思索の森と空の群青

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カテゴリ:思索の森の言の葉は( 72 )


2014年 07月 26日

問題から距離をとり、自己の立場を相対化する努力も同時にするほかない——香川知晶『死ぬ権利』

c0131823_20473321.jpg香川知晶『死ぬ権利——カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』勁草書房、2006年。


版元 → 


 講義のための勉強用にだいぶ前に読みました。整理のためにぱらぱらとめくっていたら、「あとがき」の文章に深く共感するところがありました。わたしの生命倫理(学)に対する問題意識と大きく重なるものです。ここにも引いておきます。

 生命倫理として問題になっている事柄の多くは、過去の歴史を振り返るだけでは対応しきれない切実さと緊急性を備えている。求められているのは、明確な方向を指し示す議論といえる。必要なのは悠長な歴史談義ではなく、わかりやすい断定であり、そうした緊急性に応えるきっぱりとした結論を提示してみせる「生命倫理学者」は日本でも育ちつつある。だが、それにしても、明確でわかりやすい結論が元気よく出されれば、それで十分というわけにはいかないだろう。そうした元気よさには、時として、事実による裏づけと粘り強い思考、つまりは知恵が欠けているように見えることがないとはいえない。しかも、少し調べてみればとてもいえそうにもないようなことを平気でいいきるのは、痛切な緊急性をもつ生命倫理的な問題の場合には、たんなる迷惑をこえた害をもたらしかねない。そうした恐れを避けるには、問題から距離をとり、生命倫理なるものや自己の立場を相対化する努力も同時にするほかないだろう。歴史的な検討が必要だというのは、そうした意味においてである。(389-90)


 引用文中の「生命倫理」という部分に「教育開発」を、「歴史」に「哲学」を代入すれば——「事実による裏づけ」との対応はややずれるにしても——それはまさにわたしの——同語反復を恐れずにあえて言いますが——“中心的な研究主題”に対する問題意識と大きく重なることにもなります。多数派が「問題」だと指差している“それ”は本当に問題なのか、それを「問題」としているこちら側の価値前提に問題はないのか、といった議論もその多数派が属するのと同じ分野のなかでこそ必要だとわたしは考えますが、そういった議論は当然ながらその多数派には歓迎されません。そのことを先日の学会大会で改めて味わってきたところです。

@研究室
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by no828 | 2014-07-26 21:11 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2014年 03月 22日

具体的な他者との埋めることのできない隔たりに遭遇したあとで——重田園江『社会契約論』

c0131823_16411089.jpg重田園江『社会契約論——ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』筑摩書房(ちくま新書)、2013年。

版元 → 


 昨年出版され、昨年のうちに購入し、そして読んだ本です。手に取った動機は、

(1)「社会契約論」の意義を自分なりに掴めていなかったから、掴みたかったから
(2)「教育制度論」の講義に、とくに「制度」とは何かという点に示唆が得られると期待したから
(3)『連帯の哲学Ⅰ』(版元 → )、『ミシェル・フーコー』(版元 → )といった著作から、筆者に関心を持っていたから

でした。

 読みおわり、上掲3点の動機は十分に満たされました。が、そうした動機、あるいは想定を超えて、わたしがもっとも共感したのは「おわりに」の文章でした。

 以下に長めに引用するように、著者は20歳の頃にマニラの「スモーキー・マウンテン」へ行き、現地で生活する人びととのあいだに圧倒的な、決定的な存在上の懸隔を実感します。この懸隔は、わたしがダッカで実感した、彼の地の子どもとのあいだに実感したまさに懸隔に重なるものです。子どもを前に、わたしは何をすればよいのかわからず、何をしてよいのかわからず、何をすべきなのかわからず、ただただ立ち尽くすしかありませんでした。

 著者への共感はこの懸隔という点に限られません。そうしたかなり実際的な体験をした、にもかかわらず、著者が理論や思想の研究に携わっている、その点にも共感を覚えました。マニラでの体験は、著者の研究の問題意識の少なくとも一端を形成しているように思われます。先に示したように、著者の研究主題はフーコーやフランスの思想に置かれています。大学卒業後の日本開発銀行での実務的な勤務経験はありながらも、著者は研究に取り組んでいます。しかも、政策科学ではなく、理論や思想といった、すぐには実際の状況を変え——られ——ない事柄、基礎的な事柄を研究しています。この姿勢、この態度は、わたしの研究のそれに通じるところがあります。わたしもまた実際的な体験から、理論や思想のほうへ、哲学のほうへと来ました。

 がしかし、著者は「研究」と「行為」とを分け、研究の外側で、論文の外側で、研究者としてではなく行為者として、何らかの社会変革に携わっている可能性もあります。わたしは文章の外側の著者を知りません。研究として取り組むこと、研究としては取り組まないこと、著者はこの2つを分けている可能性もあります。わたしは、自分のなかで理論や思想と行為(実務)とをうまく分離・接続できていません。したがってこの点に違いはあるのかもしれません。

 「問題意識」と呼ぶ前の「思い」のようなものを書物の「はじめに」や「おわりに」などに記すことを禁じ手と見る向きもあるかもしれません。わたしもその向きに共感するところがあります。あくまで本文で勝負、「はじめに」や「おわりに」は言い訳にすぎない、という考え方があります。それもわかります。本文から著者の「思い」を汲み取ることも可能だ、という考え方もわかります。しかし、そこに書かれたから伝わることがある。そこに書かれたから受け取れることがある。それも事実です。

