思索の森と空の群青

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2008年 10月 30日

わたしによるわたしからの脱却の不可能性という可能性

晴れ


「わたしは、もうわたしが嫌だ」と昨日書いたわたしは、しかし今日もわたしのままだ。

空腹感を覚えたり、大学院の授業がつまらないと感じたり、珈琲を飲んだり、……そうしているときは「わたしは、もうわたしが嫌だ」というような一種の自己相対化をすることはなく、「わたし」なるものを意識することもない。

だが、本を読んでいるあいだのふとした瞬間に、「わたしは一体何をしているのであろう」という意識が発生する。昨日のわたしと今日のわたしは同じはずなのに、昨日のわたしが感じた自己嫌悪にも近いような感情をほとんど忘れて食事をし、授業に出、珈琲を飲み、いまこうして本を読んでいるわたしとは一体何なのか。そのように思う。

気付いたのは、このようなときに理論や思想はあまり勇気をくれないということだ。勇気をくれる理論や思想をわたしが知らないだけかもしれない。だからいまある理論や思想に頼るのだが、いろいろ踏まえてみると、結局のところ、自分の心で感じるしかなく、自分の頭で考えるしかない、そういうことになる。だから自分の心の感度を上げ、頭の思考回路を働かせることになる。しかし、それで自分を納得させるような答えは出ない。そして自分を納得させるような唯一絶対の答えはないということに改めて気付く。そうだ、この世界に絶対の安心を与えてくれるような回答はないのだ。理論にもないし、思想にもない。学問はすべて仮説ではなかったか。そこで示される理論や思想は、たしかに物事の一面を照らし出してくれる。しかし、それはわずか一面であり、その一面も暫定的なものにすぎない。だから何かひとつのものの見方・考え方にもたれかかって安心することはできない。「学問はすべて仮説である」という主張すらも仮説かもしれない。だから常に自分の心で感じ、自分の頭で考えているしかない。あるいはそれこそが、つまり、「自分の心で感じ、自分の頭で考えること」、それこそが世界が投げ掛けてきたさまざまな問いかけの唯一絶対の回答なのかもしれない。

だから、やっぱり自分で何とかするしかないんだと思うわけだが、それで勇気が出るわけではない。いまある世界に立ち向かっていこう、立ち向かわずともいまある世界で存在していこう、そうする勇気を「結局は自分で……」は与えてはくれない。なぜならば、「結局は自分で感じ、考えるしかないのだから、自分で感じ、考えてみた。その結果得られた答えは、この世界に唯一絶対の答えなどないのだから、自分で感じ、考え続けるしかない」ということになるからである。

これは、ある意味で徹底的な自己依存である。つまり、答えは「自分のなか」にしかない、という思い込み、だから自分の「内面」を徹底的に掘り下げようとする。そこに外部はないし、他者もいない。

それなら自分を外部に開き、他者に開こう。そうすれば何か変わったことが起こるかもしれない。

と思うのと同時に、自分を開いたときに出会う外部・他者と接触できるのはほかならないこのわたしであり、外部・他者を外部・他者として受け止めるのもわたしであり、だから外部・他者から多様な刺激を受容したとしても、その刺激はわたしの認識しうるかぎりの刺激でしかなく、また、いくら外部・他者に開いたところでそこからの刺激が収束するのはほかならないわたしであり、よって回答は「わたし」にしかないということにはならないか、とも思う。


圧倒的に異なるところから、圧倒的に異なる角度で、圧倒的に異なる時間で、わたしを刺激する何か――それこそが、と思う。

では、それは何か。

わたしは知らないし、知ってはならないのだ。


@研究室
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by no828 | 2008-10-30 20:48 | 思索 | Comments(0)
2008年 10月 29日

国際ファックスを受信した偽善者の告白、ということかもしれない

晴れ

夜になって風が強くなった。外から風の音が聴こえる。

国際ファックスの受信があったことを24日の金曜日に書いたが、それをうまく文章にできないでいる。断片的に浮かび上がってくる言葉はあるが、それをつなぐことができないでいる。が、今日は思い切ってつなげてみようと思う。


国際ファックスはバングラデシュからであった。

研究室の電話が鳴り、受話器を取ったわたしの耳に響いたのは「ピー」という音ばかりであった。わたしは受話器を置いた。すこしして、後輩が「ファックス来てますよ」と言った。ぱっと見たところ文面は英語で、「はて、誰宛てかしら」と見たら「Dear Mr. Hashimoto」とあり、そこには“Bangladesh”の文字があった。

よく見ると、それはわたしが2004年と2005年にバングラデシュで調査を行なったときに泊まったホテル(ゲスト・ハウス)のマネージャーからで、「元気にしているであろうか?随分と長いこと連絡をせずにすまないね」と書き出されていた。

しかし、そのあとには以下のような文章が続いた。

「わたしの妻が病気で、子宮を摘出しなければならなくなった。医者によると、手術には US$2,000 かかる。わたしには US$2,000 はとても出せない。わたしの周りに出してくれる人はいない。わたしを助けてくれる人はいない。US$2,000 を出すことができるのは、わたしの知りうるかぎり、あなただけだ。いますぐ連絡をくれ。この口座に US$2,000 振り込んでくれ。そして、あなたの同僚や友人にも声を掛け、お金を集めてくれ。このようなことを頼むことを申し訳なく思っているし、とても恥ずかしいとも感じている。しかし、あなたしかいないのだ」

