思索の森と空の群青

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2013年 01月 29日

Daunt Books のトートバッグ

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 毎週月曜は、T川遠征講義です。先週は、T川の前にS谷に行きました。具体的には、Pルコ Part1地下1階にあるLブロ(→ )のLゴスのほうに寄りました。目的は、海外、といっても英米の本屋さんのオリジナル・トートバッグを購入することでした。以前から欲しかった(必要だった、ではない)のですが、ウェブ上を探索するかぎり、販売しているお店が日本にはありません。「欲しかった」ということも忘れてしまっていたのですが、たまたま本屋特集を組んだ『HUgE』(→ )という雑誌を購入したところ、日本ではK都のK文社一乗寺店でありますとかS駄木のO来堂書店が紹介されていくなかで、海外の本屋さんのトードバッグの情報も掲載されていました。小さな記事でした。その文章から「数量限定、期間限定」を察したのですが、お店に電話で確認したところ(すでに売り切れ、販売期間も終了していたら、わざわざ行く意味がありません)、そうではないということでした。店員さんによると、もちろん少なくなったもの、完売したものもある、それは随時補充していく、ということでした。日本の本屋さんもオリジナル・トートバッグを作ればよいのに、と思います(前出の2つの本屋さんは作っているようですが、というか、K文社のほうは持っていますが)。


c0131823_1562238.jpg わたしが購入したのは、英国ロンドンの Daunt Books(→ )という本屋さんのトートバッグです(“daunt books”は、どういう日本語にするとよいでしょうか)。紺かこの深緑をねらっていたのですが、紺はすでになく、後者にしました。4725円(税込)。現地では8£(約1200円)のようです。本に関するものは買ってよし、買わない理由が「高いから」だけの場合も買ってよし、というのが個人的で基本的な方針なので、買いました。時間を空けて、また行ってみたいと思います。“おしゃれな本屋”というイメージを強く受けましたが、人文系の本も割と多く置いてありました。T波大学書籍部よりも置いてあると思います。大学近く、とまでは言わないまでも、駅付近(バスターミナル付近)に、T京駅Y重洲口にあるY重洲ブックセンター並みの“本屋ビル”があってもよいのに……というのが、大学入学以来感じていることです。その感じ方は、しかし少しずつ変わってきています。それによって小さな本屋さんが消えていくのかもしれない、と思うと複雑ですし(大学近くの「Yみがえる」という古本屋はなくなってしまいました)、必要な本はウェブで(大学書籍部などに)注文すればよい、と思うからです。

 ちなみに、S谷へ行ったのはかなり久しぶりです。学類の頃は何度か、買物目的でS谷とO参道のあいだを友人と歩いた記憶があります。今回は30分ほどの目的合理的な滞在ですぐに脱出しました。「Sンター街」付近ではわたしは完全なる目的不合理的な存在として見なされていたと思います。



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by no828 | 2013-01-29 15:49 | Arts & Crafts | Comments(0)
2013年 01月 27日

僕はこの絵にあまりに自分を注ぎこみすぎた——ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』

c0131823_1705976.jpgオスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』仁木めぐみ訳、光文社(光文社古典新訳文庫)、2006年。195(655)

原著は1891年。

版元 → 


 昨年ぶんラストです。年末に実家へ帰る電車と汽車のなかで読みました。昨年は、学術書ではない本を195冊読んだことになります。ブログを開設してからだと、655冊です。書誌情報の最後に挙げてある2つの数字は、そのことを意味します。2007年の夏から、わたしの部屋には655冊の本が純増したことになります。

 オスカー・ワイルド(1854-1900)は、アイルランドの人です。むむっと思う箇所がたくさんありました。犬耳たくさん。ただ、読んだ動機は、本書の一部分が教育哲学関係の学術書に引用されていたからです。

 芸術家は美しいものを創造する。
 芸術に形を与え、その創造主を隠すのが芸術の意図である。
 批評家とは、美しいものから受けた印象を、別の手法や新しい素材で伝えることができる者である。
(7)

「笑われるのはわかっていた。でもこの絵はどうしても発表できない。僕はこの絵にあまりに自分を注ぎこ〔ママ〕みすぎた(13)

