思索の森と空の群青

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2015年 11月 29日

ウェーバーの死とともに「大学都市ハイデルベルク」の真に輝ける時代は——生松敬三『ハイデルベルク』

c0131823_15494982.png生松敬三『ハイデルベルク——ある大学都市の精神史』講談社(講談社学術文庫)、1992年。32(954)


 版元|単行本は1980年にTBSブリタニカ

 ※ 「生松」は「いきまつ」


 生松敬三(1928〜84)。思想史のなかのハイデルベルク。ハイデルベルク大学に去来した人びとを描きながらハイデルベルクという都市の歴史的な輪郭を描き出しています。

 本書にはマックス・ウェーバーも登場します。関連して、エルンスト・トレルチ、ゲオルク・ルカーチ、エルンスト・ブロッホなども。ウェーバーの家にはさまざまな人が訪れて——あるいは訪れすぎて——知的交流を深めていたようです。法哲学者グスタフ・ラートブルフの自叙伝『心の旅路』(1951年)には、次のような記述があるとされます(144-5)。
 これらのハイデルベルクの仲間や他のハイデルベルクの仲間の中に、まったく独特の性質をもった精神生活が生じた。それを人々は半分は真面目に、半分は嘲笑的に当時《ハイデルベルク精神》と言った。それは、ハイデルベルクの知的な人々がその中で動いていた統一的な精神界であり、彼らはそれに影響され、また他方ではそれに影響を与えた。私は、当時どこか他のドイツの大学で、いろいろな人物の共同思考がこの程度にまで存在したとは思わない。人々はすでに古典時代のイェーナをふりかえってみなければならない。そこでも、とめどもない議論、あのような果てしのない討論、当時人々がそう呼んでいた、かの「共同に哲学すること」があり、そこでもまた、賢明で教養ある婦人がこの精神界に活動的に参与した。

 しかし、この議論・討論には「欠点」もあったとされます。それは「相対主義」です。談論のなかでは誤謬を含んだ噂話が展開されることもあったものの、その内容を否定しない、何ものも否定しないという態度が示されていたようです。しかしながらウェーバーは、そうした相対主義を討議のなかでは排していたと本書にはありました。あのウェーバーが、という驚きがありました。


 大学〔略〕創設の認可は、ローマの教皇ウルバヌス六世によって与えられ、〔1386年開校のハイデルベルク大学の〕初代学長には、パリからもどった唯名論者マルシリウス・フォン・インヘンが任ぜられた。「唯名論〔ノミナリズム〕」とは「実念論〔リアリズム〕」に対立する立場で、後者が普遍概念の「実在」を主張するのに対して、前者は普遍概念は「名辞〔ノミナ〕」にすぎないと主張する。だから「唯名論」は、個物の存在を重視することになり、近代の経験論的な思考の先駆けとみなされる。中世スコラ哲学においてこの「普遍論争」は、信仰と理性の問題とも関連して一つの重大問題であった。(34-5)

 もちろん、三十年戦争〔1618-48年〕がもたらした荒廃は、なにもハイデルベルクを含むプファルツ領がいちばんひどかったというわけではない。〔略〕その傷痕はドイツ全土に消しがたくとどめられた。都市も農村も破壊されて荒廃し、数年前に約一八〇〇万を数えた人口は、七〇〇万にまで激減してしまったといわれる。(39)

 妹のエリーザベトは、デカルト哲学に熱中していたけれども、兄のカール・ルートウィヒは、〔略〕むしろ『神学政治論』(一六七〇年)の著者スピノザに強い関心を寄せ、この哲学をハイデルベルクに呼び寄せたいと願って、神学者であり顧問官であるファブリキウスに手紙を出させたのである。七三年二月十六日付である。〔略〕スピノザからは、七三年三月三十日付の返書が届く。〔略〕自分にはその気はないという断りの手紙であった。
 その理由の第一は、若い人に教えなければならないとなると、自分の今後の哲学思索が妨げられるのではないかという危惧を抱いていること。第二は、宗教上の難題を引き起こすまいとすると、哲学思索の限度を知らねばならず、宗教上の対立がいかに激しい愛憎をもって戦われるかは、隠棲独居の自分の生活においてもう十分に経験したというにあった。「ですから、私がより幸福な状態を求めてはおらず、ただ、いかにしても保持せねばならぬと思っている平静さへの愛からして、公けの講義は断念しなければならぬとすること、お分かりいただけると存じます」。スピノザからのラテン語の返書は、こう結ばれていた。
(44-5)

つまり、神とは明らかにされた人間の内部、表現された自己なのである。それゆえ、人間と神との関係は逆転されなければならない。神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくったのだ。これが〔ルートウィヒ・アンドレアス・〕フォイエルバハの「人間学主義」であり、概念を「神化」するヘーゲル哲学の批判、逆転への立脚地がここに提出されたわけである。『キリスト教の本質』の出現に、当時人は「おしなべて感激した。我々はみな一時期フォイエルバハ学派であった」と、フリードリヒ・エンゲルスも述べている。(102. 傍点省略)

ユクスキュルは言う、「〔化学者のローベルト・ウィルヘルム・〕ブンゼンは自分の発明を自ら利用したことは一度もなかった。『研究〔仕事〕はすばらしい、だが、それで稼ぐのはいやらしい』といつもブンゼンは言っていた」と。(121-3)

 よそでは政治家になったであろうような多くの人たちがドイツでは国民経済学の教授になった。それは、ドイツにはなにほどか満足のゆくような形の政治家としての経路が存在しなかったからである。そのために、大学教授の学説なり研究なりにおける政治的モメントの優位が招来され、実はそれのみがより大きな成果をもたらす陽の当らぬ深部での落着いた探究の営みを稀れなものとしてしまった。(ヨーゼフ・シュンペーター. 154-5)

 ところで、ゲオルク・ジンメルはベルリンで生まれ、育ち、学び、教えた生粋のベルリン子であったが、ユダヤ人であるがために、ベルリン大学では一五年もの間私講師以上には遇されず、一九〇〇年にようやく員外教授という名誉職的地位を与えられたにすぎなかった。第一次世界大戦開始直前の一九一四年にようやくシュトラスブルク大学の正教授に就任することができたが、その四年後、大戦終結の少し前に死去しているのである。第一級のドイツの思想家として早くに高い名声を得ながら、不遇な環境に長く甘んぜざるをえなかったジンメルに対して、ウェーバーは深い同情を寄せ、そのような不当なことを強いているドイツ社会の「反ユダヤ主義」的ムードを憎んだ(166)

実際に一九一三年にはドイツ、オーストリアの哲学者、哲学関係者一〇六人の連署によって、実験心理学者を哲学講座に任命することに反対する声明文が出されたことがある。その署名者は、リール、コーエン、ナトルプ、カッシーラー、ウィンデルバント、リッケルト、さらにフッサールなど、当代の代表的な新カント派の哲学者たちを筆頭としていた。(203)

あえて言えば、一九二〇年のウェーバーの死とともに「大学都市ハイデルベルク」の真に輝ける時代は終わっていたのである。(220)

 およそ産業基盤もない一地方都市が、数百年にもわたって全世界をリードする学問的中心地たりえたのは、いったいなぜなのか。歴史、自然的地理、財政その他の理由がいろいろ挙げられよう。しかし要は「人」なのだ。すぐれた真の学徒ひとりひとりの努力と、彼らの学問批判的交流(今ふうに言えばコミュニケイション)、人間性、それがこの一地方都市を世界史的一流地たらしめた。そして「人」が失われ、圧殺されるとき、その栄光もほろびるのだ、と生松氏は言おうとしていると思う。(256. 小塩節「解説」)


@研究室
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by no828 | 2015-11-29 16:09 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 11月 25日

だから最初から原本の廃棄を謳っていたんです——西牟田靖『本で床は抜けるのか』

c0131823_19385987.jpg西牟田靖『本で床は抜けるのか』本の雑誌社、2015年。31(953)


 版元


 本との付き合い方を探す旅程。本を読む人、書く人、貯める人。

 学類の頃は“本を持っているほうだ”と言われ、大学院のときは“本が多い”と言われました。自身ではそのようには捉えていませんでした。本書を読み、わたしの蔵書量など少ないほうだとやはり思いました。本書では、本の電子データ化についても触れられていますが、わたしはそれをする気にはなれません。物体として本がそこにあることの有意味を何となく感じています。本はこれからも増えていく一方だと予想されます。いつか壁イコール本棚の家を建てたい/に住みたいとも漠然と思っています。

