思索の森と空の群青

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2015年 07月 23日

いままで知っている苦しみはおそらく、自分がいかに駄目な人間かと——岩城けい『さようなら、オレンジ』

c0131823_20141794.jpg岩城けい『さようなら、オレンジ』筑摩書房、2013年。98(921)


 版元

 もう少しでさようなら、2014 → 


 とても静かです。アフリカから難民としてオーストラリアに住むことになった女性サリマの物語と、現地在住の日本人女性「ハリネズミ」あるいは「S」の“書く”ことの師であるジョーンズ先生への手紙とが交互に綴られています。わたしはこのハリネズミに著者を重ねてしまいました。

 サリマには家を出て行った夫がいて、息子が2人います。息子は父を求め、母より英語を話せるようになっていきます。

 英語学校での言語習得や、生鮮食料加工の仕事での承認が、サリマに自尊を獲得させます。語義矛盾のようですが、自尊は他者なくしては得られないのだと改めて思いました。


あちらでは人々がいがみ合い殺し合っていたというのに、ここには見たことのない光景が広がっていた。人という人は穏やかな日常を送り、耳慣れない言葉を話していた。サリマたちは政府の難民受け入れに従った。安全な居場所を提供してくれるとあっては、そうすることが最良の選択であると信じるしかなかった。生きる、それがなによりも優先されたから。けれども、それが人種のるつぼといわれる場所であったら肌の色や言葉の違いでこれほど苦しむことはなかった。こころにのしかかるものがとてつもなく重いと気づいたときには、すでに日々の暮らしが流れ作業のごとく始まってしまっていた。(5)

「いまはあんたが、働きに出てるんだね。それで、だれがあんたを見送ってくれるんだい」
 朝の三時前に徒歩で出かけるサリマを見送ってくれる人はなかった。息子たちは同じ市営住宅に住む友達に連れられて学校に行く。帰りはサリマがその友達の子供と自分の息子たちを迎えに行くことになっているのだ。
「お月さま、霧」
そうかい。ひとりじゃないんだね。よかった
 教育係がさいごに結んだ言葉に、はりつめた気持ちが和んで、サリマはいま一度、赤い肉にナイフを滑らせた。
(11)

 作業場の窓枠にはそんな女たちの声にならない悲鳴が出口を求めて張り付いていた。悲鳴は静謐で激しく、迷い込んだ小鳥のように窓ガラスを叩いた。サリマは朝焼けを見るたび、それだけは故郷と変わらないすがすがしいオレンジに向かって、それを解き放ってやりたくなった。(14)

水曜と金曜の午後、英語を習おうと決めたのはなにも今にはじまったことじゃない。難民や移民は到着後、無料で何十時間か英語の勉強ができると移民局の係りの人が通訳者を通して訴えるように話すのを覚えていたし、夫がいたときには言い出せなかっただけだ。夫は女はバカだバカだと言い続けていたから。だから、自分のことをバカだバカだと思い込んでいたけれど、いまは肉だって魚だってきれいに捌ける。とはいえ、子供たちが片言の英語を話し始めると通訳がわりになったし、このまま話せなくてもいいとまで考えたことだってあった。この歳になって、新しいことを始めるのはどうかとも思った。いままで知っている苦しみはおそらく、自分がいかに駄目な人間かと思い知ることだったけれど、そんな自分にいつまでも馴染めなかった。(20)

そうだ、ここにいる人間は自分以外、帰ろうと思えばいつだって帰ることができるはずなのだ。けれども、オリーブはもう三十年近くここに住んでいるということだし、ハリネズミにしても、七年になると言っていた。ふたりとも自分の国のはなしなんてしたことがなかった。そもそも帰る場所なんてはじめからなさそうだった。(29)

仕事でお金、学校で言葉を手に入れる。(31)

自分では気がついていないけれど、彼女は無心になにかを求める人です。たとえ、そのなにかが手に入らなくても、求める途中で得たものが大切なものとして手元に残るのではないでしょうか。国籍や人種、そして自分の境遇を言い訳にしない、言い訳そのものを知らない、希な人であることは間違いありません。(57)

失うかもしれない、サリマは息子たちが父親に駆け寄るところを想像した。そしてさらに驚いたことには、もしそうなっても、自分ははじめからひとりぼっちだったんだから何もかわりはしないという考えが頭をかすめたことだった。いつくしんで育ててきたつもりだが、結局自分の持ち物ではないのだ、子供なんて、と。それでも、失うことは哀しかった。ハリネズミが子供を失ってはじめて母親になれたと自分を嘲笑うようにして吐いた言葉を思い出して、サリマは胸が苦しくなった。(69)

その店員さんが私の言葉遣いとアクセントを耳にして、いやな笑い方をしたのを私は見逃しませんでした。肌の色と名前のつぎは言葉か、とげんなりする思いでした。人がみな平等だとするならば、言語も平等であるべきではないでしょうか。係りの人を呼ぶために店員の彼女が席をはずしているあいだに、娘は天国で平等に扱ってもらっているだろうか、彼女は最初の言葉も定まらないうちに逝かせてしまったと胸がつまりそうになりました。娘を庇ってやろうにも、私はここにいて生きるという義務、人生の巧妙な塗り絵を完成させなければならないからです。〔略〕ナキチのような祖国を奪われた人にとっては、セカンド・ランゲージはセカンド・チャンスなのです。それに賭けようとする彼女のひたむきさを見ていると、純粋な言葉の力の可能性を願わずにはいられません。(75-7)

