思索の森と空の群青

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2008年 06月 30日

あー

晴れ

日付が変わる20分前、今日6月30日(月)必着の某学会大会の発表要旨を電子メールで送信した。

前々からすこしずつ考えていた発表内容ではあったものの、実際に文章化できたのは今日になってからである。

きついね。

相変わらず胃も痛い。

要旨の内容には満足はしていないが、いまわたしのなかにあること、いまわたしが思考できること、いまわたしが書けること、を書いたつもりである。時間があれば……とも思うが、実際に時間はないのだから、与えられた時間のなかでできることをするしかない。

電子メールの送信ボタンを押したら「終わったー、一息つけるー」と解放される予定であったが、まったくそのような感覚には浸れない。

修士論文のときもそうであった。提出したら「よっしゃー、呑みに行くぞー」となる予定であったが、「ああ、ダメな論文を出してしまった。全然ダメだ」と思って落ち込んだ。

いまもそのような状態である。


あ、日付が変わる。そろそろ帰ろう。

学会のことは後日、できれば明日、書きたいと思う。


@研究室
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by no828 | 2008-06-30 23:55 | 日日 | Comments(0)
2008年 06月 27日

インターハイに向かう湘北高校バスケットボール部の気分だ

晴れ

9時に研究室に行き、13時まで学会発表用のレジュメを詰める。

それからレジュメのコピーを35部。こういうときにかぎってコピー機の調子が悪い。

コピー機3台を行ったり来たりして、どうにかコピーを終える。

一旦アパートに戻り、着替えなどを鞄に詰めて駅まで歩く。重い。暑い。

15時41分の快速に乗り、途中2回乗り換えて大宮に行き、そこで東北新幹線に乗り込む。はじめ「はやて」に乗るつもりでいたが、「はやて」は全席指定であったので(何だそれ)、およそ20分後の「やまびこ」に乗る。何とか座れる。隣の人は韓国人であった。鞄に「NRT」のシールが貼ってあった。

ノート・パソコンを取り出して別の学会発表の要旨を書きたかったが、それが無理なぐらい混んでおり、仕方なく関係する論文集を読む。「は?」という論文と「たしかに」という論文と。

仙台近くになると、隣の韓国人がさらに隣の韓国人と話し始める。そして、何とわたしが参加する某学会大会のプログラムを取り出した。「おお、何と奇遇な」と思った。おそらく English Session で発表するのであろう。「負けねーぞ」。まあ、わたしが発表するのは English Session ではないのだが。

何となく、であるが、インターハイ@広島に向かう湘北高校バスケットボール部の気分だ(喧嘩はしなかったが)。

19時過ぎに仙台駅着。

某北大学の大学院に通う弟に迎えに来てもらう。で、駅のなかのお店で牛たん定食を食べて、結構歩いて弟のアパートに来る。弟は、また研究室に戻った。わたしはシャワーを浴びた。明後日が発表のわたしは、プログラムをはじめてきちんと読んで明日どうするかを考える。正直言って、おもしろそうな発表は見当たらない。おそらく事例紹介がほとんどであろう。わたしが聴きたいのは事例紹介ではない。会員控室で発表要旨を書くか。新自由主義関連のシンポジウムは聴こう。

明日の受付は8時30分から。自由研究発表が始まるのは9時30分。参加費や学会費(わたしはたぶん昨年度分を払っていない)を払う必要があるから、9時には会場に着きたい。移動時間を考えると、6時30分には起きないといけない。

あとすこし勉強したら今日はもう寝よう。移動で疲れた。


@仙台
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by no828 | 2008-06-27 22:56 | 日日 | Comments(0)
2008年 06月 26日

わたしは文章読み上げ派

くもり すこしだけ雨

昨日は朝から研究室に来て、ざっと(本当に、ざっと)新聞を読んでから、学会発表用の文章を書く。いわゆる「レジュメ」を作る(「レジュメを切る」と言う人もいる)。某パワー・ポイントでレジュメを作って発表する人が増えているなか、わたしは文章読み上げ派である。

文章読み上げ派とは、発表用に小さめの論文を書き、それを読み上げて発表する人びとのことを指す(と勝手に定義してしまう)。某パワー・ポイントを使わない理由は、某パワー・ポイントにすると論理展開が曖昧化できてしまうからである。映像で断片を示すから、聴き手の理解も断片化されてしまう。1枚1枚のスライドはわかるが、全体では結局何が言いたいのかわからなくなることがある。その点、文章にすると論理を飛ばすことができない。自分のためにも文章を書いてそれを読み上げるほうがよい。

