思索の森と空の群青

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2014年 09月 28日

一番知りたいのは、食べるために動物を殺す行為じたいを、どうしてみんなが——内澤旬子『世界屠畜紀行』

c0131823_20482058.jpg内澤旬子『世界屠畜紀行』解放出版社、2007年。19(842)


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 食べるために動物を殺す行為を穢らわしいと感じ、その行為を遂行する人を差別するのはなぜか、そもそも世界各地では屠畜をどう感じているのか、という問いへの答えを探して世界を回る旅の記録。


そう、ただ殺しただけでは肉にならないのだということを、わかってもらいたくて「屠畜」ということばを使っているんである。(3)

私が本当に一番知りたいのは、食べるために動物を殺す行為じたいを、どうしてみんなが嫌なことだと『感じている』のか、なんです。韓国人にとっても食うために殺すことは、忌まわしいことですかね?」(29)

 朝鮮戦争が、韓国の白丁〔ペクチョン。李朝時代からの被差別民。牛の屠殺解体を行なう人びと〕差別をどの程度崩し、残したのか。これだけのインタビューでは断定できないが、白丁差別については、ソウルに住む30代の人にはほとんど知られてないように思える。ただ、動物を殺すことについての恐怖感や罪悪感があれだけ強ければ、白丁に関係なく、屠畜に従事する人への差別はやっぱりゼロにはならないんじゃないかあ……
 ともあれ、韓国の人が言う「今はない」ということばのうちには、〈ゼロからスタートしたんだ〉という強い自負があったということはわかった。
(41)

バリ島は、大多数がイスラム教徒であるインドネシアの中で、人口の9割以上がヒンドゥー教徒という特別な島。ヒンドゥーと言えば、カースト制度。肉を捌く人が定められたカーストがあったりするのかしら? インドみたいに?(42)

罪悪感を引きずりながら肉を食べたり革靴を履くくらいなら、きちんと動物への責任と感謝を感じながら生活すればいいじゃないの(61-2)

 イスタンブールでは、トルコがEU(欧州連合)加盟国候補になって以来、「犠牲の動物は決まった公式のところで買うことが義務づけられ、屠畜場以外の場所で、免許のない人間が犠牲を行うことは禁止されてしまった」のだ。まちに押し寄せる羊の群れもなくなり、家の裏庭で家族みんなでやっていた屠畜は、お父さんたちが屠畜場に行き、捌いてもらったものを持ち帰る形になったというのだ。(91)

なによりも、相手の文化や状況も理解しようとせずに、「残酷」と言い放つことこそが、一番「残酷」なのではないだろうか。(93)

 けれど私は、確実な意思の疎通ができない動物に対して、人間が、かわいそうだとかストレスだとか解釈することじたいが「奢っている」と思う。どうあろうと食べていることに変わりないのだから。(100)

 ほとんどの人が肉を食べる――動物をつぶすことから逃れることはできない。それはだれもわかっているはずだ。なのに、いや、だからせめて、ということなんだろうが、動物が死ぬ直前まで苦しまないようにと活動する動物愛護運動は、動物の命をいただくことを正面から受け止めきれずにあがいているようで、馴染めない(102)

「私が〔金岡秀郎「肉食のジレンマとその克服」『モンゴルを知るための60章』(明石書店)で〕この章を書いたのは、仏教が必ずしも部落差別の原因ではないことを伝えたいという気持ちもあったんです。あらゆる命は別の命、ほかの生物のエネルギーを奪って生きているわけです。羊だって草を殺しています。そしてあらゆる命は自分から死んでくれないわけで、手を下さなければならない。それを許さざるを得ないんです。ただし、奪ったことへの感謝の念を持つこと。こんなつまらない自分を生かすために、たくさんの命を奪って申し訳ないという気持ちを持たなければ罪になる。これが仏教が示したギリギリのところだと思います(126)

私ね、この仕事に就いてからはじめて差別があることを聞いたんです。小・中学校のときも同和教育を受けてなくて、知らなかったんです(170)

 言い古されたことだけど、問いたい。この人たちは肉を食べてるんだよなあ。屠畜を「穢らわしい」と思っていて、どうして肉を食べることができるんだろう。(187)

 木下川は江戸時代からの部落で、明治時代に、皮革業者が東京の中心部から郊外へと強制移転させられた移転先のひとつが、木下川だったそうだ。
 部落解放同盟東京都連合会墨田支部の北川京子さんにお話をうかがうと、結婚差別は今も多く、さらにまちの中にあった木下川小学校に通っていた子どもたちは、中学に進学したときに「臭い」といじめの対象になるなど、はっきりと差別を受けた。そのために地域外の小学校に越境する生徒が続出し、皮革産業の衰えとともに、廃校となっているという。
(237)

 けれどもやっぱり、かわいそうという気持ちが、仏教の不殺生戒を生み、部落差別の源泉のひとつとなり、そして今、部落差別についてなんの知識もなくても、屠畜場で働く人や革を鞣す人に対して残酷だとか、怖いとか、近づきたくないと思ってしまう大きな原因となっていることは確かだろう。(239)

「〔上野吉一(京都大学)〕ただ、動物福祉、言い換えれば科学の立場でできるのは、動物にはこんな要求があるという事実を示すところまでです。それによって動物がこういう要求を持った存在なんだとわかっても、それにどこまで応えなければならないかは、社会が判断することなんです。〔略〕最終的には社会が、そういった事実を見据え、ときには文化習慣などを配慮し、人間の生物学的欲求をふまえて、判断するのです
 社会とはすなわち私たち全員で、ということにほかならない。
(248)

「〔上野吉一(京都大学)〕きっかけは『かわいそう』でもいいんです。でも、『かわいそう』だけで動くと、すべてが抜け落ちてしまう。必要なのは、科学的、客観的な理解なんです(248)

