思索の森と空の群青

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2012年 12月 31日

実家なう 福島なう

c0131823_1814957.jpg 2012-2013の年末年始はとくに論文締切に追い立てられていないため、帰省することにしました。その日は雨でした。

 この年末年始の時期のバスの運行は不規則になります。バス会社のウェブサイトに赴いたところ、土日祝日ダイヤで運行とあり、時刻表も確認しました。が、疑いも晴れなかったので、最寄のバス停には早めに行くようにしました。すると案の定、特別ダイヤの張り紙というか掛け紙があり、そこにはウェブ上に掲載されていた時刻表とは別の、しかもそれよりも本数の少ないバージョンが存在していました。バス停に着いたほんのちょっと前くらいにそこを通過するバスは、その年末年始特別即物バージョンにおいても運よく走っていましたが、あるいは行ってしまったかもしれない、という不安と、その次の便が40分後であることによる降雨のなかの絶望にも打ちひしがれました。しかし、遅延の可能性もある、と思いなおし、5分ほどそこにとどまっていました。すると、目的地へ向かうバスが来たのでした。

 T浦駅に着き、「Mどりの窓口」で片道切符を買いました。往復で買っても安くならない、というよくわからない仕組みでした(往復割引があるのは一定距離以上の新幹線だけでしょうか)。それからお土産コーナーに行ったのですが、移動4時間30分に耐えられる比較的おいしそうな生菓子はなく、今回はあきらめることにしました(おいしそうじゃなくても「お土産がある」というかたちが大事である、という考えはあまり好きではありません)。「Dトール」へ行き、コーヒーを飲みながら昨年いただいたぶんの年賀状を書きました(ここは以前「Eクセルシオール」でした。→ )。駅前のポストへ投函し、少し早い年越し蕎麦をお昼に食べました。列車は下り12時33分発。(いつも思うのですが、TXができてからはなおさらですが、TくばからT浦へ移動し、しかも北上することの寂寥というものをわたしは誰かと分かち合いたいです。)

 小旅行のお伴はオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』など。いずれ紹介します。ことのついでに書いておきますと、今年ぶんのレビューが15冊ほどまだぜんぜん終わっていません。来年はこの今年ぶんを引きずったのちに、新たなに来年ぶんをはじめたいと考えています、というか、そうせざるをえません。

 実家に着いても、小雨がぱらついていました。雪ではない、というのが意外ですが、今日は雪です。ほとんど積もっていませんが、雪を見ると“年末年始の実家”という気がします。あとは「回覧板」を見ると、“実家”という気がします。メールでよいのでは? というのは行きすぎかもしれませんが、せめて一斉投函でもよいのでは? という気がします。わたしはこういう隣近所の「監視」のある共同体が好きではありません。ちなみにこの共同体は、“長男の結婚式には同じ共同体内の家長夫婦とその長男を招待する”という、わたしからすればまったくもって理解することのできない慣習が続いています。これを避けるには、挙式は最低でも都内、できれば海外、という方法しかないようです。もちろん、挙式自体をしない、という選択肢もあります。

 弟2人が実家の近く(隣接市)に住みますし、とくにすぐ下の弟はおそらく遠くへ行くことはないと思われますので、実家のことは2人に任せようかな、任せざるをえないな、というのが、「研究者」として生きていくわたしの思いです。親からは「F大はどうか?」と言われますが、そもそも公募自体が出ていませんので、無理でしょう。以前、県内某短大の公募に応募したら、返事すらもらえませんでした。出来レースであったと、後から教えてもらいました。

 就職は1番下から、ということが実現し(てしまっ)たのですが、それに加えて結婚も、というのが、わずかではありますが現実味を帯びてきました。あるいは結婚は3→1→2、という可能性もそれほど低くはないような気もしますが……よい縁があったら大事にしなさい、弟たちよ。


@福島
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by no828 | 2012-12-31 18:54 | 日日 | Comments(0)
2012年 12月 30日

「箱根駅伝缶」第2弾(第1弾はいつ現われてどこへ消えたのか)

c0131823_18575151.jpgサッポロ生ビール 黒ラベル「箱根駅伝缶」第2弾

醸造元 → 


 ようやく見つけました。大学の近くのSブンイレブンにて(何てことだ)。普段コンビニにほとんど行かないわたしは、こういうときに気づけない。しかし、どうしてスーパーや酒屋には置いていないのでしょうか(置くべきである、という反語疑問です)。第1弾は、そういうわけで手に入れられませんでした。残念。去年も同じことを書いている気がします(→ 