 サリマが読み終えると子供たちはしずまりかえったままだった。子供たちのプロジェクト・ワークの参考としてはあまりにも個人的すぎて役立つ内容ではないというのが率直な教師の意見だった。しかし、「資料から学べないアフリカ」であることは間違いなかった。それに、子供たちは話を聞いた後口数がたいへん少なかった。本当にびっくりしたり感動したりするとき、子供というのは表現の術を失い無口になることを経験から覚えたこの年若い教師は、自分のクラスの子供が徐々に口をききはじめるのを待った。サリマの額には緊張で脂汗が浮いていた。利発そうな目つきをした子供が手を上〔ママ〕げてサリマをまっすぐに見た。こわくなかった?
 弟たちはどこへいったの? と次の子供が尋ねた。お母さんは? お父さんは? つぎつぎに質問の手が上がった。サリマは自分の英語の作文が子供に通じたことにひと安心して、それからゆっくりと丁寧に質問に答えた。
「もちろんこわかった。弟たちは逃げるとちゅうで、ふたりとも天国へいきました。お母さんとははぐれました。お父さんは家の火を消しにいってから、見えなくなりました」
(98-9)


@研究室
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by no828 | 2015-07-23 20:22 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 07月 22日

あたしたちみたいな貧乏な子どものために?——窪美澄『ふがいない僕は空を見た』

c0131823_18402435.jpg窪美澄『ふがいない僕は空を見た』新潮社(新潮文庫)、2012年。97(920)


 単行本は(たぶん)同社より2010年
 版元

 君がふがいないわけではないし、そう感じる必要もない → 


 連作長編。以下記すように、この物語には救いがあってもよいように思えたのですが、それが力強くあったとの記憶がありません。救いとは力強いものではないのかもしれません。

 とくに「セイタカアワダチソウの空」の世界——物語化のために脚色されたものであるとは思いながらもそこに現実を認めてしまって否定したいのに否定しきれない世界——に内面を抉られました。なぜ抉られたのかと言えば、それはいま思えば小中学校とわたしのすぐ隣にあったはずの世界であるにもかかわらず自分はその世界を何も想像せずに/できずに無関係のまま脇に追いやっていた/置かれていた世界だからであり、いまもどこかに存在するであろう世界であり、自分が何らかのかたちで関わろうとしている世界だからであり、しかしその世界に自分をどう関係づければよいのか、やはりよくわからない世界だからです。

 このような世界に触れたあとに、“自分がいかに恵まれているかを知った”という感想が持たれることがあります。わたしはその感想を自覚的には持たないし、仮に持ったとしてもそこに留まることができません。しかし、そこからどうすればよいか、やはり具体的にはよくわからないのです。人を「助ける」とは、本当に大変なことだと想像します。“言い訳は無用だ、助ければいい”という考え方にわたしは(あるいはまだ、あるいは至ろうとはしていないのかもしれませんが)至ることができません。


それ以来、親父とは会っていない。親父との別れでは、おれは一方的に傷つけられた子どもだった。傷つけられたと思うのも子どもの特権だ。だけど、おれはいつまでも傷つけられた子どもじゃないんだ。(「ミクマリ」26)

 ばあちゃんに、「バイトに行ってくるよ」と声をかけて、家を出た。ばあちゃんは返事をしないで、テレビの時代劇をじっと見つめていた。
 朝の新聞配達、夜のコンビニバイト。その間にぼくは学校に通う。〔略〕ばあちゃんの年金と母親がたまにもってくる数枚の一万円札、そして、ぼくのバイト代だけが、ぼくとばあちゃんを支える生活費のすべてだ。
 ぼくはさっき抱えて上がってきた自転車を再び抱えて一階に下りた。一階の部屋のドアの前で、ちあき、という名前の小学生の女の子が裸足のまま立っていた。左のほっぺたが赤く腫れている。ちあきの父親はこの団地には掃いて捨てるほどいる、昼間から大量のアルコールを飲む大人で、夕方になると子どもに暴力をふるう。殴ったり、蹴ったりの合間に、その親父が名前を大声で叫ぶので、ぼくもその子の名前を覚えてしまった。
「ぶたれたの?」
 声をかけたけれど、女の子は返事をしない。〔略〕ちあきの足は薄汚れていて、足の先にはほとんど爪がなかった。多分、はらがすいているときにかじったんだ。ぼくも経験がある。
(「セイタカアワダチソウの空」176-7)

後ろを振り返ると、火葬場の細い煙突の後ろに、ぼくが住む灰色の団地群が見える。団地の子。ここに住む子どもたちは、街の人たちにそう呼ばれる。貧困とか、生活保護とか、アルコール依存症とか、幼児虐待とか。自己破産とか、自殺とか、一家心中とか。街の人たちが眉をひそめて語るような出来事が、この団地の日常だ。(「セイタカアワダチソウの空」177)

ぼくは両手をこすりながら、ガードレールに腰かけて街を見下ろした。信号や街灯や家の灯りや、走る車のライトが見えた。ぼくがいるこの場所からは別の世界のように見えた。川のそばの家でふとんにくるまって眠りこける斉藤や、駅前の高級マンションに住む田岡さんのことを思った。冷たい夜風に吹かれている自分と、二人との距離の遠さを思うと、ぼくのなかにちくちくとした感情がわき起こってきた。すきま風の入ってこない温かな部屋でも、一日三度誰かが用意してくれる食事でも、なんでもよかった。ぼくは何かに守ってほしかった。(「セイタカアワダチソウの空」205)

「こういう言い方をするといやらしいけどさ、おれが相手にしてきた予備校の生徒って、子どもをいい大学に入れるためには、いくらだって金を使うっていう家の子どもが多いのよ。だけど、おれ、なんか、そういうの、心の底からいやになっちゃってさ。生まれつき有利なやつに加担してるみたいで。つまり、そういう家の子じゃない子の成績を伸ばしてみたいと思ったの。できるだけお金をかけずにね
あたしたちみたいな貧乏な子どものために?」あくつがアイスクリームのスプーンを口に入れながら言った。
「……勉強の時間や機会が著しく限られている子どもに、と大人らしく言いたいところだけど、ストレートに言うとそうかもしれない」
(「セイタカアワダチソウの空」217)

