思索の森と空の群青

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2008年 12月 31日

今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします

 今年もそろそろ終わります。

 今年で終わらせてよいこともあれば、終わらせてはいけないこともあり、終わらせるはずであったのに終わらなかったこともあります。

 すっきりとした気持ちで新年を迎える、ということがこれまでもなかったし、これからあるのかどうかもわかりません。今年から来年へもすっきりとは移れませんが、年の変わりという結び目は自らを反省し、また、新たな希望を灯すにはよいところです。

 今年出会ったすべての人、すべての言葉、すべての映画に感謝します。そこには新しい世界がありました。新しい世界を見れたことが、わたしはとてもうれしかったです。

 そして「思索の森と空の群青」を訪れてくださった方々に感謝します。見ていてくれる人がいる、そのことが励みになりました。

 ありがとうございました。

 来年もよろしくお願いします。


 於 福島


 以上のように書いて2008年12月31日23時56分に送信したはずなのに、なぜか2009年1月1日0時6分で記載されていた。むむ。
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by no828 | 2008-12-31 23:56 | 日日 | Comments(0)
2008年 12月 31日

女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?

83(133) 三浦展・柳内圭雄『女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか? ―「承認されたい自分」の時代―』光文社(光文社新書)、2008年。
(読了日:2008年12月30日)

 格差社会論の勉強用に。

 本書の目的は、本のタイトルから明らかなように、キャバクラ嬢になりたい女性が増加している原因を明らかにすることである。

 問題意識は、2007年に行なった全国15―22歳の若者(「ジェネレーションZ」(Z世代))を対象とした調査で、キャバクラ嬢になりたい女性が増加していることが明らかになったことにある。

 なぜ、キャバクラ嬢になりたい女性は増えたのか。

 結論はふたつの視点から。
 ひとつは、キャバクラ嬢になりたい女性が増えた短期的な原因として、テレビ(「恋する!?キャバ嬢」「女帝」など)、雑誌(『小悪魔ageha』など)の影響があったから。
 もうひとつは、長期的な原因として、そして「〔……〕もっと重要なのは、明らかに格差社会の広がり、雇用情勢の変化である。つまり、女子(特に高卒以下の女子)がまともに正社員になれないという状況が、キャバクラ嬢になりたい女子を増やしているのだ」(p. 5)。

 そのほか。

「〔……〕家庭や学校や地域社会に居場所を感じられず、それ以外のどこかに自己肯定と自己承認を求めていった結果として、キャバクラ、AV、風俗といった業界が彼女たちの居場所になりえたということはたしかだろう。そして、一番になることでしか親からの承認を得られずに育った彼女たちは、それぞれの業界で一番になり、多額の金を稼ぐことによって、自分を肯定し承認しようとしたのであろう」(pp. 29-30)。

「過剰なファッションで女性としての承認を獲得し、自分で多額のお金を稼ぐことで経済的に自立した女性としても承認を得る。ジェンダーフリーに対立しているようなキャバクラ嬢こそが、経済的自立と女性らしさという二つの価値を獲得しているのだ」(pp. 49-50)。

「〔日本のこの15年で〕地域社会が活力を失い、弱体化し、解体していき、大都市との格差が広がったのだ。それは、地域社会において、高卒以下の女子が経済的安定と社会的承認と人生設計を得る機会が減少することを意味した。〔※東京で仕事をするキャバクラ嬢の多くは地方出身者。福島の出身者も多い。〕
 そう考えると、キャバクラ嬢になりたい女子の増加を促したものは、過去15年間の日本社会の構造的な変動ではないかと、いささか大袈裟だが、思わざるを得ないのである。
 もし、若い女性がキャバクラ嬢になりたいなんて嘆かわしい、どうにかせねばならぬ、解決策はないのかと言う人がいらしたら、私〔三浦〕としては道徳教育の強化などではなく、男女ともに正社員を増やすことが効果的であると申し上げておく。
 それから形骸化した教育制度にも問題がある。〔……〕若者が就きたい職業やそのための資格に直結した教育を公立高校で行えば、専門学校に多額の費用を払うために水商売をする者は減るであろう」(p. 146)。

