思索の森と空の群青

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2015年 06月 26日

自分だけの杭を作ろう、その杭が本物かどうか吟味し続けよう——神田憲行『「謎」の進学校 麻布の教え』

c0131823_1654944.jpg神田憲行『「謎」の進学校 麻布の教え』集英社(集英社新書)、2014年。90(913)


 版元

 残りは9冊、謎はない → 


 2年間の取材の成果。「ひと通り取材を終えると、学校の紹介というよりは教育そのものを考える契機となった」(21)とあります。ちなみに神田憲行は、以前『ハノイの純情、サイゴンの夢』を読みました。
 
 先生たちの教育観が随所で吐露されています。共感から頷くところあり、目頭の熱くなるところあり。こういう先生たちが公立学校にもいたらなあ、と思いました。この思いはしかし、こういう先生たちのいる私立学校が実家の近くにあったらなあ、という気持ちの裏返しでもあります。わたしには選択肢がありませんでした。ずっと公立学校であったわたしにとって、公立にがんばってもらいたい、公立も――私立以上の制約のなかとはいえ――こんな先生たちに担われてほしいとの願いがあり、その願いを無理なものだとも捉えていません。わたしのように公立へ行くしかない――と書くととても消極的だけれど――子どものほうが圧倒的に多いのです。学校が前提としてこの社会にある以上、公立がほとんどの子どもの受け皿となっている以上、その公立学校をどうするかという視点からも考えなければいけません。

 わたしはその学校の先生を目指す学生にいま教えています。以上に書いたことは、だからわたし自身の課題です。著者による「おわりに」の文章から引用をはじめましょう。


自由に生きよ
 誰もそんなことを私に教えてくれなかった。決められた秩序のなかで人に迷惑をかけず、地道に生きる途ももちろんよいだろう。しかし、社会に出る前のひな鳥のような青年期に必要なのは現実社会との折り合いをつける処世術ではなく、自由に考え、既成概念を疑い、自分でものを考える力ではないだろうか。
 麻布学園の教育は個性的だ。東大に毎年何十人も入るような学校だからそういう教育が可能なのだ、という見方もあるだろう。それは正しい面もある。しかし自由に考え生きるのは、エリートだけに許された特権なのだろうか。公立の、そこらへんにある平凡な中学・高校の先生はそう教えることを簡単に放棄してよいことなのだろうか。
「自由に生きよ」と教えた側は、当然それに責任をもつ。〔略〕そのために麻布の先生たちが熱意と努力をどれほど傾けているか、この本を読まれた方ならわかっていただけると思う。
(247)

「私たちは受験雑誌などの取材はよく受けるんですが、こうした一般書籍の取材はあまり受けたことがありません。自分たちの教育が外部の方の目にどう映るのか、とても興味があります
 風通しのよい学校だと思った。
(12)

塾などが入試問題の分析をすることは多くても、出題者である学校側に取材したケースは少ないように思われる。(24)

「問題に当たってみて、これをどうとらえたらいいのだろう、どうまとめたらいいのだろうと悩む姿が見える答案があると本当は嬉しいですね。矛盾しててもいいんです。格闘した跡が残っているのが、私たちにとって望ましい答案です」(30)

——式など途中経過を書く欄が大きいですね。
「〔略〕知識なんていうのはコンピュータで検索すればいいので、知っていることの多寡を訊いてもしょうがないんじゃないか、というのが麻布の先生にはありますね。それをどう活用するのか、これからの世界にどう結びつけていくのかが教育では大事なので、君の考えを述べなさいとか、自分の考えを表現させて出させるということをどの教科でも行っています。途中経過の欄は式でなくても、言葉でもいいし、表や図を描いてもいい。モヤモヤとしたものでいいからそこに書いてくれたらいい。なかには散らし書きしちゃってどこがどうつながっているのかわからない子もいますが、丹念に数字を追っていって、『この子はここまでは考えているな』と見ますね」
(35-6)

「家庭環境のなかで『これやりなさい、あれやりなさい』と言われている子どもは、自分の疑問をあと回しにする癖がつく(44)

