思索の森と空の群青

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2013年 04月 29日

おとうさんを見習うな。立場で生きるような大人にはなるな。孤独を恐れるな——奥田英朗『サウスバウンド』

c0131823_16195276.jpg奥田英朗『サウスバウンド』上下、角川書店(角川文庫)、2007年。34(689)

単行本は1冊、2005年に同社より刊行

版元 →  


 主人公は小学6年生の上原二郎、その父 一郎が「国が嫌い」で「元過激派」——でその双方に共通する「集団」が嫌い——という設定。

「冗談ではない。かねがね日本国民をやめたいと思っていた。今日がその日だ」
〔略〕
「上原さんは日本人……ですよね」
「そうだ。しかし、日本人イコール日本国民でなくてはならない理由などない
(上.19)

「船に乗ってブラジルにでも行きてえな」黒木が吐息混じりに言った。
「なんでブラジルなんだよ」二郎が聞く。
テレビで見たけど、ストリートチルドレンっていうのがいて、学校も行かないで靴磨きとか、そういうことして、路上で生活してんだよ
おまえ、靴磨きなんかしたいのか
そうじゃねえ。昼間っから道端でぶらぶらしてても、誰からも文句を言われないってことだよ
「そりゃあいいな」
「だろう? 日本は平和で豊かでいい国だなんて先生が言うけどよォ、義務が多過ぎるんだよ。義務教育なんて、おれにはいい迷惑だ」
(上.144-5)

革命は運動では起きない。個人が心の中で起こすものだ
〔略〕
集団は所詮、集団だ。ブルジョワジーもプロレタリアートも、集団になれば同じだ。権力を欲しがり、それを守ろうとする
「上原、落ち着け!」刑事が言った。
個人単位で考えられる人間だけが、本当の幸福と自由を手にできるんだ
(上.291-2)

「八重山の人はね、逆賊が好きなのさー。琉球政府の頃からいいように搾り取られてきたから、お上に逆らって戦う人が好きなのさー」(下.27)

二郎が島の人の気前のよさに驚いていると、ヨダさんが「こっちはユイマールだからさー」と教えてくれた。ユイマールというのは、互いが助け合って生きていく昔からの習慣のことなのだそうだ。ヨダさんが子供の頃は、家も島の人たち総出で建てたらしい。それを聞いて、八重山に来て以来の、おせっかいと言えるほどの人の親切さに納得がいった。お金がなくても生きていけるのだ。
 島の人たちは、我が家のように他人の家の中を歩き回った。母に断ることもなく、台所を自由に使い、「ああ卵があるさー」と勝手に割って調理した。この遠慮のなさはなんなのかと違和感も覚えたが、これもユイマールだとすぐに理解できた。要するに、私有財産という考え方をあまりしないのだろう。あるものは、みんなのものなのだ。
(下.66)

「帰国子女はいじめられるって聞くからな」
「ちがいます」七恵が鼻に皺を寄せて言った。「港区で帰国子女なんてざらにいる。問題は海外で日本人学校に通ってたかどうか。わたしは、たった一人で現地の学校に通ってたから、それで仲間に入れてもらえなかったの
「そう」
そんな仲間に入れてもらおうなんて、少しも思わなかったけどね。馬鹿みたい。自分のお誕生会に命をかけてる人たちなんて
(下.88)

「誰かが立ち上がらないと、沖縄はどんどん東京の資本に蹂躙されるんですよ」
「あまりきついことは言いたくないんだがな。沖縄生まれならともかく、内地の人間が勝手に南の島に憧れ、自分探しで環境保護運動をするのは迷惑な話だ
 父の言葉に、守る会の人たちが顔色を変えた。「沖縄生まれじゃないと発言もできないんですか?
(下.155-6)


 母 → 娘
「それがいちばん大きなことなんじゃないの」
「ううん。世間なんて小さいの。世間は歴史も作らないし、人も救わない。正義でもないし、基準でもない。世間なんて戦わない人を慰めるだけのものなのよ
(下.255)

 父 → 息子
「二郎。前にも言ったが、おとうさんを見習うな。おとうさんは少し極端だからな。けれど卑怯な大人にだけはなるな。立場で生きるような大人にはなるな
「うん、わかった」
これはちがうと思ったらとことん戦え。負けてもいいから戦え。人とちがっていてもいい。孤独を恐れるな。理解者は必ずいる」
「それ、おかあさんのことだね」
(下.256)