 最後のパラグラフに書かれていることは議論の余地があると思う。たしかに、学校教育制度における中等教育(とくに高校段階)の位置は微妙である。しかし、中等教育を職業と直結させればそれでよいということにもならないはずである。その理由は……と明確に書きたいが、それを考えている時間がいまはない。ただ、ひとつだけ言うならば、公立学校を職業教育を行ない、就職に有利な資格を付与する装置と見なすならば、それは公立学校が資本主義の論理に絡めとられることを意味する(最近のキャリア教育の導入も同様である)。学校とは、そもそもそういうものではなかったはずである。もちろん、現実はこの本にあるように厳しく、原理・原則を訴えているだけでは意味がないと言われれば、たしかにそうだと首肯するであろう。しかし、それと同時に皆が現実に飲み込まれ、皆がその飲み込まれた地点からものを言うことになってしまってもいけないと思うのである。「あいつは巻き込まれない、きれいな位置からものを言っている」、そのような批判を受けながらも、言わなければならないことはある、そのような思いをわたしは捨てきることができない。


@福島
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by no828 | 2008-12-31 19:21 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 12月 31日

写真、おみくじ、推薦入試

 昨夜から今朝にかけて雪が降り、しかしその雪は、とくにコンクリートの上の雪は、空を覆った曇の隙間からときどき顔を出す太陽の光によって、だいぶ溶けた。

 今日は午前中に新聞と本を読み(昨日と同じだ)、午後から片付け(これも同じだ)。主に弟たちによって買われてきた漫画本を整理する。(「主に」は「整理する」にかかるのではなく、「弟たちによって」にかかる。)

 多いぜ、弟よ。

 そのなかに『MAJOR』という野球の漫画があって、「これはおもしろいよ。絶対はまるよ」と弟(次男。三男はまだ帰ってこない)は言っていたが、果たして本当か。弟がいま目の間に座っているので、確認のために「本当におもしろいの?」と訊いてみたが、「おもしろい。一回読んでみって」(「読んでみって」は方言か。「~してみって」で「~してみなよ」ぐらいの意味)と返ってきた。

 わたしの机のなかから写真が出てきた。



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 高校1年生のときに来た大学見学
 懐かしきアオヤマ君、イワサキ君も





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 写真の日付




 机から出てきたおみくじからいくつか引用。

 仕事:大胆で忍耐力ある人。農業・交通・書籍・鉄工等適職。
 性格:正直で誠実な人柄、練り強さも人一倍ありますので、地味な努力が必ず実を結びます。
 勝負運:着想良ければ自信持ってやれば(吉)。ツキ多いにあり。奇数の日に(吉)。
 大事な年令:〔……〕27才、28才〔……〕にチャンスあり。
 大要:自分の能力を過信しすぎて対人関係の和をおこたると損失多い。貴方の値打は他人が決めます。けんきょな態度が貴方を開運へと導きます。

 うむ。

 いつのおみくじか知らないが、そのおみくじをいま見つけたということに何らかの意味が付与される。27才、28才って今年、来年だしね。

 
 机からは、わたしが受けた大学の推薦入学試験(小論文問題)が出てきた。以下、問題文。

 問題文[A]は、イニス・クロード(Inis L. Claude, Jr.)が『世界政府』について論じたものです。イニス・クロードの議論をふまえながら、今日の国際連合を『世界政府論』の観点からどのように評価できるか、あなた自身の考えを述べなさい(日本語800字以内)。

 なお、問題文[A]は英語で書かれており、その出典は、Inis L. Claude, Jr., Power and International Relations, New York: Random House, 1962. であった。

