思索の森と空の群青

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2010年 08月 30日

SUNTORY 秋楽

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 SUNTORY 秋楽
 販売元
 
 分類上は、ビールではなくリキュール。ただし、レヴェルは高いとの印象を持った。あくまでわたしの好みだが、もしかしたら、先日紹介した 秋味 < 秋楽 かもしれない。麦芽感が強く、秋にゆっくりめに呑みたいビール的飲料(わたしは残暑厳しい8月末に呑んだが)。リキュールだから値段的にも買い求めやすい。


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by no828 | 2010-08-30 19:53 | ビール | Comments(0)
2010年 08月 29日

無知から未知へ——松岡正剛『多読術』

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 版元

 62(295)松岡正剛『多読術』筑摩書房(ちくまプリマー新書)、2009年。
 * 正剛は「せいごう」です。

 古本で。

 言わずと知れた松岡正剛。ウェブ上で続けられた「千夜千冊」が本になったというが、それが10万円もするというので手が出ない。

 版元

 読書とは無知から未知への旅行である、と正剛先生はおっしゃっています。


 実は父も母も俳句を作っていたので、俳句全集のたぐいも揃っていて、父は好きな句に鉛筆で乱暴な印をつけていましたね。母は嫌がっていましたけど(笑)。そんなことで、当時の家にあった本は、全部で二千冊あるかないかくらいだと思う。けっして蔵書が多い家ではなかったです。
□(25)

 いや、二千冊は多い方だと思いますよ。

 先日の学会大会で聞いたところでは、統計的に見た場合、家に蔵書の多い子どもの“リテラシー”は高いそうです。親の所得と子どもの学力の関連が取り沙汰されますが、所得が高かろうが低かろうが、“リテラシー”は蔵書の数で決まる(側面が相当強い)のだとされていました。妙に納得。


 そういう時期〔『聖書』などキリスト教関係の本を読んでもピンと来ず、禅の本を読んだらピンと来た、そういう高校生の頃〕に、友人からドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のなかの「大審問官」のことを尋ねられた。あれは、どういう意味だと思うかというんです。〔……〕でも、どう思うかと言われても、『カラマーゾフの兄弟』なんて読んでない。〔……〕しかもその友人はぼくにとってはとても大事な親友で、伊豆大島に二人でけっこう長く滞在したりした。そういう仲だった。だからぼくはそいつのことについてはだいたいわかっているつもりだったのに、「あれを読んで、オレは考えこんでるんだ」と彼が言っている意味がまったくわからない。
 これに参ったんです。最大の岐路ですよ。それで仕方なく『カラマーゾフの兄弟』を読むんですが、あれは「さあ、読むぞ」といって、その夜に目を通すなんてものじゃないでしょう。岩波文庫で四冊ですよ。〔……〕
 ともかく三ヵ月か四ヵ月くらいかけて読みましたよ。読んだけれど、「大審問官」の意味なんてさっぱりわからない。おかげで親友と会話は進まない。気まずくなっていく。もっとはっきりいえば、ドストエフスキーがわかるかわからないかではなくて、そのように本を読んで悩むという親友の気持ちに至れないことが深刻なことだったんです。

□(39-40)

 恋にも似た青春。


——音読から黙読への変化は何かもたらしたのですか。
 このことを最初に指摘したのはミルマン・パリーという文法学者のホメロス詩の研究なんですが、この見方を広げたのはマーシャル・マクルーハンです。このとき、マクルーハンはとても興味深いことを仮説した。
 それは、人類の歴史は音読を忘れて黙読するようになってから、脳のなかに「無意識」を発生させてしまったのではないかというんです。言葉と意識はそれまでは身体的につながっていたのに、それが分かれた。それは黙読するようになったからで、そのため言葉と身体のあいだのどこかに、今日の用語でいう無意識のような「変な意識」が介在するようになったというのです。かなり特異な仮説ですね。

□(107-8)

 おもしろい。


 ぼくが最も感動して真似したのは、兵庫県の但馬に「清谿書院〔せいけいしょいん〕」を開いた池田草庵の方法ですね。但馬聖人ともよばれた。のちに吉田松陰が真似をするのですが、二つありまして、ひとつは「掩巻〔えんかん〕」というもので、これは書物を少し読み進んだら、そこでいったん本を閉じて、その内容を追想し、アタマのなかですぐにトレースしていくという方法です。これはいまでもぼくもときどき実践しています。おススメします。
 もうひとつは「慎独〔しんどく〕」で、読書した内容をひとり占めしないというもの、必ず他人に提供せよという方法です。独善や独占を慎むということ。これにもぼくは感動して、なるべく実践してきたと思いますね。「千夜千冊」を無料公開したのも、そこから出てます。

□(129-30)

 佳話。M寺先生も、読まれた本についてよく話してくださる。「あれ読んだ?」と訊かれて、わたしが読んでいないと解説してくださる。でも、わたしは読んでいないことが恥ずかしくてすぐに本屋に行きたくなるのです。だからかもしれないけれど、わたしもとくに後輩向けにそうしようと意識はしている。後輩に訊いてみないとわからないけれど、実践できているといいなと思う。本についてここで書いているのも、そういうことであったりもする。


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by no828 | 2010-08-29 19:34 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 08月 29日

私は常にかような子供らしい驚嘆をもって自分の周囲をながめたいと思う——中勘助『銀の匙』

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 版元

 61(294)中勘助『銀の匙』岩波書店(岩波文庫)、1935年。
 * 著者の名前は、なか・かんすけ と読む。
 ** わたしの持っているのは古い版。上掲写真とはカバー・デザインも違う。

 漱石が絶賛した、とどこかで読んだので古本を注文したわけなんです。

 “誰かがすすめていたから”とか、“誰かに読んだみたらと言われたから”とか、本には本それぞれのエピソードが付与される。“文章として何が書いてあるか”だけでは決してない。

 『銀の匙』は、子どもの世界、とくにその内面の世界が子どもの視点から描かれている、自伝風の作品。もちろん、この作品は著者が子ども時代に書いたものではない。著者27-8歳のときに書かれたものである。にもかかわらず、読者はいつの間にか、子どもがその日にあった出来事を日記に記しているような、そういう感覚に包まれるようになる。たしかに子どもが自身の感情、情動に対してあれほど分析的であることは難しく、著者が27-8歳の時に書いたと言われればそれは納得はするのだが、しかし子どもの視線から子どもの内面を描写しているのだと思わされてしまうぐらいのリアルさがそこにはある。

