思索の森と空の群青

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2014年 07月 27日

たった一人で、校舎の陰でにぎり飯を淋しく食べている生徒のいることを——三浦綾子『銃口』

c0131823_20144277.jpgc0131823_20152656.jpg三浦綾子『銃口 上・下』角川書店(角川文庫)、2009年。2(825)


版元 → 上 
     下 
単行本は1994年に小学館


 昭和10年代から20年へかけての北海道が主な舞台です。小学生の北森竜太は坂部久哉先生と出会い、自分も教師を志すようになり、実際に教師になります。しかし、戦争へと突入するなかで言論統制が敷かれ、「綴り方」授業も封殺されていきます。北森も勾留され、退職させられ、そして召集されます。

 教師を目指す人には本書はよいかと思われます。短大の講義(教職課程)でも紹介しました。教育をあきらめきれない自分に改めて気付かされました。それから、一角の人物との出会いの大切さにも改めて気付かされました。子どもにとってのその一角の人物には、教師が含まれうるのです。

 いろいろと思考が促されました。以下、引用多めです。


「みんな、この坂部先生が怒る時はな、たとえばここに足の悪い友だちがいるとする。その友だちの歩き真似をして、からかったり、いじめたりした時は、猛烈に怒る。体が弱くて体操ができない子や、どうしても勉強ができない子を見くだしたりした時は、絶対許さない。また、家が貧乏で、大変な友だちをいじめたりしてみろ、先生はぶんなぐるぞ。只ではおかん」
 坂部先生は本当に恐ろしい顔をした。
「ま、そんな生徒は、この組にはいないと思うが、念のために言っておく。宿題を忘れるより、零点を取るより、ずっと悪いのは弱い者いじめだ。よく覚えておけ。先生も気をつける
 みんなは大きくうなずいた。〔略〕
 四年生の第一日はこうして始まった。
 この坂部先生との出会いが、竜太の一生を大きく左右することになろうとは、むろん竜太は知る筈もなかった。
(上.38-9)

(坂部先生って、すごい!)
 どうしてこんなにあたたかいのか、竜太は泣きたくなっていた。竜太には不思議だった。芳子はついこの間転校して来たばかりなのだ。それなのに坂部先生は、芳子が五時前に起きること、ご飯を炊いたり、病気の父親の面倒を見たりして、それから納豆を売りに出ること、それをちゃんと知っているのだ。
(上.51)

「な、みんな、学校に遅れるということでさえ、一概にいいとか悪いとか簡単には決められない。遅れて悪いのは、途中で道草したり、わざと朝寝坊したりした時だな。芳子が時々遅れるのは父さんの病気が治るまでだ。みんなわかったな」
「はーい」
 竜太はやはり学校の先生になろうと思った。
(上.52-3)

番頭の良吉が、店が終って、銚子を傾けながら、
あの納豆売りの芳子ちゃんね、貧乏人の娘だが、頭はいいね。賢い子だね
 とほめた。竜太は何となくうれしかった。ところが父の政太郎が言った。
お前たち、今の番頭さんの言ったこと、何とも思わなかったかい
 いつもの声だった。が、どこか強い声だった。みんなは顔を見合わせた。〔略〕
「いいか、番頭さんはこう言ったんだよ。あの芳子ちゃん、家は貧乏だが頭はいいねとね。どっかおかしいと思わないかい。人はこういうかい? あいつは金持の家の息子だが頭がいいねとね
「ああそうか」
 竜太はやっと得心した。「あいつは金持だが頭はいい」とは人々は言わない。が、「あいつは貧乏な家の子だが頭はいい」というかも知れない。自分だってそう思ってきた。「あいつは貧乏だが勉強はできる」。それが普通の考え方だった。貧乏と、頭はいいという言葉はつながらなくて、貧乏と頭の悪いことが、密接な関係のように思ってしまう。一体どうしてだろうと、竜太は思った。貧乏人は何もかも劣っていると、勝手に思いこんでいる。だから、「あの子は貧乏だが頭はいい」という言葉が、少しも気にならなかったのだ。
(上.66-7)

先生はな、竜太、自分の生徒たち五十人に、教科書を教えていればいいなんて、思えなくなっているんだ。芳子が納豆を売っていた時、先生は辛かったぞ。先生は何のために生徒を教えるか。自分の足でひとり立ちして、がっちりと歩いて行ける人間を育てるんだって、そうは思うけど、丸沢のように、突然おやじが逃げて行ったとか、いろいろ生徒たちが辛い目に遇うのを見ると……考えるんだよ先生も
 坂部先生はまた竜太の傍の椅子に坐って、
「竜太、竜太にはこの社会全体を幸せにする道を選んで欲しいんだな。何も金持にならんでもいい。有名にならんでもいい。誠実に、一人の男になって、社会に影響を及ぼして欲しいんだ。教師の道より、もっとお前に合う道がお前にあるかも知れない」
 竜太は坂部先生を見た。先生は自分を信頼して、対等に話してくれているのがよくわかった。
「まあ、将来の道を決めるのに、六年生では少し早いかも知れん。今は一応中学に進んで、二、三年勉強してみて、それでもなお教師の道を選びたいのなら、そこで師範の二部に入っても遅くはない」
 坂部先生は、竜太が教師になるより、もっとちがう道を選んで欲しいと思っているようであった。
(上.83-4)

「な、みんな、人はいろいろなものを拝んでいる。人間として何を拝むべきか、これは大変な問題だ。しかしな、人が信じているものをやめれとか、信じたくないものを無理に信じれとは、決して言ってはならんのだ(上.99)

