思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
ブログトップ
2017年 10月 13日

悲しみや寂しさに絶対に負けない人間はこの世の中に存在しない。だけど負けたくないと思う人間は、確実にいる——村上龍『KYOKO』

 村上龍『KYOKO』集英社(集英社文庫)、1998年。2(1069)

 単行本は1995年に集英社

c0131823_17492201.jpg

 KYOKOは自分にダンスを教えてくれた人をアメリカで捜そうとする。その途上での、人と人とのつながり。

17)オレはいつも思うんだが、ロングストレッチのリモに乗るような連中をもっとも尊敬してないのが実はリモのドライバーなんだよ。例外もいることはいるが、ほとんどの客はオレ達を無視する。犬やロボットみたいに扱うってことじゃなくて、個性や人格を無視するってことだ。ウェイターとかベルボーイとか小間使いと同じだけどね。だからというわけじゃないがオレは常にリムジンにしか乗ったことがない連中のことを好きになったことはない。

33)別に孤児じゃなくたって、悲しみや寂しさは誰にだってある。涙があふれそうになった時、自然に平気で泣く人間と、泣くことを自分に許さない人間がいる。キョウコはどこかで、泣いたって何も変わらないということを学んだ。いや、学ばなければならなかった、というべきかも知れない。悲しみや寂しさに絶対に負けない人間はこの世の中に存在しない。だけど負けたくないと思う人間は、確実にいる。そういうタイプの人間は、オレは負けないぞ、と叫んだりはしない。ただ静かに、あふれそうになる涙を抑えるのだ。キョウコの顔は常に真剣で、結晶になった悲しみのようなものが見えるが、こんなにきれいな東洋人の女の子をオレは今まで見たことがなかった。

37-8)両親からきちんと育てられた連中にオレ達のような境遇の子供のことがわかるはずがない、とは思っていない。だが、成長してしまうと、人間は子供の頃自分がいかに無力だったかということを忘れてしまう。この国には、信じられない数の、親から捨てられた子供達がいる。戦争なんかしていない先進国の代表のこの国でさえそういう状況なのだからもっと悲惨な国は他にもたくさんあるんだろう。子供の頃、親の姿がちょっとの間見えなくなっただけで不安で気が狂いそうになった経験は恐らく誰にでもあるはずだ。親が怪我をしたり病気をしたり、親が不安がったり怯えたり泣いたりすると、いや親に元気がないだけで、子供はひどく心配するものだ。そういう親がいなくなってしまって、もう二度と会えない、もう二度と抱きしめて貰えない、と気づかざるを得ない子供がいるわけだ。いくら子供だろうと、それしか現実はないのだからそれを受け入れなくてはならない。オレはその現実を受け入れた時の自分をよく憶えている。八歳のオレが出した結論は、オレには何の力もない、誰もオレのことを愛していない、というものだった。出発点として、その結論を受け入れないことには、オレは生きていけなかった。いつかママがきっと迎えに来てくれる、というのは希望なんかじゃなくて幻想で、子供が一人で生きていく時には邪魔になる。そういう幻想を持ち続ける子供の多くは消極的に、ネガティブになり、ひどい場合には精神異常になったり、拒食症になって死んだりする。だが、現実を受け入れた子供は、自分のことを好きになるのが難しい。モハメド・アリは、自分のことを好きになる方法を教えてくれたわけではない。キンシャサの特設リングでアリがフォアマンを倒した時、オレはからだが震え頭が空っぽになって、すべてのわずらわしいことがどうでもよくなった。救われるというのはそういうことだ。ルカ伝をプレゼントされたり、就職を世話してもらうことじゃない。

70)キョウコは、不幸というイメージを恐れない。ひどい境遇で育った奴は、不幸の只中にいるくせに、さらに不幸というイメージに怯えるが、それをバカにしたり責めたりできる人間は誰もいないとオレは思う。キョウコは、自分にとって何が最も大切なのかを知っているから、不幸というイメージに怯えなくて済むのだ。残念ながら、オレはキョウコとは違う。オレだったら、ホセのことを忘れようとするだろう。もっともオレだったら、ホセと出会っていないかも知れない。何かを捜し続けている奴だけが、何かに出会う。年下の女性に敬意を抱くのはオレにとって初めてのことだった。

72)だがわたしは、エイズ患者との対応をより柔軟に考えている。確かにまだ春も浅いクイーンズの街に出ると、致命的なウィルスに出会う確率は高くなる。しかしホスピスの部屋もサイトメガロウィルスの日和見感染から自由であるわけがないし、何よりもエイズ患者に必要なものは「希望」なのである。本人が散歩に行きたいと言えばわたしは連れて行くことにしている。仮に、そのごくごく短い外出によって彼の死が早まった場合、ヴォランティアとしてのわたしはどう責任をとるのか? そう問うてくるスノッブなモラリストもいるだろう。わたしは責任などとることはできない。それはわたしの神学上の立場によるものではなく、今までに十数人の死に立ち会ってきた実質的な体験に基づくものだ。

