思索の森と空の群青

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2011年 10月 31日

サッポロ生ビール黒ラベル東北ホップ100%

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サッポロ生ビール黒ラベル東北ホップ100%

2011年限定醸造 

品目:ビール
アルコール分:5%
原材料:麦芽、ホップ、米、コーン、スターチ


蔵元 → 




 軽快・爽快な呑み口。ホップのおかげ。

 しかし、コーンとかスターチとか、ビールに余計なものを入れているのがいけない。麦芽とホップで勝負すべし。「東北ホップ100%」とホップを前面に掲げるのであればなおさら、余計なものは要らないし、混ぜてはいけない。

 追伸:昨日10月30日のアクセス数が通常のおよそ2倍を記録いたしました。ご来訪、どうもありがとうございました。


@研究室
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by no828 | 2011-10-31 11:56 | ビール | Comments(2)
2011年 10月 28日

励まされもした。私がしたいと思っていることをしてもいいんだ、と——「科学」編集部編『科学者の本棚』

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113(435)「科学」編集部編『科学者の本棚——『鉄腕アトム』から『ユークリッド原論』まで』岩波書店、2011年。

※ 初出は雑誌『科学』の連載「心にのこる一冊」(2005年6月〜2010年12月)

版元 → 




 よい本。
 
 「人生においてもっとも心に残っている本」「研究への道を拓くきっかけとなった本」「後世に残したい、あるいは後輩に伝えたい本」を63人の科学者ないし科学関係者に訊ねた本。ここでの「科学者」は「自然科学者」とほぼ同義だが、自然科学者ではないわたしも新刊単行本を購入。「研究(者)」と「本」に関わる本は即買オーケー、そのいずれにも関わる本書はもちろん即買オーケー。

 一気に読める。刺激も受ける。(自分が“1冊”選ぶとすれば何かな……。)


一冊の本で心が動くような柔な人間であってたまるか」という筆者のようなタイプの人間は、われわれの世代より古い世代に多かったのではないかと思う。そのくせ、本に無関心ではなく、本に押し潰されるような生活をしているのである。
□(22.佐藤文隆(物理学)→ Born, Atomic Physics


一方〔“本を学ぶ”というよりも〕、“本で学ぶ”ときに得られるものは、科学史に対する読者の興味の強さと背景となる知識をどの程度もっているかによって大きく変わってくるだろう。とりわけ、短期間に大きく成長し変貌した学問分野においては、ある「教科書」が書かれるということは、研究者コミュニティにおいてその著者が試みる一つの研究戦略にほかならない。新しい学問的体系を提示し、その勢力を伸ばそうと意図するとき、「教科書」を世に出すことは小さからぬインパクトをもち得る。本を書くことは知的な闘いを挑むことなのだと私は思う。
□(30.三中信宏(生物統計学)→ Nelson & Platnick, Systematics and Biography


合理的な手法で本質を抉り出し、それを大胆に解釈して未来を創りだすのは、科学と音楽に共通する目標であり、また私自身にとっても毎日の課題であり続けている。
□(35.伊藤乾(作曲家・指揮者)→ 伊福部昭『管弦楽法』)


 曰く、「科学はそれ自体一つの最小問題と見なせよう。最小の思考の出費で事実をできるだけ完全に記述するという問題である」。しかし、振り返ってみると、最小の思考の出費で済む段階に至るまでには、最大の思考の出費と時間が必要であることを、この分厚い本は、雄弁に語って見せてくれているのである。
□(42.横山順一(宇宙論)→ マッハ『マッハ力学』)


 この本を読んだことが、修士論文や博士論文の作成に役立ったかというとそれはなかった。また、今となっては内容もほとんど覚えていない。ただ、書かれている文章と自分の理解とを常に比較しつつノートを取りながら一字一句もらさずに徹底的に読むということの経験がそれまで受験目的くらいしか勉強の経験がなかったヒヨッコの「読む」という行為への認識を大きく変えたのは間違いない。
□(45.樺島祥介(統計力学)→ Tolman, The Principles of Statistical Mechanics


 こうしたことを読んで、与えられたものを受動的に受け入れるのみであったことを反省した。素朴な疑問を大事にし、単純なことに始まり、一つ一つ自分で納得したことを積み重ねていくことを重視した。 
□(57.植木雅俊(仏教学)→ 澤瀉久敬〔おもだか ひさゆき〕『「自分で考える」ということ』)


 博士論文の執筆をおえて、翌年三月に学位を授与されて間もなく『病いの語り』に出会った。そのとき、感激し、打ち負かされたように感じた。嫉妬もした。自分はやっと医療人類学という研究の入口に立ったのに、こんなすごい人が、すでに研究成果をだしていたんだ、と。でも、励まされもした。私がしたいと思っていることをしてもいいんだ、と。そして、やっぱり医療人類学をやりつづけよう、と決心した。
□(61.柘植あづみ(医療人類学)→ クラインマン『病いの語り』)


それでも私は、科学者こそが科学史のもっとも大切な読み手だと思っている。それはおそらく、『近代科学再考』を読んだときの、霧が晴れて「目の前にある科学」が見えてきた感覚が、私の科学史家としての原点になっているからに違いない。科学者がはっとするような、彼らが現在の科学のあり方を見通すことができるような科学史を書いていきたい。それが私が廣重から学んだことである。
□(66.瀬戸口明久(科学史)→ 廣重徹『近代科学再考』)


 プロスポーツの世界なら、現役のプロに勝てば、アマチュアはプロになれるだろう。ところが、小説の場合はどうか。古典や名作はいつまでも書店の棚の一画を占めている。勝たなければならないライバルは、現役作家だけでなく物故作家もなのだ。
「うまく書けていても、似た作品はだめ。山本周五郎や藤沢周平はもういらない」
□(67.鳴海風(作家)→ 平山諦『和算の歴史』)


断られても決して諦めず、石の上にも三年、いや一〇年でも努力を続ければ、いつかは必ず実るときがくると彼女〔=アナイス・ニン〕は言った。
□(82-3.大貫昌子(翻訳家)→ 宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』)


 まだ形をとらえることができない何かを求めて格闘していたり、大きな壁にぶちあたってもがき苦しんでいたりするときに出会った本——それが、その人にとって心にのこる一冊となるにちがいない。
□(114.長谷川博(動物生態学)→ マイアース『沈みゆく箱舟』)