 実際的な体験をした、だからこそ、理論や思想の研究をする、という行路に、先人の足跡を確認することができたように思います。

 私が学生だったころ、〔略〕日本に来て風俗の仕事をしている東南アジアの女性たちのことが知りたくて、マニラに行った。そして当時マニラにあった、「スモーキー・マウンテン」と呼ばれる、都市から出るゴミを長期間廃棄しつづけたとんでもない場所を見にいった。
〔略〕
 帰りたいとか逃げ出したいとかいう気力もくじかれた状態になっているとき、そばの山の上から声がした。ふり返ると、あちこちに煙が上がるゴミの山のてっぺんに、掘っ立て小屋のようなものが建っていて、人が住んでいるらしい。そこの住人らしき女の人が、片手に赤ちゃんを抱いて笑いながらこっちに手を振っていたのだ。
 私はそのとき、この人や赤ん坊に、何をどう思えばいいのか分からなかった。顔をタオルで覆うこともなくそこの空気を吸い、ゴミの山からボロボロのビニール袋を選り分けて背中のかごに入れている、小学生くらいの子どもたちに対しても。彼らと自分との違い、生まれた場所や生きる境遇の違いをどう受け止めればいいのか。自分はいったい何をすればいいのか。当時二〇歳だった私はただ呆然とするだけだった。
 どうしようもない隔たりの中で、人はいろんなことを考える。そのうちの一つに、「なんかこの世の中間違ってないか?」というのがある。〔略〕
 人が他者との間にどうしようもない違いと隔たりを感じ、同情や共感そのものが吹っ飛ぶような、なんというか強烈な場面に遭遇したとき、その場に立ち尽くすしかなくなる。でも、そのあとはどうなるのか。どうすればいいんだろう。私はいまだにその光景をときどき思い出し、なんともいえない陰惨な気分になる。
 いまになって思うのは、そういう経験が、「この社会は間違ってるんじゃないか」あるいはもっとストレートに「社会を変えたい」という思いの原動力になることだ。具体的な他者との埋めることのできない隔たりに遭遇したあとで、それでもその人、その境遇に関わりたい、関わらなければと思ったときに人が考えるのは、そういうことではないかと思う。
(273-5)


@研究室
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by no828 | 2014-03-22 17:37 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2011年 11月 21日

「自分は自分の最善を尽すしかない」というのはかなり哀しいあり方である——橋本治『橋本治という考え方』

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橋本治『橋本治という考え方 What kind of fool am I』朝日新聞出版、2009年。

版元 → 




 橋本治先生の著作は読んでもこのブログで紹介することはあまりない。というのは、それはわたしにとっては“平易なことばで語られた一級の哲学書”、つまり哲学書だからであり、しかしこのブログは基本的にそういった書物は紹介しない(で、手書きでノートに書き写す)からである。だが、今回は、もしかしたら“そういう思い”(というのは以下に引用された思いのことである)を抱きながら、寂しさをも抱きながら、自らの思考をめぐらせている方もいるかもしれない、そうした方とはここに書かれていることを共有したい、というふうに思い、いくつか引用することにした。


 「自分は自分の最善を尽すしかない」というのは、かなり哀しいあり方である。「他人の批評に身を委ねることが出来ない」——体質ではなく、状況がそうなってしまっていたからこそ、「自分は自分の最善を尽すしかないな」という決意をしてしまったのである。
 〔略〕「自分で自分に言いきかせるしかない」というのは、考えてみれば、孤独なあり方である。〔略〕気がつくと、「他人の批評」を拒絶している結果になる。この哀しさの大本は、その人間が「他人が共有している批評の埒外にいた」ということにある。
 〔略〕「みんながああやってんだから、自分もそうしとこう」というのは、「他人と共有する批評の埒内にいる」なのである。〔略〕
 一方、「他人と共有する批評の埒外にある」は、他人のあり方を見て「なんであんな風にしてられるのか分からない」と思う人間である。分からないのだから「埒外」で、つまり、「他人と批評が共有出来ない」なのである。

□(68-9.傍点省略)

 こういうふうに言ってもらえたことをありがたいと思うわたしは、つまりは「自分は自分の最善を尽すしかない」「他人と批評が共有出来ない」と考える人間である。少なくとも、自分の専門領域においてはそうである。もちろん、領域内外にわかってくださる、批評を共有できる方がまったくいないではなく、それもまたありがたいことなのだが、広く見ればわたしは「他人と共有する批評の埒外にある」。

 これはしかたがない、というか、それでよいと思っている(し、それがよいとまで思っているかもしれない)。しかし、いつでもそのように思えるほどにわたしは素直ではない。「うぐぅ」と思うこともある。そのような位置にわたしを“追いやっているもの”を想定し、それを敵対視してしまうこともないではない。だが、そういう考え方をしてもしかたがない——と橋本先生は言う。


 〔略〕つまり、「自分を批評の埒外に置いてしまったもの=敵」という考え方である。こういう考え方をせざるをえない時期というのもあるとは思うのだが、しかし、これは不毛な考え方である。この考え方に従っていると、「自分の最善を尽す」というあり方が穢されたり崩壊してしまう。それは、「自分が誰かによって批評の埒外に置かれ、“最善を尽す”を強いられている」という被害意識の誕生である。
 私は「自分の最善を尽す」がそんなに悪いことだとも思わず、「自分の最善を尽す」という立場に立てることは幸運でもあると思っているので、そういう考え方はしたくない。

□(70)


 自分の最善を尽そう。「孤独」ということばは嫌いではない。


@研究室
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by no828 | 2011-11-21 12:05 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2011年 02月 17日