いや、発表は聴衆を大切にしたものにしないと。発表者がどうという問題ではないでしょ。

それはそうなのであるが、わたしは某パワー・ポイントの発表は聴きづらいとも思うわけである。何か、ばーっとしゃべって、「以上です」という発表が多いからである。わたしとしては、「よくわからないままに終わってしまったなあ」という感想を持つことが多い。

むしろ、文章化されたレジュメをいただいて、発表者はそれを音読する、聴衆はそれを聴く、のほうが発表者の主張も理解しやすいし、論理の飛躍なども見つけやすい。だから某パワー・ポイントでの発表を見ると、「逃げたな」と思ってしまう。

そういうわけで、わたしは文章読み上げ派である(ちなみに、わたしの所属する大学院の先生方も文章読み上げ型の発表を好まれるように思われる。だから、だと思うが、院生も大体文章読み上げ派である。他の学問領域ではどうなっているのであろうか)。

そしてその読み上げ文章(小さな論文)をいま書いている。着地点をどうもうまく書くことができずにいて、気分転換にここに書いている。


あ、昨日のことを書こうと思っていたのに文章読み上げ派について書いてしまった。

実は昨日は卒論生の指導会があり、学類生から「聴きに来てください」と言われていたのだが、上述のような理由で出席できなかった(どのような質問があったか教えてください、とメールは出しておいた)。

だが、午後から開催された学系(教員+院生)のソフトボール大会には出場してしまった(ちなみに2位。ちなみに二塁打と三塁打を打った)。そのあとの懇親会にも出てしまった(お酒は呑まなかったが)。

余裕ないのに、である。

おかげで身体のあちらこちらの痛みとともにレジュメを作らねばならなくなっている。

ああ、肩と腰と背筋と腹筋と足が痛い。


ちなみに明日は昼過ぎにこちらを出て新幹線で杜の都を目指す予定。新幹線のなかでは、別の学会発表の要旨を書かねばならない。

ああ。


@研究室
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by no828 | 2008-06-26 20:57 | 日日 | Comments(0)
2008年 06月 24日

沸騰都市ダッカに思う

晴れ

6月29日(日)にする学会発表(@某北大学)の準備を朝から。

学会大会自体は28日(土)・29日(日)の2日間なのだが、運悪く2日目の発表に当たってしまった(京都の友人は1日目になっていた)。

学会発表だけで終わればよいのだが、別の学会大会の発表要旨を6月30日(月)までに電子メールで送らねばならない。

そういうわけで、久しぶりに胃が痛い。さっき「ガ○ター10」を飲んだ。すこし落ち着いた。

以上のように、本当はここに文章を書いている場合ではないのだが、行き詰まったので積極的逃避に出ることにする。

22日(日)のテレビ番組「沸騰都市」ダッカについて。学会発表の内容とも通底している(とわたしは思っている)ので、思考の整理の意味でも書いておきたい。

番組の内容は、先にも書いたように、非政府組織BRAC(ブラック。もともとは Bangladesh Rural Advancement Committee の略)のマイクロ・クレジット(小規模融資)事業に焦点が当てられていた。

これも前に書いたことだが、マイクロ・クレジットではグラミン銀行が有名であるにもかかわらず、なぜかほとんど出てこなかった。テレビを観ながら取っていたメモを読み返してみると、マイクロ・クレジット事業の主な実施範囲が、BRACは都市部、グラミン銀行は農村部、と分けられるようである。番組の趣旨が「沸騰都市」であるから、都市部に照射する、だから必然的にBRACが取り上げられることになった、ということであると思われる(勝手に納得する)。

BRACは年間予算が500億円、従業員が11万人(本部は高層ビル)の世界最大の非政府組織である(と思われる。このあたりを確認しようと思ってBRACのウェブサイトを訪れようとしたがアクセスできない)。年間予算500億円のうち、援助・寄付は2割、あとはビジネスで賄っているようである。BRAC には Aarong というブランド(民族衣装から本から置物から何でも)があり、Aarong のものを持っていると社会的ステイタスが高いと言われる。商品もバングラデシュの感覚からするとかなり高い。わたしも直営店に行ったことがあるが、外国人(わたしも!)が多かったのと、経済的に富裕であることが一目でわかるバングラデシュ人が多かった印象がある。