好きな人の思い出を、忘れられないままに結婚してもいいのかしら?
そうだなあ……美千代、ぼくたちは人間なんだよ。誰だって、過去に愛した人の思い出が、全くないとは言えないじゃないか。そんなことは飲みこんで、みんな結婚してるんじゃないか。結婚ってねえ、どこか、裏切りを伴っているところがあると、先生は思うんだよ。誰にでもねえ」
(上.196-7)

「日本はどこにいくんかなあ。矢内原教授は、北森先生、講演会でね、『日本は理想を失った。こういう日本は一度葬って下さい。再び新しい国として生まれ変わってくるために』と言ったんだとさ。こりゃあ愛国心だよね。戦争をおっぱじめるだけが、愛国心じゃないんだ。みんなそれぞれの考え方の中で、国を思ってるんだよ。燃えるような思いでね。自分の生まれ育った国を、愛さない人間がいるもんか。おれは泣きたくなるよ」(上.336)

校長は勤めて二年目に、運動会のお弁当は、全校生徒一人残らずおにぎりと決めたんですって。そしてそのおにぎりを、みんな教室に集まって食べることにしたんですって
「どうしてだろう」
 竜太は、もしかしたら校長が全校生徒の綴り方をいちいち念を入れて読むことと、何か関わりがあるのかと感じながら言った。
「それはね、さっきも言ったように、その校長は全校生徒の名前を全部覚えていた、しかも一人一人の家の経済状態も、ずいぶんと詳しく知っていた」
「なるほど」
「その時の職員会議では、先生たちは大反対をしたんですって。生徒の年に一度の楽しみを奪うのですかって」
「したら?」
校長が、君たち寿司の用意をするために、前の日に質屋に金を借りに行く親たちのいることを知ってるかって、教師たちに言ったんですって
 竜太は黙ってうなずいた。竜太の家は質屋だ。そういえば、運動会の頃になると、羽織などを風呂敷に包んで、おどおどと金を借りに来る貧しい家の者たちのことを、父の政太郎から聞いたことがある。政太郎は、
「可哀相になあ。明日の運動会の用意だな」
 と言っていたこともある。質屋の息子の自分が忘れていたことを、その校長は決して忘れてはいなかった。芳子が言葉をつづけた。
「そしてねえ竜太さん、校長はこうも言ったんですって。弁当の時間になって、生徒たちが喜んで親と一緒にお寿司をつまんでいる時、たった一人で、校舎の陰でにぎり飯を淋しく食べている生徒のいることを、君たちは知っているのか。たった一人の生徒にでも、そんな淋しい思いをさせてはならない。たった一人の親でも、悲しませてはならない。それがおれの教育だって、校長は泣いたんですって……
 芳子の声もうるんだ。子供の運動会だからといっても、日雇で一日何がしかの金で働いている親は、その仕事を休むことができないのだ。校長の涙に誰一人反対意見を述べる者はなかったという。以来数年、啓成小学校では、一番貧しい子供に合わせてものごとを考える傾向にあるということだった。
(上.359-61)

「しかし歴史というのは、教師たちがしっかりと踏まえていて、また変るかも知れない歴史教育というものを、それぞれの腹の中で、しっかりとつかんでおく必要があると、わたしは思う。生徒たちが大きくなった時、自分が小さい時に何を習ったか、はっきりと覚えておいて欲しいとわたしは思うんです」(上.404)

 木下先生が言った。
「今日のわたしの話は以上で終りますが、わたしの授業は平凡です。只、わたしは一人一人の生徒が、なんとか力をつけてくれるようにという思いだけは持っているんです。その思いが授業に表れているかどうか、大事なのはそのことです。教師が生徒をかわいく思っているか、生徒が先生に心をひらいてなついているか、結局教育はそういうことではないでしょうか。生徒はみんな、誰かが腹を痛めて生んだ子です。こんなにかわいい子はいないと思って、育てている子です。その親の心になって育てることはできなくても、その親の気持を察する教師になりたいのです」
(上.406)

「竜太さん、わたし今度、一年生を受持つのよ」
 弾んだ声だった。芳子は小さい子が好きだ。芳子は言った。
小さい子供って、まだ言葉の数をたくさんは知らないでしょう? 自分の気持を表現することが、上手じゃないでしょう? だから、すぐに泣いたり怒ったりすることがあるけど、教師はちゃんと察してやらなければならないと思うの
 弾んだ声のままに芳子は言っていた。
(芳子さんも、大したもんだ。木下先生と同じように、察する、という言葉を使っている)
(上.407-8)

「曹長殿、戦陣訓には……」
「ああ、生きて虜囚の辱めを受けず、と書いてあるな。それは、捕虜にならずに死ねということだが、そう簡単には死ねまいな
 竜太はまじまじと山田曹長を見つめた。曹長は言葉を継いで、
「それにな、おれは捕虜になることをそれほど恥ずかしいことだとは思わない。戦うだけ戦って、生き残ったから捕えられただけだ」
「恥ずかしくないのでありますか」
「北森上等兵、おれはね、恥ということは、捕虜になることなどではないと思う。人間として自分に不誠実なこと、人に不誠実なこと、自分を裏切ること、人を裏切ること、強欲であること、特に自分を何か偉い者のように思うこと、まあそんなことぐらいかな
(下.247)

