思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
ブログトップ

<   2009年 12月 ( 34 )   > この月の画像一覧


2009年 12月 31日

若者の時代はもう最終的に終ったんだということだな——庄司薫『ぼくの大好きな青髭』

 2009年最後の本、の投稿は明けて2010年1月5日だが、記録上実際に読み終わった2009年12月31日付けでエントリしておく。

 100 (233) 庄司薫『ぼくの大好きな青髭』中公文庫、中央公論社、1980年。

 単行本は1977年刊行。

 意味はよく呑み込めなかったけれど、とりあえず青春を描いていることはわかった。日本の1960年前後からの学生運動・社会運動の激化と1970年代はじめにかけての衰退、あるいは世界規模で起こった1968年以後の社会運動の同時多発、増加、そして安定化——そういったものが念頭に置かれているのかもしれない。あるいはそうしたものへの皮肉? だが、よくはわからない。だから以下の引用も、文脈に即して、ということではなく、単文的に印象に残ったものを挙げる。

 □■で挟まれた箇所が引用。■のあとの数字は頁数。強調および〔〕内は引用者。

—————

 「高橋くん」という若者が自殺を試みたが、病院に担ぎ込まれ、とりあえず一命は取り留めた。しかし、余談は許さない。という状況において、以下。引用文中の「高橋氏」というのは、その「高橋くん」の父親。

「私の頃は戦争でしたからね。〔ママ〕」とやがて高橋氏は大きく深呼吸した。「友達が沢山死にました。おかげでかなりなれたつもりでいるんですが……。」
「でも、」と、シヌへはちょっと口ごもり、それから聞きとれないほど小さな声で言った。「でも、ぼくの友達も、みんななんです。」
「ほう。」高橋氏は、初めて見るようにじっとシヌへに目を注いだ。
「ほんとに死んだのも、死んだのも同然みたいのも、死んだのより悪いのも……。」
「まるで、まだ戦争をやってるみたいですね。」と高橋氏は言った。
「ええ、そうなんです。ほんとにまだ戦争をやってんですよ。そうなんだと思います。」とシヌへが答えた。
「いや、私が言いたいのは……、」と言いかけてから、高橋氏は改めて言い直した。「もしかすると、私が息子に戦わせたのかもしれませんね。昔から、人間が何故子供を作るのかという問いに、自分の人生をもう一度試せるから、という答えがあります。大昔から老人というのは、自分は戦争に出かけず子供たちに戦わせてきた。私も結局そうだったのでしょうか。
■ (140)

 青春の先送り。

—————

ぼくは黙ったまま軽くうなずき、スクラップ・ブックを両腕で抱えるようにして次々とページをめくっていった。〔中略〕
「学生運動のその辺はね、大したことはないんだよ。」と、彼〔=記者〕はぼくの手許を見ながら言った。「同じ若者といってもね、政治的セクトに所属する連中の動きというのは、これはまた専門家が別にいてね、暗号解読家みたいな特殊技術者集団をなしているんだね。それにね、まことに興味深いことだが、われわれシロート、つまりセクトに関する非専門家から眺めるとね、セクトの連中ってのは、なんとも古風でつまらない律儀者みたいに見えてくるんだよ。たとえば、結局のところサラリーマンそっくりに、こうセクトの中でだんだん出世して肩書がついて偉くなっていくなんてわけで、つまらないわけなんだな。
■ (163)

