎回——といっても年に4回くらいのペースで開催される——勉強会のあとは懇親会がありますが、出席したことはまだありません。毎回、今回こそは、と決意して勉強会にも臨むのですが、勉強会が進むなかでわたしの居場所のなさ、わたしの存在の不似合いを痛感していきます。実務と研究とのつながりは、この分野の性格からして意識せざるをえませんが、そのつながり方、つなげ方には多々様式があるはずです。しかし、わたしのような様式はなかなか入り込む余地を見出せません。「研究者」として勉強会の場にいる人びとも、わたし以外はほとんど実務ののちに大学に来られた方々で、その言葉の極限の意味における「研究者」では必ずしもないように思われます。したがってとても意地悪な言い方をすると、実務家と研究者とをつなぐ勉強会というよりも、実務家と元実務家とをつなぐ勉強会になりかねないとも思います。そんなわけで、その言葉の極限の意味における「研究者」であらんとしてきたわたしはとても肩身が狭いのですが、だからこそこういう場に臨んで実務家の方と話をし、また、この分野の“共通理解”のようなものをわかっておく必要があるとも思っています。わたしの議論は、実務の最前線の人にわかってもらわないと意味が半減するのかもしれない、と最近思ってもいます。だからこそ、なのでありますが、しかし懇親会への出席の気持ちは少しずつ萎えていき、結局は断念するという、そういうことが続いています。そもそもわたしは、懇親会が苦手、ということもこの断念を手伝っています。

 肝心の勉強会本番からは、毎回学ぶところが多くあります。誘ってくださった先生には感謝以外にありません。わたしの立ち位置が即座に承認される場よりも、承認されにくい場に身を置くことで学ぶこともあります。居場所がない、といって寂寞に暮れるだけでなく、居場所がないことから学ぶこともあると期待しています。

 昨日は、質問したいことがあったのですが、全体の質疑応答の時間自体が短くなってしまい、これも断念せざるをえませんでした。だからこそ懇親会へ行ってそこで、とも思ったのですが、居場所を見つけられない・作ることができないがゆえの自己肯定感の低下ゆえに、その自己内意見も最終的には却下されました(というか、しました)。

 その質問とその周辺のことをここに書きます。が、ご発表内容を具体的に記してよいものかわかりませんので、踏み込んだ記述は避けます。また、これは「公開質問状」などではなく、自分の頭の整理のためのものです。

 昨日は研究者の側からのご発表でした。そこで問題点と間接的にせよ指摘されていたのは、初等教育における中途退学であったように思われます。中途退学はこのようにある、ではこの中途退学の背景には何があったのか、という点が社会(科)学的に探索されていました。学会大会の発表であればこれでよいでしょう。しかし、昨日の勉強会は実務家と研究者とをつなぐことが目指されています。具体的に言えば、援助にどう結び付けるのか、をも思考の範囲に含めることが望まれています。あの場で示唆され、また、共有されていたのは、いかに初等教育の中途退学を減らすか、であったように思われます(違っていたらどうしよう)。

 では、思考すべきは、いかに初等教育の中途退学を減らすか、そのためにいかなる援助が必要か、(だけ)でしょうか?

 それ(だけ)ではないはずだ、とわたしは考えていました。つまり、子どもが初等教育段階で中途退学しても生きていける社会をどう維持・設計するか、そのためにいかなる援助が必要か、という方向で(も)考えを進めることが少なくとも論理的にはできるのではないか、ということです。現地の人が、と「現地の人」は政策立案者なのか親なのか子どもなのか、裕福な家庭なのかそうではないのかなど多種多様であることを承知で書きますが、その現地の人が初等教育の中途退学を問題として認識しているのかどうか、さらには客観的に観察してその現地の人の属する社会は小学校卒という学歴がないと生きにくい社会なのかどうか、そういった点(こそ)が重要なのではないでしょうか。もし、初等教育の中途退学は主観的にも客観的にも問題ではなさそうだ、と判定されたなら、中途退学しても子どもがよく生きられるという方向での社会の維持・改善が求められることになるのではないでしょうか。むろん、援助の主客が政府系の場合は、こうした道筋は採りにくいとは思います。

 ご発表のなかでも、親が学校教育を重要視していない、とか、小学校を卒業しなくても家業(農業)を継いで生活することができる、とか、小学校を卒業したからといって高賃金の仕事に就けるわけではない、などの紹介がありました。この状況で、初等教育の中途退学は(誰にとって)問題なのでしょうか? 何が問題なのでしょうか? それが問題だと言うとき、どういった価値規準に依拠しているのでしょうか? もちろん、なかには学校に通いたいと願う子どももいるかもしれませんし、そういう子どもには通路をきちんと確保したほうがよいかもしれませんが、確保すべき通路はそれ(だけ)なのか、と考えることもできます。

 また、このご研究の結果を現地の人に見せたとき、「これは大変だ」と順応されるのか、「だから何?」と反応されるのか、どういった応答があるのか、その見通しも必要だと思われます。というのも、このご研究の結果を現地の人に見せることにより、現地の人の認識が変化させられうるからです。「だから何?」の人を「これは実は大変なことなのだ」へと変化させうるのです。ましてやそこに援助として初等教育の途中退学の減少が掲げられれば、現況が問題なのであるとの認識が一般化するかもしれません。わたしはそこに実務家の「応答責任」、研究者の「応答責任」ということを考えてしまいます。小学校卒でなくても十分に生きていけた社会を、小学校卒でなければ生きていけない社会へと変化させる、その背景に雑多に絡まりあって存在するであろう要因からこの分野における何らかの関与を取り除くことはできないでしょう。

 昨日の勉強会のはじまりに、「ハーフ&ハーフ」という言葉が出されました。昨日ご発表の方を“実務家でもあり研究者でもある人”といった意味で形容する言葉として出されました。わたしはビールのハーフ&ハーフは好きですが、この分野での立ち位置としては“研究者でしかない人”です。黒なら黒です。そこから言えることはあるはずだ、研究を実務へとつなげるときのつなげ方は少なくとも論理的には複数ありうるはずだ、つなげないというつなげ方もあるはずだ、と思います。この位置の存在意義も、この勉強会においてはまだよくわかりませんが、どこかにあるはずだ、と思いたいです。