 そしてそれは、著者自身が意識していたことでもあろうと思われる。

 以下は、蚕を飼ってみた、という件の文章。


 羊羹箱にできたいくつかの繭は種にするために残されたが、私の心がその几帳の奥にまで届いたのか、それともお姫様が光りかがやく夏の世をすてかねてか、まもなく彼女はまっ黒な目のうえに美しい眉をたて、新しいよろこびにふるえる翅さえもって、昔のおもかげをしのばすようなかわいらしい姿をあらわした。そうして右に左に輪をかくようにしてむつびあう伴侶をもとめてあるくのを、私は竹のなかから出た人よりも珍しくながめていた。蚕が老いて繭になり、繭がほどけて蝶になり、蝶が卵をうむのをみて私の知識は完成した。それはまことに不可思議のなぞの輪であった。私は常にかような子供らしい驚嘆をもって自分の周囲をながめたいと思う。人びとは多くのことを見なれるにつけただそれが見なれたことであるというばかりにそのままに見すごしてしまうのであるけれども思えば年ごとの春に萌えだす木の芽は年ごとにあらたに我れらを驚かすべきであったであろう、それはもし知らないというならば、我々はこの小さな繭につつまれたほどのわずかのことすらも知らないのであるゆえに。
□(146-7)

 強調したところの一呼吸の流れ、この一気が好き。脳が即座にエネルギー全開になってギアがトップに入る感覚。ぜひ主張したいところ、相手に届けたいところはあえて読点なしで綴ると勢いが出てよい。今度論文でも真似してみよう。


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by no828 | 2010-08-29 14:50 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 08月 28日

KIRIN 秋味

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 KIRIN 秋味
 販売元

 昨夜某カスミに寄ったら視界に入ってきたので購入。缶のデザインは秋っぽいけれど、味はそこまで……の印象。アルコール度数6%で少し高めなのだが、するするっと呑めてしまう(夏だから?)。サッポロのヱビス超長期熟成とか、アサヒの宵音とかのほうが深みがあって、個人的には“秋っぽい”。もう少し季節自体が秋らしくなっていったら、秋味もおいしく感じられるのかもしれない。

 なお、写真がぼわぁっとしているのは撮影時にわたしが酔っぱらっていたからではありません。技術的な問題です。


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by no828 | 2010-08-28 16:39 | ビール | Comments(0)
2010年 08月 26日

正統とは意識のないことなのだ——オーウェル『一九八四年』

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60(293)オーウェル、ジョージ『新訳版 一九八四年』高橋和久訳、早川書房(ハヤカワepi文庫)、2009年。
 * 原著は1949年に英国で刊行。
 ** ハヤカワepi文庫は通常の文庫よりもサイズが少し大きい。統制っ!

版元




 遅ればせながら。「ビッグ・ブラザー」のことは聞いていたし、どういう小説なのかも知ってはいたのだが、やっぱり自分で読もうと思って。

 国家とか権力とか統治とか統制とか全体主義とか共産主義とか社会主義とかフーコーとかに関心のある人は必読。ただ、注意が必要なのは、オーウェルはこの本をいわゆる右から左を批判するために書いたのではないということ。この本は一般に共産主義批判、社会主義批判として右側の人たちに受容され、活用されてきたように見受けられる。たしかにオーウェルのしたことは左を批判することであったが、しかしながら彼は右から左を批判したのではなく、左から左を批判したのであった。左のありかたにも複数ある。“左Aから見ると、左Bはダメだ”ということもある。だが、その立論だと、もっと大きな枠で見たときに“左全体がダメだ”というふうに持っていかれやすい。常に論敵を見定めながら批判しないと、その論敵に自陣に対する批判の論拠を供給することになる。オーウェルが左を批判したことには変わりはなく、ゆえに“どこから批判したのか”という批判の視座は脇に追いやられ、その批判が“やっぱり左はダメだ”という左全体に対する批判のかたちで右側に回収されたということになるのだと思う。

 これは一般化可能な構図である。A対Bという思想対決があったとしよう。Aの中には、a1、a2、a3、……というふうにAの諸変型がある。わかりやすくするために、Aを平等主義だとすると、その中には、機会の平等主義(a1)があり、結果の平等主義(a2)があり、……ということになる。Bは、非ないし反平等主義、ここではたとえば新自由主義ということにしよう。
 平等主義の内部では論争がある。機会を重視するのか結果を重視するのか、という点で議論は分かれる。それを外から見ると、“何だ平等主義はごちゃごちゃしてるな、結局「平等」なんて使えないんだよ”ということになりかねない。すると新自由主義からは“「平等」なんて曖昧でわかりにくいものなんです、そんなものを目指すわけにはいきません”と言われ、平等主義全体がダメだということになる。だから平等主義内部の議論をやめるべきだ、ということにはもちろんならない。平等主義内部の議論はそれを鍛えていくために不可欠だ。だが、その議論をそもそもの論敵である新自由主義を脇に置いて行なうと、“そもそもそれは何のための議論か”という点が曖昧になるだけでなく、敵を利することにもなってしまいかねないのである。
 この構図は先日の学会大会の発表にも見受けられたことで(先輩の発表でした)、だからあとで直接この点を指摘させていただいたりもした。

 あれれ、前置きがずいぶん長くなってしまったぞ……。


党のスローガンは言う、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”と。それなのに、過去は、変更可能な性質を帯びているにもかかわらず、これまで変更されたことなどない、というわけだ。現在真実であるものは永遠の昔から永遠に真実である、というわけだ。
□(56)

 現在をコントロールするものは過去も未来もコントロールする、と。現在を正当化するために、現在にとって都合の悪いものは過去に遡って“修正”する。具体的には、新聞などの出版物の記述をすべて“修正”し、ずっと前から今のようであったことにしてしまう。粛清された人間は、そもそもそのような人間など存在しなかったものとして、生きた記録のすべてが“修正”される。


〔ことばを変えれば〕思考風土全体が変わるのだよ。実際、われわれが今日理解しているような思考は存在しなくなる。正統は思考することを意味するわけではない。その意味するところは思考する必要がないこと。正統とは意識のないことなのだ。
□(83)