 同感。

—————

「高橋は、あなたを敵だと思っていたわけですか?」と、ぼくは訊ねた。
「ぼくと言うより、この新宿全体を敵の仕掛けた罠だと考えてたんだろうね。」と彼(=記者)はあっさり答えた。
「(え?)」
つまり、高橋くんが最終的に辿りついたらしい見解はね、この世界ってのは、若者の夢とか情熱をエネルギーにして燃えていてね、そしてこの新宿なんてのは、そのエネルギー源になる若者をつかまえるための典型的な罠で、この罠にはまった若者はたちまち細いタキギみたいに燃えつきちゃう、っていうようなことらしかったんだな。」
〔中略〕
「高橋くんによれば、そんなことは許しがたいんだ。つまりそんな、若者をいけにえにして、その夢とか可能性を食い物にして活気を維持しているような世界は許せないってことになるわけだね。
」〔中略〕「まあ、それは確かにそのとおりなんだな。ぼくは若者というのは星によく似ていると思う。すなわち、きみも知っていると思うけれど、星、恒星の運命ってのはその重さによって変わってくるわけだね。つまり、われわれの太陽程度の軽い星だと細く長く燃え続けるけれど、重い星だとそうはいかない。重い星ほど燃え方も早く不安定で、すぐそのエネルギーを使い尽してしまって、そして冷えて縮んでいったかと思うと、今度はその縮んでいく圧力から突然例の超新星の大爆発などを起してふっとんでしまうことになる。若者もそんなところがあるんじゃないか? その抱いている夢が大きく、生きることへの情熱が重いと、その若者は不安定で爆発を起し易い。細く長く安定した運命なんかに甘んじていられない。」
〔中略〕
「ところが、ここからがまあ高橋くんと意見が分れるところなんだが、問題は、星とちがって人間の場合には、星の重さをはかるようにその夢や情熱の重さをはかったりすることはできない、っていうところにあるとぼくは思うわけだ。〔中略〕問題は、ではわれわれ人間は、天才たち以外は激しい大爆発を起してはいけないのか、その人なりの小さな爆発を起す権利はないのか、っていうところにくるわけなんだよ。言いかえると、われわれごく普通の人間は、みんな細く長く燃え続けることしか許されないのかって疑問だね。いや、それ以前にね、われわれ人間の一人一人のその夢や情熱がさ、星の重さをはかるようにはかられて、誰のが重くて誰のは軽いなんて比較されることがそもそも許されるのだろうか? 夢とか情熱というのは、その人間にとってすべてかけがえのない重さを持つもので、その重さを決めるのはその本人以外にはあり得ないし、またあってはいけない、そういうものなのじゃあるまいか?
〔中略〕
「つまり、それぞれの主観的な意味で、その自分自身の夢と情熱を重く背負った若者が、次から次へと新宿にやってくる。そして燃える。時には燃えつきてしまう。確かにこれは事実だよね。でもね、だからといって、それは許しがたいことなのか、となると、ぼくは必ずしもそうは思わないってことになるわけなんだ。分るだろう?」
〔中略〕
「つまりね、ま、新宿に一人の若者がやってくる。彼、または彼女は、もちろんそのそれなりの夢を抱き情熱を胸に秘めていて、そしてその重さをこの現実の中で実際にはかって試そうとしている場合もあるし、ただ自由に憧れてやってきた場合もあるし、逆に何かの束縛から逃れようとしているだけの場合もあるし、また、ただ刺激が欲しかったり、何かいいことがありそうだ、面白そうだ、なんて思ってやってくる場合もあるし、それはそれぞれいろいろだ。ただね、問題をごく絞って言ってしまうとね、きみはその一人の若者を見て、ただちにその重さをはかって、そして言ってやれるかい? きみは重さが足りないから、大爆発したつもりでもただタキギ代りに燃えるだけなんだよ、なんてさ。きみは軽いんだから細く長く燃えなさい、それが身分相応だ、なんてさ。いや、もし重さがはかれないってことを前提にした場合にはね、説明ぬきで、とにかく早くおうちに帰っておとなしく寝なさい、それが身のためだ、って言ってやる他ないわけだな。そして、どうしてそんなこと言うのかってきかれたら、しようがない、お巡りさんみたいにさ、新宿は危険だし罠がいっぱいあるよなんて答える……」
〔中略〕
「つまりね、問題は他にあると思うんだね。こちらからの全く一方的な言い方をすればね、要するにわれわれは、こりもせずに若者の夢と情熱に期待し続けた。そこにすべての問題があったと思うわけなんだ。」
〔中略〕
要するにね、少くともぼくが生きている間でのことだろうがね、若者の時代はもう最終的に終ったんだということだな。」と彼はあっさり続けた。「なんていうのかな、要するに若者がね、その青春という限られた時期に短期決戦で世界を動かすという種類の試みが、このたった今、最終的に敗北しつつある、ということなんだろうね。
■ (164-73)。

—————

 1968年って何であったのか、という疑問がある。あるいは学生運動全般にまで広げてもいい。あの時代のあの情熱、というより、熱情は何であったのか。学生運動に従事した人びとも、あるいは“結局どうにもならない”と思って、普通に就職し、昇進し、定年退職を迎える。大学の教員もまたしかり。わたしはそこに“暴れるだけ暴れてやっぱり無理でした、わたしたちは普通に生きていきます”というメッセージを読み取ってしまう。だからこそ、“やっぱり無理なんですね。結局無理なら何もしないでおきましょう”とも思う。あの年代にしっかりと決着を付けてほしい。それは次代の若者へと先送りされてよいものではないと思う。


@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-31 18:09 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 12月 29日

左肩が痛いなあと思いながらこのタイトルを打つのははじめてのことかもしれない

 肩が痛い。とくに左肩から首にかけて。凝り固まっているような。同じ姿勢のまま長い時間過ごすとこういうことになる。うげげ。

 読書。100冊目が読み終わっていないが、明日と明後日で読み終えることができるであろう。だが、その記録をここに書くのは年明けになると思われる。というのも、明日から帰省する実家にはインターネット環境が整っていないから。

 明日以降は携帯電話からエントリしたいと思うけれど、小さなボタンをかちかちするのは苦手なので、もしかしたらこれが年内最後のエントリになるかもしれない。

 “ある年が終わり、別の年がはじまる、だから何なんだ”という気がしなくもない。忘年会があり、たのしくわいわいお酒を呑むことは好きだけれど、別にその年のことを忘れなくてもいいし、忘れたくないこともあろうと思う。だが、たしかにひとつの区切りにはなる。それを活用する必要があれば活用すればよい。

