思索の森と空の群青

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2009年 10月 31日

自分で自分を説得しようという試み——トルストイ『人生論』

 今日はめずらしく某留学生も研究室に来ている。パソコンの画面を見つめ続けているようだが、そしてたまにキーボードを打っているようだが、一体何をしているのか。ま、まさか、株の売買? 今はクリックひとつでできるというし……。売り時買い時を狙ってクリック! 事実だったらどうしよう……。わたしにも投資してもらおうか。

 73 (206) トルストイ、レフ『人生論』米川和夫 訳、角川文庫、角川書店、1958年。

 下の名前が載っていなかったが、調べてみたら「レフ」のようだ。

 この本でトルストイが言わんとしたことは、たぶん、

 理性によって自我あるいは動物的幸福を否定し、他者のために、全体のために自己を捧げよ、それが愛というものだ

である。The 近代、である。実はこの本を読んだのは、澁澤龍彦『快楽主義の哲学』の前で、「おいおいまるっきり逆のことを言っているじゃないか」と思ったものだ。しかし、「まるっきり逆」のものは一般に裏表のこともあるわけで、本当はつながっているのかもしれないとも思いつつ……いや、トルストイと澁澤においてはそれはないか。

「理性とは人間によって認められている法則で、人生はそれにのっとって完成されなければならない」(64頁)。

「動物的な自我の否定こそ、人間生活の法則である」(92頁)。

「真の愛は個人的幸福を否定し、すてさった結果にほかならない」(140頁)。

 わたしは読み進めながら、「ちょっとこれは危ない思想なんじゃないか、全体主義に容易に絡め取られるぞ」と思った。

「訳者あとがき」より。
「しかし、こうしてこの『人生論』を読むと、自分の思想を世にひろめようというトルストイの意図よりも、むしろ、自分で自分を説得しようという試み、つまり、自分の納得できない人生の不条理になんとか合理的な説明をくわえて、安心立命の境地にたっしようというかれの努力のほうが、いっそう、つよく感じられるのだ」(236頁)。 

 としたとき、わたしにはトルストイの気持ちが伝わってくる。立論を支持するかどうかは別にして、その人を筆に向かわせたものにおいて理解することは可能である。わたしの研究も、わたし自身を納得させるためになされている側面が大いにある。


@研究室
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by no828 | 2009-10-31 19:15 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 10月 31日

引用なしの4冊をばばんと

 よい天気。が、しかし、近くでどったんばったん工事などがあり、朝からうるさい。

 布団を干し、洗濯をし、かなり前に底にひびが入った土鍋(漏れはしない)にお米のとぎ汁を入れて煮立たせて遅ればせながらの修復を試み、さらにはお昼を食べてから研究室に。

 以下、特段の引用箇所はない本の読書記録。改めて思ったが、自分で論文を書くときにも「ここを引用してもらおう」という文章(1文か2文)を意図的に入れておくことが必要かもしれない。ハシモトはこう言っているのだぞ、ということを簡潔に言い表す文章をこれからは心がけて入れ込むようにしよう。

 69 (202) 諸田玲子『お鳥見女房』新潮文庫、新潮社、2005年。
 古本。時代小説。将軍の鷹狩りの下準備(+敵国の視察)をするお鳥見役の女房珠世が主人公。

 70 (203) 諸田玲子『こんちき あくじゃれ瓢六捕物帖』文春文庫、文藝春秋、2007年。
 古本。時代小説。シリーズ第2弾。第1弾『あくじゃれ』はすでに読んだ。

 71 (204) 向田邦子『思い出トランプ』新潮文庫、新潮社、1983年。
 古本。初 向田邦子。短編集。タイトルからは想像できないような(温和なお話かと思っていたよ)、何と言えばよいか、「おそろしさ」のようなものが各編から垣間見える。普通の人の普通の人生の普通の生活の中にあるおそろしさ。

 72 (205) YUKI『GIRLY★BOOGIE MINI』ソニー・マガジンズ、2004年。
 古本。解散(?)したあのバンドの YUKI の文章とイラストと写真。YUKI その人の人気の理由、というよりもそこに反映されているはずの世相を探りに。


@研究室
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by no828 | 2009-10-31 15:16 | 人+本=体 | Comments(2)
2009年 10月 30日

どうして人は自分を愛する異性を愛しかえすことができないのか——小谷野敦『もてない男』

 今日はずっと研究室で文献を読む。書籍部に行って品揃えの悪さを確認し、図書館で借りた本をコピーしてから返却、また新たに別の本を借りる。貸借上限20冊の攻防。

 68 (201) 小谷野敦『もてない男 恋愛論を超えて』ちくま新書、筑摩書房、1999年。

 こちらは5月12日読了分。売買春否定論者の超恋愛論。論の展開はわかりやすくないが、そう思うのはずいぶん前に読んでいるせいかもしれない。一筋縄ではいかないというか。筆者は、たぶん、だけれど、恋愛抜きの消費的なセックスを批判し、だから恋愛欲を擁護するのであるが、しかし恋愛(恋愛は誰しもができるものであり、誰しもがしなければいけないものであるという言説)を絶対視する風潮をも批判し、「恋愛ができる/できない」はその人の人格の評価規準としては妥当しない、というようなことを言っている。筆者の著作をもう1、2冊読めば、きっとよりよく筆者の論旨を理解できるであろうと思う(わかりかけている気はするのだ)。

