思索の森と空の群青

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2009年 09月 30日

「比較」とは何か——福井文雄「比較思想の問題点」

 本日3投目。

 わたしは一応制度上は比較諸学の一員ということになっているから、「比較」とは何かが気になる。

 福井文雄「比較思想の問題点」、小山宙丸・宮野升宏 編『講座 比較思想——転換期の人間と思想——①比較思想の現在』北樹出版、1993年、41-54頁。
※ 「宙丸」は「ちゅうまる」と読むらしい。すごい名前だ。ちなみに、小山宙丸氏は当時の早稲田大学総長。

「何のために比較をするのか?比較は何のためにあるのか?比較をして何を得ようとするのか?——これが比較の問題の核心であり、比較思想の問題点もそこに在る。〔……〕
 ただし、この問題では、『比較』とは何か?をまず規定しておかなければならない。同じ比較と言う言葉でも、厳密に言うならば更に二種に分かれるからである。
 歴史的にしろ社会的にしろ、ともかく交渉か影響が有った、または有ったと予想する二者の関係を論じることが『比較』であり、無関係の二者を突き合わせて云々することを『対比』と言う。
 『比較思想』と言う思想の比較の場でも、この『比較』と『対比』の区別の範囲を免れることは出来ない。〔……〕
 〔……〕
 ところで、およそ思想を問題にしたり、いわゆる“哲学する philosophieren”場合には、必ず“比較”という操作は伴っているものである。したがって、自由に思索したり考えたりしている場合には、そこに比較という行為が伴っても、その思索を『比較思想』などと事新しく呼んだりはしない。とするならば、ことさらに『比較』という〔ママ〕言葉を付けて比較思想と呼ぶとするならば、それは『比較』という行為が特に強調されているからである。ただ漠然と“思想を比較する”などという時の意味ではなくて、それには特殊な意味が付与されているのである。
 〔……〕
 『比較』研究の方法は、交渉関係の究明を目的とするから、必然的に歴史的・文献学的になり、実証性・客観的検証を重要視することになる。『対比』では、全く無関係なもの同士でもとりあげられてそれらを比較〔ママ〕する。全く無関係なのであるから相互に違っていることは当然であるから、相違点はあまり問題にしない。全く無関係であっても、類似点があることに着目し、そこを対比して共通の類型を抽出し、その次にも同じような操作を経て類型を集め、さらにその間の類似を見出してそれを積み上げていって、究極的には、一つの綜合・統一にまで到ろうとするのである。〔……〕
 〔……〕
〔……〕『比較思想』と一口には言うものの、それはただ思想を並列して、どこが似ているとか違うとかを議論するだけでは決してなく、一個の研究とか学問とかに値する比較の行為でなければ『比較思想』とは呼べない。
 こうなると、『比較思想』の比較は、狭義の比較でなければならなくなる。関係ある二思想の比較研究はこれまで既に数多くあり、既に一箇〔ママ〕の学問として学界には通行している」
(42-44頁)。

 「比較」と「対比」のこのような使い分けが比較諸学のあいだで共通了解されていることなのかはわからないが、そういう使い方がありうることはわかった。しかし、そのような使い分けをすると、また、「『比較』研究の方法は、交渉関係の究明を目的とする」とすると、わたしにはよくわからないことが出てくるが、それはまた今度。


@研究室 
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by no828 | 2009-09-30 21:01 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2009年 09月 30日

異質的な思想と対決して自分で考える——中村元『思想をどうとらえるか』

 わたしの大学の図書館では、大学院生は同時に20冊まで本を借りることができる。20冊では少ないと思うのだが、そういう決まりになっている。だから20冊借りて、さらに他の本も借りたいときは、すでに借りているものの中から、優先順位の低いものを選ぶ(渋々)、あるいは必要箇所をコピーする(渋々)などして返却しなければならない。ちなみに教員はそういう縛りが緩いようで(たしか一度に借りられるのが50冊だか100冊だか)、また、「教員特別貸出」とかいう貸出期間が長期化できる制度があり、わたしからすれば不公平きわまりない。研究をするという意味においては教員であろうが院生であろうが一緒なのに。まあ、授業のために、と言われると、なかなか反論できないけれど。

 そういうわけで、わたしは新たな本を借りるために今借りている本を返さなければならない状況にあるのだ。

 コピーするほどでもないけれどとりあえず、なものをいくつか。

 中村元『思想をどうとらえるか 比較思想の道標』東書選書、東京書籍、1980年。

 先日も引用したが(参照:中村元『比較思想論』)、重ねて。こうしてみると、つまり、同一人物の本を複数読んでみると、その人物の思想が見えてくる。「この人はやっぱりそこを大切だと思っているわけか」とか。

「哲学とか、あるいは哲学的諸学問の名前で公表されるものは、どうかすると、過去の優れた思想文献の紹介・羅列か、あるいはその内容をただ人々に取り次ぐというだけに終わっていたのではなかろうか。ただ書物に書かれていて思想の記述をたどるということでは、それに対する批判、つまり現在生きているわれわれとしての批判がたりなかったのではないか。学者は、ただ原典の中身を鸚鵡のように伝えているだけではないのか。こうしたおそれが出てくるのである。そこで、われわれとしては新たに考え直さねばならない」(15-16頁)。