 学問の界隈では、大野更紗、松原隆一郎も本書には登場します。


「これは「紙の本を電子データとして変換する」という私たちのポリシーをまとめたものです。他の自炊代行業者はお客さんが求めれば、裁断済みの本を返却していたんです。それだと原本は残るわけですからいわば複製にあたります。うちは立ち上げのときから考え方が違っていました。スキャンという行為を複製ではなく、「紙のデータから電子データへ変換する」ことだと捉えたんです。だから最初から原本の廃棄を謳っていたんです」
 自炊代行業のアキレス腱は、著作権法違反の疑いにかけられる可能性が高い、ということだ。業者Aはその点を事前に理論武装することで回避しようとしたのである。Nさんは続ける。
紙の本が廃棄されるわけですから、紙の本を読みたければ新たに買い求めるしかないわけです。そうすれば、紙の本を買うために読者はさらにお金を使う必要が出てくる。そうすれば経済的に回るじゃないですか。いわば、印刷の逆を私たちはやっているということになりますね。著作権法を犯すのではなく紙の本を製作・販売する出版社や書店と共存する、よい処方箋だと思うのです。一方、個人が裁断した本がネットオークションなどで売り買いされることは恐ろしいと思いますね。これは本の売れ行きを邪魔しますから」
(115)

「〔以下、大野更紗〕部屋に置いてあるもの、視界に入るものが思考に影響を及ぼすので気をつけています。座ったときの目線の先に置いてあるのは、「目指している人」の本、こちらの段は自分の手の届かない研究者の本、という具合です」〔略〕
本が重なって背表紙が見えなくなると読まなくなるんですよ。読まない見ない〔ママ〕本というのは、私にとって使えない本だということなので持ってないのと同じなんです」〔略〕
「この部屋には紙の本を置ききれないので、ときには買って翌日にスキャンに出すこともあります。そのときのOCR化(スキャンによる文字認識)は絶対やります。スキャンしたのは今までに2443冊〔略〕。それだけあれば忘れている本もあるわけです。だけど検索をかければ、著者の本が何冊あるか、すぐに出て来ます。検索キーワードはタイトルと本文でヒットしますから」〔略〕
「昔は全部自分で資料を紙でファイリングしていたんです。テレビの後ろに見えますよね。それは私が「ビルマ女子」としてフィールドワークを盛んにしていた時代のものなんですけど、もう捨てかかってます。以前は現物のファイルをすべてとっておいていたんですけど、最近は全部、スキャンして廃棄しています。〔略〕そんなわけで、入手困難な資料など、コアなものとデータしか基本的には残らない(笑)」
(189-90)


@研究室
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by no828 | 2015-11-25 19:53 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 11月 24日

意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』と——高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』

c0131823_18424210.jpg高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』朝日新聞出版(朝日新書)、2015年。 30(952)


 版元


「朝日新聞」の「論壇時評」の連載をまとめたもの。その性格から、大体は掲載月直前に発表された論稿を選び、踏まえ、再構成しながら、著者の考えをも表明するという形式になっています。ときに著者自身の経験が描かれています。それが、この本、この文章を書く人がどういう人なのかを伝えることにもなっています。

 教育概念に関する言及もあり、その内容を理解もしますが、わたしは目下それを概念的な本質とは捉えていないし、原理的に成立しないのではないかとさえ考えています。現象としては成立しているかのように見えるが、それはそう見えるだけで原理的には成立していないということもある、とも言えるかもしれません。

 この本を読み、この政治体に絶望する人も出るかもしれません。帯には「絶望しないための」とありますが、この政治体について述べられた事柄は絶望を引き起こしかねません。しかし、わたしたちは1度絶望したほうがよいのかもしれない。その絶望が希望のための第1歩なのかもしれない——そうも思います。本書はその1歩を後押ししてくれます。帯に準えて言うなら、「絶望のままに終わらないための48条」がここには書かれています。

 ちなみに著者はわたしの非常勤講師先の教員でもあって——わたしが著者の勤務先で非常勤をしていて——講義終わりのバスでときどき一緒になります。


著者〔=東浩紀〕は、〔『一般意志2.0』において〕熟議への信奉こそが、ことばによるコミュニケーションを至上のものとする考えこそが、人々を政治から遠ざけたのだとする。
「論理こそが共同体を閉じるときがある。だからわたしたちは、その外部を捉える別の原理を必要としている。その探究の果てにわたしたちが辿り着いたのは、熟議が閉じる島宇宙の外部に『憐れみの海』が拡がり、ネットワークと動物性を介してランダムな共感があちこちで発火している、そのようなモデルである」
(52)

 体も動かず、ことばも発することのできない心身障害児(者)が、親を動かし、成長させる。そしてその親たちが、鈍感な社会を、また成長させてゆく。常識とは異なり、弱い者、小さな者もまた、強い者、大きな者を育てることができるのだ。ぼくは、ここに「教育」のもっとも重要な本質、相互性(互いに教え合うこと)を見た(54-5)

 だが、この学校〔=きのくに子どもの村学園〕でもっとも大切と思われるのは、「先生」と「生徒」という呼び名がないことだ。ここでは、大人も子どもも対等のパートナーなのである。規則も、なにを学ぶかも、(大人と子ども)全員が話し合う。このラディカルな民主主義を原理とする学校を、社会から切り離された形ではなく、社会の認知の下に発足させることに、関係者は全力を尽くした。(55)

 エンパワーメントという耳慣れないことばがある。それは、国や公の組織ではなく、個人や、ある特定の目的のために自発的に生まれた集団が、公正で公平な世界を実現しようとして、様々な力を発揮していくことだ。もっと簡単にいうなら、「お上」に任せてちゃいられない、自分たちの社会は自分で作るさ、といって、外へ飛び出してゆくことだ。(66)

 そして、なぜコミットし続けるのか、という問いに、湯浅〔誠〕はこう答えるのだ。
 ——民主主義とは、どんなに嫌がっても、主権者から降りられないシステムなのです。
(67)

オーストラリアやイギリスでも、入学式はないみたいだし。そもそも「入学式」自体が、「常識」ってわけじゃなかったんだ。ランドセルは、もともと「軍隊」と共に輸入された背嚢が起源だし、日本で最初に運動会をやったのは海軍兵学校だった。「入学式」って、実は「入隊式」なんじゃないのかな。(70)

 戦争を「正しい」ものとして教えていた同じ先生が「正しくなかった」といわねばならない。恥ずかしい。けれども、その、うつむく姿こそ輝いていた、最高の教育だった、と鶴見〔俊輔〕は考えた。それが「光背」の意味である。先生も自分と同じ、間違える存在なら、なんでも唯々諾々と受け入れることなどできない、生徒たちはそう考えることができたのだ。
 だが、それも束の間のことだった。すぐに、すべては元に戻った。先生は国が公認した「正解」を教える存在へ、生徒はその「正解」を暗記する存在へ、と。
(124-5)

 ラスト〔映画『立候補』の——〕近く、総選挙投票前夜の秋葉原、マック赤坂は、安倍晋三の登場を待つ万余の群衆の前に現れる。そして、すさまじい罵声や「帰れ!」コールを浴びながら、たった一人で踊り続ける。その姿を見ながら、ぼくは気づいた。あそこで「ゴミ!」と群衆から罵倒されているのは、ぼくたち自身ではなかったろうか。
 ぼくたちは、この世界は変わるべきだと考える。だが、自らが選挙に出ようとは思わない。それは誰か他の人がやること、と思っているからだ。いや、もしどんな組織にも属さないぼくたちが選挙に出たら「泡沫」と呼ばれ、バカにされることを知っているからだ。そんなぼくたちの代わりに、彼らは選挙に出る。そして、侮蔑され、無視され、罵倒されるのである。
(139-40)

「正直言うと、どうせ死ぬんだから、ふがいない政治、今の社会をいっそ見放してしまえ、と冷めた気持ちになることもないとは言えません。だけど私はやはり、生きている間は社会に責任があると思っています(なだいなだの発言. 142-3)

 たくさんの保育園に通った。公立・私立の認可保育園、無認可のもの、ぼく以外はほぼ全員風俗業のお母さんが通っている24時間保育のところ。
 忘れられない風景がある。ぎりぎりまで働いて子どもを迎えに行くので、保育園に着くのは延長保育のリミットあたり。だから、毎日、近くの駅から走った。すると、たいていすぐ近くに、一緒に走っているお母さんがいるのである。2、3分遅れても文句はいわれないだろう。でも走るのだ。汗で化粧がはげ落ち、目にうっすら涙の気配。
「子どもが待っていますので」とはなかなかいえず、まるで罪人みたいに申し訳なさそうに会社を出たこと、子どもが誰もいなくなった部屋でひとりで待っているのではないかと思うと胸が締めつけられそうになること、こんなことなら働くんじゃなかったとつい思ってしまうこと、それらが胸の中で渦巻いているのだ、とぼくにはわかった。なぜなら、ぼくもそう感じていたから(とりわけ、小さな土建会社で働いていた20代の頃は)。
(154-5)

