思索の森と空の群青

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2016年 12月 15日

言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものです。また、そうであらねばならない——三浦しをん『舟を編む』

 三浦しをん『舟を編む』光文社、2011年。16(1013)


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“ベストセラー”のため、敬遠してきました。ようやく手に取りました。「研究」という事柄の一端が示されていて、内容を身近に感じました。何か1つに懸けるという姿勢に惹かれます。本書ではそういう姿勢の人が辞書づくりの内外に配されています。正直に告白すると、ちょっとぐっときました。

 6番目の引用は、自省するきっかけにもなりました。自分に求めることを相手にどの程度求めるか。

「なぜ、新しい辞書の名を『大渡海』にしようとしているか、わかるか」〔略〕
辞書は、言葉の海を渡る舟だ
 魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」
海を渡るにふさわしい舟を編む
 松本先生が静かに言った。「その思いをこめて、荒木君とわたしとで名づけました」(26-7)

 いくら知識としての言葉を集めてみても、うまく伝えられないのはあいかわらずだった。むなしいけれど、しかたがない。伝わらないという事実を、馬締は諦めとともに半ば受け入れていたのだが、辞書編集部に異動になって欲が出た。
「みっちゃんは、職場のひとと仲良くなりたいんだね。仲良くなって、いい辞書を作りたいんだ」
 タケおばあさんに言われ、馬締は驚いて顔を上げた。
 伝えたい。つながりたい。
 自分の内心に渦巻く感情は、まさしくそういうことだと思い当たったからだ。(35)

「言葉は知っていても、実際に三角関係に陥らなければ、その苦しみも悩みも十全に自分のものとはなりません。自分のものになっていない言葉を、正しく解釈はできない。辞書づくりに取り組むものにとって大切なのは、実践と思考の飽くなき繰り返しです」(56)

 馬締が「れうり – にん」の見出し語から思い浮かべたのは、もちろん香具矢のことだ。「料理ヲ業トスル者」。この「業〔わざ〕」は、務めや仕事といった意味だろうが、それ以上の奥行きも感じられる。「天命」に近いかもしれない。料理をせずにはいられない衝動に駆られてしまうひと。料理を作って大勢の腹と心を満たすよう、運命づけられ、選ばれたひと。
 香具矢の日常を思い返し、「職業にまつわる『やむにやまれぬなにか』を、『業』という言葉で説明するとは、さすが大槻文彦だ」と馬締は感じ入るのだった。(89.傍点省略)

 大切なのは、いい辞書ができあがることだ。すべてをかけて辞書を作ろうとするひとたちを、会社の同僚として、渾身の力でサポートできるかどうかだ。〔略〕
 だれかの情熱に、情熱で応えること。(140)

「もし、執筆者から降りるとごねたら?」
「そのときは降りてもらえばいいです」
 冷たいほどあっさり馬締が断じたので、西岡は驚いた。馬締も自分の語気が鋭すぎたと感じたのか、苦笑して補足した。
すみません。相手にも同等かそれ以上の真剣さを求めてしまうのが、俺の悪いところです
 いや、と西岡は曖昧に首を振った。なにかに本気で心を傾けたら、期待値が高くなるのは当然だ。愛する相手からの反応を、なにも期待しないひとがいないように。
 同時に、馬締のなかで渦巻く感情の密度と濃度は、並大抵ではないとも思った。馬締の期待と要求に応えつづけるのは、かなり難しい。(142)

「そういえば、西岡さんにも言われたことがあります。『その言葉を辞書で引いたひとが、心強く感じるかどうかを想像してみろ』と。自分は同性を愛する人間なのかもしれない、と思った若者が、『大渡海』で『あい【愛】』を引く。そのときに『異性を慕う気持ち』と書いてあったら、どう感じるか。そういう事態を、俺はちゃんと想像できていなかったんですね」(200)

「ですから、たとえ資金に乏しくとも、国家ではなく出版社が、私人であるあなたやわたしが、こつこつと辞書を編纂する現状に誇りを持とう。半生という言葉ではたりない年月、辞書づくりに取り組んできましたが、いま改めてそう思うのです」
「先生……」
言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものです。また、そうであらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟。『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」(226)

