思索の森と空の群青

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2017年 04月 16日

はたしてわれわれは、カテゴリーにとらわれずに、柔軟な態度で生きてゆくことができるだろうか——鈴木裕之『恋する文化人類学者』

 鈴木裕之『恋する文化人類学者——結婚を通して異文化を理解する』世界思想社、2015年。38(1035)


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 エッセイかと思って購入。研究者がフィールドで現地の女性に恋をして、その体験を人類学した、という本。

(4)語り手が当事者であり文化人類学者でもあるということは、主観と客観が混じりあうということである。それが良いことか悪いことかはわからない。テーマと方法論を決めてシステマティックにおこなわれるフィールドワークに基づく報告ではないので、もしかしたら散漫な印象を与えるかもしれない。だがまるで火の粉が降りかかるように次から次へと目の前に立ち現れる「異文化」を受けとめてきた私の体験には、当事者ならではの実感がともなっているはずだ。

(4-5) 私がこの本を書く動機は、人類の多様性を尊重したいからである。私はさまざまに異なる人々がいっしょに生きることをすばらしいと思う。〔略〕さまざまな言葉が頭上を飛び交うなか、ときには片言の、あるいはペラペラの外国語で、ときには身ぶり手ぶりでコミュニケーションをとってゆく。そんなとき、私は心地よい興奮に包まれる。だがこれは異文化交流の第一段階にすぎない。問題はその先だ。異なる人々が実際に生活をともにし、その関係がある一定以上密になったとき、コミュニケーションは破綻を迎える。

(10-1)〔コート・ジヴォワール〕建国の父であるウフエ・ボワニ初代大統領が、かつての植民地宗主国フランスと仲よくしながら、政治的安定、経済的成長を実現する、という政策をすすめた結果、中心街であるプラトー地区には高層ビルが建ち並び、コート・ジヴォワール人にとって自慢の種となった。だがそれもしょせんは借りてきた箱であり、フランスの「ここを足場に、アフリカをその独立後も自分たちの裏庭として押さえつづけよう」という植民地主義的な下心を象徴しているにすぎない。高層ビル群のガラス張りの壁に反する陽光が、この国の大多数を占める庶民の心をあたためることはなかっただろう。

(20) そうだ、きっと人類は野蛮な状態から文明へと向かって進化しているに違いない。
 もっともはやく進化したのがわれわれヨーロッパ人。
 そして他の人々はいまだに進化の途上にある。
 その進化の程度の違いが、さまざまな文化の違いとして表れているのだ。
 だから進化の頂点に立つヨーロッパ人が、他の幼き人々を支配し、教化してやらねばならない。

 こうして世界各地からの断片的な情報を書斎で腰掛けながら比較検討していった知識人こそ、最初期の人類学者である(彼らは皮肉を込めて「肘掛け椅子の人類学者」と呼ばれている)。

(41)それ〔アイデンティティ〕は内的に自分自身としてのまとまりがあり、同時に自分の外側に位置する社会ともつながっている、という感覚である。

(44)民族とはなにか、という問題も、言葉で定義しきれるものではない。実際に民族と呼ばれる集団が存在し、民族紛争も世界のあちこちで起きているのだが、それら個別的な現象を一言でまとめあげようとすると、なにかが言い残されてしまう。こうした限界を承知しながらも、暫定的にではあるが、言葉を使って理解する作業をすすめなければならないのが学問の定めである。
 民族をあえて一言で定義するなら、それは「われわれ意識」をもち、身体的特徴を同じくし、共通の言語・文化・歴史意識を共有する集団、ということになろう。

(52-3)ユダヤ教は民族宗教なので、ユダヤ人はすべからくユダヤ教徒となる。〔略〕ところがイエスは、このようなカテゴリー優位の思考を許さなかった。大切なのは生まれや身分ではなく、その人の行為であり、その行為を裏付ける精神、つまり愛である。この場合の「愛」とは男女間の愛ではなく、神への愛、人類への愛、のことだ。この愛をもって人と接する者こそ、隣人に他ならない。追いはぎに襲われた「ユダヤ人」の隣人が、善き心をもった「サマリア人」であった、というたとえ話は、大切なのはカテゴリーではなく、精神と行為である、というイエスの考えを伝えているのだ。イエスの教えが既成のカテゴリーを乗りこえたとき、ユダヤ教という民族宗教から、キリスト教という普遍宗教が誕生したのである。
 イエスは言った。「いって、あなたも同じようにしなさい。」はたしてわれわれは、カテゴリーにとらわれずに、柔軟な態度で生きてゆくことができるだろうか。自分の属するカテゴリーを、つねに見つめなおす目をもつことができるだろうか。