「そうだ。北森の言うとおりだ。人間恩返しをしたと思ったら、途端に恩を忘れたことになる」
「あ、その言葉、自分の父も時々言う言葉です。恩を返したと思うことが最大の忘恩だと、父はよく言うんです」
(下.351)

「曹長殿、一発で何万人も殺す兵器など、どんな人間が考え出したのでしょうか」
「うん……どんなに科学が発達しても、それが大量殺人のために利用されるとはな。殺す数が多ければ多いほど、人間の堕落だな
 広島出身の山田曹長の言葉だけに、身に沁みた。
(下.357)

「ところで『愛』とは何でしょうか。愛は人間を幸せにする意志とも言われています。しかし私たち人間は、本来極めて小さな愛しか持っていない者であると言えないでしょうか。では、先程の誓約は何のためでしょう。人間はたやすくは愛し得ない者であるとの自覚を促すものである、と言えるのであります」(下.378)

 雷鳴はいつしか止み、雨の音も絶えた。竜太は横尾校長の言葉を今また思い返していた。竜太には更に人に言えない一つの痛みがあった。それは、山田曹長と下関駅の待合室で握り飯を食べていた時のことだった。二人の男の子が、いかにも物欲しげに、竜太たちの握り飯を見つめていた。それに気づいた山田曹長は、直ちに一つを分け与えたが、竜太はためらった。自分の都合を先に考えたのだ。惜しむ心が働いたのだ。ばかりか、握り飯を与えられた子が、「妹もいる」と言った時、本当に妹がいるのかという疑念がかすめた。嫌悪に似た感情が湧いた。山田曹長のように、妹思いのいい兄だとほめ、その妹に半分分けることを教えるなど、竜太にはできなかった。
 このことを竜太は今日まで、幾度も思い出してきた。竜太は自分を、もっとあたたかい人間だと思ってきた。少なくとも、子供に握り飯を分けてやるのをためらうようなことが、自分にあろうなどとは想像したこともなかった。
(もしあの子たちが自分の教え子なら……)
 思って竜太は愕然としたのだった。自分の教え子に対する優しさは、恵まれた環境にあっての優しさだ。竜太はそこに気づいた。坂部先生ならどうするか。竜太は自分を恥じた。その竜太の気持を知る筈もなく、竜太の教壇復帰を人々は願っていた。竜太は、自分には生徒を教える資格がないと、次第に本気で思うようになった。
(下.381)


@研究室
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by no828 | 2014-07-27 20:20 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 07月 26日

問題から距離をとり、自己の立場を相対化する努力も同時にするほかない——香川知晶『死ぬ権利』

c0131823_20473321.jpg香川知晶『死ぬ権利——カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』勁草書房、2006年。


版元 → 


 講義のための勉強用にだいぶ前に読みました。整理のためにぱらぱらとめくっていたら、「あとがき」の文章に深く共感するところがありました。わたしの生命倫理(学)に対する問題意識と大きく重なるものです。ここにも引いておきます。

 生命倫理として問題になっている事柄の多くは、過去の歴史を振り返るだけでは対応しきれない切実さと緊急性を備えている。求められているのは、明確な方向を指し示す議論といえる。必要なのは悠長な歴史談義ではなく、わかりやすい断定であり、そうした緊急性に応えるきっぱりとした結論を提示してみせる「生命倫理学者」は日本でも育ちつつある。だが、それにしても、明確でわかりやすい結論が元気よく出されれば、それで十分というわけにはいかないだろう。そうした元気よさには、時として、事実による裏づけと粘り強い思考、つまりは知恵が欠けているように見えることがないとはいえない。しかも、少し調べてみればとてもいえそうにもないようなことを平気でいいきるのは、痛切な緊急性をもつ生命倫理的な問題の場合には、たんなる迷惑をこえた害をもたらしかねない。そうした恐れを避けるには、問題から距離をとり、生命倫理なるものや自己の立場を相対化する努力も同時にするほかないだろう。歴史的な検討が必要だというのは、そうした意味においてである。(389-90)


 引用文中の「生命倫理」という部分に「教育開発」を、「歴史」に「哲学」を代入すれば——「事実による裏づけ」との対応はややずれるにしても——それはまさにわたしの——同語反復を恐れずにあえて言いますが——“中心的な研究主題”に対する問題意識と大きく重なることにもなります。多数派が「問題」だと指差している“それ”は本当に問題なのか、それを「問題」としているこちら側の価値前提に問題はないのか、といった議論もその多数派が属するのと同じ分野のなかでこそ必要だとわたしは考えますが、そういった議論は当然ながらその多数派には歓迎されません。そのことを先日の学会大会で改めて味わってきたところです。

@研究室
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by no828 | 2014-07-26 21:11 | 思索の森の言の葉は | Comments(0)
2014年 07月 25日

どんな大馬鹿だって問題を考えつくことはできる。大人を子供と分けるのは答えなのだ——ロッジ『交換教授』

(本の記録「人+本+体」は、このエントリから今年読了分に入ります。ようやくです。書誌情報後の数字は、今年読了数(本ブログ開設後読了数)を意味します。)

c0131823_20261894.jpgデイヴィッド・ロッジ『交換教授』高儀進訳、白水社、1982年。1(824)


版元(ただし新版。わたしが読んだのは旧版) → 
原著 →  David Lodge, Changing Places: A Tale of Two Campuses, 1975.