 麻布の生徒は「学校では友だちと遊ぶ。勉強は塾で」と考える生徒が多く、家庭学習の少なさを塾で補っているようだ。(63)

——こういう私立の中高一貫校って、やっぱり純粋培養されてる?
「それは小学校のときにお世話になってた音楽の先生から『こうやってごっちゃに混ぜられるのは小学校だけだから』って言われました」
(105)

 そのなかで麻布の生徒特有のような、特徴的な言葉遣いが共通していることに気づいた。自分の考えを説明するときに「○○かもしれませんが」とか「○○という意味で」とか、あらかじめこちらの反問、ツッコミを先回りして封じるような伏線を張るのだ。〔略〕頭がいい証拠なのだが、揚げ足をとられまいとする会話の仕方に窮屈さを感じた。(106-7)

実は編集者のW氏は麻布中学一年生のとき、山岡先生の授業を受けていた。そこでこう言われたのが今でも印象に残っているという。
板書というのはただ写すだけのものじゃないんだよ。自分で考えてまとめてノートをとるのが授業なんだから
(129)

「批判精神ですかね。生徒には僕と反対の立場でも構わないから、批判精神をもってほしいと思っています。教育論風に言うと、自己形成のなかでは自己を対象化していく作業が求められてくるはずで、生徒はどこまでそれをできるのか。自分自身に対する批判も含めて、相手を対象化して論ずる姿勢がないといけないでしょう」(136)

教養とは物知りという意味ではなく、今自分の身の回りで起きていることに対して、想像力を働かせながら、今の自分には何ができるのかとか、自分はそれをどうとらえるべきなのかとか、知の体系を洞察力と絡めて、人間存在を主体的に掘り下げる力という意味です。それを僕は中高の間になんとか作ってほしいと思っています」(137)

要約を繰り返していくと、そのうち、どんな文章もなんとなく四〇〇字くらいにまとめられるようになるし、実際にまとめなくても頭のなかでそういうことができるようになって国語の力もつきます」(140)

「保健室に来るんだけれど、何も話さずにいるだけの子どももいます」
——いるだけで何もしない?
「『この時間いさせてください』って来て、寝てたり、本を読んでいることもあります」
——用がないなら、と追い出したりは……。
「しないですね。授業があっても。つながるきっかけだけは作っておいて、今はそのつながりをチョイスしないんだなと思ったら、それ以上深追いはしません
(162)

——入省してから、自分が麻布出身だと思わされたことってありますか。
「同僚で帰国子女の女性がいるんですが、彼女から『日本人で優秀とされる人はある制約条件下で最適な道はこれ、という議論が得意なのに、嶋田君はまずその制約条件とか前提をひっくり返そうとするよね』って言われて、ほうと思いました。〔略〕あとは、省内で同じ高校出身者が集まって飲む際、〔略〕麻布はもう定時前からおじさんたちが勝手にグイグイ飲んでる。求められて新入者の挨拶をしたら『この役所のマズイと思ってるところは何だ』『今のは官僚答弁みたいだからダメだ。もっと本音でしゃべれ』ってヤジが飛んでくる。なんなんだろうこの集まりは、と思いました」
(191-2)

「実際に卒業するときに『楽しい学校でした』と言われることが、僕らの目標とする到達点かな」(204)

「『最終学歴・麻布』で十分やっていける教育でやっていますから」(205)

僕は数学がダメだったんですが、数学の先生のオリジナルの教材で微分積分を教わったら、それだけはできるようになったんです。教育的資質をもった人が教えれば苦手な生徒でもわかるようになるものだなと実感しました。「微積分入門」と赤い表紙に書かれた薄い小冊子だったのを今でも覚えています。(209-10)

