思索の森と空の群青

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2015年 01月 31日

知識が本質的に閉鎖的な性格を持つが故にこそ、知識の場は開かれて——奥泉光『ノヴァーリスの引用』

c0131823_19493745.jpg奥泉光『ノヴァーリスの引用』集英社(集英社文庫)、2003年。52(875)


版元
単行本は1993年に新潮社


 よいタイトルだと思いました。経済史の院生時代にお世話になった大学教授の葬式に集うところから物語ははじまります。研究会の仲間であったある男の死は本当に自殺であったのか——。ノヴァーリスを引用しながら論文を書いた彼の死は本当に自殺であったのか——。

 解説は島田雅彦。


つまりこれは教育である。教育が根本において悉く余計なお世話であるという意味において、これは正しく教育である。善導、と唱えれば用語の古めかしさに笑いが浮かぶ。が近からずといえども遠からず。狩りの目的は殺戮ではない。撃つことではない。服従のなかに正しく生かすこと。(153)

自分が死んだ後も世界が存続するとは考えられる。だが死後もなお世界との関係を、いまとは同じではないにせよ持ちうるのか、確信できない点に不安は存する。(9)

当時よく聞かれた文句を使うなら、研究会は言葉を媒介に人々が切り結ぶべき場所であった。知識が本質的に閉鎖的な性格を持つが故にこそ、知識の場は開かれていなければならない。この原則を私たちは、知識に係わる者の最低限のモラルとして、過剰なほどに意識し遵守していた。研究会員としての義務、週に一度研究室に足を運び真剣にテキストに取り組む、それだけの義務を果たす者ならば、誰であれ排除する理由はない。(47)

「思想とは理性的な夢である」(65)

 アフォリズム集とはいえ、その本性上、全体として扱われ、評価されるのを望むものではないだろう。とはいえ一つの場所に並べ置かれた一連の文章を前にすれば、当のテキストから中心主題を引き出したいとの欲望が生まれるのは避けがたい。書き手の意図とは別個に運動するのが批評の生命であるから、作家には我慢して貰うほかあるまい。(71)

〔批判がいつでも自己批判であるのと同様、革命はいつでも自己革命である。したがって革命戦争の主戦場は、わたしたちの魂そのものである〕(72)

内部への沈潜、内面への洞察は、同時に登昇であり、天に昇る行為であり、真に外的なものを観ることである(83)

 ——どんなに下らない神であっても、何も信じていないよりはましだと思う。まるで根拠がない、架空の幻想にすぎないにしても、超越者を想うことで、祈ることで、少なくとも自分のいる場所を知ることができる。この場所を相対化できる。(147-8)

 刑事も探偵も哲学者ではない。だが、彼らも推論を商売としている。推論は元はといえば、哲学者の仕事であった。古代ギリシャ時代、哲学者たちは自然の営みを独自の推論によって説明しようとした。彼らは仮説を立て、それを証明するために形式を必要とした。形式を踏襲することで、確からしさを高め、仮説への反論を封じ込めようとした。(島田雅彦「解説」)


@研究室
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by no828 | 2015-01-31 19:57 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 01月 25日

旧年師走の後半の日日

 以下、写真が主です。昨年12月の断片。

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 T塚。例の本店(外部リンク → )1回目の醬油とおにぎり。


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 T塚。TツカーナモールのSタバ。大学バスに乗る前の勉強時間。大体混雑していて座れないから入らないことが多いです。座れるのは本当に稀です。


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 S谷。映画「神は死んだのか」を観た映画館の窓からの風景。映画には、アメリカの大学における有神論と無神論との対立が描かれています。無神論と不可知論とが厳格に区分されることなく使用されていたのがひっかかりました。内容も、「教授」のキャラクター設定がよくわからない、無神論の根拠が理論的ではない(「教授」の育った経緯と感情に由来する)、結末付近の作りが安直である、といった点に不満があります。ただ、有神論の立論、無神論(反有神論)への反論の論理、それを準備する姿勢、はよかったです。中国人留学生やムスリム家庭も登場しながら物語は展開します。