気持ちをこめて描かれた肖像画というのはみなモデルではなく、それを描いた画家の肖像なのだ。モデルは偶然のきっかけにすぎない。画家の筆によって描かれるのはモデルではない。カンバスに色をもって描かれるのは、むしろ画家本人なのだ。僕がこの絵を発表したくないのは、自分の魂の秘密をこの絵に描きこんでしまったのではないかとおそれるからだ」(18-9)

「だから詩人は嫌いだ。芸術家のやるべきことは美しいものの創造だ。そしてそこには自分の人生を一切注ぎ込〔ママ〕んではいけない。現代は芸術を自伝の手段にしている。我々は抽象的な美の感覚を失ってしまった。いつか僕はそれがどんなものであるか、世に示してやるつもりだ。だからこそ、ドリアン・グレイの肖像画を公開してはいけないのだ」(30)

「ああ、バジルは自分の魅力のすべてを作品に注ぎ込〔ママ〕んでしまっているんだ。結果として、彼の現実の生活には、彼の偏見や主義や常識しか残っていない。僕が今まで知り合った芸術家の中で、人間として面白い人物はみな芸術家としてはだめだった。すぐれた芸術家というのは自らの作品の中にしか存在していないから、実生活ではとてもつまらない人間になってしまう。偉大な詩人ほど、真に偉大なる詩人ほど詩的でない生き物もいない。しかし才能のない詩人はおそろしく魅力的だよ。その詩が下手であればあるほど、人間としては輝いてくる。二流の十四行詩〔ソネット〕集を一冊出したことがあるというだけで、その男はたまらなく魅力的になるんだ。その男は自分には書けはしない詩を生きている。もう一方の詩人たちは、現実に実行する勇気のないことを詩にしているんだ」(115)

最近はみな、ものの値段は何でも知っているが、価値については何も知らない(96)

「人というものは、自分にこそ必要なものをひとに与えるのが大好きだ。それを僕は寛大さの極みと呼んでいる」(114)

あなたは懐疑派なのね
とんでもない! 懐疑主義は宗教の始まりだ
「ではあなたは何?」
「定義することは限定することだ」
「糸口をくださるかしら」
「糸は切れるものだ。君は迷宮で迷子になってしまうだろう」
(366)


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by no828 | 2013-01-27 18:16 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 01月 26日

空海は死よりも生を好む体質の男であった——司馬遼太郎『空海の風景』

c0131823_1549977.jpgc0131823_15491063.jpg司馬遼太郎『空海の風景 改版』中央公論新社(中公文庫)、1994年。194(654)

単行本は1975年に、文庫初版は1978年に、それぞれ中央公論社より刊行。

版元 → ● 


 真言密教の開祖 空海を描いた「小説」、というより“司馬遼太郎の空海”という印象。空海の生きた時代と司馬の生きた時代、当時の空海についての叙述と、その空海の痕跡を——物理的に・想像的に——訪ね歩く司馬自身についての叙述との往復が展開されます。

 当時の唐留学の期限は20年間であったことが驚きでした。空海はそれを2年で切り上げました。

 また、 
 以上は想像である。
 以下は想像ではない。
 など(上.236)、相変わらずの司馬文体に出会えました。

 ちなみに、下巻182ページに「坂上田村麻呂」への言及がありますが、この人の名前はわたしの出身地名の由来のようです。

空海の思想には「貧しいものには物をあたえよ、富める者〔ママ〕には法をあたえよ」という、それまでの釈迦仏教——煩悩から解脱することだけを目的とした——にはない思想があったが、この築堤の場合のように、物質的世界のことでこまっている者にはとりあえず法よりも利をあたえるという思想上の使命もあった。(上.19)

すでに普遍的世界を知ってしまった空海には、それが日本であれ唐であれ、国家というものは指の腹にのせるほどにちっぽけな存在になってしまっていた。かれにとって国家は使用すべきものであり、追い使うべきものであった。日本史の規模からみてこのような男は空海以外にはいないのではないか。(上.19-20)

