思索の森と空の群青

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2010年 01月 31日

私の在任中に戦争は断じてない——城山三郎『落日燃ゆ』

 今年10冊目。

 10(243)城山三郎『落日燃ゆ』新潮文庫、新潮社、1986年。

 単行本は1974年に同社より刊行。

 元首相・外相・外務官僚で、東京裁判においてただひとり文官のA級戦犯として絞首刑に処せられた広田弘毅の物語。ほぼノンフィクションと言ってよいと思われる。

 城山はきちんと先行研究にあたって広田のことを描いている。できるだけ客観性を保とうとする姿勢が一貫している。しかし、淡々と記述に徹するさいの冷徹さはほとんどない。客観的たろうとする城山の筆からは、城山の広田の人間性に対する敬意がにじみ出ている。そこに浮かび上がる広田の人間像にわたしは感動する。

 良書である。

 もちろん、わたしは広田のことをよく知らない。だから史実性・事実性という点で城山の本を正当に評価することはできない。暴走する関東軍、軍部の暴挙、政治家の私欲、外交に対する戦争の優位、事務より思想を優先させる官僚、裏切り、東京裁判の一方性などに対比させられるかたちで広田の、あるいは役割に生きようとしたがゆえの誠実さが照らし出される。戦争の前に外交・交渉を尽くそうとした広田。かといって仕事人間かと言えばそうではなく、家族をとても大切にした広田。が、そのような広田把握が妥当なものかどうかをわたしは知らない。ただ、わたしがそのような印象を受けたことは事実であり、その印象に素直になろうとするならば、わたしは広田を尊敬したいと思うばかりである。

 広田のことをよくわかり、広田に敬意を持っていた人は当時もいたと城山は伝える。東京裁判において広田の判決を不当として声を上げた人びとはその例であろう。だがその思いは、結局は時代の波と強者の論理の前に流されてしまった。それがとても悲しい。

 しかし、広田の遺族は広田について多くを語らずに来た。これはこの本からもわかるが、以前にもそのような話を聞いたことがある。ただ、広田の生き方=死に方を見ると、それも故ないことではないことがよくわかる。
 

 また衆議院では、政友会の芦田均が、
「政府の国際情勢に対する認識は、楽観的に過ぎないか」
 と質問したのに対し、広田外相は次のように断言した。
「私は日本の前途を楽観はしていない。むしろ楽観することはできない。各国の軍備状況を見ると、たとえいずれの国の間にも、直ちに戦争または紛擾を起すことはないとしても、各国が巨大な費用を使って、軍備の拡張に努めている今日の現状では、日本が如何に平和の方針をもって進むとしても、やはり根本において軍備の充実は必要であると私は確信している。しかし、将来戦争の恐れがあるかと申すに、少なくとも私が今日の信念をもって申せば、私の在任中に戦争は断じてないことを確信しているものである
 私の在任中に戦争は断じてない——これは、強く大きなひびきを持つ言葉であった。

■(149)* 1935(昭和10)年の議会での発言。日本が国際連盟を脱退したあとのこと。


 広田は父親の〔広田が首相となったことを〕よろこぶ姿を見て、石屋の子から出て位人臣〔くらいじんしん、と読む〕を極めたという思いを味わった。死んだ母タケや次男の忠雄に、この姿を見せてやりたいとも思った。
 だが、それはそれだけのことで、広田個人としては、宰相になったよろこびよりも、難局をどうのり切るかという緊張感の方が強かった。
 だいいち、首相官邸は、壁や床が血に染まり、夥しい弾痕に見るかげもなく、とりあえず外相官邸を臨時首相官邸とする他ない始末であった。非常時ということを、広田はだれよりも身にしみて実感した。
〔略〕
 首相就任を祝って、酒その他の祝い物が届いたが、広田はその一部に自分の金を添えて孤児院に廻し、また菰かぶりの酒は、池袋の日雇労務者のたまりへ届けさせた。
 早速、「新首相の人気とり」と、からかう新聞もあった。
「どうしてこんなことを書くのかなあ」
 広田は、情けなさそうに首をかしげた。
「いつの世にも、下積みで苦しんでいる人々がある。そういう人々に眼を向けるのが、政治ではないのか。政治は理想ではないのだ」
 そんな風にも、つぶやいた。

■(180-1)


@研究室
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by no828 | 2010-01-31 15:31 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 01月 30日

友情というのは、SEXぬきの恋愛である——橋本治『ぼくらのSEX』

9(242)橋本治『明星特別編集 ぼくらのSEX』集英社、1993年。

 橋本治先生の書き下ろし、某ブックオフで105円にて。


 人間ならば、心で考えて、頭で判断して、自分というものを受け入れてくれる自分だけのパートナーを、絶対に見つけることができる。それができないんだとしたら、それは考えが足りないだけ。それだけのことなんだ。自分が人間であれば、必ずそれに見合うだけのパートナーはいる。見つからないのは、「自分とはこういうもの、自分に見合うパートナーというのはこういうもの」と、かってにひとりで決めつけているから。それだけのことなんだ。
■(21)


