思索の森と空の群青

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2008年 01月 31日

「幸せ」とは何かを決めるのは

晴れ。

朝、友人から携帯電話にメール。

文面の基底には「ひとの幸せって一体何なの?」というかなり大きな問いが横たわっているいるように思われた。

その問いを意識の片隅に置きながら研究室に来る。


新聞を読んだあと、うやむやになっていた「構築主義」「構成主義」「社会構成主義」の勉強をする。

結論から言うと、「構築主義」と「構成主義」の違い、constructionism と constructivism の違いはわかったが、「社会構成主義」についてはわからなかった。

また、社会学の下位分野に「社会問題論」があり、その社会問題論における constructionism の議論がわたしの問題意識と近接したところで展開されたことを知る。

その展開をすごく簡単に書いてしまうと、次のようになる(たぶん)。

これまでの実証主義は「社会問題」を実在のものとして自明視=前提してきた。しかし、そもそも「社会問題」とは、社会学者などの専門家が「それ」を「社会問題」と名指ししたことによって生まれたものである。その判断には専門家の立場や価値、利害が介在しており、普遍的に承認されるような「社会問題」は存在しない。それゆえに社会学者が仕事とすべきは、何が「社会問題」なのかを決定することではなく、人びとが何を「社会問題」と見なし、それについてのクレイムを申し立て、そのクレイムを共有してゆくのか、その過程を記述することなのである。


このような問題意識はわたしのそれと非常に近い。

そもそも「問題」とは何なのか。これはわたしが学類の2年生か3年生のときにぶち当たった問いである。

わが学類では「問題解決」型の人間を育成することばかりに力が注がれ、「問題解決」の前に本来存在する「問題発見」については注意を喚起してこなかったようにわたしには感じられる。
しかし、よくよく考えるならば、問題を発見しなければ、あるいは「それ」を「問題」と見なさなければ、「問題解決」はできない。

にもかかわらず、「問題解決」ではすでにそこに「問題」があるかのように考えられてしまう。「ちょっと待った、それってそもそも問題なの?」という問いは封じ込められてしまう。

「問題」とは何なのか。

既述のように、社会学、とりわけそのなかの社会問題論は、「それ」が「問題」であるかどうかを決めるのは社会学者ではなく「人びと」であるとした。
これは「現実」へのひとつのアプローチである。

しかしながらわたしはこれに満足しない。

わたしにとっての「問題」とは、以下のようなものである(これはもちろんわたしのオリジナルな考えではない。たしか経営学の本に書いてあったものだ)。

「問題」 = 「あるべき姿」と「現状」とのギャップ

このように定式化すると、まず考えるべきは「あるべき姿」になる。

が、大学院に入るまでわたしは「あるべき姿」を問うとは一体どういうことなのかもわからなかったし、そもそも「『あるべき姿』を問う」という営みが存在するのかどうかも知らなかった。だから「あるべき姿」を問うてよいのかどうかもわからなかった。

大学院に入って、「あるべき姿」についてきちんと考えてもいいんだ、と思った。そう思わせてくれたのは、ある先生であり、哲学であり、とりわけ規範理論の存在である。

だからわたしは「あるべき姿」を正面から問いたい。「それ」が「問題」なのかどうかを見極めたい。そこには立場や価値や利害が介在してくるであろう。自覚しきれない立場や価値や利害もあろう。

それでもなお「学問」の世界から「あるべき姿」を問うてゆくことが必要であるとわたしは思う。開かれたかたちで「あるべき姿」を問うことが必要であると思う。


しかし、「ひとの幸せって一体何なの?」、この問いに規範的に答えることがわたしにはできない。

「ひとの幸せ」のために、哲学や理論は一体どれだけの貢献ができるのであろうか。

わたしにはまだわからない。

だからその問いには、今・ここにいるわたしの、立場や価値や利害にすっぽりと包まれた答えを示す以外に答える方途はない。

だが、何と答えればよいのか、わたしにはわからないのである。
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by no828 | 2008-01-31 20:29 | 思索 | Comments(0)
2008年 01月 30日

付加価値と科学主義、それから少人数で呑みましょう

晴れ。

「付加価値」について考えながらシャワー。
「付加価値」はやはり本来価値(使用価値かな)がある部分を隠してしまっているのではないか。

「商品 = 本来価値のある部分 + 付加価値」
(例(こればかりで恐縮だけど): 途上国産のバッグ = バッグ + 途上国産)