 端的すぎて身震いする。


 「もし希望があるとしたら」——とウィンストンは日記に書いた——「それはプロールたちのなかにある
 もし希望があるのなら、プロールたちのなかにあるに違いない。なぜなら、かれらのなかにのみ、オセアニアの人口の八十五パーセントを占める、あのうようよと溢れかえるほどの無視された大衆のなかにのみ、党を打倒するだけの力が生み出され得るからだ。

□(108 傍点省略)

 プロレタリアート論、マルチチュード論。


 はっきりとした意識を持つようになるまで、かれらは決して反逆しない。そしてまた、反逆してはじめて、彼らは意識を持つようになる。
□(110)

 深い。


二人の抱擁は戦いであり、絶頂は勝利だった。それは党に対して加えられた一撃、それは一つの政治的行為なのだ。
□(195)

 抵抗。


 「自白のことを言っているんじゃないんだ。自白は裏切りじゃない。何を言おうと何をしようと、それは問題にならない。感情が問題なんだ。かれらの手によって君に対するぼくの愛が消えるようなことがあれば、それこそが裏切りというものだろう
 彼女はじっと考え、しばらくして口を開いた。「かれらにそんなことができるはずないわ。さすがにそれだけはかれらにもできっこない。どんなことでも——あることないこと何でも——言わせることはできるわ。でも信じさせることはできない。人の心のなかにまで入り込めないはしないもの
 「そうだな」彼は少しだけ望みをかけるように言った。「そう、まったくその通り。かれらも人の心のなかにまでは入りこ〔ママ〕めない。もし人間らしさを失わずにいることは、たとえ何の結果を生み出さなくとも、それだけの価値があると本気で感じられるならば、かれらを打ち負かしたことになる」

□(256-7 傍点省略)

 でも、感情までコントロールされるとしたら……ということを行動経済学とかリバタリアン・パターナリズムを勉強すると思う。こわい。


誰もビッグ・ブラザーを見たことがない。広告板に顔が貼り出され、テレスクリーンから声が聞こえてくるだけの存在である。彼は決して死なないと我々が信じたとしても、それは無理からぬことかもしれない。
□(319 「ビッグ・ブラザー」の強調は原文)

 象徴による統制。


「違う! ただ自白を引き出したり、罰したりするためではない。なぜ君をここに連れてきたか教えようか。治療するため、正気にするためだ! 分からないか、ウィンストン、ここに連れて来られた人間は誰ひとりとして、完治しないままここを出ていくことはない。君が犯した愚かな罪などに興味はないのだよ。表面に現われた行為など、党の関心の埒外にある。思考だけがわれわれの関心事なのだ。われわれはただ敵を滅ぼすだけではない。敵を改造するのだ。わたしの言いたいことが分かるかね?
□(391)

 ホッブズは、表面に現われた行為のみで判断すると言っていました。内面に踏み込むと、それは宗教になる。法と政治はそういうことはしないのだと。


 「ナンセンスだな。地球はわれわれと同い年だ。われわれより前から存在していたわけではない。そんなことはあり得ないだろう。人間の意識を通じなければ、何も存在しないのだからね
 「でも絶滅した動物の骨をたくさん含んだ岩があります。〔……〕」
 「その化石を見たことがあるかね、ウィンストン? もちろんないだろう。十九世紀の生物学者たちがでっちあげたものだ。人間が誕生する前には何も存在しなかった。人間の後には、もし人間が終わりを迎えるとしたらだが、何も存在しなくなるだろう。人間の外部には何もないのだ

□(411)


 それで村上春樹の『1Q84』ってどういう小説なの? とわたしはここではじめて疑問に思うわけだ。ベストセラーは基本的に読まない。みんなが読むならわたしが読まなくてもよい。


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by no828 | 2010-08-26 13:38 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 08月 24日

自分が何かゆうてみい——川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』

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 59(292)川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』講談社(講談社文庫)、2010年。
 * 単行本は2007年に同社より刊行。
 ** 芥川賞候補、坪内逍遥大賞奨励賞、らしいです。

 不思議で、ちょっと怖い小説です。あるいは、私/わたし/わたくし、をめぐる哲学的洞察、と言ってもよいかもしれません。他でもないこの“私”とは何なのか。


 お母さんは、中学生のときに、図書館で、青木とはじめてしゃべりました。
 青木は、雪国、という昔の日本の小説の、〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった〉、という書き出しをお母さんに見せて、この文章の主語はなんだと思いますかと聞いたのです。これは、とても素敵な文章で、この文章だけは他の国の言葉にはうまく訳せないのだと、青木は笑いながらいいました。この文章の主語は、トンネルをくぐってゆく列車でも主人公の島村という男でも、ないよ。青木はそう云いました。その話を聞いてから、お母さんはなんだかよくわからない、不思議というような気分になって、でもなにか、そこには、お母さんが知りたい秘密のようなものが、いつでもあるような気がしているのです。今でもずっとしているのです。

□(50-1)


自分が何かゆうてみい、人間が、一人称が、何でできてるかゆうてみい、一人称なあ、あんたらなにげに使うてるけどなこれはどえらいもんなんや、おっと〔ママ〕ろしいほど終りがのうて孤独すぎるもんなんや、これが私、と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私!! これ死ぬまでいいつづけても終りがないんや、私の終りには着かんのや、ぜんぶが入ってぜんぶが裏返ってるようなそれくらい恐ろしいもんなんや私っていうもんは考えたら考えるだけだだ漏れになっていくもんなんや私ってもんはな、そうなんや、そやから苦し紛れにな、みんながんばって色々を決めてきたんや、なあ、自分で考えてゆうてみい、そこになんでかこうしてあるそのなんやかやの一致の私は何やてほれ今ゆうてみい、わたしは歯って決めたねん、私は歯って決めたんや、おうおうおうおう歯やからゆうて阿呆らしいとか思うなや、歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったったらその個体のしくみがまるままわかってしまうんや、全部ばれてしまうんや、歯はこれこの生命にとってな、最も最も最も最も本質的な器官なんや、そうやそやからわたしは決めたんや、命と本質と最もがわたしの中で一列んなってそれがずばっと歯やったんや、そらわたし歯に飛びついたっちゅうねん、〔……〕私からは誰ひとり逃げられへん、逃げる必要もないかもしれんけど、逃げられへんのや私からは、これいったいなにがどうなってるんかこんな無茶苦茶なもんほかにあらへんやろが、世界に一個のなんでかこれが、なんでか生まれてぜったい死ぬてこんな阿呆なことあらへんやろうが、こんな最大珍事もあれへんやろが、なあ、なんでかこれのこの一致! わたしと私をなんでかこの体、この視点、この現在に一緒ごたに成立させておるこのわたくし! ああこの形而上が私であって形而下がわたしであるのなら、つまりここ!! この形而中であることのこのわたくし!! このこれのなんやかや! あんたら人間の死亡率うんぬんにうっわあうっわあびびるまえに人間のわたくし率こそ百パーセントであるこのすごさ! ああ! わたしはいまや、なんでか不快であったわたくし率がなんでか愉快でたまらん気持ちになってきた! ああこれこそ! 正味よ! あんたらは何が何をするんが人生やって思ってんねん、これは大事なことやねん、これがわたしの問題ねん! 夢の中で蝶々になってもそれがいったいどないしたんや、蝶々になろうが何になろうがそれそこにある私はいっこもなんも変わらんままや! わたくし率はなんもかわらん、蝶々がなんやの、私は奥歯や、わたくし率はぱんぱんで奥歯にとじこめられておる!!
□(82-4)

