思索の森と空の群青

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2011年 01月 30日

人間の本当の能力とは問題を作ること。何が問題なのかを発見することだ——森博嗣『冷たい密室と博士たち』

c0131823_1474329.gif10(332)森博嗣『冷たい密室と博士たち Doctors in Isolated Room』講談社(講談社文庫)、1999年。


版元


 S&Mシリーズ第2弾。第3弾、第4弾をすでに読んでいるから、戻って読んだことになる(話は時間的に連続しているが、戻ったからわからなくなるということはない)。某アマゾンで1円であったため(手数料込251円)、買ってしまうことにした。某ブックオフで探して105円で買うのをあきらめた。

 以下、“研究とは”にかかわるところを中心に。



 そう、試験とは本来そういうものだ。誰でも解ける問題を出して、落ちこぼれを見つけるのではない。解けそうにない問題を出して、秀でた才能を発見するためにある。しかし、これを言っては喧嘩になるので発言はしない。〔略〕
 犀川は、自分の授業でも試験は一切しない。問題を解くことがその人間の能力ではない。人間の本当の能力とは、問題を作ること。何が問題なのかを発見することだ。したがって、試験で問題を出すという行為は、解答者を試すものではない。試験で問われているのは、問題提出者の方である。どれだけの人間が、そのことに気がついているだろう。

□(10-1)

 御意。少なくとも研究者にとって大切なのは、問題解決よりも問題発見である、と基礎系のわたしは言ってしまうが(哲学の仕事は問題発見である)、もちろんこれには異論があろう。すでに誰もが認めるような“問題”がある場合、求められるのは解決行為であって、それに疑義を差し挟みうる発見行為ではない、ということになるであろう。哲学者がいちいち出てきて疑っていては事は前に進まない(哲学者は「前に進む必要があるのですか」と言うであろう)。

 学類の頃はとことん問題解決型の知を受け取ってきたが(そういうカリキュラムであったし)、今のわたしはもうだいぶ違う態度を持つ人間になったように思う。むろん、今から振り返れば、すでに学類の頃にその萌芽はあったわけだが……。何人かの人がそれを共有してくれたことが嬉しかったが、その「何人か」は学生であって教員ではなかった。たぶんあの先生やあの先生とじっくり話をしたら、何らかの応答は示してくれたはずだとは思うが、学類の頃のわたしにとって教員は遠い存在であった。だから、萌絵が積極的に先生に議論をしかけたりするのを見ていると羨ましくもなる。


(あれだけのことを決めるだけに、どうして三時間もかかるのだろう)
 日頃、研究室に閉じ籠もっているから、会議というものが一種の社交場とでも思っているのかもしれない。異人種たちは、それが必要な「親睦」だと感じているのだろうか。おそらく、そうだろう。頭脳明晰な人間たちが、あんな無駄話をするというのは、そうとしか考えられない。その動機は認めよう。間違った感情ではない。人間にはそういった弱さがあるものだ。ただ、自分のような他人種を巻き添えにしないでほしい、と犀川は思う。望みはそれだけである。

□(14)

 こういうことはわたしにも思い当たる。会議ではない。読書会などだ。はじめるまでに無駄話をしてしまう。それで10分ぐらい無駄にする。それはまさに日頃閉じ籠もっているからで、だから話がしたいからにほかならない。そして、話してしまって後悔する。無駄なことをしたと、そう思う。わたしの「弱さ」だということになる。


「面白ければ良いんだ。面白ければ、無駄遣いではない。子供の砂遊びと同じだよ。面白くなかったら、誰が研究なんてするもんか
□(65)

 税金を投じてすぐには役に立たない研究をすることは無駄遣いかもしれないね、という話になったときの犀川の答え。


建築って、アーキテクチャを訳した新語だから、明治以降だと思います。歴史がないの」萌絵は言う。「絶対、土木の方が素敵……」
□(102)

 「建築」も新しい訳語なのか。

 マルクス主義の思考枠組みを形成するものに、下部構造と上部構造とがある。すでにご案内のように、下部構造つまり経済が、上部構造すなわち政治を規定する、というあれである。先日、中国人留学生と話をしていたら、中国では下部構造を「経済基礎」、上部構造を「上層建築」と言うことがわかった。「建築」だけだと日本語的な意味合いを持つらしいのだが、それに「上層」がくっつくと、「経済基礎」によって規定される政治などの上部構造を意味することになるらしい。マルクス主義にかかわる中国語は日本(語)を経由して作られた側面が強い、とその留学生は言っていた。


 外に出る。突き刺さるように、雨が真横から二人を襲った。
 足をすくわれるような風圧が大きな振幅で息をしている。地球のジュースでも作ろうというのか、大気はミキサで攪拌されているようだ。少しでもジャンプすれば、もとの位置には戻れない。雨は吹き上げ、空気は飽和し、狂気で沸騰している。

□(341)

 これは純粋に表現としておもしろいと思った。


「それじゃあ、僕なりに解釈していることを話しましょう。もっとも、問題を解くことに比べて、解答の意味するところを思慮することは格段に困難です。それに、こういった人間の感情を言葉で表現すること自体、円周率の小数点以下を四捨五入するみたいで、気持ちの良いものではありません。ここからさきは本当に、憶測というよりも、僕なりの消化のしかただと思って下さい。〔略〕」
□(386-7)

 解答を出すことと、その解答の意味を考えることとは別のこと。

 科学と、哲学と。


「でも、学問というのは本来虚しいものですよ」
 そう、本来、外部から傷つけられるようなものではないのだ。
〔略〕
学問の虚しさを知ることが、学問の第一歩です。テストで満点をとったとき、初めてわかる虚しさです。それが学問の始まりなんですよ」

□(397)

 学問の虚しさ、か。


「犀川先生なら、どう答えられますか?」国枝桃子が無表情で尋ねた。「学生が、数学は何の役に立つのか、ときいてきたら」
何故、役に立たなくちゃあいけないのかって、きき返す」犀川はすぐに答えた。「だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね」
「何故、役に立たなくてはいけないか、ですか……。うん、それはいい」と高校教師が呟く。
「そもそも、僕たちは何かの役に立っていますか?」犀川はおどけて言った。

□(399)

 役に立つか立たないかという価値規準は、本来あくまでひとつの価値規準であるわけだが、それが唯一絶対の価値規準となって社会を覆っている。個人的には、これには反対だ。だが同時に、日常を回していくためには、役に立つことがどうしても必要になる。役立たずばかりでは日常は破綻する。とすると、音楽や芸術(このふたつの並置はカテゴリ・ミステイクだと思うが)は日常ではない、ということになり、だからこそ芸術を日常に入れこもうとした運動があったりもしたわけか。そしてそれは、役に立つことばかりが求められる社会に対する抵抗でもあったわけか。


「内緒と沈黙は、どこが違う?」
 犀川は独り言を呟く。
「内緒は、人間にしかできない」

□(403-4)


 わたしが引用を行なうのは、読後感想を自分のことばで書くことがあまり得意ではないという、きわめて消極的な理由からだ。感想をことばにするためにかかる時間は、引用する時間よりもたぶん長くなる。引用への積極的な理由付けとしては、後から振り返って自分はこういうことばに引っかかっていたのだということがわかって、そのときの自分がどういう自分であったかに思いを致し、そのときの自分と今の自分との違いを考え、それが自分を知ることにもなるであろうから、というものだが、これは後付け感がとても強い。(これは研究者友人へのひとつの応答にもなろう。)

@研究室
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by no828 | 2011-01-30 15:13 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 01月 26日

「おとうさん、自殺をしてもいいの?」「してもいい、二つのときにだ」——鶴見俊輔『教育再定義への試み』

c0131823_2141655.gif鶴見俊輔『教育再定義への試み』岩波書店(岩波現代文庫)、2010年。

※ 単行本は1999年に同書店より刊行。

版元


 大野更紗(@wsary)さんと高橋源一郎(@takagengen)さんのツイート経由で知った、哲学者鶴見俊輔の教育論。鶴見さんの教育本といえばこの本であろうと思って読むことにした。結果、原著に当たったことになった(正直に書くと、読みすすめてもなかなか該当箇所が出てこなくて、“あれ、この本でいいのか、もしかして雑誌論文か、だとすると探し出せるのか”などなど、途中結構不安になった。原典はきちんと挙示しましょう)。

