思索の森と空の群青

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2015年 08月 30日

共和党を支持するラッパーを見るときのような目つきで僕を見る——村上春樹『シドニー! コアラ純情篇』

c0131823_1638575.jpg村上春樹『シドニー! コアラ純情篇』文藝春秋(文春文庫)、2004年。6(928)


 単行本は2001年に同春秋
 版元


 2000年09-10月シドニー・オリンピック私的現地日記。

 オリンピックに関心があって、ではなく、村上春樹に興味があって、読みました。もちろん、マラソンなど個別の競技への関心はあります。

 はじめの2つの引用は、1996年アトランタの有森裕子に関する文章。


 でも彼女はエゴロワと違って、走りやめたいなんてちらりとも考えなかった。やりかけたことを最後までやりとおすことは、彼女の生き方の一部だった。それがない私は私じゃない。曲がりなりにもやりとおせば、必ず何かが生まれる。やりとおさなければ、何も生まれない。ゼロだ。骨を削ってでも、身をそいででも、前のランナーを追いかけていくのだ。根性? いや、それは根性なんかじゃない。私は私自身のために走っているのだ。私が私自身をすすりながら走っているのだ。(24)

 しかし同時に、メダルなんかどうでもいいという気持ちは根強くあった。私は二度にわたってオリンピックというこの巨大で残酷な肉挽き機に放り込まれ、そのたびに自分の尊厳を賭けて走りぬいたのだ。貴重な達成だった。たかが一枚のメダルで測られてしまってたまるものか。国旗掲揚台に上がる一枚の日の丸で測られてしまってたまるものか。心の底には一貫して、そのような怒りにも似た気持ちがあった。(25)

 河野〔匡 大塚製薬陸上チーム監督〕自身はフルマラソンを走った経験はない。筑波大学四年生のときにアジア大会の三千メートル障害で優勝したが、その直後に箱根駅伝を走ってアキレス腱を傷め、オリンピック代表にはなれなかった。だからマラソン選手を説得するために、自分自身の経験を持ち出すことはできない。理論と熱意を武器にしていくしかないのだ。弁は立つ。しかし、かといって、人間的に冷たいところはない。長く話していると、この人は基本的には人情派なんだなと思わせられる。人間関係の中に過度にのめりこんでしまうのがつらいから、逆に理論を表に立てていくという面があるのかもしれない。(43)

「でも結婚してよかったと思いますよ。独身時代はなにしろ部屋が無茶苦茶に汚かったから。あいつ〔犬伏孝行〕には誰か面倒をみてくれる人が必要なんです。それから家族を大事にするやつだしね。子供も好きだし」
 そこで言葉を切って、少し考える。そしてつけ加える。
「でも子供を可愛がるというのとは、ちょっと違うんです。なんと言えばいいんだろう? 子供にかまう、という方が近いかな
 かまう?
「うちにも子供がいるんですが、犬伏はとにかくかまうんです。子供が好きなことは確かなんだけど、可愛がるというのとはちょっと違うな。かまうんです」
(48-9. 傍点省略)

「経済のグローバル化は、世界全体の資本主義化である」という主張は、まあ筋の通った主張みたいだけれど、それに対してデモをかけるのは、台風に向かって扇風機をまわすようなものだろうな、という気がする。(86)

しかしビールというのは、一人で飲んでいても、クールな感じがまるでしない飲み物だ。ウォッカ・ギムレットとは違う。ただ「一人で飲んでるな」というだけのこと。(96)

 このようなナチュラルな愛国心の高揚は、たぶん主催者(としての国家)の目論見どおりの展開だろう。オーストラリアは成立過程からして、国家としてのアイデンティティーを抱きにくい位置にあった。そもそも囚人の流刑地として出発し、長いあいだにわたって「白豪主義」を謳歌し、先住民アボリジニーを無視し抑圧してきたという歴史的な後ろめたさも抱えている。だからこのオリンピックを境に、ポジティブな明るいイメージを掲げて、二十一世紀に向けて新しいスタートを切りたいという強い国家的意思がある。
 気持ちはよくわかる。しかしそのような政治的な意識や思惑があまりにも前に出すぎていて、我々外国人の目から見ると、田舎芝居みたいでいささかうっとうしい。何もそこまでやらなくてもいいのにと思う。
(125)

 ホテルのコンシエルジュに島への行き方を訊いてみる。
「それでノース・ストラドブローク・アイランド(地元の人々は例によって短く略して“ストラッディ”と呼ぶ。言葉の簡略化はこの国の人々の集団的オブセッションだ)に何しに行くんですか。知り合いでも住んでいるんですか?」
「いや、知り合いは住んでないです」
「じゃあどなたかとそこで待ち合わせておられるんですか?」
「いや、待ち合わせもしていないです」
「それでは何しに行くんですか?」
気持ちのよい午後をビーチで過ごしに」と僕は言う。
 コンシエルジュの顔がかすかに曇る。共和党を支持するラッパーを見るときのような目つきで僕を見る。
(193)

戦後ずいぶん歳月が経ったから、日の丸を見て、第二次大戦のときのダーウィン爆撃を思い出すオーストラリア人も少ないだろうし、それはべつにいいんだけど、しかしこの若者たちは、ダーウィンを日本軍が爆撃した事実なんてきっと知らないんだろうな。「えー、日本って、オーストラリアと戦争とかしたんっすか? ずいぶん遠くまで来たんっすね」なんてことにならないといいんだけどね。(202)

