思索の森と空の群青

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2013年 07月 31日

蔵書は健全で賢明でなければならない——岡崎武志『蔵書の苦しみ』

c0131823_13474223.jpg岡崎武志『蔵書の苦しみ』光文社(光文社新書)、2013年。63(718)

版元 → 


 新刊で購入。著者はライター、書評家です。

 大学の研究室が今年の3月で使用できなくなり、年度切替の時期に書物を研究室からアパートへ運び込みました。アパートに置いていた趣味本(主に小説)はもはや実家へ持っていかざるをえませんでした。1,200冊ほどを入れるために800冊ほどを出した、ということになります。それでも置いておきたい(注1)趣味本もあるわけで、300冊くらいは残したと思います。結果、現在の部屋には大体1,500冊くらいある計算になります。が、日々増えています。

 注1 この「置いておきたい」という感情は一体何なのでしょう。

 そういうわけでわたしなりに「蔵書の苦しみ」を感じていたわけですが、この本を読み、“「蔵書の苦しみ」を名乗るのにはまだ早いっ!”と言われたように思いました。著者は2万冊以上の水準「蔵書の苦しみ」を感じてきました。桁が違います。安心しました(← え、そういうことでいいの?)。

 本棚に置いておくべき本の最適数はどのくらいなのか、などなど本書で提出されている疑問のいくつかは、蔵書数が増加するにつれてわたしも抱くようになりました。買ったものは全部読む、から、気になったものはとりあえず買っておく、へといつの間にか転じたことにより、読んでいない本も本棚へ並ぶことになります。これは“むむ、読まなくては”という意識を強くするための装置にもなるわけですが、あまり気持ちがよいものでもありません。また、冊数が増えれば、本棚には本を前後2列に収納せざるをえなくなり、“自分は何を読んだのか、何を持っているのか”がわからなくなってきます。一時期までは——この時期とはおそらく“買ったものは全部読む”時代と重なっています——全部記憶していたのですが、なかなかそれもできなくなっていきます。

 本は1列に壁1面に2面に3面に、というのが理想です。それができればすべての本の背表紙を見ることができます。一目瞭然。そんな環境に(できるだけ遠くない未来に)身を置きたいです。本書に紹介されていた根岸哲也さんの「本の栖〔すみか〕」を非常に羨ましく思いました(本書123ページの写真をぜひ参照)。

すべて、あそこの古本屋、ここの古本屋と渡り歩きながら、一冊一冊買い集めたものばかり。いつも眺め、取り出し、ときになでさすってきた本たち。それが、売られていく日は、飼っていた子牛を手放す酪農家の気分だった。
〔略〕
 それでも、やっぱり本は売るべきなのである。スペースやお金の問題だけではない。その時点で、自分に何が必要か、どうしても必要な本かどうかを見極め、新陳代謝をはかる。それが自分を賢くする。蔵書は健全で賢明でなければならない。初版本や美術書など、コレクションしていいものだけを集め、蔵書を純化させていくやり方もあるだろうが、ほとんどの場合、溜まり過ぎた本は、増えたことで知的生産としての流通が滞り、人間の身体で言えば、血の巡りが悪くなる。血液サラサラにするためにも、自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放せばいい。
(26)

 問題なのは、机のまわりに積み上げられた本と、格納庫たる本棚との循環がうまくいかないことだ。目の前の仕事が終わって、用済みになった本はもとの本棚に収めれば、またあらたに必要な本を、身のまわりに待機させることができる。ところが、そのときに収めるべき本棚はすでに満杯で、本棚の前にも床から積み上げられた本の壁ができている。用は済んでも、帰るべきところがないのである。(59)

「〔略〕一日に三冊もの本を読む人間を、世間では読書家というらしいが、本当のところをいえば、三度、四度と読みかえすことができる本を、一冊でも多くもっているひとこそ、言葉の正しい意味での読書家である
〔略〕
自分の書棚には、時に応じて、自在にページをひるがえすことができる本が、五、六百冊もあれば十分、その内訳が少しずつ変ってゆくというのが、いわゆる完全な読書人なのである
(151-2.ただしこれは、吉田健一を書いた篠田一士〔はじめ〕の『読書の楽しみ』構想社からの引用)


 研究者は、そんなに簡単に本を売れないと思います。「蔵書の苦しみ」を抱えながら、それでも生きていかなければならない(大袈裟)。それゆえ、その苦しみを具体的かつ技術的にどう緩和できるかが問われることになります。研究者はいかに蔵書の苦しみを緩和したか——ぜひシリーズで読みたいです。

@研究室
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by no828 | 2013-07-31 14:26 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 28日