 なお、高橋さんのツイートでは、1月16日の「教育」25・26・27という見出しの付いたところが該当箇所。高橋さんは鶴見さんの教育論に触れて、鶴見さんを信頼しようと思ったそうです。


 私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子高真史が自殺した。
 『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校四年生のときで、岡真史(一四歳)の自殺は、その後二年たって彼が小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、
 「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
とたずねた。私の答は、
 「してもいい、二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなかったら、その前に首をくくって死んだらいい」
〔略〕
 私は中年まで、自分は子どもをもたないと決断してきた。考えは変わって、子どもをもってから、彼に、君は自ら望んで生まれてきたわけではないから、君はおれを殺していいと言ってきた。

□(151-2)

 鶴見さんは、教育では自分を出せと、教育においては決して自分を消すなと、教育は自分を通過させなければならないと、そのように言う。教育をする者は自分を教育を受ける者に晒せと言う(もちろん、鶴見さんにおいては教育する者とされる者とは相互的であって固定的なものではない)。これはこの本で一貫して主張されていることである。

 この自殺という人間の生/死にかかわることは、まさに人間にとっての第一次的問題、鶴見さんのことばで言えば「親問題」である。また、自殺をしてもよいのかという問いは、教育にかかわることである。だから、そのとき提出されるべきは教える者の中を経由させた答えでなければならない。鶴見さん自身、まさに自分の答えを述べている。一般的な答えなどではまったくない。

 他にも魅力的なことがたくさん書かれていた。ここではもう一箇所だけ引いておこう。詳しく知りたい方はぜひ、本書を手に取ってください。『生きることの意味』は買って持ってはいるのですが、まだ読んでいないので何とも言えません。近々読もうと思います。


私は日本人が外国語をおぼえる必要はとくにないと思う。外国語のできる日本人が国際人だということはない。日常の日本語を使って考えていって、日本国家を批判できるすじ道をさがしたい。そのすじ道を、今の学校教育は用意しているのか、親切にしてもらったら、ありがとうと言う、その日本語だけで十分で、それが主権国家を批判する道をひらく。
□(160)

 批判をするときに外部に出るのではなく、内部に留まる。内部に留まって批判をする。批判というのも大それたものではなく、日常の生活の只中から可能なものである。(日本人と日本語でもって日本国家の内部が形成されるのかどうか……はさておき)鶴見さんは第二次世界大戦がはじまったときにアメリカにいた。そのままアメリカに残ることもできた。しかし、開戦後、鶴見さんは日本に帰ることにした。それはこの、内部に留まるということと通じるような気がしました。


@研究室
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by no828 | 2011-01-26 22:06 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2011年 01月 26日

そう見ようとする善意があるからじゃないかしら——森博嗣『四季 春』

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9(331)森博嗣『四季 春 The Four Seasons Green Spring』講談社(講談社文庫)、2006年。

版元




 某ブックオフにS&Mシリーズを探しに行ったのだが、105円の棚には置いていなかった。その代わり、この本が並んでいた。S&Mシリーズ同様、研究とは何かについて何かしらの言及があるものと期待し、買ってみた。が、残念ながらこのシリーズは研究の何たるかについてはほとんど述べられていないようだ(タイトルからわかるように、このシリーズは夏、秋、冬と続く)。希望は失望の母、希望なくしては失望もない。


 誰も僕のことは見ない。
 僕の姿は、普通の人間には見えないのだ。つまり、傘立ての上にのっているのは、彼女一人だけだと、みんなは認識している。目に見えるもの、ただそれだけが存在するものだと信じているのだから、これもしかたがないだろう。むしろ、素直な精神といえなくもない。けれど、そのルールが正しいとすれば、目を閉じてしまえばなにもかもなくなる。光が届かない場所では、なにも存在しないことになってしまう。
 人間はまず見る。次にそれに触れる。それが見えて、そして触れることが、それが存在することの確証、必要で充分な証明だと信じて疑わない。

 ところが、最も身近な存在、たとえば、自分の存在はどうだろうか。自分の躰は鏡で見ることができる。自分の躰は、自分の手でいつでも触れることができる。しかし、自分という存在は、自分の躰だけではない。躰だけならば、死体と同じだ。死体には、既にその個人の人格は存在しない。自分という人格は、本当のところ、見ることも触れることもできないのだ。これが、他人の人格ともなれば、さらに遠くなる。本当に存在するものなのか、疑わしい。それなのに、それらがそこにあると、どうして人は簡単に認識するのだろうか。

□(17-8)


「世の中、どうしてこんな善意で満ちているのだろう」僕は囁いた。
「そう見える、そう見ようとする善意があるからじゃないかしら」四季は答えた。「排気ガスや煙突から立ち上る蒸気が、勢いのあるものに見えた時代もあったでしょう」

□(205-6)


@研究室
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by no828 | 2011-01-26 18:12 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 01月 25日

だから今日は何も言わない

 ここのところ当ブログのアクセス数が増加しております。どうもありがとうございます。どのような経緯で当ブログに行き着かれたのかは、アクセス解析をしておりませんためにわかりませんが、「森博嗣」あたりがキーになっている気がしております。昨年末は、“ビールが好きな人の読書ブログ”のようになり、今年に入って“考えたことをときどき長々と書く人の読書ブログ”のようになっており、投稿内容の多様性が失われつつありますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

□□□ □□ □

 というわけで、大学院の授業から戻ってきた。

 今学期は多文化主義に関わる近年刊行された英語の書物を読みすすめていくことで、近年の多文化主義の議論を追跡する、その傾向を掴む、ということをしている(気付けば来週はわたしの発表の番だ。配布資料などまったく作っていないぞっ!)。

 今日は某後輩の発表で、その主題を大きく言うと“批判的多文化主義の授業実践”であった。授業実践には(教育学専攻のくせに)あまり関心がない(← おい)。教えたいと思うことのある人がそれをやっぱり教えたいと思って実際に教えるというのが教育の基本であって、流行りの方法論とか技術論とか生徒の反応とかにはあまり関心がない(← おい)。教師が自らの教える内容を心から愉しいと感じ、それが児童・生徒にも伝染し、かつ、教師と児童・生徒とのあいだに知の圧倒的な落差・隔絶があると児童・生徒が感じたとき、児童・生徒はその教師をすごいと思って学びをはじめる。そしてその教師は「先生」になる。非常勤講師の授業でも話したが、ひとりで先生になることはできない。教師になりたい、先生になりたいと熱く思っている人ほど、自分ががんばればすばらしい先生になれると思っているふしがある。だが、自分だけでは先生にはなれない。自分を先生と呼んでくれる人がいてはじめてその人は先生になる。もちろん、制度上「教諭」である者は日常的にも「先生」と呼ばれるが、それはやはり制度上のことであり、悪く言えば慣習であり、惰性である。わたしがここで持ち出してきている先生という語の意味は、児童・先生がその人を本当に先生だと思って、だから先生と呼んでいる、そういう場合に限られる。

 話が逸れた。今日の授業の話、というか、今日の授業に出たわたしの話。

 今日の発表者はレジュメの中でデリダを引いていた。ジャック・デリダである。「脱構築」とか「歓待」とか、そうした概念で形成されるデリダの思想と、批判的多文化主義の議論とがレジュメの最後のほうで接続されていた。

 それでわたしはコメントを求められそうな予感がし、実際「このあたりは誰に振りたいとか、そういうのはありますが」ということであったが、「とりあえず自由に議論しましょう」ということになった。

 議論の途中、先生はイマニュエル・レヴィナスの「他者」概念をも口にし、“これは完全にわたしに何か発言せよと言っているようなものではないか、権力だっ!”と思ったわけだが、結局何も発言しなかった。

 わたしの場合、発言したいとき、発言すべきとき、発言しなければならないときには身体がそれを知らせてくれる。鼓動が速くなる。何かこう、来るというか、訪れるというか、降臨するというか、そういうのがある。“あ、これは俺が言わなくちゃいけないことだ”という感覚が生じる。それがあると、発言する。