 中身は「黒ラベル」と一緒です。しかし、コンビニだからかもしれませんが、普通の「黒ラベル」よりも少し(20円くらいかな)高いです。


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 教えに行っている短大の系列大学(親大学?)が出場するようですので(← 知らなかったのです)、職務上の要請により、応援します。


@福島
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by no828 | 2012-12-30 19:12 | ビール | Comments(0)
2012年 12月 29日

アリバイじゃなくて、バイバイだ——法月綸太郎『パズル崩壊』

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法月綸太郎『パズル崩壊』集英社(集英社文庫)、1999年。180(640)

版元 → 

単行本は1996年に同社より刊行。


 法月綸太郎(のりづき りんたろう)のミステリ短篇集。最近続けて読みました。ちょうどよい負荷です。

 A地点の不在証明は非A地点の存在証明になる、という当たり前のことを思いました。以前に1度、あるセミナーで「アリバイ」を付したタイトルで発表したことがあります。それもあって引っかかったのだと思います。
現場不在証明というより、現世不在証明じゃないか。アリバイじゃなくて、バイバイだ(178.「シャドウ・ワーク」)


 311以降、原爆・原発関係の叙述に目が止まるようになりました。311以前に作品のなかで、しかも本筋とは少し外れたところで、原爆・原発について触れたことのある人の意識は、311以降どのように変化したのかしなかったのか、少し気になります。
「あたしは、昭和二十年の十一月に生まれた。母親の実家の下関で。それは知ってたわね。でも、母の嫁ぎ先が広島の片田舎だったことは話したかしら。母は終戦の直後まで、そこにいたの」
「——広島に?」
「そう。原爆が落ちた時も。母の嫁いだ先は爆心地から遠くて、直接の被害はもちろん、被爆者の認定を受けるような症状も出なかったらしいけど、確かなことはわからない。いいえ、きっと放射能の影響を受けたはずよ
(273-4.「カット・アウト」)。


@研究室
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by no828 | 2012-12-29 18:08 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 12月 28日

とにかく、本の周辺にいたかった——目黒考二『本の雑誌風雲録』

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目黒考二『本の雑誌風雲録』本の雑誌社、1985年。179(639)

版元 →  ただし、新装改訂版。


 昨日紹介した『本の雑誌血風録』(→ )の姉妹編、しかも姉のほうなのが本書です。『本の雑誌血風録』はなぜか朝日新聞社による出版でしたが、本書は本の雑誌社から出ています。

 本書で焦点が当てられているのは、『本の雑誌』の、主に大学生からなる配本部隊です。今はもうこの配本の仕方はしていないのかもしれませんが、当時は都内近郊の本屋さんに大学生が『本の雑誌』を配って歩いたのだそうです。

 著者のお父さんの様子も描かれているのですが、それがとても印象に残っています。印刷会社(たしか)を営まれていたのですが、仕事が終わった夜は自分で外国語の文献を辞書を引きながら読む、本はいくら買ってもいい、「ちょっと買いすぎだぞ」と少年時代の著者が言われたのは、当日の平均月給の2倍の金額を本に投じたときだけだそうです。

「本の雑誌」初期方針に、無理をしない、頭を下げない、威張らない、という冗談半分の3原則があったが、半分は本気だった。(37)

〔略〕必要以上に「すみません、すみません」と頭を下げてくる学生もいたが、それも怒った。聞いてみると、事情もわからず、ただ頭を下げればいいと思ったのである。彼にとって頭を下げたのは、そのほうが問題の本質を理解するより楽だったからで、そういう態度は腹が立った。(189)