 いま読むと「こう書けばよいのね」というのがわかるが、当時はまったくわかっていなかったんだろうな。

 ちなみに、推薦入試は落ちて、一般試験で合格した2000年の春。


@福島
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by no828 | 2008-12-31 18:23 | 日日 | Comments(0)
2008年 12月 30日

昔もらったラヴ・レター

 今日はくもり。起きてカーテンを開けたら、どよんとした空が広がっていて気持ちもちょっと沈む。昨日は晴れていたのに。

 朝ごはんを食べて、居間で新聞と本を読む。

 お昼のあと、自分の机のなかの整理をはじめる。とりあえず、机のなか――引き出しのなか――のものを全部外に出して、要るものと要らないものに分ける。中学や高校の頃の写真が出てきたり、500円札(5,000円じゃないよ)が出てきたり、昔もらったラヴ・レターが出てきたり、おみくじが出てきたり(いつのだ?)、いろいろなものが出てくる。

 片付けを途中で切り上げて叔父のところへご挨拶に。祖父に線香を手向ける。日本酒「すてら」もお渡しする。祖母からはお小遣いをいただいてしまう(ありがとうございました)。


 ……そろそろ夕食らしい。「飯台の上、片付けてー」という声が聞こえた。これを聞かなかったことにするわけにはゆかない。聞かなかったことにしたらたいへんなことになる。

 可能なら、またあとで更新したい。


 @福島
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by no828 | 2008-12-30 19:25 | 日日 | Comments(0)
2008年 12月 29日

12月生まれ

 昨日12月28日はカメちゃんの誕生日であった。

 カメちゃん、おめでとう。

 ちなみに、カメちゃんは来年お父さんになる。名前の画数は17画がよいらしい。「わたしの一字使っていいよ」と言おうと思ったけれど、念のために数えてみたらその一字だけで16画になってしまうので言うのは止めておいた。

 
 遅れてしまったのであまり大声では言えないけれど、12月16日はかよこの誕生日であった。

 かよこ、おめでとう。遅れてごめんね。


 大学の同期には12月生まれが多い。しゅんぺー、ぷりお・こーいち、たかひろ、しみたけ、かよこ、かつら、カメちゃん、……。あ、ここで祝っていない人もいる。

 みんな、おめでとう。


@福島
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by no828 | 2008-12-29 17:54 | 友人 | Comments(0)
2008年 12月 29日

バングラデシュ総選挙、あるいは「政治」のはじまり

 以前の記事に修正を加えるとわかりにくくなるので、修正のたびに新たに記事を書くことにした。(12月25日に追加修正をしたが、何を追加し、どこを修正したのかわからなくなってしまった。)

出典:「朝日新聞」2008年12月29日朝刊4面。

2001年10月
 ・ 総選挙でバングラデシュ民族主義〔者〕党(Bangladesh Nationalist Party: BNP)が勝利
 参考: 総選挙に日本政府は選挙監視団を派遣

2006年10月22日
 ・ バングラデシュ国会が任期満了により解散
 ・ 憲法の規定に従って、総選挙の実施を目的とする選挙管理内閣が発足
 
この間
 ・ 予定されていた総選挙を前に 旧与野党の対立が激化、暴動に発展

2007年1月11日
 ・ 大統領が非常事態を宣言
 ・ 2007年1月21日に予定されていた総選挙は延期、政治活動も制限
 ・ 軍が支援する選挙管理内閣が発足
 
この間
 ・ 選挙管理内閣は政党との対話、選挙制度改革、治安・汚職対策などに取り組む

2007年5月
 ・ グラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁が新党設立を断念

2007年7月
 ・ アワミ連盟(Awami Leage: AL)のシェイク・ハシナ元首相が汚職容疑で逮捕

2007年9月
 ・ BNPのカレダ・ジア前首相が汚職容疑で逮捕

2008年6月
 ・ ALのハシナ元首相を仮釈放

2008年9月
 ・ BNPのジア前首相を仮釈放

2008年12月10日
 ・ 選挙管理内閣、非常事態を12月17日に解除すると発表

2008年12月12日
 ・ 街頭での選挙運動開始

2008年12月28日―30日
 ・ 日本政府が議員・学教員・外務省職員からなる選挙監視団をバングラデシュに派遣
 参考(1):日本のほか、米国、EU、英連邦事務局(≠英国?)、豪州なども監視団を派遣
 参考(2):日本は、1990年、1996年、2001年のバングラデシュ総選挙にも監視団を派遣

