思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
ブログトップ

タグ:奥田英朗 ( 13 ) タグの人気記事


2017年 04月 27日

スポーツにおける着地とは「現実」との接点なのである——奥田英朗『延長戦に入りました』

 奥田英朗『延長戦に入りました』幻冬舎、2003年。45(1043)

 http://www.gentosha.co.jp/book/b3073.html|単行本は2002年に同舎


c0131823_14252015.jpg


 エッセイ集。なるほど、と思わせる視点と着眼点。わたしも忘我の境地に浸ることがなかなかできません。別のところに視線をちらっと注いでしまっていることが多いです。何となく、タイトルと表紙写真が合っている気がします。


14-5)たいていの場合、人は自らのエゴにすら気づいていない。自分の感情が何よりも優先するものだと信じている。〔略〕
 私はその昔、イベントの仕事で客の整理を数多くこなしてきたから実感できる。
「このロープから出て歩かないでくださーい」〔略〕
「あっ、そこのあなた。順番ですから、ロープの中に並んでください」〔略〕
「ちょっとそこのボク、入っちゃダメだって」〔略〕
「てめーら入るなっつーのがわからんのか!」
 とまあ、このように疲れてしまうのが集団エゴとの戦いなのである。こういうとき、私は金日成主席の気持ちが理解できる気がする。人民に自由を与えるとロクなことはないと全体思想に走ってしまいそうになる。 ※「客席の集団エゴと案内嬢のひとりごと」


26-7) ところで、こうしたところに目が行ってしまうのは、きっと私の覚醒した性格によるものだと思う。たとえディスコの喧騒の中でも、私は忘我の境地に浸ることができない。我を忘れて熱狂するということができない。頭の底は常に冷めているから「おろ? あそこに変わった人が」と妙なことに気づいてしまう。〔略〕
 もちろん、だからといってスポーツや音楽を楽しんでいないわけではないので誤解しないように。興奮も感動もする。ただ、みんなが100パーセントの意識を傾ける中でも、私はそれを90パーセントくらいにしておくから、残りの10パーセントで人とは別のものを見てしまうのである。 ※「日常の真実と私の目の行きどころ」


28) どうして延長戦まで死力を尽くして戦った両チームが、あんな単純なジャンケンのような方法〔=サッカーのPK戦〕で勝者と敗者を決めるのか、彼らには不思議でしょうがないのである。ここまでやったなら、あと30分でも1時間でもケリがつくまでゲームを続ければいいではないか、というのがアメリカ人の素朴な感想なのだ。
 言われてみればそうだ。たとえばベースボールにおいて、「延長12回を戦ったけど決着がつかなかったのでこれからホームラン競争をして勝敗を決めまーす」などということになったら、観客は黙ってはいないだろう。オールスター・ゲームの余興じゃあるまいし、なぁにがホームラン競争だ、ふざけるな、である。 ※「あいまいな日本と優勢勝ち」


38) つまり、図式としては「主張」→「逆らう者なし」→「そうか自分は正しい」→「信念」。 ※「格闘家の信念と小心者の世渡り」


172-4) さらにはバーを越えればいいという刹那的考え方も私の美学は受け入れることができない。背面跳びが生まれた背景には、はっきりと着地用クッションの存在がある。あれがなければ背中から着地しようなどと思いつく奴はいなかったはずである。〔略〕
 あの跳び方を見よ。着地のことなどまるで考えていないではないか。バーを越えたらこっちのもの。あとはクッションさんお願いね、という甘えた根性が滲み出ている。実用性ゼロ、なのだ。
 たとえばここに高さ2メートルの柵があったとしよう。その鉄線には高圧電流が流れている。触れたら一瞬のうちに死んでしまう。その柵の中に何人かが閉じ込められている。誰かこの柵を飛び越えて、助けを求めに行かなくてはならない。その中に二人のハイジャンプの選手がいた。一人は背面跳びで2メートル40の記録をもつ世界的アスリートで、もう一人はベリーロールで2メートル05の記録しかない平凡な選手である。柵の中に閉じ込められた人々がこの幸運に喜んだことは言うまでもない。2メートル40も跳べる人がいる。2メートルの柵など楽勝ではないか。さっそく飛び越えて助けを呼んでくれないか。ところが背面跳びの世界的アスリートは断るのである。
下はコンクリートじゃないですか。クッションがなければ跳べませんよ
 こんなひ弱な野郎が表彰台に並んでいいわけがない、と思いませんか?〔略〕スポーツにおける着地とは「現実」との接点なのである。どこまで凄いことをして無事に生還できるか、それが着地の意味するところなのである。つまり、トリプル・ルッツを決めて、なおかつ着地するからフィギュアの伊藤みどりはエライのである。ブブカはたいして役に立たない奴なのである。 ※「ハイジャンプと着地という現実」


