思索の森と空の群青

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2013年 06月 26日

見えているものはすごく小さなことで、その裏側にある大きな——松浦弥太郎『最低で最高の本屋』

c0131823_23344741.jpg松浦弥太郎『最低で最高の本屋』集英社(集英社文庫)、2009年。56(711)

単行本は2003年にDAI-X出版より刊行。

版元 → 


 著者が本屋をはじめるまで、そしてはじめてから。考え方に共感するところが多かったです。

週三日だけ本屋をやると決めて、他の四日はずっとバイト。〔略〕もしかしたら本屋だけでやっていくこともできたかもしれないけど、ギラギラした感じではやりたくなかった。それは、周りの大人から教わったことでもありました。
 自分で見つけた本に自信があったから、頭下げてまで売りたくはなかったんです。そうしてしまうと、本の価値を下げてしまうような気がして。高飛車な感じになる必要はなくても、ある意味、志高くやっていたかったんです。そのためにバイトも必要だった。
(35-6)

 自分がはじめたことが若い人達にいいかたちで影響を与えて、彼らの手によって受け継がれていくこと、それが、自分が一生懸命仕事をやったことに対するご褒美なのかもしれません。思い返すと自分もそうでした。例えば植草甚一さんが書いていたものなどは、僕の血となり肉となりましたから。(79)

「アー・ペー・セー」は特異なブランドだ。スタート時から常に、ファッション業界特有の物質主義に反旗を翻し、新しい価値観、そしてモードの新しい存在を追求するリベラルな思想を持ったフランスのブランドだ。ロゴの『A.P.C.』が「生産と創造の工房」の頭文字であることに、その質実な精神が現れている。(240)

 □■□■□

今でも細々と続けていますが、最初に児童福祉施設にこういうことをやりたいと思っていると伝えたら、まず言われたのが「量は少なくてもいいから、なるべく続けてください」ということでした。
 児童福祉施設にいる子供達は、だいたいが大人の勝手な身勝手な理由でそこに入ることになったわけです。ボランティアで本を送るということも、子供達にとっては「大人の理由」で第三者が関わってくることなのです。それが大人の勝手な都合で中途半端に終わってしまうと、子供達は「やっぱり大人は信じられない」と思ってしまう。そのことを児童福祉施設の方に教えられたとき、なるほどなと思いました。何かをはじめるのは簡単。それと同じように、何かをやめることも簡単。関わった相手が傷つくこともある。だから、子供達に本を送ることも、無理のないかたちで続けています。
(82)

 本でもデザインでもアートでもそうですが、見えているものがすべてじゃないというか、見えているものはすごく小さなことで、その裏側にある大きなことをどれだけ見ようとするかが大切だと思う。パッと見たものがすべてかというと、そうじゃない。本当に最高な部分というのは簡単には見えないから、見えないものをどうやって見るかということ。そこを見ようと努力することが自分のテーマです。(118)

「よくいらっしゃいました。遠慮しなくていいよ」屈託ない笑顔を浮かべて、おばあちゃんは言った。言葉は日本語だった。日本統治時代、台湾の先住民も日本語を学んだ。そして日本語が公用語となることで、結果的に、それまで皆無だった先住民族間の交流が可能になった。七十歳以上の先住民のほとんどが、今でも日本語を流暢に話せるというから驚く。(226-7)


@研究室
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by no828 | 2013-06-26 23:42 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 23日

チャイティーラテにおけるミルクの誘惑は断ち切るべきだ

c0131823_15462797.jpg 週に3度は更新したく、週に1度は「日々」のことを書きたいと思っています。が、あまり代わり映えのない日々を送っています。週に6コマの講義とそのための移動、そして読書会。ただ、今週は送別会(栄転)があり、学類時代にお世話になったS根先生そのほかのみなさんと一席。人類学だと就職は早くて35歳、子どもが生まれると就職が決まる(子どもが幸運を運んでくるのは本当かもしれないね)、などなどのお話もうかがいました。大学への就職の厳しさは痛く体感しているところですが、その厳しさは昔にもあったのでした。わたしの周りはそうした就職の厳しさとは無縁の世界であり、わたしはそうした世界が嫌いです。研究はしなくてもいいから指導教員はじめ政治的な力のある先生の言うことを聞いていれば就職できるという世界が嫌いです。指導教員の仕事は院生を就職させることであると恥ずかしげもなく公言して憚らない人もいますが、それは就職と院生の研究能力および業績とは関係ないという宣言でもあります。実際、論文ゼロでも就職する人が多数います。このことによって生じるのは研究の縮小再生産であり、研究しない人間の拡大再生産であり拡散です。研究の先に就職があるとはかぎらない、でも就職は研究の先にのみあるべきだ、とわたしは考えます。そんなことを酔った勢いでしゃべってしまったように思うのですが、S根先生は「僕はそういう考えは好きだから、応援するよ」と小さくおっしゃってくれました。