 以下、これまで引用してきた話とクロスする箇所あり。

—————

「私が〔前著で〕もっぱら考えていたのは、好きな女性から相手にしてもらえない、という男だったのである。女なら誰でもいい、というようなケダモノはどうでもよかったのである。そんな連中は金をためてソープランドにでも行くがいい。
〔……〕
 もっとも私が言いたかったのは、もてないということは別に恥ずべきことではない、ということだった〔……〕。ところで、『男であることの困難』の書評の中に、『もてるというのはただでセックスができるということだ』と規定したものがあったが、私はこの定義を認めない。好きでもない女百人とセックスしてももてるとは言えない、という立場に私は立っている」
(8-9頁。〔〕内は引用者、以下同様)。

—————

「ごく最近になって、ようやく『セックスの相手がいないこと』が問題として前景化されはじめた。私も何事も一応昔に遡っておくことにしているのだが、昭和三十三年まで日本には遊郭というものがあった。〔……〕徳川期の遊郭というのは、単にセックスの相手を提供する場所ではなかった。嫌な話だが、吉原のような格式の高い遊里では、初回、裏、馴染みという形で、客は三度通って初めて女郎と枕を交わすことができたのである。しかも、嫌な相手なら女郎は『振る』つまり部屋へ行かないということができたのである。詳しくは、『五人回し』とか『明烏』のような落語を聞いていただきたい(ちょっと言っておきたいことがある。日本文化について何か言いたい人は、落語を聴かなければいけない。落語を聴く習慣のない人物に日本文化を語る資格はない)。
 要するに、徳川期の遊里では、擬似的な『恋愛』が行われていたのである。ただし、明治初期、娼妓解放令が出たり、廃娼運動が起こったりして、西洋文化の影響で『金で女を買うこと』が恥ずべきことだという思想が主に若い知識人のあいだに広がると、様子は変わってくる。『振る』とかいう制度はなくなり、明治中期から、娼妓は必ず客と同衾することになった。これを、すばらしい遊郭文化の衰退として嘆く人もいるが、私は『近代』の必然だと思う。
 もっともそれは都市部の話だ。農村では、若衆宿や娘宿のような制度があり、『夜這い』もあったりして、十五、六歳で性の営みを覚えるのが普通であった、とされている。
 ただ、そういう『性愛の制度』にも落ちこぼれはいたはずで、金がなかったりあまりに醜男だったしてセックスの相手を見つけることのできない男はいたと思う。
〔……〕
 ただここで私が確認しておきたいのは、徳川期の遊里に『疑似恋愛』の制度があったということで〔……〕ある。〔……〕やはり人格的な交わりを経たのちに交合したいのである。これを私は『恋愛欲』と呼んでおり、性欲より先に恋愛欲がある、と考えている
(62-64頁)。

—————

どうして人は自分を愛する異性を愛しかえすことができないのか。それは、人生が一回限りだからである。仮にパラレル・ワールドのように人がいくつもの生を生きることができたら、(この人生ではこの人を愛しておこうか)と思えるはずだ(87頁)。

—————

「私は違って、第一に知的才能、第二に容貌なのである。この点、『妻を娶らば才長けて見目麗しく情けあり』と歌った与謝野鉄幹に近い。小学生のころ好きだった女の子も、いわゆる『優等生』で、容貌的にはやや劣っていたかもしれない。けれど私は、美人でバカより、少し容貌が劣っても知的才能のある女性を取るのである。これが小学生のことから今に至るまで、基本的に私の理想の女性像である」(93頁)。

—————

「そうじゃないじゃない、最初から下心見え見えで迫ってくるから白けちゃうんじゃない、そうじゃなくて、普通の会話をしながら、フェロモンを感じさせるような、うっとりするような、そんな男になってよ。
 と言われるだろう。それがいわゆる『コミュニケーション・スキル』というやつであり、上野千鶴子はそれを『磨け』と言っている。じゃあどうやって磨くのか、という反論はさて置いて、いったい人間というのは『恋愛コミュニケーション・スキル』を磨かなければいけないのだろうか。そんなものが備わっていなくても、人間として欠陥があるとは言えないのではないか」
(168頁)。

—————

「恋愛は誰にでもできる、という『嘘』が、恋愛のできない者を焦慮に追い立て、ストーカーを生むのである。だから、恋愛を礼賛する者たちに、ストーカーを非難する資格はない。『恋愛なんか愚劣だからやめておけ』と言える者にして初めてストーカーを非難する資格があるのである。これを要するに、資格もないのに人をストーカー呼ばわりして得意がる連中が許せない」(194頁)。

—————


@研究室
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by no828 | 2009-10-30 19:44 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 10月 30日

僕は落語家として生きてゆける——立川談春『赤めだか』

 秋の晴れた朝の光が気持ちのよいこと。今日は暖かくもある。

 67 (200) 立川談春『赤めだか』扶桑社、2008年。

 ブログを始めてから2年ちょっとのあいだに読んだ非学術書がようやく200冊。はじめは書誌情報と一言コメントだけであったのが、いつの間にか引用までするようになった。

 この「人+本=体」という読書記録カテゴリを愉しみにしてくれている人はあまりいないのではないかという思いはある。けれど、もしかしたら読んだ方から何らかの応答があるかもしれないという期待があり、そのときの自分に響いて書き残した言葉を後から振り返ってみるのもおもしろいのではないかという予感があり、そしてこれから願わくば言葉を伝える仕事をするさいに何らかの手助けになるのではないかという目論見もあり、なかなか止められない。