 以上、文字だらけ、久々の「思索」エントリ。

@研究室
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by no828 | 2014-01-30 18:18 | 思索 | Comments(0)
2011年 03月 03日

スラム街の子どもたちの笑顔が眩しかった、でよいか

 開発や援助などに興味を持った一般の人びとが、あるいは、何らかのアピールを依頼された著名人が、いわゆる途上国に行くことがある。わたしも前者のカテゴリに属す者として過去にバングラデシュを訪れたことがある。

 そうした人びとが抱く感想のひとつの典型に、以下のようなものが挙げられる。

 幸福の規準はお金ではない。幸福の価値観は人それぞれだ。
 物質的に貧しくても、それは必ずしも不幸ということではない(物質的に豊かでも不幸な人が多い日本を見よ)。
 1日1ドル以下の生活を送る人びとを指して貧困だと言うけれど、彼/彼女らに悲壮感などまったくなかった。彼/彼女らはとても明るかった。彼/彼女らは貧しくなどない。人間の状態を貨幣というひとつの規準で計測すること自体が間違っているのだ。
 スラム街の子どもたちの笑顔が眩しかった。
 お金がなくてもたくましく生きる人びとの姿に感動した。
 幸せかどうかは、人それぞれの気持ちの持ちようなのだ。
 
 これらは、実はバングラデシュを訪れたある方の率直な感想である(参照したのは某省庁の某メルマガ)。わたしもこれらの感想自体を否定する気はない。しかし、これらが言説として流布していくと、そこには問題が生まれるように思われる。

 どういうことか。

 上掲の感想では、「幸福度」と「所有貨幣量の多寡」とが切り離される。つまり、お金を持っていなくても幸せにはなれるのだし、逆にお金を持っていても幸せになれないこともある、要はお金を持っているか持っていないかではなく、当人の前向きな気持ちが大切なのであって、それこそが幸せであるための条件なのだ——と、こういうことになる。

 この論理はかなり容易に、それならばお金がなくても大丈夫だ、開発や援助は必要ない、お金がなくても幸せなのだから、彼/彼女らの価値観はお金を重要視していないのだ、というところに行きやすい。

 しかし、お金は生きるための大切な手段である。そして、生きるための大切な手段としてのお金という位置価は、グローバリゼーションによって広く共有されるようにもなっているのではないか、と思われる(ここはあくまで「思われる」の範囲を逸脱しない)。

 これは貨幣社会に生きるわたしの捉え方にすぎないのかもしれない。少なくとも日本社会は貨幣社会である。貨幣を持たない者が生きることは困難な社会である。

 そのような日本社会とは異なり、貨幣がそこまで浸透していない非貨幣社会、亜貨幣社会、あるいは未貨幣社会も世界には存在しているかもしれない。むろん、ここでの「社会」の範囲は国境で区切られた空間ばかりではない。それよりももっと小さな単位を見つめれば見つめるほど、貨幣社会ではない社会のありようが見えてくるかもしれない。

 だが、バングラデシュの少なくとも首都ダッカは、貨幣がなくては生きにくい社会であろうとわたしには感じられる。わたしは通りで何度も貨幣を求められた。もちろん、わたしの限られた経験は不十分な根拠にしかならない。しかし、わたしの感触それ自体は事実であり、その感触は上に掲げた感想と論理的には等価である。

 また、このようなわたしの感触には、開発や援助ではなく、自ら働くことで発展していくことが望ましいと考えている途上国ベースの起業家・企業家の方々も共感するのではないか。なぜならば、彼/彼女らも商品の対価として貨幣を受け取ることを前提・条件にしているからであり、それはつまり貨幣のあることが個々の人びとの労働を介した人間的・社会的な発展の礎になると考えているはずだからである。

 このように考えてくると、お金がなくても幸せになれる、という判断は、ある程度のお金がないと幸せになるための条件が整備できない、という(仮定的)事実を捨象することになりかねない。大切なのはお金ではなくて気持ちなのだという意見は、実はお金がないと生きられない・生きにくい社会に存在する人びとを——強い言い方をすれば——見捨てることにもつながりかねないのである。

 これら大別して2つの見方に共通する態度、すなわち“外部”からあなたは幸せだとか、いや幸せではないとか、そのように判定を下すことそれ自体の妥当性も問われなければならない。これは、幸福は主観的にしか評価できないのか、それとも客観的にも可能なのか、という問題でもある。わたし自身は後者の余地を残す方を支持するが、それでも外部から「あなたは自分では幸せだと言っているが、“本当は”不幸なのだ」とか、逆に「あなたは自分では不幸だと言っているが、“本当は”幸せなのだ」とか、そのようにして断じることは支持していない。ただ、人間の主観とはきわめて曖昧なものであり、だからこそ操作可能なものであり、それゆえに主観にすべてを委ねる方途は採りたくない。

 最後にやや跳躍してしまった感があるが、つまりは“彼/彼女らはお金がなくても幸せなのだ、子どもたちの眩しい笑顔を見てみなさい”という言説は“彼/彼女らはお金がなくても大丈夫だから放っておけばよろしい”という言説に容易に転じうるのであり、そこには注意を払う必要があるのではないかということなのである。


@研究室 
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by no828 | 2011-03-03 21:31 | 思索 | Comments(6)
2011年 01月 19日

人間の生存、存在が他の人間の気分に左右されてはいけない

 中島岳志さん(@nakajima1975)が、1月15日のツイッターで以下のような文章を書いていた(わたしもRTした)。

「タイガーマスク騒動。問題は「社会的再配分の動機づけ」がサステイナブル(持続可能)なものかどうか。日本は宗教社会ではないので、どのようにして動機づけを持続させるかがポイント。一連の騒動がネタで終わらないようにする方法を考える必要がある。「新しい公共」論における必須のテーマ」