 御意。

「思想について論じる場合には、だれが語ったかということが問題になるのではなくて、何を語ったかということが問題になるべきであろう。個人の権威とか、書物の権威と結びつく場合にのみ、固有名詞というものが問題になってくるのである」(21頁。本文では「だれが」と「何を」に圏点あり)。

「今までの多くの思想史・哲学史の類の説き方は、権威ありと認められている人々の思想の紹介ではあっても、思想そのものの歴史であるとはいいがたいのではないか。思想そのものは権威者によって語られたものであろうとも、あるいは市井の凡人によって語られたものであっても、真理性そのものにかわりはないはずである」(22頁)。

 御意。

「以上のごとく、比較思想論の考察は、共通の問題とか、あるいは共通の思想とかをピンで留めて、見取り図をつくるようなものである。あるいは、共通の分母を取り出して座標軸を設定するといってもいいであろう。こういう手順をふむことによって、われわれはこの西洋から入ってきたいろいろの哲学思想の流れの思想的奴隷であるという、惨めな状態から脱出することができるのである。
 われわれは、哲学がギリシアから始まり、中世哲学を経てドイツ哲学や英米哲学において絶頂に達したという呪縛から離れて、もっと広い視野から考察していきたい。一部の人々にだけ通用するような隠語(jargon)を打破して、広い視野から考察するためには、どうしても『比較』の手つづきが必要になってくるのである。異質的な思想と対決して自分で考えるということがなければ、本当に普遍的な思想は出てこないであろう。
 思想に関する学問が、真に生きたものとなるためには、人々が反省して互いに語り合うということが必要である。『比較思想論』というものは、まさにこの期待にこたえるものである」
(26頁)。

 「比較」という方法論はどうして必要なのか。ここでは2つ指摘されている。ひとつは相対化(the one (だと受け止められているもの)を one of them に)、もうひとつは普遍化(すべての思想に共通して見られる思想的要素の析出)。
 第1の点からは、新しい事例を紹介するだけでも意味があるということになるのか。つまり、これまでの通説にはなじまない事例の提出。当たり前のことだが、これは「通説」があってはじめて成り立つ。あるいは、「〜ではこういうことがあるのです!」というジャーナリスティックな事例紹介の論文。教育学においては「通説」なるものがあまりない。もちろん教育哲学(理論)の解釈や教育史、教育思想史、あるいは教育心理学(は教育学ではなく心理学だが)には「通説」がある。けれど、多くの教育学の下位領域には「通説」と呼ばれるものがないのではないか。だから教育学における比較では、後者の「〜ではこうなっています」という出羽の守な論文が圧倒的に多く、だからといって相対化の志向を持っているかというと疑問が残る。


@研究室
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by no828 | 2009-09-30 16:10 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2009年 09月 30日

but の宿題

 昨夜、髪を切りに行った。前回と同じ1000円カット。思いのほか丁寧に切ってくれるので。今回も丁寧であったが、それは前と偶然同じ人が担当してくれたからかもしれない。

 今日は昨日と違って気温が高くならず、長袖シャツで大学に来た。髪を切ったばかりの頭部側面に風が冷たく当たる。ひゅるる。


 昨日は6限に社会学の授業があり、某後輩の発表を聞いたわけだが、内容があまりにもひどくて何も発言しなかった。だからこそ発言すべきなのかもしれない、内在的な批判を展開すべきなのかもしれない。しかし、「てめえ、なめてんのか」ぐらいまで行くと冷静に発言できなくなるのではないかと、そうなる事態を怖れて沈黙を通した。

 沈黙は最大の批判なり

 と思っているわけだが、同時に、発表内容がよくわからない、わたしが不勉強の分野であったり理論であったりするとよくわからない、けれども何とかわかりたい、とくに、よくわからないけれども何か大事なことが書かれていそうな気がするというときもあり、そのときは内容理解にまず時間がかかる、次に質問を考えるために時間がかかる、制限時間内に発言できない、何も言わずに終わる、結局沈黙を通したことになる、というときもある。
 そういうときは、できるだけ後から直接訊きに行ったり、メイルその他で質問してみたりする。

 が、である。

 「てめえ(以下同様)」のときは、感情が邪魔をして理性がうまく働かない。常々思っていることだが、感情は理性の邪魔をする。感情がなければ、いわば冷徹に理性のみで思考を通すことができる。だから、感情なんて要らないぜ、と思うことしばしばである。

 こういうとき、に限らず想起するのが、経済学者アルフレッド・マーシャルの言葉である。

 cool heads but warm hearts

(わたしは同じく経済学者のジョセフ・シュンペーターの言葉だと思っていたのだが、思い違いであったようだ。参照:一橋大学附属図書館企画展示 「マーシャルとシュンペーターの遺産」。2009年9月30日閲覧)