仕事でつらいことをやらないといけない人間は、悶え苦しんでやらないと——伊坂幸太郎『モダンタイムス』

c0131823_113046100.pngc0131823_1131971.png伊坂幸太郎『モダンタイムス』上・下、講談社(講談社文庫)、2011年。62(717)

単行本は2008年に同社

版元 →  


 「モダンタイムス」といえばチャップリンですが、伊坂作品も現代社会に対する批判の構えをチャップリンから引き継いでいるように思われます。「国家」や「システム」に対する批判、というより、「国家」や「システム」(への批判)に対する感度が低下した人間に対する批判です。

 本書は、『魔王』(→ )と『ゴールデンスランバー』(→ )と接点が多い作品です。「登場」人物に重なりがあります。

一番の恐怖は想像力から生まれるんだ。あいつの指に何が起きたのか、想像すればいい」(上.100)

「人ってのは毎日毎日、必死に生きてるわけだ。つまらない仕事をしたり、誰かと言い合いしたり。そういう取るに足らない出来事の積み重ねで、生活が、人生が、出来上がってる。だろ。ただな、もしそいつの一生を要約するとしたら、そういった日々の変わらない日常は省かれる。結婚だとか離婚だとか、出産だとか転職だとか、そういったトピックは残るにしても、日々の生活は削られる。地味で、くだらないからだ。でもって、『だれ〔ママ〕それ氏はこれこれこういう人生を送った』なんて要約される。でもな、本当にそいつにとって大事なのは、要約して消えた日々の出来事だよ。子供が生まれた後のオムツ替えやら立ち食いソバ屋での昼食だ。それこそが人生ってわけだ。つまり
人生は要約できない?
ザッツライト
(上.202)

偽善とは何だ?」私はふと、訊ねている。
「本当は大した人間でもないのに、いい人間のふりをしてるってことだ」
それが悪いのか? 誰に迷惑をかけるんだ? 本当はいい人間なのに、悪いふりをしている奴のほうが傍迷惑じゃないか」
「善人のふりをして人を騙す奴がいるだろ」
「人を騙さなければ? いい人間のふりをするのは悪なのか? 善き人間であろう、と振る舞うことは悪くないはずだ」
(上.206)

「想像力と知覚が奪われる?」
自分たちのはめ込まれているシステムが複雑化して、さらにその効果が巨大になると、人からは全体を想像する力が見事に消える。仮にその、『巨大になった効果』が酷いことだとしよう。数百万の人間をガス室で殺すような行為だとしよう。その場合、細分化された仕事を任された人間から消えるのは
「何だい?」
『良心』だ
(上.278)

国が、国民のことを考えずどうするのだ、と私は半分笑いたい気持ちだったが、その際、自分の頭に浮かんだ、「国」という主語がいったい何を指すのか、それも明確ではないことに気づく。(上.279)

「そうじゃなくて、そんなにシンプルにはできていないってことじゃないかな。世の中の荒廃も、貧困も、憎しみもね、誰か一人とかどこかのグループのせいだ、なんて名指しできないわけ。分かりやすい悪者はどこにも、いない。潤也君の考えによればね。どの悪人も、結局は何かの一部でしかないんだって。犬養さんもその一部だったんだろう、って。というよりね、犬養さん自身も一度、ぼそっとこぼしてたんだよ。結局、自分はシステムの一部に過ぎない、って」(下.74-5)

「おまえは、システムを設計するシステムエンジニアだ。それに比べて、世の中を覆うシステムには、システムエンジニアが存在しない。誰かが作ったものではないんだよ。独裁者はいない。ただ、いつの間にかできあがったんだ(下.183)

「正確には、監視されているんじゃないか、と思わせるだけだ。それだけで十分、効果はある。いいか、監視や命令は必要ないんだ。ある程度、枠組みを作ればあとは、勝手にうまく動いていくもんだ(下.246)

「いいかい。人間は今まで、次の世代の人間を教育することで歴史を続けてきた。人間は教育されなければ、社会を担うことができない」
「そういう側面はあるかもしれませんね」私は曖昧に同意する。
ただ、どのように教育すれば人間は適切に育つのか、そのことに正解は発見されていない。およそ何百年、千年以上もの間、大人は子供を教育してきたにもかかわらず、ほとんどが場当たり的で、思い付きの教育だった、と言える」
(下.264)