として、これを人間の「必要(need)」「欲求(want)」の観点から考えると、

「本来価値のある部分 = 必要である」
「付加価値 = 欲しい」

となって、「付加価値で行くと、商品を『欲しい』という規準で購入することになるな」、と考えた。
しかし、ずっと前に永六輔が「ものを買うときは『欲しい』ではなく『必要である』という規準で考えろ」と言っていたことを思い出す。が、同時に、「ま、資本主義なら『欲しい』で勝負するよな」と思う。


研究室に来て午前中は新聞と新書(読了。そういえば今年に入ってまともな本の紹介をしていない。貯まっているのだが・・・)。

午後から読書会の課題文献を読んで担当箇所のレジュメを作る。

17時からその読書会。ふたり。「科学主義」「技術崇拝」の問題点について。

「『科学技術』と言うけれど、『科学』と『技術』はどう違うんだろう」

「ふたつは少なくとも別のものだろうね。おそらくここで言う『技術』は science-based technology のようなものだから、『科学』によって明らかになったことを『人間社会をよりよくするために』方法化したものが『技術』、かな」

「なるほど」

「うん。だから、『科学』によって明らかになったことと、それを『技術』に変換すること、は別だよね。つまり、『科学』で明らかになったことであるから『技術』に変換しなければならない、というわけではない。『科学』で明らかになったことであっても『技術』にしなくてよい、あるいはしてはならないこともあるんじゃないかな」

「そうだね」

「でも、この本でも批判しているように、『科学』で明らかになったこと=『技術』化してよいこと・『技術』化しなければならないこと、のような理解が蔓延している。また、『科学』の側からも社会の側からも『科学』を『技術』化することを願っているという風潮がある。これは制御してゆく必要があるよね。その歯止めを掛ける役割が哲学にはあるんじゃないかと思うなあ」

「哲学はもともとそういう役割があったと思うよ」

「あ、やっぱり。でも、歴史上の著名な哲学者についての研究は盛んでも、実際にきちんと哲学している哲学者って少ないよね」

「そうそう、少ない」

のような議論と、それから「哲学」と「科学」の相違点、「構成主義」と「社会構成主義」と「構築主義」の異同、知性とは、教育学には方法論がない、だから他の学問領域とのインターフェイスが築けない、などについて意見交換する。


夜。訪問者がひとりずつふたり。「そろそろ帰るわ」と「某氏が近々3人で呑もうって言ってたよ」。

少人数で呑むのは悪くない。きちんと話ができるから。きちんと話ができない呑み会は苦手です。
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by no828 | 2008-01-30 21:56 | 日日 | Comments(0)
2008年 01月 29日

2年前の「あと15分」

朝、くもり。今は雨。

午前中は昨日と同様、新聞と新書を読む。

お昼は、いつもはひとりで本を読みながら食べる。が、今日はふたり。
特殊事例からの一般化には注意せよ、など。

学食からの帰りに偶然擦れ違ったモロッコの友人は明日から韓国に行くらしい。
She is waiting for you:)

午後から、日曜日に買ったジョン・パーキンス(古草秀子訳)『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』(東洋経済新報社、2007年)を読み始め、先ほど読み終える。

世界銀行とか国際通貨基金とか米国国際開発庁が好きではなくなる(もともと好きではなかったが)。

「好きではない」と言っていても何も変わらないのであるが、「コーポレートクラシー」(政府・企業・銀行の集合体)と筆者が呼ぶものを崩してゆくのは至難であるとの印象も受ける。無力感。

また、実際に世界銀行などで働いている人びとが日常どのような葛藤を抱えているのか、調べてみたくなった。でも、「葛藤なんてないよ」って言われたらどうしよう・・・。

午後はほかに「投票」もする。
某学会の会長・理事選挙があるためで、郵送されてきた投票用紙に無記名で被選挙人名を記入して送り返す、という手続きが整えられている。

投函のため、散歩がてら郵便局まで行く。小雨。

ついでに大学会館前のコンビニエンス・ストア(18時に閉まるのであまりコンビニエントではない)に入ると、件のS○YJ○Yが売られていた。
>某卒論生(とその仲間たち):あそこは105円だよ。