 舞台は1969年の英米。双方の大学教授——英がフィリップ・スワロー、米がモリス・ザップ——が互いにポストを交換する物語。

 学生運動、ベトナム戦争、……。時代にも関心がありますが、それ以上に大学の話、学問の話、研究者の話が出てくることを期待して読みました。筒井康隆の『文学部唯野教授』(→  引用がありませんね……)を想起していたところもあります。学問の話はそれほど出てきませんでした。


 フィリップ・スワローは、さまざまな形式の文学をすべて心から愛する男であった。〔略〕しかしながら、このように何に対しても無差別に熱中してしまう性格が災いして、彼は自分自身のものとして深める「分野」を決めることができなかった。彼は最初、ジェーン・オースティンを研究したが、それ以後は、中世の説教、エリザベス朝のソネット集、王政復古期の英雄悲劇、十八世紀の俗謡、ウィリアム・ゴドウィンの小説、エリザベス・バレット・ブラウニングの詩、ジョージ・バーナード・ショーの劇に見られる不条理劇の予兆、といった多種多様なテーマに注意が向いた。そのいずれの研究も完了しなかった。事実、たいていは、あるテーマについて準備的な文献目録を作り上げる前に、彼の注意はまったく別な何かに対して新たに湧いてきた関心、あるいは再燃した関心のために、ほかに逸らされてしまうのだった。彼は図書館の「英文学」の棚のあいだをあちこちと、玩具屋の中の子供のように走り回った——一つのものを選んでしまうとほかのものが駄目になるというのがひどくいやだったので、彼は結局は何も手にしなかった。
 フィリップが卓越した人物として認められていた領域が一つだけあった。そのことは、彼の学科内でしか知られていなかったけれども。彼は学生の成績を評価する際、比類のない優れた手腕を発揮したのである。慎重で、綿密で、厳しいけれども公正であった。彼くらいの自信をもって「B+もしくはB+?+」といった微妙な点をつけ、かつそれを彼ほどにしっかりした根拠と確信をもって正当化できる者は誰もいなかった。
(15-6)

 もうお分かりだろうが、モリス・ザップは文学の葡萄園で働く仲間の労働者に対してたいした尊敬の念は持ち合わせていなかったのである。彼らは、健全な常識という大気に鼻孔を突き出すか突き出さぬかの格好で泥の中のカバよろしく、相対主義のなかにとっぷり浸っている曖昧で気まぐれで無責任な連中に彼には見えた。彼らは自分と反対の意見の存在を喜んで認める——彼らは、驚くべきことに、ときおりみずからの考えを変える。彼らは深遠であろうとしてみじめな努力をする結果、論文はやたらに限定や条件がついて内容皆無となり、文章は総じて疑問の形をとる。彼らは好んで論文を「これこれしかじかのことについて問題を提起したい」という文句で書きはじめ、問題を提起しただけでおのが知的義務を果たしたと考えているようだ。こうしたやり方を目にするとモリス・ザップは気が狂いそうになった。どんな大馬鹿だって、と彼は主張した、問題を考えつくことはできる。大人を子供と分けるのは答えなのだ。自分で提起した問題に答えられないとすれば、それはその問題にじっくり取り組まなかったか、その問題が本当の問題ではないかのどちらかだ。どちらの場合にせよ、そういうときは口をつぐんでいなくてはならない。(51-2.傍点省略)

「学校? あなた、いやに学校にご執心のようね。」
「でも、教育ってのは、とても重要だと思いませんか?」
「思わないわ。わたしたちの文化が教育に取りつかれているのは自滅的なことよ。」
「へえ?」
どの世代も次の世代を教育するだけのお金を稼ぐために自分を教育していて、その教育を生かして実際に何かをするって人は誰もいないのよ。人は子供を教育するためにあくせく働くのだけど、その子供は子供で自分の子供を教育するためにあくせく働くってわけ。なんの意味があるの?
「そう、結婚して子供を育てるってことにも同じことが言えるでしょうな。」
「まさに然り!」
(98.傍点省略)

「モリスは、いつでもでかぱい愛好家だったわ。なぜあの人がわたしと結婚したのか分からないわ。なぜわたしがあの人と結婚したのかも分からないけど。なぜ人はそもそも結婚するのかしらねえ? あなたはなぜヒラリーと結婚したの?」
「分からない。あの当時、孤独だったんだ。」
「そうね。そんなところね。わたしに言わせてもらえば、孤独っていうのがいろいろなことの原因なのよ。
(215)


@研究室
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by no828 | 2014-07-25 20:34 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 07月 20日

中学生が自分で方針なんか決められるわけ、ないじゃないか——筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』

(前置き。ここ数日の本ブログへのアクセスの大半は「借りぐらしのアリエッティ」と「切ない」の語句検索によるものです。前者はテレビで放送されたのでしょうか。後者は前者と関係あるのでしょうか。関係ないとすると……推測不能です。「切ない」の検索によってどのエントリがアクセスされたのかまではわかりません。「切ない」ブログへようこそ。)

c0131823_19292555.jpg筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』文藝春秋(文春文庫)、2003年。168(823)


版元 → 
単行本は2000年に同春秋


 断筆解除後の短篇集が文庫化されたもの。「附・断筆解禁宣言」も収録。本書には断筆中に書かれたものも含まれているようです。

 エログロの印象が強烈です。が、以下の文章が収められた「夢」の最後は切ないものでした。引用の理由はしかし、教育についての思考を刺激するものだったからです。子どもに関わって、芥川龍之介『河童』(→ )のある場面を想起させる内容でもあります。


