思索の森と空の群青

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2016年 05月 24日

四十歳を過ぎた私の人生の中で、やり残したことがあるとしたら——『小泉今日子書評集』

c0131823_21565382.jpg小泉今日子『小泉今日子書評集』中央公論新社、2015年。75(997)


 版元

 2015年に残してきた本(ようやく完了)


 2005年1月から2014年12月までのあいだに『読売新聞』朝刊の書評欄に掲載されたものが集められています。97冊の書評です。村田雅之(読売新聞東京本社文化部記者)による特別インタビューは以下の言葉からはじめられています。「昨年までの十年間(二〇〇五年〜一四年)、読書委員を務めてくださって本当にありがとうございました。本来二年任期のところを、余人をもって替え難い、ということで、五期も続けていただきました」(229)。

 書評自体にも関心がありますが、新聞で取り上げる本の決め方も興味深く読みました。


 本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと思ったからだ。忙しかった十代の頃、人と話をするのも億劫だった。だからと言って不貞腐れた態度をとる勇気もなかったし、無理して笑顔を作る根性もなかった。だからテレビ局の楽屋や移動の乗り物の中ではいつも本を開いていた。どうか私に話しかけないで下さい。そんな貼り紙代わりの本だった。それでも本を一冊読み終えると心の中の森がむくむくと豊かになるような感覚があった。その森をもっと豊かにしたくなって、知らない言葉や漢字を辞書で調べてノートに書き写すようにした。学校に通っている頃は勉強が大嫌いだったのに退屈な時間はそんなことをして楽しむようになった。(9.はじめに)

 最初の書評が載った日に、久世〔光彦〕さんからファックスが届いた。
 書評読みました。うまくて、いい。感心しました。Kyonがだんだん遠くなるようで、嬉しいけど寂しい。あなたの書評を読むと、その本が読みたくなるというところが、何よりすばらしい。それが書評ということなのです。
(11.はじめに)

 感情を素直に表現出来ることは、幸せなことだと改めて思う。泣いたり、笑ったり、怒ったり出来ることが。だから、閉ざされた香西さんの心を、少しでも理解し、解放しようと頑張る「僕」の人間らしさを応援したくなる。戦争の本当の怖さは、人間から感情を奪ってしまうことでもあるのだろう。この本を読んで初めて、自分の身の丈で戦争の恐ろしさを考えることが出来たような気がする。(23.三崎亜記『となり町戦争』)

 最愛の母親の最期を看取った息子は、この物語を書かずにはいられなかった、そんな感じがした。(33.リリー・フランキー『東京タワー』)

 四十歳を過ぎた私の人生の中で、やり残したことがあるとしたら自分の子供を持つことだ。時間に限りがあることだから、ある年齢を過ぎた女性なら一度は真剣に考えたことがあると思う。家族の再生を描いた心優しいこの物語を読んで、私はそんな思いから少しだけ解放された。〔略〕〔/〕子供がいようがいまいが、大切な人に惜しみない愛情を注げる人になりたいと思った。形のあるものじゃなく、誰かの心の中に、ほんのりと温かい小さな光のような思い出をいくつか残すことが出来たら、自分の生きた人生にようやく意味を感じられるような気がした。(136-7.伊吹有喜『四十九日のレシピ』)

 誰かが自分のことを知ってくれている。当たり前のようで、とても特別なことだと思う。父親が入院していたとき、身体を拭きに来てくれた看護師さんに「お父さんは熱いお風呂とぬるいお風呂、どっちが好き?」と、訊かれた。意識朦朧の父のために濡れタオルの温度を気にしてくれたのだ。病室には他に誰もいなかった。私は知らなくて答えることが出来なかった。何でも知っているつもりでいたが、私は父のことを何にも知らなかったのかもしれない。(160.久世朋子『テコちゃんの時間』)

 心に残ったのは〈人を騙せる人間は自分のことを正しいと思える人なんです。逆に騙される方は、自分が本当に正しいのかといつも疑うことができる人間なんです〉というマネジャー女史の言葉。〔略〕自分を疑うことが出来る正しい人が生きやすい世の中になるよう、ばったばったと心に溜まった鬱憤を切り倒しながら、自分なりの冒険の日々をスカッと生きたいと思った。(177.吉田修一『平成猿蟹合戦図』)

人と話をするのは大切な事だと思う。自分ひとりじゃ辿り着かない方向に行き着くことが出来るのが会話なのだと思う。話す相手が自分よりも知識や経験が豊富だとより遠くの場所まで辿り着くことが出来る。実際、私は本を読んだだけなのだけれど結構遠くまで気持ちよく流されました。(199.上野千鶴子・湯山玲子『快楽上等!』)

 家庭教師の青井が耀子に教えた言葉「自立と自律」。「自立」自分の力で立つ。顔を上げて生きること。「自律」美しく生きる。新しい自分をつくること。(203.伊吹有喜『なでし子物語』)

小泉●その時私が考えていたのは、女優とかタレントとしての名前が欲しいだけだったら嫌なんだけど、っていうことと、文章の書き方などについて分かっていないことがいろいろあるので、原稿にきちんとした評価をしてくれるのか、ということでした。だから鵜飼〔哲夫・読売新聞文化部編集委員〕さんに訊いたんです。私の原稿に対して、「これはボツだ」とか「書き直せ」だとか、そういうことがしっかり言えますかって。(230)

——〔村田〕最初に言われた一言をよく覚えています。「一つお願いがあるんです。逆差別をしないでください」という言葉でした。「どういう意味ですか」と尋ねると、小泉さんはこう続けました。「アイドルだった私は、『この程度やれば十分』と言われることが多く、悔しかったんです。本当はもっと頑張れるはずなのにって。だから今回は、村田さんがいいと言うまで、何度でも原稿を書き直します」。(231)

——委員会での本の決め方は、まず最初に、私たち事務局が書評する候補として、二、三百冊の本をテーブルに並べ、委員の方々にはそこから気になる本を数冊選んでもらい、自席に戻って読んでいただきます(約二十人の委員がコの字型に座り、残りの一辺に事務局が座ります)。次に、それらの本の中から、書評を書きたい、あるいは、もう少し検討したいと思ったものがあれば、右隣の委員に回してもらい、それを本が一周するまで繰り返す。つまり、誰かが取り上げたい、検討したいと思った本については、委員全員が目を通すことになるわけです。全員の回覧が終わると事務局が本を回収し、議長席(読書面デスク)に集めてから、一冊ずつ議論していきます。「この本を回されたのは、どなたですか」とデスクが尋ねると、誰かが手を上げる。
小泉●〔略〕時には、ある方の「この本はこうだと思う」っていう意見に対して、他の方が「あ、でもその本に書かれてることは、ちょっとまだ疑わしい」っていうふうに、別の意見が出てきたりして
——そうやって議論を重ねていくことで、それぞれの意見が深まり、結果として書評の中身も深くなっていくことがたびたびありました。
(232-3)

——その場にいて、心がけていたことはありますか。
小泉●いろんな専門家がいる中で、私がここにいる意味はなんだろう、何を求められているんだろうなぁって考えて、他の方々には書けないような書評を書くしかないって思っていました。本の選び方を含めてね。
(233)


@研究室
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by no828 | 2016-05-24 22:12 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 21日

「なんでそんなことをしなきゃならないのか分からない」という頑固で——橋本治『バカになったか、日本人』

c0131823_1519423.jpg橋本治『バカになったか、日本人』集英社、2014年。74(996)


 版元

 2015年に残してきた本(あと1冊)


