思索の森と空の群青

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2010年 03月 31日

地震の読み方

 ここ数日よりは暖かいけれど、やっぱり寒い。乾燥もしているのであろう、冷えた手の甲が少しカサカサになる。

 朝、父から「地震大丈夫か」とメールがあった。たしかに地震はあったことは記憶しているが、一体いつのことであったか。“おお、結構揺れが強いな。本は……落ちてこないな。大丈夫だな……”という思考をめぐらしたことはたしかなのだが、入眠のときのことなのか、あるいは寝ていたところに地震が起きて目が覚めたのか、よくわからない。

 “地震への慣れって結構危険かもなあ、しかも寝ると気付かないパターンのときもあるからなあ”という反省を抱いて大学へ。

 研究室も、とくに何かが落下した様子はない。


 地震大丈夫か、自身大丈夫か、自信大丈夫か……。父からのメールをそのようにも読んでしまったわたしの精神は揺れているのかしら。今日で2009年度はおしまい、明日から新しい年度がはじまる。だが、焦っても仕方がない。落ち着いて研究に取り組むべし。


@研究室
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by no828 | 2010-03-31 21:13 | 日日 | Comments(0)
2010年 03月 30日

近くの小さな不平等と遠くの大きな不平等——本日のトクヴィル(承前)+α

 読書会終わり。なぜわれわれは不平等を感じるのか、など。それはね、“われわれは平等であるべきだ”という先入見があるから。“われわれは平等であるべきだ、にもかかわらずそれが実現されていない。不平等だ、不満だ、何とかしろ”ということになる。“われわれは平等であるべきだ”がなければ、“不平等だ”とは感知されない。このときの“われわれ”とは一体なぜ、何ものとして、どのようにして意識されるのか。

 例によってトクヴィルとは直接関係ないことまでしゃべりすぎた。反省(少しだけ)。 

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 版元


 民主的な国では、どんなに富裕と思われている人も、ほとんど常に自分の財産に満足していない。というのも、自分は父親より豊かでないと思い、息子たちは自分より豊かでなくなるかもしれないと恐れるからである。デモクラシーの下にある金持ちの大半はだから富を増やす手段を不断に夢に見、目を自然に商工業に向ける。それが富を手にするもっとも迅速で有力な手段と見えるからである。この点で彼らは貧乏人のぎりぎりの欲求はもたないが、貧乏人と同じ本能を分かちもっている。あるいはむしろ、あらゆる欲求の中でもっとも圧倒的な本能、今より落ちぶれたくないという欲求に動かされている。
■(264)

 トクヴィルは、民主政の国を貴族政のそれと対比させながら説明することが多い。それを読むと、貴族政は安定した社会、民主政は不安定な社会だということが伝わってくる。

 貴族政社会は、身分の交換可能性(たとえば平民が貴族になるとか)はほぼゼロである。だから、貴族政社会では“不平等だ”という意識は芽生えにくい。平民に“貴族はずるい”という感情はあまり起こらない。平民同士で“あいつばかり儲けてずるい”はあるかもしれないが、そのような感情は貴族に対しては生起しない。なぜならば、平民が貴族になることはありえないからである。平民は、そして貴族も、固定的な社会以外の社会を知らないのである(もしかしたら貴族は知っているかもしれないが、それを平民に教えるわけがない。なぜって、自分の首を締めることになるから)。ここでの“われわれ”の範囲は、貴族にとっては貴族であり、平民にとっては平民であった、に違いない。

 翻って民主政社会。“もしかしたら身分がひっくり返るかもしれない”、“貴族だって同じ人間だ”という意識と知識が外発的にでも内発的にでも発生したことから(少なくともトクヴィルの想定する)民主政ははじまったのではないか。だから社会は流動化する。(旧)平民が“わたしもあの人みたいになれるかもしれない”という憧憬の念を(旧)貴族に対して抱くことが普通に起こるようになる。ここでの“われわれ”はある政治社会の構成員全体を指すようになる。その“われわれ”は平等であるべき集団である。だから不平等に敏感になる。この不平等感は“わたしにももっとできるはず(だからもっとがんばろう)”という方向に働くかもしれないし、“あの人ばっかりずるい(引きずり降ろしてやる)”という方向に作動するかもしれない。それはわからない。前者のような気持ちを持てと、国家と市場は言う。それが成長だと、教育者も言う。