「俺たちの生きている社会は、誰〔ママ〕それのせいだと名指しできるような、分かりやすい構造にはなっていない。さまざまな欲望と損得勘定、人間の関係が絡み合って、動き合っているんだ。諸悪の原因なんて、分からない。俺はその考え方は正しいと思う。図式のはっきりした勧善懲悪は、作り話で成り立たないんだ」
「まあ、そうかもね」佳代子が同意している。
ただ、そう考えていくと、最終的に辿り着くのは」永嶋丈は首をぐるっと回した。運動選手の準備運動にも見える。
「辿り着くのは?」大石倉之助は、緒方から離れ、身体を震わせながら椅子に寄りかかった。
虚無だ
(下.383)

仕事だからやらざるをえない、それは分かる」佳代子の目は怒っているようではなく、これからバーゲンセールにでも出かけるかのような喜びに満ちていた。「だけどね、開き直ったらおしまいなのよ。仕事でやったとしても、悪いことをしたら、しっぺ返しがくる。というより、誰かを傷つけたら、それなりに自分も傷つかないと駄目だと思うの。仕事でつらいことをやらないといけない人間は、悶え苦しんでやらないと
「悶え苦しんで?」永嶋丈が訊ねる。
そう。くよくよ悩んで、だけど仕事だからやる、それなら分かるけど、ただ、何も考えずに人を傷つけて、きゃっきゃっと騒いでるのは駄目だね
(下.390)

 この最後の引用部分は、実はわたしが博士論文で辿り着いた結論とほぼ同型であります。もちろん伊坂作品とわたしの論文は、その主題も内容も文脈も異なります。が、結論(めいた部分)の型だけを取り出せば、それはほぼ同じです(とわたしは思いました)。システムへの抗いという問題意識はたしかに共有していますし、抗うためにはどうするかという方法的な問いも部分的に共有しています。が、わたしは“システムがシステムへの抗いをも含めてシステムとして成立していると想定するならその抗いはシステム存立の栄養を供給しているだけでありその意に反して抗いにはならないのではないか”という諦念めいた考え、上掲引用の言葉で言えば「虚無」にも軽く取り憑かれ、立論の軸をその抗い方には置きませんでした。ただ、“いつの間にか出来上がったシステムはそれなりの事情があって出来上がってそれなりの事情があって維持されてきたのだからこれからもそのままでよい”という態度を「保守主義」と呼ぶなら、わたしはそれには与しようとは思いません。

「いえ、ぜんぜん違いますよ。僕は、道筋を作ってもらったり、きっかけをもらえればいろいろ頑張れるんですけど、最初の閃きみたいなのはできないんですよ。よく言うじゃないですか、ゼロから一を生み出す能力って。僕は、一を二にして、三にして、百にして、というのならできるんですけど、ゼロからは無理です(上.124)

 この点は、上掲の一連の引用とは趣旨を異にしますが、わたしが日頃よく思うことです。わたしは、この「僕」と同様に、一がないと何もできないタイプだという自覚があります。「最初の閃き」が弱いです。だから実は研究者には向かないのではないか、と思うことがあります(よくあります)。しかし、よくよく考えてみれば、現在の学問はこれまでの積み重ねのうえにあるのであって、それは一であり二であり百でもあると見ることができます。だからわたしの前にはすでに一や二や百があるのであって、わたしはそこにさらに積み上げ、あるいは必要ならそこを崩して積み上げなおせばよいのだ、とも思います。だから「最初の閃き」が弱いわたしでも研究を続けられそうだ——という何だか自分を説得するような文章がここに書かれることになりました。

@研究室
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by no828 | 2013-07-28 13:05 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 24日

気付いたからには、末路哀れは覚悟の上といわねばなりますまい——北村薫『冬のオペラ』

c0131823_17141376.jpg北村薫『冬のオペラ』角川書店(角川文庫)、2002年。61(716)

2000年に中公文庫

版元 → 


 名探偵 巫 弓彦(かんなぎ ゆみひこ)と、その探偵ぶりの記録者「わたし」姫宮あゆみ の物語。「わたし」の勤める不動産屋の上階に探偵事務所がある、という環境です。「名探偵・巫弓彦」の看板に「?」となるところから物語ははじまります。ただ、この「名探偵」はアルバイト掛け持ちです。アルバイト掛け持ちに、わたしは親近感を抱きます。大学や短大や専門学校の非常勤講師の仕事は、わたしの父に言わせれば「アルバイト」です。しかしわたしは、名探偵ではない。

「名探偵はなるのではない。ある時に自分がそうであることに気づくのです。いいですか、そのまま頬被りして、死ぬまで、平穏な一般人としての道を歩むことも出来る——」
〔略〕
ゴーギャンはマルキーズ諸島、ヒヴァ・オア島でごみのように死んだそうです。自分が画家であることに気付かなければそんなこともなかったでしょう。気付いたからには、末路哀れは覚悟の上といわねばなりますまい
 わたしはいった。
「《名探偵》って、可哀相なんですねえ」
(24-6)