@研究室
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by no828 | 2013-04-29 16:29 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 04月 27日

自分の頭が存在するところが研究室であるという意味において

 1カ月のあいだ、空白としてしまいました。

 3月末日で出身大学の研究員の任期が終了しました(契約更新はなし)。研究員の身分は週1回3時間勤務(1日3時間勤務ではない)の時給制非常勤職員でしたが、研究室を使用することができました。しかし、任期の終了とともにそれもできなくなり、研究室に置いていた学術書(研究用図書)、論文のファイルなどもすべてアパートに持ち込まざるをえなくなりました。1,500冊はないと思われるけれども1,000冊は確実にある、という数の学術書をアパートに置くためには、アパートにすでにある、1,500冊はないと思われるけれども1,000冊は確実にある、という数の非学術書(小説その他)を減らさなければならず、しかし本は捨てなくない・売りたくないとするならば実家以外にその置き場所はなく、しかし傍に置いておきたい本もやはりあるのであって、結果700-800冊ほどを壁一面をほぼ埋めた本棚から抜き取って実家へ移動、残り少なくとも300冊はアパートに残すことにし、それもあって既存の本棚では本を収めるのに不足するために新たに本棚を2架買い足し、濃密に詰め込みました。わたしの部屋には空間的余裕はもはやありません。研究室を片付けるとき・撤収するとき、アパートの部屋を片付けるとき、物をある程度捨てました。目下もはや必要なものしかない、という状況に近いですし、必要なものしか(置けないから)置きたくない、という状況で、その物と自分との関係、自分にとってその物とは何か、という点の感度はだいぶ研ぎ澄まされています。

 研究室は“本の置き場所”という点に限っても有効なものだと実感しています。

 4月からは大学・短大・専門学校の非常勤講師を掛け持ちしています。内訳は、4年制大学が1校前期1コマ、短大1校前期2コマ後期3コマ、専門学校3校前期各3コマです。前期は以下のようなスケジュールです。

 某曜日:T京都 N野区 専門学校1コマ → T川市 専門学校1コマ(夜間)
 某曜日:T木県 T木市 短大2コマ
 某曜日:I城県 A見町 専門学校1コマ → K奈川県 Y浜市 T塚 大学1コマ
 
 (移動! 移動! 移動!)

 大学、4年制大学で教えるのははじめてで、これはとても愉しみでしたし、はじめてみると愉しみばかりではないことにも気付いたりもするわけだけれどもやはり(4年間という時間のある)大学だからこそ研究をより鋭く意識しながら講義することができるのはわたしにとっては愉しいことです。ほかの学校ももちろん引き続き、そればかりではないもののやはり愉しく講義しています。とはいえ前期6コマ、これは昨年度まで後期に組まれていた講義1コマ分が学校の都合で前期に回されたためでもあるのですが、この週6コマ、学生数にして週300人超(大学が1コマ100人超)というのはわたしの講義キャパシティの上限ラインをかなり押し上げることにはなっています。教育と研究のあいだを往復させながら、自分の枠をじりじりと拡大させていきたいと思っています。

 後期は3コマです(しかも3コマ連続なので1日で終了)。まだ余裕があります。お声掛けください。

 そういうわけで、アパートの部屋が研究室も兼ねることになり、あとはプリンタが欲しいという状況ではありますが、すべてが1カ所にある、というのはなかなか快適です。とはいえ、1日中部屋にいるのもあれなので、図書館の利用証を作り、そこで研究したり講義準備をしたりもしています。部屋にクーラーがないので、夏はおそらく毎日図書館へ行くことになりそうです。

 就職が厳しい、というのは実感しています。楽観はしていませんが、悲観しきっているわけでもありません。昨年度は、用紙の右上を三角に塗りつぶすあれ(→ )も面接まで進むことができましたし、某教員公募でも面接へ進むことができました。いずれも(前者は予算の問題も絡み)成就はしませんでしたが、遅々としてではあるけれども着実に前進しているような気はしています。「気はしています」というのはいかにも弱気ではありますが、今年も挑戦を続けます。そしていまのうちにさらに勉強しておきたいと思います。

 というわけで、元気にやっています。


@研究室(自分の頭が存在するところが研究室であるという意味において)
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by no828 | 2013-04-27 16:22 | 日日 | Comments(0)