思索の森と空の群青

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2013年 12月 29日

絶望ってどういうときにやってくるか知ってるかい——藤原伊織『テロリストのパラソル』

c0131823_15145768.png藤原伊織『テロリストのパラソル』講談社(講談社文庫)、1998年。96(751)

 版元 → 

 単行本は同社から1995年。


 学生運動が背景にあります。


「酒の方は必需品じゃないから許せるんだけどね」
「そうか。私はよけいなことをしたのか」いわれてみれば、たしかに不注意だったかもしれない。まだ、この世界のルールに慣れきっていない。私は依然、この場所でアウトサイダーなのだ。
「今後は気をつけることにしよう」
 私がそういうと、タツはようやく微笑を浮かべた。
「まあ、そんなふうに考えることもないけどさ。あんた、善意でやってんだから。とにかくこれは、ハカセには渡しとくよ
 善意は人を傷つけることがある。ほどこしという概念を受容しない風土ではそういうこともある。
(219)

「彼女は結局、君のことを忘れられなかったんだ。ぼくと彼女の会話は、いつも六〇年代の末に戻っていった。どんなときも最後は君の話になった。そのとき、はじめて気がついたんだ。自分が絶望していることに。絶望ってどういうときにやってくるか知ってるかい。この世界で動かしがたい事実のあることを知るときだよ。まだあの電気箱のなかの方が希望はあった。いつかはそこからでられるという希望があった。だが、こちらの方はそんな救いさえない」(361)


@研究室
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by no828 | 2013-12-29 15:23 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 12月 27日

集中講義周辺後記

c0131823_18271643.jpg 12月20日(金)、21日(土)と短大「教育制度論」の集中講義でした。19日(木)現地入りの前泊のため、2泊。現地泊の某ホテルは、最寄駅から(わたしのペースで)歩いて20分ほど。駅前すぐに某ホテルがあるのにそこではありません。宿泊先は短大に指定されます。駅前すぐの某ホテルを要望したら受け入れられるのでしょうか。今度試してみましょう。

 せっかくの機会だから、夕食は現地のおいしいところで、とはじめは思っていましたが、お店に見当をつけることができず、結局2晩ともコンビニを利用しました。財政的な余裕があれば、少々高いお店でもよいのですが、そういうわけにもいかず、そもそもひとりで外食することはそれほど得意ではありません、というか、ひとりで外食することにあまり意義が見出せません。また、これも財政上の問題に関係しますが、お店で食べる+飲む、をすることも控えたい、というのもあります。しかし、お店で食べる、コンビニでビールを買う、ホテルで飲む、も苦手です。食べながら飲むほうが好きだからです。ウイスキーならともかく、何も食べずにビールを飲むのは苦手です。


c0131823_18273699.jpg ホテルの部屋には机の置かれた壁に鏡が据え付けられていますが、これは何なのでしょう。机を使うときに前に鏡があるというのは落ち着きません。ふと顔を上げたらそこに自分の顔があります。本の内容や講義の構想から急に現実に引き戻されます。(1)できれば机のところに鏡を置かない、(2)そこに鏡を置くならブラインドとかカーテンのようなものを付けて鏡を隠すことができる、を希望します。よろしくお願いします。

 この短大は2年目です。しかし、駅周辺とともに短大周辺のこともよくわかりません。駅に到着すると、短大の車(ハイ○ースのような車)に乗り込み、そのまま短大へ直行します。短大へ直行すると、教員室へ直行します。教員室へ直行すると、教務課へ直行してハンドアウトのコピーをします。ハンドアウトのコピーが終わると教員室へ戻り、パンかおにぎりを食べ、教室へ行きます。昼休みは40分あるものの(それでも短い)、通常の休み時間は10分しかありません。どこにも行けません。75分講義の本学でも休み時間は15分ありますが、この短大は講義は90分でも休み時間は10分です。とても小さな短大だから教室移動も短く、10分で十分(!)ということかもしれませんが、教員側からすると、講義後に質問などに答えて教員室へ戻って椅子に座ってお茶を一口飲んだら次のコマのはじまりを告げるチャイムが鳴る、ということも度々あるわけで、10分はやはり短い。その日最後の講義が終わると、また短大の車で駅まで移送されます。駅と短大との純粋なる往復なのであります。


c0131823_18275416.jpg そういうわけで、普段は駅の周りも短大の周りも探索する余裕がありません。が、今回2日間の集中講義ではそれがありました。駅の周りでは、ホテルから歩いて10分のところに家族市場があるほかに、それとは逆方向へ行くと歩いて5分ほどで711がある、ということがわかりました。また、駅とホテルのあいだは、普段から閉めているお店が多く(郊外にイ○ン、駅前商店街は衰退、という地方都市のパターン)、開いていたとしても18時には閉店というお店が多い印象です。大袈裟に言ってしまえば、駅前の通りで明かりが灯っているのは塾・予備校、コンビニ、ホテルくらいです。