『ラーム神話と牝牛』(小谷汪之 平凡社)によると、そもそもインドのイスラム教徒は、犠牲祭のことをバクリード、牛・犠牲祭〔バカル イード〕と呼ぶように、犠牲に羊でもヤギでもなく、牛を捧げることが多かったのだそうだ。ところが牛はヒンドゥー教では神聖な存在である。殺すことはおろか、食べることも許されない存在だ。それでもイスラム教徒とヒンドゥー教徒は目立った諍いもなく共存していたという。それが19世紀後半以降、インド独立運動の原動力ともなっていく、ヒンドゥーナショナリズムの発生とともに、「牝牛保護運動」なるものが生まれる(299)


@研究室
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by no828 | 2014-09-28 21:01 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 09月 27日

グランドキリン ホップフルーティ(キリン)

c0131823_21151054.jpgグランドキリン ホップフルーティ(キリン)


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 R天に注文した本を受け取りにFァミリーマート(コンビニ受取)へ行ったら見つけました。Fァミリーマート限定発売だそうです。

 味はたしかにホップ。発泡酒、リキュールでホップを押し出すときにありがちな辛味はなく、爽やかにホップです。

酒類:ビール
度数:5.5%
原料:麦芽、ホップ
原産:日本


@研究室
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by no828 | 2014-09-27 21:25 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 09月 26日

当事者は、逃げたくてもその場から逃げることは——大野更紗・開沼博『1984 フクシマに生まれて』

c0131823_2046191.jpg大野更紗・開沼博『1984 フクシマに生まれて』講談社、2014年。18(841)


文庫オリジナル
版元 → 


 大野・開沼の2者対談にはじまりますが、主は○○・大野・開沼の3者対談です。○○に入るのは、以下の方々です。

 川口有美子(日本ALS協会理事)
 駒崎弘樹(NPO法人フローレンス代表理事)
 小鷹昌明(南相馬市立総合病院医師)
 森達也(映画監督・作家)
 茂木健一郎(脳科学者)
 金富隆(TBS報道局チーフディレクター)

 『1984』ではありませんが『フクシマに生まれて』ではあるわたしは、大野・開沼対談にも共感するところがありました。“ここにいるべきじゃない感”はわたしにも強くありました。

 ちなみに、開沼氏はラジオ(「荻上チキ・Session22」)でこの本に増刷がかからないことを嘆いていました。よい本だと思います。


 2011年3月11日。短い時間に、福島県に多くのことが起きました。あまりにも沢山のことがあって、言葉にするにはよほどの時間が必要なように思います。そして言葉になるまでのその間、忘れないでいなければなりません。でも、たまには忘れる時間もなければ、日々の生活をやり過ごすこともできません。(8)

 それでも、あまりにひどいことが多いですから原発震災について「何かを言わなければならない」という責任感に似た気持ちと「言う資格もない」という呵責がないまぜになって、勝手に苦しくなるのです。(9)

当事者は、逃げたくてもその場から逃げることはできません。(11)

大野 小さい時からずっと、早く外に出なくちゃいけない、ここにいるべきじゃないと思いながら育ってきたような気がします。
開沼 “ここにいるべきじゃない感”は僕にもありましたね。共感します。

開沼 やる気を持って働けば、みんな結構寛容じゃないですか? それは地元ではあまりなかったことですよね。〔略〕
 出る杭は打つ、異質な者の排除、努力する者への嫉妬。震災後上っ面だけなぞって、「第二の故郷」とか「○○(被災地の地名)のお父さん、お母さん」などと理想郷として被災地を描いてすませようとするもの書きもいましたが、何も分かってないなと思います。確かに田舎のいいところもありますけどね。でも一方に都会の寛容さもあるし、そこに育てられました。
(34)

川口 80年代後半~90年代前半にかけて「病院から地域へ」ということで、国が推奨して在宅医療という言葉が出てきたところでした。とにかく病院から患者さんを出して地域へという流れに乗って、呼吸器も92年に東京で医療保険が適用となりました。
開沼 呼吸器に保険が適用されていなかった時代があったんですね。〔略〕それまではどうやって手に入れていたんですか?
川口 自分で買っていたんです。一台三百万円。そのお金を出せる人だけが、呼吸器をつけてもらえたんです。だから一般的なことじゃなかったの。
(62-3)

川口 〔略〕患者さんたちが資本主義の中に参入できればいいというのは、ずっと考えています。〔略〕障害とか難病の人たちの経験はお金になる。だから、患者さんたちに自らの体を提供してもらって難病治療に対する医学系・工学系両面の研究を進めたり、患者登録サイトというのを作って、難病患者さんたちに自分のデータを提供してもらったりしています。これらは今後発病する人たちの役に立つ。(85)

川口 ALSの人はよく「今日は明日よりいい」と言います。進行性の病気の人たちの中には、いつも自分は今が最善の状態で、いちばんいいポジションにいると思って生きている人がいる。どんどん病状が悪化していく明日よりも今日のほうがマシだから、毎日、今日がいちばんいい日、という考え方。それも一種の希望の持ち方だと思う。(92)

川口 特に尊厳死とか安楽死とか生命関係の話は、論理的に言えば言うほど墓穴を掘るので、宗教の力を借りたいなとは思いますね。戒律です。死んではいけないと言うことは。
開沼 なるほど。そのお話が聞けてよかったです。
大野 私はやっぱりもうちょっと留まりたい派。宗教にすがる前に。
川口 それはリアルに患者だからね。こんなこと言えないですよね。
大野 まだ宗教には行きたくない。それに、他に希望になる何かがこの地球にはまだあると信じたいんです。
(95)

駒崎 たとえば、反原発派の人たちは、デモをやって何万人もの人を集めることはできたけれど、基本的には対案を持ってきていなかった。原発を管轄している経産省のキーマンに対して、パワポを使いながら「こうやったら脱原発できると思います」とプレゼンした人がいましたか? 誰一人としていなかったと思います。〔略〕新型ロビイストに求められるのは、ただ否定の声を上げるだけではなく、「代わりにこうすればいい」という意見を持つこと。「代わりにこうすればいい」よりもさらに説得力があるのは、「実際にやってみました」ですね。(130)

