思索の森と空の群青

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2010年 09月 30日

戻ってから

 ここしばらく更新ができず、申し訳ありません。

 ミネソタからは無事に25日(土)に戻りました。台風の影響で飛行機が揺れたり、到着が30分ほど遅れたりということはあったのですが、きちんと(中部や関西国際ではなく)成田に着くことができました。

 ただ、成田に到着し、入国審査、手荷物受取、税関と手続きを済ませ、つくばまでのバスのチケットを購入し、ようやく携帯電話の電源を入れたところで実家から着信があり、23日の早朝に父方の祖母が亡くなったことを知らされました。時差ボケと疲労と、そして1番はその唐突さで、事情をよく呑み込むことができませんでした。携帯電話を確認すると、メールや不在着信や留守電がたくさん入っていました。

 その場で葬儀は27日、「明日帰ってきなさい」と言われました。帰国翌日の26日の朝につくばを発ち、福島の実家を目指しました。本来は、26・27日と他大学との共同ゼミナールが、27日の午後には非常勤講師の仕事があったのですが、いずれもキャンセルさせていただきました(ご迷惑をおかけいたしました)。祖母にとってわたしは内孫で、産まれてから高校卒業まで一緒に生活してきました。気持ちの問題として、帰らないわけにはいきません。

 26日の午後に実家に着いたときには、納棺の最中で、わたしも何とかその儀式に間に合うことができました。実家からはこの納棺の開始時間はもとより、26日に納棺自体があることすらも知らされていませんでした。それは、急かしてしまってわたしが事故に遭ったりすることのないようにという、心配りからでした。このような心配りは、わたしがミネソタにいるときには絶対に祖母が死んだことを知らせなかったというところにも表われていました。時間的に見て、祖母が亡くなってから母にミネソタの様子をメールしたことがありましたが、そのときの返信にも祖母のことは書かれていませんでした。ただ、返信が素っ気なかったので、忙しいのかなと思ったりはしました。

 わたしが納棺にぎりぎり間に合ったとき、わたしの姿が玄関に現われたとき、思わず涙がこぼれたと伯母は言いました。おばあちゃんが間に合うように呼んでくれたのだと、あとからそう言いました。

 実は、ミネソタ調査も、本来は25日アメリカ出国の予定で、実際ご一緒した先生と先輩はそうされました。わたしは26日から予定があったので、一足早く24日にアメリカを発ち、25日に日本に着くようにしました。今から思えば、この1日の繰り上げも、ものすごく大きな意味を持ってきます。

 26日の夜は、叔父や、たぶん祖父が亡くなってからだから12年ぶりに会った従兄弟と話をしました。叔父は祖母の棺のある部屋で寝ると言って、実際そこで寝ました。わたしにとって祖母が死んだということは、父や叔父にとっては実の母親が死んだということなのだと、そのとき強く思いました。

 27日は朝7時から出棺、8時から火葬、12時から告別式、納骨、寺参り、15時30分から告別式の会場で宴会。告別式のときは、まだ元気でいるもうひとりの祖母のことを考えずにはいられませんでした。祖父はふたりとも亡くなり、今回父方の祖母が亡くなり、自分にとってのおじいちゃんおばあちゃんはもうあとひとりしか生きていないんだ、そのおばあちゃんもいつか死ぬんだと、そんなことを考えたりもしました。

 27日は、すべての儀式が済んで実家に戻ってからも、近くに住む親戚のおじさんたちがやってきて、祖母の仏壇の前で父とともにお酒を呑んでいました。わたしたち孫も途中から混ざり、いろいろ話をしました。

 28日はお昼すぎまで実家の片付けを手伝いました。つくばで用事のあるわたしは、それからお昼を食べて実家を出ました。叔父と弟ふたりはもう少し残ってくれるとのことでした。