196) 私は、今のプロレスは誰もが了解済みのフィクションの世界にはまり過ぎているのではないかと思う。あのミもフタもない明るさ、会場の温かさ、「お約束」の数々、あまりに予定調和で私はその輪に加わることができない。私が見た1966年の試合は、たとえ嘘でもノンフィクションと信じるに足る切迫感があった。 ※「ジャイアント馬場が本当に強かった1960年代」


@研究室


[PR]

by no828 | 2017-04-27 14:38 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 26日

この町に縛る理由を聞きたいものだ。地元に魅力がないのは、大人たちが無能なせいだ——奥田英朗『無理』

c0131823_20143944.jpgc0131823_20104959.jpg奥田英朗『無理 上・下』文藝春秋(文春文庫)、2012年。119(774)

版元 → 上 
     下 
     特設サイト 

単行本は2009年に同春秋


 架空の地方都市 ゆめの市が舞台。地方都市はあくまで都市。わたしの育ったところは都市ではないのだと再確認しながら読みました。

 2番目、3番目の引用文にしばし唸りました。むろん「教育」というものに改めて思いを致したわけです。うーむ。


 ゆめの市は、三つの町が合併して一年前にできた新しい市だ。市になるなり、生活保護家庭が激増した。これまでの世間体が薄れたことが要因だと、ある議員は分析していた。案外そんなものだろう。分母が大きくなれば、個人は図々しくなるのだ。(17)

 一家で地球の裏側へ出稼ぎに行くとはどんな感じだろう。人種差別を受けるのはどんな気持ちだろう。人を刺したときってどんな感触だろう――。
 夕方の出来事が頭から離れないので、明日の予習はあきらめた。茶の間でテレビを眺めていたら、父が「勉強はいいのか」と言い出し、進路について釘を刺された。それなりのレベルの大学でなければ東京へは行かせない、というものだった。
 行かせない、という言い草が癇に障ったので、「わたしの将来はわたしのものです」と口をとがらせて二階の勉強部屋に逃げた。
 この町に縛る理由を聞きたいものだ。地元に魅力がないのは、大人たちが無能なせいだ。観覧車なんて馬鹿も馬鹿の思いつきだ。
(110)

「おれ、思うんだけど、男はやっぱり稼ぎだな。女房だってここ最近はやけにやさしくて、遅く帰って『メシ』って言っても、ちゃんとした料理が出てくるしな。前だったら、お茶漬けでも勝手に食べてろってものさ。先月、真珠のネックレス買ってやったら、こっちがびっくりするくらいよろこんでよ。女はゲンキンだ。愛より金だ。」
「そうッスね。いい服着て、いい車に乗ってると、ナンパし放題だし」
結局おれたちみたいに、学校を落ちこぼれた人間はよォ、稼ぎで自分を証明するしかないわけよ。一流企業に入れるわけでもないし、いまさら芸能人だのレーサーだのになれるわけでもなし。だったら、どんな家に住んでるかとか、どんな車に乗ってるかとか、子供にどんな服着せてるかとか、そういうので上を目指さないと、誰からも相手にされねえだろう。ビッグにならねえとよ、ビッグに
(193)