 橋本治先生の“時評集”と言ってよいでしょう。東北地方太平洋沖地震後の原発事故を含む東日本大震災に関する文章が多く集められています。とくに、政治のあり方について、民主主義のあり方について論じられています。一人ひとりがちゃんと考えなければならない——メッセージの中心はこれです。

 議論の仕方、議論の封じ込め方も示されています。後者を認識し、前者へつなげていかなくてはならない。そのためには、わからないならわからないと言い、答えなくてよいことには答えない、という態度も必要でしょう。いつの間にか都合よく作り上げられた前提に乗る必要はないのです。


 ロクに考えなくたって「それでよく安全だなんて言えるな」という状態だったりすれば、再稼働反対派は「だから再稼働なんかさせるな」と訴えられますが、原発再稼働派にとっては、それが好都合なのです。どうしてかと言うと、「原発そのものが安全かどうか」という議論から離れて、事態はもう「この原発は安全かどうか」というところに行ってしまっているからです(90.傍点省略)

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「冷静になる」ということは、「余分なことを考えない」ということでもあって、「物を考える」ということは、どうも「悲観的になる」ということでもあるらしい。楽観的になるのだったら、「なにも考えない」ということにしておけばいい。(16)

 原発事故に関して、素人の私はなにも分からない。分かったふりをしてここでなにかを書こうという気にもならない。私が知りたいのは、「大丈夫か? 大丈夫じゃないのか?」ということだけで、多くの人が知りたいのもそのことだろう。(17)

 目の前に大惨事が広がっているというのに、まず金の計算をするなんていうことは、ありうるんだろうか? もういい加減、なにかというと「経済」でソロバンをはじくのはやめないか。(33)

 二〇一四年になっていきなり「地方の再生を!」なんて言ったって手遅れすぎる。日本の経済は「東北の復興なんて無駄!」という本音を持つ官僚によって仕切られている。経済産業省が関心を持つのは、「都市」や「都市に貢献する可能性を持つところ」だけで、「地方」というところはその関心外にある。「地方」を管轄するのは農林水産省で、経済産業省からすれば、「あそこは国に利益をもたらすより、国から補助金を引き出すだけのところだ」になってしまう。経済産業省にすれば、「東北の復興なんか無駄だ」を通り越して、「貧乏な地方なんかみんななくなってしまえばいい!」なんじゃないかと、私は邪推します。(37-8)

東京電力の福島原発は、東京に送るための電気を作っているんだから、東京の人間は福島県に放射性物質を飛散させた事故の「共犯」になる。それで逃げたら、被害に遭った福島県の人達に申し訳ないだろうが。(46)

私が分かっていなかったのは、大震災の被害に遭った人達の胸の内で、それが共有されなければ「分かった」にはならない。実のところ、人の胸の内を分かることが一番体力のいることで、震災発生時の私にはそんなことが出来なかった。(48)

 いつの間にか日本人は、そのくやしさを共有することを忘れてしまった。「どうにもならないこと」に襲われて、それを「無常だ」ですませていてもどうにもならない。そこから立ち上がるモチベーションは、やはり「くやしい」という感情だろう。日本人の前向きさを下から支えていたのは「くやしい」という感情だと私は思っていて、その「くやしさ」を育むような不条理の中で日本人は生きて来た。そして「くやしいと思うことは当たり前である」という認識も育てて来たんだろうと思う。
「くやしい」という思いはそう簡単に消えない。そして、くやしがっているだけではなんにもならない。「くやしさ」から脱することが出来るようななにかをしなければならない。くやしさから脱して、でもくやしさを忘れないというかなり複雑なことをして、それが当たり前のあり方であったはずなのに、いつの間にか忘れられてしまったような気がする。
(52-3)

「落ち着け、落ち着け、落ち着いたらなんとかなる。落ち着いて策を探すんだ」という根本を見失って、「落ち着くと無策が見えちゃうから、慌てたままでいよう」という策はなかろうと思いますね。(66)

「地震と津波で原発が大変だ」と言われてる時期に、「原発でメルトダウンが起こってます」なんてことを言ったら、大パニックになってしまうのに決まっていたから、そこら辺の情報を全部隠して曖昧にしていたというなら、危機管理の上では「正解」であったのかもしれないけれど、それは同時に、情報をコントロールする側の保身行為でもあるから、そういうことをする企業や国家が国民からの信頼を得るなんていうのはむずかしいでしょうね。(70)

東海村に原子炉が完成した時もその記念切手は発行されたんだけど、買いたくなかったので買いに行かなかった。〔略〕「なんで日本に原子炉なんか作るんだろう?」ということが気になって、記念切手を買うと原子炉建設賛成の片棒をかつぐみたいでいやだった(71)

 そういう厄介な原子炉を使って、原子力発電所がなにをやっているのかというと、意外なことにお湯を沸かしているだけなんですね。お湯を沸かして、出来た水蒸気で発電機のタービンを回してる。昔そういうことを聞いて、ポカンとした。今、日本で重大な原発事故が起こって、「確か——」と昔聞いたことを思い出して唖然とした。「ただお湯を沸かすことだけに、そんな危険で厄介なものを使ってたんだ」と思ったら、腰が抜けそうになった。
 水蒸気でタービンを回すのだったら、二百年以上前の蒸気機関から一歩も出ていない。産業革命の時代になかった電力を作り出すのに、その動力が相変わらず水蒸気だと思うと、なにが「進歩」かと思いますわね。
(75)

 どうやら経済産業省は「原発の再稼働は当然」という考え方をしているみたいですね。日本は「初めに結論ありき」の国だから、東大出のゆるがない官僚が「こうだ」と決めてしまった以上、いずれ「再稼働」ということを明白に言ってくるんでしょうが。〔略〕
「初めに結論ありき」の国では、危機対策が中途半端にしか出来ません。なにしろ初めに「結論」と言う形で全体像を想定しちゃっているんだから、その範囲を超えた事態になると、もうなんともならない。危機に直面した現場で体を張っている人にすべてをまかせるしかなくなってしまう。「まかせる」ならまだいい表現だけど、実態は「丸投げ」に近くなる。
「初めに結論ありき」の国では、まともな異議が提出出来ない。〔略〕「これを受け入れるとめんどくさいことになるな」というのが分かった場合、放っとかれる。〔略〕「めんどくさい異議」は取り上げなくてもいいようになる。そして、もしそういうことが知れ渡っているから、まともじゃないクレーマーでさえ、「私がへんなことを言う人間だと思って差別されて、私の言うことは取り上げられない」と思い込めるようにもなっている。
(82)

私が言いたい「新しい議論決着のパターン」というのは、「やたらの議論を続出させ、問題の焦点をぼかし、その結果、二者択一に持ち込む——そうして、“ああ、ひと段落ついた”と思って忘れてしまう」です。(97.傍点省略)

多くの人は、「新聞はむずかしい」とも言わずに、当たり前の顔をして新聞を読んでいる——そういうことを考えて、「俺はそんなに頭が悪いんだろうか?」と思った。そして、新聞はろくに読めないがへんな風に頭が働く私は閃いた——「人が新聞を理解しながら読んでいるのは、本当か?」〔略〕〔/〕日本人の多くは、「分かろう」と思って新聞を読んでいるのではないかもしれない。日本人の多くは、理解力や読解力によってではなくて、「分からなくても平気で読み続けられる持久力」によって、新聞を読んでいるのではないかと、そう思った。
 なんか「すごい発見をした」という気になって、それを二、三の人間に言ってみたら、言われた方は絶句していた。「なにメチャクチャなこと言ってんだ」ではなく、「そうかもしれない——」の一言を残して
(108)