大野 DMATという被災地に医師を派遣する大きなシステムがあるのですが、そこから派遣されたお医者さんたちはやっぱり外部からの援助者なので、短期間でひきあげます。ボランティアで残った人も、数ヵ月や半年で帰ってしまう「やがては去りゆく人たち」です。正直、先生もそうなるのかと思っていました。けれど、どうやらそうはならないようだということがだんだん分かってきて。(156)

大野 現時点で、小さい子どもがいるとか、あるいは経済的に余裕がある、なんらかの社会的人脈がある壮年の人たちの多くは、南相馬市から出ていってしまっています。根底にあるのは明らかに被曝の問題ですが、多面的なリスクを考えて、みんな基本的にはいなくなってしまう。残っているのは、なんらかの要因で南相馬から離れない・離れられないとか、相対的に離れる余力が少ない人たち。それと、圧倒的に高齢者です。つまり、弱者の集団なんですよね。(159)

小鷹 だったら、残された人たちが一致団結して、国に提言するなどして闘っていけばいいじゃないか、と東京あたりの人は思われるかもしれません。けれど、そんなに甘いものでも単純なことでもないんです。それは、内部の人たちがコンフリクト(衝突・対立)しているという問題があるから。私は、これこそが一番大きな問題だと思う。
開沼 南相馬の中でも、分断がありますよね。〔略〕一致団結できないことが福島の復興を遅らせている一因だというのは、僕も感じているところです。
(161-2)

森 地震と津波は自然災害です。明確な加害者がいるわけでもないし、一般的な事件とは違う。でもあの直後は、社会全体が「後ろめたさ」的な感情を抱きました。英語で言えば「Survivor's guilt」。つまり「生き残っているがゆえの罪責感」です。東北以外の地に暮らす人たちの多くは、「なぜ彼らは死んで自分は生きているのだろう」とあのときに考えた。そして東北の遺族たちも、なぜ家族は死んだのに自分は生きているのかと考える。死は煩悶を迫ります。そして謙虚にさせる。後ろめたさは他者への想像力を刺激するかもしれない。ならばオウム以降に始まった集団化の方向にブレーキがかかるのでは、と考えました。でも結果は逆でしたね。大流行した「絆」という言葉が示すように、後ろめたさを振り払うために、さらに集団化の勢いが加速した。(206-7)

開沼 森さんが2011年3月の時点で想像されていた、後ろめたさがうまく機能した場合に訪れたかもしれない「ちょっといい方向になっている未来」とは、具体的にどんなものですか?
 他者に対して優しい社会です。被害者感情の表層的な共有ではなく、他者の痛みを本当に想像し、その構造に介入できる社会。
(227)

森 社会が集団化を選択するのなら、それはそれで構いません。強いて言えば、いくところまでいってしまえばいいのではないでしょうか。この国の人たちは、もっと自分たちに絶望したほうがいいと思います。
 最近知ったのですが、ドイツは憲法改正の際に、……正確には憲法ではなくて今もまだ名称は基本法のままですが、国民投票を規定していないんです。その理由をドイツ人に訊いたら、僕たちは自分たちのことを信じていないからだとの答えが返ってきました。かつて世界で最も民主的と称されたワイマール憲法を持ちながら、結局は自分たちの意思でナチスを選択してしまったという過去があるからこそ、しっかり自分たちに絶望しているわけです。

 自分を信じない。これはすごいことだと思います。ここまで絶望して、やっと次の段階にいけるんじゃないかな。
(235-6)

茂木 そうなんだよね、答えがないんだよね。……というのがいちばんおそろしい答えで、その状況に耐えられない人が多いのではないでしょうか(258)


@研究室
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by no828 | 2014-09-26 21:04 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 09月 25日

しかし、やっぱりそれは誤りだと思う——立花隆(薈田純一・写真)『立花隆の書棚』

c0131823_20271856.jpg立花隆(薈田純一・写真)『立花隆の書棚』中央公論新社、2013年。17(840)


「薈田」は「わいだ」
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 分厚い本。全656ページ。題名のとおり、立花隆の書棚の紹介・説明です。薈田純一の撮影した棚にある本——同じ分野の本が集められている——の紹介と、それにまつわるエピソードを立花が加えていく、という展開です。本であり写真集であり、です。


 さらにこれだけ年をとってくると、考えることがある。今後、熟読するに足る本に、何冊、出会えるだろうか。そんなことが期待できる本は、もう何冊も出るまいと思う。昔読んだいい本で、後でもう一回読み返したいと思っていた本を読み直すのと、どちらを優先させるべきだろうと迷ったりもする、もしかしたら、もう新しい本を漁るのをやめて、かつて読んだいい本の読み返しに熱中したほうがいいのかもしれない。
 しかし、やっぱりそれは誤りだと思う。やはり、若い才能というのはあるもので、昔のいい本にもう一度出会うのも悪くないが、若いブリリアントな才能に出会うほうが、ずっとワクワクする。自分が若いときは、若いブリリアントな才能の持ち主と出会うことは嫉妬の対象にこそなれ、なかなか賛嘆の対象にはならなかった。しかし、七〇を過ぎて、素直に、何でもよいものはよいと言いたくなった。
(8-9)


 人の書棚というものに、異常なほどの興味を持った写真家の薈田純一さんが開発した、「精密書棚撮影術」が鍵となっている。まず、書棚の一段一段を、レーザー墨出し器を用いて、精密に撮影する。そうしてから、書棚全体を表現するために、すべての棚の写真を面合わせして完全な平面を再構築するという手法である。書棚全体をポンと一発撮影するのではない〔略〕。
 一棚一棚カメラを移動し、真正面からギリギリのピン合わせをする。こうして別撮りした写真を最後に統合する。六段の棚の全景写真は六枚の個別の棚の合成写真であり、一〇段の棚の写真であれば、それは一〇枚の合成写真なのである。〔略〕
 こうすることで、本の表面あるいは背中の細かい文字も、細かな傷や汚れも、ほぼ完全に記録される。多くの棚を一回で撮ろうとすると、上段や下段の部分は少しずつ歪んでしまうが、この方法なら、歪みも出ない。
 ただ、手間は驚くほどかかる。〔略〕実は私は、自分の蔵書の数をちゃんと把握してはいない。薈田さんに、「どれくらいシャッターを切ったのですか」と聞いてみた。「まあ、ざっと一万回ですね」と薈田さんはこともなげに言った。一棚一〇冊として一〇万、二〇冊として二〇万になる。まあ、そんなところだろうと思った。
(4)