 基本的に同意見である。ただ、ちょっとひっかかったこともある。ひっかかったと言っても悪い意味で、ではない。ひっかかること自体も悪いことではない。むしろ大事なことだ。そこに〈わたし〉が立ち上がるからだ。

 ひっかかったのは、「「社会的配分の動機づけ」がサステイナブル(持続可能)なものかどうか」というところである。サステイナブルであったほうがよいのは(あるいは、サステイナブルであるべきなのは)「社会的配分の動機づけ」であって、「社会的配分」それ自体ではない。わたしはそこにひっかかった。

 どういうことか。

 “「社会的配分の動機づけ」がサステイナブルか”と、“「社会的配分」がサステイナブルか”とは、異なる。前者のポイントは、「動機づけ」に置かれているの対し、後者のはそのまま「社会的配分」である。後者の“「社会的配分」がサステイナブルか”の場合は、必ずしも「動機づけ」を問題にしない。なぜならば、「社会的配分」自体をサステイナブルにするには、それを(年金などのように)制度化することもひとつの“仕掛け”になるからである。つまり、税などのかたちで強制的に資源を調達し、それを「社会的」に(というよりも国家的に?)「配分」することも考えられるし、実際に行なわれてもいる。

 しかし、前者の“「社会的配分の動機づけ」がサステイナブルか”の場合は、(少なくともすぐには)制度化のほうにはいかない。むしろ制度化に頼らない社会的配分を構想するはずである。だからこそ、「社会的配分」は個々人の「動機」に委ねられることになる。それゆえにその「動機」がサステイナブルであることが求められるのである。

 なるほどと思い、わたしはこれを否定しない。この制度(あるいは国家)に依拠しない「社会的配分」の姿は、だから「新しい公共」論、つまり公共=国家、公共=官、という見方からの逸脱の議論の対象となる。あるいはそれゆえに「分配(distribution)」ではなく「配分(allocation)」ということばが使われてもいるのであろう。

 だが、わたしはそこに危うさも見てとってしまう。


 昨年の夏、東京大学にマイケル・サンデル先生がやってきたのを憶えている方もいらっしゃるであろう。実は、わたしはサンデル先生のその授業を受けた。そのことについては、とくに理由もないのだが、ここには書いていない(はずだ)。

 ご存知のように、サンデル先生の授業形態は、対話型である。サンデル先生が問いを学生に振り、学生たちがそれに応答し、学生同士で議論も起こる。

 東京大学の“教室”では、いくつか問いが投げかけられた。そのうちのひとつは、“再分配はなぜ正当化されるのか”というものであった。これに対し、経済的に豊かな者によるボランタリーな寄付などによって再分配がなされればよい、といった意見が出された(だが、この問いはイチローの年収がオバマより高いことは正当化されるのか、されるとすればなぜか、という別の問いへとずれていった。でも、議論は再分配からはじまったのだ)。

 わたしはこの意見に賛成ではなく、だからわたしなりに答えようと思った。発言しようと思った。だが、挙手する前に時間が来てしまい、話題は別のものに移されていった(わたしは考えるのに時間がかかる)。 

 わたしが立論しようとしたのは以下のようなことだ。すなわち、再分配(国家などによる制度的・強制的なそれ)は正当化される、なぜならば、再分配される資源を頼りにしてのみ(たとえそれが本意ではなくとも)生きることができる人びとがいるからである、その人びとの生存、存在はその再分配される資源に左右されることになる、だから再分配は「ボランタリーな寄付」のような、いつ途切れるともわからないものであってはならない、つまり“今月は気分が乗らない(ボランタリーな気持ちになれない)から寄付しない”とか、そういう偶然性に左右されるようなかたちでの再分配は認められない、人間の生存、存在はそれとは別の人間の気分に委ねられてはならない、ゆえに制度的・強制的な再分配が求められるのであり、それゆえに正当化もされるのである、というものである。わたしはこういうことが言いたかった(言えていればテレビにも映ったかもしれない)。

 これを某後輩に説明したら、それは再分配を頼りにする人びとを弱者、受動者として捉えすぎている、彼/彼女らの主体性を無視している、と言われた。たしかにそういう側面は否めない。だが、精神的にどれだけ主体的であろうとしても、身体が動かない、そういう人もいる。そういう人に対し、それはあなたが主体的でないからだと、実際に動いていないから仕方ないのだと、果たして言えるであろうか。できないことはできないのであり、それは別に“弱い”とか“受動的である”とか、そういう問題ではない。誰にでもできないことはある。そのできないことがたまたま“働く”である人もいる、そういうことであり、あるいは単にそれだけのことであるとも言えるかもしれない。

 以上のわたしの意見のポイントは、人間の生存、存在が他の人間の気分に左右されてはいけない、というところにある。これは「社会的配分の動機づけ」とも絡むことである。

 繰り返すが、わたしは中島さんのご意見に反対ではない。「動機づけ」が「サステイナブル」であればわたしの懸念することの問題性は低下するであろう。しかし、「動機づけ」は「サステイナブル」に人為的にすることのできるものなのであろうか、という気もする。「動機」は操作可能なのか。そしてそれよりもわたしが気になるのは、「動機」はそれほどに強固なものなのかということである。

 今回のタイガーマスク現象は、そのうち縮小していくであろうとわたしは思う。わたしはこの現象自体を否定的に見ているわけではない。むしろ肯定的に捉えている(偉そうな言い方だ)。広がっていけばよいとも思う。だが、このまま行くとも思えない。中島さんが「サステイナブル」を問題にするのも、同様の見方があるからではないか。

 だからこそ「動機づけ」を「サステイナブル」なものに、というのが中島さんのお立場。

 だからこそ「動機づけ」というよりも「制度」を、というのがわたしの現時点での立場(あくまで現時点での、です。この問題について考え抜いたという実感がまだないので、これから変わるかもしれない。考え抜いてから書くべきだという意見もあると思うが、とりあえず考えたところまで書くのも大事だと思うのでわたしは書く)。