「今となってはもうどうしようもないよ。どこの大学へも行けなくなっちまった」彼は投げやりに言う。
「早くから方針を決めないからだ」おれは食卓に向かい、平静を装いながら茶を飲んでいる。
 息子は苦笑した。「子供だったんだ。何をしていいかわからなかったし、どんな才能があるかもわからなかった。希望はミュージシャンだったけど、そんなものになれっこないことは中学生になってからわかったんだ。中学生が自分で方針なんか決められるわけ、ないじゃないか
お前は自由だったんだ。だからお前が未来を選択すべきだったんだ。親のせいにしてはいかんな。子供だったかどうかは関係ないだろう。お前を生む前に、生まれたいかどうかお前に聞くべきだったよ」
「無茶ばかり言って」いつの間にか息子と並んで立っている、まだその頃は若かった妻が悲しげに言う。「あなたは、子供に希望を持たなかったんですか」
「おれは他人に希望を持ったりしない」
「他人かあ」息子は笑って言う。「じゃ、おれに希望を持ってくれる勤め先をどこか、捜すことにするよ」
「自由からの逃走か」厭味たっぷりに言うおれを睨みつけてから、息子は出ていった。
「わたしがさんざん、いい大学に入れないから何か方針を決めてやってって、あなたに言い続けてきたのに。自由放任主義もいいとこでしたわね」次第に老けていきながら、夫婦だけの日本間で炬燵に入った妻が背を丸くして言った。
「おれが息子の未来を決めたりしたら、おれ自身の自由が奪われてしまう。それなら子供なんか、いない方がましだ」
(「夢」127-9)


 ちなみに解説は小谷野敦。本書の「下品さ」に辟易した人には『腹立半分日記』(版元 → )を勧めています。「誠実であるがゆえに下品な作品を書くのだということが分かるだろう」(292)とあります。

 というわけで、昨年読了分の本の記録がようやく完了しました。次回から今年分に移行します。番号は「1(824)」からはじめます。その前に、N古屋での学会大会参加についてもアップロードしたいところです。

@研究室
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by no828 | 2014-07-20 19:38 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 07月 19日

引用のない本——加納朋子『ななつのこ』宇江佐真理『晩鐘』筒井康隆『乱調文学大辞典』

 引用なしの3冊を一気に記録しておきます。

c0131823_19441926.jpg加納朋子『ななつのこ』東京創元社(創元推理文庫)、1999年。165(820)

版元 → 
単行本は1992年に同社(たぶん)

 加納朋子は『ガラスの麒麟』(→ )に続いて2冊目。


c0131823_19442618.png宇江佐真理『晩鐘——続・泣きの銀次』講談社(講談社文庫)、2010年。166(821)

版元 → 
単行本は2007年に同社。

『泣きの銀次』(→ )の続編。


c0131823_1945396.jpg筒井康隆『乱調文学大辞典』角川書店(角川文庫)、1986年。167(822)

版元 → 情報なし
単行本は1975年に同社(たぶん)

 筒井編の辞書。文学辞典のパロディ。項目は「現象学」から「枚数制限」まで。一家に1冊。


 昨年読了分の研究以外の本の記録も、あと1冊となりました。(書誌情報後ろの 小さめ数字(大きめ数字) は 昨年読了冊数(本ブログ開設以来の冊数) を表します。)

@研究室
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by no828 | 2014-07-19 19:57 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 07月 18日

モルツ・サマードラフト(サントリー)

c0131823_18142090.jpgモルツ・サマードラフト(サントリー)


販売元 → 


酒類:ビール
原料:麦芽、ホップ
度数:5%
原産:日本

* コンビニエンスストア限定発売


 思いがけず帰りが遅くなり、生野菜とポテトサラダを買って食べようと711へ立ち寄ったら目に入ってしまい即座に購入。

 味はたしかに爽やか、しかし麦の味は残る。爽やか方面を志向すると、ホップの角が立って辛くなり、そのぶん麦の味が薄く感じられてしまう傾向があると思いますが、これはそうではありません。“麦のモルツ”をそのまま爽やかにしたらこうなった、というビール。

 ただし、泡が弱いようです。注ぐさいに意図的に泡立たせて泡をある程度固めて上層部に泡を残しながら飲む(炭酸が抜けにくくもなる)、というのはやや難しいかもしれません。しかしながらそれも、夏だから許したくなるくらいの気分ではあります。

@研究室
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by no828 | 2014-07-18 18:24 | ビール | Comments(0)
2014年 07月 17日

すべては人間の頭の中にあった——ヴォネガット『ガラパゴスの箱舟』

c0131823_20403432.jpgカート・ヴォネガット『ガラパゴスの箱舟』浅倉久志訳,早川書房(ハヤカワ文庫SF)、1995年。164(819)


版元 → 
原著刊行は1985年、原題は Galápagos
本書の著者名表記は「カート・ヴォネガット・ジュニア」ではなく「カート・ヴォネガット」ですが、以前の記録との整合性を確保する観点から、タグは「カート・ヴォネガット・ジュニア」とします。


 雷雨につき、空が落ち着くまで研究室にいることにしまして、そのあいだの記録と更新です。前回から2週間が空いてしまいました。

 現実のここのいまの「意味」を裏側から読む。現実を相対化する視点をどこに置くか、いかに確保するか——方法はいくつかあります。“文学的想像力”はそのひとつだと思います。ヴォネガットの作品からはそういうことを想起します。