「SEXとは、他人とする幸福な行為である」——SEXっていうのはこの一言であらわされるものかもしれない。でもこの一言の核心を作るのは、こどもの時の“仲のいい友達とのふれあい”なんだっていうことは、しっかり胸の中に刻んでおいた方がいいと思うね。
■(31)


 SEXの目的が「こどもを作って子孫を繁栄させること」なら、「生んだこどもを立派に育てる」ということが不可欠になる。でも人間はそうじゃない。こどもが生まれると、すぐにメンスが始まる。そのこどもがちゃんとしゃべれなくて、歩けもしなくて、ひとりで生活もできないうちに、人間の母親は平気でこどもを生んじゃうし、人間の父親は平気でこどもを作る行為を始めちゃう。動物の場合は、「生むこと」と「育てること」の両方が本能になってはいるんだけど、人間の場合はそうじゃない。人間の本能は「生むこと」だけ。「育てること」のほうは、本能じゃないんだ。それが本能なら、人間のメス(女)は、こどもが一人前になるまで妊娠しないように、メンスというものを止めているはずなんだからね。人間の場合、こどもを育てるのには、「愛情」というかなり高度な知恵が必要とされるんだ。
「愛情」がなければこどもは育てられない——それが人間。だから、人間の場合は、平気でこどもを育てないで、見殺しにしちゃう人もいるし、平気で虐待したりもする。

■(99)


 仲のいい友達がいる。その相手が異性でも同性でもいい。「仲がいい」ということは、なんらかの形で「好き合っている」ということです。好き合っている人間同士が、「もっともっと好き合う」ということになるのは、べつに不思議なことではない。「友情がいつの間にか恋愛感情に変わっている」なんてことは、あたりまえにあることです。そしてそれ以前に、「友情というのは、恋愛感情の一種だ」なんだ。
「男と女だから」という理由だけで、そこに必ずSEXがなければいけない理由はない。その相手とSEXをしないからといって、それだけで、相手の魅力を否定したことにはならない。「男と女のあいだ」でも友情があって、友情が恋愛感情になることもあるし、恋愛相手がやがて深い愛情を感じる相手に変わることだってある。友情と恋愛の間に、一線は引けない——なぜかといえば、それは、友情も恋愛感情の一種だから。
 友情は恋愛の一種。でも、友情と恋愛は、どっかで違う。だから、こういうことにしちゃえばいい。「友情というのは、SEXぬきの恋愛である」とね。

■(178-9)


 人は、なんのために恋をするのか?
「SEXの相手がほしい」と、「恋の相手がほしい」は、おんなじじゃない。
「SEXの相手がほしい」は、「自分の欲望を満足させてくれる相手なら誰でもいい!」というヤケッぱちにまでかんたんにいくけれども、「恋の相手」というのは、誰でもいいわけじゃない。
 なぜかというと、「恋」というものは、「あなたには、こういうものが欠けていますね」ということを教えてくれる合図だからだ。だから、「恋」の前には、まず「憧れ」というものが生まれる。「自分よりもずーっとその人のほうがすばらしい」と思う——この感情がなければ、「恋」というものは生まれないんだ。
「恋」というものは、「その人は自分よりもすぐれている、自分はその人よりも劣っている」という、感情のギャップを必ず引き起こす。だから、恋というものは、いくら相手を好きになっても、相手から「好きだ」と言ってもらっても、なかなかその言葉が信じられなくて、「もどかしい」という感じを捨てきれない。「自分」と「相手」の間にあるギャップが「埋まった」と思えなければ、「自分はこの人と恋をしていてもいいんだ、自分はこの人と一緒に恋の中にいてもいいんだ」とは思えない。
 だから恋人たちというのは、いつだって「世界で一番すばらしい人たち」。だから人間は、「恋」をすると、見違えるほどにきれいになる。
「恋をしている」ということは、「自分は今、自分に必要な、世界で一番すばらしい人とイコールになっているんだぞ」という自信を持ってもいいということなんだから、「きれいになる」だけじゃない。ありとあらゆる面で、自信が生まれて、その人はとんでもなくグレイド・アップされてしまう。

■(194-5)


「恋」というのは、人に対する「憧れ」から生まれる。だから、「人に対する尊敬」がないと、恋というものはできないんだ。

「自分には、絶対にその人が必要なんだ」と思えなければ、「恋」というものは始まらない。そして、「自分には、絶対にその人が必要なんだ」と思うということは、「その人は、自分には必要で、でも自分では手にすることができないものを持っている」と認めるということで、それはそのまま「あの人にくらべたら、自分はカスみたいなもんだ」と、認めてしまうことだからね。
 だから、エラソーにしてる人は、恋なんかできない。エラソーにしてる人の前に、「でも、あなたにはなにかが足りないんじゃないの?」ということを暗示するように、フッとスポット・ライトを当てる人が現れる。すると、エラソーな人は、「おまえなんかいらない!」と、不思議なほどに激しく、その相手を拒絶しちゃったりする。
 その人に「憧れ」を感じるのが「恋の始まり」ではあるけれど、でも、その人に「怒り」を感じるのが「恋の始まり」でもあったりするのは、そういうわけだね。だって、誰だって、いきなり不意打ちみたいな形で、「あんたは無能だ、あんたにはなにかが欠けている」なんていうことを突きつけられたくはないもの。
「自分」というものを、あんまり強いものだと思い過ぎてしまうと、「恋」ができなくなる。「恋」というのは、「他人の声に耳を傾けよう」という感情のささやきでもあるんだからね。