 一息ついたのは、29日の午後になってからだと思います。それまでは何が何だかよくわからないままにいたと思います。帰国して電話を受けて、とりあえずつくばに戻って、翌朝実家に向けて出発して、実家に着いたら儀式に混ざるように言われ、次の日も早朝から儀式がはじまり、それが夜まで続き、その次の日も片付けをし、夜つくばに戻り、という日々で、本当に落ち着くことがありませんでした。ただ、ときどき内省できる時間が訪れ、そのときは悲しさがこみ上げ、目が熱くなりました。従兄弟のおにいちゃんはわたしに「あれ、のりくん目が赤くなってるよ」なんて言ってからかってきましたが、それが嬉しかったりもしました。

 
 祖母が死んだというわたしにとってのリアルな現実があっても、大文字の現実は動いていきます。その大文字の現実に対応していかなければなりません。全体的にもう少しだけ、もうちょっとのあいだだけでいいから、ゆっくり時間が流れてほしいと願うわけですが、それが叶うことはない。

 
 そういうわけで、長らくあいだが空いてしまいましたが、少しずつ戻っていきたいと思います。こういうことは書かなくても、あるいは書かないほうがいいのかなと思ったりもしましたが、結局書いてしまいました。今後ともよろしくお願いいたします。


@研究室
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by no828 | 2010-09-30 15:14 | 日日 | Comments(0)
2010年 09月 20日

ミネソタばたばた

 明日からアメリカ・ミネソタ州に調査に行ってきます。

 旅程:
 2010/09/21 成田発
 2010/09/24 ミネアポリス発
 2010/09/25 成田着

 念のための便名(デルタ航空):
 往路 DL620
 復路 DL619

 ちなみに日本に戻ったあとは、9月26日から27日にかけて1泊2日の4大学共同ゼミナール合宿が新宿であり、これにも参加します。共同ゼミは27日のお昼に終わるのですが、わたしはそこから中野に行って看護学校で1コマ教えます。

 というわけで、調査の準備とそのあとの準備とで目下あわわあわわでございまして、日本に戻ってからもあわわあわわなのでございます。今日も休みなのに事務に行って(担当者がたまたま在室でして)、某書類にはんこを押したりしましたわけです。

 わたくしから連絡をお待ちのみなさまがいらっしゃいましたら、そういうわけでして今しばしお待ちください。というか、「いらっしゃいましたら」というか、「いらっしゃいます」のは確実なわけですが、たとえばトキさん、ごめんなさい。9月中に何とか! あるいは10月以降に東京で!

 それから、わたしの携帯電話は「世界対応ケータイ」らしいのでアメリカでも番号のまま通じるようです(よくは知らない)。ただ、その場合の課金はたぶんすごいことになるので、緊急以外のご連絡を携帯にしてはなりませぬ。ノートPCを持っていくので、それでホテルなどからインターネットにつなげようと思っています。メールなどはそれで確認する予定です。ブログまで書けるかどうかはわかりませんが、ツイートだったらできそうな予感がします。

 そういうわけですので、みなさま、よろしくお願いいたします。


@研究室
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by no828 | 2010-09-20 21:31 | 日日 | Comments(3)
2010年 09月 16日