 きみとまじめさんのような編集者に出会えて、本当によかった。あなたたちのおかげで、わたしの生はこのうえなく充実したものとなりました。感謝という言葉以上の言葉がないか、あの世があるならあの世で用例採集するつもりです。(257)

@研究室

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by no828 | 2016-12-15 21:58 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 12月 14日

そういう風に、迷う新人は見込みはある。悩まないのが問題なんです。悩む人が成長する——梶原しげる『会話のきっかけ』

 梶原しげる『会話のきっかけ』新潮社(新潮新書)、2014年。15(1012)


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 会話が軽快に進まない、そもそもはじまらない、という事態を問題だとは思っていないのですが、一応、勉強用です。とはいえ、本書の軸足は、どううまく話すか、ということよりも、言葉を介した自己理解の深め方、他者理解の進め方に置かれています。重要な事柄です。

 筆者の個人的な経験に加え、筆者が学んだ人や読んだ本などの内容も紹介されています。

「部下には弁当を買いに行かせろ」という話は、部下を試し、評価し、指導するためのテストですが、こういう考え方は個人的にはあまり好きではありません。他者の評価につながるような行動は結果的に生まれるものだと思っているところがあって、他者を評価するための行為をしようとは思いません。上司と部下という関係性において上司の位置に立って部下を引き上げていかなければならないとするなら、たしかにそういう“試す”方法も活用できるのかもしれません。しかし、わたしのような仕事には——少なくとも研究者という点で——上司も部下もないし、誰かを指導しようという気持ちも強くは——まったく、ではないと思う——持っていません。学生に対しても、そうです。が、講義では学生にレポートや試験を課しているわけで、実際は他者を——「部下」と「学生」とは異なるものの——試しているのかもしれません。部下や学生という立場からするとこうした試される局面はあったほうがよいのでしょうか。“いま試されているな”と気づく人もいるでしょう。

 人はなぜ人を試すのでしょうか。自分のため、自分の属する集団のためでしょうか。

 恩師、國分康孝先生の言葉にこんなものがある。
「自己紹介が自己開示であれば良好な人間関係が築かれやすい。自己開示とは、自分の強みも弱みも構えること無く相手に伝えることだ」(34)

 タレントの小島慶子さんがこう言っていたのを思い出す。
私は、この人嫌いだなあ、この人苦手だなあ、と思った時、その気持ちを放置しないようにしているんです。どうして嫌いなんだろう、どうして苦手なんだろうって、何度も自問自答するんです。そうすると、嫌いだとか、苦手なのは、実はその人が自分と似た嫌な所があって、自分を見ているような気がして苦手とか、自分よりこういう所が優れているからやきもちをやいている、とか、私の好きな物が嫌いだってどこかで読んだり聞いたりしたからだ、とか。そういう事が分かると、嫌いだとか苦手だとかいうことが不思議とどうでもよくなることがあるんです」(58)

〔梶田叡一によると〕
コトに触れモノに触れて自問し、それに対し自答するという習慣がなければ、考えるという事がないままの『刺激反応型人間』になってしまう」〔略〕「万一このように自らの感情を精査しないまま、紋切り型の反応をしてしまいそうになったら、こういう呪文を唱えよう。待てよ待て。今のこの感覚を言葉にすると……」(59-60)

〔小宮謙一によると〕
部下には弁当を買いに行かせろ」〔略〕一五〇〇円を部下に渡して「お前の分と俺の分、適当に買ってきてくれ」とだけ言う。「どこで、何を、どのように」など一切の情報無しに言われた部下にとって、これは厄介な課題だ。
「指示が無い注文」を前に、途方に暮れる新人達の姿が浮かぶ。一〇歳も二〇歳も年上の上司には、どんな弁当が喜ばれるのだろうか?
そういう風に、迷う新人は見込みはある。悩まないのが問題なんです。悩む人が成長する」(70-1)

