思索の森と空の群青

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2014年 02月 26日

この町に縛る理由を聞きたいものだ。地元に魅力がないのは、大人たちが無能なせいだ——奥田英朗『無理』

c0131823_20143944.jpgc0131823_20104959.jpg奥田英朗『無理 上・下』文藝春秋(文春文庫)、2012年。119(774)

版元 → 上 
     下 
     特設サイト 

単行本は2009年に同春秋


 架空の地方都市 ゆめの市が舞台。地方都市はあくまで都市。わたしの育ったところは都市ではないのだと再確認しながら読みました。

 2番目、3番目の引用文にしばし唸りました。むろん「教育」というものに改めて思いを致したわけです。うーむ。


 ゆめの市は、三つの町が合併して一年前にできた新しい市だ。市になるなり、生活保護家庭が激増した。これまでの世間体が薄れたことが要因だと、ある議員は分析していた。案外そんなものだろう。分母が大きくなれば、個人は図々しくなるのだ。(17)

 一家で地球の裏側へ出稼ぎに行くとはどんな感じだろう。人種差別を受けるのはどんな気持ちだろう。人を刺したときってどんな感触だろう――。
 夕方の出来事が頭から離れないので、明日の予習はあきらめた。茶の間でテレビを眺めていたら、父が「勉強はいいのか」と言い出し、進路について釘を刺された。それなりのレベルの大学でなければ東京へは行かせない、というものだった。
 行かせない、という言い草が癇に障ったので、「わたしの将来はわたしのものです」と口をとがらせて二階の勉強部屋に逃げた。
 この町に縛る理由を聞きたいものだ。地元に魅力がないのは、大人たちが無能なせいだ。観覧車なんて馬鹿も馬鹿の思いつきだ。
(110)

「おれ、思うんだけど、男はやっぱり稼ぎだな。女房だってここ最近はやけにやさしくて、遅く帰って『メシ』って言っても、ちゃんとした料理が出てくるしな。前だったら、お茶漬けでも勝手に食べてろってものさ。先月、真珠のネックレス買ってやったら、こっちがびっくりするくらいよろこんでよ。女はゲンキンだ。愛より金だ。」
「そうッスね。いい服着て、いい車に乗ってると、ナンパし放題だし」
結局おれたちみたいに、学校を落ちこぼれた人間はよォ、稼ぎで自分を証明するしかないわけよ。一流企業に入れるわけでもないし、いまさら芸能人だのレーサーだのになれるわけでもなし。だったら、どんな家に住んでるかとか、どんな車に乗ってるかとか、子供にどんな服着せてるかとか、そういうので上を目指さないと、誰からも相手にされねえだろう。ビッグにならねえとよ、ビッグに
(193)

 読書中にこの3番目の引用部分に差し掛かったとき、ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』(訳書版元 → )が頭に浮かびました。本書では、学校文化から主体的に離脱していく「野郎ども」の様子が描かれています。

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by no828 | 2014-02-26 20:18 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 23日

生活とは、自分が幸せだとか不幸せだとか意識しないで過ぎてゆく時間のことなのだ——髙村薫『照柿』

c0131823_17593652.pngc0131823_180614.png髙村薫『照柿 上・下』講談社(講談社文庫)、2006年。118(773)

版元 → 上 
     下 

1994年に同社より刊行の単行本の改稿・分冊化


 刑事 合田雄一郎の第2幕。人は疲れすぎてはいけない。

 律子が幸せだという自信はないが、不幸かというと、それは違うだろうと達夫は風呂の中で独りごちた。生活とは、自分が幸せだとか不幸せだとか意識しないで過ぎてゆく時間のことなのだ。(上.155)


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by no828 | 2014-02-23 18:02 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 22日

引用のない本——奥田英朗『ララピポ』太田忠司『奇談蒐集家』髙村薫『黄金を抱いて翔べ』

 引用なし3冊。3冊なのはタグが3つまでだからです。


c0131823_18102189.jpg奥田英朗『ララピポ』幻冬舎(幻冬舎文庫)、2008年。117(772)

