思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
ブログトップ

タグ:北村薫 ( 12 ) タグの人気記事


2014年 03月 31日

勿論、答えは《知らない》でいい——北村薫『鷺と雪』

c0131823_18271326.jpg北村薫『鷺と雪』文藝春秋(文春文庫)、2011年。130(785)

版元 → 
単行本は2009年に同春秋

 ベッキーさんシリーズ最終巻。時代は昭和11年2月。帯には「良家の女学生・英子と女性運転手が、帝都・東京で起きる謎を解き明かす」とあります。この「女性運転手」別宮(べっく ← 名字です)を英子は「ベッキーさん」と呼びます。


「俺達も、社会見学に行くことはある」
 雅吉兄さんは、現在、三田にある私立大学の大学院に通っている。そんな年になって、学年揃っての見学会などあるのだろうか。〔略〕
「社会事業研究会というのに入って、一円払う。すると、現代の暗黒街が見学出来るんだ。まあ、見られる側からすれば、《見学》じゃなくって、《見物》。物好きな金持ちの、物見遊山にしか思えんだろうがね」
「どこに行ったの」
「浅草の裏の顔を覗いたよ。歩いて、あれこれ見た。十六銭・二十八銭の宿泊所まで行った。食事の方は、一番安くすますには、おかずなしの飯だけ。――二銭だ
「……」
そこで、案内の人がいった。ひとつ、はしご段を踏み外すと、落ちるのは簡単。こういうところにも、案外な学歴の人がいたりするってな……
(16-7)

 見たように撮れるところまで行っていない。人間の眼はたいしたもので、明るいところ暗いところで、絞りを自動的に調節出来る。写真機はそうはいかない。あれやこれやと面倒だ。それこそ、体の一部のようになるまでには、かなりの時間がかかることだろう。
 わたしは今まで昼間の、それも、お天気のいいところでしか撮影していない。こんな夜では、うまく写せないに決まっている。ましてや相手はお月様。天空の一点だ。印画紙の上では、何が何やら分からなくなってしまうだろう。
〔略〕
 そう考えているうちに、月は雲の波間に隠れてしまった。仮に腕がよくても、これでは間に合わなかった。
 《真を写そう》にも、《機》がなければ仕方がない。家に入ることにした。
(181)

「絵本、買って頂戴」
 そういえば、薄い本の束を抱えている。どこかで処分されたものだろうか。色とりどりだが、綺麗な本とは思えない。
 それでも、あまり嫌な気持ちにならないのは、少女の賢そうな顔立ちによるのかも知れない。
「おうちで、……妹と弟が、お腹を空かして寝ているの」
 荒れ果てた家の内が浮かんだ。
「四冊十銭なんだけど……」
 そういわれて、心が動いた。十銭なら、わたしにとって、どうということのない金額だ。それで、この子が助かるなら出してもいい。しかし、絵本はいらない。処分に困る。売れるものなら、他の人に売ってもらいたい。かといって、ただお金をあげるのは失礼だろう。子供心を傷つけてしまう。
 ――年頃からいえば、ちょうど鶴の丸の巧君ぐらいだろうか。
 そこで、いい考えが浮かんだ。
「あのね、お姉さんはね、今、あることを調べてるの。質問に答えてくれたら、十銭あげましょう」

 少女は不審げに眉を寄せた。商売を取り締まる側の人間かと、勘ぐったのだろう。わたしは、急いで言葉を継いだ。
「――この上野で、《ライオン団》なんて聞いたことないかしら?」
 勿論、答えは《知らない》でいい。お金をあげるための方便だ。
(134-5)

 この最後の引用文のあとから物語の文脈が一気に転換します。ここで引用を止めるのは、物語の展開からするとよろしくないのですが、わたしの引用は大体本筋とは無関係な、部分的なことのほうが多いのです。この引用は、むろん「援助」とは何かを思考する契機を与えてくれたからです。

@研究室
[PR]

by no828 | 2014-03-31 18:30 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 16日

《わたしよりも、異教徒一人の命の方が、よほど大切なのだ》と説く神がいたら——北村薫『玻璃の天』

c0131823_18224659.jpg北村薫『玻璃の天』文藝春秋(文春文庫)、2009年。114(769)