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 S宿。ウェブ上の評価が高かったお店へ行きました(外部リンク → )。行列。濃厚。


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 A葉原。旧M世橋駅の再活用。忘年会前の0次会。


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 H松町。忘年会本番。藁(外部リンク → )。かつをのたたき。分厚い。おいしい。でも、空気がよろしくない。というのも、煙草臭い。生憎隣の席の人びとがヘビーというかチェーンというかのスモーカー。居酒屋で分煙というのは難しいのでしょうか。


@研究室
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by no828 | 2015-01-25 20:25 | 日日 | Comments(0)
2015年 01月 24日

つまりは、好き勝手に生きられた幸運のおかげであって——森博嗣『工学部・水柿助教授の解脱』

c0131823_1942820.jpg森博嗣『工学部・水柿助教授の解脱』幻冬舎、2008年。51(874)


版元 


 研究者生活の一端、あるいは大学教員生活の一端、というか森博嗣の生活の一端。

 『工学部・水柿助教授の日常』→ 
 『工学部・水柿助教授の逡巡』→ 


片方が潔ければ、交渉が揉めることはない。お互いに失うものがなければ、議論は白熱しない。(45)

 よく海外で困らないために英会話を習う、といったことを耳にするが、本当に自分が話したいこと、本当に知りたい情報であれば、中学の英語の基礎と、あとは辞書があれば通じるはずだ。流暢にしゃべる必要もないし、早口でしゃべる相手には、「もう一度ゆっくり言ってくれ」と要求すれば済むことである。(94)

 これが本当のコミュニケーションである。街角で、挨拶したり、無駄口を叩くことがコミュニケーションではない。つまり、方法から入ろうとするから、英語や英会話が身につかないのだ。英語を使って何をしたいのか、が重要なのである。(95)

「うん、お金があることで考えられることが増えるのは確かだね。それは、やっぱりメリットだと評価できる。大金を手にすることで、デメリットはなにもなかったし
「心が歪んだりしたかもしれないよ」
「歪んでいるかな」
「さあ、気づかないだけで歪んでいるかも」
「うん、だけど、やっぱりそれって、お金を持っていない人が想像しているだけのことだよね。お金で失敗して、悪いことをするのは、大金を手に入れた人ではなくて、大金を手に入れようとした人だよね
(106)

 結局こういうことだと思う。買った人には、値段など無関係なのだ。買わない人が、「お金がないから」とか「本が高いから」という理由を口にするだけである。しかし、お金があっても、本が安くても、やっぱりその人は買わない。(197-8)

「えっと、新刊についてですが、どんなところに力点を置かれましたか?」
「力点って何ですか?」
「先生が、力を込めた部分という意味です」
キーボードを使っていますから、どのキーに力を入れたか、といえば、まあ、一番はリターンキーではないでしょうか
(250)

「しかし、芸術家には定年はありませんよ」
「ええ、ですから、それは自分を見失っているんだと思います。自分を見失うことが芸術家の本分なのかもしれませんが。あ、今の面白いですね」
(255)

 他人に求めてはいけない。
 たとえ、最愛の人であっても、求めてはいけない。自分に与えられるのは自分だけだ。〔略〕人間だけが、他人に期待し、他人が自分の思いどおりにならないことで悩む。悩んでいるといっても、ただ恨むだけのことだ。〔略〕
 他人のために行動する場合も、他人のために行動する自分が好きだからするのである。それが素直な見方だ。他人のためにやっているのだ、と思い上がることは間違っている。〔略〕
 けれども、こんなことを考えるようになったのは、つまりは、好き勝手に生きられた幸運のおかげであって、これはたまたま目の前に現れただけのものだったかもしれない
(274-5)

