思索の森と空の群青

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2017年 10月 21日

幸せなんてものはね先生、今ここにあるもンでやす。ただ、それを幸せと思えるかどうか——京極夏彦『続巷説百物語』

 京極夏彦『続巷説百物語』角川書店(角川文庫)、2005年。4(1071)

 単行本は2001年に同書店

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 不思議な話を蒐集する山岡百介と裏の世界で暗躍する又市一味がその不思議のからくりを暴く。シリーズ第2弾。

 379ページの引用部分は昨今の政治にもあてはまる。

 11ページ「小者に席を外すよう申しつける」と111ページ「申し訳ないが席をはずして貰えまいか」で「外す/はずす」の表記に揺らぎあり。こういうところも気になってしまう。

80-1)「伝聞だとどうしても元の形が損なわれる。古くなればなる程細部は判らなくなる。のみならず尾鰭がつく。話の種というものは、実が生る前に集めておくに越したことはないのですよ
「それが物書きの性かい?」
「性というより業ですかなぁ」

142)「——普通はそうだよ先生。そんな浅ましい思いはないに越したことはねェ。怨む気持ち悲しい気持ちはねェ方がいいだろうよ」
「そうでしょう。ならば」
「だがな、そうした執着こそが人の証しってこともあるんじゃねェかと、俺はそう思う
「執着が——人の証し?」
「オウ、その執着が、おぎんの悪党としての迷いになってるこたァ間違いねェ。でもな、だからこそ、それがなくなっちまったら、彼奴の人としての根っこが切れッちまうんじゃねェかとな

217)「幸せなんてものはね先生、どっかにぽっかり浮かんでるものじゃねェや。今ここにあるもンでやす。ただ、それを幸せと思えるかどうか——ってことでしょうよ。人は皆夢ン中で生きてるんです。それなら悪い夢ばかり見るこたァねェと——奴はそう思う。凡て夢なら嘘も嘘と知れるまでは真実なんで」

232-3)「そんなァ迷信に決まってるじゃないか。お前さんが鼻息荒くするまでもない。誰だって知ってるわさ。みんな知ってて言ってるンだ。難癖つけて差別したいんだよ、人ってものはね」〔略〕
 ああ。それはそうなのだ。
 迷信でも俗信でも——利用する者にとってはどうでも良いことなのである。仮令不当な理由でも攻撃する口実になるなら構うまい。
 だからそうしたモノはなくならないのだ。

 百介は頬を攣らせる。それが現実なのだ。
 迷信だ無根拠だと声高に言うだけ虚しくなる気がする。

298)「死は何も生まねェと、あのお方は知っていた筈だ。人の死を悼む気持ちを持つ者ァ、簡単に死んだりゃしねェもので

379)「わざと人心を惑わしておいて、自分に都合のよい決着を用意しておくなど——為政者の遣ることのようで私は好きになれませんな

400)「武家は戦をするものや。では、何故戦をするか。己のためか、お家のためか、道のためか。違うやろ。それは皆、武家の理屈や。戦いうのは、武家のためにあるものやない。闘うために闘う戦などない。戦は民のためにするものやろう。民に背かれては、する意味がないのと違いますか


490)「人というものは——仮令どのような窮状にあろうとも、僅かでも、本当に僅かでも希望があるならば、真っ当に生きていけるものなのであろうと、拙者は思うのだ。百姓とて、縦んば飢饉に見舞われて食うや食わずの年があろうとも、来年は何とかなろう、否、来年が駄目でもその次はと思えればこそ、田を耕せるものなのではなかろうかな」

655)「幼き頃に負うた心の傷が人を変えることはありやしょう。しかしその先どの道を選ぶかは、そのお方次第。傷あるが故に慈悲に目覚める者もおりやしょう。また傷なくしても道を踏み外す者もおりやす。ですから死を好み生を弄ぶが如き道を選ぶは、死神に魅入られたと考えるより御座いやせん」

702-5)百介にはまだ——迷いがあった。
 何に対する迷いなのか、それは百介にも判らない。いや、判らないのではなく、自分でも明確にしたくなかったのだと思う。
 逃げていたのだ。
 しかし旅先で百介はそれについて、否応なしに思いを巡らせることになった。そして百介はひとつの解答を得たのだ。それは、覚悟の問題なのである。
 どう生きるか、という覚悟。
 それが出来ないのだ。
〔略〕
 夜に棲んでいる連中は、決して昼に出ようとは考えぬ。覚悟が出来ているからだ。
 昼に生きるつもりでも、同じ覚悟が要るのだろう。
 百介にはその覚悟が出来ないのである。
 いつまでも黄昏刻にいたいのだ。
 百介は、どっちつかずの餓鬼なのだ。
嫁を貰う気にならぬのもその所為だろう。