 永井均の独我論の影響を見てとることもできるような。


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by no828 | 2010-08-24 19:42 | 人+本=体 | Comments(1)
2010年 08月 23日

「魚を与えるのがいけない」これほど現地の人を蹂躙している言い方はない——伊勢﨑賢治『国際貢献のウソ』

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 版元

 伊勢﨑賢治『国際貢献のウソ』筑摩書房(ちくまプリマー新書)、2010年。
 * 画像だとわかるが、「崎」の右上部分は本当は「大」ではなく「立」。
 → 修正しました。

 著者は護憲派で、そのような主張をこれまでも展開してきているのだが、いわゆる護憲派とは主張の論理が違う印象があって、それはつまり著者の主張が“日本の国益のためには九条を護持するほうがよい”というリアリズムの観点からなされているようにわたしには思われるからなのです。


 「九条を使って世界を平和にする」のではなく、「自衛隊を外に出さないために九条を護る」。「世界平和のための憲法九条」を標榜している人々の本音が、実は、これだとしたら——。
□(4)

 わたしも率直に言って、いわゆる護憲派の主張の論理には違和感を覚えることがあります。


 要するに欧米社会は、途上国の人々を搾取するかわりに、彼らがヤケを起こさないように、セーフティネットを作らなくてはいけないということを経験的に学んできたわけです。したがって、欧米による途上国の援助とは、底辺の人たちが死なない程度のセーフティネットを提供することにほかなりません。その意味で、国際協力とは、いわば世界経済システムを維持するためのスキマ産業なのです。
 逆に言えば、一国の政治体制を根本的に変革することが必要な状況では、国際協力が邪魔になることだってありえます。海外からの援助は、貧しい国の支配者側にとっては都合がいい。少なくとも、国内の不満の爆発を抑制してくれるわけですから。

□(16)

 これは前に考えたことがあるポイントだ。


NGOを装うくらいは、諜報活動に長けた列強の政府はいくらでもできるわけですから。
□(23)

 ここ、興味があって、時間があれば(ないのだが)経験的に調べてみたいところ。国際教育開発論の研究者の価値前提には、NGO性善説的なところがある。国家よりもNGO、NGOならオーケー、市民社会オーケー、というか。わたしはNGOにも危ないところはあると思っていて、その危なさのひとつが上の引用に関わっている。


 インドの住民活動で感じたことですが、運動というのは、続けているうちに「しょせん、おれたちとは違うお前に、おれたちの苦しみなんてわからない」といった形で、当事者とそうでない者の間に温度差が出てくる。それは克服しようがないわけです。〔……〕外国人の強みは、ドナーの側と橋渡しができること。それを割り切る必要があるということです。
 問題の当事者の怒りや熱情だけでは運動は持続しません。運動は組織化されて、戦略を持たなければならない。そのときに、部外者の役割が絶対必要になります。問題の当事者というのは、「自分が抱える問題は、世界で一番深刻な問題である」と常に考えますから、自分の問題を客観視することは非常に難しい。〔……〕僕たちは冷静になれるからこそ、当事者と一緒に寄り添う意味があるのであって、一緒になって怒っちゃいけない。NGOは、そういう専門職であるべきです。

□(37-8)

 なるほど。バランスが難しそう。ふざけるわけではないが、“冷静と情熱のあいだ”のバランスが。冷静すぎたら当事者の信頼を得られない、でも情熱すぎたら思考が偏って事態を俯瞰できず戦略的にもなれない。


 「魚を与えるのがいけない〔魚の獲り方を教えなければならない〕」と言うことほど、現地の人の意志と可能性を蹂躙している言い方はありません。だって一時的にでも魚をもらうことで、それでおなかが膨れて、自分の力で勉強し、人生を切り開く個人が出てくるかもしれない。個人の可能性ってそういうものでしょう。自立原理主義は、足ながおじさん的な奨学金をも否定することですよね。お金をあげることだっていいわけです。もしかしたらチョコレート買うだけで終わってしまうかもしれない。でも、それだっておなかが膨れるなら、いいじゃないですか。そして、そのなかの何人かは、自分の力でキャリアを拓く人間が出るかもしれません。
 援助を受ける側の人たちの可能性と自由を僕たちの側が自立みたいな言葉でがんじがらめにするのは、非常に傲慢なことだと思います。僕が彼らの立場だったら、ふざけるなと言いたい。現地の人にとっては、外国のNGOとの接触なんか、彼らの長い人生の中ではほんの短いものでしかない。そんなやつらに人生いかに生きるかまで言及されたくないはずです。

□(43-4)

 よくわかる。でも、このことが本当によくわかるようになってきたのは、そしてよく考えるようになったのは、実はここ2、3年。今の立場は正直結構きつくてつらいのだが、時々この今がなかったらここまで考えなかったよな、このことはわからなかったよな、ということがあって、何かちょっとありがとうというか、今の状況に感謝したくなるときもある。

 ちなみに、教育論議の中でも「自立」は頻発で、それに対して嫌だなと思ってきた。でも今回、開発論、援助論の文脈で改めて「自立」に接し、“あぁ、俺はここのところ教育論の中でだけ「自立」を考えてきたけれど、国際援助論でも「自立」は問題になるよね、というか、学類の頃はそっちメインで物事考えてきたんだよね、ちょっと忘れていたよ、でもふたつがつながったね”というところです。