 相対化しても何も変わらない。相対化する余裕などない——それにどう応答するか(しないか)ということは、実は講義のなかで考えてきた、というより考えさせられてきた点であり、研究のなかで考え(させられ)ている点でもあります。

 現実のなかから現実を相対化する視点を取り出してくるのが、経験科学の役割のひとつかもしれません。そうではない方法をたとえば(実践)哲学が採るなら、やはり外に一旦出て視点を確保することになるのかもしれませんが、それは外在的というのとはまた違うような気がしています、というか、外在的にならずにそうすることもできるのではないか。この辺りはまだ詰め切れていません。


 本書のはじまりは、
 そのむかし——
 いまから百万年前の西暦一九八六年、グアヤキルは、エクアドルという南米の小さな民主国が持つ最大の貿易港だった。
(13)

です。「100万年前」というタイムスパンで物語る、そんなふうに思考の枠組みを一挙に拡大する(させる)というのがすごいと素直に思います。

 そのころの人間はいまよりもずっと大きな脳を持っていたので、いろいろの謎で退屈しのぎをすることができた。一九八六年当時のそうした謎のひとつは、長い距離を泳げない生物がどうしてこんなにたくさんガラパゴス諸島へたどりつくことができたのか、というものだった。(14)

 ダーウィンはこの島々を変えはしなかった。この島々に対する人間の意見を変えただけである。巨大脳の時代には、たんなる意見がそれぐらいに重要だった。
 事実、たんなる意見が、たしかな証拠とおなじように人間の行動を支配していたばかりか、とつじょとしてくるりと裏返ることもあった。たしかな証拠にはとうていできない芸当だった。このために、ガラパゴス諸島がある瞬間まで地獄だったかと思うと、つぎの瞬間には天国になったり、ジュリアス・シーザーがある瞬間まで大政治家といわれていたかと思うと、つぎの瞬間には殺戮者といわれたり、エクアドル紙幣がある瞬間まで食物や住居や衣服と交換できていたかと思うと、つぎの瞬間には鳥籠の敷き紙にされたり、また、宇宙もある瞬間まで全能の神の創造物だったかと思うと、つぎの瞬間には大爆発によって生じたものとされたりした——その他いろいろ。
 その後の知力の減退のおかげで、今日の人間は、もはや意見という妖怪によって人生の本筋から目をそらされたりはしない。
(28-9)

 そして、この飢饉は、ベートーヴェンの第九交響曲とおなじく、純然たる巨大脳の産物だった。
 すべては人間の頭の中にあった。もとはといえば、人びとが紙きれでできた富に対する自分たちの意見を変えただけのことだが、その実際の効果は、この惑星にルクセンブルクほどもある隕石がぶつかって、軌道からたたきだしたのにも匹敵するものだった。
(38)

 母のいったとおりだ——いちばん暗い時代にも、人類にはまだ希望がある。(332)

 マンダラックスが彼女に教えず、また彼女の巨大脳も絶対に彼女に教えようとしなかったのは、こういうことだった。つまり、もし彼女が実現の見込みのある新しい実験を思いついたとしたら、彼女の巨大脳は、彼女を責めて責めぬき、その実験を実際にやるまで許そうとしないだろう。
 これが、わたしにいわせれば、むかしの巨大脳のいちばん悪魔的な側面である。巨大脳はその持ち主におおよそこんなことをいうのだ——「このばかばかしいアイデアは、たぶん実行できるだろうが、もちろん、われわれはそんなことはしない。ただ、考えるのがおもしろいだけだよ」
 そしてそのあと、人間はさながらトランス状態で、それを実行することになる——コロセウムの中でふたりの奴隷にどちらかが死ぬまで闘わせたり、その土地で人気のない意見を持った人たちを公共広場で焼き殺したり、人びとを大量に殺すか、都市をまるごとふっとばすだけが目的の工場を作ったり、その他いろいろ
(339-40)

 以上を改めてまとめながら、養老孟司の『唯脳論』(→ )を思い出しました。

 空が落ち着いたようです。帰りましょう。

@研究室
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by no828 | 2014-07-17 21:04 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 07月 05日

大層な本とか理論より、そんじょそこらで触れるものとか——干刈あがた『しずかにわたすこがねのゆびわ』

c0131823_200646.jpg干刈あがた『しずかにわたすこがねのゆびわ』福武書店(福武文庫)、1988年。163(818)


版元 → 情報なし
単行本は1986年に福武書店


 時代は1960年代末の東京(だと思う)、健康薬品会社で働く20代の女性たちの物語。

 干刈あがたは2冊目。10年くらい前に『黄色い髪』を読んだことがあります。たしか、いじめが題材となっていました。重く受け止めた記憶があります。


 芹子は百合子に深くうなずいた。
「会社でも受付にいた間は、努力して笑顔を作るようにしていたわ。でも庶務課にまわされてからは、その努力もだんだんしなくなってしまった。人間って、眼差しを向けられることで生き生きするということあるでしょう。そしてね、とても引っ込み思案になってしまったの。何よりいけないのは、私もやっぱり、いろいろなことを瞼のせいにしてしまうの。瞼がこんなふうだというだけなのに、こころ全体まで無表情になって、希望を持てなくなってしまっているのよ。でも本当は、希望を持ちたいの。まだ自分を生かしたいの
(191)