「いろんな思想家の考え方を紹介したあと『さて、君の意見は?』と常に訊かれたような気がします。授業の中身は覚えていませんが、あるときに氷上〔信廣〕先生が『いつ死んでもいいぐらいの感じで毎回授業には気合入れて挑んでるんだよ』とポロッと漏らしていたのはすごく印象に残っていますね」
 実際、氷上さん本人に当時の授業の様子を質問すると、やはり変だった。定期試験のテスト問題はいつも必ず、たとえば「カントについて君が思うことを記せ」というような一問だけ。文字数の制限はないし、知識を訊ねることもしない。
 採点もおかしい。点数をつけずにいつも答案用紙に「○」を描く。要は答案さえ出せば赤点にはならないのである。かといって何でもいいわけではない。「○」の下に棒のような「足」を一本足すと「顔を洗って出直してこい」という不満の表明、足が二本生えていると「論外」という意味になる。逆に「○」の上から棒が一本伸びていると「上出来」。生徒に「君はどう思うか」と問い掛けていた氷上さんの採点は「俺はお前の答案を見てどう思ったか」というアンサーになっているのである。点数をつけられるよりも、教師の生の反応がそこにあるように思えて、生徒はこちらの方がエキサイトした。答案を返却するたびに、誰の答案に上向きの棒があるかみんな探して回るが、教室にひとりかふたりぐらいしかいなかったという。卒業後、
先生から棒をもらうのが目標だったのにとうとう一度ももらえなかった
と“恨み言”を言われることもあった。
(217-8)

「でも今の馬鹿は間違いなく何かのコピーなんだよ。社会化とはそういうことなんだけれど、俺たちが考えた馬鹿だぞ、というプライドがなくなっている。馬鹿の質が落ちているんだね(笑)」(223)

 氷上さんの教養総合の授業「一緒にものを考える」は、生徒に揺さぶりをかけるための機会だ。〔略〕決まりごとはひとつ。結論めいたことは出さない。テーマについて氷上さんも含めて「一緒に考えて」、あとはもち帰って自分で考える。〔略〕テーマは「自由」。〔略〕「じゃあ議論に入っていこうか」と氷上さんが声をかける。〔略〕その場の思いつきのような稚拙な意見でも、何かすくいとってエッセンスのような言葉を氷上さんがホワイトボードに書きだしてくれるから、参加している意識ができる。自分の意見が馬鹿にされるんじゃないかと恐れる必要もない。空中戦のような話が、氷上さんのリードでらせん状に降りてきて、地に足の着いた話になる。授業のあと生徒が「あー、もっと勉強しなくちゃ」と漏らしたひと言に、氷上さんがほくそ笑んだ。(224-30)

急流にあっても、流れに持っていかれることがない自分だけの杭を作ろう、そしてその杭が本物かどうか吟味し続けようということでした。(232-3)

問いをもたなければ、答えを見つけようとすることもありません。〔略〕普通世間の人が、「当たり前だ、訊ねるまでもないことだ」と考えていることに疑問をもつこと、その疑問につきあうこと、それが私の教師としての仕事だと腹をくくりました。(233)


@研究室
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by no828 | 2015-06-26 17:16 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 06月 24日

さようならひらがな、もういちどさようなら漢字

 5月中旬にようやくTくばからK府への引越を終えました。

 行政的には4月1日で勤務先近くの官舎に移り住んだことになっていたものの、実は引越は3月中には終えられず、4・5月と家賃を二重に支払わざるをえませんでした。行政的移住の際は、スーツケースに最低限必要なものを詰め込み、あるいは勤務先近くで買いそろえ、4月1日には何とか“そこ”にいて辞令交付を受けるという状態にしました。4・5月中は、T木の短大での非常勤での講義の際に、Tくばのアパートに立ち寄り、捨てたり、鞄に詰め込んだりといったこともしていました。Tくばには5月初旬の連休にも行き、整理しきれないものをとりあえず実家へ持ち帰ったりもしました。人間の身体はひとつしかなく、物理的な距離は歴然とそこに存在し、時間というよくわからないものがこの世界を支配しているのだということがよくわかった日々でした(いまもそれを痛感する日々です)。