 就職活動を通して“期待しない”ということを学んだわたしは、今週酵母書類を1件、提出しました。「研究業績一覧」というのをどの酵母でも提出することが求められ、そのなかには「学会発表」も記します(ただし、学会発表に対する評価は低い)。今回ももちろんそれを記すことが求められたのですが、その書き方が通常の場合とは異なりました。通常は、いつどの学会大会で発表したかを題目とともに書くのですが、今回はそうではなく、題目とともに学会大会発表要旨集録のページ数などを書くように指示がありました。これははじめてです。年度切替時期に研究室からアパートに道具一式を移動させるさい、分厚い発表要旨集録とはおさらばし、しかし必要になるかもしれないからと自分の要旨の掲載部分と奥付だけを切り取っておきました。これはよかったのですが、しかしそれをどこにしまったのかがわからなくなってしまい、探すのに苦労しました(移動のさいに明るみに出された細々した紙類の整理がまだ終わっていません)。書類作成にはそれで余計な時間がかかってしまいました。

 写真は、T塚のSタバのチャイティーラテ(とノート)。「氷少なめで」と言ったら「そのぶんミルク足しますか」と言われたので「はい」と答えてしまったのですが、飲んでみたら味が薄くなってしまっていて残念でした。紅茶も増やしてほしいです。薄めのチャイティーラテを飲みながら講義直前準備をしました。

@研究室
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by no828 | 2013-06-23 15:46 | 日日 | Comments(0)
2013年 06月 22日

演奏しないのが一番いいなんてのは、ただの屁理屈だ。屁理屈以下の戯れ言だ——奥泉光『シューマンの指』

c0131823_11515139.png奥泉光『シューマンの指』講談社、2010年。55(710)

版元 → 


 奥泉 光(おくいずみ ひかる)を最初に知ったのは、柄谷行人ら近畿大学の教員とともに出版された『必読書150』(版元 → )であったと記憶しています。奥泉は現在も近畿大学で教えています。

 物語の多層構造。

 題名にある「シューマン」とはもちろん、「ロマン派音楽」の作曲家ロベルト・シューマンのことです。

 音楽は、とりわけ西洋のいわゆる古典音楽〔クラシック〕は、一つの建築物であり、それ自身小宇宙をなすものであるけれど、不可逆性を有するところに建物との違いがある。音楽は全体を一遍に受け取ることはできず、時間のなかで順番に聴かれるしかない。物語もきっと同じだろう。順々に、根気よく語っていかなければならないのだろう。(42)

 グレン・グールドが前期ロマン派の音楽に否定的だったことはよく知られている。〔略〕
 グールドはなぜ前期ロマン派を嫌ったか。これはなかなか興味深い問題である。
 〔略〕
 ロマン派音楽の特徴の一つはその物語性にある。これはオペラに起源を持つので、その意味では、バロックこそが最も物語的だといいうるし、古典派にも当然ながら物語性は色濃く刻印されている。だが、ロマン派以前の音楽が、どこかで神話の輝きを帯びた叙事詩的な性格を備えていたのに対して、ロマン派は、近代文学と同様、個人の感情や内面の葛藤を物語の軸に据えるところに特色がある。だからこそロマン派音楽は、演奏者や聴き手の「感情移入」を容易に許す。物語が感情を揺さぶり、心から溢れ出す感情が物語を生み出す——。その果てしのない循環のなかで人は音楽と戯れる。
 「お話を作り過ぎる」グールドは、物語に触れて感情が過多になりがちな自分を厭がったのではないか。これが彼がロマン派を嫌った理由だというのが、私の仮説である。
(103-5)

「そう。だから、弾けなくていいんだよ。というか、シューマンは限界を超えることを求めてるんだ。あの曲、というか、ソナタはどれもそうだけど、曲そのものが限界を超えている(125)

□■□■□

音楽を台無しにしない演奏なんてないさ。どんな天才が弾いたって音楽は台無しになる。僕が目指したのは、いってみれば零の演奏、というか空虚の演奏さ。何も弾かないのと同じくらいに何もない演奏。絶対の零。あるいは虚数の演奏。そう、虚数っていうのが一番ぴったりかもしれない。かけ算するとマイナスになる。そういう演奏」(216)

イデアだか何だか知らないが、ようするに音楽性がないっていうだけの話さ。演奏しないのが一番いいなんてのは、ただの屁理屈だ。屁理屈以下の戯れ言だ。演奏しなくて、どこに音楽があるっていうんだ。演奏しないのが一番なんていうのは、恐いからだ。弾いて失敗するのが恐いからだ。そんなのはただの甘えだ。甘えているだけの話だ。あんな凄い演奏ができるのに、なんでちゃんと弾かないんだ!」(220)

かりに本当の音楽なんてものがあったとしても、誰かが懸命に演奏して、それをなんとか実現しようとするからこそ、ありえるんだ。完璧がありえないのはたしかだけど、それへ一歩でも近づこうとしなかったら、それは消えてしまう。しかし、君は、近づくんじゃなくて、どんどん遠ざかろうとしている」(221-2)