その人は英助の手を何度もさすったりした。温かく、そして乾いている手だった——宇江佐真理『桜花を見た』

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 版元

 66(299)宇江佐真理『桜花〔さくら〕を見た』文藝春秋(文春文庫)、2007年。
 * 単行本は2004年に同社より刊行。
 
 中篇時代小説集。

 北町 → 南町奉行・遠山左衛門尉景元が実父だと知らされた町人・英助。いろいろあってようやく奉行宅で会うことができたときの会話など。英助はこのとき20歳くらい。


「おれに逢うだけでよいのか」
「はい。わたしはただ一度あなた様にお目に掛かることが今生の願いでございました」
「こんな不実な父親でもか」
「父は父でございます」

 一瞬、庭からの風が向かい合う二人の頰をすうっと嬲った。その風の心地よさにその人は眼を細めた。
〔略〕
「不思議とぴったりと合います。こんな〔彫り物の〕図柄はわたしも初めて拝見しました」
「そうか……」
 その人は満足そうに肯いたが、次の瞬間、小さなしわぶき〔咳〕を洩らした。英助は慌ててその人の背中に回り、帯に下がっている着物を襦袢ごとその人の背中に被せた。
 英助の両手がその人の肩に置かれた時、その人は英助の左の手首を摑んだ。その力は強かった。
「英助、おれを当てにせずとも生きてゆけるか?」
「はい」
 英助ははっきりと応えたが喉の奥がぐっと詰まっていた。
「真面目に仕事に励め。あの娘とよい夫婦になり、いついつまでも息災で暮らせ。よいな?」
 その人はそう言った。英助はもう何も言えず黙って俯いたきりだった。その人は英助の手を何度もさすったり叩いたりした。温かく、そして乾いている手だった。

〔略〕
 子であることを認められ、英助と名を呼ばれ、この先も息災で暮らせと労われた。身に余る倖せと感じたのは、しかし、座敷内のことだけであった。見慣れた町と見慣れた自分の奉公する店が見えた時、英助は突然、咽んでいた。あれが……あれで自分はもう父とは逢うこともないのだと気づいた。今生の別れでもあったのだと確信できた。思えば、父に逢いたいと焦がれていた時の何んと倖せだったことか。至福の刻は一瞬の内に儚く終った。
 もう、その顔もその声も英助には朧ろだった。
 お久美はそっと英助の手を握っていた。

□(62-4)


@研究室
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by no828 | 2010-09-16 16:07 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 09月 15日

銀河高原ビール 白ビール

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 製造・販売元

 銀河高原ビール 白ビール

 アルコール度数:4.5%
 原材料:ベルジャンビール酵母、麦芽100%、ホップ(無濾過・ビール酵母入り)

 非常勤の帰りに某YAMAYAで購入。お店で買うときには知らなかったが、数量限定発売らしいですよ!(サイトを見て知った。)

 味は甘い、そして少し酸っぱい。たぶん酵母の味。全体的にまろやか。とろみがある、と書くと書きすぎだが、でもそういう口当たり。濁酒(どぶろく)的。夏にはあまり似合わないかもしれないが、これからの季節にはよいと思う。ゆっくり味わうにもよいと思う。どんな料理が合うのかなー(あれ、「どんな料理に合うのかなー」が正しい?)。


@研究室
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by no828 | 2010-09-15 15:31 | ビール | Comments(0)
2010年 09月 14日

傷ついたらしょうがない、傷ついた自分をごまかさずに見つめて素直にまいっていれば——梨木香歩『裏庭』

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 版元

 65(298)梨木香歩『裏庭』新潮社(新潮文庫)、2001年。
 * 単行本は1996年に理論社から刊行。

 ファンタジー? 児童文学? と思ったら「第1回 児童文学ファンタジー大賞 大賞」受賞らしい。そのためか、没入して読むというわけにはいかなかった。これはちょっと精神分析のお話も入っているのかしらと、考えながら読んだ。

 キーワードは「傷」。


「照美って変わってる。ほんとにおじいちゃんの話って楽しいの? あたし、絶対マンガ読んでる方がいいよ」
「うち、ほら、おじいちゃんやおばあちゃんがいないじゃない。なんか、いいんだよねえ、おじいちゃんって」
「ふうん」
 照美は少し照れくさくもあったので、軽くいったけれど、そして、照美自身も本当に気づいていなかったけれど、おじいちゃんの存在は照美にはもっと切実なものだった。照美に向かって、(片手間でなく)きちんと話しかけてくれる大人っていなかったのだ。パパやママは忙しすぎた。

□(26-7)