試しに「プレーン」を買ってみる。ほかに缶コーヒーと12個入ったホワイト・チョコレート。

19時ぐらいに「プレーン」を食べてみたが、JOY の感情が呼び起こされるというわけではなかった。


明日は修士論文の口述試問があるようだ。時間は発表15分、質疑25分の計40分らしい。
わたしの頃は、発表15分、質疑35分、計50分であった。

質疑の時間が10分短縮された。

この10分は大きい。
わたしが口述試問を受けたとき、「質疑も一段落したし、そろそろ時間も終わりかな」と思って腕時計をちらっと見たらまだ15分も残っていて非常なる悲壮感に襲われた経験がある。

「げ、あと15分も残ってるし・・・先生方も『もう質問ないんですけど』って顔してるし・・・うう」

2年前のことである。


さて、そろそろ帰ろう。
隣の研究室のゼミナールは17時から始まったのにまだ行なわれている模様。
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by no828 | 2008-01-29 21:59 | 日日 | Comments(0)
2008年 01月 28日

「インドカリー」が食べたい

晴れ。

午前中は新聞に目を通し、新書を途中まで読む。

そのあと、昨日購入した中島岳志『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、2005年)に取り組み、さきほど読み終えた。

『中村屋のボース』は前々から気になっていたはいたが、手は出していなかった本である。

しかし、読んでみたいという衝動が湧き上がった。
それは、中島氏が先日わたしの聴講したシンポジウム「国家・暴力・ナショナリズム」のシンポジストのひとりとして、大変興味深い議論を展開されていたからである。

(ちなみに、登壇されていた方々全員に興味を持った。厳密には、もともと持っていた興味が増幅された。ただ、北田暁大氏と萱野稔人氏の著作は読んだことがあるが、東浩紀氏と白井聡氏のものは読んだことがない。中島氏の本がそうであったのと同様、目下、買って読もうとしているところである。)

このシンポジウムに出てみて、また、週1回の講義形式の授業に出てみて思うのは、「一方的に話を聴く」ことも大切なことかもしれない、ということである。

大学院の授業には「講義」はないに等しく、院生の積極的な準備、質問、コメントといった「参加」が強く求められる。
そのような授業では、院生も気を緩めることなく、思考を止めることなく、参加し続けなければならない。切羽詰った状態で思考することによって、脳にドライブが掛かる。これは意義のあることである。

同時に、「一方的に話を聴く」授業にも意義はある、と思う。

ただし、その意義は次のふたつの態度、すなわち「話を積極的に聴く態度」および「その話をすでに自分の内部に蓄積された知識と関連づけようとする態度」を抜きにしては発現しない。

並列されたこれらふたつの態度は、しかし独立に存在するわけではない。
むしろ、前者があってはじめて後者が担保されるという性格がある。

しかしながらそれは、前者の態度があれば直ちに後者の態度が生み出されるということではない。

前者があっても後者がないことは往々にしてあることである。

わたしもその例に漏れない。わたしが学類生の頃は、「聴く」ことに精一杯で、聴いたことを既存の知識と結びつける余裕がなかった。また、そもそも「既存の知識」がほとんどなかった。

現在はある程度の「既存の知識」がある。だから、今は聴いたこととその「既存の知識」をつなげることがある程度はできる。それによって「聴いたこと」への理解が深まるとともに、弁証法的発展とも呼べるような、新しい<知>の生成へと向かってゆくことになる(と期待したい)。

このように考えてくると、「一方的に話を聴く」ことの意義が最大化するためには、話を聴く<わたし>にある程度の知識が蓄えられていることが前提条件となる、そう言うことができる。

とするならば、学類の1・2年生に向けた講義形式の一斉授業にどれだけの意義があるのかという問いもある程度妥当性を持って迎えられるであろう。

もちろん、わたしにその答えがあるわけではない。

<あなた>が「わかる」ために<わたし>はどうすればよいか。

そのように原理的に問い直すことのできる上述の問いを、わたしは忘れずにいたいと思う。


と書いているわたしには、しかし『中村屋のボース』からこのように議論を展開する予定はまったくなかった。いつの間にか、このような話になってしまった。

ただ、変転する議論の根底に変わらずあったことがある。それは、新宿中村屋の「インドカリー」が食べたい、この本に書かれた内容に思いを致しながら「インドカリー」を食べてみたいという気持ちである。