孤独と孤独の間に橋をかける——西研『集中講義 これが哲学!』

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西研『集中講義 これが哲学!——いまを生き抜く思考のレッスン』河出書房新社(河出文庫)、2010年。

版元





 人には恥ずかしくて言えないことを密かに抱えていたり、自分の苦しみはだれにも理解されないと思っていることが、人にはよくあるものです。そうした孤独を、文学や哲学は言葉にすることで、孤独と孤独の間に橋をかける。そして深いところでの他者との共感を回復しようとする。とくに文学は、さまざまな種類の孤独を描くことによってその孤独が自分一人のものではないことを教える、そういうところがあるように思います。
□(346)

 逆説的な言い方になるが、孤独が(あるいは孤独こそが)連帯の契機となる。

 孤独が連帯の契機となる、これをやや強引に押し進め、孤独でなければ連帯できない、と言ってしまいたいぐらいである。孤独な人は他者の孤独を必ずわかることができる、とは言えないまでも、孤独でない人に孤独な人の内面はわからず、だから孤独を知る人のほうが他者の孤独に共感できる度合いは高いとは言えるであろう。

 しかし、孤独でない人などいるのであろうか。

 たぶん、いない。

 だが、自分の孤独に気付いていない人はいるような気がする。

 孤独に気付いた人が、本に手を伸ばすのかもしれない。そこに“つながり”の感覚を求めて、手を伸ばすのかもしれない。

 自分の孤独と同じ温度の孤独を本の中に認めたとき、その本の中身を理解することができる。そして、その本を書いた人の孤独に寄り添うことができる。逆に言えば、本に描かれた孤独と同じくらいの孤独を感じていなければ、その本をわかることはできない。書き手も、たぶん自らの孤独を自覚していたからこそ、言葉を紡げたのだ。

 本に自分と同じような孤独が描かれているのを見つけたとき、人はたぶんほっとする。それで孤独が癒えるわけではないにしても、認めてもらえたという感覚にはなる。あるいは人との対面的な付き合いの中で、そうした感覚を得られることもあるかもしれない。だが、間接的に、言葉で、それも活字という客観的な存在としての言葉で自らの孤独が言い表されているというそのことが大切なのかもしれない。対面だと馴れないにもなりかねない。孤独を孤独で糊塗することにもなりかねない。自分の外側に存在する、自分からは離れたところにある言葉に触れることが大切なのであろう。

 孤独を自覚すること、それがたぶんつながるための一歩である。つながるためには、孤独にならなければいけない。 


@研究室 
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by no828 | 2011-02-17 20:59 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2011年 01月 26日

「おとうさん、自殺をしてもいいの?」「してもいい、二つのときにだ」——鶴見俊輔『教育再定義への試み』

c0131823_2141655.gif鶴見俊輔『教育再定義への試み』岩波書店(岩波現代文庫)、2010年。

※ 単行本は1999年に同書店より刊行。

版元


 大野更紗(@wsary)さんと高橋源一郎(@takagengen)さんのツイート経由で知った、哲学者鶴見俊輔の教育論。鶴見さんの教育本といえばこの本であろうと思って読むことにした。結果、原著に当たったことになった(正直に書くと、読みすすめてもなかなか該当箇所が出てこなくて、“あれ、この本でいいのか、もしかして雑誌論文か、だとすると探し出せるのか”などなど、途中結構不安になった。原典はきちんと挙示しましょう)。

 なお、高橋さんのツイートでは、1月16日の「教育」25・26・27という見出しの付いたところが該当箇所。高橋さんは鶴見さんの教育論に触れて、鶴見さんを信頼しようと思ったそうです。


 私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子高真史が自殺した。
 『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校四年生のときで、岡真史(一四歳)の自殺は、その後二年たって彼が小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、
 「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
とたずねた。私の答は、
 「してもいい、二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなかったら、その前に首をくくって死んだらいい」
〔略〕
 私は中年まで、自分は子どもをもたないと決断してきた。考えは変わって、子どもをもってから、彼に、君は自ら望んで生まれてきたわけではないから、君はおれを殺していいと言ってきた。

□(151-2)

 鶴見さんは、教育では自分を出せと、教育においては決して自分を消すなと、教育は自分を通過させなければならないと、そのように言う。教育をする者は自分を教育を受ける者に晒せと言う(もちろん、鶴見さんにおいては教育する者とされる者とは相互的であって固定的なものではない)。これはこの本で一貫して主張されていることである。

 この自殺という人間の生/死にかかわることは、まさに人間にとっての第一次的問題、鶴見さんのことばで言えば「親問題」である。また、自殺をしてもよいのかという問いは、教育にかかわることである。だから、そのとき提出されるべきは教える者の中を経由させた答えでなければならない。鶴見さん自身、まさに自分の答えを述べている。一般的な答えなどではまったくない。

 他にも魅力的なことがたくさん書かれていた。ここではもう一箇所だけ引いておこう。詳しく知りたい方はぜひ、本書を手に取ってください。『生きることの意味』は買って持ってはいるのですが、まだ読んでいないので何とも言えません。近々読もうと思います。


私は日本人が外国語をおぼえる必要はとくにないと思う。外国語のできる日本人が国際人だということはない。日常の日本語を使って考えていって、日本国家を批判できるすじ道をさがしたい。そのすじ道を、今の学校教育は用意しているのか、親切にしてもらったら、ありがとうと言う、その日本語だけで十分で、それが主権国家を批判する道をひらく。
□(160)

