思索の森と空の群青

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2012年 05月 31日

自由とは自分からの自由にほかならない——つげ義春『貧困旅行記』

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86(546)つげ義春『新版 貧困旅行記』新潮社(新潮文庫)、1995年。

版元 → 

単行本は1991年に晶文社より刊行。


 つげ義春の『無能の人』を読みたくて、古本屋で「つ」の棚を睨んでいたときに見つけました。そのとき『無能の人』はなかったのですが、つげ作品自体をこれまで読んだことがなかったので、まずは取りかかってみました。

 本書は、会ったこともない女性と結婚するために九州へ行く、「蒸発」したい、というとんでもない話からはじまります。つげはマンガを描く人でもあるようで(すみません、知りませんでした。ちなみに、カバーはつげの作品とあります。わたしは最初、水木しげるかと思いました。それでおどろおどろしい内容かとも思ったのですが、そうではありませんでした)、そのファンである女性と手紙のやりとりを複数回した、その人は最近離婚をした、九州で看護師をしている、という情報をもとに、本当に九州へ行き、会ってしまいます。手紙を交換しているため、住所はわかっているのです。

 世の中の関係からはずれるということは、一時的であれ旅そのものがそうであり、ささやかな解放感を味わうことができるが、関係からはずれるということは、関係としての存在である自分からの解放を意味する。私は関係の持ちかたに何か歪みがあったのか、日々がうっとうしく息苦しく、そんな自分から脱〔の〕がれるため旅に出、訳も解らぬまま、つかの間の安息が得られるボロ宿に惹かれていったが、それは、自分から解放されるには“自己否定”しかないことを漠然と感じていたからではないかと思える。貧しげな宿屋で、自分を零落者に擬そうとしていたのは、自分をどうしようもない落ちこぼれ、ダメな人間として否定しようとしていたのかもしれない。
 シュテルナー〔一般には、シュティルナー〕の「唯一者とその所有」は読んだことがないので孫引きだが、
「完全な自己否定は自由以外の何物でもない」
 ということばに私は納得させられる。自分を締めつけようとする自分を否定する以外に、自分からの解放の方法はないのだと思う。禅では、自我を消滅することによって真の自由が獲得できると説いている。自由とは自分からの自由にほかならない。親鸞の悪人正機説の“悪”の意味も、自己否定と解することによって、他力宗の“自己放下”を理解することができる。
(152-3)

 シュティルナーの『唯一者とその所有』はまだ読めていません。某ほしいものリストには入っているのですが、優先順位がなかなか……。


@研究室
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by no828 | 2012-05-31 15:41 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 05月 30日

物書く人が願うべきことは、「はるか遠い読者」にも届くものを書くことである——内田樹『街場の読書論』

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85(545)内田樹『街場の読書論』太田出版、2012年。


版元 → 


 内田先生の新刊であります。もっとも感銘を受けた部分の引用からはじめます。
 書き手が「自分と同じことを考えている読者」を想定し、彼らの「そうそう」という友好的な頷きを思い浮かべながら書いているとしたら、彼が書いているのは「思想」ではなく、「イデオロギー」である。
 思想とイデオロギーの違いはそこに存する。
〔略〕
 物書く人が願うべきことは、何よりも「はるか遠い読者」にも届くものを書くことである。私はそう信じている。空間的に遠く、時間的にも隔てられた読者が読んでもなおリーダブルであるようなテクストだけが書物の名に値する。
(395-6)

 意識することを心がけたいと思います。ちなみに、小川百合『英国オックスフォードで学ぶということ』(→ )にあった、なぜ本にするのか、というくだりを思い出しました。

「私はこのように思う」という判断を下す瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか? この言明が真であるという根拠を私はどこに見出したのか?」という反省がむくむくと頭をもたげ、ただちに「というような自分の思考そのものに対する問いが有効であるということを予断してよろしいのか?」という「反省の適法性についての反省」がむくむくと頭をもたげ……(以下無限)。
 ということは「すぐ頭のいい人」においては必ず生じるのであるが、ここで「ああ、わかんなくなっちゃった」という牧伸二的判断保留に落ち込まず、「いや、これでいいんだ」と、この無限後退(池谷〔裕二〕さんはこれを「リカージョン」〈recursion〉と呼んでいる)を不毛な繰り返しではなく、生産的なものと感知できる人がいる。
 真に科学的な知性とはそのような人のことである。
(72-3)