 朝永がのちにノーベル賞学者になったから、その修業時代の「滞独日記」が意味をもつのではない。ノーベル賞はなくてもよい。重んずべきは、これほどの苦しみを心に抱え、自己嫌悪と逃避願望を抱きながら、それでも朝永振一郎という人物は、「自分がこれだと心に決めた生き甲斐の道を、一生かけてひたすら歩み続けた」という事実である。そこに思い至ってはじめて、私たちは「滞独日記」の意味に触れる。「滞独日記」は、自分で自分の生き方を決めていこうとする者が必ず出会う苦しみを、すべて並べて示して見せた、先達の置き手紙である。私たちがもし、ライオンの如く凛として生きることを望むなら、そこには必ず大いなる苦悩が待ち受けている。自己を高めることに生涯をかけるなら、その道は挫折感と劣等感で敷きつめられている。しかしそれでも、歩むべき道はほかにない。その先にノーベル賞の栄誉が待っているかどうかは神のみぞ知る。たとえなにもなくても、ただ苦しみだけの道であっても、それが自分で選んだ自分のための道ならば、それを歩み続けることそのものに意味がある。そう語る置き手紙なのである。
□(217-8.佐々木閑(インド仏教学)→ 朝永振一郎「滞独日記」)〔参考:朝永振一郎『量子力学と私』→

 などなど(とても全部は引用できない)をエールとして受け取って、この道を進んでいきたいと改めて思った。そして、読みたい本がまたまた増えたわけだが、先ず読みたいと思った本が7,000円弱もして、むむむ、ではある(古書も安くなっていない)。
 

@研究室
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by no828 | 2011-10-28 16:06 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 27日

気づいた時に、それから自由になると思うから——銀色夏生『珊瑚の島で千鳥足』

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112(434)銀色夏生『珊瑚の島で千鳥足——続「ばらとおむつ」』角川書店(角川文庫)、2008年。

※ 銀色夏生の本は全部文庫なのか? 単行本の形跡が見当たらない。文庫は当然単行本よりも値段が安い。読み手フレンドリー、買い手フレンドリーである。時代小説の佐伯泰英はそういう考え方で出版は文庫のみだと聞いたことがある。

版元 → 




 副題にあるように、『ばらとおむつ』(→ )の続編。いずれも、半ば母「しげちゃん」への介護の記録・日記であり、いわば“家族内通信”である。離れて暮らす兄弟姉妹に宛てて「しげちゃん」の日常を長男長兄が綴ったものである(ちなみに、銀色夏生が長男長兄なのではない)。日常だからこその共感を呼び起こすとの感想をわたしは先編を読んで抱いたが、続編ではそこまでのものを感じることがなかった。日常の、人間関係の、どろどろとしたものが前面に展開されていたことに疲れたのかもしれない。個人的なことを書いてそれを本にすることの意味・意義を再考させられた。個人的なことは、個人的なことであるがゆえに他者とのつながりを生むとわたしは考えているが、しかしそうであるがゆえに他者を寄せ付けなくもする。つながりを生むか、生まないか、その可能性は同じくらい残されている。それを分かつのは、書物の内容が内在的に有している性質だとも思うが、読み手の状態にも依拠するのであり、書物自体を問うだけでは足りない。


 サンドイッチをつかもうとする手元がおぼつかなかったので、「視界ってどんなふうに見えるの?」と聞くと、周りが黒くてマンガでよくあるような、望遠鏡をのぞいたみたいな感じらしい。視界が狭いので首をまわさないとものが見えない。
「そうなってどういう気持ち?」
私の世界はこんななのね〜と思ったわ」と言う。なるほどね。

□(47)

「視界」と「世界」。世界の多くは視界によって成り立っているのかもしれない。

 わたしには全盲の後輩がいる。彼の「世界」とは、彼にとっての「世界」とは、一体どのようなものであるのかと、視界のない世界とはどういうものなのかと、改めて思った。


 このあいだ温泉の露天風呂でしげちゃんとしゃべってて、思った。生まれてからずっと植えつけられた常識みたいなものが先入観になっていて、もうそれが頭の中の思考を作り上げてしまっていて、考え方はなかなか変わらないんだなと。変えることなんてできない。〔略〕これに関してはこれ、あれに関してはあれ、というように、もう固定観念ができてる。それは私がいくら人それぞれだからとか、そういうわけでもないと言っても、まったく変えさせることはできない。もうそのような考え方に子どもの頃からなじんできたのだから、それを変えるということはすべてを否定することになるのだ。考え方を変えるというレベルではない。自分の思考や人生を作ってきた一部を否定することは、じぶんを壊すことになる。外国で宗教がそこに暮らす人々の生活や人生の一部のようになっている国などもそれだろう。血となり肉となっているから、引き剝がせない。しげちゃんが思い込んでいるたくさんのこの世代の人々に共通の常識や考え方は、もう変えられないなあと、露天風呂でしゃべりながら、ぼんやりと思った。そしてそれは世代ごとにそれぞれにあったりするんだろうな。私はできるだけ、それがあるとしても、それに気づいていきたい。私にもそういうのが今もたくさんあるわけで、それにできるだけすこしずつ、毎日気づいていきた。気づいた時に、それから自由になると思うから。たとえ考え方は変わらなくても、これは固定観念だと意識できたら、それに縛られることはなくなるから。それを認めて理解して、それと共に歩めれば、気持ちがらくになるから。
□(201-2)

 自分の考え方の位置付けをメタ認知することによって自由を得られるという著者の意見には賛同する。ただし、賛同は全部ではなく半分である。残りの半分は、そうでもないかもしれないという留保・躊躇である。メタ認知がもたらすのは自由ではなく呪縛というか係留かもしれない、とも思うからである。メタ認知などできないほどの状態こそが、メタ認知からの解放こそが自由かもしれない、とも思うからである。しかし、そもそもメタ認知すらしない、メタ認知に至ったことのない状態を自由と呼ぶことにはためらいがある。メタ認知のあとに訪れる何か、それを自由と呼びたいと今は思う。だが、その「何か」が何なのか、それがどういう状態なのかは、あまり想像できない。ただ、“割り切り”や“開き直り”ではない「何か」であってほしいという願いはある。