ああ、「インドカリー」が食べたい。
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by no828 | 2008-01-28 21:58 | 日日 | Comments(0)
2008年 01月 26日

誰もいない休日の研究室が好き

晴れ。ぶどうのジャム。

昨日のこと。25日金曜日。

2限に教育哲学。議論深まらず。ただ、「援助する=教育する」は「・・・とともにある」という感覚抜きにはやはり行ないえないことであるのかもしれない、と感ずる。

「・・・とともにある」とは、すなわち「物理的距離が近い」ということであろうか。

ケア(リング)の立場に立てば、たしかにそういうことになろう。

しかし、「・・・とともにある」=「物理的距離が近い」としてしまうことに、わたしは幾ばくかの抗いを覚える。未だ感覚的なこの抗いには、わたし自身の言語によって、説明が付されなければならない。


3限に「途上国の教育に興味がある」という学類生の相談に乗る。

「教育開発研究を行なうにあたっては、どこか国を決めた方がよいのでしょうか」など、わたしがかつて抱いた不安をその子も抱いていた。

不安なわたしに手を差し伸べてくださったのは先輩であった。そのことを思い出した。


5・6限は生涯学習・社会教育学。

「生涯学習」と「社会教育」の異同について、「社会教育学」の学問的存立基盤について、そして「公共性」と「ガバナンス」の関係について、それぞれ疑問に思うものの声は発せず。

というのは、議論が「専門的」になっていったからである。

「専門的」な議論への介入は、自らを当該分野の非―専門家であると規定する人間にとっては難しいことである。

わたしは、と言えば(慣れもあってか)このような「難しさ」をあまり感じなくなってはきている。

しかし、「専門性」の方へひた走るような議論には、たとえそのような意図はなくとも「排除性」が伴うことがある。排除されるのは非―専門家(と自己規定する人びと)である。

そこにある「知」とは一体何なのか。
「<あなた>の知より<わたし>の知の方が優れている」はいかなる条件の下であればまっとうな言明となるのか。

などと考えながら聴覚機能を停止させて(つまり、議論を聞かないで)、「ガバメント」「ガバナンス」「公」「私」「リベラリズム」の関係性について考える。


夜、某呑み会。

某卒論生の卒論について大学院生が集団で突っ込むの図、が描かれる。

「脚注番号17) だって昨日の夢に出てきたんだもん」は認められない、ジュディス・バトラーの「ずらす」、「ずらす」の原語は何だ、「カ○リーメイト」よりも「S○YJ○Y」だ、など。


今日26日土曜日、これまでのところ。

洗濯をして外に干す、布団も干す。室内は掃除機掛け。

午後から某研究会@東京に行くつもりであったが取りやめる(∵ 発表テーマにあまり惹かれなかったので)。

研究室に来て新聞を読み、貯まった新聞を切り抜く。文献も読む。「他者」の問題など。


もうすぐ19時。
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by no828 | 2008-01-26 18:58 | 日日 | Comments(2)
2008年 01月 24日

びゅーびゅー、とか、ぐるぐる、とか

晴れ。しかし、風が強い。びゅーびゅーである。

午前中、新聞を読み、授業の課題論文に取り掛かる。「ポストコロニアル」と「アイデンティティ」など。

この論文は、いわば「思想」の位相で語られている。したがって読み手であるわれわれは、まずは論文の主張をそのまま「思想」の位相で受け止めるべきである。

しかし、授業ではそれを「現実」「経験」の位相に引き込んで理解しようという姿勢が取られた。

もちろん、自らの立場に引き付けて論文を読むことは大切なことである。大切ではあるが、無理に位相の転換を図ると筆者の主張のダイナミズムを感ずることができなくなる。これは避けた方がよいのではないか。そのようなことを考えながら授業に出ていた。


15時15分から史学の授業。今回はアンリ・ピレンヌ(1862-1935)というベルギーの歴史家について。

ピレンヌは、「ヨーロッパにおける『古代』はローマ帝国の滅亡で終わり、ゲルマン民族の大移動によって『中世』が始まる」というヨーロッパ史の通説を引っくり返した。

どのように引っくり返したのか。

「ヨーロッパの中世はイスラムの地中海への侵入によって始まる。ゲルマン民族の大移動はたしかにローマ帝国の政府は滅ぼしたが、ローマ帝国の有した『地中海的性格』までは奪わなかった。したがって、これをヨーロッパ中世の始まりと言うことはできない。ヨーロッパ中世の始まりは、その『地中海的性格』を消失させたイスラムの地中海への侵入に求められるべきなのだ」。