 というわけで6月4日に読み終わっていた落語家・立川談春の自伝、あるいは師匠談志との教えと学びの相関史。落語家だからか、文章にリズムがあってテンポがすごくいい。

—————
 談春が中学卒業間近に寄席に行ったときの談志の話。

「『〔……〕落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。「落語とは人間の業の肯定である」。よく覚えておきな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな』」(12-13頁。強調は引用者、以下同様)。

 このあと高校に入った談春は談志の追っかけをはじめる。

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「玄関で談秋の靴を揃えてから、先に外へ出ようとした僕の背中に談志〔イエモト、とルビ。以下同様〕の怒鳴り声が飛んだ。
『談春!何してやがんだ。馬鹿野郎! どこの世界に弟弟子の靴揃える兄弟子がいるんだ。おい小僧、よく覚えておけよ! 年が下でもお前が兄さんと呼ばれるのはな、お前が後輩に教えられることがあるからだ。形式だけの兄弟子、弟弟子なら、そんなものヤメチマエ! 談秋に聞かれたことは、皆答えられるようにしとけ。そのための努力をしろ。靴なんか揃えてる暇はねェんだ。前座の間はな、どうやったら俺が喜ぶか、それだけ考えてろ。患うほど、気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。本気で惚れてる相手なら死ぬ気で尽くせ。サシで付き合って相手を喜ばせられないような奴が何百人という客を満足させられるわけがねェだろう。談秋、テメェもテメェだ。兄弟子に靴揃えられて黙って履こうとする馬鹿が何処にいる!』
 二人で、申し訳ありませんでした、と謝ったあと外へ出た」
(37-38頁)。

 年が上、職位が上という理由だけで威張り、俺はわたしは先輩だ先生だと言い張っている奴はどうでもよろしいと思う。

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「十分ほどしゃべって、談志〔イエモト〕は云った。
『ま、こんなもんだ。今演〔や〕ったものは覚えんでもいい。テープも録ってないしな。今度は、きちんと一席教えてやる。プロとはこういうもんだということがわかればそれでいい。よく芸は盗むもんだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えた通り覚えればいい。盗めるようになりゃ一人前だ。時間がかかるんだ』」
(64頁。強調は引用者)。

 これはよくわかる。

—————

「『よーし。それでいい。よく覚えた。坊や、お前は何も考えなくていい、そのまま、片っ端から落語を覚えていっちまえ! 良い口調だ。今度は道灌を教えてやる』
〔……〕
 単純と云えば単純だが、天下の立川談志に誉められた十七才の少年の心境を想像してほしい。得意の絶頂である。
 必死に稽古して良かった。自慢じゃないが、浮世根問なら、談志〔イエモト〕がブレスを入れる箇所まで再現できる。この調子だ。事実、談志〔イエモト〕は云った。お前はこのままでいいと……。僕は落語家として生きてゆける。
 後年、酔った談志〔イエモト〕は云った。
『あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ』
 この言葉にどれほど深い意味があるのか今の僕にはわからないのだが、そうかもしれないと思い当たる節はある」
(68-69頁)。

 教育とは何かということを考える。教育は意図を持って相手に何かを伝達しようとしたときに生起するものである。相手にその何かが意図どおりに伝わるかどうかまではわからない。教育が行なわれたからといって学びが駆動するかどうかはわからないのだ。何が学びのスイッチを入れるか、それは学ぶ側の「気持ち」。気持ちに訴えかける何かがなければ学びは起動しない。「誉める」はたしかに学びを起動させることがある。が、いつもではない。この人に誉められたいと思う人から誉められるから嬉しいのであり、もっとがんばろうと思うのだ。「この人に誉められたい」は、しかし誉め続けていれば学ぶ側に勝手に湧き出てくるものでもない。誉める前の何か、一撃がないといけない。

(ところで「道灌」って、足利の太田道灌? 今、偶然にも、北条早雲を描いた司馬遼太郎の『箱根の坂』全3巻を読んでいるのだが、そこに道灌がちらっと出てきた、ような気がする。早雲は道灌を人物として認めていたなあ。と書きつつ、まったく違っていたらどうしよう。)

—————

「翌日、談春〔ボク〕は談志〔イエモト〕と書斎で二人きりになった。突然談志〔イエモト〕が、
『お前に嫉妬とは何かを教えてやる』
と云った。
『己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルを下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う』
(116頁)。

 肝に銘じよう。

—————

 談志の厳しさの中にある優しさがにじみ出てくる本であった。談春は談志を師匠と本気で思い、談志は談春を弟子と本気で思う。その関係性にぐっとくる。


@研究室
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by no828 | 2009-10-30 13:50 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 10月 29日

秋は橙色が美しく映える

 さらに気分転換でスキンを変えてみた。ちょっとだけハロウィンっぽくもある。本当はもっと「っぽい」のがあるのだけれど、地の色と変色させたときの文字が合わなかったり。これまで地が白であったから何でも映えたわけだが、それに色が着くとやっぱり合う色合わない色が出てくる。