私「そういえばこのあいだどこかの宗教の人が道をお経みたいなのを唱えながら歩いてたよ。気になって塀の上からこっそり覗いたら、3人の男の人が大きな声で唱えてた。あれも嫌だよね」
せっせ〔長男長兄〕「嫌だよ」
私「うるさいし」
せっせ「それが目的だからね」
私「ああいう人たちって、いいことをしてるって思い込んで、迷惑をかけてるって思わない傲慢さが嫌だ
せっせ「宗教は傲慢だよ

□(213)

 わたしは特定の宗教を信仰していないが、特定の宗教を信仰する——とわたしが知っている——友人が複数わたしにはいる。宗教の話も結構したはずだが、彼/彼女らを傲慢だと思ったことは一度もない。

 宗教を信仰する人が傲慢であるかどうかという議論は、宗教それ自体が傲慢であるかどうかにどのように、どの程度関わっていくのか。


@研究室
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by no828 | 2011-10-27 14:50 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 26日

この人たちは水の中で呼吸をとめるようにつぎの不幸までを生きのびている——須賀敦子『トリエステの坂道』

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111(433)須賀敦子『トリエステの坂道』新潮社(新潮文庫)、1998年。

※ 単行本は1995年にみすず書房より刊行。

版元 → 




 須賀敦子の本は買う。

 エッセイというのは、著者のきわめて個人的な経験・体験を綴ったものが多く、だからそんな個人的なことを本にするなというふうに言えなくもないのだが、しかしその個人的なことが個人的であるがゆえに他者にもつながっていくということはあり、個人的であるがゆえにそのつながりは強くなったりもする。


 ユーゴスラヴィア[クロアチア]の内部に、細い舌のように食い込んだ盲腸のようなイタリア領土の、そのまた先端に位置するトリエステは、先史時代から中部ヨーロッパと地中海沿岸の諸地方を結ぶ交通の要所だった。というのも、紀元前二千年すでに、バルチック海沿岸の琥珀をギリシアやエトルスクの諸都市に運ぶ、《琥珀の道》と呼ばれた商業路のひとつが、トリエステを通過していたといわれる。さらに中世以来、オーストリア領となり、地中海に面した帝国の軍港として栄え、十八世紀から十九・二十世紀にかけては商港として繁栄の頂点をきわめた。とはいっても、言語的にいうと、トリエステの人の多くは、ローマ時代このかた(この地方がヴェネチア・ジュリアと呼ばれるのは、ジュリアス・シーザーの覇権がおよんだ土地を指すからだ)、イタリア語の方言を話し、ドイツ語を話しても、自分たちはイタリア民族と考えてきた。そのため、とくに支配層に属さない大多数のトリエステ人にとって、イタリア統一運動がさかんになった十九世紀末には、一日もはやくオーストリアの隷属から解放され、イタリアに帰属することが精神の支えになった。じっさいにイタリア領になったのは第一次世界大戦のあと、一九一九年のことで、解放運動では多くの犠牲者を出している。だが、皮肉なことに、トリエステのイタリア復帰論者が念願をはたしたのを境として、この都市は経済的に行きづまり、ながい下降線をたどることになる。地中海にいくつものすぐれた港をもつイタリアの領土になってからは、港湾都市としてのトリエステの存在意義は根底から揺さぶられ、イタリア東端の都市という空虚な政治的意味だけしか持つことができないのだ。
 文化の面からいっても、トリエステは特異な都市といえる。ドイツ語文化圏との精神的なつながりを全面的に断ち切るにはいたらず、トリエステ人は尊敬と憧れと憎しみの入り組んだ感情で、これもすでに過去のものとなったウィーンの文化や人々を眺めている。北の国々とつながりをもつことが、この町にとっては精神的にも死活の問題であるのに、言語的=人種的には、たえずイタリアにあこがれる〔ママ〕という二重性がトリエステ人のアイデンティティー感覚をたぐいなく複雑にしている。はじめはドイツ語で、つぎにイタリア語で教育を受け、ハインリッヒ・ハイネの叙情歌とペトラルカの形式のあいだを揺れうごき、フロイトに傾倒するサバの詩にも、この複雑さは暗い影を落している。

□(18-9)

 こういう“辺境”にはとても惹かれる。


〔略〕とにかく、おばあさんの重ね着はすごいのよ。イヴァ―ナは笑った。はずかしくて、いっしょに歩けやしない。オーバーだって、平気で二枚、かさねて着てしまうのだから。スカートも、二枚ぐらいなら、へいちゃら。短いのを下にはいて、長いほうをその上にはく。痩せてるから、平気なのよ。そう言われてみると、私が子供のとき祖母がいっていたのを思い出した。ロシア乞食。革命で、ロシアから、いまでいう難民が日本に来た時代があった。リボンなどを売って、生活をささえていたという。小さいころから私や妹が、ふざけて母や叔母たちの服をひきずって着たりすると、祖母は叱るのをわすれて、そんな、ロシア乞食みたいな、と顔をくしゃくしゃにして笑った。
□(42)

「ロシア乞食」ははじめて聞いたし、ロシア革命を逃れて日本に渡ってきた人たちがいるというのもはじめて知った。彼/彼女らは、彼/彼女らの子どもは、どういう人生を送ったのか。


 夫の実家に私が出入りするようになったのは、私がローマからミラノに移って結婚する十カ月ほどまえのことだったが、当時、なによりも私をとまどわせ、それと同時に、他人には知られたくない恥ずかしい秘密のように私を惹きつけたのは、このうす暗い部屋と、その中で暮らしている人たちの意識にのしかかり、いつ熄〔や〕むとも知れない長雨のように彼らの人格そのものにまでじわじわと浸〔し〕みわたりながら、あらゆる既成の解釈をかたくなに拒んでいるような、あの「貧しさ」だった。すこしずつ自分がその中に組みこまれていくにつれて、私は、彼らが抱えこんでいるその「貧しさ」が、単に金銭的な欠乏によってもたらされたものではなく、つぎつぎとこの家族を襲って、残された彼らから生への意欲まで奪ってしまった不幸に由来する、ほとんど破壊的といってよい精神状態ではないかと思うようになった。この人たちは、水の中で呼吸をとめるようにしてつぎの不幸までを生きのびている。そして、それが、この人たちにとって唯一の可能な現実なのかも知れなかった。
□(83)