「おバカブーム」は多くの人に癒しと救いを与えた。そのことは実に大きな功績だが、「おバカブーム」の問題点は、その後に「バカでもいいんだ」という知能の空白状態を作り出してしまったことにある(163)

 重要なのは、〔略〕「自民党でいいか」と思って日本人が平気で自民党に政権を預けていた時代が終わってしまったということだ。つまり、「他人まかせでよかった時代」が終わったということだけど。(180)

 それでは国民は、憲法改正をどのように考えているのだろうか? 考えられる選択肢は、「改正したほうがいい」「絶対反対」と「よく分からない」の三つだろうが、そこに至る前に「なんでそれを考えなければいけないのだろう?」という気分が大きく立ちふさがっているような気がする。憲法改正に関する考え方で一番大きいのは、「問われれば考えてもみるが、今なぜそれを考えなければいけないのかがよく分からない」なのではないかと思う。(197)

私はあることに気がついた。それは特定秘密保護法の「性質」というべきもので、つまるところ日本国政府は、国民が余分なことを言うのが嫌いなのだ。「政治のことは私たち専門家に任せて、国民は余分な口出しをせずに黙っていればいいのです」という考え方が、特定秘密保護法を提出する人たちの中にあるのだ。もちろん、そんなことを言ったって、「そんなことはありません」という丁寧な答えが返ってくるだけだと知ってはいるけれど。〔略〕〔/〕「俺たちが決めるんだから、お前たちは黙ってろ」と言えば暴力的な独裁になるが、「私たちが決めますから、どうか余分な心配をなさらないで下さい」と言えば、これは「民意を汲んだ親切な政治」にもなる。実際に親切かどうかは分からないが、日本の政治が「余分な発言」を嫌うのは確かなようにも思えた。(208-9)

一頃、与党と野党の大連立という話もあって、「そんなことをして政党の別というのはどうなるの?」と思ったけれど、「政治は身内によって運営される」という考え方に従えば、大連立というものは「みんなが身内になればなんの問題もなくなる」というもので、政治の世界で「身内」というものは、「身内になってしまえば反対の声が起こる余地のない集団」であり、「身内なら、話せば分かる」ということが信じられるという、特別な集団であるらしい(211-2)

 自民党草案には「自分達が憲法を変えて、その憲法に国民を従わせる」という姿勢が明確にあって、だからこそ「国民の基本的人権」を保障する現行憲法の第九十七条が、自民党草案では丸ごと削除されている。「そこが一番の大問題だ」と言っても、そういう抽象的な総論は今の日本人にはピンと来ないのだろう。そこを突つき出すと、「基本的人権とはなにか」という、今の日本人〔に〕とってはむずかしすぎる話になってしまう。〔/〕だったら、「憲法改正なんて知らない」の無関心のままでいるのが一番いい。知らないまま、憲法改正の国民投票に「NO」の一票を投じればいい。なにしろ、今の日本人には「議論の仕方」が分からなくて、それをいいことにして、憲法を改正したがる人間は「焦点の合わない説明」をいくらでも展開するはずなのだから。一番重要なのは、「なんでそんなことをしなきゃならないのか分からない」という頑固でバカな姿勢を貫くことだろう。
 私は、なんで憲法を改正しなきゃいけないのかが、分かりません。
(227)


@研究室
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by no828 | 2016-05-21 15:41 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 20日

知識が伝達可能なかたちに整理されていなければ、知的消費が完了したことにならない——水田洋『読書術』

c0131823_1852320.jpg水田洋『読書術』講談社(講談社現代新書)、1982年。73(995)


 版元ウェブサイトなし

 2015年に残してきた本(残り2冊)


 著者のことはアダム・スミスの訳者として知っていました。

 読書量を高い水準で維持しなければならないと改めて思いました。また、書評のあり方を考えることができました。


読書による知的経験とは、本をつうじて伝達された他人の経験であって、それによって他人の経験までも、自分の利用範囲にいれることができるのである。(10)

個性的な読者でなければ個性的な著者になれないことはたしかである。〔略〕〔/〕じつは、読書のよろこびのなかには、知的消費から知的生産への回路がくみこまれているのであって、すぐれた読者は、じっさいに書くかどうかはべつとして、潜在的なすぐれた著者なのだ。〔略〕〔/〕かれの内部で、知識が伝達可能なかたちに整理されていなければ、知的消費が完了したことにならないのである。(22-3)

共有財産をつかわなければ個性的なものは獲得できないし、獲得した知識が個性的であるかどうかは、共有財産をしらなければ判定できないのである。そして、個性的だと主張するときには、すでにそれを客観的な伝達手段=媒介で表現しているのだ。だから、個性的なものとは、客観的なものとすれすれの関係で、存在するのだといえよう。(23)

 ある蔵書家が、自分の蔵書を全部読んだかときかれて、「君、読んでなんかいたら集められないよ」とこたえたという話をきいて安心した(40)

 内容紹介がないのはこまるが、いま書いたように、圧縮率五〇分の一以上がふつうだとすれば、正確さにはとうぜん限界があるし、書評自体のおもしろさはむしろ、評価の部分にあるのだ。〔略〕〔/〕評価のなかにはしばしば、書評とかかわりのない要素がはいりこむ。それは、著者と評者との人間関係であって、たとえば、師弟、同門、ライヴァル、論敵、政敵というようなことである。〔略〕そのことが書評を制約して、批判が賛辞に、評価が罵倒にすりかえられたのでは、読者はめいわくである。〔略〕〔/〕読者にしてみれば、論争のほうがべたぼめよりもおもしろい(48-9)

批判(希望でもいい)をまったくふくまない書評は、長所をぬきだして読みかたを示唆することにはなるが、しばしば、評者の人がらのよさを(批判精神の不足とともに)しめすにすぎないが、紙面の極度の不足をあらわすものであって、そうであれば、いずれにせよ、読者にとっては欠陥書評であるにちがいない。(50)

人格識見とは別に、研究者には徹底的にうたがう意地わるさが必要であって、とくに書評者としては、その本の内容に加担するかどうかも問われるのである。(69)

書評の質のひくさが、関心をひくめ、書評の地位をひくめているのではないか(92)

 ひろい〔拾い〕読みのきめ手になるのは、読者が、自分にとって、あるいは著者にとって、何が重要であるかをしっていることである。それは、読むまえから暗黙の了解としてわかっているばあいもあれば、多少読みすすんでいくうちにわかってくるばあいもある。一種のキー・ワードと考えていいであろう。思想史の本ならば、人名がその役割を演じることがある。(168)

ほんとうに、誤読は無知より有害なのだろうか。〔略〕〔/〕誤読にもとづいて、そこからスミスにかかわりなく自分の理論を展開していったばあいには、その理論の欠陥がこの誤読からでてきたのでないかぎり、誤読は有害とはいいきれない。誤読がスプリング・ボードとして役にたつならば、跳躍者が跳躍の結果について責任をおえばいいのであって、誤読か正読かは問われない。(184)

 本の内容を、その叙述の順序にしたがって書きぬき、必要に応じて重要部分を原文どおりに筆写しておいて、あとからノートを読めば、もとの本を再読するのとおなじ効果がえられるようにするのである。〔略〕〔/〕読書ノートは、再読の労をはぶくために、本の内容を要領よく記録するものであるから、本の再現をめざす点、読者の主観を排除する点で、全文筆写にちかいのだ。(211)


@研究室
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by no828 | 2016-05-20 19:04 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 13日

