思索の森と空の群青

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2018年 02月 06日

祟りとは、発する方の意志が及ぼすものではなく、受ける方の心持ちが発生せしめるものなのですよ——京極夏彦『後巷説百物語』

 京極夏彦『後巷説百物語』角川書店(角川文庫)、2007年。15(1082)

 単行本は2003年に角川書店

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 本文779ページ。かつて小股潜りの又市らと行動をともにしていた山岡百介が年齢を重ね、一白翁と名乗る老人となる。「後(のちの)」はそういう意味。

27-8)「しかし——ご老体。記録も何も信じぬとなれば、この世に確かなことなどなくなってしまうではないか
確かなことなど御座いませんわい

138-9)「生まれ乍らにして何ひとつ不自由のない生活。無条件で崇め奉られるという環境——」
 それは。
 それは逆差別ですよと与次郎は言った。
「その通りですな。いや、差別というなら、これは最上級の差別で御座いましょうね。誰に何を言っても、必ずハイと返事をするので御座いますよ。決していいえとは言わぬ。厭だとも言わぬ。絶対に言うことを聞いてくれる。そのような関係から、果たして人と人との絆が生まれるもので御座いましょうか

166)「これはね、他人事ではないのです。私達の国だって、外の国から見れば戎島と変わりがないかもしれませんぞ。私達が当たり前だと思っておることも、実は恐ろしく非常識なことなのやもしれません。ならば信じている足許が壊れてしまえば——惚けるしかなくなってしまうのではないのですか」

187-8)惣兵衛は頭の悪い人間ではない。ただ与次郎は、惣兵衛と話していると合理的というのは柔軟性のない考え方の別名なのかと勘違いしそうになる。理性的であるのなら、それは寧ろ逆であるべきではないのか。〔略〕「私はただ惣兵衛のように頭ごなしに否定するばかりというのは、却って妄信的なのではないかということが言いたいだけだ

188)「話なんぞ最初から故事つけだ

218)ええ、与次郎さんの仰る通り、物語は故事付けの後講釈で御座いますよ

205)「およそ物事はあるがまま、表から見ようと裏から見ようと、同じもので御座いますよ。皿は横から見れば平たいが上から見れば丸いもの。平たいのと丸いのでは大いに違いましょうが、どちらも皿に変わりはない」

291)「又市さん」
 百介は漸くそれだけを言うと、その場にしゃがみ込んだ。勿論平静でいた訳ではない。しかし悲しくはなかったし、慌ててもいなかった。驚きというのは、一瞬で訪れてこその感情の動きであり、持続するならそれはもう感情の体を成さないものである。

316)「心疚しき者には顔が見えたと——
 そうなんですと与次郎は答えた。
顔があったのではなく、顔を見たのです
 見えるのはなく見るのだ。そこに何を見るかは見る者の心持ち次第なのである。 ※傍点省略

388)「祟りとは、発する方の意志が及ぼすものではなく、受ける方の心持ちが発生せしめるものなのですよ
「ううむ」
 惣兵衛は腕を組んで唸った。正馬は顎を摩った。剣之進は口髭を歪めた。与次郎は——。
 なる程そうかと、妙に納得した。
それが文化というものです

422)なる程祟りとは無闇に怖いものでも抗い難い神秘的なものでもなくて、ただ、人にはどうしようもないことを無条件に耐えるために用意されたものであるのかと、与次郎はそんな風に思ったのだった。〔略〕誰の所為でもない。だからどうしようもない。避けることも出来ないし、遣り直すことも出来ない。取り返しもつかないし、理由がなければ後悔することも出来ない。そのままでは悲しいし、虚しい。だから——。

477-8)武士と賎民は、身分自体が職業だったのである。〔略〕維新で役は解かれてしまった。その代わり、取り敢えず戸籍は与えられた。だが、財産や仕事が与えられた訳ではない。否、与えられるどころか、剥奪されてしまったのだ。彼等にだけ割り当てられていた仕事も、誰がやっても良いものになった。神仏分離、廃仏毀釈などもそうした風潮を後押しした。例えば山伏修験者などは、完全に宗教者としての息の根を止められてしまった。物乞も願人坊主も鳥追も、皆ただの失業者になってしまったのである。そのうえ——。職はなくとも戸籍だけはある。戸籍があれば税は取られるのだ。

544)罪なき者を傷付けず、悲しむ者には安堵を与え、怒れる者には平穏を授け、彼方立てれば此方が立たず、此方立てれば彼方が立たず、並び立たぬが憂き世の定め、それを立たすが小股潜りと——。