■(197-8)

 これまで何度か「恋」とか「恋愛」とか「性(SEX)」に関する本をここで取り上げてきたけれど、そこには共通することがあるように思われる。それは、“「恋」とか「恋愛」とか「性(SEX)」を体験することは、他者から圧倒されるということであり、つまりは自分って案外ちっぽけな存在なんだということを実感するということであり、そういう体験はしておいたほうがいい”ということ。


 こどもを女性がひとりで育てるのは、義務じゃなくて、権利なんです。だから、社会も子育ての手伝いをしてくれる。これからの女性は、そういうふうに考えなくちゃいけないよ。
■(264)


 人間が死ぬのを恐がるのは、「今自分がここで死んじゃったら、結局、自分はなんにもしないまんまで死んじゃった、ということになるんだな……」と、そう思うから恐いんです。
「自分はまだなんにもしてないな……、自分はなにかを、し残してるな……」と、それを思えば、「このまんま死んじゃうのなんてやだな……、恐いな……」という気になる。
 人間はやっぱり、なんかを「残したい」んですね。
 だからなんなのかというと、そんなに「死ぬのが恐いんだったら、さっさとなんでもいいから、なっとくのいくことをやれば?」というだけです。

■(379)

 はい。

@研究室
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by no828 | 2010-01-30 18:59 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 01月 30日

土曜午後の感傷

 1月末日締切であった論文の締切が2月末日へと1カ月延びた。わかったのは21日(かな)。

 締切が1月末日のときには23日からは論文に没入するつもりでいたが、それが2月末日となったためにこの1週間は何だかゆるりとした時間を送った。とはいえ、研究それ自体を放擲したわけではなく、1月末日締切であれば手を出さなかったであろう哲学・思想の原理系の本数冊に手を出し、論文の主題を考えてはきた。

 1カ月の猶予が与えられたわけだから、その分、論考の質を向上させることに注力せねばならない。精神的な加圧という意味では、むしろ増大したと言わねばならないかもしれない。が、とりあえず決着を付けておきたいテーマではあるので、何とか自分なりの立論を試みたい。

 そうそう、明後日からイングランドに1年間留学する友人がいて、昨日少し話した。お金をもらって留学できるのはとても羨ましい。

 わたしも留学を目指して英語の勉強に励んでいたこともあった。実際にアメリカの大学院を受験(アプライ)したこともあるのだが、奨学金を獲得することができずにあきらめた過去がある。今から考えると、当時は“留学して何をしたいのか”という点が不明確であったと思い、だからこそ(橋本治的な意味での)「本気」になれなかったのかなあと思う。“この人の下で”というような研究者がいれば気持ちもまた違ってくるであろうが、そういう人も残念ながら今はいない。とりあえず留学してみれば、それはそれで成長することができるとは思う。が、わたしはその“とりあえず”が苦手だし、その“とりあえず”という気持ちで物事をうまく進めて成功できるほどの能力も精神力もない。

 そういうわけで、同じ場所にずーっと留まっている。“これで成長できているのかな”という不安はやはりある。留まっているからこそできていることもあると思う。それで気付いたこともたくさんある。成長できていないとも思わない。が、留まっているからこそできていないこと、外に出て行けばできていたであろうこともたくさんあると思う。

 思えば、学類時代から、友だちの交換留学、休学、就職、進学、転勤その他の“移動”をわたしは同じ場所から見てきた。送り出し、戻ってきたら出迎え、また送り出し、そういうことを同じ場所で繰り返してきた。

 飛ぶ人が羨ましく見えるというのは、たぶん、わたしのこういう来歴ゆえであろう。わたしはいつ飛ぶのか。助走ははじまっているような気がする。蓄えてきたものはある。まだ足りないとも思う。しかし、バネはいい具合にしなってきたのではないか。だが、わたしにとってそもそも“飛ぶ”とは何か。実はよくわからない。が、飛ぶために必要なことならわかる。それはしっかり研究をするということだ。論文にするということだ。飛ぶときはきっと来る。

 なんてことを、渡英する友人と話したあと、少し感傷的に思ったりしたのであった。

 負けるわけにはいかない。


@研究室
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by no828 | 2010-01-30 15:34 | 日日 | Comments(0)
2010年 01月 28日

ああ、なんておいしいの。あの人にも食べさせてあげたい——瀬尾まいこ『卵の緒』

c0131823_15112087.jpg8(241)瀬尾まいこ『卵の緒』新潮文庫、新潮社、2007年。

版元 → 

単行本は2002年にマガジンハウスより刊行。

 授業終わり、昼食も終わり。

 短編2編。もしかしたら中編かもしれない。短と中の違いがよくわからない。

 いずれも家族の物語。というより、瀬尾作品では直接的・間接的に家族が取り上げられる(ことが多い)。しかも、近代家族の理念型からすれば少し/かなり“いびつな”家族が、である。あるいは親密である“はずの”人とのつながりの希薄さ、親密でなくてもよい人とのつながりの濃さ。『幸福な食卓』しかり、『天国はまだ遠く』しかり。