政治や世間と関わりあいを持たずに済むから折口は民俗学や国文学を選んだのだ——大塚英志『木島日記』

c0131823_14374767.jpg大塚英志『木島日記』角川書店(角川文庫)、2003年。72(994)


 版元 | 単行本は2000年に同書店

 2015年に残してきた本


 小説です。ただ、折口信夫が出てくるなど民俗学も入り込んでいます。学問の話も含まれていておもしろく読んだのですが、民俗学に詳しくないということもあり、どこまでが事実でどこからが創作なのかわかりませんでした。舞台は昭和初期の東京。


 それにやはり私にも一抹のやましさがあった。私は被験体として白痴の者を希望していた。そもそも私の研究は視覚も聴覚も言葉も持たなかったヘレン・ケラー女史を教育した家庭教師サリヴァン女史が記した手記に感銘を受けたことに端を発していた。時に五感のうち触覚のみ、つまり掌に描かれた文字のみでいわばヘレン・ケラー女史の人格が形成されたことは真に興味深かった。
 ヘレン・ケラー女史は無論、白痴ではないが、しかし、外的な刺激が人間の崇高なる精神をも作りうるという事実は私を感動させた。私が白痴の被験者を希望したのもそんな訳からである。いわば白紙の状態にある人間が欲しかったのである。白紙の人間であれば私が実験によって与えた刺激によって生じた精神上の変化をも容易に特定できるのではないか、と考えた。学問的にその動機は正当であったが、やはり白痴の者を被験体とすることに一抹の後ろめたさがあったのである。だから私は土玉氏の下劣な冗談に抗議できなかったのである。それに私が瀬条博士に面談した時、唯一氏から問われたのは「人倫より研究者としての好奇心を優先できるか」というものであった。私は当然躊躇したがしかし氏にそれを悟られぬように「はい」と返事をしてしまってもいたのだ。
(24)

研究者には倫理など妨げになるだけです(92)

 折口信夫の研究室は郷土研究会の看板を掲げていた。柳田國男は民俗学の名を嫌い、折口は師に倣って「郷土研究」と称していたが昭和十年にその師を招いての講演会で柳田は折口の民俗学を手厳しく批判している。それは要するにフィールドワークの欠如というものであった。(79)

師の柳田國男は同じ民俗学者であっても軍部や政界といった生臭い人脈ともそれなりに交流があった。来たるべき国家を上げての総力戦の実現のためには人の心を一つにする民族意識の高揚は不可欠であり、そのために民俗学は今や政治的に必要不可欠という空気であった。ナチス - ドイツでも民俗学は政策科学として脚光を浴びており、それが少なからず日本の民俗学の行方にも影響を与えていた。
 だが折口信夫はといえばそういった政治的な生き方は苦手であった。ただ彼は人の魂がどこからやって来てどこに去っていくのかについて生涯を通して考えていたかっただけなのだ
(88)

柳田はかつて政治的配慮から日本民族の先住民たる山人についての研究を半ば放棄しているくらいである。(90)

政治や世間と関わりあいを持たずに済むから折口は民俗学や国文学を選んだのだ。だが皮肉にも民俗学は今や国家体制の正統性を立証する学としての役割を求められつつあった。(176)

民族学〔エスノロジー〕を含む民俗学はこの後、様々な形で日本のアジア支配に加担していくが折口信夫は終始それとは距離をとった人であった。それを思想心情〔ママ〕に基づく断固たる態度と見るのか単なる逃避と見るのか、ただ、あたかもその「距離」の代償のように折口信夫は弟子・春洋を徴兵され南方で失うことにもなるのだ。(254)

「強制収容所に送られるのはユダヤ人だけではないのです。ぼくはドイツの刑法一七五条の該当者、すなわち同性愛者として逮捕される直前でした。このトライアングルは先に逮捕されて獄中で狂死したぼくの恋人のものです。ユダヤの人々が黄色の星をつけなくてはならないようにぼくのような人間はピンクの三角印を、そしてぼくと一緒に逃げたジプシーの人々には茶色の三角印をナチスドイツは強制するのです(273)

 だが弾圧されたのは「異民族」の烙印を一方的に押された人々だけではなかった。一九三五年、詰まりこの物語の少し前に悪名高き「アーリア人種の純粋保護法」が成立、ドイツ人の男性の血を引く「純粋の子供」の出生を奨励した。同性愛者は決して「出生」に結びつかない点で反国家的とみなされ、三六年にはSS全国指導者のヒムラーが同性愛者は「異人種混交と同等の罪」として「絶滅」されるべきものである、という主旨の演説をしている。事実上の同性愛者へのホロコースト宣告であった。さらには秘密裏に精神病の患者や身体障害者に「人道的見地による慈悲死」なる名の組織〔的?〕安楽死をも彼らは行っている。それもまた純粋なる「国民」作りの一環であった。「民族」なり「国民」なりというものは大なり小なりそういった手続きを伴うことで政治的に「捏造」されるものなのだ。(274-5)

 天皇の名の許に「日本人」の自警団に虐殺された「帰順民」すなわち朝鮮人の遺体を「かわゆい子ども」までが殴打する、その光景を折口は呪うように歌う。ナチスドイツのユダヤ人やロマ族虐殺はヒトラーという異常なる独裁者の産物ではなくこういった「かわゆい子ども」までにも根差している感情を一人の権力者が代弁したに過ぎないことを折口は知っていた。〔略〕彼は民俗学者でありながら「日本人」であることを強いる近代という時代に違和を抱えて生涯を生きた人であった。(276)

新入生のオリエンテーションが千葉〔徳爾〕先生の担当で、先生といっしょにバスに乗って筑波周辺を見て回ったのだが、何げない風景が先生の民俗学的な説明が加わった瞬間、歴史と民俗的世界の奥行きに満ちたものに変わっていくという体験にぼくたちが魅了されたのを覚えている。(「文庫版あとがき」329)

 アカデミズムの民俗学を離れたとは言え、細々と民俗学を教える機会を与えてくれた大学で、ぼくがひたすら民俗学と植民地主義の関わりや、政治利用される危うさについて論じているのは、偽史の誘惑にいかに抗するかという足場なしに民俗学は学べないと考えるからだ。〔略〕『木島日記』や『北神伝綺』の話を一言もせずに一年間、講義をするので毎年、年度末に恐る恐る、「まんがの原作をやっている大塚さんですよね」と聞いてくる学生さんたちがいるが、大学で学んでほしいのはエンターテイメント小説の素材としての民俗学ではなく、民俗学という思考の困難さについてなので、そういう態度をとることにしている。(「文庫版あとがき」332-3)


@研究室
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by no828 | 2016-05-13 19:34 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 12日

楽な舟に身を委ねないで、惨めでも、何もできなくても、自分でいることが、将来の——星野智幸『呪文』

c0131823_195712.jpg星野智幸『呪文』河出書房新社、2015年。71(993)


 版元

 2015年に残してきた本(あと4冊)


 小説。現代日本で衰退していく小さな商店街を若者が中心となって再活性化させる、という舞台設定ですが、その内容からは、学生運動、革命、連合赤軍、といったことを連想させます。本当にそんなふうに展開するのかと、自決に染まるところでは思いましたが、強いリーダーに従属することで得られる承認と安心に浸りきってしまうことの問題性というものは引き取ることができました。リーダー個人の問題、というより、その個人をリーダーにしてしまうフォロワーの問題、という印象です。説得、脅迫、いずれにしても人心掌握とはどういうことかが示されています。

 小さな商店街の物語は、実は大きな政治体の物語でもあります。派手な解決策はたぶんない。他者に、ではなく、自分に誠実に生きることは地味に大変なことですが、それを続けることが大事なのだと思わされました。いま・ここで変化は起きないかもしれないが、将来それを引き継いでくれる者が現れるかもしれない。

