思索の森と空の群青

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2010年 06月 24日

流行する共生をまずは相対化する

 ネット上でたまたま見つけた本2冊。まだ触れても読んでもいない。

 本当は“共生本出版企画会員制ブログ”に載せたほうがよいのであろうが、何となく気が進まないのでこちらにメモしておく。

 というよりも何よりも、「共生」、流行ってますねっ!
 
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 版元

 多文化共生キーワード事典編集委員会編,2010,『改訂版 多文化共生キーワード事典』明石書店.
 * どういう人たちが執筆しているのか気になるぞ。

 目次
 第1章 多文化社会とマイノリティ
 第2章 移民と日本人
 第3章 在日外国人
 第4章 教育
 第5章 政府・自治体
 第6章 市民運動・NPO
 資料編
 「多文化共生」関係法令等一覧 

 目次を瞥見すると、どうやら“日本の話”に限定されているみたいだ。


 
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 版元

 日本国際教育学会創立20周年記念年報編集委員会編,2010,『国際教育学の展開と多文化共生』学文社.

 目次
 先住民族をめぐる教育政策の課題と国際教育学の視座
 グローバル化における国際教育と「多文化共生」
 多文化共生社会におけるコミュニティと国際教育
 日本社会の多文化化に伴う教育上の課題と東京外国語大学の取組み―国際教育学への期待
 英国における「コミュニティの結束」政策とエスニック・マイノリティの教育
 激烈な生徒争奪戦を繰り広げる中国の中等職業学校
 中国における観光業中等職業学校の設立と発展―70‐80年代に設立された伝統校数校を事例として
 生涯学力と学力政策―イギリスの学校における「拡張サービス(extended service)」の取り組み
 学力政策と「普遍的学習行為」の形成―ロシアの場合
 生涯学力形成と学校教育―日本の場合
 中国の流動人口における養育環境―パーソナル・ネットワークとの関連において
 台湾の日本統治時代における「國語」教科書に見られる原住民の記述に関する考察
 オーストラリアの博物館における民族文化に関する活動―遺骨・遺物の返還を中心として
 日本国際教育学会20年のあゆみ

 目次の印象だと、わたしは“国際教育学者”ではなさそうだ。そもそも「国際教育学」も複数の意味合いを付与されることが多い。ここでは“国際理解教育+外国教育”という定式化でよろしいか。


 いずれにしても、「共生」概念がどのように把握・解釈されているのか、また、「共生」がどのように教育と関連付けられているのか、確認はしておきたい。わたしの近しい人で入手済みの方、入手予定の方、ご一報くださいませ。


@研究室
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by no828 | 2010-06-24 20:20 | 日日 | Comments(0)
2010年 06月 23日

人生は、もっとさりげない感情の集積で進んでゆくものなのだ——サガン『愛は束縛』

 48(281)サガン、フランソワ『愛は束縛』河野万里子訳、新潮社(新潮文庫)、1994年。

 画像なし。版元の新潮社のサイトには書誌情報すら載っていない。絶版?

 挫折した売れない作曲家・ピアニストのヴァンサンが資産家の娘ローランスと結婚。お金を持たないヴァンサンはローランスに負い目を感じ、控え目な態度しかとれない。だが、ヴァンサンの音楽が当たり、ヴァンサンは富と名声を手に入れることになる。そのときふたりの「愛」は……というお話。

 いまいち没入できなかったが、Aという状況下で、Bという条件下で成り立っていた「愛」は、Aという状況、Bという条件がなくなったときにどうなるのか、継続するのか、破綻するのか、ということを考えさせられる。すべての人間はある状況、ある条件に制約されながら生きている。その状況、条件が大きく変わったときにもなお残るもの、変わったからこそやっぱり変わるものは何なのか。