 ある若者が、デモに行くという友人と、その後で映画を見ようと約束した。その若者が、友人が交じったデモ隊の列と並んで歩道を歩いていた時、突然、私服警官に逮捕された。理由は公務執行妨害だったが、若者にはまったく覚えがなかった。後に若者は検察官から「きみが威圧的態度をとり、警官は恐怖を感じたからだ」といわれた。そういえば、私服警官らしい人間と目があったことは思い出したが、それが公務執行妨害にあたるとは夢にも思わなかった。
 留置場に入った若者は、そこで、1年近く裁判も始まらずただ留め置かれているという窃盗犯に出会った。貧困から何度も窃盗を繰り返した男は、1件ずつゆっくり起訴されていた。警察・検察の裁量によって、裁判が始まる前に、実質的には刑罰の執行が行われていたのだ。
「それって、人権侵害じゃないの」と若者がいうと、「わからない。法律なんか読んだことがない」と男はいった。若者と男の話を聞きとがめた看守が、房の外から、バケツで2人に水をかけた。
うるさい黙れ、犯罪者には人権なんかないんだ
 極寒の房内は室温が氷点下にまで下がっていた。濡れた体を震わせながら、若者は、犯罪者の人権が軽んじられる国では、人権そのものが軽んじられるだろうと考えていた。それは、本や理論で学んだ考えではなく、経験が彼に教えたものだった。その若者が半世紀近くたって、いまこの論壇時評を書いている。
(169-70)

 父親のふたりの兄はアッツ島とルソン島でそれぞれ「玉砕」している。大阪に住んでいた祖母は、上京すると靖国に詣でるのが習慣だった。そんな祖母に、わたしの父親はこういって、いつも喧嘩になった。
下の兄さんの霊が、靖国になんかおるもんか。あんだけフランスが好きだったんや、いるとしたらパリやな
 では、その、わたしの伯父は「英雄」となって靖国にいるのだろうか、それとも、パリの空の下にいるのだろうか。
 父は、兄たちが玉砕したとされる日になると、部屋にこもり、瞑目した。それが、父の追悼の姿勢だった。もちろん、父は祖母の靖国行きを止めることもなかった。「忘れられた皇軍」兵士、ジョ・ラクゲンは父と同い年だ。
 伯父の霊は、靖国にもパリにもいないような気がする。「彼」がいる場所があるとしたら、祖母や父の記憶の中ではなかっただろうか。その、懐かしい記憶の中では、伯父は永遠に若いままだったのだ。「公」が指定する場所ではなく、社会の喧騒から遠く離れた、個人のかけがえのない記憶こそ、死者を追悼できる唯一の場所ではないか、とわたしは考えるのである。
(177-8)

「〔鈴木大裕によると〕学校側は正規教員を減らし、時給15ドル(約1500円)の無免許のインストラクターが、一度に最高130人の生徒をモニターすることによって、1年間で約50万ドルを節約できるという。教員の半分は教員経験2年未満、75%は、たった5週間のトレーニングで非正規教員免許を得られるティーチ・フォー・アメリカ出身だ」
「この学校を熱心に支援するシリコンバレーの社長たち」は、もちろん、自分の子どもたちは、この「庶民の学校」には入れないのである。これは、わたしたちの、遠くない未来の風景なのだろうか。
(192)

 占拠が20日を過ぎ、学生たちの疲労が限界に達した頃、立法院長(議長)から魅力的な妥協案が提示された。葛藤とためらいの気分が、占拠している学生たちの間に流れた。その時、ひとりの学生が、手を挙げ、壇上に登り、「撤退するかどうかについて幹部だけで決めるのは納得できません」といった。
 この後、リーダー林飛帆がとった行動は驚くべきものだった。彼は丸一日かけて、占拠に参加した学生たちの意見を個別に訊いて回ったのである。
 最後に、林は、妥協案の受け入れを正式に表明した。すると、再度、前日の学生が壇上に上がった。固唾をのんで様子を見守る学生たちの前で、彼は次のように語った後、静かに壇上から降りた。
撤退の方針は個人的には受け入れ難いです。でも、ぼくの意見を聞いてくれたことを、感謝します。ありがとう
 それから、2日をかけ、院内を隅々まで清掃すると、運動のシンボルとなったヒマワリの花を一輪ずつ手に持って、学生たちは静かに立法員を去っていった。〔略〕
 学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム」だという考え方だった。
(195-6)

 45年前、学生運動で逮捕・起訴され、拘置所にいたわたしは、その7カ月の間、まず『資本論』を読もうと思った。時間だけはたっぷりあったのだ。読み始めて、すぐにわたしはとまどった。それが「経済学」の本に留まらないことがすぐにわかったからだ。その本の中で著者は、世界全体を丸ごと理解しようとしていた。まるで、作家や詩人のように馬鹿げた野心の持ち主だ、とわたしは思った。その後、わたしは作家になったが、「作家としての野心の大きさ」でも、この人には敵わないと感じる。
 人々が攻撃的になるのは、視野を狭くしているからだ。世界を、広く、深く、複雑なものとして見ることを忘れないようにしたい。いま、強く、そう思う。
(207-8)

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないだろうか(212)

 同時代の誰よりも鋭く、考え抜かれた意見の持ち主であったにもかかわらず、スーザン・ソンタグは、「意見」を持つことに慎重だった。
意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだという点である……何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」
(235)

 そんな遠い未来の目から、ぼく自身を見た。ぼくは、ある特定の時代に生きて、その時代の考えやことばに制約されている。千年先から見たぼくは、滑稽だろう。けれども、その制約の中で、精一杯のことをやってみたい。そんな風に思った。未来の読者から、「あなたが生きていたその世界ではなにがあったのですか?」と訊ねられたら、「こんなことがあったんだよ」と答えたいと思った。遥か遠くにまで届くことばを作れたらいいなと思った。小説は、そのために書いていたんだ。(252)


@研究室
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by no828 | 2015-11-24 19:43 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 11月 22日

自分の家族のことをほぼ考えないで政治だけやっているわけですから——手嶋龍一・佐藤優『知の武装』

c0131823_15123351.jpg手嶋龍一・佐藤優『知の武装——救国のインテリジェンス』新潮社(新潮新書)、2013年。29(951)


 版元
 

「インテリジェンス」がキーワード。「国家の舵取りを委ねられた指導者がその命運を賭けて下す決断の拠り所となる情報」(4)や「膨大な一般情報を意味するインフォメーションから、きらりと光る宝石のような情報を選り抜いて、精緻な分析を加えた情報のエッセンス」(14)と規定されています。

 なるほど、と思わされる箇所ももちろんありましたが、「インテリジェンス」とはつまりは“相手の腹の読み方”であって、それを「インテリジェンス」という言葉を使って論じるのは少し大袈裟というか、わざわざ使わなくてよいのではないか、という読後感(読中感)もあります。


佐藤 二〇一三年九月五日付の「ニューヨーク・タイムズ」の一面に、シリア反政府派の武装グループが、シリア政府軍の兵士を上半身裸にしてひざまずかせ、射殺する残虐な写真が掲載されましたが、事実、このような残虐な行為に及ぶ連中です。アメリカやフランスは遠くから手を回し、この「半グレ集団」に軍服を着せて銃と金を渡し、反政府派と名のらせて内戦をやらせてきたんです。(39)

手嶋 民間のかなり大事な交渉で、自社の社員に英語で折衝をやらせている経営者がいますが、危険極まりないですよね。外交の世界では決してそんなことはしません。外交官は英語で交渉しているはずとかなりの人が思っていますが、実はそんなことはしないんです。非公式な社交の場では英語で会話をしますが、正式な折衝では通訳を使うのが鉄則です。
佐藤 いまどき英語で自ら交渉をやっている会社は、オキュパイド・ジャパン、つまり占領下日本の発想から抜け出してない。重要な会談は、民間でも日本語を使うべきです。
(59)

佐藤 スノーデンがこの巨大会社の下級社員であった理由は、能力が低いからじゃない。インテリジェンスの非合法活動に関わっていたからですよ。だから万一、事故が生じたときに備えて、外部の民間会社の下級社員の肩書で重要な任務に当たらせていたのです。(96)