 しかし、この問題を将来に先送りすることに深く共感したわけでもありません。先送り以外に解決策のない状況もあると思います。が、それは未来世代への責任転嫁ではないかとの思いもあります。教育もまたそのような性格を持っているような気がします。


「ここで大事なのは、口先だけじゃないってところだよ。俺はこういう考え方を言葉だけで言ってるわけじゃなくて、このように行動したんだよ。行動した結果、自分のしたことの意味を発見して、自分でも驚いたってわけだ(64)

「嘘で嘘を塗り固めるんだよ。そして、一生嘘をつき続ける。嘘の破綻ってのは、ほころびが出るかどうかじゃなくて、嘘ついているほうがどこまで押し切れるかにかかってるんだよね。そうじゃなきゃ、詐欺に引っかかる人がこんなに大量に出てきっこないだろ?」(165)

自分が死にたいってまったく思ってない人は、他人に、死ね、なんて絶対に言わない。あんたは、心の奥底の、自分でも見えないぐらい深いところで、ものすごく死にたがってる。私にはわかる」(169)

「洪水が起こる前、世の中は言ってみれば腐っていたわけだ。ちょっとやそっとで変えられるような状態をはるかに超えて、もうどうしようもなくなっていた。いったん世界をご破算にする以外に、この世を救う道はもはやなかった」〔略〕〔/〕「それでノアとその一族を方舟に乗せて、残りの全人類を滅ぼした。動物はとばっちりだけどね。で、ノアは選ばれた人間ということになっているが、本当にそうなのか、というのがここで考えたいことだ。何しろ、世が新しくなるために本当に必要だったのは、ノアが生き残る以上に、他の人間たちが死ぬことだったんだから。選ばれたのはノアじゃなくて、ノア以外の、死んだ者たちじゃないだろうか? ノアはむしろ、選ばれなかった、選に漏れた役立たずとも言えるんじゃなかろうか」〔略〕〔/〕「大切なのは、滅びるほうだろ? 滅びるべき者たちがその使命を悟って死んでいくから、世の中を新しく変えることができるわけだ。つまり、世を変えているのは、死んでいく側なんだよ(172-3)

単発で死に急いでたら、それは使命を果たしたことにはならなくて、てめえの欲望のために自分勝手に意味なく死んだだけで、なんにも変わらない。俺らをコケにしまくってる世の中はでかいツラしたままだ。なんも変えられないでただ身勝手に死ぬんなら、それは単なる敗北だろ」(184)

「さっきも言ったでしょう、これから松保でトルタ作りを続けることの意味。あらゆる逆風に逆らって歩き続ける、もしくはとどまり続けるんであって、風になびいていってしまわないことが生きることになるんだよ。それのどこが雇われ人生?(231)

自分を殺すのは人殺しだよ? 殺す相手が、他人じゃなくて自分になっただけ。死ね、っていう言葉を誰にも迷惑かけないで実行できるんだから、願ったりじゃないの。しかも、腹切りっていうのは高潔な印象を与えるからね、英雄的な感じがする。私からしたら、ただの内臓露出狂だけどね。死んでやるって言って、本当はそれでは死ねない行為をするんだから、そこにはごまかしが入ってる。そのごまかしが、ただの露出狂を神にしちゃう」(235)

「これからは、自決しようとしない人は圧迫されるでしょうね。少なくとも、自決を崇める心を持たない人は、自決させられるほうへと追い込まれてくね。そうなったらもう、自決じゃなくて他決だけど(234-5)

「そうやって逆風浴びながら何とかとどまったとして、その後どうするんです」
そのまま生きるんでしょうが。それこそが本当の生き残りなんだよ。選ばれたもクソもない、単に生き延びた人が、その後の再建を担うんだ
「わかるんですけど、何か自分だけ生き残るって、卑怯で惨めな感じがしちゃいます。一人だけ逃げてるような」〔略〕
「その感覚はいったんすり込まれたら、なかなか消えないでしょうね。その気分を否定しろとは言わないよ。でも、霧生はトルタ作りに誠実に向き合ってれば、乗り越えられる。私は、呪いにかからずに生き延びられた人が、呪われる前の時代の記憶を、後の世に持ち込めるんだと思ってる。そういう人たちが、いち早く再建を始められると思ってる。だから、ビバークでもするような気分で、待つつもり。どんなに時間がかかっても、たとえ私の寿命が来ても」
「寿命が来ちゃったら、どうするんですか? お終いじゃないですか」
「例えば、霧生がいるじゃない」
 湯北さんは霧生を見て微笑んだ。
「誰かが少しずつ受け継いでいけばいい。全員が呪われたら、こういう生き方があったことさえ忘れられて消えてしまう。だから、私や霧生みたいなのが一人でも多く松保にい続けることが大事。そうすれば、私たちの代で反転が起こらなくても、可能性は残り続けるでしょ。私たちの知らない誰かが、どこかで私たちのあり方に触れて、このような生き方をこっそり選択してくれるかもしれない。楽な舟に身を委ねないで、惨めでも、何もできなくても、自分でいることが、将来の松保を救うんだから
(238-9)


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by no828 | 2016-05-12 19:22 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 10日

結果的に社会主義、共産主義の進出を食い止めるという機能を果たした——島田裕巳『創価学会』

c0131823_21113281.jpg島田裕巳『創価学会』新潮社(新潮新書)、2004年。70(992)


 版元

 2015年に残してきた本(あと5冊)


 宗教一般への関心から手に取りました。大学時代の友人に信者がいて、当時割と突っ込んだ話をしたことを思い出しながら読みました。

 現状を歴史的・構造的に把握するための枠組みが提供されているように思います。本書で示された枠組みに依拠すると現状がそれほど無理なく理解できるのではないか、ということです。


 都市の下層階級が、創価学会や他の新宗教教団に吸収されなかったとしたら、彼らは、都市の周辺に形成されたスラムに流れ着いていたことであろう。スラムには、社会主義や共産主義の革命を志向する勢力が進出し、下層階級を組織化していく。そうなれば、革命運動が盛んになり、日本においても、社会主義、ないしは共産主義の革命が起こったかもしれない。実際、一九六〇年には大規模な反安保の運動が盛り上がりをみせ、六〇年代後半には学生運動が隆盛を極めた。そうした動きに革命運動が呼応すれば、大規模な騒乱が起こり、それが革命へと発展した可能性がなかったとは言えないだろう。
 そうした状況のなかで、創価学会の存在は、日本社会の権力者、支配政党にとってはむしろ好ましい存在だったのではないか。〔略〕創価学会は、労働運動の間隙をつくことで、結果的に社会主義、共産主義の進出を食い止めるという機能を果たした。だからこそ、左翼陣営は創価学会の急成長を警戒せざるを得なかった。逆にこの段階では、保守陣営からは積極的な創価学会批判は展開されなかったのである。
(89-90)

 一九六〇年は、安保改定阻止の闘争が盛り上がりを見せた年だが、創価学会は、基本的に賛成、反対、どちらの立場にも立たず、事態を傍観した。この時点でも、創価学会は、保守陣営にとって好ましい姿勢を示したことになる。(94)

創価学会の会員となったのは、高度経済成長の波に乗って農村から都会へと出てきた人間たちだったが、その時点で農村に残った人間に利益誘導という政治的な救いの手を差し伸べようとしたのが田中角栄であり、田中派であった。つまり、創価学会=公明党と田中派とは、元々は同じ対象を支持者として取り込んでいったのである。(97)