 そういえばジョン・ロックは、人間ははじめは真っ白だ、みたいことを言っていた。だから教育が可能なのだと。

 橙色が入ると秋だと思う、というより、秋は橙色が美しく映えると言ったほうがよいか。秋から冬にかけて、橙色が似合う女性は素敵に見える。

 さて。

 17時からの研究会、その後の読書会の連続開催は、終えてみるとやはり疲労度が高いことがわかる。お昼の授業でも、そして研究会でも読書会でも、今日はしゃべりすぎた。しゃべると疲れるね。

 ああ、お腹も空いた。何だか眠い。今日はもう帰るか。授業とかがあると、自分の研究がなかなか進まないなあ。


@研究室
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by no828 | 2009-10-29 21:20 | 日日 | Comments(0)
2009年 10月 29日

子供は可愛がってやれば、皆、親思いになるよ——宇江佐真理『甘露梅』

 晴れ。11月3日はかなり寒くなるらしいと今朝のラジオにて。

 お昼から授業、それが終わってから昼食。今日は17時から研究会、その後さらに読書会。

 66 (199) 宇江佐真理『甘露梅 お針子おとせ吉原春秋』光文社時代小説文庫、光文社、2004年。

 吉原の中で針子として働くことになったおとせさんのお話。

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「吉原に住む女は大門を通行するのに切手と呼ばれる通行証が必要である。遊女の逃亡を防ぐための策であった。遊女以外の女も大門を通行するには切手がいるのだ。四郎兵衛会所の割印を押した半紙型三つ折りの紙片である。切手は五十間茶屋が一括して発行していた。ために五十間茶屋は切手見世とも切手茶屋とも呼ばれる。おとせの切手は奉公している店のお内儀から貰ったものである。三十六のおとせは、どう見ても遊女に見えない。だから会所の若い者は切手など必要ないと、からかうのだ」(9-10頁)。

 吉原についてはいくつかの時代小説を通して少しは知っている。その吉原を通して、わたしは、「自由」とか「自治」とか「権力の外部」とか、そういったことを考える。

 しかし、その自由を守るためには内と外の境界線の管理を強めなければならない、ということも吉原からは浮かび上がってくる。

—————

「『福助さんもようやく落ち着きを取り戻したようですね』
 おとせは袖の閂止めを終えると歯で糸を切った。
『ああ、ようやくね。火事の時は福助を宥めるのに必死で、ろくに自分の物も持ち出せなかったよ』
『でもお内儀さん、あたしはこう思いますよ。着物や帯はまだ買えますけれど、福助さんにもしものことがあったら取り返しがつきませんもの。旦那様とお内儀さんが福助さんを宥めていらしたところは、親子以外の何ものでもありませんでしたよ』
『褒めてくれるのかえ? 嬉しいねえ。あんな子を育ててどうするのだと、さんざ陰口は聞こえていたよ。だけど、あたしも、うちの人も福助のお陰でどれほど慰められているかわからないのさ。うちの人がよそに女を拵えて夫婦仲がうまくゆかなくなった時なんざ、福助は泣きながらうちの人に意見してくれたんだよ。ありがたかったよう……』
 お里の声が湿った。
『どんな子も生まれて無駄な子はおりませんね』
『ああそうさ。子供は可愛がってやれば、皆、親思いになるよ。本当さ』

 お里の言葉は妙に実がこもっていた」
(246-247頁。強調は引用者)。

「子供は可愛がってやれば、皆、親思いになるよ」に反応してしまった。これは純粋に、

 子供を可愛がる あくまでその結果として 子供は親思いになる

なのか。あるいは、

 親思いにさせる ために 子供を可愛がる

をも意味するのか。子供のお陰で慰められている、という文中の言葉からも、慰められているかぎりで子供である、を析出してしまうわたしは、「子供は可愛がってやれば、皆、親思いになるよ」の逆転された論理さえもその含意として読み取ってしまう。

 親にとって子どもって何なのか。親のために子どもは存在するのか。そういうことを考えてしまった。親は、というより、親になる可能性を有する大人は、自分のために、子どもを設けてゆくのであろうか。わたしたちの多くは、なぜ子どもを残したいと思うのか。子どもを介した自己肯定? 生物だから、という答え以外にも、何かありそうな気がする。

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@研究室
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by no828 | 2009-10-29 14:26 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 10月 28日

ぼくらは野蛮人じゃないんだ。イギリス人なんだ——ゴールディング『蠅の王』

 午後から後輩たちの博士論文中間発表会。審査会ではないから院生も発言できるのかと思いきや、できず。不満。不満。を抱えて FD プログラム。模擬授業などを拝見。授業してみるとわかるけれども授業には「わざ」が必要。今のうちから盗んでおくべし。プログラム後、再び研究室に戻り、発表者たちにメイルにてコメントを送る。

 そして食後。研究室でカレーを食べたら室内が加齢カレー臭に包まれる。すまぬ、同室者たちよ。でも、何を食べたかは一嗅瞭然。ときどき、入室したさいに「むむ、これは何を食べた臭いだ。一体何を食べたんだ」と不審に思うことがあるが、それよりはきっとよい。

 65 (198) ゴールディング、ウィリアム『蠅の王』平井正穂(訳)、集英社文庫、集英社、1978年。
(原著は1954年刊。タイトルは Lord of the Flies