佐藤 スノーデン自身はこう語っています。「米政府が世界中の人々のプライバシーやインターネット上の自由、基本的な権利を極秘の調査で侵害することを我が良心が許さなかった」。これこそ、彼を突き動かした真の動機であると見ていいでしょう。(99)

佐藤 「スノーデンは思想犯だ。国家や民族が存在しなくても、人類は生きていくことができるという素朴なアナーキズムを信じているハッカーは多い。何かの機会にスノーデンも正義感に目覚めてしまったのだろう。この種の思想犯は手に負えない」。この見立ては正鵠を射ていると思いますよ。(100)

手嶋 彼らは意図して新しい知識や科学の知見を受けつけようとしない。そもそも公的な教育に神の子である子弟を委ねない人々なのです。福音派の教会から送られてくる教科書を使って自宅で親が学ばせている。そこにはダーウィンの進化論など存在しません。(139)

佐藤 安倍政権は、憲法改正に直ちに着手することができないので、集団的自衛権に積極的な小松〔一郎〕氏を内閣法制局長官に据え、解釈改憲を進めようとしているのでしょう。
 この手法は、ナチスがワイマール憲法を改正せずに国家体制を抜本的に転換したのと似ていますよ。ドイツの憲法学者オットー・ケルロイターは、一九四〇年ころまでナチス政権下における憲法理論の第一人者でした。戦争中にはナチス批判に転じたのですが。ケルロイターは、『ナチス・ドイツ憲法論』で、英米法のように解釈に幅のある憲法は指導者により体現されることとなるので、指導者国家の法律や命令は必ずしも憲法の縛りを受けないと主張しています。麻生副総理兼財務相の「(ナチスの)手口に学んだらどうかね」という発言は、冗談ですまされなくなります。ワイマール憲法自体の改正を迂回し、ナチス体制を構築した技法が、そこには埋め込まれているのですから。
(144-5)

佐藤 「帝国」は、外の力を包摂し、自己に吸収して、初めて生き残ることができる。かつてのような植民地を持つ形の帝国主義じゃなくて、品格のある形で自由貿易を基本としながら「帝国」として生き残る道もあるんです。沖縄という本土とは異質な文化を持つ外部領域といかにしてうまくやっていくのか。(148)

手嶋 「TPPが聖域なき関税撤廃を前提にするなら、TPP交渉への参加に反対する」——。佐藤さん、この自民党の公約をどうご覧になりましたか。
佐藤 日本が東アジアで生き残っていくためには参加すべしという私の持論からすれば、なかなかに良くできた公約です。
手嶋 〔略〕この文章を「TPPへの参加表明」と読んでいるわけですね。〔略〕このTPP交渉を事実上取り仕切っているアメリカは、かつても今も、「聖域なきTPP」など唱えていない
佐藤 ありもしない前提をあえて掲げ、そうなれば参加しないと。じつに老獪だなあ。
手嶋 僕は、戦後の政治文学の最高傑作の一つと言ってます(笑)。
(156-7)

手嶋 佐藤さんは、実念論が中心の国では、成文憲法ができづらいと興味深い指摘をしていますよね。
佐藤 イギリスがその代表例ですが、イスラエルもそうです。成文憲法はなくても目に見えない憲法があるという意識が、実念論の世界の人々には共有されている。神様は目に見えないが、存在していることをみんなが信じているのと同じです。だから、必要に応じて必要な部分だけを文字にすればいいという発想につながります。
(179)

佐藤 キュニコス学派の現実を突き離して見る姿勢は、ピュロンの懐疑派でより強まり、そのどちらが正しいかよくわからないという。人にはそれぞれ正しいことがある。あまり、何が真理かなどと議論してもよろしくない。多元的にいこうじゃないかと。究極の理想はエポケー、判断停止にすること。このエポケーが最大の理想である。判断をしないとあえて判断する、こういう立場に立つんです。〔略〕シニカルというと「冷笑的」と日本では訳されて、何か冷たい笑いを浮かべているというイメージが定着してしまった。しかしそうじゃなくて、自分を突き離すことのできる、ものすごく強い意志力が求められる。その前提として、目に見えないものが確実に存在するという感覚が必要になる。けれど、我々は人間だから目に見えないものについて知ることはできない。だから、それについて我々は語らない(182)

佐藤 イギリスの〔第二次大戦開始後のマン島への〕強制移住の話、ほとんど知られていませんね。「第五列」という意味では、アメリカでも、日系アメリカ市民の強制収容キャンプ送りがありましたが、イギリスは、ファシズムにつながる危険性があるとして、ごく一般のイギリス市民を強制移住させた事実があるんです。(186)

佐藤 CIAの係官と話していてびっくりしたんですが、中国分析をする人間は中国に渡航することが禁止されている。また、中国語を学ぶことも奨励されていないんです。そういうことがあるとバイアスがかかるからという理由でね。(189)

佐藤 カトリックの聖職者は独身ですが、裏を返せば、バチカンに集まっている人間というのは、自分の家族のことをほぼ考えないで政治だけやっているわけですから、そういう人たちが強いのは道理ですよ(209)

佐藤 一九七〇年代の前半までのことですが、東西冷戦の時代にあっても、ベルリンの壁を自由に行き来できた一群の人たちがいました。この事実は案外と知られていない。彼らは宗教界の人々だったのです。プロテスタント教会の一つ、EKD(ドイツ福音主義教会)は、六〇年代末まで東西両ドイツにまたがる組織で、この神学校の神学生は両ドイツをほぼ自由に移動できた。両陣営の暗黙の合意のもと、わざとそうした体制にしていたんですね。(213)


@研究室
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by no828 | 2015-11-22 15:35 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 11月 20日

「それには、どうしても最高の教育が必要なんだよ」——駒村吉重『ダッカへ帰る日』

c0131823_19411290.jpg駒村吉重『ダッカへ帰る日——故郷を見失ったベンガル人』集英社、2003年。28(950)


 ※ 「吉重」は「きちえ」|版元 なし


 日本で“出稼ぎ”に来ていたベンガル人(バングラデシュ人)のベラルとハニィフというカン兄弟と著者との友だち付き合いが描かれています。著者はバングラデシュにも行っています。2000年くらいのお話。

 本書を読み終え、まとめながら、“教育にはお金がかかる”という考え方、教育における“交換”という考え方が改めて気になりました。「教育」という概念から“お金がかかる”は出てくるのか。経済社会における位置づけ。社会システムへの埋め込み。

 最初の引用はベンガル人の発言ですが、バングラデシュだけの問題ではありません。日本にもあてはまります。


「みんな日本のこといろいろ言うけど、一番悪いのはバングラ人なの。悪いのは政府、政府ってみんなが言うでしょ。でも、ああいう政府つくるのはバングラ人なんだから。偉いひとから貧乏なひとまで、ひとりひとりがもっと変わらないと、あの国は絶対変わらないよ。それはすごく時間がかかること。だってそうでしょう、すぐに病気に効く薬はないよ」(113)

 訪ねたときは、十七歳を先頭にベラルのすぐ下の弟三人と、日本にいるハニィフの息子がひとり、長兄の息子ふたりが同じ学園に通うため一緒に生活していた。少年たちが通うのはダッカでも評判のプライベート・スクールで授業料はかなり高いという。私がいる間にも、身なりのいい教師が夜間に二度、子どもたちの生活ぶりや成績の報告をするために保護者を訪ねてきた。手厚い指導ぶりである。
 身内六人の教育費に、ベラルやハニィフの出稼ぎ代は、ほとんど消えていく。さすがに、子どもたち全員をダッカの学校にやるのは難しく、娘たちは、いまのところクッミラの実家に留まり、地元の学校に通っている。その娘も入れるとカン家では、実に八人の授業料を捻出していることになる。
 父は、高校を出た長兄とハニィフ、ベラルをカレッジまで上げてから、仕事をリタイアした。就学中の弟や、新たに学校に上がろうとしていた孫たちの学費の工面は、当然のごとく先に社会に出た三人の男兄弟に引き継がれたわけである。
(151-2)

「これはラカイン人にも言えることですが、ベンガル人はもともと農地を耕して生きてきた農耕民族だから、家に働き手がたくさん必要だったんです」
 家族が多いことは、なにかと心強い。しかし、貨幣経済がすっかり生活の形態を変え、教育をはじめ生活全般に金がかかるようになった現代では、大家族をみんなで支え合うことが、かえって足枷のように重くなりだしたというのである。
(153)