 メダルを取った三人は、ゴールの先の方でしっかりと抱き合う。敵も味方もない。凝縮された瞬間の連続はここで終わったのだ。もうそれについてしばらくは考える必要はないのだ。身体の芯のあたりからじわじわと喜びがにじみ出てきて、そのまま全身を包んでいく。肌が泡立ち、心臓が膨らみ、のどがからからになる。僕らはそのような推移を鮮やかに目の前にすることができる。やがて(マリオンの場合と同じように)涙の奔流がやってくるかもしれない。
 不思議なことだけど、百メートルのランそのものを目撃しているときより、そのあとに選手たちがくぐり抜ける一連の儀式を見ているときの方が、人の身体性の純粋な輝きのようなものを、僕らは体感することができる。
 百メートルの走りを現場で見ていると、速いのか速くないのか、正直言ってわからない。〔略〕
 しかしすべてが終わったとき、アスリートたちの表情や動作から、その虚脱感や、バケツの底を突き破ったような歓喜から、彼らがいかに速く走ったのかということが、ようやく僕らにも飲み込める。そして感動のようなものがじわりとやってくる。これはなんというか、そう、一種宗教的だ。啓示的だ。
(248-9. 傍点省略)


@研究室
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by no828 | 2015-08-30 16:45 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 08月 29日

「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。この二つだけ——近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』

c0131823_15554239.jpg近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』サンマーク出版、2011年。5(927)


 版元


 気にはなっていた本。ベストセラーは、熱が冷めてから読みます。

 片づけの基本的な考え方は、“まず種類ごとに集める、捨てる、そして一気に完璧に片づける” 。捨てるときの判断規準は、「触ったときに、ときめくか」(62)。触ってときめかないものは感謝して捨てましょう。

 この本は片づけの方法を説明したものではありますが、やはり片づけは「方法」なのであって、その目的は別にあるのだということをもこの本では強調しています。よりよく生きるための方法としての片づけ。

 居住空間の片づけの原理はこれでよいとして、しかし研究室にこれを直接応用するのはなかなか難しいように感じました。“研究者人生がときめく片づけの魔法”が読みたいです。

 考え抜かれたことが書かれていると思いました。以下、本文太字の強調は省略。


片づけをしたことで「過去に片をつけた」から。その結果、人生で何が必要で何がいらないか、何をやるべきで何をやめるべきかが、はっきりとわかるようになるのです。(4)

 私たちが生きているのは「今」です。「過去」がどんなに輝いていたとしても、人は「過去」を生きられるわけではありません。今ときめくことのほうがもっともっと大事だと、私は思います。(154)

 空間は過去の自分ではなく、未来の自分のために使うべき(162)

本当に大事なのはその人自身の生活に対する意識や考え方であり、「何に囲まれて生きたいか」というきわめて個人的な価値観(7)

片づけはたんなる手法であって、それ自体が目的ではありません。本当の目的は、片づけたあと、どう生きるかにあるはず(36)

モノを捨てるかどうか見極めること」と「モノの定位置を決めること」。この二つができれば、片づけは誰でも完璧にできるのです。(32)

片づけで必要な作業は「モノを捨てること」と「収納場所を決めること」の二つだけ。大事なのは「『捨てる』が先」の順番だけ。(45)

 ポイントは、一度、完璧な状態を経験してしまうこと。一回でいいので、自分の持ちモノを一つひとつ、捨てるか残すか見極めていく。そして、残すと決めたすべてのモノの定位置を決めてみることです。(48)

 結局、モノを捨てることも、モノを持つことも、「自分が幸せになるため」にすることなのです。とってもあたりまえのことのようですが、このことを今一度、自分で考えて納得して、腹にストンと落ちるようにすることが大切です。(58-9)

買った瞬間にときめかせてくれて、ありがとう」「私に合わないタイプの服を教えてくれて、ありがとう」といって、捨ててあげればいいのです。(87)

「モノをたくさん捨てる」のは、モノを祖末にしているということではありません。押し入れやタンスの奥にしまわれ、その存在すらも忘れ去られてしまったモノたちがはたして大切にされているといえるでしょうか。(88)

 プレゼントの本当の役割って何だと思いますか。
 それは、「受け取ること」。〔略〕
 だから、「受け取った瞬間のときめきをくれて、ありがとう」といって捨ててあげればよいのです。
(148)

「安いときにまとめ買いしたほうがおトク」と思われがちですが、逆です。使うときまでお店で預かってもらう倉庫代だと思えば、値下げした分の料金なんてあまり変わらないと思いませんか。(217)

 しかし結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。この二つだけです。(238)


@研究室
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by no828 | 2015-08-29 16:09 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 08月 27日

少年の謎が解けた

 今月初旬の週末は大学院時代の同期(新郎)の結婚式でO阪へ1泊2日。宿泊先を3週間前くらいに探しはじめたらほどほどのビジネスホテルはどこも満室で、仕方なくRーガロイヤルホテル(の平日昼間工事の影響が及ぶため若干廉価になっていたけれども週末であったため実際は工事無関係の部屋)。O阪駅からはホテルの送迎バス(満席)。

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 K府からO阪へは、以下の経路。
・K府→(C央本線)→S尻(特急Sなの)→N古屋→(新幹線)→S大阪

 この機会に帰りの経路も。乗り換えは少ないけれども、料金が少し上がります。
・S大阪→(新幹線)→S岡→(特急Fじかわ)→K府

 上の写真はS尻駅。T京ないしS横浜を経由すると新幹線特急券分が余計に加わり、料金が高くなります。しかも所要時間はそれほど大きく変わりません。ちなみに、10月にも研究者仲間の結婚式がO阪であります。

 下の写真もS尻駅。いわゆる立ち食い蕎麦のお店の入口があまりにも狭い。しかも中に立てるのは2〜3人が限度(手荷物が入らないから外に置いてある)。ただし、改札を一旦出て、逆側からお店へ入ることができ、そこには6人くらいは立てるカウンターがあり、わたしはそれで蕎麦を食べました。