 ここは響いた。


 一九九五年は、宗教という言葉がどっと街にあふれ、人びとの目に触れ、口にのぼるという、忘れられない年であった。なにもこれに限ったことではないけれど、正確な意味がただされないまま、言葉だけが不吉な疫病のように街を駆けぬけている。
 そのなかで宗教と文学について考えようとすると、いきなり宗教心とか信仰、既成宗教などという、宗教にまつわる騒がしい言葉の群れがどっと押し寄せてきて、私は混乱してしまう。宗教にくらべて、文学のほうは、ひっそりとしている。文学は、ひとり、だからだろう。

□(228)

 マーティン・ルターのプロテスタンティズムは、それまで共同体のものであった祈りを個のものにしようとした人たちの、劇的で苦悩にみちた選択だった。こうして宗教そのものもまた、共同体の宗教から個の宗教への道をたどることになる。十六世紀のドイツの話だ。
□(230-1)

 共同体によって唱和されることがなくなったとき、祈りは、特定のリズムも韻も、その他の形式も必要としなくなるから、韻文を捨て、散文が主流を占めるようになる。散文は論理を離れるわけにはいかないから、人々はそのことに疲れはて、祈りの代用品として呪文を捜すことがあるかもしれない。
□(231-2)

 信仰が個人的であり、宗教は共同体的であるといいきって、私たちはほんとうになにも失わないのか。
□(232)

 2011年は、1995年と同じように、忘れられずに振り返られる年になると思うし、そうしなければいけないと思う。


〔略〕夕方の授業で、三十人ほどの学生がいて、そのなかの、五、六人はいつもいっしょうけんめい聴いていて、それがかえって私を不安にする。聞かれても、聞かれなくても、教師は不安だ。
□(241-2)

 大学の教室では、前列からかぞえて三列目ぐらいにすわっていた男の子が、弱ったなあという顔をして、こっちを見ている。私はなにかほっとする。ひとりでいい、そういう顔があれば、授業はどうにかうまく進む。
□(243)

 共感。


 それはエマウスという、キリスト教の奉仕活動だった。一九四九年フランスピエール神父によって提唱されたもので、須賀さんは聖心女子大時代にエマウス運動を知っていたようである。一九七一年、ミラノから帰国した後、本格的にかかわるようになり、東京ヤング・エマウスの中心になって活動した。やがて練馬区関町に本拠地となる「エマウスの家」がつくられ、須賀さんはどれほどの期間か不明だがその責任者となった。その活動のなかで、廃品回収業者をたばねたり、「エマウスの家」じたいが廃品回収の仕事もしたようである。
 キリスト教の信仰がどのように現実世界の貧困を救済できるか。須賀さんのこの命題への関心は、早く学生時代から強かった。最初のパリ留学(一九五三年)で、学校の勉強以外にもたくさんのことが知りたいと悶々としながら、「労働司祭」の講義をひとりで聴きに行ったというエピソードが、『ヴェネツィアの宿』(一九九三年刊)に書かれている〔→ 〕。昼間は工場などで一般の人たちにまじって働き、余り時間に司祭の責務をはたすというのが「労働司祭」で、戦後この運動がフランスから欧米各国にひろがった。
 須賀さんは、戦後まもなくのフランスで最高潮に達したカトリック左派の思想と運動に一貫して関心をもちつづけた。それは、「かたくなに精神主義にこもろうとしたカトリック教会をもういちど現代社会、あるいは現世にくみいれようとする運動」であり、その中心的存在だったエマニュエル・ムニエは「抵抗運動の経験をもとに革命的共同体の思想を説いた」と須賀さん自身が説明している(『コルシア書店の仲間たち』〔→ 〕)。

□(257-8.湯川豊「須賀さんについてのノート」)

 あとは、シモーヌ・ヴェイユ。


@研究室
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by no828 | 2011-10-26 14:44 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 25日

諸君、異論があるか。あればことごとく却下だ——森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』

c0131823_1912357.jpg祝 110(432)森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』角川書店(角川文庫)、2008年。


版元 → 
※ 単行本は2006年に同店より刊行。


 ようやく古本105円で入手(→ )。

 森見の小説の舞台は、京都。京都に住む人・住んだ人とそうでない人ととでは、読み方が違ってくるように思われる。



「親指をひっそりと内に隠して、堅く握ろうにも握られない。そのそっとひそませる親指こそが愛なのです」
 彼女はそう語った。
 幼い頃、彼女は姉からおともだちパンチを伝授された。姉は次のように語った。
よろしいですか。女たるもの、のべつまくなく鉄拳をふるってはいけません。けれどもこの広い世の中、聖人君子などはほんの一握り、残るは腐れ外道かド阿呆か、そうでなければ腐れ外道でありかつド阿呆です。ですから、ふるいたくない鉄拳を敢えてふるわねばならぬ時もある。そんなときは私の教えたおともだちパンチをお使いなさい。堅く握った拳には愛はないけれども、おともだちパンチには愛がある。愛に満ちたおともだちパンチを駆使して優雅に世を渡ってこそ、美しく調和のある人生が開けるのです
 美しく調和のある人生。その言葉がいたく彼女の心を打った。
 それゆえに、彼女は「おともだちパンチ」という奥の手を持つ。

□(8-9)


「人生論なんか、ちょっと年食ったオヤジなら誰だって言えるよねえ」
□(27)


 何万冊ともいうべき背表紙の群れを眺めていると、我が生涯に栄光の新地平を切り開く天与の一冊がどこかに埋もれている、というお馴染みの妄想に苦しめられた。本たちが叫び出す——「おまえは俺すら読んでないじゃないか。恥を知れ、このへっぽこ野郎」「骨のある本を読んで、ちっとは魂を鍛えろ。たとえば俺だ」「俺を読みさえすれば貴君はあらゆるものを手に入れるであろう。知識、才能、根性、気魄、品格、カリスマ性、体力、健康、艶のある肌、あとは酒池肉林もお望み次第だ。なに、酒池はいらん? そんなことはどうでもいいから、まず俺を読め」等々。
「無理はしないほうがいいぜ、兄さん」
 少年は文庫本の棚にもたれながら言った。「べつにコワモテのする本を読めなくてもいいじゃない。気張らないで、一期一会を楽しめ」
「おまえなんかの慰めは無用だ」
「もっとほかに面白そうな本がいくらでもあるじゃない。少年老いやすく学成りがたし、だ」
「おまえが言うな」
「俺だから言うんだ」
 そう言って少年は薄ら笑いを浮かべた。