 ボランティアとそれで救済される側の間の距離感、もしくは「共感能力」の発揮とでもいいましょうか。自分のボランティア活動が、相手にとって精神的負担になっていると感じたら即座にやめ、元の生活に帰る。その帰る時の手間は小さければ小さいほどいい。すぐに帰れる余裕があれば、ボランティア活動に対して「こだわり」も生まれない。結局、その「共感能力」の有無は「距離」がかなり関係してくるのではないでしょうか。「遠くからはるばる自腹を切ってきたのだから何もせずには帰れない」とか、移動にかかった手間、旅費のコストを、施しの幸福感で回収しようとする意識が「遠路ボランティア」には必ず生まれるでしょうから、「距離」のコストが高くつくボランティアほど、ありがた迷惑ボランティアになる可能性がより高くなると思うのです。
 その意味で、距離も格段に遠く、それも異国の異文化の環境ということで「共感能力」の発揮が最も難しいボランティアの形態が、遠路ボランティアの極致、国際協力ボランティアだと思います。

□(57-8)

 一時期、ケア論などを経由しながら、援助とか支援とか協力における「距離」について考えていたことがある。


 NGOはその存在意義を国家に委ねてはだめでしょう。〔そうだそうだ!〕
 一方、NPO法ができてから、それまでほとんどが「任意団体」であった日本のNGOは、こぞってNPOの認定に殺到しました。公的な認証があれば、寄付が多く集まるという幻想のためです。でも、NPO法ができたって、日本の寄付文化が変化したわけではない。
 僕が一番問題だと思うのは、この認証を受けることによって、NGO=NPO、つまりNGOは非営利、金を儲けてはいけない、という暗黙の縛りを自らかけてしまったことです。それと、NPO認証を受けることは、組織内部の情報開示の義務を負うことですので、これは、市民運動の統制を国家権力がやりやすい環境をつくってしまった。

□(83-4)

 わたしがNPO法で問題だと思うのは、ここで挙げられているふたつのポイントの後者のほうです。NPO法に触れ、それについて考えたのは、大学院の生涯学習・社会教育学の授業でした。NPO法人になることが一種のブランド化となり、多くのNGO・NPOが認定を求めたことを知りましたが、でもそれって、自らを国家に差し出すようなもので、そもそもの出自というか存立意義からすると、まずいよね、と思ったわけであります。


 はっきり言って、「イラク人」という顧客は、この時〔アメリカによってイラク戦争(の主要戦闘)終結宣言の出された2003年〕の日本政府の眼中にはありません。「イラク人」を見守ること以外の動機で、この有償援助を決めました。その意味で、イラクへの有償援助はイラクのためではなく、アメリカのための「援助」なのです。
□(150)

 このとき「イラク政府」は存在しない。アメリカがイラクの名において有償援助を受ける。返すのは、将来のイラク政府。


 あと、この本に「二〇〇八年二月に〔日本で〕国際連帯税の議員連盟が設立された」とあった。知らなかったか、忘れたか、いずれにしても知識としてなかったので、ちょっと調べてみたい。Google先生にひとまず訊いてみたところ、議連のサイトはなさそうなのだが、「国際連帯税を推進する市民の会(Association of Citizens for International Solidarity Taxes: ACIST)」という組織が見つかった。ただ、最終更新が今年の3月になっている。ふむ。


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by no828 | 2010-08-23 19:55 | 思索の森の言の葉は | Comments(4)
2010年 08月 23日

広島学会発表顛末記(8/19-22)

 また少し空いてしまいました。訪れてくださった方々、申し訳ありません。この間、学会大会があり、広島に行っていました。今回はその顛末記です(すぐ下の写真は広島大学(東広島キャンパス)の風景、その下は西条駅前の酒蔵の煙突)。

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 19日(木)、23時過ぎまで研究室に。大学の中央管理統制下にあり、いつもは18時にバチンと切れる冷房がなぜか切れず。と言っても、厳密には“冷房”はたぶん18時に切れ、それ以降は“冷風”のみ。窓を開けてドアも開けて扇風機を回して凌ぐ。

 20日(金)、朝、着替えなどを全部とりあえずボストン鞄に突っ込み、論文・本・文具などをリュックに詰め込んで、研究室に。研究室からまっすぐ広島に向かうつもりで。12時30分ぐらいまで発表原稿を手直し。A4で8枚に収める(レイアウトをいじってでも8枚に)。それから30部コピー。A4・片面・8枚をA3・両面・2枚の冊子型(「雑誌スタイル」だっけかな?)に。「冊子型」とは、A3を2枚重ねて折ると、1/8が1番上に来て、そこから順にページをめくると、2/8、3/8、……8/8となる(だから8枚に収める必要がある)。ちなみにコピー機が全自動でやってくれます。ただ、折ってくれるところまではやってくれない。折る作業には後輩を動員しようと思ったが、UもOもSもいない(察知して逃げたに違いない。先輩に対する畏怖の念に欠けると言わなければならない。Sなんて早々と先月からはるばる南アフリカにまで逃げやがった)。時間もないので折るのはやめる(結局ホテルでひとり悲しく折ることに)。レジュメとノートPCを鞄に格納し、バス停へ。駅を目指す。

 予定通り、13:55発TX快速に乗る。秋葉原まで。みどりの窓口で広島は西条までの往復乗車券と特急券を買う。当初片道で買おうとしたら(“切符の有効期間は2日間”だと思ったから)、窓口の(いわゆるツンデレ系だと思しき)おねえさんに「往復割引がありますが、どうされますか」と訊かれる。“「往復割引」!そんなものがあるのかっ!はじめて訊かれたぜ!はじめて聞いたぜ!”と思いながら、「こっちに戻るの22日なんですけど、往復で買えますか?」と質問したら、それには直接答えず(ツンツンしてるぜ!)、タッチパネルをさくさく叩きながら、往復の切符を出してくれた。学割と往復割引でだいぶ安くなった。ありがとう、おねえさん。

 山手線で東京へ。15:10発のぞみ45号小倉行の自由席に乗り込み、いざ広島へ。おにぎりを食べたり、本を1冊読み終えたり、外の景色を見たり、新しい本を読みはじめたり。