わたしはどうすればよいのかわからなくなった。混乱した。

わたしは US$2,000 をすぐに準備できるほどの余裕がない。しかし、すこしなら出すことができる。親に頼む、友人に頼む、そうして集めることもできるかもしれない。だが、なぜわたしなのか。なぜ、ほかでもないこのわたしなのか。ホテルには泊まっただけで、そのマネージャーとも幾度か話をしただけだ。「名刺をくれ」と言われたから名刺を渡したが、それ以来連絡はなかった。わたしは彼をまったくと言ってよいほど知らない。顔もほとんど覚えていない。それでもなお、このわたしなのか。しかし、そのわたしがお金を出さなければ彼の妻は取り返しのつかないことになるかもしれない。

物理的・心理的に遠く離れた他者に対して援助をする――それが物理的・心理的に離れていることをもって正当化されないことにわたしは疑問を感じる。そういった他者への援助を義務として理論化・制度化することも必要かもしれないと思う。「教育」という価値判断を介在させなければならない分野については(多くの研究者が考えるよりも)議論の余地がある。しかし、「生命」についてはどうか。それは価値の問題を取っ払ってよいのではないか。そこに消えそうな生命があるのなら、傷つけられた健康があるのなら、それは無条件に救う必要があるのではないか。そのように考えてきた。

しかし、それがいざここにいるこのわたしに現実の問題として迫ってきたとき、わたしはどうすればよいのかわからなくなった。

「彼の妻は本当に病気なのか」という、非常に汚れた推測までした。だが、同時に「病気ではないという判断を、彼や彼の妻のそばにいないわたしは下せない。本当に病気かもしれないではないか。こういうときは、病気であるという前提で動いたほうがよいのではないか」とも思った。しかしながらすぐに、「まずは近くにいる人が、近くにいて状況のわかる人が何とかする必要があるのではないか」という考えが浮かんでくる。「いや、そういう人がいないからわたしなのだ。そういう人がいないから、遠く離れたわたしなのだ」。「だが、なぜわたしなのか」。……。

金曜日の文章で、わたしは彼からのファックスを「『わたしを助けよ』という命令」として受け取ったと書いた。たしかにそれは「可能なら助けてくれないか」という「依頼」であったかもしれない。英語で書かれた文章のニュアンスのすべてを汲み取るほどの力をわたしは持たない。だからそれは「命令」ではなかったかもしれない。

しかし、である。わたしにとってそれは「命令」という規範的な呼びかけ以外の何ものでもない。それは今回のファックスにかぎられない。たとえば、腐臭のする生ゴミのなかから食べられるものを探すストリート・チルドレン。たとえば、わたしに向かって手を差し出してくる四肢の「曲がった」物乞いの男。たとえば、交差点で幼い子どもを抱いて「わたしにはこの子がいるのだ」と主張する女。

わたしにはこれらすべてが、「何かせよ」という命令であり、規範的な呼びかけである。彼/彼女らは命令を発しているつもりはないかもしれない。しかし、わたしには彼/彼女の意図とは無関係に、それを命令として、規範的な呼びかけとして受け止められる。そしてそれに応答しない/できないわたしは「罪」を――それはおそらく「罪」である――感じる。だからわたしには、「それは命令ではないかもしれない」という可能性を有効に、たとえば自らを落ち着かせるために、あるいは慰めるために用いることはできない。それはわたしにとって「可能性」ではないのである。

命令なら、それが規範的な呼びかけなら、ごちゃごちゃ言わずに何とかすればよいではないか、とも思う。しかし、わたしに何ができるのか。すこしならお金を払うこともできるかもしれない。だが、「なぜこのわたしなのか」、その問いが後を絶たずにわたしを襲う。

命ぜられた=呼びかけられたわたしは、圧倒的に受動的な存在である。わたしには「呼びかけてほしい」という意志はまったくなくても、わたしに呼びかけること、わたしが呼びかけられることは起こりうる。その意味でわたしは受動的である。そこにわたしの意志は介在しない。だからわたしは「なぜわたしに呼びかけたのか」と問うてしまう。

あるいはそれは、「なぜわたしを苦しめるのか」ということかもしれない。「なぜわたしを苦しい位置へと追い込むのか」。呼びかけられなければ、わたしは上に書いたようなことを感じずに、考えずに済んだのだ。「なぜわたしを苦しめるのか」。

わたしは、だから結局は自分のことしか考えていないのかもしれない。彼や彼の妻のことを考えているふりをして、結局は自分を守ろうとしているのかもしれない。そして、そういう自己防衛なら黙ってすればよいものを、自分のなかだけでそれを成し遂げるほどの強さもないから、ここにこうして文章を書いているのかもしれない。わたしが「援助」ということ・ものを考えるのは、苦しみたくないから、わたしを苦しめようとする存在をそうでない存在へと変貌させたいがために、そうしてわたしが苦しまなくて済むように、ということかもしれない。

偽善者?