(70-1)たしかに文字は情報を固定化するが、書かれた内容が真実かどうかを保証するものではない。そこには執筆者の視点、あるいはそのときの政治体制などが反映され、歴史は一定の価値観の上につくりあげられることになる。異なる視点から眺めたとき、歴史はつねに別の姿を現すものなのだ。複数のヴァージョンが同時に存在するというのは、歴史にとって健全な姿なのかもしれない。

(95-6)文化人類学は、西洋が近代化を果たしたのちに誕生した学問である。近代化とは、すなわち合理化。科学は呪術を追いだしてすべてを説明しつくそうとする。科学で説明できないことは非合理的というレッテルを貼られ、迷信、蒙昧などと蔑んだ名で呼ばれる。文化人類学は西洋的合理性の枠からはみでている民族の文化を扱い、そこに西洋のそれとは違ったかたちではあるが、一貫性をもった論理があることを指摘してきた。たしかにこれは、この学問のポジティヴな功績である。〔/〕だが、〔略〕本当に私の五感だけで、この世のすべてを感知できているのだろうか。もしかしたら、私の感覚が鈍っているだけで、それは「存在する」のかもしれない。哀れなのは、「非合理的」な観念をもっている彼らではなく、それを感じとる感覚を失ってしまった私なのかもしれない。文化人類学は現地の超自然的な観念をわれわれの論理的な思考で解釈し、秩序だった言葉で説明しようとするが、それで本当に対象を正しくとらえることができているのだろうか。

(106)われわれ人類学者にとってもっとも大切な道具は、ペンでも、ノートでも、カメラでもなく、この「分析枠組み」(あるいは分析概念)というものなのだ。

(108) かつて人類学者たちは、地方から都市部にやってきた人々は次第に「都市化」されてゆき、「都市民」になるであろうと考えた。その生活様式は都市的状況にあわせて近代化され、民族的なレベルを脱却して近代的な姿に変貌してゆく、というのだ。あるいは田舎に帰ったときは民族文化にしたがって行動し、都市に戻ると同時に都市文化に生活を規定される都市民に変身する、と。だがアフリカの諸都市で実際に起きたことは、このような一方向的な変化ではなく、より複雑なものであった。
 アフリカ都市には多かれ少なかれ西洋化された都市文化に染まった都市民がいると同時に、民族文化をより強調し、同郷者どうしのネットワークを強めながら自分たちの独自性を強調する人々が数多く存在する。アフリカの都市空間では、西洋化=都市化に向かうベクトルと民族化=伝統化に向かうベクトルが絡みあいながら、より複雑な現実が形づくられてゆくのだ。このような現代的な都市空間において生成される「民族性」「民族らしさ」を〈エスニシティ〉と呼ぶのである。

(110) 国家も国籍も、人類が誕生したあとに生まれたものである(あまりにも当然すぎる指摘か……)。個人がひとつの国家(あるいは民族)に一元的かつ永続的に帰属するなどというのは、たんなる思いこみなのかもしれない。それは近代における国民国家形成にともなう政治的要請によって流布された幻想なのかもしれない。人間の精神とは、本来もっと自由でファジーなのではないだろうか。

@研究室

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# by no828 | 2017-04-16 15:59 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 15日

外見のほうが簡単かつ正確に把握できるため、内面への関心や内面を見ようとする努力が失われつつある——加賀乙彦『不幸な国の幸福論』

 加賀乙彦『不幸な国の幸福論』集英社(集英社新書)、2009年。37(1034)


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 著者は精神科医。そして、『宣告』の著者でもあります。また、これを読んで知ったことですが、最後の引用にもあるように、著者は尊厳死協会の会員でもあります。

 自分で自分を冷静に把握するためには、他者の存在が不可欠。しかし、他者のまなざしを強烈に内面化してしまうと、自分の、ではなく、他者のものさしで自分を評価することになってしまう——といった内容が含まれていました。

あふれるモノと情報に欲望を刺激され、自分に欠けているものを絶えず意識させられる……。(12)