@研究室
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by no828 | 2013-07-24 17:24 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 21日

ファーストがなければセカンドもない

c0131823_1538774.jpg ここ何日か、涼しい夜が続きます。明け方は窓を閉めないと寒いくらいです。7月6日(土)からの猛暑の連続はどこへ行ったのでしょうか? なぜわたしの学会(大会)発表の前日から急に暑くなったのでしょうか? 自然に悪意を認めざるをえません。35度と30度では、全然違います。

 その猛暑の最中に開かれた学会発表も終わり、講義は今月一杯続くものの、できるだけ思考しない日を設けました。その日はS野のアウトレットへ行きました。途中、K河に立ち寄り、昼食を摂りました(→ )。「つけめん」(たしか鶏白湯魚介塩)です。「つけめん2号」(たしか鶏白湯魚介醬油)もいたのですが、まずは先人に敬意を払います。そのあたりのことはきちんとしなければなりません。

 味の解説はできませんが、おいしくいただいたことは記しておきたいと思います。麺がよいですね(つけ汁ももちろんよいですが)。らーめんよりもつけめん、というより、つけめんの麺がわたしは好きです(太め、歯ごたえ強め)。K河のこのお店にはここからだと1時間30分くらいかかることがわかりました。食べるためだけに行くには(わたしの感覚では)遠いですが、別の目的が近隣にあれば、ぜひ立ち寄りたいところです。友人が(目下のところ)K河在住と聞いていたのにこの日は連絡をしませんでした。“ああ、このあたりに住んでいるのかもしれない”という想像に注力しました。気持ちは届いたと思います。先方から“近いので遊びに行きます”との便りもありましたが、わたしから行くこともありです。子どもを2人連れて、というのも大変そうだから。と、この場で申し出てみました。


c0131823_15393146.jpg K河からS野へ。

 S野アウトレットの駐車場には、地元福島県の某公立小学校の教職員御一行を乗せたバスが停まっていました。“アウトレットに教職員旅行で来るのか……(ほかにないのか……(教職員旅行の意味がもはやアウトレットなのか……とか))”と驚きました。が、それだけではなく。アウトレットの入口で全体の記念撮影をしていた団体があり、それはおそらくこの教職員御一行でしょう、というか、間違いないと思われ、“記念撮影をしている教職員御一行を記念撮影しよう”というセカンド・オーダーにおける観察の足場=メタ認識を獲得しましたが、“いざ撮影”と思ったらファースト・オーダーにおける撮影が終わってしまい、メタを機能させることができませんでした。ファーストがなければセカンドもありません。つけめん がなければ つけめん2号 もありません。それと一緒です。

 アウトレットはA見にもあり、しかしA見だと思考停止状態に陥るためには近すぎるし、また、その近くの非常勤講師先(=看護学校)の学生に出会す可能性が高まるためにS野にしましたが、よくよく考えなくてもS野だとT木の非常勤講師先(=短大)の学生と出会す可能性が高まることは明らかです。が、結果としてたぶん出会していません。出会していれば、毎回の講義で書いてもらう「質問用紙」に書いてくるはずです。そのくらいの関係性は学生と築けてきたと思っています。前期の講義も終盤、あとは試験を残すのみの学校が出てきました。

@研究室
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by no828 | 2013-07-21 16:33 | 日日 | Comments(0)
2013年 07月 20日

つまりそれって。特定の誰かではなく、システムそのもの——大野更紗『困ってるひと』

c0131823_1663674.jpg大野更紗『困ってるひと』ポプラ社、2011年。60(715)

版元 → 


 ポプラ社のホームページに連載されていた文章が本になったものです。わたしはウェブ上で読んでいましたので発売直後に自分用に買うことはしなかったのですが、贈り物用に買いました。

 今回改めて購入して読みました。講義をしたあとなどは軽く興奮状態にあるため入眠に時間がかかることがあります。この本を手に取ったのもそうしたときでした。余計に眠れなくなりました。

 看護学校での講義のときは、よくおすすめしています。昨日は看護学校の(何年か前に教えた)学生と飲みましたが、そのときもすすめておきました。わたしを含めその場の3人が、大野さんと同様、福島県出身ということもありました。

 九月のなかば。ひととおり検査をして、膠原病内科の担当の医師から出た言葉は、
「正直言って、自信ない。よく、わからない」
「ためしに、ステロイドを投与してみることしかできない」
 ステロイドは、診断も病名もつかないまま、「ためしに」使っていい薬ではない。福島では、これが限界なんだ。自信がないと自ら言うひとに、命を預けるわけには、いかない。
「東京で、専門医の先生の意見をうかがってみたいので、紹介状を二通、書いていただけますか」
 東京へ戻ろう。
(28)