結局わたしは、彼からのファックスに応答していない。ファックスを返信してすらいない。彼は「ファックスを読んでいないのかもしれない」と思っているかもしれない。しかしながらわたしは、「わたしがファックスを読んだこと」を知っている。今さら「読まなかったこと」にはできない。だからこそ、「わたしは彼に応答すらしていない」という「罪」の意識を持っているのだ。


彼からは、あれから何の連絡もない。


わたしは、このわたしとは、一体何なのであろう。わたしは、もうわたしが嫌だ。


@研究室
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by no828 | 2008-10-29 20:08 | 思索 | Comments(0)
2008年 10月 28日

ルポ 授業経由で もう帰ろうかしら

晴れ

今日は9時30分に研究室に来る。

某押印が2件。

印、押印、はんこ、わたしはこれらにあまり意味を見出すことができない。「本人であること」を重視するならば、署名/サインのほうがよいのではないか。押印なら本人の代わりに別の人が実行することも可能である(行なってはいけないのであろうが)。そこで重視されるのは「押印されているかどうか」であり、「押印したのは誰であるか」ではない。非常に形式的である。

あれ、だから事務作業という非常に形式を重んじる行ないにおいては押印のほうが都合がよいのか。それは署名でも一緒か。筆跡なんて確認しないよね。

と思いながら新聞を読む。

そのあと、国際開発絡みのルポルタージュ(?)を1冊読みはじめる。最近「開発」から離れた勉強をしているので、リハビリテーション。

お昼を食べながら、そして食べてからもルポ。もうルポルポである。

しかし、読み終わらず。ルポを途中で切り上げ、学類(学部)の教育学の授業の TF(Teaching Fellow)の準備の仕上げ。文化論。今日は文字どおり最初から最後まで授業するので、準備の最終確認が必要だと思われた。

授業では、教育とか開発とか発展とか、そういったものを文化の視座から議論するとどうなるか、という議論をする。ナショナリズム、エスニシティ、多文化主義、など。

当初は、ガヤトリ・スピヴァクの「サバルタンは語ることができるか」を解題して、「文化を語るとはいかなることか」を論じようと思ったのだが、その時間を取ることができなかった。

どうしてスピヴァクを取り上げるかというと、彼女の理論(というより、問題提起)が、教育とか開発とか発展とか、そういったことを教育学において議論する人びとにはまったくと言ってよいほど参照されてこなかったからである。しかし、その問題提起は文学・フェミニズムその他「文化」にかかわる分野・立場では受け止められてきたのであり、わたしが考えるに、文化を語るにさいしてスピヴァクの議論から学ぶところは小さくない。とくに開発・発展と関連付けて教育を語るのであれば――いずれも文化とは切り離せない主題である――、スピヴァクは避けては通れないはずである。(もし、わたしの好きなように授業をしてよいのであれば、スピヴァクは必ず論じたい。非常勤講師等の仕事があれば、そのあたりのことを議論し、学生たちに問題提起してみたい。)

だが、授業でそういったことを言うことができず、やや消化不良に終わる。

そして、今日の授業は(学生に発表してもらいつつも)最初から最後まで3時間を取り仕切ったので、やや(というか、かなり)疲れた。

だから今日はもう帰ろうかしら、と思案しながらこのウェブログを書いている。


@研究室
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by no828 | 2008-10-28 19:04 | 日日 | Comments(0)
2008年 10月 27日

NOT PIKO PIKO, BUT PIYO PIYO

晴れ(さっき雨が降った、ような音がした)

土日は、某哲学会に参加するために上京、東京タワーの近くにある某大学に行ってきた。

この学会には、実はまだ入っていないのだが、両日にそれぞれ開催されるシンポジウム(パネル・ディスカッション?)がおもしろそうであったので参加してきたのである。

しかし、あまりおもしろくなかったと、残念ながら言わなければならない。理由は3つ。

第1に、共通テーマがあるのにもかかわらず、シンポジスト/パネリストの方がそれを自分の研究テーマに引きつけすぎていたから。たしかに、自分の専門のほうで引き取って議論することは本人にとって行ないやすいことであり、また、聞き手にとっても斬新でありうるのだが、今回はすくなくとも後者ではなかった。

第2に、シンポジスト/パネリストの方がそれを自分の研究テーマに引きつけすぎていたからなのか、あるいは共通テーマが大きすぎたからなのか、議論が拡散していたから。生産的な拡散、有機的な拡散というのもあると思われるのだが、そうはなっていなかったように思われる。

「あまりおもしろくなかった」理由の第3は、たぶんこれがもっとも大きな理由であるが、「このテーマならこういう議論がなされるであろう」というわたしの期待が裏切られたから。「このテーマだったら、わたしならこういう議論を期待するし、もしそういう議論がなされたらわたしの研究にとっても非常に参考になるなあ」という予感が実感へと移行することはなかった。

(ただ、学会で大学院の先輩のH井さん、I本さん、F川さんにお会いできたのはよかった。「研究がんばらねば」という気持になった。焦燥感かもしれない。)