 自然、自然、自然。ここにやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともにのみこむ。彼女たちが口にする自然、という言葉の軽さや弱さに、どうしようもない違和感を抱きながら、私はその気持ちを言葉に表すことができない。乱暴に言うなら、自然に産む覚悟をすることは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ。彼女たちが抱く、自然という言葉のイメージ。オーガニックコットンのような、ふわふわでやわらかく、はかないもの。それも間違ってはいないのだろうけれど、自然分娩でも、高度な医療機器に囲まれていても、お産には、温かい肉が裂け、熱い血が噴き出すような出来事もある。(「花粉・受粉」262)

助産師という仕事をしていると、自然分娩に強いこだわりがあるように思われるのだけれど、本当のことをいえば、母親と赤んぼうが無事ならば、自然分娩だろうと、無痛分娩だろうと、どんな方法だってかまわない。一人でも多くの子どもを取り上げることを自分の手柄のようにはしたくないし、お産で起こったトラブルを押しつけ合うような真似もしたくない。毎日、眠らず、休まず、体と心をすりつぶすようにしてお産にかかわっているのは医者も助産師も同じだ。どんなに力を尽くしても、それでも助産師として手に負えない事態は起こる。そんなとき、医師の力を借りて、母親と子どもの命を守ってほしいと、そう思うことは間違っていることだろうか。(「花粉・受粉」268-9)

寿命だから、運命だから、仕方がないのだ、とリウ先生以外の人にも言われたことがある。あの子たちはほんの短い日数で自分の人生を全うしたのだと。でも、もし本当に寿命や運命だとして、なんだって子どもたちは、そんなに短い人生を過ごすために、この世に生まれてくるのか、その意味を私にもわかるように教えてほしかった。全身を震わせて小さな棺にとりすがるようにして泣く若い親の姿を見るたびに、そう思った。どんな宗教も、前世が、生まれ変わりが、というオカルティックな話にも、私は納得できなかった。誰でもいいから、あぁ、あの子たちの短い人生にはそういう意味があったんですか、と私を納得させてほしかった。(「花粉・受粉」281-2)

「あたしっ、なんか、卓巳くん大丈夫なような気がしてきました」
「えっ」
あたしのおなか見て、のっちー冷やしたらだめだぞ、って」と言いながら、野村先生の目から涙がぽろぽろとこぼれた。その顔を見て、私の目にもあっという間に涙がたまった。薄暗い廊下に立ったまま、野村先生と二人、声をあげて泣き続けた。
(「花粉・受粉」288)

 リウ先生が白い歯を見せて笑い、すっと息を吸うと、まるで呪文を唱えるように言った。悪い出来事もなかなか手放せないのならずっと抱えていればいいんですそうすれば、
「オセロの駒がひっくり返るように反転するときがきますよ。いつかね」
(「花粉・受粉」296)


@研究室
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by no828 | 2015-07-22 19:01 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 07月 19日

餃子の街で餃子を食べない

 1ヵ月と少し前、餃子の街で学会大会がありました。毎年発表している学会であり、今年も発表しました。大会に合わせて、というか、大会を使って、研究の度合を深めるということをしています。しかしそれは逆に言えば、発表しなくてもよいと言えばよいわけです。どうしてもこれを発表したい、というものではないからです。そういうものがあれば、学会発表ではなく、論文投稿、あるいは何らかの原稿執筆を採ります。論文投稿は学会発表をしなければできないものではありません。

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 論文ないし原稿のほうへ行きたいのは、20,000字程度の分量が確保できるからです。学会発表は20分。字数にすれば約8,000字です。20分で発表できることは限られています。海外の子どもや学校や教科書の写真をスライドに載せることを主とするならそれでも十分な時間かもしれませんが、結論はもちろんそこに至る思考の過程・展開を含めて提示したい場合、20分では足りないという実感があります。しかし、「思考の過程・展開」をとくに重要視する別の学会でも発表時間は20分であり、それを受けた10分間の質疑応答も同じです。その別の学会では発表したことがまだありませんが、フロアにいるひとりとして、発表とその後のやりとりに大きな不足を感じたことはありません。わたしは発表する場を違えているのかもしれません。

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 今回のわたしの発表に対し、内在的な理解のうえに立った内在的な批判・提案もいただきました。それはありがたく頂戴します。攻撃的な物言いのなかに含まれていた重要な点もありがたく受け取りました。しかし、こちらの意図が裏目に出た感触がとても強く残る発表となりました。餃子を食べられなかったのはその痛手のせいです。ラー油が沁みるのです。

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 裏目その1は、実践との関わりに言及したことです。研究を仮に“理論的”と“実践的”の2つに分けるとするなら、この分野は実践先行型です。「研究者」のなかにも実践経験者、あるいは実践との2足の草鞋の人がいます。わたしはそうではありません。理論的にも言えることがあり、それと実践とをつなげればよいと意図し、そういう発言を盛り込んだところ「変な色気を出した」と言われました。これからは、というか、これからも、抽象的に・論理的に詰められるところを詰めることに一層精進しようと思いました。そこを詰めきれたあとにつながれるならつながり、つながれないならつながらなくていいと思うことにします。こちらも向こうも互いに詰めきれればつながれるという気がします。

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 裏目その2は、自分を消そうとしたことです。学問において自分の考えを述べたいとき、自分の考えだけを述べていたのでは伝わらず、あるいはそれは端的に認められず、従来の蓄積に依拠しながら述べていくスタイルがひとつの常道かと思います。たとえば自分の考えに近い人の考え方(理論枠組み)に依拠しながら事柄を分析し、場合によってはその分析によってその考え方を修正する・更新するといったことです。そのなかで自分の考えすべてを述べきれないこともあります。「従来の蓄積」という“制約”があるからです。“……と言いたい”のではなく“……と言わざるをえない”わけです。