版元 → 
単行本は同社より2005年

 裏表紙の説明。「みんな、しあわせなのだろうか。「考えるだけ無駄か。どの道人生は続いていくのだ。明日も、あさっても」。対人恐怖症のフリーライター、NOと言えないカラオケボックス店員、AV・風俗専門のスカウトマン、デブ専裏DVD女優のテープリライター他、格差社会をも笑い飛ばす六人の、どうにもならない日常を活写する群像長篇」。


c0131823_1893749.jpg太田忠司『奇談蒐集家』東京創元社(創元推理文庫)、2011年。118(773)

版元 → 
単行本は同社より2008年

 裏表紙とは微妙に異なる版元サイトの説明。「求む奇談、高額報酬進呈(ただし審査あり)。新聞の募集広告を目にして酒場に訪れる老若男女が、奇談蒐集家を名乗る恵美酒と助手の氷坂に怪奇に満ちた体験談を披露する。シャンソン歌手がパリで出会った、ひとの運命を予見できる本物の魔術師。少女の死体と入れ替わりに姿を消した魔人。数々の奇談に喜ぶ恵美酒だが、氷坂によって謎は見事なまでに解き明かされる!」。


c0131823_1893229.jpg髙村薫『黄金を抱いて翔べ』新潮社(新潮文庫)、1994年。119(774)

版元 → 
単行本は同社より1990年

 裏表紙の説明。「銀行本店の地下深く眠る6トンの金塊を奪取せよ! 大阪の街でしたたかに生きる6人の男たちが企んだ、大胆不敵な金塊強奪計画。ハイテクを駆使した鉄壁の防御システムは、果して突破可能か? 変電所が炎に包まれ、制御室は爆破され、世紀の奪取作戦の火蓋が切って落とされた。圧倒的な迫力と正確無比なディテイルで絶賛を浴びた著者のデビュー作」。

 長谷部史親の解説。「ひとつの小説をめぐって、何を読み取り、どのように楽しむかは、個々の読者の裁量に完全に任されている。百人の読者がいれば、百通りの読み方や楽しみ方があり、そのどれもが正しい。だが名作として世に残る作品は、それらすべてを併呑してしまうほど大きな認識を基底としているのである」(358)。それが本書だ、という趣旨。


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by no828 | 2014-02-22 18:19 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 18日

あのな、大人の役割は、生意気なガキの前に立ち塞がることなんだよ——伊坂幸太郎『オー!ファーザー』

c0131823_19181118.jpg伊坂幸太郎『オー!ファーザー』新潮社(新潮文庫)、2013年。116(771)

版元 → 
単行本は2010年に同社


 ギャンブル好きな父、女好きな父、博学卓識な父、スポーツ万能な父。要するに父が4人。ある1点において突出した人物は——困ることもありますが——おもしろいです。しかし、その互いに異なった点の集合のほうがおもしろいと思いました。

 教育環境としても、です。

 だから大学を含め学校にも多様な人材を、という意見もわかります。わかりますが、その多様性の中心には共有されるべき点があるはずです。父が息子を大切に思う、というのが本書におけるその中心点でしょう。


「で、勲さんは例のマイケル・ジョーダンの言葉を、生徒の前で繰り返すわけだ」
俺は何度も何度も失敗した。打ちのめされた。それが、俺の成功した理由だ
(109)

「鷹さん、ゲームうまいんだね」鱒二が感心する。
「昔取った杵柄だよな。十代の俺がいったい、いくらゲーセンに投資したと思ってんだよ。簡単には負けねえよ」
「大人気ない」
あのな、大人の役割は、生意気なガキの前に立ち塞がることなんだよ。煩わしいくらいに、進路を邪魔することなんだよ
(165)

 教科書を開き、ノートに書き写したキーワードを眺め、図表を書いてみる。こうして書いてみると、日本の歴史は簡単なフローチャートみたいだな、と由起夫は苦笑する。戦で死んでいった人間たちの、たとえば、矢で刺された苦しみや、残された子供の絶望、窮地に追い込まれた政治家の緊張はまるで浮き上がってこない。あるのは、戦の結果と制定された法律や制度ばかりだ。
「だから」と悟が以前言っていたのを思い出す。「だから、今の政治家もどちらかにこだわるんだ。戦をはじめるか、もしくは、法律を作るか。歴史に残るのはそのどちらかだと知ってるんだ。地味な人助けはよっぽどのことでないと、歴史に残らない」
(291)