 だが、それがないと発言しない。今日のように外堀を埋めるかのように発言を求める権力作用を前にしたときでさえ、何も言わない。言うとすれば、「何もありません」である。

 これはわたしの能力の低さをも意味している。何も頭になくても適当に口から出まかせでもよいから作文して発言するということができたらよいと思うことがある。また、何も発言しないことは、ありうる対話の可能性を閉ざしてもいる。適当に言ったことであっても、それを受け止めて何か返してくれるかもしれない。そこから対話が生まれ、問題の本質へと接近していくこともあるかもしれない。だが、わたしにはその糸口になりうる“とりあえず何か言ってみる”ができない。強いて言ってみたこともないではないが、そういうときはたいてい本質を外す。

 今日はその“来る”感覚がまったくなかった。だから今日は何も言わなかったのである。今日“も”何も言わなかったと言ったほうがよいかもしれない。


@研究室
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by no828 | 2011-01-25 19:49 | 日日 | Comments(3)
2011年 01月 22日

外部に居ようと思ったら、関わらない、否、事件自体を知らないで居るよりない——京極夏彦『絡新婦の理』

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8(330)京極夏彦『文庫版 絡新婦の理〔じょろうぐものことわり〕』講談社(講談社文庫)、2002年。

版元




 おそらく小学生の頃、いずれにしてもわたしが幼かった頃、世界全体を管理・制御(コントロール)する何らかの主体がいるのではないかと疑ったことがある(今でもときどき考えることがある)。つまり、主がいて、その主が世界を作り、世界の中に存在する諸主体をも作り、諸主体の行動をすべて予め規定している、だからわたしたちが自由に行動しているとしてもそれは錯覚であって、その主の定めたとおりに動かされているにすぎない、それゆえにわたしの“こうしたい”とか“あれをしたい”という一見するところの“自由意志”もすべて、予定された意志である、だから何をしてもそれは自分が選んでしたことではなく、そうなるように仕組まれているだけなのだ、だとしたらこの〈わたし〉とは一体何なのか……。

 プログラム化された世界、プログラム化した主。

 今回、そのことを思い出した。

 また、読みすすめていく中で、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『〈帝国〉』をも思い出した。われわれはひとつのコンテクストの上にある、そしてそのコンテクストを操作できる、だが決して指差されない主がいる、われわれはそのコンテクストの上で踊らされているだけだ。むろん、ネグリとハートはここから、そのコンテクストから産まれ、しかしそのコンテクスト自体を変革する方途を至極楽観的に描いてはいるのだが。

 さて、京極夏彦。今回は女権拡張論としてのフェミニズムをめぐるお話。もちろん、科学とは何かという問いは通奏低音のように響いている。あいかわらず、おもしろい。そして、この筆致はすごい。本文1374ページ!


「貴方が関わること自体が系を乱してしまったのです。貴方は傍観者を決め込んでいるけれども、観測行為そのものが不確定性を内包していることは御承知でしょう。それならば——予測など」
 旋風に地を覆う花びらが吹き上がり舞う。
 その渦に言葉を乗せて、男は饒舌になる。
慥かに、観測者が無自覚である場合は不確定性の理から逃れられるものではありません。だが観測者がそうした限界を十分に認識している限り、己の視点を常に括弧に入れて臨む限りはそのうちではない。僕は事件の傍観者たることを自覚している。つまり観察行為の限界を識っている。だから僕は言葉を使う。言葉で己の境界を区切っている。僕は僕が観察することまでを事件の総体として捉え言説に置き換えている。僕は既存の境界を逸脱しようと思ってはいない。脱領域化を意図している訳でもない」

□(20)

 研究行為にとってものすごく大切なことを京極堂は説いている。

 余談だが、もし大学院の内部で京極のこのシリーズを演じるとしたら、京極堂はO本先生しかいない。


「世の中奇麗事ばかりで渡って行けるもんじゃねえだろう。廃娼運動なんてのは、慥か明治からあったんだろ。それがどうだ。大体今の赤線の女どもの多くは元慰安婦だろう。特殊慰安施設協会〔RAA〕作ったのは国だし、その原型の東京料理飲食店組合作ったのは警視庁じゃねえか。歴史を辿れば吉原作ったのだって幕府だぜ。大夫だろうが夜鷹だろうが、新日本女性だろがパンパンだろがやることは同じだろうぜ。公娼廃止で私娼にして、自由商売になった途端に躍起になって取り締まるってのは俺にはどうもな」
□(101)

 株式会社R・A・A〔レクリエイシヨン&アミユーズメントアソシエイシヨン〕協会〔ママ〕——略称AS〔アミユーズメントサービス〕とは、東京警視庁の要請により、花柳業界の代表者が集い、政府より援助を受けて設立した、所謂進駐軍特殊慰安施設のことである。つまり駐屯米兵専用の郭だ。〔略〕要は外国人相手の性的なサービス機関としてしか認識されていなかったと思う。
□(681)


 ランクをつけると云うことはそもそも無意味且つ下品なことである。そうしたことを平然と受け入れるのは愚かだし、それで一喜一憂することは更に愚かなのだと、伊佐間は思う。
 そこでふと気づく。それを愚かだと思っている自分は、愚かな階級信奉者を見下してはいないか。

□(277)


「〔略〕人はひとりで居ても、自分と、自分を取り囲む自分以外——世界とに分かれてしまうのです。世界に対する己の位置づけ——と云うのは必ず生まれる筈なのです。だから、人間がこの世に存在する限りは、格と云うものはなくならないと、僕は先ずこう思うのです」
「ほう——」
〔略〕
「でも、そのような、格を定めるための価値の尺度を歴史や社会に求めるようなことは、無意味なこととも思うのです
「無意味?」
「無意味なのです。それは盤石たる社会や、国家や、民族があってからこそ、有効な格なのです」
「でも個人は社会の中に居るし、社会は歴史の果てにあるでしょ? それでも無効?」
「そう思うのです。今は幅を利かせていますが、今後こうした価値観は意味を為さなくなるだろうと、僕はそうも思うのです」
〔略〕
個人対世界——個人の内側と外側の世界の関係こそを計って、世界に対する自分の絶対的な格を定めなければ立ち行かなくなるような、そう云う本質的な時代が到来すると、僕は考えるのです
〔略〕
「〔略〕絶対的な格を求めるなら、基準となる尺度もまた絶対的なものでなくてはなるまい、と、思う訳です」
〔略〕
——もしも絶対的な価値観と云うのがあるのだとすれば、それは個人の内部にしかあり得ないと、僕は思うのです。そしてそれが個人の内部でしか通用しない以上、比較できる対象も対立するただ二項、個人と世界——宇宙と云うことになりませんか?」

□(309-14)

 これは、今川のセリフ。そして、「そう云う本質的な時代」はまさに今。物・事に対するメタ認識を獲得してしまった以上、何かを信奉、否、妄信することはもはやできない。それゆえに今は、常に疑いを持って物・事に臨むことの求められる“不安の時代”である。だからこそ逆に、信奉・妄信のほうにも向かいうる時代ではある。

 角田光代の小説か何かに、何事も牛丼との対比において判断するという男がいた。つまり、たとえばこれは牛丼何杯分だから買うに値するとかしないとか。彼にとって「牛丼」は彼の内部の絶対的基準であったのかもしれない。


「ですから。名前などどうでもいいのです。真に自由を勝ち取りたかったら名前に対する拘泥りなんかとっとと捨てるべきです。戸籍にどう書いてあろうと関係ないことです。自分で金太郎だと思えば金太郎だしそれでも他人が熊吉と呼べば熊吉になる。それだけのものです。〔略〕それで何の不都合もない!」
〔略〕
 美江はやや狼狽の色を浮かべた。
「しかし姓と云うのは家そのものであり——」
「わははは。旧姓に戻ったって、それは元元あなたのお父さんの家の姓でしょうに。姓の方をナシにするか、自分で勝手に苗字も創ると云うなら話は別だが、そうでないなら逃れることは出来ないじゃないですか」

□(383)

 これは榎木津のセリフ。


「そうさ。蜘蛛の糸は通常暈〔ぼや〕けていて、これが明瞭〔はっきり〕見えるものを合理的認識〔サイエンス〕と呼び、全く見えぬものを隠秘学〔オカルト〕と呼ぶ。隠秘学はだから非合理的認識ではないし、科学と魔術も相反するものではなくて、それは本来その程度しか違いのないものだ。〔略〕」
□(440)

「まあいいでしょう。白魔術とは要するに原理原則が詳らかになっている魔術で、黒魔術とはその原理原則が暗箱に入っている魔術のことと考えればいい。原理原則が明確になっていれば誰にでも使える。しかし肝心な所が秘されていては、その人にしか使えない。これ公と個の差だ。〔略〕」
□(1132)