 読書中にこの3番目の引用部分に差し掛かったとき、ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』(訳書版元 → )が頭に浮かびました。本書では、学校文化から主体的に離脱していく「野郎ども」の様子が描かれています。

@研究室
[PR]

by no828 | 2014-02-26 20:18 | 人+本=体 | Comments(0)
2014年 02月 22日

引用のない本——奥田英朗『ララピポ』太田忠司『奇談蒐集家』髙村薫『黄金を抱いて翔べ』

 引用なし3冊。3冊なのはタグが3つまでだからです。


c0131823_18102189.jpg奥田英朗『ララピポ』幻冬舎(幻冬舎文庫)、2008年。117(772)

版元 → 
単行本は同社より2005年

 裏表紙の説明。「みんな、しあわせなのだろうか。「考えるだけ無駄か。どの道人生は続いていくのだ。明日も、あさっても」。対人恐怖症のフリーライター、NOと言えないカラオケボックス店員、AV・風俗専門のスカウトマン、デブ専裏DVD女優のテープリライター他、格差社会をも笑い飛ばす六人の、どうにもならない日常を活写する群像長篇」。


c0131823_1893749.jpg太田忠司『奇談蒐集家』東京創元社(創元推理文庫)、2011年。118(773)

版元 → 
単行本は同社より2008年

 裏表紙とは微妙に異なる版元サイトの説明。「求む奇談、高額報酬進呈(ただし審査あり)。新聞の募集広告を目にして酒場に訪れる老若男女が、奇談蒐集家を名乗る恵美酒と助手の氷坂に怪奇に満ちた体験談を披露する。シャンソン歌手がパリで出会った、ひとの運命を予見できる本物の魔術師。少女の死体と入れ替わりに姿を消した魔人。数々の奇談に喜ぶ恵美酒だが、氷坂によって謎は見事なまでに解き明かされる!」。


c0131823_1893229.jpg髙村薫『黄金を抱いて翔べ』新潮社(新潮文庫)、1994年。119(774)

版元 → 
単行本は同社より1990年

 裏表紙の説明。「銀行本店の地下深く眠る6トンの金塊を奪取せよ! 大阪の街でしたたかに生きる6人の男たちが企んだ、大胆不敵な金塊強奪計画。ハイテクを駆使した鉄壁の防御システムは、果して突破可能か? 変電所が炎に包まれ、制御室は爆破され、世紀の奪取作戦の火蓋が切って落とされた。圧倒的な迫力と正確無比なディテイルで絶賛を浴びた著者のデビュー作」。

 長谷部史親の解説。「ひとつの小説をめぐって、何を読み取り、どのように楽しむかは、個々の読者の裁量に完全に任されている。百人の読者がいれば、百通りの読み方や楽しみ方があり、そのどれもが正しい。だが名作として世に残る作品は、それらすべてを併呑してしまうほど大きな認識を基底としているのである」(358)。それが本書だ、という趣旨。


@研究室
[PR]

by no828 | 2014-02-22 18:19 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 11月 01日

田村はな、まだ何かになるつもりでいるんだ——奥田英朗『東京物語』

c0131823_17265262.jpg奥田英朗『東京物語』集英社(集英社文庫)、2004年。77(732)

単行本は2001年に集英社

版元 → 


 上京物語。1979、1980、1981、1985、1989。幻の名古屋オリンピック、ということをはじめて知りました。現実はソウル・オリンピック。

後輩に遠慮はいらん。でも配慮はしろ。誉めること、労ること。いいな」(226)

「往生際が悪いんだよ」三輪がタオルを投げつけてきた。「さっさと三十になれ」
田村はまだ結婚しないの」森下が間延びした声を出す。信じがたいことに、こいつは二児の父だ。「リエちゃんだっけ。いい子じゃない、何をためらってるのよ」
「ほっとけよ」
田村はな、まだ何かになるつもりでいるんだ」三輪が見透かしたようなことを言い、久雄は内心どきりとした。「このまま一介のコピーライターでいるつもりはないんだよ
(349)