 貴族政社会は安定した社会であったのに対し、民主政社会は不安定な社会である。“自分はどうなるかわからない”という不安が個々人の精神に付着して離れないようになる。だからこそ、“自律”が説かれるのかもしれない。そして、自律できる人とできない人に分けられる。できる人は成長していると見なされ、そうでない人は見捨てられる。そのあいだで“格差”が感得されるようになる。逆に言えば、“われわれ”意識が及ぶところでしか“格差”は感じられない。貴族政社会には今日われわれが認めるような“格差”はなかったのだ、とさえ言ってもよいであろう。民主政社会だからこそ“格差”が発生したのだと言ってもよいであろう。“何とかなるはずなのに何ともなっていない”という実感があってはじめてわれわれはその何とかなるはずの隔絶を“格差”と呼ぶ。何ともならない隔絶をわれわれは“格差”とは呼ばない。

 しかし、民主政社会においても“何ともならない隔絶”が出現することがある。某ヒルズに住む経営者と風呂・洗濯機共同のアパートに住む大学院生のあいだには、“何ともならない隔絶”がある、と少なくとも院生のほうは感じる。だから、院生はもはやその隔絶を“格差”とは呼ばない。院生の“われわれ”意識から某ヒルズ経営者は除外される(すでに経営者の側の意識からは院生は除外されているであろう)。院生の“われわれ”意識はひどく縮減される。たとえば、近くの別の院生集団。論文何本書いたか、公募はどうか、……。近くの小さな不平等に敏感になる。遠くの大きな不平等には無頓着になる。それはひとつの防衛反応かもしれない。遠くの大きな不平等を感じ続けることは精神的によろしくない、だから感じないようにしようという防衛反応かもしれない。実態としては、今の社会は貴族政社会になっているのかもしれない。貴族は平民同士の争いに関心を持たないであろう。

 どうすればよいのか。歴史が示すのは、というより、そこにある歴史からわたしが読み取るのは、このような場合は社会自体の仕組みがおかしくなっている可能性がある、ということだ。貴族政から民主政への移行は、その意識の芽生えが端緒になったのではないか、ということは先に見た。小さな範囲に“われわれ”意識を限定し、その中で不平等感を募らせるのではなく、もう一度大きな範囲での“われわれ”意識を“取り戻し”、その中で不平等感を減らしていこう、たぶんそういうことになる。

 しかし、このときの“われわれ”とは一体何なのか。結局国家国民なのか。それはナショナリズムのなぞり書きではないのか。

 逆に、だからこそ“われわれ”意識なんて捨ててしまおう、他者との比較など無意味だ、自分が思うように生きていけばよいのだ、そのような提案も説得力を持つ。だが一度“われわれ”意識を抱いてしまった人が、その意識をなしにすることは困難であるとわたしは思う。自分は自分、他人は他人、そのような考え方にスイッチすることは難しい。もちろん、そうした考え方を意識的に取り込んでいくことは可能であろう。しかし、完全にスイッチすることはたぶんできない。ふたつの考え方のあいだで揺れ動くのもなかなかに忙しい。

 しっくりくる答えをここでは出せないが、トクヴィルを経由して、すでに言われていることを含め、自分なりに考えてみるとこういうことになる。


@研究室
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by no828 | 2010-03-30 17:44 | 思索 | Comments(0)
2010年 03月 30日

本日のトクヴィル

 こんなにも寒いのは今日まで、らしい。「今日までの辛抱です」と今朝ラジオで言っていた。

 13時からの読書会の前に行けるところまでトクヴィルの言葉に浸っておこう。 

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 版元


 彼らを結びつけた新聞は、彼らを一つにしておくためにその後も必要である。
■(197)

 ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』も参照。



 アメリカ人は年齢、境遇、考え方の如何を問わず、誰もが絶えず団体をつくる。〔略〕新たな事業の先頭に立つのは、フランスならいつでも政府であり、イギリスならつねに大領主だが、合衆国ではどんな場合にも間違いなくそこに結社の姿が見出される。
■(188-9)

 政治的結社は無数の個人をいっせいに私生活の外に引き出す。年齢、気質、財産によってどんなに本来隔たっていても、政治的結社は諸個人を近づけ、接触させる。ひとたび出会えば、その後いつでも再会できる。
〔略〕
 政治的結社はだからすべての市民が結社の一般理論を学習しに来る無料の大きな学校と見なすことができる。

■(204-5)



 人の心をもっとも強く執着させるのは、貴重なものを安全に所有しているときではなく、これを手に入れたいという欲望が十分満たされず、それを失う恐れが絶えない時である。
■(222)



 一国の人民がどんなに努力しても、その中で境遇を完全に平等にするには至らぬであろう。そして、仮に不幸にもこの絶対的で完全な平等に達したとしても、なお知力の不平等は残り、これは直接神に由来するだけに、つねに法の規制の外に出るだろう。
 一国の人民の社会状態と政治の基本構造がどれほど民主的であろうとも、市民の誰もが自分の負ける相手を身辺にいつも何人か見出すと考えねばならず、彼は執拗にこの点に目を向けるだろうと予想される。不平等が社会の共通の法であるとき、最大の不平等も人の目に入らない。すべてがほぼ平準化するとき、最小の不平等に人は傷つく。平等が大きくなればなるほど、常に、平等の欲求が一層飽くことなき欲求になるのはこのためである。

■(237-8)

 卓見。


 不幸な状況の競合によって、宗教不信とデモクラシーが出会っている国においては、哲学者と為政者は人間の行動の目標を目に見えない遠くにおくことを不断に心がけるべきである。それこそ彼らのなすべき大事業である。
■(257)

 まさに今?