「頭の良さっていったい何だろう」
〔略〕
「人間っていうのは、抽象的な問題が苦手なんだ。抽象的な質問から逃げたくなる。そこで逃げずに、自分に分かるように問題を受け入れて、大雑把にでも解読しようとするのは大事なことだ」
〔略〕
「それが頭の良さってこと?」
「ペーパーテストができるよりは、良いだろ。抽象的な問いかけに対して、自分の知っている数字で、答えを導き出すんだ。そして、あとは気配りとユーモアが重要だ」
(294-5)

 勉強のできない子のいいわけの一つに「学校で習わなかった」というのがあるが、教育の場で最も求められていることの一つは「世の残酷さ」、「現実の理不尽さ」に向き合う勇気を与えることだと思う。学校はフェンスと守衛に守られた世界に過ぎず、まだ真の敵は現れていないし、挫折や失敗の傷は浅く済んでいる。これから現実界に足を踏み出す者は、予測不能の残酷さや理不尽に直面しなければならない。あらかじめ準備できることは少ないが、たとえば伊坂幸太郎を読むことには大いに意味がある。(島田雅彦「解説」557)


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by no828 | 2014-02-18 19:32 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 17日

寡黙な者ほど語るべきものを多く持っている——太田忠司『月光亭事件』

c0131823_1919542.jpg太田忠司『月光亭事件』東京創元社(創元推理文庫)、2009年。115(770)

版元 →  
単行本は1991年に徳間書店


 「少年探偵・狩野俊介シリーズ」第1弾。以降、『幻竜苑事件』、『夜叉沼事件』、『玄武塔事件』、『天霧家事件』と続くようです。

 内と外。

 魂と肉体の関係に関する言及がありました。以前であればこの引用文に深く頷いたところでしょうが、そうでもなくなっています。

寡黙な者ほど語るべきものを多く持っている(165)

 肉体は魂の道具である。しかるに現世に於いては、肉体は魂の牢獄となっている。
 俗物たる現世人にとっては肉体こそが第一義の存在であり、魂をその下に置く考えが流布しているため、そうした真実の逆転が起きるのである。
(187)


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by no828 | 2014-02-17 19:29 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 16日

《わたしよりも、異教徒一人の命の方が、よほど大切なのだ》と説く神がいたら——北村薫『玻璃の天』

c0131823_18224659.jpg北村薫『玻璃の天』文藝春秋(文春文庫)、2009年。114(769)

版元 → 
単行本は2007年に同春秋。

 短篇集〈ベッキーさん〉シリーズ第2弾、舞台は昭和初期の帝都、「ベッキーさん」とは令嬢付きの女性運転手。ちなみに第1弾は『街の灯』(→ )。


「わたくしが、あちらで御同席しにくいのは、華美な料理があるからです。おそらくあなたは、料理の値段など御存じないでしょう」
「……いえ。あるところで、夕食をとりました。確か、五円ぐらいだろうという話でした」
「そうですか。わたくしの部下達の、生家の生活ぶりをお知りになれば、それが彼らにとってどれほどの金額に当たるか、きっと驚かれると思います。地方といわず、この東京でも、日の出前から働きづめに働いて、日に五十銭、六十銭しか手に入らないという人間も珍しくはないのです」
 返す言葉がなかった。
五円あれば、五十人の飢えた者がカレーライスを食べられる。……あなたのおっしゃった行進の列に、そういう多くの者達が胸を張り、喜びと共に加われるなら……それが、どのような行進であれ、わたくしは心より支持いたします
(「幻の橋」61-2)

もし自分にさ、ああいう姉がいたらどうだい。軍隊に行っている最中に、あんな詩を書かれたら——
 一瞬で分かった。
「ああ……」
「毎日、どんな目にあわされるか分からない。逃げ場のないフライパンの上で炒られるようなもんだ。俺だったら、血の涙を流して姉さんを恨み抜くと思うな。《自分の考えだけいえばいいのか、俺はどうなってもいいのか》って。——結局のところは、決死隊にでも志願して華々しく死んでみせる以外に、道はなくなる」
(「玻璃の天」159)