2008年12月29日(今日!)
 ・ 総選挙を実施


 総選挙は、BNPとALの一騎打ちと予想されるが、両者に政策的な違いはほとんどない。バングラデシュは、米国的な(英国的な)二大政党制というわけではない(日本も)。

 ちなみに、ハシナ氏もジア氏も女性である。
 一方のハシナ氏は、1975年に軍将校に暗殺されたムジブル・ラーマン初代大統領の長女。
 他方のジア氏は、そのムジブル・ラーマンが暗殺された直後の陸軍参謀長で、1977年に大統領に就任するも81年に暗殺されたジアウル・ラーマンの妻。

 新聞ではこのふたりの関係を「因縁」と表現している。

 バングラデシュでは、「個人的なこと」が「みんなのこと」を左右させているように思えてならない。「個人的なこと」はとても大切なことである。みんなに「個人的なこと」はあり、それはそれぞれに大切なことである。だから、みんなの「個人的なこと」に耳を傾け、それを大切にすることが求められる。そこで誰かの「個人的なこと」ばかりが通るのはおかしい。しかし、バングラデシュで――あるいは日本で、それぞれの生活の場所で――起きていることは、その誰かの「個人的なこと」ばかりが通っている状況であるように、「個人的なこと」ばかりを通そうとしている状況であるように思われる。

 たぶんそれを「政治」とは呼ばない。

 <わたし>が大切だと感じている「個人的なこと」が<あなた>にもある。<あなた>にも<わたし>と同じように大切な「個人的なこと」がある。

 そこへの想像力を働かせること――たぶんそれが「政治」のはじまりだと思う。

 と同時に、バングラデシュにいないわたしが言うことにどれだけの意味があるのかとも思う。


@福島
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by no828 | 2008-12-29 15:45 | 時事 | Comments(0)
2008年 12月 29日

「喜びの回路」を暴走させよ

 昨夜は、雪は止んだものの、ものすごい風で家が揺れたように感じられた。窓ががたがたと鳴りつづけた。「びゅー」「ひゅー」という風が家の近くを通り抜けてゆくたびに、わたしは「お願いだから静まってくれ」と祈った。

 風は人工都市でも強かったのであろうか。

 人工都市に置いてきたわたしのアパートは最寄り駅から2.5kmほど離れているが、戻ったらそれが1.3kmになってはいないか、あるいは逆に4.4kmに延長されてはいないかという心配も、実はそれほどふざけているわけではない。

 昨夜はそれぐらい風が強かった。

82(132) 茂木健一郎『脳を活かす勉強法 ―奇跡の「強化学習」―』2007年、PHP研究所。
(読了日:2008年12月28日)

実家に戻ってくる電車のなかで読み終わる。

茂木の言いたいことの逆のことを本のタイトルをもじって約すれば、『脳を活かさない勉強法 ―善意と不安の「教化学習」―』ということになろうか。

……ならないか。

勉強法にはずっと関心があって、それはわたしに「俺は頭があまりよくねえからなあ」という意識があるからである。その意識は、高校・大学と「こいつには敵わんなあ」と思う友人との出会いがあって芽生えたものである。

たとえば、高校で同じ陸上競技部に入っていたアベ君は、わたしと同じ時間を部活動に割いていたのにもかかわらず、いつも学年トップの成績であった。なぜだ!