 というところで時間切れ。いざ、読書会へ。


@研究室
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by no828 | 2010-03-30 12:52 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2010年 03月 29日

何だってこんなに寒いんだ

 相変わらず寒い。研究室にいても、というより、研究室にいるからこそ、底冷えする。そのぐらいこの部屋は冷える。室内の空気は“ぴきーん”となっている。足元用のヒーターはあるが、それはやはり足元にしか作用せず、手先は冷たいまま。

 外はもっと寒い。図書館に本を返しに外に出たらものすごく寒かった。ぶるぶる。図書館の入口で、おそらく入館の仕方(学生証などの身分証明書に印字されているバーコードをゲートにかざして入るシステム)がわからないと思われる外国人の方が右往左往していたので、身振りで“こうだよ”と示してみた。伝わったようでよかった。

 キャンパス内では某金属学会(看板が出ていた)が開催されているようで、ネームプレートを付けた参加者らしき人と何度か擦れ違った。“金属学”ねえ……わたしの想像力の及ばないような研究がされているのだと思うが、ちょっと気になる。

 あとは事務で学生証の更新。更新料1,000円と事前に一度アナウンスされたことがあったが、結局無料で更新できた。アナウンスされたときに“更新料の徴収は原則的に考えておかしい”と文句を言っておいた発言しておいたのが功を奏したか。法人化後の財源確保の一環なのかどうかはよくわからないが、何でも有料にすればいいってものではない。おかしいことはおかしいのだ。

 そのほかは基本的に黙って論文を読んだり学会発表のタイトルを考えたり。タイトルは“こんな感じかなー”というのができた。考えれば代替案も出てきそうだが、1日(木)締切@神戸ということを踏まえると、念のため今日中に郵送したほうがよいでしょうね。

 しからば、今日はこれにて撤収(帰りに郵便局に回るべし)。


@研究室 
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by no828 | 2010-03-29 21:13 | 日日 | Comments(0)
2010年 03月 28日

論文を書くのは研究のあと

 お昼から研究室に。年度末の一時帰国をしていた留学生は無事にこちらに戻った模様。

 それにしても〔という「プロフェッショナル」茂木的切り返し〕寒い。研究室のヒーターを稼働させようとするも灯油がほとんどない。手が……、指先が……。

 学会発表の申込み締切(必着!)であるエイプリルフールが迫っている。“この日が締切っていうのはうっそでーっす、実は4月2日でもよかったのでしたーっ”なんていうお茶目なことはきっとないからきちんと期日を守らなければならない(あるとおもしろいのに……)。

 とりあえずタイトルだけでよい。サブタイトルは“まあ、これだな”という座りのよいものを考えたのだが、メインのほうがどうもうまくいかない。博士論文における位置付けも考えながらだから、タイトルだけとはいえ知的負荷が大きい。

 その学会発表を念頭に置きながら英語論文。自分でいろいろ議論をしなくても、“お任せ”できる論文があることに今更ながら気付かさせることも多い。“ここの部分はこの論文を参照せよ”のように。ただ、それでも言われていないことはやっぱりあって、だから“やっぱりわたしの言いたいことには十分取り組まれていないのだ”ということにも気付かされる。昔読んだ本に、“博士論文は最初から最後まで自分で書く、文献を引っぱるのは一番最後!”という、主張というかアドバイスがあって、わたしは“うぎゃー”と思ったわけだが、今では“ふむふむ”と思う。

 文献は自分の言いたいことの“補強”なのだ。もちろん、“研究”においては文献つまり先行研究は導きとなる。それがなければ進むことさえ難しい。先行研究はいわば人工登攀(岩登りの一種)における埋め込みボルトのように、われわれが高みを目指すさいの手がかり・足がかりとなる。だが、“論文(の執筆)”はそのような“研究”が一通り終わってからなされるものである。とりあえずの頂上に辿り着いたあとに書かれるものである。論文はその頂上で書かれるべきものであると言ってもよいかもしれない。だから、はじめに手を掛けたところから登頂までの道筋を自分の思考のなかで再現できなければならない。そのさい、先行研究には頼らない。頼らずに登りなおすことが必要だ。だからその段階での先行研究というのは、自分で登頂できたあとに“あそこはあの論文に助けられた”、“あそこはあれだ”というふうに、思い出の対象となる。