 この最後の「けれども」パラグラフは、森博嗣らしからぬ印象も受けました。こういうメタ認知の仕方はしない人だと捉えていました。

@研究室
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by no828 | 2015-01-24 19:53 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 01月 23日

新年初月の日日の前半

 新年の最初の月の日日。
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 福島1。叔父の店(母の実家)。2010年の5月に大学院の仲間内で行きました。そういう機会はまたあってもいいと思っています。あるいは就職が叶えば、ゼミ生を連れて行くのもよいと思っています。多様な「福島」の内実の一端を見ることはできるでしょう。「福島」はひとつではない。何かに「福島」を代表させることはできない。

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 福島2。人生初フグ。おいしい。こういう食感なんですね。大きな円皿に薄く切ったフグをきれいに並べてそこに箸を入れて掬うようにしてごそっと取って食べる、というあれがなぜ出てきたのか、なぜあれがしたくなるのか、少し共感しました。ああたしかに、という。むろん、そういう食べ方を実際にしたのではありません。

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 T塚。講義ついでにH根駅伝のT塚中継所へ行こうとしましたが、駅からは結構遠いようです。写真のラーメンはあの本店(外部リンク → )。塩ワンタン。駅から近い。1度は行こうと思って昨年1回、この写真のときで2回目。値段設定はかなり強気な印象です。あと、スタッフも多い印象。

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 Tくば。コーヒー初買い。「ニューイヤーブレンド」と「ルワンダ」。「ルワンダ」は2回目かもしれない。マイルドでやや甘い。500円分の金券も当たりました。

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 M蔵境。出講先の講義で作成したという「ラビリンス」。わたしの講義で、ではありません。学生に誘われて行ってやってみました。「迷路です」との学生の説明とは異なり、入口から中央までぐるぐるとした一本道となっています。説明の書かれたプリントが部屋の外に置いてありました。それによると、考え事をしながら中央まで行き(この区画ではこういうことを考えよう、というのが一応ある)、そこで祈り、再び同じ道を帰ってくる。中央での滞在時間を除いて、往復だけで20分くらいかかります。そのプリントをよく読んでいないほかの学生とも同じタイミングになり、少々体験しにくかったというのが率直なところですが、よい機会ではありました。講義で作った日だけの設置・公開(たまたまわたしの講義日と同じ日だった)とのことでしたが、こういう場所は大学という場所には常設されていてもよいと感じました。考え事をするにも、逆に無心になるにも、よい“仕掛け”だと思います。ちなみに、「ラビリンス」はキリスト教に限定されたものではないようです。


@研究室
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by no828 | 2015-01-23 19:45 | 日日 | Comments(0)
2015年 01月 18日

理屈抜きに名探偵という存在にこだわり続ける権利を得ているとも——法月綸太郎『しらみつぶしの時計』

c0131823_1926328.gif法月綸太郎『しらみつぶしの時計』祥伝社(祥伝社文庫)、2013年。50(873)