613)「寧ろ、よ、妖物としておけ、とご老体は仰るのか」
妖物の子——これは、この文明開化のご時世では、単なる差別で御座いますけれどもね、その昔は優しさでもあったのです。嘗ては両方の役割を持っていたのですよ。今は片方がなくなってしまった。ただ、その女が鷺であったとしても、現在の公房卿のお立場が悪くなるようなことはないように思いますしね」

633)「塾などと云うものは儲からないのです。志が高ければ高い程、儲からない

664)「紙切れ一枚、口先三寸で、人の一生なんてものは大きく変わってしまうものなのです。又市さんのする小股潜りの仕事と申しますのはね、それを意図的に行う仕事な訳ですよ。ですから、覚悟も要るし責任も要る。軽はずみなひと言でも、考えなしの妄動でも、人は簡単に死にますし、生きますよ。又市さんはそれを善く知っていた。〔略〕ですからね、又市さんにしてみれば、そう、関わったことでその人が不幸になってしまったならば、その仕事は失敗なのですよ。彼方立てれば此方が立たず、八方塞がりの状況を、双方立てて恙なく、八方丸く収めるのが——小股潜りの信条で御座いますから

712)自分で見聞きしたものごとでも、書き記してしまえば物語。ええ。物語はどれもこれも、皆つくりものです。現実では御座いませんよ。 ※傍点省略

716)書物の中だけで生きたくなったんですなあ。結局。
 私はね、百物語を終えてしまうのが厭だったのです。百話語って怪異が起きても、起きなくても、どちらであっても厭だったのです。ええ。ですから保留にしておきたかった。
 それでね、百物語を開板しませんでした。


@S模原

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# by no828 | 2018-02-06 22:37 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 02月 05日

己の限られた見聞のみから、お路の話を裁いてしまうのは軽率で乱暴だ——宮部みゆき『あんじゅう』

 宮部みゆき『あんじゅう——三島屋変調百物語事続』角川書店(角川文庫)、2013年。14(1081)

 単行本は2010年に中央公論新社、ノベルスは2012年に新人物往来社
 ※「事続」の読みは「ことのつづき」

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 京極夏彦テイストの入った時代小説。京極は怪事(への認識)を論理によって解除したり、それを逆手に取った仕掛けによって沈静化したり。宮部にもその点は含まれるが、人情の果たす機能も大きい。

185)「お婿さんを石でぶったり、花嫁の輿に石をぶつけたりするのは?」
 それは見たことも聞いたこともない。
「そんなこともするんですか?」
「土地によってはあるんですよ。江戸市中でもいろいろさ。〔略〕」
 それぞれに謂われのある輿入れの習俗だけれど、今ではお上に禁じられているのだと、お民は言う。
「だから、実家の方では廃れてたのかしら」
「だろうね。水浴びせも、本当はいけないんだけど、まあ、屋敷の内でそっとやるからには、いきなりお役人様が飛んでくるなんてことはないだろう」
 禁じられたのは、つい行き過ぎたり、野蛮になるからだそうである。
石で打つなんていうのはその最たるものだね。お祝い事は、他人様の悋気を呼ぶものでもあるんだよ。宴会に招かれなかった人たちが、こういうしきりにまぎれて騒ぎを起こすことだってあるし

240)おちかは口を閉じ、静かに膝を手に置いて、語るお路を見つめていた。黒白の間では、こういうことがある。人が己の話を語るとき、語るにつれて、最初のうちは言えなかったことが、ずるずる出てくるのだ。語りそのものが力を得て、伏せられていたものを翻し、隠されていたものを明るみに引っ張り出す。

241-2)おちかの体験も数多いわけではない。己の限られた見聞のみから、お路の話を裁いてしまうのは軽率で乱暴だ。それは充分、心得なければならない。

424)怪力乱神をみだりに語るのではなく、きちんと語る。そう心がければ、紫陽花屋敷で起こった(という)怪事はみんな絵解きができる。ただ、その絵解きでは静まらない心がある限り、どれほど説こうが叱りつけようが嘲笑おうが何にもならぬ

501-2)——昔、儂は人嫌いでな。偏屈で孤独を好み、ひたすら学問に打ち込もうとすることを、胸の奥で誇っておった。この世には愚か者ばかりが多い。儂は己の貴重な時を割き、愚か者が泳ぐ俗世という池に浸かる気はない、と。
 とんでもない思い上がりであった。