 ↓ 瞼、の原因である脳、の手術を受けたあと。
「私、生れ変ったのよ」
 意味がわからないというような芹子の顔が、一瞬後には歓喜の表情に変った。
「髪の毛、生え揃ったのね」
「ええ、今日はカツラじゃないわ。借り物なしの、生身の私よ」
 芹子は百合子の顔を見つめてから言った。
「百合さんは、とてもみずみずしくなったわね」
「人と会ったり、話したりするからだと思うわ。会話って、ただ意味を伝え合うだけじゃないのね。からだを温かく包んだり、こころに滲みこんで潤いを与えてくれるものなんだわ。ねえ、人と人とを結ぶのはこころだと言うでしょう。でも人は何か仲立ちになるものがなければ、なかなか人とつながりが持てないわ。私はあなたの本を持つことで、ずいぶん多くの人と接したり、話をしたり、今まで知らなかった自分を発見したわ。通りがかりの本屋さんにとびこんで、本を置いてもらう交渉をするなんて、私にできると思わなかった
(207)

「うん、私、思うんだけどさあ、私たちは大層な本とか理論より、そんじょそこらで眼に触れるものとか歌なんかから、知らず識らずのうちに意識を変えていくんだよね。だから自分なりの気持を出したいよ」(229)


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by no828 | 2014-07-05 20:05 | 人+本=体 | Comments(1)
2014年 07月 04日

「先に極楽見ようとしたわけか」「そのこと自体が煩悩じゃん」——いとうせいこう・みうらじゅん『見仏記』

c0131823_20191676.jpgいとうせいこう・みうらじゅん『見仏記』角川書店(角川文庫)、1997年。162(817)


版元 → 
単行本は1993年に中央公論社


 仏像を訪ね歩く旅行記。みうらじゅんの絵と発言がおもしろく、いとうせいこうの博識ぶりと鋭利な分析が時折登場します。いとうせいこうへの関心が上昇しています。

 ふたりともなまえのひょうきがひらがなです。


「空也上人って小さいんだよね。小さいぞって思って見に来るんだけど、いっつもそれより小さいの。変なんだよねえ」
「そういうことってあるね。いっつも想像を超えちゃうっていうか、記憶が感覚に裏切られるっていうか」
 私はその“記憶が感覚に裏切られることの快感”について話したかったのだが、みうらさんはそんな観念遊戯をしない。
「ね、ちっさいでしょう、空也上人は?」
 彼はあくまでも目の前にあるものについてしかしゃべらないのだ。私は自分の悪い癖を反省して、きちんと現在見ているものを見た。確かに驚くほど小さい。みうらさんは続ける。
「昔の人だからなあ」
「そういうことなんだろうねえ」
 そう答えながら、私はみうらさんの正直さに嫉妬していた。彼はいつでも現在に生きていて、瞬間瞬間に集中することが出来る。観念に逃げ込むことなく、事実を感じることが出来る。やっぱり絵を描くべき人だ。そして、私は結局文章しか書けない人間である。〔略〕
 拝観の後、私はみやげ物を探した。みやげを買う習性のない私だが、空也上人となると話は別だった。踊りながら念仏を唱えてストリートに生きた上人は、私にとって尊敬すべきラッパーだからだ。
 例えば、ニューヨークにKRSワンというラッパーがいる。昔、相棒がギャングスターの抗争に巻き込まれて撃ち殺され、以来説得力ある“説法”を続けている男だ。やつは自分のラップを“エデュテインメント”と定義づけている。エデュケーションとエンターテインメントという二つの要素が、現在のラップの根幹にあるべきだと主張しているのだ。
 数年前、この言葉を聞いた時、私はまっさきに空也上人のことを思い出した。そして、踊躍〔ゆやく〕念仏とはまさにラップのことなのだと開眼したのだった。だから、私はなんとしてもみやげ物を手に入れなければならなかった。ラップの御本尊にあやかるために、である。
(50-1.傍点省略)

 道教や山岳信仰は、もちろん仏教の中に取り入れられていったわけだが、どうもこの東北の地にはそれがむき出しで残っているように、私は思ったのだった。中央が抑圧しきれなかった多様性がここにはある。しかも、この多様性の抑圧は、実際的な異民族への抑圧とも重なっていたはずだった。
 おそらく、事が実際的であったからこそ、本来の多様性はかえって消えることがなかったのだ、と思った。文化的な影響を受けるのならともかく、いわば強引に政治的・軍事的な抑圧を受けた土地には、必ず抵抗としての“由来保持意識”が働く。レジスタンスとしての文化継承だ。
 この東北見仏ツアーの最初に、私は“東北の伝来嫌い”について考えていた。そして、なにやらそれが、ひとつの形になってきたように思った。この北の地は決して保守王国なのではない。むしろ、反体制の感情を持ち続けている。それこそ大昔から、ここは中央と戦い続けてきたのだ。その抵抗が現在政治的に自民党とつながっているのは、単に他の政党が思想を“伝来”させたからに過ぎない。
(123)

 なにせ、パック旅行を日本で定着させたJTBは、そもそも外国人の日本観光用の代理店であり、そのガイジン向けのガイドが日本人自体による日本旅行の、いわば基本マニュアルだというのである。つまり、白幡〔洋三郎〕氏によれば、我々にとっての観光は、元来ガイジンの目で日本を見るべく出来ていたのだ。見仏人のみがそうしていたわけではないのである。
 そして、ここからは私〔=いとう〕個人の考えではあるが、その複雑な回路(いったん自己を外国という幻想の鏡に映してから、自己自身を確立し、それに自信を持つ)は鑑真を招来した天平の頃から変わっていない。日本人は、自己をガイジンの目に投影しながら愛することが好きなのだ(“真の鑑”という名のなんと象徴的なことだろう!)。
()