 木場は今、何をするべきか迷っている。
 行動方針が定まらない状態は、苦痛だ。
 木場は図体の割りに手先が器用だし、厳めしい顔の割りに計算も早いが、それでも矢張り不器用で馬鹿だから、相談事と云うのが出来ない。察してくれる友はいるが、察して貰っていることを察することが出来ないから、木場は戸惑うばかりである。そう云う時に木場は、思い出したようにこの店を訪れる。

□(455)

 そういう店があるといいなと思うことがある。もちろん、「そういう店」というのは、お酒を出してくれる店のことです。


 潤は木場を睨んだ。
「いいとか悪いとかこの際関係ないのよね。要はその時生きてる世間とどう関わっているかってことなんだもの。馬鹿の癖につまンないことで迷わないでくれない?」
「ああ——」
 ——その通りだ。
 木場は一気に酒を呷った。
 道徳に照らすな。世間の常識に照らすな。己の情に照らすな。警官は法にのみ照らせと、そう云うことだろう。それらは凡て移ろうものでそれ故に絶対ではないけれど、警官が事件に当たって法律を疑っていては世の中が成り立たなくなる。
 勿論、その法とても絶対ではないけれど、それを疑うのは別の場所、別の貌でしろと、酒場の女主は刑事を窘めているのだ。
「解ったぜ——」

□(474)


「君は理屈が嫌いなのじゃなくて、他人の構築した理屈を認めたくないだけなんだ。君は理論化を拒む振りをして、実は君なりの理論を構築している。だから脱論理的とは云えず、矢張り論理的なのだよ」
「普通の言葉で云え」
「あまのじゃく」
「けッ。あってるじゃねえか」

□(502-3)

 あはは。


 慥かに筋は通っているが、いずれ人の心などそう一筋縄では行かぬ、否、行かないで欲しいものである。木場には善く解らないが、精神分析と云うものは靄靄とした不定型の人の心を、理論に則った像に、解釈に都合の良いような形に、定まった一定の型に嵌めて行くだけのもの——のような気がする。木場の思うに、これも要するに理想的結論が先にあるのだ。
□(516)

 わたしも精神分析にはこのような印象を抱いている。


「絶対服従と云うのは問題なのです。全責任を相手に委ねている訳で、失敗しても叱責されないのであれば、服従された側は余計にやり悪いのです」
□(604)


「そうした男の支配欲に抗わず、被支配的立場を享受する女達への——更なる憎悪」
□(637 傍点省略)


「あの無茶苦茶な榎木津でさえ、ただ関わって外側に居られなくなったんだからね。この事件には外部がないのだ」
「外部がない?」
「外部に居ようと思ったら、一切関わらない——否、事件自体を知らないで居るよりない。これは、多かれ少なかれどんな事件でも同じことなのだろうが、今回の事件に関して云えばそれは一層に明確だ」
「関わった人間には——真犯人の、蜘蛛の目論見を阻止することは絶対に出来ないと、そう云うんですか!」
「そうだ。〔略〕」

□(875 傍点省略)

 外部がない!


関係者が都合良く動いてくれるように、予め四方八方に水面下で圧力〔バイアス〕をかけておく——と云うのが蜘蛛の手口だ。この場合も岐路が無限にあることに変わりはないんだが、張った網に掛かった場合のみ有効に活用し、掛からなかった場合は無視をすると云う手口なんだな」
□(959)

「〔略〕だから蜘蛛は、自分以外の誰かが被害者を殺してもおかしくない状況を作るために、被害者自身が自発的に第三者に怨まれたり憎まれたりするような行動を執るように仕向けたんだ。そうさせることで第三者に被害者を殺したくなる動機を与えたかったのだろう
□(961 傍点省略)

「あなたがどう動くか、これは勿論あなた自身の判断に委ねられていた訳ですが、去年の夏以降、あなたの選択肢を限りなく狭めた第三者が存在することは間違いないことのようですね
□(1109 傍点省略)


大人と子供の境界は呪術——言葉です。現実を凌駕する言葉を獲得した者こそを大人と云うのです
□(1095)


論旨は解りますが——主旨は解り兼ねます
□(1223)

 これは今度使ってみよう。言っていることはわかる、だが何のためにそれを言っているのかわからないとき、そういうときに使ってみよう。

 なお、109ページに「固執」ということばが出てきて、「こしゅう」とルビがある。これは誤植なのか、あるいはそういう読み方もまた“正しい”のか。後者であれば、いつかの総理大臣もまた正しかったということになる。


@研究室
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by no828 | 2011-01-22 22:03 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 01月 21日

僕ハ諸君ノ××主義××反対ノ叫ビノ中ニ死スルコトヲ光栄トス——黒岩比佐子『パンとペン』

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7(329)黒岩比佐子『パンとペン——社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』講談社、2010年。

版元




 ノンフィクション作家・黒岩比佐子、2010年11月17日死去。残念ながら、本書が遺作となってしまった。「あとがき」から引用をはじめよう。


 これで、私の売文社の軌跡をたどる長い旅がようやく終わった。実は、全体の五分の四まで書き進め、あとひと息というところで、膵臓がんを宣告されるという思いがけない事態になった。しかも、すでに周囲に転移している状況で、昨年十二月に二週間以上入院し、抗がん剤治療を開始したが、体調が思わしくない日々がしばらく続いた。
 はたして最後まで書けるだろうか、という不安と闘いながら、なんとかここまでたどりついた。死というものに現実に直面したことで、「冬の時代」の社会主義者たちの命がけの闘いが初めて実感できた気がする。いまは、全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ。
 病気のことを知った友人や未知の読者の方々から、これまでにたくさんの激励のメッセージをいただいた。本書はその方々すべてに感謝をこめて捧げたい。私の「冬の時代」はまだ続きそうだが、どんなに苦しいときでも、堺利彦のようにいつもユーモアを忘れず、楽天囚人ならぬ“楽天患者”として生きることで、きっと乗り越えていけるだろうと信じている。

□(418)

 黙祷。



□□□ □□ □

 さて、堺利彦は「日本社会主義運動の父」と呼ばれる人であり、幸徳秋水とともに「平民社」を創設し、反戦・非戦を——単に、唱えた、ではなく——唱えつづけた人である。1870(明治3)11月25日に生まれ、1933(昭和8)年1月23日まで生きた(※ 生年は旧暦。新暦に換算すると1871年1月15日。明治政府は1872(明治5)年12月3日から新暦を施行、その日が1873(明治6)年1月1日となった)。

 本書によれば、先行研究では「日本社会主義運動の父」としての堺の姿は描き出されてきたが、文学者・堺のほうはそこまで明らかにされていない。そこで黒岩は、堺の「売文社」時代、つまり、文筆業(と一口に言っても実際にしていたことは多岐にわたる)の会社として堺が1910(明治43)年に創業した「売文社」のおよそ8年3ヵ月に焦点を当てる。本書のタイトルにもなっている「パンとペン」というのは、この売文社を象徴するものである。堺のことばを引いておこう(もちろん本書からの孫引きで)。


 僕等はペンを以てパンを求める事を明言する。然し僕等には又、別にパンを求めざるのペンがある。売文社のペンはパンを求むるのペンである。僕等個々人のペンは僕等の思ひを書現はすペンである。つまり僕等は二種のペンを持つて居るのである。それでペンとパンとの関係が極はめて明瞭になつて居るのである。
□(13)

 書いて生きていくことへの覚悟。


 〔略〕山口昌男氏〔略〕平岡敏夫氏が〔略〕指摘しているように、明治のジャーナリズム、文壇、出版、宗教などの分野で活躍した人々は、藩閥や軍閥のヒエラルキーから排除された「佐幕派」「敗け派」の諸藩の子弟が多かった。
 佐幕派とは幕府を助ける側という意味だが、倒幕派が幕府の軍に勝利して、薩長土肥(薩摩、長州、土佐、肥前)を中心とする明治新政府が発足すると、上位官職はほとんどこの四藩の出身者が独占するようになる。中央に人脈をもたず、政治家や陸海軍の軍人としての出世のルートを閉ざされた佐幕派の藩士とその子弟は、それ以外の分野で才能を発揮せざるをえなかった。
 堺利彦も「佐幕派」で「敗け派」の藩士の子弟である。〔略〕
 反権力の姿勢と反骨精神。世の主流から外れて生き、悪名を着せられても甘んじて受けつつ、平然とそれを笑い飛ばす芯の強さ——。〔略〕