 しかし、
医者って、病気のひとの苦痛を軽減してくれるのが、仕事じゃないんですか。ずっと前から思ってたんですけど、どうして、日本の大きな大学病院って、入院とかさせてくれないんですか。こんなに具合が悪いのに。どうして、何時間も、何週間も、何か月も待たせて、延々と外来に通わせて、だらだらと中途半端な検査ばっかりして、誰も、何も、してくれないんですか。患者は、病院に通うだけでどんどん悪化しちゃうじゃないですか、これじゃあ。
 エライ先生を目の前にして、口には出せないが、頭の中でワンワンと、言葉にならない言葉がゆきすぎる。で、最後に何をおっしゃるかと思えば、
福島に、お帰りになってはいかがですか
 一瞬で、切られたことがわかった。めんどくさそうだから診る気ないよ、と表情がはっきり語っている。これが白い巨塔の実態ですか。そうですか。失望、絶望で呆然としながら、会計でさらに一時間待たされた。
 何があっても、もう二度と、行かない。
(30)

 難病や持病がある患者さん、特に先天性や若年のうちに発症し、民間の共済や医療保険等に加入できず経済的負担に苦しんでいる人たちはたくさんいる。良心ある保険会社の方々、どうか御一考いただきたい。子どもは、病を自ら選んで生まれてくるわけではないのだ。もし自分の子どもが、家族が、その立場だったらどうだろうかと、考えてみてほしい。(60-1)

 医者は慎重でなくてはならないが、迷ってはダメなのだ。(78)

 でも、ひとは、自分以外の誰かのために、ずっと何でもし続けることは、できない。(209)

 じゃあキャンプの中で、ビルマ難民が頼っていたものは何だったっけ、と、記憶をよみがえらせてみる。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の援助米。NGOの急ごしらえの病院。〔略〕
 つまりそれって。「国家」。「社会」。「制度」。特定の誰かではなく、システムそのもの。
 ひとが、最終的に頼れるもの。それは、「社会」の公的な制度しかないんだ。
わたしは、「社会」と向き合うしかない。
(212-3)


 制度構想へと向かったジョン・ロールズの正義論。原初状態、立場の入れ替え可能性、わたしもあなたのようになりうるし、あなたもわたしのようになりうる。制度、やはり制度なのか?

 制度のためには、それが成立・維持されるためには、連帯や共生の意識がなければいけないか? 連帯や共生の意識がなければ制度は成り立たないのか? 逆に、制度がなければ共生も生まれないのか? 共生が制度を支え、制度が共生を促すのか? 制度のための共生? 共生のための制度?

 個人的にはいま、自分の研究分野に限ってのことですが、脱制度の思考状況にあります。何を制度化し、何を制度化しないか、という点の見極めが必要だと思いました。そして詰まるところ人文学・社会科学の多くにおいては、何を制度化すべきか、制度化すべきでないか、をめぐって立場が分かれるのだと思いました。もちろん立場は二項対立には収まらずに、この二項の振幅のなかで多数立てられるのだと思います。

@研究室
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by no828 | 2013-07-20 17:08 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 18日

クラシックプレミアム(アサヒ)

c0131823_13215675.jpg
クラシックプレミアム(アサヒ)

原料:麦芽、ホップ
度数:5%
原産:日本

蔵元 → 


 先週の首都講義行脚のさい、昼食を摂っている時間がなく、S江古田駅前のサ○クス(なぜか駅前の目視が完全可能な範囲、道路の此岸と彼岸に2店舗あります)に駆け込み、サンドイッチでも購入して学校の控室で食べようと思っていたら目に飛び込んできたのが本ビールでありました。まさかこれを即座に購入して控室にてツナとたまごのサンドイッチとともに愛飲するわけにもいかないことから、むむむと座視するにとどめ、本拠地に戻ってから余裕をもってレジに運んだ次第です。

 王道のビールです。同じくアサヒの「ザ・マスター」よりも、鋭角的な喉ごしです。

 数量限定。ホームページには「ユニーグループ・ホールディングス限定商品」とありますが、それがどのお店からどこのお店まで、どの範域をカバーするのかわたしにはわかりません。とりあえず、便利に感射(注1)、サ○クスには置いてあります。

@研究室

注1:sunkus は thanks ではないことから、「謝」を「射」にしました。気付かれないと悲しいので補足しておきます(注2)。
注2:この補足も悲しいですね。
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by no828 | 2013-07-18 13:21 | ビール | Comments(0)
2013年 07月 13日

政治的人間とはこの世界の明日を選択する人間の謂ではないか——大江健三郎『遅れてきた青年』

c0131823_10501886.jpg大江健三郎『遅れてきた青年』新潮社(新潮文庫)、1970年。59(714)

単行本は1962年に同社

版元 → 


 「遅れ」は負い目になりうるのです。それがたとえ戦争への遅れであるとしても。全553ページ。

 この世界に遅れてきた子ども。教育とは、早く着いた大人から遅れてきた子どもへの営み。教育とは、遅れの負い目を払拭させようとするもの?