 わたしので行くと、結局国家を強化することになる(本意ではない)。というのも、国家に代わる再分配主体が今のところはないからだ。国家ではない再分配主体を構想することもひとつの道だ。しかし、今どうするのか、と政策的・制度的に問うならば、再分配主体は国家だ、ということになる。だから「新しい公共」という議論からは外れることになるかもしれない。

 しかし、その国家は今、(少なくとも財政的に)頼りたくても頼れないし、国家に頼ることはよいことではないという思想状況にもある。「新しい公共」論が出てきたコンテクストがこれであることは間違いないであろう。だから「新しい公共」論は、終わったとされる新自由主義(ネオリベ)へと回帰的に転轍される可能性もある。

 どうすればよいのか。と書いてわたしには別に答えがあるわけではない。とりあえず自分の考えを言葉にしてみようと思った。ずっと頭の中にあったことだからだ。中島さんのツイートに触発されて文章化を試みることにした。うまくいっているのかどうかはわからない。が、とりあえず書いてみた。だが、答えを出したわけではない。再び考えていきたいと思う。国家は何をどこまですべきなのか、というかつてフンボルトやミルが取り組んだ問いが、決して色あせていないことはたしかだ。今改めて問われていることは間違いない。


 本当は前のエントリでこういうことを書こうと思っていたのだが、近況を少し書いてからこれに接続させよう……という想定が全然うまくいかず、結局別のエントリで行くことにしたのであった。


@研究室
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by no828 | 2011-01-19 22:04 | 思索 | Comments(0)
2011年 01月 13日

すべては状況論である、か

c0131823_15142939.jpg 木曜3限の大学院の授業では、今日から学期末まで市民社会論を検討することになった。テクストは、わたしが以前につぶやいてもいた、植村邦彦の『市民社会とは何か——基本概念の系譜』(平凡社、2010年)になった。

 この本では、「市民社会」という概念の翻訳時における意味内容の変容について、アリストテレスの思想から日本の平田清明などの「市民社会派マルクス主義」による受容までという時間的・空間的射程をもって説き起こされている。具体的に言及・論及される哲学者・思想家は、ホッブズ、ロック、スミス、ヘーゲル、マルクス、などなどなどで、彼ら(男だけ)特有の「市民社会」への意味付けが丁寧に追跡されている。新書にしては、超重量級の内容と言ってよい。一読して、ハードカバーになってもおかしくない内容を展開しているようにわたしには思われた(そのため、教育学の授業でこの本を読むことには若干の戸惑いもあり、3学期に読む文献として提案することをわたしは控えていたのであった)。

 今日先生が、この点がおもしろい、と指摘されたのは、ロックにおける「市民社会」の理論的概念構成の仕方である。ロックは、個人の私的所有権を軸に市民社会を捉えていたが、なぜロックがそのような思想を形成するに至ったかと言えば、それは“未開の大陸”アメリカの開拓状況を念頭に置いていたからである。つまり、“ここは俺の土地だ”で所有がどんどんと画定されていったアメリカを横目に見ながら、ロックは市民社会というものを考えていった(ちなみに、『アメリカのデモクラシー』においてトクヴィルも、アメリカが私的所有の国である様子を描写している)。

 これのどこが「おもしろい」のかと言えば、ロックは決して頭の体操をしていたわけではない、つまり、アメリカという現実の状況を前に思考を展開させ、それを理論へと結実させていった、というところである。ロックの私的所有権とだけ言われてもよくわからないが、なぜロックがそのような論を展開したのかまで説明してくれるのであれば、ロックの“思想”というひどく抽象的なものでも理解することができる、そういうことである(らしい)。

 これは思想史の方法論において“思想課題を明らかにする”ということでもって指示されることである。Aという思想家のαという思想をよりよく理解するために、そして/あるいは、αという思想の新たな側面をも照らし出すために、Aがなぜαという思想を練り上げるに至ったのか、何を課題として、何を乗り越えようとしてαという思想を築き上げたのか、つまり、Aにとっての思想課題は何であったのか、それを明らかにするということである。

 思想は真空空間で錬成されるものではない。ある時代のある場所で、つまり、ある状況で、具体的に存在する人物が練り上げていくものである。思惟の存在被拘束性ということを、たしかカール・マンハイムが指摘していたが、思想は状況に埋め込まれたかたちで熟成されていく。この点を哲学者(のちに思想家と遡及的に名指される人)自身が自覚しているかどうか、そして、その哲学者の思想を学ぶ人たちが意識しているかどうか、それらはきわめて大事なことであるとわたしは思う。

 話を戻そう。ロックは具体的な状況の中で思想を作り上げていった、それがおもしろい、という話であった。

 先生は、だから状況を無視して思想を作ることはできないのだ、状況を意識して思想を展開せざるをえないのだ、とおっしゃった。そのとおりである。だが、それに急いで付け加えなければならないのは、頭の体操と揶揄されるような哲学・思想であっても、それは何らかの状況を踏まえて行なわれているのであって、単純な頭の体操は存在しない、つまり哲学・思想に対する“頭の体操”という批判は、実は当たらないということである。

 もちろん、哲学者の多くが状況論を展開していないのはたしかである。だが、後れて生まれてきた者は、その哲学者の埋め込まれた状況を離れたところから観察することができる。そこから、なぜその哲学者はその時期にその場所でそういうことを言わなければならなかったのかが見えてくる。それを含めて思想というものは理解しなければならない。

 だからすべては状況論だ——とはしかしわたしは考えない。状況の底をつなぐような普遍性があるのではないかと考えてしまう。普遍性をあきらめることがわたしにはできない。

 その理由のひとつには、まさに状況論の陥穽があるからだ。今、このような状況にある、だからわたしはこのような考え方(のちに思想と名指されるもの)を提示したい——このような論の立て方は、いつの間にかその状況自体に呑み込まれてしまうおそれがある。とくに、その状況に対する批判を展開する場合、つまり、そのような状況であるとすれば(if-then)このような批判が当たるはずだ、というふうに論を立てる場合、その状況を一旦は前提としなければならない。そのため、その状況認識は批判対象と批判者とが共有することになる。すると、少なくとも言説の次元では、批判者も加担してその状況を再強化することにもなってしまう。

