思索の森と空の群青

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2008年 03月 31日

雨上がりの夕方はきれいだ

昨日の夕方からずっと雨、今日の昼過ぎから晴れ。

昨日はオフ。

お昼頃に洗濯して干して、そのあいだ珈琲を飲んで、夕方になって洗濯物を取り込んで、そうしたら雨が降り出して、雨のなか古本屋に行くことになってしまった。

古本屋では「本半額フェア」をしていた。105円は52円。

素敵だ。

結局、本は12冊買って、ほかにCDも1枚買う。

本のなかで「おお」と思って買ったのは、

『別冊宝島167号 学問の仕事場』JICC出版局、1992年。(52円でした。)

昨夜に少し、そして今日お昼を食べながらまた少し読む。

阿部謹也(ドイツ中世史)、鶴見良行(アジア学)、網野善彦(日本中世史)などのインタヴューが掲載されている。

すべて読んだわけではないけれど、博士会の方々にはおすすめできる気がする。

「学問(する)」とか「研究(する)」とか、思考する・再考する機会を与えてくれるように思うから。

古本屋ではほかに、中国の(多くの)方および社会主義教育学の方と話がしたいと思って、

野村浩一『人類の知的遺産 76 毛沢東』講談社、1978年。(325円でした。)

も買う。

ちなみに、買ったCDとは Narah Jones のアルバム。雨に合いそうだと思って。


今日は午前中に2日分の新聞を読み、貯まった新聞の切り抜きをする。これだけで午前が終わってしまう。

午後から散らかった机の掃除。土曜日に手放した論文で使った本や論文やプリントアウトした草稿などを片付ける。

ついでに本棚とコピーした論文の整理もする。

夕方、その論文を片付けるためのファイルがなくなりそうになったので、無印良品に買いに行く。


研究室に戻ってきてからずっと片付けを続けている。が、終わらない。

ある程度まで片付けて帰ろう。
そして明日は学会発表のことを考えよう。
学会発表の申込みが終わったら全部片付けよう。


無印良品の入ったビルから、夕方の光が見えた。雨上がりの夕方はきれいだ。


@研究室
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by no828 | 2008-03-31 21:35 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 29日

論文の終わりは研究の終わりではない

晴れ。

空気に占める桜色の割合が日に日に増している。

しかし、それを愛でている余裕がない。

久しぶりに胃が痛くなった。昨日は胃の痛みであまり寝られなかった。余裕などない。


とりあえず論文を書き終えた。


自己内締切を過ぎてしまったが、これから郵便局に持っていって速達で出す。

昨日「なんじゃこりゃー」になるであろうと予想されたところは、意外にもそうはならず、結構論理的に書かれていた。

もちろん、「なんじゃこりゃー」なところは他にあったわけだが。

結果はどうあれ、締切があり、それまで詰めて思考できたことは無駄にはならないと思う。

論文はひとまずの区切りを迎えたわけだが、研究はまだまだ続く。論文の終わりは研究の終わりではない。

今回の思索は、きっと次の道へと続いているはずだ。


そういうわけで、今から郵便局に行ってきます。皆さまの有形無形の応援に感謝します。


@研究室
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by no828 | 2008-03-29 19:29 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 28日

ずっと論文

日中は晴れ、夕方に雷雨。


ずっと論文。


お昼過ぎに、論文本体とともに編集委員会に送付するフロッピー・ディスクへのデータの保存方法がよくわからないので鈴木君に訊いてみる(このように保存せよ、と指定されているのだが、よくわからなかった)。
他の院生にも訊いてくれたりして解決してくれる。感謝。これで明日の保存もうまくゆくはず。

懸案がなくなったのであとは論文。と思ったら論文という大きな懸案があることに気付く。

論文は、考えて書く、必要なら調べる、基本的にはそれだけなのだが、とてもきつい。

なぜか。

よくわからない。

さっき波に乗って書くことができたが、明日になったら「なんじゃこりゃー」である可能性が高い。

しかし、言いたいことはたぶんああいうことだから、時間まで推敲を重ねれば少し穏やかな文章になるのではないかと思っている。

今日はもうちょっと粘る。でも、3時間は寝たいので一旦は帰宅する。徹夜は好きではない。

さて。


@研究室
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by no828 | 2008-03-28 22:55 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 27日