 大事。


「子どもを持つと、母親は強くなりますね」
 さっちゃん〔照美のママ〕は、こういう、当り障りのない常套句をいっぱい知っている。お客相手をしているうちに蓄えたものもあるし、大人へ成長する過程で、人とたくさん交わるうちに身につけたものもある。そういうものを、きっと、『常識』と呼ぶのだろう。そういう意味ではさっちゃんは、『常識のある大人』なのだ。けれど、そういう『常識的』な言葉を使うとき、さっちゃんは、何か虚しい気がすることもある。言葉が上滑りしていく感じだ。でも、場合によっては、何か守られている感じがすることもある。
 このときは、虚しい感じがちらりとした。夏夜〔かや〕さんはこういう感受性の敏感な人だった。
「本当に強くなったんだとお思いになる? 私は違うと思うの。それは、鎧みたいなものなの。心の一番柔らかな部分が傷を負わないように、ガードするのね。人によってはそれが、丁寧な言葉づかいになったり、当り障りのない、受け答えになったりするのね。でも、それは、何か守らなければならないものがあるときだけでよかったのに……

□(60)


「この公園は、市場帰りの子ども連れや老人たち、若いカップルなんかで終日笑い声が絶えなかったもんだよ」
 スナッフは独り言のように呟いた。
金なんてさ、どうでもいいどころか軽蔑さえしてたようなところがあったけど、こうなってみれば、あれはコミュニケーションそのものだったんだな。人と人との間を行ったり来たり

□(145)


癒しという言葉は、傷を持つ人間には麻薬のようなものだ。刺激も適度なら快に感じるのだ。そしてその周辺から抜け出せなくなる。癒しということにかかわってしか生きていけなくなる。おまえはその服のおかげで傷に支配されずにすんでいるのだよ」
□(190)


 帰りぎわ、おばばは入口まで送ってきて、テルミィの服をあごでしゃくり、はなむけのようにこういった。
傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ
「ありがとう、おばば」
 テルミィはこのおばばが好きになっていたので、別れるのがつらかった。何度も振り返り、手を振った。見えないとはわかっていても。

□(253)


「さあ? 人生なんて、何がどう関係しているのか、本当のところはだれにもわからないわ」
□(273)


 人が人をわかろうと努力するときは、既にほとんど半分ぐらいは許せる気になっているものだ。けれど、さっちゃんは、母親のことをわかろうなんてしたことがなかった。正直いって、母親のことは努めて考えまいとしてきた。だれが痛む傷口をわざわざ開いて中を見ようとするだろう。
「母親に関しては、私には傷を受けたような記憶しかないんです」
〔……〕
「結局、ダメージだけが、受け継がれて……」
 さっちゃんが低い声で独り言のようにいった。
「プラスにしろ、マイナスにしろ、人は遺産からは逃げようがないのかしら」
 レイチェルは漠然と裏庭のことを考えながらいった。

□(277-8)


鎧をまとってまで、あなたが守ろうとしていたのは何かしら。傷つく前の、無垢のあなた? でも、そうやって鎧にエネルギーをとられていたら、鎧の内側のあなたは永久に変わらないわ。確かに、あなたの今までの生活や心持ちとは相容れない異質のものが、傷つけるのよね、あなたを。でも、それは、その異質なものを取り入れてなお生きようとするときの、あなた自身の変化への準備ともいえるんじゃないかしら、『傷つき』って
「まさか、だからおおいに傷つけっていうんじゃないでしょうね」
「違う、違う。傷ついたらしょうがない、傷ついた自分をごまかさずに見つめて素直にまいっていればいいっていうのよ
「いつまでよ」
生体っていうのは自然に立ち上がるもんよ。傷で多少姿形が変わったとしても
「レイチェル、あなたもだいぶ苦労したのね」
 夏夜さんはにやりと笑った。

□(279-80)

 自分の弱さと向き合えるのが本当の強さだ、というのがわたしの考えだが、これと「傷」はどう関係するのか。弱さがなぜ発生したか、なぜそれが自分の弱さとなっているのか、と考えると、弱さの原因、遠因が傷という気もしてくる。