□(94-5)

 こういう「妄想」にはよく捕らわれる。

 なお、これは古本市の場面。こういうのが近くであるといいのだが、ない。ちなみに、今年の(= 第52回)神田古本まつりは、10月27日(木)から11月3日(木・祝)までです。場所はもちろん神保町のあの辺です。→ 


「父上はいつも僕をここに連れてきてくれた。そして本たちがつながっていることを教えた。僕はここにいると、本たちがみな平等で、自在につながりあっているのを感じることができる。その本たちがつながりあって作り出す海こそが、一冊の大きな本だ。だから父上は死んだ後、自分の本をこの海へ返すつもりでいた」
「オヤジさん、亡くなったのか」
「そうだよ。だから今日、僕はここへ来た。僕には父上の本をこの海へ返す使命がある」
 少年は雨が上がりつつある空を指した。
「悪しき蒐集家の手から古書たちを解放する。僕は古本市の神だ」

□(111)


 諸君、異論があるか。あればことごとく却下だ。
□(124)

 この文章は、堀井憲一郎『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書、2011年)にも引用されていた(ここでは紹介していないが)。“異論はあまねく却下するくらいの気持ちで書け、書くならば言い切れ、断定しろ”という文脈であった。(そういえば、O本先生も顔本でこの堀井の本を紹介されていた。)


「着実に外堀は埋めている」
「外堀埋めすぎだろ? いつまで埋める気だ。林檎の木を植えて、小屋でも建てて住むつもりか?」
「石橋を叩きすぎて打ち壊すぐらいの慎重さが必要だからな」
「違うね。君は、埋め立てた外堀で暢気に暮らしてるのが好きなのさ。本丸へ突入して、撃退されるのが恐いからね」
本質をつくのはよせ

□(158-9)

 森見の小説は、その冷静さがおもしろい。

@研究室
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by no828 | 2011-10-25 13:10 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 24日

「科学の悲劇は、美しい仮説が醜い現実で覆されること」だ——伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』

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祝 109(431)伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』祥伝社(祥伝社文庫)、2006年。

※ 本作品は2003年に同社よりノン・ノベル新書版で刊行。

版元 → 




 ストーリーは予想に収まったが、散りばめられたことばにはいちいち立ち止まらざるをえなかった。


自閉症とはどういうものか分かりますか?」最初、医師はそう訊ねてきた。
「コミュニケーションの障害ですか?」成瀬は当てずっぽうで口にしたが、これはこれで、それほど的外れではなかった。
人間の曖昧な部分が嫌いな性質のことですよ」医者はそう言った。「そして人よりも物事に敏感なんですよ
 四角い眼鏡をかけた医師は無表情でトカゲのようにも見えたので、とっつきが悪かったが、それでも言っていることは間違っていなかった。
 タダシは十歳になった今でも「曖昧」なことが苦手だった。日常のスケジュールが狂うと不機嫌になったし、中途半端な質問は受け入れられなかった。歯ブラシの位置が違っていただけで怒ることもあれば、いつもと違う散歩のルートを通ると暴れることもあった。
「タダシくんは愉快だ」久遠がしみじみと言った。嘘ではないのは分かった。

□(68-9)

「僕はね、最近気づいたんだ。タダシくんは、人を陥れたり、出し抜いたり、そういうことから一番無縁なんじゃないかな。だから一緒にいると、僕はほっとするんだ」
 成瀬には同意をするつもりも、反論をするつもりもなかった。
「自閉症のことには詳しくないけど、でも、僕には何となく分かる気がする。タダシくんは必死なんだよ、きっと
「必死?」成瀬は聞き返した。
タダシくんは、中枢神経の障害だか何だか分からないけどさ、突然、外国に放り投げられたようなもんなんだよ。コミュニケーションの手段を取り除かれているところからスタートするんだからね。とにかく得体の知れない世界で生きていかなくちゃいけない。だから、手探りでみんなと交流しようとしているんだ。僕たちの言葉を鸚鵡返しにしたり、文章を丸暗記したり。意味も重要性も分からないから、手当たり次第に記憶する。時折、堪えられなくなってパニックを起こす
「決めつけるなよ」成瀬は笑う。
タダシくんはどうにか世の中のルールを探そうとしているんだ。だから、ようやく見つけたルールがちょっとでも変更されていると戸惑うんじゃないかな。ルールが変わるのは不安だからね。それだけのことだよ。タダシくんは世の中の全部を書き留めて、記憶して、片言の言葉を駆使して、この世界との折り合いをつけようとしている。だからさ」
「だから?」響野が訊ねる。
「もし、火星に僕たち全員が連れて行かれたら、一番動揺しないのはタダシくんだよ。どうしたらいいか分からなくて、おたおたしている僕たちに比べて、タダシくんはきっとできる限りのことをやるよ。タダシくんにとったら、手探りでコミュニケーションを取るという意味ではここも火星も変わらない」

□(71-2)

「障害」は“あるかないか”ではなく、“重いか軽いか”というか“濃いか薄いか”というか、そういうものだと、改めて思う。研究者には、自閉症のグラデーションのなかにいる人もある程度存在するのではないか、という気がしてならない。わたしを含め。「世の中のルールを探そうと」するのが自閉症の特徴なのだとしたら、研究者がしようとしていることはまさにそれのはずだし。

 参考:泉流星『僕の妻はエイリアン』 → 


退屈は人を発狂させるからな
□(192)


「人間は後悔をする動物だが、改心はしない。繰り返すんだよ、馬鹿なことを。『歴史は繰り返す』というのは、それの言いわけだ」
□(228)


「本気のわけがないだろう」
真剣に悩んでいる人には、どんなことも響くんだよ

□(270)


「きっとあなたなら地球が太陽の周りを回っていることだって分かっているでしょうね。そういうのは分かってるんじゃなくて、知っているだけなんだって。いい、人生の長さは時間で決まっていて、それはこうしている間にも減っている。分かる? 砂時計の砂がさらさら落ちるみたいに、どんどん減っているわけ」
「分かっているさ」地道はむきになった。
あなたみたいなのは、砂時計の砂がいつか補充されると思い込んでいる。自分の時計は絶対終わらないって楽観的に信じているわけ。〔略〕」

□(288)