 “この人はどうしてこういうことを書くのであろう”と思っていた。それが今回の『卵の緒』の「あとがき」(208頁)で氷解した。

 「私には父親がいない」。

 “ああ、そうか。だからなのか”と思った。いや、“思ってしまった”と書いたほうがよいかもしれない。短絡的な納得であるかもしれないからだ。父親がいない → “いびつな”家族を書く。これは論理的な必然ではない。飛躍がある。しかし、納得してしまった。これは事実。

 著者はそれに続けてこうも書いている(同頁)。

 「それはたいして重要なことではないし、私は女ばかりで構成され、類いまれな生活力を持つ自分の家族を気に入っている。けれど、『家族』というものに憧れがあった。手に入らないとわかっているからこそ、焦がれていた」。

 そういう著者の描く“家族”は、どこか悲しいが、しかし同時にとても温かい。こんなふうに……。



 母さんはふわふわのオムレツとほうれん草とベーコンのサラダを作って食卓に並べた。僕はばあちゃん家でもらってきた蛸と大根の煮物をレンジで温めて、ご飯を茶碗に盛った。夕飯の準備をする僕と母さんの息はぴったりだと思う。
「ほう、蛸が柔らかくておいしいわ」
 母さんはそう言うと、向かいの席から僕の椅子を蹴っ飛ばした。
育生、そわそわすんの止めてよ。食事の時は目の前のご飯のことと、一緒にテーブルにいる人のこと以外考えちゃダメなのよ。学校で習わなかった? まったく青田先生は、肝心なことが抜けているのよねえ」
「違うよ。青田先生は悪くないって」
 僕は慌てて否定した。僕の落ち着きのないことまで青田先生のせいにされちゃかわいそうだ。

■(「卵の緒」、14)


「育生、自分が好きな人が誰かを見分けるとても簡単な方法を教えてあげよっか」
 ハンバーグをフォークで突き刺しながら母さんが言った。僕は別段興味はなかったけど、一応こくりと頷いた。僕がどう答えようと結局母さんは話し出すのだから。
「すごーくおいしいものを食べた時に、人間は二つのことが頭に浮かぶようにできているの。一つは、ああ、なんておいしいの。生きててよかった。もう一つは、ああ、なんておいしいの。あの人にも食べさせてあげたい。で、ここで食べさせたいと思うあの人こそ、今自分が一番好きな人なのよ」
 母さんはにっこり笑ってハンバーグを口にほうりこんだ。

■(同、30)

「あの人にも食べさせてあげたい」というのは、この「母さん」が食べ物や料理が大好きだからであろう。だから「自分が好きな人が誰かを見分けるとても簡単な方法」は次のように一般化できる。“自分のとても好きなもの・幸せだと感じることを共有したいのは誰か”と問うこと。これにはいろいろなもの・ことが代入でき、人によって答えはさまざまであろう。
 これは“誰に自分のことをわかってほしいか”ということでもあるように思う。“自分はこれが好きなのだ”ということをわかってほしい人は誰なのか、一緒に“これが好きだ”と言ってほしい人は誰なのか。
 だからこそ、つまり、わかってもらいたい人にわかってもらえないからこそ、わかってくれてしかるべき人にわかってもらえないからこそ、“どうしてわかってくれないんだ”と、“わかってくれよ”と言って、人は怒ったり、喧嘩をしたりするのだと思う。夫 → 妻、親 → 子、彼 → 彼女、先生 → 生徒、さらには飛んで、同教徒 → 異教徒、良心的な援助者 → 被援助者など。

 基本は単純なのかもしれない。

 ところで、はじめのほうに提出した“この人はどうしてこういうことを書くのであろう”という問いはそのままわたしにもはね返ってくる。“どうしてわたしはこういうところを引用するのであろう”と。
 あるいは、“どうしてわたしはこういう研究をするのであろう”と。この“どうして”という追究は、研究をする前に位置付けられることである。実際は研究を進めながら気付いていくことのほうが多いが、論理的には研究の前段にある。時間軸で言っても過去のものである。過去があるから現在がある。だからこの追究は研究を前進させるのとは逆方向を向いた営みのようにも見える。しかし、そうではない。この“どうして”がわかってから、研究はぐいっと前進するようになるのである。“戻るけれど進む”、しかも“一気に進む”。
 こういうことを後輩に話しても、“ふーん”ぐらいなもんで、レジュメには一向に反映されないことが多い。“何だよ、せっかく説明したのに!”って思うけれど、それもやっぱり“わかってほしい”があるからなんだよなあ。


@研究室
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by no828 | 2010-01-28 15:09 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 01月 28日