 空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知った。空海が会得した原理には、王も民もなく、さらにはかれは長安で人類というものは多くの民族にわかれているということを目で見て知ったが、仏教もしくは大日如来の密教はそれをも超越したものであり、空海自身の実感でいえば、いまこのまま日本でなく天竺にいようが南詔国にいようがすこしもかまわない。(下.132)

 人間が巨大な才能を蔵してまだそのことに気づかずにいる場合、そしてその環境が極端にその才能を閉塞させているときに、ほとんどその意志とは別個といっていいほどの唐突な衝動でもって奇矯な行動をとるか、思わざる世界へ行ってしまうかするという例は、過去の天才の歴史のなかで無数にある。空海がたとえ巨大であっても、その年少のときは誰でもそうであるように、ごく単純な環境しかあたえられていない。空海の年少のころは修学生であった。そして大学は明経をえらんだ。(上.57-8)

 すこし、雑談風に華厳経についてのべる。
 中国および日本の思想にこの経ほどつよい影響をあたえたものもないのではないかとおもえる。一個の塵に全宇宙が宿るというふしぎな世界把握はこの経からはじまったであろう。一はすなわち一切であり、一切はすなわち一である、ということも、西田幾多郎による絶対矛盾的自己同一ということの祖型であり、また禅がしきりにとなえて日本の武道に影響をあたえた静中動あり・動中静ありといったたぐいの思考法も、この経から出た。この経においては、万物は相互にその自己のなかに一切の他者を含み、摂りつくし、相互に無限に関係しあい、円融無礙に旋回しあっていると説かれている。
(上.156-7)

 かれは奈良仏教にみられるような解脱だけをもって修行の目的とする教えはやりきれなかったにちがいない。解脱とは人間が本然としてあたえられている欲望を否定する。その欲望の束縛から脱して自主的自由を得るというのが、釈迦以来、仏教における最高目的になっている。〔略〕その至高の自主的自由の境地を涅槃とよぶ。とくに生きながらの涅槃を有余涅槃とよぶが、生きながらに涅槃に入りうる人など稀有というべきで、多くは煩悩のもとである身体が離散したときに涅槃に入る。これを無余涅槃という。要するに死である。死はたれにでも来るものではないか。死をよろこぶ教えとはどういうものであろう。しかも、死がきたあとに成仏できるかといえば、奈良仏教においては「それはかならずしも保証できない」という立場をとっているのである。
「そういうばかなことがあるだろうか」
 と空海は不満だったにちがいない。空海は死よりも生を好む体質の男であった。
(上.165)

大きな欲望を持ちあわせてしまっている場合、これをみずから禁じ、抑圧するために巨大な力を必要とする。その偏執的な禁欲のあぶら汗のなかから、物事の本質以外には見る目をもたぬという内面ができあがることが多いが、禁欲は山林の修行者であるかれ自身も大いに志したであろう。同時にそれが徒労であることも知ったであろう。かれはついには性欲を逆に絶対肯定し、それを変質昇華させる方法としての大日経の世界というものをも、からだ中の粘膜が戦慄するような実感とともに感知したにちがいない。(上.206-7)

 いまでも、私のなかにその疑問がある。真言宗は空海以後、多くの俊才が出たが、しかし教義を発展させるという仕事は、ほとんどしていないように思える。空海が、完璧な体系をつくりすぎたせいではないか、ということである。(下.110)

思想は、その結純度が高くなればなるほど、その思想に無理解か、もしくは相対するものに対して物理的なまでに拒絶的反応を示さざるをえない。(下.266)


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by no828 | 2013-01-26 15:53 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 01月 25日

人は努めている間は迷うものだ——『ゲーテ格言集』

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ゲーテ『ゲーテ格言集』高橋健二編訳、新潮社(新潮文庫)、1952年。193(653)

版元 → 


 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、が本名です。誕生月日がわたしと一緒です。生年はむろん違います。ゲーテは1749年生まれ、1832年没。

 本書は、ゲーテのさまざまな著作から「名言」を集めたものです。普段はこういった類の本は読まないのですが、古本屋でなぜか(105円ということはあったにせよ)手に取りました。なぜこの本を買ったのか、さらにはなぜこの論文をコピーしたのか、というのは、時間が経過すると忘れるものです。とくに、買ったはいいものの、コピーしたはいいものの、すぐに読まずに放置していた場合は、それがそこに存在する理由が一層不明になります。日付と理由を書き込んでおくと、あとあと困らないかもしれません。