-----

 一九八九年末で、日蓮正宗の信者の数で一千七百八十四万人にも及んでいた。それが、二〇〇一年末では、三十六万人となっている。ということは、創価学会の会員数は、一千七百八十四万人から三十六万人を引いた一千七百四十八万人であったことになる。日本の総人口が一億二千六百九十三万人だから、およそ七人に一人は創価学会員である可能性がある。宗教団体のなかで、創価学会員の数は飛びぬけて多いのである。(15)

牧口〔常三郎〕は、教育の目的は児童の幸福にあるとし、幸福を価値の獲得としてとらえた。西欧の哲学の伝統においては、一般に普遍的な価値を真善美(それに聖が加えられることもある)としてとらえるが、彼はそれを踏まえ、価値を美利善の三つに分類し直した。つまり、真(真理)の代わりに、利(利益)が強調されたのであって、その思想は現実主義的なものであった。この点は、戸田城聖が戦後に、現世利益の実現を強調したところに結びついていく。(33)

悪人を罰するくらいの力をもっていない神には、善を保護する力などなく、罰するだけの力があるかどうかを、宗教の価値の基準として用いるべきだというのである。〔/〕要するに、価値のある宗教は、それを信仰する者に利益をもたらし、逆に、その信仰に逆らう者には罰を下すものでなければならないと考えられたわけである。(34)

現在の創価学会は、首相の靖国神社参拝に反対の姿勢をとっているが、それは牧口以来一貫しているとは言えない(38)

 創価学会が勢力を拡大したのは、まさにこの高度経済成長の時代にほかならなかった。敗戦による復興から成長へとむかうなかで、小規模の宗教団体にすぎなかった創価学会は、折伏大行進の号令のもと、強力な布教活動を展開することで巨大教団への道を歩み始めたのである。(57)

 ↓
都市に出てきたばかりの人間たちの受け皿となったのが創価学会だった。(61)

 ↓
都市の下層に組み込まれた人間たちは、慣れない都市において、豊かな生活を実現したいと強く願っていた。創価学会をはじめとする日蓮宗、法華系の教団は、その期待にこたえようとしたのである。(62)

 ↓
創価学会が、今でも農村部より都市部、とくにそのなかでも庶民の集まる下町で強いのはまさにそのせいである。(62-3)

 ↓
創価学会には、先祖供養の要素は希薄なのである。〔/〕そこには、創価学会の会員たちの出自がかかわっていた。彼らは農村部から都市部へ出て行く際に、実家にあった仏壇をたずさえてはこなかった。そのなかの大半は、祭祀権をもたない次、三男だったからである。彼らには祀る祖先がなかった。それは、彼らが、実家で実践されてきた伝統的な先祖供養から切り離されたことを意味する。そうであるからこそ、祖先の霊を中心とした霊信仰に関心をいだかなかったのである。(65-6)

 ↓
創価学会員の場合には、亡くなっても日蓮正宗の僧侶に葬儀を営んでもらうことができ、生家の信仰へ逆戻りする必要はなかった。それは、信仰を継続させることにつながる。(67)

 ↓
日本の労働組合は企業別組合を特徴としており、労働運動の恩恵にあずかることができるのは、大企業に就職していた労働者たちだけだった。したがって、大企業の組合に所属していない未組織の労働者は、組合運動にすら吸収されなかった。〔/〕その間隙をついたのが創価学会であった。創価学会は、都市部に出てきたものの、労働運動には吸収されなかった人間を入信させるのに成功した。(88)


宗教団体である創価学会が政治の世界に踏み出していったのも、そこには宗教的な目的があったからである。(86)

 創価学会員の子弟は、修学旅行などで神仏仏閣を訪れた際には、神社の鳥居や寺院の山門を潜ろうとはせず、そうした施設で礼拝をしようとはしない。(148)

創価学会には会費の制度が存在しない。(162)


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by no828 | 2016-05-10 21:27 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 08日

堅固な自己。そのオプティミズムの上に免疫学の百年の時が流れた——多田富雄『ビルマの鳥の木』

c0131823_1546521.jpg多田富雄『ビルマの鳥の木』新潮社(新潮文庫)、1998年。69(991)


 版元情報なし
 単行本は1995年に日本経済新聞社

 2015年に残してきた本(あと6冊)


 著者と題名の「ビルマ」とに惹かれて手に取った古本。免疫学者のエッセイ。自ら作品を作るくらい能にも大変詳しく、イタリアも好き。

 人権とヒトゲノムに関する文章があり、ここでも引いていますが、納得があまり行っていません。メタ倫理学の「実在論」とか「自然主義」といった辺りとつながってくるのでしょうか。

 援助に関する文章も収められています。そこを読み、わたしは改めて、だから“それ”は「援助」の名に値しないのだ、と思いました。

 解説は白洲正子。


 そのとき、ヒトゲノムの解読は、遺伝病の治療や、さらに癌の治療にも役立つから、などという理由でこのプロジェクトを弁護しようとするのは恥ずべきことのように思われる。役立つかどうかにかかわらず、そこに文書があって読解法があれば、それを読む、というのが人間の文化なのである。エジプトは三千年、DNAのほうが三十四億年。比較にならないほどの情報量である。その全部を、ちょうどエジプト学者が無意味なヒエログリフまで読んだように読むのが文化なのである。(36)

 そんなことから、私はチリという国の名はトウガラシのチリと関係があると思ってきた。実は、トウガラシの原産地はチリだと固く信じていたのである。
 それが間違いであったことは、チリに着いてからわかった。チリという国名の語源は、スペイン征服以前の土着民のアイマラ語で、「陸地の終わるところ」という意味だという。そういえば国名のチリはChile、トウガラシのほうがChilliあるいはChiliである。後者は中央アメリカのナファトル方言だそうで、一般にはトウガラシはアジ(ajeまたはaxi)と呼ばれている。学名はカプシクム(Capsicum annuum L.)である。
(39)

演技をしないことによる表現という世阿弥の考え(44)

 そうした揺れ動く政情と悲観的な空気の中で、いますぐに飯の種になるわけでもない基礎的な研究が続けられ、少しでも成果をあげることができたという事実は評価されるべきである。それがこの国〔=ビルマ〕の科学者をどれほど力づけたことか。「科学」というものが本来持っている、人を勇気づける隠された力である。(58)

「何しろ援助でお金が入っても、民衆は病院の建設にではなくて、お寺に寄付してしまうんだから
 そしてまた、日本からの経済援助が軍事政権の方は潤してしまって、かえって民主化勢力を弾圧する原因となっているという声を何人からも聞いた。そんな援助はやめて欲しいというのである。
 しかし、国外からの援助を絶たれたこの国では、乳幼児の死亡率はますます高くなっているし、病院には抗生物質さえあれば助けることのできる感染症の患者が溢れている。ところが、闇市に行けば、日本製の抗生物質もエレクトロニクスの機器も山積みされているのだ。そもそも、人権とは何であろうか。また人権を外交交渉の手段に使うことが正しいのだろうか。死と生の境で喘いでいる子供たちの人権はどうなのだろうか。
(61-2)

 基礎医学の研究をしている私が、どうしてイタリアに夢中になってしまったのかとよく聞かれるが、ある日突然恋に落ちてしまったとでも答えるほかはない。しかし、毎年二週間あまりイタリア各地を旅することによって、科学の基礎となった西欧精神とは何かという問いを問い続けてきたようにも思う。ルネサンスに始まる合理主義、科学主義だけでは西欧は割り切れない。矛盾を恐れない強さや、不合理を温存する深さも、西欧、そして近代科学を理解するもうひとつの鍵だと思う(72-3)