 この3つの引用に見られるような、イデア論とそれに対する批判は——史的にはおそらく逆にヘラクレイトスが先でプラトンが後のはずですが——人間の思考構造を繰り返し象ってきたと思います。そして、これを——たとえば人間はなぜイデアのようなものを想定したがるのか、のようなかたちで——メタ・ポジションへ上がることによって間接的に解決しようとしてきたとも思います。わたしはメタ・ポジションへ上がらずにこの思考構造を問題化したいと思っています。メタへ行くことがおもしろいと感じていたこともありますが、博論以降は顕著におもしろいとは思わなくなりました。ここから、あえてベタを語る方向へ進むこともできますが、わたしはこの“あえて”というのもあまり好きではありません。もちろんこの思考構造の問題がわたしの研究の主題ではありませんが、研究には思考が不可避的に伴うわけですから、その思考自体に関心が向かうのは当然だ——むしろ向けるべきだ——というのがわたしの考えですが、わたしの研究の主題が部分的に属する領域ではほとんど問題にされていないように見受けられます。

@研究室
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by no828 | 2013-06-22 12:40 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 19日

ぼくはどうやら、他人がその仕事をしている限りなら——丸谷才一『たった一人の反乱』

c0131823_1538712.jpg丸谷才一『たった一人の反乱』上下、講談社(講談社文庫)、1982年。54(709)

単行本は1972年に同社より刊行。カバー画像は単行本のもの(文庫版が見つけられなかったため)、上下分冊文庫版もこれと基本的に同様。

版元 →  ただし、講談社文芸文庫バージョン。


 故 丸谷才一(まるや さいいち)の長篇小説。丸谷の日本語表記にはこだわりがありますが、本書にはそのこだわりが貫かれていません。わざと?

 通産省のキャリア官僚 馬淵英介が防衛庁への出向を命ぜられたのにもかかわらず断って(少し時間を置いてから)民間企業へ天下った、そのあとの話。時代は(おそらく)1960年代後半。機動隊に石を投げる人たち、ヘルメットを被ってそれを撮影するカメラマン(カメラパーソン?)が出てきます。

 丸谷才一の市民論、市民社会論。近代との向き合い方。

「君は何を連想した? 市民で」
「フランス革命」
「これはまた正統的な」
「何しろ大学では社会学を研究しましたので。〔略〕市民てえのは何だろう、とか、シミンのシはシトワイヤンのシ、とか、そんな変なことを考えていた」
 そこまで言って小栗は冷酒を一気に飲みほした。ぼくは、
「シトワイヤンのシ」
 とつぶやき、マヨがすぐに、
「サクラのサ」
 とつづけ、そして小栗は濁った声で馬鹿笑いをした。
(上.32-3)

 官僚としてのぼくの経験から言うと、既成事実がある程度以上できあがった場合は、周囲の情勢がやはりそのことをよしとしているのだから、そういう「時の勢い」を尊重するほうがいいので、たとえ気に入らなくても軽々しく反対するのは禁物である。いつまでもそれに従うというわけではないが、うまい機会をつかまえるまでは逆らわず、さりとて賛成もしないで、不即不離と言うのか、とにかくぼんやりしていることが好ましい。(上.206)

 つまりぼくは……自分が社会という複雑な機構のなかにいることに対し腹を立てていたようだ。もし社会というものがなければどんなに楽だろうかと、コニャックの匂いを嗅ぎながら一瞬ぼくは深い吐息をついたのだ。(上.293)

 この年の八月と九月はそれまでぼくが体験した最も辛い二ケ月かもしれないし、しかもその辛さの原因が、女中が暇を取ったという他愛もないことであるだけ、なおさらやりきれなかった。いっそ悩む以上、資本主義か共産主義か、とか、神は存在するか、とか、何かもうすこし格式の高いことを苦にするのならどんなによかったろう、という感想が浮んだくらいである。(下.76)

が、そのすぐあとで浮んで来た考えは思いがけないもので、ぼくをはなはだしく驚愕させることになった。それは、女中という名の奴隷によって成立していたのがいわゆる市民的家庭ではないか、という重大な疑惑なのである。ぼくは最初、そんなことはないと否もうとした。健全で着実な市民社会の基礎が、実は奴隷の労働であると見なすのは恐しい冒瀆のようで、とても堪えられなかったからである。〔略〕要するに市民社会とは奴隷のおかげで存立していたものではないかという根本的な疑念が湧いて来た。(下.91-2)

「その『告白』のなかに〔略〕時計に関する二つの注目すべきエピソードが記されています。一つは、下宿の女中で彼の終生の伴侶となったテレーズに時計の読み方を教えようとして、いくら努力しても駄目だったという話で、ルソーはこのとき明らかにテレーズの無知を愛し、讃美しています。いや、羨んでさえいるかもしれない。第二は、その数年後、パリを去って隠遁生活にはいったとき、もう時刻を知る必要はないんだと思い、有頂天になって時計を売ってしまう話であります。それを売り払った瞬間こそは生涯における最も幸福なときであった、とルソーは述べていました。〔略〕売り払われた時計は、市民生活の秩序と原理に対する彼の反感を、この上なくあざやかに示しているのであります。事実、彼は市民社会に生きながら、市民社会を嫌っていました。市民であることを誇りとしながら、市民であることを逃れたいと願っていました。野蕃人の自然で素朴な状態に熱烈に憧れていた彼にとって、時計を読めない、しかし美しくて優しいテレーズは、野蕃人の美徳を保証するものにほかならなかった。ルソーは自然的人間と市民的人間を対立させました。そして……両者を何とか調和させようという企てに生涯を費やしたのであります(下.186-7)