 改めて印を付けたところを読んでみると、わたしは少なくともこの本には、自分による自分の承認と激励、そして訓戒を求めたのかもしれないと思います。

 ちなみにゲーテは、「物自体」のカント(1724-1804)とほぼ同時代の人です。すぐ下に引用した文章で、わたしはカントを思いました。
 考える人間の最も美しい幸福は、究め得るものを究めてしまい、究め得ないものを静かに崇めることである。(7)

 今日も今日とて、罪もない避難民の気の毒な様を見に、
 みな遊山みたいに出かけるのです。同じ運命が、すぐとは言わないまでも、
 いずれは自分の身の上を見舞うことを考える者とてありません。
 こうした浮わついた気持は勘弁なりませぬが、やはり人間の持ち前ですなあ。
(22)

 君の胸から出たものでなければ、
 人の胸を胸にひきつけることは決してできない。
(40)

 信仰は、見えざるものへの愛、不可能なもの、ありそうにもないものへの信仰である。(76)

 不可能を欲する人間を私は愛する。(95)

 不可能であるがゆえにこそ、信ずるに値する。(95)

 人間は、彼の制約されない努力が限界を定めないうちは幸福になれない。(132)

 人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。多く知るにつれ、次第に疑いが生じて来るものです。(135)

 人はほんとうは、ほとんど知らない時にのみ知っている。知識と共に疑いが増す。(184)

 願望したものを持っていると思いこんでいる時ほど、願望から遠ざかっていることはない。(135)

 すぐれた人で、即席やお座なりには何もできない人がある。そういう人は性質として、その時々の事柄に静かに深く没頭することを必要とする。そういう才能の人からは、目前必要なものが滅多に得られないので、われわれはじれったくなる。しかし、最も高いものはこうした方法でのみ作られるのである。(141)

 人は努めている間は迷うものだ。(162)

 目標に近づくほど、困難は増大する。(172)

 どんな賢明なことでも既に考えられている。それをもう一度考えてみる必要があるだけだ。(176)
 
 経験したことは理解した、と思いこんでいる人がたくさんいる。(178)


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by no828 | 2013-01-25 15:11 | 人+本=体 | Comments(4)
2013年 01月 24日

精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、文芸が第一だった——魯迅『阿Q正伝・狂人日記』

c0131823_16304279.gif魯迅『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』竹内好訳、岩波書店(岩波文庫)、1955年。192(652)

原著は1923年。

版元 → 


 有名な本ほど読まない(読まなくていいかもしれない)、間接的に内容情報が入ってくるから、ということがよく起きます。この一般的な是非はともかく、それ自体を読まないことには、個人的には落ち着きません。

 その学年がおわる前に、私は東京にもどっていた。あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果すべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。(「自序」9-10)

〔略〕すべて提唱というものは、賛成されれば前進をうながすし、反対されれば奮闘をうながすのである。ところが、見知らぬ人々の間で叫んでみても、相手に反応がない場合、賛成でもなければ反対でもない場合、あたかも涯しれぬ荒野にたったひとりで立っているようなもので、身のおきどころがない。これは何と悲しいことであろう。そこで私は、自分の感じたものを寂寞と名づけた。(「自序」10)


 そうだ。私には私なりの確信はあるが、しかし希望ということになれば、これは抹殺はできない。なぜなら、希望は将来にあるものゆえ、絶対にないという私の証拠で、ありうるというかれの説を論破することは不可能なのだ。(「自序」13)

 まどろみかけた私の眼に、海辺の広い緑の砂地がうかんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。(「故郷」99)

 とすると、「未来を眼差す人が多くなれば、それが希望になるのだ」、でしょうか。いまいちしっくり来ません。「○○人が多くなれば、それが希望になるのだ」。


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by no828 | 2013-01-24 17:20 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 01月 23日