77)社会的な偏見は自然に消えるものではない。「忍耐」と「話し合い」という二つが絶対に不可欠である。

78)エイズ患者やHIVホルダーに限らず希望は人間にとって大切なものだ、だが希望を持つことは難しい、不思議なことだが希望を持つことができない人ほど打ちひしがれているから積極的に希望を捜そうとはしなくなってしまう、カウンセラーはわたしにそう言った。どうすればいいのか? とわたしは聞いた。わたしのこれまでの体験で言うと、とカウンセラーは極めて事務的に言った。希望は常に他人との係わりの中に在る、と。

78-9)ギジェルモが死に、ありがとうと言い、ありがとうと言われたわたしはこうやってまだ生きていて新鮮な空気を呼吸している、それだけの単純な事実の組み合わせで、わたしは涙が止まらなくなった。

99)わたしは、今一番大切なこと、を一つ決めて、それ以外のことは考えないようにしてきた。〔略〕一番大切なもの、を決めると、他のことに皺寄せが出る。例えば、今だったらラルフだ。そういう性格は友達を失くすぞ、と小学校の頃から何度言われたかわからない。友達は大切だ。だけど、友達よりも大切なものはある。

140-1)「彼は言っている、未来は今、もう既にあなたの手の中にある」 「もう既に?」 「そう、もう既に」 そう告げると、精霊はうれしそうに微笑んだ。だが、彼女はまだ、未来への途上にあることは知らない。未来は、今あるものが失くなり、今はないものが誕生することだ、ということも知らない

188)生きていく時には嘘と幻想が必要だが、死んでいく時には? 誰も解答を持っていない。答えを知っている人は、全員死んでいる。

@研究室

[PR]

# by no828 | 2017-10-13 18:00 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 10月 12日

パンにはチキン、コーヒーには泡

 某翻訳・出版の検討会を2日間合宿形式で実施。場所はK分寺。投宿先はK分寺で確保できず、T川。K府からだと初日の開始時間に間に合わないため、前泊(6時すぎの鈍行に乗ると間に合うようだが、それは辛い。早いし、時間がかかりすぎる)。T川には21時頃到着。



 お昼休憩やK分寺駅までの帰路に古本屋を散策。K分寺だと下掲写真のお店が——少なくともわたしの研究関心に照らすと——よいという印象。古本だとN荻窪駅界隈がよいと聞くものの、まだ1度も行ったことがない。

c0131823_19032493.jpg

 T川駅前(=ホテル前)のラーメン店街にも行ってみた。

c0131823_19094672.jpg

 宿泊は朝食付きのプランであったが、ホテル内で朝食を摂れるわけではない。チェックイン時に、近隣のBックスコーヒー(など)へ行かなければならないと説明された(そんな説明を予約のときに読んだ気もする)。初日は朝食券か、クオカードの選択(お店が狭くて混雑するためクオカードも用意した、と説明を受けた)、2日目はなぜか朝食券のみ(お店が変わるわけではないのにクオカードは示されなかった)。両日ともに悠長に朝食を摂る余裕がなかったため(普段もヨーグルトとバナナくらいしか食べないし)、食べずにK分寺へ向かう。そういえば、そのときのクオカードをまだ使っていない。2日目の朝食券は朝食の時間帯を過ぎても使えるということであったので、K府への帰路T川で途中下車して夕食券として使用した。

c0131823_19100134.jpg
 
 パンにはチキン、コーヒーには泡。

@研究室

[PR]

# by no828 | 2017-10-12 19:22 | 日日 | Comments(0)
2017年 09月 15日

反応は、すべて、そんなふうに静かなかたちできた——小田実『何でも見てやろう』

 小田実『何でも見てやろう』講談社(講談社文庫)、1979年。1(1068)

 単行本は1961年に河出書房新社

c0131823_19084450.jpg

 今年読んだ本の記録(まだ)1冊目。通算1068冊目。

 有名な本でいつかは読もうとずっと思っていた。立ち寄った古書店でたまたま目に入ったので購入。学類生のときに読んでいたら、“外へ出よう”という気持ちがもっと強まっていたかもしれない。いまは、本書におけるものの見方の素朴さというものを感じてしまう。その素朴さには勢いがある。

20)パリで、アメリカの女の子がしみじみと語ったことがある。私は小さいときから食卓にヒジをつけて食べないようにと、そればかりしつけられてきた。それが今こうやってヒジをつけて食べていると(私と彼女はレストランで話しているのだった)、私たちがどんなにアホらしいことに精いっぱいになっていたか、どんなに田舎者であったかが判る。彼女はそんなふうに言うのであった。