 ここで職業の自由の話に戻ることができるわけだが、ぼくはどうやら、他人がその仕事をしている限りなら、自衛隊という一種の軍隊があってもいっこう差支えないと考えていたらしい。そして、しかし自分がその軍隊に直接かかわりを持つのは厭だと、あのとき直感的に判断したものらしい。〔略〕自分は通産省の仕事をしたいからこそこの官庁にはいったので、何も軍隊の資材の買付け係になりたくてはいったわけではない。どうもそんな気持だったようである。それは比喩的に言えば、国家にとっては対外的には軍隊という厭なもの、対内的には裁判所とか刑務所とかいうこれも厭なものがどうしても必要なことを認めていながら、そのくせ自分が看守になったり刑務所長になったりするのは御免こうむるという感じに似ているのではないか。我儘だとかエゴイズムだとかいろいろ悪口は言われるかもしれないが、厭なものはやはり厭なのだからそういう自由は認めてもらわなくては困る。言葉にすれば大体そんなふうになることを、ぼくは無意識のうちに前提としていたような気がしてならないのである。(下.248-9)

「国家という別の要素がはいるから、話が厄介になりますがね」
 とぼくは答え、
「いや、かえってすっきりするかもしれないな、そのほうが。だって、市民社会というのは発生的にも、そのあとも、ずっと近代国家のものなんだから、イギリスだって、フランスだって。アメリカもそうでしょう。そういう実際的な土台をぬきにして考えるのは、やはり間違いでしょうね」
(下.252)


@研究室
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by no828 | 2013-06-19 16:34 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 16日

だったら私自身、罰せられるべきだ——ケストナー『飛ぶ教室』

c0131823_16282334.jpgエーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』丘沢静也、光文社(光文社古典新訳文庫)、2006年。53(708)

原著は1933年、ドイツ語。原題は Das Fliegende Klassenzimmer

版元 → 


 わたしが本書を直接知ったのは、社会学者 大澤真幸が『週刊現代』の「わが人生最高の10冊」のうちの1冊に挙げていたからです(「大澤真幸オフィシャルサイト」 → )。わたしには『週刊現代』を定期的に読む習慣はなく、たまたま知りました。当該箇所を大学図書館でコピーしようと思ったのですが、収蔵されておらず。そこでウェブで検索したら上掲サイトに行き当たりました。そこに掲げられている10冊はわたしも大体読んでいるのですが、本書『飛ぶ教室』は読んでいませんでした。学校/教育に関わることは題名からも容易に推察でき、だから余計に読まなければと思いました。

 大人と子ども。先生と生徒。寄宿舎もある学校(ギムナジウム)が舞台です。

 どうして大人は自分の若いときのことをすっかり忘れてしまうのだろうか。子どもだって悲しくて不幸になることがあるのに、大人になると、さっぱり忘れてしまっている。(この機会に心からお願いしたい。子ども時代をけっして忘れないでもらいたい。どうか約束してもらいたい
 人形が壊れたからでも、あとで友だちを失ったからでも、泣く理由はどうでもいい。人生で大切なのは、なにが悲しいかではなく、どれくらい悲しいか、だけなのだ。子どもの涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない。ずっと重いことだってよくある。
(18-9)

「この事件、きわめて事務的に判断するとだよ、無許可で外出したことを確認するしかない。その場合、ゼバスティアン、どんな罰が妥当かな?」
「14日間の外出禁止です」と、少年は答えた。
「だが情状酌量の余地もある」と正義さん〔=ベーク先生〕がつづけた。「とすると、まず確実に言えることがある。信頼できる同級生として、どんなことをしても町に行かなきゃならなかったわけだよね。だったら、きみたちの違反は、外出許可をとるのを忘れたことだけになる」
 正義さんは窓のところに行って、窓ガラスごしに外を見た。そして顔をそむけたまま言った。「どうして私にたずねてくれなかったのかな? あんまり信頼されていないのかな?」。こちらに顔をむけた。「だったら私自身、罰せられるべきだ。きみたちの違反には私も責任があるわけだから」(97)


「賢いお金持ちが1ダースいれば、少しは救いになる」とケストナーは考えていた。〔ヴァルター・〕ベンヤミンはそういうケストナーを、「階級意識のない中途半端な小市民」と非難した。わかりにくい文章を書いたベンヤミンは、ラディカルな根源にあこがれ、子どものように革命を夢見ていたが、ナチから逃げる途中、自殺してしまった。ケストナーのほうは逮捕、焚書、執筆禁止などにもかかわらず、ナチに抵抗した。自殺など考えず、亡命もしなかった。その抵抗ぶりは臨機応変、ゲームのように軽快だった。(訳者による「解説」226-7)


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by no828 | 2013-06-16 17:03 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 15日

こんな事件を未然に防ぐ力は警察にはない——髙村薫『マークスの山』

c0131823_15382040.pngc0131823_15383690.png髙村薫『マークスの山』上下、講談社(講談社文庫)、2003年。52(707)