さて、そのBRACがマイクロ・クレジットを展開しているという話であった。BRACは借り手(主に女性)を5人組として組織化し、融資・返済の連帯責任を負わせている。融資の審査のさいに5人組のメンバーが同行して「彼女が返せないときはわたしたちが助けるわ」と言っていた場面がテレビでは流されていた。返済率は99.5%と言っていた(はずである)。ちなみに、5人組はグラミン銀行でも取り入れられていたはずである(取り入れたのはグラミン銀行のほうが先か?)。

ここで思うのは、5人組に入ることのできない人もいるのではないか、ということである。5人組が連帯責任を負う以上、その5人組はある程度「返済できそうな人」によって選別的に組織されるはずである。すると、返済できないと周りの人びとに思われている人は5人組に入ることができない、したがってお金を借りることもできない、そうなるのではないか。「返済できそうもない人」を「本当に経済的に貧しい人(=本当にお金が必要な人?)」と同義とすると、この5人組は「本当に経済的に貧しい人」を救うことにはならないのではないか。

と考えつつテレビを観ていたら、お金を借り、返済できた女性が、目を輝かせて「わたしにもできる。わたしも働くことができる」ということを声高に語っている様子が映し出された。お金を借りる前は、「お金がない。わたしには何もできない」と思っていた女性の様子が変わったということが、わたしにもわかった。素直にすばらしいことだと思った。

しかし、である。「すばらしい」で終わらせてしまってよいか、とも思うのである。

(1) なぜ「働く」ことがこれほどまでに価値あることとして認識されるのか。
(2) 働かなければ存在することもままならない、だから働く/働かせる、という論理は正しいか。
(3) 貧困層を働かせることは、結局、貧困層をグローバルな資本主義市場(貨幣)経済の網の目に巻き込むだけなのではないか。

そのように思う(わたしは資本主義を全否定したいわけではない)。

(1)は、もしかしたらカール・マルクスのせいかもしれないと思う。が、それはさておくとして、価値あるとされる「働く」とはそもそもどういうことなのか。わたしにはこれがわからない。

そのわからなさが(2)と関連してくるのだが、働かなければ存在できない、この世界に存在するためには働かなければならない、はちょっとおかしいと思うのである。人間にとって「存在すること」は犯すことのできない価値ではないか。その価値は無条件に擁護されるのではないか。その前提に立つと、「働かなければ存在できない」は正当化できない。手段が目的を圧倒する、マルクスが「疎外」と呼んだのはそのような状態であったはずだ。だから理想を言えば、働くことがよりよく存在するために必要だと考える人は働く、働きたくない人・働けない人は働かなくても存在できる、ということである。だが、このとき「働く」とは一体何なのか、わたしにはわからないのである。

仮に「働く」が(3)の「資本主義市場(貨幣)経済に組み込まれること」を意味するのであれば(もちろん、組み込まれずに存在することはもはや不可能かもしれないが)、それも無条件に賛成するわけにもゆかない。

ダッカでは(中国よりも)安い労働力が提供される。それによって資本主義は利を上げる。しかし、利を上げるのは資本主義だけではない。貧困層も、貨幣を手にすることによって事業を起こし、それで利を上げることができる。事業を起こした人のもとで働くこともできる。それによって、故郷へ送金できるようになるかもしれない。弟妹を学校に行かせることができるようになるかもしれない。だから win-win だ。論理的にはそうであるが、あまり納得できない。

その理由をうまく言えないのだが、できるだけ整理してみる。

どこかで資本主義市場(貨幣)経済システムができあがる。
→ それは「拡大」の論理をうちに含む。より安い労働力を求めて、より買ってくれる消費者を求めて、システムはどんどん拡大してゆく。
→ システムの拡大の性向は「貧困層」も放ってはおかない。「貧困層」は有無を言わさず資本主義市場(貨幣)経済システムに組み込まれる。
→ しかし、組み込まれる前の「貧困層」は貧困ではなかったかもしれない。資本主義市場(貨幣)経済システムの規準に照らしてはじめて、彼/彼女らは(資本主義市場(貨幣)経済システム内部の)「貧困層」として認定される。というのも、彼/彼女らは当該システム内部で動くためのパス=貨幣を持っていないからである。そして、彼/彼女らはもはや貨幣がないと存在することも危うくなる。周りはすでにシステムに組み込まれている。そこから逃れることは不可能に近い。だからシステム内部で存在するためのパス=貨幣を求めて働くことになる。働かなければ、存在すらできない。

わたしは何が言いたいのか。

おそらく、「勝手に巻き込んでおいて、しかも巻き込まれた側はそこから離脱できないにもかかわらず、『あなたたちは貧困です。貧困が嫌ならわたしたちのルールに従ってください。ルールに従いたくないならどうぞご自由に。ただし、それだと貧困のままですよ』はあまりに一方的ではないか」、ということである。