 豊崎〔﨑〕由美「解説」
 作家という愛すべき“種族”について考えるたび、必ずヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』のとある場面を思い返してしまう。その他のこと、たとえばストーリーなんか見事にうろ覚えと化してしまっているのに。
「だれかほかのひとのことでもお考えになったら?」「なにを言ってるんだ」彼は言った。「そいつは、おれの商売なんだぜ。さんざんやってきたよ」
 まさに。よい小説というものは常に、ほかのひとのことをさんざん考え尽くした作家によってもたらされたというべきでありましょう。
 そういえばアメリカの作家ジョン・ガードナー『オクトーバー・ライト』という作品の中で、小説内小説の登場人物にこんなことを言わせている。「可能な限りありとあらゆる人生を生きてみたい。おれだけじゃなくて、すべての人にそうしてもらいたい。何十万冊の小説の中の人生を、生きれるものなら生きてみたい」と。
 なるほど。自分以外の誰かの人生についてさんざん考え尽くした作家によってもたらされる物語を読むことで、自分以外の誰かの人生を生きる、その仮想体験を愛してやまないのが小説の読者というものでありましょう。
(354-5)

 「で、自分では書かないの? そんなに読んでいるのだから」ということを言われたりもしますが、書き手と読み手とのあいだには圧倒的な懸隔がありましょう。研究論文、研究書の文脈でも、読むことには何の抵抗もありませんが、書くことには躊躇があります。「躊躇」ですから結局は書くわけですが、躊躇はあります。それがわずかばかりのときもあれば、大きなときもあります。書くことへの段差がわたしにはあります。が、書かないといけないな、という思いもありますし、具体的なアイデアを非常勤講師先への移動中の電車内で練ったりもしています。もちろん、小説ではなく論文の話です。加えて、そろそろ単著の端緒も〔← うわ〕掴みたいと思っています。博士論文をもとに、3月までに何とか契機をと。書きはじめないと書くことへの段差は低くならないということは、わかっているのです。書けないのは書かないからなのです。具体的に行きましょう。

@研究室
[PR]

by no828 | 2013-11-01 17:37 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 07月 11日

そういうのがいやなのだ。自分は地味でも安定した日常を望んでいる——奥田英朗『家日和』

c0131823_22233072.jpg奥田英朗『家日和』集英社(集英社文庫)、2010年。58(713)

単行本は2007年に同社

版元 → 


 部屋があまりにも暑いために今日は午前中のうちからT情図書館へ行き、19時すぎまで。涼しかったです。ただ、18時になると冷房は切れるのかもしれません(要確認)。だんだん暑くなってきました。お昼はカロリー○イト(ハーフ)チョコレート味。図書館へ行くとこの昼食問題が発生します。館内で食べるわけにはいかない、だから荷物を持って学食その他へ行くか、荷物を置いて学食その他へ行くか、など。研究室が使用できるときはそこで食べ、部屋で研究するときはそこで食べ。そこでやると決めたらずっとそこでやることがわたしには合っているようです。だから大体休憩もしません。

 本書は図書館における昼食問題とはまったく関係のない短篇集。“逃れられない具体的な生活”が描かれています。年齢のせいか、あるいは生活資源が限られているせいか、いかに丁寧に具体的な生活を営むか、という点への関心が年々強くなっているような気がします。

「おれさ、このチャンスを逃して後悔したくないわけ。品川駅周辺ってオフィス街だから、今現在カーテン屋が一軒もないんだよね。早い者勝ちなわけよ」
 毎回それだ。早い者勝ちということは、他者が参入したら終わりということではないか。
「どうせ客が一巡したら需要はなくなるから、それで店をたためばいいじゃん。つまり一、二年の勝負で五千万円」
 そういうのがいやなのだ。自分は地味でも安定した日常を望んでいる。
(「夫とカーテン」173)