 年末年始は家族と親戚に会う時節である。それはやはりよいことであるとわたしは思う。近代主義的であり、保守主義的でもあるけれど、“家族や親戚って一体何だ”と思えば、それは“これまでわたしのことを大切にしてきてくれた人たち”ということになり、そういう人たちに会うことは温かなことであるようにわたしには感じられる(わたしが温かくなりたいだけかもしれない。わたしはそれを否定しない)。“家族や親戚なんて制度が構築されたのは近代だ”は事実であり、“家族や親戚を価値として持ち出すのは保守主義者だ”も事実であるが、“わたしは家族や親戚を大切だと思う”も事実だ。

 何を書きたいのかよくわかっていないのだが(いつものことだ)、えーと、えーと……これ以上はたぶんない。


 いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。


@研究室 
[PR]

by no828 | 2009-12-29 19:47 | 日日 | Comments(0)
2009年 12月 29日

私のうちに暗く隠れている目標を摘出して自分の前に描き出すことができなかった——ヘッセ『デミアン』

 よい天気。

99 (232) ヘッセ『デミアン——エーミール・シンクレールの青春の物語』高橋健二訳、新潮文庫、新潮社、1951年。

 近代の青春。

 引用文は□と■で挟む。最後の数字は頁数。引用文中の〔〕内と強調は引用者。

—————
「はしがき」より。

しかし、すべての人間は、彼自身であるばかりでなく、一度きりの、まったく特殊な、だれの場合にも世界のさまざまな現象が、ただ一度だけ二度とはないしかたで交錯するところの、重要な、顕著な点なのだ。だから、すべての人間の物語は、重要で不滅で神聖なのだ。だから、すべての人間は、とにかく生きていて、自然の意志を実現しているかぎり、驚きと注目とに値する。すべての人の中で、精神が形となり、生物が悩み、救世主がはりつけにされているのだ。■ (8)

しかし、各人みな、人間に向かっての自然の一投である。われわれすべてのものの出所、すなわち母は共通である。われわれはみんな同じ深淵から出ているのだ。しかし、みんな、その深みからの一つの試みとして一投として、自己の目標に向かって努力している。われわれはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。■ (9)

 本のエッセンスはここから取り出すことができる。現在では、最後の文は「めいめいは自分自身にも解き明かすことができない」とすべきであろうとは思うが、しかし「自分」とは、「自己」とは、という問いの連鎖こそが、サブ・タイトルにあるように「青春の物語」なのであり、それは実は10代のうちに回答が得られるものでもない。当時——『デミアン』の出版は1919年——は10代のうちに回答すべきものであったのかもしれないが、「自分」や「自己」の絶えざる再規定、あるいは刷新は、おそらく死ぬまで続くのであり、その意味で「青春」とは一生ものであるように思われる。

 ともあれ、ここの文章から、ハイデガーとかサルトルとかが想起された。“大陸の思想”と一括するのも乱暴だけれど、大陸と英国と米国の思想の違いが最近ぐわっとわかってきた。
 
—————

翌年には私は高等中学を出て、大学にはいるはずだったが、どこにはいってなにをやるかはまだわからなかった。〔略〕毎日私は反抗した。おそらく自分は狂っているのか、ほかの人たちとは違うのか、と私はたびたび考えた。しかし、ほかの人たちのすることは、私にはなんでもできた。わずかの勉強と努力でプラトンを読むことも、三角の問題を解くことも、化学の分析にくっついて行くこともできた。ただ一つのことだけができなかった。それは私のうちに暗く隠れている目標を摘出して、どこか自分の前に描き出すことだった。〔中略〕
 私は、自分の中からひとりで出て来ようとしたところのものを、生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難であったのか。
■ (126-7)

—————

そのつぎに会ったとき、オルガン奏者は私に一つの説明をした。
「ぼくたちは自分の人格の限界をいつもあまり狭く限りすぎる。個人的に区別され異なっていると認めるものだけを、ぼくたちは常に自分の個人的存在の勘定に入れる。ところが、ぼくたちは、ぼくたちのだれもが、世界に存続するすべてのものから成り立っている。ぼくたちのからだが、魚まで、否、もっとさかのぼった所までの発展の系図を内に蔵しているように、ぼくたちは魂の中に、かつて人間の魂の中に生きたことのあるいっさいのものを持っているのだ。〔略〕」
「それはそうだとしても」と、私は異議をはさんだ。「それじゃ、個人の価値はどこにあるんですか。ぼくたちの中にすべてがもうできあがっているとしたら、なぜぼくたちは努力するんですか」
「待った!」とピストーリウスは激しく叫んだ。「きみが世界を単に自分の中に持っているかどうかということと、きみがそれを実際知っているかどうかということとは、たいへんな違いだ。〔略〕」
■ (140)

—————

「われわれの見る事物は」と、ピストーリウスは小声で言った。「われわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独特の世界をぜんぜん発言〔ママ〕させないから、きわめて非現実的に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。シンクレール、大多数の人々の道はらくで、ぼくたちの道は苦しい。——しかしぼくたちは進もう」■ (149)