「人の死とは何か」というのは、ぼくにとって、たいへん大事なテーマです。(46)

 バイオエシックスの日本の第一人者は加藤尚武という人です。『バイオエシックスの基礎づけ』(H・T・エンゲルハート著、朝日出版社、一九八九)などを翻訳した他、著書、訳書も多く、彼の教え子たちが、日本のバイオエシックスにおいて最も大きな潮流を形作っています。実は、彼とは大学が一緒で、おまけに住まいが近いということもあって、今でもすごく親しくしています。(49)

結局、精神分析の世界は、信じる人は深く信じるけれども、信じない人はさほど信じない。そういう世界のように思います。(73)

 ただ、この〔山海嘉之の〕研究は介護や福祉、あるいは医療的な側面だけを持っているわけではありません。人間の力を増すことができるわけですから、軍事利用もできます。〔略〕実際、アメリカの国防総省がすごく興味を示しているそうですが、すでに対テロ戦争の現場では、似たようなものが使われています。
 むろんそれは、山海さんがコミットしたものではないと思います。ただ、山海さんの研究にヒントを得て、アメリカのDARPA(国防高等研究計画局)が金を出して、ロボットを作っているといったことはあると思います。〔略〕
 日本はロボットの分野では最先端を走っていました。けれども二〇一一年に原発事故が起きたとき、現場に入ったロボットはアメリカ製のものでした。これには国内だけでなく、世界中から「日本はロボット大国なのに何をやっているのだ」という言われ方をされました。
 これは研究費の配分の問題です。
(81)

 ぼくも熱心に読みましたが、〔カール・〕ポパーは、一言で言って、独特な人です。彼がすごいのは、科学論や共同体論をしっかりと押さえながら、マルクス主義・共産主義の問題にも応えることができるところです。学問世界全体を一まとめにして考えていくことができた稀有な人物です。(93)

 この本〔『原発はほんとうに危険か?――フランスからの提言』原書房、二〇一一〕にも書かれていましたが、水素爆発を起こした福島第一原発の一号機も三号機も、発生した水素を外部へ逃がせなかったから大惨事になったわけです。しかし、現在の原発はすべて、水素が発生した段階で触媒を使って違う物質へと転換する装置が備えられています。だから、あのような事故は金輪際起きない。そして、チェルノブイリクラスの危機的な事態が発生する可能性は、チェルノブイリ以後、世界中の原発でもうとっくに手当済みなので、今後はチェルノブイリ型の深刻な事故など起きる可能性がないし、実際にまったく起きていないわけです。〔略〕
 原発不要論というのは、つまり「原発というのは人間にはコントロールしきれないメカニズムなのだ」という主張ですが、現実には、とっくの昔にそうではなくなっています。人間のコントロールが及ばないのは、むしろ今回福島で事故を起こした、あの旧タイプの原発ぐらいのものなのです。そもそも、福島のあのタイプの原発は、設計上ものすごく大きな問題を抱えていました。というのは、設計者であるアメリカ人にとって、原発に想定外の事態をもたらすと考えられていたのは、竜巻だったのです。〔略〕福島のケースは電源さえ確保できていれば問題ありませんでした。しかし、予備電源を設計したアメリカ人は、竜巻に襲われてもいいように地下室に設置してしまった。すべての問題はそこなのです。
 実際、日本サイドが「それは日本の実情にはそぐわない」と主張しても、設計者であるGE(ゼネラル・エレクトリック)サイドは、「うちの設計通り、小ネジ一本変えるな、でなければ安全は担保できない」と言っていたそうです。そういう意味で言えば、今回の福島の事故原因の相当部分は、GEの設計ミスに起因するわけで、東電ではなくてGEに賠償要求すべきです
(114-6)

しかし、パラグアイだけは違いました。ここに布教に入ったイエズス会が、神の前にはスペイン人もインディオも同じ人間であるという考えの下、インディオを人間として扱い、学校を作り、文化を教えた。そして、農園を作り、本格的な農業を教えただけでなく、各種のモノ作りを指導し、経済活動を活性化させ(マテ茶はこれによって生まれた)、一種の修道院共和国のような自治体(コミューン)を作ったのです。イエズス会はインディオの文化を破壊せず大切に扱ったから、グアラニ語もグアラニ文化も今日まで残っている。(168-9)

 しかし、やはり、西洋社会を本気で理解しようと思うなら、聖書は新約、旧約ともに必読です。読まなければ、西洋のことはまったくわからないと言ってもいいとさえ思います。(206)

 哲学に関しても、プラトンやアリストテレスの入門書をナナメ読みしただけの人と、注釈がたくさんついた全集などを使って本当に深く読んだことのある人とでは、理解のレベルはまったく変わります。(211)

 ぼくを含めて、オールドジェネレーションにとっては、電子本より紙本のほうが扱いやすい。心理的にフィットする。紙本じゃないと、自由自在に線を引いたり書き込みができません。電子本でも同じようなことはできることはできますが、実際にやってみると、やはり紙本のほうがずっと融通性が高い。紙本であれば、自分流のやり方で何でもできるが、電子本のそれ的な機能だとそのフォーマットに従わねばならず、自由度が低いわけです。そして、紙の本には何といっても、存在感がある、手ざわり、質感。重量感。それにデザイン、造本、紙、印刷などなど、紙本ならではのクオリア的要素が何とも言えない。(219)

 そんなこんなでぼくは若いうちから、聖書とコーランの双方をかなりじっくり読んできたのですが、今後もキリスト教とイスラム教が相互に理解し合う時代はこないだろうと思います。絶望的だとさえ感じます。一神教であるという点では同じとはいえ、まったく違うものを最も神聖なものと思っている人たち同士ですから、意見が合うはずがない。どうせ理解し合えないのであれば、せめて喧嘩にならないように、お互いになるべく距離を取るというのが、一番賢い方法かもしれません。(239-40)