 そうならないためには、状況論を十分に意識しながらも、その状況に惑わされないための、その状況に回収されてしまわないための普遍性に、片足をしっかりと突っ込んでおく必要がある。〈いま-ここ〉でなくてもそれがあてはまるのかどうかというその位相に思考を届かせようとすることは、とても大切であるとわたしは思う。その位相を「普遍性」と呼ぶのならば、その普遍性は頭の体操でしかないと言われても、わたしは普遍性をあきらめきれない。


@研究室
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by no828 | 2011-01-13 16:52 | 思索 | Comments(0)
2010年 11月 14日

「日本語になっていない概念はダメだ」は本当か(2)

 前のつづき。「日本語になっていない概念はダメだ」は本当か(いや、違うのではないか)、という話のつづき。

 江戸から明治に変わるとき、変わってから、日本列島に外語がたくさん流入してきた。これから「日本」として西欧列強に追いつくために、「日本」には西欧のことばを「日本語」に翻訳することが急務となった。その任務にあたったのが、福沢諭吉とか西周とかである。

 “philosophy”を「哲学」と翻訳したのは西である(はずである)。漢語との関連から(「希哲学」を経由して)「哲学」となったわけだが、「哲学」という概念をいくら掘っていっても、“philosophy”の有する深みには到達しない。「哲学」は記号としては流通しているものの、概念としてはやはり“philosophy”という元の概念を経由しないことには、その意味内容を掴むことはできない。

 そのようなことを前回書いたのであった。

 「哲学」も日本語になっていないと言えばなっていない。が、「哲学」はそれが何であるかわからなくはない。なぜかと言えば、理由は大きくふたつ考えられる。ひとつは、「哲学」が日本語に登録されてから多くの時間が経過しているから、そのぶん浸透しているからである。何事も“それ”が“奇異”から“普通”に変換されるには長い時間がかかるのである。理由のもうひとつは、「哲学」の原語である“philosophy”とは何か、ということが“philosophy”という概念の元にきちんと考えられているため、「哲学」とは何かを考えるさいに、そちらを経由することができるからである。「哲学」自体がわからなくても、“philosophy”がわかれば「哲学」もわかるようになる、ということである。

 ここでは後者の理由付けを大切にしたい。この理由付けを「日本語になっていない概念はダメだ」にあてはめて考えてみると次のようになる。

 「日本語になっていない概念はダメだ」を分解すると、「この概念はダメだ、なぜならば日本語になっていないからだ」になる。「この概念はダメだ」は、「この概念はよくわからない(だから使えない)」である。そして「よくわからない」のは「日本語になっていないから」である。

 しかし、さっきの理由付けを参照するならば、「この概念はよくわからない」のその理由は、元になっている外語の概念をきちんと理解していないから、ということになる。「日本語になっていないから」は理由にならない。日本語の外からやってきたことばを日本語にするには、そのことばの元々の意味を理解した上で、そのことばと近似する既存の日本語を対応させるか、または、対応させる日本語がなければ、造り出すか(「哲学」のように)、あるいはそのままカタカナで表記するか、という3つの方法を採ることになる。

 いずれにしても必要かつ重要なのは、“そのことばの元々の意味を理解する”ということである。それ抜きにそのことばを「わかる」ことなどできない。“カタカナで表記するイコールわからない”ではない。日本語に対応しないからカタカナで表記するのである。そして、そのことばに対応する日本語がないことを見定めるためには、そのことばが何であるかをまず理解しなければならない。これは逆に言えば、そのことばはどう考えても日本語にならないということであれば、それをカタカナで表記しても構わない、ということになる。無理に既存の日本語で対応させたり、漢字で表現したりすると、かえって元々の意味がねじまげられることもある。しかし、最近は“何だかわからないからとりあえずカタカナで”ということになっているようにも見受けられ、それはちょっと違うのではないかとわたしは考えている。

 もちろん、“何だかわからないけれど何だか大切なことを言っていそうだ”の時点でカタカナにして日本語圏に紹介するのは構わない。だが、それは期間限定であるべきだ。そのあいだに、つまりそのことばは結局何を意味しているのか、どういう深みと広がりを持っているのかを、きちんと理解する必要がある。外語である以上その理解度に限界はあるとしても、である。その上で、既存の日本語で対応させるのか、新たな漢字表現を造り出すのか、カタカナのままにするのかを決めるべきである。

 その外語に対応する日本語がなく、かつ、造り出すことも難しい場合には、カタカナで表記するしかない。このときになすべきはお茶を濁すことではなく、どうしてカタカナで表記せざるをえないのか、なぜ日本語に対応しないのかを明確に説明することである。その説明をするためには、やはりそのことばの外語での元々の意味を理解することが必要不可欠なのである。
 
 以上から、「日本語になっていない概念はダメだ」は受け入れられないことが明らかとなる。言うべきなのは、「その外語のことばの元々の意味を理解しないとダメだ」であって、“日本語になっていない”という事実だけで「その概念はダメだ」と言ってはいけないのである。


 つづく? おわり?