 もちろん、来た道を再現しているうちに怪しくなって、“あれ、あそこはどうだったっけ?”と思うこともある。そのときはまた先行研究に当たる。そこで新たな文献に出会うこともあり、“なんだ、あそこにはこんないいボルトがあったのか”ということもある。だからといってそのボルトを使って新しい道筋を探さなければならないかと言えば、そうではない。それを自分が通ってきた道筋のなかに位置付ける。思考を再現する段になると、自分の枠組みなるものがしっかりしてくるから、自分にとって必要なボルトなのかそうでないのか、必要だとすればどこに必要なのかがわかってくる。たしかに局所的には“あれ、ここはどうすればいいんだ?”という事態が出現することもあるが、大局的には“こうすればいい”という指針があるからそれほど心配しなくてもいいのである(たぶん)。

 
 あー、タイトルどうすっかなあー。


@研究室
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by no828 | 2010-03-28 19:45 | 思索 | Comments(0)
2010年 03月 27日

求めんとする意志が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる——立花隆『青春漂流』

 晴れ。陽射しは温かいが、空気は冷たい。今日は久しぶりにおもしろい論文を読んだ。わかりにくい英語で苦戦したが、大意は掴んだ。


c0131823_19371512.gif31(264)立花隆『青春漂流』講談社文庫、講談社、1988年。

版元

* 単行本は(株)スコラより1985年に刊行。


 11人の若者の生きる姿。と言っても、全員男性だが。女性が出てくるのは、登場人物の妻としてである。“食えないときには妻が支えてくれて……”というパターンの“美談”。時代の制約かなあ。


 平均的には、三十代までを青春期に数えていいだろう。孔子は「四十にして惑わず」といった。逆にいえば、四十歳までは惑いつづけるのが普通だということだ。
〔略〕
 迷いと惑いが青春の特徴であり特権でもある。それだけに、恥も多く、失敗も多い。恥なしの青春、失敗なしの青春など、青春の名に値しない。自分に忠実に、しかも大胆に生きようと思うほど、恥も失敗もより多くなるのが通例である。
 迷いと惑いのあげく、生き方の選択に失敗して、ついに失敗したままの人生を送ってしまうなど、ありふれた話だ。若者の前にはあらゆる可能性が開けているなどとよくいわれる。そのとき、“あらゆる可能性”には、あらゆる失敗の可能性もまた含まれていることを忘れてはならない。

■(8 プロローグ)

 以前「惑わずに生きるためには惑う必要がある、か」ということを書いたのを思い出した。


 人生における最大の悔恨は、自分が生きたいように自分の人生を生きなかったときに生じる。
■(11 プロローグ)


「マルクーゼは『労働の外にユートピアを求めるな。労働の中にユートピアを求めよ』というんです。我慢してやる労働は疎外された労働で、もちろんその中にはユートピアはない。しかし、そうではなくて、遊びのような労働がある。誰かに強いられてするのではなくて、自由に自分の発意でする労働、何らかの欲求を抑圧しながらする労働ではなく、欲求を満足させるための労働、自分の能力を発見できることに喜びを感じられる労働、そういう遊びか労働かわからないような自由な労働の中にユートピアがあるというんです
■(32-3 塗師・稲本裕)

 マルクーゼ、読んでみようかなあ……。


「それで、思いきって、会社をやめて、ナイフ造りに自分を賭けてみようと思ったんです。そのとき二十八歳でしてね、こう考えたんです。人間、三十歳を過ぎたら、人生の将来設計もたてられずに、職業をあれこれ変えてウロウロすべきではない。しかし、三十歳までは人生の試行錯誤期間なのだから、少しウロウロしてみたほうがいいのではないか。三十歳まであと二年ある。この二年間を思いきってナイフに賭けて、それがものになるかどうか試してみよう」
■(55 手作りナイフ職人・古川四郎)

 同じような心境です。今のうちに専門以外のこともいろいろ勉強する、というのがわたしにとっての“ウロウロ”で、それは決して将来のためだからと思ってしているわけではなく単純に愉しいからしているのだけれども、しかしやっぱりこの“ウロウロ”は将来にとって決して無駄にはならないはずだともどこかで思っている。むしろ、この“ウロウロ”が強みにすらなるはずだと。


