思索の森と空の群青

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2009年 01月 31日

雨と風と集中講義

 雨は、どうやら夜のあいだずっと降っていたようだ。

 朝もかなり強く降っていた。

 今朝は日課――というより週課――の洗濯などをせず、9時30分に研究室に来た。

 某集中講義(のティーチング・アシスタント)のため。

 週課はこなさずに、と書いたが、研究室の珈琲が切れていることを思い出して、珈琲だけは煎れ、それをタンブラーに入れてきた。

 集中講義は11時30分に午前の部が終わり、現在昼休み中。

 雨はだいぶ小降りになったが、風は強いままだ。ひゅるひゅるひゅると吹いている。

 午後は12時20分開始の予定。

 5限はじめに業務が終わって(ほしいのだが)、今日はそれから品川に行く。

 学類同期のよしあきの結婚式の2次会に出るためだ。

 会は18時30分にはじまるから、着くのはおそらくぎりぎりであろう。

 できるだけ時間を節約するために、大学にはすでにスーツで来ている。それで学生の前に出るのがすこし恥ずかしい。

 さて、そろそろ教室に行かないと。


@研究室
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by no828 | 2009-01-31 12:12 | 日日 | Comments(0)
2009年 01月 30日

翌日の朝

 昨夜はあれから研究室で呑み会になった。

 某後輩がサラダやパスタやジャーマンポテトを作ってくれた。

 わたしは、研究室に置いておいた福島の地酒(にごり酒)――ああ、非模範的大学院生――を出した。

 ビールやワインもあって、何だかいろいろ呑んで、いろいろ食べた。

 「はしもとさん、痩せましたよね。何か頬のところがこけてますよ」

 と言われた。

 「最近毎日走ってるからな……」

 「毎日走ってるんですか?」

 「うん、最近はね」

 「どのくらい走るんですか?」

 「5kmぐらいじゃないかな。20分ぐらいしか時間かけられないから、その分身体に負荷をかけようと思ってね、今週は上り坂でペース上げたり、マスク付けて走ったりしてる」
 (そうそう、わたしは距離の計測機能が付いたジョギング用の腕時計がほしいのだ。)

 「まじっすか?マスクっすか?怪しいっすね」

 「う、うん」


 翌日に響くから0時には撤収しようと言っていたのだが、終わったのは結局1時過ぎになった。


 今朝は雨。

 傘を差してマスクを付けて自転車をこぎ、30分かけて大学に来た。

 それですでに疲れて論文に取り掛かる気持ちになれず、昨日の呑み会で使って洗ってテーブルの上に置いておいたグラスや皿を片付けたり、新聞を読んだり、某掲示をしたり、メールを出したり、事務Aと事務Bに行ったりした。


 それでも落ち着かないからウェブログを書いてみた。

 
 そうしたらお腹が空いてきた。お昼を食べたら論文に取り掛かろう。


@研究室
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by no828 | 2009-01-30 13:29 | 日日 | Comments(0)
2009年 01月 29日

いつの間にか雨

 ふと外を見たら雨が降っていた。

 いつから降りはじめたのであろう。

 
 それに気付かないくらい、今日は窓を見ていない。お昼からずっと授業と研究会と読書会が続いていたためだ。

 さっきようやく終わった。

 市民社会とか公共性――これについてはすこし自論を展開した――とか<帝国>とか生権力――これは自由意志とか主体性は存在するのか、という話になった――とか、脳が疲れた。

 自由意志とか主体性とか、そういうところで書きたいこともあるのだが、某後輩がやってきたので今日はここで中断することにする。


@研究室(久々)

 
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by no828 | 2009-01-29 21:04 | 日日 | Comments(0)
2009年 01月 28日

恋愛のあいだ (承前?)

 先行研究の論文を読み、自分の論文のことを考えていたら煮詰まった。文字どおり頭を抱えた。だから髪がぐしゃぐしゃになった(たぶん)。

 「んー、ここからどうすりゃいいんだ」

というところまで来た。前にも来たところだ。問題は、やはりここからなのだ。しかし、行き詰まった。そこまでの立論の仕方は整理できた――つもりだ――が、そこからの展開が考え付かない。先行研究でもそこから先には進めていない(たぶん)。だからそこをすぱっと突破できればすごいことになるはずなのだけれど、突破の手がかりが見当たらない。再度先行研究を読みなおす必要があるかもしれない。