737-8)「長く生きておるとな、好いことも、悪いこともある。頭の中にな、その好いことと悪いことが折り重なって溜まっておる。その中の——好いことだけを見ておれば幸せだし、悪いことだけ見ておれば地獄だ。それを選ぶのは誰でもない、己だ〔略〕忘れるということはな、消してしまうということではないのだな。仕舞い込んで、見ないでおるというだけのこと。見ずに済むならそれで善い。しかしな、奥の方に仕舞い込んだ悪しきことが不意に表に出て来ることがある。それはな山岡殿。如何しようもないことなのだ

764-5)「バケモノなんてこの世には存在しない。しかし、人の世は厳しく、生きていくことはあまりにもつらい。だから、バケモノは必要とされるし、そういう意味では彼らは確かに存在するのである」という京極夏彦の世界観が繰り返し又市たちの口から語られるのと同時に、「仕掛け」という言葉を通してアピールされているのだ。
 現実が厳しいからこそ、人々は「お話」を必要とする。そんな人々の絶望や不安をすくいあげるために生まれてきた、必然性のある物語を京極夏彦は愛してきたし、数々の文献に残る表層的な怪異の底から人々の生をすくいあげることが、『巷説百物語』における彼のテーマなのだろう。 ※恩田陸「解説」

@K分寺

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# by no828 | 2017-10-21 19:38 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 10月 20日

N須塩原のサックス

 今月の3連休には従姉妹の結婚式・披露宴。場所はN須。9時30分集合のため、K府からの当日入りは無理。T川、O宮経由でN須塩原へ前日入り。T川で途中下車し、Bックオフに15分ほど立ち寄る。目当ての本があったわけではなく、あ行からただただ目を移行させる。こうした時間は最近ほとんどまったくない。この前本当に久しぶりに持てた(→ ⚫︎)。そこでの気分の上昇が持続していて、今回の途中下車となった。時間の贅沢な使い方だ。この日は1冊だけ単行本を購入し、そのぶん荷物を多くして、重くして、また電車に乗り込む。

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 T川駅改札前にはH根駅伝予選会の宣伝の一画。母校の幟も発見。

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 N須で前泊するホテルをY叔父——わたしの母の弟——一家総勢8名と同じにした。とはいえ、わたしの部屋は別館で、ビジネスホテルの一室といった具合。N須塩原駅からタクシーでホテルに向かい、部屋で荷物を解き、それから本館の叔父たちの広い、きれいな部屋へ行き、そこで一杯すすめられ、19時から夕食をともにする。夕食後も叔父の部屋でまた飲む。別館に戻ったのは24時。

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 当日はタクシーで、まずは結婚式場へ向かう。式自体は撮影禁止であったため、写真はない。親族紹介で、新婦の父であるK叔父——わたしの母の妹の夫——が親族ふたりの名前を間違えた。緊張ぶりがうかがえた。式と披露宴会場は離れていて、式後の移動では、Y叔父たちの車に便乗させてもらった。

 上の写真は披露宴会場の様子で、全体的にピンク色とDィズニー色の装飾になっていた。新郎新婦ふたりともにDィズニーは好きなようであったが、とりわけ好きなのは新郎で、それは幼い頃から毎年ご両親に連れていってもらっていたからだそうだ。新しい家族でもその慣わしは続けたいと言っていた。

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 新郎新婦の登場にあたっては、会場の外に出て、そこでウェルカムスピーチや祝辞や乾杯もなされた。こういうやり方ははじめてだ。

 披露宴でとりわけ感動したのは、新婦の父、つまりK叔父のいわゆるサプライズ演出で、それはN島みゆきのあの歌のサックス演奏というものであった。今年の5月にまったく演奏できないところから習いはじめ、新婦である娘が好きでもある曲を月に3回、誰にも言わずに練習してきたらしい。とはいえ、演奏は正直ぎこちなかった。が、そのぎこちなくも懸命に演奏する姿がむしろよかった。

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 従姉妹たちとは、幼い頃はよく集まっていたが、わたしが中学に入ったくらいから——だと思うが——なかなかそういうわけにもいかず、だからわたしの従姉妹の印象は小さいままだ。その後にももちろんたまには会うことがあり、その小さい印象は更新されてしかるべきだが、それはうまくいっていない。しかし、みんな大きくなっている。わたしも年を重ねている。意識が実年齢に追いつかない。