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 式・披露宴の会場はNんば。ホテルからH後橋駅まで歩き、市営Yつ橋線。会場は“ジェーR”Nんば駅の傍なのですが、“Yつ橋線”Nんば駅からは若干距離があり、しかも経路がよくわからず、配達途中の郵便局員の方に訊ねながら向かいました。暑い。

 下の写真は、式の前日夕暮れ、ホテル近くの橋の上から。なかなかきれいな色合いの空であり、風景でした。ちなみにこのとき、わたしの少し離れた隣には、向こうから歩いてきてわたしとほぼ同じタイミングで同じ方向の写真を撮っている人がいます。わたしの写真が橋の真ん中から少々ずれた位置から撮られているのはそのためです(相手が真ん中を占めた!)。

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 前々日くらいに新郎から「平服で」と連絡があり、いわゆる上下揃ったスーツではなく、シャツ+ネクタイにカジュアルなジャケットを羽織って行ったら、みんなスーツでした。惑わされました(まだ40歳ではないし)。とても暑い。

 式の場所はチャペル(風)ではありましたが、様式は人前でした。新郎の考え方が反映されたものと思われますし、その考え方にはわたしも同意するところがあるでしょう。

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 注:以下、音声に乱れが生じる場合がございます。予めご了承ください。

 新郎と新婦は10歳の年齢の差が(ごにょごにょ)新婦は新郎の元Oえ子であ(ごにょごにょ)新婦が着任(ごにょごにょ)新郎をオリエンテーション(ごにょごにょ)見たときに「かっこいい」と思ったらしく(ごにょごにょ)ゼミ(ごにょごにょ)次第に(ごにょごにょ)というわけでございます。

 失礼しました。

 続報:付き合いはじめたのは新婦が卒業してからだ、という“公式見解”は出ていない模様。

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 新郎の生真面目なところと、新婦の明るいところとが、うまく噛み合っているような印象を非常に強く受けました。また、全体的に、感極まっていたのは新郎のほうであったように見受けられました。新婦もご両親への手紙を読み上げる際に言葉に詰まる場面もありましたが、新郎が“サプライズ”で新婦への手紙を読み上げるときのほうが言葉に詰まっていました。

 新郎は大学院時代よりも明るくなった、というのが席を同じくした同期たちが意見を同じくしたところで、そこには大学院時代はみんなどこか暗かった(研究棟自体が暗かったし)ということがあるにしても、やはり新婦との出会いが大きく深く影響しているのでしょう。

 新郎の高校時代の友人のスピーチも——というより友人その人が——ユニークで、新郎の人となりをよりよく知ることができましたし、新郎のメールアドレスのアカウントがなにゆえにあれであったのかという謎も解けました。スピーチのその件では、同席の同期で思わず顔を見合わせ大きくうなずいたものでした。

 改めて、おめでとう。本当に幸せそうなおふたりでした。

@研究室
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by no828 | 2015-08-27 20:03 | 友人 | Comments(0)
2015年 08月 26日

女の自由を認めることが男の心の広さだと思っていたからだった——村上龍『トパーズ』

c0131823_18494789.jpg村上龍『トパーズ』角川書店(角川文庫)1991年。4(926)


 単行本は1988年に同書店

 版元


 あとがきには「私は、彼女達が捜しているものが、既に失われて二度と戻って来ないものではなく、これからの人類に不可欠でいずれそれは希望に変化するものなのだと、信じている。都市を生きる彼女達が、これからも勇気を持って、戦い続けていくことを、私は願っている」とあります。
「彼女達」とは、「風俗産業に生きる女の子達」(221-2)のことです。


 トウルは金は何とかするからビデオに出るのはやめてくれとあたしに言い、北海道で乾物屋をやっている親にドイツ製のカメラが必要だと嘘をついて七十万ほど送らせあたし達は四泊五日でグアムへ旅行したが汗まみれで死ぬほどおまんこしてケロイドの色が変わるくらい陽焼けして東京に戻ってくると七十万は全部使ってしまっていた。
 トウルはクラブの仕事については黙認していたがそれはSMの仕事ではおまんこをしなくてもいいことと女の自由を認めることが男の心の広さだと思っていたからだった
(63)


@研究室
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by no828 | 2015-08-26 18:52 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 08月 22日

科学は人間によってつくられるものであります——ハイゼンベルク『部分と全体』

c0131823_1704452.jpgハイゼンベルク、ヴェルナー・カルル『部分と全体——私の生涯の偉大な出会いと対話』山崎和夫訳、みすず書房、1974年。3(925)


 原著は独語で原題は Der Teil und Das Ganze
 英訳題目は Physics and Beyond  * 本書には「Phisics」と表記

 版元


 良書。研究とは別個の読書として、理論物理学者によるエッセイだと思って読みはじめましたが、読みすすめるうちに研究に関する原理的な議論も含まれることに気づきました。研究とは何か、研究者とは何か、深く掘り下げて考えたい人にとっては必読だと思うに至りました。ハイゼンベルクにとっては、ナチスとの関係がひとつの課題として現実にあったわけで、政治と科学ないし学問との関係についても考えさせられます。目下の日本の状況との符合に驚きます。また、先日亡くなってしまった鶴見俊輔の敗戦時の態度を想起させる文章もありました。

 これまで読んだ本のベスト10、などというものを作ったことはありませんが、本書はかなり上位に来そうです。ちなみにこの本を手に取ったのは数年前の黄と青で象られた某古書店で、価格は105円でした。タイトルに惹かれて手にしてぱらぱらとめくって読まずに放置していたのを年始に読みました。

 序文は湯川秀樹。湯川によると、ハイゼンベルクは「一貫して理論物理学を哲学と不可分のものと考えてきた」そうです(ⅳ)。たしかに価値や宗教、形而上学といった事柄への言及が多い印象です(わたしの目がそこへ行くというのもあります)。湯川の文章をもうひとつ。「物理学における新しい乱世が、多くの研究者を久しく遠ざけていた思索の世界へと引き戻す効果があるかも知れないことを、私は期待したいのである」(ⅴ)。