これを一般に「ピレンヌ・テーゼ」と言う(らしい)。

授業はここから「ピレンヌの構想力に学べ」という話になる。

先生によれば、たしかに史料を読むことは大切である。しかし、そこにはより大切なことがある。それは「正しい問いかけをもって史料を読む」ことである。漫然と史料を読むのではなく、たとえ「ひらめき」や「アイデア」といったレヴェルでも自分の「主張(仮説)」を持ち、それを根拠付けるために史料を使うというスタンスで臨んだ方がよい、というのである。

ピレンヌは、1914年から1916年をドイツの収容所で過ごした。そこで主にロシア人と交流することで「外」の世界を知った。そして、本から切り離されたかたちでの思索を行なった。本やノートがない状態で、ピレンヌは収容所の人びとに西洋史の講義もしたらしい。

そのようなピレンヌの個人的経験が、通説を覆すようなダイナミックな「構想力」を育んだのであろう。

このような「構想力」は史学にのみ求められるわけではない。

「構想力」によって産出された「ひらめき」や「アイデア」、「主張」がまずあって、それに基づいて史・資料に当たるという学的態度は、広く求められることであると思う。

少なくともわたしは、そのような態度で研究に臨みたい。


17時から研究会。ざっとレジュメに目を通して、「あ、何も言えないな」と思う。何も言えないと思ったときのわたしは何も言わない。しかし、その場にはいなければならない。だからわたしは自分の研究についてずっと考えていた。ノートを取りながらずっと考えていた。

うー。

何だかわたしは同じところをぐるぐると回っている気がする。「それ」は「ぐるぐる回って簡単には答えが出ない問題なのである」と指摘することも現段階では意義がある。しかし、いずれはそこから抜け出る必要がある。どうやって抜け出すか。わたしにはその糸口がまだ見えていない。
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by no828 | 2008-01-24 20:36 | 日日 | Comments(0)
2008年 01月 23日

背中をぽんと押してもらって

雨。少し遅めの朝食はカレー。その鍋で左手の中指を少しだけ火傷する。

そんな朝。

研究室に行って指を冷やしながら新聞に目を通し、今日から始まる読書会の課題文献を読む。

教育において今われわれが近代から引き継ぐべきものとは何か。これが1冊の本の基底にある問いであるように思われた。

夕刻からの読書会でも、その点を含めてこれから読んでいくうえで配慮すべき問いを確認する。
また、自分の研究テーマに引きつけて考えたさい、この本から何を獲得しうるかについて意見交換する。

その議論を通して考えたのは、近代教育(学)では「子どもの可能性を拡大することは善いことである」という価値前提があったのではないか、ということである。

そうしたときに浮ぶのは、「子どもの可能性を拡大することは本当に善いことか?」という懐疑である。

ここから派生して、子どもの可能性の幅を縮減することによって、逆に可能性が拡がることもあるのではないか、とも考えた。

可能性を狭めることで可能性が拡がることもあるのではないか。

たとえばまだ幼い段階で、ある競技(たとえば体操)に突出した能力を開花する可能性の高い子どもを囲い込み、その子どもに特別な時間と労力を掛けてその競技に関する技能と知識を習得させるとしよう(そういったことは実際に行なわれている)。

そうすると、時間の有限性という観点から考えて、その子どもはその競技のこと以外に関する技能と知識を獲得することが難しくなる。

だから、ある競技についてはとてつもなく高度な技能と知識を身に付けつつも、その競技以外についての技術と知識の習得は低度に留められる、ということが起こる。

しかし、ある競技で頭角を現し、終には「成功」を収めるという過程は、まさにその競技において「可能性が拡大する」過程であると言い換えられる。もちろん、そのような過程を経験できるのはほんの一握りの人間であろう。しかしながらそれは紛れもなく、その競技以外の可能性を捨て去ることで、その競技における可能性を拡大させた、ということになる。