 対岸の阿弥陀堂と正対する位置までくる。みうらさんも私も黙って遠くの阿弥陀を見た。格子の向こうで金色に光る仏の体。そして、格子の穴から望まれるその顔。金はこういう時にいい、と思った。堂内のわずかな光を反射して深い陰影を作り出すからだ。
「金持ちは先に極楽見ようとしたわけか」
 みうらさんがつぶやくように言った。
「そのこと自体が煩悩じゃん」
(284)


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by no828 | 2014-07-04 20:29 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 07月 03日

ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めよう——養老孟司『唯脳論』

c0131823_19554827.jpg養老孟司『唯脳論』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1998年。161(816)


版元 → 
単行本は1989年に青土社

 人間の行動は脳の法則性に依拠するのだから、科学をするにも社会を理解するためにも、出発点は脳なのだ、という主張が展開されています。

「死(体)」の定義の困難あるいは不可能あるいは恣意性について論及しているところがあります。ここに開示されている考えは、養老の著作で繰り返し表明されています。わたしも同じように考えます。元来関心はあり、講義をするためにも考えてきたところがあります。

付記 せめて上半期中に昨年読んだ本(研究関係以外)を記録・整理してアップロードしようと密かに意気込んでいたのですが、無理でした。あと10冊弱です。もう少し昨年分が続きます。


 ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場を、唯脳論と呼ぼう。(12)

 一般に自然科学者は、考えているのは自分の頭だということを、なぜか無視したがる。客観性は自己の外部に、つまり対象にあると思いたがるのである。〔略〕
 人文科学や社会科学の人たちは、脳と言えば自然科学の領域だと思っている。自然科学も何も、そう思っている考え自体が、自分の脳の所産ではないか。〔略〕あらゆる科学は脳の法則性の支配下にある。それなら、脳はすべての科学の前提ではないか。
(15)

脳と心の関係の問題、すなわち心身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰着する、ということである。〔略〕
 循環系の基本をなすのは、心臓である。心臓が動きを止めれば、循環は止まる。では訊くが、心臓血管系を分解していくとする。いったい、そのどこから、「循環」が出てくるというのか。心臓や血管の構成要素のどこにも、循環は入っていない。心臓は解剖できる。循環は解剖できない。〔略〕心臓は「物」だが、循環は「機能」だからである。
(28)

 では、なぜヒトは、脳つまり「構造」と、心つまり「機能」とを、わざわざ分けて考えるのか。それは、われわれの脳が、そうした見方をとらざるを得ないように、構築されているからである。唯脳論は、そう答える。これは逃げ口上ではない。生物の器官について、構造と機能の別を立てるのは、ヒトの脳の特徴の一つである。(30)

また、解剖学実習で、「肛門だけ」切り取って重さを測れ、と言われた学生は、よく考えると、往生するのである。よく考えない学生なら、周囲の皮膚を切り取ってくるであろうが、それはもちろん、ダメである。肛門に重量はない。なぜなら、肛門に「実体」はないからである。これはいわば、消化管の「出口」である。(31)

 われわれの脳は、いつも同じものではない。絶えず変化しているのである。脳が世界を造っているにしても、それはつねに変る。哲学者がそれが嫌で、静止した、永遠の真理が欲しいと言うのであれば、死ねばいいのである。私がその脳を頂いて、保存してさしあげよう。(40)

〔略〕私の意見では、構造と機能とは、われわれの「脳において」分離する。「対象において」その分離が存在するのではない。(44)

 私が言いたいことは、死体の定義は、いまだ相変らず、明瞭ではないということである。「機能が不可逆的に回復不能になる点」を死の時点とする。そうした定義を作ってみても、後に述べるように、すでに胎児にすら、プログラム化された細胞死が中枢神経系の中においても存在している。われわれの脳は、ひょっとすると、細胞死によって機能を確保している。その可能性すら、いまでは議論されているのである。いずれにせよわれわれは、この世に生じた時点から、死に向かって、すなわち「不可逆的な機能の喪失に向かって」、一本道を歩いている。右のような死の定義によるとすれば、その一本道の、いつの時点で「死」を定義したところで、論理的には差し支えないようなものである。(45-6)

「脳死を死と定める」場合の問題点は、ここにある。つまり、脳が死ぬことが個人の死であるならば、逆に、脳だけを救えばどうか。個人の生命を救うことが医学の目的であるとすれば、医者が「脳だけを救う」という目的に向かって、努力を集中しないという保証がどこにあるか。(60-1)

 教えなければならないということは、計算のような能力には、後天的な部分がかなり含まれている、ということである。言語の研究家は、言語の基礎には、ある構造があるという言い方をする。その構造は、私はじつは脳の中にあると思っている。構造主義における構造とは、しばしば脳の構造に他ならない。もっとも私は、その構造の存在を「前提」にしているわけではない。「教え込まれる」ことと、「基礎構造の成立」とは、同時に起こる過程かもしれないからである。ウィトゲンシュタインに言われるまでもない。(76)

動物の行動は、程度の差こそあれ、合目的的である。なぜなら、行動はそうなる(見える)ように進化してきたからである。脳の進化はその延長線上にある。なぜなら、脳は行動を支配し統御するように進化してきたからである。われわれの脳は、それをついに「目的論」として表明するようになった。(228)


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by no828 | 2014-07-03 20:10 | 人+本=体 | Comments(0)