 南太平洋の孤島に少年ばかりを乗せた飛行機が不時着して……。楽園と思われた島で行なわれたのは悲惨な殺し合い。ルールとか秩序とか、人間の信頼関係の構築とか、そういうことを考えさせられる。

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「『烽火の番をする、特別な係を作る必要があると思う。いつ船がすぐそこまでこないともかぎらないからね』——と、いいながら、ラーフは、一直線にぴーんと張ったような水平線のほうに向かって腕を振った——『もし烽火をしょっちゅう上げていたら、大人たちがここへ救助にやってきてくれるに違いない。それからもう一つ。もっとたくさんの規則がいると思う。ほら貝のある所には、集会が開かれていると考えなければならない。下の浜辺でだろうと、この山の上でだろうとその点同じだ』
 少年たちは賛成した。〔……〕ジャックは両手を出してほら貝をとり、煤だらけの手でこのたいせつな品物を注意深く抱きかかえ、立ち上がった。
『ぼくはラーフの意見に賛成する。ぼくらは、規則を作ってそれに従わなければならない。つまり、ぼくらは野蛮人じゃないんだ。イギリス人なんだ。そして、イギリス人は何をやっても立派にやれるんだ。だから、やるべきことはきちんと、ぼくらはやらなければならないんだ』」
(65頁。強調は引用者)。

「ぼくらは野蛮人じゃないんだ。イギリス人なんだ。そして、イギリス人は何をやっても立派にやれるんだ」に「ほえー」と思ってしまった。「ここで『イギリス人』か!ここでナショナル・アイデンティティが出てくるのか!」という具合に。自己規定のさいの「ナショナル・アイデンティティ」の強さ。
 おそらく少年たちは「イギリス人」ばかりだから、同一の集団性を意識させるために使われたのだと思うし、そういう意図がジャックになかったとしても、わたしはそういうふうに解釈する。
 けれどもそれ以上にやはり、「イギリス人だから立派にしなければ」という論理がすでに少年たちに内在されていることにわたしは驚く。イギリス人だって変な奴がいっぱいいると思うけれど、そういう人たちはこのときの「何をやっても立派にやれるイギリス人」にはきっと含まれていない。
 それから、原著がないので結論は出せないが、「イギリス人」の範囲が気になる。連合王国 United Kindom の構成員すべて、つまり「グレイトブリテン島および北部アイルランド」の構成員すべてを指して「イギリス人 British」なのか、あるいは主とされるイングランドの構成員、つまりイングランド人のみでもって「イギリス人 English」なのか。あるいは植民地の人たちはどうなるのか……。

 いずれにしても、「イギリス人」って誰なんだよ。

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「『ぼくがいおうとしたのは……たぶん、獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれないということだ』
 『ばかな!』」
(141-142頁)。

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@研究室
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by no828 | 2009-10-28 19:25 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 10月 28日

忘れた後から、学問の本筋は始まるのではないかと自分は思う——内田百閒『百鬼園先生言行録』

 晴れ。ブログのスキンの色を変えてみた。秋らしく、に近付けて。
 
 64 (197) 内田百閒『百鬼園先生言行録 内田百閒集成7』ちくま文庫、筑摩書房、2003年。

 初 内田百閒。「百閒」を「百鬼園」とするのにお洒落を感じる。われわれの周りだと、山本幹事長の ksk がそれに近いか。わたしも何か考えようか……この短時間では思い付かないが。

—————

「暫らくして、また百鬼園氏が云い出した。
『全体、独逸語に限った事ではないが、外国語を習って、六ずかしいなんか云い出す位、下らない不平はない。人間は一つの言葉を知っていれば沢山なのだ。それだけでも勿体ないと思わなければならない。神様の特別の贈物を感謝しなければいかん。その上に慾張って、また別の言葉を覚えようとするのは、神の摂理を無視し、自然の法則に反く一種の反逆である。外国語の学習と云う事は、人間のすべからざる事をするのだ。苦しいのはその罰なのだ。それを覚悟でやらなければ駄目だ』
 百鬼園氏は、腹立ちまぎれに、口から出まかせを述べたてていたら変な方に外れてしまったので、持て余している。
 暫らくすると、また後の方で、別の学生が起った。
『しかし、先生、独逸語はその中でも六ずかしいのではありませんか。何だか不公平な様な気がするんですけれど』と云った。
公平も不公平もあったものじゃない。ただ自分のやろうと思った事を一生懸命にやってれば、それでいいのだ。我我が人間に生まれたのが幸福なのか、不幸なんだか知らないけれど、君が犬でなくて、人間に生まれたのと、君がこうして僕から独逸語を教わっているのと、みんな同じ出鱈目さ。ただその時の廻り合わせに過ぎない。誰だって人間に生まれる資格を主張して生まれたわけでもなく、人間を志願した覚えもない。気がついて見れば人間だって丈の事さ。犬や牛から云わせたら、随分不公平な話だろう。黙って人間になり済ましておいて、その癖、独逸語が六ずかしいから、不公平ですなんか云い出したって、誰が相手にするものか
 今度は学生が彼方此方でくすくす笑い出した。百鬼園氏自身も、自分の云ってる事が、飛んでもない方角に駆け出すので、少少呆れている。しかし真面目腐って、こう附け加えた。
『だから、下らない事を考えないで、僕の云う通りに勉強していればいいのだ。語学は初めが大切だから、今怠けていたら、独逸語は結局ただ諸君の被害妄想となって残るに過ぎないと思う』
 百鬼園氏は、初めから見ると、余程御機嫌がよくなっていた。顔の相好も和らぎ、声の調子も余程穏やかになった。
 すると、また別の学生が起ち上がった。
『先生僕は随分勉強している積りなんですけれど、文法の規則でも単語でも、覚える先から、みんな忘れてしまうのです』
『僕達もそうです』
 と賛成した者があった。
『覚えた事は忘れまいとする下司張った根性がいけないのだ。ただ覚えさえすればいい。忘れる方は努力しなくても、自然に忘れる。忘れる事を恐れたら、何も覚えられやしない。第一、我我がもし忘れる事をしなくても、生まれてからの事をみんな覚えていたら、とっくの昔に気違いになってしまってる』」
(「百鬼園先生言行録」、60-62頁)。