 古川四郎は、人生の選択を迫られる場面になると、必ず安易な道を排して、厳しい道を選んできた。それはなぜかと彼に問うてみた。
「うーん。自分でもなぜかよくわからないんですが、必ずそうしてますね。ナイフ造りもそうなんです。安易にやる方法はいくらもあるんですが、安易てのがきらいなんです。それに、安易てのは妥協を含むんです。妥協がきらいなんです
 妥協を排した人生は楽ではない。楽ではないが、楽しみは多いという。

■(57-8 同上)


いまお前は暗闇の中を走っている。いつ闇を抜け出られるか、誰にもわからん。明日かもしれない。一年先かもしれない。いつ来るかわからんが、必ずその日が来る。そのときお前の人生が飛躍する。とにかくやめてはいかん。後戻りしてはいかん
 という父親の叱咤と激励がなければ、とっくに挫折していたかもしれない。

■(75-6 猿まわし調教師・村崎太郎)


「〔略〕一番本質的なのは、自転車の姿というか型をつかんだということだと思う。自転車で何が大切かというと、バランスなんだね。そのバランスの中心に何があるかといえばフレームなんだ。フレームの形がきれいにきまり、それに合わせて自転車全体の姿がきれいにきまる。その姿のきめ方、きまり方が、心に刻み込まれたということかな」
 私はこの長沢の言葉を面白く聞いた。芸術家や職人など、一芸一道をきわめた名人、達人たちが、その極意を問われたとき、結局、それは型をつかむことだと答える人がほとんどなのである。
 長沢は異郷の地で青春を賭けてがむしゃらに働くうちに、諸芸の達人と同じ域に達してしまったのだといえるのではないだろうか。

■(150 フレーム・ビルダー/長沢義明)


 この連載に登場した若者たち一人一人、それぞれに「船出」の時があった。これというあては何もないのに、自分だけを頼りに、自分の人生を賭けた航海に、未知の大海へ向けて漕ぎ出していく「船出」の時があった。
 注意してもらいたいのは、その「船出」の前の時期である。空海の「〔大学を辞めて私度僧になってから三十一歳で遣唐使船に乗り込むまでの〕謎の空白時代」にあたる時期である。〔略〕
「謎の空白時代」が明らかになってみると、「船出」がやみくもの冒険ではなかったことがわかる。自分の人生を自分に賭けられるようになるまでは、それにふさわしい自分を作るために、自分を鍛えぬくプロセスが必要なのだ。それは必ずしも将来の「船出」を前提としての、意識的行為ではない。自分が求めるものをどこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。そしてまた、その求めんとする意志が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる。
 そのとき、その「船出」を無謀な冒険とするか、それとも果敢な冒険とするかは、「謎の空白時代」の蓄積だけが決めることなのだ。
 青春とは、やがて来たるべき「船出」へ向けての準備がととのえられる「謎の空白時代」なのだ。そこにおいて最も大切なのは、何ものかを「求めんとする意志」である。

■(277-8 エピローグ)

 がんばろう。


@研究室
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by no828 | 2010-03-27 20:18 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 03月 26日

どうせなら羊頭狗肉ではなく狗頭羊肉をば(ラムが嫌いとか言わないの)

 曇天。気温も低い。研究室内は12度。しかし、集中暖房が入らないという理不尽。昨日よりは暖かいが、比較対象の昨日は寒すぎたので比較にならない。こういう極端なものと比較すると、結論が誤って導かれるおそれが増大する。注意。ちなみに、昨日も暖房は入っていない。やっぱり理不尽な大学当局。

 だから今日よりも理不尽かもしれない昨日は、しかし大学の卒業式であった、ようだ。直接は確認していない。だが、某後輩が昼下がりに、別の某後輩が夜になって研究室に来てくれたから間接的には確認できた(もちろん、ふたりとも卒業式であったかのように振る舞っていただけで、実際には卒業式はなかった可能性も否定できない)。

 卒業式があった、と仮定すると、冷たい雨はさぞ辛かったろうと思う。とくに袴を着用した女性陣には辛かったろうと思う。大学当局は、こういうときぐらい理科系の技術を結集して大学の敷地内だけ雨を降らせないぐらいの努力をすべきだ。あるいは、ペデストリアンだけでもいいから、防水のアーチ状のテント的なものを設置して、卒業生および参列者が傘を差さずに、足元を濡らさずに移動できるような配慮をすべきなのだ。

 ということをここに書けるようになったのは、実は1時間ほど前からだ。というのも、朝から室内の無線LANの調子がよろしくなく、インターネットに接続できなかったから。これは今日に限らず、度々あることなのだが、原因がよくわからない。で、何もせずとに4、5時間放置しておくと復旧される。何なんだ。