この2日間は以上のような日々であり、したがって人工都市に戻ってくるたびに疲労感を覚えていた。それゆえに26日、 PIYO に「誕生日おめでとう」を伝えることができなかった。

いま、携帯電話のほうにメールを打ちます。

PIYO PIYO

じゃなかった

PIKO PIKO

おめでとう。次に会えるのは、峻別したって平らのままだよ、の結婚式2次会かなあ。


あ、そろそろ読書会が始まる。国際ファックスのことはまた別に書こう。


@研究室
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by no828 | 2008-10-27 18:37 | 友人 | Comments(0)
2008年 10月 24日

国際ファックスの受信




人を助けるとはいかなることか、物理的・心理的に遠く離れたところにいる他者を助けることは完全義務なのか、そういったことを研究の大きな主題として考えているわたしに対して、「わたしを助けよ」という命令が向けられた場合、わたしは一体どうすればよいのか。

物理的・心理的に遠く離れた他者から「わたしを助けよ」と命ぜられたわたしは一体どうすればよいのか。

よくわからず、ちひろに電話した。

そして、すこし落ち着いた。

が、まだ混乱は続いている。


このことは機会を改めて、きちんと書いておきたいと思う。


@研究室
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by no828 | 2008-10-24 21:06 | 日日 | Comments(6)
2008年 10月 22日

社会のために生きているんじゃないからです

晴れ


某ラジオ番組が本特集をしていたので、人生ではじめてラジオ局にメッセージを送る。

69(119) 泉正人『「仕組み」整理術』ダイヤモンド社、2008年。
(読了日:2008年10月19日)

方法論。

金曜日に研究室内の机・本棚等を動かすことになっている。この本から学んだところは活かそう。


70(120) 桂望実『平等ゲーム』幻冬舎、2008年。
(読了日:10月19日)

小説なのだが、「平等」の勉強用に読む。「平等」とは何なのか。

島民1,600人全員が平等の島・鷹の島をめぐるお話。

「僕は前のめりになった。『仕事が平等に振り分けられるというのは、とても大事なことなんです。世界をご覧ください。貧富の差がないはずの社会主義の国が、どうなってますか?特権階級という不思議な階層が必ず存在します。真面目に働いている大多数の人たちが生んだ資産を、一部の特権者が掠め取っていくんです。結局競争原理の資本主義の国となんら変わりません。この資本主義というのもやっかいです。自由で素晴らしい社会のように思いがちですが、実際は無用な競争が繰り返され、格差が生まれます。鷹の島では、こうした特権階級や格差を生まない仕組みを作りました。4年毎に仕事が変わっていけば、既得権益的なものは発生しなくなりますし、平等です。〔……〕』」(p. 13)。

「口を開きかけた僕は、言葉に詰まった。
 平等な生活を望んでいない?そんな人がいるのか?まさか。
 僕の説明の仕方が悪いのだろうか。
 かおりは平等の意味をわかっていないのかもしれない。
 かおりは栗をフォークですくうようにして口に入れた。『島へ移ったのって、どんな人が多いの?』
 『色々だよ。元アナウンサーとか、元ツアコンもいたし、ワーキングプアだと自分で言う人もいたし』
 『成功した人はいた?仕事も恋愛も、充実した毎日を送ってますって人じゃないでしょ?』
 僕は首を捻った。
 フォークをかおりが振り回す。『やっぱりね。幸せだったら、鷹の島に興味をもったりしないもんね。パンフレットを取り寄せないだろうし、結局、負けた人たちってことだよね。競争に負けた人たちが、平等って言葉に惹かれるんでしょ?私も一時、その仲間入りしてたってことか。やだなぁ、それ。ちょっとショックー』笑い声を上げ、すぐに真顔になった。『こっち上手くいかなかった人たちにとっては、確かにパラダイスなのかもね。最後の砦にさせてもらうわ。私、今、30歳なのね。もしかすると、本当にやりたいことが見つかって、これからすっごく楽しい人生を送れるかもしれないでしょ。まだ、諦めちゃうには、ちょっと早いよね。だけど、これからの5年がなにも変わらなかったら、島での生活も考えてみてもいいかも』
 『抽選に当たった人が一度パスすると、10年間はリストから外されるんだ。10年後に希望しても、抽選に当たるかどうかはわからないよ。希望者は多いんだ』
 『そっか。ね、一口も食べない?』フォークでモンブランを指した。
 『いや、ありがとう。本当にいらない』
 大きな口を開けて、かおりがモンブランを食べる。
 失敗した人たちにとってのパラダイス……?違う。失敗した人にしか、理解できないんだ。本土の矛盾が。だから無意味な競争を永遠に続ける」〔pp. 63-64〕。

かおりの言うことも、わかる。「自由の平等」を理念として掲げるリベラリズムに対する批判においても、そういったことが言われることがある(あまり言われないけれど)。

「拓が言う。『口惜しいと思うから、頑張るんだ。あいつより上手くなりたいと思うから、練習するんだ。それでさ、その先は本当に難しいんだけどさ、どれだけ頑張って練習しても、あいつにはかなわないと知る瞬間があるわけよ。認めたくないんだけど、そういうのがわかっちゃう時があるんだな。辛いけど、それを乗り越えるとき、人を敬う心をもてるようになるんだ』」〔p. 199〕。