 文庫には大体第三者による「解説」が付属していますが、本書はその部分に「鑑賞」と題された益田ミリのマンガが展開されています。それもよかったです。益田は奥田にファンレターを書いたら奥田本人から返事が来て、そこに「特技はビールをおいしく飲むことです」と書いてあったそうです。何か、いい話ですね。

@研究室
[PR]

by no828 | 2013-07-11 22:48 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 06月 12日

犠牲者の上にしか繁栄を築けないのであれば、それは支配層のための——奥田英朗『オリンピックの身代金』

c0131823_1512879.jpg奥田英朗『オリンピックの身代金』上下、角川書店(角川文庫)、2011年。51(706)

2008年に刊行された単行本の上下分冊化

版元 →  


 わたしの読んだバージョンのカバーがなかなか見つからなかったので、版元の関連画像を貼り付けました。聖火ランナーと聖火台。

 1964年東京オリンピック開催を妨害しようとする大学生のお話。オリンピックには華やかな表側と隠される裏側とがあり、本書はそのうちの裏側を描きます。首都と地方、雇用者と労働者、労働者のなかでも力のある者とない者、……。二項対立図式で議論することの問題点が学界では指摘されてきましたが、それが適用可能な部分もあるでしょう。

 また、事を起こすのは、革命に燃えるヘルメットの若者ではなく、普通の若者なのだと、改めて思いました。事を起こすのは特別な人間だ、というのは、事を起こすのは普通の人間のはずがなく特別な人間に違いないと思いたい自称「普通の人間」の認識です。事を起こす者を無批判に擁護しようというのではありませんが、足を踏み出すときに“これ”という瞬間、“これ”という出来事があるわけではなく、“いつのまにか”踏み出してしまっているのかもしれないという認識はあってよいと思います。

 ちなみに、330ページにわたしが引用したことのある——というのは別に支持しているということではありませんが——文章が語られていました。「それに則って現実が正されるべきひとつの理想ではない」という、あれです。

 ここ一年、国民全員が日本人であることを強く意識していた。町内会では、町をきれいに見せるために洗濯物を軒下に干さないよう話し合われ、傷痍軍人の物乞いたちも、外人に恥ずかしいからと自発的に擦り切れた軍服を脱ぎ捨てた。自衛隊も、近頃はもっぱら掃除部隊だ。世界に誇れるオリンピック東京大会にしようと、誰もが責任の一端を担おうとしていた。もしも新幹線の開通が遅れるとしたら、国民は率先してツルハシを片手に工事現場に向かうだろう。そんな勢いが日本中にあった。(上.47)

 この村の貧しさと夢のなさはどういうことなのか。経済白書がうたった「もはや戦後ではない」とは東京だけの話なのか。この村は戦前から一貫して生活苦にあえいでいる。生活が苦しいと、なんのために生まれてきたのかわからない。まるで動物のようだ。(上.97)

「二十五になって、そろそろ嫁さもらえと言われて、隣村の二十歳の娘と見合いをして結婚した。それが故郷の女房だべさ。好きも嫌いもねえ。田舎の結婚は馬の種付けと変わらん。嫁は跡継ぎさ産むのが仕事だ。誰も疑問には思わん。すごろくで言えば、それが“上がり”だ。夫婦共々、その先は何もねえ。肝煎りか村長の家ならなんかあっても、小作人にはなにもねえ。死ぬまで、ただ働ぐだけだ。そうこうしているうちに、三十過ぎて、初めて東京さ出稼ぎに来た。怖いところかと思っていだら、これが楽しかった。恐る恐る食堂さ入って、ケチャップライスを食べたら、うまくてたまげた。オナゴはきれいで、これが同じ人間かと思った。頭領に連れられてトリスバーさ行ったら、女給はいい匂いがした。手がきれいなのが信じられんかった。熊沢に生まれたオナゴは可哀想だべさ。指が太くて短いのは畑仕事のせいだ。三十で皺くちゃになる。こんな不公平はねえ。なあ、国男君」(上.147)