 短大は、山の中腹のようなところに建てられています。駅からは坂を登っていく、山を登っていくことになります。上から2番目の写真は、短大の前の道はこんなふうに続いています、という様子です。今回はこの先に何があるのか、と思いまして、お昼の時間に歩いて行ってみました。金曜日は雨でしたが、土曜日は晴れました。歩いたのはもちろん土曜日です。雨の降った金曜日のお昼は、某公共放送から流れてくるT田真由のミクロネシア訪問の様子を仕出し弁当を食べながら眺めるという優雅な時間を過ごしました。

 山のなかに鳥居があり、その隣には神社の名前が書いてありました。この辺では有名なようです。せっかくだからお参りに、と思いましたが、ふと先に目をやると(4番目の写真)、さらに登らなくてはならないようだったので(時間的な問題もあり)あきらめました。


c0131823_18283348.jpg この辺りの起伏は結構激しいからランニングのトレーニングには適しているかもしれない、と元長距離走者は思ったりしながら歩いていました。そうしたら山の上から高校野球部と思しき選手が何人かの集まりになって下ってきました(この短大には高校が付設されています)。擦れ違うときに、向こうから「☆*★?>+」と挨拶されました。たぶん「こんにちは」だと思いますが、このわたしが挨拶されたのは擦れ違った場所がすでに短大の目の前であり、わたしがネクタイをしていたからでしょう。人相や佇まいもあったかもしれません。ホテルの部屋で講義の準備をしているときにふと顔を上げたら鏡に自分の顔が映っていたそのときの顔は顔だけはたしかに准教授クラスであったかもしれません。

 短大から坂道を少し登ったところにイタリアンのお店があることを発見しました(→  )。土曜日は、短大に付設された高校の三者面談か何かであったようで、生徒と保護者の組み合わせを学校の敷地の内外で多く見かけました。このお店で食べている人、このお店へ入っていく人たちもいました。今度行ってみようかなと思いましたが、そんな時間的余裕が普段の講義にはないのだということにすぐに思い至りました。うーん。

 講義のことに触れる前に相応の分量を書きましたが、その講義について最後に少し触れておきますと、1日5コマは大変、2日10コマは当然大変、ということであります。次に集中講義をする機会があれば、前半4・4の2日間、後半4・3の2日間でお願いしようと思います。次も同じ「教育制度論」であれば、ジョン・ロールズの「無知のヴェール」の思考実験に実際に学生に取り組んでもらう時間を、もっと長めに確保しようと思います。なかなか盛り上がりました。まとまった時間が確保できるのは集中講義のよいところです。

@研究室
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by no828 | 2013-12-27 19:37 | 日日 | Comments(0)
2013年 12月 27日

深みの贅沢  SUNTORY

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深みの贅沢
(SUNTORY)



販売元 → (ニュース・リリース)


原料:麦芽、ホップ
度数:6.5%


 限定醸造だそうです。711で購入しました。711関連店でのみ販売のようでもあります。アルコール度数は6.5%と高めですが、それほど(たとえば度数7%のこれ →  よりも)きつくありません。甘みを感じます。昨年(→ )よりも“味”を感じました。

 写真の背景に黄色いカードが見えますが、前期非常勤講師先(の学科)から送られてきたクリスマス・カードです。宗教的な背景のある大学です。わたしはこの大学と宗教を同じくしません(というより目下のところ宗教を持ちません)が、こういうのは好きです。クリスマスは温かい気持ちになります。そういえば、今年は「ラブ・アクチュアリー」を観ていません。“Enough, enough now”が切ないです。

@研究室
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by no828 | 2013-12-27 18:11 | ビール | Comments(0)
2013年 12月 26日

とうてい愛することのできないものを愛することこそ本当の愛なのではないか——奥泉光『葦と百合』

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奥泉光『葦と百合』集英社(集英社文庫)、1999年。95(750)

版元 → 

単行本は1991年に同社


 奥泉光の書くものは学問への言及が多々あるので好きです。本書は民俗学、歴史学に関する議論です。硬質な内容と言えばそうなのですが、そういうのが好きなのかと言われれば好きなのです。

 H田先生が「口碑」に一定の史学的価値を認めない理由はやはりそういうことなのかもしれない、と思いました。再確認というか。

 本書における「ロマン主義」には共感します。実現された時点でそれは欠如態となる、というのがわたしのなかにあります。実現されたのだからそれは充足態である、ではなく。実現は欠如をもたらす、というふうに考えます。しかしわたしは、この思考様式ですべてを語っていないし、語ろうともしていない、という自覚もあります。なぜなのか。おそらくこれとは別の思考様式も脳内に存在していて、それとの関係はどうなっているのか。その辺りがいまいち鮮明ではありません。思考様式というか論理構造というか型というか、内容を注ぎ込むべきそうしたものが定まっていないという自己評価があります。ただ、少なくともそうした疑問が出てくるのは体系的に物事を論じたいという欲求がわたしにあるからだ、ということはわかっています。

ロマン派というのは遠くから憧れるところに本質があるんであってさ、書斎での夢想がむしろ本来の形じゃないの。時々近所の森に散歩に行くくらいで。シュバイツァーにはならないままにシュバイツァーに想いを馳せる」(26)