斜めから見る/観ると、「沸騰都市」ダッカは、というより、いまの世界は、そのように映る。


@研究室
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by no828 | 2008-06-24 21:40 | 思索 | Comments(2)
2008年 06月 23日

4日間

晴れ

週末+ α を振り返る。研究会・読書会の多い4日間。

金曜日、10時にここに文章を書く。12時から14時まで研究会。中国の高等教育について。質問したが、しなければよかったと後悔する。そのあと研究室をすこし掃除する。すっきりする。18時30分から21時近くまで別の研究会。アイデンティティについて。スチュアート・ホール、ルイ・アルチュセール、ジュディス・バトラーなど。21時過ぎから研究室で呑み。3人(途中から+1人)で2時30分まで。いろいろ話す。こういう呑みはあってよい。帰宅して寝たのが4時。

土曜日、7時に目が覚めてもう1度寝て10時に起きる。ごはんを食べて研究室へ。眠い。新聞に目を通してから論文を読む。眠い。16時過ぎに研究室を出て、某公民館へ。17時から21時まで某研究会。今回は幹事なので早めに行く。発表はイギリスのシティズンシップ教育について、そして数学基礎論について。哲学的基礎付けは可能なのかなど、質問をいくつかする。終わったあと参加者と夕食を食べに某所へ。都内にある某大学の院生とすこし話をする。研究会における質問の仕方とか功利主義とか。帰宅したら23時30分。

日曜日、10時前に起きて洗濯など。雨。お昼を食べてから研究室へ。新聞を読む。そのあと貯まった新聞の切り抜き。貯めるものではない。それが終わってから20時過ぎまで学会発表の準備。帰りに買い物をしてから帰宅。雨。21時から某局のテレビ番組「沸騰都市」を観る。ダッカ。学類のときの友人と研究室の後輩からメールが来る。「ご存知かもしれませんが、今日はダッカですよ」。「もちろん観てますよ」。主に非政府組織BRACのマイクロ・クレジットについて。マイクロ・クレジットはグラミン銀行が有名なのだがほとんど出てこない。メモを取りながら最後まで観る。「批判的に観ること」を意識しながら観る。いろいろ考える。たぶん後日書くことになると思う。ちなみに、BRACの本部にはインタヴューをしに行ったことがある。

月曜日、朝から研究室に来て新聞を読み、学会発表の準備をする。お昼は蕎麦。食べ終わってお茶を飲みながら本を読んでいたら一緒に読書会をしているアメリカ文学専攻の友人が偶然やってくる。スラヴォイ・ジジェクのことなど、いろいろ話す。研究室に戻ってきてから学会発表の準備の続き。18時から後輩の研究計画書を見てコメント。18時30分から21時まで読書会。イヴァン・イリイチの「ニーズ」について。


あ、また雨が降ってきた。

あれ、もう止んだ?


@自室
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by no828 | 2008-06-23 23:08 | 日日 | Comments(0)
2008年 06月 22日

人間とは一体何なのか



5月9日以来に本を。

30(80) 開高健『輝ける闇』新潮社(新潮文庫)、1982年。(読了日未記入)

ベトナム戦争。

〔……〕誰かの味方をするには誰かを殺す覚悟をしなければならない。〔……〕残忍の光景ばかりが私の眼に入る。それを残忍と感ずるのは私が当事者ではないからだ。当事者なら死体が乗りこえられよう。私は殺しもせず、殺されもしない。レストランや酒場で爆死することはあるかもしれない。しかし、私は、やっぱり、革命者でもなく、反革命者でもなく、不革命者ですらないのだ。私は狭い狭い薄明の地帯に佇む視姦者だ(pp. 101-102)。

 老人はちらと私の顔を見て顔を歪め、眼をそむけた。〔……〕
 「ゲリラ戦の犠牲者は国際法の孤児だというんじゃ。名も知れぬ女や子供が死んでしもうて〔も〕法はどう扱ってよいかわからぬ。法は戦争のはるかうしろをよろめきよろめき追っかけておって学者たちはどうしてよいかわからぬというんじゃ。〔……〕国際法を議論するのは偽善だ。〔……〕わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ〔……〕」(pp. 215-216)。


31(81) フランクル、V. E. 『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』みすず書房、1985年新装版。(2008年6月1日読了)