 そんな状況であるから、さぞかし資本主義の矛盾に対して労働者たちは憤っているかといえば、現状はいたって静かです。一日の労働を終え、飯場に戻って酒を飲むときの彼らは、普通に陽気で屈託がありません。わたし自身も同様で、搾取構造の底辺にいながら、易々と現状を受け容れている部分があり、半分は従僕です。もしもマルクスがこの場にいたら、低賃金で将来の保証もない状態にも拘わらず、立ち上がろうとしない無抵抗な労働者の姿に、悩んでしまうかもしれません。「階級闘争とは、実は階級間の争いではない」と先生の著者にありましたが、わたしはその意味を初めて知った思いです。奴隷を解放したのは、奴隷側のリーダーではなく、知識階層或いは有産階級の中から生まれた異分子、或いはテロリストたちであると、今になって実感しました。(上.310-1)

「同じ国だというのが信じられんぐらい、秋田とはちがう。これならオリンピックさ開いでも、外国の人に恥ずかしくね。何もかもが豊かで、華やかで、生き生きとして、歩いている人もしあわせそうで……。なんて言うが、東京は、祝福を独り占めしでいるようなとごろがありますねえ(上.357)

 国力か——。国男は反発する重いを抱き、小さく憤った。それを言うなら、国民の生活こそが国力なのではないか。この官僚が、地方の僻地の実態を知らないはずはない。東京だけをにわか近代都市に取り繕って、何が“世界に示したい”だ。(上.430)

「昨日の新聞に出てましたが、オリンピック関係の工事でどれほどの人夫が命を落としたか知っていますか」
「そんなもの知らね」
「東海道新幹線だけで二百人、高速道路で五十人、地下鉄工事で十人、モノレールで五人、ビルやその他を合わせると最終的に三百人を軽く超えると思います」
「ああ、そうだろうな。おめの兄さんも含めて、あちこちの飯場で死人さ出てるべ。でも、それがどうした。戦争よりはましだ」
犠牲者の上にしか繁栄を築けないのであれば、それは支配層のための文明です
(下.33)

「それから、おめ、アカなんだってな。おめは東大行くぐらい頭さいいんだがら、世の中を変えてけれ。おらたち日雇い人夫が人柱にされない社会にしてけれ
 塩野の口調にはどこか乾いた諦念があった。国男は返す言葉がない。
「頼んだぞ」
 向こうから電話を切った。人柱という言葉に、国男は打ちのめされた。以前マルクスを引き合いに出し、苛烈な搾取構造の中でも屈託のない飯場の労働者について、不思議でならないとの感想を自分は抱いた。しかしそれは過ちだった。彼らはちゃんと現状を認識している。戦う術を知らないだけなのだ。
(下.306)


追記:ここ数日、亡くなられた なだ いなだ さんの件で本ブログに来られた方が多いようです。『娘の学校』(→ )、『おっちょこちょ医』(→ )などを紹介したことがあります。

@研究室
[PR]

by no828 | 2013-06-12 16:30 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 05月 25日

人間、将来があるうちは無条件にしあわせなんだよ。それから先は全部条件付きだ——奥田英朗『邪魔』

c0131823_12222298.pngc0131823_12224038.png奥田英朗『邪魔』上下、講談社(講談社文庫)、2004年。47(702)

単行本は2001年に同社より刊行

版元 →  


 一気に読んだように記憶しています。夜中の2時3時に読み終わりました。人間が具体的な日常生活のなかで堕ちていきます。主婦の物語と刑事の物語の交錯。

「おまえ、歳はいくつだ」
「十七ですけど、堅いこと言わないでくださいよ」
「そんなことじゃない」どこか乾いた口調だった。「……十七か、いいな。しあわせだろう」
「わけないでしょう」裕輔が口をとがらせる。「こっちは高校中退でお先真っ暗ですよ」
そんなのは小さな問題だ。人間、将来があるうちは無条件にしあわせなんだよ。それから先は全部条件付きだ。家族があるとか、住む家があるとか、仕事があるとか、金があるとか、そういうものを土台にして乗っかってるだけのことだ
「はあ……」
「上司の受け売りだがな。空しいものよ、人生なんて……」
 井上が遠い目をしている。夕日を浴びて眼鏡が光っていた。
 けっこういい奴じゃん。裕輔はそんなことを思ったりした。
(下.380-1)