世間に交じり、良きにつけ悪しきにつけ人の情に触れていなくては、何の学問ぞ。何の知識ぞ。くろすけはそれを教えてくれた。人を恋いながら人のそばでは生きることのできぬあの奇矯な命が、儂の傲慢を諫めてくれたのだよ」

507)「おいらは、うちが貧乏だから早くから奉公に出なくちゃならないと思ってましたけど、違うんですね。食い扶持が一人分減れば立ちゆくようになるくらいの貧乏は、貧乏のうちに入りません。ホントの貧乏は、家族みんなで必死になって口を養い合っていかないとならないんです

617)「これも仏様のご加護でございましょうね」
 行然坊は大きな顔で笑い返し、しかしゆっくりとかぶりを振ってみせた。
お内儀、これは御仏の業ではござらん
 人の世の縁の妙でござる——と言った。
「縁の妙」
 思わず、お民とおちかの声が揃った。


@S模原

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# by no828 | 2018-02-05 22:55 | 人+本=体 | Comments(0)
2018年 02月 04日

ありのままの真実というものは、言葉をそんな風に口ごもらせるに決っており、それが真実というものの或る滑らかでない性質のあらわれなのだ——三島由紀夫『太陽と鉄』

 三島由紀夫『太陽と鉄』中央公論新社(中公文庫)、1987年。13(1080)

 本書は『太陽と鉄』(講談社、1968年)と『私の遍歴時代』(講談社、1964年の合本。

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 わたしは本書を読んで“三島由紀夫”の少なくない部分を理解できた(ような気になった)。言葉と肉体と。

9-10)私が「私」というとき、それは厳密に私に帰属するような「私」ではなく、私から発せられた言葉のすべてが私の内面に還流するわけではなく、そこになにがしか、帰属したり還流したりすることのない残滓があって、それをこそ、私は「私」と呼ぶであろう。そのような「私」とは何かと考えるうちに、私はその「私」が、実に私の占める肉体の領域に、ぴったり符号していることを認めざるをえなかった。私は「肉体」の言葉を探していたのである。

12)言葉の純潔性を保持するためには、言葉によって現実に出会うことをできるだけ避けるに限る

14)私は男の肉体が決して「存在」として現われることがないということを知らなかった。

34)筋肉は私にとってもっとも望ましい一つの特性、言葉の作用と全く相反した一つの作用を持っていた。それは言葉の起源について考えてみればよくわかることである。言葉ははじめ、普遍的な、感情と意志の流通手段として、あたかも石の貨幣のように、一民族の間にゆきわたる。それが手垢に汚れぬうちは、みんなの共有物であり、従って又、それは共通の感情をしか表現することができない。しかし次第に言葉の私有と、個別化と、それを使う人間のほんのわずかな恣意とがはじまると、そこに言語の芸術化がはじまるのである。まず私の個性をとらえ、私を個別性の中へ閉じ込めようと、羽虫の群のように襲いかかってきたのはこの種の言葉だった。しかし、襲われた私は全身を蝕まれながらも、敵の武器でもあり弱点でもある普遍性を逆用して、自分の個性の言葉による普遍化に、多少の成功を納めたのであった。その成功は、だが、「私は皆とはちがう」という成功であり、本質的に、言葉の起源と発祥に背いている。言語芸術の栄光ほど異様なものはない。それは一見普遍化を目ざしながら、実は、言葉の持つもっとも本源的な機能を、すなわちその普遍妥当性を、いかに精妙に裏切るか、というところにかかっている。文学における文体の勝利とは、そのようなものを意味しているのである。〔略〕みんなの見る青空、神輿の担ぎ手たちが一様に見るあの神秘な青空については、そもそも言語表現が可能なのであろうか?

39)……思想の形成は、一つのはっきりしない主題のさまざまな言い換えの試みによってはじまる。釣師がさまざまな釣竿を試し、剣道家がさまざまな竹刀を振ってみて、自分に適した寸法と重みを発見するように、思想が形成されようとするときには、或るまだ定かでない観念をいろいろな形に言い換えてみて、ついに自分に適した寸法と重みを発見したときに、思想は身につき、彼の所有物になるのであろう

41)現実において、言葉は本来、具象的な世界の混沌〔カオス、とルビ〕を整理するためのロゴスの働きとして、抽象作用の武器を以て登場したのであったが、その抽象作用を逆用して、言葉のみを用いて、具象的な物の世界を現前せしめるという、いわば逆流する電流の如きものが、表現の本質なのであった。あらゆる文学作品が、一つの美しい「言語の変質」だと、私が前に述べたのも、このことと照応している。表現とは、物を避け、物を作ることだ。