1993年に早川書房より刊行された単行本の全面改稿

版元 →  


 「元警視庁刑事 故鍬本實敏氏へ」と書かれています。被害者に一見関連のない“連続”殺人事件、それをつなぐ16年前の出来事。

 髙村薫の作品は(まだたぶん2作目ですが)、現実性への定位の仕方というか程度が独特のように感じます(そのように感じるわたしの現実性への定位の仕方/程度が独特なのかもしれませんが)。現実性に徹底的に定位し続けるなかで、とくに結末に関わって、現実性からくっと離脱する設定(場面、瞬間)があるように感じられるのです。何のために、ということを考え、これという回答は用意できていませんが、非現実的な(フィクショナル)現実を完結させるためには非現実が必要だから、ということは思いましたが、著者の意図を言い当てたものではないでしょう。

 もちろん下掲引用は、そのこととも本筋ともあまり関係がありません。

『……小生の方は、先日は、口論のあげくに同級生をナイフで刺し殺した中学生の取調べに立ち会って、こんな事件を未然に防ぐ力は警察にはないことを痛感した。家裁に送致したが、それで少年のかかえる問題が片づくわけではない。
 南アルプスの事件については、昨年秋、例の山梨県警の手配写真が届いた時点で、こちらの公安部にも少々動きがあったので、貴兄の言わんとしている事柄は想像がつくが、小生には、先日のような子供の事件一つの方が、公安のご大層な事案よりはるかに身近で深刻だ。足元のぬかるみを気にしているうちに、社会はどんどん悪くなっていく。目を据えるべきところに据えて、小生も貴兄も貴重な時間と神経を浪費しないことだ……』
(上.106-7)


 学校と○○との連携、のようなことが論じられます。専門学校の「教育学」で某共著書を教科書として使用していますが、そのなかにはその連携を論じた章も複数あります。議論のなかで、“学校は警察と連携すべきだ”という想定の範囲外の意見が学生から出され、わたしは正直なところ驚いたのですが、ところで学校-警察関係論の最前線はどうなっているのかと思いました。

「こんな事件を未然に防ぐ力は学校にしかない」

@研究室
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by no828 | 2013-06-15 16:14 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 12日

犠牲者の上にしか繁栄を築けないのであれば、それは支配層のための——奥田英朗『オリンピックの身代金』

c0131823_1512879.jpg奥田英朗『オリンピックの身代金』上下、角川書店(角川文庫)、2011年。51(706)

2008年に刊行された単行本の上下分冊化

版元 →  


 わたしの読んだバージョンのカバーがなかなか見つからなかったので、版元の関連画像を貼り付けました。聖火ランナーと聖火台。

 1964年東京オリンピック開催を妨害しようとする大学生のお話。オリンピックには華やかな表側と隠される裏側とがあり、本書はそのうちの裏側を描きます。首都と地方、雇用者と労働者、労働者のなかでも力のある者とない者、……。二項対立図式で議論することの問題点が学界では指摘されてきましたが、それが適用可能な部分もあるでしょう。

 また、事を起こすのは、革命に燃えるヘルメットの若者ではなく、普通の若者なのだと、改めて思いました。事を起こすのは特別な人間だ、というのは、事を起こすのは普通の人間のはずがなく特別な人間に違いないと思いたい自称「普通の人間」の認識です。事を起こす者を無批判に擁護しようというのではありませんが、足を踏み出すときに“これ”という瞬間、“これ”という出来事があるわけではなく、“いつのまにか”踏み出してしまっているのかもしれないという認識はあってよいと思います。

 ちなみに、330ページにわたしが引用したことのある——というのは別に支持しているということではありませんが——文章が語られていました。「それに則って現実が正されるべきひとつの理想ではない」という、あれです。

 ここ一年、国民全員が日本人であることを強く意識していた。町内会では、町をきれいに見せるために洗濯物を軒下に干さないよう話し合われ、傷痍軍人の物乞いたちも、外人に恥ずかしいからと自発的に擦り切れた軍服を脱ぎ捨てた。自衛隊も、近頃はもっぱら掃除部隊だ。世界に誇れるオリンピック東京大会にしようと、誰もが責任の一端を担おうとしていた。もしも新幹線の開通が遅れるとしたら、国民は率先してツルハシを片手に工事現場に向かうだろう。そんな勢いが日本中にあった。(上.47)

 この村の貧しさと夢のなさはどういうことなのか。経済白書がうたった「もはや戦後ではない」とは東京だけの話なのか。この村は戦前から一貫して生活苦にあえいでいる。生活が苦しいと、なんのために生まれてきたのかわからない。まるで動物のようだ。(上.97)

「二十五になって、そろそろ嫁さもらえと言われて、隣村の二十歳の娘と見合いをして結婚した。それが故郷の女房だべさ。好きも嫌いもねえ。田舎の結婚は馬の種付けと変わらん。嫁は跡継ぎさ産むのが仕事だ。誰も疑問には思わん。すごろくで言えば、それが“上がり”だ。夫婦共々、その先は何もねえ。肝煎りか村長の家ならなんかあっても、小作人にはなにもねえ。死ぬまで、ただ働ぐだけだ。そうこうしているうちに、三十過ぎて、初めて東京さ出稼ぎに来た。怖いところかと思っていだら、これが楽しかった。恐る恐る食堂さ入って、ケチャップライスを食べたら、うまくてたまげた。オナゴはきれいで、これが同じ人間かと思った。頭領に連れられてトリスバーさ行ったら、女給はいい匂いがした。手がきれいなのが信じられんかった。熊沢に生まれたオナゴは可哀想だべさ。指が太くて短いのは畑仕事のせいだ。三十で皺くちゃになる。こんな不公平はねえ。なあ、国男君」(上.147)