「さっき中山さんがコミューン運動にはもうひとつついていけないところがあったと言ってたけど、それはおれにもよく理解できるんだ。つまりコミューンといったって無人島に孤立してあるわけじゃないんだよね。外部社会にいわば埋没する形で存在しているわけで、だからかりにコミューン内部にどんな理想的な社会が実現したにしても、結局それは外の社会に寄生してはじめて可能になったともいえる。コミューンがまさしく否定しようとする、たとえば資本主義社会に依存してしか理想の実現はないことになる。このあたりが問題にならざるをえないわけでしょ」(28)

生活感の希薄な学生が最も急進的になるのはどこでも見られる普遍的法則だよね(31)

「口碑に一定の歴史資料としての価値を認めるべきだという考えにはぼくも賛成です」〔略〕「ただたしかに岩館さんの言われるように、口碑をどう扱うのかが問題になる。で、結論を言ってしまえば、客観化できるような方法論は存在しないんだと思うんです。柳田や折口の仕事にしても、達人の直感とも言うべきものに支えられているのであって、客観的な方法があるわけじゃない。さらに言えば、それじゃ今後そうした方法論が確立するあてはあるのかといえば、ないといわざるをえない。これはぼくの素人考えなんですが、歴史学を含め近代の人文社会科学は、自然科学をモデルにしてきたわけで、しかしそれは無謀だったというか、無理な面があったんじゃないでしょうか。つまり自然科学と同じような客観法則を求めた場合、言えることは極めて僅かになってしまう。そこを超えて何かしようとすれば、どうしても、たとえば想像力といった、客観化法則化できないものに頼らざるをえない。もちろんそれは方法を持たないということではなくて、どう言うか、つまり対象に先んじて方法があるのではなくて、対象に即して方法を編み出していく。方法の構築が同時に対象の解明であるような仕方でやる他ないんじゃないかと思うんですが
〔略〕
「ただ、これもまたぼくの素人考えなんですが、歴史学の場合には特有の問題があるとは思うんです。たとえば最初の歴史記述というものは、だいたい国家の成立段階に、支配者が己の支配の正当性を保証しようとの意図で始まったわけで、つまり過去の歴史はいつでも現在を生きる者から政治的に利用される危険がある。それはある意味でぼくは歴史学の宿命だとは思うんですが、しかしたしかに、そうした危険を避けるために、客観的に明らかにできるものだけに徹底的に自己限定していく、禁欲に徹するというありかたは認めざるをえませんね。少なくとも客観を装いながら主観を強要するよりははるかにいい
(76-7)

「存在するものが視えるんじゃなくて、視えるものが存在するんじゃないかしら」(112)

大学院に進むことと、ものを考えることとは別問題さ(189)

「ロマン主義は幻滅を運命づけられているわけだ」とぼく。「遠くから見ている間はいいが、近づくととたんに駄目になる」
「そう」といったんは肯定した中山氏はすぐに、いや、というかね、と言葉を継いだ。「本物のロマン主義者は、偉大なるリアリストでもあるんじゃないかな。理想というのは現実じゃないから理想なのであって、必ず現実の壁にぶつかる。そこで現実世界の暗黒のリアリティーに耐えつつ、リアリスティックに理想を追求していく。それが本当のロマン主義なんじゃないの
(215)

「私はね、式根さん、アメリカ大統領が持っているのと同じ核釦〔ボタン〕を人類の全員が持つべきだと思うんですよ。男も女も、先進国も開発途上国もない。人類であるなら例外無しに誰もが持つ。私ももちろん、式根さん、あなたも持つ。そして誰かが一人でもその釦を押すなら、人類は破滅を迎える。絶望して自殺する人間が全員を道連れにしようと考えるかもしれない。あるいは単に気の狂った人間が釦を押すかもしれない。大変な緊張感ですよ、これは。それでも現在の状況よりはましです。危機に気づかぬふりをして暮らすよりはいい。人類の未来に対して一人一人が重大な責任を負っているのだという自覚が否応なくもたらされる。どうです、こういう考え方は?」
「あまり気分のよいものではないでしょうね」
「その通りです。しかしその気分の悪さはいま現在も同様なんです。不愉快であるのが私達本来の状況なんです。気が付かないふりをしている、ただ皆が責任を回避しているだけの話なんです。だが全員が核釦を持たされればそうはいかない。知らないふりはもはや許されない
〔略〕
「しかし、それだけではないんです。私の装置には、もう一つの釦があって、それは核釦の逆なんです。核釦がたとえば赤とするなら、それは緑色に塗られていて、その緑色はつまり核釦の作動を永久に停止させるものなんです。これを押すことは自分が核釦を押す権利を断念することを意味する。いったんそれを押すと自分は核ミサイルを永久に作動させることはできない。式根さんならどうします、そういう装置が与えられたとしたら」
「直ちに緑色の釦を押しますね」
「私もそうします。多くの人がそうするでしょう。そしてついにある日、人類の全員が自らの責任において、緑色の釦を押す終わるときが来るなら、最終的に核は廃棄され、永久に作動の停止した核ミサイル群は、この時代の一大モニュメントとなて地下で風化していくことになる。これこそが人類の希望です。真の希望です。しかし、そこまでの過程で誰かが一人でも赤い釦を押すなら全ては終わる。いかがです、この構想は」
「あまり意味があるとは思えませんね」
(245-7)