版元 → 
単行本は2007年に同春秋。

 短篇集〈ベッキーさん〉シリーズ第2弾、舞台は昭和初期の帝都、「ベッキーさん」とは令嬢付きの女性運転手。ちなみに第1弾は『街の灯』(→ )。


「わたくしが、あちらで御同席しにくいのは、華美な料理があるからです。おそらくあなたは、料理の値段など御存じないでしょう」
「……いえ。あるところで、夕食をとりました。確か、五円ぐらいだろうという話でした」
「そうですか。わたくしの部下達の、生家の生活ぶりをお知りになれば、それが彼らにとってどれほどの金額に当たるか、きっと驚かれると思います。地方といわず、この東京でも、日の出前から働きづめに働いて、日に五十銭、六十銭しか手に入らないという人間も珍しくはないのです」
 返す言葉がなかった。
五円あれば、五十人の飢えた者がカレーライスを食べられる。……あなたのおっしゃった行進の列に、そういう多くの者達が胸を張り、喜びと共に加われるなら……それが、どのような行進であれ、わたくしは心より支持いたします
(「幻の橋」61-2)

もし自分にさ、ああいう姉がいたらどうだい。軍隊に行っている最中に、あんな詩を書かれたら——
 一瞬で分かった。
「ああ……」
「毎日、どんな目にあわされるか分からない。逃げ場のないフライパンの上で炒られるようなもんだ。俺だったら、血の涙を流して姉さんを恨み抜くと思うな。《自分の考えだけいえばいいのか、俺はどうなってもいいのか》って。——結局のところは、決死隊にでも志願して華々しく死んでみせる以外に、道はなくなる」
(「玻璃の天」159)

「だがね、俺には、御立派で荘厳な神様なんか、いらない。——《わたしよりも、異教徒一人の命の方が、よほど大切なのだ》と説く神がいたら、——そういうことを、勇気を持って語れる神が現れたら、その時こそ、俺は神の前に跪くね(「玻璃の天」201)


@研究室
[PR]

by no828 | 2014-02-16 18:23 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 24日

気付いたからには、末路哀れは覚悟の上といわねばなりますまい——北村薫『冬のオペラ』

c0131823_17141376.jpg北村薫『冬のオペラ』角川書店(角川文庫)、2002年。61(716)

2000年に中公文庫

版元 → 


 名探偵 巫 弓彦(かんなぎ ゆみひこ)と、その探偵ぶりの記録者「わたし」姫宮あゆみ の物語。「わたし」の勤める不動産屋の上階に探偵事務所がある、という環境です。「名探偵・巫弓彦」の看板に「?」となるところから物語ははじまります。ただ、この「名探偵」はアルバイト掛け持ちです。アルバイト掛け持ちに、わたしは親近感を抱きます。大学や短大や専門学校の非常勤講師の仕事は、わたしの父に言わせれば「アルバイト」です。しかしわたしは、名探偵ではない。

「名探偵はなるのではない。ある時に自分がそうであることに気づくのです。いいですか、そのまま頬被りして、死ぬまで、平穏な一般人としての道を歩むことも出来る——」
〔略〕
ゴーギャンはマルキーズ諸島、ヒヴァ・オア島でごみのように死んだそうです。自分が画家であることに気付かなければそんなこともなかったでしょう。気付いたからには、末路哀れは覚悟の上といわねばなりますまい
 わたしはいった。
「《名探偵》って、可哀相なんですねえ」
(24-6)


@研究室
[PR]

by no828 | 2013-07-24 17:24 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 02月 14日

人が生きていくのも難しいけれど、人と人が生きていくのも難しいですね——北村薫『覆面作家の夢の家』

c0131823_15213484.jpg北村薫『覆面作家の夢の家』角川書店(角川文庫)、1999年。8(663)

単行本は1997年に同書店より刊行。

版元 → 


 覆面作家シリーズ最終巻。全3巻。シリーズ全体の結末は予想できました。

 一読して引用すべきところが見つからなかったのですが、これを書くにあたってぱらぱらとめくっていたら以下の文章が目に止まりました。こういうこともあります。

人が生きていくのも難しいけれど、人と人が生きていくのも難しいですね(124)


@研究室
[PR]

by no828 | 2013-02-14 15:26 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 02月 13日