 友人や研究者との対話がそのままの形式で掲載されており、以下に引用した発言もすべてがハイゼンベルクのものではありません。湯川の序文には、ハイゼンベルクがプラトンに惹かれていたところがあり、この本も対話篇を連想させるものだ、との文章がありますが、たしかにそうです。


 科学は人間によってつくられるものであります。これはもともと自明のことですが、簡単に忘れられてしまわれがちです。このことをもう一度思いかえすならば、しばしば嘆かれるような人文科学 - 芸術と、技術 – 自然科学という二つの文化の間にある断絶を少なくすることに役立つのではないでしょうか。(ⅶ)

「原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてある理論を作ろうというのは、完全に間違っています。なぜなら実際は正にその逆だからです。理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります(104)

いったい“秩序”という言葉は何を意味しているのであろうか? 秩序とその理解ということは、それぞれの時代に結びついたものなのか? われわれは、秩序正しく見えた一つの世界の中で成長した。両親たちはその秩序を守る前提となるような市民的な道徳をわれわれに教えた。そうした秩序ある国家のために自分の命さえも犠牲にすることが場合によっては必要であることは、すでにギリシア人にもローマ人にもよく知られたことであり、何ら特別のことではなかった。多くの友人や親族の戦死は、世界がまさにそういうものであることをわれわれに示した。しかし、いまでは多くの人が戦争は犯罪であったと言う。〔略〕しかし、それによって古い構造の価値が根本的に問い直されたのであろうか? 廃墟の中から新たな、もっと強力な秩序をここでもう一度作り上げることだけが、重要なことなのだろうか?(14)

学問さえも真理のためでなく、むしろ利害得失のために利用されるのなら、いったいそれに努力することがそれだけの価値のあることであろうか。(74)

戦争が起こってくるような緊張状態を、はじめから全く作らないように、人は努めなくてはなりますまい(81)

「自然科学では、客観的な真実についての正しい陳述をすることと、それらの関係を理解することをわれわれに課題として提供します。ところが宗教は、価値の世界を取り扱います。ここではいかにあるべきか、われわれは何をなすべきか、であって何であるか、ということについて話をされることはありません。自然科学では、正しいか誤っているかをめぐる問題であるのに対して、宗教では善か悪かについて、価値があるか価値がないかを問題にします。自然科学は技術的な目的にかなった出来事に対する基礎ですし、宗教は倫理学の基礎です。〔略〕しかし私にとってはこの分離は満足なものではないということを告白せねばなりません。人間社会が知識と信仰との間のこの鋭い分裂をもったままで、いつまでも生きて行けるかということに、私は疑問をいだきます(134-5)

自然は理解され得るように作られているというのが私の確信であった。あるいは、より正しくはわれわれの思考能力は自然を理解し得るように作られていると逆に言うべきだろう。〔略〕自然を、そのすべてをあるがままの姿に形作り、われわれの魂の構造を、したがってわれわれの思考能力をも支配しているのは、あのいつも同じ秩序をつくる力であった。(164)

「自然科学においては、最上の場合でさえもこの理想に近付けはするが、絶対にそれに到達し得ないということを彼ら〔=実証主義者〕はその際〔ママ〕に見逃している。なぜなら、われわれが実験を記述するさい〔ママ〕に使用する言葉は、われわれはすでにその適用範囲を正確には与えることができないような概念を含んでいるからだ」(217-8)

自然科学では、よいそして実りのある革命は、まずある狭い輪郭のはっきりした問題を解くことに限ったときに、しかも最小限の変更にとどめるよう努力したときにだけ、ただそのときだけ遂行され得ます。今までのすべてのことを放棄してしまって、勝手に変更しようとする試みは全くのナンセンスに終ります。すべての確立されたものをくつがえすことは、自然科学では無批判な半分気の変な狂信者〔略〕だけがやってみるだけです。〔略〕科学における革命と、人間の共同生活におけるそれとの比較ができるものかどうか、もちろん私は知りません。しかし〔略〕歴史においてもまた、最も永続的な革命は、ただ狭く限られた問題を解決し、そしてできる限りわずかしか変更しないようなものであるはずだと、私は考えることができます。〔略〕一つの重要な目標に限定し、そしてできるだけ小部分の変更にとどめることこそが問題なのです。それでも、どうしても変えねばならなかったそのわずかなものが、後になると、変化を起こさせる力を持つようになって、ほとんどすべての生活様式が自然に変形されるようになるのです(238)

何かをすることができ、そして例えば属する人種ゆえに無条件に移住を強制されている人々以外は、皆ここに留まり、そして遠い将来のための準備をすることに努めるべきであるというのが私の意見です。それは、きっと非常に困難で危険があり、そしてやむをえずにした妥協によって後日非難され、そしておそらく処罰されることになるかも知れません。それでもわれわれはそれをやらねばなりません。もちろん私は、他の決心をしたからといって、誰も非難することはできません。誰かが、ここで起こる不正を単に黙って見ている以外すべがないといった生活にもはや耐えられなくなって、移住したとしてもです。しかしわれわれが今やここで目にしているような言語道断な状態の中にあっては、人はもはや正しく行動することはできません。われわれがどんな決定を下そうとも、何らかの種類の不正に参与することになります。ですから結局のところ、誰も自分に頼るしかありません。助言することも、あるいはそれを採用することも、もはや大した意味を持っていません。ですから私はあなたが何をしようと、破局の終るまではいろいろな不幸を回避できるなどという希望を持ってはいけないとしか、あなたにも言うことができません。とにかくあなたが決を下す際には、破局の後の来るべき時代のことを考えて下さい(244-5)