〔略〕宗教や哲学や文学などについて論じる場合は〔略〕論文の主題がしばしば「論文を書きつつある主体自身の思考の手続きや文体そのものが歴史的条件や個人的なバイアスによって規定されており、論文を書きつつある主体がみずからのこの被投性を遡及的に問う」という面倒な作業を伴う〔略〕。(281)

 この点を認識している人とそうでない人と、そのあいだの隔たりはなかなかに深いと思います。わたしも十分に認識できているとは思いませんが、少なくともそれに気付いてはいます。認識した、ではなく、気付いた、というレベルだからかもしれませんが、気付いていない人、認識していない人とのコミュニケーションの難しさはかなりあるとの実感があります。十分に認識していれば、そんなこともないかもしれません。逆に、認識している、気付いている人同士では、議論が通じやすいということがあります。そこに甘んじることなく、その隔たりを埋めるほうに知的資源を投じていくことが必要なのかもしれませんが、わたしの「位置」からではそれが難しいとも感じています。

 教師もそうである。教師にほんとうに必要な資質は、子どもたちのうちに、まわりの誰も(本人さえも)認識できない「埋もれた才能」を感知して、それが開花するまでの長い時間を忍耐強く待ち続けることのできる能力だと私は思っている。(183-4)

 「存在するもの」と「存在しないはずのもの」とのあいだ。かなり惹かれるところです。

 でも、いったん「極端」まで行ってから「戻ってきた」人の方が、はじめから「そこ」にいる人よりも、自分がしていることの意味をよく理解しているというのは経験的にはたしかなことです。(241)

 マルクス主義へ人を向かわせる最大の動機は「貧しい人たち、飢えている人たち、収奪されている人たち、社会的不正に耐えている人たち」に対する私たち自身の「疚しさ」です。
 苦しんでいる人たちがいるのに、自分はこんなに「楽な思い」をしているという不公平についての罪の意識が「公正な社会が実現されねばならない」という強い使命感を醸成します。〔略〕世界中のどの国においても、青年たちの成熟のための階梯は「弱く貧しい人々への、共感と憐憫と疚しさ」を経由せざるを得ないということに変わりはないと私は思っています。
(243-5)

 必ずしもこのコンテクストに沿わずにわたしの頭に浮かんだのは、わたしを含め「開発」について考えている人たちでした。そういう人たちにとって、その「疚しさ」とは「戻ってくる」ための「経由」地点、折り返し地点なのか。むしろ、それはかつてどこかにあったものではなく、常に意識しているものではないのか。「マルクス主義」へと直結しない「疚しさ」のありかたとは? ということを考えました。


@研究室
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by no828 | 2012-05-30 14:16 | 人+本=体 | Comments(2)
2012年 05月 27日

こういう性格は往々にして他人を傷つけるし——村上春樹・安西水丸『村上朝日堂の逆襲』

c0131823_144933.jpg84(544)村上春樹・安西水丸『村上朝日堂の逆襲』新潮社(新潮文庫)、1989年。

版元 → 

単行本は1986年に朝日新聞社より刊行。


 エッセイ集。納得した3カ所の引用となります。

 僕はだいたいがこんな風にまわり道をしながら好きなやり方でゴリゴリと押していく性格で、何かに辿りつくまでに時間がかかるし、失敗も数多くする。しかし一度それが身についてしまうと、ちょっとやそっとでは揺るがない。これはべつに自慢して言っているわけではない。こういう性格は往々にして他人を傷つけるし、自分でそのスタイルを矯正しようとしてもなかなか上手くいかないものである。他人に何かを勧められてもだいたい聞き流すし、他人に何かを真剣に勧めるということもあまりない。しかしこんな風に生きてきたんだから今更仕方ないよなと思う。(59)

 わたしもたぶんこういう性格ですから、“そうですよね、「仕方ないよな」ですよね”と思いました。わたしの場合は勧めてくれる「他人」によっては耳を傾けますが、「他人を傷つけるし」というのはやはりあると思いました。

 この〔アメリカの大学の「創作科(クリエイティブ・コース)」という〕システムの良さは生徒がプロの作家と触れあえ、実践的なアドバイスを受けられることと、作家の収入が定安〔ママ。安定?〕することにある。教師としての仕事量はそれほど多くないから、作家は余暇を自分の創作にあてることもできる。こういうシステムが教育手段としてどれくらい有効なのかは僕には判断できないけれど、日本の大学にも少しくらいはこのようなコースがあっても良いのではないかと思う。僕にはとても無理だけれど、教えるのが得意な作家と教わるのが得意な生徒が合体すればそれなりの効果は生まれるはずである。「大学の教室なんかで小説の書き方が学べるものか」という意見はやはり一面的にすぎると思う。人は——とくに若い人々は——あらゆるところから何かを学んでいくものだし、その場所が大学の教室であったとしても何の不都合もないはずである。(109)