□(30)

 たしかに。会津はどうであったかな……。ちなみに、堺は福岡県豊津の出身。


 幸徳秋水は日本初の社会主義政党「社会民主党」の創立メンバーの一人である。創立者は幸徳秋水、阿部磯雄、片山潜、木下尚江、河上清、西川光二郎(本名・光次郎、号は白熊)の六人で、秋水を除く五人はキリスト教徒だった。このとき堺利彦は参加していない。
□(97)

 社会主義的な考え方は、キリスト教の教えと親和的なのか。


 1904年、日露開戦。


日本政府は戦争期間を約一年と想定し、先制攻撃を行って戦況が優勢なうちに、日本に好意的なアメリカの仲介で講話に持ちこむ計画だった。
 もし戦争が長引けば、兵士数や戦費の面ではるかに優るロシアが有利なのはいうまでもない。しかも、主戦場は日本から遠い満州で、武器や弾薬の補給も困難だった。結局、日露戦争が終結したのは一年半後で、日本は約百八万人の将兵を動員し、三十七万人以上の死傷者を出すことになる。
 だが、政府は不都合な情報を一切秘密にし、ほとんどの新聞と雑誌は緒戦の勝利を華々しく書き立てて、読者の愛国心を煽った。またたく間にメディアは戦時色一色に染まる。
 そのなかで〔堺らの〕『平民新聞』は果敢に非戦の立場を貫く。〔略〕日本がロシアと戦っている最中に、こうした反戦のメッセージを述べることがどれほど大胆なことか、昭和期の日本の新聞の報道を思い出してみれば明らかだろう。
 発行部数は三、四千部だったとはいえ、当初は言論の自由が守られていたことにも驚かされる。政府が平民社を黙認していたのは、日本は人権や言論の自由が認められた文明国であることを、国際社会に示すためだったのだろう。〔略〕

□(123)

 なるほど。


 夏目漱石の手紙(もちろん孫引き。原典は、岩波書店『漱石全集』第22巻。頁数不明。そういえば、社会学のO本先生の研究室には漱石全集がででーんと並んでいる)。なお、文中の「堺枯川」とは堺利彦のこと。「枯川」は堺の号。


 〔略〕小生もある点に於て社会主義故、堺枯川氏と同列に加はりと新聞に出ても、毫も驚く事無之候。
□(157)


 『平民新聞』内部の争い。議会政策派と直接行動派。内部での争いは外部を利することにもつながる。


この「硬軟争闘」は同志間で足を引っ張り合う結果となり、社会主義運動を弱体化したい警察当局にとっては好都合だった。
 とはいえ、この硬派軟派の対立よりもっと深い溝は、堺や秋水のような知識人と、学問などとは無縁な労働者との間にあった。〔略〕
 毎日汗水流して働いても食うや食わずの生活しかできない彼らは、働かずに贅沢に暮らす人々がいるのはなぜか、という素朴な疑問を抱いたことから社会主義運動に共鳴したのだろう。難解な理論より、もっといい生活をするために何をすべきか、その行動指針を知りたいと思っていたはずだ。電車賃値上げ反対市民大会から起こった暴動は、たった二銭の値上げに反対したものだった。その前年の日比谷焼打ち事件も、ロシアから一銭も償金を取れなかったことに対して、民衆が不満を抱いたのが原因だったともいえる。思想ではなく、金銭が群衆を動かした。

□(172)

 関連して……
 

東京帝大独文科を主席で卒業後、文壇に登場し、社会主義に傾倒するようになった藤森〔成吉〕は、高等学校で教鞭をとっていたが、「インテリゲンチア」から「プロレタリア」になろうと決意して、工場で肉体労働を始めたのである。
□(339) 

 
 獄中から妻・為子に宛てた手紙。堺には真柄〔まがら〕という名の娘がいた。ちなみに、「真柄」は英語の「マーガレット」への当て字として堺が採用したもの。


[一九〇九年十二月二十一日付堺為子宛書簡]
〔略〕僕の考では、子供に対するには、遊ぶ時にはコチラも子供心になつて一しよに遊ぶ、まじめな事を話す時には、子供をも十分物のわかる一人前の者として相応尊敬を払つて取扱がよいと思ふ、さすれば子供は一面に於て真に親を敬愛すると同時に、一面に於ては自然に自重心を持つ事になるだらう

□(209)

 
 これも獄中からのことば。


「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」
□(234)



 〔売文社を手伝うことになった〕岡野辰之助については面白いエピソードがある。堺が週刊『平民新聞』の筆禍で初めて巣鴨監獄に入ったとき、岡野はその看守の一人だった。ある日、新入りの囚人が辞書を横に洋書を読んでいるのを見て、岡野はその場に足をとめる。珍しい人だと思って房に掲げてある札を読むと、非戦論を唱える平民社の堺利彦だとわかった。獄中で読書に励む堺の姿に敬服した岡野は、看守をやめて社会主義運動に身を投じたのである。
□(251-2)

 「姿」こそが人を動かすのかなぁ……。



 白柳秀湖によれば、大逆事件以後、当局は「社会」という文字を忌諱し、「社会政策」「社会改良」という文字を使用しただけでもにらまれて、取り調べを受けなければならなかった。ある教育者が「社会教育」という文字を使用することを憚って「団体教育」という文字を使用したとか、ある出版社が『昆虫社会』と題する書物を刊行すると巡査が差し押さえに駆けつけた、というのも嘘のような実話だったという(中央公論社刊『堺利彦全集』月報5)。
□(310)

 裏を返せば、それだけおそれていた、警戒していたということだ。



 理想を追うためには、どうしても金銭が必要になる。その金銭を得るために何か手段を講じるのは当然で、座して死を待つべきではない。誤解を招くことも怖れず、批判を受けることも承知の上で、堺はこの時期に売文社の大拡張を推進していった。
□(318)

 山川均は、生活するには資本主義のひとつの小さな歯車にならざるをえない、「資本家の略奪の幇助によって生活していることを承認しなければならない」として、それを「矛盾の悲哀」と表現している(319)。


 売文社の仕事の内容の一端。


また、近年、大学の卒業論文やレポート執筆を有料で請け負う代行業者が登場し、インターネット上にホームページを開設してかなりの件数を請け負っているらしいが、そうした卒業論文の代作業にもすでに売文社が先鞭をつけていた。
□(326)

 それはやっちゃダメだって。


 堺の遺言。


 〔倒れた〕翌日、何か書くものをくれといって、堺は紙に文字を書こうとしたが、うまく書けないので為子が代筆した。もつれる口調で堺が口述したのは、「僕ハ諸君ノ××主義××反対ノ叫ビノ中ニ死スルコトヲ光栄トス」という言葉だった。
 為子が『中央公論』に「妻の見た堺利彦」を寄稿した一九三三年の時点では、「××」と伏せ字でしか書けなかったのだが、近藤真柄の『わたしの回想(上)』では「帝国主義戦争絶対反対」と補われている。これが社会主義者としての堺利彦の最後のメッセージであり、遺言となった。

□(408-9)

 ここにはとても感動した。貫きとおした堺の姿勢に感服した。


 わたしは本書を通して、黒岩の堺への愛をものすごく感じた。

 
 本での出会いもひとつの出会いです。黒岩さんのご冥福をお祈りいたします。


@研究室
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by no828 | 2011-01-21 14:31 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 01月 19日

人間の生存、存在が他の人間の気分に左右されてはいけない

 中島岳志さん(@nakajima1975)が、1月15日のツイッターで以下のような文章を書いていた(わたしもRTした)。

「タイガーマスク騒動。問題は「社会的再配分の動機づけ」がサステイナブル(持続可能)なものかどうか。日本は宗教社会ではないので、どのようにして動機づけを持続させるかがポイント。一連の騒動がネタで終わらないようにする方法を考える必要がある。「新しい公共」論における必須のテーマ」

 基本的に同意見である。ただ、ちょっとひっかかったこともある。ひっかかったと言っても悪い意味で、ではない。ひっかかること自体も悪いことではない。むしろ大事なことだ。そこに〈わたし〉が立ち上がるからだ。