「人間の価値はその友を見れば分かる」
□(299)


「〔略〕悲しい事実だ。どこかの学者の言葉を思い出したよ。『科学の悲劇は、美しい仮説が醜い現実で覆されること』だ」
□(334)


「弘法は筆を選ばないものだがな」と後部座席の響野が言った。
「弘法は選べなかっただけよ。お金がなくて」雪子はそう言いながら、ハンドルを切る。〔略〕
「弘法さんもさ、恰好つけずに、雪子さんみたいに盗めば良かったんだ」久遠がすかさず言う。「そうすれば、弘法筆を選び放題、だ」

□(343)


 とはいえ、先天的に「カカシが喋っても変じゃない」と認識しているかもしれない伊坂幸太郎であっても、それ(=やっぱり不自然な、あるいは超自然の存在)を自然なかたちで作品に定着させるには、それなりの努力が必要となる。『オーデュボンの祈り』〔→ 〕は、完成までに二年を必要としたというが、その大半が書き直しであった。書いて、直し、直し、直し、直し、直し、直し、直したのだ。あるとき丸山健二の「七回直せ」という言葉を(明らかに後天的に)学んだ彼にとっては、その直しが当然のことだったという。
□(384.村上貴史「解説」)

「七回直せ」、肝に銘じよう。


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by no828 | 2011-10-24 12:00 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 21日

ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか——川上弘美『センセイの鞄』

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祝 108(430)川上弘美『センセイの鞄』新潮社(新潮文庫)、2007年。

※ 単行本は2001年に平凡社より刊行、2004年に文春文庫に収録。

版元 → 




 これは、ヤスエ(ハバラ)にすすめられた本。「映画は部分的に見た」と言ったら、「本を読め」と言われた。「本のほうがいいから」。

 高校で国語を教えた教師と教えられた生徒が居酒屋で再会する。退職して独り身になった教師と、就職して独り身のままの生徒。

 やさしくゆっくりとした恋のお話です。


「ツキコさん、あなた理科の授業もきちんと聞いていなかったんですね」説教をする。
 そんなもの教わりませんでしたよ、授業では。口をとがらせると、トオルさんが大声で笑った。
「学校では、いちばん大事なことは、あんまし教わんなかったなあ」そう言いながら、笑う。センセイは姿勢よくトオルさんの笑い声を聞いていたが、やがて、
心意気さえあれば、どんな場所でも、人間は多くのことを学べるものですよ」と静かに言った。
「おもしれえセンセイだな、あんたのセンセイは」トオルさんは言い、またひとしきり笑った。センセイは鞄からビニール袋を一枚取り出し、冬虫夏草をそっと入れて口をしぼった。そのまま鞄にしまう。

□(68)


内田百閒の話にね、こんなのがあります」などと言いはじめる。
 たしか、素人掏摸〔しろうとすり〕、という題の短篇だった。酔って無礼になってぞんざいな口をきく相手のその胸に、金鎖がぶらぶらしている。ただでさえ無礼さがいまいましいから、当の相手の金鎖が、ますます目ざわりになってくる。それで、すった。難なく、すった。相手が酔っているから簡単だろうと思うのはまちがいで、するほうの自分も酔っぱらっているのだから、対等なものなのである。
「そんな内容でした。百閒は、じつにいいですね」国語の授業中、そういえばいつもセンセイはこういう天真爛漫な表情をしていた。思い出した。
 それで、センセイもすったんですか。わたしが聞くと、センセイは大きく頷いた。
「まあ、百閒に倣ったというようなわけです」
 内田百閒という作家、ツキコさんは知っていますか。そうセンセイに聞かれると思ったが、センセイは聞かなかった。かすかに、聞いたことのある名前ではあるが、よく知らない。めちゃくちゃな理屈の話だ。酔っていようがいまいが、ものをすってはいけない。しかし筋は妙に通っている。そのあたりの筋の通り方が、センセイといくらか似ているのかもしれない。
ツキコさん、ワタクシは、相手をこらしめるためにこういうことをしたのでは、ありません。ただ、いまいましく思っている自分を満足させるために、すったのです。そこのところを、勘違いなさらぬよう
 勘違い、しません。わたしは慎重に答え、それから酒をくいくい飲んだ。もう一本ずつ徳利を空けて、いつものように別々に勘定をすませ、店を出た。
 月が明るい。満月に近い。センセイ、センセイは心細くなること、ありますか。共に前を向きながら、同じ方向に顔を向けながら、ふと聞いてみた。
「尻を痛めたときは、心細かったです」前を向いたまま、センセイは答えた。
 そういえば、お尻、いえその、臀部、どうしたんですか。
「ズボンを穿こうとしたときに、ズボンにつっかかって、ころびました。それで、したたかに尻を打った」
 あはは、と思わずわたしは笑った。センセイも、少し笑った。
心細かったなんてもんじゃない。体の痛みが、いちばん心細さを誘いますね
 センセイは、炭酸水、お好きですか。つづけて、わたしは聞いてみた。
「話が飛びますね。ワタクシは、そうですね、昔からウィルキンソン社の炭酸水を好んで飲みます
 そうですか。そうなんですね。わたしも前を向いたまま、答えた。

□(117-9)


ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか
 はあ? とわたしは聞き返した。センセイ、それ、どういう意味ですか。もう、わたし、さっきからすっかりセンセイと恋愛をしている気持ちになってるんですよ。

□(270)

“恋愛を前提としたおつきあい”、いいじゃないですか、と今なら思う。昔は、“好きでないのに付き合うとはなにごとか”と思っていて、それによってわたしは“可能性としての恋愛”を(たぶんずいぶんと)取り逃がしてきた。

 このことは、まあ、いい。わたしは“恋愛を前提としたおつきあい”の「前提」に引っかかっているのである。

 以前から“結婚を前提に付き合う”という言い方に違和感があった。「前提」というのは決定済・達成済という意味だから、“前提にするくらいならさっさと結婚しなさい”とわたしは思うのである。“結婚してからお付き合いしなさい”と思ってしまう。“恋愛を前提に”“結婚を前提に”、これらが恋愛や結婚を“目指して”付き合うという意味だとしたら、「前提」ということばづかいはおかしい。恋愛や結婚はまだ可能的に留まっているからである。ゆえに「前提」に代えて「目標」と言うべきであろう。“恋愛を目標に付き合う”“結婚を目標に付き合う”、これならばわかる。わかるのだが、後者“結婚を目標に付き合う”には何だかがんばらないといけない雰囲気が漂いはじめたりもする(結婚はがんばらないといけないものかもしれないのだが)。それはしかし、「前提」にしても同じであって、どちらも堅苦しい。でも、というか、だからこそ、というか、“恋愛を前提としたおつきあい”は、いいなあと思ったのである。これならば1歩踏み出せる人もいるのではないか、背中を軽く押してくれることばとして受け取ることができるのではないか、そのように思うのである。もちろんそのときは“恋愛を目標としたおつきあい”と言ってほしいのだが。