 そんな状況であるから、さぞかし資本主義の矛盾に対して労働者たちは憤っているかといえば、現状はいたって静かです。一日の労働を終え、飯場に戻って酒を飲むときの彼らは、普通に陽気で屈託がありません。わたし自身も同様で、搾取構造の底辺にいながら、易々と現状を受け容れている部分があり、半分は従僕です。もしもマルクスがこの場にいたら、低賃金で将来の保証もない状態にも拘わらず、立ち上がろうとしない無抵抗な労働者の姿に、悩んでしまうかもしれません。「階級闘争とは、実は階級間の争いではない」と先生の著者にありましたが、わたしはその意味を初めて知った思いです。奴隷を解放したのは、奴隷側のリーダーではなく、知識階層或いは有産階級の中から生まれた異分子、或いはテロリストたちであると、今になって実感しました。(上.310-1)

「同じ国だというのが信じられんぐらい、秋田とはちがう。これならオリンピックさ開いでも、外国の人に恥ずかしくね。何もかもが豊かで、華やかで、生き生きとして、歩いている人もしあわせそうで……。なんて言うが、東京は、祝福を独り占めしでいるようなとごろがありますねえ(上.357)

 国力か——。国男は反発する重いを抱き、小さく憤った。それを言うなら、国民の生活こそが国力なのではないか。この官僚が、地方の僻地の実態を知らないはずはない。東京だけをにわか近代都市に取り繕って、何が“世界に示したい”だ。(上.430)

「昨日の新聞に出てましたが、オリンピック関係の工事でどれほどの人夫が命を落としたか知っていますか」
「そんなもの知らね」
「東海道新幹線だけで二百人、高速道路で五十人、地下鉄工事で十人、モノレールで五人、ビルやその他を合わせると最終的に三百人を軽く超えると思います」
「ああ、そうだろうな。おめの兄さんも含めて、あちこちの飯場で死人さ出てるべ。でも、それがどうした。戦争よりはましだ」
犠牲者の上にしか繁栄を築けないのであれば、それは支配層のための文明です
(下.33)

「それから、おめ、アカなんだってな。おめは東大行くぐらい頭さいいんだがら、世の中を変えてけれ。おらたち日雇い人夫が人柱にされない社会にしてけれ
 塩野の口調にはどこか乾いた諦念があった。国男は返す言葉がない。
「頼んだぞ」
 向こうから電話を切った。人柱という言葉に、国男は打ちのめされた。以前マルクスを引き合いに出し、苛烈な搾取構造の中でも屈託のない飯場の労働者について、不思議でならないとの感想を自分は抱いた。しかしそれは過ちだった。彼らはちゃんと現状を認識している。戦う術を知らないだけなのだ。
(下.306)


追記:ここ数日、亡くなられた なだ いなだ さんの件で本ブログに来られた方が多いようです。『娘の学校』(→ )、『おっちょこちょ医』(→ )などを紹介したことがあります。

@研究室
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by no828 | 2013-06-12 16:30 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 08日

全てはそこに帰着するのだ。人々に関わることの是非に——法月綸太郎『ふたたび赤い悪夢』

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法月綸太郎『ふたたび赤い悪夢』講談社(講談社文庫)、1995年。50(705)

1992年同社ノベルス

版元 → 


 「——西村頼子の霊前に捧げる」と扉に記された本書は『頼子のために』(→ )の続編であり、たしか『雪密室』(→ )に登場した畠中有里奈が再登場します。

 『頼子のために』の最後になした法月綸太郎の行為から帰結した事柄のために、本書において法月綸太郎は探偵であることをやめようとします。

 僭越な重ね方になりますが、法月綸太郎が作品のなかで煩悶することとたぶんほぼ同じことを、わたしは学問のなかでしています。

探偵という立場を支える根拠など、何もない。どこにも存在しない。彼の確信は、この時から静かに崩れ始めていた。
 かつて、こんな思いをしたことはなかった。それとも、単に西村頼子の事件が特殊だったにすぎないのだろうか? 綸太郎は自問を繰り返した。探偵にとっては、関与すべきゲームと関与すべきでないゲームがあると考えたらどうだろう? その上で、前者のみを選択し、後者には近づかないようにするのが賢明な策かもしれない。だが、もとよりそんなことは不可能だ。ひとつの事件が、探偵という立場の無根拠を露呈させるかどうかは、解決の瞬間までわからない。そして、その時にはもう、誰も後に引き返すことはできないのだ。
 今までの自分は、途方もない欺瞞の上に平然とあぐらをかいていた!〔略〕義務感からワープロに向かっても、たえず根源的な疑惑を鼻先に突きつけられているような気がして、めまいがしてくるのだった。だから、何も書けない。書けないことが、いっそう綸太郎を苦しめた。今までのスランプとは、次元がちがっていた。こういう感覚は、彼のような人間にとって、生きる根拠の剥奪と変りなかった。
(20)