わたしは苦痛に耐えないように呻いてみせた。指さきでの愛撫にこたえて喉をならす猫のように、女教師を良い気持にするためにわたしは反応を示してやったのだ。一つの行為が生徒にいかなる反応もひきおこさなかったとき、教師は再びその自分の行為をくりかえして無理にだめおしするものだ。子供の才智によってさけられる限りの折檻は、わたしにそれを受ける気持をまったくもたせなかった。(8.傍点省略)

みんな戦争に行き、みんな兵士になる! さあ、遊びに行って体をきたえておいで、そんなひょろひょろの体では兵隊さんの服を着てもキリンみたいで弱く見えるぞ。わたしは強い兵隊に、熊のような、いかにも農村の出らしい頑丈な兵隊になるために、いつも歩くかわりに走り、教師の掃除のときは軽い椅子のかわりに重い机を動かして体をきたえていた。(10)

わたしはもう、あなたがたのような悪い生徒に教えることはできません。自習の時間にします。日本はなぜ負けたか、科学的でなかったからだ、と百回ずつ書きなさい
 わたしたちは仙花紙のノートに鉛筆をなめながら書きこみはじめる、ああ、こんなふうにノートをつかったらすぐなくなってしまう、どうしよう、と考えあぐねながら。ほとんど毎日、女教師はヒステリーをおこして叫び、わたしたちは自習の時間だ。
(139.傍点省略)

村の出来事から子供らが排除され眼かくしされる習慣が、進駐軍が村を通りすぎた日から、谷間の人たちの心に巣くったようだった。戦争がおこなわれていたあいだ大人と子供はおなじ板の上にのって漂流している者らのようになにもかもおたがいの眼にあきらかにしていたのに。(169)

「遅れたなあ、おれよう、来んのかと思うて怒ったか?」
「来ると思ったさ」とわたしは幸福な思いで真実をいった、一瞬たりともわたしは康を疑わなかった、それが幸福だ。
(183)

しかし、すぐに戦争には実は敵も味方もないということをさとったんだ。戦争があるだけなんだ、おれが国連軍から金日成の軍隊に逃げこむなんてこと、無意味だ、戦場をひとまわり、堂どうめぐりするだけだ。みんな戦争と戦ってるんだ、南の人間も北の人間も、敵は戦争という大きい機械なんだな。(361-2)

わたしはあの戦争の終末以来、この現実世界で最も重要なことはすべて他力本願できまるというあきらめの考え方を自分のものとしてきた。事実、すべて重要なことは、わたしの外部の力の働きかけによってきまったのである。わたしが、自分の意志においてこの現実世界を決定するということはなかった。わたしは、自分の意志でこの現実世界を、その明日を、選択するということがなかった。しかし、政治的人間とはこの世界の明日を選択する人間の謂ではないか?(423)


@研究室
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by no828 | 2013-07-13 11:33 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 11日

そういうのがいやなのだ。自分は地味でも安定した日常を望んでいる——奥田英朗『家日和』

c0131823_22233072.jpg奥田英朗『家日和』集英社(集英社文庫)、2010年。58(713)

単行本は2007年に同社

版元 → 


 部屋があまりにも暑いために今日は午前中のうちからT情図書館へ行き、19時すぎまで。涼しかったです。ただ、18時になると冷房は切れるのかもしれません(要確認)。だんだん暑くなってきました。お昼はカロリー○イト(ハーフ)チョコレート味。図書館へ行くとこの昼食問題が発生します。館内で食べるわけにはいかない、だから荷物を持って学食その他へ行くか、荷物を置いて学食その他へ行くか、など。研究室が使用できるときはそこで食べ、部屋で研究するときはそこで食べ。そこでやると決めたらずっとそこでやることがわたしには合っているようです。だから大体休憩もしません。

 本書は図書館における昼食問題とはまったく関係のない短篇集。“逃れられない具体的な生活”が描かれています。年齢のせいか、あるいは生活資源が限られているせいか、いかに丁寧に具体的な生活を営むか、という点への関心が年々強くなっているような気がします。