友人に薦められて。

 「一心理学者の強制収容所体験」というこの書においては、事実の報告というよりもむしろ一つの体験描写に重きがおかれている。〔……〕すなわち直接に体験したものの立場からの「内部からみられた」強制収容所である。そしてこの叙述は、〔……〕囚人の多くの細やかな苦悩を、換言すれば、強制収容所において、日々の生活が平均的な囚人の心にどんなに反映したか、という問題を取り扱うのである(p. 75)。

〔……〕すなわち最もよき人々は帰ってこなかった(p. 78)。

〔……〕元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくしてそしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである(pp. 121-122。原文で傍点が付された箇所を太字にした)。

〔……〕一体それではどこに人間の自由があるのかと問うであろう。一体与えられた環境条件に対する態度の精神的自由、行動の精神的自由は存しないのであろうか?/〔……〕彼等は、人が強制収容所の人間から一切をとり得るかも知れないが、しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているのである。〔……〕内的自由〔……〕(pp. 165-166)。

 かつての収容所囚人の体験の報告や談話が一致して示していることは、収容所において最も重苦しいことは囚人がいつまで自分が収容所にいなければならないか全く知らないという事実であった。〔……〕/〔……〕ところで彼の(仮の)存在様式の終りを見究めることのできない人間は、また目的に向って生きることもできないのである。彼は普通の人間がするように将来に向って存在するということはもはやできないのである(p. 172。原文で傍点が付された箇所を太字にした)。

〔……〕未来の目的に向けられていない存在を送っている人々〔……〕(p. 174)。

〔……〕絶対的な未来の喪失〔……〕(p. 174)。

 これに対して一つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった(p. 179。原文で傍点が付された箇所を太字にした)。

   キルケゴールを思い出す。

 ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているのかが問題なのである。〔……〕人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果すこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである(p. 183)。

〔……〕人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ちた運命と共にこの世界でただ一人一回だけ立っているという意識にまで達せねばならないのである。何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。何人も彼の代りに苦悩を苦しみ抜くことはできないのである〔……〕/〔……〕われわれにとって問題なのは死を含んだ生活の意義であり、生命の意味のみならず苦悩と死のそれとを含む全体的な生命の意義であったのである(pp. 184-185。原文で傍点が付された箇所を太字にした)。

〔……〕すなわちわれわれは収容所の人間を心理的に維持させるには、未来におけるある目的点に彼を差し向けなければならないことをすでに述べた。そして人生が彼を待っていること……たとえば一人の人間が彼を待っていること……が必要だと述べた(p. 203)。


人間は、実は徹底的に受動的な存在なのかもしれない。その受動性こそが、人間の能動性を生み出すのかもしれない。


@自室
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by no828 | 2008-06-22 23:04 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 06月 20日

「わたしの問題」「わたしたちの問題」、そのふたつの意味

晴れ

湿度が高い。温度も高い。

8時前に研究室に来る。金曜日だから新聞2紙に目を通す。

午前10時、論文を読んでいる途中にもかかわらず、投稿。
というのも、「あ」と気付いたから。
何に気付いたかと言えば、おととい書いた「わたしの問題」と「わたしたちの問題」という問題に、わたし自身がふたつの意味を付与してしまっていたことに、である。そのことに思考が引っ張られながら論文を読むのもよくない、すっきりさせておいたほうがよい、と思ったのでここに書いておく。

「わたしの問題」と「わたしたちの問題」のふたつの意味。

一方で。

先日わたしは、「わたし(だけ)の問題」として問題を縮減させるのではなく、「わたしたちの問題」として、問題をいわば公共化させてゆく回路を整備したほうがよい、と書いた。

ここでの「わたしの問題」=「わたしたちの問題」の意味は、

「この問題にわたしは苦しんでいる。しかし、この問題に苦しんでいるのは本当にわたしだけであろうか。わたしと同じような問題に直面している人もいるのではないか。同じような問題に直面していなくてもよい。異なった問題に直面していてもよい。問題は異なれど、わたしと同じように『声を上げたくても上げることができない、だから問題は自分のなかで内部処理すればよい、むしろ内部処理すべきだ、訴えることによって一層の不利益を被るかもしれない。外部に問題を訴えることはしないほうがよい。しかし、……』と考えている人もいるのではないか」

ということである。つまり、

「わたしの問題」=「わたしたちの問題」とは、
「わたしと、わたしと同じような状況にある人の共通問題」

という意味である。

他方で。

「わたしの問題」の原因・責任はどこにあるか、という観点から、「わたしの問題」はわたしだけのせいで生じたことではなく、あなたのせいでもある、という意味で「わたしたちの問題」と表現してもいた。これは、「帰責」という言葉に象徴されるように、とりわけ当該投稿のコメント欄におけるわたしにおいて見られることである。