「だがね、俺には、御立派で荘厳な神様なんか、いらない。——《わたしよりも、異教徒一人の命の方が、よほど大切なのだ》と説く神がいたら、——そういうことを、勇気を持って語れる神が現れたら、その時こそ、俺は神の前に跪くね(「玻璃の天」201)


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by no828 | 2014-02-16 18:23 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 15日

引用のない本——大崎梢『晩夏に捧ぐ』青井夏海『スタジアム』岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿』

引用箇所のない本をまとめて3冊。3冊の理由は、タグが1エントリ3つまでだから、です。


c0131823_16151049.jpg大崎梢『晩夏に捧ぐ――成風堂書店事件メモ(出張編)』東京創元社(創元推理文庫)、2009年。111(766)

版元 → 
単行本は同社より2006年

大崎梢『配達あかずきん——成風堂書店事件メモ』(→ )の続編(スピンオフ?)。


c0131823_16151662.jpg青井夏海『スタジアム 虹の事件簿』東京創元社(創元推理文庫)、2001年。112(767)

版元 → 
単行本は1994年にMBC21より発行、東京経済より発売。元来は自費出版本であったようです。

主人公は虹森多佳子。プロ野球球団 東海レインボーズのオーナー、しかし野球のことはまったくわからない、という設定。


c0131823_16153849.jpg岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿——また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』宝島社(宝島社文庫)、2012年。113(768)

版元 → 
文庫書き下ろし?

女性バリスタ 切間美星。


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by no828 | 2014-02-15 16:20 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 14日

磨いたらお祈りまで口から流れてしまいそうな気がした——ラヒリ『停電の夜に』

c0131823_1840395.jpgジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』小川高義訳、新潮社(新潮文庫)、2003年。110(765)

原著は1999年、原題は Interpreter of Maladies 。直訳すると、「病の通訳」。
版元 → 

 短篇集。著者はロンドン生まれアメリカ在住インド人(ベンガル人)のようです。市民権、国籍はよくわかりません。こだわらなくてもよいのですが、気にはなります。収録された物語も、アメリカ在住インド人(ベンガル人)が主人公として登場しています。また、大学もよく出てきます。「移民」、「ディアスポラ」などの言葉を思い浮かべながら読みました。

 1971年はバングラデシュ独立の年です。

 近ごろはシュクマールが起きれば、とうに彼女は出かけていた。起き抜けの目に映るのは枕に残った長い髪の毛であり、頭に浮かぶのは整った身なりの妻が、三杯目のコーヒーを口に運びながら、ダウンタウンのオフィスで教育図書の校正をしている姿だった。色鉛筆を使い分けて、これこれの記号を書き入れる、と言っていた。あなたの論文が仕上がったら、その校正をしてあげる、のだそうだ。そんな仕事の具体性がうらやましかった。まとまらない論文とは大違いだ。研究者としては凡庸で、こまかい事実を寄せ集めることはできるのだが、心底打ち込んでいたとは言いきれない。それでも九月までは一応がんばって草案を練り、クリーム色を帯びた用箋に書きつけていた。だが、いまとなっては飽きるくらい一人で寝ころんで、クロゼットをながめてばかりいる。(「停電の夜に」11-2)

 一九七一年秋、ある男の人が足繁くわが家にやって来た。ポケットにおみやげの菓子を忍ばせ、家族の安否を確かめたくて来るのだった。名前をピルサダさんという。ダッカから来ていた。いまではバングラデシュの首都だけれど、あの頃はまだパキスタンの領国にあった。パキスタンの内乱のあった年である。ダッカのある東パキスタンが独立を求めて、西の支配体制と戦っていた。三月にはダッカまでパキスタン軍に攻め込まれ、焼き討ちがあり、砲撃があった。教師たちは町に引きずり出され、撃たれた。女たちはバラックに引きずり込まれ、犯された。夏の終わりには死者三十万人といわれた。(「ピルサダさんが食事に来たころ」42)