おれの考える学問の使命は、すべてが幻想なんだと言い続けることなんだね。一回言えばいいというものじゃない。言われ続けないと人はすぐに隙あらばという感じで、幻想を実体化して足をすくわれる。哲学というものに意味があるとするなら、どんなささいなものであれ、あらゆる事象の仮構性を不断に暴き続けるという、考えてみれば寂しいことでしかないんだね。哲学はね、世の中を詰まらなく脱色するために存在していると言ってもいい(311)

「学問の先輩として忠告しておくが、いやしくも学者たる者、嘘をつくのは学術論文だけにとどめろよ」(332)


「式根くんはね、自分には人類を愛することなどできない、が、とうてい愛することのできないものを愛することこそ本当の愛なのではないか、そんなことを淡々と語ってた。ぼくはよく分からないままに、しかし何か言わなくてはいけない、何か言うべき言葉があるはずだと必死で考えるんだが、頭の中はいつものように空虚でね」(337)

あなたは愛すべきものを愛しているにすぎない。自分に愛せるものを愛しているにすぎない。あなたのなかにいるわたしを愛しているにすぎないんじゃないかしら。あなたの外にある、あなたには絶対に手の届かないかもしれない、本当のわたしを愛してはいない」(395)

 共感。「愛する」が「好きである」とは別の意味を有する(別の意味を与えることが可能である)とするなら、そこ、なのではないかと思います。

@研究室
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by no828 | 2013-12-26 19:08 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 12月 22日

誰でもふしぎじゃないということは誰とも特定できないということです——津原泰水『ルピナス探偵団の当惑』

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津原泰水『ルピナス探偵団の当惑』東京創元社(創元推理文庫)、2007年。94(749)

著者名、読みは「つはら やすみ」。

版元 → 

単行本は2004年に原書房


 ミステリ。主人公は高校生 吾魚彩子(あうお さいこ)、彩子の姉 不二子は刑事。高校生が出てくる、学校が出てくるということで手に取りました。


「犯人が計算ずくだったとしたら、たしかに無駄なく完全犯罪を達成したことになります。必要最低限の作業で、誰が犯人でもふしぎじゃない状況を作ってしまったわけですからね。誰でもふしぎじゃないということは、誰とも特定できないということです。これはある意味で完全犯罪です
「密室の逆か。疎室殺人
「僕、わかったんですけど、推理小説で密室が多いのって、あれたぶん、そのほうが犯人が特定しやすいからなんですね
「探偵や読者を飽きさせないためというのもあると思うよ」
(28)

「忘れようがないもんな、アイウエオ。吾魚ってさ、I am a fish. って意味だろ。どの辺の先祖が付けたんだ。先カンブリア紀?
「my fish かも。でも字に意味はないと思うよ。吾妻とかの系統じゃないかな
(63)


@研究室
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by no828 | 2013-12-22 17:55 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 12月 19日

鎧坂は完成したものに興味がないんです——相沢沙呼・梓崎優ほか『放課後探偵団』

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相沢沙呼・梓崎優ほか『放課後探偵団——書き下ろし学園ミステリ・アンソロジー』東京創元社(創元推理文庫)、2010年。93(748)

版元 → 


 作者は、相沢沙呼、市井豊、鵜林伸也、梓崎優、似鳥鶏

 引用は例によって本筋とは関係のないところから。


 二本の映画はどちらも三十分ほどの短さながら、とてもユニークでよくできていた。では三本目を観ようかというとき、突然鎧坂さんの忍耐力が切れた。映画なんてどうでもいいから、みんなもっと酒を飲もう、と言い出したのだ。
鎧坂は完成したものに興味がないんです
 と小関くんは苦笑する。
(「横槍ワイン」226)


「皆変わってたね」
 風が再びホームの上を通り抜けた。駅舎を囲む葉桜が揺れて、さわさわと小さな音を立てる。その音に耳を澄ますように、彼女は目を細め、線路の先に視線を向けた。
恰好良かった志賀くんはお腹が大きくなってたし、バシコは垢抜けたキャリアウーマンに変身してたし
外見ばかりだな
内面まで変わってた子はそんなにいなかったでしょ
(「スプリング・ハズ・カム」274)


@研究室
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by no828 | 2013-12-19 14:35 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 12月 18日

「ホモセクシャルは具体じゃなく架空だし、観念なんだ」 「分からないな」——中上健次『讃歌』

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中上健次『讃歌』文藝春秋(文春文庫)、1993年。92(747)

版元 → 

単行本は1990年に同春秋


 “セックス、ドラッグ、ロックンロール”とはよく言われますが、本書は“セックス、セックス、セックス”です。その行間は夜の、あるいは陽の当たらない裏通りのようでもあって、そこからは生々しい臭い/匂いが立ち上がってくるようです。