 批判をするときに外部に出るのではなく、内部に留まる。内部に留まって批判をする。批判というのも大それたものではなく、日常の生活の只中から可能なものである。(日本人と日本語でもって日本国家の内部が形成されるのかどうか……はさておき)鶴見さんは第二次世界大戦がはじまったときにアメリカにいた。そのままアメリカに残ることもできた。しかし、開戦後、鶴見さんは日本に帰ることにした。それはこの、内部に留まるということと通じるような気がしました。


@研究室
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by no828 | 2011-01-26 22:06 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2010年 11月 16日

希望は与えられるものではなく、自分でつくり出すものだ——玄田有史『希望のつくり方』

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 版元

 玄田有史『希望のつくり方』岩波書店(岩波新書)、2010年。

 「希望」とは何か? 労働経済学者の玄田が自らの経験・体験をも豊富に織り交ぜながら、丁寧に説明する。希望は、自らの経験・体験を抜きにしては語りえないものなのかもしれない。

 ちなみに、この本は10代から20代の若者向け(me too!)に書かれているため、平易な文体で語りかけるように書かれているが、しかし質はまったく落としていない。


二〇〇一年六月一三日です。東京のある高校の体育館で、全校生徒にはじめて話をしました。
 結果はさんざんでした。生徒さんたちは、全然聞いてくれませんでした。元気の良い(?)というか、静かにだまって話を聞くのが得意でない生徒さんが多いと、高校の先生からあらかじめ聞いてはいました。その先生は「うちの子たちは最初から悩むのを放棄している」ともいわれました。

□(2)

「うちの子たちは最初から悩むのを放棄している」にまず衝撃を受けた。「悩むのを放棄する」について、しばし考え込んでしまった。


 希望を持つとは、先がどうなるかわからないときでさえ、何かの実現を追い求める行為です。安心が確実な結果を求めるものだとすれば、希望は模索の過程(プロセス)そのものなのです。
□(34)

 ふむ。例の“あれ”に似ている。文章ではこの前に「希望」と「幸福」との対比があり、それに続いての「希望」と「安心」。こういう概念(というか、理論的概念構成)の差異には関心がある。分けて考えるべきことは確実にあって、その“分けて考える”ためには概念の使い分けが必要。


 しかしコミュニケーションに気をつかってばかりいて、日本人の多くは人間関係に疲れ切ってしまっているように思えます。
□(82)

 なるほど。コミュニケーション社会。だからここからの逸脱・退出も起きるのだ。そして別の社会というか共同体を形成する。そのひとつが新興宗教であったりするのか。


 毎回ほんとによく準備をし、せっせと講義用のノートをつくり、講義をしてきました。何のため? 学生に正しい経済学の知識をおしえたいためです。でも、本当はそうじゃなかったのです。教えている内容がまちがっていると、学生から非難されたりしないように、要は自分を守るためだったのです
□(115-6)

 教えるようにもなった身としては、よっくわかります。


 セレンディピティ(serendipity)という言葉があります。何かを探しているとき、偶然に意外な出来事に出会うことでひらめきを得て、もともと探していたのとは別の価値ある大切な何かを発見できる才能のことを意味します。一七五四年にイギリスの政治家であり小説家でもあったホレス・ウォルポールのつくった言葉といわれています。
□(138)

 @「悩み」とか「迷い」とか「無駄」とか「失敗」とか、そういうものを肯定するコンテクスト。わたしも、もしかしたら自分を正当化したいだけかもしれないが、無駄なことは何もない、就職が遅れていることで失っていることは多々あるが、しかし同時に得られていることもあるはずだ、無駄にはなっていないはずだ、無駄になどするものか、と思っている、というか、思うようにしている。やっぱり自己正当化か。


誰かを幸せにしようとすれば、往々にして他の誰かにそのしわ寄せがいくということも忘れてはいけません。
□(169)

 だからこそ「世界同時革命」ということが言われたのだ。


〔略〕まだ発見されていなかったり、共有されていない問題も、社会には必ずあります。経済学に限らず、あらゆる社会科学が取り組むべきことは、いまだ光の当たらない、言葉にならない声をあげている人の声によく耳を澄ますことです。そして、その実態を明らかにすべく、謙虚に努力を続けることです。
□(170)

 共感。


 では、安易に希望を語ることが政治ではないとして、政治は何をすべきなのでしょうか。成熟社会における政治の最大の役割は、希望とは反対に、未来に起こるかもしれない絶望を避けることです。そしてそのための最大の努力を、今することです。
□(171-2)

 シュクラー? 最小不幸社会?


「大きな壁にぶつかったときに、大切なことはただ一つ。壁の前でちゃんとウロウロしていること。ちゃんとウロウロしていれば、だいたい大丈夫」
□(200)

 これも共感。わたしも壁の前で長らくウロウロしています。


一番いいたかったのは、希望は与えられるものではなく、自分で(もしくは自分たちで)つくり出すものだということでした。
□(213)

 主体的に、能動的に。希望学は、近代回帰か? 「回帰」というのは、われわれはポスト近代を経験した(している)との状況認識があるからこそだが。というより、状況認識はポスト近代、だがそれを何とかしようとするときの軸足は近代に置いておく、ということか。いや、わたしもそれに反対ではないのです。どうもそこに行き着くような、行き着いてしまうような、そういう気がしています。


@研究室
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by no828 | 2010-11-16 18:53 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2010年 11月 16日

結局は政治を改良しうれば、学問の能事了れり——柳田国男『青年と学問』

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 版元

 柳田国男『青年と学問』岩波書店(岩波文庫)、1976年。
 ※ 講演原稿集。元々は1928年4月に日本青年館より刊行。のち、31年12月に『郷土研究十講』と改題され、同じく日本青年館より再刊。

 柳田国男(1875-1962)は日本の民俗学者。← 某ウィキペディア的はじまり。

 タイトルに惹かれて古本を購入。民俗学の話に収斂していくはずだがきっと学問論一般も展開されるはずだと思って読みはじめたら後者はあまりなく。でも、柳田国男という名前はよく聞くわりにはその著作をひとつも読んだことがなかったのでよい機会になったと思っている。

 ちなみに、柳田に対する批判を赤松啓介が行なっているのを読んだことがあり、また、その部分を引用したこともある。Click here!