 でも、いくら気持ちをごまかそうとしても、かえってごまかしがきかなくなった。どう考えても、ピルサダさんの家族は死んでいるのではないか。
 結局、わたしはあの箱から四角いホワイトチョコレートを一枚取り出して、包み紙をとったのだが、そのあとでまったく初めてのことをした。口に入れ、ぎりぎり待てるだけ待ってたら、やわらかくなったチョコレートをゆっくり嚙んで、ピルサダさんの家族が無事にいますようにと祈ったのである。わたしはお祈りなどには無縁で、そういう躾もされていなかったが、この際そうしたほうがいいと思った。
 この夜、わたしはバスルームへ行ったものの、歯を磨く真似をしただけだった。磨いたらお祈りまで口から流れてしまいそうな気がした。そこで、父や母に何とも言われないように、歯ブラシを水で濡らし、歯磨きチューブも適当に動かしておいて、糖分を舌に残したまま寝てしまった。
(「ピルサダさんが食事に来たころ」56-7)

息子が落胆したとき私は言ってやる。この俺は三つの大陸で生きたのだ。おまえだって越えられない壁があるものか。
 あの宇宙飛行士は、永遠のヒーローになったとはいえ、月にいたのはたった二時間かそこらだ。私はこの新世界にかれこれ三十年は住んでいる。なるほど結果からいえば私は普通のことをしたまでだ。国を出て将来を求めたのは私ばかりではないのだし、もちろん私が最初ではない。それでも、これだけの距離を旅して、これだけ何度も食事をして、これだけの人を知って、これだけの部屋に寝泊まりしたという、その一歩ずつの行程に、自分でも首をひねりたくなることがある。どれだけ普通に見えようと、私自身の想像を絶すると思うことがある。
(「三度目で最後の大陸」319)


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by no828 | 2014-02-14 18:46 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 13日

存在の分化と自己内関係の発生

 前回のエントリから2週間ほど空いてしまいました。そのエントリの内容を書き終えて、新たに考えるところもあり、翌日に書こうと思ったのですが、それが果たせずにいまに至ります。今回はそれを書きます。頭のなかにずっとありました。

 「実務家」と「研究者」との分離についてです。

 わたしの専門分野——教育や哲学ではないほうの。わたしは教育-開発-哲学の三幅のなかにいます——では、研究者=実務経験者、研究者=元実務家、といった相貌が色濃くあります。わたしはその位相からは抜け落ちます。わたしはいわば研究者=研究者です。そのため、肩身が狭く、分野の共通理解(=多数派理解)に乗り切れていないところがあります。しかし、そうした研究者=研究者という位置も重要なのではないかと思うわけです。が、それは単に、研究者=研究者である自分を正当化したい、自己正当化したいだけなのかもしれない、という疑いもないではありません。自己正当化は正当化の名に値しないと思います。

 その疑いから展開したのが、わたしは本当に“研究者=研究者”なのか、という問いです。

 開発においては、わたしは実務の経験はありません。しかし、教育においては違います。現に、大学や短大や専門学校の教壇に立っています。教育の実務に携わっています。教育の研究をしながら、教育の教育をしています。(逸脱しますが、“教育の教育”は自己再帰性の高い・強い営みであります。「このような教師は“よい教師”なのでしょうか」と言いながら頭をよぎるのは「果たしてわたしはそのような教師なのであろうか」です。“教育の教育”は内省という点で自己鍛錬になります。話を戻します。)教育の研究をするわたしは教育の研究者です。そのわたしはまた、教育の教育もします。その意味で教育の実務家でもあります。もちろん、教育の研究者と教育の実務家とを同時遂行することは困難ですから、教育の研究者であるときと教育の実務家であるときとは異なります。“教育の教育”という自己再帰的な行為にならざるをえないにしても、わたしの教育の研究主題は、教育の内容や方法に直結するものではありませんから、自己再帰性の性質も間接的なものに留まるとも言えます。研究したことを教育に直訳的に活用することもなかなかありません。とはいえ、だからわたしは純粋な教育研究者である、と言いきることもできないように思います。

 つまりはわたしも実務家ではないか、ということにいまさらながら気付いたわけです。開発において、ではないにしても、です。実務家であり研究者でもある、という位置を実はわたしも共有している、してしまっているのではないか、その位置からしか話を進めることができないのではないか。