生き残ったものは、そのとき、よりよい世界を建設するために努力しなければならない。それだって格別よいと言えないかも知れない。そして人々は戦争がほとんど何も問題を解決しなかったということを認識するに違いない。しかしそれでも、いくつかの誤りはさけられ、いくらかでもよりよくすることができるかも知れないのに、どうしてあなたはその場にいようと思わないのですか(285)

幻影が、現実によってあますところなく、また容赦なく破壊し尽されたその時に、学問に従事することが、世界とその中でわれわれ自身の位置について、もっと率直で批判的な判断力を養わせる道となり得るかと。そこで私は学問の教育的な側面、すなわち学問からおそらく期待し得るような批判的思考への教育を、経済的なものよりも重要だと考えます」(297)

信頼はあれこれの地位の間に決して生まれるものではなく、いつもただ人と人の間でだけ生ずるものだ(278)

科学や芸術において、〔略〕根源にさかのぼって考えることは、さらに大きな成功をもたらしました。ドイツにおいて、それが世界を変えるような科学的、あるいは芸術的業績が芽を出したときには〔略〕そのときには絶対に対するこの関係によって、最後の結論に至るまでの根本的な思考を通してだけそれは可能でありました。だから、ただ形式の束縛に従ったところの、絶対への精進においてのみ、科学においてはまじめな論理的な思考に、そして音楽においては和声楽と対位法の規則にですが、ただこの絶対への精進における極度の緊張においてのみ自分の本当の力を発揮することができます。われわれの眼前で行なわれているように、それが形式を粉砕するやいなや、ここで、道は渾沌に通じます。私は、この渾沌が神々のたそがれとか世界の没落、といったような概念によって賛美されることに同意することはできません」(300)

「当面、科学の発展は人類の生活過程に属しているのだから、その中で働いている各個人はそれに対して罪があると言われる筋はない。したがって問題は以前と同じように、この発展をよい方向に導き、知識の拡大を人間の福祉のためにだけ役立て、しかしこの発展そのものを妨げるものであってはならない。だから問題は次のようなところにある。“それに対して個人は何をなすことができるか、また研究にたずさわっているものにとって、ここでどのような義務が生ずるのか?”」(313)

「畢竟、個々の人はたいていの場合、他の人で置きかえることが可能であるということをここでも認めねばならないだろう。もしアインシュタインが相対性理論を発見しなかったとしたならば、遅かれ早かれ他の人によって、おそらくポアンカレーかローレンツによって定式化されていたであろう。ハーンがウラン分裂を発見していなかったならば、おそらく数年後にフェルミかジョリオがこの現象にぶつかっていたであろう。〔略〕個人は歴史の流れによってたまたま決定的な場所におかれたのであり、彼はここで彼に与えられた課題を立派にやりとげることができたのであって、それ以上のものではない(314)

わが国の国務の責を負う人は、互いに相反する利益の調停ばかりに汲々としないで、客観的に制約された必然性〔略〕が存在することを常に念頭に置く必要があるものと私は信じた。
 私はだから科学者に、公共の業務においてもイニシアティブをとることに、ある程度の権限を与えてほしかった。
(326)

「超越〔メタ〕という接頭語が〔略〕物理学という概念の前にはなぜ置いてはいけないのかが僕にはよく理解できない。前置詞メタはその次にくる問題を取り扱う、換言すればその対象とする領域の根本にある問題を取り上げる、ということだけを指し示すはずのものである。そしていわば物理学の背後にあるものを、なぜさがし求めてはいけないのだろうか?(337)

専門家とは、その専門とする部門において起こり得る最も重大な間違いのいくつかを知っており、だから、いかにすればそれを避けられるかがわかる人である(337)

政治は、専門家やくろうとだけの職業ではなく、われわれが一九三三年のような破局を回避するためには、すべての人にとっての義務でもある(357)


@研究室(アップロードは@福島)
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by no828 | 2015-08-22 17:30 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 08月 18日

パートタイムの風景

 採点の祭典も終わり、一段落となりました。常勤・非常勤と合計で1週間に大体500名の学生と付き合ってきました。本試験のみを評価対象とするなら、大変さが一時期に集中するからそれを何とか乗り切ろうといった態勢となるような気がします。が、多角的に評価したいとの思いがあり、中間レポートや毎回のリアクションペーパーなども評価の対象とし、成績は総合的に判断する、ということを毎年しています。受講生数にかかわらずこの方法で臨んできており、さすがに今年は、1コマ190人とか150人とか、自らの設定に挫けそうになりました。とりわけ毎週欠かさずやってくるリアクションペーパーにまつわる一連の所作——書かれたものを読み、質問・コメントをパソコンでまとめ、ハンドアウトとして翌週返す——がなかなかに時間と労力のかかるものでありました。これも一段落です。後期は毎週出講する非常勤の講義が減ります。単に辞めたり譲ったり——結構断られた——集中講義へ移行したりと、減少の内実は3種類あります。

(辞めるなら後任を探すまでが前任者の役目だという雰囲気が濃いと感じますが、この非常勤後任案件も公募にすれば解決するのかもしれない、よい教員に巡り会いやすくなるのかもしれない、といったことも考えます。後者には、顔の見える関係だからこそ、という側面もあるとは思いますが、そもそもこの譲る-譲られるという関係の外側にいると、非常勤講師にすらなれません。わたしも一時期そうでした。)