—————
 高橋健二の「解説」より

『デミアン』は、自己を求める人間の物語として、そのできごとはほとんどまったく心の中で演じられているといってよい。その意味では、この書にこそ「内面への道」という題目が冠せられるにふさわしいであろう。彼の考えをつきつめると、彼の第二の故郷なるスイスの大教育家ペスタロッツィのそれに帰するであろう。
「なんじがあるところのいっさい、なんじが意志するところのいっさい、なんじがしなければならぬところのいっさいは、自分自身から出発する」とペスタロッツィは言っている。その「おのれに帰れ」というのが、同じくスイス生まれの大思想家ルソーのモットー「自然に帰れ」とともに、ヘッセの思想のキイノートである。
■ (223)

 教育思想史と重ねての説明は、たいへんによくわかる。

—————

 これも高校生から大学1、2年生にかけて読んでおくべき本。

@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-29 15:37 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 12月 28日

フロイト先生の出番かもしれない

 大学は今日でいわゆる“御用納め”。図書館はすでに26日(土)で閉館。

 このように、たしかに周りから制度的に年末年始を意識させるような動きがあるのだが、個人的にはまったくそういった感じがしない。

 “えっ、そうなの?”ぐらいのものである。

 というのも、投稿論文のことで頭が稼働中だから。昨夜は論文のことが夢に出てきた。というか、夢でも考えていた。こんなことは修士論文のとき以来かもしれない。“夢で考えたこと”と“覚醒時に考えたこと”との区別が付かなくなってきている。枕の隣にメモ帳を置いておくようにしよう。

 昨夜はそのせいか、寝ているときに汗をたくさんかいた。


 予定では30日に帰省します。


@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-28 21:15 | 日日 | Comments(0)
2009年 12月 27日

誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ——岡本敏子編『芸術は爆発だ! 』

c0131823_1542918.jpg98 (231) 岡本敏子編『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』小学館文庫、小学館、1999年。

版元 → 


 昨日今日と晴れ。

 岡本太郎の本は、これまで『自分の中に毒を持て』や『沖縄文化論』を読んできた。『自分の中に〜』はかなり衝撃を受けた。自分の内側から何かが沸々と湧き上がってくる。

 で、『芸術は爆発だ!』は昨年6月1日に川崎の岡本太郎美術館で買った本(とこの本に記録してある)。はじめのほうを少しだけ読んで長らく放置していた。当時はこの本をそこまで求めていなかったのかもしれない。本にも旬というか、読むタイミングがある。

 編者は岡本太郎の元秘書、のち養女。太郎の言葉を伝える1冊。

 なお、本の性格上、太郎の著作からの孫引きになる箇所も出てくる。そのさいはご容赦を。また、今回は地の文に「」と『』が併用されており、それをさらに引用するさいに「」という引用符を付けるとうるさくなるので、ここでは□と■で区切ってその文章が引用であることを示す。最後の数字は頁数、〔〕内と強調は引用者。

—————

彼はこう言っていた。
「教育、と一口に言うが、教えることと育てることはまったく別なんだ。
 教えることは教えていい。だが育つものの伸びる意志、誇りを潰してしまっては何にもならない。植物だって、動物だって、自分で育つんだ。だからこそ誇らかに、逞しい。
 生命の尊厳なんて、いかめしいことを言わなくても、草っ原の中にヒョロッと生えている弱々しい一本の雑草だって、天地の精気を集めたように、小さい、だが美しい花をつける。どんな大宮殿にも負けないほど、誇らしい。
 それが、いのち。自分で育ち、自分でひらくんだ。
 教育がそれを潰してはいけない。『お前はなぜ青いんだ』とか、『お前の花びらのつき方は間違っている』とか。
 とんでもないことだ。とかく教育者はそういう干渉をしたり、矯正することが教育の使命のように思いあがって、精一杯伸びようとする生命力、その尊厳を抑えつけようとする。それは絶対に良くないね
■ (48-9)

—————

亡くなった中央公論社社長・島中鵬二さんの奥さんである雅子さん。今はあとを継いで、新社に切り替える大英断を取り仕切り、立派に社長業をつとめておられるが、この御夫妻とは昔よくパーティなどで一緒したり、食事の会があったりで、お会いした。雅子夫人はこんなことを言っていた。
「パーティなど大勢のなかでお会いすると、岡本先生はちょっと会釈するくらいでそっけないのよ。ああ、私のことなんか忘れていらっしゃるんだわ、と思って御遠慮していると、そのうちにヒョイと——『あのとき貴女がこう言ったけど、あれは面白かったね』とか、『ぼくならこう言いたいな』とか、それが他の人がいろいろ親しそうにうやうやしく声をかけて下さるのと全然違う、ウィットのある言い方で、印象的なのよ。あら、覚えていて下さるんだわ、それも随分昔のことなのに、あんなにくっきりと。とても嬉しくなってしまうの。あれはわざとなのか、自然なのか、独特ねえ」
■ (131-2)

—————

どんなことを言っても、それが自分の本当に感じているナマナマしいものとズレているように感じる。
 言葉はすべて自分以前にすでに作られたものだし、純粋で、ほんとうの感情はなかなかそれにぴったりあうはずはない。
(『自分の中に毒をも〔ママ〕て』) 
■ (144)