 この語り手(=井上。刑事)は主人公ではありませんが、この部分が物語の“まとめ”のような気がしました。

@研究室
[PR]

by no828 | 2013-05-25 12:40 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 05月 19日

失うものはやはり大きかった。しかし、どこから後悔すればいいのだろう——奥田英朗『最悪』

c0131823_14145070.png奥田英朗『最悪』講談社(講談社文庫)、2002年。46(701)

単行本は1999年に同社より刊行

版元 → 


 人間が人生の負のスパイラルに陥っていく様子の描写が秀逸。傍目八目ということばがありますが、読み手が「ああ、それはしないほうが……」という思う方向に登場人物が進みます。奥田英朗には『邪魔』(版元 →  )という本もあり、それも読みましたが(近々ここで紹介します)、それも同様に人間が人生の負のスパイラルを滑り落ちていく様子が描かれています。奥田英朗は人間が堕ちていくさまを書くのがうまい、と思ったのは、この2冊によります。

 誰もが弱みを持っている。それが唯一の救いのように思える。(549)

 失うものはやはり大きかった。
 しかし、どこから後悔すればいいのだろう。
 信次郎にはそれすらわからない。
(637)


@研究室
[PR]

by no828 | 2013-05-19 14:26 | 人+本=体 | Comments(0)
2013年 04月 29日

おとうさんを見習うな。立場で生きるような大人にはなるな。孤独を恐れるな——奥田英朗『サウスバウンド』

c0131823_16195276.jpg奥田英朗『サウスバウンド』上下、角川書店(角川文庫)、2007年。34(689)

単行本は1冊、2005年に同社より刊行

版元 →  


 主人公は小学6年生の上原二郎、その父 一郎が「国が嫌い」で「元過激派」——でその双方に共通する「集団」が嫌い——という設定。

「冗談ではない。かねがね日本国民をやめたいと思っていた。今日がその日だ」
〔略〕
「上原さんは日本人……ですよね」
「そうだ。しかし、日本人イコール日本国民でなくてはならない理由などない
(上.19)

「船に乗ってブラジルにでも行きてえな」黒木が吐息混じりに言った。
「なんでブラジルなんだよ」二郎が聞く。
テレビで見たけど、ストリートチルドレンっていうのがいて、学校も行かないで靴磨きとか、そういうことして、路上で生活してんだよ
おまえ、靴磨きなんかしたいのか
そうじゃねえ。昼間っから道端でぶらぶらしてても、誰からも文句を言われないってことだよ
「そりゃあいいな」
「だろう? 日本は平和で豊かでいい国だなんて先生が言うけどよォ、義務が多過ぎるんだよ。義務教育なんて、おれにはいい迷惑だ」
(上.144-5)

革命は運動では起きない。個人が心の中で起こすものだ
〔略〕
集団は所詮、集団だ。ブルジョワジーもプロレタリアートも、集団になれば同じだ。権力を欲しがり、それを守ろうとする
「上原、落ち着け!」刑事が言った。
個人単位で考えられる人間だけが、本当の幸福と自由を手にできるんだ
(上.291-2)

「八重山の人はね、逆賊が好きなのさー。琉球政府の頃からいいように搾り取られてきたから、お上に逆らって戦う人が好きなのさー」(下.27)