 2007年であったか、マザーハウスのイベントに舞浜まで行ったとき、出されたドリンクが「cool head」と「warm heart」というカクテルであった(どちらか一杯という決まりであったから、わたしはたしか前者coolのほうを選んだ。あのとき後者を選んでいれば、あるいは「すみません、どうしても両方必要なのです」とどちらもいただいていれば、今日のわたしも少しは変わっていたかもしれない)。一緒に行ったTCのCは、「これ、いつも言ってるよね」とわたしに言った。口外している自覚はなかったが、たしかに心に留めている言葉ではあった。

 cool heads but warm hearts

 この調和が難しい。何せbutという逆接でつなげられている。heart(s)に掛かるのが、coldであったりangryであったりmadであったりoffensiveであったりすれば、cool heads and ...になるであろう。

 理と情が切り離せないとして、どうしても理を使わなければならないとき、そこにいかなる情を付帯させるか―—今後の課題。


@研究室
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by no828 | 2009-09-30 12:10 | 日日 | Comments(0)
2009年 09月 29日

何にしても、何をしても

 今日は蒸す。

 公募の書類を今朝10時過ぎに提出。

 結局昨日は23時過ぎまで研究室で書いては直してを繰り返し、でもどこか納得できず、今朝8時過ぎに研究室に来て最終調整した(本当は7時には来たかったのだが、起きたら腹痛がしてしばらく布団の中で静かにしていた。今「静か」が「静香」と変換されて亀井さんを思い出した。金融担当大臣、大丈夫でしょうか。報道のかぎりだが、ちょっと危うさを覚える)。

 10時には一通り終え、書類たちを封入にして中央郵便局に行く。向かいながら、就職は「水物」だとおっしゃっていた先生の話を思い出した。「頭が良すぎる」という理由で落とされた人を俺は知っている、教員の男女のバランスを取るために条件ぴったりの男性がいたのにもかかわらず女性を採ったという話もある、とか。ひとつのポストに何十人もの人が応募するわけだから、まあ、いろいろあると思う。

 明日の午前中には着くという郵便局員さんの話を聴いて、速達と一般書留で郵送。こういう通信費も結構かかる。

 大学に戻ってきてTAの準備。リソグラフで資料の印刷など。お昼から授業。立ちっぱなし。

 研究室でメイルを確認すると、10月末のTC結婚式の2次会のお知らせあり。会費男性9,000円か……。働いている人が圧倒的に多いわけだから、と思いつつ、ため息が出てしまう。もちろん行きたいわけだが、そのとき、気持ちのすべてがそちらに向かないのは悲しい。行きたいと思ってそちらを向こうとしても、身体半分は現実を見てしまう。何にしても、何をしてもお金がかかるなあ。


@研究室
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by no828 | 2009-09-29 14:26 | 日日 | Comments(0)
2009年 09月 27日

模範的大学院生の日曜日は小論に四苦八苦

 ここのところ本からの引用が続き、それでよいと思っていたのだが、今日は少ししか読めていないし、どの文献から引用すればよいかにまで頭が回らない。

 というわけで、単純な日記。

 午前中より研究室。13時30分から研究会(模範的大学院生だから日曜日にだって研究会をするのだ)。教育の評価をめぐって。16時まで。大学院の同輩後輩たちはその打ち上げということで19時から居酒屋へ。わたしは研究室に居残って公募書類の作成。書きにくいテーマ(いろいろ調べていたが、このテーマの先行研究はないと言ってよいと思う)の小論文に四苦八苦。「研究業績の経緯と概要」(2,000字以内)などを書くのも結構時間がかかる。

 書類は明日中に速達・書留で郵送すべし。


 ああ、「これ」と「あれ」の論文を書きたい。「これ」は8,000字の原稿で、11月20日締め切り。書くことも決まっているし、大体文献も集めたから早く本腰を入れて書き上げたい。「あれ」は20,000字だけれど、あらすじはもうできていて、これから調べるべきことも明らか。文献集めてあらすじがこれでよいのか検討し、早く通して書きたい。

 「こういうことが書きたいんだ」というのが早い段階でわかっているのは久しぶりの感覚だ。書く前から結論まですでにわかってしまっているというような。もちろん書いているうちにいろいろ出てくるわけだが、最後まで見通せているという、何というか、自信溢れる錯覚。
 書きたいことがある、書きたいことを書く、書きたくて仕方がない、早く最後まで書かせてくれよ―—この感覚、ちょっと忘れていたかもしれない。いつの間にか業績を作らなければと思って書いていたのかもしれない。
 そして、ひらめきでは何ともならないという思いも増している。人文社会科学はひらめきじゃないのかもしれない。熟成があってはじめて突き抜けるというか。


 ああ、髪も切りたいのだ、わたしは。

 井上雄彦の映像を見てから、「俺も坊主にしたらあんなふうだろうか」と思うことがあり、「坊主にしようかな」と思ってみたり、「いや、しかしそもそも俺は坊主が似合うのかどうかという問題があるんじゃないか」と思ったりしている。