 高等教育における「授業」の意義をしばしば考える今日この頃であります。わざわざ同じ時間に同じ場所に集まって同じ人間の話を聞くことの意義は何か、です。たとえば、図書館で本を読んでいてもよいのでは? ということです。授業が“学び”の起動する「あらゆるところ」のひとつだとはもちろん了解していますが、それにしても、と考えてしまいます。学生の前でこういうことを正直に話してみても、なかなか理解してもらえないようです。

 僕がこういうことを言ってもあまり説得力はないかもしれないけれど、我々はそろそろそのような〔アメリカのあの大恐慌のような〕クラッシュ=価値崩壊に備えて自らの洗いなおしにかかるべき時期に至っているのかもしれない。(161)

 価値はどのように論じればよいのか、ということを考えています。答えは出ていません。が、価値は語らざるをえないものである(価値を語らない、はありえない)、ということは前提にしてよいのではないかと考えています。


@研究室

 
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by no828 | 2012-05-27 15:26 | 人+本=体 | Comments(2)
2012年 05月 26日

研究(re-search)てな、〈もう一度探す〉ってことでしょう?——ヴォネガット『猫のゆりかご』

c0131823_15115237.jpg83(543)カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』伊藤典夫訳、早川書房(ハヤカワSF文庫)、1979年。

版元 → 

原著は、Cat's Cradle、1963年に刊行。


 本日2投目。カート・ヴォネガット・ジュニアは3冊目。『国のない男』(→ )、『タイタンの妖女』(→ )に続いてとなります。『猫のゆりかご』は矢作俊彦の『ららら科學の子』(→ )に言及があって、それで読みたくなった本です。ちなみに、cat's cradle には「あやとり」という意味があります。

 彼女は馬鹿だ。そう言うわたしも馬鹿だ。誰であれ、神のみわざがどのようなものか知っていると思う人間は、みんな馬鹿なのだ(とボコノンは書いている)。(21.傍点省略)

「ところで……」ブリード博士は打ちとけた低い声で言った。「どう思うね、わたしたち科学者を? 今までいっしょに仕事してきて、もう——どれくらいになるかな? そろそろ一年だろう?」
科学者って考えすぎるみたい」ふいにミス・ペフコが言った。彼女は白痴的な笑いかたをした。ブリード博士のなれなれしさが、彼女の神経系のヒューズをみんなとばしてしまったのだ。今やまったく無責任だった。「みんな考えすぎだわ」
〔略〕
「そのうちわかるだろうが」とブリード博士が言った。「考える量というのは、みんな同じさ。科学者はある一つの方向に考える。ほかの人たちは、それぞれ違う方向に考えるんだ
(47)

みんな研究研究というが、やってる人間は、この国にはまずいない。その点、ここは純粋研究にたずさわる科学者を本当に雇う数少ない会社の一つだよ。ほかのたいていの会社でも研究だなどとうそぶいてるが、どうせ白服のやくざ技術者が、ハンドブックを見ながら、来年のオールズモビルの改良型ウィンドウ・ワイパーをこしらえてるくらいのものだ」
「ここでは……?」
「ここと、この国では驚いたことだが、あとたった二、三カ所だな、知識を増やすことに、少なくともその状態をめざすことに、金が支払われているのは」
「寛大ですね、ジェネラル金属は」
「寛大とかそういうことじゃないんだ。新しい知識は、地上でもっとも高価な日用品だよ。関わり知る真実が増えるほど、われわれは豊かになる
 当時ボコノン教徒だったなら、その言葉にわたしは咆哮しただろう。
(54)

「わしゃ言ったんだ。“ここは、研究所〔リサーチ・ラボラトリ〕だねえ。研究(re-search)てな、〈もう一度探す〉ってことでしょう? ってことは、むかし一度見つけたものをまた探してるんだねえ。どういうわけかそれがなくなっちゃって、今それを探しなおしてるわけだねえ。〔略〕”」(70-1)