 ようやく異世界に接続できてメールを確認したら、某論集の製本が納品されたので取りに来るようにとのご連絡が某先生甘木先生よりあり。某D棟まで行こうと思っていた矢先、その某先生甘木先生が著者献呈分10冊を持って研究室に来てくださった。こちらに用があったからついでに、というようなことをおっしゃっていたような気がするし、いないような気もするが、いずれにしても重いものをすみません、ありがとうございました。すれ違いにならなくてよかったです……。製本のうち1冊は実家に届けよう(直接持って行ってもよいが、いつになるかわからないし……まだ使ったことのないメール便というやつを使ってみるか)。

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 某先生甘木先生とはついでに某出版企画のお話も少し。“18歳にわかるように、難しく書かない、脚注も付けない、文献注も付けない、必要な情報はすべて本文に入れるべし、でも難しくならないように”、という結構ヘヴィーな制約の下に書くことになる。が、まずは内容だ。難しくなってもよいからとりあえず最後まで論を展開する。そのうえで質を落とさずに易しい文体にする——求められるのはそういうことだと思う。そのためには、書く内容をしっかりとわかっておくことが不可欠だ。そうしないと文体や表現を変更するたびに内容にもぶれが生じてしまう。文体を平易にしたから内容もそれなりに、というのは避けなければならない。とりわけ日本の「哲学者」と呼ばれる人たちの書いた文章を読むと“これはエッセイか”と、“これは文学か”と、“文章にはだいぶこだわりをお持ちのようですが〔以下、省略〕”と思うこともしばしばである。そうはなりたくない。内容を詰めていこう。

 
@研究室
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by no828 | 2010-03-26 16:37 | 日日 | Comments(4)
2010年 03月 25日

でしょうね。思ってはいない。だから呪いだというんです——宮部みゆき『楽園』

 引き続き。
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版元(上巻)版元(下巻)

30(263)宮部みゆき『楽園(上・下)』文春文庫、文藝春秋、2010年。
* 初出は「産経新聞」2005年7月1日〜2006年8月13日連載。
** 単行本は2007年に上下2分冊で文藝春秋より刊行。


 趣味本を、たとえ文庫とはいえ新刊で買ってしまうという背徳。しかも上下2分冊……。ちなみに、上巻503頁、下巻433頁の大部。しかし、一気に読めるのはさすが宮部さんと言わなければならない。

 ストーリーにより没入するには、『模倣犯』を先に読んでおくとよい(わたしは読んでいた)。というのも、『楽園』の主人公のライター前畑滋子は『模倣犯』の主人公でもあったからである。両作においては連続性が保たれている。本文に出てきた印象的な言葉として「喪の仕事」というのがあるが、『楽園』は『模倣犯』にとっての「喪の仕事」でもあるように思われる。

 書けるはずのない絵を書いて事故死した少年・萩谷等の絵から見えてくる人間の強さと弱さ。



もう目を背けないという覚悟は、積極的に立ち向かうという宣言とは違う。 
■(上・19)

 完全にコンテクストから離脱させていますが、体幹をちょっと引っ掻かれたもので。


「でも、この絵にこだわってしまう」滋子の発言を制して、秋津は続けた。「この絵をひと目見た瞬間に、これに囚われてほかのものが見えなくなってしまった。そうでしょう?」
 事実だったから、滋子は渋々ながらうなずいた。
「呪われてるんだ。未だにね」
「呪いだなんて! わたしは——そんなふうには——思ってないけど」
「でしょうね。思ってはいない。だから呪いだというんです」

 太い鼻息を吐いて、秋津は軽く笑った。

■(上・180 傍点省略、以下同様)
 
 本人は思っていない、しかし端から見れば何かに憑かれている——それを「呪い」だとするならば、と言って別のコンテクストに移動するが、研究においてこの「呪い」を明らかにするのが哲学(あるいは思想(史)研究)の役割なのかなあと、ここを読んで思った。もちろん研究において「呪い」などという言葉はほとんど出てこない(呪術研究などでは頻出すること間違いなしだが)。研究において「呪い」にあたるのは——とくに自覚されていない——「前提」とか「仮定」とか「立場」とかそういうものたちである。それらを取り出して吟味するのが哲学の役割だ——というのが目下のわたしの哲学観である。
  

 次に滋子は、大まかな〔調査の〕スケジュール表をこしらえた。萩谷等についての調査を、どの角度からどう進めるか。まず何をやるべきか。何を調べ、誰に会うべきか。最初は思いつくそばから書き出してゆき、ある程度書き尽くしたところでそれを整理する。
■(上・196)

 研究でもこの手順は大事。


 滋子の目には、こういう〔子ども・孫のなかでもっとも扱いやすい者を仕事や結婚をさせずに家に残すという〕やり方も一種の“虐待”に見える。子供から人生を取り上げ、自身の意志を持つことを禁じ、労賃なしのお手伝いさん扱いするのだから。
■(上・232)