人の頭の中のことって、どこまで他人に向かって手を伸ばせるんだろう——北村薫『覆面作家の愛の歌』

c0131823_1552511.jpg北村薫『覆面作家の愛の歌』角川書店(角川文庫)、1998年。7(662)

単行本は1995年に同書店より刊行。

版元 → 


 北村薫を続けます。覆面作家シリーズ第2弾。“お嬢様名探偵”は作家でもあり、その編集者とのやりとりが軸になっています。

「研修期間が終わって、今の雑誌に配属されましてね。その時、一番最初に声をかけてくれたのが、先輩なんですよ」と、千秋さんに思い出を語ってみる。「分からないことがあったら、どんな馬鹿馬鹿しいことでもいいから聞け。ただし、同じことは二度聞くな、って」(25)

「B5にしろ、文庫にしろ、ハードカバーにしろ長方形。書く者、作る者、読む者、皆な、紙の四角が繋ぐんだね。——海の向こうとこちらに分かれても、——間で、泡だつ波や不機嫌な雲、それから気まぐれな風がいっくら騒いだって、本を手にしたら、いつだってあの人に会える。本を作る仕事って、そういうものなんだね」(25-6)

「人の頭の中のことって、どこまで他人に向かって手を伸ばせるんだろう」
 しばらく歩くと運河である。かかるのは黎明橋。
「それは——横恋慕から愛、それから思想、信念まで含めてのことですか」
「そうだよな。考えたら話はそこまで行っちゃうよな。《信念のためなら死ねる》——そいつは分かるな。けど、《信念のためなら殺せる》——となったら、あたしには分からない。でもさあ、主義主張のために殺される人って、世界に数限りなくいたし、いるし、これからもいるわけだろう。他人の胸の中にある秤にかけられてさ。だとしたら、そんな働きの出来る頭や心なんてものが、どうしてこの世にあっていいんだろう
 心は人を食うことがある。それを考えているのが、他ならぬ自分の頭であり、心であるのをもどかしがるように、千秋さんはこぶしを小さく合わせた。
(202-3)

「小さいものって可愛いだろう」
「そうですね」
あたし、今、これを見下ろしてる。そして可愛いと思っている
「はい」
だとすると、そういうのって、生意気じゃないかな
(205)


@研究室
[PR]

by no828 | 2013-02-13 16:22 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 02月 12日

気がすめば、それでいいんですか——北村薫『覆面作家は二人いる』

c0131823_1523074.jpg北村薫『覆面作家は二人いる』角川書店(角川文庫)、1997年。6(661)

単行本は1991年に同書店より刊行。

版元 → 


 引き続き、北村薫です。「覆面作家」シリーズ第1弾。第3弾で終わります。“お嬢様が名探偵”という設定は比較的(何と比較しているのかはわかりませんが)多いような気がします。なぜでしょう?

「そんなのは推理じゃなくて、知識じゃありませんか」
 お嬢様は動きを止め合わせた手をそっと離すと、いじめっ子にいじめられたような哀しそうな顔をした。
……知識を結び付けるのが、頭の働きじゃないでしょうか?
(35)

「相手の問題だっていうかもしれないけど、結局さ、お父さんがそのままでいてくれないのが哀しいんだろう
〔略〕
「そんな子供じゃないよ」
〔略〕「あんたは子供じゃなくなった。妹だってそう。自分達が動いてるじゃない。流れてるじゃない。赤ん坊のままで、三つのままで、五つのままで、いてあげられないじゃない。それなのに、お父さんだけに変わるなっていうのは、卑怯だよ
(139-40)

「警察の人は、それで食べてるんだもの。いいじゃない」
〔略〕
「そういうのって許せないな」
「何よ」
〔略〕
だったら、あんた、お医者さんがもうからなくなったらいけないから、死ぬような病気でもそのままでいたいと思う? 警察の人の仕事がなくなると大変だから、人殺しはあった方がいい? 掃除する人の仕事が減ったらいけないから、駅に空き缶捨ててもいいの? そんなのって、絶対におかしいじゃない。病気だって、人殺しだって、ごみの投げ捨てだって、ない方がいいのに決まってる。でも、でもね、哀しいことにそれがあるんだ。なくならないんだよ。だから、いろんな人達がその哀しさに立ち向かってるんじゃないか。そうだろう。それなのに、そんないい方するなんて、許せるわけがないよ」
(140-1)