「いろんなことを書いたわ。動転していたから。アメリカ人は、別の立場に立つ、別の立場に立ってそれを誇りに思うということがわからないの。それに気がついて」
「なるほど」
「ところが、忠誠審査局の審問では、一つの文章にばかりこだわるんですよ」ミントンはため息をついた。「“アメリカ人は”」とミントンは、タイムズにのった妻の投書を引用した、「“ありえない愛のかたちを、それがあるはずのない場所で永遠に捜し求めているのです。消えた辺境〔フロンティア〕と、それは何か関係があるのかもしれません”」〔略〕「アメリカの外交政策は、愛を空想するよりも、まず憎悪を認めるべきだとクレアは言おうとしたのです
(107-8)

「成熟というのは自分の限界を知ることだ、とぼくは思う」
 成熟の定義においては、彼はボコノンからそれほど遠くないところにいた。ボコノンはこう言っている、「成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものを強いてあげるとすれば、笑いだろう
(204)


@研究室
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by no828 | 2012-05-26 15:45 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 05月 26日

バタバタ、バタッ

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 昨日の東京の行き先はここ。1限の講義をし、研究室に行き、最終チェックをし、印刷をし、コピーをし、駅に行き、ということで15時頃に到着しました。某申請書類を提出してきました。書類とは、右上の角を三角に黒く塗りつぶすという、あれのことです。学内には「ソフィアン」という文字が看板に踊っていました。“俺は「ソフィアン」は「ソフィアン」でも「フィロソフィアン」だぞ、負けないぞ”と言い聞かせながらキャンパス内を歩きました(そうしないとソフィアンの波に呑まれそうだったから。休み時間とぶつかったのか、とにかく学生の数がすごかった)。


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 提出後、15時30分になっていましたが、大学近くの支那そば屋で遅いお昼。Kうや、です(食べログ → )。M井ガーデンホテルの裏にあります。


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 雲呑麺(ワンタンめん)900円をお願いしました。雲呑は肉団子のようにぎゅぎゅっと詰まっていて、ものすごく食べ応えがありました。お腹いっぱいになりました。900円も納得です。味は全体的にかなりあっさりです。食べながら、卒業旅行で友だちと行った中国四川省は西昌の朝に食べた麺を思い出しました。寝台列車で辿り着き、現地で働く日本の方に連れられて行った駅の近くのお店で食べました。ものすごくシンプルでしたが、ものすごくおいしかったです。看板にもあった「支那麺」の意味を、そういうふうに捉えました。



 昨夜は21時頃には寝てしまいました。


@研究室
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by no828 | 2012-05-26 15:02 | 日日 | Comments(0)
2012年 05月 24日

思い入れを分析することはできない——村上春樹『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』

c0131823_1514691.jpg82(542)村上春樹『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』中央公論社(中公文庫)、1991年。

版元 → 

単行本は1988年にTBSブリタニカより刊行。


 村上春樹は「あとがき」において、自分は今38歳だけれど、その38歳のときにフィッツジェラルドは何をしていたのか——と書いています。これはフィッツジェラルドの人生をたどった本です。起伏の激しい人生であったのだなと思いました。後年、金欲しさのやっつけ仕事(pot-boiler)もしていたようです。

しかし毒舌家ドロシー・パーカーがいみじくも指摘したように、スコット・フィッツジェラルドはひどい短篇を書くことはできたが、ひどく書くことはできなかった。(Although he could write a bad story, but he could not write badly)。どんな二級品の作品の中にも必ず一級の部分があるし、一級の趣きがあるし、何はともあれ読ませる。文章は華麗だし、その把握力は強力である。(192)


 小説を分析することはできても、思い入れを分析することはできない。十年前に初めて『夜はやさし』を読んだ時から今日にまで至るまで、二年に一度はこの小説を読みかえしてきたのだが、その思い入れはいささかも変わらない。しかし読み方自体は微妙に変化している。(130)


 わたしが——村上春樹のように、あるいはそれに負けないくらい——フィッツジェラルドがとても好きであれば、もっと読み込めたかもしれません。


@研究室
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by no828 | 2012-05-24 15:18 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 05月 23日

外国文学者とは、外国文学と者との違和感とをたえず意識している人間なのだと思った——遠藤周作『留学』

c0131823_14262188.jpg81(541)遠藤周作『留学』新潮社(新潮文庫)、1968年。

版元 → 

単行本は1965年に同社より刊行。


 3章構成ですが、量的には非常にバランスが“悪い”本です。第1章「ルーアンの夏」が40ページ弱、第2章「留学生」が15ページ程度、そして第3章「爾も、また」が250ページくらい。