大学は本来、「先生に教えてもらう」ところではありません。大学というのは、「自分で学ぶ」ところなんです。(335)

 ところで、どのようなジャンルについてであっても、教科書的な本というのは、重宝します。全体を見ることができる本をベースにすることで、その他のいろいろなものが見えてくる。(436)

 この本〔マックス・ウェーバー『職業としての政治』〕をちゃんと読んだことのある人と読んでいない人の差は、ものすごく大きい。特に政治家で、これをちゃんと読んだ人というのは、やはり言葉の使い方がまるきり違います。インテリかどうかの分かれ目になるとも言えるでしょう。〔日本の政治家として中曽根康弘と細川護煕に言及〕(440)

 ぼくが長年追いかけた田中角栄、過激派の永田洋子、それから河合栄次郎。この三人が日本の三大バセドウ病患者ですよ。この三人が、人生でこなした仕事量といいますか、活動の総量たるや、常人では考えられないほどすさまじいものです。いい意味でも悪い意味でも、三人は昭和時代の日本に大きな影響を与えた人物だと思います。(584)


@研究室
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by no828 | 2014-09-25 20:43 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 09月 20日

むしろ病に伏していた時だったからこそ、想像力を存分に——三上延『ビブリア古書堂の事件手帖5』

c0131823_1936654.jpg三上延『ビブリア古書堂の事件手帖5——栞子さんと繫がりの時』KADOKAWA(メディアワークス文庫)、2014年。16(839)

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 今回の導きの糸というか本というかになるのは以下の4冊です。

・ リチャード・ブローディガン『愛のゆくえ』新潮文庫
・『彷書月刊』(弘隆社・彷徨舎)
・ 手塚治虫『ブラック・ジャック』秋田書店
・ 寺山修司『われに五月を』作品社


「寺山の最初の作品集が『われに五月を』です。この詩のとおり、二十歳の頃に出版されました。詩はもちろん、それまでに書かれた短歌や俳句や日録が収められた、当時の集大成といっていい内容でした……でもこの詩が生まれた頃、寺山はネフローゼという内臓疾患で入院していました。ベッドから出られない日も多く、命の危険すらあったんです」
「……詩の内容と全然違いますね」
 木の葉を踏むどころではなさそうだ。重病患者が書いたとはとても思えない。
むしろ病に伏していた時だったからこそ、想像力を存分に働かせたのかもしれません……後に戯曲の中でこう書いています。『どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう』って……」〔略〕
「〔中井英夫は〕日本探偵小説史上の三大奇書の一つとされる『虚無への供物』の著者です。幻想文学の書き手としても知られていますが、多くの若い歌人を世に送り出した短歌編集者でもありました。寺山の『われに五月を』の刊行も、中井の尽力によるものだったんです」〔略〕
「寺山がネフローゼに倒れたのは、華々しく活動を始めた矢先でした。中井英夫はこの天才が死んでしまう前にせめて一冊を、という思いで刊行したそうです。もちろん、寺山がこの時に命を落とすことはなく、退院後は時代のトリックスターとして、さまざまなジャンルに活動の場を広げていったわけですが……」
「亡くなったのはいつだったんですか」
「一九八三年です。四十七歳でした」
「……若いですね」
「ええ。肝硬変と腹膜炎で敗血症になって……ネフローゼの影響もあったと言われていますが、肉体はあまり頑健ではなかったようです……」
(221-4)

 ネフローゼで思い出すのは棋士 村山聖(→ )。

あなたなら他人の心の奥まで読むことができる。そういう人間には愛というものを自分自身で味わう必要はないわ。ただ知識の一つとして蓄えればいい……(288)


@研究室
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by no828 | 2014-09-20 19:42 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 09月 18日

深い意味は、私にも分かりません——たかのてるこ『ダライ・ラマに恋して』

c0131823_21151227.jpgたかのてるこ『ダライ・ラマに恋して』幻冬舎(幻冬舎文庫)、2007年。15(838)


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単行本は2004年に同舎


 今度はインド北部ダラック地方のダラムサラ。今回は、ダライ・ラマに会いに、という明確な目的があります。

 以下の引用のどこかに関係する文章が出てきますが、国籍と民族的なもの(エスニシティ)とを分けて考えるのは重要だと、改めて思いました。

 また、チベット仏教の考え方はとても興味深いと思いました。そして、今回の最後の引用を踏まえてもなお、宗教はやはり答えを与えるものなのだ、とも思いました。わたしは特定の宗教を持ちませんが、それはたぶん、答えをまだ出せていない、というか、まだ出してしまいたくない、からです。思考で行けるところまでまだ行っていない、という感覚があります。宗教は、行けるところまで行ってからにします。おそらく最後は“信仰”(のようなもの)に行き着かざるをえないような気もしていますが、その手前でもう少し——いや、もっと——もがいてみたいです。

 しかし、過去にわたしと同じように考えて、わたしよりも深く深く考えて、そうして考え抜いた結果として宗教というものが出現・存在してきたのだとするなら、そしてその思考の過程を重んじるなら、その重んじ方のひとつに、現在においてはもはや思考の過程を省略し(なぜならすでに辿られた過程だから)、結論としての宗教へ行く、という手もあるのではないか、と書いていて少し思いました。が、思ったのは少しだけです。