丸谷〔才一〕さんは挨拶をする時あらかじめ原稿を書き、それを読む、という事を原則とされていた〔略〕。〔/〕弔辞や媒酌人挨拶など特別な場合を除けば、「挨拶にいちいち原稿を読むのは、いかがなものか」と言われがちだが、丸谷さんの見解は違う。
 原稿も書かずに、出たとこ勝負の挨拶でしどろもどろになり、話があっちへ飛び、こっちへ戻りを繰返し、気がついたら一〇分以上長々と退屈な話を続ける「困った人」が少なくないとお嘆きなのだ。(116)

〔丸谷才一によると〕
「〜とにかく人を喜ばせようという気持で準備するんです。だから、主賓(その会の主役)についてちょっとからかう。〜悪口(軽口の類い)を一入れたら、十か二十ぐらい褒める〜とにかく褒めなければならない」〔略〕〔/〕「とても優秀」など、大ざっぱで抽象的な言葉を羅列しても相手の心に響かない。やはりここでも挨拶を向ける相手先の「取材・観察・研究と、それを整理して作成した挨拶の中身」が必要だ。(124)

我々が好ましいなあ、と思うのは、一瞬、『?』と驚きながらも、気を取り直し、一生懸命真面目に答えを出そうとする人です」(202)

@研究室

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by no828 | 2016-12-14 17:02 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 12月 13日

移動が付きまとう

 非常勤講師時代に、Tくばから週1でT川(T京)、N野(T京)、T木(T木)、T塚(Y浜)などに出向いていました。1コマ90分のために、90分以上の時間を片道の移動に費やしていました。そのため、就職したら職住近接を、という思いが年々強まっていきました。就職して半ば達成された部分もありますが、全面的な成就とはなっていません。わたしはなぜこれほどまでに時間をかけて移動しなければならないのか、と思うことがしばしばあります。F岡からT京まで飛行機で“通勤”していたという研究者を知っています。それで自分を宥めようとしますが、いつも成功するとは限りません。

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 かかるのは時間だけではありません。せめて「特急」と「普通」とのあいだに特急料金のかからない「快速」が走ってほしいと願います。しかし、それで移動がしやすくなったからもっと移動を、となっては本末転倒です。

@研究室(外は雨)

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by no828 | 2016-12-13 22:19 | 日日 | Comments(0)
2016年 12月 04日

教育者には適性というものがあるはずだ。だが、適性だけでは道を誤ることがある。教育の目的の正邪を見極める良心を欠いてしまえば——宮部みゆき『ペテロの葬列』

 宮部みゆき『ペテロの葬列』集英社、2013年。14(1011)


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 この結末には賛否があると思われます。気持ちを落ち着けるのに時間を要しました。賛否のない物語がよいのか、賛否のある物語がよいのか。研究においては後者を推したいし、自らもそうありたいと思っている節もあります。

 バスジャック犯のかつての仕事について、乗客であった彼も同じことをしていたということについて、物語内の位置づけとしてはやや粗いとの印象を受けました。

 みんな同じ目をしているんだ、という。
「教官でも講師でもトレーナーでも、呼び方は様々だが、受講者を教える立場にある人間で、その業界では優秀だと評価されている者ほど、そうだった」
 どんな目ですかと、私は訊いた。
人を見る目じゃない。ものを見る目だ」と、義父は言った。「考えてみれば、それは当然なんだ。人は教育できる。だが連中が目指すのは教育じゃない。〈改造〉だ。人は改造などできない。改造できるのは〈もの〉だよ」(308-9)
人を教え導くというのは、本来、非常に尊い技だ。難しい技でもある。そうそう誰にでもできることではない。だからこそ教育者には適性というものがあるはずだ。だが、適性だけでは道を誤ることがある。教育の目的の正邪を見極める良心を欠いてしまえば」(317-8)

真ん中がないんだよ。空っぽか、みっしりか。そうでないと、あんなふうに人を騙すなんてできないような気がする」
 言い換えるならそれは、〈自分がない〉か、〈自分しかない〉ということではないか。(497)