 大学を卒業するころには、ぼくの部屋には3000冊の本があった。買い始めて3年である。このペースで買っていくといったいどうなるのだろう、と考えないでもなかったが、それよりも自分の仕事を決めるほうが先決だった。〔略〕
 とにかく、本の周辺にいたかった。出来れば働かず、本を読むだけで生活していければいちばんよかった。どうしてこんなふうになってしまったのか、自分でもわからなかったが、なってしまったものは仕方がない。〔略〕
 ずっとあとになって、そのころ考えていたことを椎名誠に話したことがある。日本読書株式会社、というのをぼくは考えていた。
 まず5階建のビルだ。1階にはミステリー課、SF課がある。2階には児童文学課と自然科学課、3階は全フロアが歴史課で、歴史小説から各国の歴史担当までいくつものセクションに分かれている。4階が日本文学課と海外文学課。それぞれが古典と現代のセクションを持つ。ぼくは5階は社長室だ。
 1階のミステリー課日本班を覗いて、「きょう、なんか面白いやつ、あるかい?」と尋ね、課員の推すミステリーを社長室に持って帰って夕方まで読み、退社時には「20世紀初頭のモンゴルの風俗を描いた本が読みたいんだけど」と歴史課アジア班に寄る。そんな生活を思い描いていた。
 課員は毎日せっせと本を読み、どんどんカード化していく。客は会員制だ。電話がかかってくると会員番号を名乗ってもらい、相談を受けつける。
(156-8)

 文章を書くという作業はつらく、それよりも本を読んでいたほうがはるかにいい。そして読むよりも、あるいは「見る」ほうが自分は好きなのではないか、とぼくは思う。
 たとえば、自分の書棚を整理するのが好きだ。読んでいない本が多いので、「へー、こんな本があった」と時々驚いたりする。誰のエッセイだったか忘れてしまったが、突然必要になった本が振り向くと自分の本棚にちゃんとあるのが理想である、と書いてあるのを読んで以来、懐に余裕がある限り、たとえすぐは読まない本でも関心のある本はどんどん買うようにしている。必要になってからその本を買いに行くようではダメだと言うのだ。従ってぼくの本棚には読んでない〔ママ〕本が結構多い。しかし、そのときは興味をひかれて買った本であるから、久しぶりに対面すると「これは面白そうな本だな」と感激してしまう。日曜日など、自分の本棚の前に坐り込み、ただそれだけで数時間過ごしてしまうことがよくある。
(159)

 本を読むことより、まず本のそばにいることが好きなのだ。どんな本であっても、本は何かを語りかけてくる。それに耳を傾けることが好きなのかもしれない。(161)

 わたしも、古本(しかもとくに105円)でではありますが、「関係するかも」とわずかにでも思った本は、どんどん買うようにしています。読んでいない本が本棚にある、というのは、わたしにとってストレスではあるのですが、「買っておいてよかった」と思うときもときどきあります。

 ちなみに「北上次郎」という文芸評論家がいますが、わたしも本の「解説」でよく見かけますが、それは目黒考二のペンネームだそうです。この情報は、椎名誠『本の雑誌血風録』に書いてありました。


@研究室
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by no828 | 2012-12-28 16:03 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 12月 27日

“具体的”ということは、考えることの責任をあきらかにする、ということ——椎名誠『本の雑誌血風録』

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椎名誠『本の雑誌血風録』朝日新聞社、1997年。178(638)

版元 →  ただし、品切再販未定。

文庫 → 


 K祥寺の古本屋(たぶん)で入手しました。T川遠征講義が11月よりはじまっておりまして、また、買い物の必要性もありまして、K祥寺に降り立ったわけであります。

 『本の雑誌』という名前の本に関する雑誌について知ったのは最近であります。神保町特集が組まれた2012年11月号(→ )を購入し、その勢いで『古本の雑誌』(→ )も買いました。


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 椎名誠の本は、その自伝的小説のみを読んできました。本書もまた、椎名が目黒考二(明日『本の雑誌風雲録』を紹介します(たぶん))らとともに立ち上げた「本の雑誌社」にまつわるお話です。当初は目黒の極私的ブック・レビューを目黒(← 地名ではない)周辺の人物に配布していたものが、だんだんと読者を獲得していくことにより、じゃあ雑誌にして売ろう、ということになったようです。

 本の雑誌社設立の(少なくとも)はじめには、作家の群ようこ(木原ひろみ)が社員として働いていたと書いてあります。読んだことのある群の作品は数冊にとどまると思いますが、O野が“実家にあったから一時期集中的に読んだ”と話していたことを思い出しました。