 そう、かつて独立国だったチベットは、現在、国ではない。1951年以降、中国の一部にさせられてしまったからだ。1959年、中国による弾圧で身の危険を感じたダライ・ラマは亡命し、北インドのダラムサラに亡命政府を樹立。以来、チベット問題の平和的解決や、地球規模での非武装、環境問題などを訴え、ダライ・ラマは平和のリーダーとして世界中にメッセージを送り続けているのだ。
 私はそのときハッとした。ダライ・ラマはノーベル平和賞受賞者といえども、祖国を失った「難民」なのだ。「世界一有名な難民」と言ってもいいかもしれない。今、一般的に「チベット」といえば「チベット自治区」を指すことが多いけれど、チベットだった地域の半分がチベット自治区に、残りの地域が青海省や四川省、甘粛省、雲南省等の一部となって分割統治されており、すでにチベットはバラバラになってしまっている。
 祖国を失い、帰る場所をなくしてしまっているというのに、どうしてダライ・ラマはこんなにも前向きに生きることができるんだろう。どんなときでもユーモアを忘れず、希望を持ち続けているダライ・ラマ。ダライ・ラマの言葉に触れ、本のカバーに載っている慈愛に満ちた笑顔を見ているだけで、心が癒されていくような気がした。
(15-6)

ラダックにはラダックの文化があるからね。言葉もヒンディー語ではなく、チベット語の西部方言であるラダック語を使ってるんだ。僕らは自分たちのことをインド人というより、ラダッキ(ラダック人)だと思ってるから、なにか用事があってデリーに行くとき、『インドに行く』って言うぐらいだもの
「へぇ~、国籍的にはインド人なのに、『インドに行ってきまーす』って感じなんだ」
()

「薬草を見分けたり薬の調合をするのは、アムチ〔チベットの医者〕の基本だからね。薬草で作った薬には、即効性のあるものと、体質を改善していくものがあるんだけど、体質を変えるには長く飲み続けるのが一番なんだ」
「ツェワンはなんのアムチっていうか、専門は何なの? 日本だと内科とかいろいろ分野が分かれてるんだけど」
「アムチに専門のジャンルはないんだ。なんでも診るからね。チベット医学では、病気はこことかあれとが原因という単純なものではなくて、全体的なバランスの崩れとみなすから、ジャンル分けする必要がないんだよ
(120-1)

「じゃあ、ラクパはいつも、お寺で何を祈ってるの?」
「僕は毎朝1時間、お祈りするんだけど、ダライ・ラマが長生きされることと、すべての人の幸せと平和を祈ってるよ」〔略〕
仏教徒は、自分のことは祈らないものなの?
だって、きみも平和を望んでいるでしょ? きみも僕も、世界中の人がみんな、平和を望んでいることに変わりないもの。すべての人の幸せと平和を願えば、自分もその中に含まれているじゃない
(135)

「僕かい? 僕はいつも、どうか健康で長生きできますように、って祈ってるよ」〔略〕
「ハハッ、ツェワンは長生きしたいんだ~。ツェワンはなんで長生きしたいの?」〔略〕
長生きして、一人でも多くの患者を助けたいんだ。自分が不健康だと、他の人のことを助けてあげられないからね
(135)

『私』なんてモノ自体、幻想なんだから、すべての人のために祈るってことは、自分のことも含めて祈っているのと同じことなんだよ。他の人のことを思いやって行動し、他の人のために祈っていると、自然と、自分の心にも平和がもたらされるんだ」(136-7)

 あらゆるものを徹底的に使い切る彼らの暮らしを見て、私はチベットで見た“鳥葬”のことを思い出さずにはいられなかった。チベット仏教には「魂が抜け出た遺体は不要なもの。多くの生命を奪うことによって生きてきた人間は、せめて死後、魂が抜け出た肉体を他の生命のために布施しよう」という考えがある。ラダックでは見られなくなったという鳥葬だが、「魂の抜け出た遺体を天へ送り届けるための方法」という考えもある鳥葬は、“天葬”とも呼ばれていて、チベットでは今でも一般的な葬法なのだ。
 山の頂上の葬儀場でお坊さんがお経をあげる中、数人の男たちの手にする斧のような出刃包丁で遺体がバラバラに解体され、ハゲワシたちによって肉が食い尽くされると、最後は骨まで粉々に砕かれ、1時間もすると、さっきまでそこに確かにあった遺体が跡形もなくなっていた。
 鳥葬を見ている間、不思議なことに、私には残酷だとか気持ち悪いといった感情が一切湧いてこなかった。ハゲワシは今日も空を飛びながら、食物を消化し糞をするだろう。その糞も、ハゲワシ自体も、いつかは大地に還っていく。私だって生まれてから今までずっと、大地から生まれたものを食べて生きてきたし、私の体の中に詰まっている肉も血も骨もすべて大地から生まれたもので出来ている。
 大地から生まれ、大地に還っていくということ。私は鳥葬を眺めながら、なんというか、生命の終わることのない繰り返しを見ているような気がしていた。もう使わなくなった肉体をハゲワシが食べ、高らかに天を舞う姿は、とても自然なことのように感じられたのだ。
(149-50)

 もしかしたら、私の生きている世界は、自分たちで欲望を懸命に作り出して、それに懸命に応えようと頑張っているだけなのかもしれないなぁと思う。何もかもが少ないけれど、あるものを大事にして、家族や友だちと過ごす時間がたっぷりある彼らの方が、私よりもはるかに人間らしく生きているように思えてならなかった。(171)

 1959年3月10日は、中国によるダライ・ラマの暗殺を恐れたチベット人が、ダライ・ラマの身を案じてラサのポタラ宮を取り囲み、中国のチベットからの撤退とチベット独立を求めた『チベット民族蜂起』の日だったのだ。結局、民族蜂起は失敗に終わり、ダライ・ラマはインドへ亡命して現在に至っているのだが、3月10日はチベット人にとって特別な日で、毎年デモが行われているのだとガワが教えてくれる。(175)

「きみは、両親の死が怖いんじゃないよ。親の死を恐れているというよりは、親が亡くなることで、自分が不安定になることを恐れてるだけだよ」
「そうなのかなぁ。親が死んだら、ほんとうに悲しいと思うけど」〔略〕
「悲しくなるのは、自分が不安になるからでしょ? 関心は自分に対してだよ。てるこの関心は、親の死よりも、自分自身にあるんだ。それは、変わりゆくものを受け入れようとしない、執着心からくるものだよ」
(197)

「チベット仏教徒は、輪廻転生を信じてるから、死は終わりではないんだよ」(200)

「チベット仏教徒は、死を恐れたから輪廻転生を作り上げたんだよ」に咄嗟に変換されてしまいました。宗教の根源にあるのは、“恐怖がある、不安である → 安心したい → 教義”?