「きみはぼくを、本当に愛していたわけではなかった」ぼくは再び語気を強めた。「人を愛するということは、その人のためを思うことだ。その人を幸福にすることで、幸せを感じることだ。なのにきみは、ただぼくを自分のそばに置いておきたかっただけだ。自分でもそう言っただろう。そうしてぼくがここにいる時、ぼく自身が幸せかどうかは全く考えていなかった」
「ええ、そうよ、そうだわ! じゃあ私はどうすればよかったっていうの? あなたはいつも、ちょっと不満でちょっとうんざりしていて、気まずくて、いらいらしていて、それもこれも心ゆくまで遊んでいないからとか、他の人に会いたいからとか、そんな理由ばかりだったじゃないの。でも私はね、あなたに顔をそむけられるのは、ナイフで刺されるみたいにつらかった。わかる? 虚しかったのよ、心を引き裂かれるみたいだったのよ。私は壁に頭を打ちつけて、爪で肌を掻きむしって。あなたが怖かった。わかる、ヴァンサン? あなたが怖かった。わかるわけがないのよ」
 彼女の言葉はぼくに、《愛着を抱いた獲物に没頭するヴィーナス》の姿を想起させた。だが人生は、もっとさりげない感情の集積で進んでゆくものなのだ。ともかく日常生活においては。

■(229-30)

□訳者あとがき
 原題は“LA LAISSE”というのだが、これはペットの犬を散歩させる時の革紐のことである。柔らかくしなやかでありながら、しっかりと犬をつなぎとめておき、もし犬が自由に走り出そうとでもするなら容赦なくその動きをさえぎることのできるもの、へたをすれば犬の首を締めてしまいかねないもの——そういう意味が込められている。
■(252)


@研究室
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by no828 | 2010-06-23 18:15 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 06月 18日

世界を変えるデザイン展 → オルセー美術館展2010

 13日(日)は弟(次男、3人兄弟の真ん中)の誕生日であった。「おめでとう」のメールを送ってから、わたしは後輩たちと東京に行った。目的は、その日最終日の「世界を変えるデザイン展」@六本木。

 BOP(the Base of the Pyramid)ビジネス、つまり世界の所得別人口構成の最下層に位置付く途上国人口を潜在的消費者層(労働者層としても?)と見なし、そこに積極的にビジネスを仕掛けていく考え方の、ひとつの具体的な姿。デザイン展では「教育」もひとつのビジネスの柱とされていたこともあって、見に行くことにした。

 まずはどのようにして水を確保するか、そしてどのように安全な水を確保するか、という観点からいくつかのデザイン性に配慮した器具が陳列されていた。なるほど、と思いながら見て回った。

 ただ、教育のところでは、やはりどうも引っかかることがあった。展示の中では、“途上国の子どもは十分な教育を受けられないか、教育をまったく受けられない、だからとくにICTを活用した教材が必要なのだ”という言説が掲げられており、“いやぁ、そうなのかなぁ”と考えたりした。

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 ポイントは、「教育」をどのようなものとして捉えるか。親や共同体の構成員が子どもに狩りの仕方を伝授する、それもひとつの教育であるとするならば、途上国では教育を受けられない子どもがたくさんいるとは言えない。“あるタイプの教育は受けられているが、それとは別のタイプの教育は受けられていない”、そのように言うことができるのみである。

 たしかに、その「別のタイプの教育」が必要とされているのであれば、“だから教育が必要だ”と言うことはできる。しかし、それでもなお考えるべきは、“誰がそのような「別のタイプの教育」を必要としているのか”ということだ。これがBOPビジネスの一環であるということを踏まえるならば、その「誰が」の部分に対する答えは自ずと見えてくるように思われる。だが、「教育」とはそもそも教育する者が構想するものであり、いくら“受け手(学び手)のニーズを”と言ったところで、“それ”がニーズであるかどうかを判定するのは教育者の側であり、結局は教育者に掛かっている。だからビジネスに見合った教育を、という教育者が出現することは当然と言えば当然である。しかし、それだけでよいとはわたしは考えない。もちろんわたしも、BOPビジネス推進者と同様、途上国の現状がこのまま維持されればよいとは思っていない。変える必要はあろう。では、どう変えるのか。わたしには正直、“これだ”という答えを提出することができない。もはや万能薬はない。何を提出しようと、必ず“問題”は発生するからである。だからその問題と課題を指摘することが必要になる。そういう役割を担うのがわたしにとっての研究者のひとつの役割である。

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 などと考えながら、近くの国立新美術館で開かれていた「オルセー美術館展2010」にも行く。