 目黒 誰が何を書くのか、ということになって、はじめて椎名やおれの考えていることを聞かれたんだ。“具体的”ということは、つまり考えることの責任をあきらかにする、ということなんだね。
 木村〔晋介〕 ふむ。
 椎名 で、結局は目黒、本多、椎名を中心とした周囲の友人で、本に特別な興味をもっている人の寄稿を求めるということになった。そしてその時、あとあとになってみると非常に重要なポイントになることを目黒が強調したんだ。そのひとつは原稿を書いてもらっても原稿料は貰わない、ということ。
 木村 貰わない?
 椎名 同人雑誌は原稿を書いた人がお金を払うからね。つまり商業誌とは逆で原稿を書いた人が払う訳だ。しかし目黒は絶対にそれはいやだと言った。商業誌のように原稿料は払えないけれど、しかし書いた人から貰わない。これはゴマメの歯ぎしりではあるけれど、よく考えたらとっても大きなことだったんだ。
 木村 つまり編集権だな。
(98)


@研究室
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by no828 | 2012-12-27 15:45 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 12月 26日

遅ればせながらぴかるの結婚式・披露宴

c0131823_14283653.jpg ぴかるの結婚式・披露宴は11月18日(日)でした。それからすでに1カ月を経過していますが……。
 10時30分C山荘に集合、ということで、E戸川橋駅下車。誰が来られるのか把握しきれていなかったのですが、いわゆるいつものメンバーが集まりました。T湾から来日したMはなぜかゴルフ・バッグを抱えていました(こっちで買ったらしい)。海外組が多く、KとDとSの3人が残念ながら欠席(披露宴の最中、KとDの電報が紹介され、Sがニューヨークから電話参戦しました)。


c0131823_14294929.jpg C山荘と言えば、Kの式・宴もそこでした(→ )。そのときのぴか様は、敷地内の庭が大変気に入られたようで、空き時間に「俺ちょっと庭見てくるわ」とひとり庭園探索に出かけていきました。今回招待状に「C山荘」と印字されていたのを見て、さもありなん! とわたしはひとり膝を打ったのでした。
 17日は大変な雨でした。わたしは「明日は晴れるといいな」と思いながら、雨のなかを(本来は出席する予定のなかった)研究会へ出るために都内某省まで出かけていきました。ちなみに「本来出席する予定のなかった」というのは、発表者を知る前のことで、というのもこの17日まで遠征すると土日月火と4日連続TXの刑に処せられることになるからでした。結局、わたしは勇んでこの刑に服したわけであります。
 で。
 18日は晴天に恵まれ、陽射しが暑いくらいに感じました。「晴れてよかったよね」とみんなで言いました。


c0131823_14301173.jpg 年下新婦のSさんとは職場で出会ったそうですが、といってもいわゆる職場恋愛に該当するものではなく、ぴか様の職場に保険の営業で来ていたのがSさんであったそうです。そういう出会いかたもあるのかと思いましたが、友人たちの話では保険のかたが職場に来ることは一般的だそうです(ただし、平均年齢は高め)。わたしにはうまくイメージできないことですが、研究中に来られたら「あ」に濁点を付したような声を出してしまうかもしれません。
 披露宴会場は、後ろにオープン・キッチン(?)が設えられていました。ガラスの向こうで料理人のみなさんが仕事をしているのがずっと見えていました。フライパンのお肉に火を点けてボッ(← シニフィエ了解、シニフィアン不明)のときは会場が暗くなったりもしました。職場と一緒で公開性の原則を体現しなければならなかったのかな、と思いましたが、あまりおもしろくないので言いませんでした(でも書きました)。


c0131823_14302675.jpg 個人的には、ぴか様の家族とお会いできたのが嬉しかったです。学類時代には、よく故郷の話、家族の話を聞いていました。わたしはそれでぴか様の家族全員の名前を憶えてしまったわけですが、その全員を視覚的に識別することができました。あとは、新郎新婦紹介の映像にぴか様とDとわたしの3人で行ったC国への卒業旅行の写真が使用されていて、あの頃を懐かしく思いました。あとでお母さまから、「あ、さっきの写真の」と気付いていただけました(あの頃のわたしは本当にやせていましたね)。
 二次会がなかったので、ぴか様と話をする機会というのはほとんどなく、本人もあとでメールで「こんなに忙しいとは思わなかった、二次会すればみんなと話せたかも」といった趣旨のことを言っていました。またお酒を飲みながらこのときの話をする機会があればいいなと思います。


 おめでとう!