 ……坊主は止めておいたほうがいいな、たぶん。

 
 そろそろ帰るべし。


@研究室
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by no828 | 2009-09-27 22:01 | 日日 | Comments(0)
2009年 09月 26日

自分を棚上げにしない―—森岡正博『自分と向き合う「知」の方法』

 2007年の2月に読み、かなり背中を押してもらった本。学会に投稿する最初の学術論文を書き終えようしていた頃だ。
 読んだとき「そうだ、よし、これで行こう」と思い、久しぶりに読んでみたら思いのほかわたし自身に血肉化していることがわかった。「これで行こう」でここまで来たのだと思った。
 引用文からは、わたしがこれまで書いてきたことと共振していることがわかるであろうし(影響を受けているのだから当たり前だが)、昨日の『「考える」ための小論文』とも重なっていることがわかるはずだ。

 森岡正博『自分と向き合う「知」の方法』ちくま文庫、筑摩書房、2006年。

 著者は哲学者。単行本は1997年に刊行。1995年のオウム真理教事件(地下鉄サリン事件)を受けて書かれたところが大きい。

「この本には二つのキーワードがある。ひとつは『自分と向き合う』ということ。もうひとつは『自分を棚上げにしない』ということだ。〔……〕
 〔……〕人間の心や生き方を考えるときに、いつまでも『自分を棚上げにした』ままではまずいのではないか、というのがこの本で私がもっとも主張したかったことなのだ。ものごとを考えるときに、『では、この私はどうなのか』『私はいままでどのようにしてきたのか』『私はこれからどのようにしていくつもりなのか』ということを、たえず自分に問いながら進んでいくことが、もっとも大切なことではないだろうか」(11-12頁。強調は引用者、以下同様)。


「〔……〕『自分』というものを、みずからの思想のなかに巻き込む覚悟がなければならない。
 〔……〕対象と自分とをけっして切り離さず、この自分がその対象に実際にどのようにかかわっているのかを、つねに考え続けるような思考方法。〔……〕それは、ものを考えることが、つねにそれを考えている自分自身の生き方へとフィードバックするような、そういう思考方法である。私はそのようなものの考え方のことを『生命学』と呼んできた」(21-22頁)。


 対象と自分を切り離せ、というのが人文社会科学の主流。社会学(の一派)は切り離しの急先鋒。どうもそこには乗れない。

自分を棚上げにせずにものごとを考えていくとは、その『ものごと』を突き詰めることであると同時に、それを突き詰めようとする『自分自身』をもまた突き詰めることなのだ。〔……〕
 つまり、対象となるべき『ものごと』と、それに立ち向かっている『自分自身』とのあいだを、絶えず行き来して螺旋状に思索の輪を深めることが基本となる。
 すなわち、まず、自分が解明したい何かの『問題』を目の前に取り出してきて、それについて考える。そうやって考えを深めていって、あるところまで進んだときに、今度は、視線を百八十度転換して、その問題を考えているところの『この自分』について考えてみるのだ。その問題が気になってしかたがない、この自分とはいったい何者なのか。〔……〕そうやってある程度まで自分のことが分かったとき、今度はふたたび、『問題』それ自体のほうへと思索を移していく。こういう輪を描くような思考の進め方が基本となるのだ」(23-24頁)。


しかしながら、孤独な一人の部屋のなかで、自分自身の過去と現在のありのままの姿を見据えていくのは、とても難しいことである。〔……〕誰かに向かって自分自身を語ることができれば、ずいぶん事情は違ってくる。
 〔……〕自分の深いところにある重いものや澱んだものを、全身で受け止めてくれる他者の存在が、思索それ自体のために必要となる。
 〔……〕
 では、そのような他者がいない場合はどうすればいいのか。〔……〕そのようなときのひとつの方法は、私の語りを受け止めてくれるかもしれない未知の他者に向かって、自分自身を表現していくことだ。それは、文章を書くことであったり、〔……〕芸術表現をしていくことであったり〔……〕する。そういう行為をするなかで、あるものごとへのどうしようもないこだわりをもっている自分自身の歴史と内面の必然性を、謙虚に、そして深く語りだしていくこと。それを受け止めてくれるかもしれない具体的な他者の姿が、いまはまったく見えないとしても、その可能性の暗闇に向かって語りを継続していくこと
」(25-27頁)。


 ここを読み返して不覚にも涙が出そうになった。わたしがこのブログで書いていることの意味は、まさにそこにあるのだと思った。もしかしたら誰かが、もしかしたら誰もいないかもしれないけれど、それでも誰かが受け止めてくれるかもしれないという希望を捨てきれずに、わたしはここに自分を投げ込んでいる。


