思索の森と空の群青

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タグ:三島由紀夫 ( 11 ) タグの人気記事


2015年 05月 07日

何とか僕が室内にいたままで、その同じ僕がドアの外側から、鍵をかけることは——三島由紀夫『午後の曳航』

c0131823_21371425.jpg三島由紀夫『午後の曳航』新潮社(新潮文庫)、1968年。82(905)


 版元 
 単行本は1963年に講談社

 午後の永劫 → 


 少年 登は、母 房子と若い船乗り塚崎竜二の抱き合うところをたまたま盗み見、そして偏執的に盗み見ます。

 少年にあるいは特有の、前のめり気味の自己陶酔的な論理・修辞が展開されています。三島がそれをうまく掴んでいた、ということです。


「彼らは危険の定義がわかっていないんだ。危険とは、実体的な世界がちょっと傷つき、ちょっと血が流れ、新聞が大さわぎで書き立てることだと思っている。それが何だというんだ。本当の危険とは、生きているというそのことの他にはありゃしない。生きているということは存在の単なる混乱なんだけど、存在を一瞬毎にもともとの無秩序にまで解体し、その不安を餌にして、一瞬毎に存在を造り変えようという本当にイカれた仕事なんだからな。こんな危険な仕事はどこにもないよ。存在自体の不安というものはないのに、生きることがそれを作り出すんだ。社会はもともと無意味な、男女混浴のローマ風呂だしな。学校はその雛型だし……」(51)

 登は鍵のかからない部屋にいる不安のために、パジャマの衿元を合わせて慄えていた。あいつらが教育をはじめたのだ。怖ろしい破壊的な教育。すなわち彼に、このやがて十四歳になろうとする少年に、「成長」を迫ること。首領の言葉を借りれば、とりも直さず、「腐敗」を迫ること。登は熱ばんだ頭で、一つの不可能な考えを追っていた。何とか僕が室内にいたままで、その同じ僕がドアの外側から、鍵をかけることはできないだろうか?(137)

「みんなあなたのためなのよ。登、みんなあなたのためなの。塚崎さんくらい、強くてやさしくて、すばらしいパパになれる方は世界中にいないわ。……ね、今日から、塚崎さんをパパと呼ぶんですよ。お式は来月匆々にあげて、そのときは大ぜいのお客様を呼んでパーティーをするのよ」〔略〕
 登は自分がひどくいたわられると同時に怖れられているのを知った。このやさしい恫喝に登は酔った。冷たい心のありたけを振り向けるときに、彼の口もとには微笑が泛んだ。それは宿題をやって来なかった生徒が、絶壁の上から身を躍らす者の自負を以て、うっすらと泛べるあの微笑だった。
(139-40)


@研究室
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by no828 | 2015-05-07 21:42 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 03月 22日

空間的に結びつきのない人間が、時間的に持続するわけがない——三島由紀夫『沈める滝』

c0131823_17455316.jpg三島由紀夫『沈める滝』新潮社(新潮文庫)、1963年。76(899)


 版元
 単行本はたぶん1955年に中央公論社

 徐々に → 


 城所昇が愛を試す。ダム。越冬。人妻。


しかし集中ということは、夢中になるということじゃない。問題は持続だ……(12)

孤独というやつがいけない。空間的に結びつきのない人間が、時間的に持続するわけがない。俺は何に結びつくことができるだろう(13)

 昇は思想とは縁のない人間であった。足るを知るという世俗的な思想からも、おのれの物質的所有に罪悪感を抱かせるような思想からも、彼は純潔だった。ひどく飽き飽きしていたが、自分が何に飽き飽きしているか、つきとめてみることもしなかった。(17)

 女たちは誰も、永続と不変をのぞんだ。やたらと永持ちのするものに対する彼女らの説明のつかない愛着。昇がもし思想家だったら、永持ちのする思想をもっとも警戒したろう。(27)

手紙とか、電話とか、電報とか、会わないですむあらゆる手を使って、お互いに苦しめ合うようにしたらいい。本当に愛し合えたと思ったときに、又会えばいいんだ。そうしたらそのとき多分、僕は君を感動させることができると思うよ。僕はきっと近いうちに、東京の生活を切り上げて、山の中の現場へゆくだろう」と彼はさっきの決心をすぐ口にした。(45)

 昇は卒然として、そこにいる青年たちと自分とのちがいに気づいた。彼らはダムを理想や希望やさまざまな観念に転化しながら彼らの内部に抱いているのだが、昇のダムは外部にある。昇は自分の内部に決して理念を探そうとはしていなかった。外側に屹立している純粋に物質的なダム。みんなと一緒に、昇はしかし別なダムを作るだろう。(62)

「あんたの言うことをきいてると、薔薇を栽培する人間だって、薔薇の棘で誰か怪我をするということを、考えずには創れないみたいだな」と一人が言った。
「まあ、そうですな。創る喜びが単に人間的な喜びですんでいた時代は十九世紀の市民社会と共に終りを告げたんだよ。今じゃ割箸を作ったって、飯を喰うために使われるとは限りゃしない。アメリカへ輸出されて、何か化学兵器の実験に、不良導体のピンセットとして重宝されないとも限らない。〔略〕大体もう、人間の作った物というものが存在しないのでね。工人的良心の作った純粋な物というものはもうどこにもない。物が物でおわらず、必ず効用へ突走ってしまう。科学的産物も、芸術品も、すべて何らかの関係において存在するにすぎない。ましてダムのように、物即効用というようなものが、何に使われるかわかりはしない。あんた方がそれを作るのに、技術者的良心というやつを持つのはいい。しかし、ダムのもっている諸関係に目をつぶって一生けんめいになるなんて愚というもんですよ」
(97-8. 傍点省略)

恋愛にはもう安心ということは決してないんだ。それ以来僕は不安を享楽するようになった、とでも言うのかな」(127)

かれらにはいささか故意に、自分の作った固定観念に落ち込もうとする傾きがあった。時を経〔ふ〕るにつれて一人一人の顔は、全身これ耳、全身これ鼻、と謂った誇張を示して来る。実際は刺戟がなければ、欲望はめったに増大するものではないが、全く自家製の固定観念のおかげで、ある男は全身これ性慾、また、しじゅう御馳走の夢ばかり見ているあらゆる無邪気な青年は、全身これ食慾と謂った顔つきをしていた。
 昇は同宿の人たちの顔に、こうしたはっきりした類型が生れるのに興味をおぼえ、ひそかにこの生活を、「仮面劇」と呼んでいた。公衆を前にして自分の役を演ずることは容易ではないが、却って孤独のほうがわれわれを、われとわが役の意識せざる俳優にしてしまうのに力がある。
(139)