論文を書くために1日中研究室にいれば先生からお願いごとをされたりもするのである

晴れ。

大学に来る道の桜が色づきはじめた。

にもかかわらず、相変わらず、論文である。

今日はずっと書き直している。

論文を読み直すとき、どうも思考の途切れを感じる。だから、はじめから通して書き直そうと思った。

わたしは、とりあえず書きたいことを書いてあとでつなげる、よりも、あたまから一気に書き上げる、ほうが向いているのかもしれない。

そういうわけで、「1. 本稿の目的と問題の所在」を全面改稿して本論もその勢いで書き直す。

前よりもよくなった気がする。


土曜日29日の17時までに郵便局に持っていって速達で出す。

それが終わったら4月4日必着の学会発表の申込みをしなければならない。発表題目を書いての申込みになるので、それを考えなければならない。発表内容は大体決めたので、それをうまく表す題目を付けるのみ。とはいえ、わたしは題目を付けるのが苦手である。


こうして研究室にいると、ときどき来室者がある。

今日は多かった。某先生、某後輩1・2、某後輩3、と4名の方がご来室である。

某先生からは仕事を頼まれてしまった。大学の交通安全会の理事になってくれ、とのこと。

W, Why?

どうやら学生から4名出さなければならないようで、そしてなぜかわからないのだが、そのうちの1人になってくれ、と。

仕事は理事会に出るぐらいらしいので、お引き受けする。お世話になっている先生なのでお断りするわけにもゆかない。

任期は4月からの1年間(たぶん)。

この期間は「理事」の権威でばしばし交通関係を取り締まるつもりである(うそ)。

ところで、「交通」とは自動車や自転車や飛行機や船や歩道や信号のことばかりではない。

「交通」とは、communication 全般である。

しかし、communication 全般は取り締まるものではないし、取り締まれるものでもない。

だから「あの人にラヴ・レターを渡してください」なんてお願いは、奥ゆかしくてよいとは思うけれど、いくら理事でもお引き受けすることはできません。


と、こんなことを書いている場合ではない。休憩終わり。論文に戻ろう。


@研究室
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by no828 | 2008-03-27 20:21 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 26日

もっとすっきり書けるはず

晴れ。

そして暖かい。春が来たのか。


昨夜のこと。

「爆問学問」の京都大学スペシャルを観ることができた。

京都大学の大学院に進んだ学類の某同輩がちらちらと映っていた。

テーマは「独創力」であった。

自分の経験と重ねながら観ていた。なるほど、と思うところが何箇所かあったが、それについて書いている時間が今日はない。


今朝のこと。

自室にて珈琲を淹れながら、また、飲みながら論文を見直す。

理路がすっきりしていない印象を受ける。

もっとすっきり書けそうな気がする。

というわけで、今日はずっと理路を再考する。アウトラインに戻って考えてみる。

どのような導入で・どのような論理展開で・どのように着陸するか。

再考の余地はまだある。


@研究室
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by no828 | 2008-03-26 19:19 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 25日

ストライキ 経由 卒業式 で どこに行く

晴れ。

今日は大学の卒業式であった。

が、昨日まで今日が卒業であることを知らなかった。

知ったのは、「ストライキ」の掲示を見たからである。この日に合わせて某バス会社(の労働者側)がストを決行する(から注意して)との掲示である。

わたしのいる大学のある街は車がなければ生活できない、と言ってしまってもあまり誇張にはならないような街である。

高速バスも含めたバスのターミナルと駅がこの街の「中心」であるが、そこから大学まではそれなりの距離がある(3、4kmぐらいか)。

歩けないこともないが、バスを使う人のほうが多い。

そのような街でストが、しかも保護者をはじめ多くの方が出席されるであろう卒業式の日に行なわれるとなるとどうなるか。

実際にストが決行されたのかどうかはわからない。が、どうして卒業式の日にストをぶつけてくるのか。

卒業式の日だからぶつけてきたのである。

卒業式にストをされたのでは会社の信用というか評価というかイメージが傷つけられる、それは回避したい、だから使用者側は労働者側の言い分を聞き入れるはずだ、少なくとも妥協はするはずだ。