版元 
四六版は2008年に、新書判は2011年に、それぞれ同社


 法月林太郎は出てきますが法月綸太郎は出てこない法月綸太郎の本格ミステリ。10作品が収録された短篇集。


「ところが今僕が抱えているプロットでは、我等が名探偵は事件に介入していくだけの必然性を全く持ってないんです。だからどうやってそれを絡ませるべきか、ずっと頭を絞ってるんですが、うまい知恵もなくて」
「なんだそんなこと」警視は率直に意見を述べた。「最初から名探偵なんぞ出さなきゃそれで済むことじゃないか」
「うん、なるほど」林太郎は仔細らしくうなずいてみせてから、「確かに誰でもそう考えます。しかし僕のように頭の古い探偵小説家にとっては、名探偵の出てこない探偵小説なんていうのは禁忌〔タブー〕でしてね。生温くなったトマトジュースみたいに舌触りの悪いものなんです。ところが——」
「名探偵なんて存在が時代遅れになってしまった」と警視。
「——その通り。名探偵とか本格謎解小説〔パズラー〕とかいった idea は誕生してから僅かな百年たらずでその頂点を極めてしまいました。その後はもう静かに滅びるのを待つしかない、あまりにも急激に巨大化しすぎたために種族の滅亡を早める結果を招いた中生代の爬虫類たちのようなものです。
 それがわかっているからこそ、僕はひどく居心地の悪い思いをしなければならない。半世紀前の美女に恋する少年みたいに。でもそのおかげで僕は、かえって理屈抜きに名探偵という存在にこだわり続ける権利を得ているともいえます。
 だから大袈裟な言い方になりますが、この袋小路を打開するためにも、僕は名探偵の復権を目指して様々な新手を編み出さねばならないと決意したのですよ、あっというような新手をね
 ところがこいつは口で言うほど易しい仕事じゃない」
(338-9)

「名探偵」を「哲学」へと言い換えて読みました。

@研究室
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by no828 | 2015-01-18 19:26 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 01月 16日

国際社会が無視していたから和平と民主主義を実現できた——高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』

c0131823_17335282.jpg高野秀行『謎の独立国家ソマリランド——そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』本の雑誌社、2013年。49(872)


 版元


 520ページのソマリランド潜入・冒険記。国家のあり方、とともに、秩序というものを考えるための契機が埋め込まれた内容。


ソマリランドでは、ホテルや電話会社、それに車のチャーターなどは米ドルを使用しているが、意外なことに、日々の生活では独自の通貨「ソマリランド・シリング」を使用しているという。〔略〕本当に自前の通貨を持っている自称国家は初めてだ。〔略〕「ロンドンで刷って空輸しているんだ(37)

「俺は海賊なんかじゃない!」
「え?!」
俺は単なるビジネスマンだ。仕事の出張でここに来て、ホテルで寝ていたら突然逮捕されたんだ。俺から銃を渡されたと証言した奴が一人いたってだけでだ
「…………」
それで裁判にかけられたんだが、裁判官は昨日まで軍隊にいて法律も何も知らない兵士だったよ。で、そいつが言ったんだ、『懲役二十年』ってな
「…………」
これがアフリカの現実だ。人権も公正も何もない
(60)

一つには植民地のちがいだ」〔略〕
ソマリランドはイギリス領だろ? イギリスは間接統治だから、長老や氏族の力をそのまま残したんだ。長老たちを通じて人々を支配していたから、むしろ長老や氏族の権威は強くなったかもしれない。でも、南部はイタリア領だった。イタリアは氏族の仕組みを壊した。しかもイタリア人の移民を一万人以上も送って、社会をかなり変えてしまった
(118)

 なぜ、難民や重傷者の家族が笑顔を見せるのか。
 それはきっとホッとしているのだと思う。
彼らは戦乱や飢饉から必死の思いで逃れてきた。難民キャンプにしても病院にしても、やっとたどりついた「安全地帯」なのだ。そして、私たちのようにカメラを構える外国人は「自分たちを助けてくれる人」と無意識的に認識するのだろう。だから、警戒心もなく、むしろ仲良くしたいという意思表示で微笑むのだろう。
 これが現場のリアリティである。
(359)

 ワイヤップの言うことは瞠目に値した。ソマリランドは「国際社会の無視にもかかわらず自力で和平と民主主義を果たした」のではなく、「国際社会が無視していたから和平と民主主義を実現できた」と言っているからだ。そして「今後も無視しつづけてくれたほうがいいかもしれない」と言っているのだ。(126)

「ソマリランド人がこれまで何が起きても最終的には我慢して平和を守ってきたのは、結局は国際社会に認められたいからじゃないですか?」〔略〕
 私はブータンとソマリランドを頭の中で重ね合わせていた。〔略〕
 人間や文化は似ても似つかないこの両者は、外部の介入を極力避けるという方法で難を逃れてきた以外に、もう一つ共通しているところがある。
 それは国際社会に認められるために努力していたということだ。
(477)