 いずれも“フランスへ留学した日本人”が主題となっています。遠藤自身も、1950年にカトリックの留学生としてフランスへ渡った経験があります。第1章はそれが基になっているようです。第2章は17世紀、日本最初のヨーロッパへの留学生という設定。洗礼を受けていたからこそ可能であった留学でした。第3章は(おそらく)戦後、カトリック教徒ではなくフランス文学者・大学講師のお話です。

 宗教の「押しつけ」の問題、「外国文学者」の自己承認の問題、など。個人的には、とくに第3章に自分を見たりもしました。教育学の分野においても、思想史(哲学ではない)などで人物研究をしている人、外国研究をしている人は、この3章をどう読むのかな、と思いました。

 選ぶな。一つの立場を選ぶな。選べばお前はその角度でしか人生を眺められなくなる。(「ルーアンの夏」30)

 禁制を知りながら、外人宣教師たちは次々と日本に密航してくる。彼等には日本を基督教国にしようとする烈しい夢があり、死をも辞さぬ英雄主義にかられている。しかし、彼等と共に巻添えをくう貧しい農民信徒たちはどうすればいいのか。
 宣教師たちは信徒たちに殉教の夢を強いている。殉教を期待している。殉教だけが今は神につながる道であり、もし、それを拒むのは、神を裏切ることだと考えている。だが、そんな苛酷な道しか信仰にはないのか、これが荒木の理屈だった。
 その時、彼は、宣教師たちの理想に引きずられている日本信徒たちの姿と、ローマ時代の自分の姿とを重ねあわせた。皆の夢にあわせて背伸びをしたため身動きのとれなくなった自分の留学生活を思い、荒木はこう言いたかった。
もう沢山だ。放っておいてくれ。日本人にあなたたちの考えを押しつけないでくれ
(「留学生」57-8)


「よくないね。大体、外国文学者というのは何者だね。一体お前さんたちと文学との間には、どんな関係が成立しとるのかね。小説家のように、切っても切れない関係があると言うのかね。お前さんたちは、要するに他人のフンドシで角力をとってるだけじゃねえか。あるいは、君らは無責任な解説者とも言えるな」
〔略〕
「要するに、ぼくらが何も作品を創れないということですか」
創らない者に、創る者の哀しみや苦しさがわかると言うことだよ
(「爾も、また」101)

「君たちはヴァレリイを訳する。すると、君たちはまるで自分がヴァレリイと同じ一流の人間だという気分になっている。カミュはこう言った。サルトルはこう言っている。そして自分もそれと同じ意見であるかのような物の言い方をする。外国文学者のエッセイにはいつもその臭いが鼻につくんだ。しかし、外国文学者はカミュじゃない。ヴァレリイじゃない。外国文学者の頭脳はそんな一流の芸術家並みじゃない」(「爾も、また」178)

一体何なんだろう外国文学者とは
〔略〕同僚や先輩の顔を一人一人、思いうかべて彼等と自分とが日本にいる時、一度もこの根本問題について議論したことがなかったのに今、田中は気がついた。
 同僚や先輩たちはまるでこの問題について論ずるに足りぬもののように全く無関心だった。黙殺するというよりは、ひょっとするとわざと眼をつぶっていたのかもしれない。眼をつぶらなければ外国文学の研究は成立しないからだろう。
〔略〕
 しかし外国文学者が自分を語る方法が一つある。それは彼が外国の数多くの文学者から誰を選んで研究の対象にしたかという点だ。ヴァレリイを半生の研究対象として選んだ一人の仏文学者は、ヴァレリイを選んだということによって、自分を語っている。
(すると俺はサドを選んだのだけれど、それは何のためだったのだろう)
〔略〕
 選ぶということがすべてを決定するのではない。人生におけるすべての人間関係と同じように、我々は自分が選んだ者によって苦しまされたり、相手との対立で自分を少しずつ発見していくものだ。現に俺はサドをこの国で研究していくにしたがって、サドが自分とはほとんど関係のないことに苦しみはじめているんじゃないか。
〔略〕
 そう。外国文学者とは、外国文学と者(自分)との違和感とを〔ママ〕たえず意識している人間なのだと思った。自分と全く異質で、自分と全く対立する一人の外国作家を眼の前におき、自分とこの相手とのどうにもならぬ精神的な距離と劣者としての自分のみじめさをたっぷり味わい、しかも尚その距離と格闘しつづける者を外国文学者とよぶのだ。サドは俺ではない。俺はサドのように偉大ではない。サドと俺とは私生活でも精神の上でもあまりに隔たった人間だ。だから俺はサドを選び研究する甲斐があるのだろう。
(「爾も、また」226-9.傍点省略)