「おれさ、このチャンスを逃して後悔したくないわけ。品川駅周辺ってオフィス街だから、今現在カーテン屋が一軒もないんだよね。早い者勝ちなわけよ」
 毎回それだ。早い者勝ちということは、他者が参入したら終わりということではないか。
「どうせ客が一巡したら需要はなくなるから、それで店をたためばいいじゃん。つまり一、二年の勝負で五千万円」
 そういうのがいやなのだ。自分は地味でも安定した日常を望んでいる。
(「夫とカーテン」173)


 文庫には大体第三者による「解説」が付属していますが、本書はその部分に「鑑賞」と題された益田ミリのマンガが展開されています。それもよかったです。益田は奥田にファンレターを書いたら奥田本人から返事が来て、そこに「特技はビールをおいしく飲むことです」と書いてあったそうです。何か、いい話ですね。

@研究室
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by no828 | 2013-07-11 22:48 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 10日

先生は講義よりも学会を優先するわけにはいかない

c0131823_22204168.jpg 最近の日々。

 5日(金)2コマ講義(I城県A見町 → Y浜市T塚区)
 6日(土)学会発表原稿作成
 7日(日)学会発表
 8日(月)3コマ講義(T京都N野区 → T京都T川市)
 9日(火)2コマ講義(T木県T木市)
 10日(水)事務書類の仕上げ・提出・修正・再提出(結局未了)

 □■□■□(文章をうまく流せなかったので、□■□■□で区切ります。)

 7日(日)は(というか、5日のラウンドテーブルも6日も)、他会員の研究発表を聴く余裕もなく、わたし自身の発表の1時間前に到着。場所は日本語だとJ、英語だとSからはじまる大学。受付、アイスコーヒー、同世代の研究者との意見交換など。自身の発表については「もっとわかりやすく」と言われ、わたしは「わかりました」とは申し上げたものの「このように表現せざるをえない」と本当は応えたかったということがあり(この主題はそんなにわかりやすくないと思うし、わかりやすくして見えなくなることがあると思う)、「するとこの主題には出口がないということになるのではないか(コメント)」と言われ、「行き方を1つひとつ検討して(つぶしていって)、どの考え方がどこまで行けるのか行けないのかを明らかにする必要がある」ということをしかし申し上げる余裕がなく、という内容でした。課題研究。夕立、雨。傘なし。濡れて走ってY谷。

 □■□■□

 5日(金)T塚で「質問用紙」(すべての学校の受講生全員に毎回書いてもらっているもの)に“ベトナムの教育支援サークルに入っていて悩むことが多い、先生がこの講義で話していることをベトナムの子どもにも伝えたい”といった内容を書いた子がいて、それにわたしは“それがわたしの研究主題”だと応答し(ベトナムではない)、H較教育学会大会も迫っていることからそれを紹介したら「ぜひ行きたい」と。ウェブサイトを読むようにとアドバイスしたら、後日メールで「行きます」と。「ラウンドテーブルにも出ます」と。しかし、そのラウンドテーブルはわたしの講義の時間と重なっており、わたしの講義に出てから移動したら間に合わないから「先生の講義は欠席します」と。文末に「orz」を付けるのはこういうときだと思いました。もちろん、講義よりも大切なことはあるかもしれないと思っているわたしは、もちろんオーケーと返信しました。結局、わたしの発表も聴いたらしい(気付かなかった)。そのあと文献に関する問い合わせメールもありました。

 □■□■□

 8日(月)お昼からN野、しかし講義準備終わらずお昼を食べる時間的余裕なし。サン○スでサンドイッチを購入、看護学校で食す。T川の専門学校からの帰り、雨。傘なし。濡れて走ってN国立。N武線。いつもはN国立からF中本町までN武線で下り、M蔵野線始発に乗り、座り、勉強しながら帰ります。M流山までちょうど1時間。しかし、その日はB倍河原辺りからM蔵野線で何かあったという、そんな車内放送があったような気がしていたのですが(聞き取りにくい、聞き取ってほしいとは願っていないとしか思われない)、F中本町まで来なければ事情が明らかになりませんでした。M蔵野線人身事故のためM流山まで運転せず、Y川美南までは行く、と放送がありました。わたしはとりあえず車両に乗り込み、N国分寺まで行き、C央線に乗り換え、T京まで行き、そこから高速バスという選択をしました。疲れました。ちなみに9日(火)はT木からの帰り、T武線内落雷のために遅延。乗り物、移動に恵まれなかった2日間でした。