眠れない夜のために、といったような本もあったと思う

 昨夜は寝付けなかった。

 1時30分ぐらいまで小説を読み、それで寝ようと思ったのだが、なかなか眠ることができない。眠ることのできない原因を探す。たとえば、日中身体をあまり動かしていないから、頭も働かせていないから、などなど。だからわたしは眠ることができないのだ、と納得するが、しかし眠ることができないことは非常にストレスフルである。眠れない原因を把握し、それに納得した以上、眠れないのは自業自得である。だからこそイライラする。自業自得だからこそ苛つく。なぜならば、“何とかできたかもしれない”という過去の可能性が見出されるからである。運動しておけば、頭をもっと回転させておけば、と戻れぬ過去を悔やむ。

 眠れないときには哲学書、というわけで、廣松渉を開くが、こういうときにかぎって頭に入ってくる。わかるわかる、みたいに。それで読み進める。そこで気付く。“まずい、このままでは眠れない。だって頭が冴えてきてるもの”。このまま寝ずに朝まで行くかとも思ったが、“寝るべき時間に寝ていない”という事態がすでにわたしにとってはストレスフルである。“寝るべき時間には寝るべきだ”がわたしにはある。“寝れるときならいつでも寝る”はない。これは勝手な規範設定によるものであり、ゆえにその設定は操作可能であるはずなのだが、“2時とか3時とか4時は寝ているべき時間である”がずーっと身体に染み付いているから、もはや変えることが難しい。

 3時、3時30分、……。

 結局何時に眠りについたのかわからないが、寝不足であることは確実である。両眼の奥が重い。

 これからドクターの授業を取り仕切らなければいけないのに。寝不足だから逆に頭が切れまくるということもないわけではないのだが。あー。


@研究室 
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by no828 | 2010-01-28 12:03 | 日日 | Comments(0)
2010年 01月 27日

一人二役

 知り合いの方が本を出された(ことを某学会のMLで今日知った)。

 版元のウェブサイトにリンクを貼ろうと思ってそこを訪れ、本をクリックしたらなぜか某amazonに飛ばされた。

 というわけで、以下のリンクは某amazon。

 Yonehara, Aki, 2009, Human Development Policy in the Global Era: A Proposal from an Educational View, Tokyo (?): University Education Press.

 本が手元にないので出版地は定かではない(たぶん東京だと思うけれど、出版社は岡山にある模様)。また、版元も某amazonも、筆者名の表記が日本語で、本のタイトルのそれが英語になっている。こういうときはどう書けばよいのか。とりあえずどちらも英語にしておいた。

 この本はおそらく筆者の博士論文が下敷きになっていると思われる。方法論的には哲学と統計学、ぐりぐりの理論とばりばりの経験を組み込んでいるので、もし書評ということになれば任された評者はとってもたいへんであろう。統計学は得意だぜという人でも哲学はむにゃむにゃという人が大半であろうし、また、哲学は任せてくれという人でも統計学は思想的に好きじゃない(というわたしみたいな)人もいるであろうからである。書評はそれぞれ得意な人を選抜し、ふたりがかりで取り組んでもらうのが妥当かもしれない。

 ちなみに、わたしがどうして統計学が思想的に好きじゃないかというと、その出自が国家にとっての学問であったからですね。英語にすればすぐにわかります。統計学はstatisticsで国家はstate。statisticsの語源はstateに求められるのです。近代国家ができてきて国民(人口)を把握し、管理するためにどうするかというときの方法として統計学は生まれてきたわけです。歴史的にはフランスを例にとるとわかりやすいと思います。ミシェル・フーコーを読みましょう。日本では田中拓道先生の『貧困と共和国』という本が間接的ではありますが勉強になります。

 と偉そうなことを書いていますが、統計学が好きじゃないのは実は数字が苦手だからというのもあります。なぜ“それ”が数字に置き換えられるのかというところから引っかかってしまうのです。“なんで数字にするんだよ。数字にすればいいってもんじゃねえだろう”みたいな。

 そういう意味で、著者が哲学も踏まえているというところにわたしは共感します。そして研究の成果を本に書かれた、本として出されたというのはすばらしいことです。おめでとうございます。また、とても刺激になりました。ありがとうございました。わたしも“博論は本にしなさい”と甘木先生に言われているので、がんばりたいと思います。


@研究室
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by no828 | 2010-01-27 11:39 | 日日 | Comments(0)
2010年 01月 24日

人生ほど、 生きる疲れを癒してくれるものは、ない——須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』

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 これも昨日読了分。

 7(240)須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』文藝春秋(文春文庫)、1995年。

 単行本は同社より1992年に刊行。

 版元 → 




 須賀はイタリアに留学し、現地の書店員と結婚した人。その書店の名前が「コルシア・デイ・セルヴィ書店」。この書店はもともと対独レジスタンスから生まれ、いわゆるカトリック左派のひとつの拠点となったとの説明がある(読みはじめてから知った)。

 ちなみに、須賀の著作は以前に『ユルスナールの靴』などを読んだことがある。それからだいぶ時間が空いたが、たまたま古本屋で見つけたので手に取ってみた次第。


 人生ほど、
 生きる疲れを癒してくれるものは、ない。

■(ウンベルト・サバ「ミラノ」須賀敦子訳。本書扉、頁数なし)