 祖父の遺言には多額の寄附行為もあり、名義書換のときに相続税もたっぷり取られて、今の昇の財産のなかで、勤めている電力会社の持株は、彼に大した発言権を与えるほどのものではなかったが、二十八歳の青年にとって、財産は徒らに大きかった。あんな越冬の労苦のあいだに、自然に三百万円が入って来ていたのだとすると、彼はあの労苦にすら、わざとらしさを感じて、われながらいやになった。何もしないでのらくらしていたほうが、すべての点で自然に叶っているのではなかったか?(201)

 ……ベッドの中で、顕子は何度もこう言った。
私、あなたのお好きなような恰好をして、お好きなような女になるわ。銀座の真中を裸かで歩けと仰言れば、そうするわ
 それから一日に十ぺん着換えてみせろと言えば、それもすると附加えた。しかし顕子は、女が「お好きなように」と言うときはすでに手遅れなのだということを知らなかった。
 顕子は明らかに不安にかられていた。
自分が昇を好きだというその理由は明白すぎるほど明白だが、今では昇が顕子を愛する確たる根拠がつかめなかった。この不安には答がなく、問いは谺になって帰った。彼女は昇のうちに彼の理想の形態を探していた。知りたいと熱望した。できればその理想がぶらさげているハンドバッグの色合までも。
(223-4)


@研究室
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by no828 | 2015-03-22 17:55 | 人+本=体 | Comments(0)
2015年 03月 13日

不在が私を勇気づけているのであった。距離が私に「正常さ」の資格を与える——三島由紀夫『仮面の告白』

c0131823_17515245.jpg三島由紀夫『仮面の告白』新潮社(新潮文庫)、1950年。72(895)


 版元 
 単行本は1949年に河出書房

 ゆっくりとではあるけれども。 → 


 ようやく。 “糞尿汲取人”の原体験。女性には惹かれない男。けれども女性に惹かれる男を演じようとする男。そしてそれが無理だとわかる男。

 三島作品をさまざまに読み、だんだんと三島由紀夫のモチーフのようなものが掴めてきたように思います。


 ぐるりのひとびとは、しじゅう、自分が幸福なのだろうか、これでも陽気なのか、という疑問になやみつづけている。疑問という事実がもっともたしかなものであるように、これが幸福の、正当なあり方だ。(89)

 とこうするうちに、私は煙草をおぼえ酒をおぼえた。と謂って、煙草も真似事なら、酒も真似事だった。戦争がわれわれに妙に感傷的な成長の仕方を教えた。それは二十代で人生を断ち切って考えることだった。それから先は一切考えないことだった。人生というものがふしぎに身軽なものにわれわれには思われた。〔略〕幕の下りる時刻が程遠くないかぎり、私に見せるための私の仮面劇も、もっとせっせと演じられてよかった。しかし私の人生の旅は、明日こそ発とう、明日こそと思いながら、一日のばしにのばされて、数年間というもの、一向出立のけはいもなかった。この時代こそ私にとって唯一の愉楽の時代ではなかったろうか。(98)

「あのピアノ巧いのかい? ときどきつっかかるようだけど」
「妹なんだよ。さっき先生がかえったばかりで、おさらいをしているんだ」
 私たちは対話をやめてまた耳をすました。草野の入隊は間近であったので、おそらく彼の耳にひびいているものは、啻に隣室のピアノの音ではなく、やがて彼がそれから引き離される『日常的なもの』の、一種不出来なもどかしい美しさであった。
(107)

私は真正直に額面通りに純粋にそれ〔=プラトニックの観念〕を信じていたのである。ともすると私が信じていたのは、この対象ではなく、純粋さそのものではなかったろうか? 私が忠誠を誓ったのは純粋さにではなかったろうか?(110. 傍点省略)

 二三日して私は園子に貸す約束をした本を携えて草野家を訪れた。こんな場合、二十一歳の男の子が十九歳の少女のために選ぶ小説といえば、題名を並べなくても大抵見当がつく筈だ。自分が月並なことをやっているという嬉しさは、私にとっては格別のものだった。(134)

 一ト月たらずのあいだに、園子との手紙のやりとりは、多少特別なものになりつつあった。手紙のなかでは私は心おきなく大胆に振舞った。ある午前、解除のサイレンが鳴って工廠へかえったとき、机に届いていた園子の手紙を読みながら手がふるえた。私は軽い酩酊に身を委ねた。私は口のなかで何度もその手紙の一行をくりかえした。
『……お慕いしております。……』
 不在が私を勇気づけているのであった。距離が私に「正常さ」の資格を与えるのだった。いわば私は臨時雇の「正常さ」を身につけていた。時と所の隔たりは、人間の存在を抽象化してみせる。園子への心の一途な傾倒と、それとは何の関わりもない・常軌を逸した肉の欲情とは、この抽象化のおかげで、等質なものとして私の中に合体し、矛盾なく私という存在を、刻々の時のうちに定着させているのかもしれなかった。私は自在だった。日々の生活はいわん方なくたのしかった。S湾にやがては敵が上陸してこのあたりは席巻されるだろうという噂もあって、死の希みもまた、以前にまして私の身近に濃くなっていた。かかる状態にあって、私は正〔まさ〕しく、「人生に希望をもって」いた!
(150-1)

「だって空いたんだもん。よお、よお」
「きき分けもない!」
——母親がとうとう負けて弁当をとり出した。その中味の貧しさは、私たちが工場で喰べさせられている食事より一段とひどかった。沢庵を二切そえた藷〔いも〕だらけの飯を、看護婦はぱくぱくと喰べだした。人間が御飯をたべるという習慣がこれほど無意味に見えたことはなかったので、私は目をこすった。やがてこうした観方が、私が生きる欲望をすっかり失くしていることに由来しているのを私はつきとめた。
(172)

「主人はあたくしを愛してくれるし、あたくしも主人を愛しているのですもの。あたくしは本当に幸福で、これ以上希うことなんかないのですもの。でも、悪い考えかしら、ときどき、……こう、何と言ったらいいのかしら、別のあたくしが別の生き方をしようとしているのを想像してみることがあるのよ。そうすると、あたくしはわからなくなるの(197)

そもそも肉の慾望にまったく根ざさぬ恋などというものがありえようか? それは明々白々な背理ではなかろうか?
 しかしまた思うのである。人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまい、と。
(199)


@研究室
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by no828 | 2015-03-13 18:00 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 11月 22日

自分の不幸を見つめて暮すほかに、その不幸からのがれる道がない——三島由紀夫『禁色』

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三島由紀夫『禁色』新潮社(新潮文庫)、1964年。167(627)