 そして、ディアスポラとして、一つぜひ提言したいことがある。
 ソマリランドを認めてほしい。独立国家として認めるのが難しければ、「安全な場所」として認めてほしい。〔略〕
 ソマリランドが安全とわかれば、技術や資金の援助が来るし、投資やビジネス、資源開発なども始まる。国連や他の援助機関のスタッフが滞在しても安全でカネもかからない。なにしろソマリランドは旧ソマリア圏においてトラブルが産業として成り立っていない珍しい地域なのだ。
(500)

 ソマリランドの(もちろん一部の)人は国際社会がこのままソマリランドを無視し続けてくれたほうがよいかもしれないと考え、「ディアスポラ」の著者はソマリランドを認めてほしいと言う。

@研究室
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by no828 | 2015-01-16 17:51 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 01月 08日

読書は去りし1年を引きずる

 年明けようやく更新します。2015年もよろしくお願いします。

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 2014年内に読んだ“学業に直接関係しない本”の感想、抜き書きなどを2014年中にここへアップロードすることができませんでした。このような事態は2013/14年にも起こりました。2014年もしばらくは2013年分をアップロードしてきました。これは何よりも誰よりも自分のなかですっきりしないので、2015/16年はこのようなことがないよう、工夫するか、努力するか、何とかしたいです。

 以下、2014年内に読んだ残りの本の情報の一部を、とりあえず、列挙します。2014年は99冊を読みました。100冊に届かず。冊数は問題ではない、と思いながらも、量を読むことを軽視しようとは思いません。ちなみに、ブログ開設後の通算は922冊となりました。本は新旧問わずすべて購入していますので、922冊の純増です。書誌情報先頭の「数字(数字)」は、「2014年に読んだ冊数(ブログ開設後に読んだ冊数)」です。