50)書斎の哲学者が、いかに死を思いめぐらしても、死の認識能力の前提をなす肉体的勇気と縁がなければ、ついにその本質の片鱗をもつかむことがないだろう。

81)ごくつまらない任務も、はるか至上の栄誉から流れ出て、どこかで死につながっているということほど、軍隊を輝かしいものにするものはあるまい。これに反して、文学者は自分の栄誉を、自分がすみずみまで知悉している内部のがらくたから拾い出して、それを丹念に磨き出すことしか知らないのだ。

89-91)ある晩夏の一日、そこ〔=江田島の参考館〕を訪れたとき、大半を占める立派な規矩正しい遺書と、ごく稀な走り書の鉛筆の遺書との、際立った対比が私の心を搏った。そのとき人は言葉によって真実を語るものであろうか、あるいは言葉をあげてモニュメンタルなものに化せしめるものであろうか、というかねてからの疑惑が、硝子ケースに静まっている若い軍神たちの遺書を読みつづけるうちに、突然解かれたような心地が私にはした。今もありありと心にのこっているのは、粗暴と云ってもよい若々しいなぐり書きで、藁半紙に鉛筆で誌した走り書の遺書の一つである。もし私の記憶にあやまりがなければ、それは次のような意味の一句で、唐突に終っていた。「俺は今元気一杯だ。若さと力が全身に溢れている。三時間後には死んでいるとはとても思えない。しかし……」真実を語ろうとするとき、言葉はかならずこのように口ごもる。その口ごもる姿が目に見えるようだ。羞恥からでもなく、恐怖からでもなく、ありのままの真実というものは、言葉をそんな風に口ごもらせるに決っており、それが真実というものの或る滑らかでない性質のあらわれなのだ。彼にはもはや「絶対」を待つ間の長い空白は残されていなかったし、言葉で緩慢にそれを終らせてゆくだけの暇もなかった。死へ向って駆け出しながら、生の感覚がクロロフォルムのように、そのふしぎが眩暈のように、彼の「終り」を認識した精神を一時的に失神させた隙をうかがって、最後の日用の言葉は愛犬さながらこの若者の広い肩にとびつき、そしてかなぐり捨てられたのだった。一方、七生報国や必敵撃滅や死生一如や悠久の大義のように、言葉すくなに誌された簡潔な遺書は、明らかに幾多の既成概念のうちからもっとも壮大もっとも高貴なものを選び取り、心理に類するものはすべて抹殺して、ひたすら自分をその壮麗な言葉に同一化させようとする矜りと決心をあらわしていた

146-7)もちろん私は氏〔=太宰治〕の稀有の才能は認めるが、最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしいのは、あるいは愛憎の法則によって、氏は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない。従って、多くの文学青年が氏の文学の中に、自分の肖像画を発見して喜ぶ同じ地点で、私はあわてて顔をそむけたのかもしれないのである。しかし今にいたるまで、私には、都会育ちの人間の依怙地な偏見があって、「笈を負って上京した少年の田舎くさい野心」を思わせるものに少しでも出会うと、鼻をつままずにはいられないのである。これはその後に現われた幾多の、一見都会派らしきハイカラな新人作家の中にも、私がいちはやくかぎつけて閉口した臭気である。

154)人間の政治的な立場が形づくられるには、確固たる思想や深刻な人生経験ばかりでなく、ふとした偶然や行きがかりが、かなり作用しているようにも感じられる。私の現在の政治的立場なども、思えばいい加減なものであるが、それは自分で選んだ立場というよりも、いろんな偶然が働いて、何かの力で自然にこうなってきたのかもしれない。だから一方、どうせ政治なんてその程度のものだ、という考えも私から抜けないのである。

190)私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的な存在感ともいうべきものであった。すでに私はただの冷たい知性を軽蔑することをおぼえていたから、一個の彫像のように、疑いようのない肉体的な存在を持った知性しか認めず、そういうものしか欲しいと思わなかった。それを得るには、洞穴のような書斎や研究室に閉じこもっていてはだめで、どうしても太陽の媒介が要るのだった。そして感受性は? こいつは今度の旅行で、クツのように穿きへらし、すりへらして、使い果たしてしまわなければならぬ。濫費するだけで濫費して、もはやその持ち主を苦しめないようにしなければならぬ。


@S模原

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# by no828 | 2018-02-04 11:15 | 人+本=体 | Comments(0)