 生きていくということは傷つくということであり、その傷を治していくということでもある。その治すということ、治癒は、その傷と向き合うことからしかはじまらない、ということなのかもしれない。

 傷が治ったら(治るものなのか?)弱さも克服できる、ということになるのか。よくわからない。

 「傷」ってそもそも何? という気もする。それがわからないということは、君、それがわからないように、気付かないように、君自身が蓋をしてしまっている、ということなのだよ、と言われると反論のしようがない。それで行くと、人はみな「傷」を負っている、ということが前提となってしまう。まぁ、たしかに傷は負っているのであろうが、しかしその「傷」それ自体って何なのさ、ということなのである。

 いずれにしても、弱さは弱さであっていいのじゃないかしら、というのが最近のわたしの考え。

 加えて。

 失恋した人や失愛(?)した人に対して、“前の男なんて忘れなよ”とか“新しい恋したら忘れるって”とか言われることが一般にあるように思われるが、わたしはそういう意見には与しない。本当に好きになった人であれば、別れました、はい忘れます、なんてことにはならないのではないか。というか、わたしの場合はならなかった(というのはかなり前の話)。自己正当化の議論になってしまうかもしれないが、本気の恋愛であったのならそんなに簡単に忘れられないし、忘れなくていい、引きずるだけ引きずればいいさ、そのうち苦しくなくなるときが来るからさ、というふうに思う。

 この本読んでそのことを思い出した。なんでだろ。傷?


@研究室
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by no828 | 2010-09-14 21:14 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 09月 11日

ヱビス ASUKA CRUISE まろやか熟成

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 販売元

 ヱビス ASUKA CRUISE まろやか熟成

 品目:ビール
 アルコール分:5.5%
 原材料:麦芽、ホップ
 
 たしかにまろやか。シルクヱビス系。濃いめが好きなわたしは、残念ながら感動はしなかった。でも、豪華客船でゆっくり味わったらきっとおいしいのだと思う。どこで呑むか、誰と呑むか、どういう状況で呑むか、というのは大事なポイントです。アパートの部屋でひとりで呑んでもねぇ、という気はする。

 缶の色とデザインは好き。


 追記:
 このブログでのみわたしのことを知っていらっしゃる方は、わたし=本読んでビール呑んでいる人、ということになっているのかもしれないと思って、それってどうなの?という気がしないでもないが、あながち間違いでもない、という気もする。


@研究室
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by no828 | 2010-09-11 18:57 | ビール | Comments(0)
2010年 09月 09日

その明日っていうのはいつ来るのでしょう明日になったら明後日が明日になるわけですから

 最近夜が涼しくてよい。寝苦しい、ということはない。だが、起きたら汗をかいていた、ということはまだある。今週土曜はまた暑くなるってラジオで言っていた。35℃の真夏日の予報。外れてほしい。

―――

 昨夜は郵便局に寄り、3点を郵送。非常勤講師の書類と、大学院の同輩の結婚式の返信(研究室の後輩と結婚するって何なんだ)と、科研の海外調査の書類。

 それから某カスミで卵など。

 帰宅してシャワー浴びて「ホタルノヒカリ2」。最近何話か連続で観ているなんて言えない。遅めの夕飯。

 今朝、バス・ターミナルまで徒歩。その途中、クリーニング屋でスーツ(もちろん上下)1点とスラックス1本をお願い。スラックスは染み抜きもお願い。締めて1,628円。クリーニングって結構高い。

 バスで大学まで。「第一エリア前」下車。

 ちなみに最近 MILLET のリュックで通学。LUGGAGE LABEL の2ウェイの鞄は好きなのだが、重い。“鞄が重いのはわたしがいつも本数冊とか論文とかを入れているせい”と思っていたが、どうやら鞄自体も重いことがリュックにしてみてわかった。