という思惑が労働者側にあったのではないか。

しかし、労働者側にも子どものいる方がおられたであろう。

自分の子どもの晴れ姿を見たいと思う親心もわかるはずだ。

にもかかわらず、卒業式にストをぶつけてくるとは・・・と思う一方で、その卒業式にぶつけざるをえないような状況が労働者側にあったのではないか、とも思う。


そのようなことを考えながら論文に取り組む。

昼過ぎに、晴れて卒業を迎えた某後輩と写真を撮るために外に出る。


わたしは送り出す側、見送る側である。

学類を終えて就職した友だちを見送り、修士課程を終えて就職した友だちを見送り、わたしよりも後に大学に入った後輩たちを見送った。

見送るときの気持ちは何とも表現しようがない。

寂しいというか切ないというか、いずれにしても感傷的になる出来事であり、季節である。

だから、わたしはこの季節があまり好きではない。

大学の先生になったら(なれたら)、毎年このような情動に襲われることになる。

「先生」というのは、たぶん、そういう仕事なのであり、「先生」になるということは、たぶん、そういう人になるということなのだ。


さて、休憩終わり。論文に戻らねば。
今日は21時30分には研究室を出て、22時からの「爆問学問」スペシャルを観るのだ。
そのような余裕があるのか・・・実際に余裕があるか、あまりにも余裕がないから防衛反応で余裕を持とうとしているのか、そのどちらかである。


@研究室
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by no828 | 2008-03-25 18:33 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 24日

クスクス

雨。

昨夜「ETV特集 フィールドへ!」を見る。国立民族学博物館のお話。

「文化相対主義はすばらしい」みたいな論調であったが、そこに疑問を感じる。

サティーや女子性器切除の問題をも取り上げたうえで「文化相対主義」を言うなら説得力があるが、そうではなかった。疑問はそこに差し向けられる。

ひとつの立場からは論じきれない問題をどう論じるか。

日が変わって。

朝から論文に取り組む。

お昼前に図書館に行って本を2冊借りる。研究室に戻ってくるとき、退職される先生の本が「ご活用される方はご自由にお持ちください」との張り紙とともに並べられていたので、20冊弱頂戴する。隣にいらっしゃった某先生から「こういうときどういう本をもらったかでわかるんだよねえ」と本の背表紙を見られる。恥ずかしい。

午後も論文。

夕方からモロッコ人留学生のさよならパーティがあったが、やむをえず欠席する。

論文。

缶コーヒーを買いに行く。そのあいだも考える。問題がひとつ解決する。

論文。

夜、モロッコ人留学生がクスクスを持って来室してくれた。はじめてクスクスを食べる。なぜかはよくわからないが、ベンガル・カレーを思い出す。

See you later, maybe in Morocco と言ってお別れ。

明日ばったり会ったりして。

論文。と思ったが、今日はもう帰ろう。


@研究室
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by no828 | 2008-03-24 22:20 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 23日

立岩真也『私的所有論』より




この本を書く作業の大部分は単独行としてなされた。働かない頭だけを働かせ、考えあぐねながら、書き進めてきた。流通している言論がどの辺りに落ち着いており、それ以外のところには行かないものだということが大体は掴めていたから、あとは自分の混乱した頭の中を整理し、考えを進めていくだけだった。約二年間、ほとんど何も読まなかったと思う。書くことがほぼ決まってから、事実関係を裏付けたり主張すべきことを主張するのに使える材料を探すためにまた少し文献にあたった」(立岩真也『私的所有論』勁草書房、1997年、p. 443)。



「約二年間、ほとんど何も読まなかったと思う」というのがすごい。
でも、読まずにひたすら考えることも必要であると思う。


晴れ。


先行きが少し明るくなった。


また暗くなるかもしれないから、気持ちは引き締めてゆこう。
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by no828 | 2008-03-23 20:30 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2008年 03月 22日