あえて極端な表現を使うと、

「わたしの問題」=「わたしたちの問題」とは、
「『被害者=加害者であるわたし』+『加害者であるあなた』の問題」

ということである。

たしかに問題の発生地点はわたしであり、「それ」を「問題」と感じているのもわたしである。だが、その問題はなぜ発生したのか、と問うときに、「すべてわたしのせいです」「悪いのはわたしです」という自己責任原則を適用すればそれでよいのか、と思うのである。「いや、それはあなたのせいでもあるのですよ」と他者に向かって、公共空間において言ってしまってもよいのではないか。たしかに「他人のせい」にすることは美しくない、と一般に思われている。わたし自身も、原理的には、他人のせいにはしないほうがよいと思っている。

しかし、すべてを自分に帰責させることによって、実は加害者であった人を見過ごすことにはならないか、被害者ばかりが苦しみ加害者は何も問われないということでよいか。そのようにも思う。もちろん、罪の意識に苛まれる加害者もいると思う。同時に、罪の意識に苛まれない加害者もいると思う。「あなたは加害者です」と言われてはじめて「わたしは加害者だったのか」と気付くこともあると思う。それでも気付かない、気付こうとしない人もいると思う。

だから、という接続の仕方もおかしいのだが、すべてをわたしが背負う必要もないのではないか、と思うのである。

ただ、実際に背負うことができるのはわたししかない。そのことは忘れないほうがよい。だから他人のせいにしても何の問題の解決にもならないかもしれない。しかし、「それでも……」という気がしている。


以上のように、「わたしの問題」=「わたしたちの問題」には、

(1)「わたしと同じ境遇に置かれている人の問題」
(2)「当該問題の被害者=加害者であるわたしと、加害者であるあなたの問題」

というふたつの意味があると思った。


かつて西郷隆盛は「天を相手にして、人を咎めず、ただ己の誠の足らざるを尋ぬるべし」と言ったが、わたしはどうやらその境地には達していないようである。


@研究室
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by no828 | 2008-06-20 10:03 | 思索 | Comments(0)
2008年 06月 19日

「学問は対話だよね」「そうだよね」 <あなた>との、そして<わたし>自身との

晴れ

朝、研究室に来てから事務へ。研究室に戻ってきて新聞に目を通す。それから教育「の」植民地主義(教育「と」植民地主義ではなく)についての論文を読む。

論文を読んでいるとき(11時30分ぐらい)、「あ、今日は午後からずっと授業だ」と気付く。「ごはんを食べるなら今しかない」と思ってパンを買いに行く。3つ買って2つ食べる。

12時15分から13時40分まで授業。新自由主義について。アマルティア・センの理論について訊かれる。不意打ち。何とか答える。

13時45分から16時50分までまた別の授業。市民的公共性について。「市民的公共性」が「市民の……公共性のあるもの……」と定義されていて驚く。「公共性」を定義するのに「公共性」という言葉を使ってはいけないではないか。「みかん」とは「橙色のみかんである」と定義しているようなものではないか。これでは何の説明にもなっていない。ただ、議論の趣旨としては、わたしがこれまで市民的公共性論に対して感じてきた違和が率直に語られており、そのかぎりで好感が持てた論文であった。

17時開始の研究会までのあいだに残りのパンを食べる。が、17時開始だと思っていた研究会は先生の会議の都合で17時30分から。終わったのは19時。研究会ではケーキとせんべいと「鱒パイ」(って何だ?おそろしくてまだ食べていない。富山土産。「鰻パイ」ならわかるのだが)が出た。

そして19時過ぎから20時45分まで中国人留学生の先輩の研究の相談にのる。

先輩の相談は予定になかったのだが、研究会のあと「新自由主義思想について……」のような話から始まり、いつ間にか先輩の研究の話になって「どうすればよいと思いますか」と相談される。

「ええ?『どうすれば』って訊かれても……」

ホワイトボードを駆使して、問題意識、研究の目的、論理展開などを一緒に整理する。

彼女の問題意識がようやくわかった気がする。「あ、問題意識はそこにあったのか」。よかった。


今日はあまり自分の研究が進んでいない。しかし、他者の発表を聴き、異分野の研究を知ることが、きっと自分の研究にもつながってくるはずだ、と思う。「それは自分の研究とは関係ない」という言葉は研究においては禁句である。もちろん、自分の領域、自分の研究以外のところに比重を置きすぎるのも問題ではあるのだが、と自戒を込めて。