 研究室で授業用に UNICEF の報告書とか国連子どもの権利委員会の所見とか。

 昼、授業。

 そのあと某先生と諸々ご相談。授業用のテキストの選定とか就職の難しさとか。お話をしているときに某先生(A川先生?)が通りかかり、ハート型のチョコレートをいただく。ありがとうございます。

 博士論文を書こう。でも、博士論文って何なんでしょう。博士論文 = 足の裏のごはん粒 = 取らないと気持ち悪い、とよく言われますが、最近それを実感。でも、博士論文と向き合うって結構精神的にしんどい。水村美苗の『私小説』には著者がアメリカ留学して博士論文書くの書かないの書けないの明日になったら書きますよ明日になったら教授に相談しますよでもねでもねその明日っていうのはいつ来るのでしょう明日になったら明後日が明日になるわけですからうわああああという日々のことが描かれているのだが、そのときの気持ちのありようがよくわかります。

 それから本部棟に行って某書類に印。

 お昼は15時前に学食で本を読みながらかき揚げそば。麺つゆをすすったら身体が塩分を求めていることを実感。

 研究棟に戻って某先生と某先生から印をもらって某書類を事務に提出。

 博士論文を書こう。

 研究室に戻って国際機関の報告書を探索。全体的に統計出して比較して序列化すればオッケーという風潮がある。UNICEF までも。ちょっと違う気がするなぁ。

 17時から研究会。修論生。このままだとまずい、書けない、ということに。わたしの受けた印象では、

 1.論旨が一貫していない、いろいろ盛り込みすぎ。
 2.事実を記述する(列挙する)という研究なのに事実(データ)が少なすぎる。
 3.かといって観点を持ち出して現在蒐集できている事実を分析するのは理論が弱いからできなさそう。
 4.だからこのままでは書けないよ。
 5.書くとすれば、事実をさらに蒐集するしかないけれど調査している時間もあまりないですよ。
 6.でも、あきらめるにはまだ早いのでもう少し考えてみてよ。

 書こうとしてあがいているとか、他者の意見に耳を傾けるとか、そういう姿勢は見受けられたので今日は発言した。そういう姿勢がない人にはわたしは何も言わない。


 お腹空いた。

 
 久しぶりに“今日”のことを書いてみた。


@研究室
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by no828 | 2010-09-09 21:03 | 日日 | Comments(2)
2010年 09月 06日

人間、何が幸いし、何が不幸になるか知れたものではない——宇江佐真理『三日月が円くなるまで』

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 版元

 64(297)宇江佐真理『三日月が円くなるまで——小十郎始末記』角川書店(角川文庫)、2008年。
 * 単行本は2006年に同社より刊行。

 昨夜某ブックオフに行ったときに購入。寝る前に読了。

 ふと時代小説が読みたくなるときがあります。わたしにとっての精神安定剤かもしれない。


 藩と父に翻弄される武士・刑部小十郎の物語(「刑部 小十郎」は「おさかべ こじゅうろう」と読む)。小十郎は翻弄されることに腹を立てるが、しかし翻弄されることで出会えたこともある。


「その娘さんは、賢龍さんには一輪の花のように思えたのでしょう?」
 ゆたは賢龍の顔を覗き込むように続けた。
「ええ……」
「道端に咲く、名も知れない花ね」
「そうです」
「名前など知らなくてもいいじゃないですか。一輪の花のまま一生、覚え続けたらいいんですよ」
「一生?」
 賢龍はゆたの言葉を鸚鵡返しにした。
「そう。一生、賢龍さんの胸に咲き続けるの。でも、きっと賢龍さんは、この先、奥様をお迎えすることはないと思う」
「そんなこと、どうしてわかる」
 小十郎は声を荒らげた。ゆたはわかっていないな、という顔をした。
「娘さんと出会った時が千載一遇の機会だったのよ。それを賢龍さんは自ら捨ててしまった。もう、機会は巡って来ない。もしもその気があるのなら、今からでも娘さんの所へ戻るはずですよ。でも賢龍さんはそうしない。そうね?」
「はい」
「だったら一生に一度の恋も一巻の終わりということになるのよ」