「『試してみたら、いかがです?』
 『なにをですか?』
 『その完璧な理想社会を、どこかではじめてみたらどうですか?1週間でも1ヶ月でも。私なら全員、逃げ出す方に、100杯の水割りを賭けますが。お替りは?』
 『お願いします』空のグラスを滑らせた。
 岡本が流れるような所作で水割りを作り、僕の前に置いた。
 僕は『どうしてそんなに人気ないかなぁ』と呟いた。
 『社会のために生きているんじゃないからです
 はっとして、僕はグラスに伸ばしていた手を止めた。
 〔……〕
 岡本が、カウンターの端にできあがった飲み物を並べた。
 それらをウェイターが持ち去ると、岡本は僕の前に戻ってきてカウンターを拭いた。『自分が大事です。その次に、自分の好きな人が大事です。それと同じくらい自分の家族が大事です。その次に、自分や自分の大事な人が幸せに暮らせる社会も大事だと考えています。大事な順番でいうと、社会はずっと後なんです。もちろん、ルールは大事です。規則がなければ、とんでもないことになるでしょうからね。ですが、自分にとって大事な順番は変わりません』
 世界がぐるっと回った気がした。
 岡本が言う通りだ。
 まず、島民が幸せになることが大前提のはずだった。そのためのルールだった。
 どうして僕は順番を間違えたんだろう。
 ルールを破る人がいると知ったからだ。そうだ。だからだ。
 きっちりと島民を監視しなくてはと考えてしまった。間違ってはいない。僕は正しい。
 だが――。
 それでは島民は息苦しいのか?
 ルールを緩くすれば、島民は幸せなのか?違う。平等な社会が保たれてこそ、平和があり、幸せがある。いや、あると思っていたのは僕だけだった」(pp. 325-326)。

「僕はすっかり元気のなくなった、たこ焼きの上の鰹節を見下ろす。頭の中では冷静に柴田の話をリフレインしているのだが、心臓はドキドキしていた。手で胸を押さえた。
 柴田が言った。『ほかに方法はないんでしょうか?不公平ではなくて、でも個性は尊重されて、皆が幸せを感じられるような。無理ですかねぇ』
 『時には達成感を得られるような、社会ですか?』
 『えっ?そうです、そうですよ。よっしゃあと、ガッツポーズする瞬間があるからこそ、生きてるって実感できるんですから』
 僕は浮かんだ考えを抑え付けるように、拳で胸を軽く叩いた」(p. 337)。

教育学では、よい人間とは何か、と同時に、よい社会とは何か、が問われる。

ときに、よい社会とは何か、そのよい社会を担う人間とはどのような人間か、その人間を育てるような教育とはいかなるものか、というように議論される。

それは逆なのか?

教育学は、よい人間を育てることだけを考え、社会については言わないでおく、社会づくりは、教育によって生み出されたよい人間に委ねればよい、だから「よい人間」とは、自らが生きる社会のありようを自由に構想できる人間のことである――そのように言うこともできる。

人間から社会を、社会から人間を――難しい。


@自室
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by no828 | 2008-10-22 23:21 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 10月 21日

子供を生みすぎるからよ!

承前

68(118) 有吉佐和子『ぷえるとりこ日記』岩波書店(岩波文庫)、2008年。
(読了日:2008年10月18日)

「『ぷえるとりこ日記』は有吉佐和子のアメリカ留学体験から生まれた小説である。1959年11月から翌年の8月まで、当時29歳だった有吉はニューヨークの近くにある名門女子大サラ・ローレンス・カレッジ(1968年からは共学)で勉強し、学生たちと共にプエルトリコまで出かけた」(満谷マーガレット「解説」、p. 227)。