55) アメリカで私が感じたのは、これからあとでくり返し述べることだが、決して西洋文化の圧力ではなかった。私が感じたのは、すくなくとも重圧として身に受けとめたのは、それは、文明、われわれの二十世紀文明というものの重みだった。二十世紀文明が行きついた、あるいはもっと率直に言って、袋小路にまで行きついて出口を探している一つの極限のかたち、私は、アメリカでそれを何よりも感じた。

113-4)その夕の聴衆は、私がこれから原爆の詩を読むと宣言したとき、そのときまで小声でささやき合ったりしていたのが、ピタリと静まり、それとともに異様な緊張感が一座にみなぎって行った。私は原民喜氏の碑銘になっている有名な四行詩を始めとして、峠三吉氏などの作品を、はじめ日本語で読み、ついで私の英訳(らしきもの)をつけた。みんなは、ただ黙って聴いているのみであった。
 読み終わっても誰も発言する者はなかった。司会者が事務的に例を言い、みんなは立ち上がった。
 私はいささか拍子ぬけした感で室を出ようとしたら、ドアのところで、ひとりの詩人が私を呼びとめた。「私はこれらの詩の発表に尽力したい」彼はそういう意味のことをひかえめな口調で語り、一言、最後につけ加えた。「アメリカのひとびとは、もっと知る必要があるのだ
 独身寮の入口のところで、それまでそこで私を待っていたらしい作曲家に会った。彼はそこで自分の戦争体験について語った。それまで知らなかったが、彼はオキナワ生き残りの勇士だったのである。彼がいかにして日本また日本人を憎悪するに至ったか、またどんなふうにしてその憎悪を清算したかを、芝居げのない口調で語った。
 夜、一人の画家が私の室のドアをノックし、自分は個人的にヒロシマについて謝罪したいと、ただそれだけをつぶやくように言った。
 反応は、すべて、そんなふうに静かなかたちできた。

131) いや、もう一つあった。私はこれこそは本心からいばることができたのだが、東と西、また中立陣営をとわず、世界の文明国じゅうで、徴兵制というような野蛮な制度がない唯一の国で、わが日本国はあるのではないか。私はこのことをもっと誇ってよいと思う。 ▶︎ 米軍基地は?

236)もちろん、日本もヨーロッパ諸国も「文明国」ではある。が、やはりアメリカに比べると、「文明国」であるよりはまだまだ「文化国」だという気がしてならないのである。

389)あるホテルの前で腰を下ろしたとたん、ホテルの掃除夫からじゃけんに追い立てをくったのである。掃除夫といえば、おそらく例の不可触賎民か、よくてせいぜいカーストの最下層にとどまるであろう。私は追い立てをくったことに怒り、そうした連中に追い立てをくったことでより一層怒っている自分(私は人種的差別や階級的差別、ましてこのばかげたカースト制度などに強く反対してきたはずであった)に、また腹をたてた。

399)そんなふうに単純に、自分がインドの政治(「未来」といってもよい)について何ごとかをなしとげ得ると確信することができる彼が羨ましかったのだ

415) 日本を訪れる外国人が誰しも驚くのは、日本人の忙しさであり、勤勉さであり、それを総括する異常なエネルギーであろう。〔略〕
 ただ、惜しいことに、これは誰もが言うことだが、そのエネルギーに方向がないのだ。そして、ラッシュ・アワーの電車のなかでのように、異常なエネルギーが、どれほど無目的に、無駄に消費されてしまっていることか。

421)おそらく、それらのむくわれざる死者をして安らかに眠らしめるただ一つの道は、判りきったことだが、ふたたび、このような死者を出さないこと、それ以外にはないのだ。すくなくとも、もし私の涙が結びつくものがあるとすれば、それはそこにおいてしかない

427) Tはあいかわらずの政治ぎらいだった。政治的なもの一切を嘲笑する。私がベトナム反戦運動をしているのを知ると、いつにない真面目な表情で言った。「きみはいい、きみはまだ政治を信じることができる」私は答えた。「信じることができないから、自分で運動をすることにしたんだ
「なるほど」
 と彼は言った。

428) 「おれはアメリカがよくなるとは思わないな」
 彼は言った。
「おれだって日本がよくなるとは思わないな」
 私が言った。
世界はどっちみち変わらない
 彼が言った。
そうかも知れんな
 私が言った。
きみのやっていることを無駄だと思わないか
 彼は訊ね、私が答えた。
ときどき思うね。……しかし、やって行くよりほかにないな


 113-4ページの引用部分が本書においてもっとも印象深かった。反応は、本当の反応というのは、あるいはいわゆるコミュニケーションというものは、そのように静かなもので、そのように時差を伴うものなのかもしれない。

@研究室

[PR]

# by no828 | 2017-09-15 19:38 | 人+本=体 | Comments(0)