 わたしは美術には疎いが、こういうのを観ることは好きである。自分の感性に飛び込んでくるものを探すのはおもしろい。

 今回印象に残ったのは、点描という画法。鮮やか。同時に、どうしてこういう描き方を思い付いたのか、とか。そして、そもそもどうして絵を描こうと思ったのかしら、とか。表現したかった、伝達したかった、でも言葉だけでは足りなかった、そういうことなのかなぁ。

 退館後、「ちょっとお腹空いたよね」ということで、六本木の某マックでチキンタツタのセットを食べてから298に戻ってきた(チキンタツタ、あんまり感動しなかったよ)。そのまま駅近くの某庄やで乾杯していろいろ話して解散。たのしい1日でした。


 世界を変えるデザイン展
は終わってしまったけれど、オルセーは8月16日まで!
 オルセー美術館展2010


@研究室
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by no828 | 2010-06-18 20:03 | 日日 | Comments(0)
2010年 06月 17日

次の選挙でいちど進歩党に政権をとらせてみるといいのよ―—大江健三郎『性的人間』

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47(280)大江健三郎『性的人間』新潮社(新潮文庫)、1968年。

版元


 「性的生活」、「セヴンティーン」、「共同生活」の3編を収録。個人的にもっとも意味がわかったのは「セヴンティーン」。60年安保闘争前後の状況。


「自衛隊がなぜ税金泥棒? もし自衛隊がなくて、アメリカの軍隊も日本に駐留していなかったら、日本の安全はどうなると思う? それに自衛隊につとめている農村の二、三男は、自衛隊がなかったら、どこで働けるの?」
 おれは詰った。おれの高校は都下の高校でも一番進歩的な所だ、デモ行進もやる。それで級友が自衛隊の悪口をいうたびに、おれは自衛隊の病院の看護婦をしている姉のことが頭にあって、自衛隊の弁護をした。しかし、おれはやはり左翼でありたい気がするし、気分の点でいっても左翼の方がしっくりする。デモ行進にも行ったし学校新聞に、基地反対運動には高校生も参加すべきだという投書をして新聞部顧問の社会科の教師によびつけられたこともあった。そしておれは、姉の言葉をひっくりかえしてしまわなければ、と思いながら詰ってしまったのだ。
〔略〕
「〔略〕日本にいるあらゆる外国兵力が撤退して、日本の自衛隊が解体して日本本土が軍事的に真空の状態になったら、たとえばの話だけど南朝鮮との関係がうまく日本に有利なように運べると思うの? 李承晩ラインのあたりで今でも日本の漁船はつかまってるのよ。もし、どこかの国が小さな軍隊でも日本に上陸させたら、軍事力がまったくないのではどうすることができるの?」
「国連に頼めばいいじゃないか、それに南朝鮮は別にして、どこかの国の小さな軍隊なんていうのがクセモノなんだぜ、日本になんかどこの国も軍隊を上陸させたりしないんだ、仮想敵国なんてないんだ」
「国連もそんなに万能じゃないのよ。火星から攻めてくるのじゃなくて、地球の上のどれかの国の軍隊が攻めてくるときには、その国が国連のなかでもってる利害関係もあるし、いつも日本人のためばかり思ってくれるとは限らないわ。それからねえ、朝鮮戦争でもアフリカの隅っこの戦争でもそうだけど、国連軍が介入するのは一応戦争がはじまってからよ。日本の陸の上で戦争が三日間でもおこなわれてたら、ずいぶん沢山の日本人が死ぬわ。それからでは国連軍も、死んだ日本人にとっては意味ないわ。日本になんかどこの国が、というけど、基地として日本をもつともたないのとでは極東では大きなちがいよ。もしアメリカが撤退したら、左翼の人は不安をなくすためにソ連の軍隊を基地をみちびきいれたくなるんじゃない? わたしだって、基地のアメリカ兵とふれる機会があるわ、あなたよりもあるわね。それでやはり外国兵が日本にいることはよくないと思うのよ。自衛隊が充実するほうがいいと思うの。農村の二、三男を失業から救うことにもなるんだし
〔略〕
「いまの保守党内閣の政治が悪いから、農村の二、三男も失業するんじゃないか、政治が悪くてできた失業者を、また悪い政治のために使っているだけじゃないか」とおれは昂奮していった。
でも、戦後の復興と経済の発展は、その悪い筈の保守党内閣のもとで進められてきたのよ」と姉は逆にまったく昂奮しないでいった。
〔略〕
「〔略〕わたしには左翼の人たちが狡いように思えるのよ。民主主義の守り手のようなことをいいながら議会主義を守らないわ、そしてなにもかも多数党の横暴のせいにする。再軍備反対、憲法違反だといいながら、自衛隊員になにか他の職業につくようにと働きかけはしない。本気じゃなくて、ただ反対してみるだけのような感じよ。保守党の政府のミキサーでつくった甘い汁を飲んでおいて、辛い汁だけ政府のせいにするようなところがあるわ。次の選挙でいちど進歩党に政権をとらせてみるといいのよ。基地からアメリカ軍を追っぱらって、自衛隊をつぶして、それで税金をさげて失業者をなくして経済成長率はぐんぐんあげていくかどうか見てみたいわ。わたしだってなにも嫌われながら自衛隊の看護婦なんかしていたくないんだから、良心的で進歩的な労働者になれるのなら大喜びよ、まったくの話がねえ……」