 だってダッカは汚い町で、とても住めるところではないよ、と緊急避難を煽るような口ぶりだ。にもかかわらず、ふたりの息子たちには、そのダッカでの生活を余儀なくさせているのである。高いレベルの教育を受けさせなければ、チャンスの少ないこの国では完全に先々の希望を失うことになるからだ。〔略〕
 できれば自分の子ども、下の弟たちは出稼ぎに出てほしくないと、モスタファは切実に思うのだ。
それには、どうしても最高の教育が必要なんだよ
 と、自らに言い聞かせるように語った。
(156)

 そのバングラデシュ最南端の密林に、民族紛争の取材のために、かつてひとりの日本人男性が入り込み、祖国の土を踏むことなくマラリアで息を引き取った。そのことを、知人が書いたある短編の紀行文を読んで知った。まったく無名だった彼が夭折したのは、ちょうど九年前の春先、寿命を終えた三十三歳は、いまバスに揺られる私と同じ年だった。ダッカまで来たついでに、コックスバザールの仏教寺院にある、彼の墓に参るつもりだった。(169) ▶ 誰かわからない。

「ビザがない私が日本人に認めてもらうには、どうすればいいか最初考えました。でも、すぐに分かった。一生懸命やっていれば、日本のひとは働きを認めてくれます。それはバングラデシュとまったく違うところでした(173)

「日本の子どもはみんな学校に行くのか」
「ベンガル語を話せるのか」
「なぜ、コックスバザールに来たのか」
 など。目をまんまるく見開いて、異国の旅行者の口から出るひと言を、うずうずしながら待ち受ける。
 ファルクによると、少年の日給は二十タカ、これだけ働いて月六百タカ(約千二百円)程度しか稼げないらしい。ダッカのプライベート・スクールに通うカン家の六男よりひとつ年下だが、生まれた環境はこうもくっきり暮らしの差を際立たせる。それがバングラデシュだった。
 おれはジュニア・ハイスクールまで出たが、教育を受けられない人間の稼ぎはこんなものだと、店の少年を指して別に哀れむふうでもなく、見下げるふうでもなく、ファルクはつっけんどんに言う。
 では学校へはどのくらいの人間が行けるのかと問えば、だいたいが判で押したように「三〇パーセントぐらい」とこたえる。ファルクが見渡したところ、飯屋で会う男たちのほとんどが、まともに初等教育を受けたことがない。
 バングラデシュでは、一九九三年に小学校が義務化され授業料が無料になったため、飛躍的に就学率が伸びている。九七年には約七五パーセントもの児童が就学できるようになった。だが、現実は厳しく五年間の初等教育を無事に終えるのは半数に満たない。
 授業料が有料化し、公立の学校がぐっと減る中学校(五年制)の就学率となると、たった二割ほど。ハニィフやベラルのように高校(二年制)を卒業してカレッジにまで進める高学歴層は、おかっぱ頭の少年から見たらかなり裕福な家庭である。
 少年はコックスバザール郊外の出身で、両親は小作農で生計を立てているという。少しばかりの現金収入を得るために、彼も数年前から飯屋の繁忙期に単身働きに出てきていた。遠い親戚筋にあたる人が近くにいて、町での出稼ぎ中はそこに身を寄せている。
(179-80)

 この格好で、ゴム製のビーチサンダルをひっかけて外を歩くことは、カン家では禁じられていた。なぜならそれは、「学校にも行けない人たちの格好」だからである。ルンギはあくまで部屋着だ。足もとのサンダルも、革製がのぞましい。(181)

店で最後のチャを飲み終え、いざ外に出ようとすると、ほんの十秒ほど姿を消していた少年が駆け込んできた。そして、小首をかしげて、タバコを一本差し出した。隣の雑貨屋からいま買ってきたらしい。
 私が、ときどきふかすバングラデシュの銘柄だった。一本三タカはいま飲んだチャと同じ値だった。受け取るのをためらったのは、少年の稼ぎに占める三タカの大きさを、咄嗟に胸で弾いてしまったからだ。
「彼からのプレゼントだよ。受け取りなよ」
 片膝を立てて椅子に座っていたファルクがあごをしゃくった。
 おかっぱの少年は右手にタバコを持ち、自分の胸に左の手のひらをあてて、またちょっと小首をかしげた。
「Mind(気持ちだよ)」
 ファルクが代弁する。おりしもきょうは、少年が出稼ぎを切りあげ、夕方には二カ月ぶりに父母のもとに帰る日だった。
 立ち上がりかけて、もう一度椅子に腰かけた。それから、マッチを擦って、少年が見守るなか、できるだけ深くタバコの煙を吸い込んだ。度の強い辛みが喉元をえぐり、重く肺を衝くとかすかな痛みがあった。
 今夜、少年は出稼ぎの思い出に、異国の男との出会いを父母に語るのだろうか。
(182-3)

 カン家における海外出稼ぎ史は、わりと浅い。少なくとも、ベラルの祖父の代までは、この農村地帯を離れることなく、ゆったり暮らすことが許されたのである。彼らの父が結婚した一九五〇年代半ばになり、初めて一家の大黒柱がクッミラを離れダッカに出ていかざるをえない状況に遭遇する。こんな農村地帯でも教育の大切さが認識されだし、急速に現金収入の必要が生じたのである。(187)

 八百万超の生活者がひしめくダッカ首都圏の人口は、年々増えるばかりである。人口の増加に伴い学校も乱立した。ベラルやハニィフがチッタゴンからダッカのカレッジに通いだした八〇年代半ばには、すでに人々が教育を求めて首都に殺到していた(188)

「電話でいっぱい話した。金も学校も大切。でも、外国に行けばなんとかなるって最初に思っちゃったら、ほかのことを考えられなくなっちゃうでしょ。簡単に韓国に行くって考えない方がいい。帰国したらおれも手伝うから、バングラデシュでなにか商売考えなきゃだめだって言った」(222)

「お前は日本で少し狂っちゃったな。バカだよ、ベンガル人が自分の国に帰らなくてどうする」
自分の国?
 あんな国なんかもういいよと、どんぐり眼も負けじと食ってかかる。
「上から下まで腐ってる。ベンガル人はみんな口ばっかりだ。なにをするにも賄賂ばっかりじゃないか。国が貧しくて当たり前じゃないか。あんなところに帰ったってどうなるんだ」
(232)

加筆中の一部を目にした例の知人が、「よく分からないなあ」と、不満を漏らした。分からないのは、カン兄弟のことではなく、彼らと関わる私の素性なのだと言う。
 このときになって私は、「そのときの私」が物語のなかにいないことにが、作品の致命傷になっていたことに、ようやく思いが至った。〔略〕
 すました傍観者として、客観的にこの物語を書くには、私にとって、彼ら兄弟はあまりに身近な存在でありすぎたのだ。
(244)


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by no828 | 2015-11-20 19:59 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 11月 18日

我々だけが生き残ったのは、知性ではなく、残虐性が勝ったからだと?——高野和明『ジェノサイド』

c0131823_2065223.jpgc0131823_2072627.jpg高野和明『ジェノサイド』上下、角川書店(角川文庫)、2013年。27(949)


 単行本は2011年に同書店
 版元上巻 版元下巻 


 多様な要素がうまく組み合わされ、組み立てられていると感嘆しながら読みました。また、主人公のひとりが大学院生ということもあり、親近感も抱きました。薬学、国際政治学(ことにアメリカ政治、アフリカ政治)、人類学の一部または全部への関心を引き受ける本だと思います。伊藤計劃『虐殺器官』(前半後半)を想起しました。また、森博嗣『有限と微小のパン』に示される「人間性」の規定と重なる文章が展開されてもいます。

 進化論に依拠し、現在もまた進化の過程にあるなら、人間の知能をはるかに超出した生命体が出現してもおかしくない。


 科学の知識は、肉親の死を少しだけ無味乾燥にしてくれた。(上. 32)

正しいことだけを語ろうとする者は、口が重くなるんだ(上. 112)

 あの子は何も悪いことなどしていないのに、どうしてあんなに苦しまなくてはならないんだろう。どうして、たったの六歳で死んでしまうのだろう。科学者の端くれである研人には、その答えは分かっていた。時として自然は人間に対し、無差別に、残酷なほどの不平等をもたらすのだ。
 そうした脅威と戦うために薬学の研究者がいるというのに、自分は今まで何をしてきたのか。大学に入学してからの六年間、何の使命感も持たずに無為に日々を積み重ねてきてしまった。捨てたも同然の年月だった。
(上. 156)

 安直に答えを出そうとしない正勲の態度に、研人はつくづく感心した。強靭な論理こそが、科学者の唯一の武器だ。(上. 203)