 以下、学問論一般を論じた箇所の中からわたしが関心のあるところを引用する。あとはもちろん教育についても。

 学問の役割・位置付け


 学問というものが、たんに塵の浮世の厭わしいゆえに、しばしばこれを紛れ忘れようとするような、高踏派の上品な娯楽であるか、はたまた趣味を同じうする有閑階級に向って、切売小売をなすべき一種の商売であるならばいざ知らず、断じてその二つのいずれでもないことを信じながら、なおこれほど眼前に痛切なる同胞多数の生活苦の救解と、いまだなんらの交渉をも持ちえないというのは、じつは忍びがたき我々の不安であった。それがこの頃になってから、たとえ少しずつでもしだいにその応用の途に目を着けようとしてきたのである。
□(14)

 真摯な書き方だと思う。


 私などは根が俗人であるためか、学問に世用実益の有無を問われるのは当然だと思っている。そうして結局は政治を改良しうれば、学問の能事了れりとまで考えている。ただ現在のありさまでは一方を実際といい、他の一方を空想と名づけて、両々相容れぬもののごとく見られるのは止むをえぬというのみである。
□(226)

 プラグマティズムというか、反知性主義というか。現在も、政治を何とかすればうまくいく、と考えている学者は結構いる気がする。論文を読み、研究発表を聞いていると、“結局政治が帰着点ですか”と思うことが結構ある。


 我々の業務は現存する事実の採録である。〔略〕この手この耳あの空あの星を、何と呼んでいるかを知らんとする企てである。しこうしてまた統一教育の力に由り、久しからずしてしだいに埋没せんとする事実を保存せんとする辛労である。〔略〕
 いわんや我々都市の住民をして、絶海の孤島にかくのごとき同胞あることを知らしむ以外に、さらにその孤島に生死する人々をして、その生存のいずれの部分までが全国土に分散する日本人と共通のものなるかを、知らしめるだけでもすでに大なる力である。〔略〕
 国家万年の大計のために、民族結合の急務を説こうとする人々は、無識であってはならぬ。かつ手前勝手であってはならぬ。その過失を免がれたいばかりに、我々はあらたにこういう学問〔=南島研究〕の興隆を切望しているのである。

□(138-9)

 全国一律の教育はダメであるが、しかし全国各地の学校で沖縄のことを教えるのはオーケー、沖縄の学校でそれ以外の日本各地のことを教えるのもオーケー、ということか。柳田はある部分、ある層では全国一律教育を認めているような気がするなぁ。

 史学の役割


 現在のこの生活苦、もしくはこうして争いまた闘わねばならぬことになった成行を知るには、我々の持つところの最も大なる約束、すなわちこの国土この集団と自分自身との関係を、十分に会得する必要がある。それを説明する鍵というものは、史学以外には求めえられないのであった。
□(15)

 この辺からも、“日本の人びとには日本のことを教えるべし”という姿勢がうかがわれ、それはつまり全国一律教育をある部分では必要としている、ということになる気がするのである。

 教育


 今が今までぜんぜん政治生活の圏外に立って、祈祷祈願に由るのほか、よりよき支配を求める途を知らなかった人たちを、いよいよ選挙場へことごとく連れ出して、自由な投票をさせようという時代に入ると、はじめて国民の盲動ということが非常に怖ろしいものになってくる。公民教育という語が今頃ようやく唱えられるのもおかしいが、説かなければわからぬ人だけに対しては、一日も早くこの国この時代、この生活の現在と近い未来とを学び知らしめる必要がある。しかもそれを正しく説明しうるという自信をもっている人がそう多くないらしいのである。ここにおいてか諸君の新らしい学問は、活きておおいに働かねばならぬのである。
□(16)

 つまりは政治教育。


 教育の方面に携わる人ならば、もう夙に親しく経験せられたことであろう。以前の世の農村の教育法は、よほど今日とは異なったものであった。今の小学校に該当するものは私塾の素読や寺子屋の手習ではけっしてなかった。年長者とともに働きまた父兄などの話を脇で聴いていて、いわゆる見習い聞覚えが教育の本体であった。なんどもなんども繰り返されて、いつとなく覚え込む言語の感覚が、主要なる学課であった。方言そのものが今日の教科書に当るものであったことは、近世全国一律の教授要項のもとに、遠方から来た先生が多くなった結果、親から子への連鎖が著しく弱くなったことを考えてみればよくわかる。もちろんこれを防がんがために小学校を罷めて、ふたたび家庭と郷党との感化に、普通教育を一任するわけには行かぬが、すくなくともこの全国一律の国家教育時代の大きな影響を意識して、なんらかの用意をもって避けがたい弱点を補充しようと試みることだけは必要である。昔ならば自然の進みに放任し、与えらるるものを受けて安心していてよかったものが、これから後は青年少年の側からも努めて少しずつ求め出すようにさせなければならぬと思う。
□(156)