研究室にこもって論文を書かねばならない日になぜこうも晴れるのか

晴れ、悔しいぐらいに。

わたしが研究室にこもって論文を書かねばならない日になぜこうも晴れるのか。

桜も開花とは。


朝、起きて洗濯機を回す。回しているあいだにシャワーを浴び、珈琲を淹れて飲む。濃いめ。タンブラーに入れて研究室に持ってゆこうと思ったらタンブラーは研究室にあることに気付く。う。バナナも食べる。

洗濯物を外に干して身支度を整える。

洗濯物を取り込んで自室を出る(洗濯物を外に干しっぱなしにはできない。が、洗濯物をまったく太陽の光に当てないのも嫌なので、20分でもよいから外に干す)。

研究室に来てまずは新聞を読む。

チベット。

情報が錯綜している。どうなっているのか。なぜこうも言い分が違うのか。

自治区だけでなく、甘粛省・四川省でも「暴動」が起きている。
実は、四川省(首都は成都)には行ったことがある。だから、リアリティを持って報道を追っている。西昌はどうなっているであろうか。


論文。

「本稿の目的と問題の所在」と「結論」から書き始める。

が、はじめから躓く。目的が明確化されていない。シャープな問題設定になっていない。

が、とりあえず書き進める。言いたいことを書いてゆく。前後の脈絡に注意を払いながらも、それに縛られることなく書いてゆく。あとで推敲すればよいと思ってとりあえず書く。書くと言いたいことも明確になってくる。

現在、A4版40字×35行で6枚。8,400字ほどか。脚注はほとんど挿入せずに書いている。規定は「20,000字程度」。

やはり文章にしないとわからないことがある。文章にすることで思考の流れを感じることができる。もちろんその流れはときどき途切れる。途切れたら別のところから書いてみる。つながることがある。つながらないこともある。


論文を書いている最中に父から電話があった。

以前ここに、古き友人の結婚式に招待されたが欠席せざるをえない、と書いた。その結婚式に父は出席するとのこと。



どうやら父も招待されていたらしい。わたしの分もお祝いを渡しておくから、とのこと。感謝。

そういえば式は明日だ。忠幸君、おめでとう。


@研究室
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by no828 | 2008-03-22 19:59 | 日日 | Comments(0)
2008年 03月 21日

飽和 あるいは「書け」という合図

くもり。

朝から論文に取り組む。

大学が春休みのため、図書館の開館時間が短縮されている。土日も開かない。
このような長期休暇のさいに研究を進める院生・教員も多いはずなのに、閉めてしまうのはなぜなのか。

と思いながら、昼間のうちに必要になりそうな文献を借りたりコピーしたりしておく。今回の論文では扱えないテーマの論文でも、面白そうなものはついでにコピーする。

(そういえば、学系のか専攻のかは忘れたが、いずれにせよ予算が余ったのでそれを使ってコピーカードを買って院生に配布するという話があった。その話はどこに行ったのか。)

図書館のなかは、学類生の利用率が下がっているのであろう、結構空いている。
だが、コピー機は空いていない(ちなみに図書館エントランスに先日オープンした某珈琲店も空いていない)。2階と3階と4階を行ったり来たりする。また、研究室と図書館のあいだを数往復する。

ということを図書館の貸し出しが終わる16時30分ぐらいまで繰り返す。

幾ばくかの疲労感を禁じえない。

そういうわけで、机に向かって落ち着いて論文に取り組みはじめたのは夕方から。

しかし、文献を見ながら、これは今回の論文に関係ありそうだ/なさそうだ、という判断を繰り返していると、論文の内容にも締まりが出てくるような気がする。つまり、このラインで書こう、という感覚が訪れる。

また、文献を読んでは考え、考えては読み、という営みを続けていると、脳が飽和状態を迎える。

この「脳が飽和状態を迎える」ということは、脳に入力できるだけの知識が入力された、ということであり、これはつまり、あとは出力せよ、書け、という身体的な合図が送られるということである(逆に言えば、飽和を迎えるまでは書けない)。

このような「身体感覚」とも呼ぶべき感覚にはしたがうことにしている。


明日は朝から書くぞ。


@研究室
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by no828 | 2008-03-21 22:10 | 日日 | Comments(0)