 なぜかこの部分がすーっと入ってきた。


 ツィア・テレーサは、それからもコルシア・デイ・セルヴィ書店のきよらかな仙女でありつづけた。しかし、六七年に夫が死んだあと、中国の文化大革命の余波をうけてヨーロッパの若者を揺り動かした革新運動が、書店にも津波のように押し寄せて、あっというまにすべてを呑みこんだ。既成価値のひとつひとつが、むざんに叩きつぶされ、政治が友情に先行する、悪夢の日々が始まった。書店が交流の場より、闘争の場になることをえらび、思索より行動を、妥協より厳正をえらんで、ついに都心の店の立退きを決めたとき、八十をすぎたばかりの彼女が、私たちの顔も見分けられないほど老いていたことは、どちらにとっても、さいわいだったかもしれない。
■(31)


 そんなコルシア・デイ・セルヴィ書店の周囲には、これを支える大きな友人の輪があった。夕方六時をすぎるころから、一日の仕事を終えた人たちが、つぎつぎに書店にやってきた。作家、詩人、新聞記者、弁護士、大学や高校の教師、聖職者。そのなかには、カトリックの司祭も、フランコの圧政をのがれてミラノに亡命していたカタローニャの修道僧も、ワルド派のプロテスタント牧師も、ユダヤ教のラビもいた。そして、若者の群れがあった。兵役の最中に、出張の名目で軍服のままさぼって、片すみで文学書に〔ママ〕読みふけっていたニーノ。両親にはまだ秘密だよ、といって恋人と待ちあわせていた高校生のパスクアーレ。そんな人たちが家に帰るまでのみじかい時間、新刊書や社会情勢について、てんで勝手に議論をしていた。〔略〕
 だが、こんなごったまぜの交流の場を、教会当局が黙認するはずがなかった。一九五〇年から七〇年代までのほぼ二十年間に、こうして多くの若者が育っていったコルシア・デイ・セルヴィ書店は、ほとんど定期的に、近く教会の命令で閉鎖されるという噂におびやかされ、そのたびに友人たちは集会をひらいて、善後策を講じなければならなかった。

■(41-2)

 こういう雰囲気には、素朴な憧れを抱く。


 ミケーレは、エリトレア人〔ママ〕だった。エリトレアは十九世紀にイタリアが植民地として接収した東アフリカの地方で、おもに宗教上の理由から、隣接のエチオピアとのあいだに争いが絶えない。第二次大戦後、独立して共和国となったと思うまもなく、またすぐに、こんどはハイレ・セラシエのエチオピア帝国に併合されてしまい、以後、エリトレア人の独立運動に火がついて、今日に到っている。中央駅に近いブエノス・アイレス大通り付近に、ミラノ在住のエリトレア解放戦線のたまり場があるらしく、ミケーレは、そこで知り合った友人たちにアジられて、エチオピアのパスポートを棄て、無国籍者になった。一九六五年前後のことだろうか。
 十歳になったばかりのミケーレがイタリアに連れてこられたのは、一九四〇年のはじめだった。ファシストの幹部党員が、まるでおみやげでも買ってくるように、エチオピアからローマに連れてきた。ローマでは貴婦人たちが、黒い肌で、目がくりくりして、手足のすらりと長いこの少年に、ミケーレというイタリア名をつけて、家から家をたらいまわしにして、愛玩した。〔略〕かわいがられはしたけれど、だれも彼を学校に入れるとか、家庭教師をつけようとは考えなかったので、三十歳になってもミケーレはほとんど文盲だった。とはいっても、彼の「文盲」は、あながちローマ貴族たちのせいだけではなかったようだ。コルシア・デイ・セルヴィ書店に出没するようになってからも、彼は読み書きを習おうとはしなかった。ぼくは勉強すると、あたまが痛くなる。病気になってしまう。彼はいつもそういった。

■(106-7)

 植民地主義の社会史。


@研究室

 
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by no828 | 2010-01-24 19:40 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 01月 24日

それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね——阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』

 金曜日の夜は読書会メンバーによる新年会。焼酎を呑み過ぎた感がある。ビールは耐性ができているのだが、焼酎はまだのようで……。参加者に後輩が多かったこともあってか、また、先生や先輩からもっと“研究とは”という話を聞きたかったなあという思いも重なってか、“研究とは”のような話を結構してしまった。面倒くさい先輩ですみません > 後輩諸君。

 翌土曜日は、頭を上下に振ると痛いので(二日酔い)、部屋でおとなしく読書をする。以下、その読了本。

 6(239)阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』ちくま文庫、筑摩書房、2007年。

 単行本は同社より1988年に刊行。著者は『「世間」とは何か』などで著名な社会史家で専門はヨーロッパ中世史。2006年没。

 研究者としての心構え。

 研究者が研究テーマを選ぶときにはどうしても価値理念が介在する。もちろん、研究テーマを選んだあとの実際の研究活動ではできるだけ主観を排し、客観的に検証・論証することが求められる。だが、研究テーマを選ぶときにはそういうわけにはいかない。自分がなぜこの研究テーマを選んだのかという問いには、どうしても自らの経験・体験と関係した価値理念をもって答えるしかない。だから問題は、その価値理念を自覚的・反省的に捉えられているかどうか。