 「近世全国一律の」の「近世」がわからないが、“国家は大切、だからといって全国一律の教育を全面展開すればよいというわけではない、それは一部に留めるべきで、むしろ教育の内容と方法の大半は各家庭・地域・学校に任せるべきだ”というのが柳田の主張なのか。


 この本だけで柳田の教育思想のすべてを理解することは全然できないが、それでもその一旦をうかがい知れたとは言うことができよう。学問論に関しては、結局は政治!ということを柳田は明瞭に語っているわけで、これはそれをもって柳田の学問に対するスタンスと理解してもよいように思われた。


@研究室
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by no828 | 2010-11-16 15:57 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2010年 10月 27日

資本主義社会が巨大な「鉄の檻」になり、人々を閉じ込めている——中山元『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』

c0131823_12262288.jpg中山元『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』筑摩書房(ちくま新書)、2004年。

 版元

 _φ(..) メモ。



マックス・ウェーバー(一八六四〜一九二〇)はすでに一九〇五年前後から、西洋の資本主義社会の成立を分析し、資本主義社会が巨大な「鉄の檻」になり、人々を閉じ込めていると述べていた。
 ウェーバーはこう語っている。「われわれは職業人たらざるをえない。禁欲は修道院から職業生活のただ中に移され、世俗内的な道徳を支配し始め、こんどは機械的生産の技術的・経済的条件に縛りつけられている近代経済組織の、あの強力な世界秩序を作り上げるのに貢献したからである。この世界秩序たるや、圧倒的な力をもって、その歯車機構の中に入り込んでくる一切の個人の人生を決定しており、将来も化石燃料の最後の一片が燃え尽きるまで、決定し続けるだろう」(ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。

□(189-90)

 ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は恥ずかしながらきちんと読んでいない(マジで恥ずかしい!)。もちろん読んでいなくても哲学はできるのだと豪語することもできるが、しかし学問の共有のデータベースというものがあり、むろんそのデータベース自体を疑ってかかることも必要なのではあるが、そのためにもそれを自分の目で確かめておくことが肝要。
 『プロ倫』、ちゃんと買います、ちゃんと読みます。

 上掲引用箇所は本文のコンテクストの中で改めてその意を確認したいところ。ウェーバーもそんなこと言っていたのかーと思いまして。

@研究室
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by no828 | 2010-10-27 12:23 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2010年 08月 23日

「魚を与えるのがいけない」これほど現地の人を蹂躙している言い方はない——伊勢﨑賢治『国際貢献のウソ』

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 版元

 伊勢﨑賢治『国際貢献のウソ』筑摩書房(ちくまプリマー新書)、2010年。
 * 画像だとわかるが、「崎」の右上部分は本当は「大」ではなく「立」。
 → 修正しました。

 著者は護憲派で、そのような主張をこれまでも展開してきているのだが、いわゆる護憲派とは主張の論理が違う印象があって、それはつまり著者の主張が“日本の国益のためには九条を護持するほうがよい”というリアリズムの観点からなされているようにわたしには思われるからなのです。


 「九条を使って世界を平和にする」のではなく、「自衛隊を外に出さないために九条を護る」。「世界平和のための憲法九条」を標榜している人々の本音が、実は、これだとしたら——。
□(4)

 わたしも率直に言って、いわゆる護憲派の主張の論理には違和感を覚えることがあります。


 要するに欧米社会は、途上国の人々を搾取するかわりに、彼らがヤケを起こさないように、セーフティネットを作らなくてはいけないということを経験的に学んできたわけです。したがって、欧米による途上国の援助とは、底辺の人たちが死なない程度のセーフティネットを提供することにほかなりません。その意味で、国際協力とは、いわば世界経済システムを維持するためのスキマ産業なのです。
 逆に言えば、一国の政治体制を根本的に変革することが必要な状況では、国際協力が邪魔になることだってありえます。海外からの援助は、貧しい国の支配者側にとっては都合がいい。少なくとも、国内の不満の爆発を抑制してくれるわけですから。

□(16)

 これは前に考えたことがあるポイントだ。


NGOを装うくらいは、諜報活動に長けた列強の政府はいくらでもできるわけですから。
□(23)

 ここ、興味があって、時間があれば(ないのだが)経験的に調べてみたいところ。国際教育開発論の研究者の価値前提には、NGO性善説的なところがある。国家よりもNGO、NGOならオーケー、市民社会オーケー、というか。わたしはNGOにも危ないところはあると思っていて、その危なさのひとつが上の引用に関わっている。


 インドの住民活動で感じたことですが、運動というのは、続けているうちに「しょせん、おれたちとは違うお前に、おれたちの苦しみなんてわからない」といった形で、当事者とそうでない者の間に温度差が出てくる。それは克服しようがないわけです。〔……〕外国人の強みは、ドナーの側と橋渡しができること。それを割り切る必要があるということです。
 問題の当事者の怒りや熱情だけでは運動は持続しません。運動は組織化されて、戦略を持たなければならない。そのときに、部外者の役割が絶対必要になります。問題の当事者というのは、「自分が抱える問題は、世界で一番深刻な問題である」と常に考えますから、自分の問題を客観視することは非常に難しい。〔……〕僕たちは冷静になれるからこそ、当事者と一緒に寄り添う意味があるのであって、一緒になって怒っちゃいけない。NGOは、そういう専門職であるべきです。

□(37-8)