 49(872)高野秀行『謎の独立国家ソマリランド——そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』本の雑誌社、2013年。
 50(873)法月綸太郎『しらみつぶしの時計』祥伝社(祥伝社文庫)、2013年。
 51(874)森博嗣『工学部・水柿助教授の解脱』幻冬舎、2008年。
 52(875)奥泉光『ノヴァーリスの引用』集英社(集英社文庫)、2003年。
 53(876)菅野仁『18分集中法』筑摩書房(ちくま新書)、2012年。
 54(877)川上未映子『発光地帯』中央公論新社(中公文庫)、2014年。
 55(878)伊坂幸太郎『あるキング』徳間書店、2009年。
 56(879)鯨統一郎『タイムスリップ明治維新』講談社(講談社文庫)、2006年。
 57(880)奥泉光『モーダルな事象——桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』文藝春秋(文春文庫)、2008年。
 58(881)藤原章生『世界はフラットにもの悲しくて——特派員ノート1992-2014』テン・ブックス、2014年。
 59(882)鯨統一郎『タイムスリップ釈迦如来』講談社(講談社文庫)、2008年。
 60(883)養老孟司『バカの壁』新潮社(新潮新書)、2003年。
 61(884)奥泉光『『吾輩は猫である』殺人事件』新潮社(新潮文庫)
 62(885)碧野圭『書店ガール2——最強のふたり』PHP研究所(PHP文芸文庫)、2013年。
 63(886)紀田順一郎『古書収集十番勝負』東京創元社(創元推理文庫)、2000年。
 64(887)宇江佐真理『我、言挙げす——髪結い伊三次捕物余話』文藝春秋(文春文庫)、2011年。
 65(888)宇江佐真理『今日を刻む時計——髪結い伊三次捕物余話』文藝春秋(文春文庫)、2013年。
 66(889)宇江佐真理『ひとつ灯せ——大江戸怪奇譚』文藝春秋(文春文庫)、2010年。
 67(890)村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(上・下)講談社(講談社文庫)、1984年。
 68(891)梶山季之『せどり男爵数奇譚』筑摩書房(ちくま文庫)、2000年。
 69(892)村上龍『共生虫』講談社(講談社文庫)、2003年。
 70(893)太宰治『人間失格』集英社(集英社文庫)、1990年。
 71(894)高橋源一郎『ジェイムス・ジョイスを読んだ猫』講談社(講談社文庫)、1990年。
 72(895)三島由紀夫『仮面の告白』新潮社(新潮文庫)、1950年。
 73(896)小峰元『アルキメデスは手を汚さない』講談社(講談社文庫)、2006年。
 74(897)川上未映子『魔法飛行』中央公論新社、2012年。
 75(898)川上未映子『ぜんぶの後に残るもの』新潮社、2011年。
 76(899)三島由紀夫『沈める滝』新潮社(新潮文庫)、1963年。
 77(900)村上龍『イン ザ・ミソスープ』幻冬舎(幻冬舎文庫)、1998年。
 78(901)海堂尊『ジーン・ワルツ』新潮社(新潮文庫)、2010年。
 79(902)橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』新潮社(新潮文庫)、2005年。
 80(903)松浦理英子『親指Pの修業時代』(上・下)、河出書房新社(河出文庫)、1995年。
 81(904)川上未映子『人生が用意するもの』新潮社、2012年。
 82(905)三島由紀夫『午後の曳航』新潮社(新潮文庫)、1968年。
 83(906)三浦綾子『道ありき——青春編』新潮社(新潮文庫)、1980年。
 84(907)スティーヴン・キング『書くことについて』田村義進訳、小学館(小学館文庫)、2013年。
 85(908)三浦綾子『生きること思うこと——わたしの信仰雑話』新潮社(新潮文庫)、1983年。
 86(909)村上春樹・大橋歩『村上ラヂオ2——おおきなかぶ、むずかしいアボカド』新潮社(新潮文庫)、2013年。
 87(910)三浦綾子『塩狩峠』新潮社(新潮文庫)、1973年。
 88(911)三浦綾子『氷点』上下、角川書店(角川文庫)、1982年。
 89(912)三浦綾子『続 氷点』上下、角川書店(角川文庫)、1982年。
 90(913)神田憲行『「謎」の進学校 麻布の教え』集英社(集英社新書)、2014年。
 91(914)平田オリザ『わかりあえないことから——コミュニケーション能力とは何か』講談社(講談社現代新書)、2012年。
 92(915)似鳥鶏『理由あって冬に出る』東京創元社(創元推理文庫)、2007年。
 93(916)似鳥鶏『さよならの次にくる(卒業式編)』東京創元社(創元推理文庫)、2009年。
 94(917)似鳥鶏『さよならの次にくる(新学期編)』東京創元社(創元推理文庫)、2009年。
 95(918)佐野洋子『私はそうは思わない』筑摩書房(ちくま文庫)、1996年。
 96(919)向井万起男『謎の1セント硬貨——真実は細部に宿る in USA』講談社(講談社文庫)、2012年。 
 97(920)窪美澄『ふがいない僕は空を見た』新潮社(新潮文庫)、2012年。
 98(921)岩城けい『さようなら、オレンジ』筑摩書房、2013年。
 99(922)岡映里『境界の町で』リトルモア、2014年。

 以後、個別に、計画的に、抜き書きなどを載せていきます。

 このほかに、トルストイ『アンナ・カレーニナ』(中・下)と、宮部みゆき『英雄の書』(上)を読みましたが、これは含めません。前者はすでに上巻を読んでいてそれを冊数にカウントしているため(→ )、後者は下巻を読んでいないため、です。『アンナ・カレーニナ』は、ようやく、です(本当に)。

@研究室
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by no828 | 2015-01-08 18:38 | 人+本=体 | Comments(0)