単行本は、第一部が1951年に、第二部が1953年に、それぞれ同社より刊行。文庫版は1冊。

版元 → 


 本文573ページ。非常勤講師先が遠いので、分厚い本を持って行き帰りに読もうとしています。「行き」は大体、講義の予習に費やされがちですが……。

 本作品では、老齢の男性作家が女性(具体的、一般的)に対する復讐が試みられるのですが、その復讐は自分では行なわずに、「男色」の青年に行なわせる、ということになっています。

 同じ作者の本を何冊も読んでいると、その作者の主張を通奏低音として聴くことができます。

 檜俊輔氏の作品には、不測の、不安の、不吉の、——不幸の、不倫の、不軌の、——あらゆる負数の美が描かれている。(9)

 われわれが思想と呼んでいるものは、事前に生れるのではなく、事後に生れるのである。まずそれは偶然と衝動によって犯した一つの行為の、弁護人として登場する。弁護人はその行為に意味と理論を与え、偶然を必然に、衝動を意志に置きかえる。思想は電信柱にぶつかった盲人の怪我を治しはしないが、少くとも怪我の原因を盲目のせいではなく電信柱のせいにする力をもっている。一つ一つの行為にのこらず事後の理論がつけられると、理論は体系となり、彼、行為の主体はありとあらゆる行為の蓋然性にすぎなくなる。(11)

 彼にとって、思想とは、黒子のように偶発的な原因から生れ、外界との反応によって必然化する、それ自体の力は持たない或るものなのだ。思想はかくて過失、いわば生れながらの過失のようなものであり、まず抽象的な思想が生れてそれが肉体化されるということはありえず、思想ははじめから、肉体の何らかの誇張の様式なのだ。(545)

 さて灯を消したとき、彼は想像力の放恣にたよった。模写はもっとも独創的な行為である。模写に携わっているそのあいだ、悠一は自分が何ものをも手本にしちえないことを感じていた。本能は人を凡庸な独創に酔わせるが、本能にそむいた苦しい独創の意識は彼を酔わせなかった。(69-70)

道徳とは何事なのか? たとえばただ相手が金持だというだけの理由で、金持の館の窓に投石する貧民のしわざが不道徳だと云えるだろうか? 道徳とは理由づけを普遍化することによって理由を消滅させる或る創造的な作用ではあるまいか。たとえば今日なお親孝行は道徳的であるが、その理由が消滅しているために一そう道徳的なのである。(270-1)

単なる贈与をお互いに愛と考えねばならぬことは、贈与という純粋な行為に対する不可避の冒瀆としか思われず、同じあやまちをくりかえすごとに、味わうのはいつも屈辱であった。(296)

自分の不幸を見つめて暮すほかに、その不幸からのがれる道がないということを、教えて下さっただけになるものな」(312)

「愛する者はいつも寛大で、愛される者はいつも残酷さ」(419)

「しかし真の重要な問題は、表現と行為との同時性が可能かということだ。それについては、人間は一つだけ知っている。それは死なのだ。
 死は行為だが、これほど一回的な究極的な行為はない。……そうだ、私は言いまちがえた」と俊輔は莞爾とした。
「死は事実にすぎぬ。行為の死は、自殺と言い直すべきだろう。人は自分の意志によって生れることはできぬが、意志によって死ぬことはできる。これが古来のあらゆる自殺哲学の根本命題だ。しかし、死において、自殺という行為と、生の全的な表現との同時性が可能であることは疑いを容れない。最高の瞬間の表現は死に俟たねばならない」
(568)


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by no828 | 2012-11-22 17:59 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 10月 26日

文字に書かれたものの不滅は、行動の不滅に比べたら、はるかに卑しげであった——三島由紀夫『鏡子の家』

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155(615)三島由紀夫『鏡子の家』新潮社(新潮文庫)、1964年。

版元 → 

単行本は1959年に同社より刊行。


 鏡子の家に集う男たちのお話。あるいは肉体と美のお話。肉体と美が否定ないし過剰肯定されると、死か国家へ向かいます。三島由紀夫が凝縮された作品のように思いました(全部読んだわけではありませんが)。

 思想は筋肉のように明瞭でなければならぬ。内面の闇に埋もれたあいまいな形をした思想などよりも、筋肉が思想を代行したほうがはるかにましである。なぜなら筋肉は厳密に個人に属しつつ、感情よりもずっと普遍的である点で、言葉に似ているけれど、言葉よりもずっと明晰である点で、言葉よりもすぐれた「思想の媒体」なのである。(76)

 考える人間の、樹木のようなゆっくりした生成は、峻吉の目には、憐れむべき植物的偏見としか映らなかった。文字に書かれたものの不滅は、行動の不滅に比べたら、はるかに卑しげであった。なぜならその価値自体が不滅を生むのではなく、不滅が保証されてはじめて価値が生ずるのであるから。そればかりではない。思考する人たちは、行動を比喩に使うことなしには、一歩も前進できない。大論争の勝利者なるものが、目の前に血みどろになって倒れている敵手〔あいて〕の体を見下しているときの勝利者を思いうかべることなしに、どうして快感にひたれるだろうか?(112)

 見て、感じて、描くこと。この活きて動いている世界を、色と形だけの、静止した純粋な物象に変えてしまうこと。それは何か怖ろしいことだったが、夏雄はその怖ろしさを感ぜず、最初恐怖を抱いた両親も、いつしか世間的な評価を担った才能という言葉に安心した。それはしかし依然として怖ろしいことだった。彼は物を見、事実彼には何かが見えるのだった!(127)

 決して忘れてならないことは、健全な社会人が芸術家に向って殊更示したがる劣等感、自分に芸術的感覚も芸術的才能もないと卑下したがる気持には、彼らの本音はなくて、それどころか私かな満足さえひそんでいるということだった。こういう卑下は通例真赤な贋物〔にせもの〕で、決して真に受けてはならなかった。(251)

そんなに筋肉が大切なら、年をとらないうちに、一等美しいときに自殺してしまえばいいんです(253)

「こんな世の中に生きてゆくことが、生きてゆくように助けてやることが、自殺の救済が、善いことだなんて誰が決めたの。私のやってきたことは、一寸手荒な安死術にすぎないの。あの一家心中の家族が、目先の急場を救われたところで、先には何の望みもないし、親に殺された子供たちは仕合せだったんです。
 ひどい暮しをしながら、生きているだけでも仕合せだと思うなんて、奴隷の考えね。一方では、人並な安楽な暮しをして、生きているのが仕合せだと思っているのは、動物の感じ方ね。世の中が、人間らしい感じ方、人間らしい考え方をさせないように、みんなを盲らにしてしまったんです」
(324-5)



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by no828 | 2012-10-26 16:10 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 10月 03日