 ジャングルがもたらす不安や恐怖に対処するには、脅威を一つ一つ確認するのが唯一の方法だと、特殊部隊の教官は言っていた。天候か、気温か、飢餓か、方向感覚の喪失か、毒を持った小動物か。脅威を確認したら、それを取り除くことだけに集中しろ。脅威が存在しないのなら、何も怖れるな。(上. 226-7)

嫉妬にまみれた男たちの、冗談めかして本気で他者を貶めようとする醜い笑顔を何度も見せつけられているうち、ルーベンスは一つの傾向に気づいた。知的に劣る男ほど、性的な面で優位に立とうとするのが歴然と見て取れたのだった。(上. 288)

 ルーベンスの見たところ、社会生活の中に見られるあらゆる競争の原動力は、たった二つの欲望に還元されるようだった。食欲と性欲だ。他人よりも多く食べ、あるいは貯め込み、より魅力的な異性を獲得するために、人間は他者を貶め、蹴落とそうとする。獣性を保持した人間ほど、恫喝や謀略といった手段を用いて、組織と名付けられた群れのボスにのし上がろうとする。資本主義が保障する自由競争は、こうした暴力性を経済活動のエネルギーへすり替える巧妙なシステムなのだ。法で規制し、福祉国家を目指さない限り、資本主義が内包する獣欲を抑え込むことはできない。とにかくヒトという動物は、原初的な欲求を知性によって装飾し、隠蔽し、自己正当化を図ろうとする欺瞞に満ちた存在なのだった。(上. 288-9)

 例えば敵が人種的に異なり、言語も宗教もイデオロギーも違うとなれば心理的距離は遠くなり、それだけ殺しやすくなる。そもそも平時からすでに他民族との心理的距離をとっている人間、つまり自らが所属する民族集団の優位性を信じ、他民族を劣等と感じている人間は、戦時においてはたやすく殺人者へと変貌する。普段の生活の中で周囲を見回せば、そんな人間の一人や二人はすぐに見つかるはずである。さらに戦う相手が倫理的にも劣った、鬼畜に等しい連中だと徹底的に教え込めば、正義のための殺戮が開始される。こうした洗脳教育は、あらゆる戦争で、あるいは平時にも、伝統的に行なわれてきた(上. 291)

戦争当事者の中で、もっとも残忍な意思を持つ人間、つまり戦争開始を決定する最高権力者ほど、敵からの心理的・物理的距離が離れた位置に置かれているということである。ホワイトハウスで晩餐会に出席している大統領は、敵の返り血を浴びることも、肉体を破壊された戦友が発する断末魔の叫びを聞くこともない。殺人にまつわる精神的負荷をほとんど被らない環境にいるからこそ、生来の残虐性を解き放つことができるのだ。軍隊組織がこのような形態に進化し、兵器が科学技術によって改良されてきた以上、近代戦において殺戮が激化するのは当然だった。戦争の意思決定者は、良心の呵責を感じることなく大規模空爆を命令できるのだ。(上. 293)

国家の人格とは、意思決定者の人格に他ならない(上. 296)

 とにもかくにも戦争は開始され、イラク全土で殺し合いが続いている最中にバーンズ大統領の勝利宣言がなされ、それからは多数のハイエナ国家が、戦後復興協力の美名のもとにイラク国内に入った。戦争が終わったはずの国で戦死者が出てはまずいため、多くの軍隊が民間軍事会社の傭兵を雇って自分たちを警護させるというブラック・コメディが展開された。そんな涙ぐましい努力でアメリカ追従の意思を示した国々は、略奪品のおこぼれとして油田の権益を分け与えられることになる。そうした国の指導者もまた、非人道的な国益に目が眩み、ありもしない大量破壊兵器を口実に自国民を欺き、あるいは国民の側も欺かれた振りをし、間接的にイラク人民を殺したのだ。その裏では、各国のエネルギー企業が莫大な利益を手にし、市民たちがより便利な生活を享受し、最前線に立たされた兵士たちの多くが心と体に深い傷を負ったはずである。
 この史上稀に見る愚かな戦争を主導したアメリカの指導者たちは、いつか人生の終わりを迎えた時、彼らが信じた神によって地獄に堕とされるだろう。
(上. 298)

 もしもここにジャーナリストがいたら、殺戮の模様を文章に認〔したた〕めたことだろう。その記事が、読む者の心に平和への希求を芽生えさせるのと同時に、怖いもの見たさの猟奇趣味を煽り立ててしまうのを知りながら。そして、低俗な娯楽の送り手と受け手は、殺戮者たちと同じ生物種でありながら自分だけは別だと思い込み、口先だけの世界平和を唱えて満足を覚えるのだった。(下. 50)

無理だ、とは言わない人たちが、科学の歴史を作ってきたんだよ(下. 74)

「今からおよそ五十年前、トルーマン大統領がアルバート・アインシュタインに一つの質問をしました。もしも宇宙人が地球にやって来たら、どのように対処すればいいのかと。アインシュタインの回答は、『決して攻撃をしてはいけない』というものでした。人類を凌ぐ知的生命体に戦争を挑んでも、勝ち目はないからです」(下. 91)

「恐ろしいのは知力ではなく、ましてや武力ではない。この世でもっとも恐ろしいのは、それを使う人格なんです(下. 94)

「もっと言えば、私は人間という生物が嫌いなんだ」〔略〕「すべての生物種の中で、人間だけが同種間の大量虐殺〔ジェノサイド〕を行なう唯一の動物だからだ。それがヒトという生き物の定義だよ。人間性とは、残虐性なのさ。かつて地球上にいた別種の人類、原人やネアンデルタール人も、現生人類によって滅ぼされたと私は見ている」
我々だけが生き残ったのは、知性ではなく、残虐性が勝ったからだと?
「そうだ。脳の容積は、我々よりもネアンデルタール人のほうが大きかった。確実に言えるのは、現生人類は他の人類との共存を望まなかったということだ
(下. 161-2)

二十世紀に至るまで、アフリカ大陸だけが発展から取り残されたのは、奴隷貿易と苛酷な植民地支配によって、人間というもっとも重要な資源を奪われたからなのだ。(下. 162-3)

「善なる側面が人間にあるのも否定はしないよ。しかし善行というものは、ヒトとしての本性に背く行為だからこそ美徳とされるのだ。それが生物学的に当たり前の行動なら賞賛されることもない。他国民を殺さないことでしか国家の善は示されないが、それすらもできないでいるのが今の人間だ(下. 164)

歴史学だけは学ぶな。支配欲に取り憑かれた愚か者による殺戮を、英雄譚にすり替えて美化するからな(下. 171-2)

 あらゆる政治的決定は、理性的判断のように見えても、意思決定者の人格が強く影響している。(下. 198-9)

 人間なんかに生まれなければよかった。
 鳥や獣に生まれて、お父さんやお母さんや兄妹たちと寄り添い合って、いつまでも仲良く暮らしていたかった。
(下. 220)

 最後の引用文は、少年兵に仕立て上げられた少年が銃撃戦で撃たれて死にゆく過程で心に思い浮かべた事柄だったと記憶しています。

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by no828 | 2015-11-18 20:27 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 11月 14日

「配慮」の背後にあるのは、「個人モデル」で——伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

c0131823_154536.jpg伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』光文社(光文社新書)、2015年。26(948)


 版元
 ※ 帯の「<見えない>」は「〈見えない〉」のほうがよいのかもしれません。<>は不等号、〈〉は山括弧。


 著者の専門は生物学寄りの美学。本川達雄の『ゾウの時間ネズミの時間』、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの「環世界」概念、日高敏隆の『動物と人間の世界認識』などを踏まえた身体論。「環世界」は、「自分にとっての世界」(34)とされています。「生きものは、無味乾燥な客観的な世界に生きているのではありません。自分にとって、またそのときどきの状況にとって必要なものから作り上げた、一種のイリュージョンの中に生きているのです」(34)。

 では視覚障害者の環世界とはどのようなものか。視覚障害者の内側からその世界を覗いてみようというのがこの本書の企図です。その姿勢は現象学とも近いものがあるように思いました。

 講義で本書を紹介しました。本務校でのわたしの講義には「福祉」を専攻しようとする学生——ほとんど1年生——がいます。厳密には、高校の「福祉科」教員免許を取得しようとする学生がいます。本書には「福祉的視点」や「福祉的態度」が批判的に言及されており、それが本書全体にかかる著者の態度をも示しています。なぜ「福祉的」が批判されているのか、それを理解しておくことは「福祉」を学ぼうとする学生にも必要なことでしょう。