□(129-32)

 軽く目眩が……。

 今日的状況との重なり。

 ちなみに、この高校生の少年はこのあと右翼団体に参加するようになっていく。


@研究室
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by no828 | 2010-06-17 12:52 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 06月 16日

HINANO TAHITI

 HINANO TAHITI

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 販売元

 フランス領ポリネシアのタヒチのビール。やや甘いけれど、コクがある。嫌いではない。缶のデザインもかわいいが、表象文化論的視点からするとすぐには首肯してはいけないような気もする。

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@研究室
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by no828 | 2010-06-16 21:40 | ビール | Comments(0)
2010年 06月 15日

愛だよ、愛——chisa、おめでとう!

 暑い。土曜日も暑かったが、晴れてよかったのが土曜日。

 12日(土)は chisa の“1.5次会”的結婚披露宴@坂戸に出席。某付属高校がある坂戸だが、行くのははじめて。そのため、埼玉県内における坂戸の位置がまったくわからなかったのだが(今もわからないが)、TX - 武蔵野線 - 東武東上線という連絡で向かったことから、南(南西)に下って、西に行って、北に行った、のかと推測している。

 到着して席に着くと、わたしの知らない方々ばかり。行く前の勝手な予測としては、“わたしのテーブルの人はみんな単独の個人参加だ、つまり新婦の「会社上司」とか「会社同僚」とか「中学友人」とかのグループではなくて、単独で呼ばれているはずだ、だから1対1で話ができるかもしれない”であったのだが、実際は「会社同僚+上司」は5人、「中学友人」は3人の集団参加らしいことがだんだんとわかってきた(わたしの他にもおひとり、単独で参加されている方もいらっしゃったが、その方は新婦の小学校時代の恩師であった)。

 彼/彼女らには共通の話題と文法がある、しかしわたしにはない……こういうときに積極的に話しかけられないわたしは、メッセージ・カードにメッセージを記入したり、手作りのお料理をいただいたり、新郎新婦の情報が盛られたパンフレットを熟読したりしていた。パンフレットには、ふたりのそれぞれの考え方が反映され、それが結構ばらばらではあるけれどもふたり一緒になったらうまくバランスが取れるのではないかと思わせるような内容であった(それはふたりの話すこと・ふたりのことを話すことを聞いていてもよく伝わってきた)。が、1カ所(もしかしたらそれ以上あったかもしれないが)同じようなコメントを寄せているところがあった。それは、「結婚とは」というところで、新郎新婦それぞれ、「並々ならぬ決意」、「断固たる決意」と書かれてあった。

 そこが気になったのは、たしかに“他が異なる中での局所的な内容の一致”ということもあるが、それ以上に、おそらくわたしが「愛とは何だ」ということを(常に?)考えているからだと思う(一時期そういうツイートばかりしていたことがあった)。わたしは目下、「恋」は受動的行為(してしまうもの)、それに対し「愛」は能動的・覚悟的行為(するもの)であると考えている(「覚悟」の対義語は何だ)。だからこそわたしは「結婚」を「決意」と見なしたふたりに「愛」を見て取り、そこが印象に残ったのだと思う。