 5月中旬に引越を終えたものの、だからといってK府での生活が順調に回りはじめたかといえばそうではなく、実はまだすべての段ボールが開封できたわけでもなく、落ち着いたという感覚がありません。研究室の段ボール数はあと1ケタというところまで来ましたが、本棚には本が入りきらず、室内の配置も改善の余地があり、時間を設けて何とかしなければならないと思っています。官舎の段ボールは、まだまだ全然です。常勤の講義があり、雑務が降り注ぎ、書かなければならない――強制ではなく使命として――論稿があり、土曜日も非常勤の講義があり、日曜日は前泊のために上京しなければならないという状況が実はあり――加えて祝日のないということはつまり講義が最大限に入る6月には学会大会もあり――官舎のそのまだまだ全然の段ボールと対峙する余裕がありません。

 そんな本当に余裕のないなかでのTくばからの撤収ではあって、だから感傷的になることもなく、意外にあっさりと15年間住んだその場所から立ち去ることができたのかもしれません。T波からは半年弱ほど籍がなくなったことがありましたが、Tくばには住み続け、そこから方々へと非常勤の講義に出かけたものでした。T波には学生として在籍し、3段階の学位を取り、非常勤研究員となり、その任期の切れる時期にはしかし就職が決まらず、研究室の荷物をすべて持ってアパートへ退却したという経験があります。幸いにもそのあと再び別の非常勤研究員としてT波へは戻ったわけですが、その籍のない半年弱のあいだというのは、率直にいって心細いものでした。研究室という物理的な空間を使用できた、図書館の研究個室を使用できた、学内の無線LANにアクセスできた、といった研究環境における切断にはまず辛いものがありました。また、所属などどうでもよいと思ってはいたものの、どこかに籍があることによる安心感、守られているという感覚が間違いなくあったということにも気づかされ、所属による安心を無意識に享受していた自分の弱さにも気づきました。

 愉しくもあり、結構辛くもあったTくば/T波ともこれで――といっても先月で――お別れとなりました――と書いたら感傷的になるかもしれないと思いましたがそうでもなく、自分の感情の沸点はずいぶんと高くなったのかもしれない、感度が鈍化したのかもしれないと思いながらも、そうしなければこれまでを生き延びることができなかったのかもしれないという感覚があります。学類と大学院の違いというのはもちろんありながらも、“みんな”のいたTくば/T波と“みんな”のいないTくば/T波という違いがやはり大きく、その“意味は異なるがしかし同一のTくば/T波”に存在し続けるための術としての感度の意図的な引き下げはやはりあったのでしょう。そんな意味内容の変動が伴ったTくば/T波に、さようなら。

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@研究室
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by no828 | 2015-06-24 19:29 | 日日 | Comments(0)
2015年 06月 19日

ほうたいを巻いてやれないのなら、他人の傷にふれてはならない——三浦綾子『続 氷点』

c0131823_2016373.jpgc0131823_20162488.jpg三浦綾子『続 氷点』上下、角川書店(角川文庫)、1982年。89(912)


 版元(上) 版元(下)

 あと10点 → 


『氷点』の続編。自殺を図った陽子は一命を取り留め、自分が殺人者の娘ではないことがわかり、しかしそれですべてが落着するわけでもなく、という展開。自分の本当の親、血のつながった兄弟、血のつながらない兄、兄の親友、さまざまな関係。


 そうだろうか、と陽子はタオルの襟布の端を折りたたんだり、ひらいたりしていた。陽子は、自分が不貞の中に生れたことが辛かった。自分が生れた時、父も母も、狼狽、困惑しただけであろう。できることなら、闇からやみに葬りたかったにちがいない。自分が胎内にあった間じゅう、自分の母親が何を考えていたか、陽子にはわかるような気がした。親にさえ喜ばれずに生れた子が、この自分であり、生んですぐに捨てられたのがこの自分なのだと、陽子はくり返して思って来たのだった。
 いっそのこと、殺人犯の佐石の子として生れて来たほうが、よかったとさえ、陽子は思った。佐石夫婦に、喜びを持って迎えられた命のほうがましだった。少なくとも、裏切りの中に生れなかっただけでも、しあわせのような気がする。〔略〕
(たとえ、生れてすぐ捨てられても、生んでもらっただけで、感謝しなければならないのであろうか)
(上. 43)

「だけどね、旦那。ゆるすって、人間にできることかしら?(上. 54)