「生まれながらにして持っている固有の」などというと、私たち生物学者には、真っ先に「遺伝的に備わっている」という響きが伝わってくる。そうだとすると、必ず「人権の遺伝子」というのがあるに相違ないと思うのだ。「人間の固有の」というのだから、どうしても人間の遺伝子の総体、すなわち「ゲノム」ということになる。
 人権の保障している遺伝子は、ヒトのゲノムにほかならないはずだ。〔略〕
 ヒトであれば、必ず共通のゲノムを持つ。それは剝奪することも制限することもできない人権のようなものだ。ベルベル人もこの普遍性の上に存在するし、日本人も同じ普遍的ゲノムの産物である。ゲノムという視点からは、人間はみな同じように見える。
 三十億個以上の塩基のつながりによって決定されている人間。そのすべてを解読するというのがヒトゲノムプロジェクトである。〔略〕ヒトがヒトである理由、すなわち人間存在そのものを理解することができるようになるのかもしれない。人間が共通に保有している価値や権利のよってくるところがわかるはずなのだ。
(89-90)

 ドロ神父〔=長崎県外海町の出津教会の司祭マルコ・ド・ロ〕は、貧困にあえぐ村民のために、パン、マカロニ、ソーメンなどの製造法を教え、メリヤス、漁網などの工場を作った。さらに水車による製粉工場を設け、ソーメンの製造をこの地方の主要産業にまで育てた。故国フランスから取り寄せた大工道具、織物機、製麺機などは、当時の日本では新しい西洋式テクノロジーとして映ったに違いない。
 チフスや赤痢が流行した際には、迅速な患者の隔離を行い、病人の治療にあたった。やはりフランスから来た医療器具、手術用具、助産婦養成のための人体模型、製薬調剤用具などは、ドロ神父の医療活動がかなり広範なものであったことを語っている。
 十八世紀から十九世紀にかけて、アフリカ、南アメリカ、東洋など未開の地へのカトリックの布教活動は、ドロ神父のように新しい科学技術、医療技術の助けを借りて行われた。単に精神的なものだけでは、キリスト教の伝道はできなかったに違いない。
 現代においては先進国は開発途上国に対し、さまざまな形での援助や協力を行っている。その中でも経済協力と医療援助はもっとも重要なものである。〔略〕ドロ神父が十九世紀の日本で、それも長崎の寒村で行ったのと同じではないか。
 しかし、ひとつだけ違うところがある。ドロ神父の場合、医療や産業で村人たちを助けたのは、もうひとつカトリックの布教という精神的な理念があったためである。そのためにすべての物質的なものを捧げつくし、故国に帰ることも報いを求めることもなく、この地に没した。
 日本の産業援助、医療援助に、ドロ神父のカトリックに相当するような精神的な理念があるのだろうか。またそれを無償の行為として行い得る基礎があるだろうか。

 最近、日本の開発途上国経済援助のやり方が、しばしば国際的な批判を受けている。援助の見返りに重点をおき、援助の理念的な部分が見失われているからである。
 国際医療協力ではどうであろうか。ドロ神父のカトリックに相当する理念が本当にあるだろうか。もしあるとしたら、それは何であるか。
(113-5)

 近代の免疫学は、免疫系とは、もともと「自己」と「非自己」を画然と区別し、「非自己」の侵入から「自己」を守るために発達したシステムと想定してきた。そんなに厳格に「自己」を「非自己」から峻別している事実があるとすれば、その判別の基準は何か、そして免疫系が守ろうとしている「自己」とはそもそも何ものなのか、というのが免疫学の問題のたて方であった。堅固な自己。そのオプティミズムの上に免疫学の百年の時が流れた。(145)

 免疫系においても、胎児期前半には「自己」は確立していない。胎児は「自己」と「非自己」を区別できない。「自己」は後天的に成立するのだ。「自己」と「非自己」の識別に重要な役割を果たすTリンパ球(T細胞)は、胎児期後半になって「胸腺」という臓器で作り始められる。胸腺は、胸部の前面にはりついた小さな白っぽい臓器である。一言でいえば、ここで身体の「自己」が形成されるのである。(149-50)

 個体という、独立した「自己」を持っている生命体に、「自己」以外のものが侵入すると、それを排除して「自己」の全一性を守る。病原性の微生物に対して免疫反応を起こすのは、それが病原体であるからではなくて、「非自己」であるためである。(161)

 同一性というのは、AとBが同一という意味なのだから、「自己」の同一性というとき、何と何が同一だというのだろうか。「自己」というのはもともとひとつなのだから、「自己」の同一性などというのはおかしい、と精神科の先生はおっしゃった。(162)

 ここで「感知(perceive)」というのは、「認知(conceive)」と対比させてのことである。「感知」が基本的には直覚に基づいているのに対して、「認知」は、知識と概念による判断である。
 私は、人間がこれまで共有してきた文化的な死は、「感知」された死であったと思う。〔略〕
 それに対して、医学における死は明確な観察と基準によって「認知」された死である。先に述べた死の三徴候は、それぞれが客観的に認識される事実である。これによって、いかなる人間も死を客観的なものとして容認し、死は直覚的なものから冷徹な事実へと変わるのである。
(184)

私は解説を頼まれて、これを書いているのだが、真物〔ほんもの〕は解説や説明をはねつけるもので、(文学でも骨董でも絵画でも——あえて「人間」でもとつけ加えておきたい)——この年になると、そんなことを考えるのである。(白洲正子「多田先生のこと」267)


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by no828 | 2016-05-08 16:10 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 06日

自らが安泰だからといって社会の暗部に無関係を決め込むことは、未来の——寺尾紗穂『原発労働者』

c0131823_213431100.jpg寺尾紗穂『原発労働者』講談社(講談社現代新書)、2015年。68(990)


 版元

 2015年に残してきた本


 2000年代の原発労働者を中心とした聞き取りの記録。しかし、「原発は食い扶持」(4)である多くの労働者がすんなりと口を開くわけではなかったようです。筆者は本書のための取材のなかで、原発推進派だけでなく反対派も、実際の原発労働者の声を聞くことはできていなかったことに気づきます。


 校舎を建てたという坂本さんを前にして、私は突然に気づいた。
 いい校舎だな、誰が設計したんだろう、そう思うことはあっても、誰が校舎を作ったんだろう、という問いはそれまでの自分には浮かぶことがなかった。まるで校舎は最初からそこにあったものであるかのように、そこで汗を流した人たちのことが完全に思考から抜け落ちていた
(18)

炭鉱労働も過酷なものと認識していたが、原子力もそれに劣らない犠牲のもとに存在していた。
 一番ショックなのはそうした事実を知らずに、のほほんと電気を使い、二酸化炭素を出さないからやっぱり火力よりはいいんだろうし、太陽光とか風力とかはいずれ主要な発電源になってほしいけど不安定な部分もあるし、今のところ原子力なのかなあ、と大して勉強もせず思っていた自分自身の在り方だった。
 怒りと恥ずかしさとがこみあげた。人を踏んづけて生きているとはこのことだ。
(26)

多くの場合、事故や怪我があったことそのものがうやむやにされるからだ。なぜうやむやにされるのか。東電が隠蔽するから、というのは半分当たっていて半分間違っている。実際は隠蔽したい東電の意を十二分に汲んだ下請け会社のトップが隠蔽に心を砕くのだ。東電が隠蔽する以前に、東電に報告すらされない事例が多いといえる。(28)