 ひとりの人間はさまざまな行為をします。役割を負います。その行為には「研究」も「教育」も含まれ、役割には「研究者」も「教育者」も含まれます。「研究者」と「実務家」とを峻別するのは事実上は無理なのではないか。ここから、だから「研究者」と「実務家」とを分けて議論することも無理なのだ、とするのか、だからこそ「研究者」と「実務家」とを規範上は分けるべきなのだ、分けられないからこそ分けるべきなのだ、とするのか、分かれると思います。後者のほうへ行きたいですが、なぜ後者なのかと問われると、よくわかりません。また、自己のなかで複数の役割を使いこなす感覚もまだよくわかっていません。しかし、建前上、便宜上、理論上、個人内部で「実務家」的側面と「研究者」的側面とを分けるのであれば、わたしの分野の研究者と実務家との乗り入れ状況も別に批判的に言及される事柄ではない、個々人が内部で役割を担い分けていればよい、ということにもなります。しかしそれは行儀のよい、さらに言えば浅薄な意見であるようにも思えて、完全には乗れないところもあります。分けられないものを分けているのだからそこには無理があるはずで、その分離を合理化しきることはできないと考えるからです。が、ひとまずは分けるほうへ(なぜか)行きたい。では、分けたときのそれぞれの役割とは何か。「実務家的」と「研究者的」とは、一体どこがどう違うのか。「実務家だから」と「研究者だから」、「実務家として」と「研究者として」とのあいだで決定的に違うのは何か。そういうことも考えなければなりませんが、その前にもまだ考えなければならないことがありそうな気がしています。たとえば、「実務家として」と「研究者として」という区分がそもそも漠然としすぎているのではないか、「研究者」と括ってもそこには多様な姿勢、多様な立場があるのではないか、別の区分を持ち込んで議論しないといけないのではないか、など。おそらくはこういった点が詰められていないがゆえに、立論が錯綜しています。まとめてみます。

1 研究者であるから研究者として発言する(研究者でしかないから研究者として発言せざるをえない)のがよい。
2 しかし、「研究者でしかない」という立場を純粋に採用することはできない。それはわたしもまた実務家としての側面を有しているからである。
3 ゆえに、採用しうる立場は「研究者であり実務家でもある」でしかなく、「研究者であり実務家でもあるがここは研究者として発言する」という姿勢でしかない。
4「研究者として発言する」という点において、1も3も変わりがない(たぶん)。つまり、この点においてわたしとわたしの専門分野の人びととのあいだに違いはない、あるいは薄い。結局は「研究者として発言する」のであれば、両者は同じである。
5 前回のエントリの「研究者」と「実務家」という単純な2分法は失効する。

 そして

6 わたしの「わたしは研究者でしかない」という単純なアイデンティティも崩壊する。

 わたしは研究者である、わたしは研究者でしかない、というように、わたしは研究者であることに自分の存在根拠のほとんどすべてを賭けてきました、というより、賭けることができてきました。そこに「として」はありません。それ以外にないからです。実務家というあり方もすぐ近くに存在しましたが、それを選びたいとか選ばざるをえないとか、そういう状況にも(厳密にはある時期から)ありませんでしたから、「研究者」は選択する対象ではありませんでした。そこに教育者=実務家という役割、「教育者」として振る舞わなければならない側面が加わりました。わたしは、その新たな役割・側面とこれまでの自己認識との関係をうまく処置できていないようです。つまりそれは、生活と仕事との関係、“生きること”と“生きるためのこと”との関係が発生したことへの自覚と戸惑いです。講義をすることが嫌なわけではまったくないのですが、わたしはここでハンナ・アレントを思い出しています。

 人は「として」生きる以外にないのかもしれませんが、わたしはそれに虚しさを感じます。

 といった内容を前回のエントリの翌日に考えたような気もしますが、これで全部なのか一部なのか判断が付きません。内容がまだ整理しきれていないようにも思います。思い立ったら、というか、考え立ったらすぐに書くことの重要性を再認識するとともに、頭に残っていないのならその程度のことではないか、とも思ったりも(少し)しています。

@研究室
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by no828 | 2014-02-13 19:46 | 思索 | Comments(0)