想像力のないものは、愛がない
といった誰かの言葉を啓造は思い出しながら、ため息をつき、自分に送られた浴衣を手に取った。
(上. 84)

「ねえ、院長先生、もしわたしが村井と別れなかったら、うちの娘たちは、父親の姿に完全に幻滅を感ずると思いますわ。この間、何かで読みましたけど、やくざな親なら、いないほうがいいんですって。かえって、死んでいる場合のほうが、子供は強くまじめに育つんですってよ。死んだ親は美化されるからでしょうか(177)

「わたし、すごくまちがっていたのね。外に現れた行為だけが、自分の姿だと思っていたのよ。わたしは確かに、人を悪くいうことは嫌いだったわ。あたたかい言葉で、人に接しようと思ってきたわ。でもね、人間って、じっと身動きもしないで山の中にいたとしても、本当にどうしようもない、いやなものを持っているとわかったわ(上. 213)

とにかく人とかかわることがこわいのよ。どんなふうにつきあっても、結局は傷つけてしまうような気がするんですもの。だから縁の深い人ほどこわいの。おにいさんなんか、一番こわいわ」〔略〕
「わたしね、おにいさん。だから軽々しくは動きたくないの。どんなことにも。小樽のひとにも」
(上. 219)

「一番大事な命を与えてくれたのは、何といっても親なんだからね」
「おにいさん。陽子はね、命よりも大事なものが、人間にはあると思うの」
 静かだが、力のこもった声だった。
「わたし、生んでもらったのか、生む意志がないのに生れたのか、それは知らないけど、とにかくこの世に生れたわ。でも、こんな生れ方って、肯定はできないわ
(上. 221)

「ね、おにいさん。わたしたちは若いのよ。若い者は潔癖な怒りを知らなければ、いけないと思うの(上. 222)

「ね、陽子さん、わたしね、幸福が人間の内面の問題だとしたら、どんな事情の中にある人にも、幸福の可能性はあると思うの(上. 262)

「……しかしね陽子、おじいさんの育て方が、まちがっていたことはたしかだよ。夏枝は母親を早くになくしたものだからね。まあひとことでいうと、甘やかしたんだよ。恥ずかしい話だが、おじいさんは夏枝を叱れなくてね。何でもよしよしといって育てたんだ。注意すべき時にも注意せず、したいままにさせておく、これもひとつの捨子だね。手をかけないのと同じだよ
 何もかも、夏枝の父が知っているのを、陽子は感じた。
一人の人間を、いい加減に育てることほど、はた迷惑な話はないんだね
(上. 330)

一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである
 ジェラール・シャンドリという人のいったこの言葉が、なぜかしきりに頭に浮かぶと、おじいさんはおっしゃるのです。
(上. 333)

母の日っていうのは、必要なのかね。プレゼントしてもらえる母親には楽しいだろうけれど、何もしてもらえない親には、淋しい日じゃないのかね」〔略〕
「老人の日に父の日、母の日に子供の日か。なんだ、一通りそろってるじゃないか」
と、いうことは、老人も親も子供も、みんな大事にされていないということだな
(下. 49)

「そうだ、お手玉もしましたよ。赤や青の小布をはいでなあ。みんな、中にあずきを入れてなあ。だけども、うちは貧乏してたからね、豆のような小さな石をたくさん拾って、中に入れてね。うん、痛いお手玉でなあ。友だちは、だあれも、わたしのお手玉にさわらなかった。でも、せっちゃんね、あのひとだけは、時々わたしのお手玉で遊んだね(下. 64)

「どうして若い人のほうが早く死ぬんかねえ。うちの息子も戦争で死んだ。シンガポールで死んだってね、役場からもらった遺骨の箱に、紙きれが一枚入っていたんですよ。わたしも、息子の死んだところまで、一度行ってみたかったけどね。いつのまにか、八十を過ぎてしまって、もう行けなくなりましたよ」〔略〕
何しに生きてきたのかねえ。貧乏して、亭主に道楽されて、息子に死なれてなあ。それでもやはり、死にたくはないわね
(下. 65)

真に美しいといいきれるものは、ないのかも知れない(下. 132)