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 しかしこれをすると、“おまえは何様だ”と言われることがあります。“おまえは「自分の考えに近い人」ではないのだからその人を代表することはできない”と言われることがあります。たしかにそうだけれどもしかしそれをしないといけないのではないか。とくに自分の理論枠組みを作りながら壊しながら作りつつある段階——がずっと続くのだと思うけれども——においては、誰かの理論枠組みに依拠することはあってよいと考えます。“おまえの言いたいことを別の誰かを使って主張するな、結局それはその誰かが言いたいことではなくおまえの言いたいことにすぎない”ということでしょうか。では、自分の考えだけを述べていったほうが伝わりやすいのでしょうか。そのほうが、あるいはそれはそれで“おまえは何様だ”と言われるのではないでしょうか。自分の考えに注や文献注を付していけばよいのでしょうか。それ“も”学問なのでしょうか。わたしは「学問」を捉え損ねているのかもしれません。

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 自分をどの程度出すのか、既出の理論とどう関係づけるのか(自分をどのように消すのか)、といったバランスが身体感覚的にいまだによくわかりません。“自分を出さないようにする”というのが基本かと思い、そのように取り組んできました。もちろんそれでも自分は出てしまうわけですが、基本は出さないようにすることだと捉えてきました。しかしそうではないのかもしれません。“ストッパーを外せ”というのは、そういうことなのかもしれない。今回「ロールズが『正義論』でやったみたいに一般論で抽象的に詰めていったら?」ともアドバイスされまして、それをやるには時間がかかり、それこそ学会発表20分にはなじまないのではないかと思いますが、それはやってみたい事柄ではあるのです。博士論文でもできなかったそこをきちんと詰めきることがわたしの本当の課題なのかもしれない。

@研究室
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by no828 | 2015-07-19 14:51 | 日日 | Comments(0)
2015年 07月 17日

絶対に忘れちゃダメだぜ。怒りを忘れちゃ絶対にダメだぜ——向井万起男『謎の1セント硬貨』

c0131823_1941638.jpg向井万起男『謎の1セント硬貨——真実は細部に宿る in USA』講談社(講談社文庫)、2012年。96(919)


 単行本は2009年に同社
 版元

 昨日は『100万回生きたねこ』の著者で、今日は“100万回起きた男”。もう少しです → 


 アメリカを旅しながら現地の人に質問し、メールでも質問して明らかにしたアメリカの「真実」。大リーグが大好きな著者は『君について行こう』を書いた人でもあって、タイトルの「君」というのは宇宙飛行士の向井千秋です。

 ルイジアナ州知事をも務めたヒューイ・ロングという人物に興味を持った著者は州都バトン・ルージュに立ち寄ります。バトン・ルージュは、1992年、現地に留学していた高校生の服部剛丈さんが射殺された場所であると付記されていました(291)。

 最初の引用は、いまの日本そしてアメリカの状況を思考する際の皮肉な補助線としても読めます。民の国アメリカ、憲法の国アメリカ。彼の地で演説した首相が「一番大事」なのは何で、「一番大事」でないのは何でしょうか。そして、そのような首相を承認する彼の地の政治家の多くとは何なのでしょうか。


 ついでに言っておくと、建国の父たちが作成したアメリカ合衆国憲法オリジナルでは、冒頭の言葉は“We the People”となっている。わざわざPeopleのPを大文字で書いているのだ。国民が一番大事なのだという意味を込めて。(55)

 第二次世界大戦の時、アメリカは日系人を敵性外国人として扱い、強制収容所に入れた。国籍が日本のままの日系移民も、アメリカ市民権を得ていた日系人もだ。アメリカの歴史の汚点として有名な事実だ。〔略〕
 女房は静かな低い声でシティ・マネージャーに訊ねた。
「それは、コンセントレーション・キャンプのことですか?」
「そういう言い方もありますね」
 私たちが聞き取れなかったシティ・マネージャーの“イン……キャンプ”は、インターンメント・キャンプという言葉だった。
 コンセントレーション・キャンプ(concentration camp)とインターンメント・キャンプ(internment camp)は微妙に意味が違う。しかし、どっちの言葉を使おうが、ようするに強制的に収容したことに変わりはない。
(89-90)

オレは君たちが将来きちんとした大人になって、きちんとした仕事に就くことを願っているよ。モビール市の博物館で真面目に働いて入場者を数えていた黒人青年のようにだ。黒人が白人たちの中で真面目に生きていこうとすると、あの博物館の黒人青年のように怒りを抱きながら生きていくことになるのかもしれない。でも、怒りを抱くことは決して悪いことじゃないよ。いや、怒りを忘れたらダメなのかもしれないくらいだ。(145)

 ……トゥールミンビルは6年前とはヤケに違って優しい雰囲気だったけど、やっぱり黒人だけの街だったなぁ。街中にいた黒人以外の人間は、やっぱりオレたち夫婦だけだったもんなぁ。
 ……オレに2ドルしか要求しなかった黒い革ジャンの少年たちは、今、どこで何をしているんだろう? なぁ、君たち、どこで何をしていても、絶対に忘れちゃダメだぜ。怒りを忘れちゃ絶対にダメだぜ。
(148)

 ようするに、高速道路が無料だと、私たちの行動や選択の幅が広がるのだ。そして、高速道路沿いに経済圏が市場原理に基づいてできあがり、雇用が生まれたりする。有料だと、私たちは誰かさんが勝手に決めた通りに行動するしかないし、高速道路はただの道路のままで終わり、高速道路沿いに経済圏や雇用がドンドン生まれるなどということはない。(153)

「マクドナルドは、店で何も買わない人でもトイレを使って構わないという非常に心優しい方針を実践しているんだ。でもさ、よくよく考えてみると、それも当然なんだよな。だって、アメリカじゃ誰もがマクドナルドで食事してんだぜ。ということは、誰かがどこかのマクドナルドで排泄するってことは、ソイツがその前に他のマクドナルドで食った物を排泄するってことにすぎないわけだよ。となりゃ、マクドナルドの方針は当然だと思わないか?」(251)

