思索の森と空の群青

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2014年 10月 30日

『死にたくない!』って言いながら死んだら、どうして駄目なんだろう——上原善広『聖路加病院訪問看護科』

c0131823_19305520.jpg上原善広『聖路加病院訪問看護科——11人のナースたち』新潮社(新潮新書)、2007年。26(849)


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 生命倫理への関心からと看護学校での講義のための勉強用に。最後から2番目の引用部分に共感しました。


 第二次大戦中は米国系の病院であったため白眼視された時期もあったが、東京大空襲では米軍機による爆撃をほとんど受けなかった。そのために築地一帯だけは聖路加国際病院の存在のおかげで、一つか二つの間違って落とされた焼夷弾以外、被害はほとんどなかったとされる。(6)

 この聖路加病院には各科それぞれに医師がいるが、聖路加の中でも唯一「医師のいない科」がある。それが在宅医療を専門に扱う訪問看護科である。(7-8)

 そもそも日本における訪問看護師のルーツは約百年前に遡れるほど古いものだが、きちんと制度化されたのは九二年からと、比較的最近である。これは超高齢化社会を見据えてのことだが、一面では膨大な医療費を削減したい政府方針により、入院期間を短くして自宅療養を推進するための制度化でもあった。長期入院から自宅療養の時代へ。つまり訪問看護の制度化は、まさにこれからの超高齢化社会の象徴でもあった。療養の現場は現在、病院から自宅へと移りつつある。この新しい流れについて、もっと知りたいと思った。
 そしてもう一つ、訪問看護師という仕事の特殊性にも興味を引かれた。一般の病棟に勤める看護師とは違って、訪問看護師は在宅療養している患者・家族と長期にわたって付き合い、訪問先ではたった一人で患者の状態を見極め、処置しなければならない。〔略〕
 そして最後に、これは私のもっとも興味を引かれるところであるが、この訪問看護という仕事は、否が応でも、人の生き死にに正面から向き合わざるを得ない
(9-10)

 神さまに質問
〔略〕
 選ばれたぼくは 生きるという命のたいせつさを
 社会の人たちに 教えることを 神さまが与えて下さった使命だと思いたい

 障害者は 社会が忘れていることを 思い出させるために
 神さまは派遣されたのだと思う


 この詩は、〔栗原征史が〕当時通っていた養護学校長の「君たちは世間が忘れていることを知らせるために、この世に生まれてきたんだ」という言葉から着想された。
(131-2)

 → 『神さまに質問——筋ジストロフィーを生きたぼくの19年』(ファラオ企画、1992年)
 → 改題『希望をもって生きてる——筋ジストロフィーを生きたぼくの19年』(ラ・テール出版局、1999年)

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 押川真喜子 ナースマネージャー(看護師長)
 まず院内での昼夜を問わない営業活動をさらに活発に行い、積極的に病棟に出かけては医師や病棟看護師と会う。安定している患者がいれば病棟、患者家族と話し合いの上で家に帰し、訪問看護の患者を増やす。結果的にこれが、安定しているのに長期入院している患者を自宅に帰すことができ、また患者側の医療費負担を軽くすることにつながった。そして訪問件数が増えるとそれだけで科の収入も増えるため、患者と訪問看護科のどちらにも利が出る。(105)

「でも最近もっと思うのは『いやだ! 死にたくない!』って言いながら死んだら、どうして駄目なんだろうってことです。八〇歳の人が『百まで生きたかったのに』って言うのはどうして駄目なんだろう。安らかに死にゆくというのは、『死の受容ができている』という言い方をするのですけど、どうしてそれが最良だといえるのでしょうか。『死の受容』なんて、残された者に対する配慮なだけじゃないのでしょうか……。〔略〕
 緩和ケアでは病気からくる身体の痛みだけでなく、そうしたスピリチュアル・ペインまで和らげようと頑張っているけど、実はそれはただ、おこがましいだけなのではないでしょうか。人間の限界を知らない若いナースが、それに取り組むのは必ずしも悪いことではないけど、スピリチュアル・ペインは、もしかしたら生への叫びなのかもしれないと思ってはいけないのかな
 私は、死の受容をさせることが、かえって良くない患者さんもいることを知っています。死の受容というのは、実はただ生への諦めであることも多いからです。反対に『いやだ、死にたくない』という患者さんは、可哀想な人なんかじゃなくて、かえって生に対してアグレッシブな人じゃないかと思います。『この人はすごく生きることを頑張ってるね!』って評価してあげちゃ、どうして駄目なのでしょうか。そして、それをサポートするのが私たちなんじゃないかとも。」
(180-1)

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 桐朋学園は、世界的指揮者である小澤征爾が卒業していることでもよく知られ、その前身は軍人の子息子女のための学校だった。しかし戦後になって東京教育大学と分離して桐朋学園として新たに発足して以来、音楽教育の実践の場となった。桐朋の“桐”は、東京教育大学の校章を表している。(140)


@研究室
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by no828 | 2014-10-30 19:49 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 10月 24日

わたしはこのとき、かつて社会の底辺に位置する肉体労働者に——上原善広『被差別の食卓』

c0131823_20424812.jpg上原善広『被差別の食卓』新潮社(新潮新書)、2005年。24(847)


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 世界各地で差別されてきた/されている人の側の料理のルポルタージュ。


アメリカ
 ソウルフードとは、まだアメリカが南北に分かれていた奴隷制時代、白人農場主の食べない食材を、黒人奴隷たちが工夫を重ねて作り上げた料理のことだ。〔略〕
 またソウルフードは、黒人奴隷をルーツにもつ料理であると同時に、南部の田舎料理でもある。これは、黒人奴隷がおもに南部の大農園で働かされていたことからきている。白人家庭で日々の料理を作っていたのが黒人奴隷だったことから、南部の白人の間でも、ソウルフードと今日呼ばれる料理を「南部郷土料理」としてよく食べている。
(15-6)