 なるほど。バランスが難しそう。ふざけるわけではないが、“冷静と情熱のあいだ”のバランスが。冷静すぎたら当事者の信頼を得られない、でも情熱すぎたら思考が偏って事態を俯瞰できず戦略的にもなれない。


 「魚を与えるのがいけない〔魚の獲り方を教えなければならない〕」と言うことほど、現地の人の意志と可能性を蹂躙している言い方はありません。だって一時的にでも魚をもらうことで、それでおなかが膨れて、自分の力で勉強し、人生を切り開く個人が出てくるかもしれない。個人の可能性ってそういうものでしょう。自立原理主義は、足ながおじさん的な奨学金をも否定することですよね。お金をあげることだっていいわけです。もしかしたらチョコレート買うだけで終わってしまうかもしれない。でも、それだっておなかが膨れるなら、いいじゃないですか。そして、そのなかの何人かは、自分の力でキャリアを拓く人間が出るかもしれません。
 援助を受ける側の人たちの可能性と自由を僕たちの側が自立みたいな言葉でがんじがらめにするのは、非常に傲慢なことだと思います。僕が彼らの立場だったら、ふざけるなと言いたい。現地の人にとっては、外国のNGOとの接触なんか、彼らの長い人生の中ではほんの短いものでしかない。そんなやつらに人生いかに生きるかまで言及されたくないはずです。

□(43-4)

 よくわかる。でも、このことが本当によくわかるようになってきたのは、そしてよく考えるようになったのは、実はここ2、3年。今の立場は正直結構きつくてつらいのだが、時々この今がなかったらここまで考えなかったよな、このことはわからなかったよな、ということがあって、何かちょっとありがとうというか、今の状況に感謝したくなるときもある。

 ちなみに、教育論議の中でも「自立」は頻発で、それに対して嫌だなと思ってきた。でも今回、開発論、援助論の文脈で改めて「自立」に接し、“あぁ、俺はここのところ教育論の中でだけ「自立」を考えてきたけれど、国際援助論でも「自立」は問題になるよね、というか、学類の頃はそっちメインで物事考えてきたんだよね、ちょっと忘れていたよ、でもふたつがつながったね”というところです。


 ボランティアとそれで救済される側の間の距離感、もしくは「共感能力」の発揮とでもいいましょうか。自分のボランティア活動が、相手にとって精神的負担になっていると感じたら即座にやめ、元の生活に帰る。その帰る時の手間は小さければ小さいほどいい。すぐに帰れる余裕があれば、ボランティア活動に対して「こだわり」も生まれない。結局、その「共感能力」の有無は「距離」がかなり関係してくるのではないでしょうか。「遠くからはるばる自腹を切ってきたのだから何もせずには帰れない」とか、移動にかかった手間、旅費のコストを、施しの幸福感で回収しようとする意識が「遠路ボランティア」には必ず生まれるでしょうから、「距離」のコストが高くつくボランティアほど、ありがた迷惑ボランティアになる可能性がより高くなると思うのです。
 その意味で、距離も格段に遠く、それも異国の異文化の環境ということで「共感能力」の発揮が最も難しいボランティアの形態が、遠路ボランティアの極致、国際協力ボランティアだと思います。

□(57-8)

 一時期、ケア論などを経由しながら、援助とか支援とか協力における「距離」について考えていたことがある。


 NGOはその存在意義を国家に委ねてはだめでしょう。〔そうだそうだ!〕
 一方、NPO法ができてから、それまでほとんどが「任意団体」であった日本のNGOは、こぞってNPOの認定に殺到しました。公的な認証があれば、寄付が多く集まるという幻想のためです。でも、NPO法ができたって、日本の寄付文化が変化したわけではない。
 僕が一番問題だと思うのは、この認証を受けることによって、NGO=NPO、つまりNGOは非営利、金を儲けてはいけない、という暗黙の縛りを自らかけてしまったことです。それと、NPO認証を受けることは、組織内部の情報開示の義務を負うことですので、これは、市民運動の統制を国家権力がやりやすい環境をつくってしまった。

□(83-4)

 わたしがNPO法で問題だと思うのは、ここで挙げられているふたつのポイントの後者のほうです。NPO法に触れ、それについて考えたのは、大学院の生涯学習・社会教育学の授業でした。NPO法人になることが一種のブランド化となり、多くのNGO・NPOが認定を求めたことを知りましたが、でもそれって、自らを国家に差し出すようなもので、そもそもの出自というか存立意義からすると、まずいよね、と思ったわけであります。


 はっきり言って、「イラク人」という顧客は、この時〔アメリカによってイラク戦争(の主要戦闘)終結宣言の出された2003年〕の日本政府の眼中にはありません。「イラク人」を見守ること以外の動機で、この有償援助を決めました。その意味で、イラクへの有償援助はイラクのためではなく、アメリカのための「援助」なのです。
□(150)

 このとき「イラク政府」は存在しない。アメリカがイラクの名において有償援助を受ける。返すのは、将来のイラク政府。


 あと、この本に「二〇〇八年二月に〔日本で〕国際連帯税の議員連盟が設立された」とあった。知らなかったか、忘れたか、いずれにしても知識としてなかったので、ちょっと調べてみたい。Google先生にひとまず訊いてみたところ、議連のサイトはなさそうなのだが、「国際連帯税を推進する市民の会(Association of Citizens for International Solidarity Taxes: ACIST)」という組織が見つかった。ただ、最終更新が今年の3月になっている。ふむ。


@研究室
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by no828 | 2010-08-23 19:55 | 思索の森の言の葉は | Comments(4)
2010年 07月 26日

余暇は哲学の母であり、コモン-ウェルスは、平和と余暇の母である——ホッブズ『リヴァイアサン』4

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 版元

 長らく復習をさぼっていたホッブズ先生の復習。

 ホッブズ,[1651]1985,『リヴァイアサン』4,水田洋訳,岩波書店.