 一度読んでいるはずなのだが、今回初読のようにすとんと来た。

—————

孤独とは決して狭くとざしてはならない、いや、とざされたものではないと彼は信じていた。人間全体の運命を背負い込む。逃げない。挑む。
 熱くて、とんがっていて、けっして扱いやすい存在にはならない。妥協して愛されようとしたら、スジは貫けないからだ。
 岡本太郎はそういう人間であった。
■ (162)

—————

太陽の塔はあの万博のとき、いろいろと批判されたものだ。あんなわけのわからないものをつくるなんて、あれはどういう意味なんだ、などと。
 しかし岡本太郎は、「意味なんかあるもんか。わからんところがいいんだ。わかってしまっては頭に何も残らない」と言っていた。
「なんだ、これは!」と、判断を超えて、ぐーんと打ってくるものだけが心に残るのかもしれない。
〔中略〕
 彼は言っていた。
芸術ってのは判断を超えて、『なんだ、これは!』というものだけが本物なんだ。『ああ、いいですね』なんてのは『どうでもいいですね』ってことだよ」
■ (185-6)

—————

その年、甲子園球場が建て替えられて、壮大な観客席がお目見えしていた。当時、それだけの巨大建造物は他にはなかったらしい。特派員記者としてダッグアウトまで自由に出入りできた親父〔=岡本一平〕にくっついて、グラウンドの底から見上げた太郎は息を呑んだ。
 大正時代、関西のおっさんたちは揃って白い縮みのシャツにステテコだった。スタンドは白一色、それがまるで空まで届くようなスケールでそびえ立っている。
「わぁー。凄い。まるでアルプスみたいだね」
 一平はさすが鋭い。
「うむ。それは面白い。貰ったぞ」
 その日、岡本一平の甲子園球場報告に「まるでアルプスみたいだ」という言葉が載った。それが印象的だったのだろう。アルプス・スタンドという言葉が、そこから定着したのだ。
■ (229-30)

 へぇー。

—————
誤解される人の姿は美しい。
 人は誤解を恐れる、だが本当に生きる者は当然誤解される。誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ。誤解の満艦飾となって、誇らかに華やぐべきだ
■ (238)

彼はこう言っていた。
誰でも、『誤解されたくない』と言うだろう。『私はそんな人間じゃありません』なんて憤然としたり、『あいつはオレを誤解している』と恨みがましくめそめそしたり。
 だけど、じゃあ自分の知っている自分って、いったい何なんだい? どれだけ自分が解っている?
 せいぜい、自分をこう見てもらいたいという、願望のイメージなんだよ。そんなものは叩きつぶしてしまわなければ、社会とは闘えない。
 自分がどう見られているかじゃなくて、自分はこれをやりたい。やる。やりたいこと、やったことが自分なんだ
■ (240-1)

—————

 “尊敬する人は誰か”と訊かれると困っていた。“「両親です」と「自分です」はダメだ”と、「発想源」というメール・マガジンに書かれていた。
 たしかにそれだとおもしろくない。だが他にいるわけでもない。強いて挙げれば“未来の自分”。でもそれもあまりおもしろくない。
 全人的に尊敬できるということがない。“この人はここがすごい”、“あの人はここだ”、そういうものを断片的にでもいいから集めてきて、“未来の自分”に肉付けする。“そういうふうにあれるように励もう”、そう思ってきた。

 しかし、改めて岡本太郎の言葉を読んで、“岡本太郎です”って答えられるかもしれないと思った。だが、まだまだ知らない。知りたいと思った。


@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-27 16:38 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 12月 26日

みんなで一緒に何かをする

 昨夜は小田和正の「クリスマスの約束」を観てしまった。0時から2時頃まで。“もっと早い時間帯の放送求む”と、途中で止めて寝ようかとも思っていたが、最後まで観てしまった。

 歌手が代わるがわる自分の歌の一部を歌いつないだ22分50秒のメドレーがとても愉しそう。

 “みんなで一緒に何かをする”ことの愉しさが全面に出ていたように感じられた。

 研究者は、しかし“みんなで何かをする”ことはほとんどない。共同研究はあるが、みんながそれぞれある時間ある空間に自分を投げ込み、その体験自体をみんなで共有しながら何かを成し遂げるという体験をすることはおそらくない。

 うーん。

 でも、研究会などで議論して、ぐわぁーっとある1点に向かっていくような、そういうことはあるかもなあ。

 あとは、集まった歌手はそれぞれ自分の足で立って歌っている人たちで、つまり一流の人たちで、だから集まって歌うことに意義があるのかもしれない、聴く人に感動を与えられるのかもしれない、歌う者同士でわかりあえるのかもしれない、ということも考える。もたれあわずにみんなで成し遂げることは、実は簡単なことではないのかもしれない。