 あはは。

—————
 関連して。

「余り急いで詰め込まれるから忘れると云う風にも考えられる。自分が教師をしていた当時の話でありますが、教師と云うのは独逸語の教師だったのです。独逸語の文典なり、初歩の生徒に向かっては単語なりを無理に覚えさせる。そうしてずんずん進度をゆるめないでやって行く。そうすると、あまり急いで詰め込まれるから忘れてしまう。そう云う様な不平をよく生徒から聞かされた。急いで覚えるから、早く忘れると云う、そう云う事は確かにある様です。
 しかし、ゆっくりやっても忘れる事に変わりはないので、ゆっくりやったから何時までもそれが身になっていると云う事も云われないようです。身になると云う事は忘れないと云う事ではなくて、覚えた事を忘れる、その忘れた後に、身になる、身についたと云う大切なものが残る。忘れた後から、学問の本筋は始まるのではないかと自分は思う。知らないと云う事と、忘れたと云う事とは大変な違いなのであって、知らないと云う事はお話にならない。しかし忘れたと云う事はどうかすると覚えているよりも、もう一段上の境地に到達したとも云われるのであって、物事を教わって覚える、その覚えた事がその儘記憶に残っていると云う順序は大した事ではない。それが篩にかかって、或は押し出されて、はみ出してひとりでに消えてしまう。つまり忘れて行く。その忘れたあとに何が残っているかと云う事は、言葉を以て簡単に説明は出来ないけれども、何も知らないと云う事ではない。忘れたと云う事と、もとから知らなかったと云う事とは大変な違いだと云う事は今申した通りです。
 学問をして色色な知識を吸収する。しかし、随分勉強したけれども、次から次へと忘れるから詰まらない。自分は頭が鈍くて、普通の記憶力がないのか知らなどと云う風に考える必要はないのです」
(「忘却」、244-245頁)。

 大事なことが書かれているような気がする。「学びと身体化」にもかかわること。身体が勝手に動くというのは、この顕著な例であろう。
 「学び『と』身体化」の「と」の意味は、つまり関係性は、「学びとは身体化」なのか「学びにおける身体化」なのか、それはいろいろありうると思う(先日このテーマの論文を読んだ。そこでは「学びとは身体化を通して達成されるものである。昨今の教育ではその身体化抜きの『学び』が跋扈していてけしからん」ということが書かれていた。声に出して読みたい齋藤先生系の議論)。
 が、いずれにせよ、身体にかぎらず自分の中に何が残っているかを見つめなおすことは自分と心地よく付き合う中では大切な所作のように思われるし、その残っているものそれ自体が「自分」ということなのかもしれないとも思われる。

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@研究室
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by no828 | 2009-10-28 12:04 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 10月 27日

学問をやるには、あくどい信念と共に常に謙虚であらねばならぬ——北杜夫『どくとるマンボウ青春記』

 昨日の冷たい雨と打って変わり、気持ちよく晴れわたる火曜日。しかし、風だけがかなり強い。

 63 (196) 北杜夫『どくとるマンボウ青春記』新潮文庫、新潮社、2000年。

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「憧れを知るもののみ、
 わが悩みを知らめ」
(11頁)。

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「終戦から一ヶ月経ち、九月二十日、学校は再開された。私たちは今度こそ勉強を業とする学生として、ヒマラヤ杉の立ち並ぶ校門をくぐり、伝統ある思誠寮に入寮したはずだ。
 しかし、いくらも授業はなかった。半分は旧練兵場を畠にする作業だったり、休講も多かった。教師もまた飢えているのだった。
 毎度の雑炊がだんだんと薄くなっていった。それに箸を立ててみて、箸が立つときは喜ばねばならなかった。そのころ最大の御馳走は、固い飯のカレーライスだったが、それも米ではなく、コーリャンの飯であった。はじめ米とまぜて赤白ダンダラだったものが、ついにコーリャンだけの赤い飯になってしまった。
 食卓には大根などの漬物も出た。四人に一皿で、ちらと見てそこに十四切れあるとすると、なんとか体面を損わず、ごく自然に四切れを食べられないものかと、私は痛切に考えた。大根にはいくらかのビタミンがあろう。そして当時の私たちにとって、『栄養失調』という概念は今の世なら癌に当るのであった。
 まさしく浅ましかったが、この浅ましさはずっと私につきまとった。後年になっても、私がセックスよりも食欲を上位に置くのは、当時のゆるしがたい体験からきている」
(30-31頁)。