ノルマンディー風新鮮アンチテーゼのガーリック・ソースかけ——村上春樹・糸井重里『夢で会いましょう』

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村上春樹・糸井重里『夢で会いましょう』講談社(講談社文庫)、1986年。191(651)

版元 → 


 「カタカナ文字の外来語」を主題とした、2人の対談集ではなく、2人の超短篇集というか、2人のエッセイ集というか、そういうものです。

 こういうの好きです。「アンチテーゼ」は『夜のくもざる』(→ )にも出てきました。
 メニューの〈今夜のスペシャル〉というコーナーに、僕はアンチテーゼの料理をみつけた。「ノルマンディー風新鮮アンチテーゼのガーリック・ソースかけ」とある。
「このアンチテーゼだけど、本当にそんなに新鮮なんですか?」と僕はメニューをにらみながら給仕頭に質問してみた。
「ええ、それはもう間違いございません」〔略〕
「それはどうも失礼。昨今新鮮なアンチテーゼになんてまずお目にかかれなくなっちゃったものだから、つい用心深くなってね
〔略〕
「まったくそのとおり、おっしゃるとおりですな。たしかにこの十年ばかり新鮮な大ぶりのアンチテーゼがすっかり採れなくなってしまいまして、大抵の店ではインド産小アンチテーゼの冷凍ものでごまかしている状態です
(「アンチテーゼ antithese」26-7)

 もちろん村上春樹の書いたものです。


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by no828 | 2013-01-23 18:01 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 01月 20日

その本に向かってバッター・ボックスに入って行くのです——大江健三郎・大江ゆかり『「自分の木」の下で』

c0131823_15184182.jpg 大江健三郎・大江ゆかり『「自分の木」の下で』朝日新聞社(朝日文庫)、2005年。190(650)

単行本は2001年に同社より刊行。

版元 → 


 昨年ぶん続き。エッセイ集。「学校」が擁護されています。

国語だけじゃなく、理科も算数も、体操も音楽も、自分をしっかり理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉です。外国語も同じです。
 そのことを習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ、と私は思います。
(「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」22-3)

 しかし、私はこの二つの言葉〔「添削」と「推敲」〕をあまり使いません。他の人の文章でも、自分の文章についてやるようにみがきあげてゆく、しっかりしたものに丹念に作り上げてゆく、ということで、私は英語の elaboration という言葉が好きです。(「どうして生きてきたのですか?」31)

 子供の私が、自分が気にいった本から、古典もふくめて、その一節を書き写す習慣を作ったのは、どういうことだったのでしょう? 本を買ってもらって、自分のものにするのがなかなかできにくかった、ということがまずあります。〔略〕しかし、やはりそれは、私が紙に書き写すことの好きな少年だったからです。何度も書くことで、正確に覚えよう、という気持もあったのでした。不正確に覚えることは、覚えないよりずっと悪い、というのは父が私にいったことでした。(「「言葉」を書き写す」72)

 そして、私がとくにいいたいのは、子供はまず「保守的」だ、ということなのです。子供はこの世界に新しく生まれてきた人間だし、実際新しいことに敏感でもあるのですから、子供が「保守的」だなんて、とおかしく感じられるかも知れません。しかし、赤んぼうは自分にあたえられた環境にしっかりおさまって満足のようだし、大人たちのやってくれることに頼りきっています。
 そして、こういう自分の状態を見なおすことをはじめ、大人の保護から少しずつでも自立していこうとしはじめる時、子供は赤んぼうでなくなり、「進歩的」になってゆくのです。
(「シンガポールのゴムマリ」99)

 そして幾年かたって、実際にその本を読み、思っていたとおり良い本だと、自分で確かめることができた時は嬉しかったものです。野球で、ジャストミートということをいうでしょう? 本と、それを読む自分とのジャストミートということがあるのです。本を読む能力と——成長期では、年齢とおおいに関係します——、その本のための準備の読書、そしてそこまで生きてくるうえでの経験が、それを作り出してくれるのです。
 あなた方が、ある本とジャストミートするためには、それを読むことを急ぎすぎてはなりません。しかも、いつも自分の知らない本に目を光らせていて、これは良い本らしいと思ったら、まず、その実物を本屋なり図書館なりで、見ておくことです。余分のお金があったら、買っておくのがいちばんいい。そしてずっと忘れないでいて、ある日、その本に向かってバッター・ボックスに入って行くのです。
(「私の勉強のやり方」117-8)