 と、過去の自分に向けて言ってみてもいい。 それを聴いたわたしのその後の歩みには変化が生じたかもしれない。だが、そのときのわたしが、「ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか」ということばの前で立ち止まれたかどうかはわからない。


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by no828 | 2011-10-21 18:09 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 20日

プラトニックという言葉はまやかしだ、と私は思った——小池真理子『無伴奏』

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祝 107(429)小池真理子『無伴奏』集英社(集英社文庫)、1994年。

※ 単行本は1990年に同社より刊行。

版元 → 




 初 小池真理子。「あとがきにかえて」によると、「私はただひたすら、かつての自分を思い出し、かつての自分をモデルとして使いながら、時代をセンチメンタルに料理し、味わってみようと試みた」(283)、それが本書である。「かつての自分」が属した「時代」とは仙台の1960年代後半、学生運動の時節である。本書を手に取ったのは、この時代背景に関心があるからである。


 よく喋ったし、よく議論をした。まったく時間を忘れるほどに。
 今でも私はあのころ、自分が彼らと何を一生懸命喋っていたのか、思い出せずにいる。何だったのだろう。何を言いたかったのだろう。何を訴えたかったのだろう。
 ベトナム戦争があり、安保があった。沖縄問題があり、東京からは随時、様々な活動家たちが仙台入りして私たちをオルグしていた。フォーク集会があり、アジ演説があり、街頭デモがあった。私は彼らの巻きおこす渦の中に自ら足を踏み入れ、似たような言葉を操り、似たような行動をし、似たような行動をし、似たような文章を書いた。私がやっていたことは、ほとんど真似っ子猿のやることにすぎなかった。
 本当はベトナムも安保も沖縄もどうだってよかった。マルクスもスターリンも革命もどうだってよかった。私は政治や革命のために自分を捧げるのはいやだった。知識をひけらかし、無内容な討論を繰り返す連中が嫌いだった。活動家の学生に恋をし、恋をしたことと思想的同志になったこととを勘違いし、わざと汚れた服を着て、バリケード封鎖中の男に手作りの弁当を差し入れに行く女たちが嫌いだった。
 だが、同時に私は、無内容な討論を繰り返す連中と過ごす時間がいとおしかった。バリケードの中で活動家の恋人とセックスし、デモで負傷した恋人をかくまって手当てしてやる女たちに否応なく共感を持った。

□(32)


「大学なんか、どうにでもなるよ。行かなければならない法はないし、行ったところで、何かが変わるわけでもない」
「そうなの? 渉さんは大学に行ったことで、何も変わらなかったの?」
「変わらなかったよ。基本的には何も」
「じゃあ、どうして大学に行ったの?」
「働きたくなかったから。それだけさ」
 わかるわ、と私は精一杯大人びた調子でうなずいてみせた。「何度も考えたの。いやになっちゃうくらい。どうして自分は大学に行くんだろう、って」
「結論は出た?」
 私はうなずき、正直に答えた。「大学で遊んで、飲んだくれて、目茶苦茶に生きて、あの子は最悪だけど、頭は悪くなさそうだ、だって、あの難しい大学に合格したんだから、って言われたいからよ
 渉は可笑しそうに笑い、「響子は自意識が過剰なんだな」と言った。私も合わせて笑った。

□(173-4)


 プラトニックという言葉はまやかしだ、と私は思った。同性異性を問わず、人と人は互いへの欲望を抑え込もうとする時、必ず精神でセックスをする。現実のセックスよりも、精神のセックスは私を目茶苦茶に嫉妬させる。
□(223)


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by no828 | 2011-10-20 14:21 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 19日

それは必ずしも本人が悪いのではない——小谷野敦『友達がいないということ』

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祝 106(428)小谷野敦『友達がいないということ』筑摩書房(ちくまプリマー新書)、2011年。

版元 → 




 今年の5月に出た本である。が、定価で買ったわけではない。ぶくおふが105円で売っていたからである。買い手からすると嬉しいが、それでよろしいのかという気もする。

 タイトルは『友達がいないということ』であり、構成も現在の“友達問題”から出発し、そこに着地しようとしているが、そのあいだの主たる経由地、つまり本書の主な内容は、近代日本文学の担い手たちにおける「友情」についてである。

 なお、小谷野の文章は“一文一意”の観点からするとわかりにくい。“この文章は2つ、3つに分解してそれぞれ句点を打ち、接続詞をきちんと用いてつないだほうがわかりやすいのでは”と思いながら読んだ。

(自分向けメモ。「ホモソーシャル」「ホモセクシャル」「ホモフォビア」「同性愛」「ヘテロセクシャル」「ヘテロセクシズム」「レズビアン連続体」)

 本書のメッセージは次の文章に表われていると思われる。


 一人ぼっちにも、いろいろある。家族はいるけれど、誰とも心は通わず、友達もいない一人ぼっちから、友達はちらほらいるが、家族のない一人ぼっち、そして家族も友達もいないという一人ぼっちがある。
 むろん、世の中には、そんな風にして、一人ぼっちで生きている人、また過去にそういう風に生きた人は、いくらでもいるのである。人は、自分自身の性質とか、偶然とかによって、一人ぼっちになってしまうことは、あるのである。
 そして、それは必ずしも、本人の責任とは、限らないのである。むろん、本人に問題がある、という場合のほうが多いだろうが、みながそうだというわけではない。
 世の中に、そのことを認めてもらいたいと思う。友達がいない人間もいるということ、そしてそれは必ずしも本人が悪いのではない、ということを。

□(185-6)