これがつまり、「可能性を狭めることで可能性が拡がる」ということである。

だが、先に示唆したように、そのような可能性を享受できる人間はわずかである。ある競技に特化しつつも、その競技で可能性を開花できなかった子どもはどうなるのか。そのように考えると、早い段階で「可能性を狭めて可能性を拡大する」という方途を近代教育学の観点から正当化することは難しくなる。

といったようなことを話しながら考える。

これらのことを踏まえると、まず考えるべきは、「子どもの可能性を拡げる」「子どもの可能性が拡がる」とは一体どういうことなのか、であろう。これは教育学に課せられた大きな問いであるように思われる。


今日は昨夜のシンポジウム「国家・暴力・ナショナリズム」を振り返る作業もした。

登壇者の問題意識は次のようなものであった。

すなわち、登壇者が思想的思春期を過ごしたのは1980年代から1990年代にかけてであるが、その時代の思想的潮流は「社会構成主義」であった。社会構成主義は、「国民国家」や「ナショナリズム」、あるいは「性」といった「本質的」とされたものたちを解体し、それらが「本質的」ではない、換言すれば社会的に構成されたものであることを明らかにしてきた。しかし、その社会構成主義は、批判の対象であった「ナショナリスト」側の言語としても使用されることで、その批判の力を弱めることになった。つまり、社会構成主義は理論的臨界点に達した。

このように総括すると、われわれに求められているのは社会構成主義とは別の議論空間を創設し、社会構成主義とは別の言語・文法でもって「国家」や「ナショナリズム」を語ることである、ということになる。

では、その社会構成主義ではない語りとはどのように構想されるのか。

こうして始まった議論はあっちに行ったりこっちに来たりして論点の移動がすさまじく、明確な回答が示されたわけではなかった。しかし、それが刺激的であったことだけは間違いない。

わたしよりも5歳上10歳上の70年代生まれの登壇者たちの知識量、問い方などにはただただ感嘆するばかりであり、自分は5年後10年後こういった議論ができるのかと少し心配になるとともに、そういった議論ができるように勉強しなければならないと思った。「刺激的」とはそういう意味である。

わたしが受け取ったのは刺激だけではなかった。刺激とともに受け取ったのは勇気である。たとえばそれは、以下のメッセージから。

・ 日本では「抽象的」という言葉がネガティヴに使われている。だが、「抽象的」はネガティヴな言葉ではない。ことさらに「現実」とか「実効性」につなげて議論する必要はない。

・ ラディカルな理論によって現実を分析してゆくことが求められる。

・ われわれは、思想的背景も踏まえながら原理的に物事を考えてゆくということがしたかった。

・ あることが抽象的で突拍子もないことのように聞こえるならば、それはそれを聞いた人の想像力が乏しいだけである。

シンポジウムを聞き終えたわたしは、自分の立つべき立ち位置にまた1歩、歩を進めることができた。背中を教えてもらった。少なくともそういった感覚を得ることはできた。
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by no828 | 2008-01-23 21:36 | 思索 | Comments(0)
2008年 01月 21日

I saw Aso.

くもり。タートルネックのセーター。今日の午前中まで降ると言われていた雪は結局降らなかった。

19日、土曜、東京に行く。

この日公開初日を迎えた映画「ハーフェズ ペルシャの詩」(イラン=日本)を12時30分から観る@東京都写真美術館(感想については別途記したい。が、それを一言で言うと「よくわからない」である)。

初回10時20分のあとに舞台挨拶があり、映画に出演していた麻生久美子が登壇した(ようだ)。
舞台挨拶自体を観ることはできなかったが、会場を後にする麻生久美子を直に観ることができた。

わお。

麻生久美子とわたしとの距離、およそ2メートル。

麻生久美子の印象、華奢。


映画のあと、キーケースを探しに表参道へ。

結局キーケースは買わずに「表参道・新潟館ネスパス」にふらりと入る。
お客さんがいっぱい。「意外」と思ってしまう。

が、ひとりでは決して入らなかったであろう新潟館は結構面白かった。とにかく「柿の種」な印象を受けると同時に、自治体が自らをアピールする意気込みを肌で感じる(ちなみに同様の「福島館」はないようだ)。