 哲学とは、「あるものごとの生成のしかたから、その諸固有性にいたり、あるいは、その諸固有性からそのものの生成の、ある可能的な経路にいたる、推理〔reasoning〕によって獲得された知識であり、それは、物質と人間の力がゆるすかぎり、人間生活が必要とするような諸効果を、生みだしうることを目ざしているものである」と、理解される。
□(105)

 ホッブズ独自の定義なのか、あるいはその時空間における最大公約数的な定義なのか、よくはわからないのだが、以後ホッブズはこれに基づいていることから、ホッブズも受容している「哲学」の規定ということになると思われる。

 気になったのは、哲学の仕事に、“それ”の「固有性」を同定することが挙げられていることだ。立論の始点は「固有性」に同定する、ということになり、そこから推理(推論)していくことになる。この「固有性」は「本質」と言い換えてもよいであろう。とすると、この考え方は「本質主義」ということになり、“本質なんてないでしょう、構築されただけでしょう”という批判を受けることになる。

 とはいえ、この時代に構築主義はおそらく現われていなかったであろうし、ホッブズもこの「哲学」に依拠して“「哲学」ではないもの”を列挙していっている。

 そのひとつ。


《著者たちへの信用にもとづいてえられた学識も、同様である〔=哲学ではない〕》書物の権威からの推理によってえられたものも、そうである〔=哲学ではない〕。なぜなら、それは原因から結果への推理によるものでも、結果から原因への推理によるものでもなく、知識ではなくて信仰なのだからである。
□(106)

 同意。

 そして話は、どうして哲学が可能となったのか、ということへ。


アメリカの野蛮人たち〔ママ〕は、若干のりっぱな道徳的ことわざをもたないわけではないし、かれらはまた、あまりおおきくない数を加除するための、わずかな算術ももっているが、しかし、それだからといってかれらが、哲学者なのではない。〔……〕そして、その原因は、生活必需品を調達し、自分たちの隣人に対して自分たちを防衛することからくる、余暇の欠如であったから、偉大なコモン-ウェルスの設立までは、そうでしかありえなかったのである。余暇は哲学の母であり、コモン-ウェルスは、平和と余暇の母である。
□(106-7 傍点省略)
 
 余暇は哲学の母! 先の“何が哲学ではないか”という話とも関連するが、ホッブズは「哲学」を“教会だとか歴史だとか先人だとかに寄りかからずに自分の頭で考えること”というような意味で用いているのだとわたしには思われる(啓蒙?)。自分の頭で考えるには、時間が必要。そしてその時間を物質的に支える基盤も必要。

 あぁ、実感。

 ちなみに、「余暇」の原語はたぶん「スコラ」で、「スコラ」は school(学校)の原語。「学校」って何?何する場所?と考えるときのひとつのヒントになるかもしれない。

 で、“自分の頭で考える”というところに戻るのだが、以下の文章もホッブズらしさが表現されている。自信(過剰な?)と、少しのユーモアも垣間見られる。


 わたくしは、自分の雄弁以上に信頼しないものはないのであるが、にもかかわらず、わたくしはそれがあいまいではないと、確信する(印刷の不運をのぞいて)。わたくしが古代の詩人、弁論家、哲学者を引用するという装飾を、さいきんの習慣に反して軽視した(それをうまくやったにしろまずくやったにしろ)のは、おおくの理由にもとづいたわたくしの判断から、でているのである。第一には、学説の真理というものはすべて、理性か聖書かに依存しているのであり、両者はともに、おおくの著作者に信用をあたえるが、しかしどんな著作者からもけっしてそれをうけとってはいない。第二に、問題となっていることがらは、事実にではなく権利にかんするのであって、そこには証人〔目撃者——原註〕のための余地はない。〔第三に——原註〕それらのふるい著作者たちのだれをとっても、ときどきかれ自身あるいは他の著作者たちと矛盾しないものは、めったにない。第四に、ふるさへの信用だけにもとづいてとられたような意見は、それらを引用する人びとに固有の判断なのではなく、口から口へと(あくびのように)つたわる話にすぎない。〔……〕第六に、かれらが引用する古代人たちが、かれらよりまえにいた人びとにたいしておなじようなことをして、それを装飾と考えたということを、わたくしはしらない。〔……〕さいごに、ふるい時代の人びとで、はっきりと真理を書いておいたり、われわれが自分たちでそれをみつけるための、一層よい道にわれわれをおいたりしたものを、わたくしは尊敬するけれども、それでも、ふるさそのものには、なにも与えるべきだとは考えない。なぜなら、もしわれわれが年齢を尊敬するならば、現在が最年長なのだからである。
□(170-1 傍点省略)

 ホッブズは「理性」第一主義者ではない。「情念」も大切にしている。古いものを参照していれば何か言った気になるというのもおかしい。古さは古いという理由で尊重されるものではなく、それ以外の理由(「固有の判断」)で尊重されるべきだ。

 いやー、すかっとするなぁ。ホッブズはいろいろ気に入らなかったんでしょうね。わたしも今、いつ終わるとも知れない“知的反抗期”にあるので、気持ち、お察しします。


@研究室
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by no828 | 2010-07-26 15:26 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)