 前近代と近代の衝突。


「何だそりゃ。宇宙人か?」
 滋子の肩越しにのぞきこんで、昭二はそう言った。
「これ、昭ちゃんだよ」
 それからが大騒ぎだった。昭二はさんざん抗議したり笑ったり怒ったり鏡を見たりして、滋子はそれを見て笑い、しまいには昭二が鉛筆を握り締めてスケッチブックに向かった。五分としないうちに描いたページをこちらに開いてみせて、
「これが滋子だ」
 ロングヘアの“へのへのもへじ”だった。
「夕飯、食べさしてあげない」
「待て待て! 早まるな! 描き直す!」
 何度描いても結果は同じ。二人とも絵心がない。からっきしダメだ。仲良くビールと焼酎を飲んだ。
「思ったより難しいもんだな」
 昭二は自分の太くて短い指をつくづくとあらためる。
「滋子の顔なんて、隅から隅までよく知ってるつもりなんだけどさ。いざ絵に描こうとすると、わかんなくなっちまう」
知ってることと、知ってることを表現することは別なのよ
「また小難しい言い方をする」

■(上・289)

 まさにそう。それにしても、こういうやり取りは、いいなあ。


 免許を取って二年だというが、誠子の運転はスムーズだった。
「わたし、免許を取るつもりはなかったんですよ。でも、達ちゃんが取れ取れって言うもんだから」
 別れた夫——井上達夫のことを、誠子は「達ちゃん」と呼んでいた。

■(上・)

 一瞬びくっとした。井上達夫という名前の法哲学者が実際にいるからだ。知っている研究者の名前がいきなり小説などに登場すると驚くということを知った。そして、井上先生も奥さまに「達ちゃん」と呼ばれていたのかなとか、余計な想像力を働かせてしまう。

 引用は以上だが、誤植と思われる箇所を最後にひとつ。


「ハイ、おすそ分け」
 敏子の土産だと説明して、飴の袋を差し出した。
「萩谷さんはとっても気を使う人だから、若い女性の一人暮らしのあなたに、いきなり宅配便を送りつけたりしないと思うの。だから、ね」
 誠子は子供のように喜んだ。

■(下・278)

「気を使う」は「気を遣う」が正しいはず(もちろん、言語において「正しい」とは何かという問いは残る)。これが現出する直前の277頁では、「敏子らしい気遣い」という表現が実際に使われている。したがってこの箇所は誤植と言ってよいと思う。同一作品中の表現方法の統一という観点からも、これは要修正であろう。

 よろしくご検討くださいませ > 版元さま

@研究室
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by no828 | 2010-03-25 15:33 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 03月 25日

留置されて最初のうち一番つらかったことは私が自由人の考え方をしていたことだった——カミュ『異邦人』

 昨日から雨。今はもう小雨だが、気温はなお低め。

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 版元 

 29(262)カミュ、アルベルト『異邦人』窪田啓作訳、新潮文庫、新潮社、1954年。
 * 原著:Camus, Albert, 1942, L'Etranger.

 言わずと知れた作品。頭から通して読んだのは初。ストーリーは知っていた。まさに“意味”が不明な小説だと思っていた。だが、今回読んでみて、わからなくはないと思った。共感までは行かないまでも、想像力は届くような気がした。

 わたしの研究対象に引き付けてカミュを語れば、という余計なことをしてしまうが、彼は哲学者のジャン=ポール・サルトルとともにユネスコ(*)を発足当時から支持している。カミュは、フランス〔政府? or 国内委員会?〕を代表するユネスコ執行委員であったが、1952年にユネスコと訣別する。というのも、フランス政府がフランス・ユネスコ国内委員会の反対を無視し、フランコ独裁政権下のスペインのユネスコ加盟を承認したからである(**)。
* ユネスコは、国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization: UNESCO)の通称。1945年にユネスコ憲章が採択、1946年に加盟国が署名したことにより憲章が発効、組織としての設立を見る。
** ここまで書いて、わたしはユネスコにおける「政府」と「国内委員会」の違いについて何となくしかわかっていないことに気付く。

 前置きが長くなってしまった。


判事は私をさえぎり、重ねて私に訓戒を施し、すっかり立ち上がって、私が神を信じるか、と尋ねた。私は信じないと答えた。彼は憤然として腰をおろした。彼は、そんなことはありえない、といい、ひとは誰でも神を信じている、神に顔をそむけている人間ですらも、やはり信じているのだ、といった。それが彼の信念だったし、それをしも疑わねばならぬとしたら、彼の生には意味がなくなったろう。「わたしの生を無意味にしたいというのですか?」と彼は大声をあげた。思うに、それは私とは何の関係もないことだし、そのことを彼にいってやった。ところが、彼は、机ごしに、クリストの十字架像を私の眼の前に突き出し、ヒステリックなようすで叫んでいた。「私はクリスト教徒だ。私は神に君の罪のゆるしを求めるのだ。どうして君は、クリストが君のために苦しんだことを信じずにいられよう?」
■(74-5)