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 決意の入刀。お幸せに!
 (註:本当はもっと写真を撮りたかったのだが、ひとりだと撮りに行くのが恥ずかしくて控えてしまった。むむむ)


 それから、ふたりを祝福しつつ、両家の家族の温かさなどを感じつつ、披露宴がキリスト教のある宗派の決まり事に従って進行したので(かつ、話す相手もいなかったので……)、以下のようなことも考えていた。

・「神」とは何か。(* 方法論的哲学者という知的態度を採るわたしとしては、世界の原理や審級としてすぐに神を置くわけにはいかない。)
・「生前の世界」と「死後の世界」の関係はどうなっているのか。たとえば、「生前の世界 < 死後の世界」であったりするのか。
・ 親がある宗教に入信したら、子どもも(自動的に?)その宗教に入ることになるのか。拒否するという選択は実質的にないのではないか。「親」と「子ども」の関係はどうなっているのか。
・ 当該宗教を信じている人にとっての「自由」や「選択」や「責任」とは何か(うわわ、抽象的な書き方だ!)。
・ 信じること・ものが違う者同士のあいだに愛は成立するか(……少なくとも理論的には、これは何だか成立しそうな気がしてきたぞ)。成立するとしたら「信じる」と「愛する」は違うことになるが、それらの関係はどう考えればよいのか。
・ 信じること・ものが違っていても、物理的に共に生きざるをえない者同士が共に生きていくために必要なのは、(あえて二元論的に言えば)お互いへの関心と理解なのか、あるいはお互いへの無関心と無知なのか。
・“神への愛”と“人間への愛”は違うのか。違うとすれば、どう違うのか。

などなど。

 ふたりの幸せもたくさん分けてもらったが、同時にたくさんの宿題をももらってきてしまった気がする……。でも、考えなくてはならないことだと思うし、考えることは愉しい。


@研究室
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by no828 | 2010-06-15 20:37 | 友人 | Comments(0)
2010年 06月 11日

多数性は多数性として肯定され、生成は生成として肯定される——ドゥルーズ『ニーチェ』

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 版元

 ドゥルーズ、ジル『ニーチェ』湯浅博雄訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1998年。

 これまでの哲学をひっくり返した人・ニーチェ。しかしながらこの本は、ニーチェ入門というよりもむしろ、ドゥルーズ入門と言ったほうがよいと思われる。

 すべての価値が確実ではないと知ったとき、どう生きていけばよいか。


 〔一八六九年に〕バーゼル大学教授に就任したため、ニーチェはプロシア国籍を離れて、スイス市民となっていた。一八七〇年のプロシア - フランス戦争の間、彼は〔プロシアの?〕看護兵として戦地に赴いた。そこで彼は自分の最後の「重荷」を、つまりある種のナショナリズム、プロシアとビスマルクに対するある種の共感を、完全になくするのである。もはや彼は文化と<国家>を同一視する考え方を認めないし、軍事上の勝利が文化にとってなにかの前兆であるなどと信ずることもできない。ドイツに対する彼の侮蔑は既に現われており、ドイツ人のあいだで暮らすのは彼には不可能となる。
□(12)

 自分の生の実感が自分の哲学を形成する、“ニーチェという市民”(A)と“ニーチェという哲学者”(B)は同じ“ニーチェという人間”なのである、“Aとしてはこれをするが、Bとしてはそれを認めない”、ということをたぶんニーチェは認めない——ということよりもまず気になったのは、ニーチェがプロシア国籍を離脱したのちに戦争に従事し、おそらくプロシア側の看護兵として出兵していることである。「スイス市民」という曖昧な表現が何を意味しているのかわからないが、プロシア国籍を持たないニーチェがプロシア側の兵として従軍したという事実がうまく呑み込めない。