 こうした煩悶の処方箋として本書で挙げられているのは、エラリイ・クイーン(すなわちフレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リー)であり、その『九尾の猫』(と『ダブル・ダブル』)という作品です。いずれも未読。読んでみようと思いました。

「勘弁してください、お父さん。ぼくは、以前のぼくじゃない。今は、人殺しの話題に付き合える気分ではないんです。誰かの人生を左右するようなもめごとに、飛び込んでいく自信がないんです
「だが、おまえはもう飛び込んでいるのだ」警視は厳しい口調で宣告した。「彼女の電話を受けた時から、おまえはこの一件に関わってしまったのだ。もう後戻りは利かない。彼女を見捨てるとしたら、おまえは自分の責任を放棄することになる。何もしないことで、彼女を裏切ることになる」
(85)

 “それ”に関わるか関わらないかは、実は自分では選べないのかもしれません——教育と関連させてこの点をもう少し考えてみたいと思います。

仮に信念に基づく約束が、現実の前に敗北し、空手形に終るべく定められているとしたら、むしろ初めから事件に手を出さないことが、唯一の倫理的な立場といえるのではないか?
 綸太郎はまたしても、半年前と同じジレンマの中にあった。全てはそこに帰着するのだ。人々に関わることの是非に。いや、それはもう、是非の問題ですらない。単に続けるか、手を引くかの二者択一でしかなかった。しかし、いずれを選ぶにしても、その決断には妥当な根拠が存在しない。よりよい結末が考えられない状況で、いったいどこに選択の余地があるのだ? どうやって、答を出せというのだ?
(362)

 この問題に憑かれた——という表現がよいのかどうかはわかりませんが、これが問題にならない人にとっては問題ではないのです——法月綸太郎は586ページで、柄谷行人『探究Ⅱ』(!)におけるスピノザの神への言及に触れています。柄谷もスピノザ『エチカ』も読みましたが、まさかここで出くわすとは思いませんでした。“外部はない”というお話だと思います、と書いて、根拠は外部なのか? とも思いました。根拠は主張の外部に存在するものである、存在していなければならない、なぜなら主張に根拠が内在するということは同語反復だから、……。むむむ。

 砂漠か、と綸太郎は思った。砂漠へ出よ、それがクイーンが残した道標なのだ。そして、それ以上でも以下でもない。後は自分で考えることだ。久保寺容子に教えられたように。それしかない。粘り強く、執拗に考え続けることだ。(591)

 やはり……。

@研究室
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by no828 | 2013-06-08 16:11 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 02日

私は自分のことを観念の化け物だと思っています——法月綸太郎『頼子のために』

c0131823_1710292.png法月綸太郎『頼子のために』講談社(講談社文庫)、1993年。49(704)

1989年同社ノベルス

版元 → 


 「頼子」は殺された娘の名前。父は警察の捜査に疑問を抱き自ら犯人を裁こうとし、母は事故のためにベッドに寝たきり。作家 法月綸太郎が真相解明に乗り出す。

 下掲引用文はその寝たきりの母と法月との会話ですが、本書主題に直接的な関係はありません。看護学校の「生命倫理」の講義に関わる、ということは、講義をするわたしの問題意識とも関わるということですが、そんな内容です。ちなみに、心身二元論の更新のようなことに今年度は学生と一緒に取り組んでいます。これは以前から実存的に関心のある事柄です(→ )。「講義」とは何か、それはその科目の専門家のあいだで広く合意された内容を伝達するものなのか、それともその講義を担当する者の考えを伝達するものなのか、この2つを極に据えることができると思います。わたしは、「その講義を担当する者の考え」は研究論文によって伝達すべきだと基本的には考えています(講義では偉そうにしゃべるけれども論文は書かないし学会発表もしないというのは本末転倒だと考えています。何を「本」とし、何を「末」とするかという問題です。大学人は研究者であることが「本」だと目下のわたしは考えます)。だから講義では「その科目の専門家のあいだで広く合意された内容」を伝達すればよいと考えています。しかし、これは“それがどういう性格の科目なのか”にも左右されると思うのですが、「その科目の専門家のあいだで広く合意された内容」を簡単に前提してよいのかどうかという問題もあります。そのさいは、“「その科目の専門家のあいだで広く合意された内容」を簡単に前提してよいのかどうか”という疑いを差し挟んでいる者の考えを提示せざるをえません。看護学校の講義では、わたしの「考え」と呼べるほどに確固としたものではなく、“思考の右往左往”をそのまま示すような恰好になっています。学生自身に考えてほしいという願いもありますから、わたしのああだこうだも思考の足がかりくらいにはなるのではないかと思っています。