「私はね、輪廻転生を信じるようになってから、娘のことに関しても、たまたま自分の家に生まれた魂を預かっているんだと思うようになったの」(235)

きみがこれまで考えてきたことが、きみを今の環境に導いてきたんだよ。環境が人を作るんじゃないんだ。環境は僕たちに、僕たちがどういう人間なのかを教えてくれているだけなんだよ(268)

執着しないことは、相手に無関心になることではないよ」〔略〕
「執着しないってことは、大事にしないってことじゃないよ。執着しないで、ただ、大事にするってことが大切なんだ。『すべては、impermanent(永続しない)』。なんでも変わっていくものだからこそ、そのときどきちゃんと大事にすればいいってこと」
(270-1)

世界が平和になれば、きみも自動的に幸せになるよ。どうして自分ひとりだけ、幸せになろうとするんだい? きみと世界中の人の仕合せは繫がっているんだよ」(275)

感謝もいいけど、感謝だけじゃ足りないよ。それは、てるこが人にしてもらったことで、人にしたことじゃないだろう? もらってばかりじゃなく、きみが人に何かいいことができたかどうかが大事なんだよ(280)

「それでは、生きるとは、どういうことだと思いますか? 生きる目的とは、いったい何でしょう?」〔略〕
深い意味は、私にも分かりません〔略〕ただ、明らかなのは、私たちの生きる目的のひとつは、『存在する』ということです。存在する権利がある』ということ、また『幸福に存在する』ということです。もし、私たちの存在が惨めなものになるとしたら、それは人生の目的ではありません。人生が、平和と幸福、満足、平安、尊厳とともにあるということ、これが正しい人生なのではないでしょうか。
 私たちは、日々の暮らしが幸せに満ちたものであり、有意義なものであるよう努めるべきです。これはとても大事なことだと思いますよ」
(309)

 この最後の引用は、著者とダライ・ラマとの会話です。「わかりません」と言える人をわたしは信頼します。また、読書会でハイデガーを読んでいることから、「存在する」に反応してしまいました。

@研究室
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by no828 | 2014-09-18 21:34 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 09月 17日

備忘の10作品

c0131823_20573290.jpg 映画の記録が滞っています。

 最後のエントリは、2010年12月19日の「森崎書店の日々」(→ )です。とりあえず、備忘のために昨年2013年の夏から観たものを挙げるだけ挙げておくことにします。2010年冬から2013年夏まで何も観ていないのか、観ているような気もしますがすぐにはわかりません。本当に観ていないのかもしれません。

 以下、たぶん観た順番に並べられると思います。


 ・「南の島の大統領——沈みゆくモルディブ」@新宿K's cinema
  ドキュメンタリー。政治の実際。COP15(気候変動枠組条約第 15 回締約国会議)の裏側。

 ・「ハンナ・アーレント」@岩波ホール
  思考せよ。思考を放棄するな。「理解」と「支持」とは異なるのだ。

 ・「ワレサ——連帯の男」@岩波ホール
  人はふとしたことから中心に。「支え」について。

 ・「チョコレートドーナツ」@シネスイッチ銀座
  実存、社会的カテゴリ、生きにくさ。

 ・「世界の果ての通学路」@新宿武蔵野館
  それでも学校に通いたい、通わせたい、という思いについて。

 ・「アクト・オブ・キリング」@シアターイメージフォーラム
  映画の映画。主人公たちは何を、なぜ、したかったのか、よくわからない。マツコ・デラックス。

 ・「みつばちの大地」@岩波ホール
  人間の都合、利益の追求。「畸形」のみつばち。

 ・「大いなる沈黙へ——グランド・シャルトルーズ修道院」@岩波ホール
  本当に静かな映画、淡々とした映画。静かな修道院、単純な生活。憧れたことも事実。

 ・「思い出のマーニー」@TOHOシネマズ渋谷
  成長の物語。現実と空想との境界線の曖昧。その人形が紛らわしい。

 ・「NO」@ヒューマントラストシネマ有楽町
  「広告」とは何か。暗い事実よりも明るい喜び。人を動かす、ということについて。

 以上。並べてみたら10作品になりました。こうしてみると、1作品、趣の異なるものが含まれています。その作品以外はプログラムを購入しています。プログラムも700円くらいします。学割の使えない状況になり、映画はもう少し安くならないものかと改めて思います。

@研究室
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by no828 | 2014-09-17 21:43 | 映画 | Comments(0)
2014年 09月 16日

学問の世界において知的財産の大金持ちだった河野はそれを浪費して——河野与一『新編 学問の曲り角』

c0131823_20584594.gif河野与一(原二郎編)『新編 学問の曲り角』岩波書店(岩波文庫)、2000年。14(837)


版元 → 


 題名に惹かれて購入。不勉強にして河野与一の存在は知りませんでした。碩学であったことがうかがわれます。浅田彰の「知的生産は徹底した知的浪費からしか生まれない」(→ )という言葉を思い出しました。


 本書は先に刊行した河野与一著『学問の曲り角』(一九五八年)と『続 学問の曲り角』(一九八六年)から数篇を選んでまとめたものである。
 一九八四年七月八日付の朝日新聞『天声人語』は先生の死を悼み、「知的世界の雲水といわれた河野さんはあれだけの碩学でありながら、ある新聞社からの翻訳賞を辞退するなど、賞と名のつくものとはいっさい縁のない生涯を貫いた。これについては、若い頃から薫陶を受けた愛弟子の桑原武夫杉捷夫河盛好蔵氏らは、河野さんは世間的な栄誉を必要としないほど偉かったというだろう」という趣旨の記事をのせた。また、友人で哲学者の谷川徹三氏は弔辞の中で、「学問の世界において知的財産の大金持ちだった河野はそれを浪費してはばからない実に贅沢な男であった。そしてそのおかげで多くの学者がはかり知れない恩恵を受けたが、河野自身はいわば自由な道楽を楽しんで、まとまった仕事に集中してくれなかったのは、日本文化のために残念なことである」と述べた。
(原二郎「あとがき」243-4)