他には何の根拠もないのに、一途にそう思い込んでしまうところは、流人の島の長にもそれなりの鬱屈とコンプレックスがあるからだろう。それが死角をつくるのだ。(18-9)

認知症なんだよ」と、森氏は編集長に言った。「〔略〕本人はもう何もわからんと医者は言うんだけれど、私にはね、今の家内のなかに閉じこめられてしまった昔の家内が、自分のこんな姿を見ないでくれと、泣いて怒っているのがわかるんだ」(23)

 何人かのグループが談笑している場で、発言している者ではなく、黙って聞いている者に注目するのは、どういう立場の人間だろう。どういう〈職種〉といってもいい。(128)

 北見氏は言っていた。警察を辞めたのは、悲劇が起こってしまってから動き出すという仕事に、つくづく疲れたからだと。悲劇が起こる前に何かできないかと思ったら、私立探偵を始めたのだと。(211)

セクハラって、女性に甘えてるんですか」野本君が目をぱちくりさせた。「女性を舐めてるんじゃなくて?」
舐めてるってことは、許してもらえると甘えてるってことよ」(251)

「極端に閉鎖的な上下関係のなかでは、ちっぽけな権力を握ったらちょっとばかり上位の人間が、それにふさわしい能力も資格もないのに、下位の人間の生殺与奪の権を完全に握ってしまうことがある。私はそれが嫌いなんだ。私がこの世の何よりも憎まずにいられないものなんだよ」(300)

 レンブラントの魔術が生んだ美しい明暗のなかで、『聖ペテロの否認』のペテロは、「イエスなど知らない」と嘘を言い並べている。その彼は、役人たちに引き立てられてゆくイエスが振り返る。イエスの顔には光があたり、ペテロの顔は影に沈む。〔略〕
 ——ほかの弟子たちが逃げ去っても、ペテロはイエスのそばに残っていたんでしょう。最後まで頑張って踏み留まったからこそ、厳しい追及に負けて嘘をつくことになってしまった。
 ——ペテロがもっと臆病な人だったなら、嘘をつかずに済んだのよね。勇気と信念があったばっかりに、恥に苦しむことになった。正しい人だったからこそ、罪を負った。
 それが悲しい、と言った。〔略〕
 どんなペテロにも、振り返って彼を見つめるイエスがいる。だから我々は嘘に堪えられない、だが、自分にはイエスなどいない、イエスなど必要ないと思う者には、怖いものは何もないだろう。(401)

「気づいてたら、きっと止めてた。だけど気づかなかったのよ。手遅れだったの。みっちゃんやあたしぐらいの歳になったら、間違ったと思っても、もう人生をやり直すことなんかできないの。ただ、終わらせることしかできないのよ」(553)

 教育はさまざまなものと紙一重で成立しているのだということに改めて考えました。また、自分がない、と、自分しかない、というのは同じことなのかもしれない、と気づかされました。

@研究室

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by no828 | 2016-12-04 15:14 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 12月 02日

「福祉の外に置かれた彼に対して、私は何もしてやれなかったんです」——山本譲司『累犯障害者』

 山本譲司『累犯障害者』新潮社(新潮文庫)、2009年。13(1010)

 版元 | 2006年同社刊行の単行本に第5章加筆

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『獄窓記』に続いて2冊目。刑事事件を起こした障害者の実像、警察と司法の実態に迫っています。「制度」の外部に存在する障害者には行政・福祉も手を差し延べることが難しい、しかし行政・福祉を必要とするのはまさに「制度」に含まれていない人なのだということがわかります。負のサイクルを止めるために介入すべき地点は明らかであるものの、そこには難しさが伴います。

 ある日、満期出所を目前にした受刑者の一人が言った。
山本さん、俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ。だから罰を受ける場所は、どこだっていいんだ。どうせ帰る場所もないし……。また刑務所の中で過ごしたっていいや
 再犯をほのめかしているとも受け取れる発言だ。さらに、「俺ね、これまで生きてきたなかで、ここが一番暮らしやすかったと思っているんだよ」と真顔で語る。
 自由も尊厳もない刑務所のほうが暮らしやすいとは。塀の外の暮らしは、障害者にとってそんなにも過酷なのか——。(12-3)