 そんなことも考えながら。

 番組が進むにつれて何だか目が醒めてきて、だから番組が終わってもすぐに眠ることができなかった。3時頃まで論文のことをあれこれ。

 今朝は10時起床。比較的連続的にぐっすり眠ることができた。

 午後から研究室。

 某体芸図書館まで歩いて本を借りに行く。その帰り道、ついでにかなり久しぶりに書籍部に行ったら、本棚の配置が少し変わっていた。



@研究室 
[PR]

by no828 | 2009-12-26 19:47 | 日日 | Comments(0)
2009年 12月 25日

although, as usual

 昨夜はいつものように21時過ぎまで研究室にて研究活動。

 と書いてちょっと悔しくなる。わたしはなぜ“いつものように”と書いたのか。

 昨日が普通の日であるならば、“いつものように”研究をしていたなどとは書かない。“いつものように”研究することがいつもの日々だからである。慣習化されたことをわざわざ特徴付けることを普通はしない。

 わざわざ“いつものように”と書いたのは、昨日がクリスマス・イヴであったからだ。これは疑いようがない。“いつものように”という断りを差し挟むのは、その文章が厳密には“クリスマス・イヴである、にもかかわらず、いつものように研究をしていた”と表現されるべきものであることを意味する。

 普通の日A に 習慣的にすることB を問題なく遂行したときに、われわれは“AだからBをした”などとわざわざ言明しない。われわれがわざわざ言明したくなるのは、以下のパターンである。

(1) 普通の日A に 習慣的にすることB を何らかの理由で遂行しなかった/できなかった場合

(2) 普通の日A に 習慣的にすることB に加え/をせずに 習慣的にしないことCを遂行した場合

(3) 普通ではない日X に 習慣的にすることB を普通どおり遂行し(てしまっ)た場合

(4) 普通ではない日X に 習慣的にしないことC を“今日は特別だからな”と遂行した場合

 以上。今回のわたしは(3)にあてはまる。
 
 わたしが世間の趨勢を意識していなければ、あるいは世間から離れて研究に専心していたならば、“いつものように”を日記中の文章に介在させることはしなかったはずである。

 あまい! 喝!

 と思いながらも、ラジオからクリスマス・ソングが流れてきたりしたら、実はちょっとうきうきしてもいたのであり、そんな時節もあってよいような気がするのである。クリスマスって、何か温かい感じがするからね。


 ということとはあまり関係ないが、スキンを元のものに戻してみた。


@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-25 16:48 | 日日 | Comments(0)
2009年 12月 24日

仏様が、待っとりましたて。突っ立っとらんで、拝んでいきなはらんですか——石牟礼道子『苦海浄土』

 非専門書、あと3冊で今年100冊。行けるかなあ……。

 97 (230) 石牟礼道子『新装版 苦海浄土——わが水俣病』講談社文庫、講談社、2004年。

 この本は、ドキュメンタリー、というわけではなさそうだが、著者にとっての——まさにサブ・タイトルが表すように——水俣病のリアルな記録であり、ノンフィクションである。

 読んでおくべき本、知っておくべきことと言ってよい。

—————

「胎児性水俣病の発生地域は、水俣病発生地域を正確に追い、『神の川』の先部落、鹿児島県出水市米ノ津町から、熊本県水俣市に入り芦北郡田浦におよんだのである。誕生日が来ても、二年目が来ても、子どもたちは歩くことはおろか、這うことも、しゃべることも、箸を握って食べることもできなかった。ときどき正体不明の痙攣やひきつけを起こすのである。魚を食べたこともない乳幼児が、水俣病だとは母親たちも思いあたるはずもなく、診定をうけるまで、市内の病院をまわり歩き、その治療費のため、舟や漁具を売り払って借財をこしらえたりした。
 四年たち、五年たちするうちに、子どもたちはやむをえず、村道の奥の家々に、一日の大半をひとりで寝ころがされたまま、枕元を走りまわる猫の親子や、舟虫や、家の外で働く肉親の気配を全身で感じながら暮らしてきたのである。

 いくらか這いまわったり、なまじよろりと立つことのできる子の方がむしろ、配慮を要した。
 コタツやイロリの火の中に落ちこんだり、あがり框から転げ落ちたりせぬよう、そこらを這ったり立ったりできるほどのゆるみを与えられて、背負い帯などで、柱に、皮脂のうすいおなかをつないでおかねばならない。〔……〕コタツに落ちても、おおかたの子が助けを呼ぶことはできないのである。
 この子たち〔……〕は、自分が生まれもつかぬ胎児性水俣病であることを、まったく自覚することもできないのである。しかし、兄弟が学校にゆき、親たちが漁や畠に出はらい、がらんとした家の内に、ひとりで柱と体を結びあって暮らさねばならぬことは、子どもたちにとって本意ないことである。
 ひとりで何年も寝ころがされている子どもたちのまなざしは、どのように思惟的な眸よりもさらに透視的であり、十歳そこそこの生活感情の中で孤独、孤絶こそもっとも深く培われた
のであり、だからこの子たちが〔検診を受けるために病院行きの〕バスに乗り、その貌が一途に家の外の空にむけてかがやくとしても不思議ではなかった。洗い立てのおしめを当ててもらい、着物を着かえさせてもらい、肉親の腕に抱きとられる間に、子どもたちはもうバスに乗りにゆくことを、孤独な家の中から外へ出ることを感じ出す。ほぼ十歳前後といっても彼らは例外なく赤んぼのようにあどけなく、バスに乗って病院にゆく、つまり、彼らの家の中よりも異なった『社会』にふれるということへの期待を(もちろん不安とともに)全身であらわしていた」
(23-4.原文の傍点は省略、〔〕内および強調は引用者、以下同様)。