たとえば、大学の同期には、「1言ったら10わかる」にとどまらず、「1言ったら30わかる」ような人間が複数いた。どういうことだ!

自分はまだまだだと思って勉強するが、しかしどのように勉強すればよいかがわからず、かなり非効率的なことをしてきた。その感覚はいまでもある。「自分に合った勉強法」とは何か、それが未だによくわからない。


「本来、人間の魅力とは内面的な輝き、つまり『知』だったはずです。そして『知』とは、自分の中で醸成されるものです。
 しかしここで気をつけなくてはならないのは、自己完結したものには意味がないということです。価値のある『知』を手に入れるには、人と人とのかかわりの中で育てていかなければなりません。
 日本史の一幕に『松坂の一夜』というエピソードがあります。
 〔……〕
 本居宣長が、独学で進めていた『古事記』研究を本格的に決意したのは、私淑する賀茂真淵との出会いがあったからだといわれています。これが後に『松坂の一夜』として伝わるのですが、この時に、本居宣長は一生の学問の方向性を決めたといわれています。
 一日でもいいから、大学者と話したり、知識の深い人とかかわりを持つ。それが、ひとりで勉強しているだけでは到底得ることができないものを身につけることにつながるという例です。本当に知識の深い人とのかかわりを大切にしつつ、重要な情報の取捨選択をしっかりと行う。それができる人こそが、これからの時代に輝いていく人だと思います」(pp. 118-119、強調原文)。

「残念ながら、この一回性〔=その後の人生を変えてしまう出来事を経験すること。例:誰かの何気ないひと言、一冊の本、一本の映画〕を自分でコントロールすることはできません。しかし、自分の人生を変える出来事に遭遇する確率を上げることはできます。それは、優秀な人と出会える環境に身を置くことです」(p. 150)。

「〔英国のケンブリッジ大学に31あるカレッジのひとつである〕トリニティカレッジには、ありとあらゆる分野の人が所属しています。食事の際には、ハイ・テーブルに集まった教授たちが、それぞれの専門など気にも留めずに、自由に論議する姿が見られました。
 〔……〕
 各分野を代表するような研究者たちが、一緒に食事をしながら、大変高度な議論をしているのです。これは、残念ながら日本の大学ではまったく見られない光景です」(p. 151)。

そのとおりです。

「トリニティカレッジの雰囲気から伝わってくる思想は、『変人であることの自由』です。
 〔……〕
 そしてトリニティカレッジの『変人であることの自由』という思想は、いうなれば『自分の好きなことをとことん追求することが許される自由』と言い換えることができます。自分の好きなことをとことん追求することを許された時、人はどういうふうに発展していくのか。現代史はさわやかな実例に満ちています」(pp. 152-153)。


「そもそも自分自身と真剣に対話しない人は、たいてい勉強もできません。
 〔……〕
 勉強のできる人は、自分なりのやり方を必ず見つけています。
 自分なりのやり方を身につけるには、自分の脳の特性を理解しておく必要があります。
 〔……〕
 勉強そのものが喜びにならないと、モチベーションを保つことができず、なかなか持続しません。自分の内面とよく対話して、どうしたら自分の脳が喜ぶのかということを、経験的に見つけていくことが必要です。
 〔……〕
 勉強ができる人は自分自身を正確にモニタリングし、自分がいま『この問題の何が分からないのか』『何が原因で分からないのか』を自分自身で考えることができます。この判断ができない人は伸び悩みます。『自分が分からないこと』の正体をつかめないと、どうしたら分かるようになるのか、考えることができないからです」(pp. 126-128)。

正しい勉強法というのは、実はとてもシンプルなのです。
 自分の欠点や弱点、ミスを直視できるか。そしてその原因を自分自身で論理的に突き詰め、修正できるかということなのです
」(p. 137、強調原文)。