「そんなこというもんじゃありませんよ」
 千秋さんは、独り言のように、
「いわなきゃ、気がすまないんだ」
気がすめば、それでいいんですか
(181)


@研究室
[PR]

by no828 | 2013-02-12 15:45 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 02月 11日

《あのような家に住む者に幸福はない》と思うのも、ひとつの傲慢だと思います——北村薫『街の灯』

c0131823_1643773.jpg北村薫『街の灯』文藝春秋(文春文庫)、2006年。5(660)

単行本は2003年に同春秋より刊行。

版元 → 


 北村薫のミステリ。ベッキーさんシリーズだそうです。短大日本文学専攻の学生から教えてもらいました。舞台は昭和7年の東京。ただし、シリーズ名は「ベッキーさん」なのに主人公はベッキーさんというより英子なの? という構造になっています。「主人公」が物語を貫通する一定の視点を意味するならば、それは「英子」なのですが、そうすると「ベッキーさん」はどこに位置づくのか、“主人公女子探偵の運転手 兼 助手”ということでもなさそうです。

「今のようなことを聞かれると、あれも決してまぐれ当たりではないと思うな。捜査の担当者に英子ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものだ。何によらず、物事というのは汽車の窓から眺める風景のように、我々の前を過ぎて行く。その中から、《おや、あれは何だろう》《どうして、あんなことになるのだろう》という疑問を見つけるのは、実は、想像以上に難しいことなのだよ(208)

——要するに、わたしは、わたしの心を観ていたのね。《お前の見る夢の正体などこんなものだ》ということでもあり、逆にいえば、《本当にいいものが目の前に現れても、お前には、おんぼろの浮浪者にしか見えない》ということでもある。——わたしが会えるのは全て駄馬なの。——そして仮に、千里を行く馬から見れば、わたしの方がただの駄馬なのよ(260)

 わたしは、そして、たった今、見た風景について聞いた。
ああいう人達は、ご飯とかちゃんと食べているの
「貧しいといえば、あのような家を持たない人は幾らもおります。ご承知でしょうが、東北の方では、飢えのために、かなりひどい話も出ております」
「わたしは、朝昼晩、食べるものがあるのを当たり前だと思っている。気に入らないと残したりする。この世には、そうでない人達が幾らもいるわけよね」
「残念ながら、さようでございます」
「井関さんが、瓜生家の使用人でなかったら、当然、全ての扱いが違っていた。そういうことを考えると、我々のような人間とそうでない人達のいることは、とても不当なことに思える。でも、実際に、今のような家を見て、《あそこに住め》といわれたら、震えてしまう。とても出来ない
「お嬢様——」
 とベッキーさんは静かにいった。
《あのような家に住む者に幸福はない》と思うのも、失礼ながら、ひとつの傲慢だと思います
(263-4)


@研究室
[PR]

by no828 | 2013-02-11 16:27 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 09月 06日

損するのが分かってても、出さなきゃいけない本て多いでしょう——北村薫『朝霧』

c0131823_14522541.jpg
134(594)北村薫『朝霧』東京創元社(創元推理文庫)、2004年。

単行本は1998年に同社より刊行。

版元 → 


 「円紫さんと私シリーズ」の5作目です。本作は、この「私」が大学を卒業して出版社に勤めはじめて2年目くらいのお話です。

「——いいかい、君、好きになるなら、一流の人物を好きになりなさい。——それから、これは、いかにも爺さんらしい台詞かもしれんが、本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ」(40)

 しかし確かに、何かに堪り兼ねたところでぽろりと出て来るのが、表現というものではなかろうか。(60)

損するのが分かってても、出さなきゃいけない本て多いでしょう。本屋って、たまたま損するわけじゃあないのよ。本屋が稼ぐっていうのは、売れない本のため。ね、社員のためじゃないの。一億入ったら、《ああ、これだけ損が出来る》と思うのが、本屋さんなの」(99)


@研究室
[PR]

by no828 | 2012-09-06 15:05 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 07月 11日