父母はわたしをもらう時、わたしの身の上を一切知った上で、こういったそうです。
子供にめぐまれない親と、親にめぐまれない子供です。似合の親子ではありませんか」って。
(下. 155)

 父はうちの薬局に、こんな言葉を色紙に書いて飾っております。
「ほうたいを巻いてやれないのなら、他人の傷にふれてはならない」
 わたしの好きな言葉でもあります。
(下. 167)

「あのね、いつか何かの小説で〈自ら復讐すな。復讐するは我にあり、我これを報いん〉という言葉を読んだのよ。その言葉にぎくりとしてね。何かよくわからないけれど、その言葉は心理だと直感したのよ。それからは、ふしぎにすっと気持が軽くなっちゃった。何しろ、わたしが復讐するよりも、もっと厳正な復讐があるにちがいないと思ってね。そしてね、真に裁き得るものだけが、真にゆるし得るし、真に復讐し得るのだとも、思うようになったのよ(下. 197)


@研究室
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by no828 | 2015-06-19 20:28 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 06月 18日

この罪ある自分であるという事実に耐えて生きて行く時にこそ、ほんとうの——三浦綾子『氷点』

c0131823_21405350.jpgc0131823_2141582.jpg三浦綾子『氷点』上下、角川書店(角川文庫)、1982年。88(911)

 
 1964年12月9日〜1965年11月14日「朝日新聞」朝刊連載小説
 版元(上) 版元(下)
 カバーデザインは読んだものとは違います。

 あと11点 → 


 有名な小説。ようやく読みました。妻のせいで娘が殺されたと思う夫は養女をもらう際に娘を殺した犯人の娘を引き取り妻に育てさせることを思い立つ、というふうに物語は立ち上がります。

「憎悪」という感情の一端を理解することができます。また、相手を苦しめるためにどうするか、という観点からの種々の行為は、相手を苦しめることには成功するかもしれませんが、結局自分をも苦しめることになるのだということが書かれています。自分を苦しめることになるから相手を苦しめるようなこともやめよう、という考え方はしかし自分本意であって、相手を本当に思ってのことではありません。相手を本当に思うとは一体どういうことなのでしょう。自他の関係が問われます。叶わぬ恋こそが愛、といったようなこともそこから導き出せるかもしれませんし、出せないかもしれません。

 続きが読みたい、終わらないでほしい、と思っていたら『続 氷点』がありました。


「そうだねえ。敵というのは、一番仲よくしなければならない相手のことだよ(上. 21)

 和田刑事の語ったようなことも、新聞に書かれてあった。
「通り魔のようなものだった!」
 啓造はつぶやいた。
(もし、ルリ子が一分あとに家を出ていたならば、犯人の佐石と顔をあわすことはなかったろうに)
 ルリ子の不運というよりほかはなかった。
(いや、佐石にとっても、やはり不運といえるかもしれない。ルリ子に会わなければ、彼も殺人を犯さなかったわけだからな)
 そう思うと、啓造は「偶然」というものの持つおそろしさに、身ぶるいした
(上. 58-9)

「わざわざ遠い所へやることはないよ。神楽小学校でいいじゃないか」
「いいえ。付属は父兄も教育に熱心で、子供たちの成績もいいんですって」
「成績のわるい子がいたら困るのかね」
「だって、教育は環境が大切ですわ。父兄がそろって熱心で、お友だちの成績もそろっていたら、よい環境じゃございません?」
 夏枝は陽子のこととなると、いつも急にはきはきと意見をのべる。
「そうかねえ」
啓造は気のりのしない返事をした。
「そうですわ。あんまり貧しい家の子も行っていませんし……」
「そうか。ではやはりこっちの学校に、わたしは入れるよ」
 啓造はさえぎるようにいった。
「まあ、どうしてわかって下さいませんの」
「わたしはね。貧しい家の子や、成績のわるい子のいる学校の方が好きなんだ。今の日本にはいろいろな子がいるんだ。どんな子供とでも友達になるということが大事なんだ」
「…………」
「能力のない子は励ましてやればいいんだ。貧しい家の子というのは、金持の子よりは大てい自立心があるよ。それにみならうことだな。体の弱い子にはやさしくしてやる。それでいいじゃないか」
「…………」
「どんな人間でも拒まずに、一人一人を大事にするというのが教育の根本だよ。人間を大事にしないのは諸悪のもとだと、だれかがいっていたがね。いろいろな子がいる学校でいいじゃないか。大学だっていわゆる名門ほど、エリート意識が強くて、他の人間をバカにするんじゃないのかね」
(上. 197-8)