 広島19:05着。ローカル線に乗り換え。19:20発快速通勤ライナー糸崎行に乗り、車窓から見える外の暗闇に不安になりながらの西条着は19:50。西条も暗い。そして暑い。「どうしてこんな辺鄙なところに大学を作ったのだ!」と自分の大学のことを棚に上げる。客引きのおにいさんとか「サービスしますよ」のおねえさんの“誘惑”を振り切って投宿するビジネスホテルへ。駅から徒歩5分。チェックイン。あぢー。荷物を置き、クーラーのスイッチを入れ(予めのスイッチ・オンをお願いしますよ、チェックインの時間お知らせしているわけですから)、再びフロントに向かい、コンビニの場所を確認する。「交差点まで出てもらって、そこから30メートルぐらいです」と言われ、「交差点は渡るんですか?渡ってまっすぐですか?曲がりますか?」と確認したら、「えぇ、交差点から30メートルぐらいです」と先ほどの説明を繰り返され、“あ、こりゃダメだ”と思って、とりあえず交差点まで行く。見当たらないので、駅前で割引券を配っていた某魚民の店員さんに「セブンイレブンがあるって聞いたんですけど、どこですか?」と聞いたら、「交差点の向こう側に(魚民の)赤い看板出てますよね?あれの裏側です」と教えてもらう。お礼を言ってその近くまで行くと、某711の看板もある。“おぉ、たしかに”。が、店自体が少し奥まっており、看板も木に遮られるかっこうになっているため、遠くからだと発見しにくい。お弁当などを買って退出。この「など」に缶ビールが含まれていることは、学会発表前夜ということもあり、内緒。

 ホテルに戻ったら、フロントでチェックインしたばかりの女性とスタッフの方が「コンビニありますか?」、「交差点まで出てもらって……」という話をしているところで、そこにわたしがコンビニの袋をぶら下げてきたというところで、「あの方は今行ってきたところです」とスタッフの方がわたしに水を向ける。「そうですね、交差点まで出たら、渡って右です。魚民の看板が出ているので、その奥にあります」と説明しておく。その方とエレベーターに乗ったら、「学会、ですか?」と訊かれ、「教育学会です」と、「私もです」と、そこで目的階に着いたのでわたしが「それじゃあ」と、向こうは「はい」と。あの、これって出会いっていうんじゃないですか!

 部屋に戻って、お風呂。疲れたので湯船につかりたい。お湯を溜めているあいだに荷物をばらして整理する、など。お風呂に入ってさっぱりしてお弁当を食べて発表の確認をしてPCをLANケーブルでつないでネット情報を確認して少しテレビを観て歯磨きして就寝。ちなみにテレビはブラウン管のでアナログ放送、画面の脇にコインを入れる口のある、例のあの古いタイプです(あ、もちろんテレビは無料ですよ)。さらにちなみに翌日発表した先輩ふたりに訊いたら、ふたりとも「20世紀少年」を観たそうです。わたしは観ていません。西田敏行とか長瀬智也をちらっと観ましたが、あれがなんのドラマなのかはわかりません。とりあえず西田の福島弁には癒されました。

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 21日(土)、7時起床。軽く朝食を摂取して駅へ。飲み物を買ってバスに乗り込む。「広大中央口」で下車。バス停に案内係がいないのでどちらに向かえばよいのか、地図で確認する。大会に参加されると思しき人びとはみな同様。教育学研究科の建物近くに行ったら、ようやく案内係の人がいて、一応「おはようございます、お疲れさまです」と挨拶したけれど、“バス停にひとり案内を立てねぇと意味ねぇだろうが”と内心毒づく。(註:わたしは学会大会の運営を実際統括したことがあるので、大会運営については結構うるさいです。)

 受付を済ませ、部会の教室に直行。先生と先輩にご挨拶。それから別の先輩が部屋まで来てくださったので少しお話する。部会自体は9時30分開始。ひとり発表20分、質疑10分。わたしは3番目、10時30分から。発表時間を1分ぐらい超過してしまう(計算が狂った)。それから質問を受けるが、なかなか手が挙がらないので司会の先生から助け舟。ほかにひとつかふたつ、質問を受けて終了。教育学における国際教育開発論の認知度の低さと、経験主義者の跋扈。

 お昼は大学近くの何とかというお好み焼き屋にH井さんとH口さんと。

 戻ってきて先生と某科研の打ち合わせ。9月末にアメリカに調査に行きます(お手伝いです)。

 それから課題研究の発表を聞く。17時30分まで。外に出てS水先生とH野さんと少し話す。

 懇親会には出ず、H井さんとH口さんと一緒に大学近くの何とかという居酒屋に。行く途中、「そういえば、「広大中央口」っていうバス停ひとつしかないですよね。駅から来るときのはわかったんですけど、駅に行くときのバス停ってどこにあるんですかね?」と訊いてみたら、「たしかに、向かい側にないよね」と。そこでH井さんが「駅と大学のピストン運転なんじゃないか」とおっしゃって、H口さんが「あぁ、たしかにバスの表示は「西条⇔広島大学」でした」ということで問題解決。三人寄れば文殊の知恵。

 で、18時というまだ外も明るいうちからビールを呑むという背徳。20時過ぎまで研究の話とか、教育学と実際の子育ての関係とか、いろいろ。愉しいです。

 帰りのバスの時間がちょうどしなかったのだが、大学近くにホテルを取ったH井さんとはお別れし、H口さんと自販機で缶コーヒーを買ってバス停のベンチで語ること約1時間。青春。

 22日(日)、7時30分起床。荷物を全部まとめてチェックアウト。ただ、着替えやPCの入ったボストンはフロントで預かってもらう。駅に行ってバスに。途中、H口さんが乗り込む。「広大中央口」で降りたら、I藤さん、O野瀬さん、Rくんも降りてくる。一緒のバスだったんですね。わたしは運転手の斜め後ろ、先頭に立っていたので気付きませんでしたよ。

 道徳教育の部会へ。プラトンの『メノン』を思い出す。質疑噛み合わず。最後は“わたしの教育観・教師観”のようなことを話し出す方もいて、“何だそれー”と思う。

 正午をちょっと過ぎて部会が終わり、よしあきに電話(よしあきは学類の同期で、現在広島の院にいます)。合流。そこに学類時代の後輩りょーま現わる(彼も今は広島の院に)。「あれ、どうしたの?」と訊いたら「午後の公開シンポジウムを聴きに」と。まじめなりょーまとは別れ、よしあきとわたしは大学近くのお好み焼き屋に(昨日とは違うところ)。近況報告や昔話など。

 そして一緒に西条駅前へ。酒蔵を案内してもらう。はじめによしあきおすすめの賀茂鶴(http://www.kamotsuru.jp/ 註:音出ます)に行き、いろいろ試飲をし(無料!)、蔵元限定品の「蔵出し原酒」(720ml)を購入。先達はあらまほしきことなり。