そのあと、前々から行きたかった MoMA Design Store に行く(ちなみに MoMA は The Museum of Modern Art の略)。

たのしい。

安くなっていたカードケース(名刺入れにしよう)とマグネット(研究室で使おう)を買う。


次いで東京駅近くの丸善に移動して本を見てまわる。

2冊購入。以下、参考までに。

◆赤木智弘『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』双風舎、2007年。
(∵ 「分配」の限界について勉強するために)
◆山根純佳『産む産まないは女の権利か フェミニズムとリベラリズム』勁草書房、2004年。
(∵ 「自己決定(権)」について勉強するために)


20日、日曜、体調がすぐれないので午前中は寝て過ごし、午後から研究室に行く。

研究室で新聞を読み、貯まった新聞の切り抜きをする。

そのなかで印象に残ったのは、2008年1月5日「朝日新聞」朝刊「ひと」欄の村山斉(むらやま・ひとし)氏に関する記事。

村山氏は東京大学の数物連携宇宙研究機構の機構長に1月4日着任された方。

「機構長としての最初の指示は、午後3時に全員参加のティータイムを設け、研究会では自由討議の時間をたっぷりとること。『日本では質問したり、思いつきを話したりするのを恥ずかしがるが、全く逆。新しいアイデアは自由な議論から生まれるものです』」。

こういった考えの人が研究組織のトップになると、きっとたのしくなるんだろうな。

夜、某書店でまたもや本を2冊買う。以下、参考までに。

◆渡辺靖『アメリカン・コミュニティ 国家と個人が交差する場所』新潮社、2007年。
(∵ サブタイトルに惹かれて)
◆鷲田清一『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』阪急コミュニケーションズ、1999年。
(∵ 研究上の立場を考えるために)


ちなみに、明日はこのシンポジウムに行く予定。ご興味のある方はどうぞ(無料、予約不要)。

「国家・暴力・ナショナリズム」(東浩紀+北田暁大+萱野稔人+白井聡+中島岳志)
日時:2008年1月22日(火)17時30分~20時30分
場所:東京工業大学大岡山キャンパス講堂
* 詳しくは次のウェブサイトを参照されたい。 http://www.cswc.jp/index.php


さて、もうちょっと勉強しよう。
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by no828 | 2008-01-21 19:24 | 日日 | Comments(0)
2008年 01月 18日

プラグマティックなお姐さんと「うんうん」と聴いてくださる先生がいるのだ

くもり。相変わらず寒い。

2限は教育哲学、のはずであったが、定時を10分過ぎても教授が来られなかったので、「休講」という判断を自主的に下す。

昔のわたしであれば30分ぐらいは待ったかもしれない。

空いた時間で授業の課題論文を読む。

議論の展開がよくわからない。そもそも議論は展開されているのか。

そのように思った理由のひとつに、「社会教育の本質論」「社会教育の視点」「社会教育の立場」といった言葉が使われているものの、それらによって表現されるべき論文の枠組みに関わる部分、それゆえに本来丁寧に説明されるべきものがほとんど説明されていない、ということが挙げられる。

これらはあくまで、たとえば「筆者の考える社会教育の本質論」のように、「筆者の考える」という枕詞が付いてはじめて意味をなすものである。
にもかかわらず、「それ」があたかも社会教育関係者全員の合意の下に定立された「社会教育の本質論」であ(るから、説明は不要であ)るかのように論じられていた。

わたしはここに違和を感じ、同時にそこに筆者の「逃げ」の態度を見る。
なぜならば、あたかも学問上確立した通念があり、それに自らも依拠するかのように論じることで、自覚的にであれ無自覚的にであれすでに立って(しまって)いる筆者自身の立場それ自体への批判を封じ込めているからである。(もちろんわたしのような「社会教育」の外にいる者にとっては、「それ」が「通念」であるかどうかもわからない。それゆえに批判できる。)


研究者、とりわけ社会科学の研究者には「立場」が付きまとう。その「立場」にどれだけ自覚的であるか、そして同時にどれだけ懐疑的であるかが問われると思う。

今回の論文の筆者には、そのような態度が見受けられなかった。自らの立場に一切の疑いも差し挟まれていなかった。

かような筆者の論文をめがねのお姐さんは「宗教」と呼んだ。言い得て妙。

そしてそのお姐さんの立場は、わたしに言わせれば「プラグマティズム」である。使えるものは使う、使えないものは使わない。だから「正しさ」とか「善さ」は、そのときどきによって変わる。今日の議論のやり取りでそれがわかった。ゆえに以後お姐さんと議論するさいは、「そのような」向き合い方をしようと思った。