「百円落さないと、わかんないけれど、ずっとせんに十円おとしたの」
「その時どう思った?」
だれかが拾って喜ぶだろうと思ったわ
「だれかが拾って喜んだら、つまらない?」
だれかが喜んだらうれしいわ。乞食が拾えばいいなと思ったの
「だってさ。落したら損だぞ。うれしくないよ、ぼくは」
「徹くん。十円落したら、本当に十円をなくしたのだから損したわけよ。その上、損した損したと思ったら、なお損じゃない」
「あ、そうか」
(上. 306)

 あの胃けいれんの女に、自分自身の救命具をやった宣教師のことを、啓造はベッドの上でも幾度も思い出したことだった。啓造には決してできないことをやったあの宣教師は生きていてほしかった。あの宣教師の生命を受けついで生きることは、啓造には不可能に思われた。(上. 367)

愛するというのは……一体どうすればいいんだ?
 啓造は、みるともなしに折り紙をしている陽子の手もとを、ぼんやりみていた。
(愛するというのは、ただかわいがることではない。好きというのともちがう)
(下. 17)

自分が悪くなったのを人のせいにするなんていやだったの。自分が悪くなるのは自分のせいよ。それは環境ということもたしかに大事だけれど、根本的にいえば、自分に責任があると思うの。
 陽子ね。石にかじりついてでもひねくれるものかというきかなさがあるの。〔略〕わたしは川じゃない。人間なんだ。たとえ廃液のようなきたないものをかけられたって、わたしはわたし本来の姿を失わないって、そう思ってたの。こんなの、やはり素直じゃないわね、おにいさん」
(下. 199)

 名あてのない遺書には、
「結局人間は死ぬものなのだ。正木次郎をどうしても必要だといってくれる世界はどこにもないのに、うろうろ生きていくのは恥辱だ
 と書いてあった。
 啓造の話を、陽子は幾度もうなずきながらきいていた。
(結局は、その人もかけがえのない存在になりたかったのだわ。もし、その人をだれかが真剣に愛していてくれたなら、その人は死んだろうか)
(下. 205)

「ここがアイヌの墓地だよ。旭川に住んでいる以上、一度は陽子にも見せたかったのだがね」〔略〕
「まあ」
 一歩、墓地の中に足を踏み入れた陽子は、思わず、声をあげた。
 墓地とはいっても、和人のそれのように『何々家』と境をしたものではなく、エンジュの木で造った墓標がつつましくひっそりと、並んでいるだけであった。それはいかにも死者がねむっている静かなかんじだった。死んでまで、貧富の差がはっきりしている和人の墓地のような傲岸な墓はない。
(下. 208)

(死は解決だろうか——)〔略〕
(死は解決ではなく、問題提起といえるかも知れない。特に自殺はそういうことになる)〔略〕
(命をかけて問題提起をしたところで、周囲の人々も、社会もそれに答えることは少ないのだ)
(下. 210-1)

(今の陽子に対するこの愛情は、時が与えたものではないか。すると、それはおれの人格とは何のかかわりもなしに与えられたものなのだ
 時が解決するものは、本当の解決にはならないと啓造は思った。
(下. 214)

 けれども、いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きて来た陽子の心にも、氷点があったのだということを。
 私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は、「お前は罪人の子だ」というところにあったのです。私はもう、人の前に顔を上げることができません。どんな小さな子供の前にも。この罪ある自分であるという事実に耐えて生きて行く時にこそ、ほんとうの生き方がわかるのだという気も致します。
 私には、それができませんでした。
(343)


@研究室
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by no828 | 2015-06-18 21:53 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 06月 17日