 わたしはまた、盲聾の学生——M君と言います——に講義をしたことがあります。非常勤講師先の一斉授業でした。わたしは通常どおり講義をします。M君の傍らには指文字通訳の方が付き、わたしの板書の内容や口頭での説明が訳されていきます。板書の内容は事前にM君本人宛てにメールで送り、他の学生には講義中に5〜10分で書いてもらうリフレクションをM君からはメールでわたし宛てに送ってもらうようにしていました。M君にとっての言語、M君にとっての世界、この本を読みながらそのM君のことを時折思い出しました。


 自分と異なる体を持った存在のことを、実感として感じてみたい。(21)

 本書のテーマは、視覚障害者がどんなふうに世界を認識しているのかを理解することにあります。私が視覚障害者数名にインタビューを行い、対話を重ねながら、彼らの見ている世界のあり方を分析したものです。〔略〕視覚を使わない体に変身して生きてみること。それが本書の目的です。(23)

 美学とは、〔略〕言葉にしにくいものを言葉で解明していこう、という学問です。〔略〕
 美学というのは、要はこの〔「いわく言いがたいもの」の意であるフランス語〕「ジュネセクワ」〔je ne sais quoi〕に言葉でもって立ち向かっていく学問です。
(25)

私がとらえたいのは、「見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態」ではありません。(30)

私が危惧するのは、福祉そのものではなくて、日々の生活の中で、障害のある人とそうでない人の関係が、こうした「福祉的な視点」にしばられてしまうことです。
 つまり、健常者が、障害のある人と接するときに、何かしてあげなければいけない、とくにいろいろな情報を教えてあげなければいけない、と構えてしまうことです。そういう「福祉的態度」にしばられてしまうのは、もしかするとふだん障害のある人と接する機会のない、すなわち福祉の現場から遠い人なのかもしれません。
(36-7)

 福祉的な態度では、「見えない人はどうやったら見える人と同じように生活していくことができるか」ということに関心が向かいがちです。つまり、見える人の世界の中に見えない人が生きている。もちろん、現実にはさまざまな社会的インフラは見える人の体に合わせて作られていますから、それはそれで大切です。しかし、木下さんの言う「そっち」は、見える世界と見えない世界を隣り合う二つの家のようにとらえています。「うちはうち、よそはよそ」という、突き放すような気持ちよさがそこにはあります。(41)

人は多かれ少なかれ環境に振り付けられながら行動している(53)

都市というものを、ひとつの巨大な振り付け装置として見てみる。そうすると、見える人と見えない人の「ダンス」の違いが見えてきます。(54) ▶ アーキテクチャ

点字は、手で打つときと読むときでは、紙を裏返します。するとパターンが左右反転してしまう。(89) ▶ 知らなかった。

触覚を重視する思想家もいましたが、その場合にも触覚はあくまで「視覚に対するアンチ」の地位しか与えられていませんでした。(95)

 教育とは、触る世界から見る世界へ移行させること(95)

「分かり合えないこと」はもちろん大切なのですが、でも、それは最後でいい。まずは想像力を働かせてみたいのです。見えない体に変身すること。〔略〕そのためにはまず、器官と能力を結びつける発想を捨てなくてはなりません。器官にこだわるかぎり、際立つのは見えない人と見える人の差異ですが、器官から解放されてしまえば、見える人と見えない人のあいだの類似性が見えてきます。(112) ▶ 平田オリザ『わかりあえないことから』

高齢化社会になるとは、身体多様化の時代を迎えるということでもあります。〔略〕これからは、相手がどのような体を持っているのか想像できることが必要になってくるのです。(151)

陶器だと言われた瞬間に陶器になる(176)

鑑賞するとは、自分で作品を作り直すことなのです。(177)

「見えていることが優れているという先入観を覆して、見えないことが優れているというような意味が固定してしまったら、それはまたひとつの独善的な価値観を生むことになりかねない。そうではなく、お互いが影響しあい、関係が揺れ動く、そういう状況を作りたかったんです」(185-6)

見えていても分からないんだったら、見えなくてもそこまで引け目に思わなくてもいいんだな、見えている人がしゃべることを全部信じることもなく、こっちのチョイスであてにしたりしなかったりでいいのかな、と思い始めました」(186-7)

Aさんが作ったのとBさんが作ったので出来上がりが違うのでは困る。「誰が作っても同じ」であることが必要であり、それは「交換可能な労働力」を意味します。
 こうして労働が画一化したことで、障害者は「それができない人」ということになってしまった。それ以前の社会では、障害者には障害者にできる仕事が割り当てられていました。ところが「見えないからできること」ではなく「見えないからできないこと」に注目が集まるようになってしまったのです。〔略〕
 そして約三十年を経て二〇一一年に公布・施行された我が国の改正障害者基本法では、障害者はこう定義されています。「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」。〔略〕「個人モデル」から「社会モデル」〔へ〕の転換が起こったのです。
「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。
 先に「しょうがいしゃ」の表記は、旧来どおりの「障害者」であるべきだ、と述べました。私がそう考える理由はもうお分かりでしょう。「障がい者」や「障碍者」と表記をずらすことは、問題の先送りにすぎません。そうした「配慮」の背後にあるのは、「個人モデル」でとらえられた障害であるように見えるからです。むしろ「障害」と表記してそのネガティブさを社会が自覚するほうが大切ではないか、というのが私の考えです。
(211)


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by no828 | 2015-11-14 15:36 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 11月 11日

今までの統合失調症論がことごとく間違いであると仮定したら何が——中井久夫『精神科医がものを書くとき』

c0131823_1932503.jpg中井久夫『精神科医がものを書くとき』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2009年。25(947)


 単行本は1996年に広英社より同名全2冊
 版元


 はじめての中井久夫(1934-)。著者は精神科医です。精神分析からは思考様式を揺さぶるような考え方が提出されているとわたしは感じていて、こうした平易な文体で書かれたものを読むのは愉しい。平易な文体で書かれていないものは難しい。

 解説は斎藤環。本文にも書かれていましたが、中井は体系(化)を志向しなかった、ヘーゲルは読めなかったがヴィトゲンシュタインは読んだ、といったことが解説でも触れられています。わたし自身は体系(化)志向があると自覚していて、その危うさも自覚しているつもりではあって、だからその解毒もまた同時に進行させようとしていて、たとえばこうして研究主題とは直接関わらない本を読んだり最近機会が少なくなってしまったけれども映画を観たりして、自分の枠外からの何かの到来を待っているわけです。

 冒頭の引用は、「パトログラフィー(病跡学)」を「教育学」に、「精神科医」を「教育を研究対象とする人」にそれぞれ置換しても通用すると思います。


 パトログラフィー(病跡学)というものがあって、精神科医でも、これを好む人と嫌う人とにはっきり分かれるようだが、私が病跡学会などで見るところ、どうも作家や哲学者や果ては科学者を取り上げながら、それに仮託して、おのれの臨床経験や精神病理学あるいは人間観を語っているという場合が少なくない。病跡研究——すなわち間接的データによる著名人の精神病理研究——にはそういう含みがある。(19)

 世界をできるだけ単純な公式に還元しようとする宇宙論や哲学あるいは数学と、キノコにはまだ未知の種類が数千種もあるという、世界の多様性に喜びを見出す博物学と、学問には両極があることを知ったのは、学生時代であった。(10)

非常に一般的、抽象的な言明をしようとする時には必ずそっと袖を引いてやめるようにさせる一種の感覚を自分の中に感じる。具体的なものを対象としない時には、確かに、自分の中で引っ込み思案が生じる。
 したがって、私は、自分の精神医学の枠組みの全体を明らかにできない。それは、自分にも見通せていない。そういうものが明確にできれば、非常に楽になるのかもしれないし、逆に腑抜けのようになるかもしれない。
(14)

書くことは明確化であり、単純化であり、表現衝動の「減圧」である。何よりもまず、書くことに耐えない多くの観念が消え去る。あるものは、その他愛なさによって、あるものは不整合によって、あるものは羞恥によって却下される。(15)

二十歳前後の私は、精神が分裂するのではなく、精神と現実とが分裂するのであると、この本〔=ミンコフスキー『精神分裂病』〕によって納得したつもりになった。(22)

今までの統合失調症論がことごとく間違いであると仮定したら何が見えてくるか(29)

 日本においては、江戸幕府の掲げた「医は仁術なり」という規定は、神官僧侶による医療禁止と表裏一体であり、儒教の教養をもとにした非宗教者である医師が医術を独占するようになった。医学の脱宗教化は欧米よりずっと早くかつ徹底的であった(ただ顕著な例外として日蓮宗僧侶による狐憑き治療が認められていた)。(32)

