思索の森と空の群青

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2016年 08月 08日

あなたとやれることで残っているのは別れることだけだ、と——松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』

c0131823_1927127.jpg松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』河出書房新社(河出文庫)、1991年。6(1003)


 版元

 単行本は1987年にトレヴィル


 表題作を含む3話の連作長篇。女性同士の恋・愛の物語。精神的に、かつ、肉体的に他者の支配下に置かれることの快、といった事柄も描かれ、そこから離脱したほうがよいのではないかと思いつつも、本人が了承したのなら外部からのそれ以上の関与は余計なものであることになり、余計であるものは行なう必要がないとされる——この論理について。相手を変えようとするのではなく、自分はこのように感じた・思った・考えたというその内容を表現するだけなら問題ないのか。相手を変えようとすることはそもそも問題なのか。

 解説は四方田犬彦。「ソロリキウム」(219)という言葉をはじめて目にしました。“一人で行なう対話”という意味のようです。


「イランに飛んできたんだけど嫌な国ね。暑いし、埃っぽいし、道を歩くと男たちがぎらぎらした眼で見るし。」
「八月の東京と同じじゃない。」
「違うの。あそこじゃ金持ちが何人も妻をかかえてて、貧乏な男には女が回らないものだから、大袈裟じゃなく異様に女を凝視するのよ。」
(「いちばん長い午後」12)

「特に嫌なのはフランス料理ね。ごてごてと味を飾りつけるのって、何だか恥しくない? 食べること自体恥しいものだけど。(「いちばん長い午後」41)

楽しいと心から感じることもない代わりに苦しいとか辛いとか思うこともないのよ。(「微熱休暇」76)

 私は花世の常に潤んでいて何かを待ち受けているような官能的な瞳が好きだった。生の感情を滅多に顕わさないはりつめた顔つきが好きだった。興味のない話題にはひとことも口を挟まない生真面目さが好きだった。つまらない冗談に義理で笑ったりしない頑さが好きだった。自分に熱を上げている男を平然と捨てる冷酷さが好きだった。誰にもたやすく心を明け渡さないと言わんばかりの誇り高い態度が好きだった。彼女の描く精緻で密度の高い漫画ももちろん好きだった。要するにすべてが好きだったのだ。(「ナチュラル・ウーマン」118)

機会を逃がしてはだめよ。そんなに好きなら思いを吐き出さないとろくなことにならないわ。結果なんてどうだっていいのよ。強烈な感情が生まれたらその都度清算しなきゃ。(「ナチュラル・ウーマン」122)

「つまらないのになぜやってたの?」
「やらなければいけないって言うか、やるものだ、と思ってたの。女である以上は。そんな風に考えたことはない?」〔略〕
たまたま女に生まれてついでに女をやってるだけだ、とは考えないの?
「あなたはそう考えてるの?」
 私は頷く。
だから、ついでの部分のことなんかどうでもいいと思ってる。
(「ナチュラル・ウーマン」136)

「不思議なんだけど」背中の上から囁きかける。「私、あなたを抱きしめた時、生まれて初めて自分が女だと感じたの。男と寝てもそんな風に思ったことはなかったのに。(「ナチュラル・ウーマン」159)

人を好きになるのが怖いと思ったことある?
 花世がまた問をよこした。
わからない。
 感じたままを私は答えた。体の震えはまだ静まらなかった。
(「ナチュラル・ウーマン」169)

「私が言い出すのをずっと待ってた?」
待ってたりはしなかったけど、あなたとやれることで残っているのは別れることだけだ、とわかってたわ。
(「ナチュラル・ウーマン」204-5)

 圭以子が言った。
「完璧な眺めだと思わない?」
「そうね。」答えた後で私は意見を求めた。「いずれは辛くなくなる?」
「それは無理でしょう。」圭以子は言い切った。「辛いまま生きて行けばいいじゃない。
その通りね。
 私は再び公園に視線を遣った。人々は快活に動き、樹々は悩ましいほど緑色だった。
 あと一月で夏である。夏を遣り過ごし秋を迎えれば誕生日が来る。まだやっと二十二歳であった。
(「ナチュラル・ウーマン」211)


@研究室
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by no828 | 2016-08-08 19:37 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 08月 06日

他人の書いた本を読むのは、自分自身の文章を執筆するためである——島内景二『読む技法・書く技法』

c0131823_13315536.jpg島内景二『読む技法・書く技法』講談社(講談社現代新書)、1995年。5(1002)