 以下、そんな非常勤講師先(一部)の風景。

 都内N野区、月曜1限。就職が決まる前に時間割を調整し、決まったあとの再調整ができずにこの時間割で講義をしました。始発がきついので自腹で前泊しましたが、この機会——つまり日曜夜——にN馬区在住の大学同期夫妻(娘あり)の住まいを訪れ、いろいろと話をすることができました。
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 昼食は、次の出講先の最寄駅へ移動して、たとえばここ →   など。味噌ラーメン。寒い時期の出講がないのが残念です。というか、暑い日の味噌ラーメンだと汗が大変。
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 ラーメンよりは肉体が熱されないのではないか、と思い、つけ麺。
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 4限はM鷹。先述の大学同期夫妻の妻のほうのご尊父がこの4月よりこの大学の系列校の教員になったそうです。
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 チャペル。大学にこういう空間があると落ち着きます(なぜでしょう)。オルガンの音がときどき聞こえてきます。
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 土曜のT木県遠征。人身事故のため迂回路を探ってK千住から特急料金(休日料金割り増し!全席指定!)を払った日の写真。子どもははしゃぎ、わたしはささくれ立つ。(と書くと誤解があるかもしれないので注記しますが、わたしの子どもではありません。その女性も妻ないしそれに類する方ではありません。「特急め!」と思って写真を撮ろうとしたらわたしの前に入り込んだのです。)
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 特急料金を払っても窓から見える風景は同じ。
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 採点の祭典も一段落と冒頭に書きましたが、すべてが完了したわけではありません。9月初旬に看護学校の本試験と短大の再試験があります。祭典本番は終わりましたが——そして本番が終わってからだいぶ経ってからになりますが——後夜祭が残っています。また、同じ時期に短大の集中講義(前半。2日間8コマ)もあります。

 本務校はお盆も通常業務でした。いわゆるお盆休みはここにはなく、いわゆる世間とは1週間ずれた日程に“大学ロックアウト”が組まれています。大学に入れません。実質的に、教職員の物理的な夏休みとなります。この時期の帰省を考えています。移動の混雑は避けられますが、本務校の外側は通常業務に戻っているのであり、メールにて種々やってきそうな気配がしています。

@研究室
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by no828 | 2015-08-18 20:35 | 日日 | Comments(0)
2015年 08月 17日

私の結論はこうだ。なるべく多くを読み、多くを聴くこと——吉田篤弘『フィンガーボウルの話のつづき』

c0131823_17354490.jpg吉田篤弘『フィンガーボウルの話のつづき』新潮社(新潮文庫)、2007年。2(924)


 単行本は2001年に同社
 版元 なし


 短篇集。日常からの少しだけの浮遊。


「きっかけですか?」
「そうだねぇ、きっかけというか、まぁ、しっぽだな。しっぽって言ったって、豚のしっぽなんかじゃなくて——」
 黒ビールをちびり。
物語っていう、どでかい怪物のしっぽだ
「どでかいんですか?」
「だって君は、ずいぶん長いことその物語を書きあぐねているのだろう?」
「ええと……かれこれ二年になりますか」
「二年とはまたずいぶん怪物を太らせちまったねぇ」
「太りましたか」
太ったねぇ。あんまり太っちまうと、せっかくしっぽをつかまえたって、引きずりだせなくなる
「そうなんですか?」
「そう。そうやって結局陽の目を見なかった物語ってのが、この世にはゴマンとあるんだから
「哀しいですね」
「そう、哀しい。この世でいちばん哀しいのは、一度も語られることのなかった物語たちと一度として奏でられることのなかった音楽たちだ
「どうすればいいんでしょう?」
「私も若いときよくそれを考えたものだ」
 黒ビールをちびり。
「で、私の結論はこうだ。なるべく多くを読み、多くを聴くこと。つまりね、語られなかった物語をあぶり出すには、この世に語られた物語をすべて並べてみせることだよ。そうやって失われたものを包囲してしまうわけだな。包囲して輪郭を浮かび上がらせる
(18-9)

いちばん重い塩を背負った者が、いちばん軽やかに浮かび上がるのです(64)

「つまり、向こう側からは何もやってこないってこと?」
「そう、そのとおり! 何もやってこないんだよ。でもそれは、たしかに向こう側にある。気配のように。それでいいんだよ。それだけで、きっと何かが始まる。そこが肝心。始まるってことがね。そして、それは決して終わらないということでもある。だって、結局のところ、それはやってこないわけだから。理屈ではどこまでも続くことになる」
「ふうむ」
「僕はさ、なんというかつまり、2時間かそこいらですべてが終わってしまうことに、ときどき我慢できなくなるんだよ。THE END って出る、あれが憎たらしい。だから、一度でいいからおしまいのない映画っていうのを観てみたい
(169-70. 傍点省略)


@研究室
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by no828 | 2015-08-17 17:42 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 08月 14日

「いつやるのか」まで考えを及ばせて、手帳のその日その時間に書き——『佐々木かをりの手帳術』

c0131823_1910507.jpg佐々木かをり『佐々木かをりの手帳術——アクションプラン時間管理で人生がハッピーになる!』日本能率協会マネジメントセンター、2005年。1(923)


 版元 なし


 2015年の読書は手帳本からはじまったのでした。

 手帳は1週間見開き1ページ、時間軸は30分刻みで、30分単位で行動を計画し、実行する。毎日の達成感の感得が自己肯定感の向上をもたらし幸せな人生になる、という考え方が基本にあり、そのための方法が手帳術というかたちで説かれています。

 現在わたしが使用しているのはMレスキンで、1週間見開き1ページ、時間軸は30分刻みになっていて奇しくも著者の考え方と一致するのですが、やや不満なのは、重いことと、土日が30分刻みになっていないこと、の2点です。土日も30分単位だとよいと思っていたときにたまたまこの本を古書店で見つけ、ぱらぱらとめくっていたら著者の作成した手帳は土日も30分だということがわかり、次の手帳は著者の提唱するものにしようかと考えています(未定)。

 ちなみに、この本を出版した「日本能率協会マネジメントセンター」は「N率手帳」を作ってきたところでもあって、そこがそれとは別の手帳についての本を出していることに少し驚きました。