 ニーチェは一個の<自我>の統一性を信じておらず、またそういう統一性を感受することもない。さまざまな<自我>のあいだにある諸関係、つまりお互いに隠されており、ある異なった性質の諸力を、たとえば生の諸力、思考の諸力を表している多様な<自我>のあいだでの、<力>と価値評価の微妙な諸関係——このようなものがニーチェの抱いた概念であり、彼の生の様式なのである。
□(18)


 認識へと至るという理想、真なるものを発見するという目的に代わって、ニーチェは解釈と価値評価を置くのである。解釈はある現象の「意味」を、つねに部分的で断片的な「意味」を定める。価値評価は諸々の意味のあいだで、階層的に上にある「価値」であるか、それとも下にある「価値」であるかを決定し、諸々の断片たちを、その複数性を弱めたり廃棄したりすることなしに総体化する。
□(33.傍点省略)

 <力>への意志。


ところが哲学が退化すると同時に、立法者たる哲学者は、服従した哲学者にその場を譲ることになる。既成の価値の批判の代わりに、さらには新しい価値や新しい価値評価の代わりに、容認された価値を保守する者が出現する。哲学者は生理学者、あるいは医者であることをやめ、形而上学となる。詩人であることをやめて、「公的な教師」となる。彼は自分が、真なるものとか理性とかの要請に服していると言う。しかしこうした理性の要請というものの背後には、あまり理性的ではないような諸力、すなわち国家、宗教、現行の諸価値などの力がしばしば認められる。哲学はもはや、人間が服従するために自分に与えるあらゆる理由を調査し、それらを目録にまとめる作業以外ではなくなるのである。
□(36-7)

  哲学者は立法者であり、生理学者であり、医者であり、詩人である——。


 多数性は多数性として肯定され、生成は生成として肯定される。ということはつまり肯定はそれ自身多数性であり、また同時に肯定はそれ自身生成する、ということである。そして生成と多数性はそれら自身肯定である、ということである。
□(61-2)


 多数性、生成、肯定、能動性、……。


@研究室
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by no828 | 2010-06-11 14:07 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2010年 06月 10日

あの子を探して

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 販売元

 1999年の映画。“子どもと教育であれば”と、たしか chisa に薦められていたものを(なぜか)昨夜観た。

 舞台は、中国農村部の小学校。わたしの知識が正しければ、中国の学校教育制度は小・中=5・4制が義務教育(現在は法制度的には6・3制に移行)。1ヵ月間の代用教員として近くの村から派遣されてきたのが13歳の女の子・魏“老師”。児童がどんどんと学校を辞めていく状況の中で、何とか辞めさせないようにと奮闘する。その中で、児童との関係性の深まりが描かれる。わたしは子どもたちの健気さに胸が打たれた。

 途中、児童がひとり、出稼ぎのために学校を辞め、都市部に出て行くことになる。魏先生はその子を探し出し、学校に連れ戻すために都市部に行く。邦題「あの子を探して」はここから来ている。

 なお、時代は不明。どこかに時代を映す場面が出てこないか注視はしていたが、中国に関する知識が乏しいこともあって見つけられなかった。ただ、「あの子」を探すためにテレビのCM時間を買うのに莫大なお金がかかるといったくだりがあるなど、改革開放後、社会主義市場経済導入後という時間設定を採用しているのではないかとも思われた。

 以下、コメント。

・ 魏先生は1ヵ月50元で雇われるが、それは条件付きの後払い。その条件とは、1ヵ月後に児童数が減っていないこと。魏先生が児童を辞めさせまいとするのは、この給与を確保するため。しかし、映画ではおそらく“都市に出稼ぎに行った児童を探すうちにそうした気持ちは減り、単純にその児童を心配し、何とか探し出したいというふうに心情が変化していった”ということを描きたかったのだと思われる。が、わたしにはその点がいまいち伝わってこなかった。

・ 社会主義国なのに貧困が存在するのはなぜか。児童が都市に出稼ぎに行かなくてはならなくなるのは、父親死亡、母親病気、借金あり、という家庭の貧困状況があるから。しかし、そもそもなぜ社会主義国・中国に貧困が存在するのか、というところがわからなかった。(社会主義市場経済を導入したから?)