 下掲引用内容の意味はよくわかりませんでしたが、“何か”言っているように感じました。


「女と姦〔や〕らないってわけじゃない。男と姦るのと女と姦るのは位相が違うんだ。対立しないんだ。男と姦るのはどう言えばいいのだろう、架空のものと姦る。或る人は架空のものを、神というかもしれないし、美というかもしれないし、力というかもしれない。色々、好きになる対象はあるよ。男っぽいのが好きな人、女っぽいのがいい人、普通の人がいい人。筋肉質がいい人、肥った人がいい人、やせた人、若い人、中年の人、年取った人。或る人は穢な〔ママ〕い乞食に神を見る。乞食は現実だけど性愛の対象になった途端、架空の彼方のものになる。イーブに体を唇で愛撫され、イーブを愛撫し、イーブに伸〔の〕しかかられてよがり声を出したのは、イーブに彼方をのぞき込まされたんだ。どんなに具体的に人に言うに羞かしいところを舐めようと嚙もうと突っ込まれようと、たとえ小便を顔から乞食にかけられようと、ホモセクシャルは具体じゃなく架空だし、観念なんだ
分からないな
(102-3)


 「麝香(じゃこう)」という言葉をはじめて目にしました。鹿の分泌液の香りのようです。どんな香りかはわかりませんが、文脈から察するに、人間にとっては好ましい香りのようです。

@研究室
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by no828 | 2013-12-18 18:03 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 12月 17日

日曜と火曜のバランスが悪い

c0131823_18441055.jpg このおよそ1週間のことです。


 先々週、先週と日曜日は都内出張でした。公開講座の受講のためです。研究員仕事の一環とも言えますが(だから2回とも受けたらもらえるはずの「修了証」がわたしはもらえなかったのかもしれません)、基本的には私的な勉強のためです。写真はいずれもそのときのものです。が、ちょうど1週間前、先週の火曜日のことにもあとで触れます。


 都内のどこに出張したかと言えば、M荷谷です。本学のT京キャンパスB京校舎です。新しくなってからはじめて行きましたが、とてもきれいでした(T波キャンパスの一部は同じようにきれいであり、大部はそのようではありませんで、わたしはそのようではないほうの建物を長く使っていまして、現在もそのようではないほうにいます)。入口の看板からもわかりますように、H送大学と建物を共有しているようです。上空から見ると真ん中の空いたロ型の建造物です。階にも依るのでしょうが、教室がぐるっと並びます。


 日曜日にしては建物内に人が多いと思ったのですが、休日を使った講義が多くあるようです。事務室も開いていましたし、談話スペースのようなところでは食事をしたり、本を読んだりしている人がたくさんいました。よい雰囲気だと思いました。


 ちなみにお昼はここ(→ )で摂りました。とくに麺が太くておいしかったです( ↓ )。


c0131823_18443166.jpg 先週の火曜日は、今年最後の短大通常講義でした。「通常」というのは、集中講義がまだ残っているからです。本来は来月末を予定していたのですが、ほかの集中講義の科目の予定と重なってしまい、わたしのほうが移動ということになりました。この短大では、「補講・集中講義期間」というのが学期末に設定されています。秋学期であれば12月末と1月末に1週間ずつ組み込まれていまして、補講・集中講義を行なう教員はその時期に講義を入れることになります。わたしは本来(本々来)集中講義をする必要がなかったのですが、わたしのよく理解できない事情で集中講義をすることになりましたが、集中講義の経験を積むのもよいかと思いました。1日5コマを3回。1日5コマを1度夏学期末に済ませていますので、残り2日10コマです。


 その先週の講義の帰り、T武N光線(Sカイツリ—ラインとの区別がよくわかりません)がTノ塚駅での人身事故のため運転見合わせという状況に居合わせてしまいました。S戸杉野台(車内アナウンス音としては「sweet 高野台」)駅で、大体19:00から20:50まで約2時間の足止めとなりました。車内アナウンスでは「20:10頃の運転を予定しております」とあり、その時点で“そんなに”と思うほどの遅れでありましたが、そこからさらに大幅に遅れました。わたしはK日部駅まで行きたく、Tノ塚はK日部の先にあり、ならばK日部までは行ってくれ、と願いながらもそれは受け入れられず、というか、主張すらしていない、のはなぜかと言えば、車掌、駅員がどこにいるか不明であったためです。こういう事態はアナウンスをするのも必要ですが、車掌、駅員が車内を歩き回るのも必要かと思いました。およそ2時間、ドアの開いたままの車両のそのドアのすぐ隣の座席に座り続けました。寒い。閉めてくれ、と願いましたがそれも受け入れられず、以下同文。