@研究室
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by no828 | 2008-06-19 21:18 | 日日 | Comments(0)
2008年 06月 18日

問題の共有 声の公共化 まずは知ってもらうことから

晴れ

朝から研究室。

新聞に目を通してから国会図書館でコピーした論文を5本ほど読む。教育と他者と植民地主義について。

読んだ論文の参考文献として挙げられていた文献を借りに・コピーしに中央図書館に行く。暑い。論文を1本コピーして本を5冊借りる。ろう文化、フェミニズム、植民地教育史など。

すると、もう13時15分に。

今日は13時30分から14時30分まで専攻の「院生懇談会」がある。

まず、博士論文の提出と学位授与に関する手続きについての説明が専攻長からある。
つぎに、院生側から専攻(教員・事務)に対して要望を述べる。

今回は専攻に対して言いたいことが3つ、専攻+院生に対して言いたいことが1つあったので挙手して発言する(ほかに意見も出なかったので。もし、ほかの院生からの意見が多いようであれば、わたしの意見は文書にして後日提出するつもりであった。つまりは、それぐらい言いたいことがあったということ)。

はじめの3点については触れないが、最後の1点についてはすこし書いておきたいと思う。

わたしが専攻+院生に向けて話したのは、院生の「自治組織」を作りませんか、院生の横のつながりをもうすこし強くしませんか、ということであった。

というのも、院生が抱えるさまざまな問題を「わたしだけの問題」として縮減するのではなく、もうすこし「みんなの問題」として扱っていったほうがよいのではないか、ひとりでは問題を提起することも難しいであろう、本当に苦しめられている人は発言することすらできないであろう、そのようなときにその人の声を聴き、ときにパターナリスティックにでも介入して声を聴き、その声を公共化してゆく回路は整備されておいたほうがよいのではないか、と思ったからである。

院生のあいだには、たとえば指導教員に対する不満、研究室内部の軋轢、将来への漠然とした不安、などがあり、それらは食事をしながら、お酒を呑みながら「愚痴」として吐き出され、一時的に共有され、「愚痴」として処理されてゆく。

しかし、それでは何の問題の解決にもならない。「愚痴」のままでは問題は「わたしの問題」のままである。

その「愚痴」を、何とか公共空間(たとえば今日の院生懇談会)に送り届けることはできないか。「わたしたちの問題」として考えてゆくことはできないか。そのために組織化という選択肢は有効なのではないか。そのように思ったのである。

たしかに声を上げることによって、逆により多くの不利益を被る可能性もある。声を上げずに毎日をおとなしく生きてゆくこともできるであろう。自己責任――「それはわたしが悪いのだ」「悪いのはこの俺だ」と問題を認識し、自分を説得・納得させながら生きてゆくこともできるであろう。しかし、そのようにして生きる日々とは一体何なのか。

たしかに、未来のために現在を耐える、という考え方もある。まさに近代教育の考え方である。わたしもそれを全否定するつもりはない。どちらかというと、わたしは近代教育の申し子的なところがある。だが、現在も楽しいほうがよいのではないか、とも思うのである。未来のために現在を「犠牲」にする、それもあってよい、しかし現在の「犠牲」は本当に未来のためか、別のことのために「犠牲」にしているのではないか、それを問いなおす必要がある。

では、現在を楽しくするためにはどうするか。問題の共有と声の公共化が有効な策ではないかと考えた。そこでみんなに提案した。

みんなにどのように受け止められたのかはわからない。「気持ちはよくわかる」と言ってくれた同輩はいた。しかし、あくまでこの提案は「わたしの問題」を起点にしているのであり、その「わたしの問題」がどれだけ「わたしたちの問題」としての性格を有しているのかはわからない。「問題の押し付け」になってはいないか、勝手に巻き込んではいないか、そのような思いを振り払うことができない。

しかし、である。声を上げなければ何も変わらない。彼/彼女(ら)は声を上げることもできない、だから介入しよう、と思って介入してきてくれる人は実はそれほど多くない。そもそも彼/彼女(ら)の存在すら認識されていない、承認されていない状況があるのではないか。そのように考えると、まずは私的ではあれ声を上げられる人が声を上げることが必要になるのではないか、と思ったのであった。


@研究室
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by no828 | 2008-06-18 21:21 | 思索 | Comments(4)
2008年 06月 17日