 版元


 題名のとおり、「キーワード読み」とか「待ち伏せ読み」といった「読む技法」、そして「読書メモの取り方」とか「書評文を書く」といった「書く技法」について書かれています。著者の専門は「国語国文学」、とくに源氏物語研究のようで、本書に登場する文章の具体例もそうした方面が多いです。

 書くために読む、読むのは書くためである、という姿勢がはっきりと打ち出されています。


 巧みな文章の書き手は、他人の書いた文章のよき「読み手」である。自分以外の人間の執筆した文章を読みこなし、批判的に検討し直し、整理し、それを適切に引き出して自分の文章執筆に役立てることができてはじめて、「書き手」は誕生する。(9-10)

読書行為を通じて執筆する」というプロセスに力点を置きたい(10)

 主体的に読書するとは、〔略〕「本を読みながら考える」、あるいは「考えながら読む」という姿勢のことである。(12)

「読み手」から「書き手」への変貌は、じつは、そもそもの読書の段階から始まっているのだ。本を読みながら考えている読者は、その考えた内容を、今自分が読みつつある書物の欄外に書き込む。少なくとも、自分の思索を誘発した契機としての重要なキーワード・キーセンテンスに、傍線を引いたりはするであろう。
 読書する時点で、読みつつある本や手元にあるメモ用紙に、その時その時での発見や感想などを「書き込む」。読書が終了するや、メモに書かれた内容を、自分なりに工夫した読書ノートに「書き写す」。そして、その読書ノートにもとづきながら、自分の体系と自分の磁場を確立して、個性的な文章を「書き始める」。
 読むことは、絶えず「書く」ことと同時進行しなければならない。二つの行為は、二人三脚のような関係なのである。
(12)

本書では、「他人の書いた本を読むのは、自分自身の文章を執筆するためである」という、強い問題意識と意欲をもって読書する技法について、可能なかぎり言及したい(14)

自己の見解の表明は、これまで自分が読んできた書物を踏まえ、それを乗り越えることでしかもたらされない。(20)

「要約しつつ評言する」(98)

 つまり、どの人も、書店でお金を出してまで本を読もうと思う時には、ある種の「問題意識」がすでに存在しているのだ。大学で卒業論文などを指導していて、時折滑稽なのは、自分に問題意識がないということに悩んでいる学生が結構多いことである。〔略〕〔/〕彼ら(彼女ら)がある特定の作品や作者の研究をしたいと漠然と思った段階で、すでに「問題意識」は、発生しているのである。あとは、その問題意識を「具体的なもの」へと煮詰めてゆけばよい。それには、読書である。(163-4)

本の書き手が、もしも書評文を目にして、自分の思考回路が透視され、解剖されたかのような印象をもったとすれば、それこそが「書評文の理想」なのである。(200)


@研究室
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by no828 | 2016-08-06 13:40 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 08月 02日

7月の失調、復調後のテニスコート

 7月中旬、体調悪化。2008年のあのときが甦る——しかしそれとは異なる——症状。食あたり? その心当たりはありません。しかし、おそらく。内科へ行って処方された薬を服用したとしても劇的に回復するわけではない、ということは以前の体験からわかっていました。原因が体内から排出されるのに1週間はかかるであろう、逆に言えば1週間を過ぎれば落ち着くであろうと、ポ○リスエットを水で半分に薄めて飲むなどしてひたすら耐えた日々でした。講義も移動も耐えながら行ないました。すごく辛い、と久々に感じた日々でした。

 下旬、復調後のコーヒー。
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 復調後の渓谷。
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 復調後の川と空。
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 大学へ自転車で行ったのに帰りは雨のために徒歩となり、翌朝また徒歩にて川沿いの道を大学へ向かっていると、テニスコートにいた中学生と思しき男子たちから「すみません、いま何時ですか?」と訊かれ素直に・正直に時刻を知らせたら「ありがとうございましたっ」と言われました。わたしはどちらかと言わなくても気軽に話しかけられるような面貌ではありませんし、このときはサングラスをしていたのでより一層なわけでありますが、にもかかわらずの中学生の実直さに感服しながら歩を進めました。夏です。

(といったことを書いているあいだに雨が止むのではないかと思いましたが、その気配がありません。今夜も歩いて帰ることになりそうです。)

@研究室
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by no828 | 2016-08-02 22:25 | 日日 | Comments(0)