外見のほうが簡単かつ正確に把握できるため、内面への関心や内面を見ようとする努力が失われつつある(15)

ポジティブ・シンキングやプラス思考をすすめる本が次々に出版され、他者に対し装うだけでなく、自分自身に対しても常に明るく前向きであることを強いる傾向が強まっていきました。(17)

 対人恐怖症は有名なので、みなさんもご存知でしょう。他人と同席するさまざまな場面で過度の不安や緊張を覚えるため、そういう状況を怖れ、避けるようになる。言うなれば、「他者の評価を意識しすぎる自分の心」が引き起こす病です。(36-7)

 たとえば、統合失調症というのは文化や言語を問わず、どの国でもおよそ百人に一人ぐらいの割合で発症する精神疾患ですが、同じ統合失調症の妄想でもフランスで目立っていたのは「他人と顔や心が同じになってしまった」という訴えでした。「みんな(あるいは誰か)と同じだと思われている」「自分の独自性がなくなってしまう」と悩むのです。
 一方、日本の患者さんの場合は、「私はみんなと違ってしまった。だから嫌われ、悪口を言われる。仲間はずれにされている」と、切々と訴える。(40)

 やがて子供たちは、親以外に秘密を共有したいと思う対象と出会い、親密さを分かち合うことで、他者を信頼することを学んでいきます。(45)

子供が秘密をもったら、親はその子が自立心を養いはじめた証として喜ぶべき(46)

 親を信頼していれば、子供はタイミングを見て自分から秘密を打ち明けるものです。(47)

 地べたに座ったものを食べたり、電車のなかで化粧したりする若者たちは、傍若無人で一見、人の目などまるで気にしていないように見えます。しかし、彼らが気にしないのは、自分とは無関係な存在だと思っている第三者。自分の属する集団のなかでは、仲間からどう思われているかを互いに過剰なほど意識し合い、空気を読み合い、仲間うちで浮いてしまうことのないよう気をつかっているのだと思います。(53)

 あの一連の騒動と、選挙で誕生した「小泉チルドレン」の姿を興味本位で追う雑誌やテレビを見ながら、そして「数の力」で重要法案が通るたび、この国の生きづらさが増していくのを感じながら、私はなんとも複雑な気持ちになりました。少年時代に目の当たりにした光景とよく似ていたからです。
 一九四〇年九月に日独伊三国同盟が締結されたとき、東京の街を「ヒトラー万歳! ムッソリーニ万歳!」と叫びながら提灯行列をする庶民の姿であふれ、お祭りさながらでした。当時すでにヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発しており、ドイツと手を組めばアメリカやイギリスと戦わなければならなくなるということはわかっていたのです。
 にもかかわらず、日本が参戦したら自分たちの暮らしはどうなるのかと深く考えもせず、同盟締結を喜び、浮かれ騒いだ。(94-5)

 そもそも、人とうまくやっていくことを第一に考える日本のような社会では、考える力自体が育ちにくい。一人ひとりが「私はこう思う」と自分の意見を主張し、対等な立場で論じ合ってこそ、互いの考えを深めていくことができるのですから。そういう日本人の性向は、二百六十五年に及ぶ世界に例を見ない江戸の平和のなかでさらに強まり、「考える」という知性が少しずつ骨抜きにされていったような気がします。(104)

たとえ今は誰も待つ者がなく、自分にしか成し遂げられないことなどないように思えたとしても、未来には必ず自分を必要とする誰か、自分によって生み出されるはずの何かが待っている——そう意識することが絶望に抗う武器となるのです。(132)

人生に期待するのをやめて、人生から自分が何を期待されているかを考えよう。(133)

 逆境に弱い人を見ていると、「場」だけでなく、時間的にも非常に狭いところで生きているような気がします。「今、ここ」にとらわれていて、自分の状況を長い目で見られない。見ようとしない。(138-9)

 でも前にいじめられた体験があったからでしょう。いつまでもこれが続くわけではないと考えることができたのです。つらくてどうにかなってしまいそうなときも、「卒業までの三年間だ。人生全体から見たらたいした時間じゃない」と自分に言い聞かせていると、気持ちが軽くなっていく。そのうち、「どうしてこの人はこんな意地悪をするんだろう」「おっ、今度はこうきたか」などと相手を観察する余裕まで生まれ、さらに楽になりました。(140)

