思索の森と空の群青

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2007年 10月 19日

ソクラテスによってアポリアに追い込まれたんだ やっぱり?

今日もおおよそ8時研究室着を守ることができた。
が、空が少し曇っていたのが残念であった。

さて、「教育哲学」における愛 philia の議論は第1幕が終わった。
すなわち、今回で教授によるテキスト『リュシス』の要約(要訳?)の読解を終え、次回からは第2幕、『リュシス』における愛 philia を分析した論文の検討に移るのである。

『リュシス』の結論を私なりにまとめると、以下のようになる。

われわれ(リュシスとメネクセノスとソクラテス)は「愛(友愛)」とは何かという議論を通して友となったが、「愛(友愛)」とは何かを発見することはできなかった。

これまで隠してきた(つもりもないのである)が、『リュシス』は「愛(友愛)」とは何かについて、先に挙げた3人で議論をするというスタイルのテキストである。

ご存知のとおり、ソクラテスは議論、というより問答法を好んで用いた。
しかし、ソクラテスはこの問答法によって、解決可能かに見えた問題をアポリアへと追い込んだのである。

アポリアとは、「答えなんてわかんないよ、っていうか、『これだ』って答えはないんじゃないの?」ということである。

これを踏まえて先の結論を換言すると、

「愛(友愛)はどのようにして生まれるか」という「愛の生じ方」についてはわかったけどさ、「愛とは何か」という「愛の定義」については結局わからなかったよねー

である。

うん、僕もわからなかった。

そのわからなさのなかでわかったことは、そしておそらくソクラテスが言いたかったことは、

大切なことは与えられるのではなく自分で思考することによって得られる

ということであるように思う。

きっとね。
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# by no828 | 2007-10-19 19:48 | 日日 | Comments(2)
2007年 10月 18日

サイードとミヨシ、ふたりは友だち ― 10月9日から17日までの読書

* 追記あり

時間がまだ少しあるので連続投稿。

29 マサオ・ミヨシ×吉本光宏『抵抗の場へ ― あらゆる境界を越えるために マサオ・ミヨシ自らを語る』洛北出版、2007年。

 マサオ・ミヨシはカリフォルニア大学サンディエゴ校の英文学・比較文学・日本文学の教授であった人。最近はすごく広い意味でのエコロジーや環境生態学を研究しているようである。

「僕とサイードとの主要な意見の相違は、『知性』の社会的な役割についてなのです。彼は『知識人』というものを信じていました。僕は信じていないのです。つまり、自分を知識人と呼ぶ者のほとんどは、実際自己の利益を優先する『専門家』でしかありません。しかしサイードは自分を知識人と呼んでいました」(p. 202)。

ここでは紹介していないが、私は最近エドワード・サイードの『知識人とは何か』を読んだばかりである。

「しかし、自分の無力さを承認する限り、自分の共犯責任を無視することもできません」(p. 272)。

そうかもしれない。

「中国のことを論じるのに中国人である必要はなく、また日本を論じるのに日本人である必要もない」(p. 298)。

そうかもしれない。


30 養老孟司・池田清彦・吉岡忍『バカにならない読書術』(朝日新書)、朝日新聞社、2007年。

前半は養老先生の読書術というか現代社会批判で、後半は鼎談で「このテーマであればこの本が面白いよね」。後半はだから読書ガイドにもなると思う。

以下は前半からの引用。

「私は幼稚園のとき、幼稚園の先生が私を見て笑ってくれたことを、いまだに覚えています。太陽みたいな感じでした、子どもの私にとっては。前後の文脈なんか一切ない。それだけ。/なぜなら、たくさん子どもがいる中で自分の顔を見て相手がうれしそうにしている。すごく特別なことです。/子どもを知っている人は、一人ひとりの子どもをやっぱりよく見てます。大事にしてます。/大事にするというのは、何もケガしないようにとかいうことじゃなくて、その子に自分が注意を払ってますよということを、子どもにきちんと伝えているということです。そのことが大事なんだと思います」(p. 25)。

養老先生、私もそう思います。
でも、これって「子ども」に限らないことだとも思います。

あなたのことをちゃんと見てますよ

これは大人にも必要なことだと思います。

ひとりでもいい、誰かが私を見ててくれる

そう信じられることが<わたし>を支えるのだし、実際に支えているのだと思います。
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# by no828 | 2007-10-18 16:57 | 人+本=体 | Comments(4)
2007年 10月 18日

朝の空気の静けさと冷たさ

2日連続で8時に研究室に来ている。

これまでは研究室に着くのが9時~9時30分であったから、1時間~1時間30分の繰り上がりである。

まず気分がよい。朝の空気が心地よい。晴れた秋の日の朝の空気の静けさと冷たさがよいのである。

また、朝の1時間は大きい。夜の3時間ぐらいに相当するのではないか。

そんな大げさな。

いや、本当に。

少しずつ早めていって、6時30分には研究室着という日を実現させたい。


これから(17時から)ゼミがある。今日の発表者は2人で、そのうちの1人は私。
さっきレジュメのコピーが終わったところ。

博士論文で何をするのか、それを話してきます。
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# by no828 | 2007-10-18 16:19 | 日日 | Comments(4)