「〔……〕しかしジュリアも私も、このパンションのあちこちをルイスの家と比較するという話題は故意に避けて、専らプエルトリコの学校教育について二人の意見を交換していた。
 『崎子、プエルトリコはアメリカの準州なのよ。だのに学校教育がどちらかといえばスペイン語に主力をおいているのは許せないわ。私は小学校で一年生のときから徹底的に英語を使うべきだと思うわ
 『でもそのためには小学校の先生からまず教育しなければならないのじゃない?それでは一朝一夕に英語に切換えることは難しいでしょう。それにプエルトリコ人は自分たちの生活習慣を変えたいとは思わないでしょうし
 『伝統があるとかいいたいんでしょう?フン、意味がないわよ、そんなもの。プエルトリコにはメキシコほどの文化だってありはしないのだもの
 『それはジュリア、そうはいえないのじゃない?一つの国には特色というものがあって、住民たちはそれを守り続けたいと思うものなのよ。今はメキシコに及ばなくても、将来のプエルトリコがメキシコ以上になることだって考えられないことではないわ』
 『そんなこと、私には考えられないわ。第一、プエルトリコ人は自分たちの特色を大切にしたいなら、なぜ合衆国の市民権を要求したのよ。1917年のジョーンズ法の制定で、やっとその希望がかなえられたのよ。それだのに、それから40年たってもまだスペイン語しか分らない人間が都会も含めて70パーセントもいるなんて!プエルトリコは合衆国の援助なしではやって行けないのに!』
 その夜は、早目にベッドに入った。久しぶりに石鹸と湯を使って躰を洗ったあとで、本当にいい気持だった。ジュリアではないが、私もルイスの家で必要以上に垢まみれになっていたような気がする。
 が、決してすぐ寝つけるわけではなかった。しばらくするとジュリアが話しかけてきた。
 『崎子』
 『なあに』
 『プエルトリコが貧しいのは何故だと思う?喰いつめてニューヨークへ渡ってくる原因は何だと思う?』
 私は喉許まで、それはアメリカの植民地政策が招いた結果だといいかけて、無理矢理言葉を引込めていた。グレープフルーツもコーヒーもありあまる程たわわに実るというのに、プエルトリコ人はそれを食べることができない。それは植民地を物語る端的な例ではないか。アメリカ人は、砂糖やラムやパイナップルを栽培させるためにプエルトリコにプエルトリコ人たちを置いているのだ、最低の労働条件下で。
 だがそんなことをアメリカ人に、殊にすぐ感情的になるジュリアにいうわけにはいかなかった。私はこれからも付きあいのある彼女の感情を害することを懼れて自分の意見はさし控えることにし、彼女の考えだけを聞くことにした。
 『ジュリアはどう思うの?』
 ジュリアの結論は簡単明瞭そのものであった。
 『子供を生みすぎるからよ!11人だなんて馬鹿げているわ。木の実の首飾りにどんな効力があったっていうの!チトのところは9人目ですって、まあ!』」(pp. 61-62)。


@自室
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by no828 | 2008-10-21 23:53 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 10月 21日

なあに?その睡眠教育って?

晴れ

最近、このウェブログの文字のサイズを変えることができることを知り、何日か前から実際に変えている。

はじめ、文字の大きさは1種類しかないと思っていたのだけれど、span style="line-height: 1.2;" のような言語(異言語だ!)を手動で操作すれば幾通りも作ることができるようなのだ。

見やすくなると思って文字サイズを変えているが、逆に見にくくなっているかもしれない。


67(117) 筒井康隆『時をかける少女』角川書店(角川文庫)、1976年。
* 表題作のほか、「悪夢の真相」、「果てしなき多元宇宙」を収録。
(読了日:2008年10月21日)

これも随分と前に古本屋で買った本。

SF。

「2620年。〔……〕
 〔……〕あまりに科学が高度に発達したため、一般の人たちは、これらの科学知識に、ついていくことができなくなってしまった。科学者たちも、専門化され、分業化された。その結果として、自分の研究していることだけはよく知っているが、その他のことは、初歩的なことさえ、ぜんぜん知らないという、いわば精神的な不具者が多くなったのである。
 困ったのは、学校その他の教育関係の機関である。今までのような学校教育では、物ごとの、ごく初歩の段階しか教えることができない――つまり、卒業して世の中へ出ても、ぜんぜん役にたたないような、いわば常識以前のことしか教えることができないのだ。そこで、教育期間が延長された。子どもは四歳になるとすぐ小学校に入れられる。そこで十四年間の基礎教育を終えると、こんどは五年間の中学課程に進む。ここまでが義務教育である。〔長!――引用者註〕
 だが、そこをでたからといっても、まだ就職することはできないのだ。〔……〕サラリーマンになろうとすれば、そこからさらに、それぞれの専門教育を受けるため、高等学校や専門学校へ五年間通学しなければならない。〔長!――引用者註〕
 こうして、専門家になるための最後の学校を卒業したときには、その人間は若くて三十八歳、場合によっては五十歳近くにもなっているという、ひどいことになってしまった。たいていの人間が、四十歳を過ぎてから結婚するため、子どもの出産率が減り、ついには地球全体の人口が減少しはじめたのである。
 『これはいかん。このままでは、人類は衰退の一途をたどることになる』
 医者や科学者は、この状態に驚き、なんとかしようとして研究に研究をかさねた。
 そして、2640年。とうとう画期的な発明がなされた。これが睡眠教育あるいは潜在意識教育と名づけられた、新しい教育方法である。
 『なあに?その睡眠教育って?』
 夢中になって、一夫の話に聞きほれていた和子は、思わずからだをのりだして、かれに尋ねた。かの女は、もうすっかり一夫の話を信じこんでいた。でたらめというには、その話は、あまりにもいきいきとしていたからである。
 『うん、睡眠教育というのはね、子どもが眠っている間に、その脳へ直接、いろんなことを記憶させる教育方法なんだ。録音した磁気テープを、頭部に電極をあててプレイバックさせる。人間の潜在意識というのは、すごく大きな力を持っているから、あたえられたそれらの記憶を、必要なときにはいつでも呼びさますことができるんだ』
 〔……〕
 『そのために、人間の教育は、すごく短期間ですむようになってしまった。三歳ぐらいのときから、その方法で教育すると、この時代でいえば中学一年くらいの年に、今の大学教育程度の学問を卒業してしまえるんだ。そしてぼくも、その教育のおかげで……』
 〔……〕
 『じゃあ、あなたは、ほんとうは今、なん歳なの?』
 一夫は少しまごついてから答えた。
 『十一歳だ』
 『なんですって!』
 和子はあきれて、自分より十センチ以上背の高い一夫を見あげ見おろした。
 『じゃあ、わたしより四つも年下じゃないの!でも、ほんと?』」(pp. 90-92)。