 将来ゼミナールを持つようになったら読ませたい本のひとつ。

 例によって引用文中の強調と〔〕内は引用者による。


〔略〕卒論のテーマの問題についてもあらかじめ葉書を出して、先生〔=上原専禄先生〕のご許可をいただいてからお宅に出かけていったのです。このときもじつはほかにゼミナールの卒業生がたくさん来ていて、私の知らない人たちばかりでしたが私も一緒になりました。みながなかなか帰らないのでつい私まで鮨をごちそうになり、みながようやく帰ったあと先生と二人になったという結末でした。
 先生は長い間待たせたことを詫び、二人で話しだしました。ところが先生は私がローマ史をやりたいといえば、「それは結構ですね」という具合で、特に反対もせず、かといってそれをやれともおっしゃってくださらないのです。いろいろ話をしているうちに先生はふと次のようにいわれたのです、「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」

■(17-9)

 御意。


 上原先生のゼミナールのなかで、もうひとつ学んだ重要なことがあります。先生はいつも学生が報告しますと、「それでいったい何が解ったことになるのですか」と問うのでした。それで私も、いつも何か本をよんだり考えたりするときに、それでいったい何が解ったことになるのかと自問するくせが身についてしまったのです。そのように自問してみますと、一見解っているように思われることでも、じつは何も解っていないということが身にしみて感じられるのです。
「解るということはいったいどういうことか」という点についても、先生があるとき、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」といわれたことがありました。それも私には大きなことばでした。〔略〕「解る」ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのような「解る」体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだとも思えるのです。

■(21-2)


 上原先生から、卒業論文のテーマはまずできるだけ大きなテーマを選んで、そのうちの一部分、つまり小さなテーマにしぼって手をつけるようにとの注意をうけていましたので、私はヨーロッパの修道院を通してキリスト教を知るための手続きとして、ひとつのテーマをたてたのです。それがドイツ騎士修道会研究でした。
■(24)

 この「注意」の重要性がよくわかるようになってきました。


〔略〕学問の意味は生きるということを自覚的に行う、つまり自覚的に生きようとすることにほかなりません〔略〕。生きるということを自覚的に行うためには、二つの手続きがどうしても必要だと私は思います。
 ひとつは自分のなかを深く深く掘ってゆく作業です。
〔略〕学問の第一歩は、ものごころついたころから現在までの自己形成の歩みを、たんねんに掘り起こしてゆくことにあると思うのです。
〔略〕
 それはいわば私を歴史的に掘り起こす試みでもあります。過去の自分の行為はただの駄々をこねた子どもであったにすぎないのですが、それを現在整理すると、私の体験が経験になってゆく重要な過程であったというふうに整理されるのです。
 私は歴史研究は基本的にはそのようなものではないかと考えています。過去の自分を正確に再現することだけでなく、現在の時点で過去の自分を新しく位置づけてゆくことなのです。
〔略〕私たちは過去との真の絆を探し、《大いなる時間》のなかで生きているという自覚をもたねばならないのです。そのためにははじめにいいましたように、まず自分の内奥に流れている過去を照らし出し、それを受け入れねばなりません。拒否するばあいでもその存在を知らねばならないのです。
〔略〕つまり歴史研究の重要な手続きの第二は、自分の内奥を掘り起こしながら、同時にそれを《大いなる時間》のなかに位置づけていくことにあるのです。

■(62-5)

 これは「歴史研究」にかぎらず、“自分のやるべきこと”を探し、決めるのに必要なことのようにわたしには思われる(とくに第一の手続き)。これまで自分がどのように生きてきたのか、生かされてきたのか、自分の未来を照らし出すための反射板は自分の過去にあると、わたしも考える。


〔略〕研究の基本線はすべて自分のなかから出てきた問題であったように思います。
 結局は自分と周囲との関係をどのように理解してゆくか、そのなかでどのように行動してゆくかという問題からはじまって、私の研究はヨーロッパ中世にまで広がっていったのでした。
〔略〕
 まだ研究途上にある者として、自分の研究をふり返る暇はないのですが、若い学生諸君に歴史学とは何かという問題について語ろうとすると、私には歴史学のあり方を客観的に叙述し、描写することはできないのです。私にとって歴史学はこのようなものでしたと語る以外の方法はないのです。なぜなら、私にとって歴史は自分の内面に対応する何かなのであって、自分の内奥と呼応しない歴史を私は理解することはできないからです。

■(212)


 とくに私〔=山内進〕にとって〔阿部謹也先生の〕次の言葉は忘れられないものとなった。「〔山内進の研究対象である〕オットー・ヒンツェは四十歳になるまでほとんど論文を書いていません。その間、プロイセン史の史料編纂に取り組み、目が悪くなるほどその仕事に没頭しました。ヒンツェはじっと力を貯え、考えていたんですね。四十歳を前後する頃から、ヒンツェは猛烈に論文を書き始めました。それが高く評価されて、彼はベルリン大学の歴史学の教授になりました。四十歳まではいいんですよ。すぐに格好の整った論文を書く必要はありません。本当にしなければならない仕事をするための準備をすることが大切です」。
■(山内進「解説「ヨーロッパ中世世界」との出会い——小樽での会話から」、217)