「古野〔隆雄。アイガモ農法の開発者〕さんは『旱魃の時、植物は、いざ雨が降った時に備えて活動をしている』と言います。たとえば、地上で派手に葉を茂らせたり、枝を伸ばしたり、地中に網の目のように根を張っています。『逆境の時に何をやるかで、いざ雨が降った時にそれを活かすことができるかどうかが変わってくる』のだそうです」(pp. 137-138)。

旱魃になっても腐らないこと。


「安全基地の役割とは、子どもがあくまでも自主的に挑戦しようとすることを、後ろからそっと支えてあげることです。一番大事なのは、見守ってあげること、見てあげること。見てあげることこそが、安全基地のもっとも大切な要素なのです」(p. 175)。

安全基地があるから、跳べる、挑戦できる。


「知のオープンエンド性の感覚、いくら学んでも必ずその先があるという感覚を、持つことができるかどうか。
 これこそが、学習する喜びの回路を暴走の域まで回し続けていけるかどうかの、ポイントになるのではないかと思います」(pp. 181-182)。

「僕は、人間の本当の魅力は、その人の内面的な輝きによってもたらされるものだと思っています。
 〔……〕
 たとえば、人生の大きな岐路に立たされた時、何としても助言を受けたいと思われるような人。そんな人が、本当の人間的魅力を備えた人だと思います。
 その魅力を支えるのは何か。
 それは、知的な魅力ではないでしょうか」(pp. 184-185)。

わたしには、そういう魅力を備えた友だちがたくさんいる。


@福島
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by no828 | 2008-12-29 12:59 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 12月 28日

雪男

日本酒2本ぶら下げて実家に帰ってきたら、すごく吹雪いていて、すごく寒い。

大学のある人工都市は、風が強くて寒かったけれど、快晴であった。

この落差。

福島に入って電車から汽車に乗り換えた。この時点・地点では、外は快晴であった。しかし、いくつかの駅を通過し、実家へと近づくにつれて、だんだんと雪の舞いが強くなっていった。

実家の最寄り駅に着いたら、外はまさに吹雪き。

父に訊いたら、今朝起きたら積もっていたそうだ。昨日まではそれほど降っていなかったらしい。

昨年もそうだったと記憶しているけれど、わたしが帰るといつも雪が降る。それも、どさっと降る。

外はいまも、吹雪いている。



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家の裏




@福島
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by no828 | 2008-12-28 19:21 | 日日 | Comments(0)
2008年 12月 28日

脳死臓器移植が正しくない理由(2009年1月7日追記)

81(131) 池田清彦『脳死臓器移植は正しいか』角川書店(角川ソフィア文庫)、2006年。
(読了日:2008年12月21日)

「私の論点は脳死・臓器移植は、大量資本主義下の医療として致命的な欠陥を有しており、国を挙げて推進するようなものではないということに尽きる」(p. 7)。

以下、主にリバタリアニズム(自由至上主義)の立場――とはいえ、リバタリアニズムの主流派からはずれている立場――から、この主張の根拠が述べられてゆくが、それを引用している時間がいまはない。取り急ぎ、「読んだ」という記録だけ。残りの引用その他は年明けに行なおう。


そろそろ実家に向けて出発しなければ。


@自室


というわけで、年が明けた。

「私が反対しているのは脳死者からの臓器移植であり、人工臓器や他の動物からの臓器移植(異種移植)に反対しているわけではない。脳死者からの臓器移植はドナー(臓器を取られる人)とレシピエント(臓器をもらう人)のバランスが極端に悪く、いつまでたっても脳死者からの臓器は希少財である。市場社会では多くの人が欲しがる希少財の値段は極めて高いのが当然である。しかるに脳死者の臓器はタダである。脳死者のイゾクに大金を払って売ってもらい、レシピエントはそれを買って移植をしてもらうというのが、市場の原理からすれば当然なのだ。
 しかし、さまざまな倫理的問題があり、どこの国でもそのような話にはなっていない。この脳死・臓器移植のシステムが市場原理にのっとっていない、あるいはのっとれない、ことこそが、この医療の最大の欠陥なのだ。〔……〕他人の金(税金のことだ)を湯水のように使って生き延びる権利などは誰にもありはしないのである」(p. 8)。