何事かを追求するのは、人である証に違いない——北村薫『六の宮の姫君』

c0131823_10145417.jpg
104(564)北村薫『六の宮の姫君』東京創元社(創元推理文庫)、1999年。

版元 → 

単行本は1992年に同社より刊行。


 円紫さんと私シリーズ第4弾。あるいは噺家と女子大生シリーズ第4弾。相も変わらず本筋とは関係なく引用します。

 自分の昔に少し重なりました。
「男に本音をいわせる女、高岡正子」
「変なキャッチフレーズだ」
 そこで正ちゃんは注釈をつけてくれる。
「この人、《政治》でしょう。高校の頃から国連の仕事とか、そういうのやりたくて〔大学の学部・専攻を〕選んだんだって。いってみれば、まあ見通しがあったわけね。ところが、実際就職のこと考え出すと、そういうところは《政治》じゃないんだって」
「何なの」
「《語学》なのよ、結局。採るのは、そっちの方の人なのね。だから空しいんだって」
「空しいっていっちゃうと、どうもね。勉強はやっぱり役に立ったよ。嫌いじゃないし。ただ、いきなりじゃなくて最初から考えてた方針が違ってたっていうと、これはショックだよね。何よりもまず国際政治とか、そういうことを勉強すればいい、という頭しかなかったんだ」
 うーん、と考え込んでしまう。私は《文学部しかない》と決めていて、それが何のためとは思わなかった。しかし、勉強が、それ自体のためというより、ステップであるということも当然あるわけだ。いや大学という存在の《機能》を考えたら、そちらの方が自然なのかもしれない。
(13)

 
 食堂などの商品見本製作所に関する記事を読む「私」。
インタビュアーが《難しいところは?》と尋ねる。技術的な質問だったろうに、言下に返った答えは《どこで止めるかです》。なるほど。
 例えばしゃけの切り身を、現物から、というより、この場合なら高橋由一の絵から切り取ったようになるまで克明に描いて行く情念の行為。それが、一日幾つも作らねばならない仕事となったら、《どこで止めるか》とのせめぎ合いになるのは必至だ。
 そこで思う。何事かを追求するのは、人である証に違いない。
(20)


 関東大震災の頃、菊池寛が文学は無用だといった趣旨のことを発言したらしい。
 《たかが有用でしかない》ものもある。それがよいものであるかどうか、用の有無などで測れる筈がない。突き詰めれば、赤ん坊の微笑みも笹の葉のそよぎも、生きるためには不必要かもしれない。だが、そんなことをいい出せば、——何が無用かといい出せば、行き着くところでは、あらゆるものが朧な影の中に沈んでいくのではないか。ついには自分すら。(174)


 佐藤夕子の「解説」。
なに、学問というのは、もともとミステリ向きなのである。謎を発見して武者ぶるいし、答えを見つける過程で手に汗握り、得られた手応えに躍り上がる。ほら、同じでしょう?(280)


@研究室
[PR]

by no828 | 2012-07-11 10:39 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 07月 08日

他人様が自分で判断したことをそんな風に論評するなんて僭越だよ——北村薫『秋の花』

c0131823_14373520.jpg
103(563)北村薫『秋の花』東京創元社(創元推理文庫)、1997年。

版元 → 

単行本は1991年に同社より刊行。


 「円紫さんと私」シリーズ、第3弾です。「正ちゃん」がなかなかの切れ者です。

「そうなの。私が話したせいもあるでしょうね。生徒会やらなかったら、こんなことにもならなかったのにね……」
 正ちゃんは、すぐに、
「そんないい方するんじゃないよ。そんなの、生まれて来なかったら死にもしないのに、っていうのと同じことじゃない。大体が、他人様が自分で判断したことをそんな風に論評するなんて僭越だよ
 私は、うん、と頷く。
(22)

「まあ、何にしても、全部が全部見えちゃうなんてことの方が、世の中には少ないんだろうけどね」
全部見えちゃったら、生きてなんかいけないよ
 正ちゃんは軽く腰をかがめ、蜻蛉の大きな目の前で、指をくるりくるりと回し出す。
(36)

「嘲笑じゃありませんよ。にこりとした、何ともいえない、いい笑いでした。そして、津田はいいました。《先生、美術をとったのは無駄だと思いますか。わたしは、同じものだと思ってやっています。字はうまくありませんけれど、書道にしてもそうだと思います。本を読むのも、道を歩くのも、こうやってお話ししているのも全部同じところでつながっているんだと思います》。僕はね、正直、羞ずかしかったですよ」(153)

 

@研究室
[PR]

by no828 | 2012-07-08 15:34 | 人+本=体 | Comments(0)