@研究室
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by no828 | 2010-01-24 15:19 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 01月 22日

言葉は具体的すぎても響かない

 「サラリーマンNEO」にも出演されていた奥田恵梨華さんのブログにて紹介されていた「座右の銘メーカー」。これを試みたところで今後の社会科学の理論的発展のためにはいささかも寄与しないと思われたが、つい手を伸ばしてしまった。意志の弱さを克服しよう。

 ひらがなヴァージョン
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 カタカナヴァージョン
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 漢字ヴァージョンは、なし。名前丸分かりなのと、漢字名を入力したときの座右の銘があまりおもしろくなかったから。まあ、日常生活における具体的かつアクチュアルなアドヴァイスではあるのだが。わたしの名前の漢字表記をご存知の方は試してみてください。


@研究室
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by no828 | 2010-01-22 17:10 | 日日 | Comments(2)
2010年 01月 21日

大学時代に読んだ本470冊——佐高信『青春読書ノート』

 暖かいんだか寒いんだか。

 5(238)佐高信『青春読書ノート——大学時代に何を読んだか』講談社文庫、講談社、1997年。

 大学4年間(1963-67年)で読んだ本470冊の記録。

 中には再読、再々読の本もあるから厳密には延べ470冊。

 また、たとえば1冊の中に収められている短編・中編もそれぞれ「1冊」と数えられている(物理的な実体としての本1冊に5編収められ、それをすべて読んだら5冊とカウントされる)など、“それ”を“1冊”と数えてよいのかどうかやや微妙なところもある。

 さらに、470冊には授業ないしゼミで必要に駆られて読んだ本(専門書)も含まれている。大学院生の身分になってみると、“その本を冊数に入れるのはいかがなものか”と思ったりもするが(だって読んで当たり前だから)、“学部生では数に入れたくなるよなあ”とも思う。もちろん専門書の冊数を数えるのはよい。専門書とそれ以外を一緒くたに数えるのはいかがなものか、ということである。専門書や論文も読了分を数えておけば、“これだけ読んだんだ”と、あとで自信にもなるであろう。

 いずれにしても。

 この本を読み、“大学に入って読んだ本とその冊数を記録することは、自分の糧を数値化・量化して捉えることになり、自信にもなる”と思った。“自分もしておけばよかったなあ”、“この本にもっと早く出会っていれば絶対記録していたのになあ”と思った。

 大学に職を得たら、学生たちにぜひこの本を薦め、記録することも勧めよう。 

 というわけで、というのは記録集なので、ということだが、今回はとくに引用はしない。

 と思ったが、この本の趣旨から外れたところで引用。


家庭教師をすることになった赤羽の酒屋の主人は、次のようなことを言った。
「今、朝日新聞で『マッカーサー回想記』を載せているが、その中で、マッカーサーは、“あの時、天皇制を廃止したら、日本には、ゲリラや抵抗がおこったろう”と言っているが、あれは誤っていると思います。国民は長い間、耐乏生活が続いて、本当に、もう戦争に飽き飽きしていたんです。だから、天皇制を廃止しても、何も騒動など、おこらなかったと思いますね。もう、“生きる”ということしか、考えていなかったし、また、“生きたい”と思っていたんですよ。——人間は、特攻隊なんかで、死ぬときまった時に、天皇陛下の為にとか、考えませんね。もう、そのギリギリのところまで、追いつめられたら、動物的になりますね」
 我々は戦争の厳しさを痛切には感じてはいない。戦争を経験した者にとっては、平和など、当然の要求なのだ。当然、そうあらねばならぬものなのだ。

■(60-1)

 ちなみに、著者が慶応義塾大学法学部時代に住んだ寮(山形県庄内地方出身者向け)の先輩に、教育社会学の門脇厚司先生がいる。昔、わたしの在籍している大学の先生をしていた人である。会ったこともその授業に出たこともないが、『子どもの社会力』という本は読んだ。
 で、当時東京教育大学の学生だったその門脇先生が、この本に「門脇さん」というかたちで所々に出てくる。著者も「門脇さん」から読むべき本を含め、いろいろと影響を受けたと書いている。そのためかどうかはわからないが、著者は“教育”についても関心を持ち、途中本気で教育大学に入りなおそうと思ったりもしたようだ。実際に入りなおすことはなかったが、卒業後には郷里の高校教師になっている。著者が編集者経由で評論家になったのはそのあとのことである。

 ただ、「門脇さん」を批判しているところもある。と言ってまた引用する(短くね)。


 ストリッパーに同情の念も起きないという門脇さんや忠針さんの鉄面皮を、はいでやりたいような思いに駆られる。まさに、彼等こそは、上すべりに、モラルやヒューマニズムを説く現代のインテリゲンチュアである。
■(58-9)

 評論家・佐高信はこのときすでに顔をのぞかせている。


@研究室
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by no828 | 2010-01-21 15:02 | 人+本=体 | Comments(0)