 ひっかかったのは、「「社会的配分の動機づけ」がサステイナブル(持続可能)なものかどうか」というところである。サステイナブルであったほうがよいのは(あるいは、サステイナブルであるべきなのは)「社会的配分の動機づけ」であって、「社会的配分」それ自体ではない。わたしはそこにひっかかった。

 どういうことか。

 “「社会的配分の動機づけ」がサステイナブルか”と、“「社会的配分」がサステイナブルか”とは、異なる。前者のポイントは、「動機づけ」に置かれているの対し、後者のはそのまま「社会的配分」である。後者の“「社会的配分」がサステイナブルか”の場合は、必ずしも「動機づけ」を問題にしない。なぜならば、「社会的配分」自体をサステイナブルにするには、それを(年金などのように)制度化することもひとつの“仕掛け”になるからである。つまり、税などのかたちで強制的に資源を調達し、それを「社会的」に(というよりも国家的に?)「配分」することも考えられるし、実際に行なわれてもいる。

 しかし、前者の“「社会的配分の動機づけ」がサステイナブルか”の場合は、(少なくともすぐには)制度化のほうにはいかない。むしろ制度化に頼らない社会的配分を構想するはずである。だからこそ、「社会的配分」は個々人の「動機」に委ねられることになる。それゆえにその「動機」がサステイナブルであることが求められるのである。

 なるほどと思い、わたしはこれを否定しない。この制度(あるいは国家)に依拠しない「社会的配分」の姿は、だから「新しい公共」論、つまり公共=国家、公共=官、という見方からの逸脱の議論の対象となる。あるいはそれゆえに「分配(distribution)」ではなく「配分(allocation)」ということばが使われてもいるのであろう。

 だが、わたしはそこに危うさも見てとってしまう。


 昨年の夏、東京大学にマイケル・サンデル先生がやってきたのを憶えている方もいらっしゃるであろう。実は、わたしはサンデル先生のその授業を受けた。そのことについては、とくに理由もないのだが、ここには書いていない(はずだ)。

 ご存知のように、サンデル先生の授業形態は、対話型である。サンデル先生が問いを学生に振り、学生たちがそれに応答し、学生同士で議論も起こる。

 東京大学の“教室”では、いくつか問いが投げかけられた。そのうちのひとつは、“再分配はなぜ正当化されるのか”というものであった。これに対し、経済的に豊かな者によるボランタリーな寄付などによって再分配がなされればよい、といった意見が出された(だが、この問いはイチローの年収がオバマより高いことは正当化されるのか、されるとすればなぜか、という別の問いへとずれていった。でも、議論は再分配からはじまったのだ)。

 わたしはこの意見に賛成ではなく、だからわたしなりに答えようと思った。発言しようと思った。だが、挙手する前に時間が来てしまい、話題は別のものに移されていった(わたしは考えるのに時間がかかる)。 

 わたしが立論しようとしたのは以下のようなことだ。すなわち、再分配(国家などによる制度的・強制的なそれ)は正当化される、なぜならば、再分配される資源を頼りにしてのみ(たとえそれが本意ではなくとも)生きることができる人びとがいるからである、その人びとの生存、存在はその再分配される資源に左右されることになる、だから再分配は「ボランタリーな寄付」のような、いつ途切れるともわからないものであってはならない、つまり“今月は気分が乗らない(ボランタリーな気持ちになれない)から寄付しない”とか、そういう偶然性に左右されるようなかたちでの再分配は認められない、人間の生存、存在はそれとは別の人間の気分に委ねられてはならない、ゆえに制度的・強制的な再分配が求められるのであり、それゆえに正当化もされるのである、というものである。わたしはこういうことが言いたかった(言えていればテレビにも映ったかもしれない)。

 これを某後輩に説明したら、それは再分配を頼りにする人びとを弱者、受動者として捉えすぎている、彼/彼女らの主体性を無視している、と言われた。たしかにそういう側面は否めない。だが、精神的にどれだけ主体的であろうとしても、身体が動かない、そういう人もいる。そういう人に対し、それはあなたが主体的でないからだと、実際に動いていないから仕方ないのだと、果たして言えるであろうか。できないことはできないのであり、それは別に“弱い”とか“受動的である”とか、そういう問題ではない。誰にでもできないことはある。そのできないことがたまたま“働く”である人もいる、そういうことであり、あるいは単にそれだけのことであるとも言えるかもしれない。

 以上のわたしの意見のポイントは、人間の生存、存在が他の人間の気分に左右されてはいけない、というところにある。これは「社会的配分の動機づけ」とも絡むことである。

 繰り返すが、わたしは中島さんのご意見に反対ではない。「動機づけ」が「サステイナブル」であればわたしの懸念することの問題性は低下するであろう。しかし、「動機づけ」は「サステイナブル」に人為的にすることのできるものなのであろうか、という気もする。「動機」は操作可能なのか。そしてそれよりもわたしが気になるのは、「動機」はそれほどに強固なものなのかということである。

 今回のタイガーマスク現象は、そのうち縮小していくであろうとわたしは思う。わたしはこの現象自体を否定的に見ているわけではない。むしろ肯定的に捉えている(偉そうな言い方だ)。広がっていけばよいとも思う。だが、このまま行くとも思えない。中島さんが「サステイナブル」を問題にするのも、同様の見方があるからではないか。

 だからこそ「動機づけ」を「サステイナブル」なものに、というのが中島さんのお立場。

 だからこそ「動機づけ」というよりも「制度」を、というのがわたしの現時点での立場(あくまで現時点での、です。この問題について考え抜いたという実感がまだないので、これから変わるかもしれない。考え抜いてから書くべきだという意見もあると思うが、とりあえず考えたところまで書くのも大事だと思うのでわたしは書く)。

 わたしので行くと、結局国家を強化することになる(本意ではない)。というのも、国家に代わる再分配主体が今のところはないからだ。国家ではない再分配主体を構想することもひとつの道だ。しかし、今どうするのか、と政策的・制度的に問うならば、再分配主体は国家だ、ということになる。だから「新しい公共」という議論からは外れることになるかもしれない。

 しかし、その国家は今、(少なくとも財政的に)頼りたくても頼れないし、国家に頼ることはよいことではないという思想状況にもある。「新しい公共」論が出てきたコンテクストがこれであることは間違いないであろう。だから「新しい公共」論は、終わったとされる新自由主義(ネオリベ)へと回帰的に転轍される可能性もある。

 どうすればよいのか。と書いてわたしには別に答えがあるわけではない。とりあえず自分の考えを言葉にしてみようと思った。ずっと頭の中にあったことだからだ。中島さんのツイートに触発されて文章化を試みることにした。うまくいっているのかどうかはわからない。が、とりあえず書いてみた。だが、答えを出したわけではない。再び考えていきたいと思う。国家は何をどこまですべきなのか、というかつてフンボルトやミルが取り組んだ問いが、決して色あせていないことはたしかだ。今改めて問われていることは間違いない。


 本当は前のエントリでこういうことを書こうと思っていたのだが、近況を少し書いてからこれに接続させよう……という想定が全然うまくいかず、結局別のエントリで行くことにしたのであった。


@研究室
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by no828 | 2011-01-19 22:04 | 思索 | Comments(0)
2011年 01月 19日

久しぶりに「日々」のことを書いてみた

 先日、寝る直前に食べ(すぎ)るとよく眠ることができない、ということを実感した。よく眠れないと昼間に頭が働かない。リズムよく毎日を過ごしていきたい。

 21日(金)の夜は研究室の呑み会。開催することに意義はあると思うが、グッバイ・マイ・マニーなところが悲しい。会場が某ブックオフの近くだから、はじまる前に本を見ておきたい。

 ここのところ毎日研究室に来ているため、22日(土)は休もうと思っていた。しかし、25日(火)必着で某公募人事への応募があり、また、同じく25日正午までに論文の校正(初校)を提出しなければならない(校正の期間が1週間というのは、ちと短いぞ)。というわけで、土曜日も研究室に来ることにした。ただ、午前中に荷物を受け取らないといけないから、正午までは部屋に留まる。そのあいだに洗濯などを済ませる予定。

 24日(月)は非常勤講師のお仕事。その準備を23日(日)にする。平日は自分の研究を進めるため、+αのことは土日に行なうことになる。

 29日(土)あたりに休みを入れるか……。まぁ、無理に休むこともないのだが。メリハリは大事だ、とよく聞くが、メリハリなく毎日を淡々と過ごすこともまたひとつの生き方ではあるような気がする。まぁ、単に休むことが下手なだけなのだが。