 気分転換にパソコンの前に来た。

 というわけで、つづき。

 恋愛のあいだについて書こうとしていたことがあったのにそれとは別のことを書いてしまったので書こうとしていたことが書けなかった、ということであった。

 ここで度々言及するテレビ・ドラマ「アリー my ラブ」に、こういう話があった。たしか、第4シーズンの話だ。

 ある女性が2人の男性と法的な手続きのもとに結婚したい、けれども、それは法的に認められないと言われたので弁護士――このときはジョン・ケイジ――に訴訟の依頼をした。

 ジョンはその仕事を引き受け、裁判に臨んだ。

 結局裁判には負けたはずだが、その判決が出る前か出た後かは忘れたけれど、訴えを起こした女性がジョンに次のようなことを言った。

 どうして2人の男性と結婚できないのかしら。おかしいわ。わたしは2人とも愛しているのに。彼らもこのことを納得してる。2人を愛することは無理じゃないわ。だって、親は子どもが複数生まれても、みんな同じように愛するでしょ。

 最近観ていないので細部に誤りがあるかもしれないが、おおよそそのような話であったと思う。

 生まれた子どもが2人でも3人でも、親がそのすべての子どもを愛するように、女は男を何人でも愛することができる――わたしは女性のこの立論に説き伏せられた。「うわ、そう来たか」と思った。反論が思いつかなかった。

 ここでは「結婚」という国家的な制度を外して考えてみる。つまり、結婚は別にして、とりあえず1人が2人を同時に同程度に愛することは不可能なのかを考えてみる。

 これに不可能だ、という答えをすると、親が3人の子どもを同時に同程度愛することも不可能だ、ということになる。

 しかし、男女の場合、一方が他方の複数人に同時期に「愛してる」なんて言ったら「浮気だ」ということになる。それは道徳的な非難の対象になる。けれども、親がその子ども(長男と次男と三男)に「愛してるよ」と言っても非難はされない。「当たり前だ」であり、また、そのような情景は微笑ましくもある。むしろ、子どものうちひとりだけを呼んで「愛しているのはおまえだけだよ。おまえを一番愛してる」と言ったら非難される。ただ、子どもは――幼いときには――そう言ってほしいのだけれど。

 (「同時期に『愛してる』」、と書いて思ったこと。それなら通時的に複数の人を愛するのならよいのか。よい、という雰囲気があるが、それはなぜか。共時的に――つまり同じ時期に――複数の人を愛するのはよくないが、通時的に――つまり、過去と未来を含めて――複数の人を愛するのはよい、ということになるのはなぜか。ふと思った。そういえば、過去にこういうことを書いた。)

 だから何なのかと言われると、わたしもだんだんとわからなくなってきて、この文章はどこに行くのであろうかと思いはじめている――わたしの論文と同じように。

 結局は「愛してる」なんて言ってもそれは「恋」で、人を愛するって実は難しいんじゃないか、ということが言いたいのかもしれないけれど、言いたいことは別段ないのかもしれない。

 ただ、むしろ「2人の男と結婚したい」と言った女性にこそ愛の存在を認めることができるのかもしれない、と思う。

 あるいは、愛が恋のように排他的でないのならば、たとえば他人に決められた結婚のように、好きかどうかはわからないけれども偶然出会ったのも縁だからこの人とともに生きてゆこうという態度にこそ、愛は認められるのかもしれない、と思う。

 だから「愛」って結局人称性を薄めたところに存在するのかもしれないと思うのである。「この人だからこそ」ではなく「誰でも」にこそ愛は存在するのではないか。それはつまり(一部の)公共性の考え方であり、だから「私」の領域では――と書くとフェミニズムからの批判がありそうだが――「この人が好き」でよいし、「ほかの人じゃダメなんだ、あなたじゃないとダメなんだ」でよいし、つまり「恋」でよいのではないか、ということである。

 と同時に別様にも考える。つまり、恋をして「この人が好きだ」になったときに、通りすがりのあの人にも――きっとわたしがこの人に恋するように――恋する人がいるはずで、また、あそこに座っている人を――わたしがこの人を恋するように――恋する人もいるはずだ、だから通りすがりのあの人も、あそこに座っている人も、大切な存在なのだ――そうなったときにそこには愛があるのかもしれない。

 ……

 やっぱり何が言いたいのかよくわからないけれど、とりあえずそういうことを考えた、ということなのだと思う。


@大学中央図書館
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by no828 | 2009-01-28 18:59 | 思索 | Comments(0)
2009年 01月 28日

恋愛のあいだ

 相変わらず図書館にいる。

 今日は522という番号の付された研究個室にいる。ここのところ毎日図書館に篭もっているが、522が取れたのははじめてだ。そこはいつも誰かが先に予約を入れている。

 522は5月22日で、それはわたしの母の誕生日だ。

 523や525を予約するとき、そういえばと522を意識する。狙って522を取ろうとは思わないけれど、空いているのなら使おうかという気になる。

 ただ、522は電気スタンドが右側に固定されているので、右利きのわたしにはちょっと使いづらい。照明が右手で影を作るからである。奇数番号を選んできたのにはそういう理由もある。