 でも、こういう問題は、所詮、よそ様の問題かもしれない。よそ様が喜び誇りにしていることをとやかく言うべきではないのかもしれない。人が好きでしていることにはとやかく言わずに目をつむることが文化的多様性というものを許容するための第一歩かもしれないし。
 今は他の国々の物真似という感じがしないでもないアメリカの文化的多様性だが、それがこれからどういう変化を遂げていくか見守っていくべきなのかもしれない。
(344)

 最後に、アメリカ本を書いた者としてハッキリ言明しておきたいことがある。私は親米派ということだ。アメリカには欠点が実に多い。それでも、私は親米派だ。アメリカという国には欠点を是正しようと勇気を持って立ち上がる人が絶えずいるから。(364. 文庫版あとがき)

 日本にもいますが、しかしそこには振る舞いの違いがあります。星条旗を持ってアメリカ政府を批判する人びとがアメリカには普通にいますが、日本でそのようなことはまずありません。現在まずは“真正右翼”の人びとが行なうべきは、それ、なのではないかと思います。

@研究室
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by no828 | 2015-07-17 19:54 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 07月 16日

経験がないから、想像力というものが無いのである——佐野洋子『私はそうは思わない』

c0131823_203028.jpg佐野洋子『私はそうは思わない』筑摩書房(ちくま文庫)、1996年。95(918)


 単行本は1987年に同書房
 版元

 そろそろ終わるとは思う → 


『100万回生きたねこ』が有名な著者のエッセイ。一般の本の「まえがき」には「「まえがき」のかわりの自問自答」と題されたものが配されていて、質問とそれに対する少し長めの回答が書かれています。

 1番長い引用は、1番考えさせられたというか、自分のバングラデシュでの体験と重ねられ、改めて考えさせられたところです。考えて、それで自分はどうしたいのか、考えるだけなのか、そういうことも考えました。答えを出せ、と言われるなかで、答えを出せない、答えを出さない、というところに踏みとどまることも正直なかなか疲れますが、それ以外にないように考えられるので、いまは何とかそこにいます。

 経験がなくても想像力は育めると思っていました。しかし本書には「経験がないから、想像力というものが無い」という文章があって、たとえば純粋な知識の入手は経験なのかなど、「経験」という言葉にどこまで詰め込むかにもよりますが、はっとさせられたというか、“そうかもしれない”と思わされたところがあります。

 純粋な知識の入手もまた経験に数えるなら、それを入手させる行為としても教育はあり、教育とはだから子どもを辛い気持ちにさせることでもあるということです。しかし、こうではない世界の提示でもある教育がなければ、子どもは現状をそれ以外にはありえない世界としてただただ受容する以外になく、それでよいのかとわたしは思ってしまいますが、だからどんどん教育をとも思いません。


◆子供のころいちばん悲しかったことはなんですか
「悲しい」って名前をつけた感情は、「悲しい」だけで出来ていないって思うわけで、私は一心同体みたいに異常に仲が良かった兄が居て、兄は私が十歳の時死んだのね。だけどそれは「悲しい」だけではないわけでね。きっともっと言い現〔ママ〕わせないものだと思うけど、それを「とても深い悲しさ」って言っても「いちばん大きな悲しさ」でも違うのね。
(11)

 彼女の高校時代の女友達のグループは週二回の当番制をきめて、看病にあたっていた。私たちは貧乏だった。彼女も私と同じ様に貯えなどなかったにちがいない。しかし、何千万の貯えより、いざという時に手を握り続けてくれる女友だちが沢山いる事の方がどんなに心強いことだろう(30)

 今私が人生最悪の時であったとしても最悪であるがために最良であると思う。(103)

 小学校一年の夏、大連で終戦を迎えた私は、今考えると、私も又ずい分過酷な子供時代を過ごして来たと、思う。
 終戦後の一年半程は一日も学校へ行かなかった。両親はその日その日の食べ物を手に入れることが精いっぱいだった。
 こうりゃんとふすまと豆かすを食べていた。しかし、子供の時、私達はそれをつらいとか悲しいとか、もっとおいしいものを食べたいとか思わなかった。そういうものだと思っていた。経験がないから、想像力というものが無いのである。明日の運命を不安に感じることもなかった。〔略〕
 両親を失った子供達が、街で浮浪児になって、夜おそく、道に面した窓ガラスに顔をぴったりくっつけて、家の中をのぞき込んでいる事があった。その時、感じた心臓がちぢみ上がる様な怒怖があの混乱の一年半の中で一番鮮烈であった。私はふとんの中で、窓ガラスに顔をくっつけていた十歳か十一歳くらいの子供を思い出すと、体が固くなって動かなくなった。
 どこで寝るのだろう。この寒い暗い街の中でこわくはないのだろうか。たった一人で、くしゃくしゃの紙の中にどこからかもらって来たトウモロコシのパンを二個みせて、笑っていた。あれを食べちゃったらどうするのだろう。あの男の子が泣いているのではなく私達に向かって笑っていた事が私の心臓を固くした。
 しかし、人間とは厚かましい程自分勝手である。私は自分があの子と同じ運命に陥るとは考えないのである。私は兄があの子と同じになったらどうしよう、弟がそうなったらどうしようと思って、ふとんの中で泣いた。兄があの子と同じになった様子はすぐ目にうかぶ、自分の様子は思いうかばないのである。
 しかし、あのガラス窓一枚をへだてていたものが、ほんとうにガラス窓一枚の「運」だけであった事に今恐怖におそわれる。
 何故、あの子は雪の降った暗い街に立ち、何故私はストーブのある家の中に居られたのか。

 そこで生きのびた五歳の弟は、日本へ帰ってすぐ死んだ。次の年には兄が死んだ。
 何故、私でなく、弟が、兄が死んだのか。
(142-4)

 白目をむいて、「僕はそうは思わない」という育てにくい息子や娘たちの、僕はそうは思わないを大事にするより外ないのかなあと思う。(157)