 ただ、善悪の判断が定かではないため、たまたま反社会的な行動を起こし検挙された場合も、警察の取調べや法廷において、自分を守る言葉を口述することができない。反省の言葉も出ない。したがって、司法の場での心証は至って悪く、それが酌量に対する逆インセンティブになっている。反省なき人間と見做され、実刑判決を受ける可能性が高くなるのだ。そして一度刑務所の中に入ると、福祉との関係が遠退き、あとは悪循環となってしまうケースが多い。(16)

 福田被告は、少年時代、父親からの凄まじい虐待を受けている。彼の弁護人に聞いたところによると、体中、傷跡だらけで、特に胸部から腹部にかけての全面に広がる火傷の跡は酷いという。父親から何度も、燃え盛る薪を押し付けられていたのだ。
 そんな生い立ちからすると、はじめに入った少年教護院は、彼にとって、「避難場所」と感じたかもしれない。
(21)

 驚いたことに、妹は身体障害者手帳を所持していなかった。したがって、障害者基礎年金も受給していないし、医療費免除の対象者にもなっていない。当然、生活保護も受けていなかった。親子ともに、その手続きの方法どころか、制度そのものを知らなかったらしい。〔略〕
 妹は母親が亡くなって以降、一一年間、兄だけではなく、父親も含めて二人の知的障害者の世話をしてきたことになる。その挙げ句、病に倒れた。この間、全く福祉の手は差し伸べられなかった。行政の目も届かなかった。
 不思議である。振り返ってみると、福祉行政との接点を持つ機会は、何度もあったはずだ。それは皮肉にも、山口被告が事件を起こすたびに訪れていた。しかし、保護者観察所から福祉への橋渡しは、何一つなされなかった。確かに、前科のある者に対しては一歩身を引いてしまう、障害者福祉の冷淡な現実もある。だが結果的に、保護観察の対象だった知的障害者が新たな重罪を犯し、それによって尊い命が奪われてしまったのだ。(48-9)

福祉の外に置かれた彼に対して、私は何もしてやれなかったんです」(50)

 かくの如く、私が獄中で出会った受刑者のなかには、いま自分がどこにいて何をしているのかすら全く理解していない障害者がいた。さらには、言葉によるコミュニケーションがほとんどできない、重度の知的障害者もいる。刑法第三九条でいう「責任能力」の有無はともかくとして、私には、彼らが「訴訟能力」や「受刑能力」を有しているとは、とても思えなかった。
この人たちは、一体どんな裁判を受けてきたのかね
 刑務官たちは、彼らと接するたびに、そう言って首を傾げていた。私も同感である。が、それ以上に、警察官や検察官の取調べがどのようにして行なわれていたのか、という点のほうが気になっていた。(68-9)

 滝乃川学園というのは、東京都国立市にある日本最古の知的障害者入所施設のことである。一八九一年に創設された同学園は、もともと孤児を対象とした施設だった。当時、年端もいかぬ孤児たちが売春目的に取引されている実情を憂えた創設者・石井亮一が、彼女らを引き取り保護したことに起源を発する。ところが、その少女たちのなかに何人もの知的障害者がいて、それがきっかけとなり、同学園は知的障害者専門の福祉施設へと変わっていく。(117)

 理事長が示してくれたデータによると、大村椿の森学園〔=長崎県大村市の情緒障害児短期治療施設〕では、〇三年四月一日から〇七年一二月三一日までの間に入所した児童数は、六六名となっている。このうち、被虐待の事実が確認された児童が五〇名で、入所児童全体の七六%だ。さらにそのなかで、性的虐待を受けた事実が確認された児童が一二名おり、これを被虐待児童五〇名に占める割合で見ると、実にその数値は、二四%に達するのだ。児童相談所が発表した数値三・一%とは、八倍近い開きがある。
「でも、私たちは、ここにいるような、『福祉』と『医療』と『養護』の狭間にいる子どもたちの『生き直し』に、ずっと関わっていきたいと考えています
 大村椿の森学園では、〇八年度から、入所定数を五名増やしたのだそうだ。そして、田﨑〔耕太郎〕理事長は、「さらに、こうした施設を全国に開設していきたい」との決意を力強く口にした。(175-6)