 大人の自殺と子供の自殺のちがうところは、子供の自殺は、生き残る者たちに決して理解できない、ということです。なぜかといえば、子供にとって、
 ——取り返しがつかない! ということは絶対にないからです。

 私はこう信じています。
(「取り返しのつかないことは(子供には)ない」197)

 あなたたちも考えなければなりません。私は皆さんが、この場合にも、「原則」ということから考えていってくださるよう希望します。それも、まず自分の、そして身近な人たちの問題として、子供がほかの人間を殺す暴力をふるい、自分を殺す暴力をふるうことは、あってはならない、それが「原則」だ、ということから考えていただきたいのです。大人が、なしとげようとしていて、まだなしとげられていないことはあります。それに対して、子供たちが人間らしい誇りを持って、自分は「原則」を守り、そこから考えを進めてゆくかどうかに、世界の明日が明るいかどうかはかかっています。(「取り返しのつかないことは(子供には)ない」203)


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by no828 | 2013-01-20 15:52 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 01月 19日

ほんとうに考えて、ほんとうにのたうち回って得た知識か否か——中島義道『たまたま地上にぼくは生まれた』

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中島義道『たまたま地上にぼくは生まれた』筑摩書房(ちくま文庫)、2007年。189(649)

単行本は2002年に講談社より刊行。

版元 → 


 まず、表紙写真が素敵だと思いました。内容は、哲学者 中島義道の講演と対談の文字起こし原稿です。“どうせ死んでしまうのに”ということが哲学の根本にある、“この私”からはじめなければならない、と書かれています。

 のちの引用文にキルケゴールの「主観的真理」という言葉が出てきますが、これは本文に散見されるカントの「主観的普遍性」とほぼ同義と捉えてよいのでしょうか。2人はだいぶ色の異なる哲学者のように思いますが、それでも一致しているとしたら、それはやはり大事なのだと思います。

 基本的に、共感しながら読みました。わたしは修士のときにバングラデシュで調査したことがありますが、そのホテルのベッドで「のたうち回って」いたことを思い出しました。デング熱で、ではなく、現実によって、というより、現実とわたしとの関係によって、です。

 唐突かもしれませんが——のちの引用文と関連しますが——、わたしが研究棟内の「あいさつ」などを胡散臭く感じるのは、それが表層的な発声だからです。“とりあえず言っておいたほうがいいか”というものだからです。その音にその人が乗っていない、そういう発話がわたしは好きではありません。常に自分の全存在を賭けて発言せよ、というのは厳命すぎますが、この点は意識すべきでしょう。そうすると、語るべきことがそんなにない、ということにもなると思います。しかし、それが「普通」なのだと思います。“流暢な語り口”をわたしはあまり信用しません。“腹から出ている声”と“喉から出ている声”とは、そういう意味でも違うと思います。

 それから以下に、ディベートを批判し「対話」を擁護するような引用文があります。倫理の問題を教育的に扱うとき、ジレンマを設定し、学生を分け、議論させる、という方法がありますが、その“空虚さ”のようなものが指摘されているように思いました。この点はわたし自身改めて考えてみないといけません。

ヨーロッパ文化の基本は哲学だといわれますけれども、そのときの哲学という意味は、〔略〕責任を持って自分自身の立場で語ることです。(46)

 どこかの〔倫理の〕教科書に、キルケゴールの「主観的真理」という言葉があったと思いますけれども、自分と他者とが交換可能な知識というのは、考えてみればどうだっていい知識です。月がどうだとか、太陽がどうだとか、そういうことは哲学の一番根本の問題ではありません。この知識に関しては自分と他人が交換していいんですから、私はいなくてもいいわけですよね。(105-6)

 他人と入れかわり得るような知識に対して、哲学はまず疑いを出します。つまり、自分でほんとうに考えたことが重要なわけで、その人がほんとうに考えて、ほんとうにのたうち回って得た知識か否かは、実感でわかってくるんですね。(108)