 同じ行為が受け手によって全く違う意味を持つのだ。さらりと流せる人間もいる。こだわり続ける人間もいる。こだわり続けることで自分を創る人もいれば、流すことで生き続ける人もいる。私たちは教師によって育てられたのではない。自分で生きて来たのだ。それぞれの力で、それぞれの魂をもって。
「キャー汚い」と教師に言われたあの子もきっとどこかで生き続けている。
一生忘れない傷を抱えつづ〔ママ〕けているか、ケロリと流して子育てをしているか、私にはわからない。そのどちらでもないかも知れない。
(160)

 理想の子どもなんか一人もいないように、理想の教師なんてのもいない。思い通りになんかならないのだ。お互いさまなのだ。
 生涯の導き手になるような教師に出会えたら幸運である。しかし出会えなくても不運ともいえないのである。
 あん畜生のようにはなりたくねえと思わせる事が出来るのも人間だからである。
 それぞれが自分の中に生き続ける力を持っている。それぞれの異なった魂が生き続けるのだ。
(161)

 家の中で母親と近所の小母さんが泣いていた。泣きながら母親は「戦争は終ったのよ」と言った。「勝ったの?」私は聞いた。「終ったのよ」「負けたの?」「終ったのよ」
 その日校庭で聞いた天皇陛下の声はザーザーという音ばかりで鉄板に砂を流しているみたいだった。私には何もわからなかった。
 ただ極上の天気で空が真青だった。
(176)

 私はくしゃくしゃの赤ん坊を見た。見たこともないかわいい赤ん坊だと思った。小さな手に小さな小さな爪がちゃんとついていた。どうやってこれを作ったんだろう。学校の時あんなデッサンが下手ですぐデフォルメしてしまう私が、どうしてこんなに精巧な爪をと、くんくんかいで見た。こんないい匂いかいだことがない。初めておっぱいを飲ませた。赤ん坊は巨大な私のおっぱいに必死に小さい口をあてて吸いついて来た。健気で不憫でいとおしかった。私が泪がだらだら流れて来た。どんなことをしても私はこの小さなものを守らなければならぬ、と思った。そして突然、この子が八十になった時、その孤独を誰が慰めるのかと考えた。私は生まれたばかりの赤ん坊にお乳をやりながらその子の八十の孤独のために泣いた。(190-1)

 川上未映子の『きみは赤ちゃん』が非常に強く想起されました。そして、佐野と川上の感受性の相似を思いました。

 非常に貧しい食生活はそのあとの数年間だった。多分母の生涯の中ではその数年間は異常な時期だったのだろう、しかし、私にはその異常な貧しい食生活が正常で、そのあとの次第に豊かになった食生活の方が異常なのだと体にしみついているのである。私はすこしぜいたくでおいしいものを食べる時、居ごこちの悪い罪の意識をふりはらうことが出来ない。そして人が生きるということはどうにかこうにかやっと食うという事だと、それが正常だと思うのである。私は貧しさのあとの繁栄の時代を長々と生きて来ているのにそれが信じられない。(221)

 すごく共感します。わたしもまた、幼い頃に祖父母や父から戦時中や敗戦直後の食事情を聞かされて育ち、“食べられるだけでよい”という感覚が基本にあります。だから高くておいしいものを食べることの積極的な意義がよくわかりませんし、食べるときには罪悪感を少し覚えます。

@研究室
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by no828 | 2015-07-16 20:20 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 07月 09日

いわゆる業界の人が呼ぶとたぶんフーコー

 K府に来て3ヵ月となりました。積み重なったパンダの段ボールは残り1ケタとなり、この1ケタの段ボールが片づかないのは、研究室の本棚が足りないからです。既存の本棚への並べ方に工夫の余地が残されているかもしれませんが、どうやら研究費で本棚を買う必要がありそうです。研究室内の机などの物の配置も改善が必要と思われます。うまく馴染んでいない。

 そもそも研究室が暗くて狭い、というか、研究室のある建物自体が暗いです。この大学はキャンパスが2つあって、全体的に白い“向こう”のことはわからないのですが、こちらは図書館と体育館を除いた建物はABC3棟で、うちAB2棟は新しく、C1棟は古く、ご賢察のとおり、その古いCにわたしはおります。このAB対Cには、研究室の明るさ・広さの格差のほか、トイレの設備にも寛容になれない格差があります(ABは洋式、ウォシュレット付き。Cは和式のみ、ウォシュレットは当然なし、そしてなぜかサンダルに履き替えなければならない作りになっています。さあCのみなさん、シュプレヒコールを)。

 とはいえ、個人研究室が1部屋与えられているだけでありがたいと思わなければならないのかもしれません。また、暗いからというのもあると思うのですが、ABに比して学生の往来も少なく、だから基本的に静かであって、その点はよいと思っています。ただ、それによって寂寞とした雰囲気が濃厚にもたらされ、暗さが一層際立ってもいます。

 今年度前期は非常勤の講義が多く、落ち着いた生活をまだ送れていませんが、コーヒー豆を調達できるお店を探して試してみたりもしています。とりあえず前期の通いの講義が終わるまではと、何とか踏ん張っています。試験まで終わったら今度は500人分の採点が待っているわけですが(あ、中間レポートの採点……)、まずは残り約1ヵ月の移動講義をがんばりましょう。

 以下、いつかのフーコー、いくつかのフーコーです。


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@研究室
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by no828 | 2015-07-09 19:39 | 日日 | Comments(0)
2015年 07月 09日

いなくてもいいと思う人はいるだろう。だが失っていいと——似鳥鶏『さよならの次にくる(新学期編)』

c0131823_18253123.jpgc0131823_18254613.jpg似鳥鶏『さよならの次にくる(新学期編)』東京創元社(創元推理文庫)、2009年。94(917)