記憶と言うてもな、幻の眼鏡のようなものやさかいに——三島由紀夫『天人五衰』

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94(416)三島由紀夫『天人五衰——豊饒の海(四)』

版元 →




 輪廻転生の書物「豊饒の海」最終巻。松枝清顕、飯沼勲、そしてジン・ジャンと続いた転生は安永透において終結を見る。「豊饒の海」は、肉体と思想、その両者の関係を論じた、あるいはそれに取り憑かれた書でもあった。「輪廻転生」とは、まさにその関係を問うものと言ってもよいかもしれない。

 週末に時間が確保できると、好きな本が読めることを再確認した週末であった。



 最も認めたくない真実と最も顔をつき合わせて暮さなければならぬのが老人というものなら、本多と慶子はお互いの内部を、この真実からの隠れ家にしたのである。親密さは共在ではなくて、いそいですれちがって相手の中へ棲み込むことだった。空家を交換し、そしていそいで自分のうしろに扉をしめる。相手の中で自分一人になると、らくらくと息がつけた。
□(49)

「親密さ」の意味、「共在」の意味。ふたりで会っても相手の話は聞かずに自分の話ばかりする、お互いがそうする、しかしそれが快いという状態。わかるような気もするが、この事態をここからどう言語化、理論化できるか、ということになると、まだうまく説明できない。



 外交団の間では、本多は慶子の男友達として公然と認められ、大使館の晩餐会にはいつも一緒に呼ばれた。本多は或る大使館の日本人の給仕たちが悉く紋付袴を着せられているのに憤慨した。
あれはいかにも日本人を現地人扱いにしている証拠で、第一日本人のお客に対しても失礼じゃないか
そう思わないわ。だって日本の男は紋付袴のほうが威厳があるもの。あなたのディナー・ジャケットなんて全くぞっとしないわね」

□(69-70)

 西洋の見方(オリエンタリズム)を引き受けてそれを自己強化のために利用するという構図?



 古沢が横顔を示したまま、突然、言葉の吸殻を灰皿へ放り出すようにこう言った。
「君は自殺を考えたことがあるかい?」
「いいえ」
と透はおどろいて目を瞠〔みひら〕いた。
「そんな目で見るなよ。僕だってそれほど真剣に考えてきたわけじゃない。
 大体僕は自殺する人間の衰えや弱さがきらいだ。でも一つだけ許せる種類の自殺がある。それは自己正当化の自殺だよ
「それはどんな自殺ですか」
「興味があるかい」
「ええ、ちょっと」
「じゃ、話そう。……
 たとえば、自分を猫だと信じた鼠の話だ。なぜだかしらないが、その鼠は、自分の本質をよく点検してみて、自分は猫にちがいないと確信するようになったんだ。そこで同類の鼠を見る目もちがって来、あらゆる鼠は自分の餌にすぎないのだが、ただ猫であることを見破られないために、自分は鼠を喰わずにいるだけだと信じた
〔略〕
「ところがある日のこと、その鼠が本物の猫に出会〔くわ〕してしまったんだ。
『お前を喰べるよ』
 と猫が言った。
『いや、私を喰べることはできない』
 と鼠が答えた。
『なぜ』
『だって猫が猫を喰べることはできないでしょう。それは原理的本能的に不可能でしょう。それというのお、私はこう見えても猫なんだから』
〔略〕
『いや、お前は鼠だ』
『私は猫だ』
『そんならそれを証明してみろ』
 鼠はかたわらに白い洗剤の泡を湧き立たせている洗濯物の盥のなかへ、いきなり身を投げて自殺を遂げた。猫は一寸前肢を浸して舐めてみたが、洗剤の味は最低だったから、泛〔うか〕んだ鼠の屍はそのままにして立ち去った。猫の立ち去った理由はわかっている。要するに、喰えたものじゃなかったからだ。
 この鼠の自殺が、僕のいう自己正当化の自殺だよ。しかし自殺によって別段、自分を猫に猫と認識させることに成功したわけじゃなかったし、自殺するときの鼠にも、それくらいのことはわかっていたにちがいない。が、鼠は勇敢で賢明で自尊心に充ちていた。彼は鼠に二つの属性があることを見抜いた。一次的にはあらゆる点で肉体的に鼠であること、二次的には従って猫にとって喰うに値いするものであること、この二つだ。この一次的な属性については彼はすぐに諦めた。思想が肉体を軽視した報いが来たのだ。しかし二次的な属性については希望があった。第一に、自分が猫の前で猫に喰われないで死んだということ、第二に、自分を『とても喰えたものじゃない』存在に仕立て上げたこと、この二点で、少くとも彼は、自分を『鼠ではなかった』と証明することができる。『鼠ではなかった』以上、『猫だった』と証明することはずっと容易になる。なぜなら鼠の形をしているものがもし鼠でなかったとなったら、もう他の何者でもありうるからだ。こうしてこの鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。……どう思う?」

□(165-8)

 きわめて観念的。それが悪いとは思ったわけではない。だが、自己完結した観念の危うさもまたあるはず。



 僕は百子について多くの誤解をしているということを自分にゆるすことができない。明察から出発せねばならぬことに、いささかも誤認があっては、誤認は幻想を生み、幻想は美を生むからだ。
 美が幻想を生み、幻想が誤認を生むと考えるほど、僕は美の信者であったことはない。

□(197)

 美の原因は誤認である、という認識がおもしろいと思った(そうかもしれないなぁ)。



 その日僕は三度も靴紐を結び直したのに、ついに百子が気づかなかったのには甚だ落胆した。百子の注意力の散漫は、自分の幸福をしゃにむに信じているところから生れている。さりとて僕のほうから、わざとらしく見せびらかすわけには行かなかった。
□(226)

 幸福に浸る者は注意力が散漫になる、という認識がおもしろいと思った(たしかになぁ)。ということは、幸福を求める者、つまり現下幸福にない者は注意力が研ぎ澄まされる、のか(そうかもしれないなぁ)。



 しかし苦悩が精神的なものか肉体的なものか、そこに本多はもう区別すべき何ものもないという風に感じだしていた。精神的屈辱と摂護腺肥大との間に何のちがいがあろう。或る鋭い悲しみと肺炎の胸痛との間に何のちがいがあろう。老いは正〔まさ〕しく精神と肉体の双方の病気だったが、老い自体が不治の病だということは、人間存在自体が不治の病だというに等しく、しかもそれは何ら存在論的な哲学的な病ではなくて、われわれの肉体そのものが病であり、潜在的な死なのであった。
 衰えることが病であれば、衰えることの根本原因である肉体こそ病だった。肉髄の本質は滅びに在り、肉体が時間の中に置かれていることは、衰亡の証明、滅びの証明に使われていることに他ならなかった。

□(305)