 以下、本論との関係をあまり省みずに。


 菊池寛(一八八八—一九四八)は、友情を大切にした人である。菊池は京都帝大出身なので、漱石の弟子にはならなかったが、芥川〔龍之介〕、久米〔正雄〕らと『新思潮』に参加し、卒業後、「時事新報」の記者をしながら小説を書いていた。純文学作家として擡頭したのち、新聞に連載した『真珠夫人』がヒットして流行作家となり、『文藝春秋』を創刊してたちまち文壇のボスの地位を確立した。そして、昭和二年(一九二七)に芥川が自殺し、九年(一九三四)に友人の直木三十五が病死すると、二人を記念して芥川賞・直木賞を創設して、今日に至っている。
□(58)

 ちなみに、引用文中に登場した久米正雄は、わたしの高校の先輩にあたる人物だが、この引用文中のすぐあとに、久米が「盗作」事件を起こしたとのエピソードが挿入されており、残念な気持ちになった。


 かつては「博愛」と訳されていたし、今でもそう言う人はいるが、元来は fraternite なので友愛が正しいが、このもともとの意味は、男同士の絆という意味である。フランス革命が、自由・平等といっても、それは男、中でもブルジョワ(市民)階級の男たちのそれでしかなかったことは、今ではよく知られている。
「博愛」と訳したのは中江兆民や幸徳秋水らしいが、確かに日本人には、なぜ「友愛」が「自由、平等」と並ぶのか分からないだろう。フランス革命の思想は、貴族と平民の身分の差別をなくすことにあったが、それはあくまで男だけの話で、フランスで女性に選挙権が与えられたのは一九四五年のことである。もっとも、女性を排除した思想は何もフランスに限らない。十八世紀終りに『女性の権利の擁護』を書いたのは英国のメアリ・ウルストンクラフトという、『フランケンシュタイン』の作者であるメアリ・シェリーの母だが、この本は長らく狂人の書のように扱われており、十九世紀後半になって、ジョン・スチュアート・ミル『女性の解放』を書いてから、ようやく女性解放運動の先駆的書物として認められるようになったのである。
 平等思想の先駆とされるルソーにしても、男女の平等については考えていなかったし、兆民と、その弟子である秋水も、男女平等論には反対の立場だった。むしろ、女性解放論を唱えたのは、福沢諭吉や巌本善治のほうである。

□(66-7)

 女が女の解放を言っても聴いてもらえず、男が女の解放を言ってはじめて聴いてもらえる——発話の位置の問題。釈然としないが、聴いてもらうための“戦略”としては活用できることである。しかし、“戦略”という考え方にもわたしは釈然としていない。

 あと、兆民と秋水が男女平等を唱えなかった理由、福沢と巌本がそれを唱えた理由。


 つまり、暴力を使わないいじめのやり方の原型がここ〔忠臣蔵〕にあって、それに暴力で報復した者が死ななければならないわけである。〔略〕戦後日本では、ひたすら暴力を否定したために、「正義の暴力」というものを認めなくなってしまった。いじめられて自殺する、というような子供には、自殺するくらいなら、いじめっ子を殺してからにしろ、と言いたい。もったいないではないか。生きていたいというのであれば、殺せば殺人だから少年院へ入ったりしなければならないが、どうせ自殺するなら、殺してからのほうがいいし、いじめっ子はこの世にいないほうが世のためなのだから、殺すべきである。
 というようなことが言いづらい世の中になっているわけで、そこに、表面だけをとりつくろう社会の陰湿さがあって、それはいじめを生み出す土壌と無縁ではないのである。たとえば、いじめに遭った子供が、そのことを遺書に書いて自殺すれば、世間は騒ぐ。だが、自殺しないで世間に「あいつにいじめられた」と訴えても、世間は相手にしてくれないのである。

□(116)


セックスの相手がいない相手に、カネで相手をするのが娼婦なら、友達がいない相手に、カネで話し相手になるのが精神分析医やカウンセラーである。こんなことを書くと、侮辱だと言って怒る人がいるかもしれないが、それは娼婦に対する侮辱である。
□(146)


 ネット社会になっても、そういう〔政府、企業、マスコミ、大学などの〕「組織」に属している人は、ブログなどやらずに「保身」に走り、逆に活字媒体は、論争はネットでやってくれとばかり、きちんとした議論をさせなくなってしまった。ここ数年で、『論座』『諸君!』『現代』といった総合月刊誌が廃刊になったのは、かつてのように論争をさせなくなったからで、私は自業自得だと思っている。そういう意味では、却って悪くなっているともいえる。
□(165-6)


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by no828 | 2011-10-19 15:36 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 18日

この国では理解できる範囲が狭い奴ほど大きな権力が握れるんだ——村上春樹『ねじまき鳥クロニクル第3部』

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祝 105(427)村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』新潮社(新潮文庫)、1997年。

※ 単行本は1995年に同社より刊行。

版元 → 




 さらに続きです。


「まったくたいしたものだ。君のような日本人が数多くいるかぎり、日本はきっといつかこの敗戦の混乱から立ち直るだろう。しかしこのソビエトは駄目だ。残念ながら見込みはほとんどないね。皇帝時代の方がまだましなくらいさ。少なくとも皇帝陛下はややこしい理屈についていちいちない頭をひねる必要はなかったものな。我等がレーニンはマルクスの理屈の中から自分に理解できる部分だけを都合よく持ち出し、我等がスターリンはレーニンの理屈の中から自分に理解できる部分だけを——それはひどく少ない量だったが——都合よく持ち出した。そしてこの国ではな、理解できる範囲が狭い奴ほど大きな権力が握れるようになっているんだ。それは狭ければ狭いほどいいんだ。いいかマミヤ中尉、この国で生き残る手段はひとつしかない。それは何かを想像しないことだ。想像するロシア人は必ず破滅する。私はもちろん想像なんかしないね。私の仕事はほかの人々に想像をさせることだ。それが私の飯のたねだ。そのことは君もよく覚えておくといい。少なくともここにいるあいだは、何かを想像したくなったら、私の顔を思いだすんだな。そしてこれはいけない、想像するのは命取りだって思うんだよ。これは私の黄金の忠告だ。想像するのは誰か別の人間に任せることだ」
□(425-6.傍点省略)

 想像(力)が大事、というのは村上春樹の一貫した姿勢だと思う。

 想像(力)は、人を安定させない、現実を安定させない。


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by no828 | 2011-10-18 11:49 | 人+本=体 | Comments(0)