「ほら、鶏の手羽ってあるでしょ。フライドチキンが奴隷料理だったというのは、あの手羽先をディープ・フライしていたからなのよ。白人農場主の捨てた鶏の手羽先や足の先っぽ、首なんかを、黒人奴隷たちはディープ・フライにしたの。長い時間油で揚げると、骨まで柔らかくなって、そんな捨てるようなところでも、骨ごとおいしく食べられるようになる。焼くほど手間はかからないし、揚げた方が満腹感あるしね(19-20)

また当時の奴隷は肉体労働者がほとんどだから、腹持ちの良いフライ料理が好まれた(21)

「〔ミシシッピ州〕ナッチェスでは、黒人と白人の割合は半々くらいね。だけど便利な町の中心部では、住民の八〇パーセントは白人よ。学校も黒人と白人とは分かれているしね。
 ここにある私立校なんて、白人生徒一一〇〇人に対して、黒人の生徒はたったの一〇人だけ、市役所で市政に関わっているのもほとんどが白人よ」
(37)

「アメリカの黒人の間では、ミシシッピとアラバマがとくに評判が悪いのよ、差別が強いって」(37)

 しかし、ソウルフードの本質というのは、実はその味にはない。
「本当においしいソウルフードの店はどこ?」とアメリカ黒人(アフリカン・アメリカン)に問えば、ほぼ全ての人が「母の作ったソウルフードが一番」と答えるだろう。これは、ソウルフードというものが基本的には家庭料理のことを指すので、きわめて当然のことなのだ。
(49)


ブラジル
ブラジルでは小学校から私立と公立に分かれるのですが、私立はほとんど白人で占められています。反対に公立はひどい状況です。教員の給料や待遇が悪いためにストも頻繁におきますし。それでここに学校をつくったのです。しかし、それから上への進学率は大変低いのです。大学は公立の方が環境も良いのですが、黒人で大学に進学できる人はほとんどいません。だいたい大学に進学する前のステップで道は閉ざされているのです」(66-7)


ブルガリア
欧州では、ハリネズミを食べるのはロマだけなのだ。そのためにハリネズミは「ロマの豚」と形容されることもある。〔略〕
 こと食事に関しても、ロマ以外の、外部の人間の作ったものはすべて穢れている(外部の人間自体が穢れているから)とする彼らは、例えば乞食であっても他人の残飯を口にしないといわれているほどだ。また動物においても、自分の身体を舐める猫は外部の穢れを内に取り込んでいると見られ、敬遠される。蛇が嫌われるのは、ほかの動物を穢れた外皮ごと丸呑みしてしまうからだ。
 そうした意味でハリネズミは、彼らの穢れ観をもっとも満足させる、清浄な動物だと考えられている。
〔略〕彼らはその穢れ観によって一般人から自らを隔離し、あたかも“ハリネズミ”のように自身を守ってきたのである。
(84-5)


ネパール
横を見ると、茶店の婆さんが砂糖の入った袋を客の女に渡すところだった。婆さんは「ほれ」という風に、決して女に触れないようぽとっと、女の手に、砂糖の入った袋を落とし、代金をもらっていた。〔略〕
 相手に触れないで商品を渡すには、相手の手にぽとっと落とすしかない。客の女は、不可触民であった。決して触れられない、穢れた民。
(129-30)

 また不可触民の中には、バディという、売春を生業とする民もいる。これは相手に触れなければ性交できないのだから、不可触民というには言葉としておかしいのだが〔略〕(132)

 昔はヒンドゥー教徒もみな、牛肉を食べていたといわれている。それが食べなくなった理由には、もともと牛が重要な家畜で富の象徴だったこともあり、仏教の殺生観も影響して食べなくなったのではないかと考えられている。〔略〕
 そこで牛を食べることをタブーとするため、不可触民がその役割を担わされることになった。牛をタブーとすることで、それに関わる人々を穢れていると“見せしめ”にすることで、一般民衆に牛肉食を忌避させる思想を広めさせる。そしてアーリア人はさらに菜食主義的傾向を強め、自らの神秘性を高めるようになったのである。
(153)


日本
「なんやねん、ちりめんジャコやったら何千匹殺してもええのに、なんで牛とか豚やったら差別されなあかんねん(168)

 外も暗くなり、もうぶっ倒れるのではないかと思った頃、親父がいなくなったのを見計らい、古参の従業員が「な、よっちゃん。これでちょっとそこまで買いに行ってくれへんか」と、千円札をわたしに握らせた。
 わたしがそれで買えるだけのカップ酒を買って帰ると、ちょっとした酒盛りとなる。皆、ぱかっと蓋をとって二口ほどで空にしてしまう。「よっちゃんも呑み」と中学生だったわたしにもそれは渡され、おかげで秘密を共有させられることになる。
 その頃まったく飲めなかった酒も、あまりの疲労からか、不思議とおいしく感じられた。わたしが空にしたころには、もう他の人はそれぞれの部署について仕事を始めている。
 わたしも、肉塊を真空パックしていく下っ端の作業を再開すると、やがて体がぽかぽかと温まり、さっと顔に血の気がさすようになる。さっきまで石の地蔵のように強張っていた体の節々がやわらかくなり、また仕事ができるようになる。わたしはこのとき、かつて社会の底辺に位置する肉体労働者になぜアルコール依存症が多かったのか、理解できたのだった。
(179-80)


@研究室
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by no828 | 2014-10-24 20:51 | 人+本=体 | Comments(0)