 わたしは一時期、肉体は要らない、精神だけあればいい、と考えていたが(今もその考えを完全に捨て去ったわけではないが)、もしかしたら三島もそんなふうなことを考えていたのかもしれない。精神は肉体をどう扱えばよいのか、と言ってもよいし、たぶん思想は肉体をどう処遇すればよいのか、と言ってもよいはずだ。



記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに
□(340)


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by no828 | 2011-10-03 16:17 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 09月 27日

彼の本当に本当に本当に見たいものは、彼のいない世界にしか存在しえない——三島由紀夫『暁の寺』

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93(415)三島由紀夫『暁の寺——豊饒の海(三)』新潮社(新潮文庫)、1977年。

※ 単行本は1970年に同社より刊行。

版元(→




 昨日の非常勤講師先・立川との往復の電車内にて読了。全425ページ。(帰りの武蔵野線内途中で読み終わってしまったので、あとは柄谷行人を読んでいた。)

 「豊饒の海」第一巻『春の雪』(→ )、第二巻『奔馬』(→ )。第三巻本巻『暁の寺』の主人公は弁護士として巨富を成した本多繁邦。テーマはやはり転生。

 三島の文章には相変わらず、読む者をぞくぞくっとさせる色気がある。

 なお、185ページに「福島県三春地方」というのが出てくる。わたしの故郷の隣の町、滝桜で有名なところです。


 もし生きようと思えば、勲のように純潔を固執してはならなかった。あらゆる退路を自ら絶ち、すべてを拒否してはならなかった。
 勲の死ほど、純粋な日本とは何だろうという省察を、本多に強いたものはなかった。すべてを拒否すること、現実の日本や日本人をすらすべて拒絶し否定することのほかに、このもっとも生きにくい生き方のほかに、とどのつまりは誰かを殺して自刃することのほかに、真に「日本」と共に生きる道はないのではなかろうか? 誰もが怖れてそれを言わないが、勲が身を以て、これを証明したのではなかろうか?
〔略〕
 いかに怖ろしい面貌であらわれようと、それはもともと純白な魂であった。

□(32-3)



 唯識の本当の意味は、われわれ現在の一刹那において、この世界なるものがすべてそこに現われている、ということに他ならない。しかも、一刹那の世界は、次の刹那には一旦滅して、又新たな世界が立ち現われる。現在ここに現われた世界が、次の瞬間には変化しつつ、そのままつづいてゆく。かくてこの世界すべては阿頼耶識〔あらやしき〕なのであった。……
□(163)



そして愛されたいという欲望が、ますます梨枝を醜くしたのである。
□(202)

 愛は“愛する”にしか存在せず、“愛される”には存在しない、とアリストテレスは言っていた。



……本多は自分のそれを、「客観性の病気」と私〔ひそ〕かに名付けていた。決して参加しない認識者の陥る最終的な、快い戦慄に充ちた地獄。……
□(220-1.傍点省略)

 学者も?



 さるにても、生の絶対の受身の姿、尋常では見られない生のごく存在論的な姿、そういうものに本多は魅せられすぎ、又そういうものでなくては生ではないという、贅沢な認識に染まりすぎていた。彼は誘惑者の資格を徹底的に欠いていた。なぜなら、誘惑し欺〔だま〕すということは、運命の見地からは徒爾〔あだごと〕だったし、誘惑するという意志そのものが徒爾だったからである。純粋に運命自体によってだけ欺されている生の姿以外に、生はない、と考えるとき、どうしてわれわれの介入が可能であろう。そのような存在の純粋なすがたを、見ることさえどうしてできよう。さしあたっては、その不在においてだけ、想像力で相渉〔あいわた〕るほかはない。〔略〕知らないということが、そもそもエロティシズムの第一条件であるならば、エロティシズムの極致は、永遠の不可知にしかない筈だ。すなわち「死」に。
□(264)

 学者を駆り立てるのもエロティシズムである、ということになる。



 どうして本屋にいると心が落着くのか、本多は幼少の頃から、そういう癖を持っていたとしか云いようがない。〔略〕それはどういう癖であろう。たえず世界を要約していなくては不安な心、まだ記録されない現実は執拗に認めまいとする頑なな心、ステファヌ・マラルメではないが、何事もいずれは表現されるのであり、世界は一冊の美しい書物に終るのであれば、終ってから駆けつけても遅くはないのだ。
□(280-1)



 飛翔するジン・ジャンをこそ見たいのに、本多の見るかぎりジン・ジャンは飛翔しない。本多の認識世界の被造物にとどまる限り、ジン・ジャンはこの世の物理法則に背くことは叶わぬからだ。多分、(夢の裡を除いて)、ジン・ジャンが裸で孔雀に乗って飛翔する世界は、もう一歩のところで、本多の認識自体がその曇りになり瑕瑾になり、一つの極致の歯車の故障になって、正にそれが原因で作動しないのかもしれぬ。ではその故障を修理し、歯車を取り換えたらどうだろうか? それは本多をジン・ジャンと共有する世界から除去すること、すなわち本多の死に他ならない。
 今にして明らかなことは、本多の欲望がのぞむ最終のもの、彼の本当に本当に本当に見たいものは、彼のいない世界にしか存在しえない、ということだった。真に見たいものを見るためには、死なねばならないのである。
 覗く者が、いつか、覗くという行為の根源の抹殺によってしか、光明に触れえぬことを認識したとき、それは、覗く者が死ぬことである。

 認識者の自殺というものの意味が、本多の心の中で重みを持ったのは、生れてはじめてだと云ってよかった。

□(380-1)

 ここを読んで量子力学を想起した。“見たいもの”があり、しかしそれを実際に見たときにはもはやその“見たいもの”は見たかったものの姿をしていない、“見たいもの”は見ていないときにのみ“見たいもの”の姿をしているのであり、それを「見る」とはだから、「想像する」ということでしかない。

 こういうの、嫌いではない。


@研究室
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by no828 | 2011-09-27 19:13 | 人+本=体 | Comments(0)
2011年 09月 23日

人間の到達しうるもっとも純粋な悪は、志を同じくする者が全く同じ世界を見、生の——三島由紀夫『奔馬』

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92(414)三島由紀夫『奔馬——豊饒の海(二)』新潮社(新潮文庫)、1977年。

※ 単行本は1969年に同社より刊行。

版元(→




 『春の雪——豊饒の海(一)』(→ )に続く作品。ようやくである。ちなみに、『豊饒の海』は全四部作。まだ終わらない。

 本作は、第一部『春の雪』の主人公であった松枝清顕が転生した——と下記本多が捉えた——青年飯沼勲が物語の主軸。その軸に、松枝の友人であった本多繁邦の存在が絡む。本多は控訴院判事になるが、この物語において弁護士へと転じる。それにも松枝の生まれ変わりである飯沼が関係する。