 傷つくことを怖れて自分の殻のなかに閉じこもっていると、ますます傷つくのが怖くなってしまいます。しかし勇気を出して殻を破り、何度か失敗したり傷ついたりしているうちに、なんだ意外と平気じゃないかと思えてくる。そのときはつらくても、苦しみはやがて薄れていくこと、心というものがけっこうタフであること、マイナスだと思った体験が心を鍛え、その後の人生でプラスに作用していくこともわかってくるはずです。(146-7)

諦める」という言葉は〔略〕「明らかに見極める。事情をはっきりさせる」などの意味をもつ「明らむ」から派生した言葉です。〔略〕物事の本質を見極めれば、つまらないことに固執しなくなります。おそらくそんなところから、「諦める」=「思い切る」「断念する」という意味が生まれてきたのではないでしょうか。(154)

 人はみな死刑囚として生まれついている——。
 パスカルをはじめ多くの賢人たちが、死すべき定めにある人間を死刑囚になぞらえて考察を行ってきました。(203)

 私自身は一九九〇年に日本尊厳死協会の会員となり、延命措置を拒否する「リヴィング・ウィル」を作成しました。悩んだ末に尊厳死宣言をしようと決意したのは、医師の一人として医療の現場に関わるなかで、ほんの短期間に過ぎない延命のために生と死の尊厳がおかされていることを常々疑問に感じていたからです。また、なんの意思表示もしないまま意識不明になって、子供たちに延命措置をするかどうかというつらい選択をさせたくないと思ったからでもあります。(206)

@研究室

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# by no828 | 2017-04-15 14:10 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 04月 14日

並外れて大きなことに名前をつけると、その大きさを殺すことになる。ことばは小さくて貧弱だ——デスノエス『低開発の記憶』

 エドムンド・デスノエス『低開発の記憶』野谷文昭訳、白水社、2011年。36(1033)

 原著:Edmundo Desnoes, 2003, Memorias del subdesarrollo

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 革命後キューバの首都ハバナに残った男の自己の開閉の記録。題名が気になって手に取りました。

そのころも、その後も、実際ひとつの国がほころびを見せることなく機能していくためには、これほど多くの取るに足りないものが必要であるなどと、思ってもみなかった。(14)

実際、あいつというのは、着る物や持っている物でできていたのだ。彼女が身につけたり使ったりしていた物は、彼女の一部であり、彼女の身体だった。(20)

いまいましいのは、僕が自分にとって害になるほど何でも目にして、じっくり観察してきたことだ。それに本を読みすぎた。だからこそ今ここで動けずにいるのだ。(26)

自分の裡にある空虚から逃げ出したくはない。孤独を感じ、どこまで到達できるのか、虚ろの底まで届くことができるのかを知りたいのだ。ときには耐えられなくなり、自分の身体の中に潜ってしまう! 僕はもう煙草の先をブロンズ製の灰皿に押しつけていた。(27-8)

他者の眼差しは人の生活を完全に変えることができる。そしてそれを単なるポーズに、他人のために演じる行為にしてしまう。僕の人生はまさにその連続だった。それなのにみんな行ってしまい、僕だけが残された。(28)

常にどちらかを選ばなくてはならないというのは実に難しい!(40)

人々がもう知っていることを言うために小説を書く必要はない。しなければならないのは、〈人間は何を感じることができ、何をすることができるのか〉を人々に示すことなのだ。(76)

 僕は卑劣な男だ。ひとりで暮らそうとしてきたのは正しい。ひとりになればなるほど、人を傷つける可能性は減るし、人の生活を破壊する可能性も減る。(105)

「そんなことはどうでもいい、美しさというものには何がしか人工的なところがあって、君は日ごとにますます人工的になってきている。自然のままの美しさや若さゆえの美しさなんか僕の好みじゃない、僕が好きなのは君みたいな女性だ、教育や贅沢な食事、運動、高級な服、化粧なんかで人工的に作られた……そのおかげで君は野暮ったいキューバ女じゃなくなって、上品で輝きのある女性になった……」(108-9)

最初の難物をやっつけた、それにこの世で一番難しいのは物事を始めること……そしていつ終えるのかを知ることだ。(126)

 十月危機は過ぎ去った。またはカリブ危機。並外れて大きなことに名前をつけると、その大きさを殺すことになる。ことばは小さくて貧弱だ。(150)

@研究室

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# by no828 | 2017-04-14 18:36 | 人+本=体 | Comments(0)