朝、八時に眼をさますと、すぐ洗面をして、自分の部屋で朝飯がわりに麵麭〔パン〕を齧る。バケットとよぶこの長い仏蘭西麵麭は二日もたつとすぐ固くひからびた。そのひからびた麵麭を彼は時には水道の水で咽喉に流しこむこともある。それからクレベールの地下鉄にのってリシュリュー街でおり、国立図書館に出かけた。体が疲れている時は図書館の近くにあるキャフェで、濃い珈琲を一杯、飲むこともあった。水曜日と金曜日の午後はソルボンヌ大学にバディ教授の講義をききにいく以外は、六時まで彼はこの図書館の中でサド研究にとり組んだ。夕方、閲覧室の広間でみんなが帰り支度をはじめる頃、彼も、風呂敷の中にノートや辞書を入れ、顔を刺す、乾燥した冷気のぶつかる外に出た。それからソルボンヌのすぐ近くにある学生食堂で、若い連中と一緒に並び、うす肉や馬鈴薯のスープの皿を載せたアルミ盆をかかえて片隅で一人で晩飯を食う。陰気な表情をしたこの日本人には話好きの仏蘭西学生たちも、ほとんど声をかけない。ホテルにたどりつくと、彼は長い間、ベッドにひっくりかえって、雨の染みのついた天井をじっと眺めていることもあった。起きあがって、日本の家族や友人に手紙を書く。下着や靴下を馴れぬ手つきで洗濯し、それを、あまり暖房のきかないスチームの上に干す時はわびしかった。妻の喜久栄や学生たちが、こんな風に夜遅く洗濯をしている自分の姿を見たら何と言うだろうと思った。日本に送る手紙には田中は決して、自分のこんなみっともない姿を書かなかった。あの飛行郵便のうすい紙のなかでは、彼はやはり外国文学者で仏文科の講師としてのポーズをとらねばならなかった。しかし、本当の自分の留学生活の姿は、夜ふけ、この一人ぽっちのホテルで、猿股や靴下をスチームに並べている状態なのだと彼は手を動かすのをやめてぼんやり考えるのだった。(「爾も、また」167-8)

 最後に長らく引用したのは、“研究者の生活”に敷衍できる内容だと思ったからです。こんな地味で地道な生活だからです。しかし、たとえば非常勤で出かけていく講義のときに、そんな「地味で地道な生活」、そのなかでもとくに「地味で地道な」部分、田中で言えば「こんな風に夜遅く洗濯をしている自分の姿」などは、なかなか語ろうとは思いません。


@研究室
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by no828 | 2012-05-23 15:24 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 05月 20日

受苦ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される——多田富雄『寡黙なる巨人』

c0131823_143439.jpg80(540)多田富雄『寡黙なる巨人』集英社(集英社文庫)、2010年。

版元 → 

単行本は2007年に同社より刊行。


 著者は免疫学者。2001年に脳梗塞で声を失い、右半身不随となりました。2010年4月、死去。まだご存命だとばかり思っていました。この本の著者紹介欄に「10年4月没」とあって、とても驚くとともに、とても残念な気持ちになりました。

 倒れたあとのリハビリの様子も描かれていました。わたしは今年度も後期にリハビリの専門職を育成する専門学校で「教育学」を講じる予定です(この学校は理学療法と作業療法の2学科編成で、言語聴覚はありません。著者は言語聴覚士の養成が不十分だと本書で書いていました。ちなみに「教育学」は作業療法のみ)。授業のときにも紹介したいと思います。

2012年5月23日追記:アパートの本棚に、多田富雄・柳澤桂子『往復書簡 いのちへの対話——露の身ながら』(集英社文庫、2008年)がありました。読んでいました(→ )。当時、多田さんはまだご存命で、そのイメージをわたしはつい先日まで抱いていたのだと思います。

 社会学者の鶴見和子さんは脳出血で倒れたとき、まず自分の蔵書を図書館に寄付し、身軽になって療養に専念する覚悟をしたという。そんなことは私にはできそうもない。心はうろたえるばかりで何も行動にならない。受容することの難しい病気だ。私はうじうじと考えもだえた。(27)