永田町と新宿 論文のコピーとシンポジウム

晴れるも風が強い。

昨日は国立国会図書館で論文をコピーするために、そして19時開始のシンポジウムを聴くために、上京。

10時にアパートを出て、10時41分の快速に乗って上京。昼前に永田町の国会図書館に着く。

早速、論文3本の複写依頼をする(1回の複写依頼で最大3本)。

できあがるまでの時間を使って6階の食堂でお昼を食べる。肉野菜炒め定食。

階下に行ってできあがった論文を受け取る。コピー・ミスがあったので交渉、コピー1枚分の値段25円が返ってくる。そのあと関連論文を調べていたら、見落としていた論文を数本発見する。本当にすっぽり見落としていた。しかも、大学図書館には入っていない学会誌に掲載されている論文。急いで複写依頼をする。だが、当該誌の性格が一般的な学会誌のそれとは異なっていることをわかっていなかったため、複写依頼を手間取ってしまう。「あ、こうすれば1回の複写依頼で済んだではないか」。

思いのほか複写に時間がかかり、当初の予定を変更する。早めにコピーが終わるであろうから映画を観て、たぶんそれでも時間的には余裕があるから早めにシンポジウム会場のある新宿に行って珈琲を飲みながら論文を読もうとか。ことごとく不可能になる。

「まずい、ぎりぎりになるかもしれない。夕食の時間がないかもしれない」

と思って再び6階の食堂に行って早めの夕ご飯を食べる。国会丼。

「国会丼」と名付けられてはいても、それは何のこともない。ご飯の上にカレーと牛肉が半分ずつ掛けられ、その真ん中に半熟卵が落とされているだけである。

食べたら政治家になりたくなる、とか、選挙に行きたくなる、とか、そういった効果もどうやらないらしい。

にもかかわらず、名前は「国会丼」。

カレーと牛肉で勝負するとしても、せめて両者の割合を現国会の与党と野党の割合と同じくするなどしてほしい。国会丼の衆議院ヴァージョンと参議院ヴァージョンを作って、前者ではカレー(与党)が牛肉(野党)よりも多いとか、後者はその逆にするとか、あるいは2大政党制の支持者向けにF氏の好きなものとO氏の好きなものを半分ずつ載せるとか、2大政党制の非支持者向けには各党の代表・党首・委員長などの好きなものを載せるとか。

階下で仕上がった論文を受け取ったら17時30分。

新宿に向かう。

18時20分頃に会場の紀伊国屋サザンシアターに着く。

『思想地図』発刊記念シンポジウム「公共性とエリート主義」
パネラー:東浩紀(あずま ひろき)、北田暁大(きただ あきひろ)、姜尚中(かん さんじゅん)、宮台真司(みやだい しんじ)、鈴木謙介(すずき けんすけ)

19時05分から21時45分まで(予定には「19時開演」としか書かれていなかった。だから、2時間30分のシンポジウムであることをこのときはじめて知った)。

内容は、と言えば、「公共性とエリート主義」という本題についてはあまり語られていなかったように思う。「公共性とエリート主義」の周辺にある事柄についての議論が主になっていたように思う。あるいは、宮台真司の主張をみんなで理解しようという趣旨になっていたように思う。

もちろん、「ああ、なるほど」と思うところもあったし、直接議論を聴くということができてよかった。

中央線―総武線と乗り換えて、22時15分の区間快速に飛び乗る。

アパートに着いたのは23時30分頃。

疲れた。まず、国会図書館に半日もいたのが疲れた。次にコピーした論文がいっぱい入った鞄を持ち歩くのが疲れた。が、2時間30分の休憩なしのシンポジウムはあまり疲れなかった(実は意識化されていないだけで、これがもっとも疲れるものであったのかもしれないが)。


今日はすこし遅めの10時ちょっと過ぎに大学へ。

月・火2日分の新聞に目を通してから昨日コピーした論文を整理する。結局12本コピーしたようだ。

続いて、今日返却しなければならない図書館の本のうちコピーが必要な部分をコピーする。意外に多い。

それから昨日のシンポジウムのまとめ。メモしたノートを見ながら。主に話していたのは宮台真司、しかも本題を直接議論していない。東浩紀が議論を本題に戻そうとするも宮台に阻まれたり。

そのあと本を返却するために、そして予約していた本を借りるために図書館へ。8冊返して1冊借りる。

ただ、予約していた本のタイトルを見ても、何のために借りようと思ったのかのが思い出せない。「はて、このタイトルは……」。思い出せないのは国会丼のせいかもしれない。政治家はよく「記憶にございません」とか言うし。

と思いながら本を開いて目次を見る。「ああ、これか」とようやく思い出す。


@研究室
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by no828 | 2008-06-17 17:57 | 日日 | Comments(2)