 その本多が飯沼に宛てた手紙の一節。飯沼の危険な純粋さに惹かれながら、それを諭そうとする。


 歴史を学ぶことは、決して、過去の部分的特殊性を援用して、現在の部分的特殊性を正当化することではありません。過去の一時代の嵌め絵から、一定の形を抜き出して来て、現代の一部分の形にあてはめて、快哉を叫ぶことではありません。それは単に歴史をおもちゃにすることであり、子供の遊びであります。昨日の純粋さと今日の純粋さは、いかに似通っていてもその歴史的諸条件を異にすることを知るべきであり、むしろ純粋さの類縁を求めるならば、歴史的条件を同じくする現代の『反対の思想』に求めるべきであり、これこそ特殊的小部分にすぎぬ『現代の私』のとるべき謙虚な態度であって、そこには歴史の問題は捨象されて、単に、『純粋性』という、人間性の超歴史的契機が問題にされていると考えたほうがいい。そのとき、共有された同時代の歴史的条件は、方程式の定数にすぎなくなるからです。
□(137)


 あのとき本多は、もう百年もたてば、われわれは否応なしに一つの時代思潮の中へ組み込まれ、遠眺めされて、当時自らもっとも軽んじたものと一緒くたにされて、そういうものとの僅かな共通点だけで概括される、と主張したおぼえがある。又、歴史と人間の意志との関わり合いの皮肉は、意志を持った者がことごとく挫折して、「歴史に関与するものは、ただ一つ、輝かしい、永遠不変の、美しい粒子のような無意志の作用」だけに終るところにある、熱をこめて論じた記憶がある。
□(252)



 真杉海堂の仏教ぎらいは有名だった。篤胤派だから当然でもあるが、彼は篤胤の仏教罵倒、釈迦罵倒をそのままに口移しをして塾生に教えた。彼は仏教が決して生を肯定せず、従って大義の死をも肯定しえないこと、仏教がついに「たまきはるいのち」に接触せず、従って「いのち」の「むすび」の本道である天皇道に到達しないことを蔑んでいた。業〔カルマ〕の思想こそすべてをニヒリズムへ融かし込む悪の哲学だった。
□(285)


 飯沼。


 同志は、言葉によってではなく、深く、ひそやかに、目を見交わすことによって得られるのにちがいない。思想などではなく、もっと遠いところから来る或るもの、又、もっと明確な外面的な表徴であって、しかもこちらにその志がなければ決して見分けられぬ或るもの、それこそが同志を作る因〔もと〕に相違ない。
□(231)


 ひどく寒かった。勲は更衣室へ連れて行かれて、一糸もまとわぬ裸にされた。あけた口の奥歯までしらべられ、鼻の穴、耳の穴を綿密にのぞかれ、両手をひろげて前を検〔あらた〕められたのち、四つ這いになって後を検められた。肉体をこんな風に端的に扱われると、却って、自分の肉体は他人であって、自分のものは結局思想しかないと思うようになる。そう思うことがすでに屈辱からの逃避だった。
□(397-8)


 人間は或る程度以上に心を近づけ、心を一にしようとすると、そのつかのまの幻想のあとには必ず反作用が起って、反作用は単なる離反にとどまらず、すべてを瓦解へみちびく裏切りを呼ばずには措かぬのだろうか? どこかに確乎たる人間性の不文律があって、人間同士の盟約は禁じられているのだろうか? 彼は敢てその禁を犯したのであろうか?
 ふつうの人間関係では、善悪や信不信は、混濁した形で少量ずつまざり合っている。しかし、一定数の人間が、この世のものならぬ純粋な人間関係を成就すると、悪も亦、その一人一人から抽出され蒐められて、純粋な結晶体になって残るのかもしれない。そしてその純白な玉の一群には、必ず漆黒の玉の一個がまじるのかもしれない。
 この考えを、しかし、もう一歩押し進めれば、人は世にも暗い思想に衝き当るのだ。それは悪の本質は裏切りよりも血盟自体にあり、裏切りは同じ悪の派生的な部分であって、悪の根は血盟にこそあるという考えだった。すなわち、人間の到達しうるもっとも純粋な悪は、志を同じくする者が全く同じ世界を見、生の多様性に反逆し、個体の肉体の自然な壁を精神を以て打ち破り、折角相互の浸蝕を防いでいるその壁を空しくして、肉体がなしあたわぬことを精神を以て成就することにあったかもしれない。協力や協同は、人類的なものやわらかな語彙に属していた。しかし血盟は、……それはやすやすと自分の精神に他人の精神を加算することだった。そのこと自体、個体発生の中に永久にくりかえされる系統発生の、もう少しで真理に手を届かせようとしては死によって挫折して、又あらためて羊水の中の眠りからはじめなければならぬ、あの賽の河原のような人類的営為に対する、晴れやかな侮蔑だったのだ。こうした人間性に対する裏切りによって、純粋をあがなおうとする血盟が、ふたたびそれ自体の裏切りを呼ぶのは、世にも自然な成行だったかもしれない。かれらはそもそも人間性を尊敬したことがなかった。

□(401-2)


「いや」と勲は全身を慄〔ふる〕わせて逆らった。「一寸やわらげれば別物になってしまいます。その『一寸』が問題なんです。純粋性には、一寸ゆるめるということはありえません。ほんの一寸やわらげれば、それは全然別の思想になり、もはや私たちの思想ではなくなるのです。ですから、薄めることのできない思想自体が、そのままの形でお国に有害なら、あいつらの思想と有害な点では同じですから、私を拷問して下さい。そうしない理由はないじゃありませんか」
□(421)


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by no828 | 2011-09-23 19:12 | 人+本=体 | Comments(0)
2010年 10月 19日

すべては所を得、すべての鳥は塒に還ったのです——三島由紀夫『宴のあと』

c0131823_18442850.jpg74(307)三島由紀夫『宴のあと』新潮社(新潮文庫)、1969年。

版元

※ 単行本は同社から1960年に刊行。


 三島の本を読んでいると、ときどきぞくぞくっとする文章に出会う。艶っぽいのかな。“何でこんな日本語書けるんだ!”って思うことがあるわけです。

 途中、内容にぐわぁーっと入っていって、自分で文章を作りながら読んでいるような感覚になった。結論が読めたからかもしれない。それで、あれって思って、そうそうこれは三島が書いたものをわたしが読んでいるのであったと、再確認しなければならなかった。変な感覚。

 で。

 『宴のあと』はプライヴァシー裁判で有名になった本らしいけれど、そのあたりのことはほとんど知らない。本の内容は、妻に先立たれた元外務大臣の中年の男が、これまた“男勝り”の中年の女と出会い、結婚し、男の方は党にかつがれて都知事選に立候補し、妻もまたそれを過剰なまでに応援し、しかし結果は敗戦で、それじゃあこれからどう生きていこうかと思ったときに、夫と妻のあいだの価値観のずれがより一層顕在化して別れることになり、それぞれの価値観で生きていくことになった、というものです(一息で読むと息が続かない)。裁判になったということは、そういうようなことが実際にあったということでしょうね。