 ここまで長くなりました。以下、引用です。

私の体の三分の二は自分の意志ではどうにもならないもてあましものですわ。この機械仕掛けのベッドがなければ、私は満足に生きていくこともできません。下の世話まで他人に任せなければならないのです。そういう状態がどういうものか、あなたにわかるかしら」
 綸太郎は首を振った。
「——私は自分のことを観念の化け物だと思っています
 彼女は自嘲の響きすら込めることなく言った。綸太郎はぞっとする戦慄を覚えて、答えることができなかった。〔略〕
「でも、私はまだ幸運な方ですわね」と彼女は続けた。「私よりずっと重い障害に苦しんでいる人はたくさんいます。私はまだ腕を動かすことができますから。もっとも左手はかなり不自由ですけど」
 夫人はやせた左手をぎこちなく持ち上げた。それは針金に紙粘土をつけただけのようなみすぼらしい腕だった。だがその腕は有無を言わせない強制力を備えていた。それから目をそらすことは、ゆるされないことであった。
(136)

 下方比較をすることにより自らが恵まれた位置に存在することを確認することにどれほどの意味があるのか、とよく考えます。“「途上国」の子どもを実際に見て、「先進国」に生まれた自分がすごく恵まれていることに感謝しようと思いました”といった趣旨の発言を耳にすることがあるわけですが、わたしはこれに違和を感じます。この違和感の正体をうまく論理的に言語化することがまだできません。

@研究室
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by no828 | 2013-06-02 17:37 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 01日

結婚パーティーを照らす満月は電車の扉も開けてくれた

c0131823_12152355.jpg 1週間も過ぎてしまいましたが、5月25日(土)に学友kouちゃんの結婚式披露宴2次会がありました。会場は隣駅、時間は20時から。「学友」とはいえkouちゃんとわたしは学類の同期であり、しかし大学院進学後に付き合いがさらに深まったようにも感じていて、だから学友と呼んでいますが、括りとしては「国際18期」です(受付でもそのようになっていました)。同期のうち誰が来るのかまったくわからずに会場へ向かったら、迷子のMK子——「M子」が複数存在するのでこのように表記します——と遭遇し、わたしも所在を具体的にはよくわかっていなかったので、ふたりで会場を探しました。何とか辿り着いたらそこにはT・C・T親子、K幹事長、KBTM、(その日の昼間にわたしが別件でメールを送った)Sディレクター、MC子、H(・W夫妻)、RM子がいました。会場のなかで、T・C・R親子、S悟、Yちゃん(「Yっ子はどうしたの? 置いてきたの?」と女性陣に質問されまくっていました)、KI(司会)、SBKM、……同期を忘れていないか心配ですが、ほかに17期S先輩、19期以下たくさん(ごめん名前のわからない人のほうが圧倒的に多い)。S先輩やPP、Y(TKD)たちと研究にまつわる話が少しでもできたのはよかったです。


c0131823_12144390.jpg 奥様とどういうふうに知り合ったのかについては、以前kouちゃんS先輩などとの酒席で聞いていたのですが、奥様Nさんを見たのは2次会がはじめてでした。奥様を紹介するような企画(出し物)もあるのかなと期待していたのですがそれはなく、それが残念と言えば残念でしたが、今回はkouちゃんのすぐれてよい意味での多面的な顔、つまり高校の、学類の、サークルの、NPOの、会社の、というそれぞれの顔、平野啓一郎の言葉で言えばたぶん「分人」にあたるそれらを、相互に交錯的に、結果的には総合的に認識・理解する場という設定で、その趣旨は十分に参加者に伝わったのではないかと思います。村上春樹の、とくにその複数世界における同時存在という観念が今回のパーティー全体の下敷きにもなっていましたから、個人的にはふむふむと——平野啓一郎と村上春樹を関係させて考えるとどうなるのかな、なども考えながら——うなずいていました。個人的にはまた、kouちゃんの高校野球部時代の映像やアニメの世界が新鮮でした。とくに後者に関する企画には、Yちゃんも積極的・主体的に——つまりは実存を賭して——関わっていて、それがYっ子を連れてこ(られ)なかった理由の説明にもなっていました。たしかにあれは奥さんには見せないほうがよいかもしれないね(kouちゃんは見せたわけだけれど)。そんなkouちゃんに対する国際18期女性陣による評価は——そういう企画があったのですが——、10年以上(!)の付き合いということもあり、かなりシビアな、しかし実はとても心遣いにあふれたものでした。一般に言われるところの「愛されてるなあ」です。それをしみじみと感じました。

 帰京組とともに会場を出て外を見上げたら満月でした。kouちゃんNさん、おめでとうございました。よき日でした。

 ちなみに、わたしは帰京組とは悲しいかな反対の電車に乗り込まなければならなかったわけですが、われわれが駅に着いた頃にちょうどそのわたしだけが乗り込む「反対の電車」がやって来ました。みんなを見送ってから次のに乗ろうかと思ったらその「次」がおよそ30分後で、そんなに耐え忍べないわたしは「じゃあね」と言って走って改札を通り階段を駆け上がりましたが、あと2歩くらいで無情にも扉が閉まってしまいました。しかし、なぜか扉がもう1度開いたので(!)態勢を整えなおして乗り込みました。無事に乗れました、というご報告です > MC子、RM子、Sディレクター、K幹事長。「じゃあね」というのはあっさりとし(すぎ)た別れ方ですが、時間をかけて別れを惜しむと別れたあとが辛いから「じゃあね」でよかったかもしれない、と思ったりもしました。

 kouちゃん、改めておめでとう。


@研究室
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by no828 | 2013-06-01 13:28 | 友人 | Comments(2)