 原子力発電は火力発電よりもリスクが低い、人が死なずにすむ、ということを推進派の人々はよく持ち出すが、山谷や釜ヶ崎など寄場〔よせば〕から来たような、身寄りのない原発労働者の死はこうして闇に葬られている可能性がある。そうしても誰も文句を言わないから電力会社にとっては都合のいいケースだ。
 そして、内部被曝の影響は様々な病気や体調不良として多くの場合、後から表れるため、労働者が仕事をやめて数年後に白血病やガンで死んでも、数字として原発労働の死者数には出てこない。
(43)

 原発推進、反対を問わず、そこで生み出された電気を使ってきた者がまずしなければならないのは、彼ら〔=事故後に福島第一原発に率先して入った熟練労働者〕を国の英雄と祀り上げることなどでなく、「原発を動かしてきた」のは本当は誰であるか真摯に考え、うなだれることではないだろうか(64-5)

働くっていうのは自分ごまかして生きるってことですよ(101)

大量殺戮がかつて人間の「獣性」によってではなく、「合理性」によってなされたことを、忘れてはならない(115)

ある有名な科学者には数人の弟子がいた。ある日、科学者は透明な液体を試験管に入れて持ってきて、それぞれにこの液体を調べよといって渡した。みんな、先生がくれたからどんなに貴重な液体だろうか、と意気込んで調べ始めた。しかし、結果は水と少々の塩分だけ。さてこの液体はなんだったと思う?」
 この先生は〔高校の〕化学の教師であると同時に、無教会派のクリスチャン内村鑑三の孫弟子にあたる牧師さんでもあって、ユーモアがあってやさしいおじいちゃん先生だった。みんながシーンとすると、先生は「これは子どもを亡くした母親の涙だよ」と答えを言った。
 科学では測れないこと、解明できないこと、人の心、人の命、その尊さ。このエピソードを初めて聞いたとき、なんとなくその重要さを感じてはいたけれど、先生が繰り返しこの言葉を伝えた理由が今になって初めてわかった気がした。
(115-6)

プールに入る外人はよく見ました。一回入ればすごいお金もらえるって話ですもん。休憩所などでは会わないけど、現場に行くときすれ違うんすよ。滞在してるうち何回か入るんじゃないすか。たぶん全国をまわってると思うんすよ。船のカタログ見てるわけがわかる。一回200とか300ミリ被曝するって。白人もいましたよ。一回200万とか300万とかもらえるらしいっす」
 燃料プールに落ちたものを拾いに潜る「黒人」がいるというのは、私も何冊かの本を読んで知っていた。1977年には樋口健二氏が敦賀原発の定検に来ていた黒人労働者の写真を撮り、それを国会で公明党の草野威衆院議員が追及し、存在を否定していた科学技術庁も通産省も認めざるを得なかったという経緯もある(「週刊金曜日」2011年9月9日号)。81年の美浜原発で巨体の白人労働者が原子炉建屋に入っていくのを川上さんが目撃してもいる。
(158-9)

現代の原発は、まさに世界からポツリポツリと集まる貧しい労働者の違法な大量被曝によって維持されているのではないか。食うに困った若者が最後にいきつくのが、戦場と原発なのかもしれない。(160)

国籍が違うという一点で、法の網の目をくぐってあっという間に自国に戻っていける外国人労働者の大量被曝なしに、原発はたちゆかない(160)

 日雇い労働者のことを歌ったりするので、社会的な歌ばかり歌っていると誤解もされるのだが、社会のある問題を知ったからといって、それがそのまま表現になるわけではない。「知る」ことがそのまま「表現」にはならないのだ。表現になるためには、やはり「知る」+「深く感じる」という過程を経ることが必要で、私の場合そこに導いてくれたのが坂本さんとの出会いだった。(201)

「人を踏んづけて生きている」と書いた。けれど、踏んづける側と踏んづけられる側の境目は実はあいまいだ。何かのきっかけで、人は理不尽でシビアな世界に生きざるを得なくなる。極端に言えば、自らが安泰だからといって社会の暗部に無関係を決め込むことは、未来の自分、自分の子孫や近しい人がそうした場所で苦しむ可能性を肯定することだ。日々心の冷えていくようなニュースを目にしながら、それでも、否それゆえに「木を植えた男」のように、樋口健二さんのように、淡々と自分のなすべき表現を続けなければ、と改めて感じている。(201-2)


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by no828 | 2016-05-06 21:49 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 05月 05日

アクが出るように少しずつ「自分」が溜まって、「自分」が自分の——橋本治『いつまでも若いと思うなよ』

c0131823_15435566.jpg橋本治『いつまでも若いと思うなよ』新潮社(新潮新書)、2015年。67(989)


 版元

 2015年に残してきた本


 どこかで聞いたことがあるような題名です(→ )。出版社も新書という形態も同じです。もちろん内容——『復興の精神』との重なりもあります——を反映したタイトルではありますが、橋本治先生の本ということもあり、読み手としては“これでよろしいのか”と釈然としない気持ちがあります。

 それでも切れ味鋭い老若論。


「高齢者としての線引きはいやだ!」を野放しにしてしまうと、超高齢大国の日本から「高齢者」なるものがいなくなるか、激減してしまう。そうなると、理論上は老人向け医療費の増大といった種々の問題が消滅することになるはずなんですが、そんなことはない。「高齢者として認定されるのはいやだが、高齢者であることへの特典を受け入れるのはやぶさかではない」という人は世間にいくらでもいるので、そういう人達が「私を大事にしろ」と言い始めれば、高齢者問題は解決なんかしないでしょう。往生際が本当に悪い。(14-5)

 昔の年寄りが年寄りであることを簡単に認められたのは、「若い」ということに対して価値がなかったからですね。若いということに価値があるのは女だけで、男の「若い」は「稚い〔いとけない〕」で「稚拙」で「青い」だから、たいして価値がない。(16-7)

 世の中には、「何歳になったら年寄りだという決め方をするのはおかしい!」と言って怒るなんでも「社会のあり方がおかしい」派の人はいるけれど、「私は社会通念上年寄りではあるが、それに反して私自身は一向に年寄りらしくないので笑っちゃうね」というあり方もある。それこそが「社会のあり方に縛られない」で、「一律に年寄り扱いするのはおかしい!」と言う人は、自分の老いをネガティヴに意識しすぎて八つ当たりをしているだけのような気がする。(19)

 つまり、経験を重ねないと自信は生まれなくて、自分で自信を持てるようにならなければ、経験を積んだということにはならない。だから、ノンキな顔をしていても、「俺はこれでいいんだろうか?」と、年柄年中悩んでいる。(33)

「自分」がないんだから、「自分」なんかいくらでも変えられる——私にとって「若い」というのはそういう時期だった。(50)

作家という商売をしている以上「自分」なしということはありえない。アクが出るように少しずつ「自分」が溜まって、なんだか知らないけど「自分」が自分の中心にいるようになった。〔/〕「自分が自分の中心にいる」というのもおかしな話だが、「自分」というものが「自分の中で醸成されるもの」と考えれば、そうへんではないだろう。(51)

 私は、病気になると「病気だから仕方がないじゃん」と思って平気でリラックスしてしまう人間なので、「病気と闘う」などという発想が出て来ません。「そういう人もいるのかもしれないけれど、病気と闘うのは医者の仕事だから、患者は医者の言うことを聞いて寝てりゃいい」という、あまり聞かれはしないけれども、多分「正論」であるような考えの上で眠っているだけです。(128)


@研究室
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by no828 | 2016-05-05 15:54 | 人+本=体 | Comments(0)