死の方が生よりもいいと慰めた賢人に女詩人サフォーは答えて云った。「死ぬのはいやな事だ、神々からしてそう思っている。でなければ神々はとっくに死んでいる筈だ。」(アリストテレス『弁論学』第二巻二三章一二節)(「古代における慰め」52)

 一体、外国語を翻訳する、それよりも先ず理解するというのはどういう事なのか。よく言われる事だが、「原文ではわかるけれど自国語で表わすのは難しい」というのはどういう事なのか。例えば我々日本人がフランス語の本を読んで理解したという時に、その理解は結局自国語の意識の中で行われているのではないか。フランス人がフランス語を話したり読んだりしている域には到底達していないと見るべきであろう。せいぜい、自国語の域からも確かに離れた、宙ぶらりんの、言わば「外国語域」に浮んでいるくらいのことである。それがフランス語域だろうとロシア語域だろうと、結局は日本語界を出ていない。つまり見方によっては、この理解そのものが既に「翻訳」に、或はその前段階になっているとも言える。しかしそこに漂っている概念にしろ気分にしろ、はっきりとは普通の日本語域に結び附いていないから、「翻訳」するためには、洒落ではないけれど、「翻って」普通の日本語の単語を見附けなければならない。大抵の場合、既に行われている字引のお蔭で、外国語の或る単語には、本来の日本語とは幾らかずれがあっても習慣上認められている或る単語が結び附いていて、一先ず我々を安心させてくれる。(「翻訳と字引」196-7.傍点省略)

 プラトニック・ラヴとは女の人を尊敬しつつ肉の交渉を外にしてこれを愛することだとすればそれはプラトーンのうちには見当らない。プラトニック・ラヴというのはプラトーンが説いた愛ではなくてプラトーン風だと考えられた愛である。而もそのプラトーン風というのは十五世紀にイタリアで起った一種の思想でプラトーンの名の下にプローティーノスの思想やクリスト教の信仰をつき混ぜてこしらえたものである。(「源流に遡る」32)


@研究室
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by no828 | 2014-09-16 21:06 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 09月 12日

琥珀ヱビス

c0131823_20103863.jpg琥珀ヱビス(サッポロビール)


販売元 → 


原料:麦芽、ホップ
度数:5.5%
原産:日本


 毎年愉しみにしています。毎年感動しています。

 が。

 今年はあまり感動しませんでした。おいしくないわけではありません。苦味、あります。おいしいです。

 が。

 それ以上がありませんでした。期待もあったぶん、残念に感じる気持ちも大きいです。

@研究室
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by no828 | 2014-09-12 20:15 | ビール | Comments(0)
2014年 09月 10日

自分がこの国に生まれていたら、日曜日にはこんなふうに——たかのてるこ『モンキームーンの輝く夜に』

c0131823_2114432.jpgたかのてるこ『モンキームーンの輝く夜に』幻冬舎(幻冬舎文庫)、2007年。13(836)


版元 → 
単行本は2003年に同舎


 今回はラオス、での恋、いや愛、の記録。本書扉の次のページには、ヘーゲルのものとされる次の言葉が掲げられています。「愛は隔たりであり、その隔たりを越えようとする熱意である」。本書に似合う言葉ではありますが、残念ながら原典が明記されていません。


 純朴で人なつっこい女の子たちと土手に並び、サッカーを観戦する。私は、自分がこの国に生まれていたら、日曜日にはこんなふうに同級生の男の子たちのサッカーを眺めていたんだろうか、なんてことをぼんやり考えていた。旅先ではときどき、こんなふうに「もし自分がこの国に生まれていたら」という想像が頭の中にフワ~ッと広がって、自分があたかもそのシチュエーションで存在しているかのような気持ちになることがある。(28)

今日はね、40度を超える暑さだったんだ。それで、先生が学校に来なくて、午後の授業が休講になっちゃったんだよ
 腹から笑いがこみ上げてきて、思わず声をあげて笑ってしまう。だが、ふたりとも、どうして私がそんなに大ウケしているのかが分からないらしく、目をパチクリさせている。
「暑くて先生が休んだのが、そんなにおかしい?」〔略〕
「いや、おかしいっていうか……、やっぱおかしいよ! 相当! でもさ、みんな暑いのをガマンして学校に行ったんでしょ? クラスの子たちは先生が来なくて怒らなかったの?」〔略〕
「みんな『ワーイ!』って両手を上げて喜んでたよ。クラスの真面目な子、数人は、ちょっとむくれてたけどね」
(60)

僕とブンペンは家が豊かじゃないから坊さんになったんだよ。坊さんになれば生活費がかからないし、坊さん学校にも通わせてもらえるからね
 ブンペンが後を続けた。
両親は、子どもに良い教育を受けさせたいと思ったんだよ。坊さんになれば、心身も鍛えられるしね。でも、若いときに自由がないのはとっても辛いことだよ。町でバイクに乗ったり、自由を謳歌してる連中を見て、すごく羨ましくなることがあるもの」
(155)

ちょっと前までは、ラオスも人口を増やそうとしていたんだ。だから96年までは、コンドームに関する情報を教えることも禁止されていたんだよ。でも、やたらと産んでもダメさ。ちゃんと家族計画を立てて、国の発展に応じて人口を増やしていかないと」(182)

 ビエンチャンに着いた私たちは、屋台で食事を済ませ、私の宿へと向かった。私は、愛用している『新明解国語辞典』の「恋愛」についての説明文を久しぶりに思い出していた。あまりにも的を射ていて感銘を受けたから、今でも暗記している文章だ。その人間臭さが爆発している辞書には、「恋愛」についてこう書かれていた。
《【恋愛】~特定の異性に特別な感情をいだいて、二人だけで一緒にいたい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。》
 この10日間はまさに、この言葉通りの日々だったと思う。
(209-10)


@研究室
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by no828 | 2014-09-10 21:22 | 人+本=体 | Comments(0)