@研究室
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by no828 | 2010-11-14 18:23 | 思索 | Comments(0)
2010年 11月 12日

「日本語になっていない概念はダメだ」は本当か(1)

 甘木先生がよく言われることに、

 日本語になっていない概念はダメだ

 というものがある。外来の概念で、かつ、日本語にならないからカタカナで表記している概念はやっぱりダメだ、使えない、ということである。

 果たしてそうなのか、というのがわたしの疑問である。この疑問にはさらに背景がある。それはつまり、そもそも「日本語」と呼ばれるものの範囲とは一体どこからどこまでなのか、日本語と外語との、たとえば日本語と英語との境目はどこなのか、という疑問である。この問いがあるから「日本語になっていない概念はダメだ」は本当か、ということにもなる。
 ここでは背景にある疑問はひとまず措き、「日本語になっていない概念はダメだ」について書く。予め述べておけば、これは答えがすでに出ているから書いているのではない。答えが出ていないから書いている。だからうまく結論が書けるかわからない。

 「哲学」にしても、「科学」にしても、これらは外語からの翻訳語である。江戸から明治に変わる頃、あるいは変わってから、外来の言葉を日本語、というか漢字に訳す作業が行なわれた。それを担ったのは、福沢諭吉や西周〔にし あまね〕らであった。「哲学」は、philosophy からの、「科学」は science からの翻訳語であって、元来の日本語にあったわけではない(「元来の」?)。ちなみに、「哲学」は最初「希哲学」とされていたが、いつのまにか「哲学」に落ち着いた、とされている。「知を愛する」が philosophy の原意だとすると、「希哲学」の方が“っぽい”気がする。わたしは未だに「哲学」という記号は単に記号でしかないという気がしている。もちろん、「哲学」という概念が指示する内容は“ま、こういうことでしょ”というふうにはわかる。

 では、「哲学」や「科学」は日本語ではないのか。日本語ではない、とは言えないのではないか。これらの語を使うときに「日本語になっていないからダメだ」と言われたことはない。だが、これらはもともと外語由来の概念である。わたしからすれば「哲学」は日本語になっていない。しかし、だからダメだ、とは考えない。というのも、大事なのは「哲学」という記号ではなく、その指示する内容を理解することだ、概念として「哲学」を掴まえることだ、と考えているからである(ただ、こっそり書いておくと、「哲学」は記号としてあまりよくない気もするから、他に何かないかな、もっとふさわしい記号に代替させてもよいのでは、という気はしている)。

 わわわ、読書会の時間が迫っている……。

 つづく(たぶん)。


@研究室


 という内容を17時前に投稿したのだが、うまくできていなかった。
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by no828 | 2010-11-12 20:49 | 思索 | Comments(0)
2010年 08月 10日

認められるとか認められないとかを書いた背景

 昨日のエントリには言葉足らずのところがあったかもしれない。

 文中に出した「偏屈」とか「変態」といった言葉は、「情熱大陸」の番組の中で目黒さんが(間接的に)使ったり、ナレーションで使われたりしたものです。わたしが直接言われたことがあるというわけではない。陰で言われているかもしれないけれど、それは知らない。

 認められる、認められない、という言い方をして、それは一体誰にだ、と訊かれて、できるだけ多くの人、と答えた。わたしは基本的にわかってくれる人にだけわかってもらえればそれでよいと考えている。もちろん、そこからわかってくれる人、言ってみれば味方が少しずつでも増えればなおよい、とも考えている(そんなに多くなくてもよいが)。研究論文にしてもそう。すぐに広まる必要はない。50年後、100年後にまで残るような研究をしたい。50年後、100年後に、わたしと同じような問題意識で研究しようと思った人が現われたとして、その人にとって多少の道標になるようなものを残したいと思う。わたしはこういう道を通って、それでここまで来て、そしてこういうふうに行こうと思っているのだと、そういう道標を渡せればよい。本というかたちになったときでも、その考えは変わらない。

 わたしが先のエントリで念頭にあったのは、ぶっちゃけ、就職ということだ。大学への就職を考えたときに必要なのは業績と能力だ、と信じてきたが、どうもそうではないらしいことが、学年が上になるにつれてわかってきた。大学への就職に必要なのは、業績と能力とコネだ。というか、業績と能力がなくてもコネがあれば就職できる。能力の判定はわたしにはできないから純粋に業績だけで言うと、論文0本でも就職した人をわたしは知っている。査読付全国誌に論文が載ったことがなくても就職できた人をわたしは知っている。どうして、と考えて、答えは決まっている。コネだ。コネがあったからだ。「公募」と言われても、実際はまったく「公」ではないこともあるらしい。すでに採用する人は決まっていて、その人を採用するための条件を示すような、そんな名ばかりの「公募」を出す。何も知らずにそこに応募して、普通は採用までのプロセスに数ヶ月かかるのに、数週間で返事が来たりする。「あなたの希望には添えない」と。採用者決まっているのに公募を出すなとわたしは言いたい。それもコネだ。逆に言えば、コネがないと就職ができにくいということでもある。わかってくれる人にだけわかってもらえればよい、というスタンスは、あるいはここでは邪魔ということなのか。

 わたしはそんなこと聞いていない。研究者としての能力を高めて、それを業績というかたちに反映させて、そうすれば就職できると言われてきたし、だからそう信じてきた。だが、実際はそうではない。でも、わたしにはコネなんてものはない。

 それならそうと早く言ってくれ、コネを作り、コネを広げることにもっと時間と労力を使ったのに、下げたくない頭も下げたのに、気に入られるために言うことは何でも「はい!」と聞いたのに、とはしかし、まったく思わない。そういうことを知っていても、たぶん業績と能力で勝負することにしたのであろうとわたしは思う。

 しかし、それで本当に勝負できるのか、とどこかで思っているのも事実だ。これは認めなければいけない。

 ひとつのことにずーっとこだわって研究してきた人をわたしは知っている。業績もある。そして、その人が結局大学に就職できていないこともわたしは知っている。ひとつのことにこだわって研究してきた、だから、就職できない、なのか、ひとつのことにこだわって研究してきた、しかし、就職できない、なのかはわからないが、前者の可能性が否定できないことはたしかだ。

 もちろん、大学に就職できた、あるいは研究機関に就職できた、ということが研究者にとって、認められた、ということをすぐに意味するわけではない。研究したいと思う者にとって「認められた」とは論文が載ったとか本になったとか、そういうことだと思う。論文も書かずに「研究者です」なんて言ってはいけない。