—————

「軽度とおもわれる言語、聴覚障害患者たちに、医師は、たとえば、
『コンスタンチノーブル、といってごらんなさい』
 という。そしてくり返す。
 意識も、情感も、知性も、人並以上に冴えわたっているのに、五体が絶対にスローテンポでしか動かせぬようになったひとりの青年の表情に、さっと赤みが走り、彼は鬱屈したいいようのない屈辱に顔をひきゆがめる。
 しかし彼は、間のびし、故障したテープレコーダーのように、
 ——コン・ツ・タンツ・ノーバ・ロ——
 というように答えるのだ。<ながくひっぱるような、あまえるような声>で。
 何年間、彼はそうやって、種々の検査に答え、耐えて来たことであろうか。そしてまたほかに、どう答えようがあろうか。
『先生方』が問い、彼が答えるという、二呼吸くらいの時間が、彼にとってどれほど集約された全生活の量であることか。青年は、その青年期の——それは全生活的に水俣病を背負ってきた時間の圧縮である青年期の——すべてを瞬時に否定したり、肯定しようとしたりして、彼の表情はみるみる引き裂かれ、そのことに耐えようとし、やがて彼の言葉はこわれて発声、発語されてくるのである。そのような体で彼はほとんど一人前と思われるほどの漁師であり、彼が入院しないのは、十人家族の大黒柱であるからであった。先生方は、患者との間にあるこんな二呼吸ぐらいの時間を越えて、患者の心理の内側に入っていって、そちら側から調べるということはできないのだった。それはきわめてあたりまえのことであった。
『今度は、サンビャクサンジュウサン、といってごらんなさい。サンビャクサンジュウサン、と』」
(56-7)。

—————

——水俣病のなんの、そげん見苦しか病気に、なんで俺がかかるか。
 彼はいつもそういっていたのだった。彼にとって水俣病などというものは、ありうべからざることであり、実際それはありうべからざることであり、見苦しいという彼の言葉は、水俣病事件への、この事件を創り出し、隠蔽し、無視し、忘れ去らせようとし、忘れつつある側が負わねばならぬ道義を、そちらの側が棄て去ってかえりみない道義を、そのことによって死につつある無名の人間が、背負って放ったひとことであった
(76)。

 こうした文章を読んだときに湧き上がる感情をわたしはうまく文章にできない。

—————
 水銀を海へと流した新日本窒素(日窒)水俣工場があったからこそ水俣という街は保った、という側面は否定されないようである。地元の保守派は工場を誘致し、それによって水俣の産業が栄えるようになったことを誇りともしてきたらしい。だから、日窒側は被害者側に対して強く出ることができたのだし、被害者側からの抵抗が強まったとき、工場撤退(≒水俣衰退)という「威し」をかけることもできたということのようである。

「出月部落、茨木妙子、次徳姉弟の家。両親は急性劇症型、慢性刺激型で初期に死亡した。次徳氏の病状を抱えて姉妙子さんは嫁にもゆきそこねた。土方仕事を休んで弟と二人、彼女は社長の来訪を待っていた。
『よう来てくれはりましたな。待っとりましたばい、十五年間!』
 まず彼女はそう挨拶した。
 秋の日照雨が降り出した。
『今日はあやまりにきてくれなったげなですな。
 あやまるちゅうその口であんたたち、会社ばよそに持ってゆくちゅうたげな。今すぐたったいま、持っていってもらいまっしゅ。ようもようも、水俣の人間にこの上威しを嚙ませなはりました。あのよな恐ろしか人間殺す毒ば作りだす機械全部、水銀も全部、針金ひとすじ釘一本、水俣に残らんごと、地ながら持っていってもらいまっしょ。東京あたりにでも大阪あたりにでも。
 水俣が潰るるか潰れんか。天草でも長島でも、まだからいもや麦食うて生きとるばい。麦食うて生きてきた者の子孫ですばいわたしどもは。親ば死なせてしもうてからは、親ば死なせるまでの貧乏は辛かったが、自分たちだけの貧乏はいっちょも困りゃせん。会社あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。会社あって生まれた人間なら、会社から生まれたその人間たちも、全部連れていってもらいまっしゅ。会社の廃液じゃ死んだが、麦とからいも食うて死んだ話はきかんばい。このことを、いまわたしがいうことを、ききちがえてもろうては困るばい。いまいうことは、わたしがいうことと違うばい。これは、あんたたちが、会社がいわせることじゃ。間違わんごつしてもらいまっしゅ』
 滂沱と涙があふれおちる。さらに自分を叱咤するようにいう。
さあ! 何しに来なはりましたか。上んならんですか。両親が、仏様が、待っとりましたて。突っ立っとらんで、拝んでいきなはらんですか。拝んでもバチはあたるみゃ。線香は用意してありますばい』」
(350-2)。