 無口な人ほどその傾向があるが、野口も一旦口に出した言葉は大いに重んじる性格だった。それが自分だけの約束事なら格別、人に命じた言葉の実現も疑わなかった。こうあれかしと思って彼が言うことは、当然そうなっている筈だった。だから〔選挙の〕敗戦の夜、今後は恩給だけのつましい「じじばば」の生活をしよう、と一旦言い渡したからには、かづも全くそのつもりになっているものと野口は思っていた。
□(177)

 この野口の気持ちはよくわかるし、三島の“無口な人=言葉を大いに重んじる人”という特徴付けもよくわかる。だって(たぶん)わたしにもそういうところがあるから。必要なことだから話すのであり、不要なことだから話さない、話したことは必要なことなのだから、その言葉のとおりにする必要があり、また、そうなる必要もある。だから、わたしが勝手に話しているのなら別によいのだけれど、その場でわたしが話す必要があるという状況でわたしが実際に話しているときにそれを聞いていない人がいるとあれですよね。

 ま、野口ほど厳格ではないけれど。

 ちなみに、引用文中の「格別」の使われ方にとまどった。


 あなたはやはり暖かい血と人間らしい活力へ還って行かれるべきでしたろうし、野口氏も高潔な理想と美しい正義へ還って行かれるべきでしょう。残酷なようですが、第三者の目から見ると、すべては所を得、すべての鳥は塒に還ったのです。
□(229)

 「塒」は「ねぐら」です。時代小説にはよく出てきますね。私的統計上、長屋住まいの独身男がよく使います。「塒に帰る」とか何とか。
 
 で。

 最近はこういう、“しかるべき場所”とか“しかるべきとき”とか、そういうのに出会うというか、そういうのに引っかかる。わたし自身がそれを探しているからでしょうね。

 あと、「所を得〔る〕」で「所得」か、と思って、妙に納得した。「応分の」ということか。もちろん何をもって「応分」とするのかが難しいのだけれど……。

 追伸:昨日のアクセス数がなぜか急増。更新していないにもかかわらず。What happened? でも、ありがとうございました。


@研究室
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by no828 | 2010-10-19 19:21 | 人+本=体 | Comments(0)
2009年 12月 07日

何が清顕に歓喜をもたらしたかと云えば、それは不可能という観念だった——三島由紀夫『春の雪』

c0131823_21355339.jpg
 後輩女子「ハシモトさんは、研究者の人と結婚しては絶対ダメです!」
 わたし「ど、どうして?」
 後輩女子「どうしてもです!研究者じゃない女性と結婚してください!」

 一昨日かな、そんな夢を見た。起きて“この夢は一体何だ?”と思った。

 ちなみに、ここでの「後輩女子」は実在のそれで、柏在住で別の大学に通う院生である。もちろん、以上のような話を実際にしたことはない。

 で、そういう夢に関する日記「夢日記」をつけるのが下記の本の主人公、松枝清顕(まつがえ きよあき)。

 (つなげ方に無理があるなあ……)




 94 (227) 三島由紀夫『春の雪 豊饒の海(一)』新潮文庫、新潮社、1977年。

 単行本は1969年刊行。『豊饒の海』四部作第一巻。第四巻を書き上げたあと、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決したのであった。

 三島の文章は、これは以前にも書いたかもしれないが、読み手をぞくぞくさせるものがある。美しさというか、艶かしさというか、何というか。
 
 ちなみに、昧爽(まいそう)という言葉、ご存知ですか? 253頁に出てくる言葉なのですが、夜明け、とか、未明、といった意味です。文脈からそういう意味は取れるのですが、わたしはこの言葉をはじめて知りました。

 舞台は大正初期の貴族社会。主人公の清顕は学習院の高等科に通う学生。清顕が幼い頃にお世話になった綾倉家の娘、聡子は清顕が好きだが、そんな聡子を清顕は(好きなのに)好きではないかのように振る舞う。がしかし、聡子の別の男との結婚が決まると、清顕は聡子を猛然と追い求めるようになるのであった。

 これは高校生か、大学1、2年の頃に読んでおくべき本。
 
—————

「『すばらしい日だな。こんなに何もなくて、こんなにすばらしい日は、一生のうちに何度もないかもしれない』
 本多は何かの予感に充たされてそう思い、そう口にした。
『貴様は幸福ということを言っているのか』
 と清顕は訊いた。
『そんなことを言った覚えはないよ』
『それならいいけれど、僕には、貴様みたいなことはとても怖くて言えない。そんな大胆なことは』
『貴様はきっとひどく欲張りなんだ。欲張りは往々悲しげな様子をしているよ。貴様はこれ以上、何が欲しいんだい』
『何か決定的なもの。それが何だかはわからない』
(22頁。強調は引用者、以下同様)。

—————

自分を愛してくれる人間を軽んじ、軽んじるばかりか冷酷に扱う清顕のよくない傾向を、本多ほど前々からよく察している友はなかったろう。この種の倨傲は、十三歳の清顕が自分の美しさに対する人々の喝采を知ったときから、心の底にひそかに養われてきた黴のような感情だろうと、本多は推量していた。触れれば鈴音を立てそうな銀白色の黴の花」(25頁)。

—————

「そして〔日本に留学中のタイの〕パッタナディド殿下は、そのいかにも柔和な丸顔に似つかわしくない、鋭すぎる切れ長の目で、遠くのほうを眺めるようにして言った。
『僕はとりわけこの〔バンコックの〕お寺が好きなので、日本へ来る航海の途中にも、何度かこのお寺の夢を見ました。〔……〕
 僕はクリ〔同じくタイのクリッサダ殿下のこと〕にその話をして、お寺が日本まで追いかけてくるらしいと言ったのですが、クリは僕をからかって、追いかけてくるのは別の思い出でしょう、と笑うのです。そのたびに僕は怒りましたが、今では少しクリに同感する気持にもなっています。
 なぜなら、すべて神聖なものは夢や思い出と同じ要素から成立ち、時間や空間によってわれわれと隔てられているものが、現前していることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、いずれも手で触れることのできない点でも共通しています。手で触れることのできたものから、一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないような美しいものになる。事物にはすべて神聖さが具わっているのに、われわれの指が触れるから、それは汚濁になってしまう。われわれ人間はふしぎな存在ですね。指で触れるかぎりのものを瀆〔けが〕し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持っているんですから
『ジャオ・ピー〔パッタナディド殿下のこと〕はむつかしいことを言っているけれど、実は、別れてきた恋人のことを言っているにすぎないんですよ。清顕君に写真をお目にかけたらどうです』
 とクリッサダ殿下が話を遮って言った。〔……〕
『よく夢を見られるのですか? 僕も夢日記をつけているんです』
『日本語ができたら、ぜひ読ませていただきたいものだがなあ』
 とジャオ・ピーは目を輝かせて言った」
(53-4頁。〔〕内は引用者、以下同様)。