 もう五日もたつのに、私は飲まず食わずで、すべては鼻から通した経管栄養で補われていた。〔略〕
 しかし、何も食べなくても糞〔ふん〕は出る。まるで私はチューブで栄養を入れられて排泄物にする、糞便製造機のようではないか。〔略〕
 何もしないでベッドに寝ているだけで、ものも食わずに糞をためている。排泄するのも人工的にする。それは文字通り糞便製造機になってしまったようなものだと、私は自嘲した。
(29-31)

 私はしゃべれないにもかかわらず、トーキングマシンでこっけいなことばかりいうので、私の病室はいつも笑い声が絶えなかった。私は看護師たちの人気者だった。それに大勢の見舞い客に囲まれ、一見楽しいときが流れているように見えたに違いない。しかし見舞い客がいっせいに帰ってしまうと、静かになった病室は、海藻に囲まれた海の底のようだった。私は水草の陰からじっと目を凝らしている深海魚のように、孤独だった。去るものは日々に疎しかと、私は自嘲した。そうだろう。しゃべることができない私なんて、きっと退屈以外の何ものでもないだろう。(36)

 誰かに起こりうることは自分にも起こる。突然の不幸に苦悩し、絶望して一時は自死まで考えたが、今ではせっせとリハビリに通っている。(122)

 元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日の予定に忙殺され、そんなことは忘れていただけだ。発作はその延長線上にあった。
 それが死線を越えた今では、生きることに精いっぱいだ。もとの体には戻らないが、毎日のリハビリ訓練を待つ心がある。体は回復しないが、生命は回復しているという思いが私にはある。いや、体だって、生死を彷徨っていたころに比べれば少しはよくなっている。
(123)

 受苦ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される。私はそれを本能的に免れるためにがんばっているのである。(128)

 患者、つまりペイシェントとは、耐える者、待つ者の意味である。だから待つのはやむを得ないと、患者も病院も思っているらしい。しかし、度を過ぎた待たせ方は患者の人権にかかわる。(150)

 もしこのごろの若者に愛国心が欠如しているというのなら、愛すべき日本の伝統や文化が失われている証拠ではないかと疑うべきである。それこそ大人たちが、反省すべき点である。愛国心教育より、日本文化の立て直しのほうが大切である。(163)

 私は感動しながら聞いたが、ついでに意地悪な質問をした。それは私自身はっきりと答えられないことだったし、アフリカで蠅の浮いているスープを平気で飲んでいた、ヨーロッパから来たNGOの青年にも尋ねたことである。なぜ、こんな悪条件のここにいるのか。なぜ、このような困難な仕事をしているのか。
〔略〕
 誰かのために何かをするのではない。病んでいるのは自分だ。相手の生命が回復するのを見て、自分も生命を回復させられることに感謝しなければ、NGOなど務まらない。久しぶりに届いたS君の手紙に、私の病んだ心まで洗われるような気がして、彼のユーレカに乾杯した。
(119-20)


@研究室
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by no828 | 2012-05-20 14:43 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 05月 19日

いいものを読むことは書くことよ——恩田陸『三月は深き紅の淵を』

c0131823_19362774.png79(539)恩田陸『三月は深き紅の淵を』講談社(講談社文庫)、2001年。

版元 → 

単行本は1997年に同社より刊行。


 昨日紹介しました、恩田『麦の海に沈む果実』(→ )の伏線になっている本です。『三月は深き紅の淵を』という本が『麦の』には出てくるわけですが、『三月は』にも出てきます。自己言及的な内容になっています、というより、なっていきます。不思議な構成の本です。

「今の若い人って、本読むのかなあ?」
〔略〕
「僕の知ってる範囲じゃ両極端ですね。読む人はマニアックなまでに読む。読まない人は読まない」
「やっぱりねえ。うちの学生見てても、読んでないですもんね。だいたい顔見ると見当がつく。本いっぱい読んでる学生は、なんといいますか、目と目の間の奥の方にぎっしり何かが詰まってるような顔してる。でも読んでない学生は、目と目の間の色が薄くって、スカッとした感じなんですねえ
(95)