また、授業ではそのプラグマティックなお姐さんから「コメントはもう少し小出しにしてください」と注意された。

「小出しに」と言われても困ります。

わたしはいつも授業の最後にまとめてコメントすることにしている。というのも、わたしがコメントしたいことは大体その論文の全体に関わる基底的なことであるから。ゆえに「小出しに」すると逆にわかりにくくなると思われるのである。

そうなんですよ、お姐さん。

そんな最後に一気に吐き出すわたしのコメントを、先生はいつも「うんうん」と聴いてくださっている。

それがすごくうれしい。
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by no828 | 2008-01-18 19:30 | 日日 | Comments(0)
2008年 01月 17日

「過去」はどこにあるのか

晴れ。朝起きて窓を開けたら、地面にはうっすらと雪。寒いわけだ。

午前中に授業の課題論文。日本の植民地教育政策についての論文。読み応えのある論文。

「近代」とは一体何であったのか。いや、待て。「近代」は終わっていないのかもしれない。「現代」もまだ「近代」なのか。

「帝国主義」と「植民地主義」はどのように異なり、どのように同じなのか。

「帝国主義」「植民地主義」のどこが問題なのか。

自分なりに答えが出せていない問いが多いことに改めて気づかされる。


4限に史学の授業。紹介された歴史家は、ロシアのM. ロストフツェフ。

彼は、1917年のロシア革命を経験後に英国・米国に亡命した。その実体験もあって、ローマ帝国の住民を「都市ブルジョワジー」「農村プロレタリアート」といった「近代」の言葉で分別して説明するような「モダニスト」であったらしい。

「都市ブルジョワジー」と「農村プロレタリアート」の対立が激化し、3世紀の軍人皇帝時代に「農村プロレタリアート」が「都市ブルジョワジー」への「ねたみと嫌悪」を推進力に都市部を攻撃・破壊、それによってローマ帝国は衰亡に向かう。

あれ、何かの説明に似ているな。


そこから授業は「歴史は歴史家が構成するものだ」という原理的な話に展開する。

このような、具体的な話から一気に原理論へ、という展開の仕方がわたしはとても好きだ。

わたしの場合、論文の序論でこういった展開の仕方をするとよいのかもしれない。昨年10月末の博士論文中間発表会のレジュメでは具体論が足りなかった。だからあのとき、「あなたにとって具体論は枕詞のようなもので、要は哲学がしたいんでしょ?」と言われてしまったのだ。「いえ、そうではなくて、現実にある問題を哲学的に分析したいのです」。もう少し具体論を展開する必要がある。

さて、原理論へと展開した後の授業では E. H. カーの言葉が引用された。

「歴史を研究する前に歴史家を研究して下さい」(『歴史とは何か』)。

歴史家は歴史的制約を受けて生きている。だから、歴史家によって、つまり、誰が「歴史」を組み立てるかによって、「歴史」は変わって見えてくるのである。

もし「歴史」がそのようなものでなく、「たったひとつの歴史」であるとするならば、歴史教科書問題は起こらなかったであろう。

「歴史」は「歴史家」によって再構成され続ける。

だからカーは、「歴史」の前に「歴史家」を見よ、と言ったのである。


このことは、ロストフツェフのような歴史家にかぎらず、「現在」に生きるわれわれにも当てはまる。われわれは「現在」の言葉で「過去」を説明する以外に「過去」を説明する術を持たない。「過去」は、あるいは「歴史」は、常に「現在」において語られる。その意味において「過去」は「現在」である。


そのように考えてくると、再び授業で引用されたカーの次の言葉がすっと入ってくる。

「歴史」とは「現在と過去の尽きぬことのない対話」である(同上)。


「教育」「開発」「援助」・・・わたしもすぱっと一言で言えるように励まなければならない。


追記:昨日のタイトルに「『責任』についてわからなかった責任はバナナにあるのか」と書いたが、バナナに責任を負わせることはできないことに気づいた。やはりヨナスも言うように、責任を負えるのは人間だけなのか。
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by no828 | 2008-01-17 20:23 | 日日 | Comments(0)