「〔……〕自分自身のために学ぶには、
 (1)自分の知の可能性を広げることで、自分が生き生きと生きたい
 (2)自分がかかえ込んでいる重い問題に対して、自分自身で決着を付けたい
 という二つの動機が大事なのだ。〔……〕ほんとうは、『自分は何で生きているのだろう』ということを考え、探求していくべきなのではないか。それを探求するための知のエンジンとして、学問や研究に携わっていくべきなのではないか。私はそう思う。
 〔……〕問題意識が鮮明で、シャープであること。これがもっとも大事なことだ。そこがはっきりしていれば、少々ことばの使い方が下手でも人のこころを打つことができるし、他人と深いコミュニケーションをすることができる。借り物の問題意識や、他人から与えられた問題意識ではダメだ。その人自身のこころの奥深くから立ち上がってきた、『意識のねばり』と『体液の臭い』が染みついたような問題意識があること」(43-45頁)。


生き生きとしているというのは、自分がいまやっていることを、自分自身で肯定できているということだ。たしかに苦しいし、しんどいかもしれないけど、いま自分がやっていることはほんとうに自分自身がいちばんやりたいことだし、自分にとっていちばん必要なことなのだと、納得できているということなのだ。そういう納得ができるためには、やっぱり、ほんとうに自分がこだわっているテーマを正面から追究するしかないし、そういう追究を許さない雰囲気の場所からは、はやめに撤退するほうがいい」(47頁)。
「もし、学界のなかで出世したいのだったら、自分を押し殺して滅私奉公すればいい。それはそれで、ひとつの生き方だろう。でも、そういう生き方が何か変だと思うのなら、もう一度この地点にまでさかのぼって、自分のスタンスというものを再確認してみるほうがいい」(48頁)。


個人的な動機から学問をするというと、なにか、それぞれが自分だけの穴を掘っているように聞こえるが、しかし自分自身の問題に向けてどこまでも探求を続けていくうちに、結果的には、みんなが共有することのできる知識やものの考え方に到達することだってあるはずだ。
 〔……〕徹底して個人的な問題をその個人的な問題意識を失わせることなく、しかも同時に多くの人たちが共感できるようなものへと開いてゆくこと、そこにこそ『知』と『学問』の存在意義があるのだ
」(49頁)。



 将来ゼミを持つことになったら、まずはじめにこれを読むことにしたい。そもそもなぜ研究するのか、なぜこの研究テーマなのか、このテーマを選んだ<わたし>は何者なのか、そういうことを最初に考え、そしてずーっと頭の中に置いておくことは絶対に必要なことだとわたしも思う。


@研究室
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by no828 | 2009-09-26 15:26 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2009年 09月 25日

一つには「自分」をつかむため、もう一つは「他者」に考えを伝えるため―—『「考える」ための小論文』

 基本に戻るために。

 西研・森下育彦『「考える」ための小論文』ちくま新書、筑摩書房、1997年。

 西研は哲学者。その本は前にも何冊か読んだことがある。読んでいて「この人は自分の頭で考えているんだなあ」って思ったことを覚えている。

 以下、引用いくつか。

論文とは一人一人が考えていく作業そのものであり、また考えていくプロセスを他者に向けて提示することであって、どこかに模範があるのではない。そして、書くことの原動力となるのは、自分が発見したり納得したりすることの悦びと自由の感覚なのである」(7頁。原文の強調は省略。引用文中の強調はすべて引用者による)。

 最近、これを自覚するようになってきた。

―————

「読者の多くが、論文試験の対策のためにこの本を手にとっていると思う。けれども、論文は試験のために生まれたものではなく、もともと自発的に書かれるものだ。その目的は大きくいって二つ。一つには『自分』をつかむため、もう一つは『他者』に考えを伝えるために、人は論文を書こうとするのである。
 〔……〕
 私たちはなぜ、そんなこと〔=論文を書く目的のひとつ、自問自答〕をするのだろう。それはおそらく、納得できない考えには従いたくない、自分は自分らしく生きたい、と思っているからだ。他人から与えられたままではなくて(私たちのなかに浮かぶ考えの多くが他人の考えのコピーなのだ)、自分でちゃんと考えて納得したい。そのために、私たちは論文を書いて自問自答してみるのである。
 〔……〕
 つまり〔論文を書く目的のもうひとつ、他者とのコミュニケーションにおいて〕論文を書く人がめざすのは、ただの賛同でも賞賛でもなくて、読み手に自分の考え(結論及びそう考える理由)をまっすぐに受けとめてもらうことなのであり、そのことを通じて考えを進めるための助力をもらえるようにすることなのだ。〔……〕
 だから論文は自問自答のプロセスであるだけでなく、他者を巻き込んで互いに応答しあうプロセスでもあるのだ。そうやってともに納得できる考えをつくりあげていこうとすること、これが論文を書くことのいちばん底にある夢であり、ユートピアなのだといってもいいだろう。」(10-14頁)。


―————

「立派な結論を出すことが最終目的ではなく(ついそう考えがちになるけれど)、その結論にいたるまでの思考のプロセスが大切なのである。そして自分なりに発想し考え進めていくプロセスを読み手に『見せる』ことができれば、成功なのである」(19頁)。