「こうやって、今までの人生で読んできた本がずらりと並んでるっていうの、羨ましいですね。〔略〕生まれて初めて開いた絵本から順番に、自分が今まで読んできた本を全部見られたらなあ、って思うことありませんか? 雑誌やなんかも全部。〔略〕そういう図書館が一人一人になって、他人の読書ヒストリーをのぞくっていうのも面白いだろうなあ」(89-90)

記憶の中にある本、かつて読んだ本ぐらい面白いものはないからね(99)

いいものを読むことは書くことよ。うんといい小説を読むとね、行間の奥の方に、自分がいつか書くはずのもう一つの小説が見えるような気がすることってない? それが見えると、あたし、ああ、あたしも読みながら書いてるんだなあって思う。逆に、そういう小説が透けて見える小説が、あたしにとってはいい小説なのよね」(161)

 これは学術書や論文にもあるような気がします。わたしに、“おまえはこれを考えなくてはいけない、書かなくてはいけない”と命じてくるような文章に、たまに出会います。

 おまけ。
「そうね、ヒーローっていうのはそれ自体で完結してるから、他者の存在の介入をあまり必要としないじゃない? 女から見ると、勝手に一人でハードボイルドしてればっ、って気分になるのよね。女ってのは相手を通して自分を見てるようなところがあるから、相手の欠落を埋めたい、必要とされたいって願望が第一なのよ。要するに自尊心なんだけどさ。相手を崇拝したい、憧れたいっていうのはせいぜい十八歳くらいまでじゃないかしら?」(64)


@研究室
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by no828 | 2012-05-19 19:56 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 05月 18日

知っていれば人は寛大になれるもの——恩田陸『麦の海に沈む果実』

 今日は金曜ですが、たまたま講義がなく、朝から研究室に来ています。


c0131823_14554571.png78(538)恩田陸『麦の海に沈む果実』講談社(講談社文庫)、2004年。

版元 → 

単行本は2000年に同社より刊行。


 学園の図書室から消えた1冊の本をめぐる生徒(と校長)の物語。その1冊の本の題名は『三月は深き紅の淵を』。同名の小説が恩田陸によって書かれ、本書『麦の』よりも先に刊行されています(版元 → )。図らずもわたしは、『麦の』を先に読み、そのあとに『三月は』を読むことになりました。どちらも読んだ感想としては、この逆転の順番でよかったかもしれない、でした。

 ちなみに、本書の学園のある場所は、北海道の釧路湿原付近を予想させるものでした。不可思議な学園で、こんな学校は実際にもあるのかな、と思いました。

 なお、このブログ内での恩田陸は『夜のピクニック』(→ )に続いて2冊目のようです。『夜の』についてエントリした日は『BRUTUS』を買ったようですが、『麦の』をエントリする今日は、図らずも『BRUTUS Casa』を買っていました。『Casa』は収納特集です。本棚についても触れられているようなので、これは、ということであります。

「そう。人間、未知のものに対しては不安になる。腹を立てる。疑い深くなる。心が狭くなる。例えば、君が今電車に乗っているとする。ところが、突然駅と駅の間で電車が止まってしまった。そのまま電車はずっと止まっている。君はどう思う? 不安になるね。そのうち、いらいらして怒りだすだろう。これはなんの不安、なんの怒りだと思う? 情報がないことに対する不安と怒りなんだ。人間が異性に対して不安や怒りを覚えるのも、自分の中に相手の情報がないこと、理解できないことに対してなのさ。それを解消するには、体験してみるしかないだろう。知っていれば人は寛大になれるもの。私は全てのカードが自分の手の内にないと嫌なタイプなのでね」(293)

 というのは、男女両装の校長の言葉です。

「こういう場合、男は恋人を刺すのに女は新しい女の方を刺すよね。どうしてだろ」
 聖が不思議そうに呟いた。
男は恋人に裏切られたと思うから恋人を刺すのよ。女は恋人を取られたと思うから新しい女を刺すの
 憂理はすぱっと答える。
「さすがに女優は経験豊富だね」
「役の数だけはね」
(337)

 これも、「体験してみるしかない」のひとつの例でしょうか。

 本を読むことのひとつの“効能”も、あるいはそこにあるのかもしれません。さまざまな考え方に(前もって)触れておく——「想像力」とは、いきなり育つものではなく、そういう土壌があってこそ、なのかもしれません。つまり、どれほどの数の物語に没入してきたか。ここから、では「教育」の在り方とは、ということを少しばかり考えたりもします。


@研究室
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by no828 | 2012-05-18 15:26 | 人+本=体 | Comments(0)