 似鳥鶏『さよならの次にくる(卒業式編)』東京創元社(創元推理文庫)、2009年。93(916)
からの引用はなし。

 いずれも文庫オリジナル
 
 版元 卒業式編
    新学期編

 さよならの次にくるの次にくるのはわたしはそうは思わない → 


 学園ミステリ。軽快。『理由あって冬に出る』の続編でもあるようです。

 2番目に引用した文章に貫かれた感覚となりました。


「お会いになりませんか?」
 この言葉を言うべきかどうか、悩まなかったわけではない。唐沢アグネス直美はどういう理由で伊神さんを「育てられなかった」のか。僕はそれを全く知らないからだ。もしかしたらそれはひどく身勝手な理由であり、彼女はただの無責任な人間なのかもしれない、とも思った。もしそんな人であるのなら、人の子の親として名乗り出てほしくなどなかった。
 だが、今の彼女を見て分かったのだ。無責任な人間は、そもそも悩まない。
 ……こんな悲しい顔を、しない。
(284)

 僕は去り際に、進むさんに訊いた。
「……子供、って、そんなに欲しいものですか」
 進さんはちょっと考えてから、言った。
いなくてもいいと思う人はいるだろう。だが失っていいと思う人はいない
(298)


@研究室
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by no828 | 2015-07-09 18:34 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 07月 03日

放り出すかどうか、僕が決めなきゃいけないのか?——似鳥鶏『理由あって冬に出る』

c0131823_18501543.jpg似鳥鶏『理由あって冬に出る』東京創元社(創元推理文庫)、2007年。92(915)


 文庫オリジナル|タイトルの読みは「わけあって」
 版元

 理由あって終わらない → 

 
 ミステリ。うまいタイトルだと思いました。要するに、幽霊が冬に出るのには理由がある、ということです。

 舞台は高校、学校です。手に取った理由はそれです。

 2番目の引用には非常に共感しました。“決めさせる”ことの暴力性のようなものを教育の関わりで考えます。

 3番目の引用からは、そこまでは思えないという感覚がわたしにはある、ということを自覚させられました。そして、わたしは何のために書くのか、ということを改めて考えました。わたしのなかには“研究する(考える)”と“書く”とのあいだに、まだ(?)距離があるような気がします。そこはイコールではない。何のために書くのか、という問いが問いの重なりの先端というか原初ではなく、先端というか原初はおそらく、何のために考えるのか、であって、その答えは、納得したいから、で、納得するための論理を整理して積み上げるために書くのだ、ということになり、そのあとに、誰かが肯んじてくれたら嬉しい、という感覚が来るように思われます。しかし、誰かが肯んじてくれたら嬉しい、は、わたしのなかでもきっと不可欠なもので、なぜならそれがなければそもそも公表自体をしないから。書いたものを公表してきたし、これからもするであろうわたしは、誰かが肯んじてくれたら嬉しい、を“望外”の歓喜に位置づけることもできないでしょう。

 ——わたしは自分の納得の過程を誰かと共有したい、ということなのかもしれません。


「ノリがいいんだよね。昔から」その遺伝子は確実に受け継がれているようだ。柳瀬さんは笑ってベッドから降り、カーディガンを羽織った。「病弱な演技、試してみたんだけど駄目だったなあ」
 不謹慎な話だ。「小さい頃から病気持ってる人はもっとタフですよ。あんな悲愴にならないであっけらかんとしているものです
(144)

 それで僕は動けなくなった。どう答えたらいいのか分からない。……ミノは間違ったことをしているだろうか? 僕にミノを止めるべき理由が何かあるのだろうか? 僕が断ったら、そのホームレスは寒空の下に放り出されるのか? 放り出すかどうか、僕が決めなきゃいけないのか?
 常識から考えれば、素性の知れない部外者を学校内に住まわせることなどできるわけがない。じゃあ、その「常識」の根拠は何だ? 常識っていうのは、寝る場所のない人間を一人、叩き出していいか分からない。

 しかし、伊神さんが言った。「三野君、それはだめだよ。その人には出て行って貰おう。その人、もう元気になったんだろう?」
「でも、」
「君がその人を助けたいのは分かるし、君の行動も結果としては正しかったかもしれない。でもね、芸術棟に住んでいるのは君だけじゃないだろう? 君は独断していい立場じゃないんだよ」
「伊神さん、住んでないですよ」
 伊神さんは僕のつっこみに構わずに続ける。「決めるのは君一人。なのに何か起こった時のリスクは他の人も負う。そうはいかないだろう?」
 ミノは聞かずに返す。「伊神さんじゃなくて、葉山に頼んでんすよ」
「それが一番良くないぞ」伊神さんの声が強くなった。「……葉山君に頼む、っていうのは禁じ手だろ? 君に鍵を貸せば、葉山君も共犯だ。その人を住まわせておいて、何か問題が起こったらどうする? 実は仲間がいるとか言われたらどうする? その責任は葉山君が半分、背負わされることになるぞ。なのに君の責任は半分になる。じゃあ葉山君が断ったら? そうしたら葉山君は、今度はその人を叩き出した責任を負うことになる。なのに君はなんとなく責任を免れる。君のしていることはそういうことだぞ。葉山君は僕と違って優しくて常識人だ。どれだけ悩むかぐらい分かるだろう? 友達なら、そこを考えてあげないとだめだ」
(223-4)

 書くことの楽しさは読んでもらう楽しさ、自分が書いたものをいつか誰かが読んでくれるだろう、という嬉しさにあります。まあミステリの場合、書く楽しさの中には「ひひひ。きっと読んだやつはここで騙されるぞ」といういささかタチの悪い楽しさも含まれているのですがそれは今は措いておきまして、とにかくこの文章だって、きっと見知らぬ誰かが読んでくれる、そう妄想するから楽しく書けるのです。つまり、この楽しさはすべて読者の皆様のお蔭であります。この場を借りまして厚くお礼申し上げます。(249-50. あとがき)


@研究室
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by no828 | 2015-07-03 19:19 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 07月 02日