@研究室
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by no828 | 2012-12-26 15:19 | 友人 | Comments(0)
2012年 12月 23日

標的を見つけることのできない銃口ほど惨めなものはない——宮部みゆき『クロスファイア』

c0131823_15483586.jpgc0131823_15481780.jpg宮部みゆき『クロスファイア 上・下』光文社(光文社文庫)、2002年。177(637)

1998年に同社よりカッパ・ノベルスとして刊行。

版元 →  


 念力放火能力(パイロキネシス)の持主が主人公です。主人公は、この特殊な能力を「悪」の(いわば)消火に使用する、「悪」の付着した・を表象する人間の消滅に使います。一種の責任意識に駆り立てられた行為だと思いました。高い能力を有する人間には重い責任が付随するのか、ということを考えました。

標的を見つけることのできない銃口ほど惨めなものはない。(上.120)


確かに、どうしようもない奴らは世の中にたくさんいるよ。けど、そういう連中だってちゃんと世渡りしてるのよ。だもの、真面目に生きてるあたしたちが、損ばっかりするわけないって。ちゃんとどっかで帳尻があうものよ(上.51)

「主人がつけました」有田好子は頰を染めた。「遅い結婚で、恥ずかしいぐらいなんですけどね。優しい人なんです。桃子にはもう夢中で、おしめも洗ってくれます」
「いいですねえ。なんで恥ずかしいもんですか。幸せになるのに、年齢制限なんかありませんよ
(下.286)

「どっちにしろ、つまんない地味な一生だよね」信恵は髪をかきあげた。「働いて食べて寝てまた働いて。なーんにもパッとしたことなくってさ。金持ちにもなれないし。世の中もっと面白いことあるし、うまくやってるヤツだっていっぱいいるのにさ」
「そうは思わないけどね」
なんか、あたしばっか貧乏くじ引いてるような感じがしちゃうの。頭に来るんだよね、そういうの
(上.96)


 青木淳子は今まで、たくさんの悪事を見てきた。大勢の悪人を見てきた。浅羽敬一のような「悪」は、どこにでもいる。どうしようもなくいる。彼らはいわば社会の灰汁のようなもので、社会が機能する生き物である以上、根絶することはできないのだ。現れたら即、退治する。それしかない。
 しかし、浅羽の母親や密造拳銃の男のような、「ついでの悪」はどうだろう。ひとつの「凶悪」の尻馬に乗る「悪」はどうだろう。彼らの怠慢や強欲が、社会に対してどれほどの害を及ぼすか、ほとんど計り知れないほどだ。それなのに、彼ら自身は「悪」ではない。限りなく「悪」に近いけれど、単独では機能しない。あくまでも尻馬に乗り、派生するものだから。
(上.263-4)


「何て言ってたの?」
「ほとんど言葉になってなかった。ただ俺の耳には、これは何だ? 俺はなんでこんなことやってるんだ? どうしてこんなことになったんだ? と叫んでるように聞こえた」
 どうして? どうして?
「それ以来、処刑のとき、これでもうけっしてしくじらないという安全圏を越えたあとは、“押す”のをやめて、相手が死に際に何て言うか聞き取るようにしてきたんだ。君と同じだな、俺も知りたかったんだ」
「あなたは、答えを見つけた?」
 彼は口元をちょっと吊り上げるようにして微笑した。「あいつらも、質問しかしないってことはわかったよ。なんでこの俺がこんな目に遭わされなきゃならないんだよってね。それはつまり、自分のやったことについてきれいさっぱり忘れてるってことさ
「彼らには罪悪感なんてないってこと? 後悔も恐怖も自己嫌悪も?」
「ないね」
(下.103.傍点省略)


「あたしたちはみんな、頭めちゃくちゃ悪いから、クズみたいな高校しか入れなくて」
 淳子は信恵の笑いに同調せず、つと目をそらして足元に落ちている吸い殻を見つめた。信恵は混同しているようだけれど、学校の成績が良くないということと、頭の良し悪しはまったく別の問題だ。さらに、成績の良し悪しが人間の善し悪しには関係ないということもある。
(上.89)


@研究室
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by no828 | 2012-12-23 16:33 | 人+本=体 | Comments(2)
2012年 12月 21日

まず決定があって、その後から、必然性がついてくることだってあります——法月綸太郎『誰彼』

c0131823_15203319.png法月綸太郎『誰彼』講談社(講談社文庫)、1992年。176(636)

『誰彼』の読みは「たそがれ」。単行本は1989年に同社ノベルスとして刊行。

版元 → 


 わたしの場合、「遠征先」で読むものがなくなることがかなり苦痛なので、いつも本は多めに鞄に入れているのですが、その遠征先で古本屋に寄ることも多く、結局のところ鞄が重くなることがしばしばです。