対話とは何かといいますと、その人個人のかけがえのない立場から語ることです。ですから、普通は立場の交換は不可能です。つまり、原爆を投下する側に回りなさい、今度は原爆を投下された側に回りなさいって、気楽にくるくる回れるのは、原爆を投下されたことに対する実感の重みがないからでしょうね。〔略〕対話者は〔略〕自分自身の身体でわかったこと、感じていること信じていることを切り捨てないで、それを全部背負って何かを語るべきなんです。(118-9)

 言いかえますと、実感していないことを語らない訓練だと思います。われわれは普通訓練しないと、すぐ実感しないことを語り出します。それを警戒しなければならない。(155)

しかし、ほんとうにその人固有の苦しみを正確に、論理的に語り尽くすこと、その教育が哲学だと思うんです。(120)

 自分自身の体験を、言語を練り上げ鍛え上げていって、他人にわかる形で、コミュニケーション可能な形で語ること、それが哲学だと思うんです。(183)

 フィロソファーというのは、愛知者のことですが、その「愛」とは英語の“want”に近く、渇いている、恋い焦がれるというような意味です。哲学者は自分自身知を持っていないから、知を求めようと渇いているわけです。つまり哲学者は何が真理かわからないわけです。だから、永遠に求めるんでしょう。(111)

哲学者とは中間者であって、知者にもなれなければ、無知者にもなれない。自分は知を持っていないんだけれども、それに満足せずいつもいつも追い求める。そして、永久に知者にはなれない。(177)


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by no828 | 2013-01-19 16:56 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 01月 19日

その翌日

c0131823_1516520.jpg 毎週火曜はT木市に遠征講義です。午後に2コマ続きです。11月からは月曜にT川市への遠征講義がはじまりました。こちらは夜間に1コマです。この月火2日間で大体8時間くらい電車に揺られています。長いです。遠いです。以前に学生から(質問用紙を通して)「仕事をしていて辛いことは何ですか?」と訊かれたことがありますが、「通勤」と答えました。早く同じ敷地のなかで講義ができるようになりたいです。もちろん講義を担当しない研究職もあるわけですが、分野的にその道幅はかなり狭いでしょう。「大学」という雰囲気も好きですし。

 写真は15日(火)のものです。N山おおたかの森駅直結のショッピング・センター内のスーパーに出されていた「お知らせ」です。火曜は大体、アパートから駅までの途中にあるスーパーでおにぎりと飲み物を買い、T武スカイツリーライン内で食べますが、たまにその時間がなく、N山おおたかの森で調達することがあります。この日はその日で、おにぎりを買おうと思ったら、置いてあるはずのところになく、疑問符が浮かびましたが、お惣菜コーナーにこれがあって、納得しました。

 T木市遠征講義も、あと2回です。うち1回は試験です。学生諸君の健闘を祈ります。


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by no828 | 2013-01-19 15:31 | 日日 | Comments(0)
2013年 01月 18日

昨年の九月にアンチテーゼ採りにボルネオに行ったまま——村上春樹・安西水丸『夜のくもざる』

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村上春樹・安西水丸『村上朝日堂超短篇小説 夜のくもざる』新潮社(新潮文庫)、1998年。188(648)

単行本は1995年に平凡社より刊行。

版元 → 


 昨年ぶんを続けます。タイトルにありますように、超短篇の集まりです。

 学友の所属していた劇団では「バウムクーヘン」でした(同じ主題を扱っていたと言いきれるかというと、実は少々不安です……)。
「私たち人間存在の中心は無なのよ。何もない、ゼロなのよ。どうしてあなたはその空白をしっかり見据えようとしないの? どうして周辺部分にばかり目がいくの?」(「ドーナツ化」55-6)


 こういうの、好き。
 昨年の九月にアンチテーゼ採りにボルネオに行ったまま消息のとだえていた伯父から、やっと一枚の絵葉書が届いた。〔略〕
誠に残念なことだが、昨今は当地でも大物と呼べるほどのアンチテーゼは姿を消してしまったようだ」と伯父は書いていた。
(「アンチテーゼ」60)


@研究室
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by no828 | 2013-01-18 17:41 | 人+本=体 | Comments(0)