 わかるなあ。昨日の『エロ事師たち』にあるエロティシズムの思想にもつながるなあ。

—————

「その清顕も近づく新年には、十九歳になろうとしていた。彼をよい成績で学習院を卒業させ、やがて二十一歳の秋には、東京帝国大学の法学部へ進ませれば、〔松枝家の書生である〕飯沼の勤めは終るべき筈であるが、ふしぎなのは侯爵〔清顕の父のこと〕も、清顕の成績をやかましく言わないことであった。
 今のままでは、東京帝大法科大学への進学は覚束ない。華族の子弟に限って学習院から無試験入学の道がひらかれている京都大学あるいは東北帝大へ進むほかはない。清顕の成績はつねに程程のところに浮遊していた。勉強に精を出すではなく、さりとて運動に打込むではない。もしめざましい成績をあげていれば、飯沼にも誉れが及んで、郷党の讃嘆を受けることになろうが、はじめあせった飯沼もあせりを忘れた。どう転ぼうと、清顕が未来は少くとも貴族院議員になることは知れているのだ」
(78頁)。

 この時代の大学入試制度がどうなっていたのか、わたしはほとんど知らない。

—————
 以下、長い引用ですが、思想“史”を研究する意味について。

「『俺〔=本多〕はこの間うちから、個性ということを考えていたんだよ。俺は少くとも、この時代、この社会、この学校のなか〔ママ〕で、自分一人はちがった人間だと考えているし、又、そう考えたいんだ。貴様もそうだろう』
『それはそうさ』
 と清顕は、そんなときに一そう彼独特の甘さが漂う、不本意な、気のない声で答えた。
『しかし、百年たったらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中〔ママ〕へ組み込まれて、眺められる他はないだろう。美術史の各時代の様式のちがいが、それを情容赦もなく、証明している。一つの時代の様式の中に住んでいるとき、誰もその様式をとおしてでなくては物を見ることができないんだ
『でも今の時代に様式があるだろうか』
『明治の様式が死にかけているだけだ、と言いたいんだろう。しかし、様式のなかに住んでいる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも何かの様式に包み込まれているにちがいないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでいることを自分でも知らないように。
 貴様は感情の世界だけに生きている。人から見れば変っているし、貴様自身も自分の個性に忠実に生きていると思っているだろう。しかし貴様の個性を証明するものは何もない。同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしかすると貴様の感情の世界そのものが、時代の様式の一番純粋な形をあらわしているのかもしれないんだ。……でも、それを証明するものも亦一つもない』
『じゃ何が証明するんだ』
『時だ。時だけだよ。時の経過が、貴様や俺を概括し、自分たちは気づかずにいる時代の共通性を残酷に引っぱり出し、……そうして俺たちを『大正初年の青年たちは、こんな風な考え方をした。こんな着物を着ていた。こんな話し方をした』という風に、一緒くたにしてしまうんだ。
貴様は剣道部の連中がきらいだろう? あんな連中を軽蔑したい気持でいっぱいだろう?』
〔……〕『ああ、僕はああいう連中が大きらいだ。軽蔑している』
 本多は清顕のこんな気のない応待には今さらおどろかなかった。そして言葉をつづけた。
『それなら何十年先に、貴様が貴様の一等軽蔑する連中と一緒くたに扱われるところを想像してごらん。〔……〕
 そういう概観には、何が基準にされると思う? その時代の天才の考えかね? 偉人の考えかね? ちがうよ。その時代をあとから定義するものの基準は、われわれと剣道部の連中との無意識な共通性、つまりわれわれのもっとも通俗的一般的な信仰なんだ。時代というものは、いつでも一つの愚神信仰の下に総括されるんだよ』
〔……〕
『〔……〕ナポレオンの意志が歴史を動かしたという風に、すぐ西洋人は考えたがる。貴様のおじいさんたちの意志が、明治維新をつくり出したという風に。
 しかし果してそうだろうか? 歴史は一度でも人間の意志どおりに動いたろうか?〔……〕』
〔……〕
『〔……〕俺は全くの無意志的な歴史関与ということを考えているんだ。たとえば俺が意志を持っていたとする……』
『たしかに持っているよ』
『それも歴史を変えようとする意志を持っているとする。俺の一生をかけて、全精力全財産を費やして、自分の意志どおりに歴史をねじ曲げようと努力する。又、そうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は思うままの枝ぶりになってくれるとは限らないんだ。
 百年、二百年、あるいは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、意志どおりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとおりの形をとるかもしれない。俺の目が美しいと思うかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、俺の意志を嘲るかのように。
 それが歴史というものだ、と人は言うだろう
』」
(107-10頁。原文の傍点は省略)。

 研究行為としての哲学、の中の一派は、同時代の中に留まりながらも、しかし何とかその時代をまるごと理解して、かつ、相対化しようと試みる。

—————

何が清顕に歓喜をもたらしたかと云えば、それは不可能という観念だった。絶対の不可能。聡子と自分との間の糸は、琴の糸が鋭い刃物で断たれたように、この〔聡子と宮家の婚儀に関する〕勅許というきらめく刃で、断弦の迸る叫びと共に切られてしまった。彼が少年時代から久しい間、優柔不断のくりかえしのうちにひそかに夢み、ひそかに待ち望んでいた時代はこれだったのだ」(190頁)。

 無理だ、不可能だとわかってはじめて自分の気持ちにも素直になれる……。

—————

「『こりゃ日本に陪審制が布かれていたら、うっかりすると無罪になりそうなケースですね。口の巧い女にはかなわんですな』
 と又書生は繁邦〔本多のこと〕に囁いた。
 繁邦は思っていた。人間の情熱は、一旦その法則に従って動きだしたら、誰もそれを止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としている近代法では、決して受け入れられぬ理論だった。
 一方、繁邦はこうも思っていた。はじめ自分に無縁なものと考えて傍聴しはじめた裁判が、今はたしかに無縁なものではなくなった代りに、増田とみ〔=被告人〕が目の前で吹き上げた赤い熔岩のような情念とは、ついに触れ合わない自分を、発見するよすがにもなった、と」
(225-6頁)。

 本多は、だから清顕が聡子を求めようとする気持ちを止めようとはしないのだ。

—————

@研究室
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by no828 | 2009-12-07 12:47 | 人+本=体 | Comments(0)