・ 社会主義教育学では、“労働と教育の結合”が言われるが、その観点からすると、子どもの出稼ぎというのは正当化される、まではいかないまでも、それを否定することはできないように思われる。“労働と教育の結合”の原理がよくわからないのであれだし、そもそも社会主義における「労働」の本質もわからないのであれなのだが、資本主義市場経済からは問題視されにくい児童労働を社会主義の側から批判するということはできないように思われた。もちろん、児童労働を肯定する根拠は異なるが(資本主義は“労働力になるから”、社会主義は“労働によってはじめて教育が血肉化されるから”)、主張自体は同じになる。

・ “魏先生、誰かに似ているなぁ”と思いながら観ていた。全然浮かんでこなかったが、さっき終わった研究会中に“あっ、森山未來だっ!”と突如思い付いた。

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 出所


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 出所


@研究室
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by no828 | 2010-06-10 20:10 | 映画 | Comments(0)
2010年 06月 09日

ヱビス超長期熟成

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 販売元

 ヱビス超長期熟成(ヱビス120年記念限定品)

 多言を要さず。この濃さがよい。こういうの好き。原材料も麦芽とホップのみ。潔くてよろしい。

 シルクが通常販売になったが、個人的にはこちらの熟度高めのほうを通常販売してもらいたい。よろしくお願いします。まあ、限定だからよりおいしくいただけるということもあるのだけれど。
 

@研究室
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by no828 | 2010-06-09 17:49 | ビール | Comments(0)
2010年 06月 08日

メディシン・イズ・アン・アート——日野原重明・犬養道子『ひとはどう生き、どう死ぬのか』

c0131823_14561272.gif46(279)日野原重明・犬養道子『ひとはどう生き、どう死ぬのか』岩波書店、1997年。

版元



 日野原 私が病気を経験したから、病気を持つ若い人や老人の苦しみやつらさがわかる。
 それが大切なことなんです。病気になったときにはなんと運が悪いと思ったか。ところが、内科医になるためには、病気になって苦しんだということがプラスになっている。病気が私を、臨床家にした。これはまさにキリスト教でいう神様の恩寵です。
 犬養 そのとおり。恩寵です。
〔略〕
 犬養 お医者さんになる人がすべて病気になるってことは難しいですけれども、ちょっと雪道で滑って転んで足でも折ってみるのがいいわねえ(笑)、そうすると、やっぱりわかる。
 日野原 そうですね。

□(26-9)

 経験主義、当事者主義。わかる、そういう医師にいろいろ言われたら納得してしまうかもしれない。けれど、ちょっとした危うさも感じる。“おまえは経験したことないだろう、おまえは当事者じゃないだろう”は人を黙らせることにもなる。


 日野原 私は患者さんにいうんです。痛い場合には遠慮して痛いといわずに黙っている必要はないと。痛いときは痛いといいなさいと私は患者にいうんです。
〔略〕
 私は痛み止めを患者にも十分とらせるのですが、日本ではなるべく痛み止めをのまないように頑張れというんですね。
 犬養 そうなの、そうなの。がまんしなさい、と。
 日野原 陣痛でも何も使わないのがいいというそうです。
 犬養 痛み止めと副作用とは関係ないのですか。
 日野原 辛抱した副作用と比べるとどっちがどうだかわからないですよ。

□(82-3)


 日野原 宇宙飛行の実験にもありましたが、じっとしていると、骨のカルシウムが溶けて尿に出る量が多くなるんです。
 犬養 えっ? ほんと?
 日野原 骨粗鬆症になるわけ。だから、長く休んでいる病人の骨が痩せてくるのは、病気ではなくて体を動かさないからそうなんです。
〔略〕
 日野原 〔略〕いま問題なのは、廃用症候群(ディスユーズド・シンドローム)なんですよ。頭でも、使わないとボケてしまうでしょう。〔略〕心筋梗塞で心臓が弱っていても、上手に使わないと、これが回復しない。それを安静、安静だというのは治癒力をなくすることになる。適当なストレス、刺激が必要なんです。

□(90-1)