 信念の対決に決着は付かない。


留置されて最初のうちは、それでも、一番つらかったことは、私が自由人の考え方をしていたことだった。例えば、浜へ出て、海へと降りてゆきたいという欲望に捕えられた。足もとの草に寄せてくる磯波のひびき、からだを水にひたす感触、水のなかでの解放感——こうしたものを思い浮かべると、急に、この監獄の壁がどれほどせせこましいかを、感じた。これが数カ月続いた。それから後は、もう私には囚人の考え方しかできなかった。私は、中庭での毎日おきまりの散歩や、弁護士の訪問を待っていた。残りの時間はうまく処理した。その頃、私はよく、もし生きたまま枯木の幹のなかに入れられて、頭上の空にひらく花をながめるよりほかには仕事がなくなったとしても、だんだんそれに慣れてゆくだろう、と考えた。
■(82)

 適応的選好形成。


 検事が腰をおろすと、かなり長い沈黙がつづいた。私は暑さと驚きにぼんやりしていた。裁判長が少し咳をした。ごく低い声で、何かいい足すことはないか、と私に尋ねた。私は立ち上がった。私は話したいと思っていたので、多少出まかせに、あらかじめアラビア人を殺そうと意図していたわけではない、といった。裁判長は、それは一つの主張だ、と答え、これまで、被告側の防御方法がうまくつかめないでいるから、弁護士の陳述を聞く前に、あなたの加害行為を呼びおこした動機をはっきりしてもらえれば幸いだ、といった。私は、早口にすこし言葉をもつれさせながら、そして、自分の滑稽さを承知しつつ、それは太陽のせいだ、といった。廷内に笑い声があがった。
■(109-10)

 わからなくはない。ただし、あくまで想像の世界において。


@研究室
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by no828 | 2010-03-25 14:14 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 03月 22日

数十円——あぶないところだったぜ

 昨日と打って変わって穏やかに晴れる。

 通常どおり研究室に来るが、しかし行なうべきは某書類作成。3時間で終わるはずとの見込みを裏切り、何だかんだで半日を費やす……。

 郵送するにあたり、現金が不足気味であることに気付く。昨日某カスミで買い物金額がちょうど1,000円であったため、一瞬今日の郵送料のことが頭をよぎるも、すぱっと1,000円札1枚で払ってしまったことが直接の原因だ(カードにすればよかったという後悔は先に立たない)。残金1,740円ほど。ぎりぎり間に合う? 今日は祝日 → ATMは手数料を搾取(むっ)。ゆえに現金引き出しは最後の手段。研究棟のなかに知り合いはいないか軽く見て回るも、いない(祝日だしね)。

 以前、某まるものATMは手数料を取らないと聞いたことがあるので、一縷の望みを某まるもに託す。書類一式を揃えてまずは某まるもへ。しかし……ATMどこ? わかりにくい。ようやく見つけて説明を読むと何だかんだで手数料を取るらしい(むっ)。

 あきらめて郵便局へ。そこで偶然わたしに“某まるものATMは手数料を取らないよ”と以前教えてくれた某氏に出くわす。とりあえず某ゆうちょのATMで現金を引き出すことを試みるが、あなたのカードではダメ! と電子表示される(Why not?)。そこで某氏に念のため1,000円借りることにする。

 窓口に並んでカミュを読み、順番になったので速達+簡易書留でお願いする。“結構重いし、1,500円ぐらいかなあ”と思っていたら、「1,780円です」と比較的きっぱりと通告される。

 !

 あぶないところだったぜ。

 どうしてそんなにかかるのかと言えば、何せ書類だけなのに1kgもあり、そのうえで速達と簡易書留だから。同じ書類5部出せって言うし、郵送書留以外ダメ! って言うし。通信料を甘く見てはいけない。お金を借りておいてよかった。助かりました > 某氏。

 そして再び研究室へ。途中で聞いていたラジオでは「旅ではやっぱり直にコミュケーションできるのがいいですよね」といった趣旨のお便りを紹介していたが、何だか引っかかった。それは、「直に」が「ちょくに」と読まれていたからだと直後に気付く。「じかに」ね。(* ちなみに、それを読み間違えた人の名字はアソーではない。一応注意)

 夜はやっぱりちょっと冷えるなあ。


@研究室
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by no828 | 2010-03-22 19:01 | 日日 | Comments(0)