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 それから、賀茂泉(http://www.kamoizumi.co.jp/)の土日限定の喫茶店ならぬ喫酒店である酒泉館に行き、「5種飲み比べ」を注文(これは有料)。

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 正面奥の建物が酒泉館。趣あり。 

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 飲み比べビフォー。右から左へと、色が濃くなっているのがわかると思います。熟度(発酵年数)が違います。結構な量で、飲み切れるか、というか、酔っぱらってしまわないか心配でしたが……。

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 飲み比べアフター。乾杯。もっとも若いもの(1番右)を除いて、ハチミツの味がほのかにしました。飲みすすめるうちに慣れてきたのか、どんどん甘く感じてきました。一瞬ハチミツの食べ比べをしているのか、と思いましたが、日本酒の飲み比べでした。酔っぱらってなんかいないんだからねっ!

 で、ホテルに寄って預けていた荷物を引き取り、ローカル線で広島へ。駅構内でこれまたよしあきおすすめの「桐葉菓」というお菓子を買い求め、かつ、よしあきからお土産をもらい、新幹線のホームへ。改札でよしあきとお別れし(どうもありがとう!)、17:01発にすべり込み乗車。自由席の1〜3号車まで歩く。3号車は埋まっていて、“げげ、座れないかも”という危機感を抱きながらもあきらめずに2号車に行ったら結構空いていて一安心(あきらめてはいけない)。座って東京まで帰ることができました。

 秋葉原ではTX守谷止まり魔の3連発という不合理をやりすごし、21:36発区間快速に乗車。22:30頃に着いて、地上に現出。そこまで暑くない。風もある。歩いてアパートへ。23時過ぎに到着。シャワーを浴びて荷物を解いて洗濯して干して(学会大会の汚れは大会期間のうちに)就寝。疲れました。


@研究室
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by no828 | 2010-08-23 15:22 | 日日 | Comments(0)
2010年 08月 19日

正義とは人が怒ってるときに座ってる椅子——川上未映子『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』

 ふぅ、休憩。

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版元

58(291)川上未映子『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』講談社(講談社文庫)、2009年。
 * 初出は「未映子の純粋悲性批判」http://www.mieko.jp/
 ** 単行本は2006年にヒヨコ舎より刊行。

 初・川上未映子。エッセイ集。言葉の使い方、というか、言葉と言葉の繋げ方。


せめて日記ぐらいはバシっとこうなんか無機質でなんかドライな、そういう「今日の天候は曇り。九時起床。昼食を済ませ仕事へ。そのあとにタイ古式マッサージへ行った。電子辞書を手にとって見たが買わずに帰る。夕方遠方の友より電話。夜、九時に就寝」みたいな、こういう記述にこそ感情が匂い立つ、それがいいんじゃないか。優れた日記というのは無機質が交錯するそのすき間からそれをやってのけるのであった。武田百合子は交錯する視線からそれを。
□(「かろうじて夏の夜の幻想」 21)

 日常の具体のたくましさ。


 けれども、私の理想としては、なんかこう、もっと、ガチンコ謙虚にいきたい。なんかこうもっと、奥ゆかしさとゆうか、なんかもっと謙虚によ。こう、なんてゆうの、人生を生きることはすんごい特殊なことではあるけれども、一方、実は、この人生、そんな大したことでもなんでもないのかも知れないとゆう姿勢をね、「かも知れない」、とゆうこの姿勢をね、ちゃんと持っておきたいのだなあ。
 信じるんであれば、まったく違う真逆の二つの可能性を、同時に信じていたいものだ。

□(「退屈凌ぎ自慢 in 人生」 76-7)

 最後の文章になぜかガーンとね。


 正義とは人が怒ってるときに座ってるかっこええと思ってる椅子。ちからは、こっちのもんをあっちに動かすガッツ。
□(「録音が続いてゆく」 90)

 ブッシュの椅子。


 私の知り合いの、男の職業絵描きの人とな、随分前にあんたの話になってな、私はあんたの生き様、芸術って言葉も使わんとくわな、もう、それをするしかなかったっていうものと死ぬまで向き合ってな、そういう生き方を思うと、それ以上に、なんていうの、ほんまなもんってないやろって思うわ、私は信頼するわって話をしたん、そうしたらその絵描きな、未映ちゃんがそう思うのは全然いいけど、あんな誰にも認められんで苦しくて貧しくて独りぼっちでゴッホが幸せやっと思うかってゆわれてん、俺は絶対に要らんわってゆわれてん、ほんでそっからしばらくあんたの幸せについて考えてみてん、幸せじゃなかったやろうなあ、お金なかったらお腹もすくし、惨めな気持ちに、なるもんなあ、お腹減るのは辛いもんなあ、ずっとずっと人から誰にも相手にされんかったら、死んでしまいたくなるやろうな、いくら絵があっても、いくらあんたが強くても、しんどいことばっかりやったろうなあ、
 そやけど、多分、あんたがすっごい好きな、すっごいこれやっていう絵を描けたときは、どんな金持ちよりも、どんな愛されてる人よりも、比べるんも変な話やけど、あんたは多分世界中で、一番幸せやったんやと、私は思いたい、

 今はみんながあんたの絵を好きやで、世界中からあんたが生きてた家にまで行って、あんたを求めてるねんで、もうあんたはおらんけど、今頃になって、みんながあんたを、今頃になって、な、それでも、あんたの絵を、知ってんねんで。知ってるねんで、
 あんたは自分の仕事をして、やりとおして、ほいで死んでいったなあ、私は誰よりも、あんたがかわいそうで、かわいそうで、それで世界中の誰も敵わんと思うわ、あんたのこと思ったらな、こんな全然関係ないこんなとこに今生きてる関係のない私の気持ちがな、揺れて揺れて涙でて、ほんでそんな人がおったこと、絵をみれたこと、私はあんたに、もうしゃあないけど、やっぱりありがとうっていいたいわ、
 だからあんたの絵は、ずっと残っていくで、すごいことやな、すごいなあ、よかったなあ、そやから自分は何も残せんかったとか、そんな風には、そんな風には思わんといてな、どんな気持ちで死んでいったか考えたら、私までほんまに苦しい、でも今はみんなあんたの絵をすきやよ、
 私はどうにかして、これを、それを、あんたにな、めっちゃ笑ってな、ゆうたりたいねん。