「脳死・臓器移植はやめた方がよいと私が思う最大の理由は、この医療は資本主義下の商品戦略として致命的な欠陥を内包するからだ」(p. 19)。

医療が資本主義のルールに則らなければならない根拠は何か。

 この社会は資本主義社会である → この社会で起きたことはすべて資本主義のルールに則して決せられる

ということになるのか。ならないであろう。

「人は自己の身体の管理権を有するだけで所有権はない。自己の身体は、自分が作ったわけでも誰かと交換して手に入れたわけでもない。物ごころついた時にはすでにあったのだ。自己の所有物であるはずがない。自分の所有物でないものを自己決定で処分する権利はない」(pp. 18-19)。

なるほど、このあたりが主流のリバタリアニズムと違うところ。

主流派リバタリアニズムは、ジョン・ロックが(おそらく)言いはじめたように、

 わたしの身体はわたしのもの → わたしの身体が働きかけたものはわたしのもの

という論理を採用する。

が、

(1) 「わたしの身体はわたしのもの」は当然であるように見受けられるが、それには実は根拠がない。池田もそこを突く。

 仮に「わたしの身体はわたしのもの」が成り立つとしても、

(2) 「わたしの身体が働きかけたものはわたしのもの」が成り立たない。なぜわたしが働きかけたらわたしのものになるのか、それが説明されていないからだ。これは立岩真也が指摘するところだ。「わたしが働きかけたけれどもわたしのものではない」、その主張も「わたしの身体が働きかけたものはわたしのもの」と同じ論理性を持つ。なぜ、後者だけが正当化されるのか。根拠はない。

「社会にとって重要なのは、生物学的な死という事実ではない。この世の人々のネットワークから、はずれたということ承認である。だから生物学的に死んでいても、死んだという事実が伝わらなければ、社会的にはその人は死んだことにはならないのだ。〔……〕
 人が死ぬと、どこの社会でも多寡の違いはあれ、さまざまな儀式を行う。それは死者の霊を弔い、なぐさめるといった宗教的な意味合いの他に、死を社会的なものとして認知させる意味も大きいと思われる」(p. 50)。

私が科学に与えた定義によれば、科学とは変なる現象を不変の何かで説明しようとする営為である」(pp. 151-152、強調引用者)。

なるほど。


@自室
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by no828 | 2008-12-28 09:48 | 人+本=体 | Comments(0)
2008年 12月 27日

すてら

晴れているのに、風がものすごく強くて洗濯物が干せない。

何なんだ、この風は。

ラジオのスイッチを入れると、What are you doing New Year's Eve が流れてくる。この曲をはじめて聴いたのはおそらく「アリーmyラブ」においてであって、そこでは What are you doing New Year's Eve に乗せて、夜、暖炉のある家とともに、雪がしんしんと降る様子が映し出されていた。

そのことを思い出しながら、珈琲を飲み、革の鞄やブック・カバーに手入れ用のクリームを塗る。クリームは、先日名刺入れとともに買ったのであった。

よい物をより長く。

お昼ごはんを食べてから、帰省のさいの実家と親戚へのお土産を買いに、しかし「これ」といった名産がないことを悲しみながら、外出する。

せっかくなので、日本酒を求めて山の奥へ。



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「男女川」と書いて「みなのがわ」


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角度を変えてもう1枚


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太陽が沈みゆくのを日本酒「すてら」を持って眺める


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太陽の左側にうっすらと三角形に見えるのは富士山かもしれない



「すてら」2本を持っての帰省は明日。実家で読む論文とノート・パソコンを取りに研究室に寄った。

大学に戻ってくるのは1月4日の予定。


@研究室
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by no828 | 2008-12-27 18:07 | 日日 | Comments(0)