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「当時の私の持っていた学業以外の本といえば、いくらかの動植物の本を除いて、他は歌集と詩集ばかりであった。小説などは友人から借りたもの、図書室のものだけを読み、自分では一冊も買わなかった。
 本を入手するのが困難な時代で、いい古本はすこぶる高く、本屋の奥の硝子戸棚などにものものしく飾ってあった。終戦後の秋、ようやく岩波文庫が粗悪な紙で発行されたが、そのころは岩波文庫といえば内容を知らずになんでも手に入れようという客で行列ができたものである。
 いま思いだしても癪にさわるのは、松本の大きな古本屋が、貴重な本、たとえば『善の研究』などには、金のほかに米まで要求したことだ。私は牧野富太郎博士の『日本植物図鑑』がどうしても欲しかった。しかし、この厚い図鑑は金のほかに米三升が必要であった。私は知人のKさんに無理を頼んで、その米を都合して頂いたが、三升の米を本屋に渡すのがどんなに悔しかったことであろう」
(131-132頁)。

 わたしは西田幾多郎の『善の研究』を某ブックオフで105円で買った。時代、だなあ。でも、学問への欲ということで言えば、諸々制限されていたこの時代のほうが、あるいは高かったのかもしれないとも思う。

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「秋となった。そして私は、そろそろ自分の人生の進路を、少なくとも何部へ進むかを決めなければならぬ時期となっていた。
 私が高校の理乙にはいったのは、もとより将来医師になるはずであり、そのことを中学時代からさして疑いもしなかった。
 しかし、二年余の高校生活は私の思考をかなり変えていた。おおむね人は、自分の家の職業がいやになるものである。教師の息子は教師になりたくないと思うし、八百屋の息子は、床屋のほうがまだマシだと考える。その点、世襲を旨とする職業がこの世にはかなりあり、そのため文化財的な芸術も伝わってゆくのだが、そういう家に生れた子供たちは気の毒だとどうしても私は思う
(155頁。強調は引用者、以下同様)。

 世襲というのは、やっぱり引っかかるところだな。

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「人間は社会的生物であり、完全な孤独には堪えがたいが、親子兄弟を含めた他人の存在というのもヤッカイでうるさいものだ。私がイスラム教徒にならぬのは、四人の妻を持つ面倒臭さに堪えられぬからである。
 人間というものは微細な情緒までを伝える言葉をもち、これが素晴らしくかつ面白いものであるが、口というものは閉ざすこともできるのであり、それをのべつまくなしに唇と舌を運動させずんばやまぬ人物があるのが困るので、神さまがわれわれの耳に意志によって蓋のできる弁を作らなかったのは確かに片手落ちといえよう」
(156頁)。

 わたしも意志で耳に蓋ができたらよいと思うことが多々ある。それができないことをもって、わたしは改めて人間とはことごとく受動的な存在であると思うのである。

 なお、文中にある「片手落ち」という言葉は現在では「差別用語」のひとつと見なされることがある。「片手落ち」、つまり「片手がない」をもって物事の欠損や欠落を意味させることは、実際に「片手を持たない」人を侮蔑することになるから、というのがその理由。

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「学問には死んだ学問と生きた学問がある。一見、死んだ学問と見えても、その知識に自己の血が通うことが学識というものである。知識の集積と学問とは別なものだ。しかも、どんな些細なことであれ、人間に関する学問というものは実にまぎらわしい。人間自体がそれだけ複雑怪奇なものだからである。
 よく人は未知な分野にテーマを選ぶことが立派なことだと錯覚しがちだが、すでによくわかっていてなんの問題もないと思われる分野に新しい照明を与えることのできる人のほうが偉大なこともある。わからないことを研究するのは誰だってできるが、わかりきったようなことになお深い謎を見出せるのは選ばれた人たちだ。
〔……〕
 学問をやるには、あくどい信念と共に常に謙虚であらねばならぬ。この双方が新しい疑問をうむのだ
(307-308頁)。

 がんばろ。

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@研究室
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by no828 | 2009-10-27 14:22 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 10月 26日

トルシエちひろ結婚おめでとう!

 土曜日はトルシエとちひろの結婚式で、挙式@乃木坂(乃木神社)、披露宴@乃木坂、2次会@青山、3次会@青山と参加させてもらい、とても楽しく、感慨深い時間を過ごした。

 大学の同期同士の結婚だから、共通の友人が多数参加し、みんなでお祝いをした。「みんなでお祝いをした」とさらりと書くと、何だかありきたりのことのように響くかもしれない。けれど、この「みんなでお祝いをした」にはやはり特別の意味があり、その意味をまさにみんなで共有しながらの1日になったように思う。

 挙式の写真はないのだが(あるにはあるのだが正面からのばかりでふたりの顔が割れてしまうためにここには載せない)、紋付袴のトルシエは凛々しく、ちひろはたいへんに綺麗であった。また、披露宴、2次会、3次会とトルシエは酔いつぶれることなく(少しは酔って崩れてほしかった)しっかりと「新郎」として立ち振る舞い、わたしはそれに気概というか覚悟を感じた。

 ふたりの様子は、「寄り添う」という日本語がぴったりであったように思う。

 以下、披露宴の写真とコメントをば。

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 披露宴待ちのみんなを外から。ピカリングとDPとわたしはテラスにて配合を間違えたと思われるカンパリソーダなどを飲みながら。そこにシュンペーターとまっきーが合流して、「あのふたりが付き合いはじめたのは……」としみじみと振り返った。