 あ、さっきメール・ボックスをチェックしたら、31日(月)までに某ニューズレターに文章を寄せませんかと、個・人・的・に・メールが来ていた(たぶん執筆者が揃わないのであろう)。BCCで来たメールなら精神的に楽なのだが、個人宛てのは……。とりあえず、見なかったことにしておいた。


@研究室
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by no828 | 2011-01-19 20:45 | 日日 | Comments(5)
2011年 01月 15日

マルクス経済学を学んでもマルクス主義者になる必要はまったくない——佐藤優『私のマルクス』

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6(328)佐藤優『私のマルクス』文藝春秋(文春文庫)、2010年。

版元




 佐藤優の本はおもしろくて、かつ、とても勉強になる。彼の本は、小説ではなく、(たぶん全部)自伝である。だから、その人、その人生に学ぶところが多いと言った方がよいかもしれない。

 今回の本では、タイトル『私のマルクス』に端的に表現されているように、佐藤における/にとってのマルクスの意味が説明されている。具体的には、著者の1975年の高校入学から、それから10年後の大学院修士課程の修了までの、マルクスとの出会いについて描かれている。出会いということで言えば、著者はマルクスとばかり出会ったわけではない。活字を通して本当に多くの、すでにこの世にいない神学者・思想家と出会った。また、生身の人間との出会いにもとても恵まれていたと言ってもよいであろう。さまざまな「先生」との出会いが、著者を形成したという側面は決して小さくない。

 ちなみに、『私のマルクス』は、ほぼ並行して読んだ植村邦彦『市民社会とは何か——基本概念の系譜』(平凡社、2010年)の、いわば参考書にも期せずしてなった。常に3、4冊同時並行で読んでいるため(と言っても同一テーマの下に意図的に集合させているわけではまったくない)、今回のように互いにつながったりすることがある。

 なお、佐藤の文体にはひとつの特徴のあることに気付いた。それは、「A(な)のでB」という接続の仕方を多用することである。「……可能なので……」「……問題なので……」「……するので……」など、「(な)ので」がとても多い。わたしであれば、「Aである。だからBなのである」とか、「Aである。そのためBである」とか、文章を分けて表現するであろうところを「(な)ので」でもってつなげているので、とても気になったのである。


 マルクス経済学を学んでもマルクス主義者になる必要はまったくない。資本主義システムの内在的論理と限界を知ることが重要なのだ。人間は、限界がどこにあるかわからない事物に取り組むときに恐れや不安を感じる。時代を見る眼から恐れと不安を除去するために二十一世紀初頭のこの時点で『資本論』を中心にマルクスの言説と本格的に取り組む意味があるのだ。
□(15)

 御意。

 あまり関係ないが、卒業論文は限界自体の存在を知らずに書くもの(だから書けてしまう)、修士論文は限界自体の存在には何となく気付きつつもその限界が一体何であるのかはわからずに取り組むもの(だから苦しむ)、博士論文は限界の存在もその内実もわかった上で取り組むもの(だから……?)、だと思う。


私が「なぜ学習塾の先生をやめたのですか」と尋ねると、「本業の仕事が忙しくなったことと、あとカネをとって知識を伝授することはやってはいけないと思うようになったからだ」と答えた。
□(39)


 教師はしばらく沈黙してから言った。
「革命をしたいと思っていたが、僕は逃げた。佐藤君、人間は誰にも逃げなくてはならないようなときがある。そのとき重要なのは『俺は逃げた』ということを正確に記憶しておくことだ。逃げたのに闘っていると誤摩化すのがいちばんいけない

□(41)


「先生がいうインテリとはどういう意味ですか。大学教師クラスの知識をもつことですか」
「そうじゃない。インテリとは自分が現在どういう状況にいるかを客観的に知ることだ。そのためにはマルクス経済学を勉強するのが早道だけど、それ以外の道もある」
「どういう道ですか」
「たとえば哲学だ。〔略〕カントをきちんと学ぶことだ」

□(101)

 これに関連して、以下。


 宇野 ぼくはこういう持論を持っているのです。少々我田引水になるが、社会科学としての経済学はインテリになる科学的方法、小説は直接われわれの心情を通してインテリにするものだというのです。自分はいまこういう所にいるんだということを知ること、それがインテリになるということだというわけです。経済学はわれわれの社会的位置を明らかにしてくれるといってよいでしょう。小説は自分の心理的な状態を明らかにしてくれるといってよいのではないでしょうか。読んでいて同感するということは、自分を見ることになるのではないでしょうか。
 河盛 これはなかなかいいお話ですね。つまり小説によって人間の条件がわかるわけですね。
 宇野 ええ、そうです。われわれの生活がどういう所でどういうふうになされているかということが感ぜられるような気がするのです。小説を読まないでいると、なにかそういう感じと離れてしまう。日常生活に没頭していられる人であれば、何とも感じないでいられるかもしれないが、われわれはそうはゆかない。自分の居場所が気になるわけです。

□(102-3)

 原著は、宇野弘蔵『資本論に学ぶ』(東京大学出版会、1975年、pp. 209-10)に収められている、フランス文学者の河盛好蔵(かわもり よしぞう)との対談「小説を必要とする人間」です。佐藤の本にも引用元はきちんと挙示されていますが、念のために図書館で借りて確認しました。古書を買おうかと思いましたが、高いので止めにしました。  


現在の私は国家主義者を自認しているが、少しだけアナーキズムの影もある。国家は重要であるが、国家が社会全体を包摂することは不可能である。国家に包摂することが原理的に不可能な家族、教会、趣味のサークルなど、部分社会はいくつもあるのだ。この部分社会については人間の自治に完全に委ねられるアナーキーな場があると考えるからだ。
□(107)


重要なのはほんとうに好きなことが何かです。ほんとうに好きなことをやっていて、食べていくことができない人は、私が知る限り、一人もいません。ただし、ここで重要なのはほんとうに好きなことでなくてはいけません。中途半端に好きなことでは食べていくことができません
「先生にとってほんとうに好きなことが学校の先生なのですか」
 堀江先生は少し考えてから、「そうです。私は高校生に哲学や倫理を教えることがほんとうに好きなのです。就職について思い煩う必要はありません。かならず道が拓けます」と答えた。

□(119)


 同志社には耳慣れない独自用語がある。たとえばキリスト教主義学校というのもその一つだ。同志社はミッションスクールという言葉を嫌う。ミッション(宣教団)スクールというのは欧米が日本を植民地とするための道具としてキリスト教を看板にした学校をつくったのであるというのが神学部の自己理解だ。
□(121)


 ちなみにドイツでは総合大学と称するためには、神学部を擁している必要がある。
□(133)


真理を保持するのが目に見えるカトリック教会か、神秘的な正教会か、またプロテンスタンティズム多数派が考えるような見えない教会であるかについて、キリスト教世界で議論があるように、マルクス主義の世界ではかつてコミンテルン(共産主義インターナショナル=第三インターナショナル)の公認を受けた共産党か、それともそれぞれに正統派マルクス主義を継承する共産主義運動体(セクト)のうちどの組織が革命(救済)の主体であるかについて種々の議論がある。しかし、救済が既に担保されているという論理構成は類比的だ。
□(144)


あるとき野本真也神学部教授が私たちに「神学には秩序が壊れている部分が絶対に必要なんです。だから神学部にアザーワールドのような、既成の秩序に収まらない場所と、そういう場所で思索する人たちが必要なんです」といっていたが、これはレトリックではなく、神学部の教授たちは、あえて通常の規格には収まらない神学生たちの活動場所を保全していたのである。
□(202)

 大事だと思います。一度、大学院の中にもこういう場所を作ろうと働きかけたことがありますが、却下されました。わたしの所属する組織はきわめて保守的です。もちろん、何かを守ることは必要です。必要なのですが、しかしわたしの所属する組織が守っているのは伝統とか体裁とか、そういうものです。


 廣松〔渉〕氏は、マルクス、エンゲルスの主著である『ドイツ・イデオロギー』(一八四五〜四六年に執筆)の流布版定本となっている〔、〕モスクワで編纂され一九三二年に公刊されたテキストに対して誰も疑念をもっていなかった一九六五年に〔、〕東京大学の大学院生でありながら季刊『唯物論研究』第二十一号に「現行版『ドイツ・イデオロギー』は事実上偽書に等しい。この事実はマルクス・エンゲルスの著作のなかで『ドイツ・イデオロギー』が占めている特異な地位と比重とを考えるとき、由々しい問題だと云わねばなるまい。〔略〕」(廣松渉「『ドイツ・イデオロギー』編輯の問題点」『マルクス主義の成立過程』至誠堂新書、一九七四年、一四八頁)との論考を発表し、マルクス研究者の間で注目された。
□(221-2)

 !