 修士論文のとき、わたしは論文を書くってどういうことなんだと悩んだ。研究って何なんだと思った。よくわからないと思い続けた。佳境に差し掛かった頃、自分の考えの道筋だけを書いたレジュメをA4で6枚ぐらいにまとめて先生方の前で発表した。「よくわかった、あなたの言いたいことはよくわかった」と、いつも辛口の先生がおっしゃった。わたしはなぜかよくわからなった。「へ?」と思った。「どうしてわかってくれたんだろう?」と思った。今から振り返れば、それはわたしなりの思考のプロセスをきちんと書いたからだと思うのだ。

―————

 論文には、「感情」ではなく「考え」を書く。だが、両者はまったく別物でもない。

「つまり考えとは、もともとは個人の心の動きから生まれてくるものだが、あえて個人の心の動きからいったん切り離したうえで、『誰でも認めざるを得ないこと』というつもりで主張される事柄をいうのだ。感情は個人の心の動きであるのに対し、考えは普遍性を要求するのである」(23-24頁)。

―————
 
 論文で求められる「オリジナリティ(独自性)」について。

「〔……〕常識の相対化は、論文においても必要なことだ。
 だが、ただ奇抜なことを言いさえすれば独自性が出てくるわけではない。ただ目立とうとするだけの演技が『あざとい』感じがするように、その人のなかでしっかりと考えられた過程がないならば、目立ってやろうという魂胆だけが読み手に伝わってくることになる。
 〔……〕
 では、独自性とはいったいどういうことなのだろうか。たしかに、ある文章を眼にしたとき、ハッとさせられるような個性的な見方やまなざしを感じさせられることがある。つまり、『一人の生きた人間』の存在を感じさせる文章というものがあるのだ。しかしこれは、求めれば得られるというものではない。独自性というものは『めざすべきもの』ではなく、表現の努力をするなかでおのずと出てくるものなのである」(45-46頁)。


 やっぱり自分の中を一回―—と言わず何度でも―—くぐり抜けたことばでないと、他者の中には届かないのだ。これは論文を書く者にかぎらず、表現者全般にあてはまることであろうと思う。「ことば」ではない表現の媒体もたくさんある。他者に何事かを本気で伝えるためには、媒体それ自体、そして、その媒体に託す自分の思いを磨かなければならない。もちろんそうしたからといって伝わるかどうかはわからない。しかし、そうしなければ確実に伝わらないのである。


 こういうことを、卒論ゼミなんかを受け持つようになったらきちんとゼミ生に伝えようと思う。


@研究室
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by no828 | 2009-09-25 21:07 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2009年 09月 24日

それは教育問題か——猪木武徳と越智康詞

 経済の流れを追いたくて読んだ以下の新書。
 
 猪木武徳『戦後世界経済史 自由と平等の視点から』中央公論新社(中公新書)、2009年。

 「自由と平等の視点から」というサブ・タイトルにも惹かれて読んだ(むしろそちらのほうが読んだ理由としては大きいかもしれない)。が、「自由」と「平等」に関する考察はあまり行なわれていない。もちろん、ここでの「自由」と「平等」が、小さな政府 対 大きな政府、政府の失敗 対 市場の失敗、夜警国家 対 福祉国家、(新)自由主義 対 社会主義、のような、対比的な意味合いで使われていることはわかる。しかし、議論の前提として、「自由」と「平等」の原理的な検討があるはずだと(まあ、勝手に)期待していたぶん、「視点」としての物足りなさを感じてしまった。
 とはいえ、ひとりで戦後世界経済史を幅広くレヴューする力量はすごいと思った。

 しかし、結論部分で「結局は人、教育が大切だ」というふうになっているところに引っかかりを覚えた。たしかに筆者は「自由」と「平等」の両方を追求するには、経済のみならず政治の仕組みとして民主主義が機能する必要があると言っており、経済と政治の担い手としての市民や国民といった人間に期待するのはわかる。が、何でもかんでも教育のせいにするな、何でもかんでも教育問題として論じるな、と日頃から思っているわたしとしてはやはり引っかかる。以下、結論部分を長めに引用。

経済的な豊かさの源泉は、自然資源を十分保有しているか否かではなく、その国がいかなる人的な資源を育て上げ、いかなる制度を整えたかによる。〔……〕その意味で、経済学者が教育や人材育成、『制度』の分析に多くのエネルギーを割き始めたことは理由なしとしない。〔……〕
 〔……〕
 デモクラシーの社会では、ひとつひとつの政策課題について、ひとりひとりの判断力が問われている。〔……〕しかし公共の事柄の議論に参加する一般国民、最終的な判断を下す政治家が、すべての事柄について十分な知識を持っているということはフィクションに近い。〔……〕
 つまり民主国家にとって重要なのは、国民が倫理的に善い選択を行い得るためには、まず十分な知識と情報が必要だということである。いい換えれば、難問を適切に選択し処理するための倫理(モラル)を確かなものにするには、知性と情報が不可欠なのである。〔……〕
 先に述べたトクヴィルのアポリア(難問)、すなわち『平等化の進展は自由の侵蝕を生む』という問題は、人的資本の水準の低い国に起こる可能性が大きい。この場合の人的資本は、単に学校教育だけではなく、結社(association)などの中間組織を通して醸成される市民道徳を中心とした『知徳』が重要な構成要素をなす。その意味では、人的資本の蓄積が不十分な(知徳の水準が不十分な)国のデモクラシーは、『全体による全体の支配』を生み出しやすい。
 この議論は、経済的に遅れた国だけを問題にしているのではない。先の暫定的な結論を拡張解釈すれば、日本のような経済の先進国でも、市民文化や国民の教育内容が劣化してゆけば、経済のパフォーマンス自体も瞬く間に貧弱になる危険性を示唆していることになる。知育・徳育を中心とした教育問題こそがこれからの世界経済の最大の課題であることは否定すべくもない」(「むすびにかえて」、365-375頁。強調は引用者、以下同様)。