 だが、論文を書くだけで生きていけるか。生きていけないのだ。お金を稼がないと生きていけないのがこの社会だ。わたしはそれは間違っていると思うが、しかし事実はそうなっている。だからそれに順応しないことには文字どおり生きていけない。

 お金を稼ぐ方法はたくさんあると言われるかもしれない。コンビニで働きながら論文を書くこともできるはずだと言われるかもしれない。昔、まだ学類生の頃、先輩(カブさんです)にこう言われたことがある。牛丼屋で働きながら研究する覚悟はあるか、と。たしかにそうだ。そういう覚悟を決めないといけないときが来るかもしれない。だが、わたしにはその覚悟がまだない。正直、怖い。一旦大学の枠から外れて、再び大学に就職というかたちで戻ることができるのか、そういうことが許されるのか。これは意思の問題だけではなく、制度的・風習的な問題でもあるはずだ。

 それよりも何よりも、わたしは単純に大学という場所が好きなんだと思う。授業がしたい、ゼミがしたい、論文の指導がしたい、読書会がしたい、酒の席でも研究の話がしたい、自分の研究もしたい、そういうことを満たしてくれるのが大学だ。だから大学に勤めたい。しかしながらそのためには、研究以外のこともいろいろしておかなければいけないようなのだ。

 それならそうと早く言ってくれ、と先に書き、そう言われたところでそうしたとは思えないとも書いた。それはきっと、純然たる公募戦を勝ち抜いて大学に就職した先生方を知っているからだ。そういう可能性が少しでもあるのなら、わたしはその可能性に賭けてみたいと思う。

 
 たぶんここまで書いたようなことが胸の中にあって、それで認められるとか認められないとか、そういうことを書いたのだと思う。ここに、自分は何のために研究するのか、ということが関わってくるのだとしたら、わたしは次のように答える。それは自分の納得のためだ、と。まずは納得だ。そして、将来現われるかもしれない、わたしと同じような問題意識を持った研究者に襷を渡すためだ、と。わたしは、少なくとも人文・社会科学系の研究者で、「すぐに人の役に立ちたい」とか「直接社会の役に立ちたい」とか言う人をあまり信用しない。役に立ちたいのなら政治家になればいい。政治家を動かす官僚になればいい。政治家と官僚をびびらせる運動家になればいい。教育(学)で役に立ちたいと思うのなら、教師になればいい。研究者は基本的に役に立たない。だから「この研究は何の役に立つんですか」と訊いてくる人には、「どうしてそういう質問をするのですか」と訊きかえせばいい。役に立つとか立たないとか、それに絡めて言えば、そういう価値規準を少し外れたところから眺め、「何でもかんでも“役に立つ”っていうものさしで考えてよいのでしょうか」と言うのが研究者の役目だ。


 こういう、何というか、どろどろしたことはあまり書きたくないというか、そういうことを書いている自分が嫌だというか、そういうこともあったのだけれど、せっかくなので書いてみた、というところです、はい。長くなりました。


@研究室
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by no828 | 2010-08-10 17:50 | 思索 | Comments(6)
2010年 08月 09日

偏屈でありつづけたがゆえに

 今日は湿っぽいけれど、少し涼しい。朝起きて外を見たらコンクリートが濡れている。夜のうちに雨が降ったのか。昨夜は1時に寝て今朝は6時に目が覚めた。連続5時間睡眠は久しぶり。

 昨日は消化器系の調子があれで、夕飯は鰹節と生姜を載せた冷や奴。

 「情熱大陸」は料理人・目黒浩敬。福島県の生まれなんですね。ナレーションでは、新地町の出身だと言っていました。ちなみに、新地は相馬の方、太平洋沿い、宮城県との県境の町です。目黒さんの言葉のなまりが心地よかったです。

 そのなまりに親近感を覚えたのか、わたしは自分のことを反省しながら目黒さんのことを観ていました。

 ここは、自分のやり方を貫き通すにはなかなかに窮屈な社会です。「偏屈」でありつづけることの困難。わかってくれる人とわかってはくれない人に、やっぱりどうしても分かれ、数で言えば後者の方が多い。それでも変えずにやりつづけることには、そこそこの偏屈さが必要なのかもしれない。人はそれを「強さ」と呼んだりするのかもしれません。でも、その偏屈さが間違っている可能性もある。「認められない」という評価を受けるとき、それを気にしないこともできるけれど、実際にそうできる人はそんなには多くないし、すべての人は多かれ少なかれ周りの評価を気にせずにはいられない。

 自分が周りから認められないとき、数は少ないけれど自分のことを認めてくれる人はいるのだ、その人たちにわかってもらえればよいのだと、少し頑固になるか、間違っているのは自分だと、自分のどこが間違っているのかを振り返ってみなければならないと、少し謙虚になるか、あるいは間違っているのは周りだ、自分のことを評価できない周りが悪いのだ、自分はこのままでよいのだと、自信を持ってみるか。実際はたぶん、それらが少しずつ混ざって、行ったり来たりする。自信を持って、自分はこのままでよいのだと強がってみても、それはそうしないと現実に耐えられないからであったりもする。

 ただ、あいつは「変態」だと周りが言うとき、周りは「あいつ」を無視しているわけではない。視界の中には入っている。だからこそ「変態」だと呼ぶ。それは気になっているからだ。自分のやり方とは違うやり方で何とかしようとしている「あいつ」を見て、気に入らないと思う。「気に入らない」は「気になる」がないと生じてこない感情で、だからある意味、「気になる」にさせている段階で、「あいつ」には分があると言ってもいい。

 とにかく自分を貫いたとき、もちろんそのときの自分は時空によって多少の変形はあり、けれどもとにかくこれだと思ったことをしつづけたとき、周りはそれを見て「らしさ」とか「独自性」とか呼ぶのかもしれない。大事なのは「つづける」ということで、それがないと周りはそもそも認知すらしない。「偏屈」でも「変態」でも、認知されていることが重要なのだ。そこから「認められる」ということが出てくる。しかし、つづけたからといって認められるとは限らない。「偏屈」は「ただの偏屈」になり、「変態」も「単なる変態」になるかもしれない。

 偏屈をつづけたからこそ認められる人と、偏屈をつづけたからこそ認められない人。

 その違いは何か、どこか。


@研究室
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by no828 | 2010-08-09 14:37 | 思索 | Comments(4)
2010年 06月 01日

内在的批判の練習——国民国家(論)批判の場合

 社会学授業終わり。言いえなかったことのメモ。

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 版元

 課題文献は、以下。
・ 西川長夫,2001,「補論 グローバリゼーション・多文化主義・アイデンティティ——「私文化」にかんする考察を深めるために」『増補 国境の越え方——国民国家論序説』平凡社,364-436.
・ 上野千鶴子「解説 「国民国家」論の功と罪」西川『増補 国境の越え方』461-77.