「一生に一度とか、一巻の終わりだとか言うな。おれは胸が切なくなる。嘘でも、また機会があると言えぬものか」
 小十郎はいら立った声で言った。ゆたは小十郎の顔をじっと見て、「嘘は嫌い」とぽつりと応えた。

□(99-100)

 ゆた(推定16、7歳ぐらい)は賢い子です。


 人間、何が幸いし、何が不幸になるか知れたものではない。徒に落ち込むことはないのだ。その内に解決の糸口はきっと見つかる。小十郎は強く思った。
□(298)

 勇気づけられます。

 腐らずに生きていきたい。


@研究室
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by no828 | 2010-09-06 17:34 | 人+本=体 | Comments(4)
2010年 09月 05日

子供っぽい薄い胸の中にはこんな修羅場を抱えていたのである——向田邦子『父の詫び状』

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 版元

63(296)向田邦子『父の詫び状』文藝春秋(文春文庫)、1981年。

 エッセイ集。“みんな幸せでした”なんてことで日常を決して上塗りしない、日常をそのままに引きずり出す、いわば毒のようなものをわたしは向田のエッセイには感じる。

 書き方は、あるひとつのテーマについて、それに関連するエピソードを書き、次にまた別のエピソードを書き、さらに別のエピソードを書き、という調子。Aということがあった、そういえばBということもあった、という具合に。


人間はその個性に合った事件に出逢うものだ
 という意味のことをおっしゃったのは、たしか小林秀雄という方と思う。
 さすがにうまいことをおっしゃるものだと感心をした。私は出逢った事件が、個性というかその人間をつくり上げてゆくものだと思っていたが、そうではないのである。事件の方が、人間を選ぶのである。

□(「お軽勘平」103)


 この店〔喫茶店〕には十人ほどの女の子がつとめていたが、中に一人とても気のつく子がいた。十七、八の小柄な細面の子で、小まめにお茶を入れかえてくれたり、伝言なども正確に伝えてくれた。
 ある時、私が仕事の疲れでうつぶして寝込んでしまい、頬にビニールをバラの花形に切りぬいたテーブル・クロスの型が赤くついてしまった時も、彼女は、笑いをこらえながら、蒸しタオルを何回も取りかえてくれたりした。
 心づけ代りにハンカチでも買ってそっと手渡そうかな、と思っていた矢先、おひるのテレビ・ニュースに突然、被害者として彼女の写真があらわれた。
 つきあっていた男友達に殺されたのである。みごもっていたこともあり烈しく結婚を迫ったのが理由だとアナウンサーは事務的な口調でしゃべっていたが、首を絞められ古材木の浮かぶ濁った掘割に投げ込まれていたと聞いて、私は食事をつづけることが出来なかった。
 私の知っている彼女は、笑い顔のあどけない人なつっこい少女だった。話をする時、人に体をもたせかける癖が気になったが、ユニフォームの下からのぞく細い足にはまだ充分に育ち切らない稚さ〔おさなさ〕があるように思っていた。だが、子供っぽい薄い胸の中にはこんな修羅場を抱えていたのである。人を見る目が幼かったのは、むしろ私の方であった。
 ウェイトレスや看護婦さんや、ユニフォームを着て働く人を見るたびに、この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知れないのだ、十把ひとからげに見てはいけない、と自分にいいきかせている。

□(「ねずみ花火」134-5)


 子供はさまざまなお八つを食べて大人になる。
なにを食べたかいってごらん。あなたという人間を当ててみせよう
 といったのは、たしかブリア・サヴァランだったと思うが、子供時代にどんなお八つを食べたか、それはその人間の精神と無縁ではないような気がする。

□(「お八つの時間」210)

