思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
ブログトップ
2007年 09月 10日

「たつる」です ― 9月2日から9月10日までの読書

あまり読むことができなかった。

13 三砂ちづる『コミットメントの力―人と人がかかわるとき―』NTT出版、2007年。
― 国際保健への誘いの書。「コミットメント」「人と人がかかわる」に惹かれて読んだ。国際保健については勉強になったが、そこから「コミットメント」「人と人がかかわる」とはどういうことなのかを導出することは私にはできなかった。ちなみに、著者は『オニババ化する女たち』(未読)を書いた人でもある。

14 内田樹『他者と死者―ラカンによるレヴィナス―』海鳥社、2004年。
― レヴィナスについて勉強するために読む。学術書なので掲載は止めようかとも思ったが、やさしい文体で書かれているので(理由になっていないが)ここに載せることにする。レヴィナスによる人間の「有責性」の基礎付けについても書かれていたが、それを十分に理解することはできなかった。(内田によるラカンによる)レヴィナスはわれわれが「AだからBだよね」と思っていることを「BだからAなのだ」と説いている(たぶん)。理解にはもっと時間が必要である。


「み」と「ち」と「こ」が付く人へ
「内田樹」の「樹」は「たつる」と読みます。
[PR]

# by no828 | 2007-09-10 21:08 | 人+本=体 | Comments(4)
2007年 09月 10日

人が人を助けるとはどういうことか―「ミリキタニの猫」から考える

朝から東京。2日間連続の上京である。
「ブラインドサイト」を見逃した女史と「ミリキタニの猫」を観るためである。

「猫」を選択してくれたのは女史である。私は一切「猫」情報を仕入れずに映画館に向かった。

率直に、こうして人が選んでくれた映画を観るのもよいものだという感想を持つ。

それは映画として紡ぎ出される物語に惹きつけられたからでもある。

物語は、ニューヨークの日系人「芸術家」ホームレス(これがミリキタニである)を基点に立ち上がっている。
この映画の監督であるリンダは、路上で絵を描くミリキタニに「写真を撮ってくれ」と頼まれる。「ビデオならあるわ」ということで撮影が始まる。そして9.11を契機にミリキタニを自宅へと招き入れ、リンダの、あるいはミリキタニが当初は望んでいなかった奔走によって、ミリキタニがどのような人物であり「市民」であるかが明らかになってゆく。

米国市民として社会保障を受けることができるようになり、かつて生活を強いられた日系人収容所を訪れ、離れ離れになった姉と再開するなどして、ミリキタニの表情が優しくなってゆくのが印象的であった。


この映画は、「国家と市民」「制度としての社会保障と個人のホスピタリティ」などの視点で、あるいは「人を助けるとはどういうことか」という問いでもって「観直す」ことができるように思う。

とくに「人を助けるとはどういうことか」という問いをかなり斜めから発するならば、次のようにも言えてしまう。

―ミリキタニは路上で絵を描いていたから手を差し伸べられた。しかし、路上で絵を描かない多くのホームレスは絵を描かないがゆえに手を差し伸べられなかった。

何もしないよりはよいのかもしれない。私もそう思う。しかし、それでもなお、制度ではなく個人が人を助けるというときには、あるいは「あの人ではなくこの人」を助けるというときには、この過去への可能性から逃れることができないように思われるのである。
[PR]

# by no828 | 2007-09-10 20:51 | 映画 | Comments(0)
2007年 09月 10日

「監督自らゴール」 えっ、監督自らですか? ― 9月8日(土)のこと

朝から15時30分まで部屋の片付けをする。
ここのところまともな掃除をしていないので、やらねばならないことがたくさんある。

机と本棚の位置を変えて、本の整理をして、掃除機をかける。
おそろしいほどの埃が掃除機の中に溜まってゆく。

おお、何とこれほどまでに。

感動を禁じえない。

このような多量の埃の中で生活してきたことを反省する。
と同時に、心の埃がはらはらと落ちていったような気分になる。

人間は精神だけで生きているわけではない。
精神だけで生きることができたらどれほど楽であろうかと思う。

人間は身体とそれが物理的に属する空間によってその精神を制約される。
したがって精神をきれいにするには、身体と空間をきれいにすることも必要なのである。

と考えつつシャワーを浴びて、東京に向かう。

あきとトルシエ(大手町で働いています)とちひろと18時に秋葉原に集って酒を呑むためである。

集合の趣旨は顔ぶれからお察しいただけると思う。


そういうことである。

祝いの杯を傾けつつも、環境はビジネスとして成立するのか、CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)とは何か、などの議論も行なう。

こういう酒の呑み方って久しぶりだぜ。
[PR]

# by no828 | 2007-09-10 20:15 | 日日 | Comments(0)