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 6日(土)から暑い日々が続いています。本日クーラーのない部屋で書類を作成しましたら、室温38℃を記録しました。アナログ表示の温度計ですので正確にはわかりませんが、40℃にいざならんとしていました。ならなくてよい。事務書類の提出のために大学へ行きましたが、事務室などは冷房が効いていました。が、いろいろな部署を回ったので、汗が止まることはありませんでした。

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 最近、更新が滞っていました。にもかかわらず、先日7月4日(木)にアクセス(訪問者)数が90、のべ(閲覧数)だと283でした。ありがとうございました。アクセス数の推移はほぼ一定、乱高下はないのですが、最近のべ(閲覧数)が増加傾向にあります。特定の検索語に集中しているといったことはないので、原因がよくわかりません。学生が気付いたのでしょうか?(まさか)

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 写真は、中華そば+半チャーハン(→ )。かなり醬油。

@研究室
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by no828 | 2013-07-10 23:03 | 日日 | Comments(2)
2013年 07月 03日

しばらくうんうんと唸っていた先生が、「よろしい」とおっしゃった——井上ひさし『青葉繁れる』

c0131823_1542314.jpg井上ひさし『青葉繁れる』文藝春秋(文春文庫)、2008年。57(712)


 1974年刊行文春文庫の新装版

 版元 → 


 S台の名門校(S台一高)の落ちこぼれ男子4人組のお話。もちろん男子校であった頃の話。他校(二女)の女子生徒の気を惹こうと一緒に演劇をしようなどと空回りを繰り返しますが、その空転の中軸の名前はきっと「青春」。

 学類同期の話をすれば、隣のS台二高なら亀氏とkou氏であります。


 シェイクスピアってあんまり利口じゃなさそうだぞ、と稔は思った。「なぜあなたはロミオなの」と言われても、これには当のロミオにさえ答えようがないじゃないか。ロミオがロミオになったのはみんな両親のせいじゃないか。(128)

「彼女はわが校の生徒に誘われて、たったひとりで山の中へついて行くと心を決めたとき、山の中へ行くことによってどんなことが生じようと、生じたことの責任は自分ひとりでとる、ということも決心しなければならなかったんではねえですか。つまり、ある選択をするということは、その選択によって生れるはずのマイナスをすべて背負うぞ、ということでやんしょ」
「……で、でも」
〔略〕
「もしも子どもだとすれば、先生、あなたが子ども扱いしているだけじゃありませんか。たとえば海水着がそうですな。そんなもので防ぐことばかり教えるのはどうかと思いますぞ」
「な、なぜでございますか!」
「いざとなった場合はそれで防げる、だから安心、安心だからちょっと男の子の誘いに乗ってみようかしら、こうなるわけですな。それよりはむしろ、いざとなったら防げない、行くについてはすべてを引っかぶらなくちゃならない、だが自分にすべてを引っかぶるだけの覚悟があるか、あるなら行〔え〕ぐべし、ないならよすべし。これが本筋ではねぇんでしょうかね。斎藤先生、股の間におしめをつけているのは赤ん坊だけだっぺ」
(182-3)


 そのころのわが校は県下の秀才を集めていたので、わたしの能力ではどんなに勉強しても三百人のうちの百番以内に入ることはむずかしかった。こんなありさまではとても学問で身を立てることができないだろうと悟って、「それならば、小説であれ戯曲であれ映画のシナリオであれなんであれ、とにかくおもしろいお話を考える職人になろう」とにわかにおもいつき、担任の先生に、「仙台にくる映画を全部観て、お話の作り方を勉強したい。そのために午後の授業に出ないでもいいですか」と申し出たことがある。午後の授業をさぼってもいいですかと言っているわけだから、即座に「だめだよ」という答が返ってくるにちがいないと半ばあきらめていると、しばらくうんうんと唸っていた先生が、「よろしい」とおっしゃったので、かえっておどろいた。先生はつづけて、「ただし、条件が三つある。まず、映画を観ていたという証拠に、半券とその映画の筋書きをくわしく書いて提出しなさい。次に、教科書をよく読むなり友だちからノートを借りるなりして、とにかく単位取得に必要な試験はすべて受けなさい。それから、勉強が手薄になるわけだから、東北大学に進むのはあきらめなさい。そうだな、帯広畜産大学あたりを狙ったらいいだろうね
 帯広畜産大学は、いまや難関校の一つだが、そのころは出来たばかりでまだよく知られていなかったから、先生はわたしの貧弱な学力でも、合格できるかもしれないと考えてくださったのだろう。
(「煙草の益について——新装版あとがきに代えて」245-6)

 こうふう雰囲気が本書のなかに溢れています。

@研究室
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by no828 | 2013-07-03 16:11 | 人+本=体 | Comments(0)