 日野原 〔略〕私は、三十九歳でアメリカにいって一番学んだことは「アイ・ドント・ノー」ということが誰の前でもいえるようになったことです。弟子の前でもいえる。そして、この問題は、だれだれ先生がエキスパートだから、その方に聞いてごらんというように、問題解決の方法論を示唆することができる。それが先生ですよ。
 犬養 うん、そうそう。
 日野原 何でも答えられるのが先生というのは間違い。

□(114)

 なるほど。この大学では(というか専攻というか領域では)そういうことあんまりないなぁ。


 犬養 私は戦前、津田塾大に通っていたとき、戦争直前の最後に残ったアメリカ人教師に習ったことがあるんです。その先生に、ある試験のとき、クラス全員が立たされた。先生がいったことは、「みんなよく書いていた。だけど、あなた方の書いたことは、私が一年間しゃべったことを覚えて書いたにすぎない。アメリカ文学とはこういうものだということを、あなた方に書いてもらわなくても、私は自分がいったんだから一番よく知ってる」
 日野原 なるほど。
 犬養 「私がこの質問をしたのは、あなた方がアメリカ文学をどう解釈したかです。私は文学というのはこういうふうに読むのだということを、いくつかの例を示して出したのに、あなた方はそれを聞こうとしないでノートを写しただけだから、ゼロ点をあげた」と。私たちはびっくりしてしまった。先生はつづけて「私は、日米の間がとても悪くなってきたのでもうじき帰ります。これが最後のチャンスだから、あなた方にいまいったことをプレゼントしたい」といわれた。私はこれは大変な先生だと思った。いまだにそのときの姿をおぼえています。
 日野原 すごいですねえ。
 犬養 学生が自分で考えたことを先生が一緒になって、道をつけてゆく、開いてゆく、という作業がどうしても必要なのですね。医者でも看護婦でもみんな同じことだと思います。
 日野原 ほんとにそうですね。

□(117-8)

 すばらしい先生だと思う。“自分で考える”ということをしたかどうか。非常勤先の成績評価におけるわたしの最大の規準もこれ。レポートを読めば大体わかる。


 日野原 日本で「看護」という言葉の前にあったのは、「介抱」という言葉です。
 犬養 そうそう。
 日野原 まず「介抱する」という言葉があるんです。その介抱と手当てをどう英語に訳すかということ、「ケア」なんです。看護婦さんがやる場合には、ナーシング・ケア、医者がやる場合にメディカル・ケア。この「ケア」という言葉はまさに「テイク・ケア・オブ・ユア・セルフ」。あなた自身があなたの体をコントロールして、健康になってくださいということなんです。そのケアという言葉は一九二〇年ごろから医学界に出てきました。
 それまではそういう言葉はなかったのを、ピポディというボストンのハーバードの医学校の教授が、医療で大切なことは患者へのケアだということを『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』という医学雑誌に論文で書いたんです。それが最初。
 ナースのほうはそれからさらに遅れて、ナーシング・ケアという言葉が使われはじめた。日本では一般に看護というと、看護大学の先生たちは、看護学といってくれというんですが(笑)、看護というのは、ケアそのものでしょう。
 犬養 そのとおりです。「学」では困るんです。
 日野原 それを科学が補強するんです。それで、ウィリアム・オスラーがいったことは、「メディシン・イズ・アン・アート・ベイスド・オン・サイエンス」。医学はサイエンスに支えられたアートであるといったのです。〔略〕
 日野原 プリンシプルを立てる。そのプリンシプルを適用するときはいつもインディビデュアル(個別的)。
 犬養 そのとおり。
 日野原 人によって違う、相手によって違う。時期によって違う、タイミングも違う。〔略〕
 犬養 そうそう。
 日野原 しかもステップ・バイ・ステップなんです。そういうことを考えることがアートの中に入ってくる。
 犬養 そうです。それがアートであるためには、その人がやっぱり人間としてまず成熟しなくてはいけない。

□(122-6)

 「アート」かぁ……。教育もアートかもしれないね。


 以下の文献に言及されていて気になった。

・ 正岡子規『病牀六尺』
・ 夏目漱石『思ひ出す事など』
・ 福沢諭吉『教育論』

 探してみようっと。


@研究室
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by no828 | 2010-06-08 15:44 | 人+本=体 | Comments(0)