 以下の引用では、原文の強調(太字)は略。


 手帳は、行動計画表だから、しっかり計画を書いていく必要がある。(44)

忙しいかどうかがポイントではなく、なぜ忙しいのか、その忙しさは事前に自分が仕組んだものなのか、それとも想定外のことなのか、その忙しさの内容は何なのか、その忙しさをどう受け止めているのかがポイントだ(78)

その日にやりたいことをその日の何時何分から何分間くらいで終了したいのかを考え手帳に記入すること。そして、そのとおりに行動すること。(80)

私たちは、誰もが、自分の時間を自由に使える「主役」、人生のオーナーである。だから、「来月の予定はわからない」というのは筋が通らない(86)

 自分の人生は、自分で決める。人生の主役は、自分。それをわかって発言を変え、行動を変えると、「なんとなく忙しい」から抜け出せる。それも一瞬のうちに。(87)

他人との調整をしながら行動計画を立てる案件は、必ず優先順位が一番高くなる。(104)

やることができたら、「いつやるのか」まで考えを及ばせて、手帳のその日その時間に書き、時間を確保する」ということ。(120)

 時間のせいにしているが、本当は自分のやる気が足りないという事実にぶち当たる。そんなことは、本当は心の底ではわかっているのだが、やっぱり時間のせいにしておくほうがいい。そう思っていたら、何も進まない。事実がわかったら、そこで解決策を導こう。(180)


@研究室
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by no828 | 2015-08-14 19:28 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 08月 13日

次からは、そんなことはないのだよ諸君、というところまで話さなければならなくなった

 いちばん下の弟が先月の今頃の土曜日に結婚式を挙げました。弟の名前はわたしの漢字の名前2文字の上1字です。わたしの名前2文字の下1字は「幸」という字です。わたしには「幸」があり、弟にはない。つまりわたしは幸せになれる、弟は幸せになれそうにない、といったようなことを講義でもちろんジョークで話していたりもしましたが、次からは、そんなことはないのだよ諸君、というところまで話さなければならなくなりました。むろん幸せの具象は結婚だけではないとは思いますが。

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 式と披露宴に出席するために帰省しました。そのため、土曜日の非常勤講師先は休講。K府からだと、特急と新幹線を使っても4時間かかることがわかりました。新幹線の停まるK山からは高校時代に通学で使用した在来線の汽車。ドアの開閉は相変わらずボタン式。ちなみにK府の在来線もボタン式。

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 わたしは3人兄弟のいちばん上です。この兄弟のなかでいちばん早くに就職したのはいちばん下の弟です。結婚もいちばん下がいちばん早いです。田舎では“結婚は上から”という意識が強いようですが、わたしはそうは思わないので、弟から話があったときも「気にせずどうぞ」と言いました。父母からすると、結婚の順番が狂ったというところもあると想像しますが、わたしや2番目——研究者ではありません——がいわゆる人並みの生活基盤を整えはじめるのに時間がかかったのは、というか、わたしがこのような進路に至っているのは、父母の育て方に由来するところもおそらくあるわけであって、仕方がない。ちなみに、2番目に就職したのは真ん中で、就職に関してはわたしがもっとも遅いです。順当に行くと、結婚も2番目が先ということになりますが、どうなりますやら。

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 いちばん下の弟の結婚相手には、5月の連休に——引越作業の一環で——帰省した際に1度会ったことがあります。小中学校の同級生だという話は以前から聞いていましたが、6歳下の弟とは小学校でも学年が重ならず、どこどこの誰々、と言われても、まったくわかりません。

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 弟は、地域や地元を大事に思うところがあり、進学先も就職先もそういったところから選んだのであろうと思います。小中学校の友だちといまだにつながりがあり、というか、小中学校に「友だち」と呼べる人がいて、今回の披露宴にも彼らを招いていました。すぐ下の弟とも話したことですが、こういったことはわれわれにはなく、あるいは少なく、あるいは欠けていて、羨ましく感じるところがあります。

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 とはいえ、弟は弟であり、就職が早かろうと結婚が早かろうとどこかに“幼さ”を認めてしまうのが兄というものではあって、少し心配もあります。友だちのあれだけの支えがあるわけですから、大丈夫であろうとは思いますが、兄はそう思い切ることがなかなか難しい。父もまた、そういう気持ちを持っているのであろうと思いつつも、本当に小さい頃から育ててきた身としては、“大きくなったなあ”という気持ちのほうが強いのかもしれません。父のスピーチがなかなかよかったです。

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 ともあれ、改めて、おめでとう。よかったね。

@研究室
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by no828 | 2015-08-13 19:26 | 日日 | Comments(0)
2015年 08月 06日

共感したい、同意したい、同化したい。でも言葉という道具は頼りにならなかった——岡映里『境界の町で』

c0131823_17202891.jpg岡映里『境界の町で』リトルモア、2014年。99(922)


 版元

 ようやく → 


 原発事故にも関わるノンフィクション。「境界の町」とは、福島県浜通りにある双葉郡楢葉町のことです。楢葉は、福島第一原発20km圏への検問のある「境界の町」です。もちろん「境界の町」は原発の南側に位置する楢葉以外にもたくさんあります。わたしの実家や親戚の家、とくに叔父の家(母の実家)のある場所もまた「境界の町」です。

 タイトルに含まれる「境界」は楢葉だけでなく、著者にもあてはまる部分があるように思えました。著者は、希薄になっていた自分の輪郭を外側から浮き彫りにするために、あるいは“自分”を探しに、福島へ行ったように思えました。人はわたしを含め自分の外側には出られず、誰もが自分本位にしか生きられません。

「ある難病を抱えた若い女性作家」の言葉が本書内に引用されています。彼女は大野更紗でしょう。同様の文章を読んだことがあります。本書の最後部に引かれる言葉は、だから本書の内容をほぼ読んだあとで触れることになるわけですが、本書やその登場人物とは次元を異にする冷静なものとして存在します。