だが、ほとんどのろうあ者は、手話で考え、手話で夢を見るそうだ。当然、言葉で考える場合と比べ、その思考方法は違ってくるはずだ。行動規範や倫理意識に、ずれが生じてくることもあろう。(228)

 聾学校では、彼らろうあ者の言語である手話は、口話を妨げるものとして、「手まね」という蔑称がある。耳の不自由な児童・生徒に無理やり声を出させ、徹底的に発音練習を強いるのだ。発音時の口や舌の形が間違っていれば、口内に指を突っ込まれたりもする。だが、声を発している本人たちには聞こえてはいない。これには、ナンセンスを通り越して、滑稽な感じすらしてしまう。〔略〕
 なぜ、そこまでする必要があるのか。それは、口話さえできれば聴者社会での就職が有利になるという発想が、聾学校側にあるからだ。
 聾教育の現場に、「九歳の壁」という言葉がある。ろうあ者は、聾学校の高等部を卒業したとしても、所詮、九歳レベルの学力しか身に付かない、という意味だそうだ。それは、浜松事件の細江被告のことを想起すると頷けなくもない。ところが、細江被告のようなろうあ者を生み出したのが、まさに現在の聾教育ではないのか。彼は、教師や母親からの猛特訓に耐えてきた。そして、聾教育のなかでの優等生となった。しかしその一方で、常識は著しく欠如してしまったのだ。(244-5)

@研究室

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by no828 | 2016-12-02 20:30 | 人+本=体 | Comments(0)
2016年 12月 01日

75分の両側

 11月下旬、T波大学で非常勤講師として講義を1コマ行なってきました。S合科目のひとつです。はじめて講じる内容であったのと、1コマ75分であるのとで、少々不安もありましたが、結果的にすべて収まりました。受ける側なら90分も75分も大差ありませんが、話す側では加減(というか減)が必要です。ちなみに、この科目はオムニバスのため、わたしの出番は年度内1回です。

 距離と移動時間に鑑み、K日の——旧T情の——ゲストハウスに前泊しました。2,600円也。D学会館は予約でいっぱいで取れませんでした。買物やら当日の出勤やらを踏まえると、本当はD学会館がよいです。

 Tくばには20時前の到着となってしまい、いろいろ見て回る余裕がありませんでした。当初の予定では、夕方に着いて荷物を置いて、懐かしさに駆られて少し歩き回ってみようと思っていました。

 以下の写真はすべて、講義当日のものです。講義を終えて、K野先生とTAのO山さんと昼食を摂って、S田さん改めK地さんと直接やりとりをして、K口さんと電話でやりとりをして、D棟に寄って、研究室にちょうどいらっしゃったO本先生に某映像ご出演のお礼を申し上げて、駅へ向かって、という途上のものです。

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 O本先生へのご挨拶は、研究指導の合間の時間に滑り込ませてもらったかたちです。当日の時間が読めなかったので、いらっしゃらなければ、あるいはお取込み中なら、研究室のドアノブにお土産を引っ掛けて、メッセージを添えて、と考えていました。

 わたしたちがお話をしているときに次の院生の方が入ってこられました。「あ、S玄餅」と発した彼はY梨県の出身で、しかも高校はK府西、中学もK府西という、いずれもわたしの勤務先の近くで、というか、中学に至っては塀ひとつ隔てて隣同士という接近具合でした。

 講義についてはいつまで存続するのかわかりませんが、お役に立てるようなら次年度以降もお引き受けしたいと思っています。今度は少し余裕を持って行って、いわば第2の故郷を(レンタサイクルかレンターカーで)散策したいです。D学会館の早期予約もがんばります。

@研究室

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by no828 | 2016-12-01 21:20 | 日日 | Comments(0)