□(「私はゴッホにゆうたりたい」 98-100)

 自身への追悼の言葉に背中を押してもらった男が出現するなどとはゴッホも思ってみなかったはずだ。


 さて、大阪という土地、その土地が私へ与える何やかや、っていうのはやっぱ、最近になって懐かしさであるのではないかしら。と思うようになった。懐かしいという言葉の意味や用法のあれこれを吟味する間もなく、このような生活において、懐かしいね、という語がつんと口をつくのであって、そうすればもうそれは意識的に問える意味として私の中に存在しているというよりも、経験上それを直截に知っているということにしておけば躍る胸も心地よく心酔出来るのであって愉快愉快。
□(「母校で頭の中と世界の結婚」 128)

 色付けしたところが哲学的。


 表現する人はすごいなどと、なんでかいつの間にかそういう馬鹿げた話になっているわけだけど、表現というのは実はほんとうは滑稽で恥ずかしいものだ。表現者というのは大きな声を出したり、反抗してみたり、ここに居ますと叫ばなければ、そこに黙って座っていられないどうしようもない種類の人間であって、いわば一番判りやすく欠落した人間であるともいえる。
 ただ居るだけでは生きていけない鬱陶しい人種なのだ。
だからほんとの命懸けで、なんとか生きるために「美しさ」を作り出そうとする。明日も生きてゆけるように、世界を一瞬でも変革するように、一瞬を命懸けで狙うのだ。後ろにはなんもない。新しいことをしたいだの、こんなことが出来ますだの、他の気持ちなんてなんもない。引け目や負い目や苦しみや悲しみや負け続けることや汚いもの、つらいものしんどいもの、そういうところからおのずと立ち現れるものでなければ、ここまで美しくはならんやろう、なる必要がないやろうと、私は思ったわけだ。

□(「美しい、美しい坂本弘道」 196-7)

 研究だって表現だ。


 それとは別のところで、決して人には知られることのない懸命さが確かにあるわけで、それは決して労われることなく、人の陰になり、噂の搾取、などをされ続け、存在しないも同然の生活や苦労なわけで、けれどもその一生懸命さは間違いなくひっそりと存在していて、そして、それが世を支える懸命さの殆どだというわけで。自覚する表現者の懸命さではなく、私は、ライトに照らされて、興奮気味に拍手を受ける役者の顔を見ながら、そっちのことを考えてましたわけで。「それが嘘であってもいいのだ。何故なら、誰かの懸命さは必ず他の誰かに見られているものだということは、物語が伝えるべき正しい真実だからだ」。舞城王太郎氏の物語についてのこんな一文を思い出し、私も思う、間違いなく、そうやと思うわけで。
□(「物語のガッツ」 206)

 世界に係留する理由はそこに。
 

@研究室
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by no828 | 2010-08-19 15:24 | 人+本=体 | Comments(2)
2010年 08月 18日

子どもたちには〈できる子〉と〈だめな子〉の二種類がある——那須正幹『ぼくらは海へ』

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 版元

 57(290)那須正幹『ぼくらは海へ』文藝春秋(文春文庫)、2010年。
 * 単行本は偕成社より1980年に刊行。

 「ズッコケ三人組」シリーズの著者による小説。先に記したとおり、単行本が刊行されたのは1980年。時代背景も今とはずいぶん異なるはずだと思ったが、読み進めていくうちにそうした時間観念は消え去っていった。今の話だ、と言われたら、やっぱりそうか、と思うであろう。そのぐらいに現在の子どもの状況、子どもを取り巻く状況に通底する主題が切り取られている。それは時間のうちに表出し、浮沈を繰り返す“現象”ではなく、その奥底にある“本質”が描かれているということだと思う。

 ちなみに、わたしは小学生の頃に「ズッコケ三人組」シリーズを読んでいました。たぶんほとんど全部読んだと思う。学校の図書室にないものは自分で買って読んでいました。もしかしたら、“本を自分で買って読む”をはじめたのは、この「ズッコケ三人組」がきっかけかもしれない。

 ただ、「ぼくらは海へ」は「ズッコケ三人組」とはまったく違う。文庫本の帯にあるように、作家のあさのあつこは「那須さんは、この作品に毒を盛った」と書いたが、なるほどそうだと思った。

 「ぼくら」は小学6年生。


 嗣郎にとって、勇や誠史や雅彰や邦俊は、なにか人種のちがう雲の上の人間たちのような気がする。そんな子どもたちと、こうしていっしょにすごさせてもらうだけでも、感謝しなくてはならないのだ。
 子どもたちには〈できる子〉と〈だめな子〉の二種類があると、嗣郎は確信していた。
 嗣郎は小学校に入学以来、いや、そのずっとまえ、ひょっとしたら生まれたときから、〈だめな子〉だった。〈だめな子〉は、どんなに努力しても〈できる子〉にはなれないし、大きくなれば、〈だめなおとな〉になるにちがいない。父ちゃんも母ちゃんも、やっぱり小さいとき〈だめな子〉だったから、大きくなっても〈だめなおとな〉にしかなれなかったのだ。

〔……〕
「いっしょにいっていい?」
とたのんでみた。邦俊は、意外とあっさりうなずいた。嗣郎も、まさかそこが育英塾にかよう子どもたちのひそかなたまり場とは、思ってもみなかった。だから、すぐにかえろうとした。しょせん自分とは人種のちがう連中といっしょにあそんだって、ろくなことはない。
 案の定、連中は嗣郎のことをうさんくさい目で見た。だがふしぎに、面とむかって「かえれ」というやつはいなかった。
 やっぱり〈できる子〉は、ちがうな。嗣郎はいったんは感心したけれど、じきに連中の本心がわかった。
 連中はいわないのではなくて、いえないのだ。〈できる子〉という人種は、みずから手をよごしてよわい者をいじめたり、いやなやつをしめだしたりするのがにがてらしい。まして、あいてが人種の違う〈だめな子〉とわかれば、おうようにふるまうか、でなかったら、まるで無視してしまう。それしかできないのだ。

 嗣郎は、ずうずうしくかまえることにした。他人の顔色をうかがって行動することにはなれていたから、けっしてぼろをださないようにして、いつのまにかうめ立て地の小屋にくることを黙認させることに成功した。

□(95-7)

 ニーチェ。


@研究室
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by no828 | 2010-08-18 14:34 | 人+本=体 | Comments(0)