c0131823_18444956.jpg 車内では「新しい情報が入りましたらお知らせします」というお決まりのアナウンスが5分ごとに入り、当初は“お、運転再開が早まったか”などと期待して耳を峙てたのですが、「新しい情報が入りましたらお知らせします」の繰り返しで、途中から無視することにしました。“新しい情報が入っていないのならお知らせしなくていい”と思いましたが、“5分ごと”とマニュアルで決まっているのであろうという推測するとともに、“強いて車両アナウンスを合理化するなら、“新しい情報が入っていない”という新しい情報をアナウンスしているとも言えるから、わたしの不満は合理化されない不合理な不満なのではないか”と思ったりもしました。自分の立場ではなく相手の立場を合理化・正当化することのほうに知的資源を投じる傾向にわたしはあるようです。でもそれが本来の正当化ではないかとも思っています。自分で自分のことを「正当化」するのは、これまで関連文献を読んできた感覚からすると、正当化とは呼べそうにない。非常に感覚的な言い方をするなら、自分で自分のことを「正当化」することは見苦しくもあります。自己「正当化」を必要とする時点でそれは見苦しい、とも言えますが、自己「正当化」に似たことをしなければならない状況を想像することは容易でもあって、そのあたりの区別が必要だとも感じています。


 車内では読書をしながら待ちました。隣駅(?)からU都宮線の振替輸送もあったようなのですが、それを使っても帰り着くまでにかなり時間のかかるルートになるので、かえって余計に時間のかかるおそれもあるため、静かに待つ以外に選択肢はありません。こんなときのために、わたしは最低3冊は鞄に本を入れているのですが、それが奏功しました。1冊半読めました。「こんなとき」などそんなにないし、そんなにあってもらっても困りますが、“出先で読む本がない”という事態は避けたいのです。


 そういうわけで、先週火曜はいつもより2時間と少し遅れて最寄駅着。22:30。疲れました。2週続けて日曜に研究室、というのは疲れませんが、2週続けて日曜に都内へ移動、というのはなかなか疲れるということを実感した1週間でもありました。そして、写真は日曜だけ、本文は火曜が多い、という非常にバランスの悪い内容となってしまいました。


@研究室
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by no828 | 2013-12-17 19:57 | 日日 | Comments(0)
2013年 12月 16日

彼の疑問は、誰かに提出されたものではありません——ナサー『ビューティフル・マインド』

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シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド――天才数学者の絶望と奇跡』塩川優訳、新潮社、2002年。91(746)

原著 Sylvia Nasar, 1998, A Beautiful Mind: Genius, Madness, Reawakening the Life of John Nash.

版元 → 

文庫 → 

 数学者ジョン・ナッシュ(1928-)の人生を丹念に描写したノンフィクション。良書。ナッシュに感動して、ナッシュの周囲にも感動しましたが、この仕事をやり遂げたナサーにも感動しました。学類のときに経済学を少しかじりましたので、ナッシュ均衡とかゲーム理論とかを通じて、ナッシュの名前は知っていました。こういう人であろうという予想などは立てていませんでしたが、立てたとしてもその予想は確実に当たらなかったでしょう。劇的にすぎます。

 当時の大学の様子もわかります。ナッシュの指導教員の件、青いジーンズの子どもの件を読むと、いいなあと思います。

 学者の人生を追跡して思うのはその特殊性です。後を行く者がまったく同じ道を辿ることは不可能でしょう、というか、不可能です。ただ、特殊だからこそ、その特殊から受け取れるものが勇気なのだと思います。やはり自分はここを、という勇気です。あるいはそれは、何かを失うことへの勇気かもしれません。もちろんそれは何かを得るための勇気の裏側ではあるのですが……。


 ナッシュほど独創性に固執し、既成の権威を蔑視し、自立心を保とうと心を砕いたものはいない。若いナッシュのまわりにはアルベルト・アインシュタインジョン・フォン・ノイマンノーバート・ウィーナーなど、二〇世紀科学界のそうそうたる人物が顔を揃えていた。ところがナッシュは誰の講義も受けず、誰に師事しようともしなかった。指導者も持たなければ、追随者も作らなかったのだ。ゲーム理論であれ幾何学であれ、研究にあたって彼は、一般の通念や流行の思想、定式化された手法などには見向きもしなかった。いつもひとりで仕事をし、口笛を――たいていはバッハを――吹きながら歩きまわり、自分の頭だけで考えた。知識は、他の数学者が発見した結果からではなく、自ら発見することで吸収する。人をあっと言わせることに熱心で、真の難題を見逃すまいと常に注意を怠らない。未知の新たな問題に直面すると、すでにそれと取り組んで核心を熟知している人たちが、単純すぎたためか判断を誤ったためかはわからないが、最初から避けて通った方向に目を向けた。学生のときでさえ、周囲から浴びせられる不信、疑惑、嘲笑にはみごとなまでに無関心だった。
 理性と論理的思考の力に対する確信の強さは、若い数学者のなかでも〔略〕際立っていた。〔略〕異常なまでに論理性に執着するあまり、日常の問題でさえ――次に来るエレベータに乗るか一台見送るか、どこの銀行に預金するか、どんな仕事を選ぶか、結婚すべきかなど――感情や慣例や因習から切り離して、有利か不利かの計算、アルゴリズムの解析、数学の法則で決定しようとした。
(10-1)