 これは原著にあたらずに孫引きしています。というのも、わたしにとって衝撃であったのは、引用文の内容ではなく、学界で注目されるような論文を大学院生のときに書いた、という、そのことだからです。


「〔略〕現実に存在する社会主義においてはほんとうの意味での宗教批判がなされていない。だから、レーニン、スターリンの個人崇拝や共産党に宗教的に帰依するという現象が起きるんだ。ロシア共産主義は宗教現象だよ。〔略〕」
□(234)


惚れるときは、大きな思想家に惚れないといけない。小物の思想家に惚れると、結局、時間を無駄にする
「どういうことですか」
「僕は失敗したと思うんだ。惚れた思想家が小さすぎた。佐藤君には僕がしたような失敗を繰り返してほしくないんだ」

□(251)


結局、一人ひとりが、自らの足場を掘り下げていくしかないと思うんだ。学問にしても、人生にしても。究極的なところでは群れたらだめだ
「それはちょっと淋しい気がしますね」
「淋しいけれど、そうなんだと思う。しかし、問題はその先だ。一人ひとりが足場を掘り下げた地下には、この鴨川のような地下水脈が流れているのだろうか
「どういうことですか。先生がおっしゃることの意味がよくわかりません」
「実は僕もよく意味がわかっていない。人生なり、研究なりを真剣に掘り下げて、その先に他の人々ともつながる地下水脈はあるのだろうか。もし、ないならば、僕は一生かけて水の出ない井戸をただ掘っているだけになるんじゃないか

□(266-7)

 わたしは、あるのではないかと思っています。何となく、ですが。


パワーポイントを使った説明は、その場では理解したような感じになるんです。それで酒を飲んで寝て、翌日起きたら、おそらく五パーセントも定着していません。アメリカ人はその場でわかればいいという発想の人たちです。これに対して、今日、ここにいらしているクラウス・シュペネマン先生をはじめとするドイツの人たちは、その場で理解したつもりになるのではなく、ほんとうに理解し、しかもきちんと記憶に定着させないと許してくれません。そのためには、話を聞くのに集中する環境を作ることが必要です。話以外の資料はない方がいいのです。
□(358-9)

 御意。だからわたしはパワーポイントは使いません。逆に言えば、聴衆に話の内容を定着させたくない場合は、パワーポイントを使えばよいということです。でも、それなら発表自体しなくてもよいのでは、と思います。そうすると、学会大会での研究発表がほとんどなくなってしまいますね、あはは。


@研究室
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by no828 | 2011-01-15 19:40 | 人+本=体 | Comments(2)
2011年 01月 13日

すべては状況論である、か

c0131823_15142939.jpg 木曜3限の大学院の授業では、今日から学期末まで市民社会論を検討することになった。テクストは、わたしが以前につぶやいてもいた、植村邦彦の『市民社会とは何か——基本概念の系譜』(平凡社、2010年)になった。

 この本では、「市民社会」という概念の翻訳時における意味内容の変容について、アリストテレスの思想から日本の平田清明などの「市民社会派マルクス主義」による受容までという時間的・空間的射程をもって説き起こされている。具体的に言及・論及される哲学者・思想家は、ホッブズ、ロック、スミス、ヘーゲル、マルクス、などなどなどで、彼ら(男だけ)特有の「市民社会」への意味付けが丁寧に追跡されている。新書にしては、超重量級の内容と言ってよい。一読して、ハードカバーになってもおかしくない内容を展開しているようにわたしには思われた(そのため、教育学の授業でこの本を読むことには若干の戸惑いもあり、3学期に読む文献として提案することをわたしは控えていたのであった)。

 今日先生が、この点がおもしろい、と指摘されたのは、ロックにおける「市民社会」の理論的概念構成の仕方である。ロックは、個人の私的所有権を軸に市民社会を捉えていたが、なぜロックがそのような思想を形成するに至ったかと言えば、それは“未開の大陸”アメリカの開拓状況を念頭に置いていたからである。つまり、“ここは俺の土地だ”で所有がどんどんと画定されていったアメリカを横目に見ながら、ロックは市民社会というものを考えていった(ちなみに、『アメリカのデモクラシー』においてトクヴィルも、アメリカが私的所有の国である様子を描写している)。

 これのどこが「おもしろい」のかと言えば、ロックは決して頭の体操をしていたわけではない、つまり、アメリカという現実の状況を前に思考を展開させ、それを理論へと結実させていった、というところである。ロックの私的所有権とだけ言われてもよくわからないが、なぜロックがそのような論を展開したのかまで説明してくれるのであれば、ロックの“思想”というひどく抽象的なものでも理解することができる、そういうことである(らしい)。

 これは思想史の方法論において“思想課題を明らかにする”ということでもって指示されることである。Aという思想家のαという思想をよりよく理解するために、そして/あるいは、αという思想の新たな側面をも照らし出すために、Aがなぜαという思想を練り上げるに至ったのか、何を課題として、何を乗り越えようとしてαという思想を築き上げたのか、つまり、Aにとっての思想課題は何であったのか、それを明らかにするということである。

 思想は真空空間で錬成されるものではない。ある時代のある場所で、つまり、ある状況で、具体的に存在する人物が練り上げていくものである。思惟の存在被拘束性ということを、たしかカール・マンハイムが指摘していたが、思想は状況に埋め込まれたかたちで熟成されていく。この点を哲学者(のちに思想家と遡及的に名指される人)自身が自覚しているかどうか、そして、その哲学者の思想を学ぶ人たちが意識しているかどうか、それらはきわめて大事なことであるとわたしは思う。

 話を戻そう。ロックは具体的な状況の中で思想を作り上げていった、それがおもしろい、という話であった。

 先生は、だから状況を無視して思想を作ることはできないのだ、状況を意識して思想を展開せざるをえないのだ、とおっしゃった。そのとおりである。だが、それに急いで付け加えなければならないのは、頭の体操と揶揄されるような哲学・思想であっても、それは何らかの状況を踏まえて行なわれているのであって、単純な頭の体操は存在しない、つまり哲学・思想に対する“頭の体操”という批判は、実は当たらないということである。

 もちろん、哲学者の多くが状況論を展開していないのはたしかである。だが、後れて生まれてきた者は、その哲学者の埋め込まれた状況を離れたところから観察することができる。そこから、なぜその哲学者はその時期にその場所でそういうことを言わなければならなかったのかが見えてくる。それを含めて思想というものは理解しなければならない。

 だからすべては状況論だ——とはしかしわたしは考えない。状況の底をつなぐような普遍性があるのではないかと考えてしまう。普遍性をあきらめることがわたしにはできない。

 その理由のひとつには、まさに状況論の陥穽があるからだ。今、このような状況にある、だからわたしはこのような考え方(のちに思想と名指されるもの)を提示したい——このような論の立て方は、いつの間にかその状況自体に呑み込まれてしまうおそれがある。とくに、その状況に対する批判を展開する場合、つまり、そのような状況であるとすれば(if-then)このような批判が当たるはずだ、というふうに論を立てる場合、その状況を一旦は前提としなければならない。そのため、その状況認識は批判対象と批判者とが共有することになる。すると、少なくとも言説の次元では、批判者も加担してその状況を再強化することにもなってしまう。

 そうならないためには、状況論を十分に意識しながらも、その状況に惑わされないための、その状況に回収されてしまわないための普遍性に、片足をしっかりと突っ込んでおく必要がある。〈いま-ここ〉でなくてもそれがあてはまるのかどうかというその位相に思考を届かせようとすることは、とても大切であるとわたしは思う。その位相を「普遍性」と呼ぶのならば、その普遍性は頭の体操でしかないと言われても、わたしは普遍性をあきらめきれない。


@研究室
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by no828 | 2011-01-13 16:52 | 思索 | Comments(0)