 議論は主に、西川が提出した「私文化」概念をめぐって。

 西川は、これまで「文化」概念が国民国家という集団に付与されてきたことを批判する。そもそも「文化とはドイツ人の国民意識である」し(ちなみに、「文明とはフランス人の国民意識である」)、それが「フランス文化」とか「日本文化」というふうに使われることに反対する。

 では、文化はどこに属するのか。

 西川は、それは個人であると言う。だから「私文化」を言う。上野の簡潔なまとめに従えば、「「私文化」とは「どこにも属さない私」の「選択と決断」のことを指す」。

 ただ、授業でも指摘があったように、たしかに「私文化」とはわかりにくい、未熟な概念かもしれない。だが、西川は“あえて”「文化」概念を「私」に貼り付けたのだとわたしには思われる。それは、これまで「文化」が「国民国家」とセットで使われてきたことを批判するためである。もちろんそのような手垢の付いた「文化」概念を使わずに済ませることもできたかもしれない。しかし、西川は“あえて”その「文化」を引き受け、「国民国家」とは別のもの、つまり「私」に接続することで、「国民国家」と「文化」の連結を相対化し、批判しつつ、同時に「文化」概念の別様の可能性を開こうとしたのではないのか。そうしなければ、「文化」概念はこれからも「国民国家」とセットで用いられることになるからである。「文化」概念を使わないことは、「文化」概念のこれまでの使われ方を放し飼いにすることを意味するからである。西川はそのような事態を無視できないはずだ。(*批判対象の概念をあえて用いて別様の意味を付与するという論法。<帝国>を思い出すな。)

 もっとも、西川も十分に踏まえているように、個人は歴史的社会的構築物である。それゆえ、個人は歴史的社会的制約を受ける。したがって、「私文化」と言えど、その「私」を構成するのは歴史的社会的な環境である。そのため、「私」が「選択と決断」を下したのだとしても、当人がそのように意識していたのだとしても、それは歴史的社会的に支配的な集団の作用によって、そのような「選択と決断」を下さされただけかもしれない。だから状況によっては、「私文化」は西川が論難する国民国家の影響下で形成される可能性もある。つまり、国民国家の論理に回収される可能性もある。それは否定できない。にもかかわらず、西川が国民国家を越えるためにグローバルな文化のほうへは行かず、個人のほうに向かったのは、生身の人間個人に対する思い入れがあったからのように思われる。これまでの文化論においては放擲されてきた個人を無視できないという(社会史的な、あるいはポスト植民地主義的な)思いがあったからであるように思われるのである。だからこそ、「私文化」の尊重を西川は言ったのではないか。

 それはわかる。わかるのだが、わたしも「私文化」概念に違和を感じなかったわけではない。というのも、集団(とされてきたもの)を個人に分割し(分裂させ)、その個人に文化を所属させるという方略は、たしかに国民国家論批判としては効力を持つかもしれないが、しかし資本主義批判としてはどうか、むしろ資本主義の論理を加速させるのではないかと思ったからである。

 (ここからが授業で言えなかったこと。)

 もちろん、西川の眼目は国民国家(論)批判であって資本主義批判ではない。だから西川に後者を求めるのは“ないものねだり”かもしれないし、西川が資本主義にどういう態度を採っているかはわからない(もしかしたら資本主義擁護派かもしれない)。しかし、国民国家と資本主義は切っても切れない関係にあるのではないか。とりわけ新自由主義思想においては、資本主義は国民国家なしには動けないことになっている。たしかに、一般には新自由主義は国家の役割を縮減させ、市場にその機能を委任すると受け止められている。が、新自由主義は国家なしには機能できない。そのことは数多くの論者によって指摘されている(ここではその逐一を述べない)。したがって、新自由主義への反省が求められる今だからこそ(反省せずに「ポスト・ネオリベラル」を語ることはできないはずだ)ということも踏まえ、国民国家批判は同時に資本主義批判をも射程に入れる必要があるのではないかと思うわけである。

 西川の「私文化」は国民国家への対抗軸となる、と仮定しよう。しかし、国民国家への対抗軸として「私文化」を立てることは、資本主義を理論枠組みの外部に押しやるばかりでなく、その外部の資本主義の論理を駆動させてしまうことになる。なぜならば、集団を個人に分割することは、それだけ消費単位を増加させることになる、換言すれば資本の働きかける対象を増やし、資本の増殖に貢献することになるからである。つまり、「私文化」を据えて国民国家を批判することが資本主義を培養することになるということである。この事態をどのように評価するか。仮に否定する、あるいは支持しないとすれば、国民国家批判は同時に資本主義批判をも兼ねる必要が出てくるであろう。国民国家を正面から批判するとともに、その背面(というよりもうひとつの正面)では資本主義にきちんと向き合うことが不可欠なのではないか。国民国家批判はいわば二正面作戦を採らなければならないのではないか。

 (ということを授業の残り時間と研究室に戻ってくるまでのあいだに考えた。)

 なお、以上は、西川の国民国家(論)批判という立論を内在的に理解し、批判し、それを内在的に発展させるとすればどうなるかという観点から書かれたものである。自説を展開したという類のものではない。


@研究室
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by no828 | 2010-06-01 19:28 | 思索 | Comments(0)