2640年まで待たなくても、技術的には可能なような気がする。

あくまで、技術的には。

「格差」が問題なら、いっそのこと遺伝子レヴェルで「能力」にかかわる部分を操作し、すべての人を一定程度の能力まで予め上げておくことも技術的には可能になるかもしれない。

あくまで技術的には。

しかし、倫理的には、そして教育学的には、どうなのか。

「教育倫理学」という分野の開拓が必要なように思われる。

もちろんそれは、(一部の)生命倫理学のように、安楽死を推し進めるための――技術的に可能なことに理論的な根拠を与えて遂行させるような――学問であってはならない。

しかし、現実に起きうることに対して理論的に対処することが学には求められる、そのことは間違いないであろう。


@研究室
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by no828 | 2008-10-21 18:57 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 10月 21日

挫折とは、自らの人生を自らがあきらめることである

承前

66(116) ドリアン助川『湾岸線に陽は昇る』講談社(講談社文庫)、1999年。
(読了日:2008年10月15日)

今年の2月に飯田橋の古本屋で買った本。今ごろになってページをめくった。

「こんなことをのっけから言うと怒られてしまうかもしれないけれど、僕はいつも怒られているから平気なのね。で、敢えて言います。
 あなたは、お父さんとお母さんの愛の結晶なんかじゃない。できちゃったから生まれただけなのだ。
 つまり、あなたは現象だということ。
 〔……〕
 現象であるから、あなたは幸せになりたいなんて思ってはいけない。
 〔……〕
 どうも最近、この幸せ幻想というやつが多くの不幸を生み出しているように思えてならない。人間である以上は夢や希望を持とう。誰もが幸せになれる権利がある。そんなことを当たり前だと思ってしまったら、夢や希望を抱けない人間、幸せをつかめなかった人間はまるで不幸ではないか。
 いったい、誰なんだ。ただの現象でしかない僕やあなたと言う存在に、幸せになりたいなんて思わせた大嘘つきは。
 〔……〕
 しかし、だからといって、あなたの人生に祝福がないわけではない。あなたや僕は単なる現象に過ぎないが、現象は現象としての祝福を受けるものである。
 たとえばそれは、出会いである。
 〔……〕
 それはあなたが生まれたからこそ、今ここに存在するのだ。茫々としたとらえどころのない日々の中で、人生の目標を幸せや希望に縛り付けてしまったら、すべての些細な事柄は霧散していくだけである。しかし、幸や不幸とは別次元の生き方が根底にあるのだと認識した時、実に多くの祝福があなたという現象を支えていることを知るはずである。
 〔……〕」(「あなたが生まれたからこそ存在する、すべての些細な祝福」、pp. 9-12)。

「だが僕には、今振り返ってみても、挫折としか言いようがない時代があった。大いなる挫折、僕のふるさとの言葉で言うならば『ごっつい挫折』の時代を自らが作り上げてしまったのである。
 挫折とは、自らの人生を自らがあきらめることである。自分にふたをすることである。暗闇に落ちてしまった人間が、自らの手でハシゴを取り去る行為である。そこにあるのは、外的なエネルギーによって打ち負かされた自己ではない。あくまで内的な、自分自身で作り上げてしまった崩壊に飲み込まれていく、閉じてしまった精神なのである」(p. 23)。

「〔……〕
 僕は知らなかったのだ。
 殺された子供たちの魂が、実は僕の魂であり、あなたの魂であることを。

 北風が吹く。
 北風が吹いている。
 僕は墓の中で立ち尽くしながら、ある種のささやきに囲まれていた。それは怒りや憤りに満ちた言葉ではなく、慈愛にあふれ、慰めにも似た言葉であった。亡くなった人々の霊の存在について、かたくなな拒絶を示してきた僕が、確かにその呼び掛けを聞いたのだった。それは聴覚によって聞こえる言葉というものではなく、体の奥底、心の奥底に呼び掛けるようなほのかなささやきである。それでいて力強い、人間が人間であるためのささやきである。

 遠い国からやってきたお兄さん。
 あなたはなぜここに来たのですか?

 ぶらぶらと酒ばかり飲んでいるお兄さん。
 あなたは何をする人ですか?
 あなたは何をするために生きているのですか?

 夢を失ったと勝手に思い込み、斜めに世間を見ているお兄さん。
 あなたはなぜ勇気を失ったのですか?
 あなたはなぜあなた自身をあきらめるのですか?
 あなたはなぜあなたらしく生きようとしないのですか?