おれは自分の日常がすなわち遺言であるような、そんなたしかな生き方をすることが——三浦綾子『塩狩峠』

c0131823_1910277.jpg三浦綾子『塩狩峠』新潮社(新潮文庫)、1973年。87(910)


 単行本は1968年に同社
 版元

 峠は越えているのですが…… → 


 鉄道職員 水野信夫は結納のために札幌へ向かう。途中、塩狩峠にて列車が暴走し、水野は自らの身を挺して列車を止めて、そして死ぬ。結納を前にした、決意の死である。

 というのがあらすじで、この物語にはモデルがいます。長野政雄という人物です。水野のように死んでしまった長野はしかし、乗客のために命を投げ出したわけではないという説もあるようです。本書はあくまで物語です。

 水野の生い立ち、家庭の事情に、教育について考える契機を見出すことができます。この物語にもキリスト教が登場します。


「いいか。人間はみんな同じなのだ。町人が士族よりいやしいわけではない。いや、むしろ、どんな理由があろうと人を殺したりした士族の方が恥ずかしい人間なのかも知れぬ(18)

(もし自分だったら……)
 読書は、人と自分の身をおきかえることを、信夫に教えた。
(99)

「人間はいつ死ぬものか自分の死期を予知することはできない。ここにあらためて言い残すほどのことはわたしにはない。わたしの意志はすべて菊が承知している。日常の生活において、菊に言ったこと、信夫、待子に言ったこと、そして父が為したこと、すべてこれ遺言と思ってもらいたい。
 わたしは、そのようなつもりで、日々を生きて来たつもりである。
とは言え、わたしの死に会って心乱れている時には、この書も何かの力になることと思う」
(142)

(おれは自分の日常がすなわち遺言であるような、そんなたしかな生き方をすることができるだろうか)
 信夫は、父の死を悲しむよりも、むしろ父の死に心打たれていたのである。
(145)

「そうか、吉川君でも死ぬのが恐ろしいのか」
 信夫はホッとしたように吉川をみた。二人は顔を見合わせて笑った。
「吉川君と話していると気が楽になるなあ」
「そうか。しかしそれは楽な気がするだけだよ。ほんとうに気が楽になったのとはちがうよ
「そうだろうか」
「そうさ。ただこうして話し合っただけで、死などという問題が解決されるわけはないじゃないか。やはり何のために自分は生きてるのだろうかと思うと、何のためにも生きていない気がして淋しくなるだろう。生きている意味がわからなきゃ、死ぬ意味もわかりはしない。たとえわかったところで、安心して死ねるというわけでもないさ」
(207-8)

 そう思いながらも、あのふじ子が死を目の前にして、
「確かに死はすべての終わりではない」
 と、信ずることができたなら、それはどんなに大きな力になることだろうかと信夫は思った。そして自分では信じていないその言葉を、ふじ子に告げてやりたいような気がしてならなかった
(だがはたして、その言葉が人間にとって、ほんとうに生きる力となるだろうか。生きる力はいったい何なのだろう)
(221-2)

「みなさん、愛とは、自分の最も大事なものを人にやってしまうことであります。最も大事なものとは何でありますか。それは命ではありませんか。このイエス・キリストは、自分の命を吾々に下さったのであります。彼は決して罪を犯したまわなかった。〔略〕何ひとつ悪いことをしなかったイエス・キリストは、この世のすべての罪を背負って、十字架にかけられたのであります。〔略〕悪くない者が、悪い者の罪を背負う。悪い者が悪くないと言って逃げる」(271)

先日、ふじ子がこんなことを言った。
「お先祖様を大事にするということは、お仏壇の前で手を合わせることだけではないと思うの。お先祖様がみて喜んでくださるような毎日を送ることができたら、それがほんとうのお先祖様への供養だと思うの
 この言葉が、信夫の心の中にあった。
(274)


*「いざり」(25)……「躄」。足が不自由で立てない人。膝や尻を地面に着けたまま進むこと。
 「万年青(おもと)」(64)……園芸植物の一種。

@研究室
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by no828 | 2015-06-17 19:18 | 人+本=体 | Comments(0)