二郎が島の人の気前のよさに驚いていると、ヨダさんが「こっちはユイマールだからさー」と教えてくれた。ユイマールというのは、互いが助け合って生きていく昔からの習慣のことなのだそうだ。ヨダさんが子供の頃は、家も島の人たち総出で建てたらしい。それを聞いて、八重山に来て以来の、おせっかいと言えるほどの人の親切さに納得がいった。お金がなくても生きていけるのだ。
 島の人たちは、我が家のように他人の家の中を歩き回った。母に断ることもなく、台所を自由に使い、「ああ卵があるさー」と勝手に割って調理した。この遠慮のなさはなんなのかと違和感も覚えたが、これもユイマールだとすぐに理解できた。要するに、私有財産という考え方をあまりしないのだろう。あるものは、みんなのものなのだ。
(下.66)

「帰国子女はいじめられるって聞くからな」
「ちがいます」七恵が鼻に皺を寄せて言った。「港区で帰国子女なんてざらにいる。問題は海外で日本人学校に通ってたかどうか。わたしは、たった一人で現地の学校に通ってたから、それで仲間に入れてもらえなかったの
「そう」
そんな仲間に入れてもらおうなんて、少しも思わなかったけどね。馬鹿みたい。自分のお誕生会に命をかけてる人たちなんて
(下.88)

「誰かが立ち上がらないと、沖縄はどんどん東京の資本に蹂躙されるんですよ」
「あまりきついことは言いたくないんだがな。沖縄生まれならともかく、内地の人間が勝手に南の島に憧れ、自分探しで環境保護運動をするのは迷惑な話だ
 父の言葉に、守る会の人たちが顔色を変えた。「沖縄生まれじゃないと発言もできないんですか?
(下.155-6)


 母 → 娘
「それがいちばん大きなことなんじゃないの」
「ううん。世間なんて小さいの。世間は歴史も作らないし、人も救わない。正義でもないし、基準でもない。世間なんて戦わない人を慰めるだけのものなのよ
(下.255)

 父 → 息子
「二郎。前にも言ったが、おとうさんを見習うな。おとうさんは少し極端だからな。けれど卑怯な大人にだけはなるな。立場で生きるような大人にはなるな
「うん、わかった」
これはちがうと思ったらとことん戦え。負けてもいいから戦え。人とちがっていてもいい。孤独を恐れるな。理解者は必ずいる」
「それ、おかあさんのことだね」
(下.256)


@研究室
[PR]

by no828 | 2013-04-29 16:29 | 人+本=体 | Comments(0)
2012年 10月 07日

人間がルールを守るのは、自分に害が及ばないときだけだ——奥田英朗『町長選挙』

c0131823_1643250.jpg
147(607)奥田英朗『町長選挙』文藝春秋(文春文庫)、2009年。

版元 → 

単行本は2006年に文藝春秋より刊行。「奥田英朗」は「おくだ ひでお」。


 精神科医・伊良部一郎が主人公のシリーズ第3弾。世相を反映させた物語が複数含まれていました。

「普通、会社に就職すれば馬鹿な上司が必ずいるじゃない。でも上司だから言うことを聞かなきゃならないし、理不尽な指示にも従わなければならない。安保さんはそういうのを経験しないで来ちゃったんだよ」
「いいことじゃないですか。無駄な時間が省けて」
「迂回しないで成功したから、思考がダイレクト過ぎるの。車で言うならハンドルに遊びがないレーシングカーってやつかな」
「あのね、いい加減な理屈をつけないでください」
 貴明はてのひらで顔をこすった。忙しいのにとんだ寄り道だ。
レーシングカーで公道を走るのは危険だよ。性能、落としたら?
(「アンポンマン」91)

「太ったことないんでしょ? 一度経験してみると怖くなくなるよ。人間っていうのは未知のものを恐れるわけだから(「カリスマ稼業」143)

 血走った目をした中年男たちを見ていたら、抵抗するのが怖くなった。生活がかかっているとは、きっとこういうことなのだろう。人間がルールを守るのは、自分に害が及ばないときだけだ。(「町長選挙」193-4)


@研究室
[PR]

by no828 | 2012-10-07 16:54 | 人+本=体 | Comments(0)