 両親が共働きであったわたしは、祖母の握ってくれたおにぎりを食べて育った。季節によっては、これも祖母が畑で育てて獲ったとうもろこしなどを食べて育った。“お菓子を食べさせるぐらいならごはんを食べさせる”というのが父の育児方針であったらしく、わたしは小さい頃お菓子を食べた記憶がほとんどない。お菓子は、遠足とか何とか、そういう特別なときの食べ物であった。あとは、お客さんが来たとき、そこでお出しするお菓子を、お客さんに「僕もいただいていいですか」と断ってから食べていた(そういうふうにしなさいと躾けられていた)。
 お母さんがケーキを焼いてくれたとか、戸棚の中にお菓子が用意してあったとか、おやつってそういうものだっていうことを聞いたり読んだりして羨ましいとずいぶん思ったものだが、わたしにとってのおやつと言えば、やはり祖母の握った、そしてときどき母の握った塩をまぶした普通の白いおにぎりである。大人の手で握ったおにぎりは子どもの手には大きく、食べている途中で崩れてくることがほとんどであった。そのたびにわたしは祖母や母のところに行って「もう1回握って」と崩れ落ちそうなおにぎりを差し出したものである。そしてそのたびに「食べるの下手だねぇ」と言われて、わたしの小さい心は少し傷ついたのであった。


@研究室
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by no828 | 2010-09-05 19:19 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 09月 04日

カシオレの甘美な誘惑

 先日の学会大会のときに首都圏の女子大に勤務する先輩と呑みに行って、それで“今どきの女子大生は呑み会の席で何を頼むのか、何を頼むことが奨励されているのか”という話になった(どんな話だ)。

 何だと思いますか?













 正解は、カシス・オレンジです。通称カシオレ。

 わたしは一発で当てました。勘です。でも、カシス・オレンジをカシオレと略すとは知らなかった。先輩の話によると、ゼミの呑み会で居酒屋に行くと、ほぼ全員「カシオレ!」と言ってカシス・オレンジを頼むそうです。

 そこで先輩は先生として呑み会の場でゼミ生に訊いてみた。「どうして君たちはカシス・オレンジばかりを頼むのか」と。女子大生の答え。「かわいいから☆」。厳密には、「かわいく見えるから☆」ということに違いない。
 註:☆マークはわたしの一存で入れました。

 女子大生によると、お酒の中でカシオレがもっともかわいいらしい、というか、それしかかわいくないらしい。女子大生にとっては、ビールはNG、ウーロン・ハイもNG、焼酎もNG、日本酒もNG。理由はどれもかわいくないから。そういうのを呑んでいる人はかわいくない、ということになる。

 わたしは“かわいい”という理由でお酒を頼むという考え方に与しないが、そういう考え方もあるのかと勉強にはなった。

 で。

 先日、飲み放題での呑み会があって、そこで以上の話を思い出した。一通りしゃべってみて、飲み放題のメニューを見たら「カシス・オレンジ」とある。「試しに頼んでみようかな」と言ったら、「甘いよ」「ジュースだよ」という、つまりは「止めたほうがいいよ」という忠告を同席者一同からいただいたのだが、ここはどういうものか知ってみないことには何も言えまいという経験主義的知的探究心を抑えることができず、店員さんに注文した。「カシオレひとつ」「はいっ、カシオレおひとつー」。

 おぉ、「カシオレ」で通じたよ……。

 「お待たせしましたー」と到着したのは、トマト・ジュースのような色の液体。飲んでみる。

 甘っ!

 わたしには合いません。が、合わないということがわかっただけ勉強になりました。

 今どきの女子大生はこんなの飲んでるのか、かわいいという理由だけで……。


 と、ここでわたしは大学院のふたりの後輩のことを思った。ひとりはカシオレ系しか頼まない子、もうひとりは女子大生からNGを突きつけられたお酒しか頼まない子。今度この話を教えてあげよう。


 って何の話だよっ! と言いたいぐらいに今日のエントリは中身が薄い。薄すぎる……。

 陳謝。


@研究室
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by no828 | 2010-09-04 18:26 | 日日 | Comments(6)