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 Aやの、結婚おめでとう。新郎が優しそうな人でよかった。歓びのある日々を。

@研究室

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# by no828 | 2017-10-20 18:33 | 日日 | Comments(0)
2017年 10月 15日

独りになり、自分を取り戻すことが、旅の真意なのだ——松浦弥太郎『場所はいつも旅先だった』

 松浦弥太郎『場所はいつも旅先だった』集英社(集英社文庫)、2011年。3(1070)

 単行本は2009年にブルース・インターアクションズ

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 主としてアメリカの記憶。すぐ下に引用した話がよかった。カバーのデザイン(写真)もとてもよい。

 遠くへ行くことだけが旅ではないし、遠くへ行っただけでは旅ではない。

37-8)ジュリアンには恋人がいた。トムという青年だった。ジュリアンはゲイだった。僕はそのことについて気にしなかったし、ジュリアンも知られることについて気にしていなかった。しかし、トムの僕にたいする嫉妬がひどかった。ジュリアンとトムは僕のことで頻繁に口論した。今まで週末はこの部屋で2人で過ごしていたのに、僕がジュリアンの部屋に転がりこんだおかげで、そのひとときが失われてしまったのだ。
「じゃあ、ヤタローを追い出せというのか。彼はニューヨークをまだ知らないんだ。それに彼は僕のボスの知人なんだ」
「ヤタローは旅行者だろう。それならホテルに泊まるべきだ。彼だって最初そのつもりだっただろうに」
 ジュリアンとトムは、僕の目の前でこんな風にやりあった。僕はジュリアンのいつまでも居させてくれようとする優しさが嬉しかったが、その気持ちを伝える英語力がなかった。
 クリスマスの日。僕はこの日だけはジュリアンとトムを二人きりにしてあげたかった。僕はクリスマスの朝、ジュリアンの部屋を出ることにした。そして51丁目の安ホテルへと向かった。ジュリアンには1通の手紙を残して、彼が用事で出かけている合間に部屋を出た。
 クリスマスの夜、僕は暖房が効かない小さな部屋で毛布にくるまって、映りの悪い白黒テレビから流れるクリスマスソングを聴いて過ごしていた。寂しかった。そうして眠気でうとうとしていると、部屋をノックする音がした。恐る恐るドアを開けてみたら、そこにはジュリアンとトムの2人が立っていた。
ヤタロー、どうして出て行くんだ。僕らは君とクリスマスを過ごしたくて準備していたんだよ。さあ、一緒に帰ろう
 トムが僕にこう言った。ジュリアンはにっこりと笑って僕の手を引いた。僕の目からは涙がとめどなく流れた。そして、わんわんと声を上げて泣いてしまった。
 クリスマスの夜、3人で眺めた、エンパイアステートビルからの夜景は素晴らしく美しかった。

133-4)「まあ、古書店の商売もいろいろあるということだ。本がいらないと言われれば買取るだけだし、本が必要と言われれば『はい』と言って売るだけだ。だけど、わたしが一番大切にしたいお客は、雨の日も風の日もこの店の外のセール棚に毎日やってきては、1ドルや2ドルの本を、せっせと買ってくれる客なんだ。彼らが一番、本を愛しているとわたしは思うんだよ

210)何かをたくさん持っていることは、なるほど素敵だ。しかし、その持っているものを理解していなければ、持っているとはいえないだろう。そうやって、自分自身を見つめ直し、不要な荷物を捨てることができたJMT〔=ジョン・ミューア・トレイル〕の旅だった。

230-1)僕はよくホテルを利用するが、自分の仕事場から数分の所にあるホテルを贔屓にしている。ここで旅とはなにかを答えておきたい。旅とは、自分自身を見つめる精神的行為であり、自分自身へと立ち返る行動である。要するに、独りになり、自分を取り戻すことが、旅の真意なのだ。ちなみに観光と旅は別ものである。日々の暮らしや仕事にどっぷりつかっていると、知らず知らずのうちに、自分が自分でなくなっていくのがわかる。それはある意味、社会に揉まれていれば、防ぎようのないことである。しかし、そのままでは疲れも伴い、心身ともに病んでしまう。であるからして、リセットが必要である。一番良いのは、やはり旅をすることである。

@研究室

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# by no828 | 2017-10-15 13:54 | 人+本=体 | Comments(0)