 先日、帰宅してテレビのスイッチを入れたら、タモリが「恋」と「愛」の違いを語っていた。

 「恋」は排他的
 「愛」は普遍的

 具体的な言葉遣いは忘れてしまったが、そういうことを言っていた。

 彼氏/彼女――あるいは夫婦も、かもしれない――が相互に向け合う感情が「恋」で、親が子に向ける感情は「愛」だ、とタモリが説明して、他の出演者は「なるほど」と言っていた。わたしはその場面のみを断片的に観ただけだから、タモリの――というより番組の――意図を正しく理解できたかどうかに自信はないし、だからたとえば彼氏/彼女にも「愛」を向けるようにしよう、と言いたかったのかどうかもわからないが、「恋」と「愛」は別物なのだとタモリは言っていた。

 しかし、その分け方でよいかと、いま書きながら思った。

 親が子に向ける感情は排他的であるように思われる。自分の子に向ける愛と他人の子に向ける愛には圧倒的な差があるのではないか。

 また、子が親に向ける感情も排他的であるように思われる。長男は新たに生まれてきた次男を疎ましく思い、「僕だけを見てほしい」と親に願うであろうし、親が自分より他の子どもを褒めたりしたら、ちょっとすねたくもなるであろう。

 したがって、親子関係は排他的な関係であり、だからそれを「愛」で語ることはできないのではないか、と思うのである。

 むしろ、「誰かひとりでもよいからわたしだけを見てほしい」「わたしだけを見てくれる人がひとりでもよいからほしい」というのは結構「自然に」生じる思いであり、それは愛の象徴として語られる親子関係において生まれてもおかしくはない。

 というところまでをログインしてから考えて書いたので議論としてちょっと怪しいかもしれない。

 本当は準備していたことがあって、それを書こうと思っていたのだが、ここまでですでに20分を費やしてしまったし、書こうと思っていたことをここに続けて書くとなると結構長くなりそうな予感がする。だから、それはまたあとで書こうと思う。「あとで」がいつになるかはわたしにもわからないが、それが今日中に訪れることをわたしも他人事のように願うのである。


@大学中央図書館 
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by no828 | 2009-01-28 12:54 | 思索 | Comments(0)
2009年 01月 27日

生存学

 以下、変更点。

・ 研究用にリンク「新しい世界へ」に「生存学創成拠点」を追加

 「生存学創成拠点」は社会学の立岩真也先生などが作られたアーカイヴ。研究者の情報などが豊富(マーサ・ヌスバウムの情報など、一部更新が止まっているけれど)。

 こういうウェブサイト――あるいはウェブログ――をわたしも作りたい。今年の目標でもある。


 話は――今度こそ――変わるが、パソコンのキーボードの打ち方にはその人の人となりが出ると思う。いま、図書館のパソコンの前に座っているのだが、隣の人――しかも女性、なんて書くと問題があるかもしれない――はものすごく強くキーを叩いていてちょっと幻滅しているところである(端的に迷惑でもある)。

 もうすこし穏やかにキーを打てないものか。


@大学中央図書館
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by no828 | 2009-01-27 16:58 | ブログ設定変更 | Comments(0)
2009年 01月 27日

余分 - 余 = 分

 今朝、英語(TOEFLやGRE)の勉強用に買った問題集を「古布・古紙」としてゴミ集積所に置いてきた。未練はたくさんあるのだけれど、問題集の情報は古くなっているし、また挑戦したいという気持ちになったときに最新のものを買おうと思った。客員研究員でも何でも、海外で修行を積みたいという思いに変わりはない。

 とはいえ、問題集をゴミ捨て場に置くときはとても残念な気持ちであった。空も曇っていた。

 けれど、空はだんだんと晴れてきた。

 たぶん、気持ちもそうなると思う。

 なぜかはよくわからないけれど、最近身軽になりたいという気持ちが強い。これまでは自分のなかにいろいろ余計なものを溜め込んで、それをそのままにしているように思うのだ。それらを手放して、身軽になりたい。余計なものを持たない生活、と言うとビールか何かのコマーシャルになってしまうが、余分なもののない――余計な分のない、つまり自らの分に合うような――生活によって、身体と精神がぴたりと重なり合う感覚を得ることができるように感じられるのだ。

 それはしかし、現状に甘んじるということではない。そうではなくて、自らの分を知り、それを実践するとは、先に進むための出発点であるように思う。自分の全感覚がぴたりと合うようなところがきっと、足をぐっと踏ん張るところなのだと思う。