—————

 何人も軽んじられてはならない。


@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-24 17:06 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 12月 24日

クリスマスは夜にはじまる

 昨日は午前中から普通に研究室に来ていたのだが、12時から16時まで研究会、某白木屋に移動して18時から22時まで打ち上げ、ということで、ブログを書いている細切れの時間さえなかった。

 22時に終わった某白木屋の打ち上げは、たのしくはあり、チェーン店ということで値段も嬉しかったのだが、(それゆえに?)料理の質と店員の対応の2点においてサーヴィスがよろしくなかったので減点。“また行こう”とは残念ながら思わない。

 ところで、今日は“クリスマス・イヴ”である。

 この“イヴ”とは何か。最近まで“前日”の意味かと思っていた。そういう英単語があるのかどうかという確認をしたことはなかったが、“まあ、そういう意味であろう”と思っていた。“大晦日”も“New Year's Eve”と表現される(“あなたは大晦日をどこで過ごすの?”なんて歌詞の歌が「アリーmyラブ」の中で流れていた)。

 しかし、である。Eveは“前日”という意味ではない。

 であれば、どういう意味か。

 ……

 “アダムとイヴ”のイヴ、

 ではない。このイヴは本来はラテン語でEvaであり、エヴァという表記が正しい。

 ……

 だだん、正解発表。

 イヴ(eve)はイヴニング (evening)のイヴ。

 浅野典夫によれば、ユダヤ教における1日のはじまりは日の入り、つまり日没である。非ユダヤ教徒にはなじみのない観念である。なぜならば、“1日は日の出とともにはじまる”とわれわれは観念しているからである。たとえば日本における“ご来光”はまさにそうした観念の象徴であろう。
 しかし、ユダヤ教においてはそうではない。日没で前の日から次の日に変わる。つまり、夜が1日のはじまりなのである。そのユダヤ教の考えがキリスト教にも受け継がれた。それゆえ、暦上25日のクリスマスは、暦上その前日である24日の夜にはじまることになり、だから“クリスマス・イヴ”とはクリスマス当日の夜を意味することになる。そう、クリスマスは夜にはじまるのである。

[文献]
浅野典夫『ものがたり宗教史』ちくまプリマー新書、筑摩書房、2009年、61-2頁。

 思想史を読むときには宗教の知識は欠かせないかもしれないと思いはじめ、まずは入門書から、ということでこの本を読みはじめた。が、まだ読み終わっていない。この時節にぴったりの知識が部分的に掲載されていたので、とりあえずそこだけ披瀝しておくのである。
 なお、ユダヤ教がなぜ夜を1日のはじまりとしたのかはわからない。もしかしたら書いてあるかもしれない。


 というわけで、今年のクリスマスは今日の夜からはじまるんですよ。


@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-24 13:41 | 日日 | Comments(0)
2009年 12月 22日

ヱビス超長期熟成

 昨夜歯磨き粉を買いにドラッグ・ストアに寄った。少々店内をぶらぶらしたら、平日は視界に入ってはいけないものをしっかりと認識してしまった。

 知ってしまったものを知らなかったことにはできない——これは理論だけの話ではない。仮説として実証もされる。自分の頭で考えたことを、自分の身体を通じて説得的に実感するという工程。一度自分を通すという工程——これは物理的に、ということのみを意味するわけではない——は物事のより深い理解のためには必要不可欠であるように思われる。そのさい、“それ”が通ったときにきちんと“それ”に感応できる自分を作るためには、それこそとりあえずいろいろ自分を通過させておく必要がある。

 で、某ドラッグストアの店内におけるわたしの話。

 ここで“買う、買わない”の選択がある。「期間限定」の張り紙が見える。「限定醸造」ともある。ここは“買う”であろう。妥当な選択と言ってよい。ということで買い物かごに投入。

 帰宅後。“呑む、呑まない”の選択がある。“呑みたい”という欲求がある。“呑む”しかない。理由はない。理性的な選択は働かない、という意味で“理由”はない。選択肢は事実上存在しないということである。

 で、呑む。たいへん濃厚でおいしい。味わうビールです。

c0131823_20132858.jpg


 「超長期熟成」との印字が見える。“研究者も超長期熟成っていうところがあるよなあ”と思う。“俺はとくにそうかもしれないなあ”と思う。

 わたしには“一から全部、まるごと全部、わかりたい”が基本にある、と思われる。<哲学>というのはそういうものでもあるように思われる。学会発表のあと、“君は時間をかけて積み重ねていくタイプだね”と言われたことが思い出される。

 時間、かかりますよ = 超長期熟成

 “待ってました”と、“あいつを待とう”と、そう言われる研究者を目指します。ただ、期間限定は嫌です。オール・シーズン、行きます。


 ヱビス超長期熟成


@研究室
[PR]

by no828 | 2009-12-22 20:24 | ビール | Comments(2)