 ぼくたちのことを あなたの言葉で伝えてよ。
 ぼくたちのことを あなたの歌で伝えてよ」(「放浪Ⅱ テレジンの子供たち」、pp. 94-95)。


@自室
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by no828 | 2008-10-21 00:39 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 10月 20日

手をさしのべに来てくれるのは、その人もまた、人生の悲しみや痛みを知っているからなのです

晴れ


64(114) 隆慶一郎『かくれさと苦界行』新潮社(新潮文庫)、1990年。
(読了日:2008年10月12日)

先日の『吉原御免状』の続編。

「酒井忠清の狙いは、まだ他にもある。後世の史家は、忠清は凡庸な政治家だったと云う。この政治家は新しい方針乃至企てをまったく試みていない。ひたすら自分の地位を保つことだけに腐心していただけだ。確かにその通りなのだが、史家はこの手の凡庸な政治家の恐ろしさをしばしば〔尸に婁――引用者註〕見落とすものである。新しいものを創造するためのエネルギーを、ひたすら自己保全のためにのみそそぎこむことから生じる、身震いの出るような恐ろしさ。忠清の最後の狙いは、その恐ろしさに満ちていたのだが、幕閣の人々は誰一人気づかなかった」(p. 31)。

「勿論、お小夜は間違っている。
 吉原の太夫は、売る女であって、売られる女ではない。そして己れを売るのは、惚れた場合だけなのである。つまり太夫は恋の相手であって、単なる情交の相手ではない。客としては太夫に恋をし、何とかして太夫にも恋させなければ、断じて肉体関係には入れないことになる。
 当時の社会では、男が恋に陥る機会など殆どありはしない。武士の世界でも町人の世界でも、きちんとした家ではすべて同じである。嫁は親同士できめられ、婚姻の日まで顔も知らないのが大方であり、仮りに妾をもったとしても、それは色情のためであり、金ずくである。恋というものからは遠いところにあった。つまり当時の男は、殆んどが生涯恋というものを知らなかった、と云っていい」(p. 210)。


65(115) クシュナー、H. S. (斎藤武訳)『なぜ私だけが苦しむのか ―現代のヨブ記―』岩波書店(岩波現代文庫)、2008年。
(読了日:2008年10月13日)

本屋で偶然見つけた本。タイトルに惹かれて。

悪いことをしたわけではない、普通に生きてきただけだ――そうした人が苦しむことがある。なぜ苦しまなければならないのか。神はいないのか。神はなぜ人に苦しみを与えるのか。クシュナーはそのように問うことは間違っているという。神はいる、しかし神は人に苦しみを与えない、わざわざ苦しみを人に与えるような神はいない、苦しみを与えるのは自然なのだ――。<わたし>はその苦しみが現実にそこにあることを認めること、現実を受け入れることからはじめなければならない。そのときに<わたし>はひとりではない。<わたし>のそばに、立ち入らず、しかし立ち去らずにいてくれる人がいるであろう、そのことに気づいたとき、勇気が出るであろう。神はその勇気の源泉なのだ。

「望みどおりにことが運ばなかった場合、別のやり方をしていればいい結果になっていたのに、と考えたくなるものです。聖職者ならよく知っていることですが、だれかが亡くなった時、残された人たちは罪の意識を感じるものです。自分のしたことが悪い結果を招いてしまった、反対のことをしていれば〔……〕こんなことにならなかったにちがいない、と思い込むわけです。なにをどうしていたとしても、今よりはましな結果になっていたのではないか?残された人は、愛していた人が死んでしまったというのに自分はまだ生きている、ということで罪意識を感じるのです。ああ言ってあげればよかったのに言えなかった、こんなことをしてあげればよかったのに時間がなかった、と考えて、残された人は罪意識をもつのです」(p. 143)。

「人生の問題を片づけながら生き続けたいと思うのなら、すべての不幸は自分の責任だという理屈に合わない感情、つまり、自分の失敗や悪い行いがすべてを招いたという思いを克服しなければなりません。自分ですべてを引き起こすほどの力は、私たちにはないのです。世界で起こるすべての出来事が、私たちのしたことによって生じるわけではないのです」(p. 161、強調は引用者)。

「〔……〕私と彼らは苦難の兄弟であり、だから彼らは、私の援助を受け入れることができるのです。 だれもが悲しみを知っているという意味において、兄弟姉妹なのです。〔……〕人が慰めに、あるいは手をさしのべに来てくれるのは、その人もまた、人生の悲しみや痛みを知っているからなのです。
 苦しみをお互い比較しあうようなことはすべきではないと思います。〔……〕
 でも、つぎのことを忘れないでいれば、助けになるでしょう。すなわち、苦悩や悲痛は世界のすべての人に平等に配分されているわけではないけれど、きわめて広範囲にわたって配分されているということです。だれもが、苦しみや悲しみを味わっているのです。もし事実を知ったなら、羨むべき人生を送っている人など、ほとんどいないことがわかるでしょう」(pp. 177-178、強調は引用者)。

「苦しみ」という普遍性。

「私たちが問うべきなのは、『どうして、この私にこんなことが起こるのだ?私がいったい、どんなことをしたというのか?』という質問ではないのです。それは実際のところ、答えることのできない問いだし、無意味な問いなのです。より良い問いは、『すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか?』というものでしょう」(p. 218)。


@自室
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by no828 | 2008-10-20 23:16 | 人+本=体 | Comments(0)