 本書もそうして入手したものです。講義先へ向かう途中の古本屋で購入し、講義をしたその帰りの電車内でほぼ読了しました。

 具体的なことを削ぎ落としますが、次の論理、すなわち事実αの存在を隠蔽するための(と少なくとも外部の観察者からは推定される)行為Aは、実は事実αの不在を隠蔽するために行なわれたかもしれない、という論理、をおもしろいと思いました。

 3人兄弟と宗教が絡むミステリです。著者「法月綸太郎」は作中の登場人物の名でもあります。

 安倍誠は決して悪い人間ではなかったが、長年にわたって培った教育者としての自負心の底には、自己中心的な性格が潜んでいた。そして、子供の微妙な気質のニュアンスを感じ取る思いやりの欠如が、妻をなくした後の数週間で、彼の双子に対する態度を決定づけてしまった。(10)

 これはかなり本質を抉った洞察ではないか、とわたしには思われたのですが、一般化可能でしょうか? どうでしょう?

「ある人物が、事実Aを知っていることを証明することは可能ですが、事実Bを知らないことを本人でない観察者が証明することはできない。事実Bを知っている人間は、表面上それを知らないふりをすることが、どこまでも可能だからです」(201)

「しかし人間が行動を選択する際、常に合理的な理由が、決定に先行するとはかぎりません。まず決定があって、その後から、必然性がついてくることだってあります。その後付けの必然性が、ずばりと状況にはまってしまった時、人は、最初の決定に神秘的な解釈を施しがちなものです」(279)


@研究室
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by no828 | 2012-12-21 15:44 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 12月 19日

深みの贅沢

c0131823_17442868.jpg深みの贅沢(SUNTORY)

ニュースリリース(商品ページはない?)→ 

原料:麦芽、ホップ
度数:6.5%
原産:日本


 セブン&アイグループ限定+数量限定の醸造ビール。

 飲んでみて「よし、この点を特筆しよう」と思い立つほどの特徴はなかったのですが、逆に言えばそれはこのビールが王道を行っているからなのです。


@研究室
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by no828 | 2012-12-19 17:54 | ビール | Comments(0)
2012年 12月 18日

自分で自分に課したくさりほど重いくさりはない——法月綸太郎『雪密室』

c0131823_14423776.png法月綸太郎『雪密室』講談社(講談社文庫)、1992年。175(635)

単行本は1989年に同社ノベルスとして刊行。

版元 → 


 ミステリ。著者と同名の「法月綸太郎(のりづき りんたろう)」という作家とその父親の警視のコンビが活躍します。

同じ土を同じようにこねて、同じ形を作り、同じ温度で同じ時間焼いても、絶対に同じものはできないです。科学的に緻密に分析すれば、それなりの理由はあるんでしょうが、それにしても、どうしても説明のつかない部分が存在するのですよ。これは私がそう思ってるだけですが、たぶん作り手の中に創造のエネルギーの波みたいなものがあって、それがこの手を通じて土の中に流れ込んでいく、そのエネルギーの量の多少が、でき上がったもののよしあしを左右するんじゃないかと。作り手の血が通った作品とはそういうことを指しているのではないでしょうか」
「では、陶器づくりの真髄は、自分の中の創造に向かうバイブレーションを鍛え上げることにあり、と言えそうですね」
「鍛え上げる、という表現はどうですかな。私の感じではもっと受動的な、自然の持つリズムにすりよっていくという身のふり方に近いものがありますよ」
(52)

 このアナロジーで教育を捉えることができると思います。が、だからこそ教育は科学的ではないと言われることになります。

「僕の教育システムでは、どうしてもギターとプレイヤーの関係論をおろそかにはできません。そこで楽器を身体機能の延長ととらえると、大量生産のメーカー品に甘んじているわけにはいかない。結局、プレイヤー自身が作った楽器を演奏するのがいちばん望ましいということになりました。ですから、僕の教えにつく生徒はすべて、まず自分の体にあったギターを作るところからスタートするのです」(61)

 これも教育に関係すると思いました。身体論。

自分で自分に課したくさりほど重いくさりはない(147)


@研究室
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by no828 | 2012-12-18 15:01 | 人+本=体 | Comments(0)