 沈黙する以外にないときはあると深く思いながらも、消費されない言葉とは何なのか、消費されない語りとはどのようなものなのか、ということも探しています。


 震災が起きてからずっと、私は人を探していた。
 私の住む東京には津波は来なかったし、自分の身のまわりの安否確認はすぐに取れた。というか、私自身は夫と別居中だったし、家族とは絶縁していた。だから私は誰からも心配されなかったし、誰からも探してもらえなかった。私は私で、誰のことも本心から心配せず、探すこともなかった。
 私という人間は、誰からも必要とされていない、誰も必要としていない。それは震災で浮き彫りになった。

 自分にとって愕然とするような発見だったが、
「私には、大切な人がいないんです」
 ということを言える雰囲気ではなかった。
そんなことは巨大地震の前では、33歳の女の取るに足らない悩みでしかなかったから。
(4)

 私は男に会ったが、男は私に会ったのではない。
 私は店に来た客でしかないのだろうと思った。
 そして私も男に会いたかったのではないのかもしれない。店に行けば男は私を拒否することができない。私は絶対に拒絶されない相手を無意識に探していただけで、少なくともそれは「絆」と呼べるものではないだろう。
(11-2)

 ニュースキャスターが24時間交代で刻々と死者数を読み上げているのに、テレビ画面には決して死者が映されることはない。数字だけが独り歩きし、私は現実の被災地がどんなものなのか、その肌触りを完全に失った。(19)

「この犬、そのうち死ぬんでしょうか」
猫は痩せねえな。犬はみんなガリガリだ。犬は人から餌もらってしか生きられないんだよ
(38)

「でもよー、ボランティアってよぉ、はっきり言って自己満だからな。平等に公平にって無理なんだよ。目の前の人しか助けらんねえし(39-40)

 東京電力福島第一原発の西門そばにあるデイリーヤマザキはガラスが割れていた。
ATMやられてんだよ。あちこち。3月12日からおまわりさんみんな逃げちまったからな。この辺り他県ナンバーとか、福島のわナンバーのレンタカーとかたまに走ってるけど、あれ全部盗難狙いだろうな
(44)

小名浜ってシャブの街なんだよ。その辺で普通にバイしてっから。ソープ街って夜の街だからね。ヤクザ屋さんが普通に生きていられる街なんだよ」(47)

 カーラジオからは、東京都知事選挙で石原慎太郎が圧勝する見通しが伝えられていた。
「あいつよぉ、慎太郎って『震災は天罰だと思う』みたいなこと言ってたけど、ぶっ殺してやりてえよな」
 と彼は言った。
(49)

 いわき市の「松本楼」で行われた納会には、第一原発の視察の帰りだという民主党の国会議員二人が「激励」に来ていた。
「議員の先生たちに、『ここにいるIとEは事故直後の16日から現場に入ったやつらです、命かけてるんです、先生たちも命かけられるんですか?』って聞いたらよ、なんて言ったと思う!?」
「なんて言ったんですか?」
「『まあ、命かけられるかどうかみたいな話は別にして』って言ったんだよ。あいつら俺たちにくっついて2次会に来たらボコられてたよな」
(83)

 この町から何かを略奪する人もいるが、何かを置き去りにしたい人たちもいるのだろう。
 置き去りにされるものは放射能がついた瓦礫だけではないのだ。
(148)

 2011年6月、何度目かの「警戒区域」に連れて行ってもらうときに、原発作業員の親方の彼が私に言った。
岡、ここで写真なんか撮っても放射能は写らねえからな。お前、単に20キロ圏にハマってるだけだろう? ここはシャブと同じぐらい、ハマるとやばいぞ
「興味本位」。正直に言えば、私がはじめに福島に来たのは「興味本位」からだった。そしてそれを彼に直接告げたことはなかった。しかし、彼は、私がなぜこの町に来たがるのか、本当の動機を見透かしているようだった。
“原発テーマパーク”でも造ったら繁盛するんじゃねえの。第一原発エクストリームツアーして、そのあと防護服のコスプレして記念写真撮ってやるんだ。おめえみてえのがうようよ来るぞ
(221)

 私は、かける言葉を失っていた。
 私のどんな言葉もこの場所では無力だ。
 私の言葉は、彼女が彼女自身の言葉で再現した津波と原発事故と家族の離散劇の前で、すべて瓦礫になってしまった。
(105)

人の人生の稲妻のような一瞬に触れて、私の言葉も瓦礫になった。福島でそんな経験を何度もした。共感も、心配も、同意も、言葉にした瞬間すべて嘘になった。すべての言葉を奪われてしまった。共感したい、同意したい、同化したい。でも言葉という道具は頼りにならなかった。(110)

 一方で、福島の人たちと親しくなり、方言を覚えていくにつれて、私は福島にいるのも苦しくなっていた。「どれだけ深く関わっても、所詮私はよそ者でしかない」という感覚にたびたび襲われるようになったからだ。(176)

 私ほど事故後の双葉郡を見てきた人間はいない。私はそう自負していた。
 そんな私の心を挫いたのは、ある難病を抱えた若い女性作家が私に言った言葉だった。
自分が今まで福島県のことを書かなかったのは、福島を消費したくなかったからです
 彼女は福島県双葉郡の出身だ。
 私はこの言葉にやられた。
(223)

「彼」とお父さんは、津波ですべての写真を失った。私は、「彼」たちの記憶の伴走者になりたい。
 私は「彼」たちを記録したい。
 私が完全に福島を忘れてしまう前に。
 物事は、起こっては消え、忘れられてしまう。
 彼らを忘れられる存在にしてはならない、と。
(227)


@研究室
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by no828 | 2015-08-06 17:21 | 人+本=体 | Comments(0)