だがナッシュの少年時代はどう見ても当時のアメリカ小都市の教養ある家庭の典型であり、その意味で彼の分裂気質は生得的なものとしか言いようがない。(37)

 特に目立って非凡な才能を示しはしなかったが、ナッシュは好奇心が強く利発だった。いつも母の尻にくっついており、そんな態度に応えるように母は息子の教育に大きなエネルギーを費やした。〔略〕PTAには進んで顔を出し、息子が四歳になるころにはもう読み書きをおぼえさせ、私立の幼稚園へ入れ、小学校低学年では飛び級をさせようとしてやっきになり、家では家庭教師のかわりを務めた。やがて息子が高校生になると、ブルーフィールド大学に英語、自然科学、数学の講義を受けに行かせた。いっぽう、ナッシュ・シニアが息子に施した教育については明らかでないが、妻とはまったく異なる方法ではあれ、彼も子どもたちには気を配っていた。日曜日に息子と娘を車で連れ出し、送電線を見学させたのではその一例だろう。さらに大事だったのは、息子が好奇心にまかせて次々と尋ねてくる電気、地質、気象、天文といった科学技術や自然に関する質問に、いちいち根気よく答えてやっていたことだ。近所の人の記憶によると、ナッシュ・シニアは子どもたちには、いつも大人に対するように語りかけていたという。「息子に絵本など与えていませんでしたよ。科学の本を読ませていましたね」(38)

米国数学会の初の女性会長ジュリア・ロビンソンはその自伝に、数学者の多くは自分が可愛げのない醜いあひるの子で、世間一般の規則に調和して生きている人々とはうまくいかない存在だと思いこんでいるようだ、と記している。ナッシュに顕著に見られる他者への優越感、よそよそしさ、ときに表す残酷さも、まさにそうした不安感と孤独感への対抗措置だったのではないか。自分と同じ年ごろの子どもたちとの真の交流を欠いたことで、ナッシュは「社会のなかで自分の置かれた位置を認識する生きた感覚」を失ってしまった。世間の子どもたちはその感覚に基づいて巧みに人と接触し、自分が人よりなみはずれて弱いとか強いとか思いこむ錯覚におちいらずにすんでいるが、自分が人に愛される人間と考えられないなら、自分を強い存在だと頑に信じこむことによって、心のバランスを保つしかない。しかも、それで何とか乗りきれている限り、そうしたひとりよがりからはいつまでも抜け出られない。(49-50)

 大学時代とは、多くの醜いあひるの子が実は美しい白鳥の子であったとわかるときだ――それも知的な面だけでなく、社会的な面においても。早熟だが未完成な少年たちのほとんどは、高校時代には個々ばらばらでいたのに、ウェルチホールにおいてはじめて共通の関心や同じ考えを持つ仲間がいて、彼らと交流できることに気づく。(55-6)

当時プリンストンで学んでいた若い経済学者マーティン・シュービックは、のちにこう記している。数学科は「さまざまなアイデアと、アイデアを生もうとする喜びで沸きたっていた。はだしで、服のとめ紐も結ばず、破れた青いジーンズ姿の一〇歳の子が、ファインホールの茶会へ迷いこんできても、興味深い定理さえたずさえていたら、その子の話に耳を傾けるものが必ずいただろう」。(88)

しかし、ナッシュがタッカーに論文指導を頼んだのは賢明なことだった。タッカーはカナダの厳格なメソジストだったにもかかわらず、型にはまらない考えや個性を守るのに、珍しいほど喜びを感ずる人間だった。学生は情熱を持って没頭できるテーマと取り組むべきで、教授を喜ばせるためにテーマを選ぶべきではない、とかたく信じている理想的な教師であった。〔略〕タッカーは、ナッシュの二七ページの薄い博士論文について、自分はただ最終的承認をしたにすぎない、といつも言ってきた。「わたしが果たした役割など、何もありませんよ」 だが実は、ナッシュに一刻も速〔ママ〕く論文を完成するようにうながし、数学科でその功績を保護するために大きな努力をしているのだ。(135)

世界政府の構想は、当時数学者や科学者のあいだで非常な人気を博し、アインシュタインバートランド・ラッセルをはじめとする世界中の実に多くの知的エリートが、ひとつの「世界政府」構想に署名していた。頑迷なタカ派発言をしていたフォン・ノイマンですら、この思想には多少とも敬意を表していたほどだが、社会科学者の多くは疑問を抱いていた。どこの国も、とりわけソ連は、その種の主権国に大幅に権限をゆだねることはしないだろう、と考えていたのだ。それに応じて協力ゲーム理論も、経済的、政治的、軍事的問題の大部分に、ほとんど適合しないものと見なされた。(170)

「ナッシュは、言いわけめいたことを絶対口にしませんでした。ただ、ただ、自分の研究に没頭していたのです。回答も、非常に思慮深いものでした」〔略〕「自分の能力を正当に評価されていない、とひがんでいる学生がよくやるように、ぐちめいたことはひとことも言いませんでした」〔略〕「彼の疑問は、誰かに提出されたものではありません。彼に問題を出せるものなど、いなかったでしょう。それほど独創的だったのです。誰ひとり、ナッシュが当面している問題に、思いいたることすらなかったと思いますよ(188)