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 衣装替え。


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 タケシのネクタイの色が映える。


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 ケーキ入刀。


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 ファースト・バイト、トルシエ→ちひろ。


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 ファースト・バイト、ちひろ→トルシエ。




 その他、披露宴までに気付いた件。

・ やっぱり髪の話になる件。

・ Qにカメラマンの役割が定着してきた件。若干あやしいけれど、頼れるカズも撮影してくれているから安心。

・ まっきーが一回り大きくなっていた件(とくに顔)。幸せ太り。

・ 大きくなったまっきーは羽田から乃木坂に向かう電車で寝過ごして横浜まで行ってしまい、慌てて乃木坂に戻ってきた件。

・ 披露宴司会のオカザキさんが若干残念であった件。まっきーと同じ名字。

・ Qとまっきーは披露宴のお酒で顔が変色していた件。Q→真っ赤、まっきー→青紫(ヨウ素でんぷん反応)。

・ あかりちゃんの名字がアクツに変わっていた件。旦那さまは海上自衛官だそうで、わたしが「『わたしのことを防衛してください』みたいな、あるいは『あなた専属の自衛官になります』みたいな」と言ったら、「何言ってんの」と軽くあしらわれた件。 

・ 青ちゃんは兵庫で麻薬を取り締まっている件。

・ コバ・トモは8時30分に着付けに行った件。

・ ナツミの服がフワフワの件。

・ トルシエとちひろの「はじまり」にわたしがアヒルヒヨコの着ぐるみを着て立ち会っていたことが公然の事実としてさらされた件。写真、映像など、残るものはこわいことを実感。

・ 山本幹事長制作の映像はやっぱり泣かせる件。

・ 山本幹事長自身が結婚するときって「おいおい誰が映像作ったり2次会計画したりするんだよ」という心配が出はじめた件。


 以下、2次会の写真はないが(わたしがビデオ撮影係であったため)、コメントから想像していただきたいと思う。

・ 2次会前から生憎の雨の件。

・ タケシ=司会のイメージが定着してきた件。

・ シュンペーターの乾杯の挨拶が若干長かった件。

・ みき作成、トルシエちひろを理解するための『基礎知識』がおもしろかった件。知らないこともあり、「へえー、そうなんだ」と思うこともいくつか。

・ サカイ・ディレクターに「本当に肉体要らないと思ってんの?」と再確認された件。

・ DJみちこが突如DJっぽいことを(たぶんしなくてもよかったところで)してしまった件。

・ 映像を通して再びわたしがアヒルヒヨコであったことが周知された件。思わず目を背けたら「直視しようよ」だとか「若気の至り」だとか言われた。若気の至りの極地、あるいは若気の至りまくりである。

・「ブーケ・プルズ」のさい、引かれる紐の数のほうが引く人の数よりも多かったため、わたしがビデオを撮りながら1本引いた件。「いつまでもキュートで」とのメッセージが添えられたチャームが当たった。は、はい、わかりました!

・ トルシエのサプライズ企画「ずっと一緒さ」ピアノ演奏が聴かせた件。撮影をしていたわたしは、演奏を聴くちひろにズームした。新郎をまなざすその真剣な瞳には、もしかしたらわたしの見間違いかもしれないけれど、光の反射の問題かもしれないけれど、幾ばくかの泪があったように見受けられた。

・ 最後に「だっ、だっ、だっこちゅーっ、だっだっだっだっだっこちゅーっ」(文字変換たいへん。合っているか不安)コールが起きて成功裏に実践された件。誰がコールし始めたのか、わたくし撮影に成功いたしましたよ!


 以下、3次会。

・ テルが父親になる件。

・ 恒例になっている新郎によるサプライズ企画もそろそろネタが切れてきたのではないかとの心配が表明された件。「そろそろなしかなあ」と言ったら「いやいやいやいや」とテルに返された。

・ こーちゃんのさじ加減で3次会の進行が左右される件。

・ そのこーちゃんから博士課程院生の悲哀が語られた件。胸に響きます。

・ タローが注文など本当によく取り仕切ってくれた件。ありがとう!

・ DPとハナとわたしとで、村上龍のメルマガ「JMM」の話で盛り上がった件。

・ わたしがなぜかハナに「新自由主義」と「教員免許状更新制廃止問題」についてレクチャーした件。

・ もやおに彼女ができた件。

・ みちこが山田になる件。

・ ピカリングへの一気コールが「友愛」であった件。政権交代はこういうところにも影響を及ばすのだ。

・ ただ、「一気」と言っても呑む量(コップに予め注がれる量)はコップに一杯ではなくその4分の1ないし5分の1ぐらいに抑えられるところがわが学類のよいところだと思った件。

・ 3次会が終わってなぜかタロー、もやお、みちこ、しば、わたしの5人で表参道駅に行き、なぜかひとりずつハグをしてお別れした件。流れが思い出せないが、とにかくそういう気分になっていたことは憶えている。


 以上、そういうわけで本当に楽しい1日でした。

 トルシエ、ちひろ、改めて本当におめでとう。そして、ありがとう。また、山本幹事長はじめ主だって裏方の仕事をしてくれた同期のみんなにも、ありがとう。また会おう!


@研究室
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by no828 | 2009-10-26 16:20 | 友人 | Comments(4)