 言葉でうまく表現できないけれど、いまはそういう心持ちである。

 
 話は変わって、昨夜も20分ほど走った。

 風邪はおそらくひかずに済んで、しかし予防のためにもマスクは付けたままの生活を送っている。

 昨日もマスクを付けていた。

 アパートに帰ってきて、さて走ろうと思ったときに一旦はマスクを外したのだが、「あ、付けて走ろう」とまたマスクを装着した。

 現役のころは――わたしは中学・高校と陸上競技部で長距離を走っていた――、心肺機能向上のためにマスクを付けて走ることが多々あった。

 マスク姿で走るとは、いまから思うと随分と怪しげであるが、当時はそうは思っていなかった(自省的態度あるいは自己相対化の欠如)。

 しかしながらいまは、マスクを付けて走ったら怪しい、ぐらいのことはわかる。けれども、昔の感覚に浸りたいという欲求もあって、昨夜はマスクを付けて走った。

 運よく、と言うべきか、国家権力を持った方々からの質問を受けることなく20分を走りきることができた。呼吸で湿ったマスクを外すと、澄んだ――とは言えないか――空気を思いきり吸うことができて気持ちがよかった。

 走ることによって気分は晴れる。おそらく余計なものが汗とともに流れ落ちるのであろう。

 身体に付きはじめた余計なものも、落ちてゆくのかもしれない。

 
 余分なものを持たない生活――話はまったく変わっていなかった。


@大学中央図書館
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by no828 | 2009-01-27 11:48 | 日日 | Comments(0)
2009年 01月 26日

 一方で、リンク「新しい世界へ」から「casa di gina」を残念ながら削除した。理由は、きちんとリンクされないから。URLに「~」が入ると飛ばなくなるのかな。


 他方で、リンク「新しい世界へ」に新たなリンク先を加えた。

・ 想 IMAGINE Book Search

 以前にテレビ「爆問学問」で紹介されていて、「これはすげえな」と思っていたのだ。

 高野明彦(連想情報学)「検索エンジンは脳の夢を見る」(2008年3月4日放送)


 「検索エンジンは脳の夢を見る」というその回のタイトルは、「潜水服は蝶の夢を見る」という映画のタイトルに似ているな。

 映画「潜水服は蝶の夢を見る」公式ウェブサイト

 映画を観たわたしの感想 「意志と身体 精神と肉体  映画「潜水服は蝶の夢を見る」


@大学中央図書館
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by no828 | 2009-01-26 17:52 | ブログ設定変更 | Comments(2)
2009年 01月 26日

年賀はがきとインド

 カテゴリに「メモ」を追加

 とりあえず記録しておきたいことを書いておくカテゴリ


・ 書き損じ・未使用の年賀はがきを送ろう。

 未使用の年賀はがきがあるのでこういう利用方法もありかなと思って。
 ただ、郵便局で年賀はがきに追加料金を払うと普通のはがきに交換できるという話もあり。


・ 映像上映会「Is this life? ~インドの女の子たちの現実」

 インドには興味があって。


 以上、メモ。


@大学中央図書館
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by no828 | 2009-01-26 12:00 | メモ | Comments(0)
2009年 01月 25日

桑の実と初雪

 昨日、すこしの時間であったが桑の実に会った。

 桑の実は大学のサークルのOBOG会に参加するということで、その前にお昼ごはんでも、ということになったのだ。

 話は、同期の誰はいま何をしているのか、というところにやはり行く。グーグル日本とか本庁勤務で取り締まりとか脱文脈的メールとか、さらには女だけのランチに混じる男の度胸とか。

 「にょなべ」の報告も受けた。女だけの鍋でおどろおどろしい話はしなかったらしいが、鍋の席でこのブログを開いたらしい(こわ!)。コメントの書き込みも試みられたそうだが、それは不具合で成功しなかったという。

 お昼を食べながら外を見ると、雪が舞っている。この地では今シーズン初雪である(たぶん)。しかも、結構な降りだ。積もるのではないかと思わせるほどの雪は、しかし1時間ぐらいで止み、アスファルトの熱に溶けていった。積もったら積もったで、たのしかったかもしれない。

 桑の実と別れてからアパートに戻って部屋を片付ける。寒い。雪が降ったのだから寒いのは当然だが、寒い。本を読む。寒い。そしてすでに読み終わっていた中島岳志の本をまとめる。やはり寒い。

 ひきかけた風邪は治ったかのように思われたので、夜、20分ほど走る。耳が冷たい。身体がなかなか温まらない。

 シャワーを浴び、「世界ふしぎ発見!」を観ながらビールを呑む。ときどきソーセージと粒マスタード。寒いので最後は鍋焼きうどんを作ってずずっと食べる。


 今日は晴れた。

 昨日洗濯して乾かなかった衣類と、ついでに布団も外に干す。

 お昼ごはんを食べ、洗濯物と布団を取り込んでから研究室に来る。研究室には誰もいない。そこで新聞の切り抜きをしていると来室者2人あり。話の弾みで、今度某呑み会を開催することになった。


@研究室 
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by no828 | 2009-01-25 18:47 | 日日 | Comments(4)