 その年の六月、ナッシュは三〇歳になった。たいていの人にとって、三〇歳とは青年と成人の単なるひと区切りにすぎないが、自分たちの職業を青年の知的な頭脳ゲームと考えている数学者にとっては、この年齢はそれではすまない気のめいる合図だった。のちにナッシュは、この時期に急に不安になって、創造力のピークが過ぎ去る「恐怖」に襲われた、と述べている。
 通常の人間にくらべて、頭のなかで暮らすことがずっと多い数学者が、肉体の罠におちいっていると考えなければならないとは、なんと皮肉なことだろう!
(330)

 しかし、ナッシュの想像力に火をつけたのは、アビー・ホフマンが興し、ナッシュ自身とよく似たひとりの一匹狼的存在が推進した「世界をひとつに」運動である。一九四八年、ゲイリー・デイヴィス〔略〕は、パリのアメリカ大使館を訪れてパスポートを返還し、アメリカ国籍の放棄を申し出たうえ、国連に対して、自分を「世界市民第一号」に認定してほしいと要求する。「長期の戦争と、新たな戦争勃発の噂に打ちひしがれ、くたびれはてた」デイヴィスは、世界政府構想の実現を切望していた。「各新聞は、こぞってこの記事を第一面に取り上げた」 コラムニストのアート・ブックウォルドは、パリ体験記のなかでそう記している。アインシュタイン、一八名の英国下院議員、サルトルカミュをはじめとする多くのフランスの知識人が、デイヴィス支持のために結集した。(395)


 意味は現在でも合っていますが、記号表現に誤りがあります。ページ数をメモしておくのを忘れました。

× 博士課程を終了しても雇用してくれるところなどない
○ 博士課程を修了しても雇用してくれるところなどない

 
@研究室
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by no828 | 2013-12-16 19:07 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 12月 14日

俺、あなたの絵がすごく好きだったからさ。正直に言うけど、嫉妬してた——井上荒野『学園のパーシモン』

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井上荒野『学園のパーシモン』文藝春秋、2009年。90(745)

版元 → 

単行本は2007年に同春秋。「井上荒野」の「荒野」は「あれの」。

 
 裏表紙の説明。「赤い手紙のことは、高等部に入るずっと前から知っていた――カリスマ学園長の死期が近いことを知らされたゴールデンウィーク明け、赤い封筒が高等部の女生徒ふたりの靴箱に届く。愛と自由をモットーとする幼稚園から大学までの一貫校の伝説を発端に、十代のきらめくような退廃を描いた大人のための退廃小説」。

 内容にはあまり共感しなかったというか、理解が及ばなかったというのが正直なところですが、以下の部分には少々触発されました。


「今日は、いろいろ置いてあるものを取りに来たんだけど、ちょうどよかったよ、迫に会えて」
「あたしに?」
「ほかの生徒はどうでもよかったんだけど、あ、こんなこと言っちゃまずいけどね、でもとにかく、あなたにだけ最後にもう一度くらい会いたいなって思ってたら」
 まるで愛の告白みたいな言いかたを磯貝はした。
俺、あなたの絵がすごく好きだったからさ。本当にすごいと思ってた。正直に言うけど、嫉妬してた。だからこれからも――これからもがんばってください
 差し出された手を、不思議な気持ちで木綿子は握った。磯貝が自分の絵をずっと見ていてくれたことが不思議だったし、磯貝の言葉が信じられるのも不思議だった。
「じゃあ俺、まだ片づけあるから。元気でな」
(271)


 教師が生徒に嫉妬することがあるような気はしていまして、ここを読んで、やはりあるのかもしれないと思いました。問題だ、とは思わず、むしろ健全だ、と思いました。生徒の才能に嫉妬しているなら嫉妬していると教師が生徒に告げるのは“教育的に”は問題かもしれませんが、その作品(運動系ならそのプレー)が好きなら好きだと正直に打ち明けることはよいことなのではないかと思いました。君の作品が好きだ、君の演奏が好きだ、君のプレーが好きだ、君の走りが好きだ――1番よい褒め方かもしれません。ただしこれは、多数の生徒がいる前ではなかなか言えない言葉でもあります。「君の演奏が好きだ」は、その名宛て人である「君」以外の人には排他的に響くかもしれません。1人ひとりを呼び出すなどして、その教員とその生徒だけになったときに言うべきかもしれません。が、「君の演奏のこの部分が好きだ」、「あなたの演奏だとこの部分が好きだ」というふうに、生徒それぞれを具体的に褒めることができれば、排他的にはならないでしょう。褒めるときには具体的に、というのは大切なことだと思いますが、具体的に褒めるためにはその子どものことをよくよく観察していなければいけません。教師に求められる能力(技術)のひとつに「観察力」は入るでしょう。これは「能力(技術)」ですから、「資質」のように変化しにくいものではなく、変化させること、伸ばすことができるものです。

@研究室
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by no828 | 2013-12-14 18:44 | 人+本=体 | Comments(0)