いい子を演じることに疲れない子どもを作ることが、教育の——平田オリザ『わかりあえないことから』

c0131823_19465663.jpg平田オリザ『わかりあえないことから——コミュニケーション能力とは何か』講談社(講談社現代新書)、2012年。91(914)


 版元

 早く終わらせることから →  


 コミュニケーションとは何か、多文化共生とは何か、といったことが論じられています。その関係で教育にも言及されています。教育とは演じられる人を作ることである——。平野啓一郎の『私とは何か——個人から分人へ』と併せて読むとよいと思いました。『私とは何か』はこのブログにはアップロードしていないようですので(検索しても出てこない。わが事ながら)、『ドーン』へとリンクしておきます。分人を作ることが教育の目的だ、ということになるでしょうか。といったことを共生に関するシンポジウムのアンケートに書いたことがあります(応答はありませんでしたが)。

 教育の冗長性というか、教育は一回的ではないという点も強調されていたように受け取りました。


教育の役割は、社会の要請に応じて、最低限度の生きるためのスキルを子どもたちに身につけさせて世間に送り出すことだからだ。(34)

 私が公教育の世界に入って一番に驚いたのも、実はこの点だった。教師が教えすぎるのだ。もうすぐ子どもたちが、すばらしいアイデアにたどり着こうとする、その直前で、教師が結論を出してしまう。おそらくその方が、教師としては教えた気になれるし、体面も保てるからだろう。(47)

 私は初等教育段階では、「国語」を完全に解体し、「表現」という科目〔演劇、図工、音楽、スピーチ、ダンスなど〕と「ことば」〔文法、発音・発声、英語、韓国語、中国語など〕という科目に分けることを提唱してきた。(59)

一回のワークショップで教えなければならないことなど、何もない(73)

ダブルバインドをダブルバインドとして受け入れ、そこから出発した方がいい。
 だから異文化理解の教育はやはり、「アメリカでエレベーターに乗ったら、『Hi』とか『How are you?』と言っておけ」という程度でいいはずなのだ。
(149)

 社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい。私は、自分が担当する学生たちには、論理的に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人びとの気持ちをくみ取れる人間になってもらいたいと願っている。(183. 傍点省略)

「いい子を演じるのに疲れた」という子どもたちに、「もう演じなくていいんだよ、本当の自分を見つけなさい」と囁くのは、大人の欺瞞に過ぎない。
 いい子を演じることに疲れない子どもを作ることが、教育の目的ではなかったか。あるいは、できることなら、いい子を演じるのを楽しむほどのしたたかな子どもを作りたい。
(220)

 人間は、演じる生き物なのだ。
 進化の過程で私たちの祖先が、社会的役割を演じ分けるという能力を手に入れたのだとするならば、演じることには、必ず、なんらかの快感が伴うはずだ。
 だから、いい子を演じるのを楽しむ、多文化共生のダブルバインドをしたたかに生き抜く子どもを育てていくことは夢物語ではない
(229)


これまでの表現教育というものは、教師が子どもの首を絞めながら、「表現しろ、表現しろ!」と言っているようにしか見えない。そういう教員は、たいていが熱心な先生で、周りも「なんか違うな」と思っていても口出しができない。
 私は、そういう熱心な先生には、そっと後ろから近づいていって肩を叩いて、「いや、まだ、その子は表現したいと思っていませんよ」と言ってあげたいといつも感じる。
(20)

「伝えたい」という気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは、「伝わらない」という経験からしか来ないのではないかと思う。
 いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に不足しているのだ。〔略〕
 おそらく、一番いいのは体験教育だ。〔略〕自分と価値観やライフスタイルの違う「他者」と接触する機会を、シャワーを浴びるように増やしていかなければならない
(25-6)

芸術家は答えを先に知っている。工学者は、それを解析するだけでいい(76. 石黒浩の発言)

「会話」=価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり。
対話」=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその摺りあわせなど。
(95-6)

「対話」は、AとBという異なる二つの論理が摺りあわさり、Cという新しい概念を生み出す。AもBも変わる。まずはじめに、いずれにしても、両者ともに変わるのだということを前提にして話を始める。(103)

 後発の国民国家は、すでに答えの出ている近代国家のシステムを、合理的に、エッセンスだけを模倣しようとする。そこでは、無駄は排除され、スピードだけが要求される。
 冗長性が高く、面倒で、時間のかかる「対話」の言葉の生成は、当然のように置き去りにされた。強いリーダーシップを持った為政者にとっては、「対話」は無駄であり、また脅威でさえあるからだ。
 そうして強い国家、強い軍隊はできたかもしれないが、その結果、異なる価値観や文化を摺りあわせる知的体力が国民の間に醸成されることはなく、やがてそれがファシズムの台頭を招いた
(127-8)

 さて、では、エレベーターの中で見知らぬ人と挨拶をするアメリカ人は、とてもコミュニケーション能力が高くて、私たち日本人はコミュニケーション能力のないダメな民族なのだろうか。私は、どうも、そういう話ではないような気がしている。
 アメリカは、そうせざるをえない社会なのではないか。これは多民族国家の宿命で、自分が相手に対して悪意を持っていない(好意を持っているではなく)ということを、早い段階でわざわざ声や形にして表さないと、人間関係の中で緊張感、ストレスがたまってしまうのだ。一方、本書でも繰り返し書いてきたように、私たち日本人はシマ国・ムラ社会で、比較的のんびり暮らしてきたので、そういうことを声や形にして表すのは野暮だという文化の中で育ってきた。
(144)

 しかし、同じだけタバコを吸っていても癌になる人もいれば、ならない人もいる。遺伝子の研究などがもっと進んでいけば、その説明はもう少しましにはなるのだろうが、やはり究極のところでは、「Why」に答えることは難しい。なぜなら、人間存在それ自体に、理由がないのだから。(180)


@研究室
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by no828 | 2015-07-02 20:05 | 人+本=体 | Comments(4)