幸か不幸か、末期癌患者を相手にする宗教家はおられるが、重症精神病患者に対してはごく少なく、精神科医にゆだねて下さっている。治療終了がなかなかこないからであろうか。(34)

 医療・教育・宗教を「三大脅迫産業」というそうだから(34)

 釈尊のいわれたように「老病死は不可避」である。この意味では医学は最終的には「敗北の仕方の援助」、少し敷衍すれば「できるだけうまくゆっくりと敗けるための援助」である。老病死を決定的に克服するというのは医学の現実的目標ではない。(35)

 宗教家に私が期待する第一は、社会に寛容と助け合いの精神を広めてくださり、差別的なものの見方を訂正して(誰でも病いになりうることは精神病でも変わらない)、社会の「精神医療温度」を二度でも三度でも上げてくださることである。
 次に「アジール」というか、病人の「駆け込み場所」「しばしの隠れ家」を提供してくださることである。この点については、私の知人の何人かの宗教家に対する評価を惜しまない。
(35)

 先日、吉本隆明と西部邁の対談を読んでいましたら、吉本さんは一〇〇パーセントの国粋主義者で終戦とともに左翼に転じ、西部さんは十九歳のとき共産党に入党して最初の会合で「及ばずながらテロリストとしてがんばります」と言ったら、おまえちょっと見当違いだぞと叱られたということでした。どちらも、私の身の上に起こってもよかったことです。(38)

終戦のときのショックがあまりなかったんです。それがかえって私にはしんどいことでありました。つまり、エイヤッと切開手術してもらって膿を出して、正反対の側にまわるほうが楽なんです。それで、中学生の私はむしろちょっと国粋主義者——といっても神懸りではないんですけれども——で、天皇制をうっかり廃止して大丈夫だろうかというような、むしろ保守的な考えの人間になりました。特に、アメリカの人たちが宣伝する民主主義というものに対して懐疑的になった時期がありました。このころ、『民主主義』という本がアメリカの勧めでしょうか、編纂され、文部省の名前で出て、みんな読んでいたわけですが、歯が浮いたような本だといって私は読まなかった。(41-2)

 一九七〇年以降に、コミュニストでないためには非常な論拠がいるという時代は遠くなりました。しかし、私が大学に入ったころは〔略〕共産党に入党しないためにはそれを反駁するだけのものを持っていなければならなかったのです。(47. 傍点省略)

実際、ある若い研究者がアイデアをある教授に話したら、自分の頭がいかに貧しくてアイデアが貧困であるかということを思い知らされてがっくりきて帰るのだけれど、同じアイデアを渡辺〔格〕先生に話したら自分も捨てたものではないという気がしてくるという不思議な方でした。「君の研究はこういうことの一端に触れていて、こういう可能性もある、こういう可能性もある」、こんなふうに話してくれました。私は後に精神科医になってこのことを思い出し、患者さんが私に話してくれるときに、話しても惨めな感じをもって帰るか、それとも、自分も捨てたものじゃないんだ、こんなとこにも可能性が開けているのじゃないかと思って帰るかは、話す相手の治療者によってずいぶん違うだろうなと考えました。(54)

ハリー・スタック・サリヴァン(1892-1949)の〕母は農場では人生に疲弊した人であったが、叔父のホテルでは如才なく社交的であった。父さえ村の酒場ではその統合失調症親近的な気質の殻を破って、自家製のリンゴ酒を飲み、朋友と政治談義をし、楽器を合奏した。こういうときにはアイリッシュの陽気さを示した。サリヴァンが、晩年、「人格は対人関係の数だけある」という周囲を驚かせた説を唱えた基礎にはこの体験があるだろう。(84) ▶ 分人

些細な手がかりから重大な結論を下すということ。一般に未来、未知、不確定なものを推量し先取りしようとすること——。〔略〕徴候という言葉が、医学の用語であるように、医者の営みは主に徴候を読むという仕事です。(129)

「定石」というものはありますが、「定石」を超えたところからプロフェッショナルな人間としての仕事が始まるわけです。(148)

中井 フロイトが「デメンチア・プレコックス(早発性痴呆=統合失調症のこと)」〔ママ〕の発病は、その治癒過程の開始でもある」といっています。名言ですね。統合失調症の純粋状態というものがあるとすれば、それは、ごく短い、発病時の恐怖の数時間だけかもしれない。
——後は?
 疾病過程と回復過程とのからみあいでしょうね。
(155)

 第三に、自己は世界の中心であると同時に、世界の中の一人あるいは世界の一部であるということです。この二つのことを同時に感じることが精神健康の目安のひとつです。(170) ▶ 己の大きさを感じると同時に、己の小ささを感じる。

 もう一つは、電算機の父の一人と言われるノーバート・ウィーナーが言っていることですが、協力にあたっては、自分の領域についてはエキスパートであって、自分以外の領域についてはディスカッションできるだけの知識をもっていることが必要です。(181) ▶ 丸山眞男やジョン・スチュアート・ミルの名前とともに語られる「知識人」のあり方とも重なります。

 海女が溺死者を回復させるのに、焚き火をたくのではなく、自分が裸になって抱いてあげて、自分を熱交換器にして温めるという話を思い出すんですが、何でこんなことが起こるのだろうと思ったら、二つのことが連想されてくるんです。
 一つは、赤ちゃんがおなかの中にいるときは、母親の脈が速くなると赤ん坊の脈も速くなります。これは、ここ十年ぐらいよく知られてきたことです。だから、母親が不安になったら、胎児も不安になるということです。このように、人間というのは、接触している場合には脈が同期化する傾向があるということです。
 もう一つは、人間の肌と肌とが触れ合うというのも、親しくなるということですが、そういうことも、単なるスキンシップの問題ではなくて全身の問題かもしれない。たとえば、恋人どうしが手をつないだり、友人が手を握るという場合、非常に適切にしっくり触れたときは、脈拍も合っているのかもしれない。お互いの体のいろいろな係数が合っているのかもしれないわけです。〔略〕
 私が、患者さんにさわって、患者さんが気持ちがいいと言い、こちらが患者さんの脈拍まで合ってしまうような状態にするためには、こっちも適切な状態にならなければいけない。
(214-5)

「そう……。でね、精神科の難しいところはいくつもあるけど、まず、病気の前に戻すということが治療にならないんだ
「というと?」
「それは、病気の前と同じ状態というのは、世間的には、見栄えがするかもしれないけど、いつまた病気になるかもしれない不安定さを秘めた状態だからだ
(272)

 人間は、平和とかサバイバルには戦時中などと比べて重圧を感じるようですね。平和というのは本来、非常に多様な活動を、しかも指図されずにやっていくわけだから戦争よりずっと大変です。しかも終わりがない。(309)

中井 だいたい同期化するというのは、本当は危ないんですよ。人間の脳でいうと、脳の活動が同期化したらてんかん発作ですからね。人間の脳が活動できるのは、脳の活動がふだん同期化していないからなんです。
——ズレがあるということですね。
中井 そうです。脱同期化しているのが正常です。世界が情報化によって同期化するということは非常にリスクが高まることです。少し前の株の大暴落なんかは典型的ですね。
——時間と距離をめぐってそれぞれ相互作用が考えられますね。
中井 そうです。距離というものは守ってくれるものです。〔略〕
 安定した社会、暴走しない社会はある程度非同期化していなければならない。自然界もやたらかき混ぜないことが大事です。完全にかき混ぜると人間だけじゃなくて生物界も危ないことになる。
(316)

「カルト化」とは、ある種の思想やイデオロギー、すなわち「体系」が状況を支配する状態を指すのです。〔略〕
 それではなぜ、「中井久夫」のみがカルト化を解毒し得たのか。
 それはひとえに、中井先生がいっさい「体系化」を志向しなかった、という点に尽きるでしょう。ヘーゲルはとても読めなかったが、ヴィトゲンシュタインは愛読していたというエピソードからも、そのことはうかがえます。またみずから体系化は向かないとも書かれています。しかし資質ゆえというのは、おそらく謙遜でしょう。体系化は間違いなく意志的に禁欲され、萌芽状態のまま放棄されてきたはずです。
(斎藤環「解説」326-7)

体系はしばしば視野を狭くし、体系を補強してくれる事実しか眼に入れなくなりがちですが、すぐれた箴言には発見的な作用があります。(斎藤環「解説」328)


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by no828 | 2015-11-11 20:01 | 人+本=体 | Comments(0)