 ということで、ここを(実ははじめに)読んだわたしは、「結局教育なのか。経済の話じゃなかったのか」と思ったわけだ。また、「『知徳の水準が不十分な』って簡単に言うけれど、その判定は難しい。しかも、知のみならず徳もだから」と思った。もちろん教育が社会の側にとっても個人の側にとっても重要であることは言うまでもない。が、このようにいわば「教育の外部」から掛けられる教育への期待は、かなり強めの圧力へと転じやすい。

 と思いながら、まったくの別件で以下の文章を読んだ。ずばりのことが書いてあるのでこれも引用しておく。

 越智康詞「教育問題」、教育思想史学会(編)『教育思想事典』勁草書房、2000年、178-181頁。

「〔……〕教育は、人々の関心が集中する、結果が曖昧である、無限の可能性があるかに考えられるなどの理由から、見通しが暗く、解決の見出しにくい社会問題の解決の切り札としてしばしば利用されるので、このタイプの教育問題〔=筆者の言葉では「社会問題としての教育問題、教育の外部から教育に課せられる教育問題」〕は、教育に過剰な負担をかける傾向がある。とくに、制度やシステムのレベルで生じている問題を個人の能力やモラルのレベルで解決しようとする規範的な言説は教育への期待を強める傾向がある」(179頁)。

 そのとおり。


@研究室
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by no828 | 2009-09-24 19:19 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2009年 09月 23日

哲学研究者、鸚鵡、精神的奴隷——中村 元『比較思想論』

 中村 元『比較思想論』岩波書店(岩波全書)、1960年。
 ※「元」は「はじめ」。

 著者の専門はインド哲学。

「われわれはいまや一つに融合しようとする世界の中に住んでいるのであるから、この種の比較研究はますます不可欠なのである。しかるに人類の哲学史の諸潮流を綜合せられた一つのものとして考察する試みがわれわれの間ではいまだ欠けているのである。われわれはいまや世界共同体の一員であることを逃れることができないのは、われわれの周囲にある空気の中から脱出することができないのと同様である。それ故に哲学的諸潮流の比較研究ということは非常に重要である」(p. 232)。

「しかしここで『研究する』とはいったい何のことなのだろう。一人の哲学者にうちこんで一生研究していた学者がいたとする。それはかれが鸚鵡のようにその哲学者のことばをくり返していただけではないか。一人の西洋の哲学者に一生を打〔ママ〕ちこんだというと聞えはよいが——(じつは『聞えがよい』という知識人のありかた自体がどうかしているのであるが)——、それはけっきょくその哲学研究者がその仰いだ哲学者の精神的奴隷となっているだけではないか。その哲学者を『研究』するためには、研究者はそのめざしている哲学者とは異質的なものをもっていなければならない。その異質的な要素は多ければ多いほどよい。〔……〕
 もちろんわれわれは一生をかけて一つの原典を刊行し或いは飜訳する学者の努力に対しては深い敬意と感謝を捧げる。その意義を毫も否認するものではない。ただそれらの学者の場合には、その努力はどこまでもフィロロギーの領域にとどまるのであって、『哲学』ではないのである。そうしてひとたび哲学として論ずるという段になれば、広い視野からの反省ということがどうしても必要になって来るのである。
 これはまた西洋の世界観のみを基準として思想研究をしようとすることに対する抗議でもある。〔……〕」(pp. 233-234、原文の傍点は省略。強調は引用者、以下同様)。


 西洋に対する東洋の復権。その方法としての普遍的思想史?

思想そのものは、権威者によって語られたのであっても、市井の凡人によって語られたのであっても、真理性そのものに変りはない」(p. 236)。

 現実には、同じことが言われたとしても、それを誰が言ったかによって響き方が異なってくる。学問の世界なんてその端的な例だと思う。


@研究室
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by no828 | 2009-09-23 19:16 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2009年 09月 22日

他所の国にはプリミティブなままでいてほしいという己の身勝手さ——中谷美紀『インド旅行記3』

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42 (175) 中谷美紀『インド旅行記3 東・西インド編』幻冬舎(幻冬舎文庫)、2006年。


 久しぶりに本。部屋では読み終わった本が20冊ほどレヴューを待っている。

 かなり前に同旅行記の1と2を読んでいた。インドに興味があったので読んでみたが、実はそこまでの感動はなく、ゆえに3が出ていることを知りながらも読んでいなかった。けれど、昨日古本屋に寄ったら3が105円で売られていたので、どうせなら最後まで読むかと買ってみたのであった。

「生まれて初めてインドへ来たときの印象は、街灯の少ない暗い道路沿いに屋台がたくさん並んでいて、車とバイクと人と牛が右往左往していたのに、〔今回は〕空港周辺の道路には街灯がきちんと据えられて見通しはよくなり、名物の野良牛の姿なんて全く見当たらない。
 至るところに転がる牛の糞には辟易していたはずなのに、洗練されすぎたインドに物足りなさを感じてしまうのは、何故?先進国で豊かな暮らしを享受しているくせに、他所の国にはプリミティブなままでいてほしいという己の身勝手さには、つくづく呆れる」(pp. 10-11)。


 「文学の中の国際開発学」。「文学を教育学する」と同じく、将来授業やゼミで使えるのではないか。

「〔コルコタは〕平均所得が安い代わりに物価も安く、『喜びの街』とも言われるが、国境を接しているバングラデシュからの不法滞在者が後をたたず、スラムは拡大し続けているらしい。なるほど路上生活者はとてつもなく多く、インド各地で見受けられる、信号待ちの車に赤ん坊を抱いたスタイルでバクシーシ(施し)を乞うて、手を差し出す人々はおおむねバングラデシュからの移民だったのだ。
 ノーベル文学賞を受賞した詩人タゴール(私は読んだことがない)や、同じくノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン(ってどんなひと?)など、数々の文化人を輩出したコルカタでは映画も作られており、娯楽映画を大量に生産しているムンバイと比較して、その数こそ劣るものの、インド唯一のオスカー受賞者サタジット・レイ監督(またしても知らない)を輩出した街であり、『文化の街』とも言われている」(pp. 25-26)。


 バングラデシュ!アマルティア・セン!で反応したところ。チッタゴンのビルマ(ミャンマー)との国境沿いにしても、バングラデシュの国境周辺で何が起きているのかは知っておきたい。ちなみに、センは貧困論、平等論、分配論などを能力論でもって論じなおした人(と思い切ってまとめてみる)。キーワードは「ケイパビリティ capability」という一種の能力概念(なお、ケイパビリティは「潜在能力」ともっぱら訳されるが、何かちょっと違うとわたしは思う)。

 あれ、比較文学者のガヤトリ・スピヴァクもコルコタ?少なくともウエストベンガル州の出身であったはずだが……。

「1947年の独立以来、コルコタやカリンポンと同じウエストベンガル州に属しているダージリンは、ネパール人などによって独自の文化が築かれており、インドの他の地域と趣を異にしていることから、20年来独立を求め続けてきた。1986年にはダージリンの地方政党が強行手段に出て激しい衝突もあったほどで、この度の〔2005年の〕決議ではまず、今までウエストベンガル経由で配分された年間予算が中央政府から直接支払われることになり、早ければ6年以内に独立州としてグルカランド州を名乗ることが許されるかも知れないとのことで、彼らにとっては物凄い進展なのだとか」(p. 67)。

 知らなかった。独立したというニュースは寡聞にして知らない。

「帰る道すがら、先ほどの女の子がすでにビスケットの袋を持たず、また別のひとに恵みを乞うのを見て、彼女も立派に仕事をしているのだと気づかされた。空腹をしのぐために助けを乞うのではなく、ボロを纏い、哀しそうな表情と、笑顔を巧みに使い分けることが幼い彼女のビジネスなのだ。彼女は金品を受け取り、与える側は彼女の笑顔だけでなく貧しい人間に哀れみの施しをしたという満足感を得る。それでイーブンだ。それが彼女の生き方ならば、それでいいじゃないか」(pp. 71-72)。

 これも「文学の中の国際開発学」だが、わたしは施しをしたことがない。したところで「施しをしたという満足感」なんて得られないと思う。しなくてもそう。施しは、してもしなくても、満足感を得られるものではないとわたしは思う。バクシーシは大それたことではない、慣習だ、深く考えるなと言われればそうかもしれないと思う。また、ビジネスだと言われればそうかもしれないと思いながらも、「それでいいじゃないか」とはわたしには思えない。誰もが物乞いをせずに生きてゆける社会を作る必要がある——

 とは思うものの、「物乞いをせずに生きてゆける社会を作る必要がある」と言った途端に、今物乞いをしている人たちを侮蔑していることにはならないか。今そうである人たちの尊厳を大切にしながらも、そうではない社会のありようを構想する——難しい。何か、わたしが、このわたしが何を言っても空を切ることにしかならない気がする。言葉が届く気がしない。

 それから、物を乞うことと日本における生活保護の違いはどこにあるのかと思う。基本的には、原理的には一緒なのか。対面かどうか、直接かどうかの違い?その違いは大きいとは思う。対面で直接物を乞わなくてもよいように、非対面で間接的な——制度的な生活保護がある、ということか。それも人間の尊